「暑いわねー……」 星丘市某所。美香はぐでーっと床に寝ながら、呟いた。 「……リリス」 「何でしょうか?」 「重大な任務があるわ」 重大な任務、という言葉に顔を引き締めるリリス。 ……でもそんなに大した話ではないんでしょうね、と内心では悟り切っているが。 「アイス買って来て。釣りは返さなくてもいいから」 「…………」 50円玉を、リリスに放る美香。 「……それくらい、自分で行ってください。貴方は私達を、都合よく動くメイドか何かだと勘違いしてませんか?」 「え? メイドじゃなかったら何なの?」 美香は、リリスの格好を見る。 ――メイド服。どうしようもなく、メイド服。 「……分かりました。100歩譲ってメイド扱いを認めるにしても、何故私なのですか。他にも暇なのはいるでしょう」 色々、言葉を並べるリリス。要は、こんな暑い日にパシリなんぞしたくはないのである。 「だってアスタロトは腹黒いから買い物なんて任せたくないし、グレモリィとサロメはバイト行ってるし、イゼベルは部屋の隅っこで1人コックリさんやってて話しかけても答え返って来ないし」 「…………」 「よって、残るは貴方のみ。ま、頑張って。自分の分も買っていいから」 「……50円で、一体どうしろと」 リリスは仕方なくそれを握り締め、美香に背を向ける。 「あ、ちゃんと着替えてってね。その格好、とんでもなく目立つわよ」 「……分かってます」 「ならよろしい。……っとイゼベル、そろそろ止めなさい。これ以上心霊現象は勘弁なのよ、私」
「くそ……ッ!」 私は、握り締めた己の拳を見る。 悔しい。こんなにも、悔しい事はない。きっと勝てると信じて、この拳を振るった。 なのに――私は、無残にも敗れたのだ。 拳が震える。私の拳では相手に勝てない。それが、この世界の法であるが故に。 何か、何かないのか。この状況を逆転させる方法は。 拳で掌に勝利する、究極の裏技はないのか――ッッ!!!? 「そんなもんある訳ないのよ。いいからアイス買って来るのよ」 ……ちぇっ。 「ぐわ……ッ」 外に出た途端、直射日光によってHP半減。 ……ジャンケンに敗北した私は、アイス補給部隊の隊長を任される事になったのだ。ありがとよ、クソッタレども。 私は最後まで、『帰りに尾行される可能性がある』と外に出る危険性を説明したのだが、B子は『まぁ、いいんじゃない?』の一言で切って捨てた。何がいいんだ。 ……どうやらこの暑さは、プロの工作員の頭ですら鈍らせるらしい。 「はぁー……」 とっとと近くのコンビニ行って、全員分のアイスを買って来なければ。 ……待てよ? もしかして、金は全て私の財布から出るのか? 「えーっと……」 コンビニで、適当にアイスを選ぶ。 私のは1番高いヤツで……皆のヤツは1番安いヤツにしよう。 私が、アイスに手を伸ばした時。 「あ」 同じアイスに伸ばされた手と、触れ合ってしまった。 「っと、すみません――」 私達はまったく同時に言いながら、相手を見る。 ……私と同じくらいの歳の、女の子だった。だが美少女レヴェルで言うと、私が知ってるどんな女の子よりも高い。 いや、そんな事より。この娘―― 「……?」 向こうは『あれ? どこかで見たような顔ですね』ってな感じの表情をした後、 「……ッ!!?」 次は、『あ、貴方はまさかっ!!?』みたいな表情に変わった。 ……何なんだ、一体。 「なぁ、お前――」 「で、では失礼します」 そそくさと会計に向かって行く、女の子。 ……あの。取ろうとしていたアイス、持って行ってないんだけど。 「仕方ない」 私は1つアイスを余計に取ると、レジに進む。 「ありがとうございましたー」 コンビニから出、さっきの女の子を探す。 あ、いた。 「おーい!」 「……!? な、何ですか?」 何か警戒されてる。 「忘れ物。さっき取ろうとしてたアイス」 私はアイスを1つ、自分の袋から相手の袋に移す。 「あ……すみません。代金を――」 「いいって。私は山神長永っていうんだが、お前の名前は?」 「……名前? リ……り、りり子です」 「りり子? 変わった名前だな」 B子よりはマシな気もするけど。 「じゃあ、りり子。1つ訊きたい事があるんだ」 「……何でしょうか?」 警戒度アップ。何故? 「お前さ、もしかして人間じゃない?」 「……なッッ!!!?」 驚くりり子。際限なく上がる警戒値。 「あー、いきなり変な事訊いてすまん。何となく、お前からそんな感じがしたもんで」 生き物が嫌いだから、生物と無生物の違いが何となく分かる。 こいつを見た時――てるてるやイヴと初めて会った時みたいな、不思議な感覚がしたのだ。 「そ、そんな訳ないではないですか。私はれっきとした人間です」 「……ふーむ、そうか」 じゃあ、りり子は何か特別な人間なのか? ……って、あれ? 「およ……?」 ふらりと、倒れそうになる私。 「――!? 大丈夫ですか?」 「ああ、この暑さにやられたっぽい」 おのれ、ヒート・アイランド現象め。 「なら……どこか、冷房の利いた店に」 りり子が周囲を見回す。 近くには、一軒のメイド喫茶。 ……マテ。 ――メイド喫茶『ノルン』。 「お帰りなさいませ、御主人様」 そこには、バイトに励むふたりの文化女中器いた。 グレモリィと、サロメである。 ふたりは完璧な立ち振る舞いで、メイドをこなしてゆく。伊達にメイド服を着ている訳ではないのだ。 ……内心はどうあれ。 「しかし、最近お客が増えたわよね」 「そりゃあ、あたしがバイトに入ったからっすよ」 サロメの頭に、グレモリィが一撃。 「ああ……何でこんな奴とバイトなんだろう。姉様とだったら、どんなに幸せな事か……」 「…………」 「やっ、姉様そんな……でも私、姉様にだったら……」 脳内妄想を暴走させるグレモリィに、呆れるサロメ。 「正気に戻るっす」 サロメは、斜め45度の角度で叩く。壊れた機械は、こうすれば大体直る。 「――っ、何よサロメ。折角もう少しで姉様と――」 その時。 ガーっと、自動ドアが開いた。 「お帰りなさいませ、御主人様」 一瞬にして営業スマイルに戻り、応対するふたり。兵士より、こちらの方が天職かも知れない。 入って来た、客は。 ノルンに、入った途端。 「――――」 りり子が、完全に硬直した。そして何故か、出迎えたメイド達も。 「……?」 状況が理解出来ない私。しばらく、3人をキョロキョロと見ていると。 「……姉様が」 メイドのひとりが、震えながら呟く。 そして―― 「嫌ぁぁぁぁぁッッ!!! 私の姉様が、男連れでメイド喫茶ぁぁぁぁぁぁぁッッ!!!!」 泣きながら絶叫しつつ、店の奥へと走り去っていった。 「ちょ、待、落ち着くっすよ――っ!!!」 それを追い駆けて行く、もう1人のメイド。 「……知り合いか?」 りり子に尋ねる。 「……ええ、まぁ」 彼女からは、歯切れの悪い答えが返って来た。 ……なるほど。どこの誰にでも、周囲に知られたくない知人はいるもんなんだな。 空いている席に座る、私達。 「どうぞ、御主人様」 まだ何も注文してないのに――飲み物が、テーブルに置かれた。 ……1つの大きな入れ物にストローが2本入っている、アレなジュース。 持って来たのは、さっきのメイド。正気だった方だ。 「……これは?」 「カップル限定のサーヴィスっすよ。……メイド喫茶ってカップルで来る所じゃないっすから、出たのはこの店の歴史上初めてっすけど」 「な――だ、誰がカップルですかっ」 「男女2人組みを、世間一般ではカップルと言うっす。まったく……あたし達が働いてる中、イチャイチャとデートしてるとは」 「デ、デート!? だから、違うと言ってるでしょう!」 「はいはい。ま、後でどういう事なのかちゃんと説明するっすよ?」 「……分かっています。大きな声では言えませんが、重大な任務の最中なんですよ私は」 「はぁ……ま、とにかくごゆっくり」 メイドが、去って行く。 「……んむぅ〜」 喉も渇いていたので、自分側のストローに口を付ける私。 ぷはー、果汁が五臓六腑に染み渡るゼ。 「……っ」 りり子はしばらく落ち着かない様子でもぞもぞした後、 「……後で覚えておきなさい」 あのメイドに向かって、呟いた。 そして、自分側のストローに口を付ける。 ……む。何だろうね、このピンク・ムードは。 周囲の客から、怨嗟の視線。さっき言われた通り、メイド喫茶って男女2人組みで来る所じゃないからな。 「……しかしさすがに、タダのジュースだけでは居心地が悪い。他にも何か頼むか」 「そうですね」 2人一緒に、ストローから口を離す。 私はBLTサンド。りり子は、スパゲティにスープ。昼食も兼ねてるんだろうか。 「お待たせしましたっす」 しばらくの待つと、注文した品が運ばれて来る。 サンドをムシャムシャ。眼前では、りり子が上品に食事をしている。 「……あ」 だが突然、りり子はそんな声を漏らした。 「どした?」 「……ストロー、どちらでしたっけ?」 「む?」 例のジュースを見る。 2本のストローはそれぞれ勝手な方向を向いていて、どっちか使っていた方だか分からなくなっていた。 「あ、分かりました。私はこちら――」 「別にどっちでもいいさ」 私は、1本を自分側に寄せる。 「……え?」 りり子の眼が点になった。何故に。 まぁ折角なので、そのストローでジュースを飲む。 「……本当に、後で覚えてなさい」 りり子は心なしか顔を赤くしながら――ゆっくりと、もう一方のストローを口に含む。 「……山神さん」 「ん? 何だ?」 「ただの、世間話として聞いてください。ロボットは――人間に、どこまで近付けると思いますか?」 ……? 「何で急にそんな事を?」 「あ、いえ……昨日のテレヴィ番組で、そんな特集をやっていたので」 「ふーん……」 ロボットは、人間にどこまで近付けるか。 それなら―― 「いや、限界なんてないだろう。いずれ、人間同然になる」 少し前ならまた別の意見が出ただろうが……私はもう、イヴと出会ってしまっているのだ。 「なら――ロボットがロボットとしての意義を持ったまま、人間と対等になる事は?」 「それは無理だな。三原則を例に出すまでもなく、ロボットは道具に過ぎない」 「……そうですね。所詮――」 「ま、私としては対等な方がいいんだけど」 「え?」 りり子が、不思議そうな眼で私を見る。 「こう見えても立派な社会不適合者でね。私は人間も含めて、生き物って奴が大っ嫌いなんだ。だから、無生物が人間と対等になってくれると気分的にいい」 「生き物が嫌い……何故です?」 「……さぁ? 人間、1つくらいは理由もなく嫌いなモノがあるだろうし」 りり子は難しい顔をしながら、私に言う。 「……例えそのロボットが、人間を真似て受け答えをするだけの哲学的ゾンビであっても?」 「構わん。どうせ、確かめる術はないしな。さらに言えばロボットに限らず、私以外の生き物全てが哲学的ゾンビかも知れないんだから」 「…………」 「『我思う、故に我あり』。世界の全てが虚偽だろうと、虚偽ではないかと疑っている自分だけは確かに存在している。逆に言えば、自分が証明出来るのは自分だけという事」 私は、サンドを食べ終わる。 「私はここにいる。それを、声高々と世界に叫ぶ事が出来る。だけど――お前は、そこにいるのか?」 「それは――」 「私が見ているのは光の反射が生み出したお前の姿であって、お前自身じゃない。『りり子』という物自体じゃないんだ」 ストローを咥え、ジュースを啜る私。 「孤独だね、何となく」 「…………」 りり子が、フォークを置いた。 「……私はここに存在しています。しかし貴方には、この言葉の真偽を確かめる事は出来ません」 姿も声も、幻なのかも知れないから。 「それでも言います。私は、確かに存在しています」 「……そっか」 だが――例え幻であっても、今の言葉から私が感じた温かいものは本物だ。なら、きっと価値はあるだろう。 「今日は、ありがとうございました」 「……ん? ああ、どういたしまして」 感謝されるほどの事をした覚えはないが。 りり子が、席を立った。店から去って行く。 「…………」 ふと思う。 ……もしかして、支払い私? 「ぐあ……」 どうしようもないので、私は2人分を支払い――店を出た。 しかも、アイス温かくなってるし。こりゃ帰るまでには完全に溶けるな。 ……買い直しか? 「…………」 私は野良猫と戯れながら、途方に暮れる。 ……財布がスッカラカンだぜ、ヒャッホウ。 ――星丘市、某所。 「で、リリスは私の可愛い長永君とデートしてた訳ね? グレモリィが寝込んでるのは、それを目撃したせい――と」 「そうなんすよー」 コメカミをヒクヒクさせながら話を聞いている美香と、ニヤニヤしながら昼の出来事を話すサロメ。 「……あれはデートではないと、何度言えば」 顔を赤くて俯きながら、リリスは主張する。 「デートじゃないのなら、何だって言うのよ?」 「それは……ちょ、調査です」 「調査?」 「はい。さり気なく、彼の荷物に発信機を仕込んで置きました。彼等の根城を突き止められるはずです」 「お!? やったわねリリス。よろしい、デートの事はそれでチャラにして上げるわ」 「だ、だからデートでは……」 握り締められたリリスの拳が、プルプルと震えていた。 「で、発信機の位置は?」 「……既に、アスタロトとイゼベルを向かわせています」 「ふむ」 「……あの、美香さん」 リリスは言い辛そうに、口にする。 「ん?」 「襲撃の際には、イヴのみならず彼女を護る者達とも交戦する事になるでしょう。ですが、その、彼だけは――」 「……あー、分かってるって。リリスの愛しい彼を傷付けたりはしないから」 「い、愛しいとは何ですかっ。そういうのとは違うと言ってるでしょう!」 「顔真っ赤にして何言ってるんだか」 美香は、窓の外を見た。 「さて、アスタロト達はどうなってるかしらね」 「……? どういう意味です?」 「ああいう男の子は、一筋縄ではいかないものよ。素直に根城を教えてくれるかしら?」 「にゃー」 とある、路地裏。 「やられたでやんすね」 「……く」 アスタロトとイゼベルの前には、発信機を付けられた野良猫が1匹。 「今頃あいつ等、猫を見付けたかな」 「――? 長永、何か言ったのよ?」 「いや、何も」 発信機を付ける時、引っ掻かれた手の甲を見る。やっぱり生き物は嫌いだ、絶滅しろ。 皆がアイスを食べてる中、私はジュースとドライアイスを混ぜて作った簡易シャーベット。いや、自分のアイスを買い直す金銭的余裕がなかったのだよ。 「うぅ……」 一匙が〜冷たい甘い〜矛盾が愉快〜……。 「それにしても長永さん、随分と時間がかかりましたね?」 てるてるが、アイスを供えられながら私を見る。 「そうだね。まさか……」 B子が、怪しむ眼を私に向けた。 「メイド喫茶で、女の子とデートとか?」 「――ぶっ!!?」 思わず、シャーベットを噴く私。 「な、何だそれは!!? どこから流れて来た情報だ、ソースは何だッ!!?」 くっ、さすがはCIA……ッッ!!!! 「……え? いや、適当に言っただけなんだけど……何でそんなに必死なの?」 「…………」 おぉ、見事過ぎて涙が出るほどの墓穴掘削。 「まさか、ホントにメイド喫茶でデートなのよ?」 「……そんな訳あるか。一体どこの誰が、メイド喫茶なんぞでデートするんだ」 常識の槍でイヴを攻撃。 「いきなりとんでもない話が出て来たから、驚いただけ。暑さにやられて日陰で休憩してたら、思いの他時間が過ぎたんだよ」 「……ま、そういう事にしといて上げるのよ」 何だ、その上から見た言い方は。 「…………」 シャーベットを、口に入れる。 りり子――多分、リリス。あいつとはいずれ、また会う事になるだろう。 ……さて、どうなるかな。
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