故、避追はえて、出雲国の肥の河上、名は鳥髪といふ地に降りたまひき。此の時箸其の河より流れ下りき。是に須佐之男命、人其の河上に有りと以為ほして、尋ね覓めて上り往きたまへば、老夫と老女の二人在りて、童女を中に置きて泣けり。

 ――『古事記』


貧家偽典・烏兎の双子と蛇神村
〜中つ巻〜

七桃りお 原作・大根メロン


 稲さんの死は、一瞬にして村中を駆け巡った。
 稲さんは村で結構な人望があり、その突然の死に嘆き悲しむ人も多かった。いや、村の殆どが涙を流して見送った。
 俺は泣かなかった。だが悲しいとは思った。
 あまりにも突然。そして、あまりにも必然。何故俺の周りでは色々な事が起こるのだろうか。
 山村での猟奇殺人。どうしても――あいつを思い出してしまう。
「……マナ、聞き込みに付き合うだろう?」
「それは愚問だよ、匠哉」
 村はある程度の緊張状態にあり、一時は出入りを禁止されかけたりもしたが、様々な理由からそれは却下された。といってもすぐさま村から逃げるような輩はいない。怪しまれたくないのだろう。
 昨夜、村の男集の半数と客人の殆どは酒を飲み泥酔していた。記憶が確かな者はそういない。だから聞き込みは女性を中心に行うことにした。何故かマナがものすごい剣幕で睨んできたが、はて。



「……大した情報は無し、か」
 やっぱりといったところだろうか。
 ただ村人が蛇神の祟りをかなり恐れていることと、櫛ちゃんの心配をしていることは伝わってきた。どの村人も二言目には祟りか櫛ちゃんのことなのだから。
 とりあえず俺達は村長――鳥髪一家宅に戻ることにした。
「ああ……匠哉くんか」
 広間(?)には鳥髪夫妻と数名の村人が揃っていた。昨夜の顔ぶれが同じなあたり、彼らがこの村を取り仕切る者たちなのだろう。皆顔色はよくない。
「……おい、あんた」
 と、村人Bが俺に声をかけた。やけに睨みつけてくる。
「なん、でしょうか?」
「あんた――昨日の夜にお稲さんと会ってたよな」
 村人の視線が一斉に注がれる。
 ……び、びびった。
「匠哉くん、そうなのか?」
 ここで嘘をつく必要は無いだろう。正直に言おう。
「はい。酔いを醒ますために外に出たら稲さんがいて、少し話しました」
「自分が黒じゃねぇって証拠は?」
「ありません」
 ……くそ。マナも引きずってくるんだった。
 だが俺の返答に村人Bはほっとしたような顔で、
「いや、いいんだ。俺はあんたと稲さんが別れるあたりまでばっちり見てる。ここで嘘をついたのなら怪しかったがな。悪かったな、緊張させて」
 なかなか鋭い人たちだ。しかし彼らが味方なら心強いかもしれない。
「一つ、訊いていいですか?」
 俺の言葉に村長が頷く。
「――何故この村は蛇神を祭っているんですか?」
 瞬間、空気が凍りついた。
 ……かと思った。
 何か拙いことを訊いてしまったのだろうか。だがこの情報が俺達には欠けているのだ。地盤を固めていなければ、積み木を組み上げることすら出来ない。
「教えてください。どうしてもそれが気になるんです」
「私からも、お願いします」
「……わかった」
 そう言ったのは鳥髪村長だった。
「……だがこの話を信じるか信じないかは君達次第だ」



 昔々。
 十数年前、鳥髪村は危機に陥っていた。作物が上手く育たず不作が続き、タタラの精度も年々悪くなるという自体が数年続いていたのだ。流行り病も舞い込み、ただでさえ小さな村の鳥髪村は、死を待つしかなかった。
 だが、十二年前。
 ある日、村に一人のかんなぎが現れた。正しく言えば行き倒れなのだそう。
 死を待つしかないという、同じ境遇に同情した村長一家は彼女を助けた。
 巫は助けられたお礼に、この地を豊かにすると言った。
 まず巫は、村長の妻に子を宿らせた。巫が妻の腹を一撫ですると彼女の腹は膨れ、たった一日で双子を産み落とした。しかし双子の片割れは、白髪と赤眼の鬼子だった。
 村長はそれを凶兆とし殺そうとしたが――その時、鬼子が喋り始めたのだという。
 鬼子は己を蛇神と称し、蛇神を祭れば村を豊かにすると言った。初めは疑っていた村長だったが、どうせ滅びてしまうのならと、その言葉に従うことにした。
 次に巫は、近くの湖まで足を運びそこで巫女舞いを踊った。すると湖のほとりに一本の樹木が生え、妻の腹と同じくたちまち大きくなったそうだ。そして森の中でも一番の老樹となったその木から、一本の剣が生まれた。
 村人はこの奇跡を目の当たりにし、巫を祭ろうとしたのだが巫はこれを断わり、蛇神を祭ることを薦めたそうだ。そうして村人は鬼子を巫女に、老樹を社に、剣をご神体として祭るようになったそうだ。
 それがこの村の伝承。
 十二年前――確かに存在した出来事。
 全てを話してもらった俺達は、村長の頼みで櫛ちゃんの部屋へ行くことになった。
 ――櫛ちゃんが第一発見者だったそうだ。
 朝、鳥髪夫妻が起きると既に櫛ちゃんの姿は無かった。巫女舞いの練習をしているんだろうと思った夫妻はまず朝食の準備をし、その後で湖のほとりにある老樹の社へと向かったそうだ。そこで櫛ちゃんは放心していたらしい。ただひたすら稲さんの遺体を見つめていた。
 櫛ちゃんは家に帰ってから放心状態から開放されはしたが――逆に錯乱状態に陥ったらしい。今では部屋から出てこないというのだ。
 何故俺達なのかと村長に問うと、
「人見知りの激しいお櫛が、私たちと稲以外になついたのはあなたたちが初めてだったんです」
 それはどこにでもあるような要素で――しかし俺達と櫛ちゃんを繋ぐ細い糸だった。
 俺達は意を決して、櫛ちゃんの部屋へと足を踏み入れた。

 目を覆いたくなった。

 あれだけ綺麗に白かった肌が引っ掻き傷のように裂かれ、血がにじんでいる。色素の薄い瞳は更に充血しており、白の髪も荒れ放題だ。なにより頬に残る涙の後が痛々しい。
「櫛ちゃん……」
 俺の言葉は届いていないのか。
「櫛ちゃん……っ」
 小刻みに震える身体はこちらを見ようともしていない。
「櫛ちゃん……!!」
 それがあまりにも痛々しくて――思わず抱きすくめてしまった。
 櫛ちゃんはようやく俺という存在を認識したようで、小刻みに震える身体がこちらへ向き、
「――ぁ」
 と、小さく声を上げた。
 恐怖している。何もかもに恐怖している。まるで壊れてしまったかのよう。
 だから俺は――もっと強く抱いた。それは十二歳の少女にはキツいかもしれない。だけどどうすることでしか、この少女は帰ってこれないと思ったから。
 そうして三十秒。
「……あ、あ……」
 ようやく、本当にようやく櫛ちゃんの眼が俺を捉えた。
「……櫛ちゃん……大丈夫?」
 大丈夫なわけないだろうが。何言ってるんだよ、俺。
 だが俺の不躾な問いに、櫛ちゃんは怒ることもなくこう言った。
「……だめ」
 またかたかたと身体が震えだした。思い出さなくていい――そう言いたい衝動に駆られたが、俺達が今必要としていることは、残酷なようだが櫛ちゃんの回復じゃない。
「何があったんだ……?」
 俺がそう問うと、櫛ちゃんはぽつぽつ語り始めた。
 まず、櫛ちゃんは昨夜から今朝にかけての記憶が曖昧だということ。寝ていた、と言い切ってもいいような些細な問題だが、記憶のなくなる瞬間に稲さんと会っていたこと、そして覚醒直後に稲さんの死体が目の前にあったということはさらりと流していい問題じゃない。
 そして曖昧だと言ったわけは――櫛ちゃんはある瞬間のみを確かに記憶していたからだ。それ以外は記憶がぽっかりと抜けているというのに、その瞬間のみ覚えているらしかった。
「櫛が、やったの」
 その瞬間――自分が姉を殺す場面を。
「おまつりのかたなで、稲おねぇちゃんを……!!」
 がくがくと身体が震え、がちがちと歯が音を立てる。寒い寒いと言う様に、自らの身体を抱いて恐れていた。俺は櫛ちゃんを抱く手を離さない。いつの間にかマナも一緒になって櫛ちゃんを抱いていた。
「覚えてるのは……それだけ?」
 マナの顔を見る。訊きたくはないが、訊かなければいけない。そんな葛藤が顔に現れていた。
「わからない、わからないのっ!!」
 それ以外はわからない。ただ自分が覚えているのは姉を殺すところだけ。
 がちがちがち。
 まだ十二歳なんだ。それも今までこんなことには縁がなかった十二歳なんだよ。俺みたいに壊れていない。
 櫛ちゃんの、自らを抱く手がギリギリと音を立てて皮膚に食い込んでいる。ぷつりと爪が皮膚を裂き、真っ赤な血がぷくりと浮いた。この自傷行為は戒めなのだろうか。
「あ、あああ……」
 がちがちがちがちがち。
 櫛ちゃんは食い込んだ指を引き剥がし、涙を流す自分の顔を覆った。指の隙間や手首に涙が伝ってゆく。そして、不意に顔をあげ、あの赤い瞳で、何かに縋るように、

「たすけて」

 そう、ぽつりと、呟いた。
 それからもう一度身体を抱き、爪を食い込ませる。
 まるで姉を殺した自分を憎むかのように。このまま放っておけば、この少女は自殺でもしそうだった。
 自らの姉を殺したのだから。
 殺した。
 …………。
 殺した?
 誰を。
 決まってる。
 鳥髪稲を。
 本当に?
 …………。
「いやまて。まてまてまて」
「ど、どうしたの匠哉?」
 思い出せ。稲さんの遺体を。彼女には――
「悪いが思い出してくれ、櫛ちゃん」
 がくがく震える櫛の肩を抱く。充血した瞳がこちらを向き、

「――その瞬間、確かに稲さんは生きていたか?」

 俺の言葉で大きく見開かれた。
 そもそも稲さんの死体には三つの傷があった。儀式刀による腹部切開と胸部貫通。そして、
「櫛ちゃんの覚えている稲さんには、左胸に短刀が刺さってなかったか?」
 そもそもこれがおかしい。儀式刀のニ撃、その両方ともが致命傷になるものだ。腹部切開で失血死またはショック死、胸部貫通は……まぁ知らないが肺とか大変なことになるんじゃないだろうか。それにあえてトドメを刺すように心臓を突き刺す必要性が無い。しかしその短刀が儀式刀の傷より前につけられたものだったら。
 もし――櫛ちゃんが斬る前に、稲さんが亡くなっていたのだとしたら。
「あ、あ……」
 思い出したのか、櫛ちゃんは眼を見開いたまま頭を抱える。
 マナも気づいたようだった。マナは櫛ちゃんを強く抱きかかえ、安心してと声をかけ続けた。
「……何かズレている」
 食い違っている。何かがおかしい。そして何かがひっかかる。
 だが――ようやく光が見えてきた。明けない夜はない。解けない謎はない。出来上がらないパズルはない。
 しかし、そもそもピースが足りていなかったのだとすれば。どこかで見落としてしまったのであれば。それじゃあパズルは出来上がらない。だから俺達は、まずピースを集める所から始めよう。
「櫛ちゃん、約束しよう」
 こんな小さな少女が狂っていくところなんて見たくない。
「――俺が絶対に助けるから。だから安心してくれ」
 俺がそう言うと櫛ちゃんは、
「……うん」
 小さく頷いた。
 そして櫛ちゃんを風呂へと入れることにした。
 汗と涙と血を洗い流さないといけない。鳥髪夫妻に傷の治癒と鎮静効果のある(らしい)薬湯を用意してもらい、マナが櫛ちゃんの補助をする。俺は外で見張り――というか、何もせず突っ立ってる役だった。
「きゃあ! 何処触ってるの!」
 なんて声が聞こえるはずもなく、ただ水飛沫の音だけが響いていた。
 ……さて、約束しちまったからな。いっちょ気合を入れますか。



 櫛ちゃんは家族である鳥髪夫妻に任せておいた。ここ一番で頼りになるのはやっぱり家族だからな。
 …………。
 さて、考えることを始めよう。
 まず俺達はあの湖のほとり――老樹の社へと向かうことにした。
 そこではもう禊祭の準備が始まっていた。ステージのようなものや注連縄しめなわ、何種類かの花など、俺があまり知らないもので飾り付けされている。もちろん稲さんの血は老樹と儀式刀、共に綺麗に洗い流されている。準備をする村人の顔は明るくない。
 村人は蛇神の祟りを恐れているのだ。何故、と訊いても誰も答えない。それにはマナがこう言ってくれた。
「現代人の匠哉には分からないかもしれないけど、昔は神や祟りってのは無条件で信じられていたんだよ」
「だがたったの百年前だろ? 俺達のいた時代が2034年で、その百年前だから1934年。大正も過ぎて魑魅魍魎が徘徊する次代は終わりを迎えたんじゃないのか?」
「うーん、もしかするともっと前なのかも。それにね、匠哉。山村ってのはそれだけで外界と断絶された世界なんだよ。教科書はあくまで最先端の事象だけ。周りから閉じたこういう村々はもう五十年くらい遅れててあたりまえなんだよ」
「何か失礼なセリフだな」
「な、私が折角真面目に答えてあげたのに! ばか!」
 マナを宥めるのもなかなか難しかった。
 閑話休題。
 俺達はこの老樹の社――神座かみくらで考えをまとめることにした。神座とは文字通り神が降りる場所のことであり、巫女と対を成すようなものだ。
 神は巫女によって目覚め降りるが、この場合穢れに気をつけなければならない。巫女は身を清め神聖な衣類を身につけるが、巫女が神を汚さぬよう、そして神が巫女を汚さぬようどちらも触れ合ってはいけないのだ。そのため道具を使い間接的に神を使役もしくは神に従属する。降りた神を一時的に宿す、もしくは御神体として居所とするのがこの神座だ。神座には巨石や巨木がよく使用されるが、これは年を多く刻んだ巨石や巨木が神聖なものであるという考えからきているとか。以上、マナから教えられたこと。
 おおっと、閑話休題。
「……じゃあやっぱり櫛ちゃんは操られてたって線が一番有力かな」
「ああ。そう考えるのが妥当だろうな。そもそも櫛ちゃんは鬼子であり、誕生直後に会話――何らかの『何か』を一度宿してるんだ。口寄せや降霊あたりの能力でもあるんじゃないのか?」
「うーん、そもそも神の前で舞いを踊る巫女とその身体に霊を宿す巫女ってのは違う存在なんだけど……この場合、その両方が櫛ちゃんに収束してるってことかな」
「稲さんには霊力がなかったらしいな。その分じゃないのか?」
 そういえば稲さんて力が強かったよな。その左胸に短刀が刺された時だって、もしもだが櫛ちゃんが斬ってしまったとしたのでも、どうして抵抗しなかったんだろうか。
「稲さんは親しい間柄の人間に突然刺された……?」
「うーん、稲さんは櫛ちゃんの分まで洞察力とか色々ありそうだし……どうなんだろ、私たちの基準だったらありえないことなんだけど、彼女らは別に実戦経験があるわけじゃないと思うし……」
 俺達の毎日が常軌を逸していることが足枷になっていた。今思うとアレな生活を送ってたな、俺。
「それに憑かれたのだとしても……それは『何』?」
「やっぱり妥当なのは蛇神様か?」
 その言葉で、周りの村人――聞いていないふりをしてながら盗み聞きをしていた者達の肩がびくりと跳ね上がった。そこまで恐れるものなのだろうか。いや、マナが変と感じない辺りこれがこの時代では普通なのだろう。何か恐れるような心当たりがあると思ったのだが……。
「蛇神様……ね。どうしてそんな事をする必要があるのかがわかんないよ」
「なぁ、マナは昨日変な霊力みたいなの感じなかったのか?」
 そんな感じの便利機能はないのだろうか。
 しかしマナは首を横に振った。
「残念。そもそも蛇神はこの地の土地神と化してるから、ここらの地域一体が蛇神とやらの霊力で満ちてるの。いわば色づけされた空気かな? だからとびっきり目立つほど濃い色じゃないと、色づけされた空気ど同化しちゃって判別か付かないんだよ」
「……分かりにくいな。とにかくマナは何にも感じなかったんだな」
「うん。でもそれが櫛ちゃんが憑かれてなかったっていう理由にはならないよ。人の意識を奪い取るぐらいそこまで難しいことじゃないと思う。蛇神という時点でそこらの下等な妖とは違うみたいだし」
「……そもそも蛇神って何なんだろうな?」
「さぁねー」
 ひらひらと手を泳がせるマナ。と思ったらいきなり人差し指をぴんと立て、
「あ、そういやこんな面白い考えがあってね?」
「……おい、脱線するぞ」
「同じことをずっと考えてても仕方ないよ、頭を休めないと。それに何か参考になるかも。この物知りマナさんに任せなさいっ!」
 そう言ってマナはえっへん、と膨らみの乏しい胸を張る。
「櫛名田比売のクシナダってね――串蛇クシナダとも書けるんだよ」
 あんまり有力じゃないけどね、なんて言うマナ。
「そしてね、櫛名田比売の両親の名前を思い浮かべる。そして復唱!」
「足名椎命・手名椎命……アシナヅチ・テナヅチ……あしなづち・てなづち……」
「……何か面白いことに気づかない?」
「あしなづち、てなづち……あしな、てな……足無アシナ手無テナ――!?」
「ご名答〜」
「それって蛇そのもの・・・・・じゃないか……!」
「その子孫の大国主は、しばしば三輪山の大物主おおものぬしの同一視されていたね」
「……大物主は蛇神だぞ!?」
「匠哉、大蛇の語源知ってる?」
「いや……」
大蛇おろちって、大蛇と書いてもオロチなんて読めないでしょ」
「そういやそうだな……いかづちなんかもそうだが」
「原型はヲロチと言って、ヲは峰――つまり山を、ロは助詞でチは霊を表してるんだよ」
 それで山の神なのか。三輪山の神は蛇神で、大蛇は山の霊。
 大蛇――櫛名田比売――鳥髪――そして、八岐大蛇。

 パズルピースが一つ、綺麗に埋まった。

 見えてきた。パズル完成後に描かれるものが。パズルはまだ半分しか組みあがっていないが、全体像がおぼろげに浮かび上がってきている。あと少し、あと少しだ。
「わかったぞ」
「え?」
「わかったんだよ――蛇神の正体が。そしてこいつが何を望んでいるのかを」
「えええ!?」
 オーバーに驚くマナ。何故分かったのかという顔だ。俺としては何故おまえが分からないのかがよくわからん。
「よく考えてみろ。この村はなんと言う名だ? そしてこの村の生業は何だ? そして神というものがどういう存在かを――こういう巫山戯た神のやることを、思い出せ」
 俺達は何度かそういうモノと戦ってきたじゃないか。
 しかしマナはここまで言っても分からないらしい。仕方ない、じゃあ教えてやろう。
「この村の名は鳥髪村。『古事記』にも登場したあの鳥髪と同じ名だ。そしてこの地の生業はタタラと稲作。この二つを象徴する蛇神は何だった?」
 あ、と何かに気づいたかのようにマナが口に手を当てた。そもそもこの話をしてくれたのはおまえだったじゃないか。まったく、どっか抜けてるやつだ。そのどっか抜けてるやつは、その名を叫んだ。
「――八岐大蛇ヤマタノオロチ!」
「そして悪しき存在として神々や武士もののふに討たれたモノが望むものといえば――アレしかないだろう」
 鈴蘭、八十禍津日神。どいつもこいつも夢見やがって。
「――現世制覇だ」
 なんて馬鹿馬鹿しい理由。これならまだマスケラの方が――マスケラ? そうだ、マスケラのことを忘れていた。何故マスケラはこの時代に、この事件が起きることが分かっていたかのように……いや、過去の出来事なのだからわかって当然なのかもしれないが、何でわざわざ俺達に――まるで、俺達に解決させたいかのように。
 また一つ、パズルが埋まった。
「……っち。そういうことかよ」
「た、匠哉? さっきからどうしちゃったの?」
「知らん。だが今の俺は妙に冴えてる。――巫の正体はマスケラだ」
 あいつが一番タチ悪いじゃねぇか。
 そもそも巫とは神と交流する者のことだ。外なる神のメッセンジャーとか呼ばれてる奴にはぴったりだ。しかも双子。ウェイトリィ家の真似のつもりか?
「巫に扮したマスケラは永眠ねむりについていた八岐大蛇を呼び起こし、土地神にしたんじゃないか? 神という器を手に入れた土地は、信仰によって霊力を蓄えられるようになった。結果、霊力の浸透したこの土地は少しずつ豊かになっていった」
 ちょっと飛ばし飛ばしの解釈だが、あまり無理はないはずだ。霊力が満ちた場は神聖な場であり、同時にその霊力に引かれて悪鬼が近づく邪悪な場所でもある。京都なんかがそうだ。多くの社や寺がある反面、百鬼夜行魑魅魍魎の跋扈で有名だろう。果たしてこれが村の繁栄に繋がるかどうかは俺も疑問だが、
「……うん、あたりだと思うよ。それこそが祭事のシステムそのものなんだから」
 と現役神様のまるじるしを貰った。
「だがここで一つの問題が生じたじゃないか? 土地神となった八岐大蛇は十二年にわたる信仰によって、微力ながらその力を回復したんだ。そこで八岐大蛇はこう思ったんじゃないのか――『私を滅ぼした神を血祭りに上げてやる。そのためには私が復活せねば。力を蓄えねば』ってな」
「でも何でマスケラが……」
「いや、むしろこれこそがあいつの目的だったんだろうさ。俺達にこうやって謎解きをさせる。クリアできたら現世へ帰還、できなかったら一生ここで暮らせ――みたいな」
 そもそも全てはあの巫――マスケラがいてこそ。マスケラがいなければ八岐大蛇が土地神なんて器に押し込められることもなかっただろうし、稲さんも櫛ちゃんも生まれてこなかった。
 まるで物語の作者のよう。
「それが……稲さん殺しの真相?」
「真相かどうかはまだわからん。本来こういった生贄の役割には、巫女である櫛ちゃんがぴったりのはずだろう」
「磔にするなんて……まるで見せ付けてるみたいだったね。村人の恐怖を煽るつもりだったのかな……」
 マナの声とともに。

 ぱちん、と。音を立ててパズルが完成した。

 ――――ああ。
 そういうことか。そのために稲さんは殺された――いや、死んでしまった。
「なんて人だよ……ったく」
 だが真実は判った。最後だけはまだ憶測の域だが、それは犯人に訊いてしまえばいい。
 舞台と役者は揃っている。
 今宵は神が降りる夜。
 終わらせよう。



 篝火の火の粉が空へと昇り、夕日が大地と空を赤く染めている。
 人と妖が交差する黄昏時に禊祭りは始まった。
 村人の殆どが湖のほとり――老樹の社へと集まり、巫女の舞いをそれぞれの不安抱きながら見ている。茣蓙に規則正しく並んで座り、眼を伏せるその姿は、稲さんへ黙祷を捧げているようにも思えた。
 飾り付けされた神座、その老樹の根の上で櫛ちゃんは舞いを踊っている。夕焼けの朱が彼女を赤く濡らし、その光を儀式刀が撥ね返す様はまさに幻想的だ。
 俺達はそのすぐ近く、老樹の脇で村の重鎮たちと共に並んで座っている。
 櫛ちゃんの巫女舞いはあと少しで終わる。
 刀が空を裂き、白い髪が舞い、最後に――

 その刃を、自らの胸に突き刺した。

「――――!!」
 だが、その前に。
 俺が神風の如く滑り込み、刃を掴んだ。
 右手に鋭い痛みが走る。だがそんなことに構っている場合ではない。
「村長、今だ!!」
 応、という重鎮たちの声とともに――櫛ちゃんに縄が巻きつけられた。
 それは注連縄。
 村長らによって一瞬で幾重にも巻かれた注連縄は――櫛ちゃんに憑いた神をも拘束する。小さな身体に太い縄を巻きつけ、その端を村の重鎮たちに持たせたのだ。八岐大蛇なんて高位な化け物には、ただの注連縄程度では効果なしだが、これはマナが道返の結界を編みこんだ特注品だ。
 今は黄昏時。
 黄昏時の語源は誰ぞ彼、という問いかけだ。夕暮れ時は薄暗く、すれ違う人の顔が判らないために、その者が人か人に化けた妖か問うための合言葉のこと。
 この瞬間は、まさに人と妖の境界線。
「だれかれだれぞ、だれぞかれ――」
 今こそ俺も問おうじゃないか。
「――お前は誰だ」
 櫛ちゃんは――いや、櫛ちゃんの身体に宿る『何か』は一瞬驚き、
「いや、見事かな
 にやりと笑みを作ってみせた。
 ソレの手から儀式刀が滑り落ち、幹の間に突き刺さる。注連縄でぐるぐる巻きにされたソレはなお、笑みという余裕を絶やさず存在している。
「……其方が此度の元凶か」
 低い、敵意の篭ったマナの声がソレを貫く。しかしソレは笑みを崩さぬまま、
「無論よ。だがこうして我が表に出られるのも貌無かおなしの巫の御蔭よの。弟神に討たれ封じを施された我を呼び覚ましたのだから。いやはや、このような貧相な村だけに祀られるのも存外悪くはなかったぞ。些かの年で飽きてしまったが、な」
「古き神サマはお喋りなんだな」
「ふ……そうかもしれぬな、月の者。何せ長きの眠りだった故、人肌が恋しいというものだ」
 人肌、という言葉を強調して、ソレは自らの掌をべろりと舐めた。櫛ちゃんの真っ白い肌や宝石のような赤い瞳も、今は蛇を思わせる要素でしかない。
「さて大禍おおまが。このような物で我を括ってどうするつもりだ?」
「蛇神サマに全てを語ってもらうためだよ」
「何をだ?」
「しらばっくれるな――鳥髪稲のことだ」
 突然のことに動揺していた村人達がその言葉で静止する。薄々気づいているのだろう。
「ああ――アレか。いや、アレは本当に可笑しかった」
 くつくつくつ、と本当に面白そうに笑いやがった。苛ついたマナがソレに詰め寄った。
「自分が殺した者の何処がそんなに可笑しいの?」
「ふむ、ならば言ってやろう」
 ソレはもったいぶるように、一度大きく息を吸ってから、

「あの者は私が殺したのではない。自ら短刀を突き立てたのだ」

 そう言い切った。
 今度こそ空気が氷結した。マナすらも理解できないといった様子でその発言に驚いている。
「な、そんな嘘――」
「嘘じゃないぞ」
 言ったのは俺だった。
 ……やっぱりな。俺の憶測は見事にビンゴだったのだ。
「ほう……お主は判っておったのか?」
「ああ。稲さんは――櫛ちゃんに人殺し、ましてや家族殺しなどさせたくなかったんじゃないか?」
 といってもこれすらも推測に過ぎず、本音は彼女自身に訊かなければならない。
「……そう言っていたな。この者のフリをしてここまで誘い出してな、邪視で動けなくさせて殺すつもりだったのだが存外意思が強かった。我の邪視を破り、持っていた短刀で自害したよ。いや、あれは見事だった。出来るものならば我の物にしたかったな」
 巫山戯るな。
「あの娘は言ったよ――私の妹を穢すことは許さない、とな」
 死から逃げられないと悟った稲さんは――最後に一矢を報いたんだ。
 なんて人だよ、ホントに。
「稲さんを殺そうとしたのは、村人を恐怖させるためだな?」
「……祭の前日に殺し晒すことで畏怖という信仰力を集めたんだね……」
 ようやく整理が出来たのか、マナが落ち着いた顔でそう言った。
 畏怖というもの一つの崇拝だ。祟りを恐れて神として祀るのがそのいい例だ。恐らく十二年の信仰程度では蛇神の力は殆ど回復しなかったのだろう。だからこそ畏怖というわかりやすいもので力を集めた。
「だが、何故櫛ちゃんに稲さんを斬る場面を見せ付けた」
「冴えておるな。あれはただ、この娘の心とやらを壊して操りやすくするためだ。そして鬼子のという最高の贄を喰ろうて我は祟り神としての復活を遂げる。今の力は神代の頃と比べればかけ離れているが……まぁいい。仮初の身を顕現させるほどの力は集まった」
 ソレから嫌な気配が立ち上る。
 と、いきなり隣のマナが叫んだ。
「皆目を閉じて――」
 そう言った時にはもう遅い。
「――『二人を取り押さえ剣で我を刺せ』!」
 邪視イヴィル・アイ
 気づいたときにはもう遅い。ソレから俺達を引き剥がすように操られた村人に掴まれ、十人近くの村人によって取り押さえられてしまった。
 そしてソレの注連縄は解かれ一人の村人が突き刺さった儀式刀を手に取る。
 鳥髪村長だった。
「ぐ、あ……ああ……っ!」
 村長は心では嫌がりながらも儀式刀を逆手に持ち、突き刺すように振り上げる。それはゆったりとした動きだった。ソレが楽しんでいるのだろう。のしかかる村人さえいなければ駆け寄ることが出来るのに。
「あああああああああ……っ!!!」
 そして、操られた一撃が――無残にも振り下ろされた。



 俺が見たのは――櫛ちゃんを庇う母の姿だった。
 両手を一心に広げ、操られた父の凶刃から我が子を庇っているその姿だ。
 だが、庇う母に刃は突き立てられなかった。
 父の振るった凶刃は――その父の脚に突き刺さっていたのだから。
 母が子を庇い、父は自分を取り戻し身を挺した。
 妹に罪を背負って欲しくないため、自ら死を選んだ姉を思い出す。
 まったく、なんて家族だ。
 だがこれこそが――本当の家族の形じゃないだろうか。
 身を寄せ合って、庇いあって。どんな時でも守り続けるその姿。
 ……少しだけ、羨ましい。
 そう思った。



「……なん、だと?」
 ソレは動揺していた。目の前の光景が理解できてないようだ。
 その混乱の瞬間、邪視の拘束が弱まった。その隙に俺達は村人の壁から滑りぬけ、勇ましき夫婦めおとに駆け寄る。
「この子は……私たちの、娘だ……」
 太股に刀を貫通させ、血を流す鳥髪シナがそう言った。しかしソレは逃げるように一歩後ろに下がりながら、
「貌無より生み出された娘だろう。貴様ら夫婦のまぐわいで生まれた者ではな――」
「――否!!」
 叫んだのは鳥髪テマだった。手を下げ、振り返って娘の顔をしたソレに言う。
「それでもなお、私たちの娘なのです! 子を殺す親が何処にいるでしょうか!!」
 その声に恐れるかのように、ソレは後退る。その姿を見ながらマナは言う
「八岐大蛇。其方の敗因は――人を見縊みくびったことだよ」
 終わりだ、八岐大蛇。
「は、ははははははは……!! まさか、よもやこの我が人間に遅れを取るとは! その奇怪な運命を持つ小僧でも、禍神の片割れでもなく、ただの人間に――家族というものにか!? 奇怪おかしい可笑おかしすぎるぞ……!!」
 狂ったように笑い続ける。
「そうか、そうかそうかそうかそうか……ならば、ならばならばならば――」
 ぞっとした。
 それは嫌な気配。俺の心が警鐘を鳴らしているような、何か拙いことが起きる予感だ。マナも同じく異変を感じているようで、ソレを取り押さえようと手を伸ばしたが、
「ならば――神の力を見せてやろうではないか! 人では抗えぬ神の力をな!!」
 その瞬間。

 山と湖が爆発した。

 強い衝撃が全身を襲い、堪らず俺達は吹き飛ばされる。
「な、にが……ッ!?」
 俺とマナ、両方とも今の状況を理解できていない。
 大地が揺れていた。その場に立てなくなるほどの揺れが、ひれ伏す俺達に襲い掛かった。数秒をかけてなんとか立ち上がった俺達は――そこに、恐ろしいものを見る。
「なんだ、あれ……」
「うそ……」
 狂うように笑い続けるソレの背後に――巨大な水柱が存在していた。
 鳴動する大地の中、湖の水が渦を巻きながら上昇する。
 ――そして、それは起こった。
 天に届いた柱が、花開くように頂上から分裂したのだ。
 その数は八つ。
 八つの柱は大地へと激突し、抉りながら暴れまわる。山々は悉く破壊され、土石流となり水柱へと次々吸収されてゆく。そうしてその身を数倍にも膨らませ、
「――――!!」
 咆哮。
 水柱の圧により木々は倒され山は削れ、大雪崩となって大地を蹂躙した。もう湖には水はなく、社の俺達を囲むように破壊が行われる。凄まじい勢いの土石流が、障害となる全てを取り込みながら加速していた。
 止まらない。
 それは最早水などではなかった。
 全長数キロにも及ぶ、八首の水柱。

 八岐大蛇がそこにいた。




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