「……ん?」
 ある日の事。
 とある建物の前で――匠哉は、足を止めた。


貧家外典・アポロイレヴン8
〜ゴッド・マウンテンズ〜

大根メロン


「……やっぱり美香さんでしたか」
 匠哉がその建物に入ると、カウンターの中にいた美香が手を振る。
「や、匠哉君」
「何やってるんですか、この店ノルンは潰れたでしょう? 他ならぬ、貴方のせいで」
「私のせいとは心外ねぇ」
 美香は、大げさに肩を竦めた。
「ノルニルが私を別世界に左遷したせいで、仕方なくこの店を畳まなくちゃならなくなったのよ」
「……美香さんは三女神なんでしょう? なのに左遷されるんですか?」
「まぁ、三女神といえども人の子っつーか。やっぱ、社長には逆らえないからねー」
 足を椅子から伸ばし、ブラブラさせる美香。
「美空の奴から色々と聞きましたよ、美香さんの事。スコルネーレとかいう、とんでもない世界から来たんですよね」
「うん。私は生まれた時から住んでた訳だから、あんまりとんでもないイメージはないんだけど。でも確かに、言葉にするなら地獄のような場所だったかな」
「……地獄」
「ま、それ以上に――鉄壁の三門を破ってキサまで来た社長やエリンは、もっと地獄じみてると思うけどね」
 美香は、椅子から立ち上がった。
 そして――匠哉と、向かい合う。
「――匠哉君」
 ゾブリと、匠哉の脳髄を不快な何かが貫く。
「ぐ……ッ!!?」
 思わず、吐き気を堪える匠哉。
 今までにどんな相手からも感じた事のない、美香の異様な気配が――匠哉の、生理的拒絶反応を引き起こす。
「私は、迦具夜ちゃんと闘おうと思うわ」
「……ッ」
 ダメだ、と匠哉は思う。
 どれだけ敵を倒しても、迦具夜は普通の人間なのだ。こんな悍ましい気配を持つモノと闘って、無事で済むはずがない。
「……前は、助けるように言ったのに」
「んー。ゴメンね、状況が変わったのよ。それに――ほら、大人って嘘吐きだから」
 美香が、カウンターから出る。
「私に敗けるようなら、エリンには勝てない。エリンに殺されるくらいなら、私に殺された方がマシ。そういう事よ」
 カランカラン――と、美香は扉を開いた。
 そして、店の外に出る。
「……美香さんッ!」
 匠哉はそれを追い、外に出るが――もうどこにも、彼女の姿はなく。








 学校の放課後。
 部活へと連行された要芽ちゃんをドナドナの気分で見送った後、私は美空ちゃんと下校していた。
 道路脇の、歩道を歩く。
「そう言えば、美空ちゃんってどこに住んでるの?」
「相変わらずのイースト・エリアですよ。……最近、居候が増えましたけど」
「居候?」
「まったく、いきなりやって来て『美空、しばらく住ませなさい。元同僚なら当然聞いてくれますわね?』ですよ。あたしは、月見匠哉ほどお人好しじゃないのに……」
 …………。
「あ。そうだ、美空ちゃん。私、エルノを斃したよ」
「ほぉ、エルノを。……となると、残る敵は三女神の2人ですね」
「エリンと……百々凪美香さん、だっけ? やっぱり、強いの?」
「ええ、桁外れに。彼女達は人間でありながら、その力は神族にすら匹敵するといわれています」
 うぅ……胃が痛くなりそう……。
「……正直な話をすれば、三女神とは闘ってほしくないですね」
「…………」
「いくら迦具夜さんが強くなっても、越えられない壁がある。努力だけでは、イチローやタイガー・ウッズにはなれません。迦具夜さんと彼女達では、多分生まれた時から絶対的に違うんです」
「……そうだね。でも、向こうが見逃してくれるとは思えない」
 この戦いは当初、玉兎――11番を巡るものだった。
 でも、今はそうじゃない。究極的には、私とエリンの戦いになっている気がする。
「……そうですね。何が、エリンをあそこまで突き動かしているのかは分かりませんが……これで終わり、なんて事は考えられません」
「うん。そして――向かって来た敵は、斃すしかないんだよ」
「迦具夜さん……」
 私は、美空ちゃんに笑いかける。
「大丈夫だよ。私はヘッポコだけど、玉兎はカナさんや美空ちゃん――皆のお陰で強くなったんだから。どんな相手でも、敗けたりしない」
「……じゃあ、ヘッポコな迦具夜さんはあたしが護らなければいけませんね」
 美空ちゃんも、笑ってくれた。
 なのに――
「――笑わせるわ。貴方如きに、何が護れるっていうの?」
 美空ちゃんの身体が、突然吹き飛ばされる。
「――え?」
 彼女は走行中のトラックに激突し、そのまま上へと弾き飛ばされた。
 そして――落下。コンクリの地面に、叩き付けられる。
「――……」
 言葉が、出ない。
 ……美空ちゃんは、指1本動かさない。まるで、死んでしまったかのように。
「あーあ、弱いわねー。パンチ1発であのザマか。この馬鹿弟子がぁ! って感じかしら」
「貴方、は……」
「百々凪美香。貴方の、次の相手よ」
 美香さんが、私を見た。
 それだけで――美空ちゃんを傷付けられた憤怒が、残らず恐怖へと入れ替わる。
 ……アレは、人間じゃない。少なくとも、今までの敵とは絶望的に違う。
「来たれ我が偶像、月にて秘薬を搗く者よ……」
 なら、私に闘う術は――これしかない。
「――玉兎ッ!」



 プロトイドルに乗り込んだ私は、一気に星丘公園まで飛ぶ。
 ここなら街中より人は少ないし、邪魔になる物もない。何より、瀕死の美空ちゃんを巻き込む事がない。
「美空ちゃん……」
 ……今は、無事を祈るしかない。
「生身では勝てないと分かってるから、すぐさまプロトイドル戦に持ち込む。うん、相変わらず身の程を知っているわね」
「な――っ!?」
 本気で飛ばしたにも関わらず、すでに美香さんの姿がある。
 彼女は、玉兎の目線の上――高い木の頂に、少しもバランスを崩さず立っていた。
「なら私も、可愛いあの子を喚ぼうかしら」
 美香さんが、楽しげに笑った。
「来たれ我が偶像、天を支える巨人よ――」
 爆発的なエネルギィが吹き荒れる。それだけで、美香さんの周囲の木々が薙ぎ倒される。
「――『アトラス』」
 そして。
 山脈の如き、プロトイドルが――顕現した。
 ……以前、学校で見た機体だ。何をしても勝てないと、本能で感じたプロトイドル。
 巨大で、無骨。身長は玉兎の3倍以上。当然、攻撃力・防御力は比べ物にもならないだろう。
 ナチス・ドイツには、グスタフとかドーラとかいうとんでもない兵器があったらしいけど……ソレを人型にすれば、あんな感じになるのではないだろうか。
「ぐ……ッ!!?」
 一瞬でも気を抜いたら、失神しかねない威圧感。
 ……私の全身から、冷たい汗が吹き出す。この世のモノとは思えない威容に、膝を屈しそうになる。
「さ、殺し合いましょう」
 美香さんパイロットが乗っていないにも関わらず、アトラスが動いた。
 上方から、猛スピードで拳が振り下ろされる――!
「――ッッ!!!」
 私はどうにか自分を奮い立たせ、それを回避。
 回避、したんだけど――
「きゃああああ……ッッ!!!?」
 玉兎の胴体ほどもある太さの腕が、脇を通り抜けたのだ。その衝撃波ソニック・ブームだけでも、十分過ぎるダメージとなる。
「く、ぅ……ッ!!」
 脳を揺さ振られて気絶しかけながらも――翼を羽撃かせて飛び、体勢を整える。
 しかし――間髪入れずに、アトラスは足を振り上げた。
「あぐ――ッ!!?」
 僅かに掠っただけなのに、大きく装甲が削り取られる。
 さらに――振り上げられた足が、玉兎の頭頂へと踵を直下させた――!
「く――ッッ!!!?」
 全力で加速し、その踵落としから逃れる。
 あんなの、喰らったら跡形も残らないよ……ッ!!!
「――はァッ!!!」
 飛行で勢いを付け、思い切り蹴りを叩き込む。
 けれど――
「……ッ!!?」
 アトラスの装甲には、傷1つ付かない。それどころか、蹴った足の方にヒビが入る。
「――甘いわよ」
 まるで稲妻のように、手刀を振り下ろすアトラス。距離、タイミング、スピード――全て完璧。躱す事を許さぬ、達人の技だ。
「……ッ、超限界状態オーヴァー・ドライヴッ!!」
 仕方なく、玉兎の限界を超える力を引き出し――神速で回避。
「ぐ、ぅあああ……ッッ!!!?」
 玉兎が悲鳴を上げる。そして、私の身体にも耐え難い苦痛が。
「はは、頑張るわね迦具夜ちゃん。でも、余り無理をすると廃人になるわよ?」
 私達はもうボロボロなのに、相手はまだ余裕すら持っていた。
 ……力の差が、在り過ぎる。
 生まれ持ったバトル・センスと、越えた修羅場の数。きっとソレが、私と彼女の絶対的な違いなのだ。
「……っ」
 心が、絶望感に侵されてゆく。
 どうやったらあの巨神を討ち滅ぼせるのか、まったく検討も付かない。
「困ってるわね。ま、このアトラスはプロトイドル17機の中でもトップ3に入る機体よ。少しばかり機体が強化されたからって、撃破出来るモノじゃない」
「…………」
 その通りだ。玉兎が強くなっても、この相手には敵わない。
(……あれ?)
 そこで、簡単な疑問に気付いた。
 玉兎が強くなっても、勝てない。
 ならば――
(――私が、強くなったら?)
 その答えが、出る前に。
「吹き飛びなさい――」
 アトラスが、玉兎に迫る。
 そして――
「――『舞爪・烈花ぶそう・れっか』!」
 拳の連打を、玉兎に叩き込んだ。
「――……」
 玉兎の各部に、致命的なエラーが発生。
 でも私の脳は、それを受け取る前に――意識を途切れさせていた。
 ……地面に落下し、そのショックでようやく意識が復活する。
「ごふ、っ……」
 喉の奥から、血を吐き出す。
 ……私の身を包む、死の悪寒。
 でも――
(考えろ、考えろ……)
 私には、まだ何かあるはずだ。前世の記憶を取り戻してなお、思い出していない何か。
「……咄嗟に後ろに飛んで、拳の威力を受け流したか」
 美香さんの声と同時に、アトラスが玉兎を蹴り上げる。
 ……まるで、サッカーボールみたいに飛ぶ玉兎。中の私は全身を打ち、内臓を振り回され、激痛にやられて死体1歩手前。
「思い出せ……」
 記憶を辿れ。前世の私は――どんな人間だった?
 月での私は、色んな人から求婚されて、でもタクヤ君がいたから全て断って、でもそれは私の『趣味』でもあって――
「……あ」
 見付けた。
「――トドメよ。この一撃で死になさい」
 アトラスが……私達に引導を渡そうと、拳を構える。
 しかし――
「――ッッ!!!?」
 突然、玉兎の――私の背後から飛び出した銀光によって、その巨体を退かす事となった。
 ……私は、ゆっくりと玉兎を起こす。
「それは……?」
 美香さんの顔に、驚きの表情が浮かぶ。少しいい気分。
 さっき、アトラスを襲った銀光。その正体は、一振りの剣。
 そして、玉兎の周囲には――剣に限らず、槍、斧、鎌など、数え切れないほどの武器が浮かんでいる。
「……自分で言うのも何だけど。前世の私はかなりの美人で、色んな人から求婚されたんだよ」
「…………」
「知ってるよね? この地上で私が求婚されたのは、『竹取物語』で有名だし」
「それが、何なのよ?」
「私は求婚者達を諦めさせるために、無理難題を押し付けた。『竹取物語』の5人――地上の求婚者達は誰も難題をクリアー出来なかったけど、月ではそうでもなかった」
「……まさか、この武器は……」
 美香さんが、気付いた様子で顔を顰める。
「そう。この数多の武器は、結婚の条件として求婚者達に貢がせた月の秘宝。まぁ私にはタクヤ君がいたから、最後には適当な理由を付けて断ったけど」
「……悪い女ね」
「そうだね。美しさが罪なら、私は大罪人だよ」
 微笑み、武器の切っ先をアトラスへと向ける。
「星の数ほどの求婚者から得た、星の数ほどの武器。王家の六宝剣には及ばないとはいえ、これ等は全て一撃必殺の神器だよ。纏めて射ち込んだら……どうなるかな?」
「く――ッ!!?」
 アトラスが、後ろに跳び退く。
 ……遅い。
「貫き砕け――『アルテミスの矢衾』ッッ!!!!」
 ――次の刹那。
 無数の武器が矢のように射ち出され、アトラスの全身に突き刺さる――ッ!
「うぁああ……ッ!!?」
 美香さんが、悲鳴を上げた。
 1つ1つなら、アトラスを斃すには至らない。しかし、こうしてマシンガンのように連射すれば話は別だ。
 それに、いくら射っても――月の全土から蒐集した私のコレクションは、尽きたりしない。
「ぐ……ッ!!?」
 無尽蔵の射撃を受け、ついにアトラスが怯んだ。
 私は、アトラスから美香さんへと標準を合わせる。
 でも――
「……私は、この世界に問う」
 アトラスが跳び、美香さんの盾となった。
「私の恋は、燃えるような想いは――真実か否か?」
「……?」
 何、このうた……?
「もし否なら、この身に死を。もし真実なら――」
 天地が、鳴動した。
「――私に、一発逆転の力をッッ!!!!」
 アトラスに、凄まじい量の術素ミーネが注ぎ込まれる。
 ……『アルテミスの矢衾』によって負った傷が、どんどん癒えてゆく。
「な――」
 何それッ!? 自分の命を賭け金ベットにして、世界を味方にしたのッ!!?
「くッ……封印解除ッ!!!」
 私は、剣を鞘から抜く。
「……悪いわね、迦具夜ちゃん。潰させて貰うわ」
 爆発的な術素ミーネが篭った、アトラスの拳。
 ソレが――
「――『舞爪・獄落烈花ぶそう・ごくらくれっか』ッッ!!!!」
 玉兎に向け、放たれる!
「空間制限、開始――ッ!!」
 何だかよく分からないけど……想いの深さでなら、敗けられないッ!!
「――『断解水月』ッッ!!!!」
 拳に装甲を抉られながらも――剣が、アトラスの身体を斬り裂く。
「な、に……!?」
 アトラスが斬られたのとまったく同じ箇所から、美香さんは血を噴いた。
 傷口を、手で押さえる。無論、そんな事で出血が止まるはずもない。
「……そう、か。想いの深さで、敗けちゃったか。なら、仕方ない、わね……」
 木から、真っ逆さまに落ちてゆく。そして、林の中に消えた。
 ……同時に、アトラスが消滅する。
 私は、彼女を探そうとしたけど――
「あ……」
 そこで力尽き、玉兎の召喚が解除された。
 ……眠るように、私の意識が落ちる。






「やれやれ。お互い、酷い目に遭いましたね」
「うん、まったくだよ」
 私と美空ちゃんは、一緒に病院から出た。
 時間は、もう夜。頭上では――満月が光っている。
 ……気を失った私は、すぐに病院に送られた。美空ちゃんと共に、かなり危険な状態だったらしいんだけど……何故か病院に居合わせたマナさんのお陰で、すぐに完治する事が出来たのだ。
 話によると、マナさんは誰かに頼まれて病院にいたらしい。でも、それが誰なのかは教えてくれなかった。
「美空ちゃん、誰だと思う?」
「……さぁ?」
 美空ちゃんは面白くなさげに、そう呟く。
 この反応からすると、やっぱりあの人なのかなぁ? 匠哉君が信用してた人なんだし……マナさんによる治療を前提として、私達を傷付けたのかも知れない。
「では、また明日」
「うん、またね」
 私は美空ちゃんと別れ、家へと向かう。
 その、途中で。
「あれ、迦具夜?」
 匠哉君と、バッタリ出会った。
「匠哉君? どうしたの?」
「いや、それはこっちの台詞なんだが。入院したって聞いて、見舞いに行こうと思ってたんだけど」
 コンビニの袋から、メロンパンを取り出す匠哉君。
 ……お見舞いの定番であるメロンの、廉価版だと考えればいいんだろうか?
「マナさんが病院にいたお陰で、すぐに退院出来たの」
「マナの奴が? へぇ……ま、とにかくこれは渡しておこう」
 差し出されたメロンパンを、
「ありがと、匠哉君」
 素直に、受け取る私。
「退院出来たのなら、それに越した事はないな。よかったよかった」
 匠哉君は私に手を振って、商店街の方に向けて歩き出した。
「これから買い物?」
「ん? いいや、ちょっと野暮用。お前も来るか? 無関係じゃないし」
「……え?」
 訳の分からぬまま、匠哉君に付いて行って――辿り着いたのは。
「……ノルン?」
 少し前に潰れたと聞く、喫茶店だった。
 匠哉君は、迷いなく扉を開く。
 店内に入ると――
「――や、お2人さん」
 カウンターに、美香さんの姿があった。
「な……っ!?」
 思わず、身構える私。
「やっぱりいましたね。いいんですか?」
「いいのよ。店を畳んだとはいえ、この土地と建物は変わらずノルニルの物なんだし」
 匠哉君は普通に、美香さんと会話している。いや、元店長と元バイトなんだから、別にいいのかも知れないけど。
「ほら、迦具夜ちゃんもどっか座って。別に取って喰ったりはしないから」
「は、はぁ……」
 とりあえず、言われた通りに座る。
「……何で、俺には座るように勧めないんです?」
「何言ってるの。君はこっちに決まってるでしょ?」
 美香さんは――カウンターから、エプロンを取り出した。
「待ってください? うん、ちょっと待ってください? 俺は既にバイトではなく――いやそれ以前の問題として、ここはもう潰れているんでしょう?」
「いいじゃない。ゴッコよ、喫茶店ゴッコ。君は、私のバイトとしてこき使われるのが相応しいのよ」
「言いたい事を一言で言いましょう。――締め殺すぞアンタ」
「ん、エプロンは嫌? ならエプロン・ドレスにする? 着慣れてるでしょうし」
「この月見匠哉、喜んでエプロンを着させて頂きます。……チクショー」
 のそのそと、エプロンを着る匠哉君。
 ……この2人、ずっとこんな感じで店をやってたんだろうか?
「じゃ、お客役は迦具夜ちゃんね」
「あ、うん」
 思わず、返事をする。
「……何がお客役ですか。客が来た事なんてありましたっけ?」
「あら、あったじゃない。匠哉君が、女の子連れて来た事が」
 ――なッッ!!!?
「あー、そう言えば飛娘と一緒に来た覚えが……って、どうした迦具夜ッ!? 何で人殺せそうな睨みを俺に向けるッ!!?」
「まぁまぁ。落ち着いて、迦具夜ちゃん」
 苦笑する美香さん。
 むぅ……。
「……じゃ、とりあえず掃除でもするか」
 匠哉君が、店内の掃除を始める。
 私が、ぼーっとそれを眺めていると――
「お客さん、ご注文は?」
 美香さんが、そう訊いて来た。
「えっと……水で」
 それ以外に、出せる物があるとは思えないし。
「はい、新鮮な水道水」
 美香さんが、コップに入った水を差し出す。
 ……取り合えず、飲んでみる私。当然だけど、水道水の味がした。
「で、何か私に訊きたい事はある? 敗者は敗者らしく、勝者の問いには何でも答えるわよ」
「――……」
 私が、知りたい事。
 それは――1つしかない。
「エリンは、一体何者なの?」
 眼を見て、尋ねる。
「……やっぱり、そう来たか」
 美香さんは頭をかいた後、話し始めた。
「……エリン。本名――美榊恵鈴みさかきえりん。こことは少し違う世界の、美榊家で生まれ育った女よ」
「美榊家?」
「折り紙を武器として使う流派の大家。匠哉君は知ってるわよね?」
「ええ、まぁ」
 匠哉君が、相槌を打った。
 思い返してみれば……確かに、エリンは折り紙を使う。
「これは匠哉君も知らないかな。美榊家には、陽派と陰派があるの。簡単に説明すると……陽派は折り紙を武術に使い、陰派は咒術に使う。そんな感じかな」
「そう言えば……迅徒の美榊流折形術は、陽の章ですよね」
 匠哉君が呟く。
 私の記憶では――
「……エリンは確か、陰の章だった気が」
「そ。あいつは、美榊家陰派で生まれ――その超越的な才で次々と陰派の技を修め、5歳で免許皆伝。その翌年には陰派の頭目を真剣勝負で斃し、頭目の座に就いた。美榊家の歴史上、僅か6歳で頭目になったのは両派でもエリンだけよ」
 ろ、6歳で流派の頭目……っ!?
 ……私6歳の時、何してたっけ?
「しかし、そこである事件が起こった」
 美香さんの表情が、僅かに重くなる。
「陽派が切支丹だった大名に倣って、キリスト教に改宗しちゃったのよ」
 キリスト教に改宗……って事は。
「そうなると当然、咒術師の集団である陰派を認められなくなる。それに――子供でありながら陰派を支配するエリンの存在は、あまりにも不気味だった」
 …………。
「結果、陽派は陰派の殲滅を決定。陰陽以外の美榊流十六派も陽派の側に付き、陰派を攻撃した……」
 エリンは言っていた。自分達は、同胞に滅ぼされたのだと。
「それでも、陰派は――エリンに率いられた美榊家陰派の力は、絶大だったの。まずは十六派を襲撃し、一派も残さず根絶やしにした」
「……っ」
 私と匠哉君は、思わず息を呑む。
「そして陽派との……もはや戦争とでも呼ぶべき戦いが始まった。十六派との戦いで疲弊していた陰派の人達は、陽派によって次々と殺されていったんだけど――」
 美香さんは、一息置いて。
「――それでも。陽派は、エリンを斃す事が出来なかった」
 と、静かに告げた。
「信じられる? 6歳の少女が味方を全て殺され、たった1人で数百の敵と闘い――それを、皆殺しにしただなんて」
 ……常軌を、逸している。
 私には、そうとしか言えない。
「しかし陽派に致命的な損害を与えたエリンも、最後には追い詰められ、川に身を投げたと聞くわ。……楽しそうに、微笑みながらね」
 そして――
「一命を取り留めたあいつは、その凄まじい力を……ノルニルに見込まれたって訳か」
 私が考えていた事を、匠哉君が口にする。
 美香さんは頷き、私を見た。
「迦具夜ちゃん、エリンと闘ってはダメ。殺される以外の未来はないわよ」
「…………」
 ……でも。
「闘わなきゃ、分からないと思うの。私と、エリンの事」
 何であいつが、私を狙うのか。計画を潰した匠哉君ではなく、私を。
 一体、何を――そこまで、憎悪しているのか。
「……そう」
 美香さんの答えは、それだけ。
「じゃ、頑張りなさい。貴方が勝てる可能性はゼロだけど、お祈りくらいはしてあげるわ」
 椅子から立ち上がる、美香さん。
「さて……っと。そろそろ、元の世界に戻りますか。迦具夜ちゃんには敗けたし、これ以上エリンに付き合うのも億劫だし」
「元の世界?」
 匠哉君が問う。
「元って言うか、左遷先の世界だけどね。可愛い義妹いもうとがいるのよ」
 美香さんは、匠哉君の顔を見て――微笑んだ。
「今日君と喫茶店ゴッコをしたら、色々懐かしくなっちゃったわ。向こうの世界でも喫茶ノルンをやってるんだけど……バイト募集、してみようかしら」
 ……何だか、嫌な予感が。
「そしたらこの世界と同じく、匠哉君がバイトに来てくれるかも知れないし」
 や、やっぱり狙いは匠哉君ッ!!?
「在り得ませんよ、そんな事。こんな詐欺バイトに引っかかるほど、別世界の俺はアホじゃない……と思います」
「ふふ、そうかしらね」
 美香さんは匠哉君に近付き――さらに、顔と顔を近付ける。
「でも、来てくれたら私は嬉しいかな。私と君の間には――確かな、『縁』があるって事だから」
 そして、唇が触れ合った。
「〜〜〜〜ッッ!!!?」
 石化する私。
 しばらくの後、唇が離れる。
「……迦具夜? どうした?」
 匠哉君は特に動揺した様子もなく、平然としている。
「……な、何で匠哉君はそんなに冷静なの? キスされたんだよ?」
「何でかと聞かれれば……慣れてるから?」
 ――慣れてるッ!!?
「ノルンでバイトしてた頃は、このくらいの事はよくされたぞ。キス以外にも、色々と」
「色々って!!? 色々って!!!?」
「ふふ……聞きたい?」
 美香さんが、意地悪そうに笑う。
 私が、徹底的に問い詰めようとした時――
「――……ッッ!!!?」
 息が止まるほどの、凄まじい殺気を感じた。
 床を蹴り、外に跳び出す私と匠哉君。天を見上げる。
「……あ」
 そこには――暗闇の中で輝く、円い月。
 間違いない。さっきの気配は、『あそこ』から放たれたモノだ。
 ……エリンが、月にいる。
「美香さん……」
 匠哉君が、歩いて出て来る彼女を見た。
「今の気配を――エリンの力の片鱗を感じて、ようやくさっきの話が実感出来ましたよ」
 ……うん。
 確かに、私なんかが闘える相手じゃない。
「そう……で、迦具夜ちゃんは?」
「……恐い。凄く恐い。だけど――」
 退路はない。覚悟は、出来ているつもりだ。
「――往く。往って、決着を付けて来る」






 Newvelさんにてビンボール・ハウスを登録しています。御投票頂ければ幸いです(※一作品につき月一回有効。複数作品投票可能)。
 ネット小説ランキングさん(恋愛ファンタジーコミカル部門)にて「ビンボール・ハウス」を登録しています。御投票頂ければ幸いです(※一作品につき月一回有効。複数作品投票可能)。

ネット小説ランキング:「ビンボール・ハウス」に投票


サイトトップ  小説置場  絵画置場  雑記帳  掲示板  伝言板  落書広場  リンク