「……タフだタフだとは思っていたが、こいつは不死身か?」
 匠哉は、倒れているヘレンを見下ろす。
 気を失ってはいるが、生命の色は消えていない。
「とても、つい数時間前に心臓ブチ抜かれた人間だとは思えん……」
 それはともかく、1番の問題は。
「このまま放っておく訳にはいかないよなぁ……」
 玄関先に、少女を放置しておく事は出来ない。御近所にどんな噂が立つ事やら。
 匠哉は運命の女神を呪う。しかしすぐに、それが無意味だと気付いて溜息をついた。
 ――彼女は、運命の女神達の一員である。
「しかしまぁ、どうしてこう毎度気を失ってるオナゴを運び込む事になるんだ……?」
 匠哉はヘレンを抱え、家に入った。


貧家外典・アポロイレヴン7
〜月夜鳥〜

大根メロン


「ん……?」
 ヘレンが眼を醒ました時、見覚えのない場所にいた。
「いあ〜……人類滅亡なのだ〜……うにゃうにゃ」
 隣では――自分と同じように布団に入った小さな娘が、寝言を呟いている。
 それが噂に聞く月見家二大神の片割れだと気付き、ヘレンはようやく事態を理解した。
「おう、眼が醒めたか」
 奥から、匠哉が現れる。
 上半身を起こす、ヘレン。
「……一応尋ねますけど、ここはどこですの?」
「月見家。お前がいるのは、居間兼寝室」
「居間と寝室が一緒。貧乏の極みですわね」
「ほっとけ。マジでほっとけ」
「……で」
 ヘレンは、匠哉を睨む。
「助けを求めた覚えはありませんが?」
「俺も求められた覚えはないな。さらに言えば、助けたかった訳でもない」
「じゃあ、どうして助けたんですの? いい迷惑ですわ」
「なら人の家の前で倒れてるな。どっか別の場所で倒れてろよ」
「…………」
 知らなかったとはいえ、玄関先で倒れていたのは事実。反論出来ないヘレン。
「あー、もう遅いから寝ろ。この居間――もとい、寝室は3人が限界なんだが、マナはしばらく帰って来そうにないからな。空いたスペースを使わせてやる」
 匠哉は、しぃを挟んだヘレンの反対側に布団を敷き、潜り込む。
(川の字……)
 ヘレンは何だか呆れ、起こした上体を再び寝かせた。






 ――翌朝。
 布団を片付け、ちゃぶ台を出す事により――寝室から居間へとチェンジした部屋。
 3人が、そこで食卓を囲む。
「で、いつの間にかいたこの人は誰なのだ?」
「ヘレン・サイクス。ぶっちゃけ敵。昨日の夜、家の前で倒れてたんで仕方なく拾った」
「…………」
 しぃは、やれやれと首を振る。
「ま、いつもの事なのだ」
「うわぁ、何だか分かんないけど腹の立つリアクション。……つーかお前、箸使うの普通に上手いな。それ出したの嫌がらせだったのに」
「エリンに付き合わされて覚えたんですわ。……っと、御飯の御代わりを要求します。納豆ももう1パックですわ」
「当然のように要求するな、図々しい」
 そう言いつつ、差し出された茶碗に御櫃から御飯を装る匠哉。
 納豆1パックと一緒に、ヘレンに返す。
「それで、ヘレン。お前はこれからどうするんだ? さっさと連中の元に帰ってくれたらありがたいんだけど」
「好き勝手やった挙句、迦具夜を逃がしたのですから……今帰ったら、エリンに陵殺されてしまいますわね」
「……陵殺という単語の意味は分からないし知りたくもないが、ならどうするんだよ?」
「どうしましょうか……正直、当てはありませんわ」
「…………」
 匠哉は、深ーい溜息。
「……分かった。行き場がないなら、ここにいればいい。ただし、マナが帰って来るまでだがな」
 自分のお人好しに死ぬほど呆れつつ、匠哉は口にした。
「……おかしな人間ですわね。私が、学校でどれだけ人を殺したのか忘れましたか?」
「覚えてるぞ」
「だったら――」
「殺された奴等の中に、俺と仲のよかった人間がいた訳じゃない」
「…………」
 ヘレンはしばらく、無言で食事を進める。
「……ドライですわね。大量殺人犯がいるのなら、被害者でなくとも『死刑にしろ』と喚くのが人間というモノなのに」
「その理屈でいくと、俺は何人かの知り合いに対して『死刑にしろ』と喚かなきゃならなくなるな」
 最愛の、彼女に対しても。
「御免だね、そんなのは」
「……真っ当に生きてませんわね。将来、ロクな事になりませんわよ」
「分かってる。まぁでも、生まれた時から手遅れっぽいしな」
「…………」
 ヘレンは、茶碗と箸を置く。
「御馳走様でした。そこそこ美味しかったですわ。昼食も、期待して待つ事にします」






 ――数日後。
 学校もバイトもない、完全な休日。
「そう言えば、お前の不死身っぷりは一体何なんだ? 未来か異世界の超医療技術スーパーメディシンか?」
 日が沈み始めた頃――匠哉は淡々と家事をこなしながら、エリンに語りかけた。
「……別に、大した事ではありませんわ」
 ちゃぶ台に頬杖を突いて、しぃと一緒にテレヴィを見ていたヘレンは――面倒臭そうに、話し始めた。
 ……己の胸に、手を当てる。
「私の心臓には、聖杯の欠片が埋め込まれています。その力が、私を死から遠ざけるのですわ」
「……じゃあ、クィーン・オヴ・ハートの聖杯は――」
「私から転移したものです」
「…………」
 転移。
 まるで、ガン細胞か何かのような言い方だった。
「しっかし、何でそんなもんがお前の心臓に?」
「…………」
 答えは、なかなか返って来ない。
 話したくないなら別にいいけど、と匠哉が思っていると。
「……私は、こことは少し違う世界の英国ブリテンで生まれました」
 静かに、話し始めた。
 匠哉は、大人しく拝聴する。
「そこでの私は、英国国教会アングリカン・チャーチの対反キリスト部隊――円卓騎士団に所属するシスターでしたわ」
「円卓騎士団……伯爵の城に突入して、皆殺しにされた連中だっけ。この世界では」
「ええ。私の故郷の円卓騎士団も、似たような末路を辿るのですけど」
「ふむ」
「破滅の始まりは――聖杯探求でした」
 ……聖杯探求。
 伝説の内でしか存在しない聖杯を、発見しようという試みである。
「円卓騎士団は長年の探求の末に、遂に聖杯を見付けましたわ。しかし、肝心な事を忘れていたのです」
「肝心な事?」
「財宝を得るには、竜を斃さなければならない――その、物語の基本ですわ」
「……なるほど」
 竜――黙示録における、サタンの化身。諸国の民ゴグ・マゴグを支配する神代族。
「聖杯を護る竜との交戦により、円卓騎士団は大打撃を受け――気付けば、生き残っているのは私1人でした。五体を千切られ、ほとんど瀕死でしたけどね」
「…………」
「私は、その時――」
 ヘレンは、強く拳を握り締める。
「……悪魔の誘いに、乗ってしまったのですわ」

 ――その命、助けてあげましょうか?

「……エリンか?」
 脳裏に浮かんだ名を、口にする匠哉。
 コクンと、ヘレンは頷く。
「騎士団を全滅させた恐るべき竜を、蜥蜴を踏み潰すかのように殺し――奪った聖杯の欠片を私に埋め込んで、生き長らえさせた」
「んで、お前はそのままノルニルに入社、という訳か」
「ええ。まぁ私など、聖杯のついでに拾っただけでしょうけどね」
 ヘレンは、天を仰ぐ。
「……それにしても――」
 そこには、天井があるだけ。空は見えない。
「キャロルの『不思議の国のアリス』を読んで――アリスみたいな女の子になると言っていた私が、今や女王さまの方ですか。不思議なものですわね」
「何だ、後悔してるのか?」
「いいえ、別に。非力な少女より、権力を振り回す女王さまの方が楽しいですし」
「…………」
 匠哉は菓子がいくつか入った器を、ちゃぶ台に置く。
「まぁ、煎餅でも食え」
「……頂きますわ」
 ヘレンは、器に手を伸ばす。
「んじゃ、夕飯の買い出しに行って来る。しぃと喧嘩すんなよ」
「そこまで、愚か者ではありません」
「……のだ?」








「うぅ〜……」
 私――柏山迦具夜は、世界に絶望していた。
 道の真ん中で膝を付き、悲嘆に暮れる。
 数十分前、夕飯の買い出しに出かけた私。目的の品を買い揃え、家に向かっていたのだけれど――
「ガウガウの事、すっかり忘れていたよ……」
 帰り道で、1匹散歩中だった鈴木さんちの猛犬ガウガウに遭遇し――野生のパワー(?)で、夕飯の材料を奪い取られてしまったのだ。
「今晩、どうしよう……?」
 やっぱり、空腹に耐えるしかないのだろうか。
「うぅ……」
 と、その時。
「――迦具夜?」
 匠哉君の声が、後ろから聞こえた。



「そうか、ガウガウか。瀬利花んちのみぃに喧嘩で敗けてからは、大人しくなったと思っていたが……勢いを取り戻し始めたな」
 匠哉君は、畏怖するように表情を歪めた。
 ガウガウは――商店街において、最も恐れられている存在なのだ。
「んで、夕飯の材料がないと」
「うん……」
「……仕方ない。うちで食ってくか?」
 え?
「い、いいの?」
「まぁ、1人増えたぐらいなら大丈夫だろ」
「あ、そっか。今は、マナさんがいないからね」
 マナさんはあの日以来、ずっとカナさんの店にいる。玉兎の修理を手伝っているのだろう。
「え? あー……まぁ」
 匠哉君からは、歯切れの悪い答えが帰って来た。
 ……?
「うぅ〜……ありがとう、匠哉君。いつか、私が御馳走するからね」
「ははは、期待しないで待っていよう」
 私と匠哉君は、月見家へと向かう。
 匠哉君と一緒にごはんかぁ……うん、ちょっと楽しみ。



 そして。
「…………」
 私は、彼女と出遭ってしまった。
 ……一瞬、別人かと思った。あの思わず引くようなゴスロリ服じゃなくて、普通の格好をしているし。
「ただいまー」
「お帰りなのだー」
「お帰りなさいですわ」
 何か馴染んでるし。
「さて、夕飯夕飯」
 台所に向かおうとする匠哉君を――
「ちょっと待って。どうして、ヘレンがいるの?」
 引き留め、尋ねる。
「あー……説明は色々面倒だから、本人から聞いてくれ」
 するりと逃げて、台所に向かう匠哉君。
「…………」
 やはり、本人に訊くしかないのか。
 なるべく気付かれないように、居間に接近する私。
 ヘレンの、背後に回る。気付かれないように、気付かれないように――
「……迦具夜?」
 気付かれた。
 ……いや、最初っから無理だとは分かってたけど。狭いし。
 ヘレンは私を一瞥すると、テレヴィに視線を戻す。
「……ねえ。何で貴方、ここにいるの」
 警戒する。いつ、トランプが飛んで来るか分からないのだ。
「貴方に説明する義理はありませんわ。まぁ1つ言うならば、ちゃんと家主の許可を得て暮らしています」
 ヘレンは、私に後頭部を見せながら言う。叩いてやろうか。
「むぅ……」
 とりあえず、ちゃぶ台の空いてるスペースに座る。そうするしかないし。
「……匠哉君もどうかしてるよ。こんな人殺しを、家に置くなんて」
「あら。貴方と仲のよい美空や、あの倉元緋姫だって立派な人殺しなのに。私だけ差別するんですの?」
 ヘレンの眼が、私を見る。
「そ、それは……美空ちゃん達は、殺さなきゃならない理由があったから――」
「理由があれば殺してもいいんですの? 随分と軽いんですわね、貴方の正義は。まぁ……貴方も、ミフェリアを殺しましたし」
「……でも。私達は貴方みたいに、意味もなく虐殺したりしない」
 私は、全力でヘレンを睨む。
 こいつは学校で、たくさんの人を殺した。狙っていたのは、私1人だったのに。
「意味がない、とは心外ですわね。理由なら説明したでしょう? その方が、手っ取り早かったからですわ」
「そんな理由で――」
「仕事で大事なのは効率です。スピードと的確さ。将来のために、覚えて置く事ですわ」
 この世界ホシの駐車禁止は厳しいんですわよ、と呟くヘレン。あんたは宇宙人ジョーンズか。
「……とにかく、不健全だよ。分類するならば一応女の子である貴方が、匠哉君と一緒に暮らしてるなんて」
「その台詞はまず、あの貧乏神や――そこの小さい狂神に言いなさい」
「のだ〜?」
「う……」
 しぃさんが、こっちを見る。
 ……以前この子が学校で大惨事を起こしたのは記憶に新しいので、何も言えないチキンな私。
 しばらくすると興味を失ったのか、しぃさんの視線はテレヴィへと戻った。
「……ぷっ」
 ヘレンから、馬鹿にした笑い。
 私はギロリと、彼女に眼を向ける。
 ヘレンはニヤニヤと笑いながら、
「まぁ、健全でないのは確かかも知れませんわね。匠哉ったら――激しいんですもの」
 そんな戯言を、口にした。
「……どういう事、かな〜?」
「いきなり襲い掛かって来て、服を破き……私の大事なモノを、思い切り貫いたんですわよ。さすがの私も、アレにはイッてしまいましたわ」
「……ッッ!!!?」
 な、な、な、な――ッッ!!!?
「たぁぁくぅぅやぁぁくぅぅぅぅんッッ!!!!」
「うお!? 何だ迦具夜、今は料理中だから危な――ってぎゃあああああああッッ!!!?」



 4人でちゃぶ台を囲み、夕食タイム。
「……心臓な、心臓。俺が貫いたこいつの大事なモノってのは、心臓の事だから」
「うぅ……ごめんね、匠哉君……」
 私は、キッとヘレンを睨む。
 我関せずといった顔で、匠哉君製のラーメンを啜るヘレン。
 ……でも、心臓貫かれても生きてるこいつって一体。
「御馳走様でしたわ」
 ラーメンとギョウザを食べ終えたヘレンが、箸を置く。
 そして、席を立った。
「ん? どうした?」
「少し、散歩に行って来ます」
「散歩って……出歩いて大丈夫なのか?」
「心配無用ですわ」
 ヘレンが、玄関から出て行く。








 夜の、星丘公園。
 日の落ちた公園に、人の姿はない。ヘレンは、その闇の中で――足を止めた。
「……ここなら、人目もないでしょう。そろそろ出て来なさい」
 踵を返し、後ろに振り返る。
 そこには――
「――エルノ」
「ふふ……確かに、これなら処刑向きだ」
 ヘレンは、エルノと対峙する。
 ……2人の間に、冷たい風が吹き抜けた。
「エリンから、私を殺せと命じられたんですわね。しかし……どうして、さっき襲って来なかったんですの? 迦具夜まで一緒にいたのに」
「月見匠哉もいたからな。奴の存在は無視出来ない。それに元々、1人ずつ殺るのが私の趣味だ」
「…………」
「エリンも、お前を優先しろと言っていたからな」
 ヘレンは、鼻で笑う。
「相変わらず、エリンの犬ですわね」
「……何とでも言うがいい。それが、私の道なのだよ」
 エルノは、眼を細めた。
「私は、物心付いた頃から――いや、恐らくは生まれた瞬間から力を求めていた」
「…………」
「理由はない。私は、そういう習性を持つ生き物なのだろう」
「それが、何ですの?」
 ヘレンの両手に、トランプと日傘が現れる。
「北方三大陸最強――否、リリセース最強と言っても過言ではない力を身に付けながらも、私は餓えていた。もっと、強くなる方法ないのか――とな」
 エルノの周囲に、魔方陣が描かれた。
 ……渡辺家の時とは、比べ物にならない数。それ等全てから光の弾が撃ち出されるのなら、威力は凄まじいものになるだろう。
「私はソレを求め、異世界へと出向いた。そして――エリンと出逢ったのだ」
「……ッ!」
「闘いを求めて、訪れたスコルネーレ。だが私の力では、『第一の門』に辿り着く事さえ出来なかった」
「……当然ですわ。あそこは、人の領域ではありません。ましてや、門の向こうなど……だからこそ、ノルニルはあの世界にだけは近付かないのですわ」
「ああ、そうだな。しかしエリンは、まるで散歩のように――雲霞のような怪物どもを殺し尽くし、第一の門の向こうへと消えた」
「な……」
「あの時の奴の強さは、今思い出しても怖気が走るよ……」
 エルノは恐怖に耐えるように、自分自身を抱き締めた。
「私は欲した。あの、常軌を逸した力を。だから私は、ノルニルに入ったのだ」
「…………」
「鬼神の如き強さを持つエリン。想像するだけでも恐ろしい、『第三の門』の向こう――『キサの都』よりやって来た美香。圧倒的な力の傍にいられるのならば、祖国や家族など秤にかけるまでもない」
 魔方陣に、術素ミーネが巡る。
「犬と呼ばれようと構わん。彼女達の力に魅せられた私には、ぴったりの呼び名だろうさ――ッ!」
 それは、一瞬の出来事だった。
 全ての魔方陣より、光弾が放たれ――夜を切り裂くような閃光と共に、大地を抉った。
 ……草1本残さず消滅させ、公園にクレーターを作り上げる。
「死んだか……?」
 ――土煙の向こうから、トランプ。
「く……ッ!?」
 危ういタイミングで、回避するエルノ。少しでも遅ければ――
「あら惜しい。もう少しで、首を落とせそうでしたのに」
「……さすがに、あの程度では殺れんか……」
 土煙が晴れると、そこには無傷のヘレン。
 全ての光弾を、日傘で防いだのだ。
「――しかし、そう来なくてはなッ!」
 大量の魔方陣を引き連れ、エルノがヘレンの背に回る。
「――ッ!!」
 光弾の連射を、日傘で防ぐヘレン。隙を見て、トランプを投じるが――光弾に撃ち落とされた。
「くッ、火力に差があり過ぎますわね……ッ」
 回避と防御を繰り返しつつ、ヘレンは一撃必殺のチャンスを探す。
 だが相手は護国十七師の筆頭、フォルセリット随一の術素使いミーネ・ルーラ。そのような機会を、ヘレンに与えるはずもない。
「――?」
 ふと、ヘレンは違和感を感じた。
 エルノの周囲に存在する、いくつもの魔方陣。
 それが、数秒前より減っている気がして――
「――ッッ!!!?」
 ヘレンは、素早く振り返る。
 ……魔方陣だけが、ヘレンの背後に回り込んでいた。
「く――!?」
 日傘で防御しようとするが――防ぎ切れない。
 ヘレンの身体を、数発の光弾が貫いた。
「く、ぁぁあああああ……ッ!!?」
 ヘレンは傷口を押さえ、地面に膝を付く。
「――油断したな。だから、お前は弱いのだ」
 エルノは得意気に、ヘレンを見下ろす。
「いくら聖遺物をその身に秘めていても、すぐに全快出来る訳ではあるまい。今の内に、しっかりと殺しておかなければな」
 数多の魔方陣が、ヘレンに狙いを定める。
 全てが1度に火を噴けば、ヘレンは骨も残らない。聖杯の加護も、それでは通じないだろう。
(死……死ぬ、なんて)
 冗談ではなかった。ヘレンは生きるために、乗りたくもないエリンの誘いに乗ったのだ。
「まぁ、仕方あるまい。人殺しは、いずれ殺されるのが世の理というものだからな」
「…………」
 人殺しは、いずれ殺される。
「……ハッ、陳腐ですわね。そんな言葉は、どうせ誰かからの受け売りでしょう。信じてもいない道徳を、したり顔で語って……滑稽にも程がありますわ」
 ヘレンは、エルノを嘲笑う。
「……まさか、お前のような小者から侮辱されるとはな」
 エルノの表情に、怒りが宿った。
「疾く死ね――」
「残念だが、死ぬのはお前だ」
「――ッッ!!!?」
 魔法冥土マジカル・メイドツキミが――草薙を振る。
 エルノは、その接近にまったく気付く事が出来なかった。
 ……とは言え、彼女に油断があった訳ではない。ただ――ツキミが、気配を捉えられぬほどのスピードだっただけだ。
「く――ッ!!?」
 エルノは咄嗟に魔方陣を重ねて盾としたが、そんな防御では薄過ぎた。
 剣の刃は魔方陣が止めたが、草薙が秘めた凄まじいエナジィは――止められるものではない。
「ぐぅ、が……ぁぁぁああああああッッ!!!?」
 吹き飛ばされたエルノは、まるで人形のように地を跳ねる。
 そして――その先にあった木に、背中から激突。脊椎が砕ける音と共に、沈黙した。
「KNOCK OUT!! ……だな」
 ツキミは、変身を解く。
「よ、ヘレン。無事で何より」
「……これが、無事に見えるんですの?」
「それくらいなら無事だろ。心臓貫かれても大丈夫だったんだから」
「……まぁ、無事ですけど」
 ヘレンは匠哉の顔から眼を逸らし、
「……助けを求めた覚えは、ありませんが?」
 と、いつかの言葉を口にした。
「俺も求められた覚えはないな。助けたかった訳ではあるけど」
 ヘレンは、不機嫌な顔で匠哉を見る。
「無謀ですわ、信じられませんわ、意味が分かりませんわッ! 何で貴方が、私を助けなきゃならないんですの!!? ああもう、こんな在り来たりな事を言ってる自分も気に入りませんわッッ!!!」
「あー、落ち着け。どうどう」
 匠哉は、困ったように頭を掻いた。
「何で助けたって……一応、お前はうちの客人だし。それに手を出されれば、家主の俺が黙ってる訳にはいくまい」
「…………」
「それに――」
 匠哉は、一呼吸置いた後。
「お前と一緒に暮らすのは、結構悪くなかった。だから、失いたくないんだよ」








「…………」
 家から跳び出した匠哉君を追って、星丘公園に来てみると――そこには、不思議な光景があった。
「……そういう台詞、あまり言わない方がいいですわよ。勘違い、しそうになりますもの」
「――? よく分からんが、肝に銘じて置こう」
 匠哉君が何か言って、ヘレンが顔を赤くしている。
 こ、これは――
「また匠哉君が本領発揮をッッ!!!?」
 止めなければ、止めなければ……ッ!!
「――クラスメイト・キック!」
「へぐっ!!?」
 匠哉君に、跳び蹴りを叩き込む。いずれは、恋人キックにパワーアップする予定。
「か、迦具夜!? いきなり出て来て何なんですの!!?」
「こんばんはヘレン。――殺すよ?」
「――貴方誰ッッ!!!?」
 私は、吹っ飛んだ匠哉君に歩み寄る。ふふ……色々、聞き出さないと。
 しかし、その時。
「……来たれ、我が偶像……光を、射殺す者よ――……ッ!!」
 召喚のうたが、聞こえた。
 匠哉君が起き上がり、公園の一点を見る。
 そこには――倒れながらも、力を滾らせるエルノの姿があった。
「クソ、どいつもこいつもタフだな……ッ!」
 魔力が、集束。
「――ヘズッッ!!!!」
 天地が震える。
 圧倒的な神気オーラを纏い――鋼鉄の分霊が、顕現した。



「く……ッ!!」
 矮小な私達を見下ろす、最古の偶像。
 それは絶望そのものの威圧感を、私達に叩き付ける。
「ヘレン、お前のクィーン・オヴ・ハートはッ!!?」
「いくら聖杯が転移しているとはいえ、まだ動かせる状態ではありませんわッ!」
 じゃあ、打つ手なし……!?
『――死ね……ッ!』
 ヘズが、ライフルを向けた。
 ――匠哉君に。
「な……っ!!?」
 私が反応するよりも早く――ヘレンが、匠哉君の前に立ち塞がった。
 ……ライフルから放たれた光弾を、日傘で受け止める。
「きゃあああッッ!!!?」
「ぐぁ……ッ!!!?」
 しかし――当然ながら、プロトイドルの攻撃を防げるはずもない。
 ふたりは爆発によって、何メートルも吹き飛ばされた。
「――匠哉君ッ!」
 駆け寄る私。
「――っ、う……痛てて……!」
「くッ、よくも……」
 匠哉君に、命の別状はなさそうだ。ついでにヘレンも。
 しかし、当然無傷という訳にはいかない。ふたりともボロボロで、助かったのは奇跡に近い気がする。
 それに――次はない。日傘は今の射撃で、完全に破壊されてしまっている。
 ……ヘズが再び、ライフルを向けた。
「迦具夜、動けるお前だけでも逃げろ……ッ!」
 匠哉君は、そう言ってくれるけど――嫌だ。
 それは、絶対に嫌だ。
『纏めて吹き飛べ……ッッ!!!』
 ライフルが火を噴く。
 巨大な光弾が、刹那の間に私達へと迫って来て――
「閉じよ黄泉比良坂、来たれ道返大神――『貧乏バリアー』ッッ!!!!」
 けれど偶像の一撃は、本物の神様によって弾かれた。
「――マナさんッ!!?」
 私達は、立ち塞がった彼女の背中を見る。
 ……マナさんが、私に振り返った。
「迦具夜、喚んで」
「……え?」
「玉兎を召喚して、あいつをボコボコにするんだよ」
 ……っっ!!!?
 それって、つまり――
「……うん、分かった!」
 私は、うたを奉唱する。
「来たれ我が偶像、月にて秘薬を搗く者よ――ッ!」
 そして――
「――玉兎ッッ!!!!」
 満月の兎を、召喚した。



 純白の機体が、その溢れんばかりの力で大気を震わせ――地に降り立つ。
 まず眼に付いたのは、玉兎の兵装である剣。それは細身の剣に鍛え直され、腰の鞘に納まっている。
 そして、剣のなくなった背中には――ステュンファロスから移植されたのであろう、2枚の大翼。
『何だと……ッ!!?』
 エルノが、一瞬だけ驚愕するが――すぐに、玉兎に向けて光弾を発射。
 玉兎は――
『――なッ!!?』
 パイロットが乗っていないにも関わらず、それを回避した。
 しかし、攻める様子はない。
 私を――パイロットたる私を、待っているのだ。
「…………」
 玉兎と、向かい合う。
「また、会えたね」
 私の言葉に――玉兎の瞳が輝く。
 玉兎の胸が開いた。コックピットが、奥から現れる。
 さらに――階段が、私の足元に下りて来た。
「…………」
 私は1歩1歩――王者のように悠然と、階段を上る。そして、王座コックピットに乗り込んだ。
 ……機内に、収納される。
 玉兎と私の神経が――いや、魂が接続された。戦闘準備は完了だ。
「この前の借りを、百万倍にして返すよッ!」
 待ち草臥れたとばかりに、全身に力を巡らせる玉兎。
『く……ッッ!!?』
 その絶対的な威圧感を受け、ヘズが――エルノが気圧される。
 よしッ! 何だか、これっぽっちも敗ける気がしない……ッ!!
「うりゃぁぁああああッッ!!!!」
 私は地を蹴る。
『何――ッッ!!!?』
 ライフルを使う間もなく、距離を詰め切られるヘズ。
「はぁぁ……」
 私は、拳を構え――
「――やぁぁッッ!!!」
 拳打を、ヘズに叩き込んだ。
『ぐ、ぅ、なぁ……ッッ!!!?』
 ヘズの分厚い装甲が――軋む。
『く……ッ』
 ヘズは右腕で、打たれた部分をガードしようとする。
 フェイントにかかった――!
「――ハァッッ!!!!」
 ノーガードの顔面に、本命の一撃――ッッ!!!!
『――ぐ、がぁぁぁぁぁぁッッ!!!?』
 ヘズの頭が、半分ほどにまで潰れる。
 さらにもう1度、ガードが緩んだボディに打ち込む!
『……ッッ!!!?』
 超重量のヘズが浮き上がり、吹っ飛ばされる。
 しかし――敵もさるもの。4脚を上手く使い、倒れずに着地。
『くッ……何だ、この力はッ!!? その機体、本当に11番かッ!!?』
 エルノが叫ぶ。まぁ、無理もない。
 どうやら、この機体には――動力機関が、2機分搭載されているみたいなのだ。
 ボロボロだった玉兎とステュンファロスの動力機関を修復し――しかも、両方を搭載。ホントに凄いよ、カナさん。
 よって今の玉兎の出力パワーが、ヘズを下回る事など在り得ない――ッッ!!!!
『忌々しい――散れッ!!』
 ヘズが、離れた距離をさらに離し、ライフルを発砲。
 私は――
「――甘いッッ!!!!」
 玉兎を、飛翔させた。
 地を駆けるのとは比べ物にならない速度で、ヘズの元へと向かう――!
『――ッ!!? 兎の分際で、空を……ッ!!』
鵜鷺うさぎは鳥なんだから、空を飛ぶのは当たり前だよッ!!」
 天を舞う、1羽の兎。
 そのまま、ヘズを攻撃しようとした時――
「――ッッ!!!?」
 おかしな雰囲気を感じて、急停止させた。
『…………』
 ヘズが、ライフルのレヴァーを引き――マガジンから、実弾が装填される。
「……聖槍弾頭ミストルテイン
 でもあれは、長時間のチャージを必要とするはず。そんなに簡単に使えるとは――
『ヘズ――超限界状態オーヴァー・ドライヴッッ!!!!』
「な……っ!?」
 まさか、自滅覚悟で聖槍弾頭ミストルテインにエネルギィを注ぎ込む気――!?
『ぐぅ……あッッ!!?』
 エルノの呻き声。プロトイドルに無理をさせれば、当然繋がっているパイロットも苦痛を受ける。
 ライフルが、滞空している玉兎を狙う。
「封印解除――」
 ……剣の柄に、手を伸ばす。
 剣を鞘に固定している鍵が、1つずつ外れてゆく。
 私は玉兎を、ヘズに向かって奔らせる。同時に、ライフルが火を噴いた。
聖槍弾頭ミストルテイン――撃ち砕けェェッッ!!!!』
「空間制限、開始ッ!!! 『断解水月』――ッッ!!!!」



 着地した、私と玉兎。
『馬鹿、な……ッ!!?』
 その背後で――ヘズが、頭頂から真っ二つとなる。
 そして――
「さよなら、エルノ」
 ――爆発し、粉々に散った。
「やったね、玉兎。私達、まだまだ闘えるよ」
 私達は勝利を謳うかのように、剣を天に掲げる。



 戦闘が、終わって。
「で、お前はこれからどうするんだ?」
 匠哉君が、ヘレンに問いかける。
「マナさんが帰って来た以上、月見家にはいられませんから……ほとぼりが冷めるまで、またイースト・エリアにでも潜伏しますわ」
「ほとぼりが冷めるまで?」
「ええ。今帰ったらエリンに殺されるでしょうが……この事件が終わった後なら、そんな事もないと思いますし」
 ……それってつまり、私がエリンを斃した後だから――という事?
「まぁ、時空流刑にはなるかも知れませんけど。殺されるよりはマシですわね」
「時空流刑?」
 私が、尋ねると。
「冤罪を被せられた貴方が、しばらくの間――『未来の地球』に追放されたのと同じ事ですわ」
 と、説明した。
「……ああ、なるほど」
 納得する私。
 匠哉君とマナさんは、頭上に疑問符?マークを浮かべてるけど。
「……匠哉」
「ん?」
「色々、お世話になりましたわ」
 ヘレンが微笑む。
 ……初めて見た、普通の笑顔。
「私も――貴方と暮らすのは、悪くなかった」
 ヘレンは、私達に背を向ける。
 そして――公園から、歩き去って行った。








「はぁ……ぐ、はぁ……!」
 公園の、草叢。
 そこを、瀕死のエルノが這う。
 ……彼女は、運よく死亡せずに済んでいたのだ。
「ふぅ、ぐ……ッ!!」
 エルノは考える。
 まずは、態勢を立て直さなければならない。そのためには、この身体を治すのが第一だ。
 プロトイドルは――
「自己再生も修理も……無理か。あれほど派手に破壊されては――」
「――ええ。貴方は、失ってはならない機体を失いました」
 エルノの心臓が、比喩ではなく止まりそうになる。
 この声の主が、誰なのか――考えるまでもない。彼女は、エルノが最も畏怖する人物の1人なのだから。
「エリン……」
 ……カサカサと、草叢の中で音。
 見れば――その音は、1匹の虫が起こしているものだった。
 草叢の中なのだから、別段珍しくもない虫。
 しかし、その虫は――精巧に折られた、折り紙の虫だった。
「な……ッ!?」
 気付けば、虫は1匹ではない。
 蜘蛛、蟷螂、雀蜂――数え切れぬほどの肉喰蟲が、エルノに群がってゆく。
「あ、あ、あ……!?」
 いくら紙蟲を振り払っても、振り払った倍の数が集まって来る。
 ……既にエルノは、己の運命が見えていた。
「わ、私が、どれだけお前のために――」
「はい。貴方の、『今までの』働きには感謝しています」
 夜闇の向こうから、声が返って来た。
 声色は、優しい。例えその内容が、どれほど非情であっても。
「美榊流折形術、陰之章其之七――『千蟲殺』」
 紙蟲どもが、一斉にエルノに喰らい付く。
「うぁ――ぎ、ゃぁぁぁああああああああああッッ!!!?」
 ……夜を引き裂く、断末魔の絶叫。



「……惨いわね」
 美香は嫌悪を込めて、エリンを見た。
「なら、助けに行ったらどうです?」
 向こうの草叢では、紙蟲どもの食餌が続いている。
「……冗談。今あそこに入ったら、私まで喰い殺されるわ」
「まぁ、それはともかく」
 エリンはいつも通りの笑みを、美香に向ける。
 同僚を惨殺しながら――笑顔を浮かべられる事が、美香には信じられない。
「遂に、エルノさんまで敗けてしまいました。残るは、私と貴方だけです」
「…………」
「今度こそ、迦具夜さんを斃しに――往ってくれますね?」
 美香はいつものように、適当に誤魔化そうとしたが――
「……ッ!?」
 足元を、折り紙の蠍が這っていた。
 まるで……警告するかのように。
「……分かったわよ」
 美香は、溜息をつく。エリンは――笑う。
「迦具夜ちゃんを、この世から消してやるわ」






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