――インド南部、ケーララ州。 アーユル・ヴェーダ発祥の地、人体についての旧い知識が眠る場所に――1つの寺院があった。 そこで祭られるは、女神カーリィ。 かつては人間が生贄として捧げられていた、破壊と殺戮の神である。 ……無論現代においては、人を神族の贄にするなど赦されない。 だが――その寺院を拠点とする教団は、夜な夜な崇める女神への人身御供を行っていた。 ……世界で最も美しいと讃えられた天地は血で染まり、民草の頭上には恐怖が降り注ぐ。 地元組織の手に負えぬと判断を下したIEOは、対カルト教団対策本部を設立。教団殲滅のための人員を送り込んだ。 ――特殊部隊兵士65人。後方支援担当の、PSI能力者や魔術師・呪術師が28人。そして、屍人が2体。 考えられる限り最高の戦力が、寺院に送り込まれ―― 「……段違いの、戦闘能力アルね」 屍人2体を残し、尽く殺戮された。 カーリィの神像が鎮座する、巨大な聖堂。血肉の海と化したそこで、飛娘は教団の開祖と相対する。 ……その者が、たった1人でIEOの精鋭達を皆殺しにしたのだ。 「――、――、――」 教祖の女――デーヴィ・カーラーは小声でマントラを唱えながら、飛娘に不気味な微笑みを向けた。 ……何よりも、恐るべき事は。 その鏖殺を為したデーヴィが超越者でも異能者でもなく、ただの人間――ただの格闘家である、という事だ。 「――このぉッ!!」 飛娘は、左手の双龍剣を神速で振り下ろす。 だがデーヴィは足を上げると、裸足の指で剣を白刃取りしてしまう。 片足立ちになったにも関わらず、まるで巨木のように不動を維持していた。 「――哈ァッ!!!」 勿論、それで諦める飛娘ではない。 デーヴィの身体を両断せんと、右手の剣を振り被る。 しかし―― 「――、――、――」 デーヴィは、その手に持っていた得物――木の棒で剣を握る飛娘の手を突き、斬撃を阻止した。 ……人を止めた者と同等のスピードで、デーヴィは武器を振るっている。 「くぅ――ッ!!?」 掴まれたままの剣を手放し、距離を取る飛娘。デーヴィの足が投げ付けて来た剣を、間一髪躱す。 棒が振るわれる。飛娘の見切りは、間合いが遠くて当たらないと判断したのだが―― 「――ッッ!!!? あ、ぅぐ……ッッ!!!?」 当たらないはずの棒が、当たった。 飛娘の右腕が轢断され、剣ごと吹き飛ばされてしまう。 「――、――、――」 「……油を塗った棒を手の中で滑らせて、攻撃の間合いを長くしたアルか。でもまさか、この私に読み切れないとは……」 すぐに、飛娘は右腕を再生させた。 だが――腕は元に戻っても、飛んで行った剣はどうにもならない。 双龍剣を、二振りとも手放してしまった。破壊と殺戮の達人を前にして、それは余りにも危険過ぎる。 「――ッ!!!」 飛娘は斃れている兵士のヘルメットを取ると、全力で投擲した。 上方に跳躍し、躱すテーヴィ。彼女は天井を蹴って加速を付け、飛娘に襲い掛かる。 「――うぁぁッッ!!?」 スコールのように、デーヴィの蹴りが降り注ぐ。 砕けて飛散する、床の欠片。回避が間に合わなければ、飛娘の身体も粉々になっていただろう。 「――、――、――」 しかし着地の際、デーヴィは僅かに体勢を崩した。 ……彼女とて、満身創痍なのだ。デーヴィの総身には、IEOの戦士達が命と引き換えに負わせた深手が、いくつも刻まれている。 さらに、外から1発の銃弾が襲い掛かった。 「――、――、――」 デーヴィは、棒でそれを防ぐ。 無論、まともに受け止めた訳ではない。棒を回転させ、弾丸を紙一重で身体から逸らしたのだ。 狙撃は防いだ。しかし、着地の僅かな失敗から生じた隙は、銃撃を防御した事でさらに大きくなっている。 「やぁああああッッ!!!!」 それを見逃さず、攻め込む飛娘。 相手は人間で、彼女は人外。闘うには武器がいるが、殺すのは素手で充分。 ……飛娘の拳が、デーヴィの胸を貫いた。 「――、――、――……ッ!」 飛娘は彼女の身体を蹴り、距離を取る。 ……事切れ、床に斃れるデーヴィ。 飛娘は、本当に彼女が絶命したかどうかを確認すると―― 「はぁぁぁぁ〜……」 気を抜き、尻餅をついた。 「まったく、冗談じゃないアルよ……さすがに、ここまで強いとは聞いてなかったアル」 仰向けに寝る、飛娘。 その場は死体の山と化している訳なのだが、死んでいるのは飛娘とて同じだ。憚る事はない。 しばらくすると、レインが聖堂に現れた。 「おー、御苦労アルー」 『なかなか、狙撃する隙が見付けられなかった。御免なさい』 「良いアルよ、そういうレヴェルの相手だったアル」 『……デーヴィを討った事、鳳仙院瑞枝に連絡するの?』 「そんな義務はないアルよ〜。まぁ、機会があったら教えてもいいアルけど……全てが終わった訳じゃないアルし」 『……日本には、デーヴィの弟子がいるんだっけ』 「そうアル。武の才能は師を上回るとまで言われる、本物の天才が」 『――……』 「ま、私には関係ないアルけどね〜」 戦闘中とは別人のように、だらける飛娘。 レインはそれを眺めつつ、一呼吸程躊躇った後――スケブにペンを走らせた。 『……良くない話を聞いた。知りたい?』 「良くない話って……何アルか? 勿体振らないで教えるアルよ」 『報告が来ている。あの月見匠哉が鳳仙院瑞枝と組んで、桃生と戦っているらしい』 「……は?」 飛娘の眼が、点になる。 その言葉を意味を、深く吟味した後。 「――何で毎度毎度、問題の渦中に突撃するアルかぁぁああああッッ!!!?」 全力で、咆哮した。
「ん……?」 「――? どうかしましたか、匠哉さん?」 「今、とてつもない怒りのオーラを感じたのだが……ま、気のせいだろ」 そういう事にしておこう。 ――さて。 俺は瑞枝の部屋に呼び出され、彼女から提案をされていた。 「この街の、ストリート・ファイト場を探したいんです。やっぱり実戦経験を積みたいですし、資金も欲しいですから」 「……ストリート・ファイト場? つーと、要は喧嘩場?」 「ええ、まあ。でも最近は色々な所があって、1番強い人には賞金が出たりするんです」 「ああ、お前もストリート・ファイトで稼いだって言ってたもんな……でも、誰がそれを払うんだ?」 金というのは、何もない所からは生じない。 払われる者がいる以上、払う者がいるのは道理だろう。 「ああいうのって、有名な道場や格闘技団体が主催だったりするんですよ」 「……マジ? 何でそんな事を?」 「若い才能溢れるファイターを、スカウトするためですね。私も何度か誘われました」 殴り倒して断りましたけど――と、付け加える瑞枝。 ……殴り倒すな。普通に断れないのか。 「で。ファイト場探しを、匠哉さんにも手伝って欲しいんです。1人より、2人が手分けした方がいいですから」 「話は分かった。探すのにも喜んで協力するが……しかしそんなのが、この街にあるのか?」 イースト・エリアじゃあるまいし。 そこら中で喧嘩が行われているとは、とても思えないのだが……。 「ありますよ、どこにでもありますから。ちょっと路地裏に入ったり、廃倉庫を覗いたりすれば」 「……そ、そういうもんなのか……」 「そういうものなのです。では早速、分担を決めましょうか」 瑞枝は街の地図を持って来ると、指で簡単に分ける。 ふむ。俺は、街の南側を探れば良いのか。 「あ、そうだ匠哉さん。ただ探すだけというのも詰まらない話ですから、実際に参加してみたらどうです?」 「お、俺に闘えと申すか!?」 「はは、そういう事ではなく。観客が、選手にお金を賭ける事も出来るんですよ。興味が湧いたら、ギャンブルでも楽しんで来てください」 「……賭け事か……」 俺とは致命的に相性が悪そうだな。 いや、そもそも資金が―― 「はい、これを」 「ん?」 瑞枝が俺に、千円札を渡した。 「この間貰った一万円の、使わなかった分です。せっかくですから、お返ししますね」 「……ずっと持ってればいいのに、律儀だね。まぁそういう事なら、見事スッて来るか」 「す、擦るのが前提なんですか……」 「うん。昔から、この手の事には弱くて」 「そうなのですか……もしかしたら、貧乏神にでも取り憑かれているのかも知れませんね」 「ははは、かもな」 笑い飛ばす。 ……本当は、笑い事ではないのだが。 「あ、でも気を付けてくださいよ。この辺りに殺人犯が潜伏してるって、ニュースで言ってましたから」 「殺人犯……ねえ」 何か、あんまり恐くないな。 瑞枝と比べたら、殺人犯なんて赤子同然だからか。 「どうしたもんかねえ……」 早速、ファイト場探しに出発した訳なのだが。 ……どこから探せば良いのか、見当も付かん。 路地裏や廃倉庫、か。要は、人目に付かない場所がいいんだな。 まぁ、警察に踏み込まれたりしたら面倒だろうしなぁ。そして警察の方も、わざわざそんな所には行きたくないはずだ。どっかのアパートの二の舞になるかも知れないし。 つまり……『見付からない』というのが、互いにとってベストなのだ。 路地裏に入る。人目のない場所から、さらにない場所へと移動し―― 「……案外、簡単に見付かったな。ホントにどこにでもあるのか」 それを、発見した。 寂れた公園だ。周囲は高い建物に覆われ、少し離れてしまえば存在が分からない。 そんな場所で子供が遊ぶはずもなく、今はファイターと観客達が歓喜する喧嘩場と化していた。 観衆に、加わる。 結構賑わってるんだな……もう少し、ひっそりとやってるのかと思ってたけど。 「ほう、トーナメント方式なのか」 張り出されている、表を見た。 4人のファイターが、前述の方式で闘うらしい。優勝者には、10万円の賞金が出るようだ。 「……ん?」 その4人の中に、見覚えのある名前が。 一瞬、見間違いを疑ったが……何度見直しても、その名前がある。 「浅倉撫子……」 この前俺を拉致った、あの軍人ツインテイルだ。 ……まぁラーメン屋でちょっとイカサマをした相手でもあるので、何だか悪い気がして怨み辛かったりするのだが。 「…………」 ポケットから千円を出し、眺める。 あいつの実力は、瑞枝によって保証済みだ。1度は勝ったが、もう1度勝てるかどうかは分からない――との事。 「良し、スッて元々だしな」 ふむ……競馬と同じく、投票券を買う事によって選手に金を賭けるのか。 千円を、全て撫子に賭けてみる俺。 時間が来るまで、ぼーっと待つ。 第一試合開始の時間が、近付いて来る。 「……お、来たか」 今までどこにいたのか、撫子は観客の頭上を跳び越えて公園の真ん中に立つ。 格好は、あの黒い戦闘服だ。しかし―― 「ナイフを差してないな……」 「あれは、無力化した相手にトドメを刺すための物だからね。ストリートでは必要ないでしょ」 「ふぅん、にゃるほど――って、うわぁッッ!!?」 「やぁ、匠哉」 いつの間にか、ロニィが隣に。 奴はニコニコしながら、撫子を眺めている。 「お前、どうしてここに……?」 「これから、温泉に行こうと思って。でも面白そうなリズムを感じたから、ちょっと立ち寄ってみた。折角だし、5万円程賭けて来たよ」 ごまんえん! 儲かるかどうか分からないギャンブルに、ごまんえんッ! ……も、もちつけ俺。 「そ、そうか……お前も、撫子に賭けたのか?」 「ははは、まさか。彼女に賭けるだなんて、金をドブに捨てるのと同じじゃないか」 邪気のない笑顔で、仲間の敗北を予言するロニィ。 すると、 「……聞こえてんぞ、そこのエセブラジル人」 殺意が込められてるとしか思えない視線で、振り返った撫子が一睨した。 ロニィはそんな眼光を受けても、涼しい顔。 「なら、僕がお金を擦るように頑張るんだね。ほら、匠哉は君に賭けたみたいだし」 「……チッ」 嫌そうに俺を見た後、視線を戻す撫子。 すると――観客を割って、撫子の対戦相手が現れた。 身長は、2メートルはあるか。その上、横幅もデカい。 巨漢という言葉が、これ程似合う奴も珍しい。 「何だか、力士みたいな奴だな……」 「いや、実際に力士だよ。まぁ、暴力沙汰で相撲部屋を破門されてるから、元力士と言った方が正しいかな」 「……マジですか」 撫子と対峙。 体格が違い過ぎる。大人と子供――と言うより、もはや悪鬼と小人だ。 「何だ、俺の相手はこんなチビガキかよ!! こりゃ勝ったも同然だなッ!!」 ガハハハハ――と、大笑する力士(元)。 対する撫子は、詰まらなそうに息を吐くのみ。 「……ああ、下らねえ。こんなデブを叩き潰したって、何の自慢にもならねえな」 「んだと、このガキが――」 「五月蝿ェ、さっさと来い。雑魚の分際で、これ以上オレの時間を消費すんな。ったく、空気読めよ」 「……挽肉にしてやる」 腰を落とし、ダンと両の拳を地に突く力士。 ……相撲の仕切りだ。取り組み前の、最初の構え。 力士は取り組みが始まると同時に、この姿勢から一気に相手に突っ込んで行く。 100キロを超えるであろう力士が、砲弾と化して突撃して来るのだ。その威力は想像を絶する。 同じ力士なら、止める事は可能だが……小柄な撫子にそれを期待するのは、どう考えても間違ってるだろう。 「ねえ匠哉、相撲の勝敗がどうやって決まるか知ってる?」 突然、ロニィがそんな事を言い出した。 とりあえず、答えてやる。 「相手を土俵に倒すか、土俵から出すかだろう」 「その通り。相撲には他の格闘技にあるような、ノック・アウトしての勝利というものがない。何故だか分かる?」 「それは……無理だからだな」 「うん。鍛え上げられた筋肉と、びっちりと付いた贅肉。これはもう、防具を着てるのと同じだ。ノック・アウトは現実的じゃない……少なくとも、相撲の取り組みではね」 「防具を着てるのと同じ、か。ウェイトの軽い撫子の打撃なんて、まったく通じんだろうな」 ファイトに集中する。 審判らしき男が――開始の宣言をした。 「――潰れろ、クソガキ」 一言呟いた後に、突っ込んで行く力士。 まともに食らえば、無事では済まぬ体当たり。 撫子は―― 「……っと」 ギリギリまで引き付け、相手の頭に手を置く。 そして――まるで跳び箱のように、力士を跳び越えてしまった。 「ぬぅ……ッ!!?」 身を返し、追撃しようとする力士。 撫子は、そんな相手を冷めた眼で見るばかり。 「……身体がデケえから、そうしないと体重を支えられないんだろうが――」 静かな声で、呟く。 そして―― 「実戦じゃアウトだな。股を開き過ぎだっつうの」 金的蹴りを、微塵の容赦もなく打ち込んだ。 うわぁ。 「……ッ、――!!!?」 悶絶し、反射的に蹲る力士。 無防備にも晒された後頭部に、撫子の手刀が振り下ろされる――! 「――がッッ!!!?」 力士が意識を失い、地に倒れた。 ……勝負あり。 力士に賭けていたのであろう連中が、色々と喚きながら投票券を投げ捨てる。面白いなお前等。 「さすが撫子、徹底した急所攻めだね」 いくら力士であろうと、人間である事は変わらない。 そして人間である以上、何をしても肉の付かない部分が存在する。撫子は、そこを突いたのだ。 「ナイスファイトだよ、撫子!」 「……テメェは、別の奴に賭けたんじゃなかったか?」 「それはそうだけど。桃生の一員があんな雑魚に敗けたとなると、組織の沽券に関わるからねえ」 「対戦相手の前に、まずはこいつから潰してえ……」 イライラ撫子。 つーかロニィ、こいつで遊ぶの止めなさい。 「なぁ、1つ思ったんだけど。ここ、試合と試合の間隔が長くないか?」 第二試合は、何と数十分後だ。 選手のインターヴァルだとしても、ちょっと長過ぎるだろう。 ……その、俺の声を聞いて。 ニヤソと笑う、ロニィと撫子。 「な、何だよ……?」 「クックックッ……なぁ、月見匠哉。さっきの力士に賭けてた連中、このインターヴァルに何をすると思う?」 凄く楽しそうに、軍人ツインテイルが俺を見る。 玩弄されてますね、俺。 「何をするって……帰るしかないんじゃないのか?」 「んな素直な人間が、こんなとこに来る訳ねえだろ。力士以外に賭けた奴から、投票券を奪うんだよ」 「へぇー……ってオイ」 ……それってもしかして、お前に賭けた俺も含まれてますか。 ロニィが、慰めるように俺の肩を叩く。 「ま、世の中そういうものだよ」 「……何を人事のように言ってやがる。お前だって対象だろうが」 「僕はほら、腐っても武術家だから。素人如き、何人相手でも敗けはない」 「…………」 こいつは、機動隊を退ける程の腕利きだもんなぁ。 どうでも良いけど、腐ってる自覚はあったのか。 「ほーら、来たよー」 俺とロニィを取り囲み、襲い掛かって来る観衆。 ロニィが、そいつ等を華麗に蹴り倒す中――俺、全力で逃走開始。 「……あ、帰って来た」 ファイト場に戻ると、ロニィに笑顔で出迎えられた。 端っこには、観客が何人も転がっている。なのに、奴自身はケロリとしていた。 「君を追って行った奴等は? やっつけたの?」 「んな訳あるか。逃げる途中で撒いたんだよ。あいつ等の足じゃ、もうここには戻って来れないだろうな」 「……一体、どこまで行ったんだか」 苦笑するロニィ。 「……何だ、帰って来やがったのかよ」 撫子は、不満を隠そうともしない。 そんな姿を見て、ふと思う。 「なぁ。お前、その性格で軍人なんて務まるのか?」 「務めるつもりもねえよ。オレは英国陸軍の大尉から武術の教えを受けたってだけで、軍人な訳じゃねえ」 「ぬ、そうなのか」 「まぁ、教官はオレを連隊に入れたがってたけどな……それから逃げる意味も込めて、こうして帰国した訳だが」 「ふーん。全てにおいて師の後を継ぐ、って話にはならないんだなー」 「当たり前だ。うちのリーダーの師匠なんて、カルト教団の教祖だぞ。そんなん継ぎたくもねえだろうし、そう簡単に継げるモンでもねえだろ」 ……成る程。 基本的に、格闘オンリィの関係なのか。 「2人とも、次の試合が始まるよ」 ロニィの声で、視線をファイト場に戻す。 そこには、準備運動をしている青年。バランスの良い身体付きをした、いかにも格闘家な男だ。 相手は……まだ来てないか。 「ロニィ、あいつは?」 「このファイトを主催している総合格闘技団体の、エース選手さ」 「へぇ、そんな奴まで出場してるのか……って、そりゃあ」 「うん、ちょっとズルいよね。身内が優勝すれば、団体は賞金を払わなくていい訳だから」 「……皆、金の事となると必死だな……」 「まぁ、そんな事情は賭ける方には関係がない。実力は確かだし、かなりの人気ファイターだよ」 「じゃあ、お前が賭けたのってあいつなのか?」 「いや――僕が賭けたのは、その相手の方」 ロニィが、指を差す。 いつの間にか――もう1人の選手が、ファイト場に現れていた。 着流し姿の少年だ。小柄ではないが、さすがに相手と比べると見劣りする。 俺はそいつの、感情を宿さない眼を見て―― 「……あれ? 何かヤバいぞ?」 冷たいモノが、背筋を走るのを感じた。 ……俺の戦慄を余所に、試合が始まる。 構えもしない少年に対し、一気に突っ込んで行く総合格闘家。 少年は―― 「……遅い」 瞬速の蹴りを、相手に叩き込んだ。 メキメキ――と、肋骨の砕ける音が響く……! 「ぐぅあぁぁ……ッッ!!!?」 「……まったく、期待外れにも程がある。さっさと壊して、次に行くとしよう」 腰を掴むと同時に足を掛けて重心を崩し、相手を持ち上げる少年。 ……そして。 持ち上げた総合格闘家を、頭から地面に叩き落した――! 「な……ッ!!?」 おい、あれはちょっとマズくないか!? 頭から大量に出血する、総合格闘家。少年は倒れた彼の頭に、足を振り下ろそうとし―― 「や、止めろッ!!!」 審判に、止められた。 意外にも、大人しくそれに従う少年。意識を失った総合格闘家は、公園から運び出されて行く。 ……盛り上がっていたのが嘘のように、静まり返る公園。 皆、感じたのだ。あれは確実に、殺すつもりで繰り出された技だったと。 「何だ、今のは……? 頭から落とすなんて、正気の沙汰じゃないぞ」 プロレスには、そういう技もあるはずだが……とても、あの少年はレスラーには見えない。 だとしたら、あれは――? 「――角力だよ」 俺の疑問を察したのか、ロニィが口を開く。 「スマイ……相撲の事か?」 「この場合は違う。関係はあるけどね」 「……詳しい説明をプリーズ」 「りょーかい。角力は『日本書紀』において、野見宿禰と当麻蹴速がやったとされる武術さ。相撲の起源とされているんだよ」 「へえ……」 「ただ現代の相撲とは違って、角力は何でもありの……今で言う、総合格闘技だった。無論さっき見た通り、スポーツではなく殺人術なんだけど」 ロニィは、少年を見た。 相手も見返し、2人の視線がぶつかり合う。 「……彼の名は、野見流彗。角力を現代に伝えていた出雲の大家、野見家の次男だよ。始祖野見宿禰の生まれ変わり、と讃えられた天才だったんだけど……次男だったために、跡取り問題が拗れてね。結局、彼は兄を殺す事となった」 「――……」 「1度は警察に捕まったけれど、護送中に警察官を皆殺しにして逃亡。今じゃ立派な手配犯だよ。各地のファイト場を荒らしてる、という噂は聞いていたけど……こんな所にまで来ていたとはね」 「おい、それって――潜伏してるっていう殺人犯じゃねえか……!」 出掛ける際、瑞枝が言っていた言葉を思い出す。 殺人犯なんか恐くない、とか思ってた俺だが……武術家の殺人犯となると話は別だ。 ……観衆がざわめく。今の話を、聞いていたのだ。 審判が、ファイトを中止にしようと言い出すが―― 「ふざけんなよ」 撫子が審判の首に、手刀を見舞った。 寸止めはされたが、冷や汗を掻かせるには充分だ。 「中止? 何言ってやがる、オレとそいつの決勝戦がまだだろうが」 ……闘う気か、撫子。 流彗はそんな彼女の様子を、じっと見詰める。獲物を見定めた獣のようだ。 「そうだぞー。僕は流彗の勝ちに5万円も賭けてるんだから、闘ってくれないと困るよーっ」 雰囲気にそぐわない野次を飛ばす、ロニィ。 こいつは、流彗が纏う底冷えするような闘気が分からないのか。或いはロニィにとって、そんなモノは脅威でも何でもないのか。 ……審判の制止も聞かず、撫子は流彗と相対する。 「おいテメェ、休憩は必要か?」 「……別に。蟲螻を、1匹踏み潰しただけだし」 「そうか。なら、遠慮なく倒しに行かせて貰うぞ」 撫子が、構えを取った。 向かい合う流彗は、自然体のままで佇んでいる。 「フェアバーン・システム、浅倉撫子――戦闘開始」 「……野見流角力、野見流彗。其の御命、頂戴致す」 名乗りを上げる。 互いを、真の武人と認めたが故だろう。 「――ハッ!!!」 一直線に間合いを詰め、掌底を放つ撫子。 顎と同時に眼を攻撃する、必倒の打撃だ。 ……まぁそれも、当たればの話ではあるが。 「…………」 次々と放たれる掌底を、流彗はひらりひらりと躱す。 回避には、構えが崩れてしまうという弱点があるのだが……元々構えていない流彗にとっては、何の問題もない。 流彗は、まるで撫子の攻撃を真似るように―― 「……破ッ!」 掌で、撫子を突き飛ばした――! 「ぐぅあああ……ッッ!!?」 相撲の源流に相応しい、強烈な突きだ。糸の切れたマリオネットのように弾き飛ばされ、ジャングル・ジムに激突する撫子。 流彗の攻撃は終わらない。瞬時に接近すると――倒れている撫子を踏み砕かんと、体重を乗せた足を振り下ろす! 「さ、せるかぁッッ!!!」 撫子は身を転がし、それを回避。 その勢いを利用して、地から起き上がる。 「……惜しい。反応があと少しでも遅ければ、脊椎を粉々にしてやれたのに――」 愚痴る流彗。 ……その足元は、今の踏み付けによって抉られていた。 穿った穴に足を掛け、流彗はクラウチング・スタートのように駆け出す。 その行く先には、当然撫子。流彗は彼女の前まで来ると、己の動きを急停止させる。 無論、物体と言うのはそう簡単には止まらない。流彗はその慣性を全て足に乗せ、蹴りとして解き放つ――! 「――ッ!!?」 肋を狙った、回し蹴りだ。打ち込まれれば粉砕される。 内臓を護る肋骨ではあるが、横からの衝撃には弱い。正面は胸骨と連結しているが、側面には何もないからだ。 ……後方に跳び、蹴りから逃げる撫子。 受け止めて防御する、という選択肢は放棄したらしい。まぁ、防御ごと打ち砕かれそうだしな。 反撃とばかりに、撫子は膝蹴りで金的を狙う。 が、しかし。流彗はその膝蹴りを、己の膝で相殺する――! 「チッ……この野郎ッ!!」 「……ふむ、徹底した急所狙いか。素早く、敵の無力化を狙う――まさしく軍隊格闘術だ」 「あん? だから何だよ?」 「……でもね、それじゃあ僕には勝てない。軍隊格闘術は、弱者を戦場でそれなりに使えるようにするための武術だ。真の強者には敵わない」 「オイ。あんま舐めてっと、その頭粉々にして――」 「……君のフェアバーン・システムは、誰でも習得出来る格闘技だ。多くの人間を短時間で鍛えるのなら、それは必須条件なのだろうが――言い換えれば、その程度の技」 「――……」 「……日本最古の武術、角力の恐怖――死を以って味わえ」 「遺言は、それでいいんだな――ッッ!!!」 次々と打ち出される、撫子の掌底・手刀・膝蹴り。 怒涛の攻めだ。しかし流彗は、それを尽く止めてしまう。 ……撫子の攻撃は、確実に急所を狙う。ならば急所さえガードしてしまえば、完全な防御が行える。 言う程簡単ではないだろうが、それを可能とするだけの技量が、流彗にはあるのだ。 「……羅ァッ!」 連打の間隙を縫って、流彗の掌底が打ち込まれる。 顔面を狙った左掌を、反射的に防御する撫子だったが……そのせいで、同時に放たれた右掌を防げなかった。 「――ぐッッ!!!?」 胴に喰い込む、流彗の右掌。 ……それは、大きな隙を作るためのジャブに過ぎなかったのだろう。 流彗は撫子の身体を掴み、高く持ち上げると――蹴り上げた己の膝に、頭から落下させる! 「……『天地唐竹蹴り』!」 「ァぐ――ッッ!!!?」 落下の衝撃と、膝蹴りの威力。 その2つを同時に受けた撫子は、豪快に打ち飛ばされて地を跳ねた。 「……さて、終了だ」 地に伏して、ピクリともしない撫子に――流彗が歩み寄る。 公園の周囲に乱立する、建物の1つ。 その屋上から撫子と流彗の激闘を眺める、侍の姿があった。 「――……」 眼下では今まさに、撫子がトドメを刺されようとしている。 ……剣司の右手が、刀の柄に伸びた。 「いや、手は出すまい……」 手を止める。 例え妹の危機だとしても、人の勝負に武力で割り込むのは礼儀に反する。 流彗に払う礼などないが、それは撫子の誇りを傷付ける事にもなるのだ。 「……勝ってみせろ、撫子」 剣司は呟き――妹の闘いを、見守り続ける。 「おい、あれは――ッ!!」 どう考えても、致命傷だッ!! 思わず出て行こうとした俺を――誰かの手が止めた。 「まだだよ、匠哉」 ロニィは、平静を保っている。 流彗が、撫子を踏み殺そうとした――その時。 「捕らえたぞ、クソ野郎……ッ!!」 「……!?」 流彗の足に、撫子の腕が絡んだ。 体重を加え、流彗を倒す撫子。掴んだ足に自分の両足を掛け、がっちりと固定した。 撫子は流彗の足首を掴み、その間接を極める……! 「……このッ!!」 撫子が張り付いたままの足を、恐るべき怪力で持ち上げて旋回させ――彼女を振り払う流彗。 しかし、それは少し遅かったようだ。立ち上がった彼の姿は、足運びに違和感を感じさせた。 「……あれを喰らって、まだ動けるとは……!」 「インパクトの瞬間、手で頭をガードしたんだよ。美少女侮ってると死ぬぞテメェ……ッ!!」 撫子は間合いを詰め、流彗の脛に蹴りを一撃。 その足を真っ直ぐ下ろし、極めたばかりの足首を踏み潰す……! 「……くぁぁッッ!!?」 後退し、撫子を引き離す流彗。 彼は傍にあったジャングル・ジムを掴み、足を柱に掛ける。 「……破ァァッ!!!」 そして地面から引き剥がし、撫子に向かって放り投げた――! 「効くか、んなモンッッ!!!!」 飛んで来たそれを、横に蹴り飛ばして逸らす撫子。 ……流彗は無茶苦茶な奴だけど、撫子も敗けず劣らずだな。 「ハァァァ――ッッ!!!!」 「……ぐ……ッ!!」 撫子の我武者羅な攻めに、苦渋の呻きを漏らす流彗。 寝技の達人でもない限り、格闘家は立っていなければならない。そうしなければ、突きも蹴りも打てないのだ。 しかし今の流彗は、その要である足をやられてしまっている――。 「お、らァッッ!!!」 「……くぁッッ!!!?」 撫子の手刀が、流彗の脇腹に入った。 首や頭と比べれば、効き辛い部分だ。 しかし――今の流彗相手なら、それで充分隙を作れる。 「例え、オレのシステムが不完全な武術だとしても――知った事じゃねえッ!!!」 撫子の跳び膝蹴りが、流彗の顎に打ち込まれた。 同時に掌で、両耳を叩いて脳を揺らす。 耳を打った手を下げ、流彗の肩を掴んで倒立。 流彗の頭上で逆立ちした撫子は、身体を捻りながら下半身を振り下ろし―― 「武術家の強さは流派の強さじゃなく、己自身の強さだからだ……ッッ!!!!」 勢いを乗せた膝蹴りを、流彗の後頭部に叩き込んだ――! 「『ダンシング・ブレイン』――ッッ!!!!」 「……ぁ、が――!!?」 1度に、頭への攻撃を3発。 特に最後の膝蹴りは凄絶だったらしく、受けた流彗は公園の端まで吹き飛ぶ。 「オレは、お前よりも強い……ッ!!」 あれ程の攻撃を喰らって、意識を保っていられるはずもなく――流彗は地に倒れたまま、動かなくなった。 ……勝負あり。 月見匠哉――人生で初めて、金の賭かったギャンブルに勝利。 「やったぁ〜〜っっ!!!!」 「な、何だ――うお、テメェ抱き着くなッ!!!」 感極まって飛び付いた俺を、ぽいっと放り投げる撫子。 ロニィが、彼女に拍手を送る。 「いや、見事なバトルだったよ」 「さっきも言ったが、テメェはオレに賭けてたんじゃねえだろ」 「さっきも言ったけど、君が敗けると桃生の沽券に関わるからね。そしたら、僕が自ら流彗を始末しなきゃならなくなる所だった」 「…………」 「ま、とにかく勝って良かったよ。シスコン侍も、安心して帰ったみたいだし」 「……いたのか、あのクソ兄貴」 撫子の声に、不愉快げな様子が混じった。 俺は起き上がり、撫子に尋ねてみる。 「お前、剣司の事が嫌いなのか?」 「ああ、大ッ嫌いだね。何をやっても、オレより上――そんな生き物を、好きになれるはずがねえだろ」 「――……」 「気に入らねえ。あいつは鳳仙院瑞枝に勝ったのに、オレは敗けちまった。……気に入らねえんだよ」 …………。 何と言うか、苦労してんな。 「あ、そうだ。せっかく勝ったんだから、払い戻し金を受け取らないと――」 と、その時になって。 俺はようやく――放置されたままの気絶人以外、公園に誰もいない事に気付いた。 「あれ、皆さんは……?」 「撫子と流彗の闘いに巻き込まれるのが嫌で、1人残らず逃げちゃったんだよ」 ポンポンと、俺の方を叩くロニィ。 ……金というのは、何もない所からは生じない。 払われる者がいる以上、払う者が必要な訳で。 「こ、こんなオチかよ……」 つまり俺に金を払ってくれるはずの人も、既に公園から逃げ出していたのであった。 ……にょろーん。 「ええい、それもこれもあんな奴が出て来るから――え?」 流彗が、倒れているはずの場所。 しかしそこには――誰の姿も、ありはしなかった。 『そっか。撫子ちゃん、あの野見流彗に勝ったんだ』 「ああ」 剣司は携帯電話を耳に当てながら、人通りのない道を歩いていた。 電話の向こうからは、少女の声と――打撃音に、多くの悲鳴。 「そう言えばリーダー、ロニィからあの話は聞いたか?」 『あの話? 何の事?』 「……まだ聞いていなかったか。お前の師が、亡くなったそうだ」 『あー……そうかあ。師匠、死んじゃったかぁ。まぁ、長生き出来る生き方じゃないとは思ってたけど』 「冥福を祈る。で、そちらはどんな様子だ?」 『ん、全然ダメ。ワタアメより歯応えない。在日米軍ってもっと強いのかと思ってたけど、ちょっと撫でたらズタボロになっちゃった』 「……まぁ、いつもの事だな。身体の方は大丈夫か?」 『心配ありがと。大丈夫じゃないけど、まぁいつもの事だし』 「そうか――」 剣司は、足を止めた。 音もなく、帯刀した数人の男が、剣司を取り囲む。 ……次々と、真剣が抜き放たれた。 『何、そっちもケンカ?』 「ああ、『千刃会』の連中だ。相変わらず、私の刀を狙っているようだな」 『千刃会……確か、タチの悪い刀剣コレクター集団だっけ』 「悪いが切るぞ」 『うん、またね。こいつ等を全員倒したら、土縄に帰るから』 電話が切れる。 ……剣司は、電話の向こうの哀れな被害者を思う。 デーヴィ・カーラーの一番弟子たる、桃生のリーダーに狙われた以上――再起は不可能だ。 「浅倉剣司! 波平行安の業物、こちらに渡して貰おう!!」 「どうした、刀を抜け! 怖気付いたかッ!!」 勢いだけの言葉に、溜息をつく剣司。 ……刀の柄には、手を伸ばさない。 「身の程の弁えろ、下衆ども。我が師範より賜りし、この刃――貴様等のような蒙昧の眼になど、晒して良いものではない」 「何だと……!?」 「……ならば無抵抗のまま、無意味に死んで逝けッ!!」 一斉に、刀を振る男達。 剣司は息を吸い、肺に空気を溜めると―― 「――キェェエアアアアッッ!!!!」 猿叫を、上げた。 鳳仙院流空手にも取り込まれている示現流のそれは、奇声で相手を怯ませるためのものに過ぎない。 ……しかし、剣司の猿叫は違った。 極限まで鍛え上げられた横隔膜が振動し、声として爆音を発生させる。 音とは、空気の振動だ。鼓膜を揺らす程度なら声、人間を吹き飛ばす程なら――衝撃波である。 「――ぐぅあァァああッッ!!!?」 男達は剣司の猿叫を受け、その衝撃で宙を舞う。 ……大音量に耐え切れず、足元のコンクリがひび割れた。 「アアァァァァ……ッ!」 息を、吐き終える。 立っているのは剣司のみ。男達は昏倒し、全員が地に倒れていた。 「……正心なく刀を振るう屑どもめ。この私と刃を交えるなど、那由他の時が経っても在り得んと知れ」 敗者を見下しながら、冷厳に言う。 剣司は振り返る事もなく、その場を後にした。 「何だ、今のは……!?」 遠くから、凄まじい音が聞こえた。 まるで、爆弾が爆発したかのような――そんな大音。 ……テロ? 「あれは、剣司の猿叫だよ」 慌てる風もなく、ロニィが語る。 ……猿叫だと? あれが? 「剣司はその並外れた横隔膜で、人間を吹き飛ばす程の大声を出す事が出来るんだ。剣を抜くに値しない相手は、一声で倒してしまっている」 「……剣術家のくせに、抜刀せずに相手を倒せるのかよ……」 本当に、とんでもない奴だ。どこまでも底が知れない。 にしても、剣を抜くに値しない相手……か。ならば瑞枝は、ある程度はあの男に認められていたんだな。 「……チッ。また、千刃会とでも一戦やらかしたんだろうさ」 忌々しげに呟き、去って行く撫子。 一応、兄を心配しているのか。それとも――兄の圧倒的な力に、ただ絶望しているのか。 「じゃ、僕も帰るよ」 「あ、おう」 「そうだ、1つ言っておこう。剣司は途方もなく強いけど、うちのリーダーは剣司より強いからね」 「――……」 聞いただけで冷や汗が噴き出るような台詞を残し、ロニィは歩いて行った。 あれより、強い。それってつまり、瑞枝じゃ勝ち目がないって事じゃなかろうか。 俺がしばらく、そこで考え耽っていると。 「――匠哉さん?」 背後から、瑞枝の声が聞こえた。 振り返ると、確かに彼女の姿が。 「瑞枝? 何だ、もう北側は回り終わったのか」 「ええ、それで様子を見に来たんですけど……何だか騒がしいですし、いきなり大きな音がしましたし。何かあったんですか?」 「ああ、色々とな――」 旅館への歩を進めつつ、瑞枝に起こった事を話す。 野見流彗の出現。撫子と流彗の対決。そして、剣司の能力。 「そうですか……」 話を終え、考え込む瑞枝。 ……彼女自身も、気付いているのだろう。 今のままでは、リーダーとやらに一太刀浴びせる事も叶わぬ――と。 「……強くなるしか、ありませんね」 覚悟と決意の込められた、瑞枝の声。 だが、問題はその方法だ。今の瑞枝に出来るのは、筋トレや一人稽古くらいか。 それが無駄だという事は絶対にないが、かと言って一気に『上』へと駆け登れるかと言えば――首を捻るしかない。 「――……」 ……連中と互角に闘り合えるくらい強くなる方法を、1つ思い付く。 けれど、瑞枝に教えるべきではないだろう。その方法は、正道を踏み外してしまっている。 「しかし、角力使いですか。武人として、かなり興味がありますね」 「強い相手と闘いたい、ってヤツか?」 「それもありますが……珍しい武術ですからね。この眼で、どんなものか見てみたいんです」 「……成る程。珍しいものを見てみたいってのは、人間として当たり前の心の動きだな」 「何しろ、野見と当麻の二大宗家にしか伝わっていない古流武術です。見れる機会なんて、滅多にないんですよ」 「……もしかして俺って、物凄く幸運だったのか」 「匠哉さんもそうですが――実際に闘った撫子さんが、羨ましくて仕方ありません」 「ははは……あんだけ死にそうな目に遭った撫子が羨ましがられるってのも、不思議な話だよなぁ……」 笑い合う、俺と瑞枝。 悩み事は多いが……まぁそれは、帰ってから考えるとしよう。
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