「あー、ヒマだねー……」
 壇上の部長席で、マナはかったるそうに呟いた。
 やる事がないのなら集めないで欲しい、と緋姫は思う。緋姫だけではなく、ほとんどの部員がそう思っているのだが。
 その上――今日は、匠哉がいない日だ。こうしているのは時間の浪費以外の何物でもない。
 周りを見る。他の部員達も、ヒマそうに菓子を齧っていた。飛鳥から貰ったものを、緋姫が皆に裾分けしたのだ。
「ふぅ……」
 机に突っ伏す、緋姫。
 少しずつ、眠気が迫り――彼女は、瞼を下ろした。



 ――同時刻、渡辺家。
 月見マナは、メイド用の休憩室に足を踏み入れる。
「メイド長。学校の後輩から御菓子を頂いたので、御裾分けを――って、ありゃ?」
 机には、かつての主と同じように眠る――メイド長クラウディア
 歩み寄る月見。
「完全に爆睡してる……ま、休憩時間はまだあるし、ほっとくか」
 月見は別の机に座り、1人でムシャムシャと菓子を喰らう。



 ――眠る、少女達。
 その夢路は、懐かしい過去へと続いてゆく。


ビンボールハウス・レジェンド10
〜御姫様の王冠・前編〜

大根メロン


 深夜。
 イースト・エリア――チャイナ・ブロック。
 華僑やチャイニーズ・マフィアが住むその地区を、1台の軽トラックが疾走していた。
 ハンドルを握っているのは、飛鳥。荷台にはビニール・シートが掛けられ、中身を窺う事は出来ない。
「……こんな真夜中に、御苦労な事ね」
 前方には検問。2人の中国人が、トラックを制止しようとしている。
 飛鳥は、開けっ放しの窓から腕を出す。
 その手に握られているのは――愛用の拳銃、Cz75前期型ファースト
 途端に2人の中国人の額に穴が開き、トラックは検問を突破した。
 そして――タイヤを滑らせながら、とある建物の中に停車。
 チャイナ・ブロックで力を伸ばしている、チャイニーズ・マフィア。その本陣である。
 ……シートが、内側から取り払われた。
 荷台には少年少女――クラウンのコア・メンバーと、据え付けられたM2重機関銃。
 緋姫が、M2のグリップを握る。
 ――掃射。次々と送り込まれる12.7o弾を、容赦なく建物の中へと撃ち込む。
 悲鳴。悲鳴。悲鳴。
 M2の弾を撃ち尽くすと――緋姫は、P90に初弾を込めた。
「――突入アタック!」
 緋姫の号令と共に、彼女達は荷台から飛び降りる。
 建物のドアを破り、手榴弾を投げ入れる。爆発の後、屋内に入り込んだ。
 立ち込める、血と火薬の香り。掃射と爆破によって生み出された、人間だったモノ。
 だが、彼女達は興味を示さない。問題はいつだって、死んでいる人間よりも生きている人間だ。
「オラ出て来いよ、腐れ中国人どもッッ!!!!」
 突入したメンバーで、唯一の男性――三山音彦みやまおとひこが、笑いながら叫ぶ。
 その挑発に乗った訳ではないだろうが、隠れていた中国人が身を出して銃を向けた。
 しかし相手が引き金を落とすより早く、音彦の回転式拳銃リヴォルヴァー――レイジングブルが、敵を撃ち斃す。
 さらに敵。だが――
「……遅い。蚊が止まる」
 クラウディアが操る二挺のペリカーノが、その頭に赤い穴を開けた。
 力の差を感じた何人かの敵は、脱兎の如く逃げ出す。しかし、彼女等がそれを追う事はない。
 何故なら――建物に出た途端、彼等は頭を撃ち抜かれて絶命する定めにあるからである。
 ……緋姫達が突入した建物から、100m程離れた廃ビル。
 そこには――MSG90狙撃システムを構えたレインが、虎視眈々と獲物を狙っている。
 ……銃火により、敵を蹂躙するクラウン。
 元々、初撃で与えたダメージが大きい。彼女達は、息絶え絶えな敵を掃討するだけでよい。
 はず、だったのだが。
「――ッ!? 皆さん、下がって!!」
 緋姫の一声。
 理解出来ずも、従う音彦とクラウディア。
 ――瞬間。
「ゾロゾロと、馬鹿が雁首揃えて来ましたね……」
 陰から飛び出して来た少女が、緋姫にスチェッキン機関拳銃を向けた。
 緋姫と少女――共に、相手の銃撃から逃げながらも射撃。
「――美空ぁッ!!?」
 その少女の名を、信じられない様子で叫ぶ音彦。
 ここは、チャイニーズ・マフィアのアジトだ。彼女がいる道理はないはず。
 が、悠長に見物している時間はなかった。
小日本人シャオジーベンレン、余所見してると死ぬネ」
 声が、背後から聞こえた。
 跳び退いたクラウディアと音彦を、砲弾のような拳が掠める。
 拳撃の主は、緋姫達と大して変わらない少女。いかにも中国人らしく、髪を団子にして纏めている。
 ただ、戦場の中にいながら――その眼を閉じている事が、不審と言えば不審だった。
 反撃する、クラウディアと音彦。しかし少女は、雑技のような身のこなしで銃撃を躱し、柱の陰へと隠れる。
哎呀アイヤー、服に掠ったカ。類人猿にしては道具の使い方が上手いネ。褒めてあげるヨ」
「ほざくなよ、中国豚。家畜の分際で人様に話し掛けんじゃねぇ。国に帰って犬でも喰ってろ」
「じゃ、まずは敗け犬から喰う事にするカ」
 少女が床を蹴った。
 音彦とクラウディアは銃を連射するが、少女はひょいひょいと躱してしまう。
 クラウディアの懐へと潜り込んだ少女は――ダンッッ!!!! と大きな音を立て、踏み込みで床を陥没させた。
 震脚と共に打ち出された拳は、想像を絶する衝撃でクラウディアを突き飛ばす。
「……う、ぁああっ!!?」
「チッ――この役立たず、足引っ張んじゃねえッ!」
 クラウディアに毒口を浴びせながらも、少女との交戦を続ける音彦。
 ……もう1度、舌を打つ。
 数歩先では、緋姫と美空の銃撃戦が続いていた。
 とは言え――いくら美空が強力でも、緋姫に勝る事はあるまい。
(となると、問題はこっちか……!)
 少女の寸勁が、音彦を襲う。
 超近接距離。拳を加速させる距離が短いにも関わらず、当たれば無事では済まないと勘が警告する。
「どうかネ、私の技ハ?」
「大した事ねぇな、中国人。パンダの方がまだ見てて楽しい」
「ハ――口だけは達者ネ!」
 音彦の顔面を砕こうとする、少女の蹴り。
 それを見て――
(――ハッ!!)
 音彦は、内心で嗤った。
 視界の隅に、見えたのだ。クラウディアが、少女に銃を向けているのが。
 少女は蹴りの動作中だ。例え気付かれたとしても、地に付いてるのは片足だけ。逃れる事など出来まい。そもそも、蹴りの動作を急停止させるのは不可能だろう。
 顔を、腕で護る音彦。折られるだろうが、それで難敵を討てるなら安いものである。
 ……クラウディアと音彦は、勝利を確信した。
 なのに――少女は、音彦が不可能と断じた蹴りの停止をやってのける。
「……ッ!!?」
 驚愕する2人だったが、手を止めはしない。
 足を止めただけだ。両足を地に付かなければ、逃げるのは無理だ。
 引き金を絞るクラウディア。
 必殺――しかし少女は片足だけでバネのように跳躍し、銃撃を躱してしまった。
「……マジかよ。バケモンか、あの中国人」
 呆ける音彦。あの少女には、戦闘の常識――否、人間の常識が通用しない。
 空中でくるくると回転し、美空の傍に着地する少女。
「……美空メイコン、そっちはどうカ?」
「戦闘を続ければ、いずれは勝てます。しかし藍華ランファ、ここでの勝利に大きな意味はありません」
「言い方が素直じゃないネ。じャ、さっさとずらかるヨ」
 美空が弾幕を張り、それに隠れて2人は逃亡する。
「――待ちなさいッ!」
 緋姫は叫ぶが、それを聞くはずもなく。
 美空と藍華は、窓から飛び出す。
「チ――ッ!!」
 舌打ちする緋姫。
 追撃したいが――まずは、残っている中国人を掃討しなければならない。
 ……2人は、夜のイースト・エリアへと消える。



 イースト・エリアの某所、クラウン本陣。
 大火災によって廃校となった、旧星丘高校。その校舎を、クラウンは拠点としている。
 校内の一室には、グループのコア・メンバーが集結していた。突入をした3人の他にも、運転手の飛鳥、狙撃手のレインの姿もある。
 そして――作戦の間、本陣を守護していた白色の魔人も。
 晴良は微笑しながら、緋姫に語り掛ける。
「それで結局、2人程逃がしてしまった訳だ」
「構いませんよ。あれだけの損害を受ければ、本国から増員が来ない限り連中は再起不能です。奴等の密売ルートはお終いですよ」
「いやいや、僕が言ってるのはそういう事じゃない。皆殺しに出来なかった、それを問題にしてるのさ。殺るからには、皆殺しにする――それが君の流儀であり、僕が好きな君の美徳だったのに」
「……貴方の趣味なんて、どうでもいいです」
 そこで、飛鳥が軽く手を上げた。
 呆れたように、発言する。
「プリンセスに同感。それに今は、考えなきゃならない事があるでしょう?」
「……中村美空が何故、あの場にいたか」
「そう。もしかしたら、面倒な事なのかも知れないわよ?」
 クラウディアの返答を肯定し、飛鳥は言を続けた。
 クラウンと敵対するグループの中で、最も大きな勢力を持つ――オベリスク。美空は、その副リーダーである。彼女があの場にいた事は、いかにも剣呑だ。
 緋姫は、一考した後に。
「考えても、気力の無駄ですね。せっかく生き残りを1匹持って帰って来たんですから、拷問して吐かせましょう」
「おいプリンセス、ありゃ全身にトンネル掘られて死に掛けだぜ? 拷問なんてしたら、ゲロする前に逝っちまうんじゃねえの?」
 音彦が口を挟む。
 だが緋姫は問題にしない。その答えは、もう出ている。
「晴良さん、任せました。貴方、人間を上手く痛め付けるのは得意でしょう?」
「粉々に砕く方が得意なんだけど。まぁいい、任されたよ。とは言え……まずは喋れるようになるまで回復させないといけないから、多少は時間が掛かる」
「面倒な話ですね」
「君達が、もう少し考えて痛め付けてくれればよかったんだけどね」
「……とにかく、お願いします。と、クラウディアさん」
 突如話を振られ、僅かに驚くクラウディア。
 それが、顔に表れる事はないが。
「明日、貴方には予定がありませんでしたね? 頼みたい事があるのですが」
「……何?」
「最近、私達の支配区域にスリが出るんです。掏ると同時に、韋駄天のように走り去るとか。スリなんて小者、本来なら見逃すんですが……被害件数がとにかく多い。うちのメンバーにも被害者がいますし、これ以上勝手をさせるのはクラウンの沽券に関わります」
「……見付けて殺せ、と?」
「ええ。生かしておく理由もありませんし」
「……分かった」
「お願いしますね。では、解散にしましょうか。今日はご苦労でした――お休みなさい」
 部屋から去る緋姫。無言無表情のレインが、音もなく後に続く。
「おいモヤシ、ちゃんとゲロさせろよ? ミスりやがったら、プリンセスはお前の頭に便利な穴を開けるだろうさ」
「心配無用だよ、音彦。これでも、生き死にを調節するやり方はよく知っている」
 笑う、晴良。
 舌打ちをし、音彦はその忌まわしい笑みから眼を逸らす。
「……そうかい。オレとしては、頭に穴が開く方が望ましいがね。覗き込んで、何が見えるかレポートしてやるぜ」
 音彦が退室する。晴良も、部屋から去った。
 疲れるわね――とぼやきながら、飛鳥も部屋の外に消えた。
「…………」
 クラウディアは、明日の任務を思う。
 ――スリ討伐。楽な仕事だ。






 翌日。
 緋姫はいつもと同じ時間に、はっきりと眼を醒ました。
 睡眠時間は、ちょうど240分。これも、いつも通りである。
 そして――いつも通り、隣で寝ていたレインは既にいない。彼女は今頃、朝食を用意しているはずだ。
 クラウンの頭目たる緋姫が、別の誰かと寝床を共にするというのは問題だ。いつ、寝首を掻かれるか分からない。
 しかしレインは、緋姫のために己の舌を切り落とした程の忠臣である。彼女が裏切るとは考えられない。
 もし、レインが裏切るようなら――緋姫はもういっそ、殺された方がマシだ。
「…………」
 窓の、外を見る。
 大欠伸をしながら、やって来る音彦。飛鳥のバイクが突っ込んで来て、慌てて跳び退く。
「おいそこの糞アマァッ!! その目玉は何のために付いてんだ!! 前が見えないのなら売りやがれ、テメェの濁った眼でも菓子くらいは買えるだろうからなッ!!!」
「あら御免なさい、余所見してたわ。貴方が視界に入るのが嫌だったから、前を見れなかったの」
 微笑ましい遣り取りを交わしながら、校舎に入る2人。
 しばらくの後、晴良が陰気を撒きながらやって来た。
 あの男は間違いなく、存在するだけでこの辺りの治安を30%は悪くしている。それを埋めて余りある活躍をしているので、文句は言えないのだが。
 クラウディアは来ない。昨日任せた任務に、自宅から直接向かうはずだ。
「……あ」
 そこで、緋姫はふと思った。
 皆の、朝食を作っているレイン。彼女はクラウディアの分まで作ってはいないだろうか?
 有り得る話である。レインは戦闘時は頼もしいが、それ以外では少々惚けっとし過ぎている。
 確かめに行こうかと思ったが――止めた。作り過ぎたとしても、誰かに分ければよいだけだ。大食のレイン自身が平らげる可能性も高い。
 緋姫は護身用のFive-seveNを手に取ると、皆の元へ向かう。



「…………」
 クラウディアは1人、街中を歩いていた。
 スリを見付けるのはいいのだが、一体どうすればいいのだろうか。相手の人相風体は、まったく分からないのだ。
 判明しているのは、男であるという事だけ。成る程住人の半分は犯人候補から消えるが、それでも多い。
 楽な仕事ではあるが――面倒でもあった。
 とりあえず情報屋でも回ろうか、と思った時――
「……と、すいません」
 少年が、クラウディアの肩にぶつかった。
 人通りは多い。肩がぶつかるくらい、珍しくはない。
 ただ1つ、クラウディアが気になったのは――
(……『すいません』?)
 その少年が、謝った事だった。
 イースト・エリアは無法地帯である。謝罪の言葉なんて、滅多に聞く事はない。むしろ、ぶつけた方が難癖付けて乱闘になるくらいだ。
『外』から来た、この街の事をまだ分かっていない人間だろうか――と、クラウディアは考える。
 そういう人間がまずしなければならない事は、金を稼ぐ手段を見付ける事。新入りが商売なんて出来るはずがないし、『外』の者がいきなり血の流れる事をするのも無理だろう。
 となると――残るは、軽犯罪。
「……!?」
 クラウディアはその時、自分の財布が掏られている事に気付いた。
 振り返る。掏ったのは、間違いなくさっきの少年だ。
 件のスリかどうかは分からないが――とにかく、財布は取り返さなくてはならない。
「……待てッ!!」
 走り出すクラウディア。少年の背中は、まだそんなに離れてはいない。
 だが――追われている事を察したのだろう、少年も駆け出す。
「……ッ!」
 クラウディアは心中で、後悔の舌打ちをした。
 走らずに忍び寄れば、追っていると感付かれる事はなかったはずだ。
 悔いても仕方ない。レッグ・ホルスターからペリカーノを抜き、その無防備な背中に鉛弾を喰らわそうとした所で――
「……なッ!?」
 少年の背中が、異様に離れていると気が付いた。
 遠い。これでは狙えない。外れた弾が、他の人間に当たっても面倒である。
 ……速かった。クラウディアの想像よりも、遥かに。
 緋姫の話を思い出した。どうやら、あの少年がターゲットのスリらしい。
 ひとまず銃はホルスターに納め、少年を追う。撃つには近付かないといけないし、銃を握ったままでは僅かにスピードが落ちる。
 全力で、追走する。
「……クッ」
 なのに、差が縮まる様子はない。
 クラウディアは、緋姫と共に戦場を駆ける戦士だ。身体能力は常人よりも高い。
 ……それでも、追い付けない。
 少年が、路地に入った。
 路地は入り組んでいて迷路同然だ。少しでも離れれば、確実に見失う。
 あのスリは、この辺りの地理を熟知しているようだ。
 路地に踏み込むクラウディア。当然、少年の姿は見えないが――耳を澄まし、靴音を探る。
 地理を熟知しているのは、クラウディアも同じだ。先回りも可能である。
 ……駆ける。
 曲がりくねった路地を抜け――遂に、少年の背中を間近に捉えた。
「……げッ!!?」
 驚いたらしく、少年は下品な声を漏らした。
 撃つには、まだ少し遠い。言い換えれば、もう少しで撃てる。
 そこで――天の恵みか、少年の眼前に障害物が立ち塞がった。
 乗用自動車が、路地の出口を塞ぐようにして停車している。
 勝った、とクラウディアは思った。路地から出れず、少年は立ち止まる。その隙に射殺すればよい。
 しかし――
「りゃああああッッ!!!!」
「……ッッ!!?」
 少年は、ロイター板がある訳でもないのに――跳び箱の要領で、自動車を越えてしまった。
 車の前で、急停止するクラウディア。彼女とてこれくらいの障害は越えられるが、跳ぶための助走をしていた訳ではない。咄嗟に跳び越えるのは、さすがに無理だ。
 ……少年が跳び越えると予想していれば、クラウディアも同じように越えて追う事が出来たはずだ。
 それが出来なかったのは、油断していたから。相手を舐め、見縊っていた故だ。
「……ッ」
 クラウディアは、唇を噛み締める。



「うわっはっはっ!! 今日も逃げ切ったーっ!!」
 スリの少年は、勝利の大笑を上げた。
 手には、クラウディアから掏った財布がある。
「……っても、ホントは走って逃げなくてもよいのがベストなんだが。どうして皆、掏られた事に感付くんだ……?」
『外』と同じ感覚で謝っているからなのだが、彼がそれに気付く事はない。
 犯罪が多いから防犯意識も高いのかと勝手に結論を出し、財布を開く。
「おおぅ、結構入ってるな……ん?」
 財布の中に、金以外の何かを見付けた。
 ……カード・サイズの、薄型機械。
「こりゃ、CD-500S――って、追跡用発信機だとぉっ!!?」
 背後で、人の気配がした。
 振り返ると同時に――額に、銃口が向けられる。
「……フリーズ」
「あー……」
 冷たい眼をしたクラウディアは、少年を睨め付けた。
 絶体絶命の苦境に陥った彼は、とりあえず溜め息をつく。
「色を付けて財布返すから、見逃して……ってのはダメか?」
「…………」
 普段だったら考えないでもないのだが、生憎緋姫から殺せと命じられている。
 クラウディアの様子から、交渉の余地がない事を悟ったのか……少年は再び、肺から空気を吐き出す。
「じゃあ、仕方ないな」
「…………」
 引き金を引こうとする、クラウディア。
 しかし――そこで、おかしな事に思い至った。
 少年の顔。『死』の恐怖を――まるで感じていないように見える。
 戦闘の興奮の中でなら、恐怖を感じる間もなく死ぬ事もあるだろう。しかし、今は明らかに違う。
「……どうして?」
「ん?」
「……恐く、ないの?」
「――……」
 彼の表情に、疑問の色が浮かんだ。
 お互いに疑問顔で、見詰め合う2人。さぞや奇妙だろうと、クラウディアは我が事ながら思う。
「なぁ。そのヘンテコな拳銃、口径は? 9mmくらいに見えるけど」
「……察しの通り、9mmだけど」
「じゃ、この距離で頭に撃ち込まれれば多分即死だな。即死――痛苦を感じる間もなく死ぬ、という事だ。痛くも苦しくもないのなら、何を恐れる必要があるんだ?」
「…………」
 少年が言っている事は、正しい。
 正しいが――何か、大前提からして間違えている。
 しかし、クラウディアには関係がない。その額に穴を開けようとして――
「……ッ」
 気持ち悪くて、指を止めてしまった。
 気付いてしまったのだ。この少年は――声ならぬ声で、殺してくれと言っている。
 彼女が銃把を握るのは、闘うためだ。しかし今やろうとしている事は、自殺幇助と大差ない。
 逃げる者、向かって来る者――生きようとする者なら、いくらでも撃った事があった。だけど、死のうとする者を撃った事はない。
 ……どうすればよいのか、分からなかった。撃った事がない――つまり、初めての事なのだから。
 この気持ち悪さは、ある事を思い出させた。とっくに忘れたはずの、初めて人を撃った時の気持ち悪さ。
「……く」
 首を振る。緋姫からは、殺せと言われたのだ。クラウディアはそれを遂行するだけの話。
 ……だが。
 スリを殺したがっているのは緋姫であって、クラウディアではない。
 なのにどうして彼女が、こんなに気分を悪くしなければならないのか。
 ……クラウディアはレインではない。緋姫を全肯定出来る程、妄信的でも狂気的でもないのだ。
「おい……どうした?」
 様子がおかしい事に気付いた少年が、心配そうに話し掛けた。
 自分の心配は出来ないくせに、自分を殺そうとしている人間の心配は出来るらしい。
「……ッ」
 それが、とても気に入らなくて――引き金に、力を込める。



(……どうして、こうなったんだろう?)
 クラウディアは、自問する。
 結局――引き金を引く事は出来なかった。
 かと言って、このままスリを続けさせる訳にもいかない。クラウディアが彼を殺していない事が発覚したら、逆臣と思われても文句は言えない。
 さらには、外を歩かせるのも問題だ。どこから嘘が綻びるか分からない。
 家に篭っていろと言ったが――少年はストリート・チルドレン。イースト・エリアに、篭れる家などありはしなかった。
 ――結果。
「へぇ……いい所に住んでるんだな」
「…………」
 クラウディアは、自宅に少年を連れて来ていた。
 綺麗な建物ではないが、ライフラインが通ってるだけ他よりはマシである。
「で、だ。一体全体、どうしてこんな事になったんだ?」
「……分からない」
 そうとしか言えなかった。
 これより、二人三脚の共同生活である。昨日までは想像だにしなかった。
「……貴方。私の財布以外に、掏った物は何か持ってる?」
「いや、何も。今日掏ったのは、あの財布以外は全部処分したよ」
「……処分?」
「そう。大通りから離れた道を、大事そうに封筒抱えて歩いてる奴がいたんだ。金でも入ってるのかと思って、掏った――と言うか引っ手繰ったんだけど、中身は変な書類だったよ。不要だから捨てた」
「……書類って?」
「確か……『TOY SOLDIERS』が何たら、って書いてあったな」
 トイ・ソルジャーズ――玩具の兵隊。
 クラウディアはその名称に、聞き覚えがあった。
 何だったか、思い出そうとした時――
「……っておわッ!? レトルトばっか!」
 少年の大声が、それを遮った。
 見れば、彼は台所の棚を見て驚愕している。
 クラウディアは料理が出来ない。朝食はレインに作って貰うが、夕食はレトルトである。
 しかし――他人の家に入って、まずする事が台所のチェックとはどういう事だろう。
「はー……仕方ない。未だによく分からんが俺はここに居候するみたいだし、家賃として料理くらいしますかね」
「……料理、出来るの?」
「一応は。最近は路上生活だったから、ロクにやってなかったけどな。お前さん、これから外出の予定は?」
「……今日の事を、報告しに行かなければならない」
「報告……? ま、いっか。じゃあその時、肉野菜等を適当に買って来て。金銭的余裕がなければ、レトルトで創意工夫するけど」
「……構わない」
「よーし……って、うおッ!? 包丁が錆びて真ッ茶色になってる!?」
 少年が、物凄く哀れむ眼でクラウディアを見た。
 眼を逸らすしかない。
「……包丁も、買って来る」
「あと、手頃なフライパンもな。割れてるぞ、これ」
「…………」
 やはり、蝿叩きに使っていたのはよくなかったようだ。
 惨めな気分になるクラウディア。料理の勉強をしよう、と決意するのであった。
「あー……それと」
 まだダメ出しが続くのか、とクラウディアが恐怖した時。
「そう言えば、まだ互いの名前を知らなかったな」
「……あ」
 大切な事が抜けていたと、クラウディアは反省する。
 そして――口を開いた。
「……私はクラウディア。クラウディア・笹河」
「クラウディア、ね。俺は月見匠哉。よろしくな」






 それから、数日が経った。
 朝――匠哉は欠伸をしながら、冷蔵庫を覗く。
「さーて、今日はっと……大量に余っている豆腐を何とかしないと」
 一考。
 よし、と結論を出す。
「じゃあこいつを――」
「……挽き肉には混ぜないで」
「――……」
 先手を打たれた。
 振り返ると、クラウディアがじーと匠哉の背中を見ている。
「なら仕方あるまいな。豆腐ハンバーグは諦めて、夕飯は冷奴がテーブル一杯に並ぶ豆腐祭りといこう」
「……ぇ」
「本気でショックを受けるな! 分かった分かった、和風麻婆豆腐にする」
 初めの頃はどうなるかと思われていた共同生活だったが、匠哉の恐るべき適応能力によって順調に進んでいた。
 今では料理だけではなく、洗濯や掃除も匠哉が行っている。
「今日も朝飯は向こうで、昼飯はなしか?」
「……そう」
「そっか」
「…………」
 クラウディアは、己がクラウンのメンバーである事を匠哉に明かしてはいない。
 様々な点から考えて、明かさない方がよいと判断したのだ。
「……行って来る」
「おう、行ってらっしゃい」
 家を出る。真っ直ぐ、クラウンの本陣へと向かう。
 レイン製の朝食を食べながら、今日はどうするかと考える。
 最近は平和で、やる事がない。そういう場合は、本陣の警備が仕事となるのだが。
 食堂を出て、廊下を歩いていると――並んで歩いている、緋姫と晴良を見付けた。
「……プリンセス、何かあった?」
「ああ、クラウディアさん。例の中国人がようやく吐いたらしいので、話を訊きに行こうかと。クラウディアさんも来ます?」
 例の中国人――チャイニーズ・マフィアを襲撃した際、連れて来た男である。
 何を喋ったのか、クラウディアも興味はあった。
「……行く」
「分かりました。では、向かいましょうか」
 緋姫が答えた後――晴良が、くすりと笑った。
 ……クラウディアは、どうしてもこの男が好きになれない。向かい合うだけで、魂を吸われるような悪寒がする。
 2人の後を追い、とある部屋に入る。
 そこには――
「……っ!!?」
 例の男が、台の上に手足を縛り付けられていた。
 指の1本2本、あるいは手足の1本2本くらいは潰されているだろう、とクラウディアは予想していたが――それ以上の光景が、眼前には広がっている。
 男は腹を開かれた上に肋骨を外され、内臓が全て見えていた。さらに――頭皮と頭蓋骨の上部が切除されており、桃色の脳味噌が晒されている。
 ……それでも、男は生きていた。
 切られたのは外側だけであって、生命維持に必須な臓器は一切傷付いていない故に。
「頼むよッ!! お願いだから、俺の身体を元に戻してくれぇッ!!!」
 天井の鏡に映る、自身の姿。
 男はそれを見ながら、泣き叫んでいる。
「……ッ」
 吐き気を堪える、クラウディア。
 彼女は人殺しだ。倫理的な嫌悪を感じる事はない。
 しかし、生理的な嫌悪はどうしても感じる。人間であるからには、それは避けられない。
 なのに――緋姫と晴良は、顔色も表情も変えなかった。
「……晴良。貴方、外科の技術でもあるの?」
 これを施したのであろう、白色の男に尋ねる。
 晴良は微笑んで、クラウディアの疑問に答えた。
「専門ではないけどね。研究所ラボにいた頃、友人から人体について詳しく教わった。解剖を手伝ったのも、1度や2度じゃない」
 言った後、男に歩み寄る。
 ガンと、台の足を蹴った。
「ほら、もう1度言うんだ。素直に歌えば助けてやる。何故、あの場に中村美空がいた?」
「う、うちの組は、オベリスクと反クラウン共同戦線を張る事になってたんだよッ!!! そのための会合だッッ!!!」
 クラウディアは納得した。予想出来なかった答えではない。
 緋姫が、1歩前に出る。
「あの拳法家は何者ですか? 藍華とかいう、あの娘です」
「あいつは香主シャンジュウが本国から連れて来たボディ・ガードだよッッ!!! た、確か、和勝和ホウシェンホウで兵隊をやってたとかいう凄腕だッッ!!! もういいだろ、俺を助けてくれぇッッ!!!!」
「……そうですか」
 緋姫は、男に背を向けた。
 その背に、晴良が声を掛ける。
「どうする? いつも通り、内臓業者にでも売るかい?」
「――什麼シェンマッ!!? お、おい、お前等ッ!!! な、なな何を――」
「いえ。晴良さん、最近この辺りに死体を高く買う集団が出るのは知っていますよね? 殺して彼等に売りましょう。内臓売るより、高くなるらしいですよ」
「こんなに解体してるけど、買い取って貰えるのかな?」
「損壊の具合は値段に影響しないそうです。価値を決めるのは、新鮮さだとか」
「ふふふ……成る程。了解した、プリンセス」
「貴様等ァァァッッ!!! 這個王八蛋們ジャガワンパータンメンッ!! 小日本鬼子シャオリーベンクィズ――ッッ!!!!」
 男の絶叫を何事もないように聞き流して、緋姫は退室する。
 後に続く、クラウディア。
「クラウディアさん。今の話、どう思いますか?」
「……オベリスクとマフィアの同盟は、別に驚くべき事でもないけど――」
「問題は、襲撃をした際の撤退の早さですね」
 クラウンが、彼等の本陣を襲った時。美空は兵が残っているにも関わらず、早々に逃げた。
 美空だけではなく、香主――マフィア頭目の、護衛として来日したはずの藍華まで。
「同盟を企んでいたのに、あっさりと同盟相手を見捨てたオベリスク。明らかに妙です」
「……それによく考えると、同盟する価値があるのかどうか分からない。オベリスクが、兵隊の数に困っているとは思えない」
「そうですね。三流マフィアを引き入れなければならない程、彼等は人員には困っていないでしょう。オベリスクが高めなければならないのは、数ではなく質です」
「……!」
 その言葉で、クラウディアは頷いた。
 視線で尋ねると、緋姫は肯定の頷きを返す。
「……目的は、最初から藍華だけ」
「ええ。同盟は藍華に近付くための口実で、オベリスクの真の目的は彼女を引き抜く事だった。あの襲撃は――藍華にとっては、マフィアから逃げるいい機会だった訳ですよ」
 マフィアなど、既に藍華にとってはどうでもよかった。
 クラウンによって組織が滅ぼされ、彼女はこれ幸いとオベリスクに移籍したのだ。
「何やら、戦の匂いがしますね」
「…………」
「クラウディアさん。抜けたければ、抜けてもいいんですよ?」
「……え?」
 突如放たれた言葉は、青天の霹靂だった。
 緋姫は振り返り、クラウディアの顔を直視する。
「貴方が他の皆程、忠実でないのは何となく分かっていますから。こんな事に、最後まで付き合う必要はありませんよ。下らないでしょう?」
「…………」
 忠臣でないのは、確かな事実。
 クラウディアは緋姫を疑問に思い、その命に逆らって、匠哉を生かしている。
 でも――
「……いい。私には、私の目的があるから。それに――1人くらいは私みたいなのがいないと、貴方達は暴走しそうだし」
「そうですか」
 大した感慨もなさそうに、緋姫は呟いた。
 構わず、クラウディアは告げる。
「……貴方は他人の事より、まずは自分の事を何とかしないといけない。クラウンを率いて、イースト・エリアを制して――それで、貴方に何が返って来るの?」
「それは――……」
「……返って来る訳がない。貴方はこの世界を必要としていない。不用な世界から、有用な何かが得られるはずがない。あのレインだって、いないよりはいる方がマシ――その程度なのでしょう?」
「…………」
 返答は、帰って来なかった。
 それは否定か、あるいは肯定なのか。
 ……世界を、必要としていない。それは、『死』によってこの世界から去ろうとしていた誰かと似ていて――クラウディアは、不愉快な気分になる。
「別に、返って来なくても構いませんよ。何かが欲しくてやってる訳じゃないですし」
「……だから、私は貴方が信用出来ないの。無欲の奉仕ボランティアでこんな事をやるなんて、凡人の私から見れば狂気の沙汰だとしか思えない」
「なら、貴方はクラウンに何を求めているんですか? 何が欲しいのですか?」
「……幸せ。お金でも、達成感でもいい。愚か者の貴方とは違って、私はクラウンを通してそれを手に入れる事が出来る」
「幸せ、ですか……?」
「……貴方はさっき、下らないでしょうと私に問うた。でも私は、下らないだなんて思っていない。むしろ充実している。ねえ、どうしてそんな事を訊いたの? 貴方は――下らないと思っているの?」
「――……」
 もはや言葉を返す事もなく、緋姫は歩き去って行った。
 溜め息をつく、クラウディア。クラウンの首領が抱える欠損――皆は気付いているのだろうか?
(……気付いてるんだろうな)
 それでもなお、それぞれの理由で緋姫に従っているのだ。
 付き合うこっちの身にもなって欲しい、と自分を棚に上げてクラウディアは思う。
「……戦の匂い、か」
 クラウンは強い。敗北が想像出来ない程に強い。
 ……しかしその強さは、ツギハギだらけ。






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