「あー、ヒマだねー……」 壇上の部長席で、マナはかったるそうに呟いた。 やる事がないのなら集めないで欲しい、と緋姫は思う。緋姫だけではなく、ほとんどの部員がそう思っているのだが。 その上――今日は、匠哉がいない日だ。こうしているのは時間の浪費以外の何物でもない。 周りを見る。他の部員達も、ヒマそうに菓子を齧っていた。飛鳥から貰ったものを、緋姫が皆に裾分けしたのだ。 「ふぅ……」 机に突っ伏す、緋姫。 少しずつ、眠気が迫り――彼女は、瞼を下ろした。 ――同時刻、渡辺家。 月見マナは、メイド用の休憩室に足を踏み入れる。 「メイド長。学校の後輩から御菓子を頂いたので、御裾分けを――って、ありゃ?」 机には、かつての主と同じように眠る――メイド長。 歩み寄る月見。 「完全に爆睡してる……ま、休憩時間はまだあるし、ほっとくか」 月見は別の机に座り、1人でムシャムシャと菓子を喰らう。 ――眠る、少女達。 その夢路は、懐かしい過去へと続いてゆく。
深夜。 イースト・エリア――チャイナ・ブロック。 華僑やチャイニーズ・マフィアが住むその地区を、1台の軽トラックが疾走していた。 ハンドルを握っているのは、飛鳥。荷台にはビニール・シートが掛けられ、中身を窺う事は出来ない。 「……こんな真夜中に、御苦労な事ね」 前方には検問。2人の中国人が、トラックを制止しようとしている。 飛鳥は、開けっ放しの窓から腕を出す。 その手に握られているのは――愛用の拳銃、Cz75前期型。 途端に2人の中国人の額に穴が開き、トラックは検問を突破した。 そして――タイヤを滑らせながら、とある建物の中に停車。 チャイナ・ブロックで力を伸ばしている、チャイニーズ・マフィア。その本陣である。 ……シートが、内側から取り払われた。 荷台には少年少女――クラウンのコア・メンバーと、据え付けられたM2重機関銃。 緋姫が、M2のグリップを握る。 ――掃射。次々と送り込まれる12.7o弾を、容赦なく建物の中へと撃ち込む。 悲鳴。悲鳴。悲鳴。 M2の弾を撃ち尽くすと――緋姫は、P90に初弾を込めた。 「――突入!」 緋姫の号令と共に、彼女達は荷台から飛び降りる。 建物のドアを破り、手榴弾を投げ入れる。爆発の後、屋内に入り込んだ。 立ち込める、血と火薬の香り。掃射と爆破によって生み出された、人間だったモノ。 だが、彼女達は興味を示さない。問題はいつだって、死んでいる人間よりも生きている人間だ。 「オラ出て来いよ、腐れ中国人どもッッ!!!!」 突入したメンバーで、唯一の男性――三山音彦が、笑いながら叫ぶ。 その挑発に乗った訳ではないだろうが、隠れていた中国人が身を出して銃を向けた。 しかし相手が引き金を落とすより早く、音彦の回転式拳銃――レイジングブルが、敵を撃ち斃す。 さらに敵。だが―― 「……遅い。蚊が止まる」 クラウディアが操る二挺のペリカーノが、その頭に赤い穴を開けた。 力の差を感じた何人かの敵は、脱兎の如く逃げ出す。しかし、彼女等がそれを追う事はない。 何故なら――建物に出た途端、彼等は頭を撃ち抜かれて絶命する定めにあるからである。 ……緋姫達が突入した建物から、100m程離れた廃ビル。 そこには――MSG90狙撃システムを構えたレインが、虎視眈々と獲物を狙っている。 ……銃火により、敵を蹂躙するクラウン。 元々、初撃で与えたダメージが大きい。彼女達は、息絶え絶えな敵を掃討するだけでよい。 はず、だったのだが。 「――ッ!? 皆さん、下がって!!」 緋姫の一声。 理解出来ずも、従う音彦とクラウディア。 ――瞬間。 「ゾロゾロと、馬鹿が雁首揃えて来ましたね……」 陰から飛び出して来た少女が、緋姫にスチェッキン機関拳銃を向けた。 緋姫と少女――共に、相手の銃撃から逃げながらも射撃。 「――美空ぁッ!!?」 その少女の名を、信じられない様子で叫ぶ音彦。 ここは、チャイニーズ・マフィアのアジトだ。彼女がいる道理はないはず。 が、悠長に見物している時間はなかった。 「小日本人、余所見してると死ぬネ」 声が、背後から聞こえた。 跳び退いたクラウディアと音彦を、砲弾のような拳が掠める。 拳撃の主は、緋姫達と大して変わらない少女。いかにも中国人らしく、髪を団子にして纏めている。 ただ、戦場の中にいながら――その眼を閉じている事が、不審と言えば不審だった。 反撃する、クラウディアと音彦。しかし少女は、雑技のような身のこなしで銃撃を躱し、柱の陰へと隠れる。 「哎呀、服に掠ったカ。類人猿にしては道具の使い方が上手いネ。褒めてあげるヨ」 「ほざくなよ、中国豚。家畜の分際で人様に話し掛けんじゃねぇ。国に帰って犬でも喰ってろ」 「じゃ、まずは敗け犬から喰う事にするカ」 少女が床を蹴った。 音彦とクラウディアは銃を連射するが、少女はひょいひょいと躱してしまう。 クラウディアの懐へと潜り込んだ少女は――ダンッッ!!!! と大きな音を立て、踏み込みで床を陥没させた。 震脚と共に打ち出された拳は、想像を絶する衝撃でクラウディアを突き飛ばす。 「……う、ぁああっ!!?」 「チッ――この役立たず、足引っ張んじゃねえッ!」 クラウディアに毒口を浴びせながらも、少女との交戦を続ける音彦。 ……もう1度、舌を打つ。 数歩先では、緋姫と美空の銃撃戦が続いていた。 とは言え――いくら美空が強力でも、緋姫に勝る事はあるまい。 (となると、問題はこっちか……!) 少女の寸勁が、音彦を襲う。 超近接距離。拳を加速させる距離が短いにも関わらず、当たれば無事では済まないと勘が警告する。 「どうかネ、私の技ハ?」 「大した事ねぇな、中国人。パンダの方がまだ見てて楽しい」 「ハ――口だけは達者ネ!」 音彦の顔面を砕こうとする、少女の蹴り。 それを見て―― (――ハッ!!) 音彦は、内心で嗤った。 視界の隅に、見えたのだ。クラウディアが、少女に銃を向けているのが。 少女は蹴りの動作中だ。例え気付かれたとしても、地に付いてるのは片足だけ。逃れる事など出来まい。そもそも、蹴りの動作を急停止させるのは不可能だろう。 顔を、腕で護る音彦。折られるだろうが、それで難敵を討てるなら安いものである。 ……クラウディアと音彦は、勝利を確信した。 なのに――少女は、音彦が不可能と断じた蹴りの停止をやってのける。 「……ッ!!?」 驚愕する2人だったが、手を止めはしない。 足を止めただけだ。両足を地に付かなければ、逃げるのは無理だ。 引き金を絞るクラウディア。 必殺――しかし少女は片足だけでバネのように跳躍し、銃撃を躱してしまった。 「……マジかよ。バケモンか、あの中国人」 呆ける音彦。あの少女には、戦闘の常識――否、人間の常識が通用しない。 空中でくるくると回転し、美空の傍に着地する少女。 「……美空、そっちはどうカ?」 「戦闘を続ければ、いずれは勝てます。しかし藍華、ここでの勝利に大きな意味はありません」 「言い方が素直じゃないネ。じャ、さっさとずらかるヨ」 美空が弾幕を張り、それに隠れて2人は逃亡する。 「――待ちなさいッ!」 緋姫は叫ぶが、それを聞くはずもなく。 美空と藍華は、窓から飛び出す。 「チ――ッ!!」 舌打ちする緋姫。 追撃したいが――まずは、残っている中国人を掃討しなければならない。 ……2人は、夜のイースト・エリアへと消える。 イースト・エリアの某所、クラウン本陣。 大火災によって廃校となった、旧星丘高校。その校舎を、クラウンは拠点としている。 校内の一室には、グループのコア・メンバーが集結していた。突入をした3人の他にも、運転手の飛鳥、狙撃手のレインの姿もある。 そして――作戦の間、本陣を守護していた白色の魔人も。 晴良は微笑しながら、緋姫に語り掛ける。 「それで結局、2人程逃がしてしまった訳だ」 「構いませんよ。あれだけの損害を受ければ、本国から増員が来ない限り連中は再起不能です。奴等の密売ルートはお終いですよ」 「いやいや、僕が言ってるのはそういう事じゃない。皆殺しに出来なかった、それを問題にしてるのさ。殺るからには、皆殺しにする――それが君の流儀であり、僕が好きな君の美徳だったのに」 「……貴方の趣味なんて、どうでもいいです」 そこで、飛鳥が軽く手を上げた。 呆れたように、発言する。 「プリンセスに同感。それに今は、考えなきゃならない事があるでしょう?」 「……中村美空が何故、あの場にいたか」 「そう。もしかしたら、面倒な事なのかも知れないわよ?」 クラウディアの返答を肯定し、飛鳥は言を続けた。 クラウンと敵対するグループの中で、最も大きな勢力を持つ――オベリスク。美空は、その副リーダーである。彼女があの場にいた事は、いかにも剣呑だ。 緋姫は、一考した後に。 「考えても、気力の無駄ですね。せっかく生き残りを1匹持って帰って来たんですから、拷問して吐かせましょう」 「おいプリンセス、ありゃ全身にトンネル掘られて死に掛けだぜ? 拷問なんてしたら、ゲロする前に逝っちまうんじゃねえの?」 音彦が口を挟む。 だが緋姫は問題にしない。その答えは、もう出ている。 「晴良さん、任せました。貴方、人間を上手く痛め付けるのは得意でしょう?」 「粉々に砕く方が得意なんだけど。まぁいい、任されたよ。とは言え……まずは喋れるようになるまで回復させないといけないから、多少は時間が掛かる」 「面倒な話ですね」 「君達が、もう少し考えて痛め付けてくれればよかったんだけどね」 「……とにかく、お願いします。と、クラウディアさん」 突如話を振られ、僅かに驚くクラウディア。 それが、顔に表れる事はないが。 「明日、貴方には予定がありませんでしたね? 頼みたい事があるのですが」 「……何?」 「最近、私達の支配区域にスリが出るんです。掏ると同時に、韋駄天のように走り去るとか。スリなんて小者、本来なら見逃すんですが……被害件数がとにかく多い。うちのメンバーにも被害者がいますし、これ以上勝手をさせるのはクラウンの沽券に関わります」 「……見付けて殺せ、と?」 「ええ。生かしておく理由もありませんし」 「……分かった」 「お願いしますね。では、解散にしましょうか。今日はご苦労でした――お休みなさい」 部屋から去る緋姫。無言無表情のレインが、音もなく後に続く。 「おいモヤシ、ちゃんとゲロさせろよ? ミスりやがったら、プリンセスはお前の頭に便利な穴を開けるだろうさ」 「心配無用だよ、音彦。これでも、生き死にを調節するやり方はよく知っている」 笑う、晴良。 舌打ちをし、音彦はその忌まわしい笑みから眼を逸らす。 「……そうかい。オレとしては、頭に穴が開く方が望ましいがね。覗き込んで、何が見えるかレポートしてやるぜ」 音彦が退室する。晴良も、部屋から去った。 疲れるわね――とぼやきながら、飛鳥も部屋の外に消えた。 「…………」 クラウディアは、明日の任務を思う。 ――スリ討伐。楽な仕事だ。 翌日。 緋姫はいつもと同じ時間に、はっきりと眼を醒ました。 睡眠時間は、ちょうど240分。これも、いつも通りである。 そして――いつも通り、隣で寝ていたレインは既にいない。彼女は今頃、朝食を用意しているはずだ。 クラウンの頭目たる緋姫が、別の誰かと寝床を共にするというのは問題だ。いつ、寝首を掻かれるか分からない。 しかしレインは、緋姫のために己の舌を切り落とした程の忠臣である。彼女が裏切るとは考えられない。 もし、レインが裏切るようなら――緋姫はもういっそ、殺された方がマシだ。 「…………」 窓の、外を見る。 大欠伸をしながら、やって来る音彦。飛鳥のバイクが突っ込んで来て、慌てて跳び退く。 「おいそこの糞アマァッ!! その目玉は何のために付いてんだ!! 前が見えないのなら売りやがれ、テメェの濁った眼でも菓子くらいは買えるだろうからなッ!!!」 「あら御免なさい、余所見してたわ。貴方が視界に入るのが嫌だったから、前を見れなかったの」 微笑ましい遣り取りを交わしながら、校舎に入る2人。 しばらくの後、晴良が陰気を撒きながらやって来た。 あの男は間違いなく、存在するだけでこの辺りの治安を30%は悪くしている。それを埋めて余りある活躍をしているので、文句は言えないのだが。 クラウディアは来ない。昨日任せた任務に、自宅から直接向かうはずだ。 「……あ」 そこで、緋姫はふと思った。 皆の、朝食を作っているレイン。彼女はクラウディアの分まで作ってはいないだろうか? 有り得る話である。レインは戦闘時は頼もしいが、それ以外では少々惚けっとし過ぎている。 確かめに行こうかと思ったが――止めた。作り過ぎたとしても、誰かに分ければよいだけだ。大食のレイン自身が平らげる可能性も高い。 緋姫は護身用のFive-seveNを手に取ると、皆の元へ向かう。 「…………」 クラウディアは1人、街中を歩いていた。 スリを見付けるのはいいのだが、一体どうすればいいのだろうか。相手の人相風体は、まったく分からないのだ。 判明しているのは、男であるという事だけ。成る程住人の半分は犯人候補から消えるが、それでも多い。 楽な仕事ではあるが――面倒でもあった。 とりあえず情報屋でも回ろうか、と思った時―― 「……と、すいません」 少年が、クラウディアの肩にぶつかった。 人通りは多い。肩がぶつかるくらい、珍しくはない。 ただ1つ、クラウディアが気になったのは―― (……『すいません』?) その少年が、謝った事だった。 イースト・エリアは無法地帯である。謝罪の言葉なんて、滅多に聞く事はない。むしろ、ぶつけた方が難癖付けて乱闘になるくらいだ。 『外』から来た、この街の事をまだ分かっていない人間だろうか――と、クラウディアは考える。 そういう人間がまずしなければならない事は、金を稼ぐ手段を見付ける事。新入りが商売なんて出来るはずがないし、『外』の者がいきなり血の流れる事をするのも無理だろう。 となると――残るは、軽犯罪。 「……!?」 クラウディアはその時、自分の財布が掏られている事に気付いた。 振り返る。掏ったのは、間違いなくさっきの少年だ。 件のスリかどうかは分からないが――とにかく、財布は取り返さなくてはならない。 「……待てッ!!」 走り出すクラウディア。少年の背中は、まだそんなに離れてはいない。 だが――追われている事を察したのだろう、少年も駆け出す。 「……ッ!」 クラウディアは心中で、後悔の舌打ちをした。 走らずに忍び寄れば、追っていると感付かれる事はなかったはずだ。 悔いても仕方ない。レッグ・ホルスターからペリカーノを抜き、その無防備な背中に鉛弾を喰らわそうとした所で―― 「……なッ!?」 少年の背中が、異様に離れていると気が付いた。 遠い。これでは狙えない。外れた弾が、他の人間に当たっても面倒である。 ……速かった。クラウディアの想像よりも、遥かに。 緋姫の話を思い出した。どうやら、あの少年がターゲットのスリらしい。 ひとまず銃はホルスターに納め、少年を追う。撃つには近付かないといけないし、銃を握ったままでは僅かにスピードが落ちる。 全力で、追走する。 「……クッ」 なのに、差が縮まる様子はない。 クラウディアは、緋姫と共に戦場を駆ける戦士だ。身体能力は常人よりも高い。 ……それでも、追い付けない。 少年が、路地に入った。 路地は入り組んでいて迷路同然だ。少しでも離れれば、確実に見失う。 あのスリは、この辺りの地理を熟知しているようだ。 路地に踏み込むクラウディア。当然、少年の姿は見えないが――耳を澄まし、靴音を探る。 地理を熟知しているのは、クラウディアも同じだ。先回りも可能である。 ……駆ける。 曲がりくねった路地を抜け――遂に、少年の背中を間近に捉えた。 「……げッ!!?」 驚いたらしく、少年は下品な声を漏らした。 撃つには、まだ少し遠い。言い換えれば、もう少しで撃てる。 そこで――天の恵みか、少年の眼前に障害物が立ち塞がった。 乗用自動車が、路地の出口を塞ぐようにして停車している。 勝った、とクラウディアは思った。路地から出れず、少年は立ち止まる。その隙に射殺すればよい。 しかし―― 「りゃああああッッ!!!!」 「……ッッ!!?」 少年は、ロイター板がある訳でもないのに――跳び箱の要領で、自動車を越えてしまった。 車の前で、急停止するクラウディア。彼女とてこれくらいの障害は越えられるが、跳ぶための助走をしていた訳ではない。咄嗟に跳び越えるのは、さすがに無理だ。 ……少年が跳び越えると予想していれば、クラウディアも同じように越えて追う事が出来たはずだ。 それが出来なかったのは、油断していたから。相手を舐め、見縊っていた故だ。 「……ッ」 クラウディアは、唇を噛み締める。 「うわっはっはっ!! 今日も逃げ切ったーっ!!」 スリの少年は、勝利の大笑を上げた。 手には、クラウディアから掏った財布がある。 「……っても、ホントは走って逃げなくてもよいのがベストなんだが。どうして皆、掏られた事に感付くんだ……?」 『外』と同じ感覚で謝っているからなのだが、彼がそれに気付く事はない。 犯罪が多いから防犯意識も高いのかと勝手に結論を出し、財布を開く。 「おおぅ、結構入ってるな……ん?」 財布の中に、金以外の何かを見付けた。 ……カード・サイズの、薄型機械。 「こりゃ、CD-500S――って、追跡用発信機だとぉっ!!?」 背後で、人の気配がした。 振り返ると同時に――額に、銃口が向けられる。 「……フリーズ」 「あー……」 冷たい眼をしたクラウディアは、少年を睨め付けた。 絶体絶命の苦境に陥った彼は、とりあえず溜め息をつく。 「色を付けて財布返すから、見逃して……ってのはダメか?」 「…………」 普段だったら考えないでもないのだが、生憎緋姫から殺せと命じられている。 クラウディアの様子から、交渉の余地がない事を悟ったのか……少年は再び、肺から空気を吐き出す。 「じゃあ、仕方ないな」 「…………」 引き金を引こうとする、クラウディア。 しかし――そこで、おかしな事に思い至った。 少年の顔。『死』の恐怖を――まるで感じていないように見える。 戦闘の興奮の中でなら、恐怖を感じる間もなく死ぬ事もあるだろう。しかし、今は明らかに違う。 「……どうして?」 「ん?」 「……恐く、ないの?」 「――……」 彼の表情に、疑問の色が浮かんだ。 お互いに疑問顔で、見詰め合う2人。さぞや奇妙だろうと、クラウディアは我が事ながら思う。 「なぁ。そのヘンテコな拳銃、口径は? 9mmくらいに見えるけど」 「……察しの通り、9mmだけど」 「じゃ、この距離で頭に撃ち込まれれば多分即死だな。即死――痛苦を感じる間もなく死ぬ、という事だ。痛くも苦しくもないのなら、何を恐れる必要があるんだ?」 「…………」 少年が言っている事は、正しい。 正しいが――何か、大前提からして間違えている。 しかし、クラウディアには関係がない。その額に穴を開けようとして―― 「……ッ」 気持ち悪くて、指を止めてしまった。 気付いてしまったのだ。この少年は――声ならぬ声で、殺してくれと言っている。 彼女が銃把を握るのは、闘うためだ。しかし今やろうとしている事は、自殺幇助と大差ない。 逃げる者、向かって来る者――生きようとする者なら、いくらでも撃った事があった。だけど、死のうとする者を撃った事はない。 ……どうすればよいのか、分からなかった。撃った事がない――つまり、初めての事なのだから。 この気持ち悪さは、ある事を思い出させた。とっくに忘れたはずの、初めて人を撃った時の気持ち悪さ。 「……く」 首を振る。緋姫からは、殺せと言われたのだ。クラウディアはそれを遂行するだけの話。 ……だが。 スリを殺したがっているのは緋姫であって、クラウディアではない。 なのにどうして彼女が、こんなに気分を悪くしなければならないのか。 ……クラウディアはレインではない。緋姫を全肯定出来る程、妄信的でも狂気的でもないのだ。 「おい……どうした?」 様子がおかしい事に気付いた少年が、心配そうに話し掛けた。 自分の心配は出来ないくせに、自分を殺そうとしている人間の心配は出来るらしい。 「……ッ」 それが、とても気に入らなくて――引き金に、力を込める。 (……どうして、こうなったんだろう?) クラウディアは、自問する。 結局――引き金を引く事は出来なかった。 かと言って、このままスリを続けさせる訳にもいかない。クラウディアが彼を殺していない事が発覚したら、逆臣と思われても文句は言えない。 さらには、外を歩かせるのも問題だ。どこから嘘が綻びるか分からない。 家に篭っていろと言ったが――少年はストリート・チルドレン。イースト・エリアに、篭れる家などありはしなかった。 ――結果。 「へぇ……いい所に住んでるんだな」 「…………」 クラウディアは、自宅に少年を連れて来ていた。 綺麗な建物ではないが、ライフラインが通ってるだけ他よりはマシである。 「で、だ。一体全体、どうしてこんな事になったんだ?」 「……分からない」 そうとしか言えなかった。 これより、二人三脚の共同生活である。昨日までは想像だにしなかった。 「……貴方。私の財布以外に、掏った物は何か持ってる?」 「いや、何も。今日掏ったのは、あの財布以外は全部処分したよ」 「……処分?」 「そう。大通りから離れた道を、大事そうに封筒抱えて歩いてる奴がいたんだ。金でも入ってるのかと思って、掏った――と言うか引っ手繰ったんだけど、中身は変な書類だったよ。不要だから捨てた」 「……書類って?」 「確か……『TOY SOLDIERS』が何たら、って書いてあったな」 トイ・ソルジャーズ――玩具の兵隊。 クラウディアはその名称に、聞き覚えがあった。 何だったか、思い出そうとした時―― 「……っておわッ!? レトルトばっか!」 少年の大声が、それを遮った。 見れば、彼は台所の棚を見て驚愕している。 クラウディアは料理が出来ない。朝食はレインに作って貰うが、夕食はレトルトである。 しかし――他人の家に入って、まずする事が台所のチェックとはどういう事だろう。 「はー……仕方ない。未だによく分からんが俺はここに居候するみたいだし、家賃として料理くらいしますかね」 「……料理、出来るの?」 「一応は。最近は路上生活だったから、ロクにやってなかったけどな。お前さん、これから外出の予定は?」 「……今日の事を、報告しに行かなければならない」 「報告……? ま、いっか。じゃあその時、肉野菜等を適当に買って来て。金銭的余裕がなければ、レトルトで創意工夫するけど」 「……構わない」 「よーし……って、うおッ!? 包丁が錆びて真ッ茶色になってる!?」 少年が、物凄く哀れむ眼でクラウディアを見た。 眼を逸らすしかない。 「……包丁も、買って来る」 「あと、手頃なフライパンもな。割れてるぞ、これ」 「…………」 やはり、蝿叩きに使っていたのはよくなかったようだ。 惨めな気分になるクラウディア。料理の勉強をしよう、と決意するのであった。 「あー……それと」 まだダメ出しが続くのか、とクラウディアが恐怖した時。 「そう言えば、まだ互いの名前を知らなかったな」 「……あ」 大切な事が抜けていたと、クラウディアは反省する。 そして――口を開いた。 「……私はクラウディア。クラウディア・笹河」 「クラウディア、ね。俺は月見匠哉。よろしくな」 それから、数日が経った。 朝――匠哉は欠伸をしながら、冷蔵庫を覗く。 「さーて、今日はっと……大量に余っている豆腐を何とかしないと」 一考。 よし、と結論を出す。 「じゃあこいつを――」 「……挽き肉には混ぜないで」 「――……」 先手を打たれた。 振り返ると、クラウディアがじーと匠哉の背中を見ている。 「なら仕方あるまいな。豆腐ハンバーグは諦めて、夕飯は冷奴がテーブル一杯に並ぶ豆腐祭りといこう」 「……ぇ」 「本気でショックを受けるな! 分かった分かった、和風麻婆豆腐にする」 初めの頃はどうなるかと思われていた共同生活だったが、匠哉の恐るべき適応能力によって順調に進んでいた。 今では料理だけではなく、洗濯や掃除も匠哉が行っている。 「今日も朝飯は向こうで、昼飯はなしか?」 「……そう」 「そっか」 「…………」 クラウディアは、己がクラウンのメンバーである事を匠哉に明かしてはいない。 様々な点から考えて、明かさない方がよいと判断したのだ。 「……行って来る」 「おう、行ってらっしゃい」 家を出る。真っ直ぐ、クラウンの本陣へと向かう。 レイン製の朝食を食べながら、今日はどうするかと考える。 最近は平和で、やる事がない。そういう場合は、本陣の警備が仕事となるのだが。 食堂を出て、廊下を歩いていると――並んで歩いている、緋姫と晴良を見付けた。 「……プリンセス、何かあった?」 「ああ、クラウディアさん。例の中国人がようやく吐いたらしいので、話を訊きに行こうかと。クラウディアさんも来ます?」 例の中国人――チャイニーズ・マフィアを襲撃した際、連れて来た男である。 何を喋ったのか、クラウディアも興味はあった。 「……行く」 「分かりました。では、向かいましょうか」 緋姫が答えた後――晴良が、くすりと笑った。 ……クラウディアは、どうしてもこの男が好きになれない。向かい合うだけで、魂を吸われるような悪寒がする。 2人の後を追い、とある部屋に入る。 そこには―― 「……っ!!?」 例の男が、台の上に手足を縛り付けられていた。 指の1本2本、あるいは手足の1本2本くらいは潰されているだろう、とクラウディアは予想していたが――それ以上の光景が、眼前には広がっている。 男は腹を開かれた上に肋骨を外され、内臓が全て見えていた。さらに――頭皮と頭蓋骨の上部が切除されており、桃色の脳味噌が晒されている。 ……それでも、男は生きていた。 切られたのは外側だけであって、生命維持に必須な臓器は一切傷付いていない故に。 「頼むよッ!! お願いだから、俺の身体を元に戻してくれぇッ!!!」 天井の鏡に映る、自身の姿。 男はそれを見ながら、泣き叫んでいる。 「……ッ」 吐き気を堪える、クラウディア。 彼女は人殺しだ。倫理的な嫌悪を感じる事はない。 しかし、生理的な嫌悪はどうしても感じる。人間であるからには、それは避けられない。 なのに――緋姫と晴良は、顔色も表情も変えなかった。 「……晴良。貴方、外科の技術でもあるの?」 これを施したのであろう、白色の男に尋ねる。 晴良は微笑んで、クラウディアの疑問に答えた。 「専門ではないけどね。研究所にいた頃、友人から人体について詳しく教わった。解剖を手伝ったのも、1度や2度じゃない」 言った後、男に歩み寄る。 ガンと、台の足を蹴った。 「ほら、もう1度言うんだ。素直に歌えば助けてやる。何故、あの場に中村美空がいた?」 「う、うちの組は、オベリスクと反クラウン共同戦線を張る事になってたんだよッ!!! そのための会合だッッ!!!」 クラウディアは納得した。予想出来なかった答えではない。 緋姫が、1歩前に出る。 「あの拳法家は何者ですか? 藍華とかいう、あの娘です」 「あいつは香主が本国から連れて来たボディ・ガードだよッッ!!! た、確か、和勝和で兵隊をやってたとかいう凄腕だッッ!!! もういいだろ、俺を助けてくれぇッッ!!!!」 「……そうですか」 緋姫は、男に背を向けた。 その背に、晴良が声を掛ける。 「どうする? いつも通り、内臓業者にでも売るかい?」 「――什麼ッ!!? お、おい、お前等ッ!!! な、なな何を――」 「いえ。晴良さん、最近この辺りに死体を高く買う集団が出るのは知っていますよね? 殺して彼等に売りましょう。内臓売るより、高くなるらしいですよ」 「こんなに解体してるけど、買い取って貰えるのかな?」 「損壊の具合は値段に影響しないそうです。価値を決めるのは、新鮮さだとか」 「ふふふ……成る程。了解した、プリンセス」 「貴様等ァァァッッ!!! 這個王八蛋們ッ!! 小日本鬼子――ッッ!!!!」 男の絶叫を何事もないように聞き流して、緋姫は退室する。 後に続く、クラウディア。 「クラウディアさん。今の話、どう思いますか?」 「……オベリスクとマフィアの同盟は、別に驚くべき事でもないけど――」 「問題は、襲撃をした際の撤退の早さですね」 クラウンが、彼等の本陣を襲った時。美空は兵が残っているにも関わらず、早々に逃げた。 美空だけではなく、香主――マフィア頭目の、護衛として来日したはずの藍華まで。 「同盟を企んでいたのに、あっさりと同盟相手を見捨てたオベリスク。明らかに妙です」 「……それによく考えると、同盟する価値があるのかどうか分からない。オベリスクが、兵隊の数に困っているとは思えない」 「そうですね。三流マフィアを引き入れなければならない程、彼等は人員には困っていないでしょう。オベリスクが高めなければならないのは、数ではなく質です」 「……!」 その言葉で、クラウディアは頷いた。 視線で尋ねると、緋姫は肯定の頷きを返す。 「……目的は、最初から藍華だけ」 「ええ。同盟は藍華に近付くための口実で、オベリスクの真の目的は彼女を引き抜く事だった。あの襲撃は――藍華にとっては、マフィアから逃げるいい機会だった訳ですよ」 マフィアなど、既に藍華にとってはどうでもよかった。 クラウンによって組織が滅ぼされ、彼女はこれ幸いとオベリスクに移籍したのだ。 「何やら、戦の匂いがしますね」 「…………」 「クラウディアさん。抜けたければ、抜けてもいいんですよ?」 「……え?」 突如放たれた言葉は、青天の霹靂だった。 緋姫は振り返り、クラウディアの顔を直視する。 「貴方が他の皆程、忠実でないのは何となく分かっていますから。こんな事に、最後まで付き合う必要はありませんよ。下らないでしょう?」 「…………」 忠臣でないのは、確かな事実。 クラウディアは緋姫を疑問に思い、その命に逆らって、匠哉を生かしている。 でも―― 「……いい。私には、私の目的があるから。それに――1人くらいは私みたいなのがいないと、貴方達は暴走しそうだし」 「そうですか」 大した感慨もなさそうに、緋姫は呟いた。 構わず、クラウディアは告げる。 「……貴方は他人の事より、まずは自分の事を何とかしないといけない。クラウンを率いて、イースト・エリアを制して――それで、貴方に何が返って来るの?」 「それは――……」 「……返って来る訳がない。貴方はこの世界を必要としていない。不用な世界から、有用な何かが得られるはずがない。あのレインだって、いないよりはいる方がマシ――その程度なのでしょう?」 「…………」 返答は、帰って来なかった。 それは否定か、あるいは肯定なのか。 ……世界を、必要としていない。それは、『死』によってこの世界から去ろうとしていた誰かと似ていて――クラウディアは、不愉快な気分になる。 「別に、返って来なくても構いませんよ。何かが欲しくてやってる訳じゃないですし」 「……だから、私は貴方が信用出来ないの。無欲の奉仕でこんな事をやるなんて、凡人の私から見れば狂気の沙汰だとしか思えない」 「なら、貴方はクラウンに何を求めているんですか? 何が欲しいのですか?」 「……幸せ。お金でも、達成感でもいい。愚か者の貴方とは違って、私はクラウンを通してそれを手に入れる事が出来る」 「幸せ、ですか……?」 「……貴方はさっき、下らないでしょうと私に問うた。でも私は、下らないだなんて思っていない。むしろ充実している。ねえ、どうしてそんな事を訊いたの? 貴方は――下らないと思っているの?」 「――……」 もはや言葉を返す事もなく、緋姫は歩き去って行った。 溜め息をつく、クラウディア。クラウンの首領が抱える欠損――皆は気付いているのだろうか? (……気付いてるんだろうな) それでもなお、それぞれの理由で緋姫に従っているのだ。 付き合うこっちの身にもなって欲しい、と自分を棚に上げてクラウディアは思う。 「……戦の匂い、か」 クラウンは強い。敗北が想像出来ない程に強い。 ……しかしその強さは、ツギハギだらけ。
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