――そこは、赤い部屋だった。
「…………」
 べっとりと付着した、血、血、血。
 寸断された肉片に囲まれたまま、少女は刀を鞘に収める。
 無感情の彼女は、一言だけ呟く。
「……まるで、紙人形」


スプリング・スノウ

大根メロン


「ふぁ〜……」
 喫茶『ノルン』に、女性の欠伸が響いた。
 1日は早くも半分が過ぎ、午後の眠たくなる時間帯。
 しかし――本日、この喫茶店に足を運んだ人間は、未だにゼロである。
 客は勿論だが、店員すら欠伸をしている女性以外には存在しない。彼女は、唯一の店員にして店長なのだ。
 女性には妹がいるのだが、どうやらこの店を手伝うつもりはまったくないらしかった。
 今日は日が悪いのね、と彼女――百々凪美香ささなぎみかは客足がない理由をそう結論付ける。しかしそうなると、この店は365日全てにおいて日が悪い事になるのだが。
 ――と、その時。
「……おっ?」
 カランカラン、という音と共に、店のドアが開いた。
 ついに客が来たか、と美香は構えたが、
「……姉さん、ただいま」
 現れたのは、美香の妹――百々凪綺羅ささなぎきら
 美香と、ほとんど瓜二つと言ってよい少女だった。違う点は、年下な分だけ綺羅の方が背が低い。さらに、綺羅はその長髪をポニーテイルにしていた。
 しかし、何より違うのは――その心。美香が温なら、綺羅は冷である。
「ああ、何だ綺羅かぁ」
「その様子だと、今日もお客は来てないの?」
「うん。客はゼロ、よって収入もゼロ」
「……そう」
 綺羅は特に興味なさそうに、カウンターへと近付いていく。
 彼女の左手は、細長い包みがあった。右手には、スーツケースを持っている。
「頼まれた物、持ってきた」
「ん、中身は?」
「確認した。全部本物。間違いない」
 美香は、渡されたスーツケースを開く。
 中には――白い粉を収めた袋が、いくつも入っている。
「オーケー、御依頼の品のヘロイン。ちゃんと取り返してきたわね。ねぇ綺羅、これっていくらくらいするんだっけ?」
「姉さんは聞かない方がいい」
「……そうね。そうするわ」
 これは数日前、とある麻薬組織の倉庫から盗まれたものだった。
 組織はそのヘロインが、この街――星丘市で取引される事を突き止めていた。そして、百々凪姉妹に奪還を依頼したのである。
「ところで綺羅、こいつを取引してた893の皆様方は?」
「――皆殺した」
「……あ、そう。いつも通りか。まぁとにかく、これで今月もご飯が食べられるわね――ほーっほっほっほっ」
 綺羅はそんな姉を見ながら、店の奥へと向かって行く。
 その手には、変わらず包みが握られていた。
「2階で寝る。何かあったら起こして」
「はいよ。ゆっくりと休みなさい。最近、ちょっと無理させてる気もするし」
「……大丈夫。私は姉さんのためなら、いくらでも戦える」
 足音は、少しずつ遠ざかって行く。






 ――数日後、廃工場。
「……何だ、お前は?」
 数人が、突然現れた少女を睨む。正確な人数は――8人。
 彼等の傍には、宝石の詰まった袋がいくつかある。少し前に、市内の宝石店から強奪された物だった。
「それを、取り返しに来た」
 少女――綺羅は、窃盗グループの面々にそう告げた。
「……ほう。だがそう言われて、大人しく返すと思うか?」
「思わない。それに、大人しく返されても困る」
 綺羅は、手の中の包みを解いた。
 布の中から現れたモノは、白鞘の日本刀。
「――『コレ』だけが、私の唯一の娯楽だから」
 綺羅は鯉口を切る。
 そして、刀を抜いた。
「まずは、1人目」
 窃盗グループの1人が――首を、斬り飛ばされる。
「……あ?」
 一瞬の出来事だった。さっきまで十数メートルは離れていたはずの綺羅は、瞬時に距離を詰め、敵を刀の間合いに捉えている。
「く……っ!?」
 別の男が銃を抜くが、それでは遅い。
「――2人目」
 男の身体を刀の軌跡が走り、後を追うように血が噴き出す。
 呆気なく、その男はバラバラになり――生を終えた。
「日本刀の女……こいつ、『赤い羊』の百々凪綺羅か!!?」
「呼び名なんてどうでもよい。――3人目」
 また1人、斬り刻まれる。
「ク……ッ! 離れろ、距離を取るんだ!!」
 リーダーらしき男の指示で、相手は綺羅との間合いを取り始めた。
 適切ではある。距離が離れれば、刀より銃の方が有利なのは瞭然だ。
 しかし――最善、ではない。
「――『舞爪・散花ぶそう・さんか』」
 綺羅は自分自身を中心に、円を描くように刀を振るう。
「な、に……?」
 ――勝敗は決まった。
 綺羅を囲むように、間合いの外に立っていたはずの彼等は――1人残らず胴体を斬られ、身体を両断されていた。
「……神珍鉄より鍛え上げられたこの『如意金箍刀にょいきんことう』は、伸縮自在の刀剣。安全な間合いなど存在しない」
 その言葉を聞く者は、もういない。
 綺羅は刀の血を懐紙で拭き取り、鞘に収める。
 目的の物である宝石を回収し――廃工場から去って行った。



「……ただいま」
 綺羅が店に戻ると、だらけ切った姉が手を振る。
「あ、おかえりー。それで、どうだった?」
「何も問題はない」
 綺羅は、持って来た宝石袋を、カウンターに置いた。
「よしよし。それでね綺羅、さっき別の依頼が入ったんだけど……すぐ行ける?」
「……別にいいけれど。珍しく繁盛してる」
「ふふふ、私達もちょっとは有名になってきたのかしら。あ、それで次の依頼なんだけど」
 美香は、綺羅に写真を差し出す。そこには、1人の男が写っていた。
 年齢は20代前半ほど。何故か、その男は――瞳を閉じていた。
「そいつの名前は、歪上ゆがみカイリ。『イースト・エリア』を支配してる、『オベリスク』っていうグループのリーダーよ」
「……それで?」
依頼主クライアントは、オベリスクと敵対してるグループ。依頼内容は簡単よ。歪上カイリの抹殺――それだけ」
「殺すだけでいいの?」
「そ。綺羅にはピッタリの仕事ね」
「……分かった」
 綺羅は、刀の入った包みを握り直す。
「すぐに終わらせる」
 そして、店の外へと出て行った。



 ――イースト・エリア。
 数十年前、原因不明の『大火災』によって焼失し、スラム化した星丘市東方地区を人々はそう呼ぶ。
 その一角を――綺羅が、血で染め上げていた。
「ぐぁ――ああぁぁッ!!?」
 綺羅が1人を斬り捨てる。すでに、彼女は死体の山を築き上げていた。
「死にたくなければ、答えた方がいい。歪上カイリはどこ?」
 それでも、オベリスクのメンバー達は何も答えない。
「――『舞爪・散花』」
 綺羅が、刀を振るう。
 その瞬間だけ、綺羅は如意金箍刀の刀身を伸ばし――間合いの外にいる人間を斬る。
 無論、常人に目視出来るような速度ではない。故に、誰もその秘密には気付かなかった。
 相手はいつでも、自分を斬り殺せる――それは、底なしの恐怖である。
「……さっきも言ったけど。質問を1つ無視すれば、1人死ぬ」
「ク――ッ!!」
 数人が、サブマシンガンを連射する。
「…………」
 綺羅は退屈そうに、襲いかかる弾丸を刀で弾く。
 驚くべきは、その圧倒的な能力。そして――弾を止めても折れる所か傷1つ付かない、如意金箍刀の硬度か。
「お、お前……人間か!!?」
 誰かが、叫んだ。
「そう。貴方達と何も違わない、ただの人間」
 綺羅はそう答えた後、
「歪上カイリは……どこ?」
 再度、質問。
 それでも、答えは返って来なかった。
「じゃあ、さよなら」
 また1人――身体から血を噴き、絶命した。
「…………」
 綺羅は、愛刀を見る。
 相変わらず刃毀れ1つないが、斬った人間の血や油が絡み、切れ味が落ちていた。
「……っん」
 綺羅は刀を口元に持ってゆき……刀身の汚れを、舌で舐め落とす。
「う……うわぁぁぁぁ!」
 突っ込んできた敵を、綺羅は擦れ違い様に斬殺。
 上半身を失った身体は、それでも数メートルは走り続け……その後、ようやく死んだ事を知ったかのように、倒れて動かなくなった。
「くっ……退け、退くんだ! 勝てる相手じゃないっ!!」
 敵は遂に、撤退を始めた。
 彼女は、それを追う。
「ご、後生だ! 助けてくれ!!」
「――嫌」
 綺羅が1番好きなのは、逃げる相手と命乞いする相手を――皆殺しにする事である。



「……しまった」
 綺羅は人間の部品が散らばるその場で、呟いた。
 殺欲に任せて殺し尽くしたものの、考えてみればこれではカイリの居場所を聞き出す事が出来ない。『死人に口なし』、である。
 さてどうしようか、と綺羅が頭を悩ませていると――
「……まさしく、修羅場か」
 声が、した。
 綺羅は、声の方向に眼をやる。
 そこには男がいた。仕立てのよいスーツにオールバックの髪型は、マフィアの幹部を思わせる。
 そして――その男は、ぴったりと瞼を閉じていた。
「……歪上、カイリ」
「お初にお目にかかる、赤い羊の少女。私の名は歪上カイリ。知っているとは思うがね」
「まさか、自分から死にに来るなんて」
「身内がこれほど世話になったのだ。その礼は私自らせねばなるまい」
 それに、とカイリは付け加え、
「死ぬのは君の方だ。心配せずとも、弔いは私に任せてくれていい」
「…………」
「生憎、君に合う棺が用意出来ていないが……まぁ、構わんだろう。どうせ、誰なのかも分からぬほど粉々にするつもりだからな」
「よく廻る舌。潰したくなる」
 先手必勝とばかりに、
「――『舞爪・散花』」
 如意金箍刀が、一閃。
 延長した刀身は……油断し切ったカイリの身体を、電光石火の如き速さで通り抜けた。
 ――しかし。
「それが、私の部下達を屠った技か」
「……!?」
 バラバラになるはずの男は、何も変わらずに立っている。
 確実に手応えはあった。それでも、歪上カイリは傷1つ負っていない。
「神珍鉄――なるほど、それなら君の斉天大聖孫悟空の如き強さも納得出来る。ならば――」
 カイリは滑るように、綺羅に近付く。
「――愚かな猿公に、世界の広さを教えてやろう」
 掌底が、一撃。
 その鉄槌のような打撃で、綺羅は背後の小屋に突っ込んだ。
 老朽化していた小屋が、耳障りな音と共に崩れ落ちる。
 埃が煙のように昇る、その瓦礫の下から――
「――『舞爪・散花』!」
 如意金箍刀の遠距離斬撃が、瓦礫を粉砕しながらカイリを襲う。
 その刃が、カイリの肉を断つ。なのに――彼は、傷付く事がない。
 瓦礫の山から跳び出した綺羅は、息を整えながらカイリを見る。
「哀れな。修羅道を歩むその魂では、私の実相を視抜く事など出来まい」
「…………」
「所詮、釈迦の掌の上だ。君は何も視えていない。仏眼なくとも、徳の高き者なら一見で看破出来ように」
 綺羅はカイリの首元に向かって、刃を奔らせる。
 だが彼はその打ち込みを――2本の指で挟み、止めてしまった。
「別段、受けた所で問題はないが……些か煩わしい」
「く――!?」
 綺羅は刀を引き抜き、カイリとの間合いを取る。
「貴方……一体何なの?」
 綺羅は問う。
「……ふむ。ならば、冥土の土産に説いてやろう」
 彼は、閉じたままの瞼に触れる。
「私は生まれた時から、一切の光がない地下室で育てられた。……いや、育てられたというのも正しくはないな。何故なら、私はそこでずっと独りだったからだ」
「…………」
「成人して地下室から出された時、私は始めてこの世に自分以外の人間が存在する事を知った」
 綺羅は1つ理解した。この男が瞳を閉じているのは、それが必要ない環境で生きてきたからなのだ。
「闇の中――世界には、私しかいなかった。私しかいないという事は、私自身が世界であるという事だ。事実は違うが、少なくとも私はそう思っていた」
 カイリが、口元だけで笑う。
「結果がコレだ。偽薬でも、本物だと思い込めば本物同様の効果を発揮する。自分を世界だと思い込んだ私は、本当に1つの世界となってしまったのだよ」
「何……?」
「分かるかね? 私は、三千大千世界の一世界。人の身である君には、世界わたしを滅ぼす事など不可能だ」
 カイリの蹴りが、綺羅の腹に突き刺さる。
「……っ……!!」
「さて、説法は終わりだ。その修羅道、ここで終わらせる」
 弾き飛ばされた綺羅は、体勢を立て直すと――
「……なら、とても簡単な事」
 如意金箍刀を、鞘に収めた。
「……何のつもりだ?」
 カイリの問いに、綺羅は答えない。
「まあいい。潔く諦めたのなら、せめて苦しませず閻魔の庁へと逝かせてやろう」
 その言葉が、終わるか終わらないかの刹那で――
「――『舞爪・獄落散花ぶそう・ごくらくさんか』」
 立ち居合の要領で、綺羅は抜刀と同時に斬る。
 そして――その刃は、カイリの首を刎ね飛ばした。
「……ッ!!!?」
 廻るカイリの首が、信じられないといった様子で綺羅を見る。
「……貴方が思い込みで世界となったのなら、私も思い込めばよい。『私の剣は貴方を殺せる』――と」
 首が、地面に落ちた。
「それに――私は姉さんのためなら、世界だって滅ぼせる」
 綺羅は、首に歩み寄る。
「……もう、聞こえてないだろうけど」
 カイリの首は、何も反応しない。
 綺羅はそれを拾い、歩き出した。



「お、帰って来た帰って来た」
 ノルンに戻って来た綺羅を、美香は笑顔で迎える。
「で、首尾は?」
「歪上カイリの首は、イースト・エリアで依頼主クライアントに渡した。これが報酬」
 綺羅は札束の入った封筒を、カウンターに差し出した。
「よっしゃ、任務完了ね。ところで……綺羅。あんたボロボロだけど、大丈夫?」
「心配しなくていい。深くないから、少し寝れば全部治る」
「……そう。ま、今日は色々と大変だったし、ゆっくり休んでね」
「そうする。……ところで、姉さん」
 綺羅は、店の出入口の方を見る。
「アレは……」
「――『アレ』? ああ、バイト募集の張り紙の事か。いやぁ、さすがに1人じゃ大変で」
「大変って……何もしてない」
「それを改善するために、バイトを雇うのよ。不精者の私の代わりに、店内の掃除とかやってもらおうと思ってね」
 綺羅は、冷たい眼で美香を見た。
「……ただ単に、ヒマを潰すための相手が欲しいだけ?」
 美香は、あからさまにギクリとする。
「や、やーねぇ、そんな訳ないじゃない」
「……私は、姉さんと2人だけがいいのに」
 不満そうな顔で、綺羅がそう言った。
「あはは、その言葉は嬉しいんだけど。綺羅が裏稼業だけじゃなく、店の方も手伝ってくれれば、2人だけでもやっていけるんだけどねえ」
「…………」
 綺羅は、聞こえないフリをする。
「ま、大丈夫よ。例え可愛い男の子が来ても、私は取られたりしないから。ずっと、綺羅と一緒」
「……そんな事、心配してない」
「むしろ私としては、綺羅が取られないか心配だわぁー」
 美香はケラケラと笑うと、
「ほら、早く部屋に行きなさい。刀の手入れとか寝たりとか、色々やる事あるでしょ」
 綺羅を、店の奥に押し込んだ。
「…………」
 夕飯になったら起こすからねー、という美香の声を聞きながら、綺羅は2階の自室へと向かって行く。
 1度だけ、振り返る。
 綺羅は、欠伸をしながら店番をしている姉を見て――少しだけ、微笑んだ。






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