とある、天気のよい日。 俺は、星丘市へと足を踏み入れた。 「……フッ。ここが、俺の新たな活躍の場か」 太陽に微笑んでみる。何故か、周囲の視線が冷たいが。 「さて、と……迅徒の奴に会わないとな」 俺の名前は、灰島泉。比類なきナイスガイだ。現在17歳。ラヴコメの相手募集中。 職業は――異端審問官である。
「泉さん、こちらですよ」 ファーストフード店――幕怒鳴怒に入ると、俺を呼ぶ声が聞こえた。 待ち合わせの相手、美榊迅徒である。 ……嗚呼。何が悲しくて、男と待ち合わせなどせにゃならんのだ。 「また何か下らない事を考えてませんか?」 「失礼な。……まぁそれより、久し振り」 「はい、久し振りですね」 ニッコリと笑う、迅徒。 迅徒は線の細い、花のような少年である。女装したら、絶対に男だとは分からねえ。 だがその見かけに寄らず、凄まじい使い手だったりする。世の中は不思議だ。 「状況は?」 「進展はなし、です」 迅徒が、肩を下げて言う。 ……ま、仕方ないよなぁ。あの皇居陰陽寮の書庫から、『蟲鳴之書』を奪取する。そんな事が、たった1人で出来る訳がない。 「んで、俺が助っ人として日本に送り込まれた訳だ」 「しかし……1人が2人になった程度で、どうにかなるのですか?」 「当然だ。俺が来た以上、こんな任務なんぞ楽勝よ」 ハッタリだが。 「…………」 あ、何か迅徒たんが疑いの眼で見てる。 「……とりあえず、貴方は星丘高校に潜り込んで貰います。目立たないようにね」 「そりゃ構わんが……どうして俺だけ? お前は?」 「私はあの学校に通っていた事があるので。今更戻ると、逆に目立ってしまう可能性があるのですよ」 「ふーん……」 高校、か。 よし、つまりは俺に学園ラヴコメをしろ、という事だな。 「誰も学園ラヴコメをしろ、だなんて言ってませんよ」 「――何故俺の心が読めるッ!!? 何の妖術だ、裁判にかけるぞこのヤロウッッ!!!」 「付き合いは短くないんです、貴方の考えそうな事くらい分かりますよ」 迅徒が、ふぅと溜息。 「……まったく。どうして、貴方のような人が異端審問官になれたのか」 「そうか、聞きたいか。その理由を」 「いえ別に」 「数年前。とある場所で、ある男と出逢ったんだ――」 「だから聞きたくないのですが」 俺とその男は、何もかもが違い過ぎた。 体操服の裾はブルマから出すべきか否か。新スクール水着を認めるのは実質的な敗北ではないのか。 俺と男は、そういった哲学的な議論を何時間も行った。たったの1度も意見が合う事はなく、水と油のように反発し合った。 「正直、こいつとは一生相容れないと思ったよ」 「はぁ」 「でもな、そいつの瞳はどこまでも真っ直ぐだったんだ。メイドが好きだと語る眼が、あまりにも綺麗だったんだよ――」 「はぁ」 いつの間にか、俺と男は認め合っていた。相容れる事はなくとも、手を取り合う事は出来る。お互い、熱い魂を持つ真の漢なのだから。 「んで、その男が異端審問部部長――パトリック・オブライエン枢機卿だったんだ。俺はカトリックだったから、その縁で異端審問部に入る事となったんだよ」 「……異端審問部は上から下まで、ロクな人間がいませんよね……」 「いや、迅徒。お前も、そのロクな人間がいない組織に所属している人間だぞ?」 「分かっていますよ……」 迅徒は、人生に疲れたっぽい表情。溜息をつくと幸せが逃げるぞ。 ――星丘高校の、とあるクラス。 「俺の名前は灰島泉。ラヴコメの相手を探しに来た」 俺は最初の挨拶で、皆の視線を釘付けにする。フッ、さすがは俺。 何か珍獣を見る眼のような感じもするが、まぁ気のせいだろう。 俺はさり気なく、クラスメイトをチェックする。 ……まずは、アレが田村真か。美榊家の聖女を葬った魔人。 警戒が必要だな。と言うか話には聞いていたが、ホントに寝てやがる。 次に、このクラスの級長――古宮要芽。妖精と契約し、魔術を操る魔女だとか。 いずれは斃さなければならない者だが……ラヴコメの相手には向いているかも知れない。 さらに、月見迦具夜。異教の偶像を駆る少女。 いずれは斃さなければならない者だが……ラヴコメの相手には以下省略。 その向こうには、マナ――大禍津日神。十三呪徒第十三位、<裏切り者>。 いずれは斃さなければならない者だが……以下省略。 んで、中村美空。オベリスクの元副リーダー。 斃さなければならない者でもないし、以下省略。 そして、最後に。 ――韋駄天脚の、月見匠哉。 様々な事件に首を突っ込む、月見迦具夜の双子の兄。 「…………」 何て要注意人物の多いクラスだ。どうして寄りにも寄って、このクラスに入れられたんだよ俺。 (……主よ、これは俺への試練デスカ?) 取り合えず、自分に割り当てられた席に座る。 そして、ホームルームが終了。 よし、ここからは転校生への質問タイムだ。ここでばっちりキメて、女人と仲良くなる……ッ! 「…………」 が、誰も寄って来ない。 ……あ、あれー? 何か皆さん、平然と俺の事無視ー? 「ちょいちょい」 俺は斜め前の席の男――月見匠哉に話しかけてみる。隣は寝てるのでアウトだ。 「ん、何だ? 泉……でいいんだっけか?」 「ああ。何か、転校生に対する皆の反応が淡白ではあるま烏賊?」 「あー……美少女転校生とかだったら、もっといい反応があったんだろうけど。あとその語尾は何だ」 なるほど、道理だ。あと、語尾の事が何故分かる。発音は普通なのに。 「さっきの挨拶がインパクト強過ぎたからなー。……よく言えば」 「…………」 じゃあ、悪く言ったら何なんだ。 ――と、その時。 「美少女転校生なんてお断りよ……」 1人の女子――古宮要芽が、匠哉の席に近付いて来ていた。その後ろでは、月見迦具夜が同意するように頷いている。 「何でだよ、級長?」 聞き返す匠哉に、級長様はギロリと一睨み。 「匠哉。貴方、美少女転校生が現れたらどうする?」 「いや……どうするって聞かれても」 「どうせ、訳あり美少女なんでしょう……! そして貴方は、どうせそれに関わるんでしょうが……ッ!!!」 「……級長、疑心暗鬼にも程がある」 級長の殺気をまともに受けつつも、匠哉は平然としている。きっと慣れているんだろう。 俺? 俺は机の下でガクガクブルブルですよ。 「で、だな。俺が美少女転校生のトラブルに関わったとする。でも何で、それで級長に怒られなきゃならんのサ?」 「……ッッ!!!?」 何その鈍感主人公発言ッ!!? 「そ、それは……」 はい、そこの級長さんも可愛らしく困らないッ!! と、そこに。 「――妹キック!!!!」 迦具夜の見事な蹴りが、匠哉に入った。 「――ぐぉッ!!? マ、マイ・シスター、いきなり何をするッ!!?」 「ダメなの!! お兄ちゃんが助けていい女の子は私だけなんだから……っ!!」 血ィ吐くぞテメェ等ッッ!!! あと、中村美空が『月見匠哉め……ッッ!!!』とか呟きながら、修羅の形相で睨み付けてるんですけどっ!! 本気で恐いんですけどっっ!!!! 「……そうよね、迦具夜はお子さまだもの。匠哉に護って貰わないとダメよね」 「な……ッ!!? 要芽ちゃん、その言葉は宣戦布告だと判断するよ……ッッ!!」 何なんだ、俺から僅か1メートルほどの距離で行われているこのラヴラヴコメコメは……ッッ!!? クソ、認めねえ!! 俺以外の染色体XYがラヴコメる事は認められねえッッ!!! 「く……っ」 俺はこの状況を打破しようと、机の下から上を見上げてみる。 ……あ、スカートの中のエデンが。 「――ぐぉぉぉぉッッ!!!?」 その途端、机に凄まじい圧力がかかり――俺ごと潰された。 俺はズリズリと、机の瓦礫から這い出す。 「……さすがに、これは酷いのではないでしょうか?」 机を潰した犯人であろう、女子2人を見る。 「黙りなさい」 「静かにしてて!」 一言で切って捨てられた。 「……ふふふ。なら、こちらにも考えがあるぞ」 不敵に微笑み、立ち上がる俺。 「お前はもう死んでいる」 俺のその言葉に、怪訝そうな顔をする級長&ブラコン。 その途端、2人のスカートがはらりと床に落ち―― 「え……? き、きゃああああああああああっっ!!!?」 「…………」 ボコボコにされ、校外のゴミ収集箱に放り込まれた俺。 「……っふぅ」 生ゴミ袋の山から、頭を引き抜く。 ……酷い目に遭った。さすがに、巨大ロボを出されたら勝ち目なんてねえよなぁ。 「まぁ、前向きに考えよう」 どんなラヴコメ主人公だって、ヒロインからの第一印象はよくないのがお約束だ。 俺はノソノソと、学校へと戻って行く。 それからの学校生活は、比較的平和だった。あくまで、今までの異端審問官生活と比較した場合だが。 今日、とゆーか今。俺の108つの絶技の1つ――『擦れ違い様に服の上からブラのホックを外す』を擦れ違った女子全員にやっていたら、武装風紀委員に襲われた。割と本気で。 「この、死になさい……!」 「――うぉぉッッ!!?」 放たれた銃弾を、マト○ックス避け。 俺は、数々の修羅場を越えた異端審問官だ。相手が武装風紀委員一年生部隊隊長の倉元緋姫だとしても、そう簡単に敗北したりはせぬ。 だが―― 「――甘い! その首、刈る……ッ!」 相手が1人でなければ、また話は違ってくる。 ――霧神瀬利花。この国に根付く退魔家の1つ――霧神家の娘さんだ。規模で言えば、霧神御三家は『頼光四天王家』と並ぶ。 木刀の斬撃を、首の皮1枚で避ける俺。 「霧神さん、助けなんていりませんッ!!」 「……この男、少しだけ匠哉と色が似ている。こういう輩は、手早く根絶やしにした方がいい……!!」 こいつは匠哉を嫌っているようだ。よしよし。 ……ハッ!? まさか、ツンデレではあるまいな!!? 「隙あり――ッッ!!!」 「……っ!!?」 まずい、考え事に気を取られた。 迫る木刀。 しかし、あんまり俺を舐めるなよ……ッ! 「――なっ!!?」 俺は懐から取り出した定規(30cm)で木刀を防ぎ、受け流す。 そして、背後を取った。 「しま――ッ!!?」 「――遅いッッ!!」 定規を懐に戻し、2つの手を瀬利花へと伸ばす。 もみゅもみゅ。 「……え?」 もみゅもみゅもみゅもみゅ。 「――……ッッ!!!?」 俺は、伸ばした手を背後から前方へと回し――2つの膨らみを、もみゅもみゅする。 むっふっふ。 「き、貴様ぁぁぁぁぁぁッッ!!!!」 瀬利花は顔を真っ赤にして手を振り解き、俺を捉えようと振り返るが―― 「ふふん、のろいのろい」 俺はそれに合わせて動き、ぴったりと背後に張り付いたまま。 ひょいと、スカートを捲る。 「ほほう、バックプリントか」 可愛らしい猫のマークが。 「ぐぅぁぁぁああああああああああッッ!!!!」 憤怒の絶叫と共に、木刀が俺を襲う。 むぅ、さすがにやり過ぎたか? 「では、お詫びにこんなのはいかがでしょう?」 俺は素早く緋姫へと近付き、そのスカートを捲り上げる。 「……え? あ?」 一緒に停止する、緋姫と瀬利花。だがその次はまったく違った。 まず、瀬利花が鼻血を噴く。漫画チックに。 我が生涯に一片の悔いなし、といった表情で血の海に沈む。 よっしゃ、1人撃破。 「な、何をするんですかぁぁぁぁぁッッ!!!!」 ナイフが振られる。 衝撃で窓ガラスが吹き飛ぶ辺り、刃のスピードは音速を超えてるっぽい。 だが俺はそんな一撃を、定規で止める。フッ、クールだぜ。 ナイフと定規で、斬り結ぶ俺達。 「――って、どうして定規でナイフを止められるんですかッ!!?」 「え? どうしてって言われても……ナイフの衝撃を、定規全体に分散させるとゆーか」 意識してやってる訳じゃないからなぁ。 「使い慣れると、結構便利なんだぞ? ――ほら」 俺は定規で、緋姫のブレザーとYシャツのボタンを、纏めて斬り飛ばす。 「きゃあああッッ!!!?」 「みょふふ、眼福眼福」 「こ、このセクハラ人……ッ!!」 「ひゃーふぁっふぁっ♪」 相手が前を隠す隙に、一気に近付いて太ももを覆うニーソに頬擦りする。 「この――ッッ!!!」 脳天に向けてナイフが下ろされるが、そんな攻撃を受ける俺ではない。 ひらりと緋姫から離れ、ナイフを躱す。 追撃をかけるように、緋姫が俺に向かって跳ぶ。 「……へ?」 緋姫は、俺の左側に回り込んだ。 ナイフを、間一髪で防ぐ。 「……ッ」 それぞれ距離を取る、俺達。 「……今ので確信しました。貴方は、左側に回り込まれると弱い」 「なぁっ!!?」 じゃ、弱点見抜かれた――ッ!!!? 「さぁ――覚悟はいいですね?」 ……そして。 「…………」 いつかと同じく、ゴミ収集箱送りにされる俺。 「ふぅ、詰めを誤ったか……」 俺は今日のミスを反省しながら、下校する。 もっと根本的にその助平心を反省すべきだと匠哉に言われたが、お前には言われたくねえと返しておいた。 そんな事を思い出しながら、歩いていると。 「――泉さん」 俺を呼ぶ、声が聞こえた。 「迅徒? どうした、何かあったのか?」 「ええ。少し、時間を頂けますか」 迅徒に連れられ、幕怒鳴怒に入る。 ……もしかしてこいつ、この店好きなのか? 何か、よく来てるみたいだし。 それぞれが注文したブツを食しながら、話をする俺達。 「――スーツケース?」 「はい。このケースを、空港まで運んで欲しいそうです」 机の上に置かれた、1つのスーツケース。 そんなに、大きい物ではない。両手を使えば軽々と持ち上げられるくらいだ。 「空港からは、空輸で本国へと運ぶそうですよ」 迅徒は地図を開き、空港の場所を指で示す。む、結構遠いな。 「しかし……何でまた、そんな事をしなきゃならないんだ?」 「さぁ。私も、そのケースをここまで運んで来た人に頼まれただけですからね。何でも、米軍基地から手に入れた何かだとか」 「ふ〜ん……」 ――って、待て。 「米軍基地ッ!!? それって、何かヤバいんじゃないのかッッ!!?」 「ええ……多分」 うわ、認めやがった。 「何でも、これはカルダーラ枢機卿から命じられた仕事だという話ですね」 「カルダーラ枢機卿……?」 フランコ・カルダーラ枢機卿。敬虔な信徒で、次期教皇と噂される人物だ。 ……その一方で、イタリア・マフィアと繋がりがあるとか、教皇聖下を暗殺して教皇の座に就こうとしているとか……黒い話が囁かれる人物である。 だが、そうなると。 「おいおい、これは異端審問官としての仕事じゃないのか?」 カルダーラ枢機卿に、異端審問官を指揮する権限はない。 「ええ。ただ単に、この地区にいる教皇庁関係者が私達しかいなかっただけのようです」 「むぅ……」 いくら権限がないとは言え、俺達は司祭で向こうは枢機卿。断る訳にもいくまい。 「……でも、どうやって運ぼうか。今すぐ使える車とか、あるのか?」 「その点についてはご安心を。運転手を見付けておきましたから」 「運転手……?」 「はい。かつてイースト・エリアを席捲したクラウンにおいて、『加速狂』と呼ばれた方だそうですよ」 「…………」 何だ、そのネジがぶっ飛んでそうな二つ名は。 「……つーか、話を聞いて思ったんだが。もしかして、俺とその運転手だけで運ぶのか?」 「私は私で、やらなければならない事があるので」 微笑む迅徒。 ……何だか、面倒事を押し付けられたような気がする。 「じゃあ、お願いしますね」 スーツケースを持って、待ち合わせの場所に向かう。 イースト・エリアの一角。人気のないそこで、落ち合うらしい。 周りに人の姿がないので、誰か来ればすぐに例の運転手だと分かる訳だ。 「…………」 あー、どんな奴なんだろうな。 美少女だったら文句はないんだが……世の中そんなに上手くは出来ていまい。どうせ、むさいオッサンだろう。けっ。 まぁ、それよりも。 「……んー?」 何か、さっきから見られてる気がする。友好的な感じじゃないので、運転手さんではないだろう。 ……スーツケースに、視線を落とす。 ま、いっか。しばらく様子を見てみよう。 「……お?」 その時、向こうから人が歩いて来るのが見えた。 予想を裏切り、女の子だった。俺と同じくらいの歳に見える。 「貴方が、灰島泉ね」 「ん、ああ……」 相手は、大きな瞳を俺に向ける。髪も短く切り揃えられていて、勝気そうな娘っ子だ。 「…………」 しかし、何でだろう。俺のラヴコメレーダーが反応しない。どんな存在だろうと、女の子の形をしていれば反応するのに。 こんな相手は、マスケラ以来だ。少し警戒。 「ちょっと? ぼーっとして、どうしたのよ?」 「……いや、何でもない」 「そう。私は白酉飛鳥。貰ったお金の分は働くから」 そんな事言われても、いくら貰ったか俺は知らないし。 「あー。出発する前に、やんなきゃならない事がある」 俺はスーツケースを、飛鳥とやらに預ける。 「さ、出て来い。いつまでも隠れてても、楽しい事なんてないだろ?」 その言葉に応えるように、ゾロゾロと人が現れ、俺達を取り囲む。 「これは……」 「イースト・エリアの住人さん達だな。大方、そのケースを取り替えそうとしている米軍か何かに雇われたんだろう」 連中は指示を出し合いながら、攻めるタイミングを計っている。 「ちょっと、どうするの?」 そう言いつつも、飛鳥の顔は平常だ。包囲を抜ける自信があるのだろうか。 「ひい、ふう、みい……ふむ、20人ちょっとか」 なかなか多いが―― 「――準備運動にもならんな」 定規を、取り出す。 「静粛にしろ――」 俺の一言で、連中のざわめきが止む。 「――審問を開始する」 「ああ、やっぱり大した事なかった」 定規に付いた血を、振り払う。 足元には、斬り刻まれた人間がゴロゴロと転がっていた。 ……俺は、左眼を手で押さえる。 「死んでるの?」 飛鳥が、俺に問う。 「いや、加減はしてやった」 「そう。じゃ、さっさと行きましょう」 飛鳥は俺にケースを返し、歩き出す。 ……興味がないのなら訊くなよ。 「ったく……」 大人しく、後ろに付いて行く俺。 イースト・エリアの端。比較的街に近い場所に、廃屋があった。 「よいしょ……っと」 飛鳥が壁を外すように開き、一緒に中に入る。 「…………」 ……違った。廃屋に偽装されているが、こりゃ車庫のようだ。 収められている、1台の車。 普通車とは比べ物にならない、車高の低さと流線型。 「……ランボルギーニ・ディアブロ」 ランボルギーニ社が、かのカウンタックの後継車として開発したスポーツ・カーである。 「車はこいつよ」 「…………」 色々と、言いたい事があるんだが。 「俺、一応聖職者なんだけど。いくら牛の名前とは言え、悪魔なんて車に乗るのは精神的に問題が」 「ワガママ言わない」 「……あと、普通に目立つだろ。どこの世に、スポーツ・カーで隠密行動をする人間がいる」 「それも道理だけど。でも追っ手に見付かった場合、やっぱりよく動く車の方が逃げ易いし」 ぬぬ……正しいような、間違ってるような。 「――ねえ」 「ん? 何だ?」 「左眼、どうしたの? さっきから押さえてるけど」 ……ああ、忘れてた。 「痛むの? さっきの闘いで怪我したとか」 「いや、そうじゃない」 俺は、左眼から手を離す。 「そもそも、この左眼は義眼だしな。痛む訳がない」 だからこそ、死角に入られると困るのだ。 「ならいいけど……」 飛鳥は、ディアブロの点検を始める。 「…………」 ……そう、この左眼は義眼だ。疼くなんて事が、あるはずはない。 「…………」 俺達は高速道路を使って、目的地へと急ぐ。2人乗りなので、スーツケースは助手席に座っている俺の膝の上だ。 加速狂なんて呼ばれてたんだし、どんな運転をするのかとビビッていたが……普通だ。道交法を厳守している。 ……つーか、この車うっさいなぁ。スポーツ・カーってのは皆こうなのか? 「このまま、何事もなく終わればいいんだけどな……」 「同感。楽でいいし」 最初、高速を使うのは反対だった。襲われたら、逃げ場がないからである。 だが飛鳥は、『速ければその分だけ危険と遭遇する時間も減るわよ』と主張。結果、それに押し切られてしまったのだ。 だがなぁ。逃げ場がないのはホントなんだよなぁ。襲われて車を捨てても、そこが高速道路じゃどうしようもない。 ……待てよ? まさかこいつ、車を捨てるという選択肢が存在しないのか? 「――ねえ、泉」 運転しながら、飛鳥が呟く。 「ん? どうした、トリトリ?」 今考えたあだ名である。由来は、名前に『トリ』という字が2つ入ってるから。俺って天才。 「トリトリ言わないで。昔から言われてて、嫌になってるのよ」 どうやら、天才は俺だけではなかったらしい。 「まぁ、それはともかく……前の車、どう思う?」 前方。 片側2車線の道路を塞ぐように、2台のトラックが並走している。 「やっぱり怪しいよなぁ……前だけじゃなく、後ろも」 そっちにも、何台かがずっと張り付いている。サーヴィス・エリアで車を変えたりしているが、運転手は変わっていない。 ……さっきの『何事もなく終わればいいんだけどな』は、そういう状況での絶望的な願いである。 「前との車間距離は?」 「十分よ」 ……そうか? 随分近いように思えるんだが……。 と、その瞬間。 「――ッッ!!!?」 ブレーキランプの点灯と同時に、2台のトラックが急停車する――! くっ、やっぱりそう来るかッッ!!! 「お――」 おい、と呼びかけようとして、飛鳥を見る。 彼女はこの事態に素早く反応し、ステアリングとブレーキを操作していた。 ……フットブレーキではなく、ハンドブレーキだったが。 「のわぁぁぁ――ッッ!!?」 当然だが、後輪がロックされスピン。 車体の向きが180度変わる寸前で、ハンドブレーキを解除し――加速する。 俺達を追尾していた、後ろの車群。ディアブロは縫うように、車と車の僅かな間を抜けて行く。 見事なスピンターン。お陰で、トラックとの衝突は避けられたが―― 「……まったく、タイヤが減るじゃない」 「もしもし、飛鳥さーん……」 「一応言っておく。喋らない方がいいわよ」 ……高速道路を、もの凄いスピードで逆走しているのですがー? 「やっぱり、これだけじゃ振り切れないか……」 見ると、後続の車の何台かが同じようにスピンターンを決め、俺達を追跡している。 対向車を曲芸のように躱しながら、飛鳥はランボドアを開く。 そして、どこからか取り出した拳銃を、自身は前を見たまま後方に向け―― 「――さよなら」 正確に、追跡車のタイヤを撃ち抜いた。 ……クラッシュする、車達。無論、追って来る者などいない。 「…………」 あまりの事に、絶句する俺。 確かに、車には後方確認用のミラーがいくつもある。それを使えば、後方に正確な射撃を行うのも不可能ではない―― 「……って、そんな訳あるか」 並みの技術じゃねえよ。 「ん、何?」 「……いや。クラウンってのは、噂通りのバケモン集団だったんだなぁ、と」 あの緋姫といいこの飛鳥といい、人間離れし過ぎてやいないだろうか。まぁ、俺が言える事じゃないけど。 「失礼ね」 飛鳥から返って来たのは、その一言だけ。否定はしないようだ。 インターに入り、減速もせぬまま料金所を強行突破する。 ちなみに、さっきの襲撃から今まで、ずっと逆走だ。対向車と衝突しなかった奇跡を、主に感謝である。 とある山の道を、未舗装になるまでディアブロで進む。 そこで、土壁に偽装されていた車庫にディアブロを収めた。……偽装車庫、一体いくつあるんだ? 「まったく……ほら、高速はダメだったろ?」 車庫の中で何かやってる飛鳥に、俺は言う。 ……が。 「何言ってるの。貴方は逃げられないとか言ってたけど、こうして逃げ切ったじゃない。それに高速を使ったからこそ、ここまで1度のトラブルのみで来れたのよ?」 「……むむ」 やっぱり、正しいような、間違ってるような。 「こっからはどうするんだ?」 さすがに、普通の道路は敵に張られている可能性が高い。だからこそ、こんな場所に来たんだろうが。 「山の中を通るわよ」 「……山中か。だから、ディアブロを仕舞ったんだな」 この山には、頂上を通って反対側へと出る登山道がある。 そこを使う、という事なのだろう。 「ええ。車高が低いから、舗装されてない道を通るのは厳しいし」 いや、四輪車で通るのがそもそも無理だと思うんだが。 ……もしかして、こいつなら通れるのか? 在り得そうで恐い。 「で、どうやって山を通る? 徒歩か?」 「そんな訳ないじゃない。バイクを使うわよ」 飛鳥は車庫から、1台のバイクを引っ張り出して来る。 「トライアル・バイクか。なるほど」 トライアルとは――オートバイで障害物だらけの自然の地形を走破するという、なかなかダイナミックな競技だ。 このバイクはその名の通り、トライアル競技のためのバイクである。 「これなら、登山道でも走れるよなー」 バイクで登山道を走ると、道が痛んで色々と迷惑がかかるだろうが……こっちは命がかかっているのだ。四の五の言ってられない。 「は? 登山道なんて通らないわよ。そんなルート、敵に読まれてるに決まってるじゃない」 「……へ?」 じゃあ、どこを通ると言う!? 「おい、飛鳥。何だか、もの凄く嫌な予感がするんだが」 「大した事ではないわよ。ただ少し、道なき道を進むだけだから」 ひぇぇぇぇ、予感通りぃぃぃぃ! 「いや、待て。今、さらに問題に気付いたぞ」 「何よ?」 「トライアル・バイクって、1人乗り用のマシンだよな?」 「そうね」 「でも、こちらは2人。さらには、荷物まである」 「しっかりと固定しないといけないわね。貴方も、そのケースも」 うわー。 「……バイクで入ると山が荒れるんだぞー。この環境破壊者ー」 虚しい抵抗をしてみる。 「そんなに山が大事なら神父辞めて山伏にでもなりなさい。いい霊山、紹介してあげるわよ?」 「…………」 「まぁそれより先に、追っ手に捕まって殺されるだろうけど」 結局、俺に反論の余地はなく。 「……今日1日で、どれだけ寿命が縮まったか分からねえ……」 数時間後、俺達は山の反対側へと出ていた。 「何よ、見事な減点ゼロだったでしょう?」 飛鳥が車庫(もうツッコむまい……)にバイクを収めながら、答える。 「そういう問題じゃないんだが……」 崖だとしか思えないような場所を登ったり下ったりすれば、誰だって寿命が縮む。 ちなみに。俺とスーツケースは、落ちないように固定されていた訳だが……無論、バイクに固定された訳ではない。 飛鳥の身体に、おんぶするようにロープで縛られていた訳だ。 ……嗚呼。相手がこの女じゃなけりゃ、美味し過ぎるシチュだったのに。俺って可哀想。 「って痛っ!!?」 いきなり殴られた。 「……何故かしら。突然、とても不愉快なオーラを感じたんだけど」 「き、きき気のせいだッ!! 気のせいだから、そのスパナは車庫に戻して来いッ!!」 「…………」 疑いの眼を向けながら、車庫へと戻る飛鳥。ふぅ、助かった。 「さて、こっからはどうするのか……」 地図を広げる。 この場所から空港までは、公道を通るしかない。だが無論、敵も待ち構えている事だろう。 「…………」 考えてみても、案はサッパリ浮かばない。 ……仕方ない、運転手に任せるとするか。何だかんだ言って、ここまで来れたのもあいつのお陰だし。 天を見上げる。 空には、孤独な月。天上に独りぼっちで、アレは寂しくないのだろうか。 「……もう夜か」 真面目に、お仕事をする時間が来た。夜中に異端と出遭えば、例え相手が女の子の形をしていても――俺は容赦なく粉砕する。 ……左眼に、奇妙な違和感。 いや、錯覚だ。この眼は義眼。俺の左眼はもう存在しない。自分で抉り出したんだから。 「……どうしたの? 顔色が悪いわよ」 飛鳥が、車庫から出て来る。 「あんな運転されれば、顔色くらい悪くなるわ」 「ホントに失礼ね……」 軽口で誤魔化し、今後の動きを尋ねようとして―― 「……おい」 「……何かしら?」 「予測されてるコースから外れるために、山中ドライヴに付き合った俺の苦労はどうなるんだ?」 「今後に生かしなさい。いい経験だったでしょう?」 俺達は、蠢く無数の気配に気付いた。 今度は、イースト・エリアの時みたいなチンピラじゃない。闇の中、十数の兵士がライフルの銃口を向けている。今までまったく気付かなかったぞ。 どうやら、このルートも予測されていたらしい。 「……バイク、片付けなきゃよかった。あれに乗ってれば、そこそこ闘えるのに」 「後の祭りだな。今の俺達が使える武器は、懐の定規1本だけって事か」 と、その時。 爆風を起こしながら、闇に紛れて1機のヘリが下りて来る。 ……米軍の無音ヘリか。開発メイカーは確か、インダストリアル・トラスト社だっけ。 ヘリが着陸する前に、1人の少女が扉を開いて飛び降りた。 ……宝石やフリルが散りばめられた、悪趣味な服装。俺と飛鳥を、蟲螻でも眺めるかの如く見下す眼。 人間として好ましい点が一切見当たらない、女。 ただ――その髪の毛だけは、金糸のように美しかった。 「……マリリン・ヴィンセント」 俺は、女の名を呟く。 「気安く私の名を呼ばないで」 女は、不愉快げに答える。 「……誰よ、アレ」 「アメリカ合衆国前大統領ダニエル・ヴィンセントの娘。父を踏み台にして、権力の世界へと伸し上がった女だ」 「…………」 「今じゃ、アメリカの暗部を全て手中に収めてる。業界では、合衆国史上最兇最悪の人間だって言われてるな。存在自体が不吉なんだよ、アレは」 「……随分と酷い人間なのね」 「そうらしい。目的――主に自分の娯楽――のためには、手段を選ばないって専らの噂だぞ」 嫌そうな顔をする飛鳥。その気持ちはよく分かる。 こうして対峙していると、マリリンが俺達を人間扱いしてないってのが伝わって来るのだ。 「ふん、家畜の戯言ね」 ほら、家畜呼ばわりと来た。 「それと――」 マリリンは俺達を睥睨し、 「発言する時は、私の許可を取りなさい。やっぱり、東洋の猿は低脳でダメね……常識でしょう、その程度の事は?」 と、言い放った。 「……何、あいつ。この世の王にでもなっているつもりなの?」 「つもりなだけなら、まだマシなんだが。事実、マリリンはそういう地位に立っている人間だからなぁ」 タチが悪い事この上ない。 「さて、慈悲をあげるわ。今すぐ、そのスーツケースを置いて家に帰りなさい」 「…………」 「どうしたの? 私が命じているのよ? どうすればいいのかは明白でしょう?」 俺は、スーツケースを見る。 「……悪いが、渡せないね。そんな事をしたら、俺のクビが飛ぶ。物理的な意味でな」 「私も同意見。貰った分は働かないといけないのよ。あんたみたいな人間に、労働者の気持ちなんて分からないでしょうけど」 マリリンの眼の、温度が下がった。 「……可哀想。せっかく、生かしてあげようと思ったのに」 手で、兵士達に合図するマリリン。 「――殺しなさい」 引き金にかけられた兵士達の指に、力が込められる。 だがそれよりも速く、俺は定規を抜いていた。 こいつ等は、訓練された本物のプロフェッショナルだ。だから俺も、手加減は出来そうにない。 一跳びで、1番遠くにいた兵士の元に辿り着く。そして――適当に、定規で撫でた。 ……その兵士の身体が、血を噴いてバラバラになる。 素早く兵士達は飛鳥を狙いから外し、俺のみに絞った。この辺の戦闘本能はさすがだと思う。 しかし残念な事に、とても無駄だ。 俺は今、1番遠くの人間を斬り斃した。それはつまり――この場の全員が、俺の間合いの中にいるという事。 何の問題もなく、闘いは終了。 俺は無傷。敵はマリリン以外全滅。 ……ああ。ないはずの左眼が、ざわめく。 「…………」 俺が、飛鳥の所まで戻ろうとして1歩を踏み出すと。 「ひ……こ、殺さないで、くれ」 何を勘違いしたのか、足元からそんな声がした。 どうやら、生き残りがいたらしい。腹の中身がでろでろと零れているから、そう長くは持たないだろう。 「……いや、殺さないでくれって言われてもなぁ。殺すつもりなんて、欠片もないんだが」 殺意があるのなら、ナイフとか銃とか、もっと殺し易い物を使う。 定規を武器にするのは、相手を殺さないためだ。定規で斬られて死ぬだなんて、常識的に考えて在り得ない。 それでも、殺し殺されてしまうのなら……正直、どうしようもない。俺が、常識外れに強いのが悪いんだろうけど。 まぁそもそも、襲って来たのはそっちだし。自己責任って事でよろしく。 「……プリンセスの闘いっぷりを思い出すわねー」 懐かしそうに、血肉の海を眺める飛鳥。俺が言うのもなんだが、それは人としてどうかと思う。 「……へえ。ただの雑魚かと思っていたら、なかなか楽しいじゃない」 さらに、俺を見て笑うマリリン。連れて来た兵士が皆殺されたってのに、悲しむ様子はない。道具程度にしか、思ってはいなかったのだろう。 ……ホントに、この女どもは嫌だなぁ。犯人の俺ですら、それなりに冥福を祈ってるのに……こいつ等は。 「じゃ、楽しい気分のままで答えてくれないか」 俺はマリリンに、スーツケースを見せる。 「米軍基地から奪ったっていう、このスーツケースの中身は何なんだよ?」 こいつのせいで、俺は色々と大変な目に遭っているのだ。知る権利ってヤツがあるだろう。多分。 「あら、開いて確かめればいいでしょう?」 「……いや、そんな勇気はありません」 爆発とかしたら嫌だし。 「まぁ、いいわ。楽しませてくれたお礼に、教えてあげましょう」 マリリンはフフフと笑い、 「そのケースの中身は、私の指示で日本の米軍基地へと持ち込まれた――新型のミニ・ニュークよ」 「何……ッッ!!!?」 ……さすがに、そんな答えは予想外だった。 「ミニ・ニューク? 何よ、それは?」 隣で、飛鳥が言う。 「えーっとだな。ニュークってのは、ニュークリアの略。つまり、小型核兵器って事だ」 「……は?」 飛鳥の眼が、丸くなる。 「そう。しかもそれは原爆ではなく、水爆。十分に戦略兵器として使えるわよ」 嫌な補足をしてくれるマリリン。 「……何で、そんな物騒な物を日本の米軍基地なんぞに持ち込んだんだ?」 「簡単に言えば、アジア諸国に対する抑止力ね。我が国の植民地――日本列島がどれだけ地理的に重要か、理解しているかしら?」 まぁ、分からないでもないが。 ……あと、植民地呼ばわりかい。 「ちょっと待って。どうして、教皇庁はそんな物を手に入れようとしているのよ?」 飛鳥が、恐る恐る言う。 「まさか――教皇領ヴァチカン市国は、核武装するつもりなの?」 「……そう考えるのが、妥当だろうなぁ」 肯定する、俺。 「……誰の企みなのよ。ローマ教皇?」 「いや、聖下がそんな事を考えるはずはない。犯人は単純に、この任務を俺達に任せた――カルダーラ枢機卿だな」 元々、怪しい面のある人物だった訳だし。 自分が教皇になった暁には、核の武力を盾に世界へと乗り出すつもりなのだろう。教皇領の再拡大とか。 「そう。もしフランコ・カルダーラが教皇となり、ヴァチカン市国が核武装したならば、世のパワー・バランスが崩れる事になる。それが、どんな禍を呼ぶか……貴方達の頭でも、想像くらいは出来るでしょう?」 マリリンが1歩、俺達に歩み寄る。 「貴方達のイメージ通り、私は悪の権化なのでしょうね。でも、そんな事態を見逃せるほど冷血な訳でもない」 金糸の髪が、揺れる。 「この事件の責任は、この国にソレを持ち込んだ私にある。いえ――この世の害は全て、この世の君主である私の責任よ。だから、私自身の手で解決しなければならないの」 余りにも傲慢。だがその覚悟は、余りにも壮絶。 「ふふ。こちらも、1つ尋ねるわ」 「――? 何だ、お前が面白がるような話なんて持ってないぞ?」 「そうでもないでしょう。貴方、その左眼……どうしたの?」 「……げ。義眼だって事、見破ったのか」 うわぁ、早ぇ。緋姫だって、こんなにあっさりとは見抜かなかったぞ。 「あら、義眼だったの?」 「…………」 あ、墓穴ー。 「義眼にしては、血が通っているように見えるけど。その、2重の瞳は」 「……おかしな事を言うな。血の通った義眼なんてモノは存在しないし、2重の瞳の義眼なんてモノも存在する訳がない」 「ええ、そうね。ならばその眼球は、生きた本物なのかしら?」 ……それ以上、喋るんじゃない。 「己を害する者を七倍の報復にて殲滅する、神の呪い。結局、1度背負ったカインの烙印からは逃れられない。例え左眼を抉り出して義眼を収めても、貴方の眼に重瞳が在る事は変わらないのよ」 この女、どこまで知ってる……っっ!!? 「まぁ、それはいいわ。答えを聞かせて貰おうかしら。世界平和のために、そのケースを渡してくれる?」 「……ほざけ、イヴの末裔。同じ問答を何度もするつもりはない」 「そう。なら、殺してしまいましょうか」 ……今度は本気だな。マリリンは自分の手で、俺達を抹殺するつもりのようだ。 「飛鳥、勝手な言い分だとは思うが……逃げるか、車庫まで行って何か起死回生の手段を用意してくれ。1分以内でな」 スーツケースを、飛鳥へと放る。 「え……?」 「早く。正直な話――」 マリリンを、直視。 「――アレと、1分以上闘える自信はない」 飛鳥は息を呑むと、走り出した。車庫ではなく、その反対側に。 ……逃げたか。ま、賢明な判断だな。 「フフ……」 マリリンの手に、掌に収まるほどの何かが握られている。 それは―― 「……巻尺?」 グルグルと巻き込まれたテープ状の物差しを、測りたい分だけ引っ張り出して使うアレだ。 「行くわよ」 ――次の刹那。 目盛の記された、金属製テープが飛び出し――俺の身体に巻き付いて、容赦なく斬り刻む。 「がぁぁぁぁ……ッッ!!!?」 咄嗟に定規で直撃は防いだが、それでもあちこちから血が噴く。 ……テープが巻かれ、マリリンの手の中へと戻る。 「奇遇よね。貴方は定規、私は巻尺。まぁ、どちらが長いかは言わずもがなだけど」 「はっ、長けりゃいいってモンでもないだろうが……ッ!」 マリリンとの距離を詰めようとするが、巻尺はそれよりも圧倒的に速く俺を襲う。 何だよこのスピードは、目視するのがやっとだ……!! 「く……っ!」 ……ヤバい、1分も持たないかも知れん。 「ほら、ぼけっとすると死ぬわよ?」 再度テープが飛び出し、槍のように一直線に向かって来る。 横に動き、それを躱す俺。 だがそれは、槍ではなく剣だったらしく。 「……ッ!!!」 伸ばされたスチールテープは長刀の如く、俺を薙ぎ払おうと迫る――! 「やられる、かぁ……!」 巻尺の斬撃を跳び越える。周囲の木々が真っ二つになり、次々と倒れてゆく。 「クソ、このバケモンがッ!!!」 「口の聞き方には気を付けなさい、下等生物。加減を止めて、すぐに惨殺してあげてもいいのよ?」 これで、加減してるだと……!? 「ほら、頑張りなさい。地を這う野良犬の如き貴方でも、その身が裂けるほどに啼けば天上の私に声が届くかも知れないわ」 「く、好き勝手言いやがって……!」 しかしまずい、このままじゃやられる。 と、その瞬間。 「……?」 何か、地響きのような音が聞こえた。 「…………」 マリリンも攻撃を止めて、その音に聞き入っている。 ……えーっと。そこはかとなく、嫌な予感がするんデスガ。今日一日で、何度も感じた予感の類。 恐る恐る、後ろに振り返ると。 「なぁぁぁぁぁぁぁ――ッッ!!!?」 巨大な18輪トレーラーが、とんでもないスピードで突っ込んで来ている――! 運転席の飛鳥様が、ニッコリとして俺に手を振った。いや、そんな事をする前にブレーキを踏めぇぇ!! そんな俺の心の叫びが聞こえたのか、飛鳥はぎゅっと底まで踏み込んだようだった。 ……アクセルを。わぁい♪ 「く――ッ!!」 もはや何も出来ぬ俺とは違い、マリリンは動いた。頑張れ、このままじゃ2人仲良くミンチだぞ……! 巻尺が奔り、高速で迫るトレーラーを真っ二つにする。凄ェ。 ……だが無論、そんな事を俺に意識を向けたまま出来るはずはない。 「ったく、無茶苦茶だな……!」 その隙に俺は――ついでに、いつの間にかトレーラーから脱出していた飛鳥も――さっさと逃げ出した。 「……助かった。感謝する」 俺は助手席から、運転席に礼を言う。 「別に、礼を言われるほどの事じゃ――」 「しかし、しかしだッ!」 声を荒げる。 「もう少し、まともな方法はなかったのか!? またしても寿命が縮んだぞ!!」 「よかったわね。貴方達の説く、主とやらの元に召される日が近付いたじゃない」 くぅ、ああ言えばこう言う……! 「……お前、マリリンがトレーラー止めなかったらどうする気だったんだよ?」 「ちゃんと、寸止めする予定だったわよ」 予定は未定、と言ったのは誰だったか。 「あと、この状況は……」 「もう、面倒臭くなってね。スピード任せで、空港まで突っ切る事にしたの」 今、俺達はディアブロに乗って一般道を疾走している。速度メーターは見たくもない。 高速ならまだしも、一般道。交通量も少なくないのに、飛鳥はディアブロをカッ飛ばしている。狂気の沙汰だとしか思えない。 ……後ろには、ピーポーピーポーという音を鳴らす白黒の車。 アレは、『日本パンダ愛好隊』(1972年発足。康康と蘭蘭の来日時、反パンダ勢力から2匹を護った武闘派組織。メンバーは、達人クラスの使い手とIEO認定A級以上の人外によって構成される。現在18名)の車だ。だから白黒なんだ。 「ポリ公どもが五月蝿いわね……まぁ、追い付けるはずないけど」 ポリ公言うな。嫌な現実を突き付けるんじゃねえ。 「おい。こんなに目立って、高速の時みたいに待ち伏せを受けたらどうするんだ?」 「高速の時みたいに、逃げ切ればいいじゃない」 その自信はどこから来るんだ……? 「……にしても、さっきのマリリンとかいう女。何と言うか、恐ろしい生き物だったわね」 「まーな……」 「あれだけの質量を持つトレーラーを、一撃で真っ二つにするなんて。一体どんな戦闘能力よ」 「俺も下手すりゃ、同じ運命を辿ってた訳か」 むしろ、そうならなかったのが不思議ですらあるが……まぁ、さすが俺。 「……ねぇ、泉。マリリンが、重瞳がどうとか言ってたけど……」 「ん? ああ、言ってたな」 「ソレって確か、中国の舜や項羽といった伝説的な人物が持っていたっていう、異形の眼の事よね?」 「そ。日本でも、平将門や豊臣秀吉なんかが持っていたらしいぞ」 あと、迅徒の怨敵も持ってるんだっけか。 「俺はソレが大嫌いでね。自分の左眼が恐くて、鏡を見る事も出来なかった。小学校では化物呼ばわりされたし」 「…………」 「ある時、苛めっ子に少しだけ抵抗したら、そいつはあっさりと死んじまった。いや……あっさり死んだんじゃなくて、あっさりと殺したんだ」 「……重瞳の、力?」 「かもな」 ……主は弟殺しのカインを追放する時、彼に印を授けた。カインを殺す者は、七倍の復讐を受ける――その証として。 「で、どうしようもなくなった俺は自分の左眼を抉り、救いを求めて教会に飛び込んだ訳だ」 「ふぅん……」 何だか、神妙にする飛鳥。 「じゃ、今度は俺が聞く番だ」 「……は?」 「これだけ人の身の上話を聞いて、自分の事は話せない――なんて事はないよな?」 「な……っ、勝手に喋ったくせに!」 「発端はお前だ。とにかく何か話せ。助手席に座ってるだけだとヒマなんだよ。とゆーかこっちから尋ねるけど」 「……何よ?」 「お前、この車何台持ってるんだよ?」 俺達が今乗ってるディアブロは、最初に乗ってたディアブロじゃない。あの車は、山に入る前に置いて来たんだし。 「3台よ」 「……3台。おいおい――」 「まぁ、持ってるスポーツ・カーはディアブロだけじゃないけどね。1番気に入ってるのは、こいつだけど」 「…………」 言葉が出ない俺。 「……何でそんな金持ちが、イースト・エリアなんかに住んでんだよ?」 「車のほとんどは、クラウン時代に窃盗グループとかを潰した際に手に入れた物よ。別に、金持ちな訳じゃないの。もし金持ちだったら――こんな仕事なんか、するはずないでしょう?」 「……車を売って金にする、という考えは?」 「ない」 やっぱり。 「しかし、どーしてお前はクラウンに入ったんだ?」 「…………」 少しの間、飛鳥は口を閉じる。 「――惚れたの」 「……は?」 「クラウンに入る理由なんて、1つしか存在しない。私もレインも晴良も音彦もクラウディアも――あのプリンセスに、心の底から惚れ込んだのよ」 「…………」 倉元緋姫に、惚れ込んだ。 それってつまり―― 「――百合かッッ!!!?」 殴られた。 ……さ、さすがは運転手とはいえクラウンの元メンバー。いい拳だったぜ。 「あいにく、私はノーマルよ。……まぁ、プリンセスをそういう相手として見ていた娘もそれなりにいたけど。レインとか」 「……ほほう」 とことん同性に好かれる女だ。 「で、結果は?」 「誰1人として、想いが届く事はなかったわね」 「その辺は、今も昔も同じか」 Sさん(星丘高校3年生。学生兼退魔師)の未来を占うかのような話である。 「ま、無駄話はこの辺で終わりにしよう」 「え……?」 「――来るぞ」 先回りなんかをして、どうにかディアブロの後ろに食らい付いていた複数の白黒車。 それを踊るように抜き去り、1台の四輪車が俺達の背後へと近付いて来る。 ……流線型でありながら、酷く鋭い印象を受けるフォルム。公道の走行には明らかに不必要な、大型のリア・ウィング。 「マクラーレンF1――って、GTRっ!!?」 「……なぁ。アレ、公道走っていい車だっけ? レーシング・カーだよな?」 「公道仕様は一応存在してるけど……」 飛鳥は、1つ舌打ち。 ……マクラーレンF1は、世界最速と名高いスポーツ・カーだ。 その最高時速は、386,7km/hを記録している。公道を走れる四輪車の中では、間違いなく究極と呼ぶべき車の1つだろう。 で、そのレース仕様がマクラーレンF1GTR。俺達の後ろに張り付いているのは、それをさらに公道で走れるようにした一品らしい。 ……もう訳が分かりません。 「金持ちの道楽ね……まぁいいわよ。レーシング・カーなんて、公道では大して力を発揮出来ないでしょう……っ!」 「……そう思うなら引き離せよ」 「うっさい黙れッ!!!」 飛鳥は必死で車をコントロールしているが、後ろのF1が離れる様子はない。マシン・スペックで敗けてるのに互角なのは、飛鳥の腕がいい事を証明してるのかも知れないが。 「……仕方ない。飛鳥、どっか広い所で車を止めろ」 「はぁ!? 待ちなさい、あんな車すぐに離してやるわよ! それとも、私の腕じゃ無理だって言いたいの!?」 「いや。だがな……ここで引き離したとしても、どうせ何らかの方法ですぐに追い付いて来る」 「……っ」 「どうやら、ブッ倒して止めるしかなさそうだ」 飛鳥は、唇を噛む。 「……分かったわよ」 ディアブロが、脇道に逸れた。 しばらく進んだ所あった公園に入り、派手にタイヤを滑らせながら急停車する。 F1も同じように、公園に入って来た。 「…………」 車を降りる。 俺の目の前でF1のドアが開き、センターシートから1人の少女が地に足を下ろした。 ……マリリン・ヴィンセント。 「殊勝な心がけね。諦めて、大人しく殺されようだなんて」 クレバスのような笑みを口元に作り、奴は俺を睨め付けた。 それだけで、俺の背筋に寒気が走る。 「――……っ」 ……悪魔。 その2文字以外に、俺はマリリンを形容する言葉を知らない。 「……飛鳥、下がってろよ」 「言われなくてもそうするわよ。この、ゾクゾクする感じ……プリンセスと初めて会った時の事を思い出すわね」 言葉通り、大人しく下がる飛鳥。 ……俺は、マリリンと対峙する。 「今夜は月が綺麗だから、もう1度だけチャンスをあげるわ。世界平和のために、ケースを渡しなさい」 「くどい。大体な、世界が平和になったら俺は仕事がなくなるんだよ」 マリリンが、眼を丸くした。 「……なるほど、それは盲点だったわ。いくら野良犬だからと言って、その生活に気が回らないようでは支配者失格ね。今後の教訓にしましょう」 「そりゃよかった。なら、俺の生活のためにケースは諦めるって事で」 「――……」 「今なら、星丘銘菓の『星丘饅頭・青酸カリ味』を付けるぞ」 別に毒殺を企んでる訳ではない。文句はメイカーに言え。 で、肝心のマリリンは。 「でもまぁ――この世の人間の命は、全て私のモノ。それを1つ2つ消しても、多勢には何の問題もないわ」 巻尺が放たれる。 「チィ……ッ!!!」 俺は紙一重で、それを躱す。 やっぱ交渉決裂か。ま、最初っから期待してなかったけど! 定規を逆手に握り、マリリンに向かって駆ける。 「――馬鹿の1つ覚えね」 うっさいな、それしか闘い様がないんだよ……! 「く……ッッ!!?」 巻尺は蛇のように、背後から俺に襲いかかる。 振り返り、定規で弾く。どんな攻撃でも捌けるはずの定規が、僅かに欠ける。 「な……っ!?」 く、迅徒の技だって欠ける事なく防いだ定規なのに……!!? 俺はひとまず、マリリンとの距離を取る。 ……そうは言っても、相手の巻尺の間合いが分からん以上、絶対安全な距離なんてものは存在しないが。 「大した事ないわね。野良犬には、牙すらないのかしら?」 「返す言葉もないが……でもあえて言うならば、お前が強過ぎるんだよ」 「そうね」 ……認めやがった。 「お前さ、自分に不可能はないって信じてるだろ?」 俺は、呆れながら言ったが―― 「あら、そうでもないわよ」 答えは、少々意外なものだった。 「例えば月。いくら手を伸ばしても、アレには届かないの。どんなに渇望しても――私のような人間には、月に触れる権利がない」 ……一瞬だけ。 マリリンの顔に、酷く人間らしい『何か』が見えた気がしたのは――錯覚だろうか。 「……月に触れる権利がないって。手が届かないのなら、相手を自分の方に無理矢理引っ張り寄せるのがお前のやり方だろうに」 俺は、何気なく呟く。 「――……」 マリリンはまたも眼を丸くし、 「……そうだったわね。まったく、私らしくない。今の話は忘れなさい」 「何かよく分からんけどヤダ」 「――なら殺すわ」 巻尺が伸びる。 ……一切、遊びのない一撃。肉眼では捉えられぬであろうスピードだ。 「…………」 俺はそれを、フラリと躱す。 「……何ですって?」 「いい加減、我慢するのも疲れてきた――」 「馬鹿な、今の攻撃を目視出来るはずが……!?」 確かに、肉眼で見るのは無理だろう。 だが―― 「――この左眼に、視えないモノなんてない」 重瞳を、完全開眼。 地を蹴り、マリリンの元に跳ぶ。 「……ッッ!!」 向かって来る、巻尺。 ……無駄だ。今の俺には、巻尺の動きが手に取るように視える。 全ての攻撃を躱し――マリリンの背後に回る。 そして、一撃。 「く――っ!!!?」 ……首を落とすつもりの斬撃だったのだが、マリリンはそれを巻尺で防御。 しかし、防ぎ切る事は出来ず――派手に吹っ飛んで、意識を失った。 「――っと」 左眼を、押さえる。調子に乗り過ぎると、相手と一緒に自分も殺しそうになるのだ。 ……左眼は、ない。自分に言い聞かせる。 「凄まじいわね……」 闘いを見ていた飛鳥が、一言。 「まぁな。でも、この力に振り回されてる俺はまだ可愛いモンだ。力を、完全に支配しているような連中と比べれば」 例えば、田村シン。聞いた話でしかないが……間違っても、ああはなりたくない。 「じゃ、行くぞ」 「トドメ、刺さないの?」 「刺そうとして殺気出せば、絶対眼を醒ますし。そうなると面倒だろ」 俺は、ディアブロの助手席に乗り込む。 で、少しのドライヴ後――空港に辿り着いたのだが。 「当然ながら、ここにも敵が張ってるなぁ……」 空港を使う事くらい、予想されてて当然だ。 「ま、頑張りなさい。1番面倒なのは倒したんだし」 飛鳥は俺とスーツケースを、車から放り落とす。 「私の仕事はここまで。じゃあ、またどこかで会いましょう」 社交辞令を口にして、飛鳥が去って行く。 「……はぁ」 俺は敵だらけの空港に向かって、歩を進める。 ――数日後。 俺がふらふらと街を歩いていると、オープンカフェの前に、見覚えのあるディアブロが停まっていた。 「よう、数日振り」 そして、飛鳥の正面に座る。店員さんに注文。 「何か用?」 「興味ないかも知れんが、事後報告くらいはしておこうと思ってな」 「……まぁ、聞きたくない訳ではないわね」 「そりゃ幸いだ」 あの後、俺は空港の敵を見事蹴散らし、無事にケースは飛行機へと積まれたのだが―― 「その飛行機、撃墜されたらしい」 「……マリリン達の仕業?」 「かもな。まぁ、色々考えられるだろうけど」 ミニ・ニュークがどうなったのかも不明だ。回収されたのか、海の藻屑となったのか。どうでもいいけど。 で、ついでに。 「あと、フランコ・カルダーラが死んだぞ」 「…………」 「審問にかけたら自白したんでな。教皇聖下への反逆罪で処刑された」 「……審問、ね。拷問の間違いじゃないの?」 「想像に任せる」 俺は、運ばれて来たココアに口を付ける。 「……しっかしまぁ、お互いタダ働きだったな」 報酬を払うはずのカルダーラが死んだのだ。よって、どこからもカネが入って来ない。 「私も、手付け金以外は消えたわね」 「……手付け金が入っただけ、俺よりもいいじゃんか」 「マリリンが壊したトレーラーで赤字よ」 「…………」 世知辛い世の中だ。 ……まぁ、たまにはそういう事もある。国が買えるほどの借金を背負って生きてる奴もいるんだから、この程度で悩むのは無意味だな。 と、噂をすれば何とやら。 「……お」 正面の道路を、匠哉が歩いていた。 どうやら、こっちには気付いていないらしい。 「月見匠哉……か」 飛鳥が、呟く。 「怨んでるのか? 元クラウンとしては」 何しろあいつは、クラウン消滅の原因となった男だ。 「……複雑ね。幸せそうなプリンセスを見ると、怨む気にはなれないのよ」 飛鳥は言うと、コップを口元に運ぶ。 「…………」 俺達が、ぼーっと匠哉を眺めていると。 「おーっほっほっほっ、おーっほっほっほっ!」 どこからか、絶滅したはずの高笑いが聞こえた。 でも、この声は……。 「……げ」 嫌そうな顔をして、足を止める匠哉。 次の瞬間―― 「――奇遇ね、匠哉!」 1台の自転車が派手にタイヤを滑らせながら、匠哉の前に停まった。 ……えっと。信じがたいが、そのママチャリに乗ってるのはマリリンっぽい。キャラ違うくない? 「やあ。地下暗黒帝国への突入要員として皆を拉致った挙句、瀬利花を取り戻しに来たデストロイヤー九織にボコボコにされたマリリンじゃないか」 「……その説明的な台詞は何? 誰に説明しているの?」 「訊くな。主人公には、色々とやらなきゃならない事があるんだよ」 ――ッッ!!!? ま、待て、この話に限っては、俺が主人公のはずだろうっ!!? 「まぁ、何でもいいわ。さっさと後ろに乗りなさい」 「……何故に? 理由を説明しろ」 「う、五月蝿いわね、理由なんてどうでもいいでしょう! 貧民のくせに、私に逆らうなんて許されないわよっ!!」 顔を僅かに赤くして、叫ぶマリリン。 …………。 「いや、正当な理由でもなければ、事故ったらメルトダウン確実のソレには死んでも乗りたくないんだが。生きてる今なら、尚更」 「ああもう、ギャーギャー言ってないで乗りなさい! ペア割引の映画が見たいのよ! い、言っておくけど、別に貴方じゃなくてもいいの! ここで会った偶然に感謝しなさいっ!!」 マリリンは匠哉を無理矢理乗せると(むしろ載せると)、チャリのペダルを踏む。 ……ママチャリはエンジンでも付いてるのかと思うほどの速度で、走って行く。 「『手が届かないのなら、相手を自分の方に無理矢理引っ張り寄せるのがお前のやり方だろうに』……だったかしらね。貴方のアドヴァイスが効いたのかしら」 「…………」 ……つまりアレか? 俺は、敵のラヴ米に塩を送っちまったのか? 「ふにゅー……」 口から魂を吐き出す俺。 あ、天使のお迎えが来た。ネロ、パトラッシュ……俺もそっちに逝くゼ。でもネロって名前は反キリスト的だよな、ああもうどうでもいいや。 と、その時。 「はぁ……」 飛鳥は溜息をつくと、俺の頭を叩く。 そのショックで、魂が身体に戻る。 「これから、月泣峠を攻めに行くんだけど……付き合いなさい」 「へ? な、何故!!?」 ずりずりと、飛鳥は俺を引き摺って行く。 「バランスの問題よ。運転席に私1人が乗ってるより、助手席にも誰か乗ってた方が重さが偏らないでしょう?」 「お、俺は、2度とお前が運転する乗り物には乗らないと主に誓って――」 「知った事じゃないわよ」 「あの峠、夜になると幽霊自動車が疾走するって噂があるぞ! ホラーだぞっ!!」 「まだ昼だし。それに、そういう類の相手が貴方の仕事でしょう?」 抵抗虚しく、さっきの匠哉みたいにディアブロの助手席に放り込まれる俺。 運転席の飛鳥が、エンジン・キィを回す。轟く爆音。 「…………」 俺は、全てを諦める。 ああ、天にまします我等の父よ――交通事故だけは勘弁してください。いやホントに。
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