「……ん?」 ある日の事。 とある建物の前で――匠哉は、足を止めた。
「……やっぱり美香さんでしたか」 匠哉がその建物に入ると、カウンターの中にいた美香が手を振る。 「や、匠哉君」 「何やってるんですか、この店は潰れたでしょう? 他ならぬ、貴方のせいで」 「私のせいとは心外ねぇ」 美香は、大げさに肩を竦めた。 「ノルニルが私を別世界に左遷したせいで、仕方なくこの店を畳まなくちゃならなくなったのよ」 「……美香さんは三女神なんでしょう? なのに左遷されるんですか?」 「まぁ、三女神といえども人の子っつーか。やっぱ、社長には逆らえないからねー」 足を椅子から伸ばし、ブラブラさせる美香。 「美空の奴から色々と聞きましたよ、美香さんの事。スコルネーレとかいう、とんでもない世界から来たんですよね」 「うん。私は生まれた時から住んでた訳だから、あんまりとんでもないイメージはないんだけど。でも確かに、言葉にするなら地獄のような場所だったかな」 「……地獄」 「ま、それ以上に――鉄壁の三門を破ってキサまで来た社長やエリンは、もっと地獄じみてると思うけどね」 美香は、椅子から立ち上がった。 そして――匠哉と、向かい合う。 「――匠哉君」 ゾブリと、匠哉の脳髄を不快な何かが貫く。 「ぐ……ッ!!?」 思わず、吐き気を堪える匠哉。 今までにどんな相手からも感じた事のない、美香の異様な気配が――匠哉の、生理的拒絶反応を引き起こす。 「私は、迦具夜ちゃんと闘おうと思うわ」 「……ッ」 ダメだ、と匠哉は思う。 どれだけ敵を倒しても、迦具夜は普通の人間なのだ。こんな悍ましい気配を持つモノと闘って、無事で済むはずがない。 「……前は、助けるように言ったのに」 「んー。ゴメンね、状況が変わったのよ。それに――ほら、大人って嘘吐きだから」 美香が、カウンターから出る。 「私に敗けるようなら、エリンには勝てない。エリンに殺されるくらいなら、私に殺された方がマシ。そういう事よ」 カランカラン――と、美香は扉を開いた。 そして、店の外に出る。 「……美香さんッ!」 匠哉はそれを追い、外に出るが――もうどこにも、彼女の姿はなく。 学校の放課後。 部活へと連行された要芽ちゃんをドナドナの気分で見送った後、私は美空ちゃんと下校していた。 道路脇の、歩道を歩く。 「そう言えば、美空ちゃんってどこに住んでるの?」 「相変わらずのイースト・エリアですよ。……最近、居候が増えましたけど」 「居候?」 「まったく、いきなりやって来て『美空、しばらく住ませなさい。元同僚なら当然聞いてくれますわね?』ですよ。あたしは、月見匠哉ほどお人好しじゃないのに……」 …………。 「あ。そうだ、美空ちゃん。私、エルノを斃したよ」 「ほぉ、エルノを。……となると、残る敵は三女神の2人ですね」 「エリンと……百々凪美香さん、だっけ? やっぱり、強いの?」 「ええ、桁外れに。彼女達は人間でありながら、その力は神族にすら匹敵するといわれています」 うぅ……胃が痛くなりそう……。 「……正直な話をすれば、三女神とは闘ってほしくないですね」 「…………」 「いくら迦具夜さんが強くなっても、越えられない壁がある。努力だけでは、イチローやタイガー・ウッズにはなれません。迦具夜さんと彼女達では、多分生まれた時から絶対的に違うんです」 「……そうだね。でも、向こうが見逃してくれるとは思えない」 この戦いは当初、玉兎――11番を巡るものだった。 でも、今はそうじゃない。究極的には、私とエリンの戦いになっている気がする。 「……そうですね。何が、エリンをあそこまで突き動かしているのかは分かりませんが……これで終わり、なんて事は考えられません」 「うん。そして――向かって来た敵は、斃すしかないんだよ」 「迦具夜さん……」 私は、美空ちゃんに笑いかける。 「大丈夫だよ。私はヘッポコだけど、玉兎はカナさんや美空ちゃん――皆のお陰で強くなったんだから。どんな相手でも、敗けたりしない」 「……じゃあ、ヘッポコな迦具夜さんはあたしが護らなければいけませんね」 美空ちゃんも、笑ってくれた。 なのに―― 「――笑わせるわ。貴方如きに、何が護れるっていうの?」 美空ちゃんの身体が、突然吹き飛ばされる。 「――え?」 彼女は走行中のトラックに激突し、そのまま上へと弾き飛ばされた。 そして――落下。コンクリの地面に、叩き付けられる。 「――……」 言葉が、出ない。 ……美空ちゃんは、指1本動かさない。まるで、死んでしまったかのように。 「あーあ、弱いわねー。パンチ1発であのザマか。この馬鹿弟子がぁ! って感じかしら」 「貴方、は……」 「百々凪美香。貴方の、次の相手よ」 美香さんが、私を見た。 それだけで――美空ちゃんを傷付けられた憤怒が、残らず恐怖へと入れ替わる。 ……アレは、人間じゃない。少なくとも、今までの敵とは絶望的に違う。 「来たれ我が偶像、月にて秘薬を搗く者よ……」 なら、私に闘う術は――これしかない。 「――玉兎ッ!」 プロトイドルに乗り込んだ私は、一気に星丘公園まで飛ぶ。 ここなら街中より人は少ないし、邪魔になる物もない。何より、瀕死の美空ちゃんを巻き込む事がない。 「美空ちゃん……」 ……今は、無事を祈るしかない。 「生身では勝てないと分かってるから、すぐさまプロトイドル戦に持ち込む。うん、相変わらず身の程を知っているわね」 「な――っ!?」 本気で飛ばしたにも関わらず、すでに美香さんの姿がある。 彼女は、玉兎の目線の上――高い木の頂に、少しもバランスを崩さず立っていた。 「なら私も、可愛いあの子を喚ぼうかしら」 美香さんが、楽しげに笑った。 「来たれ我が偶像、天を支える巨人よ――」 爆発的なエネルギィが吹き荒れる。それだけで、美香さんの周囲の木々が薙ぎ倒される。 「――『アトラス』」 そして。 山脈の如き、プロトイドルが――顕現した。 ……以前、学校で見た機体だ。何をしても勝てないと、本能で感じたプロトイドル。 巨大で、無骨。身長は玉兎の3倍以上。当然、攻撃力・防御力は比べ物にもならないだろう。 ナチス・ドイツには、グスタフとかドーラとかいうとんでもない兵器があったらしいけど……ソレを人型にすれば、あんな感じになるのではないだろうか。 「ぐ……ッ!!?」 一瞬でも気を抜いたら、失神しかねない威圧感。 ……私の全身から、冷たい汗が吹き出す。この世のモノとは思えない威容に、膝を屈しそうになる。 「さ、殺し合いましょう」 美香さんが乗っていないにも関わらず、アトラスが動いた。 上方から、猛スピードで拳が振り下ろされる――! 「――ッッ!!!」 私はどうにか自分を奮い立たせ、それを回避。 回避、したんだけど―― 「きゃああああ……ッッ!!!?」 玉兎の胴体ほどもある太さの腕が、脇を通り抜けたのだ。その衝撃波だけでも、十分過ぎるダメージとなる。 「く、ぅ……ッ!!」 脳を揺さ振られて気絶しかけながらも――翼を羽撃かせて飛び、体勢を整える。 しかし――間髪入れずに、アトラスは足を振り上げた。 「あぐ――ッ!!?」 僅かに掠っただけなのに、大きく装甲が削り取られる。 さらに――振り上げられた足が、玉兎の頭頂へと踵を直下させた――! 「く――ッッ!!!?」 全力で加速し、その踵落としから逃れる。 あんなの、喰らったら跡形も残らないよ……ッ!!! 「――はァッ!!!」 飛行で勢いを付け、思い切り蹴りを叩き込む。 けれど―― 「……ッ!!?」 アトラスの装甲には、傷1つ付かない。それどころか、蹴った足の方にヒビが入る。 「――甘いわよ」 まるで稲妻のように、手刀を振り下ろすアトラス。距離、タイミング、スピード――全て完璧。躱す事を許さぬ、達人の技だ。 「……ッ、超限界状態ッ!!」 仕方なく、玉兎の限界を超える力を引き出し――神速で回避。 「ぐ、ぅあああ……ッッ!!!?」 玉兎が悲鳴を上げる。そして、私の身体にも耐え難い苦痛が。 「はは、頑張るわね迦具夜ちゃん。でも、余り無理をすると廃人になるわよ?」 私達はもうボロボロなのに、相手はまだ余裕すら持っていた。 ……力の差が、在り過ぎる。 生まれ持ったバトル・センスと、越えた修羅場の数。きっとソレが、私と彼女の絶対的な違いなのだ。 「……っ」 心が、絶望感に侵されてゆく。 どうやったらあの巨神を討ち滅ぼせるのか、まったく検討も付かない。 「困ってるわね。ま、このアトラスはプロトイドル17機の中でもトップ3に入る機体よ。少しばかり機体が強化されたからって、撃破出来るモノじゃない」 「…………」 その通りだ。玉兎が強くなっても、この相手には敵わない。 (……あれ?) そこで、簡単な疑問に気付いた。 玉兎が強くなっても、勝てない。 ならば―― (――私が、強くなったら?) その答えが、出る前に。 「吹き飛びなさい――」 アトラスが、玉兎に迫る。 そして―― 「――『舞爪・烈花』!」 拳の連打を、玉兎に叩き込んだ。 「――……」 玉兎の各部に、致命的なエラーが発生。 でも私の脳は、それを受け取る前に――意識を途切れさせていた。 ……地面に落下し、そのショックでようやく意識が復活する。 「ごふ、っ……」 喉の奥から、血を吐き出す。 ……私の身を包む、死の悪寒。 でも―― (考えろ、考えろ……) 私には、まだ何かあるはずだ。前世の記憶を取り戻してなお、思い出していない何か。 「……咄嗟に後ろに飛んで、拳の威力を受け流したか」 美香さんの声と同時に、アトラスが玉兎を蹴り上げる。 ……まるで、サッカーボールみたいに飛ぶ玉兎。中の私は全身を打ち、内臓を振り回され、激痛にやられて死体1歩手前。 「思い出せ……」 記憶を辿れ。前世の私は――どんな人間だった? 月での私は、色んな人から求婚されて、でもタクヤ君がいたから全て断って、でもそれは私の『趣味』でもあって―― 「……あ」 見付けた。 「――トドメよ。この一撃で死になさい」 アトラスが……私達に引導を渡そうと、拳を構える。 しかし―― 「――ッッ!!!?」 突然、玉兎の――私の背後から飛び出した銀光によって、その巨体を退かす事となった。 ……私は、ゆっくりと玉兎を起こす。 「それは……?」 美香さんの顔に、驚きの表情が浮かぶ。少しいい気分。 さっき、アトラスを襲った銀光。その正体は、一振りの剣。 そして、玉兎の周囲には――剣に限らず、槍、斧、鎌など、数え切れないほどの武器が浮かんでいる。 「……自分で言うのも何だけど。前世の私はかなりの美人で、色んな人から求婚されたんだよ」 「…………」 「知ってるよね? この地上で私が求婚されたのは、『竹取物語』で有名だし」 「それが、何なのよ?」 「私は求婚者達を諦めさせるために、無理難題を押し付けた。『竹取物語』の5人――地上の求婚者達は誰も難題をクリアー出来なかったけど、月ではそうでもなかった」 「……まさか、この武器は……」 美香さんが、気付いた様子で顔を顰める。 「そう。この数多の武器は、結婚の条件として求婚者達に貢がせた月の秘宝。まぁ私にはタクヤ君がいたから、最後には適当な理由を付けて断ったけど」 「……悪い女ね」 「そうだね。美しさが罪なら、私は大罪人だよ」 微笑み、武器の切っ先をアトラスへと向ける。 「星の数ほどの求婚者から得た、星の数ほどの武器。王家の六宝剣には及ばないとはいえ、これ等は全て一撃必殺の神器だよ。纏めて射ち込んだら……どうなるかな?」 「く――ッ!!?」 アトラスが、後ろに跳び退く。 ……遅い。 「貫き砕け――『アルテミスの矢衾』ッッ!!!!」 ――次の刹那。 無数の武器が矢のように射ち出され、アトラスの全身に突き刺さる――ッ! 「うぁああ……ッ!!?」 美香さんが、悲鳴を上げた。 1つ1つなら、アトラスを斃すには至らない。しかし、こうしてマシンガンのように連射すれば話は別だ。 それに、いくら射っても――月の全土から蒐集した私のコレクションは、尽きたりしない。 「ぐ……ッ!!?」 無尽蔵の射撃を受け、ついにアトラスが怯んだ。 私は、アトラスから美香さんへと標準を合わせる。 でも―― 「……私は、この世界に問う」 アトラスが跳び、美香さんの盾となった。 「私の恋は、燃えるような想いは――真実か否か?」 「……?」 何、この詩……? 「もし否なら、この身に死を。もし真実なら――」 天地が、鳴動した。 「――私に、一発逆転の力をッッ!!!!」 アトラスに、凄まじい量の術素が注ぎ込まれる。 ……『アルテミスの矢衾』によって負った傷が、どんどん癒えてゆく。 「な――」 何それッ!? 自分の命を賭け金にして、世界を味方にしたのッ!!? 「くッ……封印解除ッ!!!」 私は、剣を鞘から抜く。 「……悪いわね、迦具夜ちゃん。潰させて貰うわ」 爆発的な術素が篭った、アトラスの拳。 ソレが―― 「――『舞爪・獄落烈花』ッッ!!!!」 玉兎に向け、放たれる! 「空間制限、開始――ッ!!」 何だかよく分からないけど……想いの深さでなら、敗けられないッ!! 「――『断解水月』ッッ!!!!」 拳に装甲を抉られながらも――剣が、アトラスの身体を斬り裂く。 「な、に……!?」 アトラスが斬られたのとまったく同じ箇所から、美香さんは血を噴いた。 傷口を、手で押さえる。無論、そんな事で出血が止まるはずもない。 「……そう、か。想いの深さで、敗けちゃったか。なら、仕方ない、わね……」 木から、真っ逆さまに落ちてゆく。そして、林の中に消えた。 ……同時に、アトラスが消滅する。 私は、彼女を探そうとしたけど―― 「あ……」 そこで力尽き、玉兎の召喚が解除された。 ……眠るように、私の意識が落ちる。 「やれやれ。お互い、酷い目に遭いましたね」 「うん、まったくだよ」 私と美空ちゃんは、一緒に病院から出た。 時間は、もう夜。頭上では――満月が光っている。 ……気を失った私は、すぐに病院に送られた。美空ちゃんと共に、かなり危険な状態だったらしいんだけど……何故か病院に居合わせたマナさんのお陰で、すぐに完治する事が出来たのだ。 話によると、マナさんは誰かに頼まれて病院にいたらしい。でも、それが誰なのかは教えてくれなかった。 「美空ちゃん、誰だと思う?」 「……さぁ?」 美空ちゃんは面白くなさげに、そう呟く。 この反応からすると、やっぱりあの人なのかなぁ? 匠哉君が信用してた人なんだし……マナさんによる治療を前提として、私達を傷付けたのかも知れない。 「では、また明日」 「うん、またね」 私は美空ちゃんと別れ、家へと向かう。 その、途中で。 「あれ、迦具夜?」 匠哉君と、バッタリ出会った。 「匠哉君? どうしたの?」 「いや、それはこっちの台詞なんだが。入院したって聞いて、見舞いに行こうと思ってたんだけど」 コンビニの袋から、メロンパンを取り出す匠哉君。 ……お見舞いの定番であるメロンの、廉価版だと考えればいいんだろうか? 「マナさんが病院にいたお陰で、すぐに退院出来たの」 「マナの奴が? へぇ……ま、とにかくこれは渡しておこう」 差し出されたメロンパンを、 「ありがと、匠哉君」 素直に、受け取る私。 「退院出来たのなら、それに越した事はないな。よかったよかった」 匠哉君は私に手を振って、商店街の方に向けて歩き出した。 「これから買い物?」 「ん? いいや、ちょっと野暮用。お前も来るか? 無関係じゃないし」 「……え?」 訳の分からぬまま、匠哉君に付いて行って――辿り着いたのは。 「……ノルン?」 少し前に潰れたと聞く、喫茶店だった。 匠哉君は、迷いなく扉を開く。 店内に入ると―― 「――や、お2人さん」 カウンターに、美香さんの姿があった。 「な……っ!?」 思わず、身構える私。 「やっぱりいましたね。いいんですか?」 「いいのよ。店を畳んだとはいえ、この土地と建物は変わらずノルニルの物なんだし」 匠哉君は普通に、美香さんと会話している。いや、元店長と元バイトなんだから、別にいいのかも知れないけど。 「ほら、迦具夜ちゃんもどっか座って。別に取って喰ったりはしないから」 「は、はぁ……」 とりあえず、言われた通りに座る。 「……何で、俺には座るように勧めないんです?」 「何言ってるの。君はこっちに決まってるでしょ?」 美香さんは――カウンターから、エプロンを取り出した。 「待ってください? うん、ちょっと待ってください? 俺は既にバイトではなく――いやそれ以前の問題として、ここはもう潰れているんでしょう?」 「いいじゃない。ゴッコよ、喫茶店ゴッコ。君は、私のバイトとしてこき使われるのが相応しいのよ」 「言いたい事を一言で言いましょう。――締め殺すぞアンタ」 「ん、エプロンは嫌? ならエプロン・ドレスにする? 着慣れてるでしょうし」 「この月見匠哉、喜んでエプロンを着させて頂きます。……チクショー」 のそのそと、エプロンを着る匠哉君。 ……この2人、ずっとこんな感じで店をやってたんだろうか? 「じゃ、お客役は迦具夜ちゃんね」 「あ、うん」 思わず、返事をする。 「……何がお客役ですか。客が来た事なんてありましたっけ?」 「あら、あったじゃない。匠哉君が、女の子連れて来た事が」 ――なッッ!!!? 「あー、そう言えば飛娘と一緒に来た覚えが……って、どうした迦具夜ッ!? 何で人殺せそうな睨みを俺に向けるッ!!?」 「まぁまぁ。落ち着いて、迦具夜ちゃん」 苦笑する美香さん。 むぅ……。 「……じゃ、とりあえず掃除でもするか」 匠哉君が、店内の掃除を始める。 私が、ぼーっとそれを眺めていると―― 「お客さん、ご注文は?」 美香さんが、そう訊いて来た。 「えっと……水で」 それ以外に、出せる物があるとは思えないし。 「はい、新鮮な水道水」 美香さんが、コップに入った水を差し出す。 ……取り合えず、飲んでみる私。当然だけど、水道水の味がした。 「で、何か私に訊きたい事はある? 敗者は敗者らしく、勝者の問いには何でも答えるわよ」 「――……」 私が、知りたい事。 それは――1つしかない。 「エリンは、一体何者なの?」 眼を見て、尋ねる。 「……やっぱり、そう来たか」 美香さんは頭をかいた後、話し始めた。 「……エリン。本名――美榊恵鈴。こことは少し違う世界の、美榊家で生まれ育った女よ」 「美榊家?」 「折り紙を武器として使う流派の大家。匠哉君は知ってるわよね?」 「ええ、まぁ」 匠哉君が、相槌を打った。 思い返してみれば……確かに、エリンは折り紙を使う。 「これは匠哉君も知らないかな。美榊家には、陽派と陰派があるの。簡単に説明すると……陽派は折り紙を武術に使い、陰派は咒術に使う。そんな感じかな」 「そう言えば……迅徒の美榊流折形術は、陽の章ですよね」 匠哉君が呟く。 私の記憶では―― 「……エリンは確か、陰の章だった気が」 「そ。あいつは、美榊家陰派で生まれ――その超越的な才で次々と陰派の技を修め、5歳で免許皆伝。その翌年には陰派の頭目を真剣勝負で斃し、頭目の座に就いた。美榊家の歴史上、僅か6歳で頭目になったのは両派でもエリンだけよ」 ろ、6歳で流派の頭目……っ!? ……私6歳の時、何してたっけ? 「しかし、そこである事件が起こった」 美香さんの表情が、僅かに重くなる。 「陽派が切支丹だった大名に倣って、キリスト教に改宗しちゃったのよ」 キリスト教に改宗……って事は。 「そうなると当然、咒術師の集団である陰派を認められなくなる。それに――子供でありながら陰派を支配するエリンの存在は、あまりにも不気味だった」 …………。 「結果、陽派は陰派の殲滅を決定。陰陽以外の美榊流十六派も陽派の側に付き、陰派を攻撃した……」 エリンは言っていた。自分達は、同胞に滅ぼされたのだと。 「それでも、陰派は――エリンに率いられた美榊家陰派の力は、絶大だったの。まずは十六派を襲撃し、一派も残さず根絶やしにした」 「……っ」 私と匠哉君は、思わず息を呑む。 「そして陽派との……もはや戦争とでも呼ぶべき戦いが始まった。十六派との戦いで疲弊していた陰派の人達は、陽派によって次々と殺されていったんだけど――」 美香さんは、一息置いて。 「――それでも。陽派は、エリンを斃す事が出来なかった」 と、静かに告げた。 「信じられる? 6歳の少女が味方を全て殺され、たった1人で数百の敵と闘い――それを、皆殺しにしただなんて」 ……常軌を、逸している。 私には、そうとしか言えない。 「しかし陽派に致命的な損害を与えたエリンも、最後には追い詰められ、川に身を投げたと聞くわ。……楽しそうに、微笑みながらね」 そして―― 「一命を取り留めたあいつは、その凄まじい力を……ノルニルに見込まれたって訳か」 私が考えていた事を、匠哉君が口にする。 美香さんは頷き、私を見た。 「迦具夜ちゃん、エリンと闘ってはダメ。殺される以外の未来はないわよ」 「…………」 ……でも。 「闘わなきゃ、分からないと思うの。私と、エリンの事」 何であいつが、私を狙うのか。計画を潰した匠哉君ではなく、私を。 一体、何を――そこまで、憎悪しているのか。 「……そう」 美香さんの答えは、それだけ。 「じゃ、頑張りなさい。貴方が勝てる可能性はゼロだけど、お祈りくらいはしてあげるわ」 椅子から立ち上がる、美香さん。 「さて……っと。そろそろ、元の世界に戻りますか。迦具夜ちゃんには敗けたし、これ以上エリンに付き合うのも億劫だし」 「元の世界?」 匠哉君が問う。 「元って言うか、左遷先の世界だけどね。可愛い義妹がいるのよ」 美香さんは、匠哉君の顔を見て――微笑んだ。 「今日君と喫茶店ゴッコをしたら、色々懐かしくなっちゃったわ。向こうの世界でも喫茶ノルンをやってるんだけど……バイト募集、してみようかしら」 ……何だか、嫌な予感が。 「そしたらこの世界と同じく、匠哉君がバイトに来てくれるかも知れないし」 や、やっぱり狙いは匠哉君ッ!!? 「在り得ませんよ、そんな事。こんな詐欺バイトに引っかかるほど、別世界の俺はアホじゃない……と思います」 「ふふ、そうかしらね」 美香さんは匠哉君に近付き――さらに、顔と顔を近付ける。 「でも、来てくれたら私は嬉しいかな。私と君の間には――確かな、『縁』があるって事だから」 そして、唇が触れ合った。 「〜〜〜〜ッッ!!!?」 石化する私。 しばらくの後、唇が離れる。 「……迦具夜? どうした?」 匠哉君は特に動揺した様子もなく、平然としている。 「……な、何で匠哉君はそんなに冷静なの? キスされたんだよ?」 「何でかと聞かれれば……慣れてるから?」 ――慣れてるッ!!? 「ノルンでバイトしてた頃は、このくらいの事はよくされたぞ。キス以外にも、色々と」 「色々って!!? 色々って!!!?」 「ふふ……聞きたい?」 美香さんが、意地悪そうに笑う。 私が、徹底的に問い詰めようとした時―― 「――……ッッ!!!?」 息が止まるほどの、凄まじい殺気を感じた。 床を蹴り、外に跳び出す私と匠哉君。天を見上げる。 「……あ」 そこには――暗闇の中で輝く、円い月。 間違いない。さっきの気配は、『あそこ』から放たれたモノだ。 ……エリンが、月にいる。 「美香さん……」 匠哉君が、歩いて出て来る彼女を見た。 「今の気配を――エリンの力の片鱗を感じて、ようやくさっきの話が実感出来ましたよ」 ……うん。 確かに、私なんかが闘える相手じゃない。 「そう……で、迦具夜ちゃんは?」 「……恐い。凄く恐い。だけど――」 退路はない。覚悟は、出来ているつもりだ。 「――往く。往って、決着を付けて来る」
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