「――やぁ、マノン。調子はいかがかな?」
 正道から外れた者が集う、異空間の中。
 マスケラが、世界に穴を開けて現出する。
「……あのね。そうひょいひょいと来るの止めてくれる? 三千世界管理局とやらに、ここがバレたらどうするのよ?」
「そんなヘマはしないよ。とにかく、話を聞いてくれるかい?」
「何よ」
 ろくでもない事だろうとは思いながらも、マノンは耳を傾けた。
 マスケラは嫌らしい笑みを浮かべ、語り出す。
「君が捏造した、異なる可能性の匠哉――霧神匠哉。あれを、ちょっとした手違いで逃がしてしまってね」
「……は?」
「星丘市に遊びに行ったんだが……ジュースが飲みたくてパシリに出したら、そのまま逃げられた」
「…………」
 はぁぁ、と大きな溜息を吐くマノン。
 あれが野に放たれた事も悩ましいが――マスケラの力なら、すぐさま捕らえる事が可能なはずだ。それをしない不真面目さも悩ましい。
「……それで、どうする気なのかしら?」
「とりあえず、異界に咒封されてる宝刀飛炎は取り出せないようにしておいた。それと、護法四鬼の喚起も出来ないようにしてある」
「能力を制限しても、根本的な問題は解決しないわ」
「無論、その辺も考えてるよ。私のドッペルゲンガーを創る能力で追っ手を生み出し、霧神匠哉を討たせようと思ってるんだ」
 マスケラは、暗闇の中に腕を突っ込んだ。何かを掴んで、一気に引っ張り出す。
 ……それは、身悶える赤い毒蛇。
「影の身では、能力は分霊わけみたま以下。それでも――弱化した霧神匠哉如き、容易く喰い殺せるだろうさ」


ビンボールハウス・レジェンド13
〜リヴィング・シャドウ〜

大根メロン


 ――星丘市の、街中。
 霧神匠哉は、1人で星丘高校へと向かっていた。
「チッ……やはり、宝刀も四鬼も封じられたか」
 舌打ちする。
 彼が星丘高校に向かっている理由は、以前と変わらず月見匠哉の抹殺だ。『匠哉』という存在を、自分だけのモノにするために。
 しかし――力を制限されると、多少面倒になる。特に、四鬼を封じられたのが痛い。
 さすがに単騎で、彼に味方する少女達に勝利するのは不可能だ。
 ならば――
「……剣士たる俺が、暗殺者の真似事か」
 匠哉が1人でいる所を襲い、殺すしかない。
 霧神匠哉にとってそれはかなり面白くないのだが、己の誇りを重視出来る程に余裕がある訳でもない。
「――……」
 不愉快さを押し殺しながら、とにかく星丘高校へと急ぐ。
 高校近くの建物を、一気に駆け上がった。
「……六根清浄」
 霊感を拡大し、五感の範囲を飛躍的に増大される。
 学校の中で起こってる事を、手に取るように知覚出来た。
「さて、連中は――」
 今は、クラブ時間のはずだ。
 共有している『匠哉』の知識によって、ヴォランティア・クラブ部室の位置は知っている。
 霧神匠哉が、その部室を覗き込むと――
「……は?」
 ネコミミブルマ姿の、瀬利花が見えた。
 本人は顔を真っ赤にして、プルプルと震えている。
「きゃー! 瀬利花、似合ってるよー!」
「ふざけるな貧乏神ッッ!!!! まさかこの私が、再びこのような格好をする羽目になるとは……ッッ!!!!」
「文化祭でブルマ喫茶をやったって話を聞いた時から、いつか見てみたいと思ってたんだよねえ」
「くッ、美榊迅徒め。本当に余計な事を話してくれたものだ……もういいだろう、そろそろ脱ぐぞ」
「ダメに決まってるじゃん。家に帰るまでその格好って、最初に決めたでしょ? 敗けたんだから、ちゃーんと守らないと」
 マナは指で、トントンとテーブルを叩いた。
 そこには、ほとんど真っ白に染まったオセロ盤がある。どうやら瀬利花の格好は、罰ゲームのコスプレらしい。
 ……もう一方には、雀卓があった。そちらも、既に勝負が付いている。
「ぐー……」
 制服姿なのは真。つまり、彼が勝者だ。
 ……ゴスロリ服の要芽とスク水ランドセルの緋姫、さらにはメイド服エプロンドレスの匠哉が、どこか遠くを見ていた。
「いいよねえ、これ」
「――っ!!? な、何をするぅっ!!?」
 瀬利花の背後から、彼女の胸を鷲掴みにするマナ。
 10本の指が、瀬利花を責め立てる。
「や、止めろ馬鹿ッ!! 何のつもりだッ!!?」
「連れないなぁ。泉には揉ませてあげたのに、私が揉むのはダメなの?」
「揉ませたのではない、揉まれたんだッ!!」
「でもそんなの関係ねぇー」
「っ、ん……っ!!?」
 思わず声を上げてしまい、顔を真っ赤にする瀬利花。
 ニヤリ、とマナが笑う。
「声が出すのが嫌なら、出ないようにしてあげる」
「――!!? ふぐ……ッ!!?」
 マナは、布を瀬利花の口に詰め込んだ。タオルではない。
 ……それは、緋姫が着替える際に脱いだ下着だった。
 吐き出さないように、ガムテープで瀬利花の口を塞ぐマナ。
 叫びながら襲い掛かって来たスク水ランドセルを、マナは蹴り飛ばす。
「……部活中に何をやってるんだ、あいつ等は」
 呆れ果てる、霧神匠哉。観察は止めないのだが。
 が、その時――
「――ところで、覗き見は趣味が悪いと思うよ?」
 マナが言った。
 霧神匠哉に、向けて。
「チィ……ッッ!!!?」
 霊感の拡大を、中止する。
 マナは、霧神匠哉の存在に気付いていたのだ。さすがは超越者、といったところか。
 この分だと、シンも察していたのだろう。学校を包む程に拡大していたのだから、テロリズム・クラブの部長も気付いたはずだ。
「……長居は無用、か」
 彼等が相手では、霧神匠哉は勝てない。
 かつて彼はシンを撃破したが、あんなモノは本体から零れ落ちた一欠片に過ぎないのだ。
 建物から、駆け下りる。
 迅速に、この場から逃れようとして――
「――見付けましたッ!!」
 いきなり大声が聞こえて来て、呆気に取られてしまった。
「な――上ッ!!?」
 見上げれば、そこには高速で落下してくる少女が1人。
 紙一重で、霧神匠哉は彼女の攻撃を躱す。少女が投げ付けて来た野球ボール程の大きさの鉄球が、コンクリートの地面に穴を開ける。
「何者だ――名乗れッ!!!」
「ふふふ、この私にも遂に出世チャンスが回って来ました! 三女神の動向監視だなんて妙な仕事を押し付けられて、こんな辺境世界に飛ばされていましたが――混沌の被造物である貴方を倒せば、かなりの点数稼ぎになるはずッ!!!」
「……名乗れと、言っているんだが」
 聞いていなかった。
 先の一撃で地面に埋まっていた鉄球が宙に浮かび上がり、少女の手の中に納まる。
 ……その少女の姿は、異様だった。
 白銀の髪と、白銀の瞳。どう見ても、この世界の人間ではない。
(この世界の、人間ではない……まさか)
「私の発現レヴェルは、貴方より下です――しかし! 今の貴方のオーラからすると、能力をいくらか封じられていますねッ! ならば、私でも勝てる――ぐふぅッッ!!!?」
 少女の口上は、最後まで続かなかった。
 何故なら――霧神匠哉の膝蹴りが、彼女のボディに打ち込まれたからである。
 ばたん、と倒れた。
「ぐは……ッ!!? ま、まさか、三千世界管理局の中でも屈指のエースである、このリリル・ゼムラインを倒すとは……敵ながら天晴れ。ガクッ!」
「…………」
 本当にこんなのエースなら、もう終わりである。
 それはともかく――
「三千世界管理局……やはりそんなのか」
 とは言っても霧神匠哉は、月見匠哉が美空から得た知識でその名を知っているだけだが。
 三女神の動向監視、と言っていた。しかしこんなのに、あの美榊恵鈴をどうにか出来るはずがない。
 大方、体の良い左遷なのだろう。
「――二度は赦す。だが、三度目はその首を獲る」
 言い残し、その場から去ろうとする霧神匠哉。
 しかし――
「なら、二度目で殺せばOK? よっしゃ、気合入って来ました!! イェイッ!!」
「――馬鹿なのか貴様はッッ!!!? 言外の意味を汲み取れ、この無知蒙昧がッッ!!!!」
 反射的に、ツッコミを入れてしまった。



(……付いて来てるな……)
 霧神匠哉は道を進みつつ、溜息を落とした。
 背後には、コソコソと彼を尾行する1つの気配。
「オン・マリシエイ・ソワカ」
 真言を唱え、隠形する。
 突如ターゲットの姿が消え、慌てふためくリリル。
「あ、あれれ? どこに――」
「――ここだ」
 霧神匠哉はリリルの後頭部を掴むと、地面から持ち上げた。
「い、何時の間に後ろへ――ってイタタッ!!? 痛い、頭割れますってッ!!!」
「このまま割ってもいいんだが……一応、2度目だしな」
 どうしようか、と思案したその時。
 数個の鉄球が地面を転がって接近し、飛び上がって霧神匠哉へと襲い掛かる。
「……ッッ!!!?」
 頭と背中を打ち抜こうとした鉄球を避け、リリルとの距離を開く。
 鉄球は地に落ちる事なく、リリルを護るように浮遊していた。
(……あの鉄球、念動か何かで動かしているのか? しかし今の攻撃、下手したら自分に当たっていたぞ……いや、精確なコントロールが可能なのか)
「ええい、とにかく貴方は斃しますッ!!」
 両手に持った鉄球を、投擲するリリル。
 鉄の塊が、猛スピードで飛来するのだ。命中すれば、無事では済まない。
 だが――
「……舐めるな、小娘……ッ!!」
 それは、霧神匠哉に命中するような攻撃ではなかった。
 鉄球は彼を狙って、真っ直ぐ飛んで来る。それはつまり、少し動けば躱せるという事。
 攻撃を避け、さらに踏み込む。
「この程度――」
「――『波返し』ッッ!!!!」
 避けたはずの、2つの鉄球。
 それがベクトルを反転させ、背後から霧神匠哉へと襲い掛かった。
「……ッ!!?」
 命中すれば背骨を砕き、臓腑を抉るだろう。
 彼は――
「臨・兵・闘・者・皆・陣・裂・在・前・大ッ!!!」
 対物理結界を敷き、迫り来る鉄球を防いだ。
「私の投球を弾いた……!? 何て咒者ですか、貴方はッ!!」
 再び、両手で鉄球を放るリリル。
 同時に浮いていた数々の鉄球が、四方八方から霧神匠哉へと突撃した。
「く……ッ!!?」
 今度は何らかの理力が込められていたらしく、結界が粉砕される。
 だがそれによって、鉄球も減速。霧神匠哉は鉄球と鉄球の隙間を縫うように、その場から離脱した。
「――はッッ!!!!」
 リリルに向け、棒手裏剣を投じる。
 しかし鉄球がすぐさま彼女の元へ戻り、回転してそれを弾き飛ばした。
「……成る程。第一印象は悪かったが、なかなかの強者つわものじゃないか」
「いえ、私も貴方も――この程度では、『強い』だなんて言えません」
「何だと……?」
「真の力とは、もっと絶大なモノです。私や貴方が振るう程度のモノなんて、稚拙な児戯に過ぎ――ぐふぅッッ!!!?」
 喋ってる間に、蹴りがリリルへと叩き込まれた。
 吹っ飛び、地面を転がる。
「ひ、酷い……ガクッ」
「さっきも言ったが、次に立ち合えばお前は閻魔の庁へと赴く事になる。良く考えて、己の行動を決するがいい」
 霧神匠哉はリリルに背を向け、その場から立ち去ろうとしたが――迷っているかのように足を止め、彼女へと振り返った。
「おい、リリルとやら。さっきのはどういう意味だ」
「……へ? さっきのって何です?」
「言っていただろう。俺やお前の力は、稚拙な児戯に過ぎない――と」
「ああ、その事ですか。言葉通りの意味ですよ」
 リリルが、地から立ち上がった。
 銀の瞳を霧神匠哉に向け、真正面から相対する。
「いくら私達が技を極めても、所詮それは常人のレヴェル。本物の強者には敵いません」
「――……」
「かつて、私の世界がノルニルに滅ぼされました。それを行ったのは軍でも隊でもなく、たった1人の人間だったんです」
「……待て。世界を滅ぼしただと?」
 エリンが一夜で都市を焼滅させた、という話なら彼も知っていた。
 しかし世界を1つ滅ぼしたとなると、まったく次元が違う。
「うちの世界は、各国が総力を挙げて反ノルニルを掲げていたんですよ。それが原因で、世界ごと叩き潰された訳ですね。生き残りは、管理局に保護された私だけだと聞きます」
「――……」
「ノルニルの社長と、彼女が操るファースト・プロトイドル――『エンリル』。人類と神族は結束して戦いましたが、まるで相手になりませんでした。私も彼女に挑みましたけど、話になりませんでしたよ」
 神族。
 人が届かない域に存在するからこそ、彼等は神と呼ばれる。
 しかしそれでも、その人間には勝てなかった。
「分かりましたか? それが、真の力です。私達なんて、天から見れば道端の石ころなんですよ」
「……確認するが。ノルニルの社長は、人間なんだよな?」
「ええ。彼女達は神々ノルニルを名乗ってはいますが、基本的にはヒューマノイドです」
「そうか……ククッ ハハハ!」
 声を押し殺しながらも、霧神匠哉は笑い声を上げる。
 その異様な様子に、思わず引くリリル。
「あ、あの。私の話、どこかに笑い所がありました?」
「素晴らしいじゃないか! 機人の使い手とはいえ、人の身でありながらそこまでの強さを手に入れるとは! そうだ……そいつに出来て、俺に出来ないはずがないッ!」
「……ええー。そういう結論に達するんですか」
「まだまだ『上』があるというのは、とても幸福な事だ。なかなか、登り甲斐のある道じゃないか……!」
「いいですよねー、武闘の才がある人は。そんな風に、無駄に前向きに考える事が出来て。ケッ!」
「才ならお前も同等だろう。そうだな……せめて、死合の最中に気を抜く癖はどうにかしておけ。次は、殺し合いなのだからな」
 今度こそ、霧神匠哉はそこから去る。
 リリルが付いて来る気配は、なかった。
「さて、これからどうするか……」
 今の彼は、月見匠哉の影に過ぎない。
 しかし、影とはいえ人間である。衣食住の確保は、絶対に必要だ。
「……やはり、あそこに潜り込むのが1番だな」



 ――イースト・エリア。
 その雑多なスラム街を、人々に紛れて霧神匠哉は進む。
 油断は出来ない。この街にも、月見匠哉の知り合いが多く存在する。見付かれば厄介だ。
 それを考えると、やはりマナに見付かったのが口惜しい。彼女の性格からすると、それを言い広める事はないかも知れないが。
「……ひっ!?」
 霧神匠哉は、スリの腕を掴む。
 溜息を吐きながら、言ってやった。
「悪いが、財布の類は持ってないんだ」
「そ、そうか……そりゃあ悪い事したなッ!」
「今度から、相手は選べよ」
 霧神匠哉は、手を離してやった。
 スリの男は、よたよたと走りながら逃げて行く。
「……まぁ、これで当分は何とかなるか」
 呟きながら、手中の財布を見る。
 さっきのスリから、スッた物だった。
 ふと振り向き、さっきのスリを見た時――
「ひぃ、ぃ、ぎゃああああああ……ッッ!!!?」
 そのスリが、断末魔のような絶叫を上げた。
「……何だ!?」
 まるで養分を吸われているかのように、スリの身体がミイラ化する。
 そして――口から数匹の大蛇を吐き出し、地に伏した。
 ……いや、スリだけではない。
 周囲の通行人や商人達も、蛇を吐き出しては絶命してゆく。
 まさしく無惨。地獄のような光景だった。
「シィ――」
 その蛇どもは瞳に敵意を灯し、霧神匠哉を見る。
 地をゆっくりと這い、彼を包囲してしまった。
 さらに――
「――御初に御目に掛かります、霧神匠哉さん」
 邪念が、渦巻く。
 凄まじい重力が時空を歪ませるように、強大な悪意により世界が捻じ曲がろうとしている。
 ……災厄の化身が、霧神匠哉の前に現れたのだ。
 それは絹の衣と羽衣を纏った、美しき女神。
 だがその双眸に宿るモノは、深い闇と純粋なる悪。
「……八十禍津日」
 霧神匠哉は、忌むべき者の名を呼ぶ。
 八十禍津日は、着物の袂で口元を隠した。その下では、どんな笑みを浮かべているのか。
「マスケラめ……寄りにも寄って、こんなモノを追っ手として喚起するとはな」
「こんなモノ、とは無体な仰り方ですね。とは言っても、私としてもこのような形での顕現は少々不本意なのですが。今の我が身はただの影……嗚呼、何と不自由な身体なのでしょう」
 泣き真似をする、八十禍津日。
 白々しい演技だった。見る者苛立たせるだけの、不快な芝居。
「文句を言える身分でないとは、解しておりますが……一刻も早くこの器を脱ぎ捨て、地下で眠る本体わたしの元へと還りたいのですよ」
 じわじわと、蛇どもは包囲を縮めてゆく。
 八十禍津日の合図があれば、すぐに霧神匠哉へと跳び掛かるだろう。
「そのためには、真に恐縮ですが、貴方の御命を奪わねばならないのです」
「――……」
「今の貴方は、宝刀も四鬼も使えない。容易く終わるでしょうね――殺りなさい、お前達」
 無数の蛇が、一斉に襲い掛かった。
 その牙を剥き、彼の身を噛み砕かんと猛り狂う。
 しかし、攻撃の寸前で――
「――『降雹』ッッ!!!!」
 大量の鉄球が降り注ぎ、寸分の狂いなく蛇どもの頭を叩き割った。
 蛇を蹴散らし、走り寄って来るリリル。
「……お前か」
「何事ですか、これはッ!!?」
 霧神匠哉と背中を合わせつつ、いくつかの鉄球を旋回させて身を護る。
 ……八十禍津日は、蛇神の眼でリリルを見た。
 リリルも、睨み返そうとする。しかし霧神匠哉が、手を掲げて視線を遮った。
「あいつと眼を合わせるな。今の奴には、相手を石化させる程の咒力はないが……それでも、金縛りくらいには出来るだろう」
「あ、は、はい」
「ところで、被害はどれくらい広がっている? この、人間が蛇の苗床にされる被害だ」
「大体、半径200メートル程ですね」
「そうか。……お前にも、多少は分別があったんだな。もっと広範囲を呑み込んでいると思ったが」
 フフフフフ、と八十禍津日が笑う。
 その狂笑の妖気を受けてしまい、リリルがビクリと震える。
「街を呑み込むなどと……そのような恐ろしい事は、私にはとてもとても」
「大方、マナカナ辺りに察知されるのが嫌だったんだろうがな。今のお前じゃ、あいつ等には勝てん」
「……おや、御見通しでしたか。その慧眼、恐れ入ります」
 リリルが、霧神匠哉の服を引っ張った。
 八十禍津日を警戒しつつも、彼は応えてやる。
「何だ?」
「……アレは、一体何なんです?」
「八十禍津日神。災禍の蛇神だよ」
「蛇神って――し、神族ですかっ!!?」
「落ち着け。神族とは言っても、あれは本物じゃない。八十禍津日から剥がれ落ちた、鱗1枚――その程度の存在だ」
「…………」
「――手を貸せ。2人掛かりなら、1人で闘るよりも勝算が立つ」
「いや、しかしですね。神族とまともに激突するというのは……」
 リリルは、共闘を渋った。
 彼女も霧神匠哉も、所詮はただの人間に過ぎない。完全体でないとはいえ、神族に勝てるとは思えなかったのだ。
 ……そして、勝てなければ死ぬ。
 かつて幸運にも助かった命を、リリルはこんな事で手放したくはない。
「あいつも俺と同じく、マスケラが創った影法師だ。俺には襲い掛かったくせに、奴は見逃すのか?」
「う。そ、そう言われると……」
「――大丈夫だ。諸仏に誓って、我と我が流派に敗北はない」
「…………」
 根拠のない自信に、呆れるリリル。
 ……だがその姿は、眩しくもあった。
 己の『上』に座す者を知るまでは、彼女もそういう輝きを持っていたはずなのだ。
「……ああもう、どうにでもなれいッッ!!!!」
 構える、リリルと霧神匠哉。
 だが八十禍津日は、そんな少年少女を嘲弄する。
「威勢が良いのは結構ですが……しかしそれだけでは、世界は変わりませんよ?」
 リリルに斃されたはずの、蛇の肉塊。
 それが不気味に蠢き、無数の蛇となって再生する。
「……おい、砕いた分だけ増えたぞ」
「こ、これは想定外……そう言えば、こういう生き物がこの世界にはいるんですよね。プラナリアっていうんでしたっけ?」
 再び襲撃する、蛇の群れ。
 リリルが鉄球で迎撃するが、数の差がどうしても埋まらない。数匹が鉄球の防御陣を突破し、霧神匠哉へと牙を向けた。
 ……今の彼には、宝刀もなければ四鬼もいない。
「フフフ、死になさい――!」
 だから。
 ――彼はその指で、蛇の身体を引き裂いた。
「何……ッッ!!!?」
「――『断指だんし』」
 次々と襲い来る蛇を、霧神匠哉は素手で叩き潰してゆく。
 八十禍津日だけでなく、味方のリリルまでもが、その光景に唖然としていた。
「こんな話を知っているか? 棒術のある流派では、通常の棒術の次に半棒術を教える。銃の世界でも――敵として恐ろしいのは、大威力ながらも長大なライフルより、どこに隠し持ってるか分からない小型の銃だそうだ」
 素手の剣士が、不敵に微笑む。
「武人は熟練すると、武器が小さくなるんだよ。まぁ勿論、個人の好みはあるだろうがな」
「――……」
「武器の小型化。その究極の形が、素手これだ」
 身体に巻き付こうとした蛇を引き剥がし、握り潰す霧神匠哉。
 510キロという桁外れの重量を持つ、宝刀飛炎。それを自由自在に扱えるまでに鍛え上げられた、彼の腕力と握力。
 その膂力は、例え刀がなくとも――敵を叩き潰すに足る、圧倒的な『力』だった。
「あ、貴方……もしかして、素手の方が強いんですかぁッ!!?」
「当然だ。あんな無駄に重たい物を持ったまま、十全の闘いなど出来る訳なかろう」
 リリルの問いを、あっさりと肯定する霧神匠哉。
 ショックが大き過ぎたのか、リリルは口をパクパクさせている。
「い、いや、しかし……貴方はこの世界に何度か喚起されていますが、その全てにおいて宝刀を使った戦闘を行っているでしょう!? 管理局の記録に、ちゃんと残ってますよっ!?」
「一応、剣術家としての誇りがあるんでね。……それにしても、宝刀宝刀と五月蝿いな。あんな物が、一体何の役に立つと言うのだ? あれの原型を携えて月の魔王に挑んだ勇者一行は、1人残らず殺されたのだぞ? そんなに、大した物ではあるまいよ」
「は、はあ……」
 もはや絶句する、リルル。
 信濃霧神流免許皆伝者の中でも、特に優れた6人が賜る至宝――信濃霧神六宝刀。
 ……だが彼はそれを、大した物ではないと言い切った。
 親に育てられた子は、いずれ親を必要としなくなる。それと同じように――剣を極めた武人は、もはや剣を必要としない域に立っていた。
 霧神匠哉は、霧神御三家において最も武闘の才を持つ剣士。
 無論そんなモノは、マノンが捏造した偽の肩書きに過ぎないが――しかし彼が現世で受肉した以上、それは『真実』となって敵に振るわれる。
「――ハッ!!」
 霧神匠哉の猛攻が、リリルの鉄球と共に蛇どもを撃砕する。
 が、状況は覆らない。先程と同じく、斃した分だけ増えてしまうのだ。
「こ、これじゃあキリがありませんよ……ッ!」
「……ふん。おい、八十禍津日!」
 霧神匠哉は、八十禍津日に呼び掛けた。
 彼女は、僅かに反応する。
「こんな蛇どもに襲わせ、自分は高みの見物か。余程、己の能力に自信がないと見える」
「……何ですって?」
「太古の蛇神も落ちたものだ。いくら欠片のような存在だとしても、人間相手に逃げ腰とはな!」
「嗚呼、そうですか……そんなに、私自らの手で葬られたいと。ならば、その願いに添いましょうか」
 乗った、と彼はほくそ笑んだ。
 神族故の矜持により、八十禍津日はあっさりと挑発に乗ってしまった。
 蛇をコントロールしている、八十禍津日の撃破。この状況を打破する、唯一の手だ。
「リリル。蛇どもの相手は、しばらくお前1人に任せる」
「え、うぇぇッ!!? む、無理ですよそんなの!! 全力で闘っても、5分くらいしか持ちませんッ!!」
「5分か――」
 近くの建物の中を、横目で覗く霧神匠哉。
 時計を見る。
「ならばその間に、八十禍津日の首を落としてやる――!」
 自らが生み出した蛇を蹴散らし、突撃して来る八十禍津日。
 ……彼女の左腕が、不気味に蠢いた。
 まるで脱皮のように、その腕が内側から破ける。中から飛び出したのは、多頭の蛇。
 衣の袖より伸びた赤い大蛇は、邪気を撒きながら霧神匠哉を強襲した。
「我が牙で、骨まで砕いて差し上げましょう……!!」
 四方八方から襲撃する、蛇の頭。
 霧神匠哉はそれを、片っ端から両手で握り潰す。足を噛み砕こうとした蛇は、靴底で地面に叩き付ける。
 彼を討てる程の、鋭い攻撃ではない。
「ふん、地味な攻撃法だ。やはりその身体では、マナから八雷神の支配権を奪取する事は叶わないのか」
「嗚呼……まったく、この不満足な身が嘆かわしい。とは言え、貴方如きを黄泉に送るには充分なのですが」
「……ッッ!!!?」
 身体の各所に巻き付く、蛇の胴体。
 ……急激な、スピード・アップ。さっきまでの甘い攻撃は、霧神匠哉を油断させるためのものだったのだ。
 蛇と化したとは言え、それが八十禍津日の腕である事は変わらない。八十禍津日は彼の身体を軽々と持ち上げると、渾身の力で地面に打ち付ける。
「くァ……ッッ!!!?」
「フフフフフ――なかなか愉快ですね、偽者さん!」
 五体を拘束された状態では、受身など取れるはずもない。
 霧神匠哉はまともにコンクリートと激突し、全身から血を噴き出させる。
 しかし、終わらない。何度も何度も、八十禍津日は彼を地に叩き付けた。
「フフフ――ハハハハハハハ……ッ!!!」
 ……コンクリート・ブロックで、複数回殴打されるのと同じだ。
 いくら霧神匠哉が武の天才であろうと、所詮は人間。耐えられるはずもない。
 彼を、建物に放り投げる八十禍津日。激突し、壁にべっとりと血が付着した。
「――死になさい。我等が母上の、供物となるのです」
 多頭の蛇が絡み合い、右腕へと戻る。八十禍津日はその掌を、動かない霧神匠哉へと向けた。
 彼を撃つ、禍々しい神力の波動。凄まじい衝撃を受け、彼は壁を突き破って建物の中に転がり込む。
 ……残ったのは、赤々とした血飛沫のみ。
「な……ちょっと、やられないでくださいよッ!!?」
 絶叫する、リリル。
 この状況で霧神匠哉が斃れれば、残る彼女の運命は死しかない。
「そん、な……ッ」
「リリルさん、と仰いましたか? まさか貴方、本当に2対1なら私に敵うと思っていたのですか? 嗚呼……だとしたら、何と愚かしい。人猿は、数千年を経ても身の程を弁えようとしないのですね。人が、神に敵うはずがないでしょう?」
 ――神。
 人を掌中に収め、支配する絶対者。
 彼等が振るうのは、掛け値なしの『力』。
 ……力なき者は、力ある者には届かない。リリルはそれを、誰よりも知っている。
「まぁ、良いでしょう。目的であった、霧神匠哉さんは討ち果たしました。貴方は――どうでも良い。人猿など、道端の石ころと変わりませんからね。寛容な心で、見なかった事にして差し上げましょう」
「…………」
 撤収しようとする、八十禍津日。
 リリルは見逃された。お前など、殺す必要もない――と。
 ……つまり、彼女は助かったのだ。
 絶対者には敵わない。故郷の世界を滅ぼされ、リリルはそれを学んだ。
 学んだ事は、己の人生に生かすべきだ。それが出来ない者は、ただの馬鹿でしかない。
「……そう、ですよね」
 元々、リリルとは何の関係もない事だ。
 霧神匠哉と八十禍津日のくだらない共喰いに、巻き込まれたに過ぎないのだから。
 ここで八十禍津日を見送り、今まで通りの生活に戻ればよい。適当に仕事して、適当に出世をする。
 そんな、温かい幸せを掴めば良いのだ。
「――……ッ」
 なのに彼女の心には、閃光のような痛みが奔る。
 八十禍津日を見逃して、暖かい幸せを掴んで。
 その末に寿命を終え、故郷の仲間や神々の元に旅立った時――戦いから逃げたリリルは、その戦士達を前にどんな顔をすれば良いのか。
 ……そして。
 八十禍津日を相手に1歩も退かず闘った剣士は、リリルにどんな顔を向けるのか。
「ああ。だから私って、『お前は一生出世が出来ない』とか言われるんですか」
 鉄球を振り被る、リリル。
 八十禍津日を狙い、渾身の力で投球する。
「……っ!?」
 飛来した鉄球を、腕の一振りで弾く八十禍津日。
 瞳に凄絶な殺意を宿して、リリルを睥睨した。
「……何のつもりです?」
「あーあ、私ってば駄目ですねー。勝てないと分かってても、結局は闘っちゃうんですねー」
 リリルは次々と、八十禍津日に向け鉄球を放つ。
 それを尽く、防いでしまう八十禍津日。不完全とはいえ、神族の力はリリルを遥かに上回る。
「嗚呼、そうですか……そんなに、死にたいのですね」
「……ッ」
「しかし、死にたい者をただ殺すというのも、味気のない話です。そうですね――」
 八十禍津日が、にやりと笑った。
 正視に堪えない、邪悪なる笑み。リリルの精神が砕けそうになる。
「ぐ……ッッ!!!?」
「貴方は、殺して差し上げません。生きたまま、この世界が終わる時まで……死よりも辛く何よりも甘い、そんな苦しみを味わい続けて貰いましょうか」
 蛇どもが、リリルに跳び掛かった。
 鉄球を操り、迎え撃つリリルだったが――八十禍津日の掌が向けられ、先程の霧神匠哉のように吹き飛ばされる。
「が、は……ッ!!?」
「落ちなさい――奈落の底に」
 紡がれる、邪神の声。
 リリルの心が、闇の中に呑み込まれそうになった時――
「――落ちるのは貴様の方だ、外道」
 手刀が、八十禍津日の首を刎ね飛ばした。
 ゴロリと、彼女の首が地を転がる。その双眸は驚愕で見開かれ、彼を見詰めていた。
 徒手空拳の剣士――霧神匠哉を。
 ……リリルを囲んでいた蛇が、全て塵となって消える。
「え……? 何で、生きてるん、ですか?」
「どうして死んだ事になっているのだ? あの程度の攻撃、内気を練って弾けば致命傷にはならん。まぁ身体の外側からは流血したし、ショックでしばらく意識を失ってしまったがな」
「うぇぇ……」
「……何で涙ぐむんだ。そんなに俺が生きているのは嫌なのか」
「い、いえ、そういう訳では――」
 と、その時。
 首のない八十禍津日の肉体が躍動し、2人に襲い掛かる。
「ひゃあッ!!?」
「何だと……ッ!!?」
 それと、同時に。
 もがき苦しむように転がりながら、八十禍津日の首が絶叫した。
「この、このこのこの……人猿が、たかが人猿がッ!! 災禍の神たる私に、傷をぉぉ……ッッ!!!!」
 憤怒を原動力とし、八十禍津日の身体は凄まじい荒々しさで手足を振るう。
 その風圧だけでリリルと霧神匠哉は宙を舞い、コンクリートに身体を打ち付ける。
「痛……ッ」
「ど、どういう事ですか……!? 首を斬られたのに、まだ生きてますよッ!!?」
「……蛇は、不死や無限を象徴する種族だからな。再生の環を断たない限り、滅ぶ事はないんだろう」
「そんなの――!」
「落ち着け。我が流派――信濃霧神流には、輪廻の環を断つ禁法が存在する。それを使って、今度こそ奴に三途の川を見せてやるさ」
「……でもそれって、刀がなくても使えるんですか?」
「自明の理だ。刀に込められる咒力を、己の手に込められないはずなかろう。一瞬でいい――奴に隙を作れ!」
「ッ……分かりました! 少々危険な技を使いますから、気を付けてくださいねッ!!」
 浮遊していたいくつもの鉄球が、一斉に八十禍津日の胴体へと向かう。
 が、八十禍津日は意に介さない。リリルの投球など、彼女には通じない。
「ハッ、莫迦の1つ覚えですね――」
「――『球電』ッッ!!!!」
 高速回転する鉄球。
 それは、空気との摩擦で凄まじい熱を発生させる。
 プラズマ現象を引き起こし――輝く球体となった鉄球が、八十禍津日を狙い撃つ。
「――ッ!!?」
 腕で攻撃を弾こうとする八十禍津日だったが、まったく意味を成さなかった。
 物質である以上は、高熱による気化から逃れる事は出来ない。鉄球に触れようとした瞬間、八十禍津日の腕が蒸発した。
「く……ッッ!!!?」
 大きく跳び、鉄球との距離を取る八十禍津日の胴体。
 蠢く傷口。腕を、一瞬で再生させる。
「……成る程、感服致しましたよ。私とした事が、少々驚いてしまいました」
 リリルの『球電』は、絶対に防げない攻撃だ。
 ……ならば、躱せば良い。
 避けるまでもない攻撃だからこそ、八十禍津日は鉄球を手で防いでいたのだから。
 見れば、リリルはかなり息を荒くしている。あれだけの熱量を発生させる運動を鉄球に加え続けるのは、並大抵の事ではないのだろう。
 ……八十禍津日は、邪な笑みを浮かべた。
 胴体を、リリルに突撃させる。神に挑んだ愚か者に、死という罰を与えねばならない。
「フフフハハハハハッ!!! その身体を八つ裂きに――」
 が、それを成す前に。
 八十禍津日は、頭を掴まれ持ち上げられた。
「――油断したな、禍津神」
「霧神、匠哉……ッ!!?」
 愚者の誅殺に気を取られ、八十禍津日は彼の行動を失念していた。
 ……要は、逆上して判断を誤ったのだ。
「くあ……ッ!!?」
 八十禍津日の頭部に、霧神匠哉の掌から咒が流し込まれた。魂が分解されるような、不可解な理力。
 受けてはいけない。もし受けてしまったら、自分はもう本体へは戻れない――そんな直感が、八十禍津日を急き立てた。
 胴体を呼び戻し、霧神匠哉を殺そうとする。死んでしまえば、施術も止まるのだから。
 しかし――
「させません……ッ!!」
 輝く鉄球が、それを阻んだ。
 胴体の両足が蒸発し、転倒。さらに鉄球が撃ち込まれ、彼女の身体を破壊した。
「――終わりだ、八十禍津日」
「人猿が……人猿如きがァァアアッッ!!!!」
「信濃霧神流禁法、第一番之改――『無空・輪廻断絶』」
 八十禍津日の頭が、崩れ始めた。
 霧神匠哉の手から放れ、地に落ち――少しずつ塵となり、風に呑まれてゆく。
 彼は再び、時計を見た。
「――ちょうど、5分だな」






「……これは、少々予想外の展開だなあ」
 顎に手を当てながら、マスケラは闇の中で呟いた。
 正面には、灰塵と化してゆく八十禍津日の姿が映し出されている。
「失敗作とはいえ、仮にもアレは私が飼育した踊り手よ? 私のシステムを甘く見積もったわね、這い寄る混沌」
 当然のように、言い放つマノン。
 ふむ、とマスケラは1度だけ頷いた。そして、微かに笑う。
 マノンはそれを直視しない。直視すべきではない。
「――素敵じゃないか。思わぬ所から逸材が発掘されるというのは、なかなか愉快だ。こういう趣向は嫌いじゃないね」
「逸材、ね。まぁ今まで通り、貴方がアレをどうしようと口出しはしないわ。勝手になさい」
「恐縮だよ、葉限の魚骨。彼にもそれなりの芸があるようだから、より相応しい台本を用意してあげなくては。無論――あの、管理局の小娘にもね」
 押し殺した声で、笑い続けるマスケラ。
 溜息を吐きながら、マノンは問い掛ける。
「ねえ、八十禍津日はどうなるの? 霧神匠哉の禁技を受けて、己の一部をクラックされたのでしょう? その欠損は、どうやっても埋まらないと思うのだけど」
「だろうねえ。今頃は、地の底で怒り狂ってるんじゃないかな。精密な機械は、歯車が1つでもなくなったら正常には動かない。八十禍津日も同じだ。一部とはいえ、自身の存在を損失した以上――以前と同じ性能は発揮出来ないだろう」
「なら――」
「同じ性能は発揮出来ない――それが良い方に向くか悪い方に向くかは、私にも分からないけどね?」
「――……」
「けれど私に取っては、どちらでも同じだ。彼女が撒き散らす災禍を、心行くまで味わうだけさ」
 余りにも、不吉な言葉。
 マノンは世界の行く末を思い、気を重くする。
 ……とは言っても、あの少年を心配しているに過ぎないが。
「不協和音だわ」
「不協は私の好物さ。知らなかったのかい?」






「ああ、ァァあああ……ッ!!?」
 禍津神が、悲鳴を上げる。
 霧神匠哉は、それを冷ややかに見下ろしていた。
「八十禍津日の断片よ。もう、お前に『次』はない。己の身体を再生させる事も出来ぬし、地で眠る本体へと戻る事も出来ん。闇に還れ――貴様等の故郷にな」
「こ、この私が、人間に、しかも偽者如きに……ッ!!!」
「それは違う。俺が自身の存在を信じる限り、偽者は月見匠哉あいつの方だ」
 霧神匠哉が、その言葉を口にした時。
 八十禍津日が、笑った。崩れ掛けの顔に、嗜虐の表情を作る。
「……フフフ。ハハハハハ――詭弁ですね。確かに貴方は自己を確立してはいますが、根底に月見匠哉という人物が在る事は変えられない」
「――……」
「結局貴方は、月見匠哉を飾り付けた程度の存在に過ぎないのです。見栄えを良くしただけの、嘲笑されるべき贋作に過ぎない。貴方には、何の、価値……も――」
 崩れ去る、八十禍津日の頭部。
 呪いの言葉を遺し、禍津神は消えてなくなった。
「…………」
 霧神匠哉は、八十禍津日の言を思う。
 しかし、すぐに首を振った。敗け犬の捨て台詞など、律儀に聞いてやる必要はない。
「リリル、無事か?」
 彼女は地面に座り込み、壁に凭れて息を整えていた。
 傷は霧神匠哉よりも少ないが、しかし彼よりも苦しそうに見える。
「……神族モドキとあれだけ闘り合って、息1つ乱さないんですか。私はこの様だというのに」
「お前とは、鍛え方が違うからな」
「そうですね……強いですね、貴方は」
 リリルは、天を見上げた。
 どこまでも高く、どこまでも遠い。
「強者には勝てないと、戦いを諦め――鍛錬を怠った結果が、今の私の体たらくという訳ですか」
「ああ」
「……ハッキリ言いますね」
「それで、3回目の勝負はどうするんだ?」
「止めておきますよ。能力を制限されているからこそ勝機があると思ったのに、そっち方が強いんじゃ話になりません」
「そうか、賢明だな」
 リリルに背を向け、歩き出す。
 その背中に、活発な声が投げ付けられた。
「……でも、いつか絶対に倒しますからね!」
「勝手にしろ。生きてる間くらいは、待っててやる」
 イースト・エリアを、進む。
 猥雑な街を進む最中、何故かリリルの事を思い返した。
「妙な娘だったな……」
 今後、会う機会があるかどうかは分からないが。
 もしその機会があるとすれば、それは3度目の決闘――2人が雌雄を決する時になるはずだ。
 きっと、強くなっている事だろう。
「――……」
 それはともかく、まずは住む所を見付けなければならない。
 各地を回り――比較的治安の良い区域で、アパートメント・ハウスを見付けた。古めかしい、木造の建物だ。
 看板には、『萌芽荘』と書かれている。草冠が多過ぎだろう――と、意味のない事を思う。
 管理人はイースト・エリアにしては珍しく、情が深そうな人物だった。この街では、逆に信用し難い人柄である。
 とんとん拍子で話が進み――居住者名簿に、名前を書く事となった。『霧神匠哉』、と記す。
 部屋に案内される、霧神匠哉。
 ……不覚にも、彼は気付いていなかった。
 己の名を記した、居住者名簿。しかし霧神匠哉は、そこに載っている他の住人の名に意識を向けなかったのだ。
 倉元詩泉。
 三山音彦。
 四方堂木蓮。
 ハロルド・カーライル。
 冥土山萌絵。
 ……そして、リリル・ゼムライン。
 かくして2人は、時を置かずに再会する事を運命付けられた。
 勿論――雌雄を決する時に、なるはずもない。






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