闇の世界。
 だがそれは、希望の光と対をなす絶望の闇ではない。そして、母の胎内のような温かい闇でもない。
 例えるならば、バグ。
 神の手違いで生じた、この世のバグマップである。
 そんな忌まわしい世界に送られてくるのは、世界と同じ外れ者。死後に真っ当なあの世に――天国はおろか、地獄にさえも――逝けなかった、有象無象の塵芥どもである。
 ……希望も絶望もない、無色で平坦な世界。
 その闇の中に、マノン・ディアブルはいた。
 願いを叶えるだけの機械。彼女の魂は天に召され、残り滓の魚骨はこんな世界に来るしかなかった。
「ヒマね……何か面白い事はないの?」
 ちょこーんと体育座りで息をつきながら、つ○やきシロー。


ビンボールハウス・レジェンド8
〜暗闇のフーガ〜

大根メロン


「一曲、踊ってみようかしら?」
 彼女を象徴するのは、やはりダンスだ。王子様を射止めるための武器。
 ひとり、この闇の中で踊る自分をイメージしてみる。
 ……虚しいにも程があった。射止めるべき王子様のいないダンスなど、少なくともマノンにとっては何の意味もない。
「ヒマね……」
 再度、つぶや○シロー。
 苦しい事がないのはよい事だが、楽しい事もないのは問題だ。
「退屈そうですね」
 座っているマノンの頭上から、声が降って来た。
 見上げる。眼に映ったのは、ジャパニーズ・キモノスタイルの女だった。
 美しい女である。しかしその美しさは、精気を吸われちゃったりする系なのだが。
「あら、舞緒。そういう貴方も退屈そうね」
「いえ、そんな事はありませんよ? 私は人捜しの真っ最中ですから」
 ――倉橋舞緒。生前は、サンフォールの教祖だった鬼女である。
 マノンと彼女は、月見匠哉を殺し掛けた件について――平和的に話し合ったり、地獄的に殺し合ったりした過去がある。今は、それなりに和解しているが。
「……人捜し?」
 生前の知り合いだろうか、とマノンは考える。
 この女の、生前の知り合いと言えば――
「ソフィアや鈴蘭なら、あっちの方にいたわよ」
「ソフィア? 鈴蘭? ええっと、何方だったでしょうか?」
「……ソフィアはともかく、鈴蘭は覚えておいてやりなさいよ。一応、それなりに活躍したんだから」
「はぁ……で、マノンさん。どこかで、ヴィンセントさんを見掛けませんでした?」
「ヴィンセント、って……ダニエル・ヴィンセントの事?」
「ええ、そうですけど」
 出て来た名前に、マノンは若干驚く。
 残念ながら、その捜索は徒労に終わる。何故ならば――
「あの真面目過ぎる男が、こんな所に来るはずないでしょう。彼は、真っ当なあの世に逝ったわよ。宗教は知らないけど」
「……え? 私がここに来たのに、どうしてヴィンセントさんはちゃんと死んでいるのですか?」
「その台詞は本気で言ってるの? 徳の違いに決まってるでしょう。ちゃんと死にたかったのなら、ちゃんと生きるべきだったのよ」
「では、本当にいないのですか……」
 落胆する舞緒。
 その様子から、何やら大人の関係を感じるマノン。
「ねえ、どうしてあの男を追っ駆けてるの? 彼、妻子持ちよ?」
 舞緒も、夫と息子がいるが。
「ふふ、その辺りは黙秘しましょう。しかし……一体どんな突然変異が起こったら、あのダメ父からあのパーフェクト娘が生まれて来るのでしょうね?」
「自分の事を棚に上げ過ぎよ。一体どんな突然変異が起こったら、貴方からあの息子が生まれて来るの?」
 眼前の悪女を見る。
 そして、最近匠哉の周りに現れた陰陽頭をイメージ。
 ……見事に重ならない。
「ああ、明雅たんの事ですか。ふふ、私に似て可愛らしいでしょう?」
「似てるって……具体的にはどこが? まぁ確かに、顔に耳と眼と鼻と口があって、二足歩行する辺りは貴方とそっくりだけど。――と言うか、実の息子に『たん』っ!!?」
「萌えキャラに『たん』を付けて何か問題でも?」
「息子に萌えるなッ! それに、土御門明雅のどこに萌え要素があるのッ!!?」
「だって、あの子ったらツンデレなんですよ。私が死んだ今でも、毎日毎日私に対して咒いの言葉を吐いてるんです。もぅ、可愛くて可愛くて。デレにチェンジする日が待ち遠しいです」
「……そりゃあね。貴方の息子っていう理由だけで、生まれ育った倉橋家から追い出されたんだもの。呪いの言葉くらいは吐くでしょう。あと、デレに移行する日は世界がなくなるまで待っても来ないから」
「悪意のある解釈は止めてくださいな。明雅たんは私譲りの才を認められ、土御門家に迎えられたんです。栄転ですよ、栄転」
 栄転だったら呪詛はないでしょう、とマノンは思ったが、口にはしない。
 骨の髄どころか、遺伝子の一欠片までグリモワールに汚染された女。狂人には何を言っても無駄なのだ。
「……と、貴方にばかり構ってもいられないわね」
「お出掛けですか?」
「ええ。向こうの方に、友達のいないエルノって女がいるの。たまには相手をしてやらないと、いじけて鬱陶しいのよ」
「エルノ、というと……ああ、中途半端な敵キャラだったエルノさんですか」
「自分の組織のメンバーは覚えてないのに、どうして他人の組織のメンバーは覚えているの? そんなにソフィアと鈴蘭は嫌い? ……まぁとにかく、その中途半端なエルノよ。キャラ的にはミフェリア以上ヘレン以下の、本当に中途半端なあのエルノ」
 立ち上がり、エルノの元に歩き出そうとするマノン。
 が――不穏な気配を感じて、足を止めた。
「……っ!?」
 空間が歪む。ここに来るべきではない何者かが、宇宙的な力で無理矢理この虚無の中側へと侵入しようとしている。
 ……現れたのは、修道服の女。
 ソフィアと同じ格好だ。しかし同じ修道女でも、内に孕んだ力は比較にならない。
 全身が、危険を訴える。
 人類を力の起源とするマノンは、この世界ではほとんど能力を発揮出来ない。闘うのは無理だ。
 ……尤も。例え全開であろうと、マノンでは黒い修道女を討ち果たす事など不可能だが。
「やぁ、もう2度と出番がなさそうな方々。健やかそうで何よりだ」
 ニヤリと笑いながら、舞い降りるマスケラ。
 蹴られた。
「うぉう!? い、いきなり何をするんだい、マノン・ディアブルっ!?」
「黙りなさい。2度と出番がなさそうなのは貴方も同じでしょう」
「いや、私の出番はまだあると思うけどね。黒幕属性だし」
「第2部が始まってもう8話目なのに、ようやく登場という時点で既に先は絶望的よ」
 不毛過ぎる言い争いをする、人外ふたり。
 そんな中、何故か舞緒はじーっとマスケラを見詰めている。
「……? 私の顔に、何か付いているのかい?」
「失礼ですが……どこかで、御会いした事はあります? 職業柄、1度御会いした方の顔は忘れないのですが……」
「ほら、覚えてるでしょう? 皇居陰陽寮書庫の鳴羅――」
「――他神たにんの空似だ。私と君は初対面だよ。うん、超絶的に初対面」
 フフフと笑い、平然と嘘を言うマスケラ。
 マノンは溜息をつく。付き合うのが面倒臭い。
「で、何の用? 私は貴方と違って、そこまでヒマではないのだけど」
「私とてヒマじゃない。古書をスキャナーで取り込んで、デジタル保存する仕事が山のように残っている」
「……なら、帰ってやりなさいよ」
「娯楽は労働を上回るんだよ。分かり易く言うと、いい加減飽きたので遊びに来た」
「帰りなさい」
 冷たいマノン。
 そんな彼女の態度に、マスケラは不満そうに唸る。
「むぅ……まぁいい。そちらがその気なら、こちらにも考えがある」
 バッとマスケラが取り出したのは、黒く輝く石。
 直径は、大体10センチ。多面体だが、それぞれの切子面は同一の形ではない。
「ここは常に暗いから、召喚も自由だ――出でよ! この者達を滅ぼせッ!」
 闇の中に、何かが喚び出される。
 初めは混沌に過ぎなかったそれは、すぐに人の姿を得た。
 そう。マノンも、よく知っている者の姿を。
「……誰かと思えば。今後、出番のなさそうな男じゃない」
「出番なさそうとか言うなッ!」
 霧神匠哉は、マノンに木刀の切っ先を向ける。
 蟲螻を見るような眼で、キリタクを睥睨するマノン。
「で、何かしら? 可愛げがなさ過ぎて、直視するのも面倒なのだけど。私の視界に入るのなら、もう少し月見匠哉オリジナルに似てからにしなさい」
「そうですか? 私は、こちらの方が好みですけど」
「奇矯ね、舞緒。なら、あの出来損ないは貴方にあげるわ。煮るなり焼くなり御好きにどうぞ」
「――勝手に話を進めるなぁッ!!!」
 額に血管を浮かべて、キリタクは絶叫する。
 何だか、死体弄りが趣味の女に引き渡されそうだったので。
「……本当に、狗が何の用よ?」
「狗って何だ! ……まぁいい。死に逝く者の戯言程度、寛大に聞き流してやるさ」
「…………」
「お前は、最初から気に入らなかった。邪神の手足として遣われるのは癪だが……いい機会だ、ここで処刑するッ!」
「――『南瓜の車輪パンプキン・ホイール』」
「ぬ? おい、ちょっと待――ぐぬわぁぁぁぁッッ!!!?」
 2頭の馬(鼠からジョブチェンジ)に引かれたカボチャの馬車が、キリタクを轢き潰した。
 まさに蹂躙。その対軍宝具っぽい一撃を受けたキリタクは、あっさりとくたばって消滅する。
「――下手ね。ステップからやり直しなさい」
 相手をKOし、勝ち台詞を言うマノン。
 さすがですね、と舞緒が微笑みながら拍手する。
「……と言うか。一体、何のためにアレを出したの?」
「いや、特に深い意味はないけど。しかし、やられるだろうとは思っていたが……まさか、あそこまで簡単にやられるとはね。にしても何、さっきの漢の宝具みたいな技は」
「今後の活躍に備えて、色々新技を開発しているのよ。漫画や小説を参考にして」
「じゃあ、私にも新技が必要かな?」
「貴方には必要ないわよ。まぁ、ヒマなら開発すれば?」
「……マノン・ディアブル。私はこう見えても外なる神アウター・ゴッドだ。その気になれば、小指1つ動かさずに君を消滅させる事も出来る。それをしないのは、余りにも大人気ないからだ。神のプライドにも関わる。とは言え、私にも限界はあるんだ――君は、もう少し口に気を付けた方がいい」
「へー」
 凄んでみるマスケラだったが、マノンは冷たい眼でスルー。
 その光景の愉快さに、笑いを噛み殺す舞緒。
「……分かった。ならば、こうする」
 例の気色悪い石を、高々と掲げるマスケラ。
 ……石が、凄まじい魔力を放出する。
「何……!?」
 尋常ではなかった。
 この世界を内側から破裂させるかと思うほどの、莫大な力。マノンと舞緒は眉を顰める。
「来たれ我が偶像、千なる異形の1つよ――ッ!」
「……っ!!?」
 混沌が闇を出入り口とし、形を得て現出した。
 まず見えたのは、炎のように赤い三眼。黒いボディは、金属質でありながらも生命体のように脈動している。
人工知能チクタクマン起動ッ!!! 跳梁しろ、ハウンター・オヴ・ザ・ダークッッ!!!!」
 翼を広げ、時計仕掛けの邪神が奇声を上げた。
 マスケラを内部に取り込み、黒いプロトイドルはさらに赤眼を燃え上がらせる。
「マノンさん、アレは……」
「ええ。地下暗黒帝国で、暗黒皇帝からパクった機体ね」
『人聞きの悪い事を! これは元から、私のモノだよ!』
 ハウンターの瞳が、マノンと舞緒を捉えた。
 かつて迦具夜とエリンが、玉兎とアザゼルの2機掛かりでようやく撃破した悪夢のプロトイドル。その狂気の魔力が、奔流のように叩き付けられる。
「えっと、マノンさん。これって、かなりまずい状況では……?」
「まずいわね。私は逃げるわ」
「……え? って、置いて行かないでくださいな!」
 くるーりと回れ右をし、全力でダッシュするふたり。
 ハウンターは翼に力を漲らせ、大きく羽撃く。ゆっくりと浮上し、生温い暴風を巻き起こしながら――マノンと舞緒を追跡する。
『ほらほら、逃げろ逃げろッ! 追い付かれたら、ブギーマンに喰われちゃったりするかもネッ!!』
「ムカつく……凄くムカつくわ……ッ!!!」
 悪態を吐きながらも、逃げるしかないマノン。
 この闇の中に、距離という概念はない。追い付かれないとイメージすれば永遠に追い付かれないし、追い付かれるとイメージしてしまえば瞬時に追い付かれる。
 ……とは言え。背後からの絶望的な威圧感を受けながら、追い付かれないイメージを続けるのは容易ではない。
「ムカつく、って……マノンさん、今の台詞は淑女の発言ではありませんよ?」
「この全力疾走が、既に淑やかではないわよッ!」
 走る。
 後ろの邪神に追い付かれまいと、ふたりは必死で走る。足を止めれば、追い付かれるイメージをしてしまう。
「――……」
 一瞬だけ、マノンは振り返った。
 修道服のボクっ娘(死人)や十二単の美女(妖狐)が、ハウンターの起こす風に巻き込まれて吹っ飛ぶのが見えたが……マノンにとっては極めてどうでもよかったので、3秒で忘却する。
 ――と、その時。
「な、何だ……?」
 眼前で展開されている謎の光景に、絶句している女がいた。
 しめたわ、とマノンは心中で笑う。
「エルノ! あのプロトイドルを何とかしなさいッ!」
「は? いきなり何事なのだ?」
「説明している時間はないわ! 貴方とヘズなら、相手が何であろうと必ず斃せる! ここで活躍すれば、第2部での復活も期待出来るわよッ! お前を斃すために地獄から蘇ったのだ、みたいにねッ!!」
「そ、それは……いいな!」
 マノンの甘言にあっさりと乗せられ、ハウンターを見据えるエルノ。
 舞緒は、目頭を押さえた。光の雫が散る。
「可哀想な人……!」
「あんな中途半端キャラでも、時間稼ぎくらいにはなるでしょう。さぁ、今の内に逃げるわよ!」
 エルノは術素ミーネを操り、術式を起動。
 魔砲のプロトイドル――ヘズを顕現させる。
『やるぞヘズ! 外典ではパッとしなかった私達だが、今度こそは――』
 言い終わる前に、ハウンターは完全シカトで体当たりする。
 その一撃で、脆くもヘズは大破。剥き出しになったコックピットから、ころりんとエルノが転がり落ちた。
「……時間稼ぎにすらなりませんでしたね」
「やっぱり、エルノはエルノか……少しでも期待した私が愚昧だったわ。2度とあいつの出番はないわね」
『はッはッはッ!! どうしたのかな、そろそろ手が届きそうだよ?』
 ハウンターの真っ黒い腕が、スッ――と伸びて来る。
 ……舞緒が、溜息をついた。
「マノンさん、私はここまでのようです」
「――!? 貴方……」
「ただの人間である私には、この辺りが限界ですね。私は西さんのように、イメージだけで世界を変えられる程の想像力はありませんから」
「…………」
「ここに残って、ハウンターを足止めします! マノンさんは、私に構わず逃げてください!」
「え? まぁ、当然そうするけど」
「――す、少しは引き止めてくださいなッ!」
 舞緒は足を止め、背後を振り返った。
 黒いプロトイドルが、怒涛の勢いで迫って来る。
「――天烏天兎扇」
 純白と漆黒の鉄扇を、手に取った。
 陰陽の扇は、巨大な太極の力を汲み上げる。
 ――開く。
 描かれている日の烏と月の兎が、力強い眼差しでハウンターを睨み付けた。
 悠然たる、舞緒の姿。生身の人間による、プロトイドルの打倒――そのまさかを信じさせるような貫禄が、彼女にはあった。
 ……倉橋舞緒。死して尚、衰えを知らず。
「バン・ウン・タラク・キリク・アク――!」
『――邪魔』
 ぺちーん。
 ハウンターの腕の一振りで、呆気なく舞緒は殴り飛ばされた。
 ……キランと、お星サマになる。
「ま、勝てる訳ないわよね……常識的に考えて……」
 どれだけ修行を積んだ人間であろうが、巨大ロボプロトイドルを倒すのは無理がある。
 東○不敗でもない限り。
『さぁさぁ、盛り上がってきたッ! もうすぐ捕まえるゼーッ!』
「ちょ!? ちょっと、待ちなさいよッ!」
 さっきまでのヒマが恋しい、とマノンは嘆く。
 だが……こんな虚無の世界に放り込まれながらも、こうやって慌しく生活出来ているのは素晴らしい事なのだ。
 それに気付いたマノンは、この奇妙な運命に感謝――
「――するはずないでしょうッ!! ああもう、助けて匠哉ぁぁッッ!!!」
 ダダダーッ!! と、駆け抜けるマノン。






「……ん? 今、誰かの声が聞こえたような……」
「何、また助けを求める美少女の声でも聞こえたの? 相変わらずのヘルイヤーだね」
「うっさい、貧乏神。そんな切実な幻聴などあって堪るか。ただ、何か聞こえた気がしただけだ」
「ふーん……でもそういうのって、気のせいで済ませると死亡ルートに入ったりするよねぇ」
「ああ言えばこう言う……どうすればいいんだよ、俺は?」






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