――それは幼き瑞枝にとって、悪夢のような出来事だった。 蹴り倒され、畳の上で動かなくなっている門下生達。どう見ても、あれは生きていない。 ……発端は1人の女が弟子を連れ、鳳仙院流空手道場に現れた事だ。 浅黒い肌をし、腰と胸元に衣を巻いただけの、エキゾティックな女。弟子の方は、普通の日本人少女だったが。 弟子は女の通訳を務め、道場破りに来たと語る。 瑞枝は、別にどうとも思わなかった。最強の看板を狙って訪れる道場破りなど、今までに何人もいた。 そしてその者達は、1人残らず返り討ちにされたのである。瑞枝の父である道場師範は、武術界において武人の王と呼ばれ、恐れられている男なのだ。 だから、その女も同じ運命を辿るだろうと――瑞枝は信じて疑わなかった。 ……なのに。 結果はこの、屍山血河である。 生き残っているのは師範と、皆に護られていた瑞枝だけ。 「ぬぅらぁぁあああッッ!!!!」 「――、――、――」 放たれる、師範の剛拳。 瑞枝が受ければ粉々になってしまうであろうその突きも、女には通じない。 女の身体には、全身に油が塗られている。それが拳を滑らせ、逸らしているのだ。 ……だが、攻撃が滑ってしまうのは向こうも同じ。 そう思っていた、瑞枝だったのだが―― 「――、――、――」 「……ぬ、ぐッッ!!!?」 敵の攻撃は、精確に師範の芯を捉えていた。 とは言え、女の蹴りは肉体によって止められる。鍛え上げられた鋼の身体、蹴り1発では揺るがない。 ……そう、1発ならば。 女は上半身を畳に付けて下半身を持ち上げると、もう一方の足でも蹴りを打ち込んだ。 「ぁ……あッッ!!!?」 しかしそれでも、倒れない。 師範は畳に寝ている女に、下段蹴りを放つ。 が、当たらない。女は手の力で跳躍して蹴りを躱し―― 「――、――、――」 足の指で、師範の額を突いた。 突いたと言っても、『穿頭一本貫手』のように頭蓋を打ち抜いた訳ではない。 それどころか皮膚も傷付けておらず、無論出血もない。ただ触れただけ――少なくとも、瑞枝にはそうとしか見えなかった。 にも関わらず―― 「……瑞、枝。逃げ――」 師範は呼吸と心拍を止められ、その場に崩れ落ちた。 ……指1本で体内のエネルギィの流れを阻害し、彼を死に至らしめたのだ。 この瞬間より、武人の王の称号は――この女、デーヴィ・カーラーのものとなる。 「――……」 瑞枝は怒りも悲しみも通り越して、ただ呆然としていた。 眼前で起こった事が、信じられない。瑞枝は自分の父にして師が、この世で1番強いと信じていたのだ。 その男が、敵を前にして『逃げろ』と瑞枝に言った。そんなふざけた言葉を、吐かせてしまう程の使い手――。 「――、――、――」 「…………」 女の言葉を、熱心に聞く弟子の少女。 それで、瑞枝は気付いた。この凄惨な道場破りは、弟子に殺法を教える『修行』に過ぎないのだと。 「うわぁぁあああああッッ!!!!」 突撃する、瑞枝。 女には敵わない。ならばその技を受け継ぐ者だけでも斃さねばと、瑞枝は弟子の少女に向けて正拳を放つ。 が―― 「何それ? 遅ーい」 「……ッッ!!!?」 少女はひらりと舞い――拳を避けると同時に、瑞枝の頭上を跳び越える。 ……そして瑞枝の背中に、蹴りを一撃叩き込んだ。 数十分後。 放火により炎上する鳳仙院流空手道場から、消防隊によって瀕死の少女が救助された。 火傷も浅くはなかったが、それ以上に酷かったのは背中。脊椎が損傷しており、2度とまともに歩けない身体となっていた。 ……拳客・鳳仙院瑞枝と、鳥神・長砂恋々。 後に2人は東北の地で再び出遭い、死闘を演ずる事となる。
「――長砂、恋々――ッッ!!!!」 瑞枝は吹き飛ばされるかと思う程の叫びを上げながら、女子高生に向かって行く。 放たれる正拳突き。その衝撃で、大気が震える。 どうしたんだ瑞枝、いきなり―― 「あ、久し振り。元気してた?」 ……次の瞬間に起きた事は、俺の想像を超えていた。 女子高生は腕刀で貫手を逸らすと、瑞枝の頭に蹴りを打ち込む……! 「な……!?」 車椅子と合わせて100キロ以上ある瑞枝が、軽々と浮き上がって土手の下へと落ちて行く。 悲鳴はない。声を上げるために必要な『意識』というものが、今の瑞枝からは飛ばされてしまっている。 「クソ……ッ!!!」 構える撫子。 それを見て、女子高生は不思議そうな顔をした。 「何で撫子ちゃんが構えるの? あ、そっか……桃生から抜けたって、ロニィが言ってたっけ。どうでもいい事だから、つい忘れてた」 ……見る限りでは、普通の女子高生と変わらない。 なのに――この異様な、皮膚の上を蟲の群れが這うような悍ましい感覚は……。 「じゃあ組織の長として、裏切り者はやっつけとかないとねー」 「――死ねぇッッ!!!!」 女子高生の顎を狙い、変形掌底を放つ撫子。女子高生はそれを読んでいたのか、顎をガードする。 しかし撫子の方も、その防御を読んでいたらしい。 掌底の、軌道が変わる。手は顎ではなく、額を打った。 女子高生に、それが効いている様子はないが――狙いは、ここからなのだろう。 「哈ァァ……ッ!!」 ――発勁。 押し付けた掌から頭の中に勁力を叩き込み、昏倒させるつもりなのだ。 地を踏み締める、撫子。 ……そして何故か、それと同じ動きを行う女子高生。 強く踏み込めば踏み込むほど、大地が跳ね返して来るエネルギィも大きくなる。 その力を、女子高生は全身の動きで増強し―― 「呀ぁ――♪」 額から打ち出し、撫子を吹き飛ばす……! ……地面を転がる、撫子。こちらも悲鳴はない。 「同じ技……だと?」 唖然としながら、呟く俺。 その独り言に、律儀にも女子高生は反応した。 「うん。私のカラリパヤットは少林拳の源流といわれてるから、中国拳法の技術は取り入れ易いんじゃないかと思って。体内のエネルギィの流れ――気については、うちの師匠も教えてくれたし」 「…………」 「と言う訳で、撫子ちゃんの発勁法を真似してみました。何か、思ってたよりも簡単だったね」 ……真似。 猿真似で、あの威力かよ。 「――……ッ」 ……どうする? するべき事は、ここから逃げる事だ。あの女子高生は、指1本で俺を殺せそうだし。 ……しかし、さすがに2人も抱えて逃げるのは無理だ。 悩んでいる時間はない。意識を失わせた以上、あとはトドメを刺すだけ―― 「そんなに恐がらなくても。いつもだったら殺しておくんだけど、今は流彗を殺したばかりだからね。メンド臭いから、このまま帰るよ」 「……何だ? 見逃すのか?」 今、流彗を殺したと言ったな。 まぁ、あんな奴の事など何でもいい。 「因縁の再会が、こんな終わり方ってのも詰まんないしね。次はもうちょっと、マシなバトルが出来るよう稽古して来て」 てくてくと、軽い足取りで去って行く女子高生。 助かった……のか。 「――……」 思わず、その場で尻餅をつく俺。 拭ってみると、汗がべっとりと付いていた。無論、暑さのせいではない。 ……っと、そんな事してる場合じゃねえ。 瑞枝と撫子の、呼吸と脈拍をチェック。どうやら、命に別状はなさそうだが。 とりあえず鉄橋の下の日陰まで運び、そこで寝せてやる事にする。上着を脱いで、枕代わりに。 地面じゃ寝辛いだろうが、寝辛ければ早く眼を醒ますかも知れない。俺の心情的にもその方が良い。 ……後は、車椅子をチェック。うわ、車輪がイカれてやがる。 「――……」 2人とも、本当に眼を醒ますんだろうな? 『死んでいない=無事』ではない。このまま寝続けるようなら、マジで病院―― 「んぅ……っ」 ……お? 「撫子、気が付いたのか!?」 「痛……一体、何がどうなって……そうか、オレはあの女に敗けたのか」 「……身体は無事か?」 「あいつの勁は、オレの勁で出来る限り相殺した……身体を壊される程の威力じゃねえよ」 「そうか……」 「瑞枝は、まだ寝てんのか。頭蹴られた上に、土手から落ちたからな……ま、こいつの頑丈さならそれくらい問題ねえだろ」 「お前がそう言うのなら……大丈夫か。撫子、瑞枝を旅館に運ぶの手伝ってくれ。車椅子に乗せて行ければ1番良かったんだが、落ちたショックで車輪が御陀仏してる」 「……お前は瑞枝を、オレは車椅子を運ぶって事か。クソ、疲れてんのに扱き使いやがって……」 俺は、瑞枝を御姫様抱っこする。 撫子は壊れた後輪を浮かせ、前輪だけを付けて車椅子を押す。 「…………」 何故か、抱っこされている瑞枝を凝視する撫子。 その後、俺に視線を移動させる。 「……どしたの?」 「いや、別に」 撫子は、車椅子を押して歩き始めた。 隣に並ぶ。 「……撫子、さっきの女子高生は……」 「桃生のリーダー、長砂恋々だ」 「やっぱり、噂に聞くリーダーか。あいつ……何か、瑞枝と知り合いみたいだったが」 「昔、リーダー――恋々とその師匠が、鳳仙院の空手道場を破ったんだよ。瑞枝以外は皆殺され、道場には火を点けられたそうだ」 「……瑞枝の脊椎を損傷させた、武術家ってのは」 「ああ、恋々だよ」 「――……」 不幸な話だ。 仲間を殺され、癒えない怪我を負わされたのも不幸だが……そんな過去といきなり再会しちまうのも、重ねて不幸だ。 世の中、そんな事ばっかりだな。 「……カラリパヤットって、インドの武術だっけ?」 「そうだ。武術だけではなく、医療もセットだな。治し方を知ってるって事は、壊し方も知ってるって事だ。確か昔、その使い手がコマーシャルに出演してたらしいが」 「コマーシャル――そうか、聞いた事あるな。『いやはや、鳥人だ』ってヤツか」 かつて栄養剤のコマーシャルに、カラリパヤット使いが登場した事があった。 その使い手は、地上から3メートル離れた位置に吊るされていたボールを、ジャンプして蹴り上げたのである。 無論、そんな上方に敵など存在しないが……問題は、そこではない。 カラリパヤット使いには、その離れ業を成し遂げるだけの足腰と柔軟性が備わっている。その点が問題なのだ。 格闘において、足腰は重要な要素である。地にしっかりと根付いた下半身は、攻撃を全力で打ち出すための土台となり――さらに、相手の攻撃から自分を支えるための支柱となる。 ……そして、肉体の柔軟性。 鍛え上げられたそれは、手足の攻撃範囲を大幅に広げるのだ。常人では、想像も出来ない域にまで。 「しかも恋々は、あの破壊と殺戮の達人――最強の武闘家、デーヴィ・カーラーの弟子だ。受けた稽古の量と質は、オレ等を上回るだろうな」 「……最強の、武闘家」 「ああ、武人の王だよ。鳳仙院の道場が消滅するまでは、瑞枝の父親がそう呼ばれていたんだがな」 「――……」 最強と謳われていた、鳳仙院流空手道場か。 その看板はもはや過去のもので、今はデーヴィとやらが背負っているのだ。 ……そりゃ拘るよなぁ、最強に。 「うーん……」 出逢ったのも何かの縁だし、瑞枝には勝たせてやりたい。 しかし、彼我の実力差は絶望的だ。何しろ、恋々は瑞枝を文字通り一蹴したのだから。 「……これはもう、アレをやるしかないかも知れんね」 「……う、ん?」 「お、ようやくこっちも目覚めたな」 旅館の布団に寝せてから、十数分後。 瑞枝も、こっちの世界に帰還した。 「私は……」 「今回は引き分けと言い訳出来ないくらい、完璧に敗北したぞ」 「……そう、ですか」 「まぁ、敗け犬はお前だけじゃないから。あの後、撫子も一撃でやられたし」 皆で敗ければ恐くない、っと。 ……そんな訳なかろうけど。 「五月蝿え、ブッ殺すぞ」 額に青筋を浮かべながら、撫子が言う。 おぉ、恐。敗けてイライラしてるな。 「まさか、あれ程までに差があったとは……多少は、追い付いたと思ってたのに」 瑞枝は、顔を掌で押さえる。 いつかみたく、また凹みモードか? 「ああ、もうッ! あれは人間のレヴェルじゃないですよッ!」 うがー、と憤慨する。 ……む。どうやら、前よりはマシみたいだ。 「あの人は昔からそうです、ヘラヘラ笑いながら私をボコボコにして――」 「――……」 「あ、匠哉さんは知りませんでしたっけ。私と恋々さんの関係」 「いや、それなら撫子から聞いたぞ」 「……ほう。何を勝手に話してるんですか、貴方は」 ギラリと、撫子を睨む瑞枝。その視線が気に入らないのか、敗けじとガン飛ばす撫子。 ……お前等、何でそんなに元気なんだ。さっき、俺なら即死しそうな攻撃喰らってただろうが。 「ふぅ……でも、私からも話します。そういうのは、ちゃんと本人が話さないと」 瑞枝が、ゆっくりと語り始めた。 語られた内容は、撫子が言っていた事と変わらなかったが――何しろ本人の体験談だ。迫力が違う。 「……と、いう訳ですよ。その後の私は――全国道場巡りに明け暮れ、今に至ります」 「――……」 凄惨な話だ。 しっかし、少し変だな。 「なぁ、瑞枝。お前、恋々に蹴っ飛ばされた後はどうしてたんだ?」 「あ、いえ……あの一撃で、気を失ってしまって。気が付いたら病院でした」 「じゃあどうして、恋々はお前にトドメを刺さなかったんだろう? 気絶した相手の、寝首を掻くのが嫌だったとか?」 武人っぽくて、有り得そうな話ではあるが―― 「それはねえ。あの女は、『道』とは縁遠い人間だ。昔は、そんな人物だった――って事もねえだろうし」 撫子が言う。 そうなのか……まぁ、さっきだって面倒臭いとか言って見逃したんだし、深い理由はないのかも知れない。 「って、撫子さん? その言い方からすると、貴方も恋々さんと知り合いなのですか?」 「ああ。長砂恋々は、桃生のリーダーだからな」 「……成る程。そういう事だったんですね……もっと早く教えてくださいよ」 「教えてやろうと思った途端に、テメェと恋々が死合を押ッ始めやがったんだよ。つーか、それが他人からモノを教えて貰う態度か」 またしても喧嘩腰の、瑞枝と撫子。 始められても困るので、俺が会話に割って入る。 「で、瑞枝……お前はこれからどうするんだ?」 「どうする、と言いますと?」 「あいつと闘うのか? 手も足も出なかった、あの長砂恋々と」 「はい、闘います」 即答だった。 一瞬の、逡巡もなかった。 「……勝てんぞ」 「ならば、勝てるようになるまで修行するだけですよ。……何年掛かるか、分かりませんが」 「どうして、そんなに勝ちたいんだ? 道場の復讐のため? それとも、背骨の復讐のためか?」 「勿論、それもあります。でもやっぱり、ホントは理由なんて必要なくて――とにかく闘いたい、とにかく勝ちたいんですよ。そうですね、趣味なんだと思います」 「趣味……か」 そりゃ、もうダメだな。 娯楽を求める事は、死ぬまで止められないのだから。 「……やっぱり、アレしかないか」 「アレ……?」 「うむ。瑞枝を超パワーうpさせる(はずの)修行、『プロジェクトJ』である」 「それって……前に言ってた、死ぬかも知れないっていう?」 「そう。覚悟があるのなら、教えてやるが」 「やります! 勝つために生きてるんですから、死の危険なんて何の問題でもありませんッ!」 「おし、その意気だ。じゃあ死んで来い、瑞枝」 「……いや。本当に死んだらダメでしょう?」 「あのねー……死んでくれる?」 思わずYESと答えたくなるくらい可愛らしく、お願いしてみる俺。 ……唖然とするのみだった。 「無駄だ、匠哉。最近の世代にそれは通じねえ」 「いや通じるだろ、彼女未だに現役だし……コホン。ところで撫子、お前って医療関係の知識はあるか? 戦場で怪我した人間とか、その場で治療しないといけないだろうし」 「ん? ああ……普通は衛生兵の仕事だが、少数の部隊だとそうも言ってられねえからな。教官にも色々教わったし、リンクスに医療器具積んで持って来てある」 「それは好都合。じゃあ……そうだな、血を抜こう。瑞枝の血を抜いて、死ぬギリギリ、いやちょっと死んでるくらいまでに追い込む事は?」 「……人間は、全血液の1/3が流出すると死の危険が出て来る。血液の量は体重の1/13だから、そいつの体重を精確に計測すれば可能だと思うが。でも、それが何だってんだ?」 うむ、その質問は来ると思った。 ……しっかし、どう説明すっかな。 「そ、そうですよ匠哉さん。私が死に掛けると、どうなるんです?」 「ずっと前にな、俺のバイト先の御嬢様が不倶戴天の怨敵と決闘したんだよ。最初は勝負にならなくて、フルボッコにされたらしいんだけど……死に掛けたせいで逆にパワーうpして、見事勝利を納めたんだ」 「……えっと。どういう事ですか?」 頭に、?マークが浮かぶ瑞枝。 やっぱり分からんかったか。 「……地獄巡りか、要は」 そこで、撫子が助け船を出してくれた。 やっぱ、英国帰りの淑女は一味違うな! 「地獄巡り?」 「あの世逝って修行して来い、って事だよ。冥界の川に浸かり、不死身の肉体を得たアキレウスのようにな。文字通り、地獄の特訓か」 「ああ、だからプロジェクトJですか。確かにそういう修行、よくやってましたよね……ジャ○プ」 その通り。 それでもなお、疑問の抜けぬ顔の瑞枝。 「でもそれって、本当に効果あるんですか?」 「やってみなければ分からん。もしかしたら、本当に不死身になれるかも知れんぞ?」 「不死身ですか……弱点は、残したくないものですね」 俯いて、溜息。 しかし――次に、顔を上げた時には。 「――分かりました。私の命、匠哉さんに預けましょう」 逞しい表情で、ハッキリとそう言った。 「……オイ。命を預かるのは、匠哉じゃなくてオレじゃねえの?」 まぁ、そうだけどな。 瑞枝の部屋に運び込まれる、様々な医療器具。 まずは麻酔を打って眠らせ、その後ギリギリまで血を抜く。 真っ青になった瑞枝に、今度は抜いた血を少しずつ輸血し始める。さらに、栄養補給のための点滴も。 ……瑞枝はずっと、服の上から胸元の何かを握っている。ペンダントだろうか? 「目覚めるのは、いつになるんだろうかね」 「分かる訳ねえだろ。あの世で修行だなんて、無茶苦茶な事してんのなら尚更だ」 「そうか……」 「ま、その間に俺も稽古して来るわ」 「へ? どこで?」 「千刃会に、殴り込むんだよ」 千刃会……どっかで聞いたな。 あ、思い出した。剣司と闘った挙句、猿叫1発で吹っ飛ばされた連中か。 「奴等のほとんどはただの日本刀オタクだが……中には、『本物』もいる。あのクソ兄貴と引き分けたっていう剣士を、この手でブッ倒して来るのさ」 「剣司と、引き分けただと……!?」 「ああ。ウォーミング・アップにもちょうどいい。結構遠いから、何日か掛かるが……そのくらいは、こいつだって寝てるだろ。瑞枝の事、任せとくぞ」 部屋から出て行く、撫子。 さて、任されてしまった。不眠不休だな、これは。 「ここは……?」 瑞枝は、暗闇の中にいた。 上下左右前後、その全ての感覚がない。そんな概念自体、この空間にはないのかも知れない。 と、その時。 「――ごきげんよう、今回のシンデレラ」 後ろから、声が聞こえた。 『後ろ』が定義された事により、残る上下左右前も発生する。 瑞枝が振り返ると――そこには、ドレス姿の少女が立っていた。 まるで、フランス人形のようだ。貴方の方がシンデレラでしょう、と瑞枝は思う。 「貴方は……?」 「普段だったら放っておくんだけど、匠哉の知り合いとあってはね。特別に、貴方の願いを叶えてあげましょう。はしたない話だけど、私にも多少は闘争の心得があるのよ」 タン、と軽快に地面を蹴る、少女。 ……『地面』が、瑞枝の足元に現れる。 「あ……私、ここでも車椅子なんですか」 「車椅子は身体の一部というけど、貴方の場合はもはや魂の一部と化しているようね。まぁ、いいじゃない。2足で修行しても、戻れば車椅子なのだから意味がないわ」 「確かにそうですね。それで、私は何をすれば……?」 「1番手っ取り早い修行――実戦よ。千人の武人と、連続で闘ってもらうわ。ここでは肉体がないから、心が折れない限り死にはしないし……簡単でしょう?」 「――……」 「ちなみに、修行なのだから勝敗は考えない事。最初から、全力で往きなさい。……ほら、始めるわよ」 いつの間にか、瑞枝の正面に男が立っていた。 色の濃い肌をした、軽装の男だ。肉付きのいい、戦士という言葉が良く似合う人物である。 「ここは、魂の世界。言葉だって通じるわ。堂々と名乗りを上げて、挑みなさい」 「……そういう事なら。鳳仙院流空手、鳳仙院瑞枝――参ります!」 車椅子を走らせ、男の元に向かう瑞枝。 静かに、待ち構える男。 そして―― 「アユタヤ王朝が戦士、ナヒ・カノム・トム。――来いッ!!」 ――名乗ると同時に、瑞枝を吹き飛ばした。 「ぐあァァああああ……ッッ!!!?」 凄まじい威力の蹴りが、数え切れぬ程放たれ――瑞枝を蹴り倒したのである。肉体があったのなら、10回は死ねる破壊力だ。 ……ナヒ・カノム・トム。伝説にその名を残す、古式ムエタイの達人である。 戦で囚われた彼は、敵国の王から12人の格闘家を倒せば自由の身にしてやる、と言われた。無論王に釈放の意思はなく、だからこそそんな無理な注文をしたのだろう。 ――その結果。 彼は12人全員を倒し、悠々と自国に帰還したのだ。 「な、何で、そんな……人、が」 「ここは、死後の世界に近い場所なのよ? 生も死も、一切合切意味を成さない。倒れてる時間はないわよ、次の相手が待っているわ」 「――……ッ」 心が折れなければ死なない、と少女は言った。しかし逆に言えば、折れれば死ぬのだ。 ……あのレヴェルの相手が、あと999人。 「いや……へこたれて、堪りますか!」 身体を起こす、瑞枝。 傷付かないとはいえ、痛みは感じる。彼女は死の激痛を乗り越え、再起した。 ……既に、新たな武人が瑞枝を待ち構えている。 羽織を纏った剣士だ。その衣には、袖に山形の模様が染め抜かれていた。 刀の構えは、正眼。 しかし妙だった。刀の位置は正中線から右にずれているし、さらに刃を内側に傾けている。 「鳳仙院流空手、鳳仙院瑞枝……参ります!」 「新撰組一番隊組長――天然理心流、沖田総司。御相手致しましょう」 剣士が動いた。 前のめりの体勢から放たれる、神速の突き。閃光の如き一撃だった。 しかし瑞枝とて、並みの武術家ではない。首を狙った突きを、紙一重で躱す。 ――そして。 「ぁ……あぁッッ!!!?」 傾いていた刃が斜めに振り下ろされ、瑞枝の首を斬り付けた。 「2戦目終了。何してるの、先は長いのよ?」 「く……!!」 2度も『殺された』痛苦に耐えながら――瑞枝は、次の闘いに挑む。 撫子が出て行ってから、十数時間が経過。 ……そろそろ不眠不休が辛くなって来たワタクシ、月見匠哉である。 しかし、休めない。常に瑞枝のヴァイタルをチェックして、ヤバくなったら病院に送らねばならないのだから。 「……車椅子の強化部品、どうなったんだろ」 少し前に、車輪について相談しようとカナに電話したのだが――『問題ありません』との答えが返って来た。ちょっと笑ってた気もする。 ……正直、かなり恐い。 「…………」 うぅ、寝るなー。寝たら死ぬぞー……瑞枝が。 あいつは修行を頑張ってるんだから、俺も頑張れー。 「……修行と言えば。撫子の方は、どうなってんのかな」 「ハァ……!!」 刀を振り上げた男に、掌底を叩き込む撫子。 振り下ろす猶予など、与えはしない。次々と襲って来る剣士を、撫子は打ち倒してゆく。 「馬鹿正直に、正眼で打ち込んで来やがって……遅えんだよッ!!」 撫子は両手と片足を振るい、囲んでいる敵達に打ち込む。 ほとんど片足立ちなので、その足を払えば簡単に撫子を倒せるのだが……刀に夢中の彼等は、そんな事にも気付かない。 その程度の相手だからこそ、撫子もそんな闘い方をしているのだが。 「……一丁上がり、と。オレの方が、3倍どころか100倍は強えな」 十数人を倒し、鼻で笑う撫子。 まだ何人か残ってはいるが、逃げ腰で襲って来る様子はない。 ……千刃会の本部施設に突入してから、十数分。 撫子は向かって来る相手を片っ端から倒しつつ、奥へと進んでいた。 「しっかし、ホントにこんな所に強者なんていんのか……?」 今までに自分が倒した剣士の練度を考えると、どうにも不安になる撫子。 とてもこの組織に、あの浅倉剣司と並ぶような武人がいるとは思えない。 「やぁぁッ!!」 また1人、斬り掛かって来た。 撫子が握りを蹴ると、刀が手からすっぽ抜けて飛んで行く。 「ひ、ひぃぃ……!?」 「……まぁ、何だ。そろそろ、殺さないように加減すんのがメンドくなってきたな」 尻餅を付いた剣士の首元を蹴り、廊下の隅にまで吹っ飛ばす。 ……溜息を付きながら、先に進む。 そして、撫子は――今まで1番、弱そうな剣士と出遭った。 『会長室』とプレートが打たれた、扉の前。 板張りの廊下に1枚だけ畳を敷き、その上で緑茶を飲んでいる少女がいた。 畳の上には、鞘に納まった刀が置かれている。外観では、五尺(約150cm)はあろうか。 撫子の身長に匹敵する。その間合いは、野太刀や槍と同等だろう。 ……しかしその刀は、少女の右側に置かれていた。左手で持って右手で抜くのだから、刀は左側に置かなければならないはずなのだ。 しかも茶を飲んでいるという事は、彼女は正座。どう考えても闘える姿ではない。 「…………」 言葉が出ない、撫子。 極めて、弱そうではある。 ……だが、もし。 あの形でまともに闘えるのだとしたら、それは達人の域だ。 「駄目ですよ、そんなに殺気立たれては。心を読まれてしまいます」 「……ッ!?」 湯呑みを置き、少女は柔らかい微笑みを作る。 逆に撫子は、相手の心が読めなかった。感情の波が、まったくないのだ。 まるで、尼僧と向かい合っているかのよう。 「……オイ。テメェ、浅倉剣司って奴を知っているか?」 「ああ、示現流の方ですね。良く覚えておりますよ。互いに警戒し、睨み合った挙句――結局、どちらも動けずに引き分けました」 「――……」 ならば、間違いない。 彼女が、目的の相手だ。 「……ようやく出遭えたな。オレは、テメェと闘いに来た。クソ兄貴と引き分けたっつう剣術家とな」 「あの方の妹御ですか……道理で。気勢が、良く似ております」 「……御託はいい、構えろ。構えないのなら、殴り倒して終わりにするぞ」 「ふふふ、血気盛んですね。しかし御心配なく、これが私の構えなのです」 「――……」 少女は、変わらず正座のままだ。 あの体勢で、剣術が使えるとするならば―― 「……フェアバーン・システム、浅倉撫子。戦闘開始」 「無外流居合兵道――御桜清麗。では、一手教授致しましょうか」 互いに、名乗りを上げた。 相変わらず、清麗からは殺気を感じない。刀を持たず正座をしたままなのだから、殺気などあるはずがないが。 (……居合、か) 居合――抜刀術。鞘に納められた刀を一気に抜き放ち、相手を斬り付ける技術である。 弾丸が銃身を通る事により、スピードと直進性を与えられるように――鞘が、刀にそれを与えるのだ。 ……居合は本来、不意打ちの技である。納刀により戦意がないと思わせつつ、抜き打つのだから。 故に、正座が構えとして存在するのだ。正座も納刀と同じく、戦意がないと油断させる事が出来る。 そして不意打ちの技は、同時に不意打ちに対抗するための技でもあった。撫子がいかなるタイミングで攻め込んだとしても、清麗は完璧に対応するだろう。 無外流居合は、伝説の空手家――大山倍達が、最も実戦的な居合であると称した武術。一筋縄では行くまい。 ……そのはず、なのだが。 (あの刀……本当に抜けんのか?) いくら抜刀の流派を修めているとはいえ、五尺もの長物を一息で抜き放てるとは思えない。鞘に切れ込みを入れる等の、抜き易くするための工夫も見えなかった。 いや、そもそも――五尺もあれば、重量もかなりのものとなる。少女の細腕で、使えるはずがないのだ。 あの長刀は、抜けないし扱えない。例えそれが可能だとしても、抜くまでにはある程度の時間が掛かるだろう。その間に踏み込んで、一撃当てれば撫子の勝ちだ。 「――……ッ」 ……なのに、撫子は攻めない。 攻め込めば勝てる――そう思わせる事が、罠のような気がしてならないのだ。 「なかなか、勘の鋭い方ですね」 「……ああ?」 「しかも、刀に対する恐れもない。普通の方は、短いナイフであっても怯えてしまうものですが」 「当然だろ。オレはアサルトライフル相手に、武器への恐怖を克服する訓練をしたんだ。刃物なんぞ、あれに比べたら玩具に等しい」 「ふふ――そうですか。しかし私の刃は、銃弾より速いのですよ。斬った事がありますから」 「――……」 冗談か、それとも本気か。 後者なのだろう。あの剣司に匹敵する、剣術家なのだから。 「……良し」 撫子は、覚悟を決めた。 彼女は闘いに来たのだ。睨み合いで終わらせるつもりはない。 「往くぞ――ッッ!!!!」 床を蹴って、撫子は駆け出した。 清麗は素早く刀を持ち、左手で柄を握る。左利きか、あるいは居合のためだけに両利きにしたのか。 しかし鞘の中に五尺の長刀が納まっているのならば、撫子のスピードには勝てない。 本当に長刀が納まっているのなら、の話ではあるが。 「――ッッ!!!!」 膝を立て、刀を抜き放つ。その刀は、脇差として扱われるような一尺半(約45cm)程の小刀であった。 ……長いのは、鞘だけだったのだ。 軽く取り回しの良い小刀が、鞘によって飛燕の如き速度に達し――愚かにも跳び込んで来た、撫子に振るわれる。 ――が、しかし。 「何……ッッ!!!?」 撫子はその刀を――歯で噛み締め、止めてしまったのだ。 顎に掌底が入り、打ち飛ばされる清麗。背後の扉に激突し、呻き声を上げた。 撫子はそれを見ながら、小刀を吐き捨てる。 「かはッ……ま、まさか、私の千子村正を噛んで受けるとは……!」 「……そんなに驚くような事か? 手で白刃取りするよりは楽だろ。顎には凄え力があるし、歯は手の皮膚よりも圧倒的に硬えし。まぁ小刀じゃなかったら、重さで押し切られただろうけどな」 「鞘中に納まっているのが小刀だと、読んでいたのですか……?」 「当ったり前だ。そのトリックで何人騙せたのかは知らねえが、冷静に見れば明らかに不自然だろ。戦いのプロには通用しねえよ」 「通用、しないのですか……しかしこの手品の種を知ったのは、貴方が初めてですよ。この小刀を見た者は、次の刹那には喉を斬られますからね」 「クソ兄貴は、警戒して踏み込まなかったんだっけか」 「ええ……貴方と同じく、とても勘の鋭い方です」 剣司と並べられると、余り良い気分のしない撫子。 褒められているのは彼女とて分かっているし、そもそもその話題の原因は撫子の一言だが。 「それはそうと……私の剣の秘密、出来れば言い触らさないでくださいね。死活問題ですから」 「そこまでヒマじゃねえ。それに――テメェのおかげで、『神速の斬撃』というものをこの眼で見れた。その礼も兼ねて、黙っとくさ」 「……神速の斬撃。まさか……闘うおつもりなのですか、あの剣豪と」 「ああ、オレはクソ兄貴が大ッ嫌いだし。何より奴の暴走は、殴らなきゃ止まらねえだろうからな」 撫子は、清麗に背を向けた。 もう、千刃会に用はない。脇目も振らず、悠々と歩き去って行く。 「鳳仙院流空手、鳳仙院瑞枝……参りますッ!」 「ゼウスの双子が弟、拳闘士ポリュデウケスッ!! 我が拳、とくと味わうがいいッ!!!」 瑞枝が反応する間もなく、打ち込まれる連打。 かつて暴君アミュコスを打ち斃したポリュデウケスの鉄拳が、瑞枝の身体を粉砕する。 「は、ぅぐ……ぁッッ!!!?」 「435戦目終了。まだ半分も終わってないのに、起き上がるのもやっとね」 「そ、そう言われても……もう、身体に力が入らないんですよ」 「疲れている方が、技というのは綺麗に決まるものよ。余計な力が入らない――と言うか、入れられないから。今の自分から学びなさい、鳳仙院瑞枝」 「――……」 「はい、次の相手」 「――鬼ですか貴方はッッ!!!?」 「道場での修業も、似たようなものだったでしょう」 瑞枝の叫びが聞かれる事はなく、次の相手が顕現する。 長着に袴の男が、瑞枝の前に立つ。 「くッ……鳳仙院流空手、鳳仙院瑞枝! 参ります!」 「……大東流合気柔術、武田惣角」 正拳突きを放つ、瑞枝。 しかし相手はその手を取ると同時に、瑞枝に打撃を入れた。 「ぐ……ッ!!? わ、私の突きを掴んだ……ッ!!?」 腕を捻られ、押さえ込まれる。 捻りと同じ方向に身体ごと回転し、極められるのを防いだりするものだが――車椅子の瑞枝には、到底不可能。 開いている片手で、手刀を1発。瑞枝の首を折った。 「うぐ……ぁはッ!!?」 「……最初と比べると、多少は良くなってるわね。拳の冴えも鋭くなってるわ」 「そ、そうですか……? その割には、全然勝てませんけど」 「当たり前よ、勝てないランクの相手を選んでるんだもの」 いきなり、瑞枝の首が裂けた。 吹き出る血。短刀を持った男が、いつの間にか背後に立っていたのだ。 「か、ぁ――ッッ!!!?」 「ニザール派開祖……山の老人、ハサン・サッバーフ」 暗殺者は冥土の土産に名乗ると、そのまま闇に消える。 「ほら、油断するから」 「ぐぅ……次、次です……ッ!!」 「あら、意外と元気ね。もう437回も殺されてるのに。じゃあ、438戦目よ」 功夫服の男が、ゆらりと歩み寄って来た。 凄まじい威圧感を受けるが――それは、今までの437戦とて変わらない。瑞枝はもはや、恐れが麻痺していた。 「鳳仙院流空手……鳳仙院瑞枝! いざ参りますッ!」 「開門八極拳、並びに劈掛拳――李書文。何れ、相手してやろう」 腕を鞭のように振るい、打ち込んで来る拳法家。 手先からは、ヒュンヒュンと音が鳴る。空気が裂ける快音だ。 凶器と化した手先から逃れようと、瑞枝は思わず深く踏み込んでしまう。 ……それは罠。瑞枝とて分かっていたのだが、そうする以外に劈掛の掌を防ぐ術はなかった。 「ぐぁぁ――ッッ!!!?」 凄まじい、短距離打撃が叩き込まれる。 その凶拳により――瑞枝は身体を破壊され、豪快に弾き飛ばされた。 ――コンコン。 「ん……?」 プロジェクト開始から、約2日。 誰かが、部屋の扉をノックした。 「はーい、どちら様?」 「『白酉運送』です。御荷物の御届けに参りました」 ……白酉運送? 不吉な単語にドキドキしながらも、扉を開いてみる。 やはりそこには、白酉飛鳥の姿があった。 「はいこれ、カナから」 台車に載せてあった大量のダンボール箱を、部屋に運び込む飛鳥。例のブツか。 速いな。造るのも、運ぶのも。 ……しかし、この量は一体何だ? 「ここにハンコ――は、ないか。サインしといて」 「おう」 『月見』……っと。 「はい、どうも。にしても、クマが凄いわね」 「熊――ああ、眼のクマか。あんまし寝てないからねー」 「……その眠り姫の様子を見ると、また何かしら厄介事に巻き込まれてるのかしら。別段、興味はないけれど」 「なら訊くな」 ふと、飛鳥の服に書かれている文字が眼に留まった。 小さく、それでいて主張するように――『業界最速! 白酉運送』と刺繍が入っている。 「業界最速……か」 「ん? ああ、今の所はね。最近は『デコトラの鬼』がどんどん速くなってるらしいから、油断出来ないんだけど」 アレだよな。 加速狂だとかデコトラの鬼だとか、そんな連中に荷物預けたくないよな。いくら速くても。 「でも、まあ。最速、最強……そういう名を維持し続けるが、大変だってのは分かった」 「……どうしたの? 何か悪い物でも食べた? いくら空腹になっても、落ちてる物を食べてはダメよ」 「ちょっと寝不足なだけだ。とにかく、御苦労さん」 不審そうな顔をしつつも、部屋から出て行く飛鳥。 窓から、外を見る。コンテナの側面に『送運酉白』と書かれたトラックが、アクセル全開で突っ走って行く。 ……ポリに捕まらんのか、アレは。 それとも、既に警察では『白酉運送には手を出すな』という話でも広まってるのだろうか。Cz75で撃たれそうだしな。 「さて……と」 ダンボール箱の山を、改めて眺める。注文したのは、モーターだけだったような気がするのだが。 瑞枝から注意が離れないようにしつつも、開封してみる。 「――……」 まずは、トルクとスピードを兼ね備えた化物モーター。 さらに、そいつに必要な電力をパワフルに供給する電池。 生み出されたパワーを、一切のロスなく伝える摩擦ゼロのギア。 軽量でありながら、頑丈でもある車輪。 回転力を、100パーセント推進力とするタイヤ。 そして――その恐るべき出力を、しっかりと支えるフレーム。 「……成る程。モーターだとか車輪だとか、そういう問題ではなかったな」 これ、1から組み立てるのと同じじゃね? 瑞枝が起きてから、彼女の意見を聞きつつ組む……ってのもなぁ。瑞枝は車椅子がないと動けないんだから、眼を醒ました時には用意しておいてやりたい。 とは言え、寝不足でフラフラの俺がやるのもなー。瑞枝のヴァイタルも見てなきゃならないし。 「……ん?」 ダンボールの1つに、カナからの手紙が。 そこには――『睡魔と闘っている匠哉さんでも、簡単に組み立てられます』と書かれている。 ……何だ、この状況を完璧に把握している手紙は。恐えよ神族。 「ま、そういう事なら――」 御丁寧に、工具箱まで同封されてるし。 聞いた事もない名前の金属や、人知を超えた技術。そういったモノで造られている数々の部品に、俺は挑む。 「鳳仙院流空手、鳳仙院瑞枝……参ります……!」 瑞枝は消え入りそうな声で、名乗りを上げた。 最早、構えるのもやっとの状態である。少しでも気を抜けば、瞬時に心が崩壊するだろう。 ……胸元の微かな重さを頼りに、彼女は己を繋ぎ止めている。 満心創痍の瑞枝と相対する、999人目の武人は。 「応よッ!! 雄略帝が忠臣、小子部連蜾蠃ッ!!! 相手してやらあッッ!!!!」 三輪山の雷神、恐るべき祟り神――大物主大神を、天皇の命により捕らえた豪傑。 残虐で知られるあの雄略天皇が、心を許した好漢である。まさしく、健全なる肉体と精神を兼ね備えた武人だ。 「ハァ――ッッ!!!!」 振り回される直刀。 技、と呼べるものではなかったが――だからこそ、それは純粋な『暴力』であった。 「くぅあ……ッ!!?」 暗闇を蹂躙する斬撃の嵐を、血を噴きながらも躱す瑞枝。 ……それを見て微笑する、ドレス姿の魔女。 初めの頃の瑞枝だったら、今の斬撃を回避する事など叶わなかったろう。この千人死合によって、彼女は確実に強くなっている。 本人は、まったく気付いていないが。 「この……ッ!!」 剣の間合いを殺すべく、敵の懐に跳び込む瑞枝。 だが近付いて来た彼女に、破城槌の如き蹴りが浴びせられる。倒れた瑞枝を、直刀の一撃が真っ二つにした。 「う、ぁああ――ああああ……ッッ!!!?」 「999人目終了。さぁ、次でラストよ」 「……ッ、――……」 瑞枝は死の激痛を精神力で押さえ込み、重い身体を持ち上げる。 最後の相手を、見た。 「……え?」 その達人は、瑞枝も知る人物だった。 知らぬはずがない。鳳仙院流の道場には、彼の姿絵が飾られていたのだから。 ……白い道着の、老人。一見痩せているように見えるが、それは筋肉が絞り込まれているに過ぎない。 「鳳仙院瑞枝よ。かの天竺の達人、まさに鬼神であるが……しかしそれでも、敗れたとあっては流派の恥辱」 「……はい」 「その恥を雪げるのは、もはや現世に其方しかおらぬ。鳳仙院流の汚名、拳を以って返せるか?」 「無論ですッ!!」 「その意気や良し! ならば其方の父が伝授出来なかった技、そして既に失伝せし技――残さず、この一戦にて見せようぞ!」 微笑み合う、両雄。 ――最後の闘いが、幕を上げる。 「鳳仙院流空手、鳳仙院瑞枝ッ!! いざ――参りますッ!!!」 「鳳仙院流空手開祖――鳳仙院厳成! 我が拳技、とくと細見せよッ!」 「戻って来たぞ……って、何だこの散らかりっぷりはッ!!?」 千刃会より、帰還した撫子。 しかしそれを出迎えた瑞枝の部屋は、さながら戦場であった。 あちこちに、機械の部品や包装ヴィニールが散らばっている。 「な、何事だ……?」 「ああ……車椅子の強化部品が届いたから、組んどいたんだ」 「――うおッッ!!!?」 撫子を見る、匠哉。 その顔は、まるでゾンビであった。 「さすがに、片付けまでする気力はなかった」 「――……」 撫子は、完成した車椅子を見る。 「な、何だあの車椅子は。妙なプレッシャーを感じるぞ?」 「ああ、未知の技術が使われているからな……未来では、きっとオーパーツ扱いされるだろう」 「そ、そうか……で。何でテメェは、そんなに死にそうなんだよ?」 「ん……不眠不休で看てたんだから、当然だろ」 「不眠不休って――この3日間ずっと!? 馬鹿、そんなにヤバい状態じゃねえよッ!! 容態が危険なら、オレだってここから離れたりなんかしねえッ!!」 「ぬぅー……そ、それもそうかー」 「はぁ、分かった。オレの伝え方が悪かった。だから、お前はもう寝ろ。瑞枝はオレが看とくから」 「……頼む……」 匠哉は部屋の隅にスペースを作ると、ダンボールや包装ヴィニールに包まって眠り始めた。 ぐー……と、寝息が響く。 「ったく――何でこいつは、ここまで他人事に入れ込んでんだ?」 自分用のスペースを確保。 腰を落ち着けて、瑞枝の観察を開始する。 ……しばらくすると。 「――……」 ぱっちりと、瑞枝が眼を開けた。 「……オイオイ、空気の読めないタイミングだな。もっと早く眼ぇ醒ませっての」 「え? いきなり何を……」 「ちっと前まで、そこの妖怪ダンボールが起きてたんだよ。テメェが寝てた3日間、一睡もせず見守ってたんだぞ」 「妖怪ダンボール――って、匠哉さん……?」 「しかも、テメェために車椅子まで組んどいたみたいだ。後で礼を言っとけよ」 「――……」 眠る匠哉を見詰める、瑞枝。 1つ、溜息を吐いた。 「……嬉しいけれど、同時に悲しいですね。借りばかりが大きくなってしまう――私は、何も返せないのに」 「――……」 「撫子さん、ちょっと散歩に付き合ってくれません? 車椅子の具合、見て置きたいですし」 「……そうだな」 匠哉に書き置きを残し、旅館から出る瑞枝と撫子。 目的地を決める訳でもなく、歩道を進む。 「……で、どんな感じなんだ? その車椅子は」 「踏んだ時の出力が、全然違いますね……底まで踏んだら、どうなる事やら。凄いですよ、これ」 「だがそうなると、慣れが必要か?」 「そうですね……どう踏むとどのくらい動くのか、それを完璧に把握しておかないと。公園にでも行きましょうか」 公園に入る。 瑞枝は所狭しと動き回り、車椅子の性能を確認し始めた。 「おー、凄えな」 ドリフトする車椅子を見ながら、素直な感想を漏らす撫子。 通行人のお婆ちゃんが、そのドライヴィングを見てギョっとしていた。 ズザザザと土煙を上げながら、瑞枝は撫子の傍に停車する。 「ん? もういいのか?」 「ええ。まるで、私専用に調節されてあるみたいです。これなら、慣らしはもう充分ですね」 「テメェ専用に調節……か。そりゃ、組んだのはあいつだからな」 「……そうですね。あの人は、私の闘いをずっと見てましたからね」 「ま、車椅子はともかく……テメェ自身はどうなんだ。ホントに、向こうで修行して来たのか?」 「え、ええ。貴方の言った通り、地獄の特訓でした……」 思い出し、冷や汗を掻く瑞枝。 試しにその場で、正拳突きを打ってみる。 静かに繰り出される、拳。 「……ん? 何か、弱くなってねえ? 前はテメェが正拳打つと、大気が震えるような感じがしたんだが」 「わ、私も弱くなってる気が……と、とりあえず立ち木でも叩いてみましょうよっ!」 焦りを必死で抑えながら、公園の木の前に立つ。 1番太く、頑丈そうな巨木だ。 「――キェエイッ!!」 放たれる右拳。 左腕を引き、反動を右腕に乗せる。力の集中した拳面が、巨木を打った。 「――へ?」 衝撃で、葉が全て吹き飛んだ。 打ち込まれた木は地面から剥ぎ取られ、猛烈な勢いで吹き飛んで行く。 道路の真ん中に落ち、跳ね回る巨木。ブレーキ音が響き渡る。 ……通行人のお婆ちゃんが、腰を抜かして動けなくなっていた。 「…………」 呆然とする、事件の犯人。 「……オイ、逃げっぞ」 「あ、は、はいぃ……ッ!」 現場から脱兎の如く、瑞枝と撫子は逃走する。 ……かつて瑞枝の拳撃は、大気が震えるかのようだった。 一見、凄そうではあるが――しかしそれは、空気中に力が逃げているに過ぎない。 ……が、今の瑞枝は違う。 大気を震わさず、空気中に力を逃がさず――相手のみに、その拳の力を打ち込む事が出来ているのだ。 「……やっばり私、確かに強くなってるんですね……!」 「……何だ?」 ほぼ、同時刻。 神社の境内で、剣司は巨大な気配を感じ取っていた。 「瑞枝でしょ。どうやら、かなり強くなったみたいだね」 犬彦が使っていたサンドバッグを木に吊るしながら、恋々が言う。 それを聞いても――剣司は、信じる事が出来ない。 「……馬鹿な。どんな修行法を取ったとしても、この短期間でこれ程までに強くなれるものか」 「剣司は分かってないなあ。美少女三日会わずんば刮目して見よ――ってね。ちなみに、一気に強くなる修行法はありマス。剣司が知らないだけで」 「――……」 「いやあ、懐かしいなー。私も昔、師匠にやらされたっけ。危うく、こっちに戻って来れなくなるところだったけど」 ははは、と溌剌に笑う恋々。 話している内容は、笑い事ではなかったが。 「さて、剣司。瑞枝は私が貰うよ。空手と示現流は遠い親戚みたいなものだし、前の再戦をしたいってのは分かってるけど――ここは、私に免じてね」 「ああ。お前達の決着に水を差す程、私は無粋ではない」 「うん、いい答えだ。じゃあ、瑞枝以外は1人たりとも私の前に立たせちゃダメだよ。撫子ちゃんとか」 「……無論だ。お前の命であるのなら、例え妹であっても斬り捨てる」 昔とある村に、少年と少女がいた。 少年は、少女の事が好きで――でもそれを悟られるのが恥ずかしくて、つい少女を苛めてしまっていた。 ……だから少女に取って、少年は恐怖の対象だったのだ。 しかし少年は、少女が苦しんでいる時だけは彼女を助けた。本人が知らないだけで、少年は少女の事が好きなのだから。 転んで立てなくなった時は、家まで背負って行った。他の苛めっ子が少女を苛めていた時は、少年が木の枝を振るって追い払った。 苦しんでる時、辛い時――痛い時。そういう時だけは、少年は少女の味方だったのだ。 ……少年は、知らなかった。後にそれが、少女を怪物へと変えてしまう事を。 「――……」 一瞬の悔恨を終え、剣司は恋々を見る。 その何やら真剣な様子に、疑問を顔に出す恋々。 「何? どうかした?」 「いや、大した事ではない。それより、私達2人だけなのか? ロニィはどうした」 「ん、どっか行っちゃった。『舞台に立ち続けるには、この敗け犬の肝は小さ過ぎるよ』――とか、無駄にカッコ付けて」 「……逃げたか」 「あ、そうそう。去り際に言ってたよ。撫子ちゃんが、剣司と引き分けた相手――御桜清麗、だっけ? そいつを倒したんだってさ」 「ほう……あの手品師を」 「手品師?」 「ああ。剣術家と呼ぶより、そう呼んだ方が相応しかろう。余りにも見え透いた種だったので、芸を見る気も失せたのだがな……ふふ、そうか。世間では、見世物に飽きる事を引き分けと言うのか」 「あー……撫子ちゃんとその清麗が、ピエロだっていうのは良く分かりました」 苦笑して、サンドバッグを蹴る恋々。 ……打たれた部分から千切れ飛び、中に詰まっていた砂鉄が飛散する。 「ま、とにかく。最後だし、楽しく闘ろうか」 「……ん?」 気が付くと、俺は真っ暗闇の中にいた。 こ、ここは例の空間!? と言う事は、俺はまた死に掛けているのかッ!!? 徹夜のし過ぎッ!!? 「別に、死に掛けてはいないわ。かなり深く眠っているから、回線を繋げる事が出来ただけ」 「お前は――マロンッ!」 「……匠哉。貴方、最早わざと言ってない?」 「しかしマノン、死ぬのと寝てるのって違わないか?」 「……まぁ、いいわ。その2つは似たようなものよ――死の神と眠りの神が、兄弟であるようにね」 「ふぅん……そうなのか。で、わざわざ回線とやらを繋げたからには、何か伝えたい事があるんだよな」 「一応、報告。鳳仙院瑞枝の修行に、付き合った者としてね」 「お前、手伝ってくれたのか……」 ……成る程。 瑞枝の願いを、叶えたんだな。 「鳳仙院瑞枝の発現レヴェルは、千人死合によって跳ね上がったわ」 「おおっ!」 「とは言え――鳥神・長砂恋々を墜とせるかどうかは、正直分からないけどね」 「……ええー」 「仕方ないじゃない、あれはそういう相手よ。長砂恋々は、あの若さで『王座』に至ろうとしている。一生でどこまで育つのかは、想像も出来ないわ」 「――……」 「勝負の行方は2人次第、としか言えないわね」 「……ま、いいか。勝負ってのは、元々そういうもんだし」 闘う前から結果が分かってたら、2人が可哀想だ。 ……分かっていたとしても、あいつ等は闘るんだろうけど。 「じゃあ、私はそろそろ行くわ」 「……色々、ありがとな」 「ふふ、どう致しまして。ではいずれ、次の舞踏会にて御逢いしましょう」 マノンの姿が、消えた。 俺自身も、このあやふやな世界から追い出されて行く。 「さて、正念場だな」 ……では。 俺なりに、最後まで応援するとしよう。
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