――神々は、泣きました。
 折角創り出した人間達が、争いばかりしているからです。
 神々は世界から争いをなくすために、優しい人ばかりの村を創りました。
 憎しみも、怒りもなく。村は皆の笑顔に包まれ、平和そのものでした。
 ――神々はそれを見て、とても喜びました。
 でも、ある時。
 Aさんがちょっとした不注意で、Bさんにケガをさせてしまったのです。
 Bさんは優しい人だったので、Aさんを許しました。
 ……Bさんと仲のよかったCさんは、優しい人だったので――Aさんを許せませんでした。
 CさんはBさんの復讐に、Aさんの耳を削ぎ落としました。Aさんは優しい人だったので、Cさんを許しました。
 DさんはAさんの復讐に、Cさんの指を切り落としました。Cさんは優しい人だったので、Dさんを許しました。
 EさんはCさんの復讐に、Dさんの首を××××しました。

 ……殴る、蹴る、潰す、締める、撃つ、刺す、絶つ。

 報復に次ぐ報復。1人ずつ、村人は笑顔のままころされてゆきます。
 そして、最後には――たった1人を残して、村人は皆しんでしまいました。
 ……神々は、また泣きました。


スプリング・スノウ3
〜シスターズ〜

大根メロン


「あー、ヒマねー」
 平日の午後、喫茶ノルン。
 美香は匠哉が冷蔵庫の整理をしているのを見ながら、呟いた。
「だったら手伝えゴルァ!」
「ふふふ、楽しい事言うじゃない。私が手伝うと、状況は逆に悪くなるけど」
「ごめんなさい。店長は、整理整頓が出来ない人なんでしたね」
「そう、片付けようとすればするほど散らかしちゃうの。ま、私のような完璧人間にも、1つくらいは欠点があるという事かしら」
「――『1つ』? ははは、店長。数の数え方も知らないんですか?」
「……最近、言うようになってきたわね。嗚呼、あの可愛かった匠哉君はどこに逝ってしまったの?」
 と、そこで。
「下らないコントはそこまでにして」
 綺羅が、如意金箍刀を抜いた。
「……で、何故俺にだけ刀を向ける?」
「説明が必要?」
「いや、勿論不要だ。シスコン綺羅は姉に刃物を向けられない――って待て、ぎ、ゃああぅぅあああaaaaAAAAHHHHHHッッ!!!?」



「そう言えば、あの子はどうしてるかしら」
 ボロ雑巾と化した匠哉をシカトしながら、美香は呟いた。
「……あの子?」
 と、綺羅。
「ここに来る前にも、ノルンっていう喫茶店を開いてたの。そこでもね、バイト少年を雇ってたのよ」
「…………」
「ああ、私がいなくなって寂しい思いをしてるに違いないわ! すぐに他のバイト先を見つけたなんていう、根も葉もない風説を聞いた事があるような気もしなくはないけどッ!」
「……そいつ、殺して来る」
「え? うーん……ちょっと遠い所だから、彼を殺すのは難しいかなぁ。ま、代わりにこの匠哉君を殺していいわよ」
 百々凪姉妹の視線が、ボロ雑巾に向けられる。
「――何故にッッ!!!?」
 理不尽な命の危機を感じ、飛び起きるボロ雑巾。
「どうして俺が、そのバイト少年の代わりに殺されなきゃならんのです!?」
「でも、顔はかなり似てるのよ? 眼が2つあって、鼻があって、口がある辺りなんかは特に」
「それはほとんどの生命体に共通する特徴だろうがぁぁぁッッ!!!!」
 匠哉から繰り出される、怒りのツッコミ。
 それを、あははーと笑って誤魔化す美香。
「まぁ、それはともかく。綺羅、新しい仕事が来てるんだけど」
「……いつも通り、犯罪者や鬼の殺し?」
「うん。ここ最近この辺りで話題になってる、通り魔の排除よ」
 匠哉は、
「通り魔と言うと、アレですか? 人を刀みたいなモノでバッサリ殺してる奴ですよね。……てっきり綺羅だと思ってたんですが」
 と、美香に尋ねる。
「その通り魔よ。でも残念ながら、犯人は綺羅じゃないけど」
 美香は綺羅を見、
「で、どうする? やる?」
「……やる。人を殺していいのは、この世で私だけだから。横取りは認められない」
「よし。なら、いってらっしゃい」
 綺羅は刀を持って、ノルンから出て行った。
「……前から気になってたんですけど。綺羅って、どうして人殺しに目覚めたんです?」
 匠哉が、美香に問う。
「……ん?」
「綺羅にとって殺しは、娯楽であると同時に呼吸みたいなモノであるのは分かっています。でも、生まれた時からそうだった訳じゃないでしょう?」
「う〜ん……」
 美香は頭を掻きながら、
「そうでもないかも知んない。百々凪家ってのは、そういう家だから」
「――?」
「あの連中は、人体実験を当たり前のようにやっててね。綺羅は、その過程で生み出された子なの」
「……人体実験? 何のためにですか?」
「最初の頃は医学の発展のためとか、それなりに目的があったんだろうけど……今では、完全に手段が目的と化してる。実験のために実験をするのよ」
「……どんな事をしてるんです?」
「人外と交配させたりとか、遺伝子弄ったりとか、母親の胎から取り出して薬漬けにしたりとか、脳の代わりにハードウェアを詰め込んだりとか」
「…………」
「なかなかシュールよ? でっかい武家屋敷の地下に、生体研究所があるのは」
「じゃあ、綺羅は……」
「ええ、外見は人間らしいけど……中身はかなりグチャグチャ。それでも、あの子は自分を人間だと必死に信じているけどね」
「……美香さんも?」
「いや、私は違うわ。綺羅みたいな『研究される側』じゃなく、『研究する側』として百々凪家に招かれた人間だから」
 美香が、少しだけ笑う。
「でも見てられなくなって、仲のよかった綺羅を連れて逃げた訳」
「……って事は、綺羅と美香さんは実の姉妹じゃないのか。よく似てますから、てっきり血が繋がってるのかと」
「そりゃあ、綺羅の設計は私がベースだし。百々凪家に入った時の検査で、色々とサンプルを取られちゃったのだ。てへっ、不覚不覚♪」
「本気で気持ち悪いので止めてください」
 匠哉が、1つ溜息。
「と言うか俺的には、美香さんの素性が気になり出したんですが」
「……匠哉君? 私の詮索はしないって契約で、ここのバイトになったんでしょ?」
「そんな契約、これっぽっちも交わした覚えはありません」
「冗談が通じないわねぇ。まぁ、綺羅に闘い方を教えたのは私――とだけ言っておこう。ふっふっふっ」
「……本当マジですか?」
「むぅっふっふっふっふっふっ……」



 人通りの少ない道。
 そこに、1人の少年が立っていた。
「…………」
 足元には、斬殺死体。
「……どうして、殺したの?」
 背後からの声に、少年は振り返る。
 そこには、綺羅。
「……この人は、少し前に自動車で猫を轢き殺したんです。許せないでしょう、そんなの?」
「…………」
 なら、どうして自分は殺しているのか。その矛盾を、どう解決しているのか。
 いや、と綺羅は思い直した。解決出来ていないからこそ、あんなに苦しそうな顔をしているのだろう。
「……貴方の顔、思い出した。春日純かすがじゅん――以前起きた、村人が殺し合って全滅した事件の、唯一の生き残り」
「あれ、よく覚えていますね? もう、かなり前の話ですけど」
「面白い、事件だったから」
「はは……でも生き残りと言っても、最後の1人だったというだけの事ですが」
 純が笑う。今にも消えそうな、薄氷の如き笑顔だった。
「まぁ、貴方が誰でも知った事じゃない。私は貴方を殺すだけ」
「そうですか。なら、どうぞ」
 まるでそれが当たり前だという風に、純は言い放った。
「…………」
「……どうしました? 殺すのなら、どうぞ」
「何故、そんなに簡単に殺されようとするの?」
「何故って……貴方は私を殺しに来たんでしょう? 貴方には、私を殺さなければならない理由がある。なら、殺されるのが当然じゃないですか」
 純は嘘を言っている訳でも、死にたい訳でもない。ただ善意で、綺羅に命を差し出そうとしているのだ。
「――……」
 綺羅は、殺すために殺す。でも、自分から差し出されたのでは意味がない。命を強引に奪うからこその、殺人なのだ。
「貴方、狂ってる」
「ええ、世間一般ではそういう事になってるみたいですね」
「…………」
 綺羅は思う。
(……よかった)
 心の奥底で湧き上がる、静かな喜び。
(この狂人と比べれば、私はまだまだ人間まともだ)
 しかし、それとこれとは話が別である。
「……抵抗して。そうじゃないと、私は楽しくない」
「楽しくない……?」
 純は顔を僅かにしかめて、
「……何故、貴方は殺すのですか?」
 そう、綺羅に問いかけた。
「姉さんが私に殺しをさせるのは、それがビジネスだから」
 純は、それには納得した。
 自分の命の代わりに、誰かが金銭を得る。
 問題はない。形は違えど、人間は殺さなければ生きられない動物だ。それに――自分の命で誰がが富むというのは、純にとって喜びである。
 でも――
「けれど私自身は、ただ単に楽しいから殺している。1人でも多く――」
 その言葉は、聞き逃せなかった。
「……楽しいから、ですって?」
 純は、許せない。
 綺羅が、自分を娯楽のために殺す事ではなく。彼女が今までに、娯楽のためにどこかの誰かを殺し――そしてこれからも、殺し続ける事が許せない。
「そんな事のために、貴方は殺すんですか!? 命を何だと思っているんですっ!!?」
「…………」
 綺羅は、一瞬だけ困った。こういう真っ当な怒りをぶつけられたのは、久し振りの事である。ぶつけている人間は、真っ当からは程遠いが。
「……『そんな事のため』、か。なら、何のためになら殺しは許されるの? 金のため? 復讐のため? 国益や宗教のためなら、異民族を残らず虐殺してもいいの?」
「屁理屈を……! 自己弁護にしか聞こえません!!」
 純は、手に在った得物を構えた。
 通り魔事件の凶器。様々な装飾が施された、美しい衛府太刀えふたちだった。
「……その太刀、気に入った。貴方を殺して、私のコレクションにする」
 綺羅も、如意金箍刀を抜く。
「……私を殺すのは構いません。己の苦しみなら、いくらでも許せますから。でも、私以外の人を殺すのは――」
「悪いけど、それは無理」
「……そうですか。なら、ここで死ね……ッ!!」
 純が、地を蹴った。
 彼は1歩で、綺羅を太刀の間合いに捉える。
 綺羅は咄嗟に後退。太刀は空気を斬る。
「…………」
 思いの他、純の剣は速かった。
 だが、相手の剣がどれだけ速くても綺羅には関係ない。所詮、太刀の間合いは見えている。綺羅はその外から、如意金箍刀で斬殺すればよい。
「くっ、チョコマカと……!」
 純の間合いから、逃げ続ける綺羅。
 そして、純が隙を見せた時――
「――『舞爪・散花』」
 一撃で仕留めようと、刀を振るった。
 ――だが。
「な……ッ!!!?」
 純は、刀が伸びるのを予測していたかのように――太刀で、斬撃を受け止めてしまった。
「……ああ、やっぱりそうですか」
 冷めた眼で綺羅を見ながら、純は言う。
「得物は刀なのに、まるで斬り結ぼうとしない。その上、距離を離そうとする。遠距離攻撃の手段があるのかと思いましたが……本当にそうでしたか」
「……ッ」
「少しばかり隙を見せたら、あっさりと引っかかってタネを見せてくれましたね」
 綺羅は、刀を戻す。
「…………」
「貴方。殺した事は何度もあるようですが、闘った事は数少ないみたいですね」
「……だから、何?」
「それでは、本当に危機が訪れた時――何も護れませんよ」
 純としては、何気ない言葉だった。
 しかし、綺羅にとっては――お前は美香を護れない、と言われたのと同じ。
「……ッ!!! 黙れッッ!!!!」
 綺羅は純との間合いを詰めると同時に、刀を振り下ろす。
 純はその斬撃を――
「――まぁ、それが限界ですね」
 太刀の鍔で、受け止める。
 純はそのまま、太刀を下ろした。
 普通ならその刃は鍔で止められ、鍔迫り合いとなるのだろうが――白鞘の如意金箍刀には、鍔がない。
 結果、衛府太刀の刃は止められる事なく。
「あ……ッ!!?」
 綺羅の手元を、斬り裂いた。
 傷口から血が溢れ出し、危うく刀を落としそうになる。
 綺羅は、刀を強く握ろうとするが――
「……え?」
 間髪入れず、純の斬撃が襲った。
 ……刀は綺羅の腕ごと、ぼとりと地面に落ちる。
「さて、貴方の未来は2つだけです。死ぬか、それとも私から逃げ切るか――無論、逃がすつもりなんてありませんけど」
 さらに太刀が振るわれ、綺羅の身体から鮮血が散った。
「……ッッ!!!」
 ……もはや、綺羅は逃げる事すらままならない。






「…………」
 美香と匠哉は無言で、手術室へと運び込まれる綺羅を見送った。
 綺羅がノルンに戻って来た時の状態は、あまりにも酷いものだった。
 片腕は斬り落とされ、全身には数え切れないほどの刀傷。身体は出血多量で血気を失っており、生きているのが不思議な状態だったのだ。
「……ところで、大丈夫なんですか? 綺羅の身体って、普通じゃないでしょう?」
「ん、その辺は心配無用。この病院、私達の事情を分かってる医者がいるから」
「そうですか」
 また、少しの沈黙。
「……匠哉君、綺羅を任せてもいい?」
「え?」
「ちょっと、出かけて来るわ」
「出かけるって……」
 綺羅は意識を失う寸前に、相手の事を話していた。美香はこれから、春日純と遭いに行くのだろう。
 匠哉は、止められなかった。そんな雰囲気ではない。今の美香には、話しかけるのも躊躇われる。
「……落とし物を捜しに行くだけよ。綺羅、腕と一緒に刀をどっかに置いて来たみたいだから。あの子、アレがないと眼を醒ました時に凹みそうだし」
 美香は煙草を取り出し、ライターで火を点ける。
「ここ、喫煙所じゃありませんよ。……と言うか、美香さんが煙草吸うの初めて見ました」
「最近、吸ってなかったからねぇ。でもやっぱり、一仕事する前にはニコチン摂らないと」
 美香は、匠哉に背を向けて歩き出す。
「じゃあ、今夜中に終わらすから。それまで待っててね」



「ひ、いぁぁあ……!!?」
 背中から血を流した男が、地を這いずり回って逃げようとする。
「…………」
 純はその男に、トドメの一太刀を浴びせる。
 ……1つの命が、消えてなくなった。
「ああ……」
 太刀を鞘に収めながら、純は思う。何故、こんな事になってしまったのか――と。
 彼が生まれ育った村は、まさに楽園だった。憎しみも、怒りもなく。
 でも、楽園であったが故に。そこは悲劇の舞台となった。
 限度を超した優しさは、狂気でしかない。そう――あの村は狂っていた。その狂気が常識だった。
 純には、分からない。どうしてあの村だけ、優し過ぎる人々ばかりが住んでいたのか。
 特に、理由などないのかも知れない。運命の女神様が、ちょっと気紛れを起こしただけなのかも知れない。
 そう考えると、純は泣き叫びたくなる。優し過ぎる純は、神に呪いの言葉を吐く事すら簡単ではない。
「…………」
 血で染まった太刀を見る。純は趣味で剣術を学んでいたために、最後の1人になるまで死なずに済んだ。
 剣術を学びながらも、争いのない村にいた純は『闘い』というモノを理解出来なかった。皮肉な事にそれを理解したきっかけは、その村で起きた殺し合いなのだが。
「――見つけた」
 そんな時、その声は聞こえて来た。
 眼を向けると――さっき逃した少女とよく似た女性が、そこにいた。



「うちの妹が大分世話になったみたいね、春日純君」
 美香は、泣きそうな顔の少年に語りかける。
「……さっきの人の、お姉さんですか」
 純は虚ろな眼で、美香を見る。
「そ、仇を討ちに来たわ」
「……そうですか。優しいんですね」
 僅かに、純が微笑む。
「教えて、くれますか。妹さんは、どこに逃げたのか」
「言える訳ないでしょ? 今のあの子、闘えるような状態じゃないんだから」
「……つまり。あの人は、どこかでまだ生きてるんですね」
「そうね。聞き出したかったら、私を倒して聞き出せば?」
「…………」
 純はとても悲しそうに、訴える。
「どうして、妹さんを庇うんですか。姉だから、というのは分かります。でも、あの人を放って置いたら……たくさんの人が死んで、取り返しのつかない事になるかも知れないんですよ?」
「でしょうね。あの子にとって殺人は、唯一の娯楽にして取り得だもの」
「……ッ!! 分かっているなら! どうして止めないんですか!!?」
「言ったでしょ? 綺羅には、殺人しか取り得がない。あの子からそれを奪ったら、春の雪みたいに消えてなくなってしまうわ」
「だからって、罪のない人間を殺していいはずが……!」
「この世に、罪のない人間なんていないわよ。私達が食物を食べれば、どこかで食べられない人が出る。それが重なれば、人はバタバタと餓死してゆく。ほら、人間は生きてるだけで大罪を犯しているのよ」
「……姉妹揃って、屁理屈を……!」
「まぁ、そんな事はどうだっていいんだけどね。綺羅が殺したいのなら、殺させる。私は数十億人の他者の命より、たった1人の妹の楽しみの方が大事なの」
「――ふざけるなッッ!!!!」
 我慢の限界に達したとばかりに、純が太刀を抜き、鞘を投げ捨てて跳びかかる。
 ……放たれた斬撃を、美香はひょいと躱す。
「貴方こそ、どうするつもり? さっきも言った通り、人間は生きてるだけで罪人。ならば――罪人を殺さずにはいられない貴方は、人類を絶滅させるしかない訳だけど」
「……ッ!! ああぁぁぁあああああッッ!!!!」
 純の斬撃が続く。
「……ねぇ、もしかして分かってないのかも知んないけどさ」
 振り下ろされた太刀を、美香は指で挟んで止める。
「私、凄く怒ってるのよ?」
 美香の視線が、純を貫く。
「ぁ……っ!!?」
「今の私には、本当に大切な人が2人いる。貴方は、その1人を傷付けた。これはもう、死でしか償えないわよ」
 いくら太刀を引いても、美香の指から放れる様子はない。
 逆に美香は、指2本の力だけで純から太刀を奪い取る。
「……この衛府太刀、なかなかね。見舞いの品にさせてもらうわ」
 スッと純の横を抜けて鞘を拾い、太刀を収める。
 そして、純との間合いを一瞬で詰め――
「――ぐぁぁぁッッ!!!?」
 ロウキック1発で2本の足を、纏めて蹴り折る。
 倒れた純の両肩を、美香は容赦なく踏み砕いた。
「あ、ぁぁああ……!?」
「…………」
 四肢を壊され、動けない純を――美香は、ずりずりと引き摺ってゆく。
 深夜である上に、通り魔事件の事もある。目撃するような人間はいなかった。
 ……辿り着いた先は、高速道路に架かっている橋の上。
「な、何を……」
「じゃ、さよなら。無様に死になさい」
 美香は、そこから純を放り落とした。
 時速100km以上で走行していたトラックに、純が弾き飛ばされる。
 ……次々と絶え間なくやって来る車に、純の身体は潰されてゆく。
 道路が真っ赤になるまで、さほど時間はかからなかった。
 ……その時には、すでに美香の姿はなかったが。






「……ようやく、面会謝絶が外れたか」
 匠哉が病室に入ると、ベッドに横になっている綺羅の姿があった。
「……私、殺せなかった」
「ああ、そうだな。見事な敗けっぷりだった」
 綺羅は泣きそうな顔で、
「……どうしよう。私は殺す事しか取り得がないのに、それすらも出来なかった……!」
 左しかない手で頭を抱えながら、カタカタと震える。
 匠哉はそれを見て、1つ溜息。
「なるほど。お前は、殺人という取り得を失った。何の皮肉だかは知らないが、事故で絵を描くための眼を失った、外山楓と同じ状態になった訳だ。因果応報だね」
「……ッ!」
「じゃあ、お前も生きていけなくなったのか。小耳に挟んだんだが、何回か自殺しようとしたんだろ?」
 綺羅は楓に対して、死ねばいいと言った。その言葉が、そっくり跳ね返って来た形だ。
「まぁ、俺は別にお前が死んでも困る事はないがね。でも、美香さんはそうじゃなさそうだぞ」
「……そんな事ない。私には姉さんが必要だけど、姉さんには私なんか必要ない」
「……なぁ。美香さんって、一体何者なんだ? お前に勝った春日純を、次の日には死体に変えてるなんて……信じられん」
 綺羅は、首を振る。
「分からない。私は姉さんの事を、何も知らない」
「……本人から聞いたんだが。百々凪家からお前を連れ出したのって、美香さんなんだろ?」
「…………」
 天井を見上げて、綺羅は言う。
「……あの時の事は、よく覚えてる。人の形すらしていないようなモノが、何体も追っ手として放たれて」
「…………」
「私は絶対に逃げられないと思ったけど……姉さんは簡単に、その異形の追っ手達を皆殺しにしてしまった」
 綺羅の身体が、また僅かに震える。でもそれは、さっきの震えとは違う。
「……姉さんは、恐ろしい。どんな人生を歩めばあんな風に捻じ曲がるのか、想像も出来ない」
 匠哉は、困ったように頭をかく。
「確かに、美香さんはとんでもない人なんだろうけどさ。お前を必要としてるのは確かだと思うぞ」
「……何で、そう言えるの」
「妹が苛められた事に怒って仕返しに行くなんて、典型的な姉的行動だし。大切に想ってなければ、そんな事はしないだろ」
「…………」
 と、その時。
「綺羅ー。調子はどう?」
 美香が、病室に現れた。
「……姉さん」
「はい、落し物。んで、こっちは見舞いの品よ」
 綺羅は、受け取った如意金箍刀と衛府太刀を抱き締める。
「それと、なくした腕の代わりの生体義手も注文しといたから」
「……ありがとう。あと、ごめんなさい。迷惑かけた」
「いいっていいって。こっちこそ、綺羅の獲物を殺しちゃってごめんね」
「姉さんは例外だから。別に構わない」
 匠哉は2人を眺めながら、呟く。
「そうだな。迷惑かけたって言っても、美香さんが普段から俺にかけている迷惑と比べれば、ないに等しい」
「……匠哉君? さり気なく私の悪口言うの止めてくれない?」
「悪口じゃありません。ただの事実です。……じゃ、俺は行きますから」
「うぃ、私がいない間のノルンは任せた」
「いつもそんな感じでしょう」
 匠哉が、病室から去って行った。
「あ、リンゴも買って来たわよ。ふふ、私がウサギさんカットにしてあげよう」
「……ウサギさんカット、出来るの?」
「う、何か信じられてない私。いくら私でも、それくらいは出来るわよー……」
 ――数分後。
 皿の上には、見るも悍ましい奇怪な形にカットされたリンゴが、並んでいたという。






 そして、少しの後。
「店長、もうこの豆古過ぎます。俺が買いに行って来ますから、その間に掃除の続きをしてください。あと、カウンターに溜め込んだゴミ、捨ててください」
「にゃー」
「……綺羅ァァァッ!!! 妹責任で、このダメ人間をどうにかしろぉぉぉッッ!!!!」
 匠哉の絶叫に対して、綺羅は無言で首を振る。妹から見ても、手の施し様がないらしい。
「ニコチンないと、仕事する気が起きないのよ〜」
「なら煙草吸えばいいでしょう!」
「煙草は健康に悪いので禁煙ちゅー」
 つまりは、何もしないと言いたいようだ。
「綺羅ー。私の代わりに掃除お願いー」
「嫌」
「こいつ等、姉妹揃って……!」
 匠哉は怒りつつ半泣きで、買い物をしに店から飛び出した。
「ところで綺羅、腕の調子は?」
「悪くない。前と同じように動く」
 綺羅は右腕として付けられた、本物そっくりの義手を動かす。
「そ、よかったわ」
「……姉さん。こんな物、どうやって手に入れたの? 明らかに、現代の技術じゃ無理だと思うんだけど」
「にゃー」
 綺羅の質問を、適当に誤魔化す美香。適当過ぎるにも程があるが。
「…………」
 綺羅は、深く追求しなかった。藪を突いて、蛇を出したくなかったのである。
「あー、ヒマねー」
 美香はぼけーっとしながら、呟いた。
 外を見る。どうやら、天気は悪くないようだった。






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