「――……」 ロニィは民家の屋根から、歩道を見下ろしていた。 そこには、撫子が歩いている。どうやら、ラーメン屋に向かっているようだ。 「おい、何で仲間の監視なんてしてんだ? 裏切りでもしそうなのか?」 ロニィの背後から、声。 彼の傘下に入っている不良グループの1つ、『バターリャ』のヘッドを務める男だ。 「いや、そういう訳じゃないんだけど……ま、背中でも押してやろうと思って」 「はぁ……?」 「それと忠多、君は余り近付かないように。撫子に気付かれると、ちょっと面倒だしね」
「それにしても、困りましたね……」 瑞枝は、頭を悩ませている。 理由は言うまでもない。あの強敵どもと渡り合うには、さらなる修行が必要なのだ。 ……最初は修行目的で桃生と戦い始めたのに、今じゃすっかり勝利が目的だなぁ。 「匠哉さん、何か良い案はありませんか?」 「え? な、ないよ? 死ぬかも知んないけど強くなるかも知んない修行の方法なんて、全然隠してないよ?」 「…………」 しまった、何言ってんだ俺ッ! 瑞枝はじとーっと、湿っぽい視線を向ける。 「そ、そうだ。この時間は、『魔法少女☆じぇのさいどキラちゃん』の時間だった。悪いな瑞枝、自分の部屋に戻らないと」 『魔法少女☆じぇのさいどキラちゃん』とは、異世界から来た自称美人のお姉さん――ミカル・アルヴァレンナから魔法の力(伸縮自在の日本刀)を授かった女の子が、この世の諸善諸悪を片っ端から斬って捨てるハートフルアニメだ。 今週は遂に、魔法少女キラとエリ・セレントゥスが激突。どちらが三千世界最強なのか、ようやく決着が付く神回なのだ。 これは見逃せない。ミカルの実年齢が明かされるらしいし、絶対に見逃せない。 「テレヴィなら、私の部屋でも見れますよ?」 ……止められた。 ええい、どうにか誤魔化さないとッ! 「……まぁ、死ぬ訳にはいきませんからね」 溜息をつく瑞枝。 ……ぬ、勝手に諦めてくれたのか。 良かった。前述の通り、死ぬかも知れないんだよアレ。 つーか死ぬし。 「じゃあ、とりあえず車椅子のパワーをうpするのはどうだ? 山道登れないせいで、剣司に敗け――引き分けたんだし。強力なモーターとか積んでさ」 「私とてそれは考えましたが……でも今だって、かなりの物なんですよ? 格闘戦用のハンドメイドですし、これ以上のスペックというのは――」 「まぁまぁ。世の中には、常人の想像を超えた名工が存在するんだよ。常人の想像を超えた武術家が存在するのと同じくな。瑞枝、電話借りるぞ」 俺は受話器を取ると、電話番号をプッシュする。 掛けた先は―― 『御電話ありがとうございます。タルタロスの工房です』 「おう、カナか」 『……何の用ですか、匠哉さん』 「俺だと分かった途端に、声から優しさが消えたな……」 『社交辞令を使う相手でもありませんから。それで、今度は何を造れと言うのです?』 「さすが、話が早い。実は、格闘戦用の電動車椅子を強化したくてな――」 これまでの経緯を説明。 沈黙するカナ。思案しているのだろう。 『……話を聞いただけでは、何とも言えませんね。その車椅子の設計図か何かはありますか?』 瑞枝に、視線で尋ねた。カナの声は、瑞枝にも聞こえている。 彼女は頷いて、 「ええ、ありますよ。急な不調の時に、私の手でメンテしなきゃならなかったりしますから」 車椅子の籠から、紙の束を取り出した。 ならば、万事OKだ。電話に戻る。 「あるそうだ」 『ならそれを、私の元に送ってください。その設計図を電子データにして、ネット経由で送付して貰えると早いのですが』 「了解した」 『ではモーター等は完成次第、速やかに御送りします。どこに送れば良いのですか?』 「ここの住所は、設計図と一緒に送っとくわ」 『分かりました。それで、品の代金なのですが……やはり、貴方の身体が欲しいですね』 「――言うと思ってたぞ畜生ッッ!!!!」 電話の向こうに、魂の咆哮をブチ込む俺。 瑞枝がアタフタしながら、こちらにやって来る。 「か、身体で払うだなんてハレンチですっ!」 「ハレンチな意味ではないッ!! こいつは、俺の死体を製鉄の素材にするって言ってるんだよッ!!!」 「え――ええッ!!? そ、そんな猟奇的なッ!!?」 『……猟奇的なものですか、古代から行われていた製法ですよ。まったく、達者というのはいつの世でも理解されません』 珍しく、疲れた声を出すカナ。神族が『いつの世でも』とか言うと説得力あるな。 一瞬同情心が湧くが、かと言って代えの利かない己の肉体を差し出す訳にもいかない。 「仕方ない、とりあえずツケにしといてくれ。支払いに関しては、星丘に帰ってからじっくり考えよう」 『貴方とマナには、御客を紹介して頂いたりと御世話になっていますから、そのくらいの融通は利かせますが……逃げないでくださいよ?』 「舐めるな。この程度で逃げるのなら、月見家はとっくに夜逃げしている」 『……それもそうですね。では、設計図の到着を待ちます』 「ああ、すぐに送る。じゃあな」 電話を切る。 ふぅ、上手くいった。帰ってからが恐いけど。 「とまぁ瑞枝、そういう訳だ。実際に車椅子を弄らずに部品だけ造る、っていうのが若干不安だが……あいつは神業を持つ名工だ。問題ないだろう」 「も、もう何と御礼を言ったら良いのか……あ、そうです。当たり前の事ですけど、代金とやらは私が払いますよ?」 「それは無理だな。依頼したのは俺なんだから、俺からしか受け取らんだろう」 「そ、そんな、私の車椅子なんですから――」 「うっさい、細かい事気にしてんな。お前はそれより、連中に勝つ事だけを考えてろ」 俺はそう言い残し、設計図を持って部屋を出る。 すると、 「……本当に、ありがとうございます。この御恩は、絶対に忘れませんから」 そんな感極まったような声が、背中に届いた。 俺は旅館の従業員さんにパソコンとスキャナーを借り、設計図を送る。 ……これで良し、と。 「おう瑞枝、何か修行の案は出たか?」 部屋に戻り、尋ねる。 が、彼女は弱々しく首を横に振った。 「いえ、それが全然。彼等を打倒するための修行……まったく、困った宿題ですよ」 「はは、夏休みだけにな――」 …………。 …………。 …………(゚ロ゚)? 「――ガッデムッッ!!!!」 俺は瑞枝の部屋から飛び出すと、全速力で自分の部屋へと向かった。 転がり込み、リュックを開く。 その中から、発掘されるのは―― 「はわわわわ……!」 宿題! 宿題ッ!! 宿題ッッ!!! 「わ、忘れてたぁぁぁあああああああああッッ!!!!」 「助けてミズえも〜んっっ!!!!」 「な、何事ですか?」 大量のプリントを抱え、瑞枝ルームにUターンする俺。 旅先でも、ちょっとずつやっておこうと思っていた宿題。しかしそれは、最近の超展開のせいですっかり忘れてしまっていた。 「うぅ……て、手伝っちくり……今から1人でやったんじゃ、絶対に間に合わん……」 「……はい、はい。分かりましたよ……」 呆れた様子でありながらも、承諾してくれる瑞枝。よ、良かった。 あれ? でも―― 「そう言えば、お前って宿題とかどうしてるんだ?」 ここに来てから、そんな事をやってる姿は見た事がない。 実は、もう学生じゃないとか? 人の年齢は、見掛けに依らない事が多々あるし。 「宿題代行業者に頼んでおきました。そんな些事にいちいち時間を消費するだなんて、下らないにも程がありますから」 「……そうか」 やっぱ、世の中金だな。 そしてその些事を、瑞枝に手伝って貰おうとしているワタクシ。 ……何と無様な話だ。 「早速始めましょう。急がないと、夏休みが終わってしまいますよ?」 問13 喧嘩を行った両者を、動機・善悪・勝敗に関係なく成敗する事を何というか。5文字で答えなさい。 「『もうだめぽ』……っと」 とりあえず、国語の宿題から開始。 順調に、1問1問クリアーしてゆく。調子いいな俺。 「匠哉さん」 「ん? どうした、数学中の瑞枝」 「1つ言っておきますが、私は英語だけはダメなんですよ。テストはずっと、拳を振って乗り切って来ましたし」 どんな乗り切り方だ。 ……まぁ権力を持ってる人間ってのは、さらに大きな暴力には弱いからね。 「うぇー、どうするかな。俺も、英語はちょっとなー」 ジャパニーズだし。 英語が世界共通語なのは、英語を使う連中が世界で1番人を殺したからです。 そんな穢れた言語なんて、学びたくもありませんっ。 ……俺、言い訳乙。 「うーん……あ、そうだ」 閃いた。 この街には、英国帰りの奴がいるじゃないか。 「瑞枝、ちょっと行って来る。宿題よろしく」 「え? あの、匠哉さん?」 部屋から脱出。 旅館からも脱出し、街を走り回って奴を捜索する。 やっぱファイト場かな。ま、最初は聞き込みでもしてみよう。 「ちょっと、そこの人!」 通行人に、声を掛ける。 振り返ったのは、夏服姿の女子高生だ。休みなのに制服を着てるのは……補習か。 頭は、メッシュ入りの茶髪。両耳には、多種多様なピアスが飾られている。 ……何つーか、いかにもな女子高生だ。でも、逆に珍しい気もするな。 「ん? 何か御用?」 「人を捜してるんだ。恐い眼付きをした、ツインテイルのチビっ娘なんだけど」 「あー……知ってる知ってる。その子なら、さっきあっちのラーメン屋から出て来るのを見たよ」 「そっか、ありがとなっ」 目撃情報を得、突っ走り始める。 そして――遂に、ターゲットを発見! 「ふはははは、ゲットだぜーッ!!!」 「――な、何だッ!!? 真のアイルランド共和軍の刺客かッッ!!!?」 撫子の首根っこを掴んで、引っ張って行く俺。 「……で、この人を連れて来た訳ですか」 撫子を引き摺って来た俺に、瑞枝は深い深い溜息をつく。 ……そんなに、呆れられるような事か? 「話はこいつから聞いた。――要は、死にたいんだなテメェ等?」 凄む撫子。 俺に持ち上げられた猫状態じゃなきゃ、迫力あったんだろうが。 「ハァ……ッ!!」 「――のわッッ!!?」 撫子は両足で俺の腰を挟むと、体重を掛ける。 俺を倒し、そのままマウントを取った。 が、しかし―― 「――甘しッ!!」 俺は全身を総動員して身体を跳ね上げ、撫子の身体を揺らす。 それでバランスを乱した隙に、上下回転。逆にマウントを取ってやった。 「なッ、テメェ――ッ!!?」 「ふははははッ! チビっ娘め、体重が軽いわッ!!!」 「死、しししし死ねェェッッ!!!!」 蹴りを打ち込もうとする撫子ではあったが、さすがにこの距離では通じません。 こちょこちょこちょこちょ。 「うわ、止め――あひゃひゃ、こ、このクソ野郎ォォ……ッッ!!!!」 「さて、二択だ撫子。俺の宿題を手伝うか、それともこのままくすぐり地獄に耐えるか……!」 「史上稀に見る下らない二択だなオイッ!! 軍式訓練を向けたオレが、この程度に屈すると……ッ!!」 「ほ〜れほれ」 「あひゃひゃひゃ、テメこら、ひゃひゃひゃひゃ……ッ!!?」 「さーて、どうする? 剛情を張るなら、レヴェル1からレヴェル2に移行するが」 「レヴェル2って、何すんだよ……あひゃあゃっ」 「くすぐる場所が変わります」 「――警察に突き出すぞテメェッッ!!!! あ、止めろ、あひゃひゃ……っうん!?」 「何が警察に突き出すだ、ポリと仲悪いくせに。それにな、ポリ公を恐れてたら星丘市には住めません!」 「ひゃわっ、あぁ、はぁぅう……っ!!?」 で、誠意ある説得の結果。 撫子は、英語プリントの協力を承諾してくれたのであった。 「……と言うか貴方達、人の部屋で何やってるんですか」 黙々と数学のプリントを進めていた瑞枝が、ギロリと睥睨する。 ……あ、ペンが指圧に敗けて折れたぞ。 「だって、撫子が協力してくれないんだもん」 「協力する義理がねえんだから当たり前だろうがッ! ったく……言っとくが、オレはそこの女みたいに代わりにやったりはしねえぞ。ただ、アドヴァイスをしてやるくらいだ」 「えー。まぁ、それでもないよりはマシか」 「何てダメ人間なんだ、テメェは……」 溜息をつく、撫子。 ……随分と、溜息が似合わん女だ。 「あ、ところで撫子……英語のプレッシャーに敗けてお前の事情まったく考えてなかったけど、本当にいいのか? 敵同士な訳だし」 「い、今更かよ。もっと早く気付け阿呆。まぁ、構わねえよ。いずれオレは、桃生と敵対するつもりだしな」 「……へ?」 さらりと、爆弾発言。 そんな事、喋っていいのか。桃生の誰かが、こっそりと盗聴してたりするかも知れないんだぞ。ロニィとかな。 ……いや。逆に、何を言ってもいいのか。撫子はこうして敵対するつもりなのだから、この言葉がバレて桃生と袂を分かつ事になっても、結局は同じだ。 「あるいは――奴を、桃生と敵対させるかだ。メンバー同士の私闘は禁止されてるから、どちらかが桃生を離れるしかねえ」 「……お前、そこまであいつに勝ちたいのか」 奴とやらが誰の事かを察し、ちょっと呆れ気味の俺。 でもそれだったら、今すぐにでも桃生を抜ければいいような気もするが……わざわざ留まっている理由は何だ? ……ま、どうでもいいか。 「さて、宿題だ」 話を切り上げ、英語を開始。 とりあえず、簡単な所は先に終わらせておく。 で、次に難しい部分なのだが。 問7 次の英文を和訳しなさい。 "Fairies dance and sing in a deep forest on the midsummer night" 「ええっと……」 辞書片手に、和訳開始。 『Fairies』が妖精の複数形で――アレがこうだから―― 「『深き森の真夏の夜、妖精達は踊り歌う』……か?」 「ちっと違う」 撫子が、ブリントを覗き込む。 トントンと、指で『midsummer night』を叩いた。 「文脈からすると、この『midsummer night』は真夏の夜じゃねえ。『Midsummer day』の前夜の事だ。だから……『迷いの森の夏至前夜、妖精達は舞い騒ぐ』って感じだと思うぞ」 「にゃ、にゃるほど……!」 さすがは英国帰り、的確なアドヴァイスだ。 不覚にも、ちょっと感動。 「お前、凄いな!」 「そ、そんなキラキラした眼で見られると、反応に困るんだが……」 強力なアドヴァイザーのおかげもあって、いいペースで進む英語。 ……それはともかく。瑞枝が数学をやりながらも、こっちを睨んでるのが恐い。何本か、折れたペンが転がってるし。 敵である撫子と同じ部屋にいるのが嫌だ、ってのは分かるんだけど。でもなんで、撫子より俺に殺気立つ事の方が多いの? 「み、瑞枝……? どうした?」 「いえ別に」 ――バキィッッ!!!! 折れたペンがその勢いで飛んで来て、俺の頬を掠めた。 「〜〜〜〜っっ!!!?」 「あれ? また折れちゃいました……不良品が多いですね」 別のペンを取り出し、数学再開。 親の仇のように、プリントを睨み付ける。 「哀れだな……まぁ、オレのせいじゃないから関係ねえけど」 「……? どゆ事?」 「ググれカス。テメェはさっさと英語をやれ、この国際的弱者」 しばらく、宿題会が続いて。 さすがにやりっ放しというのも辛いので、休憩を挟む事となった。 『ここは私に任せろ、キラ! あの2人は、私が斃しておくッ!!』 『ユキオ、貴方……!』 『たった1人で、私達2人と立ち合うつもり? 舐められたものね……ねえ、マリア』 『そうですね、アリサ。ではこの愚か者に、真の闘争というモノを教育して差し上げましょう』 テレヴィの中の魔法少女バトルを眺めつつ、マターリする俺。 ……相変わらず、瑞枝は不機嫌そうなのだが。そんなに難しかったのか、数学の宿題。 しっかし、『真の闘争』か。恐ろしい言葉だな。 「そう言えばさ……武術の流派って山のようにあるのに、テレヴィの試合番組で見れるのって限られてるよな」 徒手空拳の流派では、相撲、柔道、ムエタイ、プロレス系、ボクシング系、空手の特定流派……それくらいか? 日本の番組だと。 「馬鹿かテメェは。実戦流派が闘り合ったら、どっちか死ぬだろうが」 「……成る程、それは御茶の間には流せない。放送事故どころじゃないな」 凄く納得した。 ルールのある格技じゃないと、テレヴィには映せないんだな。 「と言うか……誰が見てるか分からないテレヴィ番組で流派の技を晒すっていうのは、危険過ぎません?」 「だよな。『うちはこういう動きですから、たっぷりと研究して殺しに来てください』――ってな事を、敵に言ってるのと同じだ」 ……敵って。 お前等と違って、普通の格闘家には敵なんていないんだよ。己自身以外には。 「敵……敵か。なぁ、撫子。桃生は一体、何を敵としているんだ? どうしてお前達は、そんな生き物として生まれて来てしまったんだ?」 「……あん? そんな事、聞いてどうすんだよ」 眼に見えて不機嫌になる、撫子。当然だな。 とは言え、こればかりはこちらも退けない。ようやく掴んだ、手掛かりなのだから。 「そうだな……もう1度、逢いたい人がいるんだ。そいつはお前達と同じ混ざり者で、ある夏の日に異形の血に呑み込まれた」 「……何だと?」 「俺は、その場から逃げ出して……今、醜い未練から再会を望んでいる。もっと良い方法があったかも知れないと、後悔しているんだ。まぁ何を選択しても、後悔は残っただろうけどな――」 おっと。 この部屋、雨漏りしている。 「そう、1度だけでいいんだ。それ以上は望まない。どうせまた後悔する事になるだろうが、とにかく逢いたい。そこで――絡んだ糸を、徹底的に断ち切ってやる」 「――……」 「んでまぁ……同じ混血のお前達は、何か知ってるんじゃないかと思って」 撫子は、ボリボリと頭を掻く。 そして、1つ舌打ちした。 「……クソ、聞かなきゃ良かった。そんな話を聞かされたら、こっちも話さなきゃ釣り合わねえ。詰まらない事を聞かされた上にこちらの秘密も吐かなきゃならないなんて、新手の罰ゲームかコレ?」 「済まん」 とりあえず、話してくれるつもりにはなったらしい。 在り難い事だ。 「えっと……私、席を外しましょうか?」 おずおずと、発言する瑞枝。 けれど撫子は、構わないと返した。 「最初っから説明しないとダメだよな……ああ、面倒臭え。じゃあまず、オレ達が生まれた村の事だ」 「――……」 「あの村の人間には、皆に異形の血が流れていた。心が乱れると、それが引き金となって変貌しちまうんだ」 「……何で、そんな血が?」 「さぁな。でもまぁ、伝説は残ってる。落ち延びて来た長髄彦が、再起のために荒吐から神の血を受けた。その血筋を、村の連中は引いているんだとよ」 ナガスネヒコって誰ですか、と小さい声で瑞枝が言う。そんなに雰囲気に呑まれんでも。 長髄彦とは、『古事記』や『日本書紀』――要は日本神話――に登場する人物だ。 彼は大和地方の豪族で、朝廷の侵略に対抗した。『日本書紀』では、最後は敗れて死ぬのだが。 ……しかし、ここに異説が存在する。 『東日流外三郡誌』によると――長髄彦は兄の安日彦と共に、津軽まで逃げ延びたらしい。 津軽、つまりこの地だ。2人はここで、荒吐を祭る国家を建てたという。 そんな感じの説明を、瑞枝にしてやる。『東日流外三郡誌』は確実に偽書なので、その内容がどこまで正しいかは疑問だが。 「妙に詳しいな、月見匠哉」 「色々あってね」 「……で、だ。ある日その村の子供の1人が、武術で心技体を鍛えて変貌を抑え込もうと言い出した。その下に集ったのが、今の桃生のコア・メンバーなんだよ。当時は、まだ組織名なんてなかったけどな」 「――……」 ……さて。撫子の話を聞いて、分かった事は。 桃生と杉澤村には、何の関わりもないという事だ。 同じ混血でも、麻弥とは生まれ方が違い過ぎる。とりあえず、東北の神秘性を再認識しただけだ。 無駄骨だと分かった以上、ここにいても仕方ないのだが……もうしばらくは付き合いたいな。瑞枝には、迷惑掛けるけど。 乗り掛かった船だし、海の真ん中で下船するのもちょっとね。 「敵と闘うために、その方法を知っておいた方がいい――ってのもあったし。オレ達は各地に散って、それぞれ修行を積んだ。そして今、再集結した訳だ」 「敵、ってのは?」 「狩衣を来たコスプレ集団が、襲って来る事があるんだよ。オレはほとんど国外にいたから、闘り合った事は少ねえけど」 「あー……」 「あのクソども、狩衣の胸元に菊の御紋なんて入れてやがるんだ。信じられねえが――大昔の戦争を今も続けたがっている連中が、この国にはいるみたいだな」 ……寄りにも寄って、あいつ等か。 桃生と敵対したいと言いつつ、撫子が未だにグループを抜けていないのは、その辺りの事情が関係してるのかも知れない。組織力がなければ、とても対抗出来る相手じゃないからな。 「村も奴等に焼き払われて、跡形すら残ってねえし」 「……えっと。じゃあ貴方達は、そのコスプレ集団から身を護るために、グループを作ったんですよね。と言う事は、桃生は不良集団じゃなくて自衛組織という事ですか?」 お前までコスプレ集団言うなよ、瑞枝。 あれは制服なんだよ、きっと。知り合いの俺としては辛くなるじゃないか。 「ああ。犬彦、ロニィ、リーダー……あいつ等が修行と称してあちこち潰し回ったから、そんな風に呼ばれてるだけだ」 「ならもしかして、桃生と戦ってる私って悪者じゃありませんか……?」 「うぜえ。バトル・フリークのくせに、余計な事に気を回してんじゃねえよ。お前程度に潰されるなら、元より自衛なんて成り立たねえし――さっきも言った通り、あちこち潰し回ったんだ。なら逆に潰されそうになっても、それは当たり前の事だろ」 ……でも、お前は何も悪くないよな。 うざがられそうなので、言葉にはしないけど。 「そ、そう言われても罪悪感が……」 「罪悪感があろうがなかろうが、お前がこの戦いから降りるのは無理だ」 「桃生の方が、私を狙ってるからですか?」 「それもあるが……お前が何の因果かこの街に来た時点で、リーダーとの激突は不可避となった気がする」 「は、はぁ……?」 「ま、いずれ分かるだろ。……つーか、何でそんな事を喋ってんだ、オレは」 ……リーダーとの、激突? 決着を付けるべき2人は、何もしなくても舞台に招かれる――そういう事か。 分かる気はする。でも瑞枝と桃生のリーダーって、何か関係あるのか? 「それにしても、スネだとかハバキだとか……足に関する言葉ばっかりじゃないですか。私に喧嘩を売ってるんでしょうかね?」 「ナガスネヒコ、アラハバキ――確かにな。でも、最初に喧嘩を売ったのはお前の方だけど」 「う。そ、そうでした……」 眼を逸らしながら、頬を掻く瑞枝。 撫子はそんな彼女を見ながら、 「……足、か。リーダーの得手は蹴り技だ。無駄に気の利いた演出だな……やっぱり、いずれ手袋が投げられるのは決定か」 詰まらなそうに、呟きを漏らした。 瑞枝が、撫子の声に反応する。 「そう言えば、ロニィさんの得意技も蹴り技ですよね」 「ロニィか……あいつは良く分かんねえんだよ。最近加わったメンバーだし」 ……ん? 最近? それって、おかしくないか? 「おい。桃生ってのは、件の村の連中が組織したんだろ? それに後から入るってのは――」 「オレが前に帰国した時だから……いつだっけか、まぁいいや。あいつは村の出身者だと名乗って、オレ達の前に現れた。一応同族の臭いはするし、それなりに強い武術家だったから、リーダーが桃生に入れたが……どうも納得いかねえ」 「……確かに、ちょっと不審だな」 武術で変貌を抑え込むのは、桃生オリジナルのアイディアだ。 村の出身だとしても、メンバーじゃなかったロニィがそれを実践していたのは、明らかにおかしい。どうせやるなら、最初から桃生に入れば良いだけの事だし。 謎だ。あいつは一体、何の目的があって―― 「――酷いなぁ、撫子。敵であるその2人に、桃生の事をベラベラと喋るだなんて」 声がした。 この声は……噂のご本人かよ。 窓から部屋を覗き込んで、ロニィがニコニコと笑っている。 「……そんな。私に気付かせずに、ここまで接近するだなんて……!?」 驚愕する瑞枝。 撫子の方は取り乱す様子もなく、ロニィを眺める。 「何の用だ?」 「分かってるでしょ。ここまでリークをしたとなると、君の行為は桃生に対する裏切りだ」 「あっそ。しっかし、随分と登場が早えな。まるで――ずっと、監視でもしてたみてえだ」 「……ねえ、撫子。本気で、僕達を敵にするつもりなのかい?」 「オレは、そこの月見匠哉をちょっと助けてやっただけだ。誰かさんが言った通り、うちの流派は人助けの武術なんでね」 「…………」 「それが桃生のルールに反したとしても、オレの知った事じゃねえな。そんなモンより、流派の理念の方が百倍大事だと気付いたし。それに――お前と闘えば、足りなかった覚悟も決まるだろう」 「……本当に、桃生を抜けるつもりなんだね。なら――表に出なよ、撫子」 窓から、離れるロニィ。撫子はそれを追って、外に跳び出す。 オレと瑞枝も、後に続く。 そして――ロニィは俺達を、人気のない河原へと誘い込んだ。 ……奴はその顔に、不敵な微笑みを浮かべる。 「では、あの時に果たせなかった勝負――決着を付けようか、鳳仙院瑞枝ッ!!」 「……へ!? わ、私ですかっ!?」 「待てコラ、テメェはオレと闘るんだろうがッッ!!! ここまでの流れをガン無視すんじゃねえよッッ!!!!」 ……さすがだ、何もかもが台無しだよ。 ロニィが、撫子を見る。何てやる気のない顔だ。 「えー、君なんかと闘っても詰まんないよ。瑞枝を倒した後でなら相手してあげるから、それまでは彼とでも遊んでて。――忠多ッ!!」 突如、土手を何者かが滑り下りて来た。 そいつは俺達を挟み撃ちにするかのように、ロニィの反対側に立つ。 「あんたの相手は俺だぜ、浅倉撫子ッ!!」 「……何だ、テメェ? ロニィが抱えてるチームのメンバーか?」 構える、ロニィと忠多。じりじりと間合いを縮めて来る。 それに対し、瑞枝と撫子も構えを取った。 「闘るしか、なさそうですね……」 「……チッ、舐めやがって」 風が、皆の間を吹き抜ける。 それが、合図となったのか―― 「鳳仙院流空手、鳳仙院瑞枝! いざ参りますッ!」 「カポエイラ・コンテンポラニア――ロナウジーニョ・ガウーショ! 我が舞闘に酔い痴れよッ!」 「フェアバーン・システム、浅倉撫子――戦闘開始!」 「ブラジリアン柔術、日暮忠多ッ!! どっからでも掛かって来やがれッ!!!」 4人の武闘家が、地を駆けた。 「うりゃ――ッ!!」 「……ッ!」 間断なく繰り出されるロニィの蹴りを、手刀で捌く瑞枝。 無論、攻められるばかりではない。瑞枝の正拳突きが打ち出される。 しかしロニィはそれを、掌でガードしてしまう……! 「やれやれ……どっちも防御力が高いと面倒だね」 「そうですね、長期戦になりそうです。その場合、ぴょんぴょん跳ね回っている貴方の方が先に疲労しますが」 「違いない。じゃ、前に闘った時も言ったけど――さっさと決めさせて貰うッ!!」 さらに苛烈さを増す、回し蹴りの猛攻。 しかしただ速くなるだけでは、瑞枝にはなかなか通用しないだろう。事実、見事に防いでいる。 だが―― 「さて、もっと激しく踊ろうかっ!!」 ロニィの動きが、どんどん大袈裟になってゆく。 特に腕の振りが大きい。腕全体を使って、ブンブン振り回している。 まぁそれ自体に、攻撃的な意味はないのだろうが―― 「……っ!?」 瑞枝は一瞬、その腕に気を取られてしまった。 ……車のワイパーの動きを、つい眼で追ってしまうのと同じような事か。 そしてその一瞬を見逃さず、ロニィの蹴りが防御を潜り抜ける――! 「うぁ……ッッ!!!?」 上体を、蹴り飛ばされる瑞枝。車椅子を後退させ、手刀受けを構え直す。 相変わらず、腕で注意を引こうとするロニィ。 瑞枝は、ロニィの腕に惑わされぬようにしたかったのだろう。腕の動向を無視するかのような眼。 ……が、それも良くなかった。 腕とて、立派な凶器なのだ。それを意識しないのは自殺に等しい。 コンクリを突く事で鍛えられたという鉄の掌が、瑞枝を張り飛ばす……! 「くぅ……ッ!!?」 怯む瑞枝。その隙を狙い、ロニィは蹴りで追撃する。 足の筋力は、腕の3倍。それを片足に両手を加えた3脚の土台から打ち出せば、凄まじい威力の攻撃となるのだ。 打ち込まれ、激しく揺れる瑞枝の上体。今の一撃で力が抜けてしまったのか、両腕が身体の揺れに引っ張られて振り回される。 ――その、振られた手が。 手刀の形を作り、ロニィの首に打ち込まれる――! 「ぐ……ッ!!? やられたフリかッ!!?」 堪らず、ロニィは瑞枝との間合いを開く。 さっきまでの脱力が嘘のように、しっかりと構える瑞枝。 「……私の手刀を首に受けても倒れないとは、呆れた人ですね。さすがはコンクリートの御友達」 「呆れてるのはこっちだよ。綺麗に入ったと思ったのに、ぴんぴんしてるじゃないか。上地流空手は徹底的に叩いて体表を硬くすると聞いたけど、鳳仙院流も似たようなものなのかな」 「ええ、金属バットで殴られても大丈夫です。貴方の攻撃は、金属バットよりも強力ですけどね」 「嬉しい言葉だ」 「そう言えば、道場の師範――父は、拳銃弾で打たれても平気だと言っていました。嘘だとは思いますが」 「でも金属バットが平気なら、その延長線上に拳銃弾もあるよね……やっぱり君は、強くなる前に倒しておかないと。そして、勝ち逃げするのが1番だ」 ……後ろ向きだな、ロニィ。 2人は、再度間合いを詰める。 「――『千手正拳突き』ッッ!!!」 残像が残る程の速度で、両の拳を打ち続ける瑞枝。 「――『無尽蹴撃脚法』ッ!!」 ロニィは逆立ちし、同等の激しさで両足を振るう。 ……ぶつかり合う、双方の連打。 凄まじい打撃音が河原を震撼させ、空気を裂いて響き抜ける――! ――その一方。 意外にも、撫子は苦戦を強いられていた。 「フハハハハ――ッッ!!!!」 「チィ……ッ!!? 何なんだ、こいつはッ!!?」 撫子の相手――忠多は、奇妙な動きを見せていた。 地面を縦横無尽に転がりながら、撫子に駆け寄って来るのだ……! 「……クソッ!!」 撫子は逃げるしかない。 転がって来る相手に、対抗する術がないのだろう。戦場にあんな奴はいないだろうしな。 ……あいつの武術は、ブラジリアン柔術だったか。 ブラジリアン柔術とは――ブラジルに移住した柔道家が伝えた技術を、受け継いだ者達が改良して生み出した格闘技だ。あのグレイシィ柔術も、ブラジリアン柔術の一流派である。 主体となるのは寝技。打撃は禁止されており、使う事は出来ない。 だから、忠多はゴロゴロと転がっているのだろう。どうせ寝技に入るのだから、最初から地に寝ていた方が良い――そんな極端過ぎる考えの末に誕生した、我流戦法なのだ。 「ほらほら、攻め込んでみろよッ!!!」 身体を丸めて1つの球と化した忠多は、転がりながら撫子に手を伸ばして来る。 そのターゲットは、彼女の足。組み技使いに足を掴まれたら、それはもう一巻の終わりだ。 桃生のメンバーじゃないという話だったから、多少侮っていたが……なかなかどうして、かなりの使い手だな。 「ハハハ、手も足も出ないとはこの事だなぁッ!!!」 上手い事言ったな、忠多。 低姿勢の相手に、手での攻撃を打ち込むのは難しい。撫子お得意の打顎も、この相手には通用しない。 となると蹴りしかない訳だが、むしろ忠多はそれを待っているように見える。蹴り足を掴むつもりなのだ。それでは、さすがに蹴り込み辛い。 ……ほら、手も足も出せない。 忠多はそれを嘲笑うかのように、土煙を上げながら突っ込んで行く――! 「ああもう、面倒臭えッ!!!」 ちょっと自棄っぽくなりながら、下段蹴りを打つ撫子。 それを忠多は、転がりつつも器用に膝で受けた。そして、蹴り足に両手を伸ばす……! 「――捉えたぁぁッッ!!!」 撫子の足を、がっちりと掴む忠多。 彼女を倒し、寝技に移行しようとした時―― 「う――らァァッッ!!!!」 「なぁ……ッ!!?」 撫子はその足を、空に向けて思い切り蹴り上げた――! 「そ、その足のどこにこんなパワーが……ッッ!!!?」 「両足それぞれに20キロの重り付けて、トライアスロンやらされてたんだよ――オレはッッ!!!!」 ……成る程。そりゃジャングル・ジムだって蹴り返せるようになるわな。 ましてや人間など、造作もなく振り上げられるだろう。 遠心力に耐え切れず手を放してしまい、空を舞う忠多。 ――撫子が、笑う。 「空中じゃ、転がりも寝技も使えねえよなぁッッ!!!!」 「が――ッッ!!!?」 杭のように打ち出された蹴りを、忠多はまともに喰らった。 しかし―― 「……今度こそ、捉えたッッ!!!!」 忠多は空中で身を翻すと、撫子の足を掴んで着地。 ……蹴りが、浅かったのか。 「クハハハハ――この足、獲らせて貰うぜッッ!!!!」 「笑わせんじゃねえぞ、ド三下が――ッッ!!!」 掴まれている足を、忠多の胴に押し付ける撫子。何だ、押し飛ばすつもりなのか? しかしいくら脚力があっても、足を掴まれた状態で、しかもその近距離じゃ――いや、違う!? 「――哈ァアアッッ!!!!」 撫子の片足が、大地を強く踏み締めた。 地が震えると同時に、押し付けた足が忠多を吹き飛ばす――! 「な――ん、だとぉ……ッッ!!!?」 凄まじい足打。 河原をバウンドする、忠多。 「い、一体何が、起こ……って……」 倒れ伏す。 忠多は気を失い、戦闘不能となった。 「痛……クソ、マジで極めようとしやがって」 「……撫子、今のは何だ? 発勁の類か?」 発勁とは――全ての筋肉を無駄なく連携させ、全身の力を一点に集中させる技術の事だ。 ……まぁ要は、気の力で相手をぶっ飛ばすのである。 「ああ、一通り叩き込まれた。流祖フェアバーンは、中国拳法を学んでいたからな」 「いやしかし……習得に時間が掛かる技は、システムからは排除されてるんじゃ?」 戦争は待ってくれない。 出来るだけ早く兵を鍛え上げねばならないのに、そんなのを修める余裕などないはずだ。 「そうなんだがな……うちの教官は、かなり酔狂な人間だったモンでね」 「…………」 さっきの重り付きトライアスロンもそうだが……師から愛されてたんだな、撫子は。 ちっとも羨ましくないけど。 「キェエエイッッ!!!!」 「Quebra gereba――♪」 瑞枝とロニィのバトルは、さらに激しさを増していた。 飛び交う、剛拳と剛脚。1つ間違えれば、あっという間にどちらかがノック・アウトされるはずだ。 しかしこの2人の技量の前では、間違いなどそう簡単には起こらない。 まるで予め決まっていたかのような動きで、それぞれの攻撃を防御・回避してゆく――! 「さて、どうなるか。長引けば長引く程、ロニィの奴が不利だがな」 自分の死合を終えて観戦モードとなった撫子が、ぽつりと呟いた。 ロニィの方が先に疲労するし、瑞枝もカポエイラのトリッキィな動きに慣れる――ってヤツだな。 確かにもう、瑞枝は腕の動きに惑わされていない。眼が慣れたのだ。 「――読めたッ!!」 突如、叫ぶ瑞枝。 それと共に打ち出された正拳が、ロニィの胴に入る――! 「ぐ……ッ!!?」 後方に跳躍し、瑞枝との間合いを開くロニィ。 ……読めたって、何が? 「貴方、ずっと音楽を聴いていますよね。その、片耳のイヤホン」 イヤホンか。温泉に入ってた時以外は、いつも付けてたな。 カポエイラは、舞踏として伝承した武術。踊りであるのなら、音楽は切っても切れない要素だ。 「音楽を聴きながら歩いていると、自然に歩調を合わせてしまう――それと同じです。貴方の攻撃も、音楽のリズムに乗ってしまっている」 「――……」 「そのリズムさえ読めれば、攻撃も防御も容易い。底が見えましたよ、ロニィさん」 「……それは、困ったな」 本当に困っている様子で、ロニィは頭を掻く。 それでも、イヤホンは外さない。流派の理念を捨ててしまったら、人間を捨てた犬彦やマキと変わらないのだろう。 「分かった、こうしよう」 ロニィは、構えを解いて両手を上げた。お手上げである。 ……え? 降参すんの? 「僕も武人だからね、命乞いはしない。でも、勝てないと分かった勝負を続けるのも美学に反する。だから、一思いに倒して欲しいんだ」 「……本気ですか?」 「無抵抗の相手を倒すのは、気が進まないかい?」 「いえ、そういう訳ではないですが……なら、やらせて貰います」 瑞枝の拳が、ロニィに迫る。 ――しかし、その時。 ロニィは、上げていた腕を動かした。 「掛かったねえ、馬鹿正直に」 「……ッ!!?」 両腕で、顔面をガード。 そして瑞枝に、強烈な頭突きを放った――! 「――『金剛突撃頭法』ッッ!!!!」 コンクリに落ちても傷1つ付かない、ロニィの石頭。 それを、攻撃に転用すれば――恐るべき威力の武器となる。 いかに瑞枝と言えども、防げる一撃ではない。そして、躱せるタイミングでもない。 だから―― 「やぁぁあああああッッ!!!!」 瑞枝は自分の頭を、ロニィの頭に激突させる――! 「な、に……ッッ!!!?」 瑞枝はロニィの頭突きに、同じく頭突きで対抗したのだ。 ……確かに、ロニィの頭は硬い。 しかし体表の硬さは、ロニィだけの専売特許ではない。 「ぐ……ッ!」 血を流す、瑞枝の頭。 ロニィは出血なしだ。さすがに、休みなく鍛えているだけの事はある。 ……ダメージは、瑞枝の方が大きい。しかし、それは問題ではない。 頭突きでの不意討ちを、止められてしまったロニィ。いくら手練の彼であっても、刹那の動揺はあったはずだ。 その刹那に、瑞枝の拳が暴威を振るう……! 「『千手正拳突き』――ッッ!!!!」 「――はぐぁ、あ……ッッ!!!?」 打ち込まれる、千の拳打。 ロニィはそれを、正面から受け――河原を転がった。 「そういう戦法は、余り感心しませんよ……卑怯だとは言いませんけどね」 「うぅ、痛てて……さすがは『拳客』、あんな攻撃なんて通じないか」 身体を摩りながら、起き上がるロニィ。 おお、ボロボロだぁ。ま、瑞枝のパンチをあんだけ受ければそうなるか。 「まだ闘りますか?」 「……じょ、冗談。これ以上闘ったら、ホントに死んじゃうよ。今だって、口から内臓が飛び出しそうなのに」 「…………」 その言を聞きつつも、構えは解かない瑞枝。 さっきも、油断させて攻撃したんだもんなぁ。 「さて……撫子」 「あん?」 「君は僕の配下を倒した。もう、桃生に置いておく事は出来ない。まぁ……私闘禁止を破って僕と闘おうとした時点で、既にアウトなんだけど」 「――……」 「御膳立てはしてあげたよ。君は、君の望みを果たすといい」 「……ああ。クソ兄貴に、ブッ潰しに行くと伝えとけ」 「フフ、威勢はいいねえ。しばらくは、そこの瑞枝・匠哉ペアと離れない方がいい。あの連中――君の言葉を借りれば、コスプレ集団――は、匠哉がいれば襲って来ないと思う。幽子の心情からすると」 「何だと……?」 俺を見る、撫子。 しかし俺は、ちょっと唖然としてロニィを見続ける。 あいつ――ただの混血でも、ただの武闘家でもないな。 ……幽子の心情、っつーのは良く分からんが。 「ロニィ、お前は一体……?」 「ほーら、起きて忠多。帰るよー」 俺の問いを露骨に無視して、忠多を蹴り起こすロニィ。 ……答えないだろうとは思ってたから、別にいいんだけどさ。 「瑞枝、君も気を付けて」 「……え?」 「うちのリーダーは、長髄彦の直系――耶馬台国の王族だ。その力はきっと、僕の想像すら絶する」 「――……」 「精々、殺されないようにね」 ロニィはそう言い残すと、忠多を連れて去って行った。 「あー、くそ。敗けたーっ!」 「まぁ、敗けたのは僕も同じだし。最強の看板を背負ってる訳でもないんだから、そんなに気にしなくてもいいでしょ」 忠多とロニィは河原から離れ、脇道を歩いていた。 「じゃあ僕は、温泉に入りに行くから。君とはここでお別れだね」 「……好きだな、ホントに」 「これだけボッコボコにされたんだから、その傷を癒しに行かないと」 手を振ってロニィと別れ、道を進む忠多。 これから、バターリャの集会がある。ヘッドとして、欠席する訳にはいかない。 ……が、しかし。 それは、永遠に叶わぬ事となった。 「……ッッ!!!?」 魂を凍えさせる、絶対零度の殺気。 それに気付いた時には、既に遅く――相手は、忠多の頭を掴んでいた。 「な、何だお前は――ッッ!!!?」 「……問答無用、『捻り首背負い投げ』!」 投げの勢いで忠多の首を折りつつ、その身体をコンクリに叩き落とす襲撃者。 ……無論、忠多は即死だ。 襲撃者――野見流彗は、彼の死体を眺めて気付く。 「……ん? 人違いだったかな……?」 かつてファイト場で闘い、意識不明の重体となった総合格闘家。 その団体が彼の仇を討とうと、数人の所属格闘家に流彗を襲わせたのだ。1人残らず、この世というリングから退場する事となったが。 流彗は忠多をその刺客と勘違いし、速やかに屠殺したのある。 「……お互いに取って、不幸な出遭いだったね。三途の川で、水に流してくれると有り難い」 死者にそう語り掛けると、もう用はないとばかりに、立ち去ろうとする流彗。 しかし――眼前に現れた少女によって、それは妨げられた。 「――ふぅん。撫子ちゃんの必殺技を受けて、死ぬどころか聴力すら失ってないなんて。やっぱり強いんだ――殺人鬼・野見流彗は」 余りにも場違いな、茶髪にピアスの女子高生だった。 すぐ傍に死体が転がっているのに、意に介する様子はない。彼女の興味は、ただ流彗のみに注がれている。 「……君は誰だい?」 「桃生のリーダーなんかをやってる、普通の女子高生デス。現在、補修サボって武人狩り中」 「……ほう。君があの、悪名高い『鳥神』か。先日も、米軍基地を襲撃したとか」 流彗の方も、興味が湧いて来た。 只者でない事は気付いていたが、まさか桃生のリーダーだとは思わなかったのだ。 「ねえ流彗、貴方って蹴り技が得意なんでしょ? 野見宿禰は、当麻蹴速を蹴り殺したんだし」 「……得意と言えば、得意ではあるけど」 「じゃあ、私の蹴りと勝負しようよ。私も、蹴り技が大の得意なんだ」 会話をしつつも、距離を測る両者。 「……そうだ、1つ尋ねてもいいかい?」 「何? メアドとスリーサイズ以外なら、教えてあげるけど」 「……君が、『武人の王』――デーヴィ・カーラーの弟子というのは、本当なのかな?」 「うん。K・デーヴィ・グルッカルの一番弟子とは、他ならぬこの私。……まぁ弟子なんて私しかいなかったから、一番なのは当たり前だけどね」 「……そうか、楽しめそうな相手だ」 両者から、言葉が消える。 そして――流彗が、闘いの火蓋を切った。 「……野見流角力、野見流彗。其の御命、頂戴する」 「カラリパヤット――長砂恋々。来なよ、相手してあげる!」 瞬時に間合いへと跳び込む、流彗と恋々。 互いの蹴りが振るわれ、2人の眼前で交差した。 「……ッッ!!!?」 軋みを上げる、流彗の足。 流彗は、その瞬間――自分が敗ける事に、運命じみた確信を得た。 「――なぁんだ。貴方も結局、他のワタアメと同じか」 たった一合で相手の力量を読み取り、落胆する恋々。 彼女は流彗の足を押し返した後、その場で大きく跳躍した。 「覗いても無駄♪ ブルマ(文化遺産)を穿いてますからー♪」 暴雨のように降り注ぐ、恋々の蹴り。 それは微塵の容赦もなく、流彗の肉体を打ち砕き――彼を、亡き者にした。 「……痛たた……」 着地する、恋々。 傷など負っていないにも関わらず――彼女は、苦痛で顔を歪める。 「うぅ、頭がクラクラします……」 「……つーか俺としては、クラクラするだけで済む事に驚きだ」 ロニィ達との一戦を終えた瑞枝は、俺と共に土手を進んでいた。 ……そしてその後ろからは、撫子も付いて来ている。 どうやら、俺達と同じ旅館に泊まる事にしたようだ。離れるな、との事だしな。 「良い事だ……撫子が近くにいれば、いつだって宿題を手伝って貰える」 「おい、そこのダメ人間。テメェは楽する事しか頭にねえのか?」 ……えーっと。 ぶっちゃけ、ありません。 「ったく……」 呆れた様子の、撫子。 ……それにしても、今日は盛り沢山だったな。 荒吐に、長髄彦――か。 瑞枝はこの2つの名に、足という共通点がある事に気付いたが……足だけではない。 荒吐の『ハバ』は、天羽々斬の『ハバ』と同じく、蛇を意味するそうだ。 長髄彦の『ナガ』も、蛇神の事とする説がある。それはこじつけっぽいが――しかし彼は、饒速日から天羽々矢を預かっていた。蛇、である。 ……俺の人生に立ち塞がるのは、やっぱり蛇族なんだな。 まぁ東北は、縄文文化が栄えた土地だ。縄文の縄とは蛇の事だと聞くし、旧い藪を突けばそりゃ出て来るか。 殺虫剤(殺爬虫類剤)を散布したい。ないのか、一撃必殺ヘビコロリとか。 「……そうだ」 ふと思い付いたように、撫子が口を開く。 「桃生を抜けた以上、黙っとく理由もねえか。おい、瑞枝」 「――? 何です?」 「落ち着いて聞けよ。桃生のリーダーはな、お前の――」 ……と、その時。 俺は、前から歩いて来る少女に気付いた。 撫子捜しに協力してくれた、あの女子高生だ。 「……ッッ!!!?」 怖気が奔り、身が震える。 ……鬼気の発生源は、瑞枝。 彼女は、女子高生を眼にした途端――気を練ると同時に、灼熱のような怨憎を滾らせたのだ。 「コォォォォ……ッ!!!」 「――馬鹿、止めろッッ!!!!」 撫子の制止も、瑞枝の耳には届いていない。 瑞枝はペダルを踏み込み、女子高生へと吶喊する……! 「――長砂、恋々――ッッ!!!!」
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