私とタクヤ君は、幼馴染とでも言うべき間柄だった。 生まれた日も、まったく一緒。KAGUYAとTAKUYA――『UYA』は月の言葉で、17の日に生まれた事を意味する。 小さい頃から私は、宝探しが趣味だった。もっとも、後に集めるような財宝の類は、まだ縁遠かった訳だけど。 タクヤ君を連れて、1日中あちこちを歩き回った。迷子になって帰れなくなったのも、1度や2度ではない。 道に迷って帰れなくなった時、タクヤ君はちっとも泣かなかった。男は泣いちゃいけないんだ、という事らしい。 ……彼には、両親がいない。お父さんは幼い頃に亡くなり、お母さんはタクヤ君を生んだ後、忽然と姿を消したそうだ。 偶然にも現世の匠哉君と似たこの境遇が、タクヤ君の心を強くしていたのかも知れない。仕方ないから、私が泣いた。 ――月日は流れて。 私とタクヤ君は、恋人同士と言ってよい関係になっていた。どっちが告白したとかそういう事ではなく、自然にそうなったのだ。 求婚者が多くて面倒だったけど、それで幼い頃夢見た秘宝の類がどんどん手に入る。悪くはなかった。 それに、どれだけ求婚者がいようと――私とタクヤ君の想いが揺らぐなんて事は、あるはずがない。 幸せだった。この幸せが、ずっと続くと思っていた。 ……月を血色に染める、あの忌まわしき魔王が現れるまでは。
「来たれ我が偶像、月にて秘薬を搗く者よ――ッ!!」 召喚術法を展開。 この世の摂理を捻じ曲げ、巨大な質量を現世に喚び寄せる。 玉兎が、私の前に舞い降りた。美香さんとの闘いで負った傷は、私と同じく残らず癒えている。 ……コックピットに、乗り込む。 「…………」 1度だけ、匠哉君と美香さんを見て―― 「往くよ、玉兎ッッ!!!!」 叫んだ。 私の言葉に応えるように、玉兎が全身に力を漲らせる。 地を蹴り、風を味方に付けて――月に向け翔る。 「封印解除――」 抜剣。 世界に線を引く剣が、その身を露にした。 「――空間制限開始! 『断解水月』ッ!!」 月を見て、斬る。 眼前の空間が斬り開かれ――世界の、裂け目となった。 ……その裂け目の向こう側は、月世界。 「…………」 私達は、その中に飛び込む。 「往っちゃったわね……」 「ええ」 美香と匠哉は、月へと向かう迦具夜を見送った。 「……月に帰ったかぐや姫は、2度と地上には戻らなかった」 「…………」 「私は、どうしても迦具夜ちゃんの勝利がイメージ出来ない。エリンの恐ろしさを、知っているから」 要は、迦具夜は敗けると言いたいらしい。 それに対して匠哉は、意外にも怒らず悲しまず―― 「貴方がそう言うのなら、きっとそうなんでしょうね」 と、平常な声を返して来た。 「……匠哉君?」 「ま、奇跡を祈って神頼みでもしましょうか」 「神頼み、って……」 匠哉は美香を見て、フッと微笑む。 その、子供のような大人のような表情に――僅かに、美香は心を乱す。 「……っ、ど、どういう事よ?」 「俺はずっと、神頼みなんて無駄だと思ってました。この世の神は非情で残酷で、人の願いなど聞いてくれるはずもないと」 匠哉は再び、月を眺める。 「でも、最近気付いたんです。実は案外、願いを聞いてくれるものなんじゃないか――ってね」 「…………」 匠哉は、その場から動かない。 美香は、1つ溜息をつくと――店内から、椅子を2脚持って来た。 「はい、座って」 「あ、どうも。ありがとうございます」 そして、美香自身も椅子に座る。 「……まぁ、こんなにいい月だもの。御月見ってのも悪くないわね」 「――……」 私と玉兎は、月に降り立った。 荒涼とした、灰色の大地。かつての街は、王国は――見る影もない。 彼方の地球を見ながら、私達は月の空を飛ぶ。 往くべき場所は、分かっている。遠くから感じる、吐き気を催すほどの邪気――それに向かって、往けばいいのだ。 ……剣は、抜いたまま。この剣は鞘に納めないと、どんどん世界を傷付けてしまう。 けれど――あいつとの闘いにおいて、いちいち剣を抜く暇なんてないだろうから。 「……ッ」 心臓が、暴れる。この先に待ち構えているモノに――恐怖して。 それでも、私は進まなければならない。 ……そして。 『待っていましたよ、迦具夜さん』 私は遂に、彼女と対峙した。 月の空を滞空する、刃金の悪魔。鋼鉄の堕天使。 ……アザゼル。 純白と漆黒のプロトイドルが、正面から向かい合う。 「エリン……」 『この刻を、私はずっと待っていました』 エリンの声からは、抑え切れない愉悦が感じられた。 でもその愉悦は、人のモノとは思えなくて――私は、身を震わせる。 『ユートピア・プロジェクトも、11番の回収も……どうでもよかった。貴方と対峙するこの瞬間だけを想って、私は生きて来たのだから』 「何で……何で、そこまで私に執着するのッ!!? 私が、貴方の何だって言うのよッ!!!?」 『…………』 エリンは、少しの沈黙の後。 『――斃すべき怨敵です』 単純明快な答えと共に、アザゼルを奔らせた。 三次元推力偏向ノズルが火を噴き、黒い風となって私達に迫る――! 『美榊家陰派頭目――美榊恵鈴。いざ、参るッ!!』 アザゼルが、無数の折り紙手裏剣を放つ。 玉兎を舞わせ、それを回避。しかし手裏剣は、尽きる事なく私達を襲う……ッ!! 「この……『アルテミスの矢衾』ッ!!!」 玉兎召喚と同じように――今は存在しない、しかしかつては在った私のコレクションを、この世に喚び寄せる。 次々と、嵐の如く射出。神器達は私の期待に応えようと――手裏剣を射ち落とし、さらにはアザゼルを串刺しにせんと空を翔る。 『ふふふ……死して輪廻転生を遂げてなお、己の宝を手放さないだなんて。まったく、浅ましいにも程があります』 「――五月蝿いッ!!」 しかしアザゼルはアトラスほど巨大ではなく、さらには高い機動力を持つ。そう容易く当てられるものではない。 「ならば、当たるまで射ち続けるのみ……ッ!!!」 圧倒的な数を頼りに、アザゼルを攻める。 その時……何本かの武器の射線に、アザゼルが乗った。 「殺った――ッ!」 もはや、逃れる術はない。 敵に向かう武器が、その役目を果たそうとした時―― 『――「ブレイジング・アシズ」ッッ!!!!』 アザゼルの右手が覚醒し、咆哮した。 光に包まれた悪魔の御手が、飛来する武器を迎え撃つ。 超高熱の一撃が――武器を原子・電子にまで分解。アザゼルの腕ごと、跡形もなく消滅させた。 即座に、腕を再生させるアザゼル。私も休む間を与える事なく、武器を射ち続ける。 『ハハハハ……強くなりましたね、迦具夜さんッ!!』 手裏剣と神器の弾幕の中――アザゼルは踊るように隙間を縫い、玉兎へと接近した。 『――それでこそ、雑魚どもをぶつけて鍛えた甲斐があったというものですッ! それでこそ、殺す意味があるッッ!!!』 「……ッ!?」 大量の折り紙が、散らばる。 折り紙はユニットとなり、1つの『作品』を形作った。 『美榊流折形術、陰之章其之二――ッ!!』 それは、巨大な龍。 ……あのアトラスよりも、さらに巨きい。 一体、何千メートルあるのか――測る事が出来ぬほどの体躯。 『――「天龍の攻」ッッ!!!!』 凄まじい迫力を纏う紙龍が、玉兎に体当たりする。 「ぐ――ッ!!?」 猛スピードで、月面に叩き付けられる私達。 激痛に耐えながら、敵を見る。 紙龍は顎を開き――鋭い牙を見せながら、玉兎に突進して来た。 再度、体当たり。玉兎の身体が、月面に減り込む。 そして――口が、閉じられた。玉兎は顎に挟まれ、装甲を牙に貫かれる。 「う……ぁぁあああああああッッ!!!?」 玉兎を噛み砕こうと、恐ろしいほどの力を込める紙龍。数秒もすれば、その通りの事になるはずだ。 「う、くぅ……ッ!!」 無論、それは認められない。 私は剣を振り――紙龍の顎を斬り裂く。 そのまま、玉兎を加速。顎から真っ直ぐ、胴体を真っ二つにして行く。 「りゃああああああああッッ!!!!」 頭から尾まで――数千メートルを風のように翔け、紙龍を斬断。 ……紙龍は力尽きたように、ユニットに分解された。 「はぁ、はぁ――」 痛みを堪え、呼吸を整えようとする。 しかし―― 『一骨残さず燃え尽きなさいッ!! 「ブレイジング・アシズ」――ッ!!』 「――ッッ!!!?」 そんな時間は、ない。 身を翻し、アザゼルの滅技を躱す私。 月面が円形に蒸発し、クレーターが1つ作られる。 玉兎は―― 「が……ッ!!?」 避け切れていなかったらしく――左腕と左肩を、抉られていた。 ……少しでも右にずれていれば、コックピットが蒸発していただろう。 「ぐ、うぁ……ッッ!!!?」 頭が、真っ白になりそうな激痛。 『美榊流折形術、陰之章其之五――「多重時限縛」ッ!!』 「……ッ」 私は玉兎を飛ばし、追う紙鎖から逃げつつ……玉兎の自己再生を急ぐ。 『逃げてばかりでは、面白くありませんよ――?』 エリンの声と共に、アザゼルのショルダーパッドが開いた。 まさか――!!!? 『――塵れッッ!!!!』 発射される、12基のミサイル。 それ等は一斉に、玉兎へと殺到する……ッッ!!!! 「く――」 左腕は、まだ使えない。でも、右腕がある! 「――『断解水月』ッッ!!!!」 空間を斬り開く。 ミサイルは全て、その裂け目に呑み込まれ――この世界から断絶された。 私が、安心した瞬間―― 『――ハァッ!!!!』 「きゃぁぁッ!!?」 急接近したアザゼルが、手裏剣で玉兎を撃ち抜く。 急所への命中は、何とか避けられたけど――翼や動力機関にダメージを受け、浮力を失い落下。 「……くぅあッ!!?」 月面に、激突する。身体のどこかから、骨の折れる音がした。 「ぐ――」 私は玉兎を動かそうとするが……反応はない。何か、重要な部分がやられたらしい。 ……アザゼルが、ゆっくりと降下して来る。 「――……」 ……強い。分かってた事だけど、果てしなく強い。 美香さんと闘った時も、勝てる気はしなかった。それでも、勝たなければという想いはあった。 しかしこの敵を前にして、私はその想いすら折れかかっている。 「これが――」 ……美榊、恵鈴。美榊家陰派に君臨した、鬼神の如き天才――……。 『おや、もう終わりですか? ダメですよ、それでは』 エリンが、アザゼルが――嗤う。 『私が幾年、1つ1つ重ねた心の痛み――それに匹敵するだけの肉の痛みを貴方に刻む事によって、ようやく私は救いを得るのです』 ……怨憎が、空間を満たしてゆく。私は思わず、痛みを忘れて慄いた。 「どう、して? ユートピア・プロジェクトを台無しにした匠哉君じゃなくて、私を憎むの?」 『…………』 「それが、ずっと分からなかった。それを知りたくて、私はここに来たの」 『……言ったでしょう? ユートピア・プロジェクトなんて、どうでもよいと』 一瞬だけ。 この世界から、エリンの憎しみが消えた。 『私が、匠哉さんを憎めるはずがありません。だって彼は――私の子供なんですからね』 「……な」 彼女が、何を言ったのか。 理解するまでに――数秒、時間が必要だった。 『とは言っても、前世での話ですけど。タクヤという名を付けたのは、他ならぬ私なんですよ』 「――……」 『王国を滅ぼすために月にやって来た私は、しかし1人の男性と愛し合ってしまったんです。まぁ、よくあるラヴ・ストーリィですよ。若気の至り、というヤツですかね』 でも、でも―― 「……在り得ない、よ。だって、同じ形をしているとはいえ――月人と地球人は、まったく違う環境で生きる別の生き物。その間に、子供が出来るなんて」 『ふふっ、ノルニルの技術力を舐めてもらっては困りますよ。その時の私の身体は、月人同然だったんです。そうでなければ、月で活動出来るはずないじゃないですか』 「……じゃあ、タクヤ君のお母さんが姿を消したっていうのは……」 『私は、呪われた人間です。どうしても母親にはなれなかった。血塗れの手で、赤子を抱く訳にはいきませんからね』 そんなの……酷過ぎるし、悲し過ぎる。 ……結局は、エリン本人にしか分からない事なんだろうけど。 『あの人とタクヤだけは、何とか安全な別世界に送りたかったのですが――やはりノルニルの眼を掻い潜るのは難しく、そうこうしている内にあの人は病で死んでしまいました』 それは、私も覚えている。あの時から、タクヤ君は泣かなくなったんだと思う。 『私は月に、魔王を――現代においては、教皇庁が血色の満月と呼称する吸血皇を、スコルネーレより召喚しました。タクヤを、月から逃がす時間を稼ぐには……私が直接手を下すより、その方がよいと思ったんです』 「…………」 『せめて、タクヤには生きて欲しい。それが、私の願いだったのに――タクヤはその魔王と闘い、命を落としてしまった……ッ!』 ……エリンの叫びが、月の天地に響き渡る。 『私は後悔しました。私みたいな人間が、人を愛してはいけなかった。タクヤを生むべきではなかった。魔王なんて、喚ばなければよかった』 「――……」 『自殺をしようにも私は強過ぎて、自分を殺す事すらままならない。後悔して後悔して後悔して、自分を憎んで憎んで憎んで――これ以上どうやって自分を憎めばよいか、それすらも分からなくなるくらい憎んで』 ……そうか。 『その時、思ったのです。タクヤは一体、誰のために死んだのか――と』 「……うん。私のためだね」 だから――私を、憎む事にしたのか。 『そう……貴方さえいなければ、私の可愛いタクヤは死ななかった。母親にはなれませんでしたが、私は何よりも彼の幸せを祈っていたのに』 「…………」 『――それを、全て貴方が壊した』 「反論はしないよ。でも……1つ言う。貴方は、狂ってる」 『ははっ、当たり前じゃないですか。愛した人とその子が死んで、狂わない人間がいると思いますか――?』 ああ……エリンは、人間だったんだ。 悲しい事にぶつかって、それに耐えられなくて――心が壊れてしまうくらい、普通の人間だったんだ。 『自分を憎めなくなった私は、もはや貴方を憎むしかない。憎しみの果てで、貴方を殺すしかないのですよ。何度転生しようとも――私は、貴方を狩り続ける』 「……分かったよ」 玉兎を動かす。 「貴方の心は、分かった」 今のお喋りの間に、再生を済ませた。玉兎に問題はない。 「分かった、けれど――」 地を蹴る。翼に力を込め、天のアザゼルに向かって舞い上がる。 「――ふざけるなッ!! そんな八つ当たりで、殺されて堪るかぁッッ!!!!」 小細工も何もなく、玉兎をアザゼルにぶつけた。 両者の機体が、軋みを上げる。 『ぐ……ッ!!?』 「結局は、全部貴方が悪いんでしょうッッ!!!!」 『……そうですよ。私なんて、生まれない方がよかったッッ!!!!』 「ふざけるな……貴方が生まれなかったら、タクヤ君も生まれない事になるッ!! そんなのは絶対に嫌だッッ!!!!』 『な――貴方の都合など知りますかッ!!!』 「五月蝿い! まったく親子揃って……剛情にも程がある!! もういい、とにかく殴らせろッッ!!!!」 私は、玉兎の拳を振り被った。 それを、全力でアザゼルに打ち込もうとした時―― 『……『ダークネス・リッパー』」 ぞぶり、と。 酷く気持ちの悪い何かが、玉兎を貫いた。 「……あ?」 アザゼルの左腕から、黒いオーラを纏う刃が伸びている。 ソレは玉兎の胸を貫通し――コックピットの私を、斬り裂いていた。 「――……」 視線を下ろす。 まるでバターを切るみたいに、何の抵抗もなく――私の左脇腹から背骨辺りにまで、刃が入っている。 ……痛みはない。もはや、そんな感覚はない。 黒い刃が、引き抜かれる。私の腹から、血が噴き出す。 ……玉兎は再び、月面へと落ちる事になった。 『リリセースの古代遺跡から発掘された、「死」という現象を物質化した刃。それがこの、「ダークネス・リッパー」です』 「……『死』を、物質化……?」 『そう。ありとあらゆる世界・時代から人材が集うノルニルにおいてすら、まったく製法が解明出来ない……完全な、オーパーツですよ』 「…………」 ……なるほど。 さっきから玉兎の傷がまったく再生しないのは、そういう事か。死んだ部分が、再生するはずもない。 私の痛みがないのも同じだ。死んでるんだから、痛む必要はない。 「――……」 ああ。これは、さすがにまずい―― 『――死にますね、貴方』 黙れ……私、は。 『最期ですから、約束を果たしましょうか』 「……約、束?」 『貴方の恋には、大きな間違いがある』 また、それか。 『それがどういう意味か、教える約束でしたから。今、話してあげます』 「――……」 『貴方の恋は、絶対に成就しません。何故なら――匠哉さんは、貴方の実の兄なんですよ』 「…………」 私は、血の足りない頭で――どこか遠くから聞こえる声に、耳を傾けていた。 『貴方は、ずっとお兄さんを捜していたでしょう? それが、匠哉さんです』 匠哉君が、私のお兄ちゃん……。 『貴方が匠哉さんを想って闘っていたのは、全て無意味』 「…………」 『分かったのなら、さっさと絶望して死になさい――月見迦具夜さん』 エリンの嘲りが、私の心に突き刺さる。 でも―― 「……な……」 『――?』 「舐めるなぁぁ――ッッ!!!!」 私達は、翼を振るわせ――アザゼルの元に向かう。 『な……ッ!!?』 「私がそこまで、莫迦だと思うかッッ!!!!」 そう、ホントは気付いてた。 だって、私と匠哉君って似てるし。女装した時なんて、瓜二つだった。 それで、気付かない方がどうかしている。 「たくさん悩んで、眠れない夜をいくつも越えて――」 『……ッ!!?』 「――それでも私は、匠哉君を想うと誓ったんだよッッ!!!!」 月見迦具夜――上等じゃないか。 どうせ、いずれはそうなる予定だったのだ。それが少し、違う形になっただけの事。 「うらぁッッ!!」 剣を握ったままの拳を――アザゼルの頬に打ち込むッ! 『が……ッ!!?』 「もう1度言う。とにかく殴らせろッッ!!!!」 今度は、逆の左拳。 アザゼルの顔面が歪み――紫電が散る。 『く……何故、「ダークネス・リッパー」を受けたのに……!!?』 「だから、舐めるなと言っているッ!!」 黒い刃で、受けた傷。 玉兎の傷は勿論――私の傷さえも、既に跡形もない。 「玉兎は不死の薬を搗く月の兎! そして私は、地上に不死の薬を残した月の姫! この月にいる限り、私達に『死』なんて在り得ないッ!!」 『……チィッッ!!!!』 性懲りもなく、黒い刃が玉兎を襲う。 私は―― 「――はぁぁぁぁぁッッ!!!!」 刃を、剣で叩き斬った。 『くッ――「ブレイジング・アシズ」ッ!』 「――『世界の果て』ッッ!!!!」 迫る超高熱を、世界を分割して遮断。 必滅の奥義を防ぎ切り―― 「――りゃあああッッ!!!!」 再度、アザゼルを殴る――ッ!!! 『が、ぐ――!? この兎めッッ!!!!』 アザゼルも、玉兎を殴打。 粉微塵になりそうな衝撃を受けながらも、私は敵から眼を逸らさない。 「やぁぁぁああああああッッ!!!!」 『ハァァァアアアアアアッッ!!!!』 純白と漆黒が、月の空を舞い踊る。 機体の性能とか、パイロットの腕とか――そういう事を置き去りにして、私達は己の命をぶつけ合う。 ――拳打。 ――拳打! ――拳打ッ! 数え切れないほど殴り合い、両者共に満身創痍となり―― 「――うぁッッ!!!?」 『ぐ、ぅぅ……ッッ!!!?』 渾身のクロス・カウンターで――2機は遂に力尽き、月面へと落下した。 『……月が、貴方達に力を与えているのなら……』 アザゼルから、エリンの不気味な声。 『……月ごと粉々にしてやる』 エリンとアザゼルの妖気が、一気に膨れ上がる。 その凄まじい圧力に、弾き飛ばされそうになる私達。 「何……!!?」 『美榊流折形術、陰派一子相伝――ッ!!』 アザゼルから、黒い折り紙が現れた。 1枚や2枚ではない。億、兆――あるいはそれ以上の折り紙が、紙吹雪となって吹き荒れる。 それ等は、ユニットとなり――天を覆い尽くすほど巨大な、黒い球体を作り出した。 『――「黒月読の法」ッッ!!!!』 「……何だ、あれは?」 地球の匠哉は、その光景を見ていた。 満月が、黒い何かによって――少しずつ欠けてゆく。 「……月蝕? でも、そんな話は……」 「月蝕なんかじゃないわ」 美香が、天を見上げながら言う。 「1度だけ、見せて貰った事がある。あれは『黒月読の法』――エリンが、折り紙で作り出した黒い月よ」 「……折り紙で、作ったって……月と同じサイズのモノを?」 「ええ」 あまりにも常識外れの話に、匠哉は呆然とする。 「本来ならば、皆伝のエリンでも自分の身長くらいの月を作るのが限界らしいんだけど――アザゼルのシルヴァー・キィ・システムは、不可能を可能にするわ」 「じゃあ、月が欠けていってるように見えるのは――」 「月に、黒い月が近付いているのよ」 「…………」 「折り紙で作られているとはいえ、黒い月は高速回転によって恐るべき破壊力を持つ。激突すれば、月は崩壊するでしょうね」 「エリンは……月諸共、迦具夜を吹っ飛ばすつもりなのか」 「……そんな事をすれば、自分もタダでは済まないだろうに。莫迦な奴」 「…………」 ふたりはもはや言葉を交わさず、天上の闘いを見守り続ける。 黒い月が――この月に、ゆっくりと落ちて来る。 ……まるで世界の終わりみたいに、天地が震えていた。 『決まりです。今から術者の私を殺しても、黒月落としは止まらない』 「……ッ」 そんなの、ダメだ。 私は地球に帰って、匠哉君に――お兄ちゃんに、会わなければならない。 ……まだ、死ぬ訳にはいかないのだ。私に――出来る事をやらないと。 「お願い、玉兎。私のワガママに付き合って」 エリンとの闘いで、ボロボロの玉兎。 それでも――残る力を振り絞り、私に応えてくれる。 「……ありがと」 剣を、構えた。 『……何を考えているんです? いくらその剣でも、直径約3500キロの黒い月を斬れるはずないでしょう?』 「…………」 エリンの言葉は正しい。私達には、力が足りないのだ。 だから―― 「……私は、この世界に問う」 これしか、ない。 「私の恋は、燃えるような想いは――真実か否か?」 エリンが何度も否定した、私の恋。 「もし否なら、この身に死を。もし真実なら――」 彼女の言う通り、間違いだったら……ここで、死ぬ事になる。 「――私に、一発逆転の力をッッ!!!!」 次の瞬間―― 「……ッッ!!!!」 世界から私達に、莫大な力が与えられた。 玉兎が、私が――最後の一撃を放つための、力が。 「……ほら。私の恋は、間違いなんかじゃなかった」 もう、黒い月はすぐそこまで来ている。威圧感で潰されそうだ。 でも―― 「水面の月すら断ち解く、この剣――」 これで、終わらせる。 「――偽月の1つや2つ、斬れぬ道理があろうものか!」 私達は、全ての力を込め――黒い月に、剣を振った。 「『断解水月』――ッッ!!!!」 光の線が、奔った。 黒い月は、2つに分断され――粉々に散ってゆく。 「――……」 匠哉はそれを見て、微笑んだ。 「……勝ったな、迦具夜」 黒い月が消滅した、月の上。 「あ……」 玉兎が、倒れる。 ……もう、指1本動かす力も残っていない。 「今まで、本当にありがとう……」 玉兎の召喚が、解除された。 そうすると、私は月面に放り出される事になる。今の私は地球人だから、即死は間違いない。 やっぱり……地球には、帰れないのかなぁ……? (お兄ちゃん……) 瞳を閉じる。 いつ、その瞬間が来るかと身構えて―― (……あれ?) いつまで経っても、私が死ぬ事はなかった。 瞳を開く。確かに玉兎の召喚は解除されていて、私は月面に寝ている。 なのに――普通に、呼吸が出来た。まるで、地球の大気の中みたいに。 「私の結界で、地球の環境に合わせたんだよ」 「え……?」 聞き覚えのある声。 見ると、そこには――地球を背にした、マナさんの姿が。 「ほら、帰ろう? パックも連れて来てるし」 「お任せなのさ」 マナさんの隣を飛びながら、パックさんが頷く。 その時―― 『……滅茶苦茶ですね。私とアザゼルの秘奥義を、真っ二つにするなんて』 アザゼルから、エリンの声が。 『こうなったら、もう仕方ありません。敗北を――認めましょうか』 「……エリン?」 彼女の声からは、力が感じられない。 それに――あの、全てを呪うような憎しみも。 『やっぱり、月と同じサイズの作品を作るのは、無理が……ありました、ね……』 ……アザゼルから、力が失われてゆく。 それは、パイロットの――エリンの状態を、表しているかのようでもあった。 『……迦具夜さん。匠哉さんを、お願いします』 「…………」 『私に似て、前世から変な所で頑固ですけど、まぁ、精々頑張って――……』 そこで――エリンとアザゼルが、完全に沈黙した。 召喚者が死したにも関わらず、アザゼルは消滅しなかった。やはり、他のプロトイドルとは違うのだろう。 ……アザゼルは眠る。エリンを抱いて、棺桶のように。 「エリン……」 最期の声からは、怨憎が感じられなかった。私と闘って――気が晴れたのだろうか? ……甘い考えだとは、思うけど。でもそう信じたって、バチは当たらないと思う。 「逝ったね……ま、冥福を祈るよ」 マナさんが、アザゼルを眺めながら呟く。 「……ねえ、マナさん。どうして、私を助けてくれるの?」 ヘレンに攫われた時も、病院の時も――今も。 「私が、お兄ちゃんの――匠哉君の妹だから?」 「うーん……それも一応、理由の1つだけど」 マナさんは楽しそうに、 「貴方は白兎で、私は蛇神だから。ならもう、助けるのが運命ってもんでしょ?」 そんな事を、言った。 「……はは、何それ」 思わず、笑ってしまう。 私は別に、鰐鮫に皮を剥がされた訳ではないのだし。 「さ、帰るよ。匠哉も、待ってるだろうしね」 あの死闘から、しばらくの時が経って。 「――お兄ちゃん、一緒に帰ろう!」 私はお兄ちゃんに、思い切り抱き着く。 「はいはい、抱き付くなマイ・シスター」 「うふふ」 要芽ちゃんから、殺意混じりの視線が向けられるけど……これは兄妹としてのスキンシップであって、やましい事は何もないのだ。うん。 「ま、そうだな……今日はバイトもないし」 「部活はあるわよ」 要芽ちゃんが、私とお兄ちゃんを引き離す。 「マナが言ってたわ。今日こそは来てよ、来ないともっと貧乏になるからね――って」 「……げっ」 むぅ……。 「うぅ……お兄ちゃんは、私を見捨てるの……?」 「……ぐッ!!?」 「私が1人で夜道を歩いて、美空ちゃんに襲われてもいいんだね……?」 「……それは困るな。分かった、マイネ・シュヴェスター。一緒に帰ろう」 「やったーっ!!」 万歳する私。 「……何かあたし、関係ないのに酷い事言われてませんか?」 美空ちゃんがぼやいてるけど、気にしない気にしない。 「……チッ!」 要芽ちゃんの舌打ち。後がとっても恐いけど……気にしない気にしない。 私とお兄ちゃんは、一緒にクラスから出る。要芽ちゃんがハンマーを構えていたので、武器を何本か威嚇射撃しておいた。 校舎から、外に出る。 「にしても、まだ何となく感覚が掴めんなー……お前が、妹だなんて」 「そう?」 私が妹だと明かした時の、お兄ちゃんのリアクションは凄かった。『な、何だってー!?』みたいな。 でも後でマナさんに聞いた話によると、アレは演技混じりだったらしい。私が匠哉君をお兄ちゃんだと気付いたように、お兄ちゃんも何となく分かっていたのかも知れない。 「ねえ、手を繋ごう」 「――ぐはッ!? いきなり何を言い出す、マ・スールッ!!!」 「兄妹なんだから、おかしな事じゃないよ」 と、その時。 「――まったく。頭がユルんでますわね、迦具夜」 2度と聞きたくなかった声が、聞こえた。 「…………」 ギチギチと、錆びたブリキロボみたいに首を動かす。 そこには―― 「――ヘレンッ!!」 あの、トランプ女がいた。 「ヘレン? どうしたんだお前? それに……その格好は?」 そう。何故かヘレンは、星丘高校の制服を着ていた。 ……そしてここは、星丘高校。 ま、まさか―― 「私、ここの生徒になったんですわよ」 や、ややややっぱりーっっ!!!? 「とは言えあれだけ殺しましたから、普通に通う事は出来ません。今は、保健室登校ならぬ部室登校をしてますわ」 ……部室登校? 「部室って……どこのクラブだ?」 「テロリズム・クラブですわよ。学校で虐殺した事を話したら、大歓迎してくれましたわ。今では実力を認められ、副部長の地位に就いています」 ……もう、何からツッコめばよいのか。 「いや、ちょっと待って。貴方、時空流刑とかいうのになったんじゃないの?」 「ええ、なりましたわよ。だから――この世界の、この時代に流されたのです」 ――ウソぉぉッッ!!!? 「ま、文句があるのなら美香にでも言う事ですわね。私の流刑先をここにするよう働き掛けたのは、彼女らしいですから」 あの人は、あの人はぁぁーっ!!! 「ま、今後ともよろしくお願いしますわ」 ヘレンはお兄ちゃんに微笑み、私に蔑みの眼を向ける。 「……私のお兄ちゃんに近付かないでよ、貴方は存在自体が毒劇物なんだから。何、お兄ちゃんを毒殺したいの?」 お兄ちゃんを、抱き寄せる私。 ヘレンは、ピクリとコメカミを引き攣らせた。 「あら迦具夜、私にそんな口を利いてもいいんですの? あの時、貴方がどんな痴態を見せたか――匠哉に、残さず教えてもいいんですわよ?」 「……ッッ!!!?」 「ふふ、淫ら過ぎて笑えましたわね。貴方は――」 「嫌ぁぁぁああああああッッ!!!?」 「――へぐぶはァッッ!!!?」 仏の御石の鉢(偽)を、思い切りヘレンの頭にぶつける。 「映、像は、まだ私の手に、ある、んですわよ……!」 バタンと倒れ、動かなくなるヘレン。 「お兄ちゃん……」 「……な、何だ?」 「今聞いた話は、すぐに脳内から削除。分かった?」 「あ、ああ……分かったから、その血の付いた鉢は仕舞え」 「…………」 鉢を、消滅させる。 「行こ、お兄ちゃん」 ヘレンの屍を越え、校門から出る私達。 「……っ!?」 すると――お兄ちゃんの手が、私の手を握った。 「お兄ちゃん?」 「どうした? 手、繋ぐんだろ?」 「……うんっ!」 私とお兄ちゃんは、一緒に歩いて行く。 ……さて。このまま帰るのも何だし、どこかで遊んで行こうかな。
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