「――で、どうしてあなたがここにいるんです?」 「……るっせェな、ドコに居ようと別にイイだろうがよォ。それともぼっちゃんがここいらのショバ指揮ってんのか? だったら一枚噛ませろよ、丁度イイ見世物やってんじゃねぇかよォ」 公園のベンチにどっかりと腰を下ろすシンの視線の先、ゾンビの群れを破竹の勢いで切り裂いてゆく飛娘がいた。疲れを知らないかのようなペースで青龍刀を縦横無尽に振りかざしている。この様子ならばここ一帯のゾンビはあと数分で片付くだろうと迅徒は思い、 「いや、そうではなく。何故あなたがこんなところにいるのですか、と聞いているんですよ。脳みそまで金剛石で出来てるんですか、あなたは? 人の言葉が分かります?」 「あー、ぶっちゃけ俺ァもう人の域を兎跳びで超えちまってるからよォ、雑魚の言葉なんざ理解デキネーんだわ。残念でしたー。それと俺の脳味噌、ガチで金剛石で出来てるぜ? 触ってみるか? ギャハハハハハハハ!!」 会話が成り立たない。 迅徒はため息をつき――緊張を弛緩させる。しかし隙を見せてはならない。この化物が何の拍子にこちらへ牙を向けるか分かったものじゃないからだ。ソレから滲む狂気だけで気が狂いそうになる。今すぐここから逃げ出したいが、それは迅徒のプライドが許さなかった。 「しゃーねーな、答えてやんよ。――あんまり外が騒がしいから裏返っただけだっつーの。ま、折角目覚めたんだ。無理に眠る必要もネェし、テキトーに散歩してたらテメェらが楽しーことやってたんだよ馬鹿野郎。俺も混ぜやがれ。ギャハハ」 「……今日のあなたは、酷く落ち着いていますね」 迅徒の記憶に残っている田村の鬼子は、絶えず狂気の笑みを貼り付け哄笑を繰り返す獣だった。しかし、今は笑みを貼り付けてはいるものの、どちらかというと自嘲のようなニュアンスがある。なにより、あからさまな敵意をぶつける迅徒にさえ牙を剥こうとしないのだ。落ち着いているのは嬉しい限りだが、どうにも調子が狂う。そう思った。 「こーゆー日が一回ぐらいあってもイイだろうが? あれだ、生理ダヨ。だから気分が悪ィんだ。ギャハ」 「……最低ですね、あなた」 「もち、俺ァ最低最悪の害悪存在だ。それも生まれる前からのお墨付き! ――おっと、いいのか俺みてーなバケモンなんざと話してて。あの一人雑技団してる中国人、ちょっとピンチじゃねーのォ?」 シンが顎で指した先で、青龍刀が宙に舞った。「ひーっ」と声を上げて逃げ回る飛娘。 「迅徒のアホー! 助けるアルよー!!」 「おいおい助けてやれよぼっちゃーん。テメェ血も涙もねぇのかよォ? 俺のお仲間かァ?」 「……やけにあの娘のことを気にかけますね」 「あ? 俺ァイイ女は好きだぜェ? ぼっちゃんの母親もイイ乳してたがよォ。っつーかあの中国人、豪快に動くもんだからいつパンチラするかと待ち構えてるんだが一回もねぇのよなぁー。もしかしてあいつ、はいてない?」 どうやらシンがここにいるのはそういう理由だったらしい。頭強く打って死ね、と迅徒は内心罵った。 「……一時とはいえコンビを組んでいるのですから、助けないといけませんか」 迅徒は両手に折り紙を握り、飛娘の方へ駆けようとして、ふと足を止めて振り返り、 「覚えておいて下さいよ。――お前を殺すのは、この私だ」 「オーケイ、ここいらが片付いたら一回手合わせしてやんよ。死なねぇぐらいにゃ手ェ抜いてやるから精々頑張りな。ギャハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!」
唯一の出入り口である巨大な鉄扉は、マナ達が塔へ入ると同時に閉じた。逃がさないとでも言うように。 塔の内部は外側からは想像できないほど豪奢だった。赤い絨毯と金色のシャンデリア。壁にはいくつも蝋燭が立てられ淡い光を放っており、正面には先ほどのものと同じ鉄扉とそれに続く階段がある。 ……まるで童話に出てくるお城のようだ。 瀬利花はこのホールを見て、そんな感想を抱いた。 まるで絵本から抜け出してきたような光景で、リアリティがまるでない。ゆらゆら揺れる陽炎でも見ている気分だ。自分が本当にここにいるのかすらも分からなくなってくる。 前を見れば、緋姫の小さな背中があった。 しかし、それすらも幻ではないかという錯覚にすら―― 「――大丈夫。ここの場は確かに幻想だけれど、あなた達はここにいる」 凛と。女性の声が響いた。 それが気付けのように瀬利花の頭の中に広がり、先ほどまであった空虚感が霧散する。 それは、声が安心できるほど優しかったからではない。ただ聴き覚えがあったからだ。 ゆっくりと向けた視線の先、扉へ続く階段の上に先ほどまでなかった人影があった。 風の無いのにゆらゆらとなびく黒と灰色のドレスで身を包み、眉尻を下げた笑みを浮かべる女性。 ――マノン・ディアブル。通称『葉限の魚骨』。 教皇庁指定十三呪徒第十一位にして人類から庇護されるモノ。 黒と灰のドレスで身を包み、願いを叶え続ける聖女。 一度滅ぼされた悪魔は、しかし今一度瀬利花の前に現れた。 「久しぶりね<裏切り者>。以前は出会えなかったから、二百年ぶりってところかしら?」 表情と同じくやけにフレンドリィな声だった。 瀬利花は眉根を寄せながら、マノンの声が投げかけられた方を見る。 「うん、大体合ってると思うよ。私もうろ覚えなんだけどね」 そう答えたマナの声もまた穏やかなものだった。 と、ちらりと緋姫が視線を向けてきた。普通ならば両手を挙げて歌ってもいいほどに嬉しかったが、今はそれどころではない。緋姫は視線で何かを告げようとしているのだ。 ……霧神……センパイ……だいす――じゃない。 妄想が混じっていたらしい。 ……『知り合いですか』……か。 確かにそう考えるのが妥当だろう。マノンは「久しぶり」と言っていた。ならばそういうことなのだろう。 納得した瀬利花はマナ達の会話に意識を戻す。 「まさかあなたがそっちにつくなんてね……」 やれやれといった様子のマナの声に、マノンはくすくすと笑いながら、 「仕方ないじゃない。人の無意識下で混濁していた私を救い上げ、現実に定着させてくれたお礼だもの」 「でもマノン、これじゃあなたは悪役だよ。葉限はどうしたの?」 「私はお姫様じゃなくて魔法使いよ。それも魔女と呼ばれる類のね」 ふと瀬利花は思った。同じ性質のモノに嫌悪を抱くというのはよくある話だが、マナとマノンは正逆だからこそ仲が良いのだろうかと。幸福を与えるマノンと、不幸を与えるマナはまさに対極ではないかと。 「……引く気はない?」 「その問いかけ、そっくりそのままあなたに返すわ」 「そう……じゃ、もう一度眠ってもらうしかなさそうだね」 「半神を欠くあなたにそれができると思うのかしら?」 「難しいかもね。でも上手くいくかもしれないよ」 それには瀬利花も内心頷いた。 未だ人から後押しされるマノンの力はマナの力を上回るだろう。しかし彼女も一度滅ぼされている。昨日今日の復活で以前通りとはいかない筈だ。幾分かの力は失っているのなら、マナならば勝てるかもしれない。 「それに本来あなたはこういうキャラじゃないでしょ。あなたは闘争を好んでるわけじゃない」 「私は願いを叶えるためだけに存在しているの。だから『あの人』の願いを叶えるだけ」 「わかってるでしょ――あいつは人じゃない。生きてすらいない。どこにでもいてどこにもいない。あなたは人類の加護を受けているけど、世界の庇護は受けていない。マノン・ディアブルは人のためにある機能。だからマスケラの願いを叶える必要は無いんだよ」 間髪入れずにマナは言葉を続ける。 「何が目的なのかは分からないけど、邪魔をするのなら私が相手をする。それに私を滅ぼしたとしても、どうせあなたは緋姫と瀬利花を追いかけないでしょ。私は神だけど他は人間。願いを叶える過程や防衛のためにヒトを殺そうとも、ただ自分のためだけに人を殺すことなんて、あなたには絶対に出来はしないんだから」 そう告げると共に、マナは両手の神剣をマノンに向けた。 するとマノンは少し唇を尖らせて、 「感動の再会といきたかったのだけど」 「残念。せめて手土産ぐらいもって来るべきだったね」 二人の間に明らかな戦意が生まれていく。ピリピリとした空気が瀬利花にまで伝わる。 ……さて、と。 瀬利花は一度吐息してから、 「――マナ、剣を収めてくれ。あいつは、私の獲物だ」 途端、勢い良くマナと緋姫が振り返った。目を点になっている。 「瀬利花、どういうつもり?」 「……霧神さん。私はあのマノンという方を存じませんが、あの方の持つ異質な雰囲気は感じています。敵意といったものが欠片も無いくせに満ち満ちている力。あれは――神の領域ですよ」 緋姫は真剣な表情で心配していた。それは小躍りしたくなるほど嬉しいものだったが、今はそんな場面ではない。 ……ありがとう、緋姫。 瀬利花は内心そう感謝し、緋姫の瞳をしっかりと見つめ返して言う。 「すまない。だがあいつ――マノンは、私が斃し損ねた化生なんだ」 誇れることではないが、人生において敗北など星の数ほど味わっている。だがしかし、瀬利花とてプライドが無いわけではない。 マノンは瀬利花を陵辱した。願いを叶えるといった方法で、瀬利花の内側を掻き乱したのだ。 ただでさえキィホルダー騒ぎで過敏になっていたというのに、あの一件の所為で瀬利花の目は緋姫だけでなく匠哉も追うことになった。瀬利花はそれを認めるわけにいかず、匠哉が視界に入ると同時に斬りかかっていたのだが。 弾丸はキィホルダー。引き金はマノン・ディアブル。 ……ならばその代償、その身で贖って貰わねば。 「勝算は?」 と、鋭い問いをマナが投げかけてきた。 「正直言って――那由他の彼方がいいとこだろうな」 「それで十分だーなんて、神父みたいに吠えるつもり?」 「馬鹿を言うな。確率は高いほうがいい。だから、そうだな――その天羽々斬を貸してくれ」 ずい、と。 瀬利花はマナへ右手を伸ばした。 マノンは悪魔の名を冠している。ならば竜を断ち斬る天羽々斬は、悪魔にも有効だろう。 「……わかったよ。でも取り扱いには注意してね」 なんて言いながら、マナは左の一刀をぽいっと投げて寄越してきた。瀬利花は慌ててそれを右手で掴む。 神代の武器だ。瀬利花は相当古いものだと思っていたのだが――予想と反して、それは普通の打刀だった。確かに大きさは拳を十並べたほどだが、目貫・目釘・柄巻・鍔・切羽と通常の日本刀と同じような拵えで、握っても何の違和感も無い。多少重心の違いがあれど、それはまさしく打刀だった。 「これ、本物か?」 「……あのねぇ。数千年も前の剣がそのままの形で現存してるわけないでしょ。それは由緒正しいタタラの神が打刀に作り直した正真正銘の天羽々斬だよ。もっとも、長い月日とこの前の無茶の所為で、昔に比べると霊格は落ちちゃってるけどね」 「ちょ、これって神剣だろう! 国の宝を勝手に改造していいのか!?」 「ふん。どうせあんな頭の固い連中じゃあ宝の持ち腐れなんだよ。利用価値があるなら使うべきなんだから」 この貧乏神、世界遺産もぶっ壊してビルディングに変えそうだ……。 瀬利花は内心しみじみ思いながら、天羽々斬の鍔を弾いて鞘から抜き出す。刀身は鏡のように輝いていたが、一箇所だけ欠けていた。芸が細かいと思いながら、瀬利花は鞘をスカートに差し込んだ。 まあなんにせよ――これは好都合だ。西洋の長剣に近い直刀だったらどうしたものかと思っていたが、多少重心の誤差あれど、慣れ親しんだ日本刀ならば片手でも扱える。 「さあ、もういいだろう。後は私に任せて先に行け」 「何か死にそうな雰囲気だね……ま、けど瀬利花がそうしたいっていうのならそれでいいと思うよ。級長だって似たようなもんで――勝っちゃったしね」 級長が勝った。それはつまり、要芽が恐怖を克服し見事打ち砕いたというわけだ。 「ならば益々、私が退くわけにはいかなくなったわけだ」 「うん。級長が勝ったんだから、瀬利花にも勝ってもらわないとね。勝って、頂上まで辿り着くんだよ」 マナの言葉に瀬利花は頷く。するとマナはあっさり踵を返し、マノンへ向けて歩き始めた。否、マノンの向こう側にある扉へと歩き始めたのだ。 それに緋姫も続く。その途中、ふと何か思い出したかのように彼女は足を止め、 「霧神さん――頑張ってくださいね!」 それきり振り向くことなく、マノンの脇を通り過ぎてマナと共に扉を潜った。 ……ああ。 瀬利花の頭の中で緋姫の言葉が渦巻いている。がんばれ、と彼女は言った。 ……ああ。それだけで、私は戦える。緋姫の下へ、そしてアイツの下へ辿り着くために、戦える。 単純計算で二倍の意気込み。それらが全て追い風となって瀬利花を内側から押し上げてくれるのだ。 力強いことこの上ない。今の自分だったらなんだって出来る。 「本当に、一人で私に勝てると思っているの? 以前は手も足も出なかったクセに?」 「阿呆が。あれからどれだけ経ったと思っている。それに以前とは決意も違う。そして武器もだ」 「竜殺しの剣ね……言霊というのは確かに重要なファクターだけれど、裏を返せば一つの要素でしかない。いくら言葉遊びで繋がったとしても、私は竜の本質そのものは得ていないから、精々切れ味がアップする程度よ?」 「だから阿呆と言ったのだ。なめるなよ、私は剣の力に頼るつもりは毛頭無い。そもそも本命は――こちらだ」 右手は抜き身の天羽々斬で埋まっている。だから瀬利花は左手を伸ばし、 「――『破月』」 その名を呼んだ。途端、音も光もなく現れる一振りの日本刀。 天羽々斬よりは小ぶりなそれを、左手でしっかりと握りしめる。鞘は顕現させなかった。 「皆がいる前では、流石に宝刀は抜けないからな」 「それが……本命……」 「ああ。幸福という名の狂気に身を染めた貴様を討つには相応しい名前だろう」 我ながら上手いことを言った。 ちょっと自慢げな瀬利花を、マノンは鼻で笑い、 「でもあなたは一刀流でしょう? それとも実は二刀流が本気の戦い方だったとか、そういうオチなのかしら?」 「はっ。そんなものはインフレ激しい少年漫画だけで十分だ。簡単なことなんだがな、この破月は意思を持つ刀なのだ。そして、意思をもつならば――私が操る必要もあるまい?」 天羽々斬を右手に、破月を左手に。 瀬利花と破月は同調している。ならば単純計算で戦力は二倍。天羽々斬の特性や破月の能力などが相乗効果となって、戦力は数十倍まで跳ね上がる。と思う。 こんな状況は初めてだったが、良い経験になるだろう。 瀬利花は両の刀をマノンへと突きつけ、 「さあ――試合おうぞ、マノン・ディアブル」 気高き武士――二刀を構える瀬利花に対し、マノンは一つの動きを見せた。 破顔一笑。 「はは、あはははははははっ!!」 身をくの字に曲げ、腹を抱えて笑い始めた。マノンの全身が小刻みに揺れる。 それから十数秒、マノンはくすくすくつくつと笑いっぱなしだった。 「……む」 突然の豹変に瀬利花は唸る。無茶をしようとするこちらを嘲る笑いならともかく、マノンは本当に可笑しいといった様子で笑っているからだ。腹の底から心の底から、何かが楽しいとでも言うように。 ようやくマノンが顔を上げる。含み笑いを含んだ表情で、 「うん、うん――あなたは『合格』よ!」 そう告げた。 瀬利花の記憶に何かが引っ掛かった。合格。以前もマノンはそう言って――。 「生憎だが、貴様に叶えてもらうような願いは持ち合わせていないぞ?」 「そうかしら? ううん、あるわよ! あなたは上へ行きたいんでしょう? 私に勝ちたいんでしょう? だからそれを叶えてあげるって言ってるのよ。あなたが一度でも私――恐怖を打ち破ることが出来たら、私はそれで終わりになる!」 瀬利花にはマノンの言っていることが理解できていなかったが、それでも一つ分かることがあった。 「つまり今の私ならば、貴様に勝てるということだな?」 「そうよ。決意の刃は私に届く。想いの剣は私を貫く。――だから見せてちょうだい、あなたの意思を」 「ああ、存分に味わうといい。今、私はかつてないほど一人盛り上がってるからな!!」 瀬利花は右の大刀と左の小刀を腰周りで溜め、剣先を内側へ寄せた。相手から見て八の字を描くような構えだ。 対するマノンはだらりと下げた両手の指を鉤爪状に立てる。隙だらけだ。そもそもマノン・ディアブルという少女に卓越した殺戮技術は必要ない。以前までマノンには扱え切れないほどの力が溢れており、その一端を叩きつけるだけで全てが塵になっていたからだ。 隙だらけだが自然なその姿勢のまま、マノンはゆっくりと口を開き、言う。 「さあ、殺しあいましょう」 「仕る……!!」 先に動いたのはマノンだった。 一瞬身体を縮めたかと思うと、次の瞬間には駆けていた。接近するマノンが両の爪を振り上げ、打ち下ろしてくる。 瀬利花はそれを受け止め――ることなく、半身を逸らし二本の刀で爪をいなした。刀身の平を爪が滑り落ち、勢い余ってつんのめるマノンの背中目掛け、弧を描くように振り上げた右の一刀を、いなした爪自身の力と刀の重さ、そして回転の力を用いて振り下ろす。 「信濃霧神流秘伝、第五十一番――『地獄巡礼』!!」 一振りで八つの銀弧が舞い、硝子の砕ける音と共にマノンが斬り伏せられた。 が、しかし。次の瞬間には傷の癒え、マノンの両手が跳ね上がる。一歩下がり躱したものの、制服が浅く裂かれた。 「……回復能力は以前通り、か」 「剣技は流石といったところだけれど、それじゃあ私には届かない。もっと強い意志を重ねて打ち込まないと」 「助言、有り難く頂戴する!」 バックステッップで取った距離を一気に踏み込んで詰めた。マノンが防御姿勢をとるよりも早く、瀬利花の二刀が首を捕らえる。左右同時、鋏の様に。 断った。 しかし。 「残念まだまだよ」 宙を舞う首がそう言って、残された身体が動いた。五本の爪が顔面目掛けて飛来する。 「……ッ!!」 身を反らす。しかしそれが仇となり、生まれた隙にマノンの蹴りが叩き込まれた。 突然の衝撃に臓腑が悲鳴を上げ、瀬利花は思わず後退する。 そんな瀬利花を尻目に、マノンは宙を舞っていた首を首の無い体で掴み、首と身体を繋ぎ合わせた。 冗談のような光景。 「それじゃあ駄目、全然駄目。それとも――未だ何か迷いがあるというの?」 「……ま、よいなど」 「そうかしら? 自分でわかっていないのなら、私が教えてあげる」 瀬利花が制止の声をあげるよりも早く、マノンは言う。 「あなた――あの子と匠哉、どっちが好きなのかしら?」 それは、一切合財の容赦なく、瀬利花へと突き刺さった。 「今、あなたはどちらのために戦っているの? 匠哉? あの子?」 マノンは動く。瀬利花は動けない。 「その想いは誰に向けたものなのかしら。その刃は何のために振りかざされるのかしら」 右手の爪が伸びてゆき、剣へと形を変える。 「ほうら、あなたは迷っている。覇気は消え、決意は揺らぎ、想いの剣は早くも折れた」 剣が振り上げられ、 「もう一度訊いてあげる。――あなたが愛しているのは、誰なの?」 硝子の剣がゆっくりと落ちてくるのを見ながら、瀬利花は思う。 ……どちらが好きか、だと? 倉元緋姫か――月見匠哉か。 ……選べるわけ……ないじゃないか。 瀬利花の頭の中、走馬灯のように二人の姿が駆け巡った。片方は何故か物陰からで、もう片方は攻撃最中の映像だ。ロマンチズムの欠片もない。だがそれがどんな形であれ、緋姫と匠哉の両方にそれぞれ異なる想いを抱いていることは確かだった。 ……そしてどちらも本物なんだ。 嘘・偽りなどではない。マノンに問いかけられてようやく気づいた。 双方違った形だから優劣は決められない。決めたくもない。どちらも本物で――。 ……ああ、そういうことか。 そして、ようやく瀬利花は気づいた。 ……どちらも本物であるのなら、どちらも本物でいいだろう? 勿論いつかはどちらか決めなければいけない時が来るだろう。もっとも、どちらにアタックしたところで玉砕するのは目に見えているが、しかしそれでも選ばなければいけないときはきっと来る。 「――だが、それは今じゃない」 だから答えはいつかのために取っておこう、と瀬利花は思った。 瞬間、停滞していた全ての感覚にスイッチが入る。開き直ると早かった。 瀬利花は両手に力を込める。両手が自然と動き、刀を鋏のように交差させマノンの左腕を刎ね飛ばした。刀にかかる重力には逆らわず、円弧を描きながら下方へ落とす。二刀の切っ先は流水の如く滑らかな動きで袈裟懸けと逆袈裟懸けにマノンを切り裂いた。 僅かに視線を上げ、マノンを見る。 「それがあなたの答えなのね。――うん、とっても綺麗」 笑っていた。 ……嫌な女だ。 内心ついたため息を力に変え、瀬利花は答えの代わりを叩き込むべく言葉を紡ぐ。 「『地獄』『餓鬼』『畜生』『修羅』『人間』『天上』――」 次の瞬間、瀬利花が六つに分裂した。 複数の瀬利花の姿が円を描く様にマノンを取り囲み、それぞれ構えを取った。一人一人が異なる太刀筋を繰り出す、回避不能の必殺技。だが、今の瀬利花は二刀流だ。 右左にそれぞれの想いを込め、剣を振るう。 「信濃霧神流秘伝、第十七番――」 両の二刀、六つの瀬利花。 「――『六道流転万華鏡』!!!」 銀に閃く十二の道が、マノン・ディアブルを斬り刻む――。 「あなたの答え、確かに私に届いたわ」 マノンの言葉と共に、きらきらとした破片がはらはらと宙に舞った。 硝子のようにひび割れ霧散してゆくマノンに、たまらず瀬利花は問いかける。 「……再生しないのか?」 「してほしいのかしら? ――言ったでしょう。願いを叶えてあげるって。あなたが迷いを断ち切ったから、私の身体を断つことができた。さあ、勝利は目前よ?」 ひび割れた笑みで、マノンは嬉しそうに言った。それに瀬利花は眉根を寄せ、困惑の表情で、 「マノン・ディアブル、貴様なら私など一瞬で滅ぼすことが出来るだろう? 何故死に急ぐようなことを」 「いいえ、私はもう消滅してしまっているの。ここにいるのは残りかす。解けた魔法の残滓でしかないわ」 「……確かに私は、本音をぶつけた。だが、こんなものは問題の先送りだろう? 何の解決にもならない」 そう言うと、マノンは頬を膨らませた。怒っていた。 「もうっ。せっかく迷いを断ち切ったのに、どうしてこんなことで迷うのかしら」 めっ! とマノンは消えゆく右人差し指を瀬利花に向けた。さらに瀬利花は困惑する。 「いや、こんなことって……そもそも、何故こんなことを?」 マノンは復讐も第二の生もいらないという。では、何故再びこの世へ舞い戻ってきたのか。 瀬利花の問いに、マノンは半ばまで消えかかっている人差し指を引き寄せ、自らの顎に宛がい、 「そうね。……応援、かしら?」 「……何故そこで疑問系なのだ」 するとマノンはあさっての方向を見ながら、 「ああ、ほら。私は人を幸福にするために生きていたでしょう? だから、不器用で、損ばかりしている人を見ると放っておけないのかもしれないわね。うん、きっとそうだわ」 「……マノン。貴様、今自分に無理矢理言い聞かせてるだろう」 「な、何故それを!?」 バレてないと思っていたらしい。 やがて、マノンは嫌々といった様子で唇を尖らせ言う。 「……私は好いている人がいるのに朽ち果てているというのに、あなたが生きているのに二股かけようとしていたからよ。あんまり美しい理由じゃないから、言いたくは無かったのだけれど」 吐息し、 「――つまりね、私はあなたに嫉妬していたのよ。だからその気持ちが本物なのか、確かめたかったの」 恥ずかしがるように俯いた。 嫉妬。それは単純だが複雑な感情だ。瀬利花とて嫉妬の一つや二つ抱くことはある。 だが、マノンディアブルは違う。今まで彼女はヒトのために生きていた。自分の感情よりも先にヒトの為に。そもそも機能としての彼女に感情は必要なかった。ヒトを揺さぶるだけの言葉があればそれでいい。 ソレが今、嫉妬という単純だが複雑な感情を初めて抱いた。それが死後というのは皮肉だが。 「でも、あなたの気持ちは本物だった。ならば私程度にその想いを止めることは出来ないでしょう? むしろ私は私の生き方にしたがってあなたを応援するべきだと思ったの。不器用というだけで損をする人がいるなんて、私は許せないもの。優しい人は、優しさの中で生きるべきだわ」 「そうか……」 そう言うマノンこそが一番損な役回りを受けているのだが、それを瀬利花は可哀相だとは思わなかった。そういった生き方を選んだのは彼女自身であり、その果てに得た結果を受け止めるのも彼女以外にありえない。 「もうすぐ――私は卒業だ」 ふと、そんな言葉が口から零れだしていた。 それはマノンに向けたものではなく、自分自身に言い聞かせるためだったのだろう。 「卒業すれば修行を積み、家業を継ぐことになると思う」 いずれ来る終わりを確認するように、瀬利花は言った。 いつかは必ずやってくる――。 と、瀬利花の耳に笑い声が届いた。 「……何故笑う?」 見れば、マノンが腹を抱えて笑っていた。くすくすと笑うたびに、身体は花びらのように散ってゆく。 硝子の花びらに包まれながら、マノンは言う。 「大丈夫よ。あなたはきっと離れられない。あらゆる災禍を寄せ付けるあの子は――あなたも掴んで離さないわ」 そうか、と瀬利花は頷いた。彼女がそう言うのなら、きっとそうなのだろう。マノンの言葉は心の芯までよく響く。たとえ道を間違え狂ってしまったとしても、マノン・ディアブルは心優しい少女なのだ。 その少女に瀬利花は深く頭を下げ、 「魔法使いよ、感謝する」 「ええ。――でもこれから頑張るのはあなたよ。硝子の靴をわざと落として、王子様に振り向いてもらわなくっちゃ」 「それは……随分腹黒いな」 「女の子はそういうものよ」 「そうか」 「そうよ」 「さよなら」 「さようなら」 ひゅう、と風が吹いた。 それだけで、マノン・ディアブルは再びこの世から消滅した。 瀬利花は無言で歩き出す。 上で待っている愛しい人たちへ向けて。 理性の枷は感情の牙で易々食い破られます 手綱の切れた獰猛な獣は辺り一面に死を振り撒き やがて自らも死に至るでしょう 故に私達は気をつけなければなりません 落ち着いて、落ち着いて、深呼吸を一つ よし、張り切って邪魔者を排除しましょう 徹底的に 次回グッドナイトムーン第六話――『血塗れた歿落貴族の恐怖劇』 恋は盲目らしいですよ、先輩
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