――闇の中。 マノンは悲痛な声を、俺に投げかける。 「自分の幸福を初めに望むべきだと言った貴方が、結局は自分の命を犠牲にした。それを悲しまずに、どうしろと言うのよ?」 ……うーん。 確かに、俺の行動は自己犠牲っぽい感じもする。誰かのために死ぬってのは、自己犠牲の極致だろうし。 「でもなぁ。あそこで闘わずに逃げても、俺の幸福に繋がるとは思えなかったんだよ。どうせ、いつかは誰かが斃さなきゃならない相手だったんだから」 「……闘って、敗けたくせに」 「そりゃ結果論だ。勝ったら、面倒事が1つ片付いてハッピィな訳だし。褒美として、俺の給料も増えそうだし」 「…………」 「給料が増えたら、美味いもんが食えるし。迅徒にたかって、白い眼で見られる事もないだろうし」 ああ、何か考えるだけで世界が綺麗に見える。死んでるけど。 「それに……やっぱりさ。皆が辛い思いして戦ってるのに、俺だけ戦わないのは幸せじゃないだろうし」 でもこの台詞、敗けた俺が言っても説得力がない気がするなぁ。 「……つまり、貴方は莫迦だという事ね。勝利と敗北を秤にかけて、見事に計り間違えたと」 「はっはっはっ、率直な意見が心に突き刺さるぅー……」 まったくその通り。倉橋舞緒の、底の深さを読み切れなかった故の大失敗である。 「……匠哉」 マノンが、俺を抱き締めた。 ……って、オイ!? 「少し、安心したわ。自分を度外視し、自分自身を失った私とは……やっぱり違うのね」 「……いや、何と言うか。自分独りで生きてきた俺が、今更自分を度外視するのは無理、ってだけの事だと思うけどな」 マノンの体温が、じわりと伝わって来る。マジでどうしよう。 「帰りたいのね……元の世界へ」 「……え? うん、まぁ。この世界は平穏でよさそうなんだけど、あんな風に犬死にしたくはなかった」 現世の四苦八苦から解放された喜びは、大きい。何しろ、ずっと求めてきたものだ。 でも。あんな奴に、呆気なく殺されてしまうんだったら――今まで頑張って生きたのは、何だったんだ。 ……矛盾してるよな。生きるのも気に食わない、死ぬのも気に食わない。どうしたいんだろう、俺は。 「別に死んでないわよ、貴方」 ……へっ!? 「な、だってお前――ッ!!?」 「私は、一言たりとも貴方が死んだなんて言っていないわ。死にかけであるのは事実だけど」 う、確かに。マノンは1度も、俺が死んだとは言っていない。 マヌケ面を晒す俺に、マノンが微笑む。 「……やっぱり、私の配役はシンデレラではないのね。どこまで進んでも、私は願いを叶えるだけの魔法使い」 「……?」 「ダメね、私。私は今まで、他者のためのみに生きてきた。いくら自身の幸福が大切だと理解しても、今更生き方を曲げる事は出来ないのよ」 俺の身体が、この闇の中で薄れてゆく。 「――貴方の願いを叶えるわ、王子様。シンデレラの元に帰してあげる。誰が、貴方のシンデレラなのかは知らないけど」 声を出そうにも、もう俺には発声器官がない。 「……匠哉。貴方は、無様なほどに矛盾を抱えているわ」 マノンは、俺の心を覗いたかのような事を言う。 「でも、人間なんてそんなモノよ。ずっと一緒にいたい人を、こうして手放す愚か者もいる」 闇の向こうで、最後に―― 「……難しいわよね、幸福って」 そんな声を、聞いた気がした。
「よく頑張りましたが……何事も、無理なモノは無理ですよね」 舞緒は1人、廃墟と化した旅館で呟く。 茨木と清水が闘っている事が感じられるが、所詮は焼け石に水だ。 渡辺麗衣は死んだ。もう勝敗は決している―― 「……?」 と、その瞬間までは思っていた。 瓦礫の山の中から――人の形が現れる。 もはや、消える寸前の命。だがそれでも、彼女は生きていた。 「……本当に理解が出来ません。貴方は人間なのですか、麗衣さん?」 「酷い言い草ですわね……人間以外の、何だと言うんですの?」 「しかし、私の奥義を受けても生きていられる者を……私は、人間と呼ぶ事が出来ません」 麗衣はふらふらとしながら、立ち上がる。 それでいて――舞緒に向けた剣の切っ先は、微動だにしていなかった。 「貴方が、攻撃に使う咒力。神仏と通じる力ですが……結局は、貴方という人間から生み出された力ですわ」 「…………」 「そして、私も人間。人体が生み出した力を人体に撃ち込んでも、さほど効果はないと思いません? 元は同じなのですから」 「……受け流した、とでも言うのですか。しかし……」 「勿論、そんなに簡単な事ではありませんでしたわ。最初の数発はまともに受けて、走馬灯まで見ましたし。まぁ、それも――」 麗衣が跳び、太刀を振るう。 舞緒は、それを躱した――つもりだった。 「……ッッ!!!?」 袂が、斬れる。 それも先程のような、小さな斬断ではない。 裂け目は、瞬く間に大きくなり――遂には、袂に包まれていた腕までもが血を噴いた。 「な……っ、莫迦な!!?」 「釈迦に説法だとは思いますが。神話には、人や神が冥界に下る話が多く存在しますわ」 「……まさか、貴方」 「そのまさかです。冥界に下った者は、ほとんどの場合冥界から何かを持ち帰る。名誉だったり、珍品だったり、新たな魔術の類だったり……とにかく、何らかのランク・アップをするでしょう」 麗衣は、舞緒の顔を見て笑う。 「それと同様ですわ。貴方が私を殺しかける度に、私は『死』という領域に近付く。人間の理解を越えた世界を体験し、学ぶ事によって、私はさらに『上』へと進む事が出来るのです」 「……化物ですか、貴方は。1度は完全に死んだサンフォールの生ける死体達でさえ、そこまでの学習を行った者はレインさんだけですよ?」 「あんな雑魚どもと一緒にされては困りますわ。私を誰だと思ってますの?」 天烏天兎扇を構える、舞緒。 ……2人の間に、凍るような緊張が張り詰める。 「まぁ、いいでしょう。貴方が死に体である事は変わらない。そういうのを、風前の灯火と言うのです」 「言われなくても分かっています。風が吹く前に、貴方を斃せばよいだけの事ですわ」 「虚勢を。もうすぐ、この町は死都となるでしょう。全ての人々は溢れたゾンビによって新たなゾンビとなり、平新皇将門公を将とする、不死の軍と化します」 「…………」 「そして我等は東京へと上り、三種の神器を奪還し、公は真の帝となるのですよ。元々――あの土地は、公の物ですしね」 麗衣は、それを聞いて―― 「獲らぬ狸ですわね……陳腐ですが、1つ教授してあげましょう」 下らなそうに、口元だけで笑った。 「――戦いの結果は、最後まで分からないものですわよ」 「はぁ、はぁ……!」 茨木は息を切らしながら、ゾンビの頭を殴り飛ばす。 しかしもう、茨木の動きには速さも切れもなかった。圧倒的な数の暴力に、まったく対抗出来ていない。 「あ……!?」 足がもつれ、その場に倒れる茨木。立ち上がろうとするが、まったく足が言う事を聞かなかった。 ……ぞろぞろと、ゾンビが集まって来る。 「どうやら、ここでゲーム・オーヴァーみたいですねぇ……」 ヴィンセント戦の傷が開いたらしく、服のあちこちに血が滲む。 「……御嬢様。月見さんの事は、任せましたよ……」 そうして、瞳を閉じようとした時―― 「……え?」 群がっていたゾンビどもが、バラバラに斬り刻まれた。 技として完成された、見事な斬撃。もはや芸術的ですらある。 「まったく……行くって言ったのに、どうして待っててくれないアルか〜……」 さらには、そんな緊張感のない声。 「……飛娘、さん?」 「おー、久し振りアルね茨木。状況がサッパリ分からないアルが、とりあえずこいつ等を殲滅すればいいアルね?」 「え、ええ……でも、いくらなんでもこの数が相手じゃ……」 「ああ、それは心配ないアルよ。たくさん、助っ人を連れて来たアルから」 「……え? 確か、IEOからの増援はないんじゃ……?」 「IEOじゃないアル」 はぁ……と、溜息をつく飛娘。 「忌々しい事アルが……世の中には、匠哉のためなら死地に飛び込む阿呆がたくさんいるアルよ」 「…………」 清水は、訳が分からなかった。 「という訳で、ボランティア・クラブの課外そして時間外活動! このたくさんの死体を適当にやっつけるんだよッ!!」 白い少女が、叫ぶ。 「私に指図しないでください!」 「同感だ、貴様如きが緋姫に指示をするなッ!」 「……まぁ、私は私で勝手にやるわ」 チームワークゼロの会話をし、散開する少女達。 清水が呆気に取られていると、 「お疲れー」 白い少女は清水に一言残し、旅館へと駆けて行った。 「…………」 霧神瀬利花は咒怨桜でゾンビを斬り伏せながら、悩んでいた。 (私は、一体何をやっているんだ……) いきなりマナから電話がかかって来て、ボラクラの活動でサンフォールと戦うと聞いた時は――遂に奴は頭がおかしくなったか、と思った。 だが緋姫も行く事を聞き、戦いを決意したのである。 (……断じて、匠哉の仇を取りたかったとか、そういう訳ではない) 自分に言い聞かせる。 何故そんな事をいちいち言い聞かせなければならないのかについては、瀬利花は考えない事にしていたが。 「……瀬利花様?」 大斧を振るう前鬼が、瀬利花に声をかける。 「いや、何でもない。ところで……倉橋舞緒と言えば、あの『蟲鳴之書』を閲覧した人物として有名だが」 瀬利花は、自らの護法童子である夫婦鬼を見た。 「結局、件の書は何なのだ? 役行者に付き従っていたお前達なら、知っているだろう?」 だが、 「いえ。かの神変大菩薩――小角様がそのような書に関わった事は、1度たりともございません」 後鬼は、首を横に振った。 「……何だと? 『蟲鳴之書』の著者――あるいは翻訳者――は、役行者のはずではないのか?」 「私の知る限り、あの書の原典がアラビアで著されたのは西暦730年頃の話です。その当時、既に小角様は人としての生を終え、昇天なされていますから……時間的にも在り得ません」 さらに、前鬼が言う。 「……やはり、原典とはアレの事なのか」 ゾンビを斬りながら、瀬利花は嫌そうに呟く。 「しかしそうなると、『蟲鳴之書』――日本語版の翻訳者は、誰なのだ?」 「……それは我等の知り得ぬ事でございます。ただ――善意ある者ではないでしょう」 「あるいは、そもそも翻訳者など存在しないのかも知れません」 前鬼と後鬼の言葉に、瀬利花は得体の知れない寒気を感じる。 「……まぁいい。今は、コレを何とかするのが先だろう」 「はい。我等は瀬利花様のために」 「そして瀬利花様は、月見匠哉のために」 「ああ――……って違うッ! わ、私がここに来たのはだな、緋姫を護るためだッッ!!!」 顔を真っ赤にして、ぐぁーっと吼える瀬利花。 「ならば、何故に倉元緋姫とこうして別行動を行っているです? 護るならば、傍にいなければならないのでは?」 「それに、瀬利花様なら理解しておられるでしょう。倉元緋姫の戦闘能力なら、助けなど必要ないと」 「くっ、そ、それは……お、乙女の心は複雑で、助けはいらないと分かっていても、どうしても気になるものなんだッ!!」 「……そうですね。乙女の心は複雑ですね」 「然り、然り」 見透かすような二鬼の様子に、瀬利花の頭にはどんどん血が上ってゆく。 「くっ、どいつもこいつも……!」 溜まりに溜まった様々な不満を、 「信濃霧神流秘伝、第五十一番――『地獄巡礼』ッッ!!!!」 瀬利花は全て、ゾンビへとぶつけた。 ――旅館の上空。 「……カナメ、少し落ち付くのさ」 パック=ロビングッドフェロウは、傍らの魔法冥土に声をかける。 古宮要芽――魔法冥土カナメはゾンビどもを見下ろしながら、 「私は落ち着いてるわよ? もう、頭の中が沸騰しそうなくらい落ち着いてるわ……」 と、殺気立った声で呟いた。 (ぜ、全っ然落ち着いてないのさ……!) 「迷いの森の夏至前夜、妖精達は舞い騒ぐ――」 カナメが呪文を唱え始める。 しばらくすると、彼女の手元に巨大な光球が生み出された。 「ちょ、カナメ――」 「……何かね、腹が立って仕方ないのよ」 カナメの恐ろしい様子に、パックは思わず黙る。 「匠哉が学校に来ないせいであの子のテンションはずっと下がりっぱなしだし、私が偶然作り過ぎたクッキィも匠哉が来ないせいで渡せなかったし」 本当に偶然作り過ぎただけなら誰か適当な人に渡せばよかったのさ、とパックは思ったが……当然、口には出せなかった。 「何より、1番気に食わないのは――匠哉が私の知らない所でまた妙な事に巻き込まれて、命に関わるような怪我をした事ね」 光球の熱量が、際限なく上昇してゆく。 「私は彼が血を流して闘っている時に、何も知らずに安穏と生きていた。下らな過ぎて笑いすら起こるわ」 狙うは、ゾンビの群。 「カ、カナメ……」 「……何よ?」 「そ、その魔法は威力が強過ぎるのさ。味方を巻き込んでしまうのさ」 「…………」 眼下のゾンビの中には、味方である数人の少女の姿があった。 ……皆、カナメの恋敵である。 カナメは口元に笑みを作り、 「……ちょうどいいわ。纏めて死になさい」 「ちょ――ッッ!!!?」 「この程度すら防げないような奴に、匠哉のお気に入りになる資格なんてないわよ」 意味が分からないのさ、とパックが言う間もなく。 「スペシャル御奉仕!!! 『メイド・ビッグバン』ッ!!!!」 放たれた光球が、地上の有象無象を焼き尽くした。 「はぁ……!」 倉元緋姫はナイフと銃器を駆使し、ゾンビを片っ端から葬ってゆく。 その強さは、もはや鬼神の域。敵の攻撃どころか、返り血の一滴すら浴びはしない。 敵は、命なき死体。ならば、命ある者と同じように殺す事は出来ない。 にも関わらず――緋姫の技は少しの曇りもなく、敵の身体を分解する。 「……弱いですね」 手を伸ばせば手を斬られ、足を出せば足を撃ち抜かれ、頭を出せば頭を砕かれる。 残っている僅かな理性を総動員し、ゾンビどもは緋姫との距離を離し――1ヶ所に固まり始めた。戦力を集中させるつもりなのだろう。 「…………」 しかし緋姫は容赦なく、グレネード・ランチャーの弾をその固まりに撃ち込んだ。纏めて粉々にする。 「で、こっちに集まって来ますか」 緋姫を余りにも危険だと本能で察知したゾンビどもが、彼女の元に集まって来ていた。 「…………」 さすがに、数が多くなると面倒ではある。緋姫の手足は4本しかないし、武器弾薬にも限りがあるのだ。 ――が。 「いいでしょう。このくらいでないと、怒りのぶつけようがありませんしね」 緋姫が言う。 恐怖など忘れたはずのゾンビが、彼女の殺気に怯える。 緋姫が駆けた。己の技を尽くし、敵を蹂躙する。 「チィ……ッ!!?」 だがいくら敵が雑魚だと言えども、こうも密集されると闘い辛い。動けるスペースが狭過ぎるのだ。 (こういう時――) 緋姫は、過去に思いを馳せる。 (――死角の邪魔な敵を、斃してくれる人がいたんですけどね) クラウンの名の元に、戦いに明け暮れていた頃の事。 緋姫と彼女が組めば、どんな敵にだって敗れはしなかった。あの日、オベリスクの総攻撃と緋姫の油断によって、彼女が命を落とすまでは。 「……っ」 緋姫は頭を振る。 彼女は、緋姫のせいで死んだのだ。思い出す権利はない。 でも、その時。 懐かしい銃撃が――緋姫の周囲のゾンビを、撃ち砕いた。 「……え?」 「…………」 レインは遠くのビルの屋上から、旅館での戦いを眺めていた。 もう、サンフォールの黒魔術師として戦うつもりはなかった。元々、好きで入信した訳ではないのだ。 かと言って、渡辺家の味方をするつもりもない。ただ単に暇だったから、観戦をしに来ただけである。 ――が、その戦いの中に。 懐かしい、殺気を見付けた。 「――……」 育ての親である倉元詩泉から、あらゆる戦闘技術と効率よく人体を破壊するための殺人解剖学を教え込まれた少女。 かつてレイン達が、その身を捧げて仕えたプリンセス。 ――緋姫が、闘っていた。 「…………」 なら――その右腕だったレインが、闘わない訳にはいかない。 レインはケースの中から、一挺の対物ライフルを取り出す。 ――ステアーIWS2000。花音との戦闘で大破したバレットM82A1の代わりとして、調達した狙撃システムだ。 レインはスコープを覗く。二脚架を使わず、匍匐姿勢すら取らないまま立射。 爆音と共に、IWS2000専用の15.2mm翼安定徹甲弾が――スコープの中のゾンビを、原型を留めぬほどに粉砕した。 すぐに狙いを他のゾンビに移し、第二射。セミ・オート機能を最大限に生かし、連射する。 ……まるで、雨のような狙撃。レインの名の由来となった攻撃が、ゾンビどもを次々と撃ち滅ぼす。 「――……」 一瞬だけ。 スコープ越しに、緋姫と眼が合った。 向こうから、レインの姿が見えるはずはない。でも確かにその瞬間、緋姫はレインを見ていた。 レインは、口元に小さな笑みを浮かべ――引き金を、引き続ける。 「……質の悪い死体ですね。これでは、材料には出来ません」 カナはユズリハ旅館の屋根から地上を見下ろし、呟く。 地上では、少女がゾンビと闘っていた。チカである。 「…………」 カナの手に、一振りの剣が顕現した。 それは天香具山の鉄を使い、草薙剣を模して鍛え上げた剣。若い剣であるため霊格は低いが、それ以外の点ではオリジナルに勝るとも劣らない。 カナは、剣を構える。 「――『模造草薙剣』……!」 一閃。 神剣の斬撃が、まさしく神罰の如く数多の死者を斬り裂いた。 だが、その場にいるのはゾンビだけではない。 「……へ? ってなぁぁああああッッ!!!?」 チカは最大出力で結界を張り、斬撃をどうにか防ぎ切った。 「こ、この天津神ッ! どこを狙ってるでおじゃるかッ!!」 「そこですが」 「ふざけんなでおじゃる、根暗女ぁぁッッ!!!!」 「……五月蝿い国津神ですね。石なら石らしく、静かにしていればいいものを」 ふたりはいがみ合いながらも、確実に敵を減らしている。 「大体、何でお前がここにいるでおじゃるか。まさか、あの娘どもみたく匠哉にお熱でおじゃるか?」 「以前、少量とはいえ希少金属を頂いたので。その借りを返したいだけです。そういう貴方は、どうしてここに?」 「へ? チ、チカはマナ様に付き従って――」 「そのマナから離れているではありませんか。どうせ、集会場で匠哉さんを護り切れなかった事を気に病んでいたのでしょう? ひとりで闘い、彼の仇を晴らしたいのですね」 チカが、一瞬停止する。 「な……相変わらず脳味噌バグってるでおじゃるね!! 何でチカが、あいつのためにそこまでしなきゃならねえでおじゃるかッ!!?」 「彼、似てますから」 「……っ!?」 「マナの父にして、我等天津神の祖。黄泉比良坂で貴方が護った、あの方にね」 「…………」 「何かあると、まず逃走を考える辺りが特に」 「……でも――」 小さな声で、口にするチカ。 「匠哉はきっと、惚れた女が怪物になっても、逃げないでおじゃるよ。悲しい事でおじゃるが」 「…………」 「そしてそれを――墓に入るまで、たった1人で背負うんでおじゃる。アレは、そういう人間でおじゃるよ」 ……チカの言葉は、正しかった。 匠哉は未だに、犬塚麻弥への想いを抱えている。 「――って、何を言わせるでおじゃるかお前はッッ!!!?」 「勝手に言ったんでしょう。私のせいにされても困ります」 「く……っ」 「……なるほど、彼にお熱なのは貴方自身でしたか」 「――ッッ!!!? お、恐ろしい事を言うなでおじゃるぅぅッッ!!!!」 二柱は喧嘩をしつつ、ゾンビを黄泉に送り返してゆく。 渡辺家。 「何――ッ!!?」 匠哉を引き裂こうとしていたゾンビどもが、細切れとなって崩れ落ちた。 ……それを為したのは、数枚の折り紙手裏剣。 「――誰だッ!!?」 鈴蘭は、背後を振り返る。 破られた、扉。そこに、1人の少年が立っていた。 「ヴァチカン教皇庁教理聖省異端審問部天草隊隊長――美榊迅徒」 迅徒は、名乗りを上げる。 さらに、手裏剣は鈴蘭の尾を切断し――花音を解放した。 「ぎゃ、ぁぁああああああッッ!!!?」 「五月蝿い。落ちなさい」 迅徒は鈴蘭との間合いを詰め、窓から下に蹴り落とす。 「異端、審問官……だと?」 花音は迅徒を見ながら、警戒する。 ……だが、納得出来ない事が1つだけあった。 異端審問官がこの場に現れた事は、何の不思議もない。今この屋敷には異端の化物が溢れているのだから、それを討ちに現れるのはおかしな事ではない。 ただ――どうして、花音を助けたのか。迅徒から見れば彼女も同じ化物であるし、何より花音は十三呪徒である。 迅徒は花音の疑問を察したのか、 「……今は見逃してあげます。死力を尽くして、匠哉さんを護りなさい」 そんな事を、言った。 「……ふん。どいつもこいつも、匠哉匠哉と」 「お互い様でしょう。しかし、また死人の呪徒とタッグとは。これは、私の忍耐を試す主の試練なのでしょうか」 「知るか。……とは言え、異端審問官のくせに呪徒と組むとは。よほど匠哉が大事と見える」 「数少ない友人ですからね。それに、貴方と組むのも大した問題ではありません。倉橋舞緒が斃れれば、貴方も消えるのですから」 「…………」 少し、花音は沈黙する。 「まぁ、いい。それより、鈴蘭はどうする?」 「下の彼に任せましょう」 「……まだ誰かいるのか。しかし、鈴蘭は強い。並みの者では八つ裂きにされるのが落ちだぞ?」 「心配いりませんよ」 手裏剣を投じ、ゾンビを切り刻む迅徒。 「……私は、私の母上がこの世の人間の中で1番強かったと信じています」 「美榊静音か。噂には聞いた事があるが……それが、何だ?」 「今、下にいるのは――」 迅徒の顔が強張る。好意的な表情ではない。 「――その母上を殺した、怪物です」 「あ、あの伴天連、よくも妾の尾を、妾の九尾をぉぉぉ……ッッ!!!!」 地上に落ちた鈴蘭は、悍ましい怨嗟の叫びを上げる。 妖狐にとって、生きた年月と力の証である尾。それを、切り落とされたのだ。怨みは計り知れない。 この怨みは、もはや心臓を抉り出してズタズタにする程度では治まらない。その魂を捕らえ、無間地獄にでも堕とさなければ――晴れる事はないだろう。 鈴蘭は部屋に戻ろうと、上を見る。 ――なのに。 「……?」 ふと、動きを止めた。 自分でも、どうして止まったのかが分からない。 そこで何故か、 「ぐー……」 という、この場には似つかわしくない寝息が聞こえた。 そして。 「――ったくよォ……」 世界が、変わった。 そうとしか表現出来ない感覚が、鈴蘭を襲う。 「テメェがギャーギャー喚くから、眼が醒めちまったじゃねェか。よい子はお寝んねする時間だってのになァ」 己の身体が腐っていくような、凄まじい悪寒。 「ほら、この国にはいい言葉があるだろ? 寝た子を起こすな――っヤツ。アレって真理だよなァ、ヒャハハハハハハァァッッ!!!!」 「其方……何者、だ」 鈴蘭は、後ろを振り返る。それが、絶望的なまでにまずい事だと分かっていても。 ……狂気の笑みと二重の瞳を持った鬼子が、そこに在った。 ぞぶり――と、彼の腕が鈴蘭の胸に突き刺さる。 ……鈴蘭は、反撃出来なかった。いや、そんな事をしようとさえ思えない。 「何者? ハハ、やっぱ知りてェか。そうだよなァ、自分を殺す奴の事くらいは知っときたいよなァ! いいぜいいぜ、愛いぜお前ッ!!!」 鈴蘭の心臓が、引き抜かれる。ブチブチと、血管が切れてゆく。 「が、がぁぁぁぁぁぁ……ッッ!!!?」 「俺の名前は田村真。無間地獄に堕ちたら言い広めろよ、獄卒どもとて俺の名を聞いたら震え上がるぜェェ! ヒャハハ――ハハハハハハッッ!!!!」 シンは、手中の心臓を握り潰す。 鈴蘭は、胸から血を噴いた後――初めから存在していなかったかのように、消えてなくなった。 「にしても弱ェー……俺より強ェ奴がこの世にいねェのは当然だとしても、1度くらい敗北ってのを味わってみたいモンだね」 自分の一部が霧神匠哉に敗れた事は、敗北の内に入らないらしい。 「…………」 シンは周りを見る。ゾンビは、残らず塵になっていた。 ……シンと闘うくらいなら、自ら消えた方がマシだと言うかのように。 「うわー。つまんねェー、萎えるー……」 空を眺める。 「やっぱ、原潜沈める方が楽しかったかなァー?」 ……日本海に潜む、3隻の原子力潜水艦。 それに、しぃとその一味が襲いかかった。 「攻撃開始なのだ〜っっ!!!」 ルルイエの王と、彼女の眷属達。 魚と人の合いの子のような、大小の生き物が――潜水艦の装甲を押し潰す。 そして、一際大きな魚人の二柱が、2隻の潜水艦を打ち砕いた。 残る1隻に――しぃの髪の毛が巻き付き、想像を絶する力で圧し折る。 ……海底へと沈没する、潜水艦。 勝負にすらならない。これが旧き支配者と、たかが人間が造り出した脆弱な兵器との差である。 「ふん、ちょろいのだ。思い知ったかなのだ〜!」 ……神々と、彼の友と、恋する乙女達。 その総力戦によって、戦況は逆転し始めていた。 「……どうやら、風向きが変わってきたようですわね。私の命の灯火も、風に吹き消されずに済みそうですわ」 「…………」 舞緒は遠くを見ながら、不愉快そうな顔をする。 「……まぁ、構いません。貴方を殺した後、皆殺しにすればよいだけの事ですから」 「はっ、やらせませんわよ!」 麗衣が跳んだ。 髭切と天烏天兎扇が、高速で交差する。 「ぐ……!」 鉄扇の打撃により、麗衣の肩から血が溢れた。 「ふふ、脆いですね」 「……笑うのは勝手ですが。あまり顔の筋肉を動かすと、傷が悪化しますわよ?」 「――……ッ!!?」 舞緒の額から、血が噴き出す。 「な、く……っ!!?」 「――殺った!」 麗衣が、太刀を振るう。 しかし―― 「舐めるな……ッ!」 舞緒は鉄扇で、それを受け止めた。 もう一方の鉄扇が――麗衣を襲う。 「……ッ!!?」 麗衣は、咄嗟に跳び退こうとするが……遅い。 「――ッッ、きゃぁぁああああッッ!!!?」 鉄扇が、麗衣の両眼を薙ぎ払う。 ……血が、零れる。眼が潰れ、視界が閉ざされる。 「う、ぁく……!?」 激痛に耐え切れず、呻き声を上げる麗衣。 「これで――終いですっ!!」 ……舞緒が、麗衣へと向かって来る。 五感の内、最も重要な1つが奪われた。それでは、舞緒の動きを知る事が出来ない。 (……いや。何としてでも、視る) 視覚とは、眼球を使って光を捉える事より得られる感覚だ。だが、人体において光を捉える機能を持つのは何も眼球だけではない。 人間の細胞は、日光を受ければ紫外線から遺伝子を護るためにメラニンを作り出す。さらに脳には、松果体という明暗を感じる器官がある。 「――……」 麗衣は精神を集中し、全身で舞緒の姿を視ようとした。 ――だが。 「……っ」 今は、月のない夜。この光のない世界で、眼を使わずに相手を視る事など不可能だ。 「南無蟲鳴之書――南無無貌之大神ッッ!!!!」 トドメとばかりに、舞緒は二扇に咒を込める。 これまでかと、麗衣が覚悟した時―― 「……え?」 雲間から、僅かに月が姿を見せた。 月光が降り、暗闇の中に――舞緒の姿が、朧げながらも浮かび上がる。 (――視えたッ!) 麗衣は紙一重で、天烏天兎扇を躱す。 そして、握り締めた髭切を――深々と、舞緒の胸に突き刺した。 「……やれやれ。月読男に、嫌われましたか」 心臓を貫いた髭切が、舞緒の身体から抜き取られる。 舞緒は少しフラフラとした後、うつぶせに倒れた。 「……私の勝ちですわ、倉橋舞緒」 「そのよう、ですね――……」 顔だけを麗衣に向け、舞緒は語る。 「私と貴方の間には、決して越えられない壁があったはずなのですが」 「そんな壁、紙同然ですわ。貴方如きを斃せないようでは、渡辺の当主は務まりません」 「ふふ。そう、ですか……」 舞緒の身体から、力が抜けてゆく。 「おめでとうございます、麗衣さん。貴方は、私を討ち取った」 「…………」 「ですが――」 ……ギョロリと、舞緒の眼が麗衣を見る。 視力を失った麗衣でさえ、怖気と共にそれを感じた。 「――まだ、終わりではありませんよ?」 変化は、すぐに始まった。 ゴキゴキと、太い何かが折れるような音。それは、舞緒の背骨から響いていた。 「もう少し、時間をかけたかったのですが……私が死んだら、元も子もありませんからね」 舞緒の口から、血が溢れ出す。 ……何か名状しがたい事が、舞緒の体内で起こっている。 「あ、ぇが……ぁぐっっ!!!?」 舞緒の背中が、裂ける。 肉を突き破り、飛び出したのは――籠手に包まれた、左腕。 絶命した舞緒の身体をメキメキと切り開き、その内側からひとりの男が現れた。 ……白い狩衣を纏い、太刀を佩いた大男。血で染まった狩衣の下には、鎧が覗いていた。 平新皇将門公の、再臨である――。 「オオォォオオオオ……ッ!」 怨念に満ちた呻き声を上げる、将門。 大気が震える。怨憎が廻る。 旅館の付近にいた者達は皆、畏怖の念と共にその声を聞いただろう。 舞緒が死したにも関わらず、ゾンビどもは消滅していなかった。将門に形を変えたとはいえ、舞緒の肉はまだ生きているが故に。 ……将門は左眼に在る2つの瞳で、麗衣を睥睨した。 「く……!」 距離を取る、麗衣。 将門は太刀の柄に手をかけ、抜き放つ。 「アァ、オオ……ッ!!」 そして、麗衣に向かって一振りした。 「……ッッ!!!?」 間合いは、十分なほどに離れていた。 にも関わらず、斬撃の圧力によって――麗衣は人形のように飛ばされ、血の花を咲かせる。 「あ、ぐ……!!?」 麗衣は鮮血を撒きながら、床に打ち付けられた。全身から、嫌な音が出る。 ……自分の身体を、死が蝕んでゆくのが理解出来た。今の斬撃は、どうしようもなく致命的だったのだ。 「あ、あ――」 まだ、為すべき事があるのに。 麗衣にはもう、生きる力がない。 「や、だ、まだ、私――」 ……やりたい事が、たくさん残っている。 この戦いが終わって屋敷に帰って、匠哉が眼を醒ましたら。 色々、話したい事があった。知りたい事もあった。皆で、笑い合いたかった。 なのに。全ての望みが、麗衣から遠退いて行く――。 「誰か、助け、て……月見さん、が、待ってる、屋敷に、帰りたい、の――……」 ……願いを、言葉に変えた。 手を伸ばす。何にも届かない事は、麗衣だって知っている。この苦海は、そういう仕組みで動いているのだ。 哀れな少女の願いを都合よく叶える神様なんて、この世には存在しない。両親が帰って来なかった時、麗衣はそれに気付いた。 ……優しい神様なんていない。残酷な世界に棲むのは、残酷な神々だけだ。 その、はずなのに―― 「奥津鏡、辺津鏡、八握剣、生玉、足玉、死反玉、道反玉、蛇比礼、蜂比礼、品物比礼……布瑠部由良由良、布瑠部由良由良止布瑠部」 ――誰かが、麗衣の手を取った。 その誰かはしっかりと手を握り、黄泉に半身を突っ込んでいた麗衣を、こちら側へと引き上げる。 「え……?」 全身の傷が癒え、痛みが消えた。視力も回復する。 麗衣の前には、白い少女。 「貴方、は……?」 「や。初めまして、渡辺麗衣」 眼前の少女は、地獄のような世界の中で――にっこりと笑った。 「――私の名前はマナ。月見家の貧乏神だよ」 「……マナ、さん?」 「うん。お宅のメイドが、1人ダウンしてるみたいだからね。さすがに無視出来ない状況になってる事だし、同じ名前の縁で代役を務めさせて貰うよ」 マナは、麗衣が立ち上がるのを助ける。 そしてその後、将門に眼を向けた。 「しっかし、見事に最悪の事態が起こってるね。怨霊としての将門が、完全に表に出ちゃってるよ」 「将門の蘇生は失敗、という事ですの?」 「まぁ、どう考えても成功とは言えないかなぁ。原因は……如意宝珠を使っても将門の首とは釣り合わなかったのか、あるいは舞緒の肉体を材料にしたのが悪かったのか。私的には後者だと思う」 マナは、麗衣を見る。 「――闘うよ。あの祟り神と化した将門を放って置いたら、皇室どころかこの世が滅ぶ。何とかして、鎮めないと」 「最初からそのつもりですわ」 ふたりが、将門に向けて跳んだ。 押し潰されそうな怨念の波を突き抜け、将門に接近する。 「オォアアア……ッ!!」 「――ッ!!?」 悪夢のような速さで、将門は一斬。 「危な……!」 「く……っ!!?」 反射的に後ろに退き、太刀を避けるふたり。 将門は結っていない長髪を振り乱しながら、見かけに寄らず風のように動き――麗衣に太刀を振り下ろした。 「――ッッ!!!」 髭切で受け止めるも、その圧倒的な力によって弾き飛ばされる。 「うぁ……っ!!?」 「――麗衣!」 呼びかける、マナ。 ……その僅かな動作さえ、この死闘の中では大きな隙。 「オオオ、オオオオオオッッ!!!!」 「が――ッッ!!!?」 将門の拳が、マナの頭を殴り付ける。一瞬、意識が途切れるほどの威力だった。 「こ、の……!」 マナは殴り返すが、伝説に名高い鋼鉄の身体には傷1つ付かない。逆に、マナの拳が悲鳴を上げる。 さらに、太刀の斬撃。 必殺のソレを、マナは躱し切るが――太刀風によって、台風に呑まれた塵のように吹き飛ばされた。 「う、ぁ……!?」 「オオ、オオ……!! 私ノ、私ノ身体ァァ……ッッ!!!」 将門が、天に吼える。 ……怨望の絶叫は天地を侵し、世界を狂わせてゆく。 「まったく、冗談じみた強さだね……」 「……まさに、鬼神ですわ」 マナと麗衣は、再度将門に挑む。 勝てる方法があるとすれば、それはたった1つ。 「オオ、ァァアアアアアッッ!!!!」 将門の声に応え、天上の北斗七星が輝いた。 まるで合わせ鏡のように、将門そっくりの武者が――7人現れる。 「これは……!」 「七人将門――将門に仕えた7人の影武者か!」 計8人となった将門は、一斉にふたりの少女へと襲いかかった。 「く……これでは、まともに闘う事すら……!」 四方八方から来る斬撃を、髭切で捌く麗衣。 七人将門は、本体ほどではないにしろ――凄まじい力を持っている。7人全てと正面から闘えば、麗衣など骨も残るまい。 「これで、どうだ……! 『八岐厳蛇』ッッ!!」 マナの喚起に応え、現れ出でる八雷神。 彼等はそれぞれ、1体ずつ将門を打ち抜く。 ――落雷の轟音。燃え尽きる将門達の中で、たった一柱だけ無傷の者がいた。 「ウォ、オオオオ……桔梗ォォオオ……ッッ!!!」 肉を得た怨霊は全てを憎悪しながら、血涙を流す。 その病的な憤怒に背筋を震わせながらも、マナと麗衣は将門の元へ走る。 「少しだけ、私が将門の動きを止めるから。麗衣は、その隙に――」 「……分かりましたわ」 マナは将門との間合いを詰め、 「オオ……ォォオオオオオオッッ!!!!」 振られた、太刀を―― 「く……っ!!!」 手で握り締めて、止めた。 ……開きっぱなしの蛇口のように、マナの手から血が流れ落ちる。 太刀を止められた将門は、もう片腕でマナを殴り付けた。 削岩機で殴り付けられた方が増しだと思うほどの、壮絶な拳撃。大量の血が、マナの口から零れる。 「……ッッ!!!」 それでも、マナは太刀から手を離さなかった。 将門は、太刀を手放して自由を得ようとするが―― 「これで、終わらせますわ……ッ!」 それは、一手遅かった。 「オオォォアアアア……ッッ!!!?」 麗衣が狙うは、将門のこめかみ。不死身の身体を持つ魔人将門の、唯一の弱点。 宗家より授かりし、渡辺綱が鬼を斬った太刀――髭切。その刀身が、月光を受けて輝いた。 「やぁぁぁぁッッ!!!!」 全身全霊での一撃。 髭切の切っ先が――将門のこめかみを、突き貫く。 「…………」 マナと麗衣が見守る中、将門の肉体が消滅する。 邪法によって穢れた魂が浄化され――天へと、昇って行く。 ……感謝の言葉を口にしながら豪快に笑う男の姿が、ふたりには見えた気がした。 「……終わったか」 ハロルドは旅館から少し離れた建物の屋根で、最後を見届けた。 旅館の周囲のソンビが、次々と塵に変わっている。 「どうやら、ミサイルが飛んで来る様子はなさそうだな。……それにしても」 自分の身体を、動かしてみる。特に異常はない。 「舞緒が死んだら、オレも消えるはずだが……どうなってんだ?」 そう呟いた時、背後に気配を感じた。 振り向くと、そこには―― 『蘇生の術を創ったのは舞緒でも、それを私達に施したのは舞緒じゃないから』 そう書かれたスケッチブックを持った、レインの姿。 「……あー、そう言えばそうだったな」 ハロルドは、その時の事を思い出してみる。 「……何と言うか、脳改造手術の前に死に物狂いで逃げ出したと言うか。そんな感じだったな」 コクコクと、頷くレイン。 「で、こっからどうするよ? きっと、IEOや異端審問部はサンフォールの残党狩りをやるぞ。確実にオレ等は狙われる」 『それに関しては心配ない。私は』 「……へ?」 『私はこの後、IEOに入る事が決まってる。異端審問部も、呪徒でもない私をIEOと敵対する危険を冒してまで派手に狙う事はないはず』 「……マジかよ。お前、世渡り上手ぇなー……」 談笑しながらも、じりじりと間合いを計る両者。 『だから、貴方の首を手土産として持って行く。私はいきなり手柄を立ててウハウハ』 「くッ、やっぱりその腹かッ!! お前、仮にも仲間だったオレを売るんじゃねえよッ!!」 『――死ね』 「ぎょわぁぁ!!? 折角生き残ったのに、すぐさま生命の危機ぃーッッ!!!!」 ……夜空に、哀れな漢の絶叫が響く。 ユズリハ旅館からも渡辺家からも離れた、どこか。 「観察結果が出ましたよ、ヘレンさん。渡辺家の完全勝利です」 時空企業ノルニルの社員――エリンは微笑みながら、携帯電話の向こうに言う。 『……そう。で、どうでしたの?』 「はい。神族以外で注目すべきは、倉橋舞緒さん、田村真さん、倉元緋姫さん、レインさん、渡辺麗衣さんといった方々ですかね。この5人の発現レヴェルは飛び抜けて高いです。今すぐにでも、我が社の社員として迎え入れたいほどですよ」 『…………』 「とは言え、倉橋舞緒さんは死んじゃいましたけど」 『他の連中はどうです?』 「まだ伸びるでしょう。特に――匠哉さんは」 『……御執心ですわね』 「ふふ、そう思います? まぁあの時の事は、忘れようにも忘れられませんからねー」 楽しそうに、笑うエリン。 「ところで、ヘレンさん」 『何ですの?』 「渡辺家の完全勝利という結末は、私達――神々が望む『歴史』とは、大きなズレがあるようですが」 『…………』 電話の向こうが、静かになる。 「あれ? もしもーし、電波悪いんですかー?」 『悪いのは貴方の頭ですわッ!!』 突然の、怒号。 「う、耳が……」 『そのズレが起こった初めの原因は、貴方が月人の殲滅に失敗した事でしょうがッッ!!!』 「わ、分かってますよ、ちょっと確認したかっただけで――」 『馬鹿な事を言ってないで、仕事をしなさい無能者ッ! 貴方のノルマは、まだたくさんあるんですわよッッ!!!』 「そ、それも分かってますよー」 『ならさっさと行動しなさい! 貴方が過労死したら、骨を拾ってゴミ箱に放り捨ててやりますわッ!』 「ちょ、それは酷――」 その抗議を言い終える前に、プツンと通話が切れる。 「……はぁ」 笑顔のまま溜息をつき、携帯を仕舞う。 そして、旅館の方向を見た。 「今は素直に祝福しましょうか。貴方達の、勝利を」 クスリと、妖しく笑う。 「今は……ね」 「……疲れましたわね」 「そうだねぇ……」 麗衣とマナは、満足げな表情で呟く。 「緊急事態だったので訊きそびれていましたけど、貴方は何なんですの? 貧乏神と言っていましたが」 「だから、貧乏神だよ」 「……なるほど。だから、月見さんは貧乏なんですわね。で、外の皆さんは?」 「あれは私の知り合いだよ。匠哉の仇を討ちたかったみたいだね」 ふたりが話していると――皆が近付いて来るのが、見えた。 「……マナさん、もう1つ訊きたいのですが」 「ん? 何?」 麗衣は笑っているような怒っているような、難解複雑な表情をする。 「貴方達には、感謝しています。しかしですね……月見さんのために、こんなにも女の子がゾロゾロと集まって来るのはどうかと思うのですがッ!」 「いやまぁ、それは本人にでも言えば? パンチを1発2発ブチ込みながら」 「……そうですわね。そうしましょうか」 麗衣は疲労を吐き出すように、息をつく。 「さて、帰りますか……私の、屋敷へ」 ――戦いから、数日後。 激しい戦闘の場となった渡辺家も、少しずつ修繕が進んでいた。 麗衣はその中を進み、1つの部屋に入る。 ……匠哉が、寝ている部屋だった。 「相変わらずですわね……」 花音の話では、容態はもう完治に近いらしい。昏睡状態から、通常の睡眠状態へと移行している。 後は、眼を醒ますのを待つばかりだ。叩き起こしてもよいのだが、それは可哀想な気がするのでしない事にした麗衣。 「う〜ん……しぃ、貧乏神を食うな……そんなモン食ったらさすがのお前も腹壊すぞ〜……」 むにゅむにゅと、寝言を口にする匠哉。 どんな夢を見ているのかと思い、麗衣は匠哉の顔を覗き込む。 「…………」 何となく、ベッドに潜り込んで添い寝してみる。 「……や、やっぱり止めて置きましょう」 匠哉の顔が随分と近くにあったので、麗衣は早々に退散する事にした。 今匠哉が眼を醒ましたり、誰かが部屋に入って来たりしたら、言い訳が出来ない。色々と。 それなのに、匠哉は――まるで抱き枕のように、麗衣を抱き締めてしまった。 「ひゃっ!? ちょ、月見さ――」 ――と、その時。 「月見さんが眼を醒ますのは、そろそろなのですね」 「らしいですねぇ、花音さんの話では」 「さっきも言った通り、もう普通に眠っているだけだ。何時間かすれば、起きて来るであろう」 部屋の外の廊下から、そんな会話が聞こえた。 「ま、まず……ッ!!?」 この様を見られるのは、非常によくない。麗衣にとっても、匠哉にとっても。 だが麗衣の身体は匠哉によってホールドされており、ベッドから離れる事が出来ない。 麗衣は、全力で対策を練る。 「って、そう簡単に案なんて出ませんわよ……!」 ……が。 「あ……っ!」 まるで、天啓のように――神様の言葉が、思い出された。 『いやまぁ、それは本人にでも言えば? パンチを1発2発ブチ込みながら』 「貴方はどうして、女の子相手だとこうなのですか――ッ!!」 忠実に、実行する。 ……見事に匠哉は麗衣から離れ、壁までぶっ飛んで行った。 「おはようございます、月見さん」 眼を開けると、輝くような麗衣の笑顔がそこにあった。 「……何故だろう。ボクシング・チャンプに殴られたような衝撃を受けたのだが」 闇の中に逆戻りし、マノンに『あら、また来たの?』とか言われた気がするのは気のせいだと思いたい。 「ベッドから落ちたのですわ」 笑顔を少しも崩さず、麗衣は即答。 ……そうやってずっと笑顔なのは、ロクでもない事を考えてる証だ。誰とは言わないが、某時空企業の某社員とか。 扉の方では、清水さんと茨木と花音が、訳が分からないといった表情で呆然としている。 「ベッドから落ちたって……」 「貴方は倉橋舞緒にボコボコにされた後、ここに運ばれてずっと眠ってたんですわよ」 「それは何となく分かっている。俺が尋ねているのは、『ベッド』の部分じゃなくて『落ちた』の部分だ」 「何が疑問なんですの?」 「どういう落ち方をしたら、部屋の反対側まですっ飛ばされる事になる?」 「なかなか、アクロバティックな落ち方でしたわね」 くそぅ、適当に喋ってるな。 「眠りながらアクロバットって、真じゃあるまいし……」 「……と言うか、月見さん。貴方、本当に眠っていたんですの?」 麗衣が、疑いの眼差しを向ける。 …………。 「どういう意味だ。順序立てて説明してくれ」 「せ、説明なんて出来る訳ないでしょう……っ!!」 顔を真っ赤にして、叫ぶ麗衣。 「……おい。何が何だか、サッパリ分からんのだが」 問う俺。 ……いや、ホントに分からないんですヨ? 麗衣はしばらくむーっと俺を睨んだ後、 「……まぁ、いいですわ。この責任は、いずれ取って貰いますから」 何だか不吉な言葉を、呟いた。 「……で。そろそろ、某等も会話に入っていいか?」 不機嫌花音が、コメカミをヒクヒクさせながら言う。 毎度思うのだが、こいつは何がそんなに気に入らないのだろう。麗衣の横暴か。 倒れたままではアレなので、立ち上がる。 「月見さん、大丈夫なんですかぁ?」 茨木が歩いて来て、俺に尋ねた。 「ああ。身体がゴキゴキしてるけど、これはずっと寝てたせいだろう」 「そうですか――よかったですぅ」 茨木が、俺の胸に飛び込んで来る。 ……って、うぉ!? 「心配、したんですよ?」 「……済まん。あと、ありがとな」 茨木の頭に、手を置く。 しかし、その瞬間――神速で距離を詰めた花音が、茨木を俺から引き離した。 「な、何をするんですかぁっ!!?」 「黙れ。殺すぞ」 何やら、イライラ指数が急上昇してるっぽい花音。 ……やばい、何かの弾みで爆発しそうだ。 視線で清水さんに助けを求めるが、柔和な微笑みを返されただけ。自力で何とかしろ、という事らしい。 「あー、花音。ボロボロの俺を治療したのってお前?」 「……そうだが、何か文句でも――」 「ありがと」 とりあえず、言わなくてはならない言葉を言う。 「――……ッ、別に、礼を言われるほどの事ではない」 花音は後ろを向き、俺に背中を見せた。 ……もしかして、照れてるんだろうか。でもそれをツッコむと爆発しそうなので、止めて置く。 「清水さん、迷惑かけました。あと……麗衣、お前にもな」 「いえいえ」 「……気持ちは受け取りますわ。でも、恩は働いて返しなさい」 いつも通りの清水さんと、眼を逸らす麗衣。 ああ……何と言うか。帰って来た、って感じがするなぁ。 しばらくした後、俺は麗衣の部屋に呼び出された。 麗衣だけではなく、他の3人の姿もある。 そして……俺は、戦いの結末を聞かされた。 「……そっか」 皆で、戦ったのか。あの仲の悪い連中が、1つになって。 「皆さん、貴方のために駆け付けてくれたんですわよ。後で、お礼を言っておく事ですわ」 「ああ……」 その話で、何となく理解した。 ……俺って、たくさんの人に支えられてるんだなぁ。 と、ちょっと感動していると。 「では、本題に入りましょうか」 麗衣が、そう言い出した。 ……って、え? 今の話、本題じゃなかったの? 「戦いの後、ユズリハ旅館を調査したら……こんな物が出て来ましたの」 机の上に、今時珍しいヴィデオ・テープが置かれた。 月見家以外の場所に、こんな物が残っていたのか。まぁ、旧い旅館らしいからな。 「……ッ!!?」 それを見て、何故かぎょっとする花音。心当たりでもあるんだろうか。 「じゃあ、見てみましょうか」 僅かに殺気を滲ませながら、麗衣はテープをデッキにセットする。 そして、映し出された映像は。 「あー……」 頬をかく。 テープの中身は、イチゴ牛乳のアレだった。詳しくは、貧家外伝第5話参照。 「な、なな何ですかこれぇぇぇぇぇぇっっ!!!?」 絶叫する茨木。 「はは、若者はいいですな」 大人の余裕を漂わせる清水さん。 「…………」 魂が抜けたような有様の花音。 「……で、月見さん。これはどういう事ですの?」 「どうもこうも、見たままだが」 冷静さを失わない俺。カッコイイ。 ……諦めてるだけだろう、という意見はシカトさせて頂く。 「俺は一切悪くない。いきなり花音に唇を奪われて、抵抗も出来なかったんだ」 とりあえず、花音のせいにする。いきなり唇を奪われたのは事実だし。 「ええ、まったく抵抗出来ていませんわね……花音が」 「……御嬢様。刃物は、人に向けてはいけませんよ」 メイド口調で諫める。お願いですから、その髭切は鞘に戻してください。 ……って、メイド口調で思い出した。訊かねばならん事がある。 「麗衣、お前は俺が男である事を知ってるんだよな」 「何を今更」 「なら――どうして、俺は未だにメイドの格好をさせられてるんだ?」 スカートを摘む。もう完全に着慣れていて、窓に映る自分の姿にもまったく違和感がなかった。 ……勘弁してくれ。マジで。 「屋敷が男子禁制である事は変わりませんもの。ここで働きたいのなら、女装して他のメイドを欺いて貰うしかありませんわ。それが嫌なら、暇を出しますが」 「く……っ」 そう言われたら、何も反論出来ねえ。 「話を戻しましょう。私が言いたい事は1つですわ。このテープをバラ撒かれたくなかったら、私に絶対服従しなさい」 「……待てコラ」 「あら? 主人に対して、そんな言葉遣いでいいと思っているんですの?」 麗衣は俺の背後に回り――左手で俺の顎を持ち上げ、右手の指は俺の口の中へ。 ……細い指が、俺の舌と絡む。 「や、止めてください、御嬢様ぁ……」 「そう、それでいいんですわ……ふふふ」 ……さっきみたいに清水さんに助けを求めるが、 「私は失礼しますので、ごゆっくりと」 さっさと逃げられてしまった。とゆーか俺、見捨てられたのカ。 「お、御嬢様まで何をっ!」 「……其方、よほど死にたいらしいな」 茨木と、再起動したらしい花音の声。 それぞれの得物を顕現させ、麗衣(&俺)と対峙する。 ……あ、何かもうオチが読めた。 「ふふ……なら、力尽くで奪い取ってみなさい」 「望む所ですぅッ!!」 「――度胸だけは褒めてやるッ!!」 飛んで来る、拳と矢。 舞緒との闘いでランク・アップしたらしい麗衣は、それを簡単に避けるが……俺は、そうもいかず。 「ぎゃああああああああッッ!!!?」 直撃はしなかったが――したら多分死ぬ――余波をまともに受け、吹っ飛ばされた。ああ、お約束。 俺の身体は、壁に減り込んで見事な大の字を作る。自分でもこれは凄いと思う。 「ぐふ……」 どうにか、壁から脱出。 部屋の中では、3人のバトルが続いていた。 「…………」 ……最近、気付き始めたのだが。俺の知り合いの女性陣がよく喧嘩をするのは、俺の所有権を巡っての事らしい。話の内容からすると、今のこの3人もそうだろう。 いや、何故俺を取り合うのかはよく分からんが。俺を所有したって得られるのは借金だけだろうし、食っても美味しくないだろうし。パシリにでもするのだろうか。 あるいは――彼女達にとって、俺には何か特別な価値があるとか? 「考えても分からんな」 その内、分かる時が来るのを期待しよう。 ……さて。未来の事は後回しにして、今の問題を何とかしなくては。 「止めろお前等ッ! 部屋の修理すんの俺だろうがぁーッ!!」 大声で叫ぶ。 それで止まってくれるはずもないので――仕方なく、俺は竜巻みたいな闘いの中に足を踏み入れた。
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