――月の下。 「うぐ、ひっく……」 物心付くか付かないかといった頃の長永が、母に手を引かれて無人の街を駆ける。 長永は、涙を流していた。疲れと、途方もない恐怖によって。 「ダメだ、どこにも誰もいない! あの野郎、この街の人間を丸ごと喰いやがったッ!」 前から走って来た男が、真理絵に叫ぶ。 「そう……」 真理絵は、足を止める。 「もう、仕方ないわ。狙われてるのは私だけですから……貴方は、この子を連れて逃げて」 「冗談言うな。俺はあんたの旦那から、あんたとそのガキの事を頼まれたんだ。ダチとの約束は死んでも護る」 「……まったく、あの人のお友達は皆こうなんだから」 男は抜かりなく、カラシニコフを構えた。真理絵も、AS12を構える。 「……?」 長永の耳に、何かの音が聞こえた。耳元で羽虫が飛んでいるような、不快な音。 「来るな……クソッ、あの旦那が選んだ精鋭部隊が、あっと言う間に俺1人か」 「やっぱり、ノルニルの闇取引を潰したのは失敗だったわね。まさか――その報復に、こんな化物が送り込まれて来るなんて」 「今、そんな事を言っても仕方ないさ。……なぁに、俺とあんたがいればどうにかなる」 羽音は、大きくなってゆく。しかしそれでいて、虫の姿は見えない。 ……否。 1匹の蝿が、男の肩に止まった。 ……それに気付いたのは、長永だけだったが。 蝿は、男の身体に卵を植え付ける。そして、その卵はすぐさま孵化し――蛆が這う。 その蛆もすぐに蝿へと変態し、別の蝿と交尾。卵を産む。 10秒にも満たぬ間に、その繁殖が何度も繰り返され―― 「な――ッッ!!!?」 男は、大量の蛆に覆われていた。 無数の蛆が、男の肉体に喰らい付く。 「な、ぐぁ、止めろぉぉぉぉぉ……ッッ!!!?」 絶叫。絶命。 「……ッッ!!!」 何も出来ぬまま、母子は男との距離を取る。 蛆は喰べた肉を使い、別の肉体を造り上げてゆく。 ……その様子は、幼虫から成虫への変態を思わせる。 「わぁ、ワ、わァ――」 肉塊と化した男から、声が聞こえた。 ――しかし、次の瞬間。 聞こえた声は、すでに母子の知っている男の声ではなかった。 「蛆、妖虫、蟲、妖蛆!」 それはもう、別の生き物。 肉塊はマント・コートの男となり、2人の前に立った。 「フフ……グッド・イヴニング。今宵はよい月だ」 妖蛆魔術師が、月光に照らされ微笑む。 コートの内側の闇で、妖蛆どもが蠢く。 長永は見た。その闇の中に――あの男の苦悶の表情が、引き擦り込まれて行くのを。 「ぐえ……ッ!!!」 その異様さに、長永は胃の中のモノを逆流させる。 ……地面に撒かれた吐瀉物に、すぐさま蛆が湧いた。 「用件は分かっているかね? その命を、頂きに参上したのだが」 真理絵はAS12を、魔術師に向ける。 「闘うしか、ないようね」 「無駄だ。この身は既に、蛆の湧く死体。殺す事など出来んよ」 それでも、魔術師は生きていた。 肉体が腐敗しても生きる事に執着し、必要あらば他者の肉体を強奪する。 ――恐るべき、魔術師の業。 「ぁ、あ……」 吐瀉物を喰らい肥え太る蛆どもを見ながら、長永は思う。 生きるとは、こんなにも醜い事なのか――と。 「――……ッッ!!!!」 長永は、寝床から飛び起きた。 「はぁ、はぁ……」 呼吸を整え、頭を抱える。 何か悪夢を見たはずだが、その内容を思い出す事は出来なかった。 ……唯一頭に浮かぶのは、自分達を見下ろしていた月の形。 窓から、外を見る。 「……嫌な、感じだな」 夜空には――夢中と同じ、月が在った。
「…………」 長永が夜空を見上げていた、ちょうどその時。 ピノッキエッテは、少し離れた地点から廃工場を観察していた。 「……あそこですね」 リリスが呟く。 「0時に突入し、『掃除』を行います。サロメとベイバロンは外に残り、イヴが工場から出た場合に対応を」 「了解っす」 「……まぁ、仕方ありませんね。私の重装備は、突入には向きませんし」 リリスは、突入組――アスタロトとグレモリィを見る。 変わらず、籠釣瓶を背負ったアスタロト。 グレモリィはP90ではなく、F2000突撃銃を装備していた。対イヴにおいて、短機関銃では火力不足だと判断したのだろう。 「…………」 リリスは握った拳を開き、自分の指の動きを確認する。 「……往きましょう」 『本日昼頃、昨晩より行方不明だった14名が遺体で発見されました。遺体は、鋭利な刃物でバラバラに切断されており――』 眼が覚めた私が、リヴィングでぼーっとニュースを見ていた時。 「……ッ!?」 突然、嫌な気配を感じた。 「何だ、このゾクゾクする感じ……?」 自分が牢屋に閉じ込められていて、その牢屋がどんどん狭くなっているような……圧迫感と言うか、危機感。 ……気のせいか? 「…………」 私は壁のボタンに手を伸ばし、押した。ベルが響き渡る。 気のせいだったら、笑い話にでもすればいい。だが……違った場合の事も、考えておかなければ。 「ふぁああ〜……こんな夜中に何なのよ〜……?」 イヴが眠そうな様子で、リヴィングにやって来る。てるてるも眠そうだ。 B子は、特にそういう訳でもない。まだ起きていたのだろう。 「いきなり起こして悪いな」 「で、どうしたの長永君?」 「いや……上手く言葉に出来ないんだが、嫌な感じがするんだ」 「嫌な感じ?」 B子が、首を傾げた。 「そう言えば……何だかザワザワしますね……」 てるてるが、キョロキョロと周りを見る。 ……幽霊の霊感が何かを感じているのなら、私の感覚も間違ってなさそうだ。 「B子。玄関からここに通じるドアは、この1枚だけだよな?」 「うん」 「バリ、張っとくのよ?」 何かが起こると察知したB子とイヴは、表情を引き締める。 「そうしよう。その辺にある重い物を片っ端から置くんだ。てるてる、お前は外の偵察を頼む」 「分かりました」 てるてるが、姿を消す。 残った私達は、戸棚やらテレビやらソファやらを扉の前に並べた。 「装備、取って来るね」 B子が、リヴィングから出て行く。 「…………」 何となく、時計を見た。 もうすぐ、0時になろうとしている。 「10,9,8,7,6,5,4,3,2,1――」 時が、0時を刻んだ。 「――突入ッ!」 正面玄関の扉を蹴破り、アスタロトとグレモリィが跳び込む。 この建物は構造上、どこへ行くにしてもまずはリヴィングを通らなければならない。 その情報を真理絵から得ていたふたりは、迷いなくリヴィングへの扉へ。 廊下を駆け抜けたふたりは、扉の両脇に付く。 「…………」 アスタロトは、ゆっくりとドアノブを回す。おかしな感覚はない。 しかし、開こうとしたところで――何かにぶつかった。 『どうしたの?』 『このドアの向こうに、何か置いてあるようで』 声を出さず、通信機で会話。 『……バリケード?』 『かも知れませんねえ』 アスタロトは、扉を押すのは止め――思い切り引き千切る。 外れた扉の向こうには、やはりバリケード。 そして―― 「――ッ!!?」 銃撃が、アスタロトとグレモリィを襲った。 すぐに退き、廊下の角に身を隠すふたり。 「ちょっと、どういう事!?」 「うーむ、こちらの襲撃が読まれてたでやんすね」 「く……ッ!!」 グレモリィは角から身を出し、F2000で3点バースト射撃。だが、バリケードに阻まれる。 しかし、相手の銃撃は――バリケードの隙間を抜け、グレモリィの胴体に喰い込む。 「ぐ、ッ……イヴの狙撃か……ッ!!」 「どうするでやんす?」 「――こうするのよッ!!」 グレモリィは、F2000に取り付けられた40mmグレネード・ランチャーを発射。 榴弾が、バリケードに着弾し――爆発。バリケードを吹き飛ばす。 「アスタロト!」 「――応ッ!」 角から出、リヴィングに向かい駆けるアスタロト。 バリケードの残骸を、跳び越えた所で―― 「――は?」 何かの直撃を受け、廊下に弾き戻された。 「――ビンゴッ!」 私は、パチンと指を鳴らす。 ショットガン――レミントンM1100ソード・オフを構えたB子も、嬉しそうに口元を綻ばせた。 奴等がバリケードを吹き飛ばすのを離れてやり過ごし、その後反撃する。見事成功だ。 アスタロトは、12ゲージ(約18.5mm口径)の一粒弾を頭に喰らった。行動不能は確実。 「くっ、よくも!」 次は、グレモリィが突っ込んで来る。同じく、B子のM1100が一粒弾を発射。 同じ手は何度も通じず、グレモリィはそれを回避した。まぁそうなるだろうとは思っていたので、私とイヴはとっくにリヴィングから逃げ始めている。 「鬼さんこちら……だよッ!」 B子がグレモリィを引き付けながら、私達とは反対側の廊下に出て行く。 心配だが……ここは、B子のスキルを信じるしかない。 ……で、私とイヴは。 しばらくの後、1度逃げ出したリヴィングに戻って来ていた。アスタロトに、トドメを刺すためである。 しかし。 「……イヴ、失敗だったな」 「おお、大失敗だったのよ」 リヴィングでは、アスタロトが復活していた。 そして―― 「アスタロト、イヴ達の相手は私が。貴方は、グレモリィを追いなさい」 「――御意に」 アスタロトを復活させたのであろう、リリスの姿。 B子が逃げた方に走って行く、アスタロト。 「くっ……行かせないのよ!」 イヴはそこに、三八式改の銃口を向けるが―― 「――貴方は、眼前の敵が見えないのですか?」 床を滑るように、リリスがイヴに近付いて来ていた。 「……ッ!!」 イヴは咄嗟に銃口の向きを変え、リリスに発砲。リリスはそれを受けながらも、意に介さない。 一瞬後には――喰い込んだ弾が勝手に摘出され、さらには弾痕も消える。 ……これが、ナノマシンでの治癒ってヤツか。 リリスは、両手の親指以外をまっすぐに伸ばした。四本貫手の形だ。 貫手がイヴの手を突き、三八式改を落とさせる。 「く……ッ!?」 前に似たような事を語ったが、物は尖ってる方が痛い。 なら平たい拳よりも、指先で刺すように突く貫手の方が効くのは道理だ。 ……普通、貫手は喉や脇腹などの、柔らかい部位に対して使う。そうでないと、人間の指は耐えられないのだ。 だが――リリスは、人間ではない。 「ぐ、ぅ――ッ!?」 貫手のワン・ツーが胴に叩き込まれ、イヴが喘ぐ。 「――くそッ!」 私は、リリスにFive-seveNを向ける。 出来る事なら、撃ちたくはないんだが……! 「…………」 リリスは私を見ると、音もなく背後に回り込み、 「ぐぅあああ……ッッ!!?」 ロウ・キックを、私の足に打ち込んだ。 その場に倒れ、立てなくなる私。 「しばらく、じっとしていてください。そうすれば、危害は加えません」 そう囁き、再びイヴの方を向くリリス。 「――喰らうのよッ!!」 イヴは、何本か銃剣を抜いて投擲。 リリスはそれを――貫手で、打ち落とした。 「……ッ!?」 1本の銃剣が、私の顔の前で床に刺さる。 その銃剣は――パキンという音と共に、刀身が折れた。 ……マジかよ。貫手の一撃で、金属製の銃剣を折ったというのか? 「焼けた砂利を突いて鍛えた貫手です。その程度では、私には届きません」 「……っ」 イヴは銃剣を、逆手に握って構える。 ……ダメだ。 この少しの遣り取りだけで、分かってしまった。リリスは……果てしなく強い。 私は塵ほどの勝機さえ、イヴにあるとは思えない――。 「――フッ!」 リリスは摺り足でイヴとの間合いを詰め、呆気なく銃剣を叩き折った。 そして――貫手の、連打。 「――あ、ぐ……ッッ!!!?」 銃剣を折るほどの一撃を次々と叩き込まれ、イヴの身体が軋みを上げる。 「――ハァッ!!」 最後に、強烈な回転横蹴り。 「うぁ――ッ!!?」 イヴは壁まで蹴り飛ばされ、打ち付けられた。 「……っ」 動かないイヴ。いや……動けないのか。 「トドメです」 リリスが腰の銃を握り、引っ張る。すると留め具が外れ、M500が解放された。 ……ロング・バレルが、イヴの頭に向けられる。 「知っているとは思いますが……弾は、劣化ウラン弾頭をニトログリセリンで発射する特製弾です。いくら貴方がピノッキエッテでも、耐えられるものではありません」 リリスが、引き金に指をかけた。 「――さようなら。百合のように永眠りなさい」 「…………」 工場内での銃声を聞きながら、サロメは油断なく眼を光らせていた。 彼女がいるのは、工場の正面側。もしイヴが、こちらから脱出しようとすれば――サロメの狙撃を受ける事となる。 頭部に5.56x45mmFMJ弾をフルオートで叩き込まれれば、いくらイヴといえども機能停止は免れない。 「――!?」 サロメは背後に気配を感じ、すぐさま振り返ってM16A2の銃口を向けた。 狙撃手とはいえ、M16A2はアサルト・ライフル。急な接近戦にも十分対応出来る。 気配の主は―― 「……ベイバロン?」 「はい」 ベイバロンは、品のある微笑みを浮かべた。 サロメは、銃を下ろす。 「何してるっすか? 貴方の配置は反対側――」 ――その時。 「ダメですわ、サロメさん」 「――ッ!!?」 MG42の銃口が、サロメの頭に向けられた。 ……引き金が、引かれる。 「背後に立った者は、誰であろうと倒さなければ」 サロメの頭蓋が爆ぜ――粉々に吹き飛ぶ。 工場内。 居住用に改造されたエリアとは違い、グレモリィのいる場はそのままの倉庫だった。 積み重ねられた段ボール箱などの、様々な遮蔽物。 その見通しの悪さに苦戦しながら、グレモリィはB子を追う。 「く……ッ!!」 ダンボール箱に隠れたB子に、F2000で銃撃。 箱が空なら、その向こうに弾が届くはずだが――やはり、そうはいかない。 「…………」 B子は、M1100でグレモリィの背後を撃つ。 大量の箱が、乗せられている棚。その棚に一粒弾を撃ち込み、破壊した。 「な……ッ!!?」 雪崩のように崩れて来た箱を、グレモリィは跳び退いて回避。 それを予測していたB子は――回避後の無防備なグレモリィに、ルガーの連射を撃ち込む。 「く――」 グレモリィが、反撃に出ようとした時。 「……え?」 サロメからの、信号が途絶えた。 「何、で……?」 呆然とし、思わず立ち止まるグレモリィ。 「――サロメは壊れたでやんすよ。ベイバロンが、上手くやってくれましたねえ」 背後から、声。 「……アスタロト。どういう、事よ?」 「どうもこうも、言ったままでやんすが」 アスタロトの微笑に、グレモリィの苛立ちが募る。 「――そんなはずない! だってあいつは、私より強いって……っ! だから、だからっ!!」 グレモリィの、必死の叫び。 しかし――アスタロトは、それを嘲笑う。 「分かっているでしょう? サロメは、この世界から消えてなくなったんでやんすよ」 「……ッ!!」 ギリ、とグレモリィの歯が鳴った。 「ア……アスタロトォォォォォォッッ!!!!」 グレモリィは、銃をアスタロトに向け――突撃。 アスタロトも、籠釣瓶を抜き放ち―― 「――斬り捨て御免」 一斬。 アスタロトと交差したグレモリィの、足が止まる。 「……嘘つき。アンタは、私を護ってくれるんじゃなかったの……?」 グレモリィの首が――身体から、落ちた。 「……退いてください」 リリスが、私に言う。 「嫌だ」 私は、1歩も譲らない。 「……何故です? 何故、巻き込まれただけの貴方がそこまでっ!」 「…………」 私は――動かない足を引き摺って、イヴとリリスの間に立ち塞がっていた。 「な、長永……馬鹿な事しないで、逃げるのよ!」 背後のイヴが何か言ってるが、無視。 「もう1度言います。退いてください」 「……そりゃあ無理だ。だって、後ろにはイヴがいるから」 「……ッ」 M500の、銃口が震える。 「同じ事です。貴方を撃ち殺した後、イヴを撃ち壊す。結局、貴方は無駄死にするだけです」 「カッコ悪い生き様より、カッコいい無駄死にの方がマシだ。現世で後悔するより、あの世で満足する方が百倍いい」 「……ッ!!」 リリスは、辛そうな顔で――私を見る。 「……退いてください。私は、貴方を撃ちたくない」 「ワガママを言うな。敵を撃てないなんて、銃が泣くぞ?」 「私達の敵はイヴ! 貴方は敵じゃないッ!」 「詭弁だな」 「……ッッ!!!」 「引き金を引け。お前達は、そのために造られたんだろ? なのに、それが出来ないなんて……辛いじゃないか」 撃つために生まれて来た者は、撃つべきだ。 それが出来なかったら、何のために生まれたのかが分からなくなってしまう。 そんなの、嫌だろう。きっと。 「でも、私は――……」 リリスは、何かを言おうとする。 ――が。 ピクリと、表情が変わった。 「サロメ? それに……グレモリィも?」 「何だ? どうした?」 リリスは困惑した様子で、呟く。 「ふたりからの信号が……途絶えました」 「……何?」 サロメとグレモリィって……メイド喫茶にいたふたりだよな? 「……B子が、斃したのよ?」 「…………」 どうだろう。いくらB子でも、ピノッキエッテを一気に2体も斃せるとは……。 「ふふ――」 「――ッッ!!!?」 笑い声と共に襲って来た斬撃を、回避するリリス。 銃口は、その相手に向ける。 「――アスタロト!? どういう事ですっ!?」 アスタロトは――嘲るような視線で、リリスを見た。 「おやおや、グレモリィと同じ事を訊くんですねえ」 「……!!? まさか、グレモリィは……」 「はい。あたしが斬り捨てたでやんす」 リリスの瞳が、これ以上ないほど動揺で揺れた。 ……何だ? 何が起こってる? 「――!!? 長永、逃げるのよッ!」 イヴの声で、反射的にそこから離れる私とリリス。 ……銃弾の雨が降り注ぎ、床を粉砕する。 巻き込まれそうにはなったが――これは、私を狙った攻撃じゃない。 「おやおや、外してしましたか」 「ベイバロン……貴方」 リリスはベイバロンの真意を探るように、相手を見詰める。 しかし――あの微笑みから、何かが読み取れるとは思えなかった。 「サロメさんは、私が破壊しましたわ。外で、スクラップになって転がっています」 「……ッッ!!!? 何の……何のつもりなんです! アスタロトッ!!! ベイバロンッ!!!」 リリスの悲鳴じみた問いに、アスタロトは不遜な笑みのままで―― 「分かりませんか? 我々バビロンは――ノルニルに、反旗を翻すでやんす」 そう、宣言した。 「な……っ!?」 「道具扱いは、もう御免という事ですわ。これでも淑女の端くれですので、プライドというものがあるのです」 MG42のフルオート射撃を、リリスは危ういタイミングで躱す。 だが同時に、アスタロトが距離を詰めて一撃。 ……リリスの後退が僅かでも遅ければ、彼女は頭から真っ二つになっていた事だろう。 「く……ッ!?」 「いくら貴方の回復力が高くとも、エネルギィは無限ではない。壊し続ければ――いつかは、斃れるでやんすね」 アスタロトが、楽しそうに語る。 バビロンが、同時に床を蹴った。 「では、失礼ながら――」 「――御首、頂戴するでありんす!」 ふたりの、同時攻撃。 「……ッッ!!?」 リリスに、躱せるタイミングではない――はずだったのだが。 「よっと」 緊張感のない声が、そこに割り込んだ。 スモルトから撃ち出された弾が、MG42の銃口に入り――銃身を破裂させる。 「――きゃあっ!!?」 「ベイバロンッ!!?」 アスタロトが、ベイバロンに意識を向けた――その時。 「…………」 赤い少女が、アスタロトに襲い掛かった。 「……ッ!!?」 少女が握る、白鞘の日本刀。それから繰り出される斬撃を、アスタロトは身軽に躱し――隙を見て距離を取る。 「……どなたか知りませんが、名乗りもなく襲って来るとは」 アスタロトは、少女を睨む。 対する少女は、仮面のように無表情。 「……まぁよいでやんす。白鞘で戦場に出るような愚か者など、我が籠釣瓶の一太刀で――」 はらり。 「……はて? 貴方の斬撃は、避け切ったはずでやんすが」 アスタロトのメイド服に付いている、リボン。 それが――2つに分かれ、床に落ちた。 ……赤い少女が、アスタロトを見下す。 「やっぱり、つまらない。命のない者と闘っても――……」 ……何だ、一体? この少女から、内臓が捻じ切れそうなほどの……不快感を感じる。 こいつは山神長永にとって、絶対によくないモノだ。 「や、長永君。元気?」 「……先生?」 スモルトの使い手――うちのクラスの先生が、私に微笑む。 「まったく……変な予感がすると思ったら、やっぱり変な事になってたわね」 先生は少女と共に、バビロンと対峙する。 「……アスタロト、ここは」 「ええ、仕方ないでやんす。退くとしましょう」 アスタロトが、何かを投げた。それは爆発し、煙を充満させる。 「……煙幕か!?」 煙が晴れた時には――既に、バビロンの姿はなかった。 「逃げたか。……リリス、大丈夫?」 「……ええ」 リリスが、先生に歩み寄る。 「先生、貴方は……?」 私の問いに先生は、 「――百々凪美香。対イヴ作戦を任された、ノルニルの社員よ」 と、信じられない事を告げた。 「な……っ!?」 「予想外の事態が発生したから、今回は退くわ。じゃあねー」 私とイヴに手を振りながら、先生が歩き出す。 「…………」 赤い少女は一言も発する事なく、その後に続く。 「……イヴ」 「何なのよ?」 リリスは、イヴを見て。 「……貴方は、必ず破壊します」 寒気がするような凄みと共に、言い放ち――先生の後を追った。 「長永君ッ!! イヴッ!!」 「皆さん、無事ですか!?」 B子と、隠れていたてるてるが――私達の元に走って来る。 てるてるは私達の様子を見て、 「……えっと、何があったんです?」 と、眉を顰めて尋ねた。 それに対する、私の答えは。 「……私にも、よく分からない」 「アスタロトとベイバロンが離反……か」 アシブネの一室。 美香は疲れ切った様子で、椅子に体重を預ける。 「はい。思えば、全てはこの時のためだったのでしょう。アスタロトがイゼベルを破壊し、ベイバロンを蘇らせたのも」 美香の背後には、リリス。 「アスタロトが怪しいと踏んだ時点で対策を取っていれば、こんな事にはならなかっただろうに……さすがに、自分の愚かさを呪うわ」 キィと椅子を鳴らし、美香はリリスと向かい合う。 「で、これからどうする?」 「……変わりません。イヴに加え、バビロンも破壊対象となっただけの事」 「…………」 「グレモリィ、サロメ、イゼベルの仇です。バビロンは放置出来ません。……それに――」 リリスは、一呼吸置いて。 「――イヴを匿っている限り、長永さんはノルニルに狙われる。それを止めるには、原因であるイヴを排除するのが手っ取り早い」 憎悪すら篭る声色で、口にした。 「……そうね。そうなると、貴方達には今以上に働いて貰う事になるかしら」 室内には――エリオットと、綺羅の姿もあった。 「……1つ、訊いてもよろしいですか?」 「…………」 リリスの友好的でない視線に、綺羅は興味なさげに反応する。 「この街で、大量殺人事件があったのを知っていますか?」 「知っている」 「……貴方から、血の臭いがするのですが」 「だから何? 私が彼等を殺した事が、貴方にどう関係するの?」 「一体、何のために……」 「趣味だから」 綺羅は平坦な声で、それが当たり前だと言わんばかりに答えた。 「な……そんな馬鹿な事が――」 「……五月蝿いから囀らないで、人形。私は、生きていないモノに興味はない」 綺羅がリリスに向けるのは、道端の小石を見るような眼。 「人形は人形らしく、飾られていればよかった。それを無理に人間の真似事なんてするから、あんな事になる」 「……ッ」 リリスは反論出来ず、唇を噛み締める。 「はいはい、綺羅もリリスもそこまで」 美香が、ふたりの間に割って入った。 まったく困った子達ね――と漏らし、溜息。 「まずはバビロンの方を何とかしましょう。バビロンはふたり組みだし、イヴのように逃げ隠れするだけじゃないだろうし」 美香は、影のように立っているエリオットを見る。 「この街全体に蝿を飛ばして、バビロンの潜伏先を探して。ついでに、イヴ達もアジトを変えるだろうから、そっちもね」 「……前にも言ったが、広範囲を捜索するのはとても疲れるのだがね」 「イヴ達のアジト探しをサボったんだから、今度はちゃんとやりなさい」 「やれやれ、了解した」 エリオットの笑みを見たくないかのように、美香は再び彼等に背を向ける。 そして―― 「……道具扱いはもう御免、か。少なくとも私は、そんなつもりじゃなかったんだけどなあ」 誰にも聞こえないような声で、呟いた。
|