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「ふぅ……良く寝た、っと」 快眠し、3日の疲れを吹っ飛ばした俺。 それを、瑞枝が呆れた眼で見詰める。 「どうして、ダンボールでそんなにぐっすり眠れるんですか……？」 「元路上生活者舐めんな。んで、車椅子は大丈夫か？」 「あ、はい。ばっちりです」 「そうか。修行の方もバッチリみたいだし、準備万端だな」 「え？ 確かに、修行もばっちりですけど……何故匠哉さんがそれを？」 「踊るフランス人から聞いた。じゃあどうする、今すぐにでも神社を攻めるのか？」 「そうですね……撫子さん、構いませんか？」 振り返り、壁に凭れている撫子に声を掛ける。 彼女は、 「ああ」 と一言答え、手を振った。 お……何か、静かな気合を感じるな。 「――なら、早速往きましょうか。今日、私達は桃生を攻め落とします」
「そろそろ、来るかな」 神社の境内で、恋々は心底嬉しそうに呟く。 ザワリ、と木々が騒いた。鳥や蟲は、とっくに逃げ去っている。 ……しかし。1匹だけ、逃げ遅れた蝉がいた。 「何故あの時、師匠は瑞枝を殺すなと私を止めたのか――当時は分からなかったけど、今なら分かる」 恋々が、その剛脚を振るう。 パン――と、蝉の足が千切れ飛んだ。 木を掴めなくなり、地に落ちる。必死に空に逃げようとするが―― 「――どんなに技を極めようと、それを使うに値する相手がいなければ意味がない」 今度は、翅をもがれた。 まるで外科医のメスのように、恋々の足が蝉を解体する。内臓を傷付けずに生かしたまま、昆虫の外皮を剥ぎ取ってゆく。 「私は武人として、何て幸せなんだろう。……身体が痛いなあ、まったく」 丸裸になった蝉を、一蹴り。 まるでその命には意味がないと断ずるように、身体を粉砕する。 「……無駄に殺気立つな。修行が足りんぞ」 鳥居を潜り、境内に現れる剣司。 その顔には、不服と呆れが入り混じっていた。 「熊でも相手に稽古しようと思っていたが、1匹残らずお前の殺気で震え上がっている。これでは話にならん」 「あはは、ゴメンゴメン。でも今更、熊なんて相手にしたって稽古にならないでしょ。宇宙怪獣とかじゃないと」 「……まあな」 笑う恋々と、渋々ながらも肯定する剣司。 強いというのも、退屈なのだ。 ――しかし。 「来てくれるよ。私達と並ぶ、武闘家が」 「……だといいが。お前の敵はともかく、私の敵はな……」 「大丈夫、あの子も強いって。誰の妹だと思ってるの？」 いつものように、子供っぽく笑う恋々。 だが――その下では昔のように泣いている事を、剣司は知っている。 「そうだった。私が死合を楽しめるかどうかなど、至極どうでもいい。お前が、望みを果たす事さえ出来れば」 「……ねえ、剣司。そんなに、苦しまなくてもいいんだよ？ ほら、私は元気だから」 「何を言っている。苦しんでいるのは、お前の方だろう」 「……はぁ。ま、いいけど……瑞枝以外の足止め、お願いね」 「ああ、蟻の子1匹とて通さん」 剣司は、山道へと下りて行く。 その背が見えなくなるまで、恋々は彼を見送った。 「……凄いですね、これ。登りでもすいすい進めます」 山道を進んでいると、瑞枝がそんな事を言った。 やっぱ、カナはさすがだな。 「剣司さんと闘った時、これがあったら……」 「オイ瑞枝、言っとくが――」 「分かってますよ。剣司さんの相手は、撫子さんに譲ります。私も、恋々さんと闘う前に消耗したくはありませんからね」 瑞枝対恋々、撫子対剣司……か。 恋々と剣司――どちらも、比類なき猛者だ。簡単には攻略出来まい。 ま、猛者なのはこいつ等も同じだけどな。 ……山道を、進む。 山の、奥へ奥へと入っているはずなのに――少しずつ、生命の気配が感じられなくなってゆく。 ……その代わり。得体の知れぬ感覚が、俺を包んで不安にさせる。 「――……」 突如、瑞枝と撫子が進攻を止めた。 理由を問おうとする俺だったが――すぐに自分自身の眼で、その理由を知る。 「――待ち草臥れたぞ、お前達」 山道に立ち塞がるは、無双の剣豪。 刀を携えた浅倉剣司が、俺達を待ち構えていた。 「剣司……！」 「全員纏めて相手をする――と言いたい所だが、そういう訳にもいかん」 剣司が、道の脇に身を退かした。 何だ？ 通してくれるのか？ 「往け、鳳仙院瑞枝。リーダーが待っている」 ……成る程、瑞枝限定かよ。 一瞬だけ、逡巡する瑞枝。しかし―― 「……先に往きます」 彼女は、先に進み出した。 剣司の横を通り抜け、木々の向こうに消えて行く。 「瑞枝――」 思わず追おうとする、俺。 この先で待っているモノと、1人で対峙させてはならない気がしたのだ。 ……だが、剣司がそれを許すはずもなく。 「キェェエアアアアアッッ!!!!」 衝撃波と化した猿叫で、俺を押し戻す――！ 「ぎゃああああああっっ!!!?」 山道を、ゴロゴロと転がり落ちる。 危うく崖から放り出される所だったが――その前に、撫子に足を掴まれた。 「クソ、いきなり足引っ張ってんじゃねえよ……ッ！」 むしろ、足を引っ張られてるのは俺の方だけどね。 そういう冗談を言える空気ではないので、言葉にはしなかったが。 「さて……と。何日か振りだな、クソ兄貴」 「……愚妹め。のこのこ斬られに現れるとは、余程死にたいと見える」 鞘から、波平行安を抜く。 ……鋭利な剣気が俺を襲い、思わず倒れそうになる。 「せめてもの慈悲だ。苦しまぬように殺してやろう」 蜻蛉の構えを取る、剣司。瑞枝と闘った時とは違い、峰を向ける様子がない。 本気で、撫子を斬り捨てるつもりなのだ。シスコン侍と呼ばれた、あの剣司が。 「己の罪を言い訳するためなら、肉親をも斬る……か。いやはや、御立派だねえ」 「……何とでも言え。生来、愚か者の身……リーダーのために剣を振るうしか、罪を償う術を知らん」 「オイオイ、武術舐めてんじゃねえぞ。そんな心構えで戦に出るような奴なんて、使い物にならねえよ。師の程度も知れるってモンだなぁッ!!」 「貴様――」 「ハハハハ、図星突かれて怒ってやがる。情けねえなぁ、お兄ちゃん！」 「――……」 剣司は、さらに禍々しい殺気を浴びせて来る。 それを受けながらも、余裕綽々で構える撫子。 「フェアバーン・システム――浅倉撫子！ 殲滅開始ッ!!」 「示現流兵法、浅倉剣司ッ！ 先刻の愚弄、その首で贖え……ッ!!」 「――……」 瑞枝は1人、山を登って行く。 もはや、周囲に生き物の気配はない。山中とは静かなものだが、この静寂は常軌を逸している。 「……まぁ、逃げ出したくなる気持ちも分かりますけどね……」 山上より降り注ぐ、濃密な闘気。とても人間の気配だとは思えない。 野生動物は、天敵の殺気を本能的に感じる。ならば、逃げ出すのも当然だ。 ……どんな生き物とて、わざわざ狩られたくはないのだから。 「どう生きたら、人間はあんな風になってしまうのですか……？」 誰かに、問い掛ける。 無論、答えを返してくれる誰かなどいない。 自分自身の拳で、それを知るしかないのだ。 ――鳥居を、潜る。 ここより奥は、常人の領域ではない。 「――待っていたよ、瑞枝」 そして。 拝殿の前で、瑞枝を待ち構える武術家が1人。 いつもと同じ、場違いな制服姿。しかしその違和感さえも、今はただ恐ろしい。 「く……っ！」 思わず、怯む瑞枝。 向こうで闘った達人等のような、凄まじい威圧を感じたのだ。 ……神社を包む木々は、まるで逃げたいかのように外へと曲がっている。 何から逃げようとしているのかなど、この場に立てば明らかだ。 「――初めは、変貌を抑えるために過ぎなかった」 「…………」 「けれど私は、それに取り憑かれ――武道を進む事に、言葉には出来ない歓喜を感じるようになった。貴方にも分かるでしょ？」 「ええ……」 「私の師は偉大だ。貴方を生かしてくれた、それが何よりも素晴らしい！ あの時に私が貴方を殺していたら、今日この時、この歓喜の瞬間は来なかったッ!!」 「そうですね……あの人は凄い。しかしいずれは、私が彼女を倒しますけどね」 「ははは、無理だよ。何故ならK・デーヴィ・グルッカルは、もう死んじゃってるのです」 「……それは。とてもとても、残念な事です」 「でも、落ち込まないで……貴方には、私がいるから」 「――……」 「さぁ、いざ血闘をッ!! そして、血着を付けようッ!!!」 言葉を交わすのは、終わった。 あとは、拳と脚を交わすのみだ。 「鳳仙院流空手道場、一番弟子――鳳仙院瑞枝ッッ!!! 最強の看板、返して頂きますッッ!!!!」 「カラリパヤット、デーヴィ・カーラーが一番弟子――長砂恋々ッッ!!! その挑戦、亡き師に代わり受け仕るッッ!!!!」 死闘の幕が上がる。 だが――どちらも、構える様子はなかった。 撫子と闘った際に、流彗が取った戦法と同じだ。無為自然の状態で、相手を待ち構える。 構えとは、『特定の動き』を完璧に行うための姿勢。剣司の――示現流の蜻蛉で言えば、刀を全力で振り下ろす事がそれだ。 しかし、良い事ばかりではない。つまり、構えれば『特定の動き』を読まれてしまうのである。 故に。瑞枝と恋々は、己の武闘から構えを排除した。 自然体――無構えのまま、2人は少しずつ近付いて行く。 ――そして。 「フ……ッッ!!!!」 両者の攻撃が、交錯した。 ぶつかり合う、拳と脚。火花が散るかのような激突だ。 数合した後――恋々の蹴りが、瑞枝の頬を打つ。 「ははは！ どう、瑞枝――」 が、しかし。 瑞枝は両手で、蹴りの力を逸らす。ベクトルを曲げられた脚は―― 「く……ッ!!?」 恋々自身の頭に、ヒットする事となった。 ――相打ち。ひとまず、間合いを開く2人。 「身体が柔らかいのも、考え物ですね？」 「……いいよいいよ。いいよ、貴方――私と、この私と闘えてるッ!!!」 哄笑を上げながら、瑞枝へと突っ込んで行く恋々。 蹴りが、放たれる。手刀で防御しようとする瑞枝だったが―― 「――『蛇足蹴』ッッ!!!!」 止めたはずの足が、間接の可動方向とは反対側にしなり――防御の内側に回り込む。 そして、 「ぐ――ッッ!!!?」 瑞枝の側頭部を、蹴り付けた。 「い、いくら何でも柔らか過ぎます……!! 骨がないんですか、貴方はッ!!」 「一応あるけど……蛇神の血を引いてるらしいし、カラリヨーガで身体を柔軟にしてるからねー」 恋々の、上段回し蹴り。 上体を下げて、空振らせる瑞枝だったが―― 「――やぁ♪」 恋々は蹴り足の膝を曲げ、踵で瑞枝の後頭部を急襲した。 「……ッ!!」 咄嗟に、手で頭を護る瑞枝。 ……喰らっていたら、今の一撃で終わっていたかも知れない。 「でも――掴んだッ!!!」 瑞枝は後頭部を襲った蹴り足を、受け止めた掌でしっかり捕まえていた。 これで、恋々は片足立ちだ。御得意の蹴りはもう使えない。 そのはず、だったが―― 「ほいっと」 「――がッッ!!!?」 恋々は何と、もう片方の足で瑞枝の顎を蹴り上げた。 ……地に下ろしていた足を振り上げて蹴り、身体が落ちる前に再び下ろしたのだ。 空中戦を得意とし、鳥神と呼ばれる恋々である。その程度は造作もない。 「この……ッ!!」 至近距離の恋々に、瑞枝は正拳突きを連打する。 しかし、半袖から伸びた2本の腕が――拳を滑らせ、突きを逸らしてしまった。 「な――油を塗ってある訳でもないのに……!?」 「日々のオイル・マッサージで、私のお肌はツルツルスベスベ。カラリパヤットは、美容健康にも効果的デス♪」 もう1度、蹴り上げる恋々。 だが、さすがに同じ攻撃は通じない。顎を蹴られる前に、手で受け止める瑞枝。 両足を掴まれた恋々は、身体が地面に落下する前に両手で立つ。 ……後頭部で止められている足と、顎で止められている足。 恋々は、両足で瑞枝の頭を挟み付ける。逆立ちで持ち上げ、一気に地面へと落とす。 「ぐぅぁああッッ!!!? この私を、軽々と持ち上げるなんて……ッッ!!!?」 「ははは――例えどれだけ重くとも、私の膂力の前では羽と同じだッ！」 跳躍する恋々。 倒れている瑞枝に、上方からの蹴りが降り注ぐ。 「……ッ!!」 瑞枝は、鍛え上げた腕力で跳ね起きた。 ――間一髪。恋々の蹴りは、瑞枝ではなく地面を砕く。 彼女は車椅子を後退させ、恋々と距離を取った。追って来る様子はない。 ……瑞枝は、口の中で呟く。 「強い――どうしようもなく、強い……！」 ――凍てる空気。 互いに名乗りを上げてから、早数分。撫子と剣司は、睨み合いを続けていた。 相撲では、両者の呼吸が合った時に闘いが始まる。無論撫子が待っているのはそれではなく、ただ自分にとって都合のいい呼吸だ。 対して――不動のまま、蜻蛉の構えで待つ剣司。瑞枝と闘った時と同じく、相手の攻撃を待つ後の先戦術なのだろう。 「――……」 ……まったく、見てる方の身にもなって欲しい。 息が詰まりそうだ。本当に、この場にいると呼吸すら躊躇われる。 「なぁ、クソ兄貴」 静寂を壊し、撫子が口を開く。 心理戦でも、仕掛けるつもりなのだろうか？ 「テメェは、オレには勝てねえよ」 「…………」 剣司の答えはない。 それに構わず、撫子は喋り続ける。 「自分のために闘うのもいい。恋々のために闘うのもいい。だがな――恋々のためだと言いつつ、自分の罪を誤魔化すために闘うのは最悪だ。気持ち悪ぃよ」 「……戯言を」 「ほぅら、反論した。戯言だと思うのなら、オレの言う事なんて無視すりゃいいだろうが」 「……ッ」 「メンタル弱えよな……ま、当然か。過去の失敗を悔いて、ずっと引き摺っているような男だもんな」 「当然だ、私のせいであいつは――！」 「余計な世話だろ、恋々に取っては。失敗したのはテメェだけじゃない、恋々だってそうだ。なのにテメェが引き摺ってるから、傍にいる恋々もアレを過去の事だと割り切れないんだ」 ……何の話なのだろう。 恋々と剣司の間には、何かあったのだろうか。 「……黙れッ!!」 「クソ兄貴――テメェは、恋々を怪物に変えちまった。それはいいさ、昔の事だ。でもオレがどうしても気に入らんのは、テメェのせいで今もその怪物が育ってるって事だ。どこにでもいる、ただの少女に戻れずにな」 「だが、リーダーは……もう、怪物としてでしか闘えないッ!! 己を護る事が出来ないッ!!!」 「ふざけてんのかテメェはッ!! 恋々が闘えなくなったら、テメェがその分まで闘えばいいだろうがッ!! 何のためにいるんだよ、テメェはッ!!?」 「……もういい、言い合いは飽いた……来い、撫子ッ!!!」 「舐めやがって――その曇った刃で、オレを斬れると思ってんのか……ッッ!!!!」 撫子が、地を蹴った。 山道を、猛スピードで駆け登る。 「――キェェエアアアアッッ!!!!」 迎え撃つ、大音量の猿叫。 俺は地面に伏せ、どうにか直撃を防ぐ。 撫子は―― 「はァァ……ッ!!」 猿叫を受けながらもそれを物ともせず、一直線に突撃する――！ そして遂に、剣司の間合いへと踏み込んだ。 「アアアアアアアアアアアアッッ!!!!」 振り下ろされる、雲耀の斬撃。 力と速さを兼ね備えた、恐るべき一の太刀。 ――しかし。 「遅え――ッ!!!」 いかなる秘技なのか、撫子はそれを躱したのだ――！ 「――うらァァッッ!!!!」 剣司の顎を下から打つ、撫子の変形掌底。 だが――急所を打たれても、剣司は倒れない。首に渾身の力を込め、撫子の掌底を受け止めたのだ。 くそッ！ 相変わらず、常識外れの男だな……！ 「まさか、避けるとはな……だが、この身は折れんッ!!」 ……まずい！ いくら示現流が一の太刀での必殺を重視しているとは言っても、二の太刀をまったく考慮していない訳ではあるまい。 撫子は攻撃を防がれ、詰まってしまっている。そこに、二の太刀を受けたら真っ二つだ。 発勁は――ダメか。撫子の発勁法は、時間が掛かり過ぎる。そのせいで、恋々には返し技を喰らったのだ。 撫子……！ どうにか、どうにかしろ……ッ！ 「――終わりだ、撫子ッ!!!」 「終わるのはテメェだ、この馬鹿野郎が――ッ!!!」 ……ッ!!? 撫子が、足を振り上げた。膝蹴りだ。 しかし――その対象は剣司ではなく、撫子自身の肘。 「『チンジャブ・カタパルター』……ッッ!!!!」 膝蹴りが腕を押し上げ、腕力に脚力がプラスされる。 その総力は掌底から剣司の顎へと伝わり、彼の脳を打ち抜く――！ 「――が、ぁぁ……ッッ!!!?」 あの剣司が、吹き飛んだ。 反動で、撫子も山道を転がり落ちるが――どちらの方が痛手かなど、見るも明らかだ。 「……っと！」 落ちて行きそうになった撫子を、しっかりとキャッチ。 ふぅ。ちょっとは役に立ったな、俺。 「す、済まん……」 「さっきの礼だ。それより、剣司は……？」 見上げると――倒れたまま動かない、剣司の姿が。 ……ありゃ、気を失ってるな。 死んだ振りかとも思ったが、そういう事をする奴ではあるまい。ロニィとは違って。 「勝ったのか……あの、浅倉剣司に」 「ああ、オレの勝ちだ……痛ッ!?」 突如、顔を顰める撫子。 その時、気付いた。受け止めた俺の手に、血がべったりと付いている。 ……撫子の肩には、一筋の刀傷があった。 「おい、これ――!?」 「騒ぐんじゃねえ。腐っても、示現流の初太刀……完璧に躱すのは、無理だって事だ」 撫子は座り込むと、服のポケットから針を取り出す。 ツインテイルから、毛を1本抜き――それを針に通し、肩の傷を縫合し始める。 「な、慣れてるな……」 「ああ。この程度、何の問題でもねえよ」 「じゃあ……良かったら、聞かせてくれ。どうしてお前、雲耀の太刀を回避出来たんだ？」 雲耀――雲が耀く間。 地に落ちる稲妻の如き打ち込みを、撫子はどうやって避けたのか。この眼で見ていたのに、まったく分からなかった。 「身長差だ」 「……身長差？」 「ああ。クソ兄貴は背が高いが、オレは背が低い。それが、第一の要因だ」 「背の高さが違うと、どうなるって――あ、まさか！」 「大上段に刀を構える、蜻蛉から出せる斬撃は――袈裟か唐竹くらいだ。上から下に斬るっつう、『特定の動き』しか出来ねえ」 「上方から振り下ろす訳だから、身長が低い相手には刃の到達が遅くなる……！」 「それに、あの立ち位置。クソ兄貴が山道の上でオレが下ってのは、その身長差をさらに広げる事になるだろ。さすがに、それじゃあ剣速は雲耀にはならねえよ」 瑞枝と闘った時には有利に働いた、上の位置。 しかしそれが、今回は剣司の首を絞めたのだ。 「第二の要因。オレが、千刃会で御桜清麗と闘った事だ」 「…………」 「いくら武器への恐怖を克服していても、やっぱり達人の斬撃は恐え。でもオレは清麗の居合を見たおかげで、クソ兄貴の剣を恐れずに済んだ」 「成る程、経験値か。1度経験した事は、『未知』ではなくなるからな。落ち着いて対処出来るって訳だ」 「……次に、第三の要因」 まだあるのか。 撫子は一呼吸置いた後、口を開いた。 「……クソ兄貴が、迷っていた事だ。オレの言葉に、心の弱い部分を刺されてな」 「そう言えば……色々言ってたな、お前」 「本当は、自分が間違っている事に気付いてるんだ。だから揺らいで、自分が敗ける可能性を考えちまった」 「――……」 「己の勝利を、己の剣を疑った。『一の太刀を疑わず』――流派の理念を裏切った者に、勝利なんて在り得ねえ」 そういうものなのか、武道ってのは。 まぁ、自分の武器の性能を信じなきゃ勝てないわな。それが己で鍛え上げたものなら、尚更。 「にしても、勝算があったとはいえ……随分と危険な真似をしたもんだ」 「Who Dares Wins――挑戦する者が勝利する。うちの教官が、いつも言ってた」 止血をして、包帯を巻く撫子。 肩を押さえながら、立ち上がろうとする。 「痛……ッ!!」 「おい、無理すんな！」 「五月蝿え、黙れ。上では、あの2人の闘いが行われてるんだぞ……格闘家として、見逃せるかっての……ッ！」 「そんな事言ったって、歩くのもやっとの状態だろうが……！」 剣司の猿叫を1発受けた上に、さらに斬られたのだ。 長く続いた睨み合いも、見た目以上に体力を使ったと思う。撫子はヘロヘロなのだ。 「ああもう、仕方ねえな」 「……ッ!!?」 撫子の身体を、抱えて持ち上げる俺。 要は、お姫様抱っこだ。 「なっ、止めろ馬鹿ッ!!!」 「今のお前のペースじゃ、神社に着く前に闘いが終わっちまう」 走り始める。 剣司の横を抜け、山を登って行く。 「この、降ろせッ!! 殺す、テメェ殺すッ!!」 「殺す殺す言うだけじゃ、人間は死にません。殺したければその拳を使え。ま、俺が死んだら間に合わんが」 「うぅ……ッ!!!」 「――ちゃんと掴まってろ。少し、急ぐ」 太い木の幹に、足を掛けた。 そのまま、一気に木を駆け上がる――！ 「なぁぁッッ!!? に、忍者かテメェッッ!!!?」 「暴れるな。落っこちたらどうすんだ」 足場の木を蹴り、別の木へと飛び移った。 その調子で、ぴょんぴょん移動してゆく。 丈夫そうな枝に両足を掛け、ぐるんぐるんと回転。遠心力で、勢いを付ける。 飛び――地面に着地。衝撃を推進力に変換し、猛スピードで鳥居を通り抜けた。 「……おい、撫子？ 無事かー？」 「あ、ああ当たり前だのクラッカー、こ、この程度でオレが動じる、わ、訳が……」 かなり動じてやがる。 そんなに恐かったのか。自分じゃ、良く分からん。 「……凄ぇな」 「ああ……」 撫子の呟きに、同意した。 まだ2人の姿は見えていないのに、物凄い圧力を感じる。血液が沸騰しそうだ。 撫子を降ろし、境内に入り――俺達は、それを目撃する事となった。 「キェェエエエイッッ!!!!」 「あっはははははははは――♪」 手刀、拳槌、掌底、正拳――次々と、瑞枝は打撃を放つ。 しかし恋々は、それ等を全て蹴り弾いてしまう……！ 「く――ッ!!」 苦しそうな表情で、正拳を振るう瑞枝。 恋々は跳躍してその拳を足場にし、瑞枝の顔面を蹴り飛ばす――！ 「ほらほらほらぁッ!!!」 着地した恋々が、拳や脚を打ち出した。 後退し、逃れようとした瑞枝だったが―― 「――ぐ、ッあ!!!?」 全ての攻撃が、瑞枝の身体に入ってしまった。 ……当たる距離ではないと、俺は思った。瑞枝もそうだろう。 しかし柔軟な肉体が生み出すしなやかな攻撃は、瑞枝の見切りを遥かに越えたのだ……！ 「見たか！ ヨーガって、本当に手足が伸びるんだよッ！」 そしてこの激闘の中でも、冗談じみた台詞を口にする恋々。 手足が伸びた訳じゃなく、身体の長さを間合いに足しただけだが……瑞枝からは、そう見えるかも知れない。 ……恋々の奴、まったく余裕を失っていないな。 「くッ、この……ッ！」 襲い来る拳や脚を、手刀で逸らす瑞枝。 その隙に、反撃しようとするが―― 「キェェエエエアアアアア――ッッ!!!!」 恋々の大声によって、間合いから吹っ飛ばされてしまった。 と言うか、またこれかよ……っ!!? 「ぐ、ぅ……い、今のは、剣司さんの猿叫……？ 何故、恋々さんが使えるんですッ!?」 「私、物真似が得意なんだ。技の修行ってのは、師を動きを真似る事から始めるからね。私が撫子ちゃんの発勁法を真似た事、聞いてない？」 「そういう事を尋ねているのではありませんッ！ その技は剣司さんの人間離れした横隔膜があって、初めて可能になるはず――」 「言ったでしょ、カラリパヤットは健康にいいって。私、身体の中も鍛え上げてるんだよ……勿論、横隔膜もね」 ……何て女だ。 もしかして……恋々に使えない技は、ない？ 「――『穿頭一本貫手』！」 「な――ッ!!?」 文字通りの必殺技を放たれ、慌てて避ける瑞枝。 ……いつ、あれを見たんだ？ この山で熊を退治した時、どこからか見ていたのか……あるいは、かつての道場破りの時か。 あの技の威力は、瑞枝が1番良く知っているのだろう。彼女は、掠りさえしないように回避した。 でも瑞枝……それはダメだ！ 避けの動きが大袈裟過ぎる！ 「『金剛突撃頭法』――♪」 「が、ぁぁあああああ……ッッ!!!?」 その隙に頭突きを打ち込まれ、突き飛ばされる瑞枝。 地面を転がりながらも、すぐに起き上がる。 「ぐ……ッ、『千手正拳突き』――ッ!!!」 拳の高速連打で、瑞枝は反撃に出た。 しかし―― 「――『千岐大蛇足蹴』ッッ!!!!」 恋々はそれを上回る蹴りの高速連打で、彼女を蹴り倒す――！ 「は……ぐ、あ……ッッ!!!?」 伏せる瑞枝。 ……今度は、さっきのようには起き上がらない。 追撃せんと、恋々が鞭のような蹴りを振るう――！ 「――瑞枝ッッ!!!!」 思わず、大声で呼び掛ける俺。 その言葉が、届いたのか―― 「――匠哉さんっ!!?」 瑞枝が、顔を上げた。 その動きが偶然にも頭突きとなり、恋々の蹴り足に命中する……！ 「――うぉぅっと!!?」 バランスを崩しながらも、跳躍して距離を取る恋々。 今、片足だけで何メートルもジャンプしたぞ……あの女。 「月見匠哉に撫子ちゃん……あーあ、来ちゃったか。という事は、剣司は敗けたんだね？」 「ああ。あんな雑魚キャラ、オレに掛かれば5秒で再起不能だ」 ……撫子……。 まぁ確かに、実際に闘ったのはそれくらいだろうけどさ。 「ふふ。撫子ちゃん、威勢はいいけど……ボロボロじゃない」 「……ッ」 「隠しても無駄。私は、一目で人間の状態を見抜ける。撫子ちゃんも知ってるでしょ？」 どういう眼力だよ。 カラリパヤットを極めて肉体の秘密を知ると、そんな事も出来るのか。 「……別に、オレの状態がどうだろうと関係ねえだろ」 「うん、まぁ。撫子ちゃんが、私の血闘を邪魔する事なんてないだろうし――」 と、その時。 「――キェエエイッッ!!!!」 撫子と話している恋々に、瑞枝が攻撃を仕掛ける――！ 話に気を取られていた、恋々は―― 「無駄デス♪」 眼を向ける事すらなく、瑞枝を蹴り飛ばした。 ……オイ。 「ダメだね瑞枝、今までの闘いで分からなかった？ 私には隙とか油断とか、そういうモノはない」 「……っ!!?」 「身体が痛むから――私は常に、地獄の只中にいる。気が緩むなんて事、あるはずがないんだよね」 ……？ 身体が痛む？ どういう事だ？ 「ふふ、瑞枝と匠哉が分かんないって顔してるし……少し、休憩時間にしようか」 「…………」 「初めはね、ただの演技だったの。私が痛い思いをしている時だけ、苛めっ子の剣司は私を助けてくれた。だからずっと、痛い振りをしていた」 ……苛めっ子の、剣司。 ならさっき、剣司と撫子が言い合っていたのは。 「しかし限度を超すと、偽りであっても表返る。いつからか私の身体は、本当に激痛に苛まれるようになってしまった――」 ……常に、痛みに責め立てられる肉体。 正直、分からない。想像すら出来ないのだ。 「剣司は私を苛めた事を悔いて、今も苦しんでいる。でも、そんな事はどうだっていいのに……この身体だって、悪いモノじゃないんだから」 「――……」 「漫画とかであるでしょ、痛みで正気を保つってヤツ。この激痛のおかげで私の意識は冴え渡り、数々の技を寸分の狂いなく操る事が出来る」 ……それは。 尻に火が点いて、猛スピードで走ってるのと同じじゃないのか。いずれは、炎に呑み込まれる。 「痛みで、研ぎ澄まされた心。最強の師より授かりし技。鍛え上げた、蛇神の血を引く体。まさしく怪物！ 私に勝る武術家なんて、この世には存在しない……ッ!!」 「……貴方は、それでいいんですかッ!?」 瑞枝は車椅子を走らせ、間合いを詰める。 正拳を放つ。恋々は足を振り上げ、靴底でそれを受け止めた。 「貴方と剣司さんは、今はもう仲間なんでしょう!? なのにどうして、2人とも互いの事で苦しみ続けているんです……ッ!?」 「私の身体が痛むから、剣司は罪を悔いて苦しむ。剣司が苦しみ続けているから、私は己の愚行を忘れられず――幻痛を過去のモノに出来ない。だから、永遠に続く……そう、永遠に廻るの」 「そんなの……ッッ!!!」 「いいんだよ、それで。強くなるには、背中を押してくれる『何か』が必要だ。苦痛に急き立てられるからこそ、私達はここまで強くなれた」 「強くなって、どうするんですかッッ!!!?」 「決まってる、闘うんだよ。武闘こそが至福だもん。それに、私達には敵がいる。強くなければ生きてゆけない」 「生きてゆけない……？ そんな様で生き延びたって、何の意味もありません！ 何でもっと幸せになれないんですか、貴方達はッ!!?」 「……なら、私達は死ぬしかないのかもね。じゃあ先に逝って待っててよ、鳳仙院瑞枝ッッ!!!!」 凄惨に笑う、恋々。 瑞枝の顔は苦しそうだ。かなり追い詰められている。 だから―― 「瑞枝、諦めんなッ!!」 俺は、彼女に声を掛けた。 2人の決闘とはいえ、セコンドがアドヴァイスを飛ばすくらいは問題あるまい。 「そいつは、常に痛みを感じている――だから、本当の痛みが分からないはずだッ!!」 それ以上は、言えない。恋々も聞いているのだから。 瑞枝は、1度頷き――キッと、恋々を睨み付けた。 「……貴方の強さは、その痛みと同じく幻です。そんなモノで、私の――私達の拳を、砕く事など出来はしませんッッ!!!!」 止められている正拳に、力を込める瑞枝。 恋々が嘲笑う。 「ははは、私と押し合う気？ いくら貴方の腕力が脚力並みだとしても、足腰を使えないその身体じゃ――」 「――やぁぁぁッッ!!!!」 瑞枝は、ペダルを底まで踏み込んだ。 モーターのパワーが、恋々の身体を押し飛ばす……！ 「……なッ!!? たかが機械に、私が押し敗けた……ッ!!?」 「足なんて、飾りですッ!!」 よっしゃ、苦労して組んだ甲斐があるってもんだ！ 体勢を崩した恋々に、一撃ぶち込もうとする瑞枝。 だが―― 「――舐めるんじゃないッッ!!!!」 恋々は再び、軸足だけで上方に跳ぶ。瑞枝の攻撃を、跳び越えて回避。 ――そして。 「『千岐大蛇足蹴』……ッッ!!!!」 瑞枝に、蹴りの連打を振り下ろす……！ 「……通りません……ッ!!!」 瑞枝は背凭れを倒し、身体を反らした。 襲い来る千頭の蛇を、尽く肘でガードする――！ 「……チィッ!!!」 肘を蹴った反動を使い、瑞枝から距離を取る恋々。 着地。間合いを測り直し、再び瑞枝へと駆け寄った。 ――蹴りの嵐が、放たれる。 回避出来るスピードではない。さっきのように、肘で防御する瑞枝。 だが蹴り足は関節を無視するかのように曲がり、そのガードを通り抜ける……！ 「ははは、学習能力がないのッ!? さっきも同じ事したでしょッ!!」 矢継ぎ早に打ち出され、瑞枝に叩き込まれる蹴り。 恋々はその場で1回転し、蹴りに遠心力を乗せて―― 「――はぁぁッッ!!!!」 瑞枝に、喰らわせた。 肘での防御はしたが……受け切れず、瑞枝の身体が吹っ飛ぶ。 「あははは、そろそろトドメ――」 と、その時。 ――いきなり、恋々が転倒した。 「あ、あれ？ 私の、足が……？」 ……やっぱり、そうなったか。 瑞枝は身体を起こし、恋々に言う。 「……力に頼って、我武者羅に攻めるからですよ」 「ど、どういう事よッ!!?」 「木の矛で鉄の盾を突けば、砕けるのは矛の方です。貴方は、筋肉と筋肉の境目――骨が剥き出しとなっている肘に、あれだけ打ち込んだ。柔らかい足で硬い肘を打てば、そちらが砕けるのは当然でしょう」 「……ッッ!!!?」 「まぁ、リスクは高かったですけどね。下手をすれば、私は骨を折られる事になりますし」 「そ、そんな……！」 「普通は、余り通用しない戦法なんですよ。足が痛くなれば、普通は蹴りを止めますから。でも――常に痛みを感じている貴方は、足からの痛みに気が付かなかった」 ゆっくりと、瑞枝は恋々に近付いて行く。 そして―― 「――降伏しなさい。その足ではもう立てませんよ、立ち技使い」 はっきりと、恋々に告げた。 「……あ、ははは」 しかし。 それでも、恋々の闘志は静まらない。 「降伏？ この私が、そんな真似をすると思うか――ッッ!!!!」 恋々は人差し指で、己のコメカミを突いた。 メキメキと、危険な音を鳴らしながら――恋々が立ち上がる！ 「あははははははは――ッッ!!!!」 「な……ッッ!!!?」 恐るべき速さで打ち出される、恋々の拳と脚。 何だ、どうした!? いきなりスピードが増したし、この巨大なプレッシャーは……!? 「撫子、一体何がどうなったんだッ!!?」 「チッ、あの女――脳のリミッターを外しやがったッッ!!!!」 「リミッターって……身体を壊さないように、脳が筋肉の力を抑える機能の事かッ!!?」 「ああ。マルマン――カラリパヤットにおけるツボみたいなモンだが、それを指で突いて脳の機能を解除したんだよッ！」 「出来るのか、そんな事が……ッ!?」 「分からねえ、でもそうだとしか思えねえッ!! デーヴィ・カーラーは、他流派には伝わっていないマルマンの箇所を知っていたらしいが――ならば当然、恋々はそれを学んでいるはずだッ!!!」 「マジかよ……ッ!!」 「クソッ、あの馬鹿女ッ!!! このままだと自壊するぞッッ!!!!」 焦りつつ、戦場に視線を戻す。 瑞枝に向かい、疾走する恋々。飛び掛かり、両足で瑞枝の身体を挟む。 ――廻る。 恋々は空中で宙返りし、瑞枝を地面に叩き付けたのだ……！ 「あ……ぐ、ぁは……ッッ!!!?」 「吐ァ――Haaa――ァァ……ッッ!!!!」 何だ、今のは!? 1度も着地せずに、あの重い瑞枝を投げ落としたぞ……!? 「……やべえな。恋々の奴、変貌し掛かってる」 「何……ッ!?」 犬彦やマキのように、化物になろうとしている。武の道から離れ、鬼の道に入ろうとしている。 そんな事になったら、今度こそ瑞枝に勝ち目はない。 俺は瑞枝に、そいつを止めろと呼び掛けようとしたが―― 「……ッ」 一瞬、躊躇ってしまった。 瑞枝は、犬彦に引導を渡した。彼女は武人として、武人だった者にケジメを付けさせたのだ。 ……つまり。 恋々が変貌すれば、瑞枝は彼女を殺す事が出来る。道場と身体の仇である、恋々を。 しかし―― 「――キェェエエエイッッ!!!!」 瑞枝は恋々の変貌を待つ事なく、彼女を倒しに行く――！ 「……ァア――ッ!!」 恋々が、突如退いた。 リミッターを外され、彼女の全身を暴走するエネルギィが――右脚に凝集されてゆく。素人の俺にも、感じられる程に。 ――大技が、来る。 「『炎生竜王足蹴』ァァアアア……ッッ!!!!」 跳躍する、恋々。 勢いと重力により、魔の右脚はさらに殺傷力を増大させる。 絶望的な威力が込められた蹴りが、必殺せんと瑞枝に襲い掛かった……！ 「空手に先手なし……その真意、この一撃で知りなさいッッ!!!!」 瑞枝は蹴りを左掌で受け、その衝撃を身体の中に通す。 そしてそれを右の正拳突きに乗せ、恋々へと打ち返した――！ 「――『引手返武正拳』ッッ!!!!」 「アぁ荒、グぁぁぁアアアAAAHHHHHHッッ!!!?」 ――まさしく、一撃必殺。 恋々は壁に激突したボールのように弾かれ、地面を跳ね回った。 侠女同士の死闘に、幕が下りる。 「――瑞枝っ!!!」 俺が駆け寄ると、瑞枝は疲れ切った笑顔を向けた。 おぉ、ボロボロだな。 「し、死ぬかと思いました……」 「でもまぁ、勝ったじゃないか」 「本当に大変なのは、これからですけどね。取り戻した看板、護らないといけませんから」 「恋々も、リヴェンジに来るかもな」 「そ、そんな恐ろしい事を考えさせないでくださいよ……」 ……恋々、か。 俺は、倒れて動かない彼女を見る。 「なぁ、瑞枝。一応訊くんだけど」 「はい？」 「お前どうして、恋々を殺さなかったんだ？ あいつが変貌すれば、お前は奴を殺せたんだろ？」 「……確かに、そうかも知れませんね。でも私は、決闘を殺人の言い訳にしたくはありませんから」 「決闘っていうのは、普通敗けた方は死ぬものなんだがな……ま、お前の言ってる事は分かる」 闘いに――殺し合いという不純物が混じる事を、瑞枝は良しとしなかったのだ。 ……この辺りが、戦闘狂と殺人狂の違いか。 「それに、とある達人は言いました。最強の技は、殺しに来た敵と友達になる事だと。ならば私は最強を目指す者として、恋々さんを殺す訳にはいきません」 「何だお前、恋々と友達になる気なのか」 「いや……さすがに、それは無理でしょうけどね……」 あはは、と苦笑いする瑞枝。 ま、修行中の身だしな。そんなに上手くはいかないか。 ……将来的には、どうなるか知らんけど。 「オイ、お前等。友達になるとかならないとか以前に、こいつは明日の朝日を拝めんのか？」 動かない恋々を木の枝で突きながら、撫子が言う。 確かに今の恋々からは、生きている感じがしないんだが。 「う……不殺活人の技とはいえ、ボロボロの恋々さんに本気で打ち込みましたからね」 「つーかさ。いくら技の理念が不殺活人でも、殺人技を跳ね返したんだから殺したのと同じじゃねえの？」 「――そ、そう言われればっ!!? ど、どうしましょう匠哉さんっ!!?」 あわわわ、と慌てふためく瑞枝。 ええい、世話が焼ける！ 「撫子、治療を頼む！」 「むしろ治療されたいのはこっちだ。そろそろ限界だぞ、オレ」 コロリンと、撫子が地面に倒れた。 ぎゃあ!? む、無理するからそうなるんだよッ！ 「た、匠哉さん〜」 「くっ！ こうなったら、俺が抱えて山を走り下りるしかないか……!?」 しかし、瀕死の人間を運ぶのは難しい。急げば衝撃を与えてしまうし、かと言ってスピードを落とすと間に合わないかも知れない。 それに、撫子もヤバそうだ。撫子か恋々か、どちらを先に運ぶのか決めなければならない。ああ、そう言えば下では剣司も倒れてるぅ！ ……こうやって考えてる時間が、1番無駄か。 俺が、行動に移そうとした時―― 「……ッッ!!!?」 ヘリのローター音が、遠くで響いた。 近付いて来る、轟音。 「リンクス……撫子が乗って来た、あれか」 神社の上で、滞空するリンクス。 側面の扉が開き、人が飛び降りて来る。クルクルと華麗に回転し、境内に着地した。 頭から。 「ふふふ……ヒーローは、忘れた頃にやって来るってね！」 うん、ホントに忘れてた……。 ――で。 リンクスによって負傷者は病院に搬送され、全員が治療を受ける事になった。 ……恋々だけは、まだ意識が戻っていないが。 「ったく……あいつ等、手を出すなと言っといたのに」 病院のベッドの上で、愚痴る撫子。 リンクスと共にやって来た、部隊のメンバーに対してだろう。そう言えば、ヘリの中でも言い争ってたな。 英語は分からないが、あれはきっと、 『テメェ等、手出し無用っつったろうがッ!!』 『堪忍してくだせえ、御嬢』 『そうですぜ。もし御嬢の身に何かあったら、あっし等はおやっさんに殴り殺されちまう』 とまぁ、こんな感じだったんじゃないかと思う。 そんな撫子を見ながら、ふふふと笑う瑞枝。この病室は、瑞枝と撫子の2人部屋なのだ。 「しかし、今回は疲れました……その分、良い事もありましたけど」 瑞枝は身体を反らし、背筋を伸ばす。 そして、見舞いの俺を見る。 「匠哉さんも、疲れましたか？」 「ん……まぁね。とは言っても、いつもの事だと言えばそれまでだが」 「い、いつもの事ですか……」 呆れ笑いが、俺に向けられる。 ……ふむ。せっかくだし、入院の暇潰しに俺の半生でも話してやるか。 と、その時―― 「やぁ皆、元気かい？」 ノックと共に病室のドアが開かれ、ロニィが入って来た。 奴は、頭に絆創膏を貼っている。さすがに、ヘリから飛び降りて頭で着地するのは無理があったのだろう。 馬鹿だ。真正の馬鹿だ。 「よお、ロニィ。何か、色々世話になったな」 「気にしなくていいよ。不審者の群れを入院させるために行った裏工作の費用とか、全っ然気にしなくていい」 「…………」 嫌な奴だ。 つーか、裏工作って。 「なぁロニィ、お前何者？ 事は終わったんだし、そろそろネタ晴らしの時間だろ」 「いや、僕の仕事は続く訳だから、ネタ晴らしの時間とかないんだけど……んー、まいっか」 ロニィは、ポケットから手帳を取り出した。 開き、俺達に見せる。そこには、写真とパーソナル・データが載っていた。 「――IEO特別捜査官、小鳥遊ロナウド。任務は、蛇神荒吐の血族を監視する事だよ」 「ふーん、IEOか」 「……あれ？ ねえ匠哉、もうちょっと驚いてくれてもいいんじゃない？」 「そう言われても……こういう怪事件で暗躍するのは、その手の連中だろうとは思ってたし」 「な、何だか納得出来ないなぁ……」 「となると、お前が例の村の出身だってのは嘘なのか？ 桃生に潜入するための」 「出身というのは嘘だよ。でも、あの村の末裔ではある。母方の祖先が、村の出身者なんだ」 「じゃあ、カポエイラは父方の人間から習ったのか？ 名前からすると、そっち系の血を引いてるみたいだし」 「そう。武術は、父方の祖父が教えてくれた。彼がブラジル人でね――僕はクォーターさ」 「にゃるほどなー」 とりあえず謎が解けて、満足な俺。 ロニィは俺を見ながら、ニヤニヤと笑う。 「しっかし飛娘達から聞いてはいたけど、ホントにすぐ怪事に巻き込まれるんだねえ」 「……うっさいなぁ。どうせ、俺は運の悪い人間ですよ」 「何言ってるんだい。これだけ厄介事に遭遇してもまだ生きてるっていうのは、かなりの運がある証拠じゃないか。自分の祖神に感謝しなよ、月の眷属」 2人で盛り上がる、俺達。 それを、じーっと見詰める女性陣。 「オイ、勝手に分かり合ってんじゃねえぞ。オレにも分かるように喋れ」 「そうですよ、結局ロニィさんは何者なんですか？ IEOって何なんです？」 うーん、一般人の反応。 ちょっとだけ、懐かしくなる。昔は俺も、そういう世界にいたはずなのだ。 「International Exorcism Organization――国際祓魔機構。魍魎鬼神の類が起こす怪事を、調査・解決するための地下組織だよ。桃生みたいな混ざり者や、邪教集団が起こす事件も含まれるね」 「……はぁん。だからテメェは、桃生に潜り込んでたって訳だ」 「そんなに警戒しなくてもいいよ、撫子。悪い事しない限り、僕達は危害を加えないからさ。東京やローマの連中とは違って」 恐い顔した撫子を、宥めるロニィ。 ……っと、そう言えば。 「おいロニィ、その東京のコスプレ集団――皇居陰陽寮はどうした？ 手負いの桃生が纏めて入院してるんだから、攻め込んで来るんじゃないかと思うんだが」 「言ったでしょ、君がいる限り手出しはしないって。それに、皇居陰陽寮東北支部を壊滅寸前まで追い込んどいたからね。こちらにまで手は回らないでしょ」 「……壊滅寸前？」 「そこがミソさ。立て直しのための資金や人員を使わせる事によって、より相手を追い込める。完全に壊滅させたら、すっぱりと切り捨てられるだけだから」 「いや、それは分かってる。そんな事を、お前1人でやったのか？」 「2人だよ。雇われ業の居合使いに、協力して貰った。思ってたよりは楽だったよ。蝦夷鎮撫の遠征軍とはいえ、結局は京から左遷された有象無象だしね」 「――……」 いいのか、それは。 メンバーがやったとバレれば、皇居陰陽寮はIEOを潰そうとするぞ。さすがに、まともに戦争になったら勝てまい。 ……仲間のために無茶やってるなぁ、こいつ。 「とは言っても、立て直されたらちょっと厄介。さすがに、また潰しに行く訳にもいかないし……その頃には、匠哉もこの地から離れている。連中にとって、何の憂いもない」 「だろうな。何か手は？」 「うん。とりあえず、桃生のメンバーは全員逮捕しようと思う」 ほへ？ 「なッ、危害は加えねえんじゃなかったのかよッ!!?」 「加えないよ。とりあえず、逮捕した事にするんだ。恋々はあのデーヴィ・カーラーの弟子で、君達はその仲間だ。罪状は何とでも出来る。と言うか、既に準備中」 「――……」 「それで、皇居陰陽寮は手出しが出来なくなるんだよ。逮捕されている人間を殺したら、それは征討ではなくただの殺戮だ。そんな事をしでかせば、皇居陰陽寮はIEOから――いや、裏社会全体から非難される事になる」 はぁ、成る程。 狡賢いな、ロニィ。闘い方と一緒か。 「恋々と剣司にも、伝えておきたいんだけど……彼女が、まだ眼を醒まさないからね」 ロニィは、部屋の壁を見た。 その向こうには、あの2人の病室がある。 「――……」 剣司は波平行安で林檎の皮を剥きながら、隣のベッドで眠る恋々を見た。 ……彼女が眼を醒ましたら、彼は覚悟を決めねばならない。 もうこれ以上、剣司は恋々とは一緒にいられないのだ。撫子如きに敗れた――剣司は己が間違えている事を、この刃に教えられた。 剣司の存在は、恋々に取って枷にしかならない。彼女を地に縛り付ける、枷に。 「――きゃああああッ!!? も、もう英国式カレーに浮気しないから見逃してくださいよぉぉッッ!!!!」 「な、何だ……ッッ!!!?」 奇想天外な叫びと共に、恋々が飛び起きた。 かなり錯乱している。 「あ、あわわわ……ッ!!!」 「落ち着け、恋々！ ここは安全だから！」 「……あれ？ 剣司？」 きょろきょろと、周囲を見回す。 ようやく、状況を把握し――溜息をついた。 「病院……そっか。私、瑞枝に敗けたんだ」 「ああ。で、さっきのは何だ？」 一呼吸置く、恋々。 そして、口を開いた。 「私ね、一本道の舗装道路にいたの」 「……道路？」 「その道路の先には、白線が引いてあって――それが生死の境界なんだと、何となく理解した」 「――……」 「もういいか、と思ってね。私、その白線を踏み越えようとした。そろそろ、一眠りしたかったから」 「恋々……」 「で、ね。その時、白線の向こうで手招きしてる師匠の姿が見えてね」 「……は？」 「全速力で、現世へと逃げ帰って来たッ!! あの人と付き合うのは、生きてる間だけで充分ですからッ!!! いやマジでッッ!!!」 「……世にも恐ろしい生還理由だな……」 ふぅ、と息をついて。 剣司は、話を切り出した。 「恋々。これからは、別々に生きよう」 「……剣司？」 「私が傍にいる限り、お前は苦しむ。下らない甘えで、私はお前の隣に居続けたが――もう、終わりにしなければ」 「――……」 「お前は、蛇ではなく鳥だ。だから私になど縛られず、地より飛び立て」 しばらく、恋々は何も答えなかった。 それが済むと――彼女も覚悟を決めたように、剣司を見詰める。 「……そうだね。このままでいいと思ってたけど、瑞枝に敗けたって事はダメなんだろうね」 「――……」 「いつまでも、低い場所にはいられない。もっと上、さらなる高みを目指して――飛んで行かなきゃならないんだ」 そして、恋々は微笑んだ。 「――だから剣司、一緒に行こう？ 貴方も地を這うのを止めて、一緒に空を飛ぼうよ」 「匠哉さん、これからどうするんですか？」 皆と共に退院した瑞枝は、俺の部屋に来ていた。 まぁ退院などと言っても、『治す所がないからさっさと出て行きなさい』ってな感じだったが。本当にバケモンじみてるな、こいつ等の回復力。 「ん、家に帰るよ」 「……え？ でも、もう1度逢いたい人とやらを捜しに来たんじゃ……？」 「それは来年に持ち越しだ。何、生きてる間にはどうにかするさ」 「そうですか……では、匠哉さん。別れの前に、1つ私のお願いを聞いてくれますか？」 「何だ？ お前には世話になったし、1つと言わず聞いてやるぞ。ただし、金銭的な上限は18円な」 「じゃあ、そのまま動かないでください――」 瑞枝の両手が、俺の頬を包んだ。 近付く、俺達の顔。瑞枝の唇が、俺の唇に重なろうとする。 と、その時。 「瑞枝、ここか？ この後の事について、話があるんだ……が……」 撫子が、部屋に入って来た。 彼女は無言で、踵を返す。しかし―― 「な・で・し・こ・さぁ〜ん？」 ガシッと、瑞枝が撫子を捕まえた。 笑う瑞枝。しかし、眼だけは笑っていない。 「うぉ、放――」 「他人の部屋に入る時は、ノックくらいした方がいいと思いますよ？」 俺の前に、撫子が引き摺られて来る。 もう、何が何だか。 「匠哉さん、撫子さんにオシオキしてやってください！ レヴェル2……いや、5くらいで！」 「え？ まぁいいけど」 「オイッ!? ちょ、止め……ふぁ、んぅんっ!!?」 で、一騒動終わって。 「クソ……この屈辱は、死んでも忘れねえからな……ッ!!」 撫子は服を正しながら、修羅の形相で俺を睨み付ける。 眼を逸らし、瑞枝に話を逸らす俺。 「で、俺は帰るけど。お前はこれからどうすんだ？」 「道場破りを続ける予定です。空手発祥の地――沖縄から始めて青森まで来た訳ですから、次は北海道ですね」 「へぇ……撫子の方は？」 「まだ決まってねえ。まぁとりあえず、住む家を探さねえとな」 「そっか……」 と言う事は、皆バラバラになるんだな。 名残惜しいが、仕方あるまい。出会いがあれば、別れもあるのが当然だ。 「匠哉さん」 「――ん？」 瑞枝からの呼び掛けで、彼女を見た時。 2つの唇が、重なった。 「さっきは邪魔されましたけど、これで望みを果たせました」 「――……」 「では匠哉さん、お元気で。またいずれ、お会いましょう」 「あ、ああ……元気でな」 リュックを背負い、俺は部屋から出て行く。 匠哉が、部屋から去った後。 2人の少女は、互いを見て密談する。 「……瑞枝。お前、ホントに北海道に行く気か？」 「まぁ、北海道行きは予定ですしね。それが途中で変更になっても、不思議な事ではありません」 「だよなあ。さて、オレが住む所だが……出来れば、腕が鈍らない場所がいい」 「それなら、知っていますか？ この日本には、星丘市という街があるんです。イースト・エリアというスラム街が存在し、その影響を受けて街そのものが無法地帯に近いとか」 「ああ、知ってる。確かに、腕利き揃いの街はいいかもな……しかし偶然にも、匠哉の口から聞いた事のある名前だ」 「そうですね、世の中は不思議です。私達が次の目的地に定めた星丘市が、偶然にも匠哉さんの住んでいる所だなんて」 ふふふ、と微笑みあう。 ……乙女の笑みと呼ぶには、余りにも豪気であった。 「……ん？」 ブルリと、身体が震えた。 旅館から炎天下に出たのに、今の寒気は一体？ 「旅館の冷房で、身体が冷えたか……？」 首を傾げつつも、駅に向かって歩く。 「……しかし、今年の夏も暑かったな」 でも、違う暑さだった。 去年までは、ただ暑苦しいだけだったが――今年は、血が熱くなる夏だった。 「ま、それなりに貴重な体験だったか」 俺はこの夏の経験を思い返しながら、道を進む。 『またいずれ、お会いましょう』――その意味を深く考えずに、星丘市への帰路につく。
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