ある日の事。 「斬り殺されろ、月見匠哉ぁぁぁぁぁッッ!!!!」 「うわぁ、この展開久し振りー♪ 皆さんが期待していたかどうかは微妙だけどネ!」 廊下を、匠哉君と霧神さんが駆け抜けて行く。 「何で飽きないんだろうね……」 それを教室から眺めている、私と美空ちゃん。 ……本日。匠哉君は、家にお弁当を忘れて来てしまったのだ。彼が今日お弁当を持ってきていない事は、あっと言う間に学校中に伝わった。 そんな匠哉君に、お弁当を分けてあげたのが緋姫ちゃん。前回のように家から届けられる事もなく、匠哉君は緋姫ちゃんのお弁当を頂いたのだけど―― 「緋姫の弁当などという素敵食品を1人占めして……!! 許せんッ!!」 ……まぁ、そういう事。 「女の子同士の純愛を邪魔するような輩は、斬り殺されて当然ですよ」 美空ちゃんが力説してるけど、私はどう答えればいいのだろう。 ……それに、私は気付いた。多分、要芽ちゃんも気付いていたはずだ。 霧神さんが、お弁当を隠し持っている事を。そしてそれが、誰に渡されようとしていたのかも。 その、要芽ちゃんは。 「あんまり見ない方がいいわ。馬鹿が伝染るわよ」 机で本を読みながら、こちらに眼すら向けずに言う。 「クールですよね……要芽さんって」 と、呟く美空ちゃん。 でも、 「それは仮面だよ。要芽ちゃんは匠哉君絡みの事になると、もの凄く熱い女の子に――」 「黙りなさい」 「――痛っ!!?」 要芽ちゃんの手から飛んで来た本が、私の頭にヒット。 本のタイトルは、『Paradise Lost』――って原書っ!? 要芽ちゃん、こんなの読めるのっっ!!? 「…………」 知性の差を感じ、何だか凹む私なのでした。
「ふぅ……酷い目に遭った」 ボロボロの姿で、教室に帰って来た匠哉君。 今回のバトルは、匠哉君が霧神さんにぬいぐるみを1つ買ってあげる事で決着したらしい。 瀬利花め、うちの財政分かってるくせに――とかブツブツ呟く匠哉君。 「…………」 ……霧神さん、それって体良くデートの約束をしたんじゃ? 「あの女、最近やるようになって来たわね……」 背後から、私にしか聞こえないほどの小さな声で発せられた――凍えるような要芽ちゃんの声。 恐いよ。振り返れないよ。 「あー、ところで皆さん。今日辺り、放課後どこかに寄りませんか?」 美空ちゃんが、いきなりそんな事を言い出した。 「……美空ちゃん?」 「皆さん、あたしに訊きたい事があると思いますし」 ……む、確かに。 色々あって、すっかり忘れてたけど――美空ちゃんは、ノルニルの元社員。色々と、重要な情報を持っているかも知れないのだ。 そういう訳で、放課後。適当な喫茶店に入る私達。 「ええっと、まず訊きたいんだけど」 私は、美空ちゃんと向き合う。 「ノルニルの目的って、一体なんなの?」 「目的……ですか。最も基本的な事は、世界の売買による利潤の獲得です」 ケーキを突きつつ、答える美空ちゃん。 「世界の、売買……?」 要芽ちゃんが眉を寄せて、美空ちゃんを見る。 「そのままの意味ですよ。あんな世界が欲しいな、こんな世界が欲しいな、と思っている個人や組織に、望み通りの世界を莫大な金額で売るんです」 「…………」 ……スケールが大き過ぎて、付いて行けない話だ。 「売られた世界はどうなる?」 匠哉君が、美空ちゃんに問う。 「勿論、買った者が好きに出来ます。王として君臨するのも、神として支配するのも自由ですよ」 「……世界の住人の意思は、まったく無関係なんだろうなぁ」 「そうですね。リリセースという世界が売られた時なんて、地獄でした。リリセースではフォルセリットという国が力を持っていたのですが……それが気に入らないと、バイヤーから注文が入りまして」 「…………」 「その注文に答えるために、フォルセリットの王都にエリンさんが送り込まれ――一夜にして火の海ですよ。王都の焼滅により、フォルセリットは崩壊。生き残った住人はたった1人だけです」 ……エリン。 「他にも、技術が進んだ世界の物品を他の世界に持ち込み、法外な値段で売り払ったりしてますね。そういう詐欺っぽい商売とか、違法な時空間移動や世界間移動を繰り返している事とかで――ノルニルは『三千世界管理局』から眼を付けられています。まぁそもそも、世界の売買自体がかなりの重罪ですしね」 「でも、それって……その三千世界管理局とかいう組織が眼を付ける事は出来ても、取り締まる事が出来ないくらいノルニルは大きな企業だって事?」 私の疑問に、美空ちゃんは頷く。 「はい。管理局の上層部には、ノルニルからカネを受け取って、好き勝手を黙認してる連中もいますしね」 ……うぅむ。スケールは違っても、やっぱり人間がやる事は同じのようだ。 「で、ある時――時って言うのはおかしいですが、とにかくある時――ノルニルに、1つの注文が入りました」 「…………」 「理想郷の世界が欲しい、という注文がね」 「……理想郷?」 何か、漠然とした注文だ。 「そう、理想郷です。それにはさすがのノルニルも困りました。何せ、理想郷なんてそう簡単に見付かるものじゃないでしょうし」 「そもそも、そんな世界なんぞ存在しないんじゃないか?」 匠哉君の言葉に、頷く美空ちゃん。 「ノルニルもそう考えました。ですが、相手は癒着している管理局のお偉いさんですから、断る訳にもいきません。そこで、ノルニルは――理想郷の世界を、1から創る事にしたんです」 「……っ!!?」 世界を、創るって……!? 「それは『ユートピア・プロジェクト』と呼ばれ、様々な世界の様々な時間で実験が行われました。優しい人だけの村を作ったりとかね」 優しい村はすぐに失敗したらしいですけど、と美空ちゃんが付け加える。 「実験を重ね、ようやくノルニルは理想郷を創るための『歴史』を組み立てました。そして、理想郷の元となる世界が選ばれます」 少し、間が置かれた。 「――この、世界ですよ」 「……ッッ!!?」 「まずノルニルは、地球という惑星の整備から始めました。資源が十分でなければ、とても理想郷なんて創れませんからね」 「…………」 籠の中の実験動物って、今の私みたいな心境なのだろうか。自分の運命が、自分以外の誰かに握られている感覚。 「ただ――そこでエリンが、ちょっとミスを起こしてしまいました」 「……ミス?」 要芽ちゃんが呟く。 「ええ。地球の我々はこうして今の形に進化した訳ですが、ただ進化した訳じゃありません。形態の、モデルが存在していたんです。それが――当時月に棲んでいた、月人というヒューマノイド達でした」 月、人……? ……あれ? 何か……頭の中を誰かがノックしているような、おかしな感じがする。 「言わば、月人は進化の引き金です。しかしノルニルとしては、整備の終わってない地球で人類が誕生して貰っても困る。よって、ノルニルは月人を滅ぼす事にしました」 「……ッッ!!!!」 何だろう……気に入らない。大昔の、直接私とは関わりのない事なのに……とても気に入らない。 「……で、エリンはそれをミスった訳か。そう言えばあの時、そんな事を言ってたな」 匠哉君は、面白くなさそうに言う。 「はい。エリンは一応最後に月人を滅ぼしましたが、手遅れでした。地球生物の予定より早い進化が確定し、ユートピア・プロジェクトは狂い始めたんです」 「…………」 「と言うかあたしに言わせれば、ユートピア・プロジェクトはもうダメだと思うんですけどねぇ。問題だらけで、『歴史』からも外れ過ぎてますし」 ケーキをモグモグと食べながら、喋る美空ちゃん。 「プロジェクトが狂い始めた原因って、エリンなんだよね? じゃあ、あいつは何か処罰されたの?」 私の、細やかな疑問。 「いえ、腐っても『三女神』です。少しの減俸だけで済んだそうですよ。理不尽ですよねー」 「三女神って?」 と、要芽ちゃん。 「……んー、何て説明すればいいんでしょうか。ノルニルの中でも、特別と言うか偉いと言うか……そんなのが3人いるんです。社長と、エリンと、あと1人」 エリンって、あんな奴なのに偉いのか。絶対間違ってると思う。 「なるほど、色々参考になったな」 匠哉君が、口を開く。 「でもまぁ……今の迦具夜の状況に、直結する話でもなかった気がするが」 「まだ半分ですから、焦らないでくださいよ。それに――直結しない訳でもありませんし」 「何……?」 尋ねる、匠哉君。 しかし美空ちゃんはそれに答えず、 「じゃ、次はノルニルがプロトイドルを集める目的を話しましょうか」 と、話を次に進めた。 「まずは第一の理由。単純に、兵器としての有用性です。あれだけのモノを自在に出現させる事が出来るというのは、かなりの利点ですから」 「敵地にこっそりと潜り込み、隙を見て召喚。一気に攻める……とかね」 要芽ちゃんが、少しだけ笑って言う。 「エリンも、その方法でフォルセリットの王都を滅ぼしたんですよ」 美空ちゃんも、それに応えるように笑った。 「そして第二の理由。何となく気付いているかも知れませんが、17機のプロトイドルは別世界で造られたモノです。それが何かの弾みで世界を超えて『ただ1機』となり、この世界に紛れ込んだんですよ」 「……もしかして、ユートピア・プロジェクトの妨げになるの?」 これはほんの思い付きだったけど、 「ええ、そうですね。まぁその可能性は低いらしいので、そんなに重要視されてませんけど」 どうやら、間違ってなかったらしい。 「なら、ノルニルが迦具夜を狙う事はもうないんじゃないの?」 要芽ちゃんの言葉、私もそう思っている。ノルニルは1機を手に入れるために、2機を失ってしまった。 ユートピア・プロジェクトのために、世界の異物である玉兎をどうしても排除しなければならない――と言うのなら話は別かも知れないけれど、幸いにも重要視されてないみたいだし。 「じゃあ、この戦いは迦具夜の勝ちって事か?」 匠哉君が、嬉しそうに微笑む。 「…………」 ……そうだと、いいんだけど。 あのエリンが――簡単に、諦めるだろうか? 「迦具夜さん達がいるのは、あそこですね」 エリンは彼方の喫茶店を眺めながら、言う。 「で、どうやって襲います? やっぱり、円陣組んで降下とかがいいですかね?」 「馬鹿エリン! 人数が足りないでしょう、人数がッ!!」 「……いや、ツッコミ所はそこではあるまい?」 エリンとヘレンの下らない会話に、エルノは溜息をつく。 「もはや小細工は不要だ。一気に叩くのが1番であろう」 「ふむ……そうですかねぇ」 「私もそれでいいですわ。プロトイドル3機で、さっさと11番を破壊してしまいましょう」 「……皆さんがそうしたいのなら、そうしましょうか」 エリンが、笑う。 「来たれ我が偶像、不思議の国の女王よ」 「来たれ我が偶像、光を射殺す者よ」 「来たれ我が偶像、人に知識を与えし者よ」 3人が、それぞれの術法を展開。 悪夢的な威圧感を孕みながら――3体の機人が、現出する。 「――ッッ!!!?」 全員が、それを感じ取った。 慌てて外を見ると――そこには、見覚えのある3機。 クィーン・オヴ・ハート、ヘズ、そして―― 「――アザゼルッッ!!!!」 エリン……! 「匠哉君、要芽ちゃん、逃げて!」 「ああ……!」 「分かってるわよ」 2人が逃げた後、私と美空ちゃんは3機に向かって行く。 「――玉兎ッ!!」 「――ステュンファロス!」 私達はそれぞれのプロトイドルに乗り込み、敵と対峙する。 『ハッ……来ましたわねッッ!』 ヘレンが叫ぶと同時に、クィーン・オヴ・ハートが玉兎に襲いかかる――! 「く……っ!?」 満身創痍だった、前回のヘレンとは違う。 杖の打撃はまるで稲妻の如く、玉兎を打ち付ける。抜剣する隙などあろうはずもない。 さらに―― 『…………』 クィーン・オヴ・ハートの後方で、ライフルを構えたまま何もしないヘズも不気味だ。 そのライフルには、前回と違って弾倉が取り付けられている。 光弾ではなく、実弾を使うのだろうか? でも、どうして? 「――……」 ヘズ――光神バルドルを射殺した神。 私は何か、大切な事を見落としてる気が―― 『何を呆っとしていますのッ!!』 「うぁ……!?」 クィーン・オヴ・ハートの蹴りが玉兎に打ち込まれる。 ……私の脳が揺さ振られるほどの、凄まじい一撃だ。 間髪入れずに、トランプが玉兎の胸に突き刺さる。 「くぅ……!!?」 『あははははッッ!!』 響く、ヘレンの哄笑。 ……クィーン・オヴ・ハートは悪意の塊と化し、玉兎を破壊せんと迫る。 『仲間を殺された怨み……晴らさせて貰いますわよッッ!!』 『――迦具夜さんッッ!!!!』 美空はステュンファロスを駆り、玉兎とクィーン・オヴ・ハートの間に入ろうとするが―― 『ふふ、行かせませんよー』 アザゼルが、その道を塞いだ。 即座にステュンファロスを人型へと変形させ、割円剣を振るう。回避するアザゼル。 『この戦力……玉兎を破壊し、迦具夜さんを殺すつもりですか!』 『ええ、危険な芽は摘んでおきたいので』 ステュンファロスとアザゼル。共に空中をテリトリィとする2機の闘いは、必然的に空の高みへと昇って行く。 『――「舞爪・廻花」ッッ!!!』 『っと……』 割円剣の斬撃で、傷付くアザゼルの装甲。 だが――瞬く間に、何事もなかったの如く修復される。 『く……っ!?』 『知ってると思いますが、アザゼルの動力は内蔵したシルヴァー・キィ・システムが数多の世界から掻き集める、無限に近い量の術素です。その程度の攻撃では、万年かけても墜とせませんよ?』 『黙りなさいッッ!!!』 ステュンファロスは空気の壁を軽く突き破りながら、アザゼルへと奔る。 『――はぁッッ!!!』 振るわれる、割円剣。 空中におけるスピードで、ステュンファロスを上回るプロトイドルなど存在しない。アザゼルが、この斬撃を躱すのは不可能なはず。 しかし―― 『甘いですねー』 アザゼルはそれを、易々と躱してみせた。 『な……っ!!?』 ……剣を回避する時の、アザゼルの動き。 まるで――空中をドリフトするかのような、予測外の動きだった。 『スピードではさすがに勝てませんが、機動性ならアザゼルの方が圧倒的に上ですよ』 脚部の代わりに付けられている、複数のロケットノズルが火を噴き――ステュンファロスに向かって飛ぶ。 そして―― 『……ッッ!!?』 またしても空中で慣性を無視したかのような方向転換をし、ステュンファロスの側面に回り込む。 ……無防備な機体を、折り紙手裏剣が切り刻んだ。 『く――ッ!!』 美空は声を上げながらも、アザゼルを睨む。 『……分かりましたよ……三次元推力偏向ノズルですか!』 『ぴんぽーん♪ 大正解です。さすがですねっ』 戦闘機というモノは、ノズルからガスを噴いて推力を得、翼を動かして方向転換する。ステュンファロスも、これと似たようなモノだ。 だが――中には、ノズルそのものの向きを変える事によって、方向転換を行う機体も存在する。その機動性は、前述の戦闘機より遥かに優れているのだ。 それを可能にする機関が、三次元推力偏向ノズル。アザゼルが見せた、奇怪な動きの秘密である。 しかもアザゼルの下半身には、ロケットノズルがいくつも存在している。それ等が全て偏向ノズルなら、可能となる軌道は美空の想像を絶するだろう。 『……ならッ!!』 美空は、アザゼルとの距離を取った。 トリッキィな動きとは、接近戦でこそ真価を発揮する。距離が近ければ近いほど、動きを追うのが困難になる。 しかし距離を離して視界を広く持てば、大した脅威ではない。いくら複雑な動きをしようと、視界が広ければ容易く追える。 ――と、美空は思っていたのだが。 『うーん……面倒ですし、これで吹き飛ばしましょうかー』 『……ッッ!!!?』 アザゼルの、ショルダーパッドが開いた。覗く、12基の水爆弾頭ミサイル。 『待――!!』 美空が、制止する間もなく。 『発射ぁー!』 12の核ミサイルが、発射された。 ……ステュンファロスではなく、地上に向かって。 『正気ですか、貴方は――ッッ!!!?』 美空はステュンファロスを全速で飛ばし、ミサイルを追跡する。 1基1基、割円剣でミサイルを撃墜する美空。 そして、12基全てを破壊した時―― 『私のこの手がぁ、真っ赤に燃えるぅ♪』 アザゼルは完全に、ステュンファロスの背後を取っていた。 『な……ッ!!?』 ミサイルに、気を取られていた。全基破壊した事による、安心感もあった。 ……だがその代償は、余りにも大きい。 アザゼルの右手が、大量の術素によって発熱する。 限度を越えたその熱により、右手は液化・気化し――さらにはプラズマ化してゆく。 ……プラズマ現象よって、眩く輝くアザゼルの右手。 エリンは、右手が完全に消滅する前に――その劫火の手を、ステュンファロスに叩き込んだ。 『「ブレイジング・アシズ」ぅぅ――♪』 『――ッッ!!!?』 ステュンファロスの装甲を、アザゼルの手が融解させ貫く。 『きゃあああああああああああ――ッッ!!!?』 ……勝敗は、決した。 内部機関に深刻なダメージを受け――ステュンファロスは、地上に向かい落下する。 「く――っ!!?」 ヘレンの猛攻によって、少しずつ追い詰められてゆく私。 『ハハ、大した事ありませんわね――ッッ!!!!』 クィーン・オヴ・ハートが玉兎を一蹴りし、距離が離れる。 「ん、ぅ……ッ!!」 ……強い。その強さの源は――仲間を殺した、私に対する憎しみなのだろう。 今やヘレンとクィーン・オヴ・ハートはパイロットと機体ではなく、1つの命と化しているかのようだ。 『そろそろ、壊してあげますわ――』 私を殺す。その『機能』のみに特化した、歪んだ生命。 『「立ち去れ、私は神の秘密を隠した」――ッッ!!!!』 ……クィーン・オヴ・ハートの胸部が、開く。 人間で言えば心臓がある位置に、1つの杯があった。 杯が傾き――中から、大量の赤い液体が溢れ出して来る。 ……血だ。杯の心臓から零れた血が、大地に広がって行く。 『――「ホーリィ・ブラッド」ッッ!!!!』 「な……ッッ!!!?」 広がった血が玉兎の足元に触れた途端、機体から力が抜ける。 まるで、どこかの穴からエネルギィ漏れて行ってしまっているかのように。 「これ、は――」 ……トランプの原型は、タロットカードの小アルカナだといわれている。 そして、トランプのハートと対応するアルカナは―― 「――聖杯……ッ!!」 イエス・キリストが、最後の晩餐で用いた杯。そして、処刑されたキリストの血を受け取った杯だ。 偶像崇拝を認めない聖者の血は、容赦なく玉兎の力を奪い取ってゆく。 (……あれ?) 待って。聖杯って事は―― 「――ッッ!!!? まずいッッ!!!?」 私は、ヘズを見た。 ……キリスト処刑の場面において、聖杯と並ぶ聖遺物がある。 聖槍。ロンギヌスの槍。キリストを刺してその血を受け、聖なる力を得た槍。 そうだ、前に考えたじゃないか。改宗後のロンギヌスがプロトイドルを破壊出来たのは、聖槍を持っていたからじゃないかって。 『さて、エルノ。準備はどうですの?』 『ようやく、術素の供給が終了した。撃てるぞ』 ……玉兎に向けられている、ヘズの砲口。 「その、弾倉の中身は――」 私の予想が正しければ、最悪のモノだ。 『あら、馬鹿の貴方もようやく気付いたようですわね』 ヘレンが嗤う。 『貴方が考えている通りですわ。中身は――ロンギヌスの槍から造った、偶像破壊の弾ですわよ』 ……ッッ!!! 『盲目のロンギヌスは、キリストを槍で突き刺した』 エルノが語る。 『この伝説には、前世が存在する。盲目の神が悪戯の神に騙され、光の神をヤドリギから作った槍で射殺す話だ』 ライフルから、音が響き始めた。その音は、少しずつ高くなってゆく。 まるで――カウントダウンのように。 『その盲目の神の名は――ヘズ。この機体の本地だ』 私は、必死に玉兎を動かそうとする。 「はぁぁ……ッ!!」 ……大丈夫。まだ何とか動ける、闘える……! 『美榊流折形術、陰之章其之五――』 なのに。 『――「多重時限縛」!』 たくさんの折り紙の鎖が、玉兎を縛り付けた。 ……見上げれば、こちらに降下して来るアザゼル。 さらに―― 「――美空ちゃんっっ!!!?」 ボロボロのステュンファロスが、地面に叩き付けられた。 『迦具夜、さん……ご、めんな、さい……』 ……ダメージが、限界を超えたのだろう。ステュンファロスの召喚が解除される。 『美空さんは……どうせ生きてるでしょうね。エルノさん、これ終わったら追ってください』 『了解した』 こいつ等……ッ!!! 「エリン――ッッ!!!!」 『おやおや、怒ってますねぇ。でも今は美空さんの心配より、貴方自身の心配をした方が合理的ですよ?』 「く……っ!?」 エリンの言う通り、ヘズのライフルは――今にも発射されそうな様子だ。 アレを受けたら、玉兎は終わりだろう。そして私も、多分死ぬ。 ……でも、なす術は何もない。 『「聖槍弾頭」の威力――その身で知るがいい』 もう……ダメなの? けれど、その時―― 「……えっ!?」 玉兎のハッチが勝手に開き、私の身体がコックピットから放り出される。 地面に落ちる前に、紙の鎖を引き千切った片腕が私を受け止め、そのまま地に下ろす。 「玉兎、貴方……」 次の瞬間。 聖槍弾頭が発射され――玉兎を、撃ち砕いた。 「ぁう――ッッ!!!?」 私は着弾の衝撃で、何メートルも地面を転がる。 ようやく止まった所で、顔を上げてみると。 「そんな……」 大破した玉兎が、倒れていた。 ……初めて逢った時の様子を、思い出す。 でも――玉兎が、再生する事はない。しばらくの後に、さっきのステュンファロスみたいに消える。 「せめてパイロットだけでも――という訳ですか。泣かせますねぇ、私こういう話には弱いんですよ」 「まぁそれも、結局は無駄ですわね」 ……後ろから、エリンとヘレンの声。 「あ……っ!?」 エリンが私の頭を掴んで、身体を吊り上げる。 「さて、このまま殺してもいいんですけど……それじゃあ少し物足りない。なので、貴方に生き地獄を見せる事にしました」 隣のヘレンが、首輪のようなモノを取り出した。 「これは『グレイプニル・レプリカ』といいましてね。この首輪を嵌められた者は、嵌めた者に絶対服従しなければならなくなるのですわ」 ヘレンは、私の首元に手を伸ばし――首輪を嵌める。 ……私には、もう抵抗する力すら残っていない。 「例え、『前世を思い出せ』などという無茶な命令でも――貴方は、聞いてしまうんですわよ」 「……ッッ!!!?」 私の頭に、内側から割られるような激痛が走る。 「……あッ、っうぁッッ!!!?」 「ふふ、思い出してください。貴方達の、大切な約束を」 意識が、混乱してゆく―― 『私達、生まれ変わっても恋人同士だよね』 『――ああ、勿論だ』 「――、……ッッ!!!?」 ……あ。 「思い出しましたか?」 エリンが、ニッコリと笑う。 「――……」 私は、ありったけの憎悪を込め―― 「思い出したよ……何で貴方がこんなに憎いのか、その理由もはっきりと分かった――!」 視線で殺すほどの勢いで、エリンを睨む。 しかし当のエリンは、変わらぬ笑顔。 「月の王国ではすみませんでしたねぇ。ま、仕事だったので仕方なかったんですよ」 「抜け抜けと、よくも……ッッ!!!」 「――で、思い出しましたか? 約束」 「……っ!!」 そうだ、私達は信じていた。生まれ変わったら、また一緒になれるって。 「貴方は記憶がないにも関わらず、約束を護って匠哉さんを想っています。素晴らしいですねー」 「何が、言いたいの……!?」 エリンが、悲しげに首を振る。 ……何て、下手な演技。 「貴方が、こんなにも健気に想っているのに――匠哉さんはどうでしょうか?」 「……え?」 「一緒になるどころか、貴方の想いに気付いてさえいない。あれはもう、約束を護る気はゼロですね」 「し、仕方ないよ、忘れてるんだから……ッ!!」 「でも貴方は、記憶を忘却しても想いを忘却したりはしなかった。貴方に出来たんですから、匠哉さんに出来ないはずはないでしょう?」 「ッ……ッ!!!?」 「理由は簡単ですよ。貴方は彼を想っていましたが、彼は貴方を想っていなかった。それだけの事です」 「そ、そんなはずない……ッッ!!!!」 私は自分自身の存在に懸けて、否定の言葉を叫ぶ。 ……でも。 「認めなさい、迦具夜さん。かつて貴方が信じていた彼との絆は、下らない幻なんですよ」 エリンの声は――魔法のように、私の中へと染み込んでゆく。 「前に言ったでしょう? 貴方の恋には、大きな間違いがあると」 「そん、な……」 私の身体から、力が抜ける。 ……もう、何も考える事が出来ない。 「ま、こんなもんですかね」 エリンが手を放し、私は地面に落ちて倒れる。 「じゃあ後は好きにしてください、ヘレンさん」 「ええ、たっぷりと楽しませて貰いますわ」 ヘレンは、ハンカチで私の口と鼻を塞いだ。 「……っ!?」 甘い香りがした途端に――私の意識が、消える。 「……ッ!!」 美空は、街の中を駆け抜けていた。 今すぐにでも、迦具夜を助けに戻りたい。しかし、そのためには―― 「ほらほら、少しは反撃したらどうだ?」 美空を追撃する、エルノを倒さなければならない。 天地を埋めるほどの、光弾の弾幕。巻き込まれた街の人々が、蜂の巣になってゆく。 「く……っ!!」 背後に迫った弾を、割円剣で防ぐ。 「いかにお前が凄まじき使い手であろうとも、そのような深手を負っていてはまともに闘えまい?」 「…………」 美空の服のあちこちに、血が滲む。 「さて、最期に何か言いたい事はあるか?」 「……じゃあ、1つだけ。前々から訊きたかったんですが――」 エルノを睨む、美空。 「エリンに故郷を滅ぼされた貴方が、どうしてノルニルの一員として活動しているんです?」 「…………」 「貴方は、王都唯一の生き残りでしょう? エリンは貴方の父も母も弟も妹も、皆殺しにしたんでしょう? それが、何故――?」 「――何だ、そんな事か」 エルノはフンと鼻で笑い、 「なぁ美空、お前は知らないであろうが――当時のフォルセリットは他国・他世界との交流も盛んな、なかなかの大国だったのだ。そんな国に、テロリストが簡単に侵入出来ると思うか?」 「……?」 美空は、話が見えない。 「でも現にエリンはフォルセリットに入り込み、王都を焼いたじゃないですか」 「そうだな。じゃあきっとフォルセリットの内部に、エリンを入国させた者がいたんだろうよ」 「……ッッ!!!?」 いたも何も――生き残った者は、1人しかいないのだ。 「エルノさん、貴方……ッ!!」 「簡単な事だったぞ。これでも、王に仕える『護国十七師』の中では1番の術師だったのでな――私の客という事にすれば、容易くエリンを王都に迎える事が出来た」 美空が、地を蹴る。 「――この外道が!」 「ハハ、お前に外道呼ばわりとはな。私も堕ちたものだ!」 エルノの首を落とそうと、割円剣が舞う。 だが―― 「――温いわッ!」 エルノは向かって来た美空の全身を、数多の光弾で撃ち抜いた。 「あ――くぅああああああ……っっ!!!?」 「……咄嗟に急所は外したか。あの女から教えを受けただけの事はあるな」 倒れた美空に、エルノが近付く。 「――トドメだ」 光弾が、美空の頭と心臓を貫こうとした瞬間―― 「――『貧乏バリアー』ッッ!!!!」 「結界、最大出力でおじゃるっ!!」 光の壁が、全ての光弾を弾き返した。 「何……ッ!!?」 エルノが跳び退く。 そしてその場所に降り立つ、二柱の少女。 ――マナと、チカ。 「どうやら、マナを連れて来たのは正解だったみたいだな」 ふたりの背後には、匠哉の姿もあった。 「大禍津日神……ッ!!」 「ノルニル、か。噂には聞いていたけど……まさか実在したとはねぇ」 エルノとマナが、向かい合う。 「さて、どうする? さすがに、生身の貴方が私に勝つのは難しいと思うよ」 「……そうだな。かと言って、機人を喚ぶのも面倒だ」 エルノの足元に、魔方陣が描かれる。 「美空め、命拾いをしたな――」 エルノは、その魔方陣の中に――吸い込まれて行った。 「……おや、意外にあっさりと逃げたね」 「マナ、美空の治療を!」 「大声出さなくても分かってるよ」 美空の傍に、屈むマナ。 「よし、チカ! 俺とお前は、迦具夜の所に行くぞっ!」 「チカに命令すんなでおじゃる!」 匠哉はチカを連れ――さっきまで闘いが起こっていた場所へ、駆けて行く。 「迦具夜、無事でいろよ……」 遠くから、匠哉は見たのだ。玉兎が――斃される瞬間を。 「――匠哉っ!」 その場に辿り着くと、先に来ていた要芽に声をかけられる。 「級長、迦具夜はっ!?」 「ダメ、どこにもいないわ……」 焦っている様子で、首を横に振る要芽。 「こりゃあ……連中に連れて行かれたでおじゃるか?」 「……ッ!!?」 「自分達の陣地に引っ張り込んで、ゆっくりと嬲り殺しにでもするつもりでおじゃるかねぇ」 チカは、淡々と呟く。 「クソ……ッッ!!!!」 匠哉はやり切れない思いを拳に込め、傍の瓦礫を殴り付けた。
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