見るものを飲み込むような黒色の夜空で、光が踊っていた。青銅の小さな点は、しかし力強く輝きながら夜空を駆ける。青と白の軌跡を空に残しながら、滑らかな動きで踊る。時にはまっすぐ、時にはくるくると、動きを度々変えるその光を、カナは乙女心のようだと思った。思ってから鼻で笑った。ロマンがありすぎる。
「……しかし、意外とやれるじゃないですか」
 見知らぬ民家の屋根にカナは寝っ転がっている。両腕を頭の後ろで組み、包帯を隙間なく巻いた左足を投げ出して右足を立てている。カナは眼帯に覆われていない左目で空を見上げていた。
 夜空が一際強く光った。花咲くように光を四方に散らしながら消えたのだ。
「また一機撃墜、と。ペースは上々、あと少しで全機撃破。実用可能のレヴェルですね」
 搭乗者が負荷に耐えられるかが問題ですけど、と加えてカナは呟いた。
 と、カナは眉根を寄せた。近くに突然気配が現れたからだ。それもよく知っているものだ。
「こんなところで月見でおじゃるか。常々白状なやつでおじゃるね」
 攻めるような刺々しい声だ。カナは姿勢を崩さずに言う。
「参加しても私にメリットはありませんから。何の用ですか? あなたは連絡係ではありませんでしたっけ?」
「地上に現れた魑魅魍魎はほぼ討滅完了。出現箇所も押さえて、あとはあの塔を残すだけでおじゃる」
「そうですか。意外と早かったですね」
 カナはイースト・エリアの鎮圧よりも塔の消滅の方が早いと思っていた。だが思いのほか住民とその助っ人が奮闘したらしい。いつかの温泉旅館でゾンビをなぎ倒した時のことを思い出す。彼を慕っているのは彼女等だけではなかったということか。
「まったく、この街はゾンビとか凄い勢いでどーでもよくなってくるぐらい化物揃いでおじゃるよ」
「特異点とはいえ流石にこれほどの混沌は、ね」
「よく平気でいられるでおじゃる」
「平気なもんですか。――テンションが常にマックスです」
「で、さっきから何を見てるでおじゃるか?」
 無視された。まあいい。カナは気を取り直し、隠す必要もないので正直に答える。
「愛娘ですよ、元気に跳びまわってます」
「お前、子持ちだったでおじゃるか……!?」
「あなたの脳が哀れだということはよく分かりました。とっとと帰れ石娘」
 抗議の声が聞こえた気がしたが、事実を言ったまでなのでカナは無視した。
 再び夜空へと意識を戻す。
 光の踊りが終わっていた。軌跡が薄れ、光の動く速度が落ちてゆく。
 カナは身を起こして伸ばし、大きなため息をついてから、
「……さて、これからが本番ですよ。私の娘はどこまでやれますかね」
 ニヤニヤと笑みを浮かべながら再び夜空を見た。


貧家偽典・グッドナイトムーン
第七話『アビエイターは叶わぬ願いの夢を見る』

七桃りお 原作・大根メロン



 星丘市上空一千メートル。
 飛行機雲ヴェイパートレイルを纏う青銅の怪鳥のコクピットで、美空は一息ついていた。
 美空は柔らかな座席に尻を埋め、左右から突き出たバーを握っている。視線の先には三面鏡のようなコンソールウインドウがある。モニタにはやけに月の綺麗な夜空と、不気味な形をした巨大な塔が映っていた。見る者を不安にさせる奇怪な塔の半分から上は濃い雲に覆われており、その頂点を見ることはできない。
 周辺には何もない。塔を守護していた天使群は全て美空が破壊したからだ。
「……速度・旋回ともに申し分無し。まるで本物みたいです・・・・・・・
 息を吸い込み、バーを押し込んだ。
 途端、身体に前方から強い力がかかった。こちらを押し潰さんばかりの強い力だ。しかし美空にとって、それは身を委ねてしまうほどに安心できるものだった。三面モニタを見れば、夜景が高速で後方へ流れている。
 今、自分は空を飛んでいる。それがたまらなく心地よい。
「……さて、あたしの仕事はこれでお終いでしょうか」
 上空の敵は全て撃墜した。これから地上の手伝いをしてもいいし、不必要なら余った時間を迦具夜とともに過ごすのもいいだろう。むしろそれがいい。それにしよう。
 美空は勝手に一人納得し、再び三面モニタを見た。
 上空から眺めるイースト・エリアは壮絶だ。乱雑に建物が並び、倒壊し、荒廃している。大地がめくれるような大きな傷ですら、いまだ生々しく残っているのだ。その上今はいたるところで火災が発生していた。
 まさに地獄。美空は過去を思い出し、ぶるっと身を震わせた。
「――と、まだ交戦中ですか」
 三面モニタの脇にあるレーダーによると、迦具夜はどうやら取り囲まれているようだった。玉兎を示す白色の光の周囲に、未確認の熱源を示す赤色の光が六つあった。この程度でどうにかなるような迦具夜ではないだろうが、時間がかかるとその分だけ美空のアバンチュール・タイムが減ってしまう。それはいけない。
 美空はバーを深く押し込み、足元のペダルを蹴った。
 強いG。後方に流れていた夜景が、次は上方へと流れてゆく。モニタのイースト・エリアが鮮明になる。
「――――」
 言葉を失うというのはこういうことなのだろう、と美空は思考の端で思った。そんな状況ではないのに、あまりに荒唐無稽な光景すぎて現実味が感じられないのだ。
 モニタに映るのは、燃え上がるイースト・エリア。
 その一角に、白銀に輝く玉兎と――
「うそ……」
 クィーン・オヴ・ハート、ヘズ、ゴールド・ブル、アトラス、アザゼル、そしてステュンファロス。
 プロトイドルの軍勢が、変わらぬ姿でそこにいた。



 迦具夜にとって、それは悪夢としか言い様がない光景だった。
 空間を歪め、因果を捻じ曲げ、この世の理に逆らい顕現する巨躯。――その数六つ。
 圧倒的な質量の出現により、大気は暴れ大地は砕ける。玉兎を囲むように現れた鋼の巨人は、しかし敵意というものが微塵も存在していない。幽鬼のようにただそこに存在しているだけだ。
 思わず迦具夜は眼を擦る。何度瞬きしても、その幻のような光景は消えなかった。
 身が震える。鼓動が早鐘を打つ。心なしか頭痛もする。
 全ては終わったはずではなかったのか。あのプロトイドル達は、もうこの世に存在しているはずがないのに。
 正体不明の存在に、迦具夜は確かに恐怖していた・・・・・・。迦具夜は知らない。それこそが目の前の亡霊に肉を与える行為であることを。
 かくして、恐怖は現実のモノとなる。
「――――!!」
 大気を震わす咆哮。放ったのは玉兎の正面に現れた金色の偶像――ゴールド・ブル。
 金の巨像は雄々しき豪腕を振り上げ、大地を踏み抜きながら玉兎に迫る。
「ぁ……」
 身が竦み、玉兎を操ることが出来ない。ただただ眼前に迫る拳を呆然と見詰め――

 その時、流れ星が瞬いた。色は青銅。
「私の嫁になにしてやがりますかこの家畜がァ!!!」
 金色の巨躯が、横殴りの雷撃に吹き飛ばされた。

 ゴールド・ブルは大地を転げる。青白い火花を散らしながらビルをなぎ倒し、六つ目のビルにぶち当たってようやく停止した。瓦礫から四肢を投げ出した金の雄牛は、糸の切れた人形のように動かなくなった。
 呆然とする迦具夜の耳に、聞きなれた少女の声が響く。
「……しっかりしてくださいよ、気持ちは分かりますけど」
「み、美空ちゃん……」
「もう、弱弱しい声を出さないで下さい。そんな声を出していいのは私に虐められている時だけです」
「それはないっ!」
「その調子です、迦具夜さん。気を確かに持つんです。今目の前に広がっている光景は、確かに悪夢のようだけど――あなたは一度勝っているんですから」
 その一言。美空の力強い声のおかげで、迦具夜の中で渦巻いていた恐怖が霧散する。氷が解けるように、恐怖は気力となって染み渡ってゆく。震えが止まり、両手に力が戻る。
「――――」
 深く吐息を一つ。両手で己の頬を打った。頬も手も痛かった。
「……ありがとう、美空ちゃん。今始めて美空ちゃんが友達になってくれてよかったと思ったよ」
「迦具夜さんってツンデレなんですね!」
「玉兎の剣でツンツンしてあげよっか?」
「エンリョシマス」
「それでよろしい」
 さて、と。迦具夜は玉兎と同調した視界で敵を見据えた。
 プロトイドルとはオンリィ・ワンの存在である。故にこれらは本物ではなく――贋作。どういった原理かは知らないが、美空の駆る高速巡航系航空型試作一号機と似たようなものなのだろう。
 ならば話は早い。月見迦具夜はその全てのプロトイドルに勝利しているのだから。
「私とこの子ならやれる。もう一度あなたを信じるよ、玉兎」
「あのー、私は私は?」
「やかましいっ」
 しかしその声は、もはや騒音としかいえない咆哮によってかき消された。
 ビルの残骸に埋もれていたゴールド・ブルが、荒々しく起き上がる。次いで両手が変形し、内臓されていた推進装置が顕わになった。金の雄牛からは何の情も感じられない。
「――――!!」
 推進装置が火を噴いた。同時に雄牛が大地を蹴る。
 対して玉兎は静かに抜剣し、正眼に構えた。躱しはしない。ゴールド・ブルの体当たり――渾身のそれを正面から断ってこそ、迦具夜は迷いを振り払うことが出来るのだ。
「空間制限、開始――」
 細身の刀身と広げた双翼に光が灯る。双翼の加速器を緩衝装置にして、玉兎はゴールド・ブルの一撃を迎え撃つ。
 衝突までの刹那、迦具夜は思い出していた。かつてあった闘争の日々を。
 ……でも、私は生きている。そしてやらなくちゃいけないことがある。
 だからこそ、負けるわけにはいかない。その先にたどり着かなければならないのだから。
 故に迦具夜は虚空に叫ぶ。迷いも憂いも断ち切るように。
 常に自身とともに在った、必殺の言霊を。
「――『断解水月』!!」
 空をも切り裂く月の刃が、金の雄牛を一刀の下に斬り捨てた。



 空間断絶の衝撃で爆散する雄牛と動き出した群勢を見ながら、美空はほうっと息をつく。
「相変わらず惚れ惚れしますね。――じゃ、私も頑張らないと」
 バーとペダルを押し込んだ。加速する。
 コンソールウィンドウには、青銅の怪鳥が映っていた。それは美空の乗っている機体ではなく、突如として現れた偽のステュンファロスである。双翼を広げ追撃するその姿は美空にとって懐かしいものだった。
 美空が現在乗っている機体――高速巡航系航空型試作一号機には、変形機構もなければステータスも全く異なる。姿形こそステュンファロスの面影はあり、性能こそオリジナルに勝るとも劣らないが、まったく別物の存在だ。
 しかし美空はこの名で呼ぶ。
「行きますよ――ステュンファロス!!」
 さらに加速。機体が震える。まるで主の声に答えるかのように。
 群勢の中から飛び出した青銅の怪鳥に、冥府タルタロスより蘇ったステュンファロスが追いすがる。翼で空を裂く青銅の怪鳥よりも、大量の加速器に光を灯すステュンファロスの方が速い。
 加速器の青と水蒸気爆発の白。二重の軌跡を残しながら接敵し――次の瞬間、蒼白の雷撃を射出した。
 轟音を伴って真っ直ぐに喰らいつかんとする雷撃は、しかし青銅の怪鳥の急激な機首上昇ピッチアップで躱された。それは搭乗者を確実にブラックアウトさせるほど無茶な機動マニューバだ。
 人間が搭乗しているわけではないのか。美空は固定観念を捨て去り、青銅の怪鳥を追ってピッチアップを行う――が、反射的に動きを止める。直後、眼前を光弾が通りぬけた。
「な……!?」
 ステュンファロスを攻撃したのはヘズだった。四脚を深く大地へ突き刺し、その巨大な砲でステュンファロスを狙撃したのだ。すっかり失念していた、と美空は唇を噛む。
 ヘズの砲撃は厄介だ。変形機構を捨て去った代わりに装甲板を足したとはいえ、一撃でも致命傷となりうる。
「でも――当たらなければどうということはない!!」
 ステュンファロスの身を反転させ、地上へ向かって急降下した。厄介な方を先に叩く。
 ヘズの巨大な砲が光を大量に吐き出した。幾重もの光弾がステュンファロス目掛けて飛来するが、その全てを高速機動で回避する――右翼を光線が掠った。出力が低下したが構わない。
 身が押し潰されるほどのGを、しかし美空は心地よく感じていた。それは全力疾走で駆ける時、空を切る心地よさにとてもよく似ている。高揚感が身を包む。興奮が全身を駆け巡る。鼻血が出そうだ。
 ヘズの姿を肉眼で捉える。左翼に光弾が直撃した。止まらない。加速する。
 ステュンファロスはヘズの砲身ギリギリまで接近し――雷撃を放つとともにピッチアップ。
 一撃離脱の戦法で、ヘズへ雷の連撃を叩き込んだ。
 砲身まで雷撃を打ち込まれたヘズが内部から炸裂する。爆発を背にステュンファロスは再び上昇した。
 下降のエネルギィを殺さぬまま、上空へと一直線へ駆け抜ける。
 再び青銅の怪鳥を捉えた。
「――――!!」
 耳を突き刺す鋭い叫び。その咆哮とともに、青銅の怪鳥の形が崩れた。変形だ。
 飛行形態では青銅の怪鳥はステュンファロスへの攻撃手段を持たない。だが人型形態の場合は割円剣を扱うことができ、高速移動こそ失われるが空中移動はできる。故の変形。
 だがそれは美空にとって予測できていたことである。過去その機体を操っていた美空なのだから。
 怪鳥の変形完了よりも早く、ステュンファロスの両肩に青色の光が灯る。
「射殺せ――『雷霆Might of Zeus』!!」
 撃ち出された極大の双雷撃が、形の崩れた青銅の怪鳥を貫徹した。怪鳥が一度大きく震え、爆散する。
 青白い炎の光を浴びながら美空は思う。ステュンファロスは変形機構を備えるからこそフレームの耐久力が弱く、また稼動部分の装甲板が薄いのだと。稼動部分が剥き出しになる変形途中ならば、薄い装甲板を穿ちそのままフレームを砕くことが出来る。
 それは高速のドッグファイトを高出力の攻撃を行える高速巡航系航空型試作一号機と、変形のタイミングを知っている美空だからこその攻撃だった。
 美空は浅く唇を噛み、青銅の怪鳥が砕けた空域を見た。
「……さよなら」



 踏み込みと同時、玉兎は細身の剣を下から上へ振り抜いた。胸部に剣先を食い込ませたクィーン・オヴ・ハートの身が宙に浮く。次いで、身動きの取れないクィーン・オヴ・ハート目掛け、
「――『アルテミスの矢衾』!」
 周囲に停滞させていた無数の武器を、一度にまとめてぶち込んだ。
 串刺しになるハートの女王。玉兎はガラクタ同然となったそれを剣に引っ掛けたまま後方へとぶん回す。破砕の音が響く。ガラクタを投擲されたアトラスが一瞬怯んだ。
 その一瞬、玉兎は神速にてアトラスの脇を駆け抜けた。音速超過の剣先がアトラスの身を削る。
「てやああっ!」
 振り向き様の一刀が、巨神の背中を両断した。
 天を揺るがすほどの断末魔を上げ、アトラスが大地に倒れる。
「――っ!」
 玉兎は大地を強く蹴り、宙に飛んで距離をとる。その直後、先ほどまで玉兎のいた空間に赤い拳が打ち込まれた。咄嗟に財宝を撃ち出すが、赤い拳に弾かれた。
 最後に残ったのは鋼鉄の堕天使――アザゼルだ。姿形だけとはいえ、因縁の相手である。
「――――」
 玉兎をゆっくりと大地に降ろし、深呼吸をしながら構えを直す。油断で負けるものか。斃されるものか。やっと彼の隣に立てたのに。私の幸せは――誰にも渡さない。
 財宝の掃射はジェットノズルで躱される。剣ならば灼熱の拳のリーチ外から攻撃できるが、一撃で仕留めなければ反撃を食らう。斃すなら一撃。それも確実に仕留められる直撃だ。
 ならばまず、動きを封じなければならない。
「玉兎、決着をつけるよ」
 答えのような震えがあったのは、気のせいではないだろう。
 呼吸を合わせた白の兎が――動く。
 無限に近い財宝の雨をアザゼルに掃射した。それは多角移動によって躱されるが、
「逃がさない!!」
 予測し、誘導し、掃射。躱した先にも財宝を飛ばす。そしてその先、その先、またその先にも、迦具夜はほぼ直感のみで掃射する。アザゼルは誘導されるように動き回る。
 無限に撃ち出される流星は、今やアザゼルを囲う檻となっていた。
「封印解除、空間制御開始――」
 玉兎は翼を折りたたみ、大地を蹴って飛翔した。檻を狭める。アザゼルは苦し紛れに両の赤手を振るうが、無数の財宝が身を挺してそれを防ぐ。この財宝は迦具夜のために贈られたもの。愛された証であるのなら、迦具夜を守らぬ道理はない。
 玉兎の剣は全てを断つ。月は孤独であるが故に、月の刃はえにしすらも断ってみせる。迦具夜は願った。もう二度と出会うことはないようにと。悪夢は一度だけで十分だ。その残滓があるのなら、今宵でそれを断ち切ってやる。
 月光を浴びた玉兎の剣が、夜闇も断ちつつ振り被られた。
「――『断解水月』!!!」
 月夜に跳ねる兎の刃が、かつての悪夢を両断した。



「ちぇっ。所詮はイカロスの翼ですか」
 ステュンファロスを蹴りながら悪態をつく美空を見て、ビルの大きな破片に座っていた迦具夜は苦笑する。
 周りは戦闘の余波ですっかり更地になってしまった。夜の冷たい風が迦具夜の頬を撫でる。
 ため息をついた迦具夜の隣に、やれやれといった様子の美空が腰を落とした。草原のように瓦礫の山が広がる景色を二人並んで意味も無く見詰める。遠くから聞こえていた騒ぎの音も、時が経つにつれて少なくなってきていた。
「もう一回飛ぶのは無理っぽいです。直撃食らったのが拙かったかなー」
「たぶんカナさんに怒られちゃうよ」
 うへぇ、という声を聞きながら迦具夜は後ろへ倒れこむ。ぼふっと灰が舞った気がする。服が汚れただろうが、どうせ汗でべたべたなのだ。帰ったらもう一度お風呂に入らないといけないなぁ、と迦具夜は思い、
「……美空ちゃん、どうして私に圧し掛かるのかな?」
 覆いかぶさるように抱きついてきた美空に、振りほどく気力もない迦具夜はそう言った。
 すると美空は急に真顔になって、
「私、告白します。――迦具夜さんの汗の匂いだけでご飯三杯はイケます」
 迷うことなく美空の鳩尾に膝をぶち込んだ。
「ぐぉ……さ、最近なんだか格闘能力もアップしてませんか……?」
「鍛えてるからねー」
 でないと彼を中心としたあの混沌の中に飛び込めない。今でさえ苦労しているのに。
 ……もっと強くならないと。
 特に精神的に。何事にもくじけないような強い心が欲しかった。
 迦具夜は手を伸ばす。視界一杯に広がる夜空へ向かって。
 月光で青白く染まった小さな手の人差し指と親指をくっつけ小さな輪を作った。本当に小さいその輪の中に、吸い込まれるような夜空で一人で孤独に煌々と輝く月を入れた。
 指の輪の中で、月が輝いている。
 ……捕まえた。
 輪の中の月は、たまらなく綺麗だった。


―次回予告―

彼は誰かを救い続けてきたが
己を救おうと思ったことは一度もない
それは強さか
それは弱さだ
己の悪夢から目を逸らし
誰かのために生きることで逃げ続ける
だが彼は本当に弱いのだろうか
誰かのために己を後回しにしているだけで
彼は己を救う術をもう持っているのではないか
私は、それが見たい
彼は己のために生きる瞬間を
人は己のために生きてこそ輝けるのだから

次回グッドナイトムーン第八話――『永劫のもとに死を超ゆるもの』

これは希望に満ちた物語





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