――深夜、路地裏。
「…………」
 無造作に並べられた、いくつかの死体。
 その中心に、病院の入院患者のような格好をした少女が立っていた。
 ……少女の目許には、ぐるぐると包帯が巻かれている。
「ああ、見える……これで、私はもっと絵が描ける……!」
 少女は笑う。
 死体達は、無言で彼女を見上げている。……いや、見上げる事は出来ない。
 何故なら――死体は皆、眼球を2つとも奪われているのだから。


スプリング・スノウ2
〜ドウメキ〜

大根メロン


「あの、バイト募集の張り紙を見たんですが」
 ある日の午後――喫茶ノルン。
 客が来ないのをいい事に、カウンターで昼寝をしていた美香は、その声で飛び起きた。
「あ……っ、はいはい。え〜っと……」
「……やっぱり止めときます」
 バイトをしに来たらしい学生服の少年は、くるりとUターンして背中を向ける。
「あ、ちょっと、今のはなし! 見なかった事にして! ね!?」
 美香はその少年を、無理矢理店内に引き摺り込む。拉致同然である。
 自分はカウンターに戻り、少年は正面の席に座らせた。
「こんなに早く来るとは思わなかったから、お姉さんちょっと油断しちゃってたわ。ほほほほほ」
「……仕事中に油断しないでください」
 少年の鋭いツッコミも、美香の図太い神経には通じない。
「じゃあ、まず名前は?」
「ツキミタクヤ、です」
「ツキミ……どういう字?」
 美香はメモ用紙を取り、そこに字を並べてゆく。
 ――月見ツキミ付御ツキミ憑神ツキミ
「1番最初のヤツです。ちなみに、名前はこうですよ」
 少年は自分でペンを取り――匠哉タクヤ、と書いた。
「月見匠哉、ね。でも、大丈夫なの?」
「――? 何がですか?」
「君が着てるのって、星丘高校の制服でしょ? あそこって、確か生徒のバイトは禁止されてなかったっけ?」
「禁止はされてますが……働かないと、俺は生活出来ないんです」
「……ああ、そう」
 美香は、深く訊かない事にする。
「じゃあ、ここを選んだ理由は?」
「バイト探しをしていたら、ちょうど表の張り紙が目に入ったんで」
「……なーんか、普通の理由ねぇ。もっとこう、面白い話はないの?」
「実は、貴方が親の仇なんです」
「そうそう! ナイス! ナイスよ匠哉君ッ!!」
 もはや意味不明だった。
「よし、まぁいいでしょ。君は今日からここのバイトよ」
「とは言っても、家事をしないといけないんで、出来るのは学校が終わった後の数時間くらいなんですが」
「……えー。ま、仕方ないかぁ。私は百々凪美香。美香お姉さん、と呼びなさい」
「はい、店長」
「…………」
 この子かなり出来るわね、と身構える美香。
「あ、それと匠哉君。私には綺羅っていう妹がいるんだけど」
「それが?」
「んー、何と言うか。ちょっとした問題が――」
「……姉さん。さっきから、一体――」
 店の奥から現れたのは、美香と瓜二つの妹――綺羅。
 彼女は、美香と話していた匠哉の姿を捉えると。
「…………」
 無言のまま、持っていた細長い包みを解き始めた。
「……あの。何だか、もの凄く嫌な予感がするんですが」
「ほほう、なかなかいい勘してるわね」
 綺羅、如意金箍刀を抜刀。
「うわっ!!? な、何だいきなりッッ!!!?」
「殺す……!」
「止めなさい、綺羅。店が血で汚れちゃうでしょ」
「店より俺の命を心配しろぉぉぉッ!!!!」



「はぁ……はぁ……」
「凄いわね、見込みあるわよ匠哉君。綺羅から逃げ切るなんて」
「む、無茶苦茶だ……」
 綺羅は美香に止められながらも、恐ろしい眼で匠哉を睨んでいる。
 少しでも何かあれば、すぐさま匠哉を真っ二つにするだろう。
「……姉さんに近付く害蟲め……!」
「ふざけんなこの女!!! バイト初日に斬殺ってどんな奇想天外だッッ!!!」
「まぁまぁ、落ち着いて」
 美香が、匠哉を宥める。
「で、この子がさっき言った綺羅。仲良くしてあげてね、匠哉君」
「……出来ません」
 正直な感想を漏らす、匠哉。
 美香は綺羅に視線を移し、
「綺羅、バイトとして入った月見匠哉君よ」
「……殺していい?」
「ダメ。死ぬまで働かせるんだから」
 さらりと、恐ろしい会話。
「――ここは魔窟かッ!?」
 店から逃げ出そうとする匠哉の首を、美香はがっしりと掴む。
「放してください! 俺、やっぱりここ辞めますッ!」
「ふふふ、それは無理よ匠哉君。何故ならここは蟻地獄。入ったら最後、2度と出られないわ」
「――どんな喫茶店ッッ!!?」
 美香は匠哉を引っ張り戻すと、
「はい、これ着て」
 カウンターから、エプロンを取り出した。
「……これだけですか? 俺、学校の制服なんですけど……」
「そんな事言っても、この店には制服なんてないからねぇ。ま、客もあんまり来ないし、大丈夫でしょ」
 本当は、『あんまり』ではなく『まったく』なのだが。
「…………」
 匠哉は色々と不安に思いながらも、学生服の上からエプロンを纏う。
「おー、似合ってるわよー」
「……家で毎日着てるもんで……」
 美香はうんうんと頷きながら、
「じゃあ、綺羅。今日の仕事だけど――」
「……ん」
「『大根組』からの依頼。いろんなブツの取引に邪魔だから、『萌論組メロンぐみ』を潰してくれだって。適当に殺して、適当に燃やして来て」
「……分かった」
 綺羅は、店から出て行く。
「――って、今凄い話してませんでしたか!!?」
 全力で美香に尋ねる匠哉。もういっぱいいっぱいである。
「ん、してたねぇ。私達は、裏でそういう仕事も引き受けてるの。まぁ、君にまで被害が及ぶ事はないと思うから。安心してもいいわよ」
「……はぁ……」
 本当に安心してもいいのかどうか匠哉は困ったが、もうどうしようもないと思い、諦めた。
「……でも、危なっかしいですね」
 匠哉は、綺羅が出て行った扉を見ながら、呟く。
「……ん?」
「まるで、すぐに消えてなくなる春の雪みたいな奴だ」
「…………」
 美香は僅かに微笑み、
「君、本当に見込みがあるわねー」
 匠哉の背中を、バンバンと叩いた。
「さて、仕事するわよ。まずは、店の掃除でもやってもらおうかな」



 ――1時間後。
「綺羅、ちょっと遅いわね……」
 美香が、時計を見る。
「そりゃ、893の事務所に特攻したんでしょう? だったら――」
「あの子が本気になれば、SASにだって敗けないわよ」
「……そうですか」
 匠哉は疲れた様子で、床にモップを走らせる。
「んー、どっかで寄り道でもしてるのかしらね。匠哉君、捜して来てくれる?」
「またそういうとんでもない事を! 出遭い頭に斬り殺されたら労災出るんですかッ!?」
「いや、出ないけど。と言うか、死んだら労災どころじゃないと思うんだけど。でも、店長に逆らうとバイト代すら出ないかも知れないわよ?」
「ぐ……ッ!?」
「さて、どうする?」
「……分かりましたよ」
 匠哉はエプロンを脱ぎ、カウンターに放り投げる。
「じゃ、行って来ます」
「はい、行ってらっしゃい」
 そして、店の外に歩み出た。



(ホントにやったんだな……)
 匠哉は消防隊による消火活動が続くビルを見ながら、心の中で呟いた。
 ――そのビルとは、萌論組の事務所である。
(で、犯人はどこに行ったんだ?)
 匠哉としては、別にどこに行ってようが構わないのだが。
「……こういう時のセオリィは聞き込みか」
 キョロキョロと周囲を見回し、適当に人を選ぶと、
「ちょっといいか? 人を捜しているんだが――」
 後ろから、同年代くらいの少女に声をかけた。
「……はい?」
 少女が振り返る。
 彼女は――その眼を、ぴったりと閉じていた。
「…………」
「ふふ、驚かれました?」
「……ああ。見えてないのか? こうして正面から見るまで、全然分からなかった」
「見えてませんよ。車で交通事故に遭った時、割れたガラスが両眼に刺さってしまったんです」
 匠哉は想像してみる。それだけで、眼が痛くなる錯覚を覚えた。
「……はぁ。それでだな、例の捜し人なんだが」
「はい」
「細長い包みを持った女の子、知らないか? こう……日本刀でも入ってそうな」
「ああ、その人でしたら――」
 少し、思い出すような仕草をした後、
「確か、そこの路地に入って行くのを見ましたよ」
 すっと、指をさした。
「……分かった。ありがとう、助かった」
「いえいえ、こちらもお役に立ててよかったです」
 少女と別れ、その路地に向かう匠哉。
「……路地裏」
 路地裏に綺羅。嫌な想像しか出来なかった。
 匠哉は勇気を出し、進んで行く。
 ――匠哉の想像は、ほとんど当たっていた。
「うわ……」
 少し、広くなった場所。そこに、猫や犬、鳥などのバラバラ死体が散らばっていた。
 ……その中心には、匠哉も見覚えのある少女。
「…………」
 綺羅は生きている犬を、刀で斬り刻む。
 それが、最後。この路地裏に、匠哉と綺羅以外の動物はいなくなった。
 綺羅は、犬の首を拾う。
「……もう、皆死んだ」
 そして、その首に語りかける。
「まぁいい。死んだ生き物は大地の糧となり、次の命を育む。貴方達は、新たなる命として生まれ変わるの」
 そして、優しく微笑み――
「そうしたら――また、殺してあげる」
 犬の首を、投げ捨てた。
 凄まじい力で投げ捨てられた首は、コンクリートの地面に叩き付けられ、ぐしゃりと潰れる。
「……おい。綺羅ー。綺羅さーん」
 匠哉は刺激しないように、恐る恐る声をかけた。
「……匠哉」
 どうやら、一応名前は覚えていたらしい。
 綺羅は、新しい生命体の存在を確認すると――
「――のわぁッッ!!!?」
 無言で、斬りかかってきた。
 完全に予想通りの展開。だが、匠哉にとっては実現してほしくなかった展開である。
「ま、待て! 待てッ! 美香さんが、早く帰って来いだってさッ!!」
 紙一重で綺羅の斬撃を躱した匠哉は、とりあえず用件を伝えてみた。
「……姉さんが?」
 美香の名前を聞いた途端、大人しくなる綺羅。
 彼女は刀を鞘に収め、猛ダッシュで路地裏から去って行った。
「……はぁー……」
 匠哉は、安堵の溜息。
 その後、殺戮の場を見てみる。
「こりゃ、相当狂ってるなぁ……」
 そんな人間が住んでる場所で今後は働くのかと思うと、倒れそうになる匠哉。
 それと、気になる事がもう1つ。

『確か、そこの路地に入って行くのを見ましたよ』

 その言葉は正しかった。綺羅はこの路地裏にいたのだから。
 だが――
(『見ましたよ』って……何で、両眼が潰れてるのに見えてるんだよ?)



 匠哉が、ノルンに戻ると。
「綺羅、匠哉君を殺しちゃダメよ」
 始めに聞こえた声が、それだった。
 すでに抜刀していた綺羅は、渋々刀を鞘中に戻す。
「…………」
 匠哉は、心の底から思う。
(……辞めたい)






 ――翌日。
「…………」
 店を出た美香の代わりに、店番を務めている匠哉。それを、綺羅が席の1つに座って睨んでいた。
 右手がそわそわと刀の柄に触れたり触れなかったりしているのが、匠哉の心臓にとても悪い。
「……なぁ、綺羅」
 このままだと何時殺されるか分からなかったので、とりあえず話しかけてみる。
「……何?」
 一応、話しかければ答えてくれるらしい。
「命乞いがしたいのなら、すればいい」
「何故いきなりそんな状況なんだ! そうじゃなくてだな!」
 匠哉は呼吸を整えると、綺羅が手にしている白鞘の刀を見た。
 鞘には、墨で『天河鎮定神珍鉄如意金箍刀』と書かれている。
「その刀。もしかして、年中白鞘なのか?」
 ピクリと、綺羅が反応した。どうやら、刀の話題には乗るようだ。
「……そうだけど。何か問題でもある?」
「いや、問題はないけどな。でも、昨日振り回してた時も白鞘だったろ? 白鞘って、保管用のものだって話だからな」
 白鞘は休め鞘ともいい、匠哉の言葉通り刀の保管のために用いる刀装。
 それを、外出の際にはこしらえ――鍔があり柄や鞘に装飾が施された、時代劇で見るような状態に組み直すのである。
「……別に、白鞘のままでも戦闘に支障が出る訳じゃない」
「ただ単に、拵を組むのが面倒くさいだけじゃないだろうな」
「…………」
 どうやら図星らしい。
「戦闘に支障が出る訳じゃないと言ったが、白鞘には鍔がない。そうなると、鍔迫り合いになった時に手許が危ないと思うんだが」
「鍔がないのに、鍔迫り合いも何もない」
「……いやまぁ、そうだけどな。鍔迫り合いとしか表現出来ないだろ」
「そうなる前に、相手を斬り殺せばいいだけ」
「……左様ですか」
 ある程度予想していた答えに、匠哉は嫌な汗を流す。
「そもそも、現代日本において刀で打ち合う機会なんてあるとは思えない」
「うわぁ、ここに来て正論……」
 常識離れしている綺羅から出た常識的な言葉に、思わず匠哉はカウンターに倒れそうになった。
「それに、この白鞘は如意金箍刀この子のために私が作った。だから、思い入れもある」
「私が作った、って……」
 職人技である。
「秘境に生えていた、数千年を経たほおの木から作った一品。実は、中身と同じくらい凄まじい代物」
「へぇー……」
 と、匠哉は納得しそうになったが。
「――って、ちょっと待て。確か、白鞘に使う朴材は自然乾燥させるために10年以上寝かせるんじゃなかったか? だとしたら、お前は一体何歳の時から……?」
 綺羅は、その質問には答えない。
 ただ、見た事もないような笑みを浮かべながら――フフフと声にするだけ。
「だから、人を斬ると楽しい」
「刀装の話をしてたのに何故!? どういう飛躍なんだッ!?」
 綺羅はゆらりと立ち上がり、刀を抜く。
「……えっと、綺羅。美香さんは、俺を殺すなって言ってたよな?」
「私の心の中の姉さんは、殺していいと言った」
「……オイ。最低の理屈だぞ、ソレ……」
 匠哉が危機を迎えた、その時。
 ――カランカラン。
「ただいま〜。匠哉君、まだ生きてる〜?」
 美香が、帰って来た。



 美香が戻って来た事により、綺羅は刀を鞘に収める。九死に一生を得た匠哉。
「おや、何かギリギリだったみたいね」
「……姉さんの方から出向くなんて、珍しい」
 綺羅は美香の言葉を聞かないフリして、尋ねる。
「ん? まぁ、今回の依頼主クライアントは宮内庁のお偉いさんだから。さすがに、この店で話する訳にもいかないでしょ」
「……宮内庁……!!?」
 匠哉は突如出て来た単語に、眼を皿にした。
 美香はそんな匠哉を放置し、綺羅と一緒に席に座る。
 そして一言二言交わし、持っていた封筒から写真を取り出した。それを綺羅に渡す。
 綺羅は写真を受け取ると、店から出て行った。
「……で、何なんです? またヤバい仕事の話ですか?」
 匠哉と入れ替わり、カウンターに入る美香。
「ん、聞きたい? あんまり、面白い話じゃないけど」
「……ヒマ潰しになるのなら」
「そうね。私もヒマだし」
 匠哉は美香の正面の席に座る。
「まずは、この写真」
 美香が、匠哉に向かって写真を差し出す。さっき綺羅に渡した写真と同じもののようだ。
 写真には、1人の少女が写っていた。どうやら隠し撮りらしい。
 御淑やかに笑うのが、似合いそうな少女。そして――匠哉はこの少女を知っている。
「店長、こいつは……」
「――外山楓そとやまかえで。近頃この近辺で起こってる、連続猟奇殺人の犯人よ」



 光の乏しい路地裏。
 そこに、肉が引き千切られた音と人間の断末魔が響き渡る。
「ふう……」
 外山楓は、真っ二つにした人間を地面に寝かせた。
 そして、死体から両眼を抉り取る。それを口の中に入れ、呑み込んだ。
「――御免なさい」
 頭を下げた後、彼女は進む。
 血塗れになった服を何とかしようと、路地を進んで行き――広い場所に出た。
 そこは近所の子供達が遊び場にしている、路地裏の小さなバスケットボール・コート。
「……見付けた」
 楓に、声が投げかけられる。友好的とは言い難い、冷たい声。
「貴方は……?」
 楓は瞼を下ろした眼でありながら、相手の姿を捉えた。
「私は百々凪綺羅。貴方を、殺しに来た」



「連続猟奇殺人……って。そんな事が起こってるなんて、全然聞きませんよ?」
「だから、『連続猟奇殺人事件の犯人』ではなく、『連続猟奇殺人の犯人』なの。隠されてるから、事件ではないのよ」
「……隠す。でも、隠蔽するのは簡単ではないと思いますが?」
「そうね。国家権力でもない限り、不可能よね」
「…………」
 匠哉は先ほどの会話の中に出て来た省庁の事を、考える。
「何のために、その殺人を隠蔽してるんですか?」
「それが常識から外れた、俗世の人々が知ってはならない殺しだからよ。彼女は、素手で大の男を何人も殺してるの」
「な……っ!?」
「そして、殺した相手の両の眼球を持ち去っている。ほら、狂ってるでしょ?」
 まったくだ、と匠哉は心の中で思う。
「でも、この……外山楓、でしたっけ? 彼女が人を素手で殺すなんて、可能だとは思えないんですが」
「確かに。彼女は、少し前までは普通の女の子だった。絵を描くのが好きな、ただの女の子だったの。だけど――それを変える、ある事件が起こってしまった」
「……交通事故、ですか」
 思わず、言葉を漏らした匠哉。美香は深く追求せず、話を続ける。
「……そう。そして、彼女はその事故で両眼を傷付け、永遠に光を失った」
 それは、匠哉も知っている。
 その事が、意味するものは――
「絵が、描けなくなりますね。それでは」
「それが、彼女を狂わせたのよ」
 美香は面白くなさそうに、
「彼女にとって、絵を描くというのは徹底的に特別だった。上手下手は関係なく、ただ絵を描いていれば生きていけるほど、彼女はそれが好きだったのでしょうね」
「でも彼女は視力を失い、それが出来なくなった」
 絵を描いていれば生きていける、という事は――逆に言えば、絵を描けなくなったら生きていけない、という事。
「1週間ほど前、外山楓は狂気に身を任せて病院から逃走。そして、凶行を繰り返しているの」
「…………」
「知ってる? 人間の筋肉っていうのは、元々はもの凄い力がある。それは身体に負担をかけるから、普段は出せないようになってるけどね」
「火事場の馬鹿力、というヤツですね」
「そう。人間と最も近い動物はチンパンジィだと言われているけど……チンパンジィの筋力は、人間の数倍くらいあるって話だし。彼女が人間を素手で引き裂いても、おかしくはないと思わない?」
「それは、さすがに屁理屈ですよ」
「……かも知れないわね。でも、彼女が尋常じゃない力を発揮しているのは事実。多分、脳のリミッターが壊れてるんじゃないかしら。事故が直接の原因なのか、その後のショックが原因なのかは分からないけれど」



「私を殺しに来たって……何故、ですか?」
「宮内庁は、貴方を隠したがっているから。私はただ単に、貴方を殺したいから」
 綺羅は、如意金箍刀を抜く。
 数多の命を吸って来た刀の輝きは、それだけで楓を怯えさせた。
「1つ、教えてあげる。人殺し――そんな楽しい事をしていいのは、この世で私だけ」
 綺羅は1歩ずつ、楓に近付いていく。
「でも、貴方は人を殺した。私に殺されるべき命を、殺した。私の楽しみを、奪った」
「……ッ」
 逃げる事は出来ないと感じたのか、楓は身構える。
「だから――罰として、私は貴方をとてもとても無惨に殺す」
 綺羅が、跳ぶ。
 瞬きの間に楓の背後に廻った綺羅は、その背に斬撃を打ち込もうとして――
「――ッ!?」
 楓によって、阻止された。
 人体を千切るほどの怪力を持つ彼女の腕が、背後の綺羅を殴り飛ばす。綺羅の身体は、建物の側面に叩き付けられた。
「……よく分かりませんが。私は、殺される訳にはいきません」
 振り返った楓の眼は、閉じられたまま。背後からの攻撃はおろか、正面からの攻撃も防げないような状態である。
 武術の達人ならば、見えずとも感じる事は出来るかも知れないが……綺羅は、楓にそれが可能だとは思わなかった。
「――……」
 綺羅は視線を感じる。
 1つではなく、数え切れないほどの。
 その違和感の正体に気付けないまま、綺羅は再び楓に挑みかかる。
 ありとあらゆる方向から、彼女を斬り付けるが――
「――無駄、です」
 楓はそれを躱し、綺羅を殴り飛ばす。
「ぐ……っ!?」
 上下左右前後――まるで全方向に眼があるかのように、楓は綺羅の攻撃を見切っていた。
「…………」
 ――全方向に、眼。
「まさか、貴方……」
「……ふふ」
 楓は、静かに微笑む。



「分からない事は、他にもあるけどね。いくら凄まじい力を持っていたとしても、眼が見えない彼女が人を殺すのはさすがに難しいと思うのよ」
 匠哉は、その疑問に答える。
「……確かに、外山楓は事故で自分の眼球を失っているんでしょう。しかし……彼女は、殺した人間からその眼球を奪っている」
「…………」
「ならば、それを使っているんじゃないですか?」
 美香は少し驚いた顔で、
「……ふぅん、なるほどね。けれど、まさか君にそんな柔軟な発想が備わっているとは思わなかったわ」
「あんまり信じたくない事ですが、そう考えるのが妥当ですし」
「ま、最初の1人目は、見えない状態で四苦八苦しながら殺ったんでしょうけどね」
「…………」
 匠哉が会った彼女は、まるで眼が見えるかのように振る舞っていた。
 ――あれは、本当に見えていたのだ。



「眼を失った時は、どうなるかと思いました。もう、絵が描けなくなってしまう――と」
 楓の全身に、瞼が浮かび上がる。
「でも、簡単な事だったんですね。なくしたのなら、また手に入れればよいだけの事」
 瞼が、一斉に開く。
「私は――私の視界せかいを、取り戻した」
 楓の身体に現れたのは、無数の血走った眼。
 それ等は、ぎょろりと綺羅をめ付けた。
「……ッ」
 綺羅でさえも異様だと感じる、その姿。
「これで私は、絵が描ける。生きていけるのです」
「……見えるようになりたいだけなら、そんなに大量の眼を集める必要はない。そして、相手を殺す必要もない」
「眼が増えると、その分だけ色々なものが見えるんですよ。そうすれば……私はもっと様々な事を感じて、もっと素晴らしい絵が描けると思うんです」
「…………」
「殺害したのは……ああ、本当に悪い事をしたと思っています。ですが殺さなければ、その人は永遠に暗闇の中で生きるしかなくなってしまう。そんな苦しみを背負わせる事は、私には出来ません」
「……私が言うのも何だけど。貴方、絶望的なまでに頭がおかしい」
「ふふふ……あははは、ははは――はははははははははははッッ!!!!」
 楓は綺羅の顔を鷲掴みにし、後頭部をコンクリの地面に叩き付ける。
「ぁッ……ッ!!?」
「綺麗な瞳を、していますね――」
 楓の全ての眼から、血涙が流れ出した。
「――貴方の眼で見る視界せかいは、一体どんなものなのでしょうか」



「とりあえず、何故彼女の殺人を隠蔽しないといけないのかは分かりました。けど分からないのは、どうして隠蔽の担当が宮内庁なのかという事です」
「あら、私は宮内庁が隠蔽してるなんて一言も言ってないわよ?」
「今までの話の流れからすれば、そうなるでしょう」
 美香はフフフと笑い、
「それは、歴史が物語ってくれるわね。この国に、天皇による政府――大和朝廷が出来た時。朝廷は日本を統治するために、逆らう者達を次々と滅ぼしていった」
「逆らう者達……まつろわぬ民、というヤツですか」
「その通り。んで、戦に破れた反朝廷的――今風に言えば、反社会的――な民というのは、もはや人間として扱われない。即ち、『オニ』ね」
「…………」
「外山楓もそれと同じ。反社会的で、人間でありながら、人間ではない」
「……なるほど。だから、皇室や天皇と関わりが深い宮内庁が隠蔽する訳ですか」
「そういう事。鬼の語源は『隠れる』の『オン』。ならばその名の通り、オニの存在は隠さなきゃならないのよ」
 匠哉は、深い溜息をつく。
「ね? 面白い話じゃなかったでしょ?」
「ええ、まったく」
 美香は、そこで話を止めようとしたが――
「……殺人を俗世から隠すだけなら、綺羅の出番はないはずですよね」
 匠哉は、それを許さなかった。
「隠し続けるなんて面倒な事をするくらいなら、原因を潰した方が早いですから」
「……別に、嘘は言ってないわよ。宮内庁の依頼を受けた私は、綺羅に外山楓を隠すよう指示した。それだけ」
「嘘だとは思ってませんよ。ただ……身分の高い人物が死ぬ事を、『御隠れ』と言いますよね。なら、『隠す』とは『殺す』という事でしょう」
「…………」
 美香は、ガシガシと頭をかく。
「……参ったなぁ。君の知り合いっぽかったから、あんまり言いたくなかったんだけど」
「知り合いと言っても、初めて会ったのは昨日です。それも、少し話しただけですし」
「なら、どうして既にエプロンを脱いでるのよ?」
 呆れたように、溜息をつく美香。
「俺の知らない人間が、どこで何人死のうと知った事じゃありません。でも、1度だけとはいえ会話をした人間が死ぬというのは――愉快じゃない」
 匠哉はエプロンをたたみ、カウンターに置く。
「ちょっと行って来ます」
「……行ってらっしゃい。それで、君が納得するなら」
 ――カランカラン。
 匠哉は扉を開き、外へと出て行った。
 残された美香は、ぽつりと呟く。
「若いって、いいわねー……」



「……笑わせる」
 地面に倒された状態のまま、綺羅は言う。
「絵を描いていれば、生きていける――確かに、以前の貴方はそうだったのかも知れない」
「……?」
「でも、『生きる』というのは、『社会の中で生活する』という事」
「……それが、何だと言うのです?」
 綺羅は告げる。急所を突く、言葉を。
「鏡を見るといい。今の貴方は、バケモノ以外の何者でもない」
「……っ!」
「バケモノを受け入れる社会など、この星のどこにも存在しない。餓えて死ぬか、狩られて死ぬか――貴方の未来はこの2つだけ。生きる事は、出来ないの」
「な……っ!!?」
 楓は信じられないように、首を振る。
 だが、綺羅の言に何1つとして間違いがない事を――楓は、理解してしまった。
「なら……なら、私はどうすればよかったのですか!? 絵を描かなければ生きていけないのに、それを取り戻しても生きていけないなんて……私は、どうすればいいのですかっ!!!?」
 その叫びに対する綺羅の答えは――無慈悲。
「――死ねばいい」
 綺羅は倒された体勢を逆に利用し、両足で楓を蹴り上げた。
「が……ッ!!?」
「安心して。貴方が死んでも、世の中は何も変わらないから」
 綺羅は起き上がると、ロケットのように打ち上げられた楓を狙い、如意金箍刀を振り被る。
「――『舞爪・散花』」
 そして――楓の身体を、粉々に分解した。



「……遅かったか」
 路地から出て来た綺羅を見付け、匠哉は呟く。
「……何をしているの?」
「外山楓は死んだのか?」
 匠哉は、路地を覗き込んだ。
 ……道は入り組んでおり、先を見る事は出来ない。
「さっき殺した。知り合いか何か?」
 匠哉は綺羅の問いに小さく頷き、路地を見たまま、
「……仕方ないか。どうしようもない事だって、あるよな」
 老人のような、溜息をついた。
 綺羅は、何となく尋ねてみる。
「……私を、恨む?」
「いや、恨みはしないよ。後味は悪いが、彼女の死を悼む事くらいは俺にも出来る。それで満足するさ」
 匠哉は路地に背を向け、歩き出した。綺羅もそれに続く。
「綺羅、知ってるか? 世の中には、盲目の画家が何人もいるんだ」
「…………」
「……まぁ、どうでもいい事だけどな……」



 ノルンに戻ると、綺羅はすぐに店の奥へと消えた。
「……ダメだった?」
「ええ。とは言え、後悔するほどの事でもないんで、別にいいんですけどね」
 匠哉は美香の問いに答えを返しながら、エプロンを着る。
「ま、必然の結末よね。外山楓は異常だった。異物は排除されるのが道理だから」
「……異常、というのなら――」
 匠哉は奥に眼をやり、
「――綺羅も、大したモノだと思うんですが」
 そう、呟いた。
 美香は、しばらくの沈黙の後。
「……そうね。あの子は異常。外山楓が絵を好んでいたのと同じように、綺羅は殺しを好んでいる」
 疲れた笑みを、美香は浮かべる。
「綺羅の殺し好きは、女の子が甘味好きなのと同じ。理由なんてなく、ただ好きだから好きなだけ。外山楓の殺しにだって、一応の理由はあったのにね」
「綺羅も、いずれは異物として排除されると思いますか?」
「……そうなるかも知れない。でも、私は最後までソレに抵抗するわ。どれだけ狂っていても、どれだけ救い難くとも――あの子は、私の可愛い妹だから」
 美香は匠哉を見て口の端を上げ、
「匠哉君も、綺羅を見捨てたりはしないわよね?」
 楽しそうに、言った。
「……何を根拠にそんな事を」
「根拠は今回の件。君、1度出来た縁は断てないタイプでしょ?」
「…………」
 匠哉は何か言おうとしたが、出て来る言葉はなかった。大体その通りだからである。
「……分かりました。約束は出来ませんが、とりあえず付き合いますよ」
「うんうん、よろしい。じゃ、まずはテーブル拭いてきてね。終わったらトイレ掃除。私はここでぼけーっとしてるから」
「チィ……このダメ人間が……!」
「匠哉君、何か言った?」
「……いえ、何も。俺は従順なバイトですよー」
 うぉぉ、という気合いの掛け声と共に、匠哉は台布巾を操りテーブルを綺麗にしてゆく。
 美香は面白いものを見る表情で、それを眺めていた。





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