レクロコムカル〜黒き髪の旅人〜 彼は冴えない冒険者。 知らない洞窟があれば入って迷い、知らない神殿があれば入って怒られ、だけどそれでも彼は止めない。 其の特徴は黒の髪。夜のように、闇のように、漆黒の黒。 剣も魔法も英雄と呼ばれるほど強くなく、悪魔と呼ばれるほど非常でもない。 他人に優しく、魔物に優しく、世界の全てに優しい男の物語。 腰に携えた二つの短剣で道を切り開き、 頼りになる仲間たちと友に道を歩む。 ――――これは、後に“黒耀の彼”と呼ばれる男の冒険譚―――― その青年の特徴はといえば、この世界では絶滅危惧種に指定されている“黒の同胞”と呼ばれる種族特有の黒の髪と、闇をも思わせる暗い黒い瞳に、年齢に不相応の童顔だけである。一番最後の特徴に至っては他人からすれば凡そ特徴とは成りえないものなので、結局のところ彼の特徴と言えばその黒い瞳と頭髪だけだろう。つまり、逆に言えばそれ以外に何の特徴もないということなのだが、本人はそれを別に気にしている節もなく、今日も気ままに雨の山道をひたすらぜーぜー言いながら歩いていた。雨でぬかるんだ道に足を取られ偶に躓いたり転びんだりしつつ、彼は歩くのを止めない。 何故って、迷っているから。 これでこの山道は入って十回目の転倒に正直欝になりつつも、青年は手に持った杖代わりの枝を支えにした立ち上がろうとして、枝が小気味よい音を立てて折れ、泥に顔を埋める形となった。ぬかるんだ地面とディープなキスを交え、青年は顔を上げて適当な木に寄り掛かることにした。 雨を遮る素晴らしい装束、と言うことで買ってみた新たな装備品名“レキィマ”だったが、流石にこの豪雨ではその効果を発揮しなかったのか、はたまた他の原因があったのか、青年の身体はびしょびしょであった――――いや、単に転びすぎたが原因なのだけども。 その装束の裾で軽く口周りと目周りを拭うと、そこに現れたのは端正な顔立ち。少しばかり痩せこけているのが問題だが、これはここ最近の食の難によってできたもので、ちゃんとした食事を一日でも取ればすぐに回復するだろうと思われる。まぁ、良くも悪くも普通の顔立ちと言う事か。歳の割には若すぎる顔と、それと反比例するかのように落ち着いた感があるのは冒険者としての彼の生の所為だろうが、まぁそれは本人の選んだ道。文句は言えません。 この木の下だと、多少雨露を凌げるので一旦ここで小休止しようと考えた青年の名を“フェイト”と言う。もっと長い名前があったような気がしたが、既にそんなのは記憶の片隅に追いやられて、丸くなって拗ねているのでフェイトが根気良く思い出そうとしない限り、その名は思い出さないろう。とはいえ、彼の本名に対した意味があるわけではない。ただ、結構に名の知れた商人の名前が付いているだけで。 青年は旅人であり迷子であった。 あっちへ行ったりこっちへ行ったり、自由奔放に旅をしていた。北に北に東へ南へ西へ南へ南へ北へ。あまりに目的地決めてないのと生まれ持った方向感覚の無さから同じところをぐるぐる行ったりすることも多々あるのだが、まぁそれは置いておいて。彼は世界を好きなままに巡っていた。好きなまま巡りすぎて結構なイザコザを抱えてたりするのだが、本人は何処吹く風。そんなことなど既に忘却の彼方……にしたいのだが、そうはいかないのが人生なのである。 「…………あー。本当にコンパスぐらい買うべきかなぁ」 買うべきだ、と彼を知る者なら声を合わせて言うのだが、残念ながらその者たちはここには居ないので彼の耳に届く事は無かった。 小さくクシャミをして、現状を慮る。まずいなぁ、と。 彼は今回“エルフの住居”と呼ばれる森に来て、すぐ迷った。同じところループなんぞお手の物ですでに同じところを30回は回って周囲の地形を覚えて泣けるほどだ。実は今寄りかかっている木もこれで二回目のお世話になっている。心の中で自分の休息場となっている木に惜しみない感謝を伝えつつ、フェイトはもうすぐ夜になる空を見て嘆く。迷う事自体は問題ないのだが、(実際問題ありまくりだが)夜になってしまうと色々と厄介な事になってしまうのだ。 「ゴーストがー、襲ってくる…………のはかなり勘弁したいなぁ。剣効かないし」 エルフたちは魔力の満ちた森に住まい、魔力の満ちたところでは幽霊やら悪霊やらが漂う。夜になればそれは更に顕著になり、それこそレベルアップにはありがたい悪霊の巣窟が出来上がる。が、別にレベルは上がらなくても生活には困らないので、できればモンスターと出会うのは勘弁して欲しい。 どちらかといえば魔法よりも接近戦のほうが得意なフェイトとしては、物理攻撃が全く効かない半生命体たちとはあまりお手合わせしたくは無かった。儀礼済み、或いは魔力がこめてある特殊な武器を持っていれば構わないのだが、生憎と自分が愛用している小太刀二刀は何の魔力も込められていないのである。 更に言うと、彼らと戦ってもフェイトには何の利益も無いのだ。魔物ならば倒せば毛皮なり骨なり何らかの報酬があるのだが、半生命体は何百匹倒してようやく利益が得られる程度なのだ。何百匹も相手していたらこっちが幽霊になってしまう。それだけは勘弁願いたいと誰もが思うだろう。 余談にして当然の事だが、エルフたちの住居区には幽霊や悪霊の類を阻害する、結界が張られている。 「ぁー、夕刻にはエルフさんたちの宿にありつきたいよー」 エルフたちが自分たちの住まう領土に入れてくれるかどうかという心配は何処へやら、とりあえずフェイトは行動を再開しようとして、 「…………悲鳴?」 生憎と悲鳴である。 フェイトは立ち上がり、その声のする方向へと走っていく。途中転びそうになるも、片手を付いてなんとか体勢を立て直す。妙に鋭い草やら枝で掠り傷を負うが、フェイトは意に介した様子を見せずにただ走り、そして一人のエルフの少女が複数の魔物に囲まれている現場へと辿り着いた。 一旦立ち止まり様子を伺おうとして、そんな悠長な場合じゃないと頭を振る。そしてすぐに、一番近くにいた魔物の背後を取り、腰の二対一刀の小太刀で斬りかかる。魔物は断末魔の悲鳴を残し、その場へと崩れ去った。 突然の乱入者に魔物たちは戸惑いの色を浮かべる。それとは対象的にフェイトは落ち着き払った声で少女に告げた。 「とりあえず逃げ――――」 「Akuyvbandpiv.cv dha;icjadhuahva!?」 何を言ってるのか全く理解できなかったのは仕方ない。ここは辺境の森の民の領土であるし、更に言えばそういうところは大抵閉鎖的な場所だ。公用語が浸透していなくても当然だろう。事実、フェイトも色々な場所を旅したことがあるが、公用語が通用しないところも多かったのだから。 ある程度ならば、フェイトも他の種族の言語も話せるが、生憎とエルフたちの言語は習得していないのであった。 そんなフェイトの内情はともかく、魔物から怯え暴れるエルフの少女は、自分の背中を叩いたり引っかいたりしていた。 とても、痛い。 でも、こっちの言葉が通じるわけでもないなので魔術使おうと口を開く。 「”祖は全、全は個。その為の言葉を一つに――――”」 「kujfaゃー、助けて私みたいな美人がこんな森で野垂れ死んでしまうのは世界が許さないってキャーーー助けてー!」 言語が通じるように、特殊な魔術を唱えて後悔。フェイトが抱いていたエルフというイメージがドワーフによって打ち砕かれて翼人によってマグマに落とされた気がした。 エルフというのはもっと慎み深いというか、淑やかなイメージと聞いていた。だけど、現実はこんなもんということなのだろうか。いや、この子とあの老人だけが例外なのだろうと、目の前のエルフの行動を見なかったことにした。 見てないと言ったら見てないんだ! 「…………とりあえず、下がっててくれませんか?」 「きゃっ。言葉が通じる……………………いけっ、下賤な人間。“シリルティア”内でも有数の使い手が失わ」 もう世界中に喧嘩売ってるんじゃないだろうかこのエルフ、とか、なんか今日は厄日だなぁ、と心で呟きながらフェイトは少女の言われるままに行く。先ず2mはあろうかと思う“ まずは一匹。と小さく呟くと、その言葉に魔物たちは今度はフェイトに襲い掛かる。どうやら、魔物たちはまずフェイトを始末しようという気になったのは間違いなかった。犬型の魔物“リーンハウンド”三匹同時にフェイトの首元目掛けて飛び掛ってくる。それをその場を動かず体捌きだけで避け、すれ違い様に右の小太刀で一匹の首と身体を切断し、左の拳で一匹の脳髄を粉砕し、残りの一匹は着地と同時に、踵でその身体を破壊する。 「……む、結構相性がいいみたいですね。僕の属性が“風”だから…………土かなにかかな?」 この世界の生物には生まれ持った属性と言うものがあるのだが、それを説明するのは後にしよう。今は戦闘中で何かとフェイトは忙しかったりするのだ。その証拠にフェイトは先程投げ、木に刺さったままの短刀を触れる事無く引き抜き、それを残りの魔物に向けて放った。 森緑の熊を屠り、触れることなく刀を引き抜くことができるその理由は、二つの刀の柄を凝視することによって理解できる。 柄の先端のところに、酷く小さく、細い糸が付けられている。その糸は二つの小太刀同士を繋いでおり、それを引っ張ることにより投げた刀の軌道を変えたり、触れることなく(正確には触れているのだが)得物を引き抜くことができたのだ。糸の頑丈さは言うまでも無く、比べるとすればこの小太刀の強度をも上回る。 「きゃああっ!?」 「マズっ、かすったかな」 フェイトがエルフの女性を心配してそういうものの、投擲した愛刀は彼女に当たることなく、フェイトが思い描いた軌道を通過し、魔物の眉間に刺さった。呻くこと無く魔物は倒れる。それを機に、他の魔物たちは去っていった。野生の勘が、フェイトには勝てないと悟ったのかは定かではないが。ただ、魔物が引いてくれたのは助かった。実際のところ、これ以上襲ってくるのならば、エルフの少女も自分も無傷では済まなかっただろうから。 「ふぅーーー…………。終った終った…………………………っつ?」 小さな痛み。なんだろうと振り向けば、そこではエルフの少女が驚愕の表情で自分の背中を見つめていた。その視線を辿るように、フェイトは自分の背中を見ようとして、何かが刺さってるのが見えた。それは―――― 「矢…………だっ」 て、と。最後までそう言われることは無かった。 失われる意識の中、エルフの少女が何かを咎める声だけが…………遠く、トオク、とおく。 遠く。 フェイトという青年。これはある筋では有名な、お人好し。 問題という問題に首を突っ込んではその問題を解決させてしまう旅人。 無法な輩が村を襲っていれば話し合って薙ぎ倒し、無法な獣が村人困らせていたら問答無用でしばき倒し、村の子供が病気で薬草を必要だとかそんな事を聞いた次の瞬間にはそれを探すために奔走し、生贄に捧げられるのがあーだこーだとかの問題があればそれを解決し、もうなんというかアホなぐらいのお人好しなのである。 更にフェイトは、礼など要らぬ自分は関係者じゃないからいや余計な事して済みませんとか、余計な事(これはフェイトの主観。その人たちからすれば助けてもらっている)したのでさっさと逃げてしまうという呆れっぷり。村人が普通に謝礼の品を持ってきても、丁重に断わる。それでもしつこいようだと、次の日には消えるのがこの男。 ただフェイトは自分でもお人好しとは自覚している。だけど、これが性分だと納得して今日もせっせとお人好しっぷりを発揮しているのだが。 今回は助けた家族に矢を射られるという中々にヘビーな礼が回ってきた。いや、フェイト風に解釈すると“余計な事をしてきた罰が下った”になるのだろうけども。本当に、お人好しすぎるのだ。いや、優しすぎるというか馬鹿というか。 「…………ぁれ、じっちゃんとばあちゃんは?」 目が覚めれば花畑はなく、太陽と森の匂いのするベッドの中。久し振りに僅かしか見覚えの無い祖父、祖母とお茶を飲みながら楽しく話していて、懐かしくも切ない気持ちだというのに、いつの間にか知らない場所へと連れて来られていたらしい。 去り際にばあちゃんが“まだ早いんじゃないかえ”とか言っていたのであそこは有名な臨死体験のお花畑だったんだろうとフェイトは悟った。 同時に、また行きたいなぁと。 「……はぇ?」 注釈することでも無いが、蠅は全く関係ない。 それにしてもここは何処だ、とフェイトは寝起き眼で考える。雰囲気からするに、宿ではないのはわかるのだけど。まず気になったのは匂い。 森に包まれているときのような、独特の匂い。そして見渡してみればこの部屋の材質は全て木材でできていた。細い丸太をくみ上げて造った、エルフ族独特の建築法。フェイトはおっちょこちょいでお人好しでもあるが博識でもあるのだ。大抵の事は頭に詰まっている。だけど止まらないのは好奇心と探究心。 「世界って素晴らしい…………ってなにやってるんだ僕は。矢が刺さっててそれで急に気持ち悪い通り越して死にそうになって」 悦に入って軽く後悔。そして、現状の確認。 鏃には恐らく毒が塗られていたのだろう。それも、即効性のある毒。すぐに意識が遠くなり、このまま開始約8ページ(Word換算)で話が終るかと思ったぐらいだ。 矢が刺さっていたであろうその部位を撫でてみるが、そこには傷の感触が無く、普段どおりの肌の感触だけがあった。まさか夢か、という考えが一瞬よぎったが、あの痛みは夢なんかではないことは確か。第一、こんな宿(既に宿と決め付けている)は泊まったことは無い。 基本的にフェイトは野宿である。普通の冒険者或いは旅人の彼は宿に泊まるのだが、フェイトは早々泊まることはない。村や町を訪れれば半月程は滞在するが、それもほとんどは野宿。路銀の消耗は少ないに越した事はないからだ。何せ、旅というものは意外と金が掛かるのだ。フェイトの場合は尚更に。 ぎぃ、という音とともに扉が開かれれば、そこには小さな桶とタオルを持ったエルフ族の女性がそこにいた。彼女はフェイトが起きているのに気付くと、軽くお辞儀をした。 「あ、気が付きましたか?」 「……………………うん、これがエルフだと思うんだ僕は」 先程の悪夢は何のこと、世間で言う“エルフ”の体現者がここにいた。淑やかな大人の女性というのだろうか、その長い独特の耳に、腰まであろう麗しき銀色。そして、森の一族ならではというべき翠色の服。 雪のように白い肌に、抱きしめれば折れてしまうとの危惧さえ抱かんばかりの細く、しなやかな肢体。 そして、背負われた大きな弓。 「弓ぃぃっ!?!ひいっ、もう矢は勘弁して下さいお願いしますうううっ!?」 流石に死に掛けたともあればトラウマになるのだろう。フェイトは毛布に包まって幼子のように現実逃避していた。 あ、と呆けた声を出し、エルフの女性はその弓をフェイトの視線から離し、 「ご、ごめんなさい。先程は私たちのか、勘違いで…………本当に申し訳ありませんでした」 「あーそうなんですか。勘違いですか、勘違いならいいですよ。誰も、僕に殺意とかい抱いてませんよね?」 「…………えっと、殺意は無いんですけど…………敵意なら極僅かに」 この人、嘘付けないんだろうな。フェイトは何とかそれを口に出さずに済んだ。この人を安易に汚してはいけない気がしたからだ。 何せ、こうやって話しているだけでもこの女性から神々しさすら感じるのだから。 軽く自己紹介を交え、彼女の名はリース・L・マクスウェルという事を知った。更に彼女はこのエルフの集落の長の娘で、先程の汚点(既にフェイトの中で、エルフらしくないエルフは汚点となっているらしい)の姉らしい。年齢は不詳。というかそんなことを訊けるフェイトではないので、彼女の年齢は永遠に不詳だろう。 女性に対して安易に年齢を聞くものでは在りません、ヘタすると自爆することなので。 それはさておき。 彼女との話しを掻い摘むと、こうなる。 どうやら、自分は賊と思った若いエルフの少年が自分に向けて矢を放つが、それは全く届かなくて、それを見かねたその少年の兄が難なく背中めがけて命中させ、自分は鏃の毒が回って倒れた。そして、倒れたと途端錯乱したかのように、汚点の少女が二人の青年に真相を告げ、ここまで連れてきて、リースが看病に至る。らしい。前半部分要らないんじゃないかと思わずツッコミたかったが、何とか我慢した。 ちなみに、自分は二日程寝込んでいたらしい。 「いや、本当にありがとうございます。貴女は命の恩人です、どうぞ何なりと申して下さい。僕のできる限りの事はしますから」 「……いえ、元はといえば私たちの勘違いから始まった事ですので。ゆっくりと身体を休めてください」 「…………いえいえ、気が付いたのなら大丈夫だと言う事です……か……ラ?」 起き上がフェイト同時に眩暈。途端にリースに押さえられ、再び横になる。 「駄目ですよ、一時的に目を覚ましただけなんですから。ゆっくり休んでないと私、怒りますよ?」 「いやほんとにすみません。後一日ぐらいしたら治ってると思うんで、それまでには」 「…………」 怖っ!? 「ハイ、ユックリトヤスマセテイタダキマス。シバラクノアイダ、スミマセンガオセワニナリマス」 目は口ほどに物を言う、と言うが正に今の状況がそれだった。 逆らえば、何か恐ろしい事が待っているような気がしたのは間違いではないだろうと、フェイトは優しく微笑むリースを見ながら思うのであった。 こういうときの女性には逆らってはいけないのは、フェイトの本能が知っているのだけど。 「二日間…………あの、すみません鏡ってありますか?」 「…………はぁ」 ふと、気になった。自分はあの時、かなり汚れていたというか不潔な状態だったはず。特に顔。ほとんど泥まみれだった筈だ。少なくとも、この綺麗な部屋には合わないほど薄汚れた状態だったはず。 だが、鏡で見てみればそこには清潔な顔と真っ白で汚れの無いベッド。毛布も剥いでみるが、そこも汚れてすらいない。というか、服を着替えさせられていた。当然といえば当然か、あんな汚れた格好で寝させられたら治るものも治らないだろう。傷口から細菌が感染して、それこそ永遠に祖父母と一緒にお茶会を開く羽目になったであろう。 リースはフェイトのそんな様子に気付く。だが、惜しくもフェイトの危惧した状況とはずれていた。 「あ。着替えなら洗って外に干してありますよ」 「あ、そうですか、ありがとうございます。…………いや、僕が気にしてるのはそっちでなくて」 「?」 どう切り出せばいいのだろう。僕の服を着替えさせたもとい、二日間僕の身体を清潔にしてくださったのは。と。 もし、これが目の前の疑問符を浮かべる美女がそうだったとしたら、自分はどんな顔をして彼女と話をすればいいのだろう。 なんとなくというか、かなり気まずい。 「ぁ」 しかしどうやら彼女は正直者で聡明で、しかも自分の身体を拭いた張本人だったらしい。小さく声を上げ、その雪のように白い顔が徐々に赤く染まっていった。 「え、えっと…………」 「……………………」 声を詰まらせ対応に困る顔を染めた二人。仕方ない事といえばそれで終ってしまうのだが、それで終らないのが世の中の難しいところ。世の中はそんなに簡単にできていないのだ。 あっちを見たりこっちを見たり、時々視界に弓が入ってトラウマが発動したり。もうこのままだと話が進まないのは明白。それをわかっているフェイトはなんとか声を掛けようとするが、上手く口に出せない。 「え、と、ですね。その…………」 「…………………」 時間がしばらく続く事になったが。まぁ仕方なかろう。 だが、天は彼らを見捨ててはいなかった。 「お姉ちゃん、アイツ起きたっ…………って何見詰め合ってるの?」 「え、えと」 「いや、僕の顔に傷が付いてたんで診てくれたんですよ」 フェイト。特技は真顔で嘘を吐くこと、とか。 「まぁいいや…………って、アンタ目が覚めたのね、大丈夫だった?」 「エルフって言っても色々な人がいるんだよね。……いえ、何でも無いです。そういえば、怪我とかありませんでしたか?」 「え、ええ。…………アンタがいなくても、アタシ一人であんな奴らどうとでもなったんだけどね、アンタに花を持たせて上げたのよ」 「すみません、余計な事しちゃって。いやぁ、余計な事してお世話になってるんだから本当に申し訳ないです」 彼女の虚勢も意固地も、フェイトにとってみればそれは真実にしか聞こえない。フェイトは本当に申し訳無さそうに起き上がり、謝ろうとするが上手く起きることができない。仕方が無いので頭を下げるだけの謝罪になる。 「リーシア」 「……べ、別にわたしは助けてなんて言ってないものっ」 「リーシアっ!」 リースは自分の妹の態度を咎めるかのように声を荒げるが、妹のリーシアは一瞬気まずそうに顔を変化させただけで、すぐさま部屋を出て行った。 リーシアも、自分が悪い事はわかっているのだが、それを簡単に受け入れたりはしたくないのだ。そんなリーシアの感情を理解しているリースは困ったように首を傾げ、妹の失言を謝罪しようとしたのだが。 「んー。そーするとアレですね。余計な事した報いで助けられて…………最低ですね」 「……………………えっと」 フェイトは全く気にしていないどころか、臆面どおりに受け止めていた。流石に言い辛くなってしまったので、とりあえず言葉を濁してしまったが、リースはこれを後々後悔する事になる。 たぶん。 ――――この時点のリースにはこの妹の虚言を間に受けて落ち込んでいるフェイトが、お人好しなのか、少し鈍い人なのかはまだ判断が付かなかった。 しかし、後に気付くことになるだろう。フェイトという青年がどれほど自分に鈍く、疎く、優しく、厳しい男かということを。 そして、“レクロコムカル”と呼ばれる種族だという事を。 その翌日。 フェイトは身体を撫でられる感覚に瞼を開いてみれば、まずリースの顔が視界に入った。何をしているのだろうと当然の疑問を抱き、寝起き独特の脱力感を払拭し、リースに話しかけようとして気付く。 今、自分は身体を拭かれていフェイトいうことに。 思わず、目を閉じ硬直。むしろ石化した。早く“バジリスクの水”を用意しないと、と頭の中でずれた事を考えながら、リースの手腕に身を任せる。 心地よい。……いや正直な男としての彼の感想を一言で言い表してみよう。 ヤヴァイ。 ヤバイでもなくやばいでもなく、ヤヴァイのである。 身体を撫でるタオルを通じて伝わる女性の体温が気持ちいい。そして、漂ってくる彼女の甘い匂いが何処と無く艶かしい。それになんか機嫌よさそうで、鼻歌交じりなのが更にグッド。 まぁぶっちゃけフェイト、恩人に欲情しそうだった。 これはいかんとフェイトは目を開け、挨拶する。 「おはようございます」 「…………お、おはよぅござい……マス」 フェイトの声は裏返っていた。だが、流暢だった。 そして、リースの手は丁度、フェイトの胸板の辺りだった。 彼女は尋ねる。妙に角ばった声で。 「い、イツカラオキテマシタ?」 「背中拭かれた辺りから」 ちなみにその後は下半身(下腹部ではないので悪しからず)、と脚の先まで裏半身を吹いた後、表上半身を拭こうとしてフェイトが目を覚ましたということになる。 黙って尻拭かれてる主人公ってどうよ。自分でもそう思ったが、気持ち良いのには逆らえなかった。 「…………ぅ」 「?」 「……………………ぅう」 「?」 「………………にゅぅー…………」 「にゅぅー?」 エルフはそういう風に鳴くのか。いい勉強になるなあと、かなりずれたフェイトの辞書にエルフの鳴き声が登録された。動作は徐々に赤く染まり、血のように真っ赤に染まった後ににゅーぅ、と一声。 どうでもいいが、“血のように”は表現として些か不穏な気がする。 「ごめんなさい。起きるタイミングがわからなかったのと、凄い気持ちよかったので口を出せませんでした。不埒な僕を許してください」 懺悔するようにリースに言うフェイトだったが、どうやらリースは未だ遠い遠い世界へと旅立っているようで、フェイトの言葉が届いていなかった。一応、彼女の目の前で手を振ったり、声を掛けたり、とんとん、と肩を叩いてみたりしたが、全く反応が返ってこなかった。 ふむ、と一人ごちて復帰まで当分かかるんだろうな、勝手に納得して彼女の手から手ぬぐいを奪い取る。奪い取るというのは妙に手ぬぐいを掴む力が強かった故の表現である。死後硬直と同じようなものなのだろうか、とかなり失礼な事を思いながらフェイトは自分の身体を丁寧に拭いておき、そのまま桶に戻してベッドを出た。 「んー。身体中から音が……」 今なら自分は音楽道具の一つになれるのではなれるのではないかと思うほど、あちらこちらから音が聞こえてきた。首を動かせば鈍い音が、身体を伸ばせば何かマズイ音が、身体を捻れば甲高い音が、脚を上げれば乾いた音と、そんな按配に。 三日も寝てれば身体も鈍るのだろう。そう断定して、とりあえず散歩しようと思った。 「おーい…………駄目ですね。――――ちょっと散歩に出かけて来ますねー」 とりあえず伝えた。聞こえているかは定かではないけども。 言い訳のネタはこれで一つ出来たので、フェイトは悠々と部屋の外に出た。 今日のリースさん。 「あ、あれ…………フェイトさんはっ!?!?」 “にゅー。” いったい何処からそんな言葉が出てきたのだろう。 ††† この世界に住む全ての生物には属性というものが生まれ備わっている。 火・水・風・土・光・闇。 大まかにわければこの六つ。基本的な属性というわけだ。 この、属性というのは両親の資質と、生まれ落ちた環境によって定まるとされている。(あくまでそれは諸説であり、完全なものではない) 過去に、何処かの誰かがこんな言葉を残した。 『火は水を戻し、水は土を還し、土は風を遮り、風は火を消し去る。 ――――光は闇を照らし、闇は光を覆う』 つまり、 “火は水に強く、水は土に強く、土は風に強く、風は火に強い。 “光と闇に関しては、互いが互いを弱みとする これは属性間の相性を表した言葉で、この世界の常識として成り立っている。この法則を知らずに生活している人はいない。 相性を実感するにあたって一番効果が高いのは、戦う事だ。 例えば火の属性を持つ男(以後Aとする)と、水の属性を持つ男(以後Bとする)が戦うとする。前提として、実力は同程度だ。 この場合、BはAに対して世界から“加護”を受け、ある程度肉体面、魔力面においてボーナスを貰えるのだ。(ある程度、というのはその人物によって差異があるからだ。更に言えば、信仰深いものの方が加護が高い、というわけではない。この“加護”の差異も様々な仮説が立てられているが、未だ不明である。) ようするに、属性というものは有利か不利、になる程度の話と考えればいい。但し、高位の使い手に限っていえば、この相性は無いといっても過言ではないが、それほどの使い手はそうそういない。 そうそういない。 だが、例外はある。 例えば、この世界に名を連ねる“英雄”と呼ばれるものたちが七人。――――彼らは”七色“と呼ばれ、民衆から、国々から多大なる信頼と憧憬を持たれている。 例えば、この世界に名を連ねる“悪鬼”と呼ばれるものたちが四人。――――彼らは“死季”と呼ばれ、極僅かな人たちから恐怖と嫌悪を持たれている。 例えば、この世界に名を連ねる事なき“無名”のものたちが数十名ほど。彼らは知られない。それ故の無名だ。 期待を持たせない為に言っておくが、フェイトがこれらの中に含まれるというわけではない。可能性はあるかもしれないが、しかしその可能性など分子のように小さな可能性にしか過ぎないし、ほぼ零に近い可能性でしかないのだ。 フェイトは戦闘力、という一部分においては強い、というか確かに強いのだろうが、しかし一線を越える程ではない。フェイト自身が強さを欲していないというのがあるのだが。それを抜いても、そこまで強くは無い。精々、普通の人よりは強い程度。 そう、普通よりは強い程度。 だから。 無手で、尚且つ複数の人間に囲まれ、更に言えば弓を構えられいつでも射られる状況下で抵抗などできるはずないのだ。序でに、病み上がりだし。 「………………まずっ」 ピンチもピンチ。大ピンチだった。 散歩する事にしたフェイトだったが、すぐに迷った。 集落、しかもエルフ族といえば少数部族なのでそこまで広い集落ではないのだが、そこで迷ったのには理由がある。方向音痴、と言うことは置いておいて。 前を見て歩いてなかったからだ。 生い茂る樹木や、建立されているエルフ族の住居、さらには樹木の隙間から洩れる木漏れ日の美しさに目を奪われながら歩いていたので、気付けば大きな、見渡すのにすら苦労しそうな大樹の下に来ていた。 その前に立ち入り禁止と書かれた看板があったのだが、風景しか見ていないフェイトにその看板が目に入るはずも無かった。 いや、そもそもその看板を見ていてもフェイトがその場所に居なかったか、といえば彼を知る人たちは言葉を濁すのだが。 フェイトは立ち入り禁止の看板を見れば問答無用で入る男だ。 そのために国から指名手配されたり、どこぞの娘からは怨まれたり、その場所の精霊から好まれたり、好戦的な“魔者”から逃げていたりするのだが、しかしそれを後悔したことは無い。 いや、一番最後のはかなり後悔している。 (…………これが、“創生樹”なんだろうなぁ) 両手を高く上げるという、どの国、種族にも共通している降伏の動作を示しつつ、フェイトは目の前の大きな樹木を見つめていた。既にピンチという状況は忘れているらしい。 感動した眼差しで、その樹木を観察する。 かなり離れたはずのこの場所からもわかる、膨大な魔力。創生樹の周囲に漂う、小さな小さな精霊、妖精たち。 しかし、それを置いて。フェイトが圧倒されているのはその樹木の迫力。 言葉に表せないその迫力は、フェイトの中のなにかを刺激し、興奮させ、感動させ、圧倒し、魅了し、正に、その創生樹の虜となってしまった。 「なんだろう、この変な感じ……」 恐らく、この集落に住むどのエルフよりも、フェイトはこの樹木に魅了されただろう。 だからこそ、すぐに気付いた。 この樹木の違和感に。 何かがおかしい。 だが、この樹木の普段の姿を知らないフェイトには違和感の原因までわからない。 「貴様、先日リーシアを助けたという人間だな?」 先程からぼんやりと創生樹を見やるフェイトに、弓を構える一人の青年が尋ねる。 彼の名はレイドと言うのだが、今のフェイトには知る由も無かった。 「いえ、助けてはいませんけど。余計な事をしてしまっただけです」 「聞いた話と違うな…………まぁいい、貴様、ここへ何の用だ?」 「散歩してて、気付いたらここに」 間違いではない。間違いではないのだが。 「此処は立ち入り禁止のはずだが。すぐ横に看板も立っていたぞ?」 「…………」 風景しか見てませんでした。とは言えないフェイトであった。 さてどうしよう、とフェイトは思うが、どうするも無い。悪い事をしているのは確かなのだ。素直に謝罪するしかないだろう。 そうして、素直に謝罪しようとしていた時、息切らし走ってくるリースの姿が見えた。 「はあっ、はあっ…………んっ、フェイトさんっ!!!」 「はいっ、なんでしょうかっ!?」 フェイトの培ってきた経験が、告げていた。 今のリースには逆らってはいけないということを。 「まだ傷が治ってないでしょうっ!?」 「いえ、その……」 「散歩がしたいのなら最初からそう言って下さい」 「一応言いました……け……ど」 「――――なんですか?」 「すみませんでした」 言い訳のネタは全く意味を為さなかった。 「それに散歩するにしたって。なんでここにくるんですか。昨日、フェイトさんはよく思われていないって言ったじゃないですか。ほんっとうに、もぅ……。聞いているんですか、フェイトさんっ。降参のポーズしたってだめですよっ!」 「いや、降参のポーズは弓を構えてる皆さんに対してしているんですけど……」 「へ?」 どうやらリースは、フェイトの状況に気付いていなかったようだ。改めて回りを見渡し、ようやくフェイトの置かれた状況に気付く。 「リース、お前はもう少し落ち着いて周りを見ろ」 「ぅー…………レイドだって対して変わらない癖に……」 「すまんが、お前ほど俺はせっかちで無ければ、そそっかしくもない。第一、お前は何をやっていたんだ。そいつから目を離すな、と言っただろうが」 「目を離しては無かったんだけど……」 「目を離していないのなら、なぜそいつが此処にいるんだっ!」 「ぅー」 どうやら、自分の件は有耶無耶になりそうだ、とフェイトは思った。 と、二人の傍に老いたエルフが近付いてきた。 「二人こそ何をしとるんじゃ。客人が戸惑っているではないか」 「族長……」 「客人、すまんな。これは歳を重ねているくせに、落ち着きが足らんのじゃ。立ち話もなんじゃの、ウチで話をしようじゃないか。これお前ら、恩人に対して弓を向けフェイトはどういうつもりじゃ。ワシらは恩を仇で返す種族と思われてしまうぞい?」 フェイトは、その老人の顔に見覚えがあった。 その老人は、とある村で仲良くなった、やけにエルフらしくない性格(独断と偏見)の豪快な老戦士の姿に瓜二つだった。 その老人の名は―――― 「ビューレさん?」 「ふむ……ビューレはワシの弟じゃが?」 「あーっ、じゃあ貴方が“狡猾のビューア”さんっ!?」 「と、なると。そなたがビューレの言っていた…………。ふむ、ともかくウチで話をしようじゃないか。ほれ、お前ら行くぞ」 「はあ……」 二人は納得こそしていなかったものの、十年来の親友のように仲良く話すフェイトとビューアに付いていくしかなかった。 一方、フェイトとビューア。それはもう仲良くなっていた。 ビューアからすれば、弟が珍しく楽しそうに“人間”の事を話していたのだ。それはある一人の人物、つまりはフェイトの事。 弟が友愛と敬愛を持って話すその表情は、兄弟が幼き頃のその素顔であった。そして、それはこの数十年、数百年、滅多に見ることができなくなったかけがえのない表情。 それを引き出した青年。 彼はビューレの悪態交じりの言葉をそのまま体現したかのような人物。 そして、彼が今ここにいる。 弟に愉快と、表情を戻したその優しい青年が。 まずは疑った。それは“狡猾”と呼ばれた己の性。賞賛されてはならない忌むべき癖。そして納得した。紛う事なきの“お人好し”であることを。 恐らく、「そっちで起きている異常も勝手に解決するんじゃねぇの。アイツは、それぐらいは朝飯前だからな」、とその後延々と続けられたその言葉を、ビューアは鵜呑みにして、フェイトの行動のままにさせようと一人で納得し、そしてそれを誰にも話さずにおこうと。 面白そうだし。 ビューレが話していたフェイトに纏わる内容で、フェイトがビューレを英雄であることを知らないことがビューアの中の何かを楽しませた。 フェイトは知らないことだし、興味すら持たなかったが、ビューレという老戦士。英雄とされる“七色”の一人である。 其の弓は敵を射抜き、其の斧は敵を討ち砕き、其の槍は敵を貫き、其の拳は敵を打ち滅ぼし、其の剣は敵を切り裂き――――其の敵は例外なく終末を迎える。 知に長け識を積み、術を扱うエルフの中で魔法は使えない、生きる為の知識しか持たない異端。 それ故かビューレは武器を扱い、戦場で生き抜く術に対しては圧倒的な才を見せた。 全ての武器を極め、全ての戦を極めた男。戦場で彼と出会う事だけはするな、と傭兵たちの暗黙の了解の一つにすらなった生きる伝説。 “孤独兵器”の仇名を持つ、エルフ。 フェイトが仮に戦ったとしたら、数秒保てばいいだろう。 そんな人物。 ―――――に、対してフェイトは惜しみない暴言を吐く。 「――――大体あの人は酒ばっか呑みすぎですよ。それもやけにマズイ“スレッドダイン”。僕もお酒は嗜みますけど、アレは酷い。あの人、多分血と地面の味に慣れて舌がバカになってるんですよ。しかも、マズイだけならまだしもクソ高いってんですから詐欺ですよ。詐欺。しかもそれの食い合わせはまた最悪。栄養価は高いらしいですけど、僕から言わせれば酒なんてものは楽しむ為に飲むものなんですよ。しかもあの人単細胞でどうしようもないイビキうるさいし歯軋りでかいし何より頭悪いし」 「「―――――」」 「くっくっくっ…………」 フェイトの言葉にリースとレイドは表情と言葉を無くしているのを(二人の理由はそれぞれ違うが)横目に、ビューアは心底面白そうに笑っていた。久方振りの(エルフは長命なので、久方振りというと、何百年は経っている)心の底から愉快だと思える状況に、感謝しつつ、この人物と何日も酒を交し合った弟を羨ましく思う。 ビューアはフェイトの話を聞きながら、今夜はこの青年と二人で飲み明かしたいという気持ちを抱く。が、娘たちがそれを許すかと考えフェイトそれは難しいなと即座に仮定する。そして、条件付きならば大丈夫だろうと、彼の聡明すぎる脳は悟る。「わたしもそこにいます」と。 娘、リースは普段はそうでもないのだが、変なところで頑固であるのは、親であるビューアが知らないはずも無い。そして、その変なところというのは決まっておらず、リースの気分次第で発揮されるでビューレはしばしば頭を悩ましていた。が、今回ばかりはその頑固さが発揮されフェイト確信していた。657年掛けて蓄えた知識とか経験とか関係無しに。 どうせリースのアホはこの青年に半ば惚れているのだろう。 エルフは惚れやすい。ここのように辺境で辺鄙な、他の種族との関わりが限りなく少ないところでは尚更に。他の種族と交わる事を禁じる背徳心から来るのか、エルフと言う種族が惚れやすいのか、他の原因かどうかは神のみぞ知ることだが、それはさておき。 どうしたものか、とビューアは思い、なるようになフェイト長い経験が告げ、どうせならば愉しもうと本能が告げた。娘を手放すのは寂しいが、それを超える愉しみが目の前に転がっているのだ。親としての感情よりも、657年生きてきたビューア・フォルビュスとしての感情が優先されるのは、当然の事だった。 「――――いい加減にしろっ!」 予測していた展開にビューアは自分の脳が研ぎ澄まされていくのを実感しながら、自分の台詞はまだかと子供のように胸を高鳴らせながら待っていた。 「お前は、あの人がどういう人だと知っているのか!」 知ってるだろうよ、少なくともお前よりもな。とは、ビューアは言わなかった。それは自分が言うことではないし、誰が言ってもレイドの中のビューレは神がかった存在になっている。 レイドの真実は、世の真実、おいてはビューレ・フォルビュスの真実ではない。 そんなことは良くあること。 フェイトの方を見てみれば、気まずそうにレイドの言葉を受け入れるばかり。そして、言い過ぎてしまったという後悔。さらにはまたやってしまった、という表情。 一度や二度ではないのだろう。反感をこうして買うのは。だけども、口から出てくるのは敬愛と友愛が混じる、飾りない言葉。 さて、どうなることやら。とビューアは二人を見ながら、フェイトを観察しようとして、彼に満ちる魔力を感じる。感じるといっても普通の人ならばそれを見ることができない。魔力を見る“瞳”を持つものか、見られるものの魔力の質が違う、濃すぎるものならば万人にも視認する事ができる この場合は前者で、ビューアがそういう瞳を持つ男で済むのだが。 だが。 「……………………………………!?」 何故気付かなかった。その黒髪に。 何故気付かなかった。その黒瞳に。 そういうこと、なのか。 弟が話を渋ったのは。 目の前の男性の特徴やらを言わなかったのは。 “ 今は知られることのない、彼の、――――フェイトの種族の名前。 それは、狩人がフェイトの種族に対して使った呼称。 七の数字に限らず、無限に変色する、宝石の名前。 彼の種族が、天に最も近き種族が。 ―――――全ての種族に狙われる事になった理由。 フェイトは、今ではお馴染みの既視感を次に生かそうと反省と後悔しつつも、僕の事だからまたやってしまうんだろうな、と心の中で大きく溜息。鈍った身体を少しでも解そうと柔軟体操をしながら、怒りを身に纏うレイドの戦い方を推測してみる。 手に持つのは槍。長さはレイドの背丈と同じかそれ以上。普段から使い込んでいるのだろう、柄に巻かれた白い布は彼の血と汗と泥によって薄汚く汚れていた。 世界が干渉するは属性。特にこれといって圧力は掛かっていないと言うことは同属性か、干渉力が存在しない属性。即ち、水か風。 鍛え上げられるは戦士の身体。エルフという、非力な種族のイメージを払拭するが如く頑強な肉体。腕も足も胸回りも自分より厚い。そして、その体に刻み込まれた数々の傷跡。 「破っ!」 ぶおん、と風を切る音が聞こえる。そして悟る。勝てるわきゃないと。 今の一振りで実力はわかる。自分で言うのもなんだが、見る目は養われて研ぎ澄まされて鍛えられているのだ。そして、今までこの目があったからこそ、強くない自分が生き残ってこれたのだから。その自分の目が言っているのだ、“土下座して謝れ、どう足掻いても勝てるわきゃねーんだから”と。普段のフェイトの口調と違うのはご愛嬌。 さてどうしたものかと、どう降参すればいいのかと思考を巡らすが、レイドは自分を急かすように挑発してきている。何度も聞いたことある暴言が自分の耳を右から左へと通過して他人様の耳へと届く。自分は罵詈雑言と友人関係にあるかと思うくらいに、その類の言葉は聴きなれているので、自分の琴線に触れる事はない。例外として、自分の友人、家族その他諸々親しい人たちの暴言を言われれば、トサカに来るのだが、目の前のエルフの青年は他人の悪口を言うことは無かった。 ふぅ、と小さく溜息。 溜息で幸せが逃げるというのなら、生を受けて二十と少しの間かなりの溜息を吐いてきたが、旅をしているだけで幸せな自分の幸福度はどれくらいあるのだろうと、かなり場違いな事を呟きながら、フェイトはリースから渡された自分の得物をくるくる回して、使い心地を再確認。特注の糸は解れる事無く、相変わらず柔軟性に富んだ動きをして、フェイトを喜ばせる。 くるくるくるくる。 びゅんびゅんびゅん。 ひょいひょいひょい。 一分程そうして、満足したところで自分の体調も確認できた。全快ではないが、まぁそれなりに動けるだろうと推測。そして気持ちを切り替えて、レイドと合間見える。 「………………」 レイドはフェイトの雰囲気が変わったのを気に、静かに、しかしそのうちに怒りを携え槍をやや右下方(フェイトから見て)へと、構えを示す。 地を這う獣だ。とフェイトはそう心のうちで独白し、研ぎ澄まされたこの空気を肌に感じる。リースが息を呑む音が聞こえるぐらいまで集中し、フェイトは駆け出す。それは彼に向けたせめてもの謝罪の気持ち。 一歩目の踏み込みながら左手で魔法陣を描く、同時に唇は詠唱を開始、三歩目の跳躍と同時にフェイト独自の魔術、“風翼”が発動。 異例の速さの魔術に、レイドは一瞬驚愕を示し、示した自分を愚かと蔑む。その驚愕分の刹那、隙ができてしまったからだ。戦場では僅かな隙は命取りとなる。 フェイトはレイドが驚愕してくれた事に安堵しながら、一時的に背中に模した見えない翼で空に舞う。見物人のリースとその妹、リーシアがあんぐりと顔を開けていたが、それに感想を抱く事無く、宙で新たな魔法陣を描き、詠唱を完了させる。フェイトの口から紡がれる言葉は風属性に連なるものの基礎中の基礎の攻撃類の魔術、『ウインドカッター』。だが、レイドはその風の刃を難なく避け、いなし、捌いてみせた。 (…………全然回復してないじゃん) そして感想、駄目だこりゃ。 普段の自分なら、このウインドカッター、6本ぐらいは発現し、対象に向けて襲い掛かるのだが、たった今猛襲してくれた刃は三つ。それも、対した威力も無い弱弱しいものばかり。 ……いや、弱弱しいのは基礎中の基礎故なのだが、それを差し置いても弱弱しい。 予想以上に身体に巡った毒は強力だったのだと、背筋を震わせながらフェイトは更に高く高く上昇する。約200m辺りの高度まで行った辺りで、フェイトは上昇を中止し、そこから一気にレイド目掛けて急降下。両手に愛しき小太刀を構えて。 最初はゆっくり、次第に早く、更に速く、疾く。 元々、長期戦など無理な事は他人に言われるまでも無くわかっている。故の、一撃勝負。いや、一撃じゃないのだけども。話の腰を折りつつ説明すると、最初の魔術は牽制で、次の上空からの急降下が本命の攻撃。 反応しきれないほどの速度で終らせる。回避されたら終わり、防ぎきれてもフェイトの負け。しかしだからといって長期戦は、戦闘は一分も保たない事はわかっている。 それゆえの一撃。 それゆえの牽制。 そして、フェイトはモノクロの世界の視界でレイドを捉え、 (………………ぁ) 呆然。 どうやら、想像以上に弱っていらしかった。降下は落下に変わり、背中の翼は消え去り、フェイトの意識は混濁し、吐血。ああ、このまま死ぬんだろうなと、何度目になるかわからない走馬灯を見ながら、 『”風よ、風。汝が体を支える抱擁の布を敷きたまえ”』 誰かの詠唱を聞き、最後の力でレイドに向かっていた自分の方向を変換し、何も無い地面へと向けて落下する。 既に目は閉じられ、口の中に酸っぱい者が溢れ、意識も危いものとなり、そして地面が近付いて、 「ギリギリ、セーフじゃの」 母の胎内のような温もりを得て、意識を失った。
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