――それは、まさしく悪魔でした。
 月に帰って来たカグヤが見たモノは、巨大な鋼鉄の堕天使。
『――特に、意味はないんですが』
 堕天使の中から、声が聞こえて来ます。
 それは――月の王国を滅ぼそうとしたモンスターの一柱、エリンの声でした。
『まぁ、嫌がらせですね。冤罪で地球へと流された貴方が帰って来た時、その喜びを叩き潰したら、どんな顔をするかと気になりまして』
 堕天使からは、エリンの悪意が滲み出してくるようです。
『とりあえず、王国と一緒に死んでください。恋人だった彼の元に逝けるんです、貴方だって本望でしょう?』
 次の瞬間、堕天使からいくつもの弾が降り注ぎました。
 その弾は、全てが太陽。容赦も慈悲もなく、天より降った災いが王国を燃やし尽くします。
 ……誰1人として、悲鳴を上げる時間すらありませんでした。勿論、カグヤも。



 これにて、月の御伽噺はお終いお終い。
 これからは、新たな物語を始めましょう。
 主役は、あの少女。対するは、その仇敵。
 ――さて。彼女は、目指す月へと辿り着けるでしょうか?


貧家外典・アポロイレヴン

大根メロン


「うぅ〜……」
 ある日。
 星丘高校の屋上で、私――柏山迦具夜かしやまかぐやは唸っていた。
「敗戦続きだよ……」
 唸ってる理由は、まぁ言葉の通りである。
「敗戦も何も、最初っから戦ってないでしょう、貴方」
「――ひゃあ!!?」
 いきなり背後から聞こえて来た声に、私は飛び上がった。うぅ、心臓に悪い。
 声の主は、幼馴染みの古宮要芽ちゃん。
「匠哉に話しかけるのって、そんなに勇気がいるの?」
「うぅ、要芽ちゃんとは違うんだよ……」
 私には、好きな人がいる。クラスメイトの月見匠哉君。
 好きになった理由は、もう覚えていない。一目惚れだったのかも知れない。
 でも私1人ではどうしようもなくて……こうして時々、匠哉君とも仲のいい、要芽ちゃんに相談しているのだ。
 ……初めて匠哉君が好きだと打ち明けた時の『……もう一種の呪いよね』という言葉と、諦めたような要芽ちゃんの表情は、何だったのか気になるんだけど。
「で、今日もダメだったのね?」
「……うん」
 お昼ごはんを一緒に食べようって、誘うだけなんだけど。
 私が躊躇っている間に、武装風紀委員の子とか、木刀を持った先輩とかが、匠哉君を連れてっちゃうのだ。
 ……うぅ、私のバカ。
「まぁ元気出しなさい、迦具夜。明日があるわ」
「……そうだね。うん、明日こそ」
 毎日毎日言ってる気がするけど、明日こそ。
「要芽ちゃん。私、頑張るよ」
「そう。頑張りなさい」
 要芽ちゃんと一緒に、校内に戻る。
「……滑稽ね、私」
「え? 要芽ちゃん、何か言った?」
「何でもないわ。そう言えば、兄捜しの方はどうなってるの?」
「うぅ、そっちも全然……」
 そう、私にはお兄ちゃんがいる……らしい。
 私は生まれてすぐに、生みの親から捨てられた。幸いにも――星丘海岸に置き去りにされていた私はすぐに発見され、育ての親に引き取られたのだ。
 その時の私が持っていたものは、『迦具夜』という名前だけ。姓もあっただろうけど――柏山迦具夜となった今では、分からない。
 ……でも。私はこの前、風邪で病院に行った時、昔から勤めている看護師さんがふと漏らしたのを聞いてしまった。迦具夜という子は、双子の妹として生まれて来たのだと。
 私はもっと話を聞こうとしたけど、それ以上の事は聞けなかった。きっと、話しちゃいけない事なんだろう。
 私を育てたお父さんとお母さんなら、何か知っていたと思うけど……2人は、もういない。ずっと前に、事故で死んでしまった。
 よって、お兄ちゃんを捜す手がかりは何もないのだ。一緒にこの街の病院で生まれたんだから、近くにいると思うんだけどなぁ。
「気長にやる事ね。何かの弾みで、手がかりが出て来るかも知れないし」
「うん……」
 私と要芽ちゃんは、教室へと向かって行く。



 教室に、戻ると。
「きゅ、級長! 助けてくれ本気マジでッ!!」
 匠哉君が、要芽ちゃんの背後に隠れた。
 ……そうなると、要芽ちゃんの隣に立っている私とも、必然的に近付く訳で。
「……今度は何よ?」
 要芽ちゃんは、呆れたように呟く。
 教室の中には、
「せ〜ん〜ぱ〜いぃぃぃぃぃッッ!!!!」
「つ〜き〜み〜た〜く〜やぁぁぁぁぁッッ!!!!」
 武装風紀委員の子と木刀を持った先輩が、恐い顔で立っていた。
 いつもの光景と言えば、いつもの光景なんだけど……今日は、何だか雰囲気が違う気が。
「くっ、どうして緋姫ちゃんと瀬利花があの映像を……!!?」
「私が見せたんだよ」
「――お前かッッ!!!!」
 匠哉君の視線の先には、マナさん。匠哉君と一緒に住んでる、とても羨ましい人だ。
「でも、私は悪くないよ? 麗衣が、テープのコピィをくれたから」
「お前が見せたという事実は一片たりとも変わらんだろが!」
 そうしている間にも、教室の2人が匠哉君に迫る。
「イチゴ牛乳は――」
「――美味しかったか、匠哉?」
 イチゴ牛乳?
「……何の事だかサッパリ分からないけど、とりあえず教室で暴れるのは止めてくれない? 私の机があるのよ」
 と、要芽ちゃん。自分の机以外はどうでもいいらしい。
「えっと、級長。さっきも言ったが、助けて欲しいんですヨ」
「知らないわ。どうせ貴方が悪いんでしょう。さっさと殺されなさい」
「そ、そんな殺生な――ぐふぁッ!!?」
 要芽ちゃんは、匠哉君を廊下に蹴り出した。
 それを追うようにして、2人が廊下に跳び出す。
 要芽ちゃんが、ピシャリと扉を閉めた。
 ……扉の向こうからは、匠哉君の悲鳴と、惨劇の音楽が聞こえて来る。
「えっと……いいの? 要芽ちゃん」
「いいのよ」
 一言だけ残し、要芽ちゃんは自分の席に向かう。
 要芽ちゃんって、匠哉君に厳しいよね。匠哉君が好きな私とは違って、本当にただの友達なんだろう。
 まぁそうじゃなきゃ、相談なんて出来ないけど。
「匠哉君、大丈夫かなぁ……?」
 私は心配しつつも、自分の席に戻る。
 こうして――私の日常は、廻って行くのだ。



 ……でも、後から思えば。
 私の平穏は、この時が最後だったように思う。



 放課後。
 学校から家へと帰る、いつも通りの時間。
「初めまして……と言うのもおかしな気がしますから、こんにちは。私の名前はエリンと言います。よろしくお願いしますね」
 でも――私は、その人と出遭ってしまった。
「……え?」
 笑顔を浮かべた、女の人。
 何だろう、この人。知ってるような気はするけど。
 ……おかしい。何で私、こんなに怒りを抑えているんだろう?
「そ、そんなに身構えなくても。私、こう見えても気が小さいんですよ?」
「…………」
 私は分かってる。このエリンという女は、ニコニコとした笑顔のまま、何人だって殺せるのだ。
「ああ、やっぱり嫌われちゃってるみたいですね。まぁ、無理もないですかねぇ……」
 エリンは、笑顔で溜息をつく。
「じゃあ、私はこの辺で。そんな恐い顔していると、好きな子に嫌われてしまいますよ」
「……ッ!!」
「――ふふふ」
 エリンが歩き去って行く。
「……一体、何なの?」
 私はその背を眺めながら、呟いた。
 そして、尾行するみたいに後を追う。
 ウェルギリウスとダンテみたいだ、とふと思った。
 だとしたら――向かう先は、希望のない地獄だろうか。



「うぅ、失敗だったかも……」
 私は早速、後悔し始めていた。
 今進んでいるのは、山道。当然、私の格好は登山に適してなんかいない。
 エリンは、どんどん進んで行く。
 そして、暗い洞窟の中に入って行った。
「…………」
 ……えっと、どうしよう?
 いや、ここで諦めちゃダメだ。アリスも穴に入ったからこそ、白兎に追い着けたのだ。
 私も、その穴に入る。 ……虎穴だったらやだなぁ。
「防空壕、かな……?」
 そうして、しばらく進むと。
「……え?」
 突然、広い場所に出た。頭の遥か上には外と繋がっている穴があり、日光が入って来ている。
 そこには、先客がいた。とは言っても、エリンではない。
「…………」
 大きな、人型の機械。
 巨大ロボ、というのだろうか? 昔は今と比べて、そういうアニメがたくさんあったらしいけど。
 一目で分かるスクラップ振りだ。多分、元は純白だったんだろうけど……今は、破損と錆と汚れで見る影もない。
「これは……?」
「――『プロトイドル』、ですよ」
 私の独り言に、答えが返った。
 慌てて眼を向けると、そこにはエリンの姿。
「かつてカッパドキアの遺跡から発掘された、17体の機人。大戦などによって、世界中に散らばったんです。それは、17体の内の11番ですね」
「…………」
「……まったく、私もダメですねぇ。付けられてた事に気付けないなんて」
 ウソだ。気付いてたに決まってる。
「さて、どうしますか。目撃者は消す、というのがお約束ですけど――」
「……ッ!!?」
 エリンは、見た事もない拳銃を取り出す。
「うん、それじゃあ面白くありませんね。ゲームをしましょう」
「……ゲーム?」
「ええ。ルールは簡単です。私は10秒間、何もしません。生きたかったら、その間に私を殺してください。武器も貸してあげます」
 エリンは持っていた拳銃を、ひょいと私に投げる。
「こ、殺してくださいって貴方――」
「ではスタート。10――」
 カウントダウンが始まる。
「9――」
 冗談じゃない。人殺しなんて、出来るはずない。
「8――」
 ……でも。
「7――」
 死にたくない。死ぬのは恐い。
「6――」
 それにあの女は、私を楽に殺したりなんかしないはずだ。
「5――」
 私は、拳銃を拾う。
「4――」
 震える手を、精一杯抑えて。
「3――」
 銃口を、エリンに向ける。
「2――」
 ぎゅっと力を込め――
「1――」
 ――引き金を、引いた。



「――0。はい、残念でした」
「え……?」
 弾は、確かに発射された。
 それも、想像を上回る威力で。事実、衝撃でエリンの背後の壁は、粉々になって崩れている。
 ――なのに。そのエリン本人は、さっきと同じようにニコニコ笑っている。
 エリンの手には、1枚の折り紙。その折り紙から、小さな金属の塊が、ぽとりと地面に落ちた。
「引き金を引けた度胸は、褒めてあげましょう」
 ……信じられない。まさか、折り紙で弾を止めたの……!?
「美榊流折形術、陰之章其之四――」
 エリンの手に、たくさんの折り紙が現れる。
 一瞬にして、エリンは1枚の折り紙を1つの輪っかに折り――
「――『時限縛』」
 無数の輪っかを繋げ、1本の鎖へと変える。
 鎖は私へと奔り――私の身体を縛り上げた。
「きゃ……!?」
 私は、地面に倒れる。くっ、これっぽっちも動けない……!
「――安心してください。すぐには死にませんから。これは、拷問用の技ですからね」
 私の顔を覗き込んで、エリンが笑う。
「私の咒力が込められたその紙鎖は、じわじわと貴方の身体を締め上げます。そして、最後はバラバラに」
「な……っ!!!?」
「嫌な技でしょう? こんな技を伝えていたから、私達は同胞に滅ぼされたのですけどね。耶蘇教に改宗した美榊家に、咒術的な技である陰之章は不要――って」
 エリンの指が、私の頬を撫でる。
「ああ、楽しみですねぇ。貴方はどんな悲鳴を叫び、どんな命乞いをし、どんな断末魔を上げるのか」
「うぅ……!!」
 ジタバタともがくが、鎖が外れる様子は少しもない。
 死にたくない。でも――もう、ダメなの?
 けど、その時。
「……え?」
 何かの力の波紋が、辺りを揺らした。
 鎖が外れ、パラパラと地面に落ちる。
「……起動の余波で、折り紙に込めた私の咒力を吹き飛ばしましたか」
 エリンが、ロボットを見ながら言う。
 まさか……助けてくれたの?
「ふふ。貴方、その11番に気に入られたみたいですよ。何なら、名前を付けてあげたらどうです? 名前は、最も強い言霊。それを付けるというのは、契約を結ぶ、という事ですが」
 エリンが、私に背を向ける。
「我が社の目的は全てのプロトイドルを回収する事ですけど、まぁ1機ぐらい見逃しても構わないでしょう。ほとんどスクラップ同然ですし、どうせ役には立たないでしょうから」
 来た道の穴の中に、エリンは消えた。
「では御機嫌よう――■■迦具夜さん」
 ……名字の部分は、何故か聞き取れなかった。



 エリンが、いなくなった後。
「えっと……ありがとう」
 私は、ロボットにお礼を言う。
 反応は、返って来ない。まぁこんなにボロボロじゃあ、返せる答えだって返せないだろうけど。
「…………」
 私も、その場から去って行く。



 ――夜。
「…………」
 私はベッドの中で、今日起きた事について考えていた。
 エリン。プロトイドル。
 自分で体験した事なのに、実感が湧かない。
 私は眼を閉じる。朝になれば、いつも通りの一日が始まると信じて。
 ……現実で起きた事は、夢のように消えてなくなったりはしない。それは、分かっているんだけど。






 ――そして、翌朝。
 眼が醒めたら世界が激変していたとか、そういう事もなく。
 私と要芽ちゃんは、一緒に学校へと向かっていた。
「要芽ちゃん! 私、今日こそはやるよ!」
「はいはい。昨日も同じ事聞いたけどね」
 むふふ、今日の私は一味違う。と思う。
 もしこのまま私と匠哉君の仲が発展したら――私は、月見迦具夜になるんだろうか。
「えへへ」
 月見迦具夜。いい名前だ。
「……あれ?」
 ……この、名前の響き――

『では御機嫌よう――』

 前に、聞いた事がある気がする。

『――■■迦具夜さん』

「ま、気のせいだよね」
「……迦具夜。さっきから、何を1人でニヤニヤしたり悩んだりしてるの?」
「え? あ、な、何でもないよ」
 そうして、私達が歩いていた時。
「きゃ――!?」
 急に、向こうから大きな音が聞こえた。
 ……何だろう。また、ゴグマゴグが出たのかな……?
 私は、眼を向けて――ソレを見た。
「え……っ!?」
 暴れていたのは、ゴグマゴグなどではなかった。
 それは、大きな人型ロボット。ゴグマゴグなんかよりも、ずっと大きい。
 でも、昨日山で見たプロトイドルとは違う。
 プロトイドルは……変な言い方だけど、人間っぽかった。それに対してアレは、本当にただの機械といった感じだ。
「……あそこは……!」
 要芽ちゃんが、走り出す。
 私も、後を追おうとしたんだけど――
「――『オートワーカー』。我が社が開発した、大型自律兵器です」
 不快な声が、聞こえて来た。
 私は、背後を見る。
 エリンが――そこに、立っていた。
「……あれは、貴方の仕業なの?」
「はい、そうですよ」
 何でもないように、彼女はそれを認める。
「それより、こんな所で時間を使っていいんですか?」
「……え?」
「何で、要芽さんが走って行ったと思うんです? オートワーカーが暴れている、あの場所――匠哉さんが、通学に使っている道ですよ」
「――ッッ!!!?」
 心臓が、止まるかと思った。
 私も、要芽ちゃんの背中を追って走り出す。
 ……少しずつ、オートワーカーに近付いてゆく。
 そして、その場には――
「――匠哉ッ!!」
 要芽ちゃんが、叫ぶ。
 エリンの言葉通り、そこには匠哉君がいた。怪我をしているらしく、噂に聞く逃げ足が使えていないみたいだ。
 オートワーカーが、腕に付いている銃の銃口を――匠哉君に、向けた。
「……ッ!!」
 私は、思わず足を止めてしまう。
 ああいう兵器に付いている銃というのは、大抵は同型の兵器との戦闘を想定して装備されている。人間なんて、紙と同じだ。
 なのに――要芽ちゃんは、匠哉君とオートワーカーの間に立ち塞がった。
 ……何で? どう考えたって、人間にどうこう出来る相手じゃないのに。
 その時、要芽ちゃんがポケットから何かを取り出した。そして、それを頭に付ける。
 次の瞬間、その場にいたのは――魔法冥土マジカル・メイドカナメだった。
「――……」
 ……色んな事が1度に起き過ぎて、理解に時間がかかる。
 でも――要芽ちゃんがカナメなんだとしても、オートワーカーを壊せるとは思えない。ゴグマゴグとは、質量も火力も違う。
 そんな事、きっと要芽ちゃんも分かってる。それでも要芽ちゃんは、強い眼差しでオートワーカーを睨んでる。
 ……ついに、銃口が火を噴いた。
「――っっ!!!!」
 私は眼を閉じる。
 ……開くのが、恐い。だって、匠哉君と要芽ちゃんは――
「やぁぁあああああああッッ!!!!」
「……!?」
 聞こえて来たのは、要芽ちゃんの声だった。
 眼を開く。そこには、信じられない光景があった。
 オートワーカーの腕からは、凄まじい速度で弾が連射されている。秒間何発なのか、想像も出来ない。
 けれど、要芽ちゃんは――その弾丸を、ハンマーで次々と弾いていた。
 ……私の眼から見ても、無理があるのが分かる。
 要芽ちゃんはとても辛そうだし、少しずつ押されている。
 それは、匠哉君も分かっているのだろう。要芽ちゃんに向かって、俺を置いて逃げろと言う。
 こんな時でも、匠哉君は匠哉君だった。
「…………」
 ……でも、違うよ匠哉君。
 匠哉君がそんな風に優しいからこそ、要芽ちゃんはそこから退かないんだよ。
 ……私、バカだ。要芽ちゃんの事、何にも分かっていなかった。要芽ちゃんはどんな気持ちで、私の相談を受けていたんだろう?
 逃げろと、再び匠哉君が叫ぶ。要芽ちゃんは、黙ってなさいと大喝する。
 どうして、要芽ちゃんはあんなに強いんだろう。魔法冥土マジカル・メイドだから、強いんだろうか?
 ……それは、違う。
 匠哉君を護っているから――護る決意があるから、強いんだ。
「…………」
 それに、比べて。
 私は何もせずに突っ立って、ただ見てるだけ。情けないにも程がある。
 どうして今まで、私が匠哉君に近付けなかったのか、分かった。
 匠哉君に近付くのは、名前の通り月に近付くのと同じだ。そんな事、ただの人間になんか出来っこない。
 でも、だからこそ。それがどうしたと言って、飛び立てる者だけが――匠哉君に近付けるのだ。
「……護りたいよ」
 見ているだけなんて、嫌だ。匠哉君と要芽ちゃんがピンチなのに、何も出来ないなんて絶対に嫌だ。
 明日こそ、なんて言葉は通用しない。私が生きてるのは、常に今日なんだから。
「匠哉君と要芽ちゃんを、助けたいよ」
 そう思っても、私には何の力もない。オートワーカーを止める術なんて、ありはしない。
 その時――
「――……?」
 誰かの力強い声が、頭の中に聞こえた気がした。
「…………」
 何となく、分かった。今の声は、あのボロボロのプロトイドルの声だ。
 名前を付けろと、エリンは言っていた。それは、契約だとも。
「……私は、大事な人達を死なせたくない」
 だから、お願い――力を貸して。
「来たれ我が偶像、月にて秘薬を搗く者よ――」
 私の口から、言葉が出る。
 イメージするのは、傷と風化の下に隠された、あの純白。
「――『玉兎ぎょくと』ッッ!!!!」
 私は想いを込めて、名を呼んだ。



 呼び声に応え――1機のプロトイドルが顕現する。
 その姿は、昨日見た時と同じくボロボロだ。
 だが、オートワーカーは要芽ちゃんへの攻撃を止め、玉兎と対峙した。
 ……ただの機械であっても、どうやら危機を察知する事ぐらいは出来るらしい。
 攻撃が止まった隙に、要芽ちゃんが匠哉君を連れて逃げて行く。
「――我は汝に息を吹き込む! 我等は、汝を拝まぬ者を滅ぼし尽くす!」
 私は、言霊を奉げる。
 時を逆行するかのように――玉兎の身体が、修復されてゆく。
 純白の機体が現れる。それはまるで、鎧を纏った騎士のようだった。
 外見からでも、装甲の厚さが分かるフォルム。背中には、鞘に固定された一振りの大剣。
 一瞬前まではスクラップ状態だったとは思えないほどの、迫力だった。オートワーカーが退き、間合いを広げる。
 玉兎の胸のハッチが開く。私は玉兎の掌に乗って運ばれ、そこに飛び込む。
「…………」
 ……自分の神経と、玉兎の神経が接続されるような感覚。
 まるで自分の身体のように、私は玉兎を動かす事が出来る。
「――よし!」
 闘える。
 跳びかかって来る、オートワーカー。私はそれをひらりと躱す。
 オートワーカーと玉兎の動きの差は、もうこれだけで瞭然だった。
 まぁ、当然。玉兎は、人間一部パーツとなって動かしているのだ。システムが根底から異なる。
 間髪入れずにオートワーカーの銃が火を噴くが、玉兎の装甲には傷1つ付かない。
 背中の剣に、手をかける。
「――封印解除」
 剣を固定していた鍵が次々と外れ、鞘から抜き放たれた。
 刃はない。必要がないのだ。
 この剣は、ある種の結界。世界に境界を創るもの。
 相手がどれだけ硬くても、逆に柔らかくても関係ない。どんな物質であろうと、存在を支える空間が断裂したら、一緒に真っ二つになるのみだ。
「――……」
 剣を構える。
 もう、向こうだって分かってるはず。勝ち目なんて、少しもない事が。
 だがそれでも、オートワーカーは己の役目を果たそうと、襲いかかって来る。
「空間制限、開始ぃっ!!」
 オートワーカーの攻撃を避け――
「――『断解水月』ッッ!!!!」
 一太刀で、斬り裂いた。



 オートワーカーの上半身が下半身から滑り落ち、完全に活動を停止する。
「……ふぅ」
 一時はどうなるかと思ったけど、何とかなった。
「ありがとう、君のおかげだよ……」
 私は、玉兎にお礼を言う。
 ――けど。
「……あれ?」
 何となく、分かる。闘いは終わったのに、玉兎は緊張を解いていない。
「まだ、何かあるの?」
 私が訪ねるように、そう呟いた時。
「来たれ我が偶像、人に知識を与えし者よ――」
 その忌まわしい声が、聞こえて来た。
「――『アザゼル』」



「……あ」
 私はその光景を見た時、一瞬だけ心臓が止まったように思う。
 見上げた先には、空に佇むプロトイドル。
 色は漆黒。玉兎が鎧を纏った騎士なら、アレは痩せ細った人間だ。
 でも、肩の部分だけは異様に大きい。何か、武器でも積んでるのかも知れない。
 きっと、空中戦を前提とした機体なのだろう。下半身には足がなく、代わりに大きなブースターがいくつも装備されている。
 ――そして背中には、悪魔のような翼。
「あ、あ……」
 思い出せない。けど――私はあの機体を、どこかで見た事がある。
『我が社が独自に開発した、18番目のプロトイドル。それが、このアザゼルです』
 鋼鉄の堕天使から、エリンの声が聞こえて来る。
『――ふふ、懐かしいでしょう?』
「……ッ!!!!」
 認められない。あの機体も、そのパイロットも。アレがこの世に存在する事を、私は認められない。
 脳がドロドロに溶けて沸騰するくらいの、凄まじい激怒と恐怖が湧き上がって来る。
『おっと、おかしな事はしないでくださいよ?』
 アザゼルの、両肩のハッチが開き――左右合わせて12発のミサイルが、姿を現す。
『この機体は、水爆弾頭ミサイルをたくさん搭載してますから。全弾撃ち込めばどうなるか……1度体験した貴方なら、分かっていますよね?』
「ぅぁ……ッ!!!?」
 エリンが何を言っているのかは、分からない。なのに、頭が割れそうなほど痛い。
『私は、貴方と闘うつもりで姿を現した訳ではありません。ちょっと、御節介を焼きに来たのですよ』
「……?」
『貴方がその11番と共に闘ったのは、匠哉さんを助けるためですよね?』
「…………」
『恋する女の子が、好きな男の子のために命を懸ける。素晴らしい事ですねぇ』
 ……何が、言いたいの?
『けれど。その恋に、大きな間違いがあるとしたら――どうします?』
 え……?
『貴方の恋は、絶対に成就しません。ああ、悲劇ですね。運命の悪戯と言うか、何と言うか』
「どういう、意味……っ!!?」
『ははは。それはいずれ、教えてあげますよー』
 アザゼルが、溶けるように消えてゆく。
『では、またお会いしましょうね』
「待って! さっきから、我が社我が社って……一体何なの!!?」
『…………』
 エリンが不気味に笑うのが、見えた気がした。
『――我等はノルニル。時を支配する神々です』
 その声を残し――アザゼルは、完全に消え去った。



「…………」
 アザゼルが消えた後も、私はしばらく呆然としていた。
 私の恋に……大きな間違い?
「……ううん、そんな事ない」
 この想いに、間違いなんてあるはずがない。
「よし、大丈夫!」
 エリンの言葉なんて、気にする方がどうかしてる。
 ……この2日で、彼女にはたくさんの借りが出来た。
 いつか――たっぷりと利子を付けて、返済してやる。
「今度こそありがとう、玉兎」
 玉兎が、光の粒子となって消える。残された私は、ゆっくりと浮くように地面に降り立った。
「――さて、学校に行かないと」



「要芽ちゃん」
「……ん? どうしたの、迦具夜?」
 学校の休み時間、私は要芽ちゃんに声をかけた。
「今まで、ゴメンね」
「え? 何の事?」
「私、要芽ちゃんが匠哉君を護って闘う所、見ちゃったんだ」
「……ッ!」
「だから、ゴメンね」
 その匠哉君は、今は保健室にいる。
 とは言っても、そんなに大きな怪我ではないらしい。半分サボリみたいなものだと思う。
「な、何か勘違いしてない? 私が匠哉を護ったから、何だっていうの?」
「あれを見れば、誰だって分かるよ」
「う……!?」
 事実、要芽ちゃんは今かなり焦ってる。魔法冥土マジカル・メイドの事もバレてるのに、それは完全に頭から抜け出てるくらいだから。
 要芽ちゃんはしばらく困ってたが、少しすると諦めたように溜息をついた。
「……別にいいわよ。謝るほどの事じゃないわ」
「ありがと。で、要芽ちゃんはどうして匠哉君の事を好きになったの?」
「……ッッ!! そ、それは……ああもう、いつか気が向いたら教えてあげるわ」
 顔を真っ赤にして、そっぽを向く要芽ちゃん。付き合いはかなり長いけど、こんな要芽ちゃんを見るのは初めてかも知れない。
「でも……結局、アレは何だったのかしら?」
「アレって、暴れてたロボット?」
「勿論そうだけど、後から現れた方もよ。そっちが、あの物騒なロボを倒したらしいわね」
「…………」
 今の言葉から察するに、要芽ちゃんは私と玉兎の事は知らない。
 そうなると……『私が動かしてました』とは言い辛いなぁ。いや、言っても信じてもらえるかどうか。
「ま、そんな事はいいわ。迦具夜、匠哉は昼までには戻って来るらしいわよ」
「え? あ……でも、要芽ちゃんはいいの?」
「別に構わないわ。貴方が何もしなくても、どうせ緋姫や瀬利花さんに連れて行かれるんだし。だったら、貴方に取られた方が少しは気分がいいわよ」
「……うん、分かった」
 そして、お昼休み。
 要芽ちゃんの言葉通り、匠哉君は戻って来ていた。
「…………」
 私は、匠哉君に近付いて行く。
 きっと私にとっては、月面着陸後の1歩よりも大きな1歩だと思う。
「……た、匠哉君っ!」
 心臓の鼓動を抑えながら、声をかける。
「ん? 何だ、迦具夜?」
「……!」
 ほとんど話した事ないのに、名前を覚えていてくれたらしい。これだけで飛び上がりそうだ。
 私は――ずっと言いたかった言葉を、ようやく口にした。
「あ、あの! よかったら、一緒にお昼ごはん食べない?」





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