闇の世界。 だがそれは、希望の光と対をなす絶望の闇ではない。そして、母の胎内のような温かい闇でもない。 例えるならば、バグ。 神の手違いで生じた、この世のバグマップである。 そんな忌まわしい世界に送られてくるのは、世界と同じ外れ者。死後に真っ当なあの世に――天国はおろか、地獄にさえも――逝けなかった、有象無象の塵芥どもである。 ……希望も絶望もない、無色で平坦な世界。 その闇の中に、マノン・ディアブルはいた。 願いを叶えるだけの機械。彼女の魂は天に召され、残り滓の魚骨はこんな世界に来るしかなかった。 「ヒマね……何か面白い事はないの?」 ちょこーんと体育座りで息をつきながら、つ○やきシロー。
「一曲、踊ってみようかしら?」 彼女を象徴するのは、やはりダンスだ。王子様を射止めるための武器。 ひとり、この闇の中で踊る自分をイメージしてみる。 ……虚しいにも程があった。射止めるべき王子様のいないダンスなど、少なくともマノンにとっては何の意味もない。 「ヒマね……」 再度、つぶや○シロー。 苦しい事がないのはよい事だが、楽しい事もないのは問題だ。 「退屈そうですね」 座っているマノンの頭上から、声が降って来た。 見上げる。眼に映ったのは、ジャパニーズ・キモノスタイルの女だった。 美しい女である。しかしその美しさは、精気を吸われちゃったりする系なのだが。 「あら、舞緒。そういう貴方も退屈そうね」 「いえ、そんな事はありませんよ? 私は人捜しの真っ最中ですから」 ――倉橋舞緒。生前は、サンフォールの教祖だった鬼女である。 マノンと彼女は、月見匠哉を殺し掛けた件について――平和的に話し合ったり、地獄的に殺し合ったりした過去がある。今は、それなりに和解しているが。 「……人捜し?」 生前の知り合いだろうか、とマノンは考える。 この女の、生前の知り合いと言えば―― 「ソフィアや鈴蘭なら、あっちの方にいたわよ」 「ソフィア? 鈴蘭? ええっと、何方だったでしょうか?」 「……ソフィアはともかく、鈴蘭は覚えておいてやりなさいよ。一応、それなりに活躍したんだから」 「はぁ……で、マノンさん。どこかで、ヴィンセントさんを見掛けませんでした?」 「ヴィンセント、って……ダニエル・ヴィンセントの事?」 「ええ、そうですけど」 出て来た名前に、マノンは若干驚く。 残念ながら、その捜索は徒労に終わる。何故ならば―― 「あの真面目過ぎる男が、こんな所に来るはずないでしょう。彼は、真っ当なあの世に逝ったわよ。宗教は知らないけど」 「……え? 私がここに来たのに、どうしてヴィンセントさんはちゃんと死んでいるのですか?」 「その台詞は本気で言ってるの? 徳の違いに決まってるでしょう。ちゃんと死にたかったのなら、ちゃんと生きるべきだったのよ」 「では、本当にいないのですか……」 落胆する舞緒。 その様子から、何やら大人の関係を感じるマノン。 「ねえ、どうしてあの男を追っ駆けてるの? 彼、妻子持ちよ?」 舞緒も、夫と息子がいるが。 「ふふ、その辺りは黙秘しましょう。しかし……一体どんな突然変異が起こったら、あのダメ父からあのパーフェクト娘が生まれて来るのでしょうね?」 「自分の事を棚に上げ過ぎよ。一体どんな突然変異が起こったら、貴方からあの息子が生まれて来るの?」 眼前の悪女を見る。 そして、最近匠哉の周りに現れた陰陽頭をイメージ。 ……見事に重ならない。 「ああ、明雅たんの事ですか。ふふ、私に似て可愛らしいでしょう?」 「似てるって……具体的にはどこが? まぁ確かに、顔に耳と眼と鼻と口があって、二足歩行する辺りは貴方とそっくりだけど。――と言うか、実の息子に『たん』っ!!?」 「萌えキャラに『たん』を付けて何か問題でも?」 「息子に萌えるなッ! それに、土御門明雅のどこに萌え要素があるのッ!!?」 「だって、あの子ったらツンデレなんですよ。私が死んだ今でも、毎日毎日私に対して咒いの言葉を吐いてるんです。もぅ、可愛くて可愛くて。デレにチェンジする日が待ち遠しいです」 「……そりゃあね。貴方の息子っていう理由だけで、生まれ育った倉橋家から追い出されたんだもの。呪いの言葉くらいは吐くでしょう。あと、デレに移行する日は世界がなくなるまで待っても来ないから」 「悪意のある解釈は止めてくださいな。明雅たんは私譲りの才を認められ、土御門家に迎えられたんです。栄転ですよ、栄転」 栄転だったら呪詛はないでしょう、とマノンは思ったが、口にはしない。 骨の髄どころか、遺伝子の一欠片までグリモワールに汚染された女。狂人には何を言っても無駄なのだ。 「……と、貴方にばかり構ってもいられないわね」 「お出掛けですか?」 「ええ。向こうの方に、友達のいないエルノって女がいるの。たまには相手をしてやらないと、いじけて鬱陶しいのよ」 「エルノ、というと……ああ、中途半端な敵キャラだったエルノさんですか」 「自分の組織のメンバーは覚えてないのに、どうして他人の組織のメンバーは覚えているの? そんなにソフィアと鈴蘭は嫌い? ……まぁとにかく、その中途半端なエルノよ。キャラ的にはミフェリア以上ヘレン以下の、本当に中途半端なあのエルノ」 立ち上がり、エルノの元に歩き出そうとするマノン。 が――不穏な気配を感じて、足を止めた。 「……っ!?」 空間が歪む。ここに来るべきではない何者かが、宇宙的な力で無理矢理この虚無の中側へと侵入しようとしている。 ……現れたのは、修道服の女。 ソフィアと同じ格好だ。しかし同じ修道女でも、内に孕んだ力は比較にならない。 全身が、危険を訴える。 人類を力の起源とするマノンは、この世界ではほとんど能力を発揮出来ない。闘うのは無理だ。 ……尤も。例え全開であろうと、マノンでは黒い修道女を討ち果たす事など不可能だが。 「やぁ、もう2度と出番がなさそうな方々。健やかそうで何よりだ」 ニヤリと笑いながら、舞い降りるマスケラ。 蹴られた。 「うぉう!? い、いきなり何をするんだい、マノン・ディアブルっ!?」 「黙りなさい。2度と出番がなさそうなのは貴方も同じでしょう」 「いや、私の出番はまだあると思うけどね。黒幕属性だし」 「第2部が始まってもう8話目なのに、ようやく登場という時点で既に先は絶望的よ」 不毛過ぎる言い争いをする、人外ふたり。 そんな中、何故か舞緒はじーっとマスケラを見詰めている。 「……? 私の顔に、何か付いているのかい?」 「失礼ですが……どこかで、御会いした事はあります? 職業柄、1度御会いした方の顔は忘れないのですが……」 「ほら、覚えてるでしょう? 皇居陰陽寮書庫の鳴羅――」 「――他神の空似だ。私と君は初対面だよ。うん、超絶的に初対面」 フフフと笑い、平然と嘘を言うマスケラ。 マノンは溜息をつく。付き合うのが面倒臭い。 「で、何の用? 私は貴方と違って、そこまでヒマではないのだけど」 「私とてヒマじゃない。古書をスキャナーで取り込んで、デジタル保存する仕事が山のように残っている」 「……なら、帰ってやりなさいよ」 「娯楽は労働を上回るんだよ。分かり易く言うと、いい加減飽きたので遊びに来た」 「帰りなさい」 冷たいマノン。 そんな彼女の態度に、マスケラは不満そうに唸る。 「むぅ……まぁいい。そちらがその気なら、こちらにも考えがある」 バッとマスケラが取り出したのは、黒く輝く石。 直径は、大体10センチ。多面体だが、それぞれの切子面は同一の形ではない。 「ここは常に暗いから、召喚も自由だ――出でよ! この者達を滅ぼせッ!」 闇の中に、何かが喚び出される。 初めは混沌に過ぎなかったそれは、すぐに人の姿を得た。 そう。マノンも、よく知っている者の姿を。 「……誰かと思えば。今後、出番のなさそうな男じゃない」 「出番なさそうとか言うなッ!」 霧神匠哉は、マノンに木刀の切っ先を向ける。 蟲螻を見るような眼で、キリタクを睥睨するマノン。 「で、何かしら? 可愛げがなさ過ぎて、直視するのも面倒なのだけど。私の視界に入るのなら、もう少し月見匠哉に似てからにしなさい」 「そうですか? 私は、こちらの方が好みですけど」 「奇矯ね、舞緒。なら、あの出来損ないは貴方にあげるわ。煮るなり焼くなり御好きにどうぞ」 「――勝手に話を進めるなぁッ!!!」 額に血管を浮かべて、キリタクは絶叫する。 何だか、死体弄りが趣味の女に引き渡されそうだったので。 「……本当に、狗が何の用よ?」 「狗って何だ! ……まぁいい。死に逝く者の戯言程度、寛大に聞き流してやるさ」 「…………」 「お前は、最初から気に入らなかった。邪神の手足として遣われるのは癪だが……いい機会だ、ここで処刑するッ!」 「――『南瓜の車輪』」 「ぬ? おい、ちょっと待――ぐぬわぁぁぁぁッッ!!!?」 2頭の馬(鼠からジョブチェンジ)に引かれたカボチャの馬車が、キリタクを轢き潰した。 まさに蹂躙。その対軍宝具っぽい一撃を受けたキリタクは、あっさりとくたばって消滅する。 「――下手ね。ステップからやり直しなさい」 相手をKOし、勝ち台詞を言うマノン。 さすがですね、と舞緒が微笑みながら拍手する。 「……と言うか。一体、何のためにアレを出したの?」 「いや、特に深い意味はないけど。しかし、やられるだろうとは思っていたが……まさか、あそこまで簡単にやられるとはね。にしても何、さっきの漢の宝具みたいな技は」 「今後の活躍に備えて、色々新技を開発しているのよ。漫画や小説を参考にして」 「じゃあ、私にも新技が必要かな?」 「貴方には必要ないわよ。まぁ、ヒマなら開発すれば?」 「……マノン・ディアブル。私はこう見えても外なる神だ。その気になれば、小指1つ動かさずに君を消滅させる事も出来る。それをしないのは、余りにも大人気ないからだ。神のプライドにも関わる。とは言え、私にも限界はあるんだ――君は、もう少し口に気を付けた方がいい」 「へー」 凄んでみるマスケラだったが、マノンは冷たい眼でスルー。 その光景の愉快さに、笑いを噛み殺す舞緒。 「……分かった。ならば、こうする」 例の気色悪い石を、高々と掲げるマスケラ。 ……石が、凄まじい魔力を放出する。 「何……!?」 尋常ではなかった。 この世界を内側から破裂させるかと思うほどの、莫大な力。マノンと舞緒は眉を顰める。 「来たれ我が偶像、千なる異形の1つよ――ッ!」 「……っ!!?」 混沌が闇を出入り口とし、形を得て現出した。 まず見えたのは、炎のように赤い三眼。黒いボディは、金属質でありながらも生命体のように脈動している。 「人工知能起動ッ!!! 跳梁しろ、ハウンター・オヴ・ザ・ダークッッ!!!!」 翼を広げ、時計仕掛けの邪神が奇声を上げた。 マスケラを内部に取り込み、黒いプロトイドルはさらに赤眼を燃え上がらせる。 「マノンさん、アレは……」 「ええ。地下暗黒帝国で、暗黒皇帝からパクった機体ね」 『人聞きの悪い事を! これは元から、私の貌だよ!』 ハウンターの瞳が、マノンと舞緒を捉えた。 かつて迦具夜とエリンが、玉兎とアザゼルの2機掛かりでようやく撃破した悪夢のプロトイドル。その狂気の魔力が、奔流のように叩き付けられる。 「えっと、マノンさん。これって、かなりまずい状況では……?」 「まずいわね。私は逃げるわ」 「……え? って、置いて行かないでくださいな!」 くるーりと回れ右をし、全力でダッシュするふたり。 ハウンターは翼に力を漲らせ、大きく羽撃く。ゆっくりと浮上し、生温い暴風を巻き起こしながら――マノンと舞緒を追跡する。 『ほらほら、逃げろ逃げろッ! 追い付かれたら、ブギーマンに喰われちゃったりするかもネッ!!』 「ムカつく……凄くムカつくわ……ッ!!!」 悪態を吐きながらも、逃げるしかないマノン。 この闇の中に、距離という概念はない。追い付かれないとイメージすれば永遠に追い付かれないし、追い付かれるとイメージしてしまえば瞬時に追い付かれる。 ……とは言え。背後からの絶望的な威圧感を受けながら、追い付かれないイメージを続けるのは容易ではない。 「ムカつく、って……マノンさん、今の台詞は淑女の発言ではありませんよ?」 「この全力疾走が、既に淑やかではないわよッ!」 走る。 後ろの邪神に追い付かれまいと、ふたりは必死で走る。足を止めれば、追い付かれるイメージをしてしまう。 「――……」 一瞬だけ、マノンは振り返った。 修道服のボクっ娘(死人)や十二単の美女(妖狐)が、ハウンターの起こす風に巻き込まれて吹っ飛ぶのが見えたが……マノンにとっては極めてどうでもよかったので、3秒で忘却する。 ――と、その時。 「な、何だ……?」 眼前で展開されている謎の光景に、絶句している女がいた。 しめたわ、とマノンは心中で笑う。 「エルノ! あのプロトイドルを何とかしなさいッ!」 「は? いきなり何事なのだ?」 「説明している時間はないわ! 貴方とヘズなら、相手が何であろうと必ず斃せる! ここで活躍すれば、第2部での復活も期待出来るわよッ! お前を斃すために地獄から蘇ったのだ、みたいにねッ!!」 「そ、それは……いいな!」 マノンの甘言にあっさりと乗せられ、ハウンターを見据えるエルノ。 舞緒は、目頭を押さえた。光の雫が散る。 「可哀想な人……!」 「あんな中途半端キャラでも、時間稼ぎくらいにはなるでしょう。さぁ、今の内に逃げるわよ!」 エルノは術素を操り、術式を起動。 魔砲のプロトイドル――ヘズを顕現させる。 『やるぞヘズ! 外典ではパッとしなかった私達だが、今度こそは――』 言い終わる前に、ハウンターは完全シカトで体当たりする。 その一撃で、脆くもヘズは大破。剥き出しになったコックピットから、ころりんとエルノが転がり落ちた。 「……時間稼ぎにすらなりませんでしたね」 「やっぱり、エルノはエルノか……少しでも期待した私が愚昧だったわ。2度とあいつの出番はないわね」 『はッはッはッ!! どうしたのかな、そろそろ手が届きそうだよ?』 ハウンターの真っ黒い腕が、スッ――と伸びて来る。 ……舞緒が、溜息をついた。 「マノンさん、私はここまでのようです」 「――!? 貴方……」 「ただの人間である私には、この辺りが限界ですね。私は西さんのように、イメージだけで世界を変えられる程の想像力はありませんから」 「…………」 「ここに残って、ハウンターを足止めします! マノンさんは、私に構わず逃げてください!」 「え? まぁ、当然そうするけど」 「――す、少しは引き止めてくださいなッ!」 舞緒は足を止め、背後を振り返った。 黒いプロトイドルが、怒涛の勢いで迫って来る。 「――天烏天兎扇」 純白と漆黒の鉄扇を、手に取った。 陰陽の扇は、巨大な太極の力を汲み上げる。 ――開く。 描かれている日の烏と月の兎が、力強い眼差しでハウンターを睨み付けた。 悠然たる、舞緒の姿。生身の人間による、プロトイドルの打倒――そのまさかを信じさせるような貫禄が、彼女にはあった。 ……倉橋舞緒。死して尚、衰えを知らず。 「バン・ウン・タラク・キリク・アク――!」 『――邪魔』 ぺちーん。 ハウンターの腕の一振りで、呆気なく舞緒は殴り飛ばされた。 ……キランと、お星サマになる。 「ま、勝てる訳ないわよね……常識的に考えて……」 どれだけ修行を積んだ人間であろうが、巨大ロボを倒すのは無理がある。 東○不敗でもない限り。 『さぁさぁ、盛り上がってきたッ! もうすぐ捕まえるゼーッ!』 「ちょ!? ちょっと、待ちなさいよッ!」 さっきまでのヒマが恋しい、とマノンは嘆く。 だが……こんな虚無の世界に放り込まれながらも、こうやって慌しく生活出来ているのは素晴らしい事なのだ。 それに気付いたマノンは、この奇妙な運命に感謝―― 「――するはずないでしょうッ!! ああもう、助けて匠哉ぁぁッッ!!!」 ダダダーッ!! と、駆け抜けるマノン。 「……ん? 今、誰かの声が聞こえたような……」 「何、また助けを求める美少女の声でも聞こえたの? 相変わらずのヘルイヤーだね」 「うっさい、貧乏神。そんな切実な幻聴などあって堪るか。ただ、何か聞こえた気がしただけだ」 「ふーん……でもそういうのって、気のせいで済ませると死亡ルートに入ったりするよねぇ」 「ああ言えばこう言う……どうすればいいんだよ、俺は?」
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