「ふぅ〜……」
 俺は旅館の温泉にどっぷりと浸かって、深い息を吐いた。
 ああ、いいよなぁ温泉。俺の荒んだ心を癒せるのは、地球上にはもはや温泉しかないのかも知れない。
 ちなみに、混浴じゃないかはちゃんと確認済み。月見匠哉は、過去の失敗を今に生かせる漢なのです。
「ふぅ〜……」
 近くから、同じ声が聞こえた。
 見れば――そこには、俺と同じくらいの歳っぽい奴が。
「温泉、いいよねー……」
「ああ、まったくだ……」
 彼の独り言に、つい呟き返す俺。
 しかし彼は別に気分を害す様子もなく、逆に話し掛けて来る。
「温泉は日本の至宝だよ。人間関係に疲れたこの身を、湯の効能と温かさが丁寧に癒してくれる」
「気が合うな。人間関係に疲れた時は、温泉に浸かるのが1番だ……」
 人間関係について語り合う、青少年2人。
 傍から見ればさぞや異様だろうが、生憎この湯には俺達しかいない。
 ツッコミ不在。
「久し振りに、良い人と出逢えた気がする……俺は月見匠哉。あんたの名前は?」
「僕? うーん、そうだな……ロナウジーニョ・ガウーショとでも名乗ろうか。親しみを込めて、ロニィと呼ぶがいい」
「……ロナウジーニョ・ガウーショ?」
 明らかに、某有名サッカー選手の名前だ。本名ではなく、愛称だが。
 そしてやはり、こいつにとっても本名ではなかろう。どう見ても日本人、ブラジル人ではない。
 とは言え。そう名乗られた以上、そう呼ぶしかない訳で。
「ロニィは、この辺りの人間なのか?」
「うん。理不尽な仲間達によって日々酷使される我が身を、たまにこうして癒しに来るのさ」
「へぇー……何と言うか、色々共感出来る話だなぁ……」
 そんな、まったりとした話を続けた後。
 上がり際に、彼はこう言い残した。
「――じゃあ、お先に失礼するよ。次に遭う時が楽しみだ」


貧家奇聞・サマーヴァケイション2
〜花園の一夜〜

大根メロン


「凄いぞ瑞枝、この町にはロナウジーニョが住んでる」
「……はい?」
 可哀想な人に対する苦笑を、瑞枝は俺に向けた。
 いや、気持ちは分からんでもないが。実際にそう名乗ったんだから仕方ないだろ。
「あ、そうだ匠哉さん。桃生のメンバー、1人見付けましたよ」
「ほう?」
「この町の外れに、アパートを不法占拠している人達がいるんです。彼女等は1晩いくらで、部屋を貸し出しているとか」
「不法占拠って……警察が踏み込んだりしないのか?」
「当然踏み込みますね。まずは、近所の交番のお巡りさんが行ったそうです。次の日には、簀巻きにされてるのを発見されてますが」
「…………」
「そこから、どんどん話が大きくなっていますね。最後には、県警の機動隊が投入されたようですが……それも結局、2人の武術家によって退けられたらしいです」
「2人? たった2人で、機動隊を?」
「……? そんなに驚くような事ですか? まぁとにかく、そのアパートを仕切っているのが、桃生の1人で機動隊を退けた武人の片方――峰崎みねざきマキさんです」
「で、お前の次の狙いはそいつな訳か」
「はい。いずれ襲われるのは必定ですし、こちらから攻めようかと。……攻め込むというより、忍び込むですかね」
「ふむ……」
 ここで1つ、思う事があった。
 素人の意見なので、間違ってる可能性もあったが……訊かぬは一生の恥だ。
「なぁ。自分から攻めるのって、空手的にはいいのか? 空手に先手なし、とか言うんじゃなかったっけ?」
「言いますが……どこまでが先手でどこまでが後手か、という問題がありますね。その辺りは、空手家によって答えは違うと思います」
「今回は、お前的には先手ではないと」
「はい。と言うか、既に戦いは始まっている訳ですから。先手とか後手とか、そういう段階はもう通り過ぎていますよ」
「ふーん、そんなもんなのか……」
 やっぱり、良く分からんが。
 ま、俺では一生分からんのかも知れんな。別に構わないけど。
「じゃあ、俺とお前でそのアパートに忍び込むのか?」
「う……匠哉さんも来るんですよね……」
「何だ? 確かに足手纏いなのは認めるが、俺は俺なりにあいつ等に用があってだな――」
「いえ、そうではなく。そのアパート、男子禁制なんですよ」
「……は?」
「その、何と言うか。濃密な付き合いをしている女の子同士と言うか……主にそういう人達が使う所なので、男の人は警備員以外は入れないんですよ」
「…………」
 男子禁制。微妙に心騒ぐキィワードだな。
 ……閑話休題。
「うぇー、それは困ったな。こっそりと……は、ダメか。警備員もいるみたいだし」
「どうします?」
「うーん……行く時間は? 部屋の借り出しは夜中なんだから、その辺りの時間だよな?」
「はい」
「とりあえず、そのアパートに関する資料をプリーズ。夜までには、何とかしておく」








「――……」
 日が、沈み掛けた頃。
 瑞枝は指定された場所で、匠哉を待っていた。
 何やら、アパートに入るための策を用意しているらしいが……それがどんなものか、瑞枝にはまったく想像が出来ない。
(まさか、女装とか……いえ、いくらなんでもそれはないですよね)
 1人、苦笑する。
 そんな彼女に近付く、影があった。
「――御1人ですか?」
「え……?」
 瑞枝の前に現れた――1人の女性。
 顔立ちからすると瑞枝と同年代だろうが、かなり背が高い。
 YシャツにGパンというラフな格好だが――長身長髪の彼女がそれを纏っていると、格好良いとしか言い様がなかった。
 麗人、という言葉が瑞枝の脳内に浮かぶ。
「え、えっと……待ち合わせをしていて。まだ、来る様子はありませんけど」
「彼氏との待ち合わせですか。しかし……酷い方ですね。このような可愛らしいお嬢さんを、1人待たせるとは」
「可愛らしいって……あ、彼氏じゃないですよっ!」
「どうです? 彼女を待たせるような薄情な彼氏は放っておいて、私と楽しい一夜を過ごしませんか……?」
 いつの間にか、女性は瑞枝に近付いており――耳元で、甘い声を囁く。
「た、楽しい一夜……?」
「そう。桃生のメンバーが、アパートの部屋を少女限定で貸し出している事――知っていますか? そこで、私とお話しません?」
「アパート……」
 間違いなく、瑞枝の今夜の目的地だ。
 匠哉はまだ来ない。彼には彼の目的があるようだが、やはり危険かも知れない事に巻き込むのもどうかと思う。
「どうです……?」
 女性は屈み込むと、瑞枝の耳元に柔らかい息を吹き掛けながら――髪を優しく撫でた。
 どくん、と瑞枝の心臓が鳴る。
「あ、あの!?」
「……ああ、御免なさい。可愛らしい方と出逢うと、ついこうしてしまうんです。嫌でしたか?」
「嫌、ではありませんけど……」
「ふふ、それは良かったです。それで、私のお誘いには乗って頂けるでしょうか?」
「は、はい、分かりました……行きます」
「ありがとうございます。無論、料金は私持ちで……ね。忘れられない夜にしましょうか」
 微笑む、女性。
 その鋭さと温かさを兼ね備えたような笑顔に、瑞枝の心が乱れる。
(な、何やら私……危険な道に踏み込みそうになってる気が……!?)
「私、月見マナという者です。名は好んでいないので、姓の月見で呼んで貰えると嬉しいですね」
「月見……さん? あ、はい、分かりました。私は鳳仙院瑞枝といいます。瑞枝、と呼んでください」
「分かりました、瑞枝さん。今宵は、宜しくお願いしますね」
 瑞枝は匠哉との合流を待たずして、アパートへ出発する。
 これは匠哉を巻き込まないためであって、月見マナの妖しい魅力に惑わされた訳ではない――そう、自分に言い聞かせながら。



(ここが……件のアパートですか)
 瑞枝は、建物を見上げる。
「さぁ、行きましょう」
 月見に案内され――アパートの出入り口へと。
 係員らしき女の子達に甘い言葉を囁いて、料金を負けて貰おうとしている月見。
(帯剣してますね……細身の長剣、レイピアですか)
 そんな中、瑞枝は彼女達を観察する。
 相手が武装しているのは予想外だったが……所詮、雑魚は雑魚。例え核ミサイルを持っていても、瑞枝に敵う道理はない。
(やはり、『本物』は峰崎マキさんだけですか――)
「どうしました、瑞枝さん。もしかして私より、あの係員さん達の方が好きですか……?」
 悲しそうな顔で、瑞枝の顔を覗く月見。
 血が一気に頭まで昇り、さっきまでの冷静な思考が纏めて吹き飛ぶ。
「――いえ、そ、そんな事はないです……ッ!!」
「それは良かった。さぁ、行きましょう」
 エレヴェーターに乗り、階上へと。
 ふと、瑞枝は気付いた。
「電気、来てるんですね……不法占拠なら、切られそうなものですけど」
「きっと違法工事か何かで、近所の建物から引いているんでしょう。良くある手ですよ」
「そ、そうなんですか……」
 うろたえながら、答えを返す瑞枝。
 もはや、月見に話し掛けられるだけで心臓が高鳴る。
「ここですか」
 部屋の前に立ち、ドアを開いた。
 冷房の効いた、気持ちの良い部屋に入る。
「――……」
 瑞枝は思う。
 濃密な付き合いをしている、女の子同士が使う所――自分は、匠哉にそう説明した。
 つまり瑞枝と月見も、これからそういう事になる訳で。
「ふふ、恐がらなくても大丈夫ですよ」
 考えを察したのか、柔らかく微笑み掛ける月見。
 彼女は瑞枝を御姫様抱っこして持ち上げ、ベッドに寝せる。
「つ、月見……さん?」
 月見もベッドに上がり――瑞枝に、覆い被さった。
 マウントを取られたのとは違う、不思議な体重の掛け方。
「嫌だったら、言ってください……」
 月見の舌が、瑞枝の頬を舐めた。
 ひゃ、と小さな悲鳴が上がる。
 ……しかし、『嫌』という言葉はない。
 月見は瑞枝の服のボタンを1つ1つ、器用に唇と舌で外してゆく。
「わ、私に何をするんですか……?」
「何でも。貴方がして欲しいと望む事なら、何でもしてあげます」
「きゅ、急にそんな事言われても――」
「ではしばらくは、私に任せてください……」
「――っん!!?」
 月見は瑞枝の耳元で囁くと、舌を伸ばし――耳に這わす。
 初めは耳たぶ。そして――少しずつ少しずつ、中へと入り込んでゆく。
「く、くすぐったいです……」
「すぐに気持ち良くなりますから――おっと、涎が出ちゃってますよ」
「――うぇ!!?」
 月見の指が、瑞枝の口元を拭う。
 瑞枝のスカートに手を入れ、指に付いた唾液を塗り付ける。
「な、何でそんなとこに――っあ、ん!!?」
「そうやって慌てる、貴方の顔が見たかったからですよ……ふふ」
 再び、舌が瑞枝の耳に。
 器用に出入りを繰り返し、耳内を絶妙に擦り上げる。
「あ……あっ!!?」
「可愛い……私、貴方の事をもっと知りたくなって来ました……」
 月見は愛撫を中断すると、瑞枝を抱っこして持ち上げた。
「え、あの……?」
「さぁ、こちらへ」
 歩いて行く、月見。
 向かう先は――部屋の、トイレ。
「ト、トイレって……さ、さすがにそういうのはっ!!」
「大丈夫ですよ、恥ずかしいのは最初だけですから――」
 トイレのドアが、開かれる。
 月見は瑞枝を便座に座らせると、ドアを閉めた。さすがに、2人も入るとトイレは狭い。
 キョロキョロと、部屋の中を見回す月見。
「……ふむ。やっぱり、トイレの中にまで監視カメラはないな」
 瑞枝は、きょとんとした。
 気の抜けた声。今までの月見とは、明らかに違う。
「あの、月見さん……?」
「何だ、その顔。え、まさか……気付いてなかった、のか? てっきり、分かってて合わせてるのかと。随分と乗りが良かったし」
「……匠哉さん?」
「やぁ、瑞枝」
 卒倒しそうになる瑞枝。
 しかし武人としての心技体が、それを阻止する。
「ど、どういう事ですっ!!?」
「いや、男子禁制なら女装して入るしかあるまい」
「どうして、そんなに女装慣れしてるんですか!? と言うか、女装している方が格好良いですよ!?」
「……うん。我ながら、ふざけているとは思うんだけどね」
「い、いや、それより……わ、私、匠哉さんに、あ、あんな事をされて……!」
「だから、監視カメラがあったんだよ。そういう場所なんだから、そういう事をしていないとおかしいだろ」
「……監視カメラ? あ、あれを見られてたぁ!!?」
「おや、意外。お前の事だから、室内の隠しカメラなんて一目で見抜いてると思ってたけど」
 色々舞い上がってて、それどころではなかったのだ。
 思い返し、今夜己が重ねた数々の失態に絶望する瑞枝。
 ……その原因である、男を見据えて。
「コォォォォ……!!」
「ちょ、瑞枝さん!!? 何故、見事な腹式呼吸で気を練りますかッ!!?」
「貴方を殺せば、今夜の事を知る者は誰もいません……ッ!」
「だから監視カメラで見られてたんだってばッ!!」
「……う」
「あと、いい加減服を着直した方がいいと思うぞ!」
「……ッ!!? う――うわああああああああああッッ!!!!」








「……落ち着いたか?」
「はい……」
 一暴れして、ようやく大人しくなった瑞枝。
 良く生き残った。凄いぞ俺。
「でも、酷いですよ。乙女を慰み物にするなんて」
「な、慰み物って……まぁ、悪かったな。しかしそれは、匠哉おれをさっさと置いて行った罰だと思うんだ。俺の策の内だったとはいえ」
「――……」
「じゃ、作戦会議だ。とりあえず、峰崎マキに会わないといけないんだろ?」
「はい。しかし、このアパートの一体どこにいるのか――」
「や、それに関しては問題ない。さっき係員から聞いたんだよ。今夜の9時から外の駐車場で、峰崎マキのショウが行われるんだってさ」
「ショウ――歌でも歌うんですかね?」
「さぁ? まぁとにかく、そこに奴は現れる。討ち取るチャンスじゃないか?」
「そうですね……なら、それで行きましょう」
「……で。まだしばらく、時間がある訳だが」
 瑞枝を見る。
 早く出ましょうよ、と視線が言っているが。
「外には変わらず監視カメラがある。つまり、このトイレを出ると……」
「……も、もしかして、さっきの続きをしなければいけなくなる……?」
「その通り」
 カーッと、顔が赤くなる瑞枝。
 こちらとしても、ああいう疲れる芸風を続けるのは遠慮したい。
「で。その解決策は、9時までこのトイレに篭城する事なのだが……」
「……あ」
 言いたい事が、伝わったようだ。
 今は夏。夜とはいえ、夏だ。
 そしてここは、元は普通のアパート。トイレに冷房などない。
 ……トイレは水場だ。夏の熱によって、湿気が凄い事になっている。
 それ程、風が通る場所でもない。しかも狭い。その上、今は人間が2人もいる。
 ……まさに、地獄。
「…………」
「…………」
 交わす言葉もなくなった。
 ……俺達は不動のまま、暑さに耐え続ける。



「ひ、酷い目にあった……」
「まったくです……」
 9時前。
 俺と瑞枝は地獄のトイレから脱出し、階下へと下りて駐車場へと向かっていた。
 ああ、外って涼しいー♪
「あそこだな……」
 駐車場を囲むように群がっている、女性陣の中に加わる。
 その陣をさらに囲むように、男性警備員が何人か立っていた。
「……ん?」
「どうかしました?」
「いや……見た事のある奴がいる」
 ま、いいけど。どうせ、警備員のバイトか何かだろう。
 ――俺が、駐車場に視線を戻した瞬間。
 ダンッッ!!!! と、いきなり人間が真ん中に落ちて来た。
「な……」
 ど、どこから飛んで来たんだ?
 暗くて見えないとは言え、駐車場の直上に何かがあるようには思えない。
「……まさか、アパートのどっかからジャンプしたのか」
 しかし、アパートと駐車場の距離を考えると……かなり助走を付けないと、届かないはず。
 助走、か。そんなのが付けられるのは、屋上以外にはあるまい。
 ……屋上から、飛び下りる。
「うわ……」
 星丘市では見慣れたアクションだが、まさかこんな所に来てまで見る事になるとは。
「皆様、お待たせしましたわ」
 下りて来た女が、着地体勢から立ち上がった。
 煌びやかな、ドレス姿。夜闇の中でも、その姿は映える。
 腰には――係員達と同じく、レイピアが差されていた。
 ……周囲からは、マキ御姉様ー、という黄色い声がたくさん。
 あいつが、峰崎マキか。
「さて。今宵も、我が剣舞に酔い痴れて頂きましょう。では――」
 マキが、瑞枝を見た。
 魂を射抜くような、鋭い視線。
「――そこの貴方。死合場ピストに上がりなさい」
 指名する。
 ……ショウって、バトル・ショウかよ。
 周囲の女子からは、『闘牛を斃した御姉様が、人間を相手にするなんて……』的な、戸惑いの声が聞こえた。
 ……闘牛?
「ほら瑞枝、ご指名だぞ」
「全部バレてた訳ですね……まぁ、手っ取り早くて良いですが」
 車椅子を動かし、マキと相対する瑞枝。
 マキはレイピアを抜き、その切っ先を瑞枝に向ける。
「車椅子だとは聞いていたけど……まさか、本当にそうだとはね」
「随分、私に辿り着くのが早いですけど」
「簡単よ。犬彦が、戦死する前に言っていたの。車椅子の女と闘いに行く――って」
「……ああ、それだけの事ですか」
「禁を犯した犬彦は、死んで当然だけど……それでも、落とし前は付けないとね」
 マキは切っ先を向けたまま、半身の構えを取る。
 対する瑞枝も、構えた。
「――やあ。相方が大変な事になってるね、匠哉」
 その時、横から声が。
 振り向くと――そこには、警備員の格好をした男。
 温泉で会った、ロニィである。
 奴は、片耳にイヤホンを嵌めて音楽を聞いていた。仕事やる気あんのか。
「やっぱりお前だったんだな。警備員のバイトか何かか?」
「バイト……うん、そんなものかな」
 ハハハ、と笑うロニィ。
 向かい合う2人に、視線を戻そうとして――
「……待て。どうしてお前、俺が月見匠哉だと気付いた?」
 看過出来ない事実に、気付いた。
 変装は完璧だ。これを一目で見抜いたのは、あの倉橋舞緒だけなんだぞ?
「リズムだよ。呼吸とか、歩き方とか、瞬きとか……そういうリズムは、いくら上手く変装しても変わるはずないからね」
 リズム。
 さっきからこいつは、音楽を聞いている。そして、ブラジル人ロナウジーニョと名乗った。
「――……」
 ……確か、機動隊を退けた武術家は2人だったはずだ。
 いるんだな。ここには、もう1人――桃生の武人が。
「お、そろそろ始まりそうだよ」
 っと、今はそれどころじゃなかった。
 相対している、瑞枝とマキ。その闘いの火蓋が、落ちようとしている。
「――準備は宜しいエト・ヴ・プレット?」
「鳳仙院流空手、鳳仙院瑞枝――御相手仕ります!」
 マキは華麗なステップで移動し、剣で突き掛かった。
 ……レイピア。
 細身で他の西洋剣よりも軽いそれは、重さを使って叩き斬るのには向いていない。
 それもそのはず。レイピアは、突くための武器だ。貫通力を極限まで高めるため、細身となっているのである。
 線の攻撃である斬撃とは違い、突きは点の攻撃。当然、斬撃より当たり辛いが――その分、速く攻撃出来る。
 ……突く事のみに、特化した剣。
 それを最大限に生かす、突く事のみに特化した武術が――フェンシングだ。
「Lunge! Lunge!! Lunge――!!!」
「く……ッ!!?」
 閃光のように突き出された剣から、後退して逃れる瑞枝。
 ……まるで、犬彦のジャブのようなスピード。
 いくら比較的軽いとは言え、レイピアは金属の塊だ。1キロ半程の重さはあるはず。
 そんな重量物を持っているのに、素手のジャブ並みに速いとは――。
「ふふ、どうしたの?」
 マキは深追いせず、瑞枝が退くのを許す。
 ……さすがの瑞枝も、攻め辛いか。
 犬彦のジャブは、手刀で防げば済んだが……刺突専門とはいえ、レイピアは刃を持つ剣だ。下手をすれば、手をざっくりと斬られてしまうだろう。
 それに。剣を持ったマキは、拳で闘う瑞枝より間合いが遠い。ただでさえ瑞枝は座った姿勢で、前傾が難しいのに。
 間合いが遠くなれば、その分接近戦が困難になる。つまり瑞枝は、マキの懐に跳び込めば良いのだが。
「Lunge! Lunge!! Lunge――!!!」
 あの凄まじい突きの嵐を、どうやって潜り抜ける――?
「――ふッ!!」
 車椅子の機動力によって突きを躱し、マキの横に入る瑞枝。
 ……そうか。フェンシングは、細長いピストの上で行われる。横に回らず、正面から闘うためだ。
 しかし無論、実戦にそんなルールはない。
「――そう来ると思ったわよ!」
 すぐさま跳躍し、瑞枝との距離を取るマキ。くっ、逃げるの速いな。
 慣れた動きだ。不良グループの一員として、いくつもの異種死合をこなしたであろうマキにとって――その程度は対策済みという事か。
「キャアアッ!!?」
 悲鳴。
 瑞枝が女性陣の囲みを、体当たり同然の突撃で抜けたのだ。オイオイ。
 それを追って、マキも俺達の頭上を飛び越える。
「――やぁッッ!!!!」
 瑞枝は、半壊している放置自動車のドアを掴むと――怪力で引き千切り、マキに投げ付ける。
 対するマキは、レイピアの連突でそれを粉砕。
「詰まらない手ねッ!!!」
 車のボンネットに飛び乗り、下方の瑞枝に突きを放つマキ。瑞枝に躱され、剣先がコンクリを抉り砕く。
 ……まるで、怪獣の爪で薙ぎ払われたかのようだ。
 瑞枝はマキとの距離を離し、俺の近くまでやって来る。
「セコンドの匠哉さんッ!! 何か良い策はありませんかッ!!?」
「へッ!? 俺、セコンドだったの!?」
 つーか、空手にもセコンドってあるのか。
 まぁ、期待に応える努力はしよう。
「瑞枝。お前、相手の胴を狙ってるのか?」
「そうですけど――」
「ダメだ、あれが相手じゃ胴が狙える距離まで踏み込めんだろ。小手を狙え、小手を」
「そ、そうか……しかし、地味な作戦ですね」
「作戦っていうのは、地味な方が効果があるもんなんだよ。いいから、あいつをブッ飛ばして来い」
「はいッ!!」
 再び、マキとの間合いを縮める瑞枝。
「武人と武人、乙女と乙女の決闘中に他人の指示を受けるとは……粋を知らないわね、小娘ッ!!」
 マキの、鋭い突き。
 横に避ける瑞枝。そして、剣を握る手に一撃叩き込む――!
「――くぅ、あッッ!!?」
 胴まで踏み込むのは、マキの逃げ足が相手では叶わない。
 しかし、手なら。突きを放った直後の、大きく前に出した手なら。
「ぐ……!」
 手を叩かれれば、当然握力が落ちて剣を持ち難くなる。
 ましてや、瑞枝の打撃だ。指の骨を砕かれてもおかしくない。
「……Lunge……ッ!!」
 それでも諦めずに、マキは瑞枝を突こうとする。
 切っ先がふら付いているし、何より遅い。簡単に躱され、小手にもう1発。
「ぐぅ……まだ、まだ……ッ!!」
 それでもマキは、レイピアを手放さなかった。
 フェンサーの意地……だろうか。
「――はぁッッ!!!!」
 瑞枝が、正拳を打つ。
 小手ではなく胴狙いだ。たった2発で、マキの剣は冴えを失ってしまっている。
「あァァああ――ッッ!!!?」
 水月を打たれ、吹っ飛ぶマキ。
 自動車に衝突。気絶したのか、動く様子がなくなった。
 ……それでも、彼女の手は剣を握ったままだったが。
「ふぅ……匠哉さん、彼女を捕まえた方がいいんですよね?」
「捕まえるって言うと外聞が悪いが……まぁ、聞きたい事があるからな」
 マキに、近付こうとする瑞枝。
 が、その時――
「――よくも、マキ御姉様をッッ!!!!」
 係員の女の子達がレイピアを抜き、一斉に襲い掛かった。
 瑞枝は車椅子を回転させ、四方八方から来る敵を――次々と殴り飛ばす。
「ふん。貴方達なんて、弱ったマキさん以下です。雑魚なんですから、雑魚に相応しい生き方を心掛けてください」
 飛ばされた少女達は同じ場所に落ち、人間の山を作る。
 それを見てようやく、客の女の子達は逃げ出した。
 後に、残ったのは――
「……さて、と。マキさん以外にも、大きな気を感じていましたが――貴方ですね?」
 俺と瑞枝と、ロニィ。
 彼は大きく溜息をつくと、瑞枝に向かって歩いて行く。
「……困ったなぁ。警備員としては、雇い主を倒した賊を放ってはおけないし……何より桃生の一員として、メンバーを2人も破った君を野放しには出来ない」
 地面に飛び込む。
 ブレイクダンスのように、両手を付けて踊り――最後は手の力だけで跳躍。
 空中で、くるりと1回転。着地と同時に構える。
「では2番手だ。カポエイラ・コンテンポラニア――ロナウジーニョ・ガウーショ。我が師匠メストリより授かりし剛脚の妙技、とくと魅せてやる!」
「鳳仙院流空手、鳳仙院瑞……って、ロナウジーニョ?」
 いや、そこツッコんでる場合じゃないから。
 ロニィが、足を動かし始める。左右に動くステップ――ジンガ、とかいうんだっけか。
 しっかし、速いジンガだ。左右にポンポン動いてる。
「――ハッ!!」
 そして、回し蹴りが放たれた。
 まずは中段。後退して避ける瑞枝だったが――ロニィは外れた足が着地すると同時に両手を地に突き、もう一方の足を振り上げて上段を狙う。
 ……初撃の回転を殺さず、遠心力を乗せた2発目。
 しかも、両手を突いている。普通は蹴りを打つと1本足で立つ事になり、多少バランスに問題が出るのだが――これなら、その心配はない。
 カポエイラには、手を地面に突いての蹴り技が多い。手による打撃を使わないから、そういう使い方をするのだ。
 ……手錠をされていても、格闘を行うための技術。
 それが、黒人奴隷達が踊りに隠して伝承したとされる――ブラジルの武術、カポエイラである。
「くぁ――ッ!!?」
 避け切れず、2発目を受け止める瑞枝。
 ガードしたにも関わらず、表情を歪める。そんなに威力があったのか。
「カポエイラは、寸止めがマナーなんだけど……ま、これは組手ジョーゴじゃないからね!」
 回転しながら、上体を起こすロニィ。
 瑞枝は、一気に間合いを詰める。蹴りを打てない距離まで近付くのか。
 が、しかし――
「――甘い!」
 ロニィは、掌底で瑞枝を突き飛ばす――!
「ぁぐ……手技、ですか」
「現代のカポエイラは、奴隷の技じゃないからね。当然、手技だって存在するさ」
「――……」
「コンクリの地面に突くせいで、硬く強くなった掌――効いたでしょう?」
「……ええ、多少は!」
 正拳を、連打する瑞枝。
 ロニィは側転で、それを避けると――
「Quebra gereba♪」
 逆立ちの状態で、瑞枝に足を振り下ろす……!
「――ッ!!」
 その足を、掴み取る瑞枝。
 そして――
「りゃああああ……ッ!!」
 人形を振り回すかのように、放り投げた――!
 予想外の投げ技。受身を取れず、頭からコンクリに落ちるロニィ。ゴツン、と大音。
 って、それはさすがにヤバくないか!?
「……まさか投げ技とはねー。技と言うより、力任せに投げた感じだけど」
 平気のようだ。
 頭が地面に突き刺さっているロニィは、胡坐を掻いてヘッドスピンを始める。大仏サマが上下逆で高速回転してるっぽい。
 ……異様だ。つーか何考えてるんだ。
「え、えっと……沖縄古来の空手には、投げ技だってありますから。他の格闘技から、そういうのを取り入れてる流派もありますし。……と言うか、頭大丈夫ですか?」
「それは頭の中身ではなく、外身を心配してるんだよね?」
「……正直に言えば、両方――」
「大丈夫だよ。毎日休まず、寝食時にもヘッドスピンを続けて鍛え上げられた我が石頭、この程度じゃビクともしません」
 ……凄ェ。
 ロニィは独楽のように瑞枝に近付き、一気に両足を広げて蹴りを入れる。
「く――ッ!!?」
「長く楽しみたいところなんだけど、短期決戦でいかせて貰うよ。カポエイラの変則にも、君ならすぐに慣れるだろうし。動き回ってる分、僕の方が早く疲れるだろうし」
 両手を突いて跳び上がり、蹴りを打ちつつ起き上がるロニィ。
 ジンガ。左右に動くステップは、どちらから攻撃が来るのか予測不能だ。
「――……」
 両者が、改めて激突しようとした時。
「――ィィィィッッ!!!!」
 2人の間に、邪魔が入った。
 猛速の突きを、ギリギリで回避する瑞枝。跳び退いたロニィは、俺の傍に着地する。
 頭から。
「――エイ……ッッ!!!!」
「マキさん……あれだけやられて、まだ動けるんですか……ッ!」
 げっ、もう復活しやがったか。
 さすがに、2対1じゃ――
「他人が闘ってる時に乱入すんなよぅ……白けるなぁ……」
 どうやら、ロニィにそのつもりはなさそうだ。
 逆さまのままで、そんな呟きを漏らす。
 が――
「――ッッ!!!?」
 いきなり飛び起きると、大声でマキへと叫んだ。
「止めろマキッッ!!!! リーダーに蹴り殺されたいのかッッ!!!?」
「黙りなサい、奴隷カポエイリスタ……ッ! 私はドんな手を使ってデも、絶対ニ勝つ……ッ!!」
 ……変化は、すぐに起こった。
 マキの指が触手のように伸び、レイピアの柄に巻き付く。
 さらに、指が柄に癒着――いや、柄と融合し始めてしまった。
 ……これは、犬彦と同じ――
「こレでもウ、剣を放ス事はナイわ……ッ!!」
「……ッ!!?」
 絶句する瑞枝。
 変貌は止まらない。剣を持つ右腕に、いくつもの間接が生じる。
 突き掛かるマキ。数多の間接が、突きに有り得ない曲線運動を加える――!
「く――ッ!!?」
 回避するが――剣が軌道を変え、瑞枝の服に掠った。
 まずいぞ、避け切れてない。これを続けてたら、いつかは当たる。
「くッ、あの馬鹿……ッ!!」
 マキの変貌に対して、ロニィが憤る。
「……なぁ。どうしてお前等、そんな変貌するのが嫌なんだ? 己の武術にとって、理想の身体が手に入るのに」
「確かに変貌すれば、完璧な肉体が手に入る。でも完璧って事は、『上』がないって事だ。進んで来た武道が、袋小路に嵌まってしまうんだよ」
「ああ、成る程……」
「と言うか、あんな身体になったら社会生活が送れないし。そもそも僕等は、変貌を抑え込むために、武術で心技体を鍛えてるんだから。本末転倒だよ」
「――……」
「……で、だ。袋小路デッド・エンドに嵌まった者は、臨終デッド・エンドさせるのが桃生のルールなんだけど――」
 瑞枝とマキの激闘を、眺めるロニィ。
 ニコリ――と、微笑む。
「ここは4輪の彼女に任せて、僕はサヨナラしようか♪」
「……オイ」
「いやだって、面倒臭い――ゲフンゲフン。いくら外道に堕ちたとはいえ、仲間の首を獲るのは気が進まないからね」
「格好付けて誤魔化すな」
「酷い言い方だなぁ。まぁとにかく、Tchau♪」
 ロニィはタンッと地を蹴り、駐車場から走り去って行く。
 追う事も考えたが、止めた。
「――ァァァァァAAAAHHHHHHッッ!!!!」
「くぁ……ッッ!!!?」
 あの2人のバトルを、放っておく訳にはいかない。
「瑞枝――!」
「大丈夫です、匠哉さん……心を失った相手などに、敗北したりはしません……!」
 気付く。
 俺がロニィと話している間に、何らかの変化があったのか――マキの身体には、殴られた跡があった。
 斃れていないという事は浅かったのだろうが、それでも瑞枝の攻撃がヒットしているのだ。
 ……突きを仕掛ける、マキ。
 曲線を描く、魔の刺突。俺が相手ならば、あっという間に刺し殺されるだろう。
 なのに――
「――遅いッ!!」
 瑞枝は深く踏み込み、マキに正拳を打ち込む……!
 遅いって、どういう事だ? 変貌したからって、突きのスピードが落ちるはずは――
「……まさか」
 曲線の、剣筋。そういう事か。
 例えば、A地点からB地点まで移動する時――蛇行するよりは、真っ直ぐ進んだ方が速いに決まっている。
 それと同じだ。直線の突きに比べて曲線の突きは、目標瑞枝への到達が遅くなる。
 ……俺なんぞでは分からないであろう、刹那の遅れ。
 しかしそれは、この2人の死闘において――致命的な隙となるのだ。
「――捉えたッッ!!!!」
 掠らせつつも、レイピアを避ける瑞枝。
 指を伸ばし、必殺の貫手を叩き込む――!
「――QALALALALAaaaaaaaaahhhhHHHHHHHHHッッ!!!?」
 胸を突かれ、流血しながら吹っ飛ぶマキ。
 が、まだ生きている。マキは苦悶の声を漏らしながらも、逃走を開始する。
「私の貫手を……耐えたッ!!?」
「瑞枝、そいつはフェンサーだ! 防具を着込んでてもおかしくないッ!」
「――ッ!! そういう事ですか……ッ!!」
 トドメを刺そうと、追う瑞枝。
 だが。マキは地面を突いてコンクリの礫を飛ばし、瑞枝の行く手と視界を遮った。
「く……ッ!?」
「諦めるのは早い! 追うぞッ!」
「あ――は、はい!」








「Ha――Ha……ッ!」
 マキは、逃げ込んだ路地を進む。
 激痛で、身体を動かすのが辛い。変化した右腕以外が――業火のような痛苦で、マキを苛んでいる。
「$&……@G⇒∂――ッッ!!!!」
「……やはり、鬼と化していたか」
 路地に、声が響いた。
 マキの視線の先。男が、たった1人で立っている。
 見覚えがある気がしたが、今のマキには関係ない。激痛を動力へと変換する異形の仕組みによって、レイピアを構えた。
「ふん、もはや同胞の顔も分からんようだな――」
 男の左手には、日本刀があった。
 鯉口を切る。右手で柄を握り、抜き放った。
 鞘を投げ捨て、両手で柄を握る。
 ……男の刀は、一般的な日本刀より柄が長かった。薩摩拵さつまこしらえ、と呼ばれる刀装である。
「本来ならば名乗りを上げるべきだが、道を外れた貴様に名乗る名などない」
 男は刀を立て、切っ先を天に向けた。
 柄を、利き手側の肩の上――耳の辺りにまで持ち上げる、大上段の構え。
 ……どう考えても、構えが高過ぎる。あれでは下段・中段どころか、上段の防御すらまともに行えまい。
 マキは、その無防備さを嘲笑いながら――魔の突きを放つ。
「峰崎マキ、手向ける言葉は1つだけだ――」
「斬ィィyaaaaAAAAHHHHHHッッ!!!!!」
「――疾く逝ね」
 そして。
 剣の一閃が、弱者の肉を断ち斬った。








「た、匠哉さん、足速いですね……」
 俺と瑞枝は並走しながら、マキを追跡していた。
 手掛かりは、点々と残っている血の跡だ。所々途切れていて、多少迷ったが。
 つーか暗い。ええい、捜し辛いなぁ!
「そうか? そう言うお前も、しっかり付いて来てるじゃないか」
「私はモーターで走ってるんですよ? これで付いて行けなかったら大問題です」
「あ、次左な」
「えっ!!? あっととっ!!?」
 左折し、路地に入る俺。
 瑞枝はタイヤを滑らせて、ギリギリで曲がる。
「た、匠哉さん……移動体は加速する程、曲がるのが難しくなるんじゃ?」
「うん、なるよ」
「貴方さっき、あの速度で直角に曲がったじゃないですかっ!!」
「難しくなるだけで、不可能ではないのだ。まぁ、走法次第だな」
「――……」
 何だろう。超人空手家から、人外を見るような眼を向けられている。
 ちゃんと前見て走れよー。
「――ッッ!!!?」
 急停止する、俺達。
 そこは、血の海となっていた。斃れているのは――
「……これは、どういう事でしょう?」
「多分――禁を犯したこいつを、桃生の誰かが臨終させたんだろーな……」
 真っ二つになった、マキだった。
 肩から反対側の脇腹まで、すっぱりと刃が通っている。見事な袈裟斬りだ。
「これじゃあ仕方ないな……瑞枝、騒ぎになる前に逃げるぞ」
「は、はい」
 路地から脱出。夜中なので、幸いにも人目はない。
 旅館への帰路を、急がず進む。
「思ったんですけど。私の目的ばかり達成されていて、匠哉さんの目的がまったく進んでいない気が」
「まぁねー。ま、気長にやるさ。……にしてもやっぱ、強者との闘いは修行になるのか。と言うかお前、戦術とかないよなぁ」
「う……今までは、正拳突き1発で終わらせて来ましたから」
「戦術が必要なレヴェルの相手と、出遭った事がなかったのか……」
「ええ、これからも匠哉さんの助言が命綱になりそうです……あ、そうだ」
 瑞枝が、俺と眼を合わせる。
 な、何だ? 静かなプレッシャーを感じるぞ。
「アパートで……監視カメラから逃れるために、私をトイレに連れ込みましたよね」
「あ、ああ」
「匠哉さんの予想通り、トイレにカメラはなかった訳ですが――もしあそこにまで仕掛けてあったら、どうやって監視の眼を誤魔化すつもりだったんです?」
「……それは――」
 考えてなかったな。
 トイレにカメラがあったら、俺は一体どうしたか――。
「やはり、トイレに相応しい行いで欺くしかないのでは」
「コォォォォ……!!」
「み、瑞枝さんッ!!? スト、ストップッ!!! つーか、何をすると思って――」
「――キェェエエエエイッッ!!!!」
 正拳突きが綺麗に入り、宙を舞う俺。
 即死しなかったと言う事は、手加減されたのだろうが……うぅ、散々だ。がくっ。






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