爾に速須佐之男命、其の御佩しませる十拳剣を抜きて、其の蛇を切り散りたまひしかば、肥河血に変りて流れき。故、其の中の尾を切りたまひし時、御刀の刃毀けき。爾に怪しと思ほして、御刀の前以ちて刺し割きて見たまへば、都牟刈の大刀在りき。故、此の大刀を取りて、異しき物と思ほして、天照大御神に白し上げたまひき。是は草那芸の大刀なり。 ――『古事記』
玄関にはマスケラがいた。 「やあ。久しぶりだねたく――」 即行で扉を閉めた。 「……ひどいなぁ」 「不法侵入な空間移動ができるんならウチの敷居を跨ぐ必要は無いだろ」 「それもそうだね」 言いつつ奥へと進むマスケラ。もう何も言うまい。 「ん、何? マスケラ?」 学生服のままだれてるマナがこっちを向いた。 「やっほー。元気に貧乏してるかい?」 「匠哉、コイツ追い出そうよ」 「ああんひどい」 「……で、今日は何のようだ。お茶ぐらいなら出してやらんこともない」 「ああ、いいよ」 マスケラは爽やかな笑顔でそう言い、俺とマナの額にその指を伸ばし―― 「――どうせすぐにここからいなくなるんだから、ね」 暗転。 ……おう? 気がつけば俺は外に転がされていた。それも森の中だった。 …………。 そうか。マスケラに意識オトされたんだった。運ばれて捨てられたのだろうか。だが、少なくともここは星丘市ではないと思う。こんな自然は、星丘市にはなかった筈だ。 「あ、匠哉。気づいたんだね」 隣にはマナがいた。かなり落ち着いている。 「ここ……どこだ?」 「わかんないよ。私も今目が覚めたばかりだし。でも、この空気……」 ぶつぶつ言い始めるマナ。落ち着いてはいても、理解はできてないのか。 「ま、いいや。とりあえずこの森から出るぞ」 「そうだね。動くのが一番だよ。マスケラのイタズラかもしれないし」 毎度毎度のことだ。こんな超展開も俺の脳は慣れていた。 ……だがマナ、マスケラのイタズラは、地球を滅ぼしてもイタズラレベルだぞ。 そうしてしばらく歩くと出口は見えてきた。 強い日差し。木々が生えているのはここまでで、先は湖になっている。 広大な湖と、その周りをぐるりと囲む林と、ほとりに生えた巨木と、 「――――」 その巨木の足元で踊る――妖精がいた。 滑るような足運び。舞う白の長い髪。 小さな女の子が、白の着物よりもさらに白い肌に汗の玉を浮かせて舞っている。 水面の上に浮いてるのかと思ったら、立てられたつま先の半分くらいは水の中に浸かっていた。巨木の幹を踏み、その上を華麗に動いていたのだ。 「ほえ……」 横からマナの間抜けな声が聞こえる。 馬鹿にはできない。多分俺も口を開けたまま呆然としているだろうから。ぶっちゃけると見惚れている。 と、女の子がこちらに気づいた。ゆっくりとこちらを見て、 「――――!!」 ビクゥ! と飛び上がった。その拍子で足が滑り、 「あっ」 ばしゃん。 ひっくり返っていた。水浸しだった。濡れ濡れだった。 「う、ううううう」 泣きやがった。 ……やばい。とりあえず宥めよう。 「悪い、俺達は決して怪しい者じゃ――」 「そんな奇天烈な格好を、怪しくないと言う人は居ないと思いますよ」 突然、背後から声がかけられた。俺とマナが慌てて振り向く。 そこには、 「その子に何の用ですか? 今ここは禁足地になっている筈ですが」 ずっこけた娘と――同じ顔をした少女がいた。 ただし髪は黒く、肌の色も健康的。全体の容貌は瓜二つだが、雰囲気が決定的に違う。 「人、呼びますよ」 00 「待って」 ずい、と前に出るマナ。ちらりと向けられた眼に、私に任せろという意味が込められていたような気がしたのでまかせることにする。 「私たちは古都から来たただの見物人だよ。この格好、洋服って言ってね。古都じゃ普通なんだけどな」 俺とマナは学生服。学校から帰ってきてそのままの姿。 でたらめだった。だが黒の少女ははっとした風に口に手を当てて、 「あ……それは失礼しました」 「ううん、ここが禁足地であるというのに踏み込んだ私たちの方が悪いからね。ごめんなさい」 「いえ、この地の者でないのなら仕方ありません。明日の祭りを見に来て、道に迷ったのでしょう」 「聡明で助かるよ」 「いえいえ」 そんな感じで打ち解けていた。 俺か? 俺はぼーっと水面に写る自分の間抜け顔を見ていただけだ。 「では、村までご案内します。私たちも丁度帰ろうとしていたんです。お 櫛、と呼ばれた白の少女は尻餅をついたままで、 「 稲、と呼ばれた黒の少女は深いため息をついた。 「まさかと思ったけど……やっぱりここ、過去の日本だよ。雰囲気からして……百年くらい前かな。私たち、マスケラに過去転移されたんじゃない?」 オーケイ、大体理解できた。 ――今目の前に広がる風景を見れば、納得するしかないだろう。 俺達が目覚めた湖がある山の麓の村。藁の家に木の家、石の家。ウチぐらい古い外観の建物が、真新しく建っていた。そしてそれを囲む田んぼと畑は、俺達のいた時代には珍しい光景だ。鼻をくすぐる草の香りも、ずっと続く山並も、傍を流れる清川も。 古き良き日本がここにあった。 「匠哉さん、マナさん。鳥髪村へようこそ」 「よ、ようこそ……」 軽い自己紹介の時に、はきはきとした稲さん(何故かさん付け)とおどおどとした櫛ちゃんは双子なのだと説明された。といっても髪の色や性格で完璧に違いが分かるのだが。ちなみに利き手も逆らしい。 鏡像の双子、と言うのだろう。しかし、髪の色の違う双子か。 ちなみに年齢は十二歳らしい。稲さんの雰囲気は、とてもそうは思えないが。 「鳥髪、か……ずいぶん遠くまで飛ばされたね」 「ここがどこか判ったのか?」 「うん。鳥髪ってね、あの 「つまりここは出雲――島根か……」 百年前の出雲。まったく、マスケラはこんなとこにつれてきて何をさせるつもりなんだ。 ま、結局はただのお遊びでしかないんだろうけど。 ……うぜぇ。 「あ、タタラ場だ」 マナが指差す方向には、煙を上げる大きな家があった。確か、高殿と呼ばれる製鉄工房だ。 「この鳥髪村は製鉄が少しばかり盛んでして。都から買いに来る方もいるんですよ」 「おお、 「タタラに興味がおありですか?」 「私の友達にすっごい詳しいのがいてね。それの影響だよ」 「それはお会いしたいですね」 稲さんが言った。会ったらびっくりすると思う。だってタタラの神だし。 「んあ〜、お稲さんのお客さんですかい?」 と、タタラ場から出てきた汗だくの村人A。 「明日のお祭りを見に、わざわざ都から来られたそうなんですよ」 「ほぅ、それはごくろうでした。今年の 「わかりました。匠哉さんマナさん、ここで少し待っていて下さい」 そう言うと、稲さんはタタラ場の中へと消えていった。 「あーあ、この時代のカナはさぞご立腹だろうな〜」 マナがしみじみと言った。 「何でだ? 確かに金屋子神はタタラの神だが……」 「あのねぇ、自分の陣地――聖域であるタタラ場に見ず知らずの女がずけずけ入ってくるんだよ。それってかなり嫌じゃない?」 「俺の家に勝手に住み着いてるお前が言うな」 「そ、その節はどうも……」 そんなやりとりをしていると、稲さんが戻ってきた。 「すいません、お時間かけて」 「ううん、大丈夫。それよりも、タタラ場には女性は入っちゃいけないんじゃない?」 「私は特別なんですよ」 そう言うと、稲さんは傍らにあった米俵みたいなのを掴み、 「お櫛が霊力に長けているせいもあるのか、私は力持ちなんですよ」 ひょいっと片手で持ち上げた。 続いて俺も持ち上げてみたが、両手でやっとだった。 男として何かが傷ついたような気がする。 「ほうほう、櫛ちゃんって霊力あるんだな」 なので話を逸らしてみた。 「う、うん。この村で一番だから、巫女をやらせてもらってるの……」 何ィ、巫女さんだと。 俺の知ってる巫女さんがアレなだけに、こういう正統派な巫女さんは新鮮だった。 「明日の禊祭ではお櫛が巫女舞を踊りますよ」 「それは楽しみだね、匠哉」 「ああ、そうだな」 「……うう。いぢわるだよぉ」 稲さんの話によると、櫛ちゃんは明日の舞に不安を覚えているらしい。巫女舞を踊るのは今年からで、初めてなのだそうだ。先ほど湖で見た神聖さからすれば二重丸モノなのだが、緊張に弱そうな櫛ちゃんは今からでもドキドキでしるらしい。だから先ほど一生懸命練習していたのだろう。 涙目の櫛ちゃんを肴に打ち解けあった俺達は、この村の長のところへと向かっていた。 村長――鳥髪夫妻は、稲さんと櫛ちゃんのご両親。 つまりこの双子は村長一家というわけだ。 「御客人、初めまして。私はこの村の長をしている鳥髪シナという者だ。以後よろしく」 線の細い男性だった。その隣には黒髪の綺麗な女性がいて、 「あらあら、都からここまで。大変だったでしょう」 鳥髪テマだと告げられた。 村一番広い村長宅は、祭の際に訪れる旅人への宿としても使用されるらしく、俺達もお世話になることになった。他にも結構な人数の客がいるようだ。 「祭と一緒に縁談や鋳物を買いに方もいらっしゃいますから。むしろ匠哉さんのような、祭だけを楽しみに来られた方のほうが珍しいんですよ」 部屋には稲さんが案内してくれ、日が暮れるまでに帰ってきてくれればいいと告げて去っていった。 「よし、外に出よう」 「匠哉は落ち着くと言うことを知らないんだね」 すぐに櫛ちゃんは見つかった。 マナと一緒に大自然を体験していたら、重そうな荷物を抱えた櫛ちゃんがとてとてと歩いていたのだ。直感で理解した。コケる、と。 「きゃ――」 「やっぱり!」 自慢の脚で滑り込み、櫛ちゃんをキャッチ。放り投げられた荷物はマナがキャッチした。ナイス。 「直感で女の子助ける方を選ぶんだから、こりゃ相当末期だね……」 マナが何か言っていた気がしたが、気のせいだろう。 「危なかったな……」 「あ、あうあうあ〜」 顔を真っ赤にした櫛ちゃんが着物に顔を埋めた。何故だ。 「ほら匠哉、顔が近い。離れて離れて」 「お、押すなって」 ずっしりとした荷物を無理矢理押し付けられた。何故だ。 「大丈夫か、こんなに重いもの。稲さんは?」 「稲おねぇちゃんは、忙しいから……」 「迷惑だと思っちゃったのか。でも櫛ちゃんが怪我する方が心配かけると思うけどな」 「匠哉、いいこと言うね」 「トーゼン」 「ぶち壊しだね」 「ザンネン」 漫才終了。 「また舞の練習に行くの?」 「う、うん……湖の方で、今度は道具も使って……」 道具とは俺の持つこの荷物のことか。中身は長物か。 「あの……よかったら、手伝ってくれる……かな」 「トゼーン」 荷物の中身は――金覆輪の刀だった。 神楽の舞人が踊る際に持つ採物と呼ばれる儀式刀だ。 しかし刃はつぶされていないし、かなり鋭い。 「へぇ……蛇切りの加護がついてるね。それもかなり強いよ」 何か物騒なことを言っていた。 「重そうだな……こんなの振り回すのか?」 「剣の採物は結構な技術がいるんだけど……」 「う、う、う……」 刀を持つ櫛ちゃんの手はぷるぷると震えている。 それでも落とすことなどなく、流麗華麗に旋回させながら舞いきった。 「おお〜。明日の祭には舞台も衣装もバッチリなんだよね。楽しみ」 「はぅぅ……」 疲れたのか、刀を鞘に収めた櫛ちゃんは、ふらふらと近くの岩へと腰を降ろした。 日差しは強いが、湖から来る風と木陰は心地よい。 「訊いてもいいかな?」 マナが突然そう言った。櫛ちゃんはハムスターみたいにこくこく頷く。 「この村は何を祭ってるの?」 ……おいおい。それを訊くのかよ。自爆じゃねぇか。 「蛇神様、だよ」 全然不思議とも思ってないっぽい櫛ちゃん。ああ、だから訊いたのか。ナイスボケボケ。 それにしても蛇神か……蛇やら竜やら、俺はどこまでヤツラに追いかけられるのだろうか。 「蛇神? てっきり須佐之男か金屋子神だと思ってたんだが」 なんてったってここは鳥髪村だし、タタラを生業としているのだし。 「いや、この村が蛇神を祭ってたっていいと思うよ」 意外にも、反論してきたのはマナだった。 「――鉄はね、龍なんだよ」 「は?」 疑問符を浮かべる俺に、やれやれまったくこの無知は――なんてムカツク視線をよこしてくるマナ。 「ギリシャ神話最大の怪物・テュポーンはその骨が鉄でできていたとされてるの。テュポ−ンはその肩も百の蛇を飼っていた」 「……そしてお前、やけに異国異宗教に詳しいな」 「茶化さない。ちなみに、テュポーンは 自然現象の神格化……か。だが神であるお前がそれを言うのはなんか変な感じだ。 「だがここは日本だぞ?」 テュポーンは関係ないと思うんだが。 しかしマナはちっちっち、と指を振りながら、 「これは枕詞。さて、本題に入るよ」 なんて回りくどい。 「かの有名な八岐大蛇退治の話では、八岐大蛇が娘――櫛名田比売を要求するけど、これは大河と稲作の関係を表してるとされてるんだよ」 「……待て、俺にも理解できた。八岐大蛇ってのは氾濫した大河のことで、要求するってのは大雨や氾濫とかの自然災害で稲がダメになってしまうこと、そして須佐之男に討たれたというのは大河が治水された――ってことだな。でもそれは答えになってないぞ。この話の流れからすると、祭られるべきは須佐之男だと思うんだが」 「甘いよ。討たれた八岐大蛇からは見事な神剣が現れた――製鉄にも結び付けられるんだ」 「この鳥髪はタタラ村――か」 おお、確かにまるく繋がった。 「でも何か納得できないんだが。やっぱり祭られるのは須佐之男じゃないか?」 「須佐之男は色々な神社にひっぱりだこだったからね……何か八岐大蛇を祭るキッカケがあったのかも」 「櫛ちゃんは、知ってるか?」 案の定ふるふると首を振る櫛ちゃん。 ……何故だか俺は、八岐大蛇の話が気になった。 もしかしたら、俺はこの時から気づいてたのかもしれない。 この村に眠る――狂気に。 「さあ、飲んでくれ」 日が暮れ、湯浴みまでさせてもらった俺達は、大きな広間のような所に集まった。明日の祭の前夜祭兼客人歓迎会のようなものらしい。そしてそこで、皿のような器とそこに浮かぶ透明な液体を手渡された。 酒だ。 「この村に昔から伝わる秘匿の製造法で作った豊御酒だよ」 「もしかして―― マナが叫ぶ。すると鳥髪村長は驚いた顔で、 「ご存知なのですか?」 「うん、存知も存知! 一度飲んでみたかったんだよ!!」 ぐびっと一気に飲み干すマナ。 「っぷはー! やっぱり神代の酒は違うねー!」 村長から竹とっくりを奪い取り、がばがば飲むマナ。そういやこいつ酒癖最悪だった。 「す、すいません。ウチの連れが粗相を……」 「いえ、ここまで楽しく飲んでもらえれば幸いだよ。今年は沢山の貯蔵があるから」 「そうですか。じゃ、俺も一杯……」 お酒は二十歳になってから? いや、俺って日本国籍あるかどうかわかんないし。 その八塩折酒というらしい酒は、とろりとした舌触りだった。甘い液体が口いっぱいに広がって、そこから熱を帯びていく。俺は酒が好きなわけじゃないが、この酒が極上だということだけは理解できた。 「美味い……」 「大蛇をも酔い潰すからねぇ……うわばみの私も流石に……ひっく」 マナはもう真っ赤だった。かくいう俺も一杯だけなのに視界がぐるぐるしてきた。 いつの間にか時間は過ぎ、村長もその奥さんもいなくなっていた。いるのは飲んだくれと化した数人の村人と十数人の旅人と腹を出して寝てるマナ。 少し夜風に当たろう。このままでは火照って寝付けそうにない。 外に出ると、稲さんがいた。 上弦の月を見上げながら―― ……泣いてる? と、稲さんは俺に気づいたのか、目元を拭ってこちらに微笑んできた。 その笑みは、少しばかり硬かった。 「眠れませんか?」 「ああ。少し、話でもしないか?」 「いいですね。私も訊きたいことがありましたし」 稲さんと視線を合わせるために、俺は腰を下ろす。 こうしてみると、稲さんは本当に十歳の女の子だった。小学生。 だというのに、何故か俺よりも年上に感じられる。 纏っている雰囲気が、違っていた。 そこに、何か理由があるのだろうか。 「匠哉さん……あなたは、『幸福』についてどう思いますか?」 稲さんが、唐突にそう言った。 「幸福……?」 「はい。幸せ。満ち足りていることです」 そう言った稲さんは、月を見上げたまま。 夜天よりも黒い髪が風によってそよそよと浮く。月光に照らされたその横顔は、大人の顔だった。 「それは……難しい質問だな」 事実、俺はちょっと前にそれでかなり悩んだ。半死半生の中で。 「……幸福ってのは、その人それぞれだと思う。その人の価値観に従って、その人が一番良いと思うもの。それこそが幸福だろ」 「そうですね。……ではもう一つ質問です」 「何だ」 「――死ぬことが他の人にとっての幸福になる時、その人はどうしたらいいのでしょう」 それは。 それはそれは―― 「人は、まず自分の幸福を第一に考えるべきだ」 「……それならば、世界は欲にまみれてしまいます」 「そうだな。人には個性がある。個性がぶつかりあう。だが、お互いに牽制しあうことで社会が生まれた。人は幸福を望むべきだが、それが全てじゃいけないんだよ」 自らの欲求に忠実になってしまえば、それは社会不適合だ。 人間失格。 「でしたら、その人は生きるべきなのでしょうか」 「さあな。それはそいつが決めることだ」 稲さんは答えない。 「だが俺の価値観から言わせてもらうと――悪くないんじゃないか」 それは誰かの為に死ぬんじゃない。自己犠牲じゃない。 自らが傷つくことが誰かの幸せに繋がって、それに自らが納得できるのなら。 そういう不器用な生き方も、悪くない。 死は終わりじゃない。 現に俺はそうしてきた。 あの死の縁の中、灰かぶりの少女に言われたっけ。幸せは、難しいと。 ……ああ、本当だ。 難しすぎる。 単純すぎて。 こんな考えをする俺は、狂っているのだろうか。 ルナティック。 月見、匠哉。 「そうですか……」 呟く稲さんの瞳には、何かしらの決意が感じられた。 そしてその瞳をこちらへ向けて、 「では、あなたは……もし、私が死んだとしたら――泣いてくれますか?」 真っ直ぐと向けられた視線には、色々な感情が混じっていて。 「いや――泣かない」 だから目を逸らさず、そう言った。 「俺は泣くことを止めた。水分の無駄だ」 稲さんの顔は伏せられて、影になって窺えなかった。 傷ついただろうか。 だがそれが俺の本心だ。 多分どんな人間が俺の目の前で死んだって、俺は泣かない。 永遠に。ずっと。 と、稲さんはもう一度その顔を上げ、 「……では、最後に一つ」 「何だ」 「私が死んだら――悲しんでくれますか?」 「――もちろんだ」 即答した。 「……ありがとう、おやすみなさい」 そう言った稲さんは、笑顔だった。 この上ないくらいの笑み。昼よりもなお明るい笑い。 正真正銘、心からの笑顔だった。 だから俺も笑みで返そう。 「おやすみ」 そうして俺はその場から去った。 寝よう。 明日は祭だ。 何故過去に飛ばされたのかは知らないが、帰れるかどうかも判らないのでとりあえず楽しんでおこう。 楽しもう。 だが、明日。 俺達を迎えたのは――地獄だった。 「匠哉、匠哉ぁ!」 目覚めはマナのげんこつだった。頭がぐわんぐわんする。 「うあー、頭痛ぇ……」 「二日酔い?」 「いや、物理的に」 「……コントやってる場合じゃないよ。早く起きて、匠哉」 「どうしたんだよ、一体……」 「朝早くから……申し訳ない」 と、部屋には村長がいた。その表情は、とても深刻だった。 「……何かあったんですか」 自然に俺の声のトーンも下がる。 村長は真っ青な顔を苦渋に歪めながら、 「残念なことを、言わなくてはならない」 ――死んでいた。 左胸に、小さな短刀が刺さっていた。 それが――最も軽い傷。 小柄な体が、自らの血で染まっている。 腹が横一文字に裂かれていた。 一文字の間から赤いものがはみ出ている。内臓だった。ヒトであるのなら内に仕舞っておかなければいけないはずの肉塊がごっそりとはみ出ている。 それだけでなく、巨木の幹に磔にされていた。 胸の中央に、短刀と並べてあの儀式刀が突き刺さっている。 刀が貫通して幹へと深く刺さり、それが支えとなって宙ぶらりんの状態だ。 死んでいた。 確実に死んでいた。 ……えっと。 早朝から死体はなかなかキツい。 周りの人間は、嘔吐し涙を流している。 嗚咽の声で満たされていた。 空は曇り。 今日は楽しい祭の日。 なのに。 どうして、こんな。 こんなにも。 死。
|