月見匠哉は、いつも通り家にいた。
 ……だがそれは、『いる』と言っていい状態なのか。
 何故なら彼はその目蓋を下ろし、決して開こうとはしないのだから。
 ぴちゃん。
 ぴちゃん、ぴちゃん。


ビンボールハウス・レジェンド18
〜エピローグ〜

大根メロン


 午後からは、しとしとと雨が降っていた。
 空はどんよりとした暗雲に覆われて灰色となり、ただ落涙を続けている。
 その陰湿な世界の中を、幽子は傘を差して歩いていた。
 ……今の彼女に、太陽の威光はない。
 それはこの曇天のせいなのか、あるいは彼女の心境故なのか。
「――……」
 足を止めて見上げるは、1軒の家。
 玄関に、表札はない。ただ人によっては、それを月見家と呼ぶだろう。
「……ここに来るのも、久し振りね――」
 最後に来たのは、どれだけ前だったか――数えようとして、止めた。
 そんな事をしても、何の意味もない。ボロボロになった家が、幽子に時の流れを感じさせた。
 玄関の戸に、手を掛ける。
 幽子の記憶が正しければ、この戸は力を入れるだけでは駄目だ。入れ過ぎず抜き過ぎず、適度な力で一気に開けなければならない。
「うんしょ、っと――」
 ガラガラガラ。
 いかにも古めかしい音を立てて、戸は横にスライドした。
 幽子は特に挨拶もせず、玄関から上がり込む。挨拶の必要を、感じなかったのだ。
 家の中は――時が止まったかのように、静かだった。以前はあった音が、今この時にはなかった。
 ぴちゃん。
 ぴちゃん、ぴちゃん。
「――……」
 この家は、さほど広くはない。
 だからすぐに、その光景が目に入った。
「匠哉――……」
 居間に敷かれた、布団の中。
 ……そこには、1人の男が眠っている。
 当然だが――幽子が声を掛けても、何の反応も返って来なかった。
「……過ぎてみれば玉響の如し、人間はすぐに死んでしまう――」
 幽子は、いわの天皇。
 その命は岩石のように永く、その時計は人間とは噛み合わない。
 どれだけ深い縁が結ばれた人だろうと、黄泉の女王にいざなわれてしまう。
「匠哉、匠哉――……」
 再び、呼び掛けた。
 しかし帝の玉音と言えども、あらゆる事が叶う訳ではない。
 ……神のいなくなった、月見家。
 幽子の声は、虚しく雨音に呑み込まれてゆく。
「何故かしらね? 貴方だけは、私を置いて逝かない気がしていたのよ――」
 そんな訳がない。
 自分勝手な妄想が、現実に昇華されるはずがない。
「――……」
 幽子は布団の上から、匠哉に覆い被さった。
 寄り添えば、もしかしたら体温が感じられるかも知れない――そんな、願いを込めて。
「匠哉、匠哉ったら――」
 顔を覗き込みながら、優しく身体を揺さ振っている。
 ……それでも、何の反応もありはしない。
「本当は、起きているんでしょう? 私を、からかっているだけなんでしょう――?」
 必死に、話し掛ける。
 ……けれどもその思いは届かず、彼は目を開かない。
「――……」
 認めるしか、なかった。
 月見匠哉は――深い深い眠りに、就いてしまったのだ。
 ぴちゃん。
 ぴちゃん、ぴちゃん。
「ならば私にも、考えがあるわ――」
 幽子は己の顔を、匠哉の顔に近付ける。
 ……遊びは終わりだ。
 遊びと言うよりは、予行だったのかも知れないが。
「くすくす、喰らいなさい――!」
 一旦、頭同士の距離を開く。
 その距離を利用してスピードを付け、自身の石頭を匠哉に叩き込んだ。








「……何やってんだ、テメェはよぉ〜〜?」
 ヘッドバットで夢の世界から強制送還された俺は、下手人にアイアンクローをかましていた。
 しかし悲しいかな、この下手人は石頭。しかも仮面越しとあっては、1ポイントのダメージすら期待出来ない。
「くすくす。だって天皇が行幸したのに、眠っているなんて無礼でしょう――?」
「いきなり頭突きかましたくせに、礼儀について語り出すとは……」
 何考えてんだ、この天皇。
 狐南朝を退けて、ヒマになったのか? まぁだからって、俺の安眠を爆砕して良い理由にはならないが。
「くすくす。そもそも匠哉、どうしてこんな時間から寝ていたのかしら――?」
「ようやく期末テストが終わったんだよ。完徹で勉強した分、ゆっくり寝ようと思ったら――お前が、お前がッ!!」
 ぐぐぐぐぐ――と、さらに指に力を入れる。
 しかしやはり幽子にクローは通じず、俺の手が痛くなるばかりだった。
「徹夜で勉強? 貴方が――?」
「うるしゃい、文句あるか。……まぁ、色々とあるんだよ。夏休みは、補習なんか受けてらんないんだ」
「それって――きゃっ!?」
 ぴちゃん。
 ぴちゃん、ぴちゃん。
 幽子の言葉を遮るように、彼女の頭に水滴が落ちた。
「あーあ、こっちからも雨漏りが……」
 俺は幽子の顔面から手を離すと、洗面所に直行。
 バケツを1個持って居間に帰還し、漏っている所の下に設置した。
「……来た時から思っていたけど、バケツや洗面器だらけで異様な居間ね――」
「仕方ないだろ、この家ボロいんだから。築何年かも分からんし」
 まぁ、俺より年寄りなのは確かだが。
 ちなみにマナとしぃは、ボロ家の雨漏りを嫌って、カナの店にエスケープしている。
「…………」
 寝直す気も起こらなかったので、ぼーっと雨漏りを眺めてみた。
 何が楽しいのか――幽子も、バケツや洗面器の編隊を観察している。
 ぴちゃん。
 ぴちゃん、ぴちゃん。
「……ねえ。貴方、病院に行っていないみたいだけど――」
「病院って、緋姫ちゃんのお見舞いか? 行かんよ、と言うか行けんよ」
 俺は飛鳥に、緋姫ちゃんを護ると約束した。
 けれど、結果はあのザマだ。こんな俺が、緋姫ちゃんに会いに行けるはずがない。
「……そう――」
 話が途切れ、ゆったりとした時間が流れる。
 俺はふと思った事を、特に意識せず口にしていた。
「そういや何だったんだろ、あの変な夢」
「……変な、夢――?」
 ありゃ。独り言だったが、幽子に反応されてしまった。
 誤魔化すのも面倒臭いし、そこまでする必要性も感じなかったので、素直に話してやる。
「ん。どうやら、俺が死んだ後らしくてな」
「――……」
「誰かが、俺の死を悼んでいる夢だ。……いや縁起でもないな、ホント」
 それが誰かは分からなかった。
 何しろ、こちとら死んでいたのである。
「……くすくす、いいじゃない。死を悼んでくれる誰かがいるのは、とても幸せな事だと思うわ――」
「そりゃそうだけどさ。でも何つーか、俺が死んだくらいで……まぁいいや、所詮ただの夢だし」
 夢は夢に過ぎない。
 現実の俺がこうして生きているのだから、大した意味など在りはしないだろう。
「ただいまー」
「ただいまなのだー」
 ……およ?
 玄関の方から、聞き慣れた声が聞こえた。
「何だ、戻って来たのか?」
 ドタドタと、こちらに近付く足音。
 この家に鎮座する神々――マナとしぃが、帰って来たのだ。
「よう、お帰り。しかしお前等、カナの店に行ったんじゃ?」
「いやぁ、騒いだら追い出されちゃってねえ。まったく、カナは心が狭い――って、幽子ぉッ!!?」
「くすくす。お邪魔しているわ、大禍津日神――」
「うん……何と言うか、本当に邪魔……」
 ……早速険悪ムードですか。
 まぁこの狭い居間に、俺達とバケツと洗面器がギッシリ詰め込まれているのだ。具体的に誰がと言うより、全体的に邪魔である。
「匠哉〜、今日のオヤツなのだ〜」
「はいはい、分かってるよ」
 グルメ妖神の催促を受け、俺は台所に向かう。
 俺がいたスペースには、ちゃっかりとマナが納まっていた。
「まったく、何で貴方がここにいるのさ?」
「くすくす、私がここにいたらおかしいかしら――?」
「おかしいでしょ、普通に考えて。と言うか、狭いんだよ……!」
「くすくす、くすくす――ならば、敗けた方がここから出て行けば良いと思うわ――」
「……上等。相手になってやるッッ!!!!」
 何やら、物騒な会話。
 直後に、ドッタンバッタンと乱闘サウンド。
「騒ぐな、バケツを蹴っ飛ばすなッッ!!! 洗面器を武器にすんなぁぁああああッッ!!!!」
 台所からツッコミを入れるが、お馬鹿さんどもは聞く耳持たず。
 それどころか――
「――みぎぶぎゃらッッ!!!?」
 飛来した洗面器が、顔面に直撃。どったーんと、俺の身体が床に倒れた。
 しぃが明日のオヤツにまで手を伸ばしたのが見えたが、消え逝く意識では止める事など叶わない。
 ……お前等、こんな時くらいは大人しくしてろよ……うぅ、ガクリ。






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