「大神、件の品の準備が整ったようです」 京都、伏見。 旧い闇の精気が滞るその場には、春獄晴良の姿がある。 彼が跪いて拝謁する対象は、この国を獲り返さんとする叛乱軍の長。 『そうか……遂に、妾が現世へと戻る時が来たか……!』 九尾の巨大な狐が、歓喜の声を上げる。 その猛りは空間を震わせ、まるで世界を捻じ切るかのようであった。 『畜生道に堕とされ、このような獣身に押し込められて幾星霜……ああ、どれ程までに待ち焦がれた事か』 「その雌伏ももう終わりです、我等が女神よ」 『――然り。やはり、あの蛇に国を任せるべきではなかったのだ。須佐之男大神の氏子たる妾こそが、真にこの瑞穂国を治めるべき神なのだ……!』 咆哮する、古の神。 その、畏れ敬うべき威容の前に立ちながらも――晴良は、嘲るかのような笑みを作る。
――昼の日差しが包む、京都。 とある街に、2人の少年の姿があった。美榊迅徒と灰島泉である。 古都を歩く二人の格好は、カトリックの修道服だ。場違い極まりない。 「しっかしまぁ、連中もやる事が派手だねぇ」 「この数日で、襲撃された極左団体や南北朝鮮学校、新興宗教施設等は百を超えます。隠蔽されてはいますが、皇居陰陽寮の仕業で間違いないでしょうね」 「戦争を始める前に、足元から御掃除って訳か。御苦労なこった。……この、京都の神社を乗っ取ってた韓国人が、一族郎党皆殺しにされたってのも?」 「いや、それは叛乱軍の方でしょう。あそこは稲荷ですからね」 「……あー、にゃるほど。それにしても、どいつもこいつもヒマなんだなぁ。その時間を俺に分けて欲しいよ」 紙の束を、迅徒に返す泉。 そして、怪しむ眼でその相方を見た。 「で、だ。どうして急に、こんな資料を俺に見せた? 何だか嫌な予感がするぞ。つーか俺達は、何で京都にいるんだ?」 「吉野に、立川流を復刻した宗教団体があるんですが……現在、そこから伏見に向けて何かが輸送されているようで」 立川流とは、異端の密教である。 仏の道では禁忌とされているはずの性行為を教義に置き、淫祀邪教と弾圧され――表舞台から消え去った宗派。 「……何か、って。正体は分かってないのか?」 「ええ、残念ながら」 「伏見っつうと、叛乱軍の本拠地だよな……で、立川流。ははーん、最後のピースを揃えに来たか」 「……泉さん?」 「いや、何でもない。気にすんな」 今度は迅徒が、泉を怪しむ眼で見る。 だが、泉は素知らぬ顔。仕方がないので、話を続ける。 「ここまで言えば分かって貰えたと思いますが、私達はその輸送を阻止します。皇室と叛乱軍の争いなどどうでも良いですが、我等はこの国の教化を任された身。化物どもの増長を、見過ごす訳にはいきません」 「オーケイ、分かった。で、敵さんはどうやって運んでるんだ?」 「連中はトラックですよ。護衛は、谷川花音とヘレン・サイクスの2人だと聞きます」 「あいつ等かー。まぁ、俺と迅徒の2人掛かりなら何とかなるな」 「そのトラックのドライヴァーは、加速狂の白酉飛鳥だとか」 カチリと、泉が固まった。 飛び切りの笑顔に冷や汗を滴らせ、泉は言う。 「良し、無理だッ! 帰ろう、星丘市に帰ろうッ!!!」 「……そこまで嫌ですか、あの人の相手は。完全にトラウマになってますね」 「お前は、あの女の真の恐ろしさを知らないんだよッッ!!!!」 しかし、泉の言葉が聞き届けられる事はなく。 迅徒は無情にも、彼を引っ張って連れて行く。 「嫌だぁああ〜〜ッッ!!!!」 「……はい、分かりました。また何かありましたら、報告をお願いします」 「運転中に電話すんなよ、お前……」 迅徒は、携帯電話の通話を切る。二つ折りにし、ポケットに仕舞った。 聞いた内容を、消沈したままの泉に伝える。 「吉野の立川流団体が、皇居陰陽寮の襲撃で壊滅したようですよ」 「……動きが遅えな。例のブツは、とっくに持ち出されてるんだろうに」 「ですね。しかし私達にとって重要なのは、その次です。例の品が既に運び出されているとなると、皇居陰陽寮も追撃に掛かるかも知れません。そうなったら、私達との鉢合わせも在り得る」 「混戦になる、か。そりゃ面倒だ」 「まぁ、連中には山のように借りがあるので、彼等との戦闘は歓迎なのですが……これは仕事ですからね。大人にならなければ」 迅徒は、生家を皇居陰陽寮に滅ぼされた。 その復讐心は、変わらず燃え盛っている。しかし、『今』でなければならない理由はない。 私事は、後回しだ。 「なので、泉さんも大人になってください。いつまで落ち込んでるんですか、貴方は」 「いや、だってなあ? 全ッ然、勝てる気がしないんだよ」 敵に白酉飛鳥がいると聞いた時から、泉には覇気がない。 それもそのはず。飛鳥が泉に刻み込んだトラウマの数は、両手の指では数えられない。 「はぁ……たかがドライヴァー相手に、何をそんなに恐れているんだか」 「お前はあの恐怖を知らないからそんな事が言える。ちょうどいい、目一杯体験するんだな」 「ええ、そうしますよ」 明らかに、迅徒は真面目に答えていなかった。 馬鹿め、と呆れる泉。 「……しかし、敵に春獄晴良がいないのは幸いでしたね」 2人は1度、晴良と交戦している。アジアのカトリック組織に武器を輸送する最中に、テロクラに襲われたのだ。 結果2人は惨敗し、武器を強奪された。奪われた武器の数々は、後にテロクラとヴォラクラが激突する要因となった。 「そうだなあ、あいつがいたら勝ち目はなかった。……飛鳥以外の敵勢力は、谷川花音とヘレン・サイクスだっけ?」 「はい」 「ま、春獄晴良がいないと思えば少しはやる気も出て来る。働くか、迅徒」 「ようやくその気になってくれましたか」 「このザマじゃ、覚悟を決めるしかないしな……」 今の泉は、迅徒が運転するバイクのサイドカーに納まっていた。 逃げ出さないように、ロープでグルグル巻きにされた状態で。 「……あと、もう少し俺を労わるドライヴィングをお願いしたい」 バイクはステアリング操作に加え、車体を傾けて重心を移動させる事により、カーブを曲がる。 その、車体を傾けるというのが問題だ。左に傾ければ、当然右のサイドカーは宙に浮き上がる。 サイドカーが邪魔になって、右に傾ける事は出来ない。よって左に傾ける事もせず、サイドカーを浮かせないように走るのがセオリィだが―― 「――うぉぉうッッ!!!?」 迅徒は左折時に、容赦なく泉を空に近付ける。 ベルトをしているのだから飛び出す事はないのだろうが、しかし今の泉は縛られて動けないのだ。頭で分かっていても、恐怖心はどうにもならない。 「くぅおらァ、迅徒ォッッ!!!!」 「我慢してください、時間がある訳ではないんですから」 「だったらせめてこの縄を解けえッッ!!!!」 「ほら、見えましたよ」 前方には、トラックの後部が見えた。 コンテナの上に、日傘を差したゴスロリ服の人影がある。 テロリズム・クラブの副部長――ヘレン・サイクス。 「では、行きますよ泉さん」 「え? そう言われても、俺動けないんだけど」 迅徒が、さらにアクセルを回す。 エンジンの回転数が一気に上がり、加速したバイクは――トラックを追い越してしまった。 「へ? おい迅徒、何で――」 その言が終わる前に、プツンとロープが切れた。 いつのまにか折り紙手裏剣を握っていた迅徒が、それを一振りしたのだ。 「……どういう事よ、この展開?」 「御武運を祈ります」 迅徒は、サイドカーを軽く蹴った。 すると、どういう仕掛けになっていたのか――サイドカーがバイクから切り離される。 「……へ? お、おおおおおいッッ!!!?」 サイドカーは4輪式なので、横転はない。しかし当然加速を失い、スピードを落としてゆく。 ……後ろからは、トラックが猛然と迫る。 「い、いや、大丈夫だ。いくら飛鳥と言えども、知り合いである俺を轢き殺したりは――」 泉は、肩越しに振り返った。 トラックの運転席には、白酉飛鳥。彼女の眼に殺意はない。 泉の存在に、まったく無関心。路上のゴミ程度にしか、考えていない眼であった。 「――呪われやがれッッ!!!!」 全力で跳躍し、トラックの上に飛び乗る。 次の瞬間。トラックの質量と、サイドカーの質量が激突した。 敗北したサイドカーは、バラバラになって後方に流れてゆく。脱出があと少しでも遅ければ、泉も一緒にバラバラになっていただろう。 「はぁぁやぁぁとぉぉおおおッッ!!!!」 「……例え知己が相手であっても、躊躇なく潰そうとしますか。成程、確かに手強い人物ではあるようですね」 「そんな事を確かめるために俺を使うなッ!! お前には隣人を愛する心がねえのかッッ!!!」 泉は、さらに迅徒に食って掛かろうとするが―― 「――ッッ!!!?」 背中を撃たんとする投擲によって、中断せざるを得なかった。 身を返しつつ定規を抜き、襲い来るトランプを斬り払う。 「余所見をしてると死にますわよ、ローマの走狗」 「……チッ、このサディスト女が。言っとくが、この状況じゃお前の偽神は使えんぞ」 「それくらい理解していますわ。クィーン・オヴ・ハートのスピードでは、このトラックには追い付けません」 「分かってるなら幸いだ。じゃ、さっさと倒されろ」 定規を構え、ヘレンと相対する泉。 あの緋姫ですら難儀したトラック上での戦闘を、泉は何の苦労もなく行おうとしている。 「……飛鳥の言う通り、かなりの使い手ではあるようですわね」 「あん? 何だ、急に。命乞いなら、聞いてやらん事もないぞ?」 「乞う程に大切な命など、持ち合わせていませんわ!」 回転しながら滑空し、泉の身を断とうとするトランプの連撃。 定規と激突し、摩擦熱によって煙を上げる。 「さっさと死んで貰えるとありがたいのですけど。貴方には、大して用もありませんから」 「……迅徒にはあるのか?」 「ええ。異世界とはいえ――私は、美榊と銘打たれた者が心底嫌いなのですわ!」 「良く分からんが、八つ当たりにしか聞こえんなッ!!」 トランプを弾きながら、距離を縮める泉。 ヘレンを、定規の間合いに捉える。一振りすれば、彼女を倒せるはずだ。 「ハッ、1対1で俺に勝てると思って――」 だが。 泉は、そこで気付いた。 (1対1って――もう1人は!?) 「――気付きましたか。しかし、もう遅いですわ」 風の音。 いや、風などという生温いモノではない。それは超音速の物体によって引き起こされる、大気の断末魔だった。 「――ッらぁぁぁアアアアア!!!!」 泉は身を翻し、猛速で襲い掛かった矢を弾く。 定規が、腕が軋みを上げる。防ぐ事には成功したが、無理な体勢で受け止めたダメージは避けられない。 「うあッ!?」 トラックの上を転がる。指に力を込め、道路への落下は阻止。 が、そんな泉にヘレンのトランプが襲来した。 「――泉さんッッ!!!!」 呼び掛ける、迅徒。 しかし、相方を心配する余裕など与えられない。迅徒が駆るバイクに、トラックが容赦なく突っ込んで来る。 小回りの良さでは、バイクの方が遥かに上だ。真っ直ぐに進むだけのトラックで、捉えられるはずもない。 ――が。 「何……ッ!!?」 トラックがタイヤを滑らせ、スピンした。 車体の長さを武器にし、回転する大質量がちっぽけなバイクを叩き潰さんとする。 「く……ッ!!?」 打ち飛ばされる、バイク。 轢かれたのはバイクだけだ。迅徒は間一髪、トラックの上に跳躍していた。 「迅徒、大丈夫かッ!!?」 「泉さん……さっきのスピンは乗り切れたようですね」 「何とかな。遠心力で吹っ飛ばされそうになったけど」 泉はヘレンと武器を交えながらも、迅徒を見る。 ……その迅徒は、立つのがやっとの状態だ。トラックが蛇行を始め、バランスの維持を困難にしている。 そこへ―― 「……ッッ!!!?」 空気を引き裂いて、神々しき矢が降り掛かった。 迅徒の身体が、1発で貫かれる。しかしそれは無数のユニットに分裂し、空に散らばった。 折り紙で造った、身代わりの人形だ。 「……今の射撃は、谷川花音ですか」 いつの間にか、トラックの上を巨大な紙飛行機が飛んでいた。 その上には、本物の迅徒。紙飛行機は宙を漂いながらも、しっかりとした足場を彼に提供する。 再び飛んで来た矢を、ひらりと躱す紙飛行機。 「――……」 矢は、曲線を描いて飛んで来ていた。 神器の力が可能とする、この世ならざる軌道。これでは、どこから射られているのか見当も付かない。 「仕方ありませんね……出来る事からやりましょう。泉さん、運転席まで行って白酉飛鳥を倒してください」 「うぇええっ!!? それはまた嫌な事を提案するな、お前。つーか、こいつ等の相手はどうすんだよ?」 泉はたった今、ヘレンと闘っている。 さらに、近辺には花音が潜んでいるのだ。泉が離れれば、2対1である。 が、迅徒は言い切った。 「私だけで充分です」 「……あっそ。じゃあ、行かせて貰いますかね」 跳び退く、泉。 代わりに紙飛行機の高度が下がり、迅徒がヘレンと対峙する。 ヘレンが、泉を追う様子はない。元より、彼女のターゲットは迅徒の方だ。 「……やはり、あの女に似ていますわね」 「美榊が嫌いだと言っていましたが、人違いでは? 美榊家の人間は、もう私しかいないのですし」 「その無意味な慇懃も、そっくりですわッ!」 トランプと、折り紙手裏剣が交差した。 飛び道具の腕では、迅徒に軍配が上がる。しかしヘレンは、ダメージをまったく意に介さない。 迅徒には知る由もないが、彼女は神の奇跡を内蔵する不死の者。葬る事は不可能に近い。 さらに―― 「くッ、鬱陶しい……!」 彼方から飛来する、花音の矢。 神器の一撃は、防がなければ死に至る。だが矢を防げば、ヘレンに無防備を晒す事となる。 「……さて、困った。泉さんに賭けるしかありませんかね」 「はははははッ!!! すぐに、首を切って差し上げますわ――ッッ!!!!」 泉はトラックの側面を伝い、運転席を目指していた。 今の彼が、花音に狙い撃ちされる事はない。泉を撃ち抜けば、トラックも崩壊する。 「おらァ、トリトリ! 車を止めて、荷台の中身を渡しやがれッ!」 ドアの窓を破り、飛鳥に怒鳴る。 ……彼女は、冷ややかな眼で泉を一瞥した。 「あのね。そう言われて、はい分かりましたと渡す訳がないでしょう」 「なら、実力行使させて貰う……!」 飛鳥は、泉にとっては恐ろしい存在だ。だが、彼女自身の戦闘能力は脅威ではない。 助手席にはM4カービン突撃銃があるが、あれは両手で扱う武器だ。ハンドルを握っている飛鳥には使えないはず。 愛用拳銃のCz75なら片手でも扱えるだろうが、ハンドガン程度なら泉の敵ではない。助手席には他にもゴチャゴチャと様々な物が置いてあるが、武器になりそうな物はなかった。 「よっしゃ、ここで普段の怨みを――って、何の迷いもなくハンドルから手を放すなぁぁああああッッ!!!!」 飛鳥はしっかりと両手でM4カービンを構え、その銃口を割れた窓から覗く泉の面へと向けた。 ――マズル・フラッシュ。 「のぅおお、おおおおおおおッッ!!!?」 紙一重で、撃ち出された3発のライフル弾を回避。 ……泉は大急ぎで、来た道を戻る。 「ごめん迅徒! やっぱ無理だったわッ!」 「……さて、本当に困った」 尻尾を巻いて逃げ帰った泉に、迅徒は深い溜息をついた。 その間にも――ヘレンのトランプや花音の矢が、次々と飛来する。 「なかなか巧く防ぐものだな、あの伴天連どもは」 とある山中の木の天辺から、花音は彼等を見下ろしていた。 500メートルも離れているにも関わらず、彼女の眼はトラックの上で闘う迅徒達の姿を、しっかりと捉えている。 花音は、矢が曲線を描くように咒力を込めて放っている。異端審問官達が狙撃位置を割り出す事は不可能だと、彼女は自負していた。 「――破邪滅敵、万々無窮歳……ッ!!」 再び弓に矢を番え、眼下の者どもに向けて放つ。 それを、折り紙を使って受け流す迅徒。 「ん……?」 その時、花音は周囲の異常を察した。 宙を漂う、数枚の折り紙。それはまるで凧のように、空に留まっている。 いや、それは真実凧であった。折り紙には糸が繋がっており、下へ下へと伸びている。 ……凧が、揺れていた。花音が矢を放った衝撃を受けて、ゆらりゆらりと。 その動きは糸を伝わり、操り手へと伝達されている。どの凧が揺れて、どの凧が揺れていないのか。 言うまでもなく――揺れている凧の位置は、即ち花音の位置だ。 「……ッッ!!!?」 己の不覚を悟った花音だったが、もう遅い。 声は聞こえないが、迅徒の唇は確かにこう言っていた。 「――そこですか」 迅徒が、折り紙手裏剣を構える。 全身を捻り、バネのように力を溜め――それを一気に解放し、手裏剣を投擲した。 「美榊流折形術、陽之章其之一……『天降星』」 500メートルを瞬く間に翔る、1枚の手裏剣。逆行の流星。 それは、美榊静音が田村シンの『映像』を破壊した奥義だ。さらに、異端審問官である迅徒の武装は蛇殺しである。 花音にとっては、間違いなく決め手となる一撃。 ……かつてレインに狙撃された時は、護ってくれた男がいた。 けれど、今は―― 「……無念」 手裏剣が直撃。 花音は真っ逆様に、地上へと落ちて行く。 「――花音ッ!!?」 手裏剣が投げられた先を見ながら、ヘレンが叫んだ。 ……もう、生弓矢による援護はない。 「余所見してると、死ぬんじゃなかったのか?」 「……ッッ!!?」 定規を振るう、泉。 ヘレンはそれを躱すが、敵は泉だけではない。 「くぅああ……ッッ!!!?」 横から紙飛行機の体当たりを受け、彼女はトラックから放り落とされた。 ヘレンの姿が、後方へと消え去る。 「いいのかよ、ちゃんとトドメ刺さなくて?」 「彼女はかなりのタフネスを持っているようですからね。元より敵勢力の撃破が目的ではありませんし、例の品を頂いて終わりにしましょう」 「それもそうか。――よっと」 泉が、足を振り下ろした。 コンテナに穴が開き、中が見えるようになる。 が、しかし。 「……あら?」 中には、何もなかった。 「……どういう事でしょうか?」 「お、俺に聞かれてもな……って、まさかッ!!?」 泉は、運転席の方に眼を向ける。 輸送されている物が泉の想像通りならば、それ程大きな物品という訳ではない。わざわざ荷台に納めずとも、助手席に置いておけばそれで良い。 「くッ、謀られたかッ!!!」 運転席へと駆ける、泉。 先程と同じように覗き込むが、車内に飛鳥はいなかった。 ハンドルとアクセルが固定されており、トラックは誰の操縦も受けずに走っている。 ……前方には、崖に面したカーブがあった。 「ヤバい――ッ!!!」 「……は?」 泉が、迅徒の紙飛行機に飛び乗る。 その様子から危機を悟り、迅徒は紙飛行機を浮上させた。 ……無人のトラックはガードレールを破り、崖下へと落ちる。 「まさか、飛鳥が車を捨てるとは……あいつの私物じゃないんだな、あのトラック」 「泉さん、品はどうなったんです?」 「多分、飛鳥が持ってるんだろ。問題は、奴がどこに行ったかだが――」 と、その時。 ローター音と共に、一台のヘリが紙飛行機へと接近して来た。 ヘリ自体は、軍用でも何でもない普通の機体だ。しかし底部に、改造されたマシンガンが取り付けられている。 その武装ヘリの運転席には、飛鳥の姿があった。 「――うわッ!!?」 紙飛行機を襲う、銃弾の雨。 ……迅徒が駆る紙飛行機は、縦横無尽の素晴らしい動きを見せる。 だが、あらゆる乗り物を手足のように操る万能運転手――白酉飛鳥が運転するヘリには、遠く及ばなかった。 「く……ッッ!!!?」 僅かに被弾。 弾丸に翼を喰い千切られた紙飛行機は、浮力を失い地へと落下する。 「ぐあ……っ!!?」 迅徒と泉が、道路に転がった。 ……銃口を2人に向けたまま、ヘリが高度を下げる。 『退きなさい、泉に美榊迅徒。これ以上闘うなら、怪我では済まないわよ?』 外部のスピーカーから、飛鳥の声。 泉は頭を擦りながらも、運転席の飛鳥へと強い視線を浴びせた。 「五月蝿え。そう簡単には退けない事、お前だって分かってるだろ……痛てて」 『……そう。なら、仕方ないわね』 ヘリの銃口が、迅徒に向く。 飛鳥が、銃のトリガーを引こうとした時―― 『――っ!?』 彼女は、思わず手を止めてしまった。 響き渡る、エグゾースト・ノイズ。1台のスポーツ・カーがこの戦場に走り込み、タイヤを滑らせながら停車する。 日産、フェアレディZ33。飛鳥はその車を知っていた。 「くすくす。盛り上がってる所で、悪いわね――」 ドアが開き、少女が降り立つ。 少女と言っても、それ外形の話でしかない。彼女の実相は、永年を生きる老王だ。 ――幽子。 日本を裏から支配していた、石の天皇。そして今では表の帝室を滅ぼし、この国の頂点となった女傑。 不老不死の皇が、仮面の下から飛鳥に微笑み掛ける。 「少し出遅れたけれど、アレを渡して貰いに来たわ――」 『……陰陽頭や絡繰り人形を、御供にしていると聞いたんだけど。そいつ等はどうしたの?』 「くすくす。明雅と壱丸は、まだ吉野から戻っていないの。だから仕方なく、私が行幸したのよ――」 呆気に取られている迅徒や泉を無視して、幽子はヘリと相対する。 銃口がぴったりと幽子に合わせられるが、彼女はまったく物怖じしない。 「それで、どうするのかしら? 素直に渡して貰えると、私としては嬉しいのだけれど」 『……冗談。お金貰ってやってるんだから、途中で投げ出す訳にはいかないのよ』 「くすくす、立派な事ね。でも、天皇の勅令を無視してはいけないわ――」 ……バサバサ、と羽音がした。 それを鳴らしたのは、1羽の烏。まるで仲間を呼ぶように、2羽3羽と集まって来る。 「シ……ウ……ク! ……チショ……ホ……!」 その烏達は、何か人間の言葉を話していた。 オウムに代表されるように、鳥類が人語を話す事はある。知能の高い烏なら、在り得ない事ではない。 集結した、烏達は―― 「シチショウホウコク! シチショウホウコク!」 七生報国、と。 七度生まれ変わろうとも、この神国に報いると――そう謳っていた。 『これは……!?』 「古来より、烏は霊鳥とされているわ。神武東征の際に八咫の烏が道中の案内を務めているし、中国の伝説では太陽には3本足の烏が棲むという。ギリシア神話では、太陽神アポロンの使いとされているわね――」 ……すでに烏は、天を覆い尽くす程に集っている。 しかし、日の恵みが遮られる事はない。烏達は群れに円い穴を開き、太陽の威光を地に通している。 「くすくす、くすくす。これだけの烏に襲われたら、ヘリだろうが何だろうが御終いよ――」 『……ッッ!!!!』 「ああ、そうだわ。こんな話も知っているかしら? かのファン・ゴッホが最後に描いた絵は、『カラスのいる麦畑』というの。渦巻く想念が感じられる、とても素敵な絵画よ」 飛鳥は、マシンガンのトリガーを引こうとする。 だが――幽子の威風と烏達の威圧感に呑み込まれ、そんな事すらも出来ない。 「ゴッホはそれを世に生み落とした後に、自ら命を絶った。貴方が最期に見るのも――この烏の群れよ、白酉飛鳥」 烏達が、動いた。 彼等は太陽の光を浴び、金色に輝きながらヘリに突撃する。 「くすくす……『金烏飛翔陣』」 「シチショウホウコク! シチショウホウコク――!」 黄金の激流が、天から降り注ぐ。 陽の霊力を得た烏が、数千数万。ちっぽけなヘリ如きが、その一撃に耐え得るはずもない。 ……メキメキ、と金属が潰れる音。 武装ヘリは、刹那でスクラップと化す。残骸が、地に叩き付けられる。 「くすくす、これではアレも粉々かしら? まぁ、別にそれでも良いのだけど――」 と、その時。 ヘリを破壊し続けていた烏達が、爆発するように飛び散った。 「……ったく、危ねえな」 その爆心地には、飛鳥を抱えた泉の姿。彼女には、傷1つない。 さらに、彼の腕には――バスケットボールより一回り大きい、四角の箱があった。 「……何時の間に。くすくす、さすがは重瞳使いね――」 「――……」 彼の左眼に宿る2重の瞳が、幽子を睥睨する。 常人ならば精神を粉砕される視線を受けても、幽子は涼しげに流してしまう。 「しかし惜しいわ。貴方は、人間に拘り過ぎている。自分が化物である事を自覚し、『人間ごっこ』を止めれば――人の殻を脱ぎ捨て、田村シンや春獄晴良のような絶対者へと羽化出来るでしょうに」 「巨大なお世話だよ、この岩女」 「くすくす。では、それを渡しなさい。私の一撃を受けたのだから、実力差が分かったはずだけど」 「……チッ」 泉は面白くなさそうに、箱を軽く投げた。 それは放物線を描き、幽子の手の中に納まる。 「――泉さんっ!?」 「構わんよ、迅徒。俺達が手に入れようと幽子が手に入れようと、結果は変わらん。破壊するだけだ」 「くすくす、その通りよ。一応は見ておくけど、最終的には壊すわ。叛乱軍の長がこれを掌中に納めたら、もう取り返しが付かないもの――」 幽子は丁寧に、箱を開いた。中身を改めようとする。 が――しかし。 「……!?」 箱の中には、何も入ってはいなかった。 幽子は、泉を見る。1番怪しいのは彼だ。 「……貴方、何かしたのかしら――?」 「あん?」 泉は、首を傾げた。 本当に分からない、といった表情。そしてそれは、飛鳥も同様だった。 「何だよ、どうした?」 「――……」 幽子は、箱から手を放した。 空の箱が道路に転がり、硬い音を立てる。 「何も入っていない……?」 「……これは一体、どういう事かしら――?」 「ははん……そういう訳か」 泉は1人、納得した顔で頷いた。 「ちょっと、どういう事よ?」 泉に詰め寄る、飛鳥。 彼女は、命懸けでその箱を運んでいた人間だ。なのにそれが空では、納得出来るはずもない。 「つまりだな、お前達はただの囮だったって事だ。谷川花音、ヘレン・サイクス、白酉飛鳥……これだけの面子が付いてりゃ、誰だってそれが本命だと思う。その心理を逆に利用したんだよ」 「……本物は、別ルートで伏見へと向かったのですね。恐らくは春獄晴良の手によって」 「だろうな」 迅徒の呟きを、泉は肯定した。 泉は溜息をつきながらも、ニヤニヤして幽子を見る。出し抜かれたのは、皇居陣営も同じだ。 謀られた同士の気安さか、泉が幽子に歩み寄る。 「残念でした。人間サマが雁首揃えて畜生に騙されるなんて、なかなか愉快だな。まぁ連中は元々、人を騙すのが得意な訳だけど」 ぱんぱん、と幽子の背を叩いた。 ……鋭く、睨み付ける幽子。貴人に対し、無礼が過ぎる。 しかし泉は、まったく気にせず――するすると、襟元からブラジャーを抜き取った。 「――……」 幽子は無言で、泉に頭突きを喰らわせる。 彼女は、石の天皇。その石頭が、泉を遥か彼方まで吹き飛ばした。 「くっ、下まで抜き取れている……一体、どうやって」 スカートを気にしながら、忌々しげに幽子は言う。 「……こんな事をしている場合ではないわ。早く、本物を追わないと――」 Z33に飛び乗り、ギアをチェンジ。アクセルを踏み込む。 轟音を残し、御料車は走り去って行った。 「……今から、追い付けると思ってるのかしら?」 「無理は本人も承知でしょう。だからと言ってやらない訳にもいかない、といったところでしょうか」 飛鳥の独り言に、律儀にも迅徒が答える。 ……すると、飛ばされた泉が帰って来た。 彼の身体は、所々から煙が上がっている。摩擦熱で燃えたらしい。 その手にはしっかりと、女性用の下着が。 「くそッ、あの女。軽いジョークにマジレスしやがって」 「……貴方のジョークを理解出来る女性は、この世にはいませんよ」 冷たい眼を向ける、迅徒。 泉はそれを完璧に無視して、下着をポケットに仕舞う。 「……ねえ、美榊迅徒。こいつ、何とかした方がいいんじゃないの?」 「そうですね。本国に報告して、火刑に処して貰いましょう」 「おいおい迅徒クン、冗談がリアル過ぎるぞ。ちょっと笑えないかなぁ」 ニコリとして、誤魔化そうとする泉。 飛鳥が、はぁと息をつく。 「……まぁ、何でもいいけど。それより、泉……その、さっきは助けてくれてありがとう」 「ん? ああ、あれか。俺は、知り合いを轢き殺そうとしたり銃殺しようとしたりするような、冷血とは違うからねー!」 携帯工具で一撃。 泉の頭から、ピューっと血が噴く。 「ったく、この男は……!」 「……ところで泉さん、命の危機に瀕している最中に悪いのですが」 泉はアタフタしながら、出血を手で抑える。 そして迅徒を見た。 「何だよ? こっちは今、今日1番の大ピンチなんだが」 「結局、叛乱軍は何を運んでいるのです? あるいはもう、運び終わっているのかも知れませんが」 迅徒は、空の箱に眼をやる。 あそこに、納まっているはずだった物だ。 「何やら、心当たりがあるようでしたが」 「んー、まぁな。語っておいて実際は違ったら格好悪いんで、黙ってたんだが……こうなったら、話してもいいか」 迅徒が、泉に注目する。 飛鳥もだ。自分達が運ぶはずだった物が何なのか、彼女も教えられていないのだろう。 「立川流団体から伏見に送られた品ってのは、多分――髑髏本尊だ」 「髑髏本尊……?」 「その名の通り、人間の髑髏から作った立川流のご本尊だよ。作り方は……まぁ色々と説明面倒臭いんで、ここでは省略。エロかったりグロかったりする」 「……で、泉。その髑髏本尊が、叛乱軍とどう関係するの?」 「立川流のメインとなる信仰対象は、荼枳尼天。狐を使いとする天部だよ。ほら、関係あるだろ」 「――……」 「ついでに中国では、狐は人間の髑髏を使って人に化けるらしい。ま、そういう事だ。叛乱軍の長が力を取り戻すには、王に相応しい特注の頭蓋骨――髑髏本尊が必要なんだろう」 少しの間。 その後に、迅徒が口を開く。 「では、泉さん。叛乱軍の長とは、何者なのでしょうか?」 「言っただろ? 荼枳尼天だよ」 「……え?」 「民間では稲荷大明神とも言うし、日本神話での名前は――」 「我等が女神よ、髑髏本尊を献上しに参りました」 社に現れた晴良が、狐の神に跪く。 彼の手には――漆を塗られ、黒光りする髑髏があった。 ……周囲では多くの妖狐が、この儀式を見守っている。 『おお……!』 地の底より鳴るかのような、巨狐の声。 その声色からは、人外の悍ましい歓喜が滲み出ている。 「では、失礼致します」 ……晴良が、1歩前に出た。 狐の神の頭上に、髑髏本尊を乗せる。それはまるで、戴冠式のようであった。 事実、それは戴冠の儀だ。この国に、真の君主を迎えるための。 ――髑髏本尊が、狐の頭部に吸い込まれて行く。 『オオ、ォォオオオオオオ……ッッ!!!!』 咆哮。 狐神の肉体が、高ぶるように震え始める。 そして―― 『――アアアアァァアアアアアアアッッ!!!!』 ぐしゃり、と。 巨狐の背中から、一本の腕が飛び出した。 ……白い、手。病的なまでに白く、透き通るように美しい。 見守る狐達が、熱狂の声を上げる。 狐神の、新たなる現身は――巨狐の背中を破り、この世に生まれ出でた。 ……ソレは、少女の姿をしている。 恐らくは、髑髏本尊の元となった人間を模したのだろう。顔には、狐の面を被っていた。 「――……」 カラン、と乾いた音。狐の仮面が、女神の顔から剥がれ落ちたのだ。 顕になる、白い尊顔。元が人であるにも関わらず、その容貌は魔性の魅力を滴らせている。 「くく、ははは……ッ! ようやく、畜生道より解脱出来たか」 己の残骸を乗り越え、旧き神は集った臣下達の前に立つ。 晴良や狐達が、その頭を垂れた。 「お待ちしておりました」 「うむ、大儀であった」 晴良に労いの言葉を賜わせ、女神は狐達を見渡す。 「遂に――妾は、現世へと黄泉返った!」 妖狐達が吼える。 その崇拝に満足し、さらなる言霊を紡ぎ出す。 「妾こそは須佐之男大神が嫡子、宇迦之御魂神ッ! 秋津島の、真なる大国主であるッ!」 『オオオォォオオオオオッッ!!!!』 「時は満ちた! 忌々しき天の一族、伯母上の末裔を根絶やしにし――今再びこの神州に、地祇の世を興そうぞッ!!」 鬨の声は、天地を揺るがすが如く。 まるで、黄泉の底にまで響くかのようであった。 「――七生滅敵ッ!!! 例え七度生まれ変わろうとも、我等が怨敵を覆滅せんッッ!!!!」 「……ッ!?」 幽子は京都を駆けながら、それを目撃した。 天に輝く太陽が、暗い影に呑み込まれてゆく。 ……日蝕だ。日を蝕む、天の怪異。 それはまるで――荒神の狼藉を恐れた太陽神が、岩戸に隠れてしまったかのようだ。 この怪事が意味する事態は、ただ1つ。太陽の威光に平伏せぬ者が、現世に再臨したのである。 「……ああ、間に合わなかったのね――」 車から降り、天を見詰めて悔恨する。 だが、いつまでもそうしてはいられない。 「――陛下ッッ!!!!」 吉野より駆け付けた明雅と壱丸が、幽子の傍に走り寄る。 「陛下、これは……!」 「ええ、最悪の事が起こってしまったわ――」 「くッ……私の力が、至らぬばかりに……!」 「貴方のせいではないわよ、明雅。私も、まんまと出し抜かれてしまったのだし――」 唇を噛む明雅を、宥める幽子。 彼女は臣下の2人を見、次なる勅を下す。 「……戦の仕度をしましょう」 「はっ!」 引き締まった表情で、明雅と壱丸は幽子の言葉に応える。 「これを機に、中朝がちょっかいを出してくるかもしれないけど――その時は、B-2Jスピリットと量産した水爆の出番ね。1発落とせば、静かになるでしょう」 「核を投下すれば、国際社会からの批難は避けられませんが――」 「周辺国など、どうでも良いわ。今は、護国が最も大事よ――」 「核攻撃を受けてなお静かにならなければ、いかが致しましょうか?」 「くすくす、2発目を落としなさい」 「……畏まりました」 一礼し、立ち去る明雅。 幽子はその姿が見えなくなるまで、たおやかに手を振っていた。 「では陛下、私はすぐに月見家の草薙剣を回収――」 「待って壱丸、その必要はないわ――」 「……何故でしょうか、陛下?」 「今あの剣を取り戻したら、警護のための人員を割かなければならなくなるでしょう? 月見家に置いておけば、その必要がなくなるわ。月見匠哉は警戒を強めて、出来る限り九頭龍神に家の番をさせている。くすくす、剣は彼女が勝手に護ってくれるのよ――」 「な……成程! さすがは陛下、何という聡明さなのでしょう! この壱丸、感服致しましたッ!」 褒め称える壱丸に、幽子は微笑み返す。 時の経過により、天では日蝕が終わろうとしていた。邪な者どもが起こした怪事など、自然の法則には逆らえないのだ。 「くすくす……では、帰りましょう。これから、忙しくなるわよ――」
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