「どうした? 何か、いつも以上に疲れた顔してるぞ」 和風麻婆豆腐を平らげた後、匠哉はクラウディアに尋ねた。 皿の中身をどんどん減らしている様子からすると、食欲はあるようだが。 「……少し、人生について考えたから。私の人生じゃなくて、他人の人生なんだけど」 「ふーん……親以外に、人生について考えてくれる他人がいるなんてな。そいつは相当の幸せ者だ」 「……でも本人は、全然幸せに気付いていない」 「そんなもんだろ。灯台下暗しだな」 「…………」 クラウディアは、匠哉の頭にぺちんとチョップする。 何だいきなり、という顔をする匠哉。 「……その言葉、自分の胸に刻んでおけ」 「う……分かった。努力はする」 「……結果の伴わない努力なんて、何の意味もない。これも刻んでおいて」 麻婆を、完食するクラウディア。 厳しい御言葉に落ち込みながらも、匠哉は食器の片付けを始める。 「あれだな、生きるのって難しいな」 「…………」 「それに、食事を美しく行うのも難しい。ほら、麻婆が服に付いてるぞ」 「……あ」 「まったく、油断しやがって。お前は油断さえしなけりゃ、もっと格好よいんだろうなぁ……」 皿洗いを、始める匠哉。 その背を見ながら、クラウディアは思う。 戦の匂いがすると、緋姫は言った。彼女の鼻は、今まで1度も間違えた事がない。 「…………」 この家は――クラウンの一員の家なのだから、敵の標的となるかも知れないのだ。 寝床を知られないように、努力はしている。しかしそれが、よい結果になって返って来るとは限らない。 ……ここに住んでいたら、匠哉は巻き込まれてしまうかも知れないのだ。もう、彼をここに置いておく訳にはいかない。 しかし――一体、何と言えばよいのだろう? 「……匠哉」 「何だ?」 「……明日になったら、ここを出て行って欲しい」 言ってから、後悔した。 これではまるで、嫌いだから出て行けと言ってるようだ。何を混乱しているんだ、とクラウディアは己を呪う。 「そうか。何か、面倒な事があるんだな」 なのに――匠哉は、そんな言葉を返して来た。 眼を丸くする、クラウディア。 「……どうして?」 「ん?」 「……嫌われたから追い出されるとか、そういう可能性は考えないの?」 「そんな性格じゃないだろ、お前。それに嫌いなら、今すぐ出て行けと言うさ。明日になったら――なんて配慮があるんだから、深い理由がある事くらい察せる」 「…………」 それきり、2人には会話がなくなった。 ……就寝時間が来る。 元々クラウディアが1人で暮らしていたこの家には、当然ベッドも1つしかない。 初日、2人で散々悩んだのだが――結局、一緒に寝るしかないという結論になった。 その時の匠哉の、 「これがあれか。選択肢があるように見せ掛けて、実は全部『一緒のお布団で寝る』ってヤツなのか」 という台詞は、未だに意味が分からない。 今宵も、2人仲良くベッドに入る。 「お休み」 「……お休みなさい」 クラウディアが隣にいる事をまったく気にせず、普通に快眠する匠哉。 最初は、怒るべきなのか安心するべきなのか非常に困ったが……もう慣れた。 ……とは言え、今日は最後の夜。 「…………」 クラウディアは毛布の中を移動し、背中を向けている匠哉に近付いた。すぅすぅと、寝息が聞こえる。 ……もう、2度と機会はないのだ。少しくらい羽目を外しても、バチは当たるまい。
「あー……眠ぃ……」 クラウン本陣。 2階の一室で、音彦は欠伸をしながらライフルの分解整備を行っていた。 「……寝不足?」 不審に思い、尋ねるクラウディア。 音彦は幽鬼のような眼で、クラウディアに視線を向ける。 「見りゃ分かるだろ阿呆。昨日の夜、モヤシがアニメのDVDを見始めたから、暇潰しに一緒に見たんだが……見始めると、どうしても続きが気になるもんでな。奴と一緒に徹夜だよ」 「……それは、明らかに自業自得」 と言うか今、クラウン最強の男について聞き捨てならない話があった気がしなくもないが……クラウディアは忘れる事にした。 「……その、晴良の姿がどこにも見えないけど。飛鳥とレインも」 「仲間の予定くらい把握しとけよ、この大間抜け。飛鳥は武器の調達、レインはその護衛だ。モヤシは……知らねえ。知りたくもねえ。大方、宇宙人とか未来人とか超能力者とかを探しに逝ったんじゃねえの?」 現実と架空の区別が付かないにも程がある、とげんなりするクラウディア。 まぁ、いくら何でもそれはないだろうが……あの男の動向は、余計な面倒を避けるためにも知っておきたい。 「つーかな、そう言うお前はどうしてそんなに元気なんだ? 枕でも変えたのか? ガラクタ屋のマックが売ってる、馬鹿みたいな値段の快眠抱き枕か?」 「…………」 抱き締めた覚えは、ない訳でもないが。 だが――その抱き枕は、もう去った。 返答など期待していないのか、手元の作業を続ける音彦。 その時―― 「……?」 ふとエンジン音が聞こえて、クラウディアは窓から外を見た。 大きなコンテナを引いたトラックが、校舎の前に停まる。 飛鳥が帰って来たのかと、一瞬だけ思ったが――否定した。あんなトラック、飛鳥の愛車にはない。 何より――血の臭いがする。 玄関に立っていた2人のメンバーが、短機関銃を構えてそのトラックに近付いて行く。 「おい、どした? 間抜け面で」 音彦の言葉も、耳に入らない。 バンッ! と、乱暴にコンテナの扉が開かれた。 中から、現れたのは―― 「……ッッ!!?」 人型の、何か。 人と断言出来ないのは、その風体が余りにも異様だからだ。 ……全身が、鈍く黒光りする金属の装甲で覆われている。 ロボットにしか見えない、謎の人型。そんな現実離れしたモノが続々と、地面を滑るように移動しながら出現する。 連中の1体が――手に持った突撃銃を、メンバーに向けた。 メンバー達は短機関銃の引き金を絞って先手を打つが、相手のボディは小石でも投げられたかのように弾丸を跳ね返す。 ……突撃銃のフルオート射撃が、2人の命を容易く散らした。 「おい、何事だ……?」 フルオートの銃声で、音彦も緊急事態を悟ったらしい。 窓に、近付こうとするが―― 「……ダメ、離れてッッ!!!!」 外の連中が、重機関銃や対戦車砲を、コンテナから持ち出したのが見えたのだ。 音彦を突き飛ばし、自分も飛ぶように窓際から離れる。 ――直後、一斉射撃。 「……ッッ!!!!」 爆音と轟音が、身体が震える程の大音響で響き渡った。 クラウディアと音彦がいた部屋にも、砲弾が1発撃ち込まれ――2人は、纏めて廊下まで吹き飛ばされる。 「痛――ってえな、眠気が綺麗に飛んだぞ糞ッ垂れェッッ!!!!」 「……痛いで済んだのは、奇跡」 「おい、今の攻撃は何だッ!!? どこの能なしどもが攻めて来たんだよッッ!!!?」 レイジングブルを抜きながら、尋ねる音彦。 しかし―― 「……分からない」 クラウディアは、そう答えるしかなかった。 そもそも彼女は、自分の見たモノが信じられない。 かと言って、備えを怠る訳にはいかない。2挺のペリカーノを抜き放つ。 「音彦さん、クラウディアさん!! 無事ですかッ!?」 廊下の向こうから、Five-seveNを握った緋姫が走って来る。 とりあえずは、動ける事をアピールする2人。 「敵襲です、迎え撃ちますよッ!!」 「へッ、了解!! 皆殺しにしてやるぜッ!!」 息巻く緋姫と音彦だが、クラウディアはそれに乗れなかった。 もし自分が見たモノが正しいのだとしたら、勝ち目があるとは思えない。 この校舎にいた他のメンバーも、連中を迎え撃っている事だろう。しかし階下では、フルオートの銃撃音が続いている。 クラウンのメンバーは基本的に、弾の無駄撃ちを避けるためにセミオートか3点バーストで撃つ。つまり、まだ侵入者達が暴れているのだ。 ……戦車が走行しているような、硬い音が近付いて来る。 あの謎の兵士は、地面を滑るように移動していた。足に、キャタピラが組み込まれているのだ。 「――……」 その奇怪な気配に――緋姫と音彦も、敵がいつもとは違う事に気付いた。 後退し、いつでも廊下の角に隠れられるようにする。 そして――遂に、彼女達の前にそれが出現した。 「……なッッ!!!?」 己の眼を疑う、緋姫と音彦。 現れた敵は――少年少女の倍程も身長がある、黒い巨人。 全身が金属製の装甲で覆われており、頭も同じ材質のヘルメットで護られている。 体重を支えるためであろう、足が異様に太い。故に通常の二足歩行を放棄し、キャタピラで移動しているのだろう。 キャタピラと聞くと、鈍重なイメージを思い浮かべてしまうかも知れないが――英国製の戦車、FV101スコーピオンは時速80kmで走行が可能である。無論、この巨兵にそんなスピードはないだろうが、かと言って走って逃げられる程遅くもあるまい。 ……顔面には、軍用ゴーグルとマスク。 ロボットにしか見えない――クラウディアは、その第一印象を再確認する。 なのにゴーグルの奥に見えた双眸は、人間以外の何者でもなかった。 巨人がライフルを構える。サイズ・重量・コストの過多で、試作止まりとなったはずの次世代突撃銃――H&K XM29。 しかし巨人はそれを、軽々と緋姫達に向けた。 「……ッッ!!!」 銃口の殺気に我を取り戻した3人は、それぞれの拳銃を撃ちながら曲がり角へと逃げ込む。 無論、放たれた弾は装甲に弾かれ、1発とて有効打にはならない。お返しとばかりに、XM29のフルオート射撃が廊下を薙ぎ払う。 「何だありゃあッッ!!!? クソッ、増援が必要だッ!! 街に散ってるメンバーどもに、無線で戻って来るよう伝えて――」 「お2人と合流する前に試しましたッ!! 電波妨害のせいで、全然通じませんでしたよッッ!!」 「チッ――あの馬糞野郎ども……ッッ!!!」 「今は上に逃げましょう!! 連中の図体……そう簡単には上の階に上がれないと思いますッ!!」 「結構だが、校舎を爆破解体されたら逃げ場がねえぞッッ!!!」 「かと言って、下に行くのは無理ですよッ!! あんなのがウヨウヨしてる所に飛び込むなんて、自殺行為ですッッ!!!」 3階に上がる。 が――今度は4階への階段から、黒い鎧兵が飛び降りて来た。 「……上ッ!!? あいつ等、屋上から……ッッ!!!?」 「降下部隊までいたのかよ、糞ッ垂れッッ!!!!」 銃を連射する、3人。 その内の1発が運良くXM29に当たり、敵の銃を無力化する。 しかし鎧兵は怯まない。ジュース缶のようなモノを、3人に放り投げた。 「――げ、爆弾!!?」 「く……ッッ!!!」 緋姫は前に出ると、その缶を思い切り蹴り返す。 伏せる3人。爆発の大衝撃が、鎧兵を転倒させた。 「…………」 立ち上がり、緋姫達は慎重に歩み寄る。 装甲には、相変わらず何の傷もないが――どうやら、爆発を顔面に受けたらしい。絶命していた。 ゴーグルとマスクが吹き飛んだ、その下。 ……間違いなく、人間の顔だった。 「畜生! 何なんだよ、このサイボーグもどきは……ッ!?」 「……トイ・ソルジャーズですね。都市伝説の類だと思っていましたけど」 緋姫は1発、爪先で鎧兵を蹴る。 「人間の身体から戦闘に不要な部分を切除し、必要な部品を付け足す。四肢を機械化し、タングステン鋼と対衝撃セラミックスの複合装甲で身体を包み……脳は、手術と薬物で何でも命令を聞くようにする」 「…………」 「ヘルメス研とかいう狂人集団が研究の過程で造り出し、資金稼ぎのために傭兵として貸し出している戦闘部隊。それがこの、トイ・ソルジャーズだと聞きます」 ――トイ・ソルジャーズ。 匠哉が引っ手繰った書類に、記されていた名称。 ならばその書類は、この襲撃の計画書だったのだろうか? 「……ッ」 クラウディアは、心中で酷く悔いた。 書類の事を報告していれば――もしかしたら、この襲撃に対応出来たかも知れないのだ。 ……これもまた、彼女の油断。 匠哉に逃げられた時と同じく、詰めの甘さが招いたミス。 だが、今は謝る時間などない。決死の奮闘を以て、せめてもの贖罪とするしかない。 「……サイボーグもどきじゃなくて、ホンモンのサイボーグかよ」 「一体どこの組織が、こいつ等をうちに差し向けたのかは分かりませんが……まぁ、今それを考えても仕方ありませんね」 「そうだな。で、こっからどうすんだ?」 「……まとも闘うのは、どう考えても無理」 クラウディアの呟きに、肯定の嘆息を漏らす緋姫と音彦。 今の彼女等の武装は――FN Five-seveNが1挺、タウルス・レイジングブルが1挺、SPSペリカーノが2挺。 ただの拳銃が、たった4挺。弾丸とて、大量にある訳ではない。 戦車のような装甲を持つ鋼鉄の悪鬼どもを相手にするには、どう考えても貧弱が過ぎる。 緋姫は、斃れた鎧兵が持っていた手製爆弾を回収した。せめて、これで何とかするしかない。 「武器庫まで行くってのは? あそこには突撃銃や軽機関銃、爆弾の類だってあんだろ?」 「……とっくに、吹っ飛ばされてると思う」 「例え残っていたとしても、辿り着く前に私達が吹っ飛ばされますね」 否定的意見の続出に、音彦は苛立ちを隠そうともせずに舌打ちする。 「じゃ、アホどもの顔面を撃つのはどうだ? 唯一の急所だ、狙わない手はねえ」 「……面積の小さい顔面を、狙えるの?」 「例え狙える距離まで近付いたとしても、奴等のライフルで私達の顔面に穴が開きますね」 声を交し合いながらも、3人は背中合わせで廊下を移動する。 廊下のド真ん中に呆っと突っ立って、挟撃でもされたら確実に全滅だ。 階段の前で、立ち止まる。 「よし、分かった。じゃあ、これだけは決めるぞ。――上か、下か、それともこの階に留まるか」 「……この階」 「私も、この階がいいですね」 敵は上と下の双方から来ている。ならば、その間で迎え撃つしかない。 戦力差は考えない。考えた所で、どうにもならない。 下の階から、1体上がって来ていた。緋姫は奪った爆弾を階段に投げ込んで、進行を止める。 「じゃ、適当な部屋に篭城だな。防火扉も片っ端から閉めっぞ。突撃銃が相手じゃ紙同然だが、多少の足止めにはなるだろ」 「……何やら、大変な事になってるわね」 飛鳥は軽トラックの中から、双眼鏡で本陣の様子を眺めていた。 校舎を取り囲む、数体の黒い巨兵。信じ難くはあったが、噂に聞くトイ・ソルジャーズだ。 『プリンセス達は闘っている。援護を』 スケブにそう書き、飛鳥に見せるレイン。 無論、飛鳥とてそのつもりだ。 「こっちは調達の帰りだから、武器は腐る程あるし。横から1発決めるわよ」 「――……」 レインは、一際大きな狙撃システムを持ち出す。 ――バレットM82A1。イラク戦争では1.5km先のイラク兵を斃し、湾岸戦争においては2km先の装甲車を破壊したとまでいわれる、伝説的対物ライフルである。 その輝かしい武勲を持つ狙撃銃の薬室に、レインは12.7mmフルメタルジャケット弾を送り込む。 「荷台、狭いけど何とかなる?」 「…………」 運転席から掛けられた飛鳥の問いに、レインは頷きを返す。 荷台に伏せ、二脚架と己の肩で長大な銃を支える。 風を読み、距離を目測し、スコープを覗く。 彼我の距離は、約250m。この銃の同胞達が為して来た狙撃と比べれば、赤子の手を捻るようなものだ。 ヘルメットで覆われた後頭部を捉え――レインは、引き金を引いた。 天を割るような銃声。弾丸は巨人の頭を撃ち抜き、流血と共に平伏させる。 すぐさま、敵は対物狙撃を悟ったが――遅い。瞬く間に放たれた第2射が、新たな屍を生み出す。 ……遮蔽物に隠れる、敵兵ども。 「じゃ、私の出番ね」 飛鳥はハンドルを握り、アクセルを踏み込む。 道があろうとなかろうと、関係はない。校舎を中心に円を書くように移動し、隠れたはずの者達の姿を曝け出す。 走行中のトラックから、レインが一撃。まったく安定しない場から放たれたにも関わらず、弾丸は吸い込まれるように木偶の頭に命中する。一体いかなる鍛錬の果てに、これほどの絶技が可能となるのか。 1体、また1体と、飛鳥とレインは悪鬼どもを冥土へと送ってゆく。 窮地を悟った何体かの鎧兵が、玉砕覚悟で軽トラックに向けて吶喊する。 ――勿論それは、玉砕以外の結末を生む事はない。 「レイン、上ッ!!」 空に、ヘリコプターが1機。校舎の屋上に、鎧兵を降下させたヘリだ。 CH-47チヌーク。自衛隊にも採用されている、大型輸送ヘリコプターである。 開かれた扉から、ライフルの銃口がいくつも覗く。 「……っと」 飛鳥は、ブレーキを踏んで急停車。ドアを開いて跳び出し、荷台のレインが放り投げた得物をキャッチした。 携帯式地対空ミサイル――スティンガー。飛鳥はスウィッチを入れてチヌークを捕捉し、引き金を絞る。 放たれたミサイルは、赤外線を追って敵機に直撃。チヌークは派手に火を噴きながら、校庭に墜落した。もしかしたら、鎧兵を何体か巻き込んだかも知れない。 「いい調子ね。このまま一掃するわよ」 「…………」 飛鳥の声に、レインは銃声で答えを返す。 「……おい、ヘリが墜落して燃えてっぞ」 窓から外の惨劇を眺めていた音彦が、呆然と呟く。 言うまでもない。その光景は、緋姫とクラウディアの眼にも映っている。 「……プリンセス。どうして、ミサイルなんて調達したの?」 「えっと、備えあれば憂いなしと言うか……こんな事もあろうかと」 「…………」 その程度の理由で、460万もする兵器を購入リストに入れたらしい。 ……お陰で苦境を抜けられそうなので、文句を言う筋合いはないが。 「とにかく助かりました。校舎に突入した小隊も外の増援に向かったようですし、今ならここから脱出出来ます」 「なぁプリンセス、連中が全滅するまでここに隠れてた方がよくねえ? 今ノコノコ出てったら、果てしなく危険な気がするんだが。主に味方の攻撃でな」 「ダメですよ。爆破解体の可能性を最初に口にしたのは、他ならぬ貴方でしょう? 外に出て、レインさん達と合流すべきです」 「……チッ。コソコソと動き回るのは性に合わねえんだが……ま、いいや。さっさと合流して、オレも連中の尻に大火力攻撃をブチ込むか」 部屋から出る3人。 警戒は怠らず、慎重に進んで行く。 閉めた防火扉の、前に来た時―― 「……止まってください」 緋姫が、クラウディアと音彦を制止した。 その理由を、2人は問おうとしたが――その前に。 「……ッッ!!!?」 凄まじい打撃音と共に、防火扉が向こう側から打ち倒された。 扉の枠を潜り、悠々と歩いて来るのは―― 「――好久不見了♪」 かつてクラウディアと音彦を圧倒した、瞑目の拳士――藍華。 そして、彼女がここに現れたという事は。 「……あの玩具の兵隊を送り込んだのは、オベリスクですか」 「そうヨ。梃子摺ってるみたいだかラ、私が出て来たけどネー」 藍華は薄く笑みを浮かべながら、あっさりと認めた。 3人は、戦闘に備えて身構える――が。 「よいのかナ、私だけに構ってテ? 外の2人、美空が狙っているヨ」 「……ッッ!!!?」 「まぁ3対1でモ、敗ける気はしないけどネ?」 藍華が、1歩を踏み出す。 それに答えるように――クラウディアも、歩を進めた。 「クラウディアさん……!?」 「……往って、プリンセス。この女は、私がここで足止めしておく」 「ッ――分かりました」 緋姫の判断は、早かった。 対峙する2人に、背を向ける。 「しかし闘うからには、足止めだなんて考えてはいけません。クラウディアさん、敵の首を獲りなさい」 「……了解」 走り出す緋姫。 音彦は、 「ま、精々頑張って生き延びるんだな」 そう言い残して、緋姫の後を追って行く。 ……残るは、相対を続ける2人の闘士のみ。 「往ったカ。向こうは美空と台限に任せテ、私は香主と組員達の仇を討つかネ」 「……見捨てて逃げたくせに、よくもそんな事を」 「おヤ、そうだったかナ? まァ、気張らずに遊ぶがいいヨ」 「……遊びで、済むと思うな……ッ!」 クラウディアは、藍華に二挺拳銃を向けようとする。 しかし―― 「……ッ!!? まだ校舎に残っていたの!!?」 藍華の、背後の廊下。 もう聞き慣れてしまった駆動音と共に――鋼鉄の兵士が走って来る。 「……ふゥ」 水を差され、詰まらなそうにする藍華。 彼女は、クラウディアに突撃しようとする鎧兵に―― 「――邪魔ネッ!」 裏拳で、一撃打ち込んだ。 硬い装甲に身を包んだ彼等は、そもそも防御を必要としない。故に、藍華の攻撃をまともに受けてしまった。 途端――鎧兵のマスクから血が溢れ出し、彼の生命活動は呆気なく停止する。 ……中国拳法は、外だけでなく内にもダメージを与える武術だ。浸透勁を体得した者にとっては、どれだけ装甲が厚くても関係はない。 「アー、悪かったネ。じャ、始めようカ」 「…………」 藍華は内心を読ませない笑みを浮かべ、クラウディアを見た。 ……レインが対物狙撃で斃した鎧兵を、拳撃のみにて打ち殺した驚異の達人。 クラウディアは、改めて敵の恐ろしさを痛感する。 だが―― 「……勝つ」 「気合入ってるネー。ならば我が門派の骨頂、見せて上げるヨ!」 死体だらけの校内を駆け抜け、緋姫と音彦は玄関に辿り着く。 陰から外を覗くと――猛スピードで走って来る、1台の軽トラックが見えた。 運転席のドアが開かれ、飛鳥が大声で呼び掛ける。 「飛び乗ってッッ!!!!」 「――無茶をほざくな阿呆ォッッ!!!!」 全力で叫び返す音彦。 トラックに、減速する様子はない。余りにも無理があり過ぎる。 しかし――主君たる緋姫は、飛び乗る構えだ。 「え……マジのマジか……?」 ……覚悟を、決めるしかなかった。 玄関の前でハンドルが切られ、トラックの向きが変わる。 その瞬間――緋姫と音彦は、荷台に飛び付いた。 音彦は振り落とされそうになったが、何とか荷台の上によじ登る。 「凄ぇ……オレ凄ぇ……」 呆然とした顔で、音彦は自画自賛する。 その偉業を平然とやってのけた緋姫は、レインと向かい合う。 「美空が、貴方達を狙ってると聞いたんですけど……無事みたいですね」 『……美空が?』 「いえ、気にしないでください。それより、ここからの動きは?」 『この辺には兵隊の生き残りが潜んでるかも知れないから、今はとにかく逃げる』 「そうですか……」 ――その刹那。 レインがそれに気付いたのは、やはりスナイパー故にだろう。 「……ッ!!?」 一瞬だけ彼方に見えた、不自然な光。 レインには分かる。間違いなく、スコープの照り返しだった。 ……自分達は、狙撃手に狙われている。 悠長に、スケブに書くヒマはない。言葉を発せなくても、声帯があれば叫ぶ事は出来る。異状を知らせる事は出来る。 なのに―― 「……ッ、――……ッッ!!?」 長年使っていなかった声帯は完全に固まって、何の音も出してはくれなかった。 ……緋姫も音彦も、まったく気付く様子がない。 美空が自分達を狙っていると、レインは緋姫から聞いた。 しかし、その緋姫が合流している以上――ターゲットは、組織の頭である緋姫に変更されるはずだ。 「……ッッ!!!!」 レインは、緋姫を体当たりで突き飛ばした。 荷台から落ちそうになった緋姫は、慌てて体勢を立て直す。 「うわ……ッ!!? レインさん、突然何を――」 ――バン。 1発のライフル弾が、レインの身体を喰い破った。 荷台に倒れる。そして……冗談のように、動かなくなった。 「な――」 絶句する音彦。 運転席の、ドアが開く。 「ちょっと、今のは何ッ!!?」 「狙撃だ、レインが殺られたッ!! テメェはアクセル踏んでろ、停まったら絶好の的になるッッ!!!」 「……レインが、殺られたって……嘘ッ!!?」 緋姫は――レインのライフル・ケースから、MSG90を取り出す。 街中は建物が多い。どこから撃ったのかは、一目では分からない。 ……スコープを覗く。 弾が飛んで来た方向、風の向き――足りない要素は勘で補い、暗殺者の姿を探す。 (……見付けた) 200m程先の廃ビルに、美空の姿。彼女はボルトアクション式のライフルに、次弾を装填している。 ここで、全員始末するつもりらしい。緋姫は鼻で笑う。 (レインさんのMSG90は、確か300mで零点規正されてるはず――) 標準を修正する。無論、風を計算に入れるのも忘れない。 引き金に、指を掛けた。想像以上に軽いトリガー・プルに驚きながらも――引き絞る。 ……スコープの向こうで、美空が血を吹いた。どうやら腕に当たったらしい。 「く……ッ」 頭を狙ったのだが、やはり不慣れな狙撃は上手くいかなかった。 すぐに次弾を叩き込もうとしたが、美空はビルの中に引っ込む。 ……緋姫は、MSG90を投げ捨てた。 「トドメを刺して来ます」 「あ、おい待て、プリンセスッ!!!」 音彦の制止は、無視。 飛鳥が調達した武器の中から、スペクトラM4短機関銃と複々列弾倉を手に取る。 トラックから跳び降り、走り出す。走りながら弾倉を装着し、初弾を込めた。 「――……」 ……レインが死んだ。 緋姫の胸に、去来する想いは―― 「狙撃手のくせに、狙撃で死ぬだなんて……まったく、無様が過ぎますね」 そんな、単なる失望だった。 「糞ッ垂れ、世話の焼ける御姫様だな……ッッ!!!!」 音彦は舌打ちをして、緋姫が駆けて行った方向を見る。 レインを殺されて、頭に血が上ったのかと彼は思ったが……すぐに否定した。そんな人間らしい性格ではない事は、音彦も知っている。 ただ単に、手負いにした以上は必殺したいのだろう。 音彦が、緋姫を追ってトラックから跳び降りようとした時―― 「――のわッッ!!!?」 トラックが、急停止した。 足が縺れて、荷台から落ちそうになる。 「テ、テメェ、安全運転を一から勉強し直せ――」 音彦は、前を見て言葉に詰まった。 トラックの前に立ち塞がった、大男。筋骨隆々とした、巨城のような男である。 ブレーキを踏んだのは道理だ。トラックで城に突っ込めば、どちらが潰れるかは眼に見えている。 ……爛々と不気味に光る双眸が、鬼気を灯して睥睨する。 「童ども、貴様等に怨みはないが……その命、ここで絶ち切らせて貰う」 「――……ッッ!!!?」 彼等が今まで戦っていたのは、人間だった。半人半機であろうと武を極めた達人であろうと、人間であった事には変わりない。 けれど――その男は、違う。それは彼等が初めて出遭う、掛け値なしの『怪異』だった。 「飛鳥、逃げろ――!!!」 本能の底で危険を悟り、音彦は撤退を叫ぶ。 だが、アクセルが踏まれる前に――男の岩のような踵が、旋風の速さでトラックを薙ぎ払う。 「ぐぁぁあ……ッッ!!!?」 横転するトラック。投げ出される音彦。 音彦は身体を起こして、トラックを見る。 飛鳥の、片腕が見えた。腕から先は――トラックの、下敷きとなっている。 ……血溜まりが、広がってゆく。 「ふ、ざ――」 1人目は耐えた。奥歯が砕ける程に噛み締めれば、何とか堪える事が出来た。 しかし――2人目がやられたら、もう我慢ならない。 「――ッけんじゃねえぞ、この肥溜め野郎ォォオオッッ!!!!」 レイジングブルを男に向け、吶喊する音彦。 が、引き金を引く前に―― 「――ぐ、がッッ!!!?」 横転によって散った、トラックの部品。 男はそれを蹴飛ばし、音彦の腹に命中させていた。 ……まるで被弾したかのように、肉が穿たれる。 「己の力量を弁えず、馬鹿のように攻めるのみか……下らぬ」 男は、傍にあった道路標識を握る。 すると――瞬く間に鉄柱が腐蝕し、いとも容易く折れてしまった。 「――黄泉路を下れ、駄犬。貴様には、砂粒程の価値もない」 投擲する。 鉄柱は神速の矢となって、音彦の胸を貫いた。 「……が、ァは……ッッ!!!?」 地に伏し――五体に力を失う、音彦。 ……巨漢は悠然と歩み、その場から立ち去って行く。 「――……」 緋姫は、美空の狙撃ポイントに向けて疾走する。 彼我の200mを20秒で走り抜け、廃ビルに辿り着く。 既に美空は、ここから去っている事だろう。しかし、血の臭いは続いている。 向こうは手負いだ。無傷の緋姫とどちらが速いかなど、論ずるまでもない。 ……臭いを追って、美空の背中を見付けた。 スペクトラを向け、発砲する。指切りによる3点バースト射撃が、美空の背中に命中した。 「く、ぁあッッ!!!?」 悲鳴を上げ、転倒する美空。だが抗弾ベストを着込んでいるらしく、出血はない。 倒れながらも、美空は左手でスチェッキンを握る。利き腕の右は、緋姫の狙撃で潰されてしまった。 弾を撃つが――慣れない左での銃撃など、緋姫に当たるはずもない。 逆にスペクトラの一撃が、美空の手からスチェッキンを弾き飛ばす。 「……前から、思ってたんですけど」 距離が詰まる。 美空の頭に銃口を向け、緋姫は語る。 「貴方って、銃を使うのが飛び切りに下手ですよね。使い込んでいるお陰で技術はありますが、何と言うか、そもそも貴方は根本的に銃器と相性が悪い」 「……まぁ、何となく気付いてはいたんですけどね。じゃあ次は、銃以外の武器で貴方に挑みましょうか」 「次などありません。ここで果てなさい」 「はぁ――そうですか。なら、大人しく先に逝って待ってます」 辞世を聞いた緋姫は、その頭に弾丸を撃ち込もうとする。 しかし―― 「……ッッ!!!?」 総身が震える程の殺気を感じ、その場から跳び退いた。 途端。コンクリの地面を、カタパルトから放たれたような掌底が打ち抜く。 その強大な一撃を見舞ったのは――音彦達を襲撃した、あの魔人。 男は、眼の動きだけで美空を見る。 「……無様だな」 「腹が立ちますが、反論のしようがありませんね。じゃあ無様な私は、とっとと逃げさせて貰いますよ」 「なッ――待ちなさいッ!!」 美空を、追おうとする緋姫。 だが――2人の少女の間には、巨大な男が立ち塞がった。 「く……ッ!!」 足を止め、歯を食い縛る。 美空は追えない。彼女を見ていられる程、今の状況は甘くない。 隙を見せれば――あの巨漢は、すぐさま緋姫の命を握り潰すだろう。 ……そんな好ましくない確信が、緋姫にはあった。 「仕方ありません。まずは、貴方から殺します」 「よい眼だ。あの駄犬よりは骨があるか。ならば、その命――この天堂台限が貰い受ける」 「……ぐッ!!!?」 藍華の拳撃が、クラウディアの身体に喰い込む。 震脚で床を陥没させ――それと共に放たれた把子拳が、彼女の内臓に悲鳴を上げさせた。 「……ッ!!」 間合いを開き、二挺拳銃を連射する。 が。藍華はそれを、拳の連打で撃ち落としてしまった。 藍華の把子拳、その拳面――第二関節を護るメリケンサック。その兇器には、厚い鋼板が付けられている。 それは攻撃の際には相手を打ち抜く鈍器となり、防御の際には鉛弾を跳ね返す盾となるのだ。 しかし一体どれ程の身体能力があれば、弾を拳で迎撃する事が可能になるのか――。 「うーン、退屈ネ。せっかくこんな無粋な武器まで持ってきたのニ、これじゃ盛り上がらないヨ?」 「…………」 挑発には乗らない。 乗って突っ込めば、カウンターで肘でも打ち込まれるに決まっている。致命傷は確実だ。 こちらは銃、あちらは拳。武器の間合いはクラウディアの方が長いのだから、距離を取って銃撃すればよい。 尤も――相手が、それを許してくれればの話ではあるが。 後退するクラウディア。しかし藍華は瞬時に間合いを詰め、一気に構えを下げた。 視界の下に潜った相手を捉えるために、クラウディアは下を向く。 前屈みになり、無防備に晒された顎に―― 「……ッ、がぁ、うッッ!!!?」 藍華は、下から拳撃を打ち込んだ。 脳が揺れる。頭が大きく仰け反って、首の骨が折れそうになる。 平衡感覚を失ったクラウディアに、さらに一撃。 「……ッ、ぐ、ぁあッッ!!!?」 既に、満身創痍に近いクラウディア。 そんな彼女とは正反対な、藍華の澄まし顔。 その両眼は――相変わらず、閉じられたままだ。 「……貴方。どうして、眼を開かないの? 私程度が相手では、その必要すらないとでも言うつもり?」 「ン? あア、それは違うヨ。これハ――」 ずっと閉じていた眼を、藍華はあっさりと開く。 そこには―― 「……な」 眼球は嵌っておらず――代わりに、丸い軟玉が入れられていた。 藍華はクラウディアの驚き様に忍び笑いをしながら、再び瞑目する。 「分かったかナ? うちの門派では視覚に頼らない戦闘術を得るためニ、己の手で両眼を抉り取るんだヨ」 「…………」 「しかしまァ、身体が資本の武術家としてハ、目玉1つとて無駄にするのは惜しイ。2つなら尚更ネ。故に夏候惇のようニ、両方呑み込んだヨ」 距離を、再び詰める藍華。 拳の連打が、クラウディアの骨身を軋ませる。 「……あ、ぅがッ!!?」 立っていられず、床に手を突くクラウディア。 ……口から、血が溢れた。 「悪いけド、あんまり長く遊ぶのは無理ネ。私、まだまだやらないといけない事あるかラ」 「……?」 「このイースト・エリアを起点として、日本の治安をもっと悪くするんだヨ。そのためにわざわざ和勝和から抜けテ、三流マフィアと一緒にこの汚い小国に来たんだシ」 「…………」 「御仕事は、一生懸命やらないト。上手くいけば、党から沢山お金が貰えるしネー♪」 「……ッ!!? 貴方、中国共産党の工作員――ッあ、ぐ!!!?」 藍華は、爪先でクラウディアを蹴り飛ばす。 ……血反吐を吐きながら、ゆっくりと立ち上がるクラウディア。 「さテ、そろそろ潰すヨ。覚悟するがいいネ」 拳を構える、藍華。 「同門の中デ、私のみが会得出来た絶招――受けてみなヨ」 距離を詰め――震脚を踏む。 (……え?) 藍華の震脚は、床を踏み抜く程に凄まじい。 だが――今の震脚は、違った。力強く踏み込まれたにも関わらず、床を抜くどころか音すらもしない。 把子拳が、クラウディアの胸板を打つ。 「……ァ、あァぁああッッ!!!?」 それは、今までの拳撃とは明らかに違った。 トラックと激突した方がいくらかマシだろう、と思わせる程の鉄拳。 五体が、バラバラになるかのような衝撃を受け――クラウディアは鮮血を巻きながら、廊下を跳ねる。 「オー、凄いネ! これ喰らってミンチにならなかったのは貴方が初めてヨ。無意識の内ニ、上手く流したのかナ?」 「……今の、は、一体……?」 「何、そんなに難しい事じゃないヨ。貴方、中国拳法の震脚を踏む動作――何の意味があると思ウ?」 そんな事を問われても、クラウディアは中国拳法に詳しい訳ではないので分からない。 返答がない事を気にする様子もなく、藍華は喋り続ける。 「勁を生む――なんて言っても理解出来ないだろうかラ、簡単に言おうかネ。要は地面を強く踏む事によってテ、その反動を拳に乗せるんだヨ」 「…………」 「前に私が震脚を踏んだ時ハ、床が壊れたり大きな音がしていたネ。でもあれは駄目ヨ。力が床に逃げてル、って事だかラ」 さっきの震脚は、無音だった。 床を踏み砕く程の力を、無駄なく完璧に拳へと乗せていたのだ。 「今話したのハ、基本中の基本ヨ。でも基本故に重要ネ。それを極限まで磨く事こソ――我が奥義、我が絶招。老師より授けられた、一撃必殺の絶技ヨ」 「……じゃあどうして、前は駄目な震脚を踏んでいたの……?」 「派手だからヨ。まァ、パフォーマンスの一種ネ。そういうノ、結構大事ヨ♪」 つまり、舐められていたという事だ。 舐められて当然の実力差がある事も、この様を見れば明らかだが。 ……クラウディアは、改めて愕然とする。 緋姫といい晴良といい、この藍華といい――人は鍛錬と研鑽の果てに、ここまで常軌を逸せる生き物なのかと。 「拳法講座もしたシ、そろそろ終わらそうかネ。永別了――♪」 藍華の踵が、倒れたままのクラウディアに振り下ろされる。 これまでか、と諦め掛けたその時―― 「……オ?」 藍華の踵は、僅かにクラウディアから外れた。 その隙に距離を取り、何とか立ち上がる。 ……間髪入れず、藍華の拳がクラウディアに打ち込まれた。 相変わらずの、凄まじい把子拳。しかし――何故か、当たり方が浅い。 (……こいつ) クラウディアは、1つの可能性に気付く。 (……私の姿が、視えなくなってる?) 藍華には視力がない。故に、気配で相手を視ている。 今のクラウディアは、あの絶招を受けたせいで死体同然。 ……死体には気配がない。死体であるからだ。 ならば――今のクラウディアは、さぞや気配が弱い事だろう。 「ク――ッ!!?」 藍華の顔から、貼り付いていた笑みが落ちた。 クラウディアは攻撃を避ける。僅かに動くだけで、藍華の拳撃は勝手に外れてくれる。 彼女は言った。ミンチにならなかったのは、クラウディアが初めてだと。 ……二の打ち要らずの絶招を受けてなお、生き延びたクラウディア。 そんな敵とは闘った事がなかった故に、藍華は己の弱点に今まで気付かなかった。 (……けれど) 逃げるばかりでは勝てない。 ダメージは、圧倒的にクラウディアの方が大きい。長くは持たないのだ。 かと言って――ペリカーノを撃っても、変わらず弾は打ち落とされるだろう。クラウディアの気配が弱くても、発砲による銃の気配は変わらないのだから。 藍華を討つには、あと1つ何かが必要だ。 「……あ!?」 クラウディアの両手から、ペリカーノが滑り落ちる。度重なるダメージで、遂に握力を保てなくなったのだろうか。 「ハ――油断したネッ!」 銃の落下音から、敵の位置を掴んだ藍華。拳を叩き込む。 床を転がる、クラウディア。 『まったく、油断しやがって。お前は油断さえしなけりゃ、もっと格好よいんだろうなぁ……』 「…………」 彼女は、その言葉を忘れた訳ではない。油断などしていない。 つまり――油断をしたのは、藍華の方だ。 クラウディアが転がった先には、藍華が打ち殺した鎧兵の死体。 ……その手には、XM29突撃銃が握られている。 それを、奪い取るクラウディア。約8kgもあるXM29は満身創痍の彼女にはとてつもなく重いが、それでも構える。 斃した雑魚は意中になかったせいで、クラウディアの反撃を予想出来なかった藍華は――XM29のフルオート射撃を、躱す事など出来なかった。 「啊……嘎啊啊ッッ!!!?」 ライフル弾の嵐が、藍華の脇腹を抉る。 腹が破れて臓物が飛び散り、背骨が砕ける。 倒れ、沈黙する藍華。 「…………」 クラウディアはXM29を投げ捨て、床に落ちているペリカーノを2挺とも拾う。 その時―― 「……哦哦ッッ!!!!」 藍華が跳ねるように起き上がり、クラウディアに襲い掛かった。 刹那で、至近まで間合いを詰める。自分も死体同然になった事で、気配の読み方が分かったらしい。 拳銃というのは、腕を伸ばして使う武器だ。そのための距離がない間合いだと、まともに役立たない。 絶招を以て起死回生の一撃とするため、藍華は拳を打ち出す。 ……しかしそれは、油断のないクラウディアには通じない。 切れの落ちた、藍華の拳撃。クラウディアは、身を翻して躱し―― 「……はッ!!!」 肘打ちを、藍華の鳩尾に叩き込んだ。 叩き込んだというよりは、ただ突き出したと言った方が正しいかも知れない。我武者羅に突撃した藍華は、自分から肘という兇器に突っ込んでしまったのだ。 ――肘打ちでの、カウンター。 二挺拳銃を握る故に、拳ではなく肘。リーチが短い故に、攻め込むのではなく迎え撃つ。 「姑……ッッ!!!?」 肘打ちは、中国拳法でも用いられる。ならば、藍華に対処出来ないはずはないのだが……致命傷を受けて錯乱した彼女に、それは無理な話だった。 ……強堅な肘の骨で、急所への打撃。しかし硬気功を極めている藍華には、大きなダメージは与えられない。 それでも――詰められた距離を、離す程度の隙は出来た。 クラウディアは腕を伸ばし、二挺拳銃を藍華の顔面に突き付け―― 「……さようなら。毛沢東によろしく言っておいて」 引き金を、引き絞る。 顔を撃ち抜かれ、今度こそ藍華は絶命した。 クラウディアは、その死体を一瞥する。 「……背骨が砕けてたのに、それでも動くなんて……本当に、化物……」 廊下を、歩き出す。 まだ、彼女のやるべき事は終わっていない。緋姫達に追い付き、その力とならなくてはならない。 けれど―― 「……ッッ!!!?」 足が縺れ、床に倒れる。 もう彼女には、歩く力も残っていなかった。あの死闘を切り抜けられた事が、既に奇跡の類だったのだ。 「……そん、な……」 立ち上がろうとするも、四肢にまったく力が入らない。 彼女の意識は――深く深く、沈み込んで行く。 クラウディアが眼を醒ますと、彼女はベッドに寝かされていた。 「おや、起きたのかい?」 傍からは、冷艶なる声。 白衣を纏い、眼鏡を掛けた晴良がそこにいた。 ……忌々しい程に似合っている。 「…………」 クラウディアは、周りを見回す。 本陣の体育館だった。負傷者が溢れ、野戦病院のようになっている。 傍のベッドには、音彦と飛鳥の姿があった。音彦は胸に、飛鳥は全身に包帯を巻かれた痛々しい姿だが――ベッドに寝かされているという事は、息はあるのだろう。 「……晴良。貴方、医術の心得が?」 「言っただろう? 友人から、人体については詳しく教わったって」 「……あれから、何日経ったの?」 「3日だね」 「……プリンセスと、レインは?」 「レインは死んだらしいよ。死体は見付かってないけどね。もしかしたら、例の死体集め集団が持ち去ったのかも知れない」 「…………」 レインが、死んだ。 仕方がない、としか言い様がない。クラウディアに出来る事は、何もなかったのだから。 「……プリンセスは?」 「天堂台限という男に追われて、逃げたり隠れたりしているよ。なかなかの使い手らしくてね、苦戦しているようだ」 「……ッ!」 クラウディアは、ベッドから起きようとするが――激痛に、妨げられる。 溜め息をつく、晴良。 「動くのは無理だ。体表は勿論、内臓もあちこちが破裂していたんだよ? 首の骨も、折れる寸前だった。しばらくは絶対安静だ」 「……!」 「そもそも――そんな様で、何が出来るというんだい?」 「……五月蝿い。そう言う貴方は、あの非常時に何をしていたの?」 「いや、ちょっと団員を探しに遠出していたのさ。特に宇宙人を――」 「…………」 「何でもない、ただの妄言だよ」 この男に、構っている時間はない。 激痛に耐えながらベッドを降り、外に向けて歩き出す。 「だから、無理だと言っているだろう」 「……なら、貴方が往きなさい」 「ふふ、無茶を言ってはいけない。僕がこの場から離れたら、一体何人の尊い命が失われると思う?」 「…………」 晴良は、笑っていた。 尊い命が失われる――確かに、そうなのだろう。しかしクラウディアには、この男がそんな愛溢れる人間だとは思えない。 晴良は、緋姫を窮地に立たせたいのだ。 「……とにかく、私は往く」 「そうかい。そこまで言うなら、勝手にするといいよ――ほら」 放られた写真を、クラウディアは手に取る。 写っているのは、無骨な男。これが、件の天堂台限なのだろう。 「……プリンセス……」 進む。 校舎から出、街中に向かうクラウディア。 「……何、これ?」 街では、火事が起こっていた。 幸いにも、鎮火間近のようだが――身体を動かすのも苦痛なクラウディアにとっては、火を避けて進むのも面倒極まりない。 しばらく歩いた時――それを見付けた。 「……え?」 とある小屋に、男が立っている。 立ってはいるが――生命の脈動が感じられない。城の如き巨漢は、まるで彫像のように立ち往生していた。 「……この傷、『刹那・断末魔』……?」 人間とは脆い生き物だ。どこを壊しても、放っておけば死に至る。 それでもなお効率のよい殺人を目指し、倉元詩泉が編み出した必殺技術。緋姫に受け継がれた、対人戦闘においては何の意味もない奥義。 しかしそれは――人間以上の敵と出遭って、ようやく真価を発揮したようだった。 「……プリンセスは、勝ったの……?」 小屋から出る。 主の姿を求め、クラウディアは彷徨い歩く。 そして―― 「……!」 緋姫の横顔を、見付けた。 呼び掛けようとしたが――ふと、違和感に気付く。 ……何かが、前の緋姫とは違う。 彼女は世界に何も求めておらず、何も見ていなかったはずだ。なのに今は、どこか遠くを見詰めている。 クラウディアは、視線を追う。 「……あ」 そこには、1人の少年がいた。 ……彼と彼女の間に、何があったのかは分からない。しかしその何かは、緋姫の心を確かに動かしたようだった。 「…………」 クラウディアは――緋姫に気付かれぬよう、少年を見送る。 遠くに月が見える、深い夜。 緋姫は、イースト・エリアを疾走する。 立ち塞がるのは、緋姫の出奔を阻止せんとするクラウンのメンバー達。彼女は容赦も手加減もなく、彼等を蹴散らして行く。 「…………」 その戦舞を、クラウディアは離れた屋根の上から眺めていた。 ……いや、クラウディアだけではない。 「いいのかよ、止めに行かなくて?」 「……音彦? 貴方、動いても大丈夫なの?」 「オレは飛鳥とは違って、胸に穴が開いただけだからな。そんなん、穴を塞げば元通りだろ」 「…………」 どう考えても、そんなはずはない。 しかしまぁ、追求しても仕方ない。本人が大丈夫だと言っているのだから、大丈夫なのだろう。 「つーかな、質問を質問で返すな馬鹿女。頭蓋骨に穴でも開いてて、そこから聞いた話が漏れてんのか?」 「……止めに行く理由はない。プリンセスが何を目指して走っているのか、私は知っているから」 クラウンは消滅するだろう。クラウディアの、幸せを得る手段が。 だが、クラウンだけが彼女の幸せという訳でもない。 「ふーん……じゃあ、オレは止めに行くと言ったらどうする?」 「……御自由に。全快してない貴方なんて、1発で撃ち殺されて終わり」 「――……」 音彦は、1つ舌打ちした。 最初から行くつもりがない事は、クラウディアも分かっている。もしそのつもりなら、こんな所で無駄話などしていない。 「ま、いいさ。オレは最初から、あの小娘は器じゃないと思ってたんだ。こんな所じゃなくて、どこか遠くで勝手に生きるのが分相応なんだよ」 「…………」 「あいつは御姫様だ。頭飾りならともかく、王冠は重過ぎたって事だな。ったく、身の程を弁えろっての。もううんざりだ、2度と帰って来ない事を祈るぜ」 「……ねえ。貴方みたいな人を、スラングで何て言うか知ってる?」 「あん? 何だよ、何か文句でもあんのか?」 「……ううん。やっぱり忘れて」 クラウディアは眼下を見下ろし、緋姫の姿を捜す。 そこには―― 「こんばんは、プリンセス」 「……ッ!!」 緋姫の前方に立ち塞がるは、春獄晴良。 彼は月の光を浴びて、その狂気を一層濃くしている。 「……晴良さん、退いてください」 「――……」 「退いてくれないのならば、私は貴方を斃します」 緋姫では、晴良には勝てない。無敗の白に、黒星を付ける事は出来ない。 それでも緋姫は、先に進まなくてはならないのだ。 「斃す? 斃すだって? 君が、この僕を?」 口元を歪め、不気味な笑みを作る晴良。 次の瞬間――彼の姿は、緋姫の前にはなかった。 「――笑わせるな、小娘」 背後から声。 そして――晴良の愛銃、マウザーM712が突き付けられる感触。 「く……ッッ!!!?」 緋姫は跳び退いて、動く様子のない晴良にP90の銃口を向ける。 躊躇なく引き金を引き、3点バースト射撃を放つ。 「……なッ!!?」 だと言うのに、晴良には1発とて当たっていなかった。 まるで擦り抜けたかのように、弾痕は彼の背後の壁に刻まれている。 「ああ――弱い。弱過ぎるよ、プリンセス」 「……ッ」 「この世界は――人間の脳が認識する事によって、人間にとって意味のある世界となる。脳とは世界だ。世界とは心だ。君の心が僕の心を上回らない限り、君は僕を殺せない」 言ってる事は、理解出来ないでもなかった。心理学を拡大解釈すれば、そんな思想に辿り着くかも知れない。 ……拡大解釈。そう、拡大解釈のはずだ。 なのにこの男は、それを自らで体現している――。 「ねえ、プリンセス。僕がこの街に来たのは、夢を見たからなんだよ」 「夢、ですか?」 「そう、夢だ。僕の左眼は夢の中で、何よりも強く美しい死の姫を視せた。だから僕は研究所の何不自由ない研究生活を捨てて、世界中を彷徨い――その果てに、この街で君を見付けたんだよ」 ……晴良が、退いた。 緋姫に、道を開けたのだ。 「……何のつもりです?」 「君と僕が決着を付けるべき場所は、ここじゃない。それももう、僕には視えているんだ」 「――……」 「君はこの街を出て、もっと多くの事を知らなければならない。常識を超えた事件と出遭って、この街がどれだけ狭かったのかを知らなければならない。彼女達と出遭って、恋路の厳しさを知らなければならない。それが何より、君を強く美しくするのだから」 緋姫は、晴良の横を走り抜ける。 ……背中に、最後の言が聞こえて来た。 「待っているよ、プリンセス。君と僕が、また出遭う時を――」 全力で走る。 そして緋姫は、遂にイースト・エリアの『外』へ―― 「……あれ?」 『外』に出たはずの緋姫は、何故かクラウンの本陣に戻って来ていた。 ……いや、違う。ここは旧星丘高校ではなく、現星丘高校だ。 部室内の皆は、緋姫が配った菓子を食べながら、それぞれ過ごしている。 ……どうやら、昔の夢を見ていたらしい。 「…………」 イースト・エリアを出た事に関しては、後悔していない。自分のためにやったのだから、悔いるはずなどない。 ……でも時々、緋姫は不安になる。クラウンを捨てたのは、間違いだったのではないか。自分は、皆を引っ張って行くべきだったのではないか――と。 と、その時。 「プリンセス、いる?」 ノックと共に、部室の扉が開かれた。 現れたのは、飛鳥。彼女は私服姿のまま、堂々と高校に入って来ていた。 「飛鳥さん? 何ですか?」 「ねえ、泉の奴知らない? 捜しても見付からないんだけど……」 「ああ……あの人なら、『何だか嫌な予感がする……ッ!!』とか言って、すぐ帰っちゃいましたけど」 「……チッ。さすがに、勘がいいわね」 小さく、溜め息をつく飛鳥。 私から逃げられると思ってるのかしら、と自分にしか聞こえない程の音量で呟く。緋姫には、バッチリと聞こえていたが。 「飛鳥、これありがとー」 マナがムシャムシャと菓子を食べながら、飛鳥に言った。 配った緋姫には礼を言わなかったのに、元の配り主である飛鳥には礼を言うらしい。 「ん。乗って来たトラックのコンテナにもっとあるから、まだ欲しかったら持ってっていいわよ」 キュピーンと、マナの眼が光った。さらにはパックも。 ふたりは部室を飛び出し、全速力で向かって行く。 呆れた顔で見送る、瀬利花と要芽。変わらず寝続ける真。 「それにしても飛鳥さん、こんなに沢山の御菓子……どうしたんですか?」 「音彦が、どっかから大量のB級品を貰って来たの。さすがに1人じゃどうにも出来ないからって、半分くらい渡されたのよ」 「成る程……って、これB級品だったんですか」 「そう。一目じゃ分からないでしょう? 貧困街の住人としては、なかなか助かる話よね。多過ぎると困るけど」 用事を済ませた飛鳥は、さっさと部室から去って行く。 皆を、引っ張って行くべきだったのではないか――その答えは、分からない。 でも、少しは安心した。皆、自分の足で歩いている。 (レインさん……) 死した忠臣を、想う。 彼女が自分にとってどれ程重要だったか――イースト・エリアを出て、ようやく分かった。 ……最近、彼女が生きているのではないかという幻想に捕らわれる事がある。 ユズリハ旅館で、緋姫を護った狙撃。あれは―― 「……そんな訳、ありませんよね」 不毛な考えを、止めた。 ふぅと息をつく。 「そう言えば……クラウディアさんって、今どこで何してるんでしょうか……?」 クラウディアが眼を開くと、すぐ前に月見の顔があった。 「こんな所で、無防備な寝顔を曝すなんて……油断しましたね、メイド長」 「…………」 何が面白いのか、ふふふと笑う月見。 本当に、何が面白いのか分からない。クラウディアの寝顔なんて、以前は少しも興味を示さなかったのに。 「……ねえ。貴方って、匠哉なんでしょう?」 源九郎襲撃の時に、電話で晴良がそう呼んでいたのだ。間違いはない。 なのに、月見は首を振る。 「いえ、私は月見匠哉ではありません。麗衣御嬢様の忠実なるメイド、月見マナです」 「…………」 あれで、忠実であるらしい。 ならば緋姫に仕えたクラウディアも、立派に忠実である。 「あ、御裾分けです。どうぞ」 月見が、菓子の山を差し出して来た。 ……本当にいらない。 先日、音彦から大量に押し付けられたばかりである。今のクラウディアには真っ当な職があり、食べ物に困っている訳でもないのに。 これがどんなルートでここまで来たか、想像するのも容易い。 「…………」 無言で、押し返す。 だが、それで退いてくれる月見ではない。 「おや、どうして不要なのですか? もしかして、誰かから既に頂いているとか?」 「…………」 月見の言葉を訳すと、『お前、実はクラウンなんじゃないか?』である。 源九郎襲撃の時の、レインとの遣り取りで気付いたのだろう。本当にあの事件は、お互いに取ってビックリだったのだ。 別に、今となっては話しても構わないのだが――月見が正体を隠している以上、こちらだけが正直に話すのも面白くない。 さてどうしようか、とクラウディアが考えていると。 「月見さん、メイド長ー。休憩時間は終わりですよぉー」 茨木が、休憩室に入って来た。 仕事に戻るかと、椅子から立つ2人。 「あ、メイド長。今日の料理担当、メイド長ですよねぇ?」 「……そうだけど。それがどうかしたの?」 「前々から思ってたんですけど……メイド長の料理って、月見さんの料理と似てませんかぁ?」 「……別に、そんな事はないと思う」 「いえ、絶対似てますよぉ。食べてる御嬢様も、そう言ってますし」 「…………」 似せたつもりは、なかった。 しかし、クラウディアの料理の根幹にあるのは匠哉の料理である。似るな、という方が無理なのかも知れない。 茨木の眼が、月見に向く。 「……月見さん? メイド長に、料理を教えた事とかありますぅ?」 「ははは、まさか。私――月見マナがメイド長と出会ったのは、この渡辺家でですよ? その頃から、メイド長は料理が出来たじゃないですか」 「何やら今、気になる言い方をしましたねぇ……じゃあ、本当に他人なんですかぁ?」 「ええ、他人です」 クラウディアにとって、その言葉は――何だか、とても気に入らなかった。 なので、少々仕掛けてみる。 「……他人だなんて、酷い。一緒のベッドで夜を過ごした仲なのに」 「な――ッッ!!!?」 驚いてクラウディアを見る、月見と茨木。 ……微妙に、泣き真似をしてみる。 「月見さぁん……一体、どういう事なんですかぁッ!!?」 「お、落ち着いてください茨木さんッ!! 嘘、ではありませんが……おいクラウディア、じゃなくてメイド長ッ!!! 誤解を招く言い方をしないでくださいッッ!!!!」 「……私が貴方を抱き締めた時の、胸の鼓動……覚えてないの?」 「はぁッ!!? だ、抱き締めたって何だ!!! そんなの知らんぞッッ!!!?」 まぁ、知っているはずもない。最後の夜、匠哉が寝た後にこっそりとやったのだから。 ……どうでもいいが、もはや月見は完全に素を出してしまっていた。 「抱き締められた事は知らない……つまり、『それ以外の事』は知っているという訳ですねぇ?」 ゴゴゴゴゴと気炎を上げながら、茨木は月見を壁際に追い詰める。 慌てふためく月見。なかなか哀れではあった。 「待て茨木、話し合おう――……でもどうして、俺とクラウディアが一緒に寝てると、茨木が怒るんだ?」 いつも通りの地雷。 踏んだ月見は、まったく気付かず間抜け面をしている。 「――……」 茨木は両手を上げ、ゆっくりと下に下ろした。 緩慢な動きであるにも関わらず、残像が生じ――茨木の腕が、左右に3本ずつの計6本になる。 ……彼女の背後には、オーラに映し出された阿修羅のヴィジョン。 「よ、よせッ!! そうだ茨木、日本の未来について考えようッ!!! な、それがいいッッ!!!!」 さすがにマズいと思ったのか、アタフタと訳の分からない事を言い出す月見。 ……それで本当に、話が逸れると思っているのだろうか。 「大江流拳闘術、新奥義――」 「せ、選挙ってのは、多数派のお祭りであってだな――ッッ!!!!」 「――『六臂鬼神拳』ッッ!!!!」 6本の腕が、次々と拳を叩き込む。 その連打は、まるで雹の嵐が地を打つようだった。 「ですですですですですですですですですですですですですですですですですですですですですですですですですですですですですですですですですですですですですですですです――」 「ヤッダーバァアァァァァアアアアアッッ!!!?」 「――ですぅうううううッッ!!!!」 最後の一撃で、月見は窓を破って外に落下。下のゴミ箱にすっぽりと嵌る。 ……燃えるゴミは、月・水・金。 「まったく……どうしようもない人ですぅ」 プンスカと怒りながら、休憩室から去って行く茨木。 割れた窓から、クラウディアは下を見下ろす。ゴミ箱に突っ込まれた、奇怪なメイドがいる。 「……これは、明らかに自業自得」 クラウディアは一言呟くと、尊い御勤めに戻るのであった。
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