■■は、16ヶ月の難産の末にこの世に生まれ落ちた。
 彼女は生まれた時にはすでに歯が生え揃っており、出生の直後でありながら2本の足で歩いた。
 そして――母親の顔を見て笑った。母は驚きのあまり、そのまま死んでしまったという。
 ■■は髪結床屋の前に捨てられ、そこの子供として働く事になった。
 ……異変の始まりは、些細な事。
 ある日、■■は剃刀で客の顔を傷付けてしまった。
 彼女は慌てて、その血を指で拭う。指に付いた血を取ろうして、■■はその血を舐めた。
 ……その、以後。
 彼女はわざと客の顔を傷付け、血を啜る事となる。



 床屋は悪評が立ち、客が訪れなくなった。
 叱られた■■は床屋から飛び出し、ひとり彷徨う。
 小川の橋を渡ろうとした時、■■がふと小川を覗き込んでみると。
「……ああ……違う、違う……!」
 頭を振って、現実を拒否する。
「これは、私じゃない……私のカオじゃない……っ!!」
 ――だが。両の手で触れた己の貌は、少女のモノではなかった。
 水面みなもに映った、■■の貌。
 それは紛れもなく、醜い鬼の貌だった。
「嫌あああああああああああああああああああっっ!!!?」


貧家外伝・メイド戦記4
〜現代御伽草子〜

大根メロン


「――閃いたんだが」
 とある日の星丘高校。
 俺は、パックを屋上に呼び出した。
「…………」
 パックは『匠哉、また何か変な事でも思い付いたのさ?』とでも言いたげな眼で、俺を見ている。
「匠哉、また何か変な事でも思い付いたのさ?」
 言いやがった。
「……ああ、思い付いたんだ。お前の転移魔法テレポート……地球上なら、どこにでも転移出来るのか? 地球一巡りがたった40分、ってヤツ」
「そうだけど……それが何なのさ?」
 俺は、その言葉に眼を光らせる。
「――ならば! お前の力を借りれば、俺は好きな場所に旅行出来るのではあるまいかッ!」
「…………」
 あ、呆れてる。
「……この前、ルーマニアに飛ばしてやったのさ」
「アレは断じて旅行などではない!」
 伯爵と闘いに行っただけだ。
「大体、『力を借りれば』って……借りるなら返してくれるのさ?」
「ハッハッハッ、当然じゃないか。俺は、借りたモノは必ず返す男だぞ」
「……へー」
 こいつ、心底信じてねえな。
 ……借金は、返さないのではなく返せないのだよ、パック君。
「まぁとにかく、俺に力を貸すか貸さないか決めてもらおうデッド・オア・アライヴ」
「――何なのさその語尾ッ!? 力を貸さないなら殺す、という意思表示なのさ!?」
「好きに解釈しろ」
 パックは頭を掻いた後、
「……分かったのさ。匠哉の見苦しいほどの情熱に免じて、協力してあげるのさ」
 溜息をつきながら、言った。
 ……何かもの凄く哀れまれてるな、俺。






 ――次の休日。
「そうだ、京都に行こう!」
「もう来てるのさ」
 無粋なツッコミをするパック。まったく、物事のワビサビが分かってないな。
「じゃ、オイラはオイラで観光するのさ。念話を繋げておくから、何かあったら呼ぶのさ」
 パックはそう言うと、パタパタとどっか行った。
 きっと、俺以外には姿が見えないようにしているのだろう。そりゃまぁ、古都に妖精だなんてミスマッチにも程がある。
「さて……と。交通については調べてあるし」
 まずは清水寺きよみずでらだ。
 有名な『清水の舞台から飛び降りる』という言葉は、忠明ただあきらという検非違使が多勢に襲われた時、清水の舞台より飛び降りて見事逃げ切った話に由来するらしい。
「フフフ……」
 逃げると聞いちゃ、黙っていられないぜ……!



 で、清水寺に到着。
 ――北法相宗本山、音羽山清水寺。798年頃に、延鎮上人と坂上田村麻呂によって建立された寺院だ。
 その宗旨は、『万法唯識』。あらゆる現象は唯人間の心のはたらきの反映である――という、『シュレディンガーの猫』みたいな教義である。
「うーむ、さすがは観光名所。人がたくさんいるなぁ」
 ブラブラし、問題の清水の舞台。
「おー……」
 高い、高い。絶景哉、絶景哉。
 勿論、飛び降りる気になどなれんが。
 ――と、その時。
「おや……? 月見さんではありませんか?」
 覚えのある、声がした。
「あれ、清水さん?」
「お久し振りですな」
 背後には、渡辺家の執事――清水さん。
 ……清水寺に、清水さん。別にいいけど。
「月見さん、どうしてここへ?」
「俺はただの観光です。清水さんは?」
「御嬢様と、待ち合わせをしているのですよ。京都ここで行われる宗家と四家の会議に、御嬢様も出席なさっているので」
「宗家、ってのは……もしかして源家ですか?」
「ええ、そうです」
 おおぅ。
 じゃあ四家というのは、渡辺家、坂田家、卜部家、碓井家かぁ。
「――って、もうすぐ御嬢様がここに来る……?」
「はい。そろそろですね」
 ……う。
 じゃ、じゃあ、さっさと去った方がよいかも知れぬ。
茨木いばらきの奴は、御嬢様に付いてるんですか?」
「あ、いえ……」
 清水さんは言い辛そうにした後、
「京都に来てからは、ほとんどひとりでいます。ここは……茨木いばらぎさんにとっては、あまりよい思い出がない場所でしょうし」
 眼を伏せて、そう言った。
 む……そうか。
「……あ、清水さん。前から思ってたんですけれど」
「はい?」
「あいつは、『イバラギ』じゃなくて『イバラキ』ですよ?」
「……う。いや、分かってはいるのですが……こう、クセになってしまって」
「まぁ、気持ちは理解出来ますけどね……」
 ちなみに、これは『茨城』でも同じ事が言える。注意すべし。
 すると――
「清水、待たせましたわ」
 ――御嬢様が、現れた。
 俺は迷わず飛び降りて逃げようとしたが、清水さんに止められる。
「お待ちしておりました」
「……清水、そちらの方は?」
 見付かった……!
 俺は恐る恐る、後ろに振り返る。
「おや、貴方は……」
 な、何だそのリアクション!? バレてるのかッ!?
「以前、星丘市で見かけた事がありますわね……」
「……え?」
 バレては、いないのか。
「この方は私の知り合いで、月見さん……という、方なのですが……」
「……『月見』?」
 おお、怪しんでる怪しんでる!
「えー、は、初めまして。月見匠哉と申……す者だ。よろしく、麗衣」
 ……危うく、『月見匠哉と申します』とメイド口調になりそうになる。
「ふふ。初対面の相手を名前で呼ぶとは、少々無礼ですわね。畜生道でブタからやり直す事をオススメしますわ、匠哉さん」
 久し振りのブタ呼ばわり……!
 ……懐かしいなぁ。ははははは……。
「って、そっちも『匠哉さん』って呼んでるじゃないか」
「そ、それは……色々と事情があるんですの!」
 どうやら御嬢様にとって、『月見さん』という呼び方は月見マナだけのものらしい。
「しかし……匠哉さん? どうして私の名前を知っているのか、教えてもらってもよろしいかしら?」
「……ッ!!?」
 まずい! パニクって、信じられないミスを犯した俺……!
「そ、それは、私がお教えしたのです。私は、渡辺麗衣様に仕えている――と」
 そこで、清水さんがフォロー。
「……そうですか」
 とりあえず、納得してくれた模様。ナイス清水さん。
「それと、もしかして……韋駄天脚ゴッド・スピードの月見匠哉さんですの?」
「あ、ああ。そんな風に呼ばれる事もあるな」
 俺が、そう答えると。
「え……っ!?」
 清水さんが、声を漏らした。
 って、そこで清水さんが驚いちゃダメだろう……!
「……清水? 知らなかったんですの? お知り合いですのに?」
「いや、それは、その……」
 ああもう、グダグダだぁー!
「そ、それはだな。恥ずかしいから黙ってたんだよ、れ……じゃなくて」
「麗衣、と呼んでもらって結構ですわ。しかし、清水。匠哉さんが黙っていたとはいえ、月見匠哉という名を聞いても分からなかったとは……些か、不注意ですわね」
「……も、申し訳ございません」
 清水さんが、御嬢さ……麗衣に頭を下げる。
 でも、仕方ないよなぁ。屋敷ではずっと月見マナを名乗ってたから、清水さんは俺の本名を今知ったんだし。
 とにかく、これ以上会話を続けると致命的なボロが出る気がする。早く撤退すべきだ。
「……匠哉さん、1つお尋ねしたい事があるのですけれど」
 しかし、麗衣は会話を続ける気らしい。
「な、何だ?」
「御親族に、月見マナさんという方はいませんか? 貴方と同じように、とても足の速い人なのですけど」
 来た……!
「さ、さぁ……知らないな。マナなんて名前、聞いた事もない」
 ……自分でも、今のは失敗したと分かった。
「『マナなんて名前、聞いた事もない』、ですか。確か星丘で見かけた時、同名の女性と会話をしていましたが」
「あ、あいつの名前は確かにマナだが、麗衣が言ってるのは月見マナだろ? そいつは聞いた事がない、って訳だ」
「…………」
 あー、そろそろ限界かなぁ。
 どうやってこの場を乗り切ろうかと、必死で考える。
 だが――
「……そうですか。心当たりはないのですね」
 麗衣は少し悲しそうに、そう答えた。
 ……どうやら、今の話を信じたらしい。
「では、私はそろそろ行きますわ。御機嫌よう、匠哉さん」
 俺に背を向け、麗衣は歩き出す。清水さんは一礼した後、彼女に続いた。
「……ふぅ」
 何とか、なったか。
「しかしあいつ、月見マナの事気にしてるんだな……」
 かと言って、自分から探しに行く事は出来ないのだろう。麗衣は裏の住人。必要以上に他人と関われば、巻き込む事になってしまう。
 事実、前回だってそんな感じだったしな。別に気にしちゃいないけど。
「…………」
 俺は、清水の舞台から歩き去って行く。



 急遽予定を変更し、俺はある場所に向かっていた。
 そこは、公園。何の変哲もない、小さな公園である。
 しかしこの公園は、かつては京の都城の正門だったのだ。
 北の朱雀門と相対する、南の門――羅生門。
 今では、羅生門の跡地である事を示す石碑が残ってるだけの場所。
 ――そこに。エプロンドレスを纏った鬼が、佇んでいた。
 まるで伝説の再現のようだ。門はすでになく、彼女も以前のような力はないのだろう。
 だが、それでも……この光景には、完成された一体感がある。
「……月見、さん?」
 どうやら、俺の事に気付いたらしい。
 片手を上げ、よっ、と挨拶をする。
「観光に来たら、清水さんや麗衣に会ったもんでな。お前はここだろうと思って来たら、見事にビンゴって訳だ」
「観光、ですかぁ……」
「すぐに立ち去るつもりだったが……ま、見付かったら仕方ないな」
 俺は、頭をかく。
「やっぱり、ここは思い出深い場所なのか?」
「ええ、悪い思い出ですけどねぇ」
 茨木童子は、ここで麗衣の先祖――渡辺綱と闘い、髭切で腕を斬り落とされた。
 その後に腕は取り返したが、話によるとその傷はまだ癒えていないらしい。
 ……そう言えば、茨木はあの大江山おおえやまでも綱と闘ってるんだっけ。まったく、つくづく縁があるようだ。
「御嬢様と会ったそうですけど、もう会議は終わったんですかぁ?」
「ああ、そうみたいだな。清水寺で清水さんと合流してたぞ」
「そうですかぁ……」
 茨木は1度顔を下げた後、よし、と気合いを入れて、
「じゃあ、私も行かないと。いつまでも、黄昏てはいられないですぅ」
 公園から出るために、石碑に背を向けて歩き出す。
 そして――
「――悪いが、行かせる訳にはゆかぬな」
 その声によって、すぐに足を止める事になった。
「……ッ!?」
 身体が凍るような、凄まじい威圧感。
 ……この声は。
 振り返ると、そこには――巫女装束を纏った、黄泉の軍兵が存在した。
「……花音」
 恐れと共に、その名を呟く。
「ん? 其方、初見のはずだが、何故某の名を知っている?」
「……どうでもいいだろ、そんな事は」
「そうだな……どうでもよい。其方の存在など、某にとってはどうでもよい瑣末事だ」
 花音は、ギリリと弓を引き絞る。
「迂闊であったな、茨木童子。単独行動など、襲ってくれと言っているようなものだぞ?」
 矢が、放たれた。
 跳び退いた俺達が立っていた地面を、矢はふざけた破壊力で貫く。
「月見さん、あの人が……!」
「ああ、例の谷川花音だ!」
 俺と茨木は公園から逃げ出そうと、一直線に走り出す。
 何の武器もない俺は勿論、接近戦が主体の茨木も、生弓矢を操る花音に勝つ術はない。
 公園から、跳び出した時。
「……え?」
 俺達は、何故かまだ公園の中にいた。
 飛来する矢を躱し、再び公園から出る。
 ――それでも。俺達の身体は、また公園の中に戻されていた。
「ど、どういう事ですぅ!?」
「…………」
 何か、前にもこんな事があったな。
 ボラクラの活動で、イスラエル大使館に行った時。俺とマナは、同じ廊下をグルグルと何度も通る事になった。
 アレは迅徒の折り紙によるフェイクだったが……マナが何か、言ってた気がする。
 ウロボロスの結界。確か、そんな事を。
「……輪廻の蛇ウロボロス、か。なるほど、いくら出ようとしても、同じ所に廻されるんだな」
 しかしそうなると、俺の売りである逃走が出来ない。はっきり言って絶望的だ。
「ふふ、見事な回廊であろう? ……まぁ、奴の狙撃がこの場に届かなくなるのは難点だが」
 落ち着け……まだ2対1だ。全力で頭を回せば何とかなる。
 ――なのに。
 俺の考えを嘲笑うかの如く、もう1つの気配が顕現した。
「……え?」
 茨木はその者を見て、完全に凍りついた。
 現れたのは、茨木と同じくらいの童子こども。首には頭と身体を繋ぎ合わせたような、不自然な縫い跡がある。
 ……人間離れした、美しさだった。美少年――そんなつまらない言葉では言い表せない、天上の神童。
 だがその瞳には、何の光も宿していない。
「そんな……酒呑しゅてん……!!?」
 茨木は信じられないモノを見たような顔で、悲鳴を上げるように呟いた。
「酒呑だと……!?」
 ……まさか、あの酒呑童子だと言うのか。
 大江山にて、神仏の加護を得た源頼光と渡辺綱を始めとする四天王、そして頼光の甥である平井保昌の6人によって退治された、鬼の王。
 八岐大蛇の子ともされる、恐るべき大妖。
「バカな! 死者を甦らすのはお前達の得意技だろうが、死体が現存しないモノまで生き返らせる事は不可能だろう……!」
「死体が現存しない、とは早計だな」
 花音が笑う。
「源頼光が斬り落とした酒呑童子の首は、どうなった?」
「……宇治の宝蔵に納められた、という話は聞いた事があるが」
 宇治の宝蔵――藤原氏の財宝が収納された、平等院の宝蔵である。
 酒呑童子の首も、ここに納められたという。
「だが……平等院宝蔵は、戦火によって焼失したはずだぞ」
「だからこそだ。戦乱の中で、首は平等院より持ち出された。そして現代になって、サンフォールがそれを手に入れたという訳だ」
「……身体は、どうした?」
「詳しくは知らぬが、想像は出来る。酒呑童子に相応しい身体を選び、ソレに首を繋ぎ、蘇生させたのであろうな」
「……っ」
 だから、首に縫い跡があるのか。
「酒呑、酒呑! 私の事が分からないんですかぁっ!!?」
 茨木が叫ぶが、酒呑童子にその声が届く様子はない。
「無駄だ、茨木童子。やはり、首だけの蘇生では無理があったのだろう。酒呑童子の意思までは、黄泉還らせる事が出来なかったようだ。今のこの者は、使役されるゾンビどもと変わらんよ」
「……ッ!!」
 茨木は、憎悪を込めた眼で花音を睨む。
 ……思わず息を止めてしまうほどの、殺意。
「殺す――殺してやる……っ!」
「――だが」
 花音はその殺意を真正面から受けながらも、涼しげに笑う。
「今の某等ではこれが限界だが……研究を進め技術を高めれば、いずれは完全に酒呑童子を黄泉還らす事も出来るはずだ」
「……ッ!!!?」
 茨木は、今度こそ完璧に止まった。
 ……クソ、花音の目的が見えてきた。いつでも殺せたはずなのに、俺達を生かしたのはコレを言うためか。
「つまりアレか。酒呑童子の蘇生と引き換えに、茨木を懐柔したいんだな」
「懐柔、とは人聞きが悪いな」
「……ふん。結界のせいで、聞いてる人間なんて俺達以外いねえよ」
「ふむ、それもそうか。なら、其方はここで始末しなければな。『死人に口なし』――だ」
 げっ、墓穴った!?
 何が『死人に口なし』だ! お前、死人のクセにベラベラ喋ってるだろうが……!
「――殺るぞ、酒呑童子」
 酒呑童子が、俺の後ろに回る。これで、俺は花音と酒呑童子に挟まれた訳だ。
 ……絶体絶命、だな。茨木も、今の状態じゃまともに闘えないだろうし。
 ここで俺が生き残るには、偶然に賭けるしかない。
 ――例えば、会議を終えた麗衣が茨木を探しに出て。
「覚悟はいいな?」
 そしてここに辿り着いて、張られている結界に気付いて。
 髭切で結界を斬り裂いて、中に入ってくれば。
「いや、覚悟は必要ない。どうやら、まだ運は向いてるみたいだ」
 世界に、亀裂が奔った。
「何……ッ!!?」
「――茨木!」
 その亀裂から、清水さんを連れた麗衣が跳び込んで来る。
「……って、匠哉さん? 何故貴方まで――」
「詳しい説明は後だ。まずはこいつ等を何とかしてくれ」
「……!!」
 麗衣は花音と酒呑童子を視認し、花音の方と対峙する。
「谷川……花音……ッ!!」
「……チッ、邪魔が入ったか」
 花音の目配せで、酒呑童子が動こうとするが――
「――御嬢様には、近付かせませんよ」
 清水さんが、それを防ぐ。
「……まぁいい、目的は果たした」
 花音と酒呑童子の姿が、薄くなり始める。
「――!!? 逃げるつもりですの!?」
「『逃げる』? 笑わせるな、渡辺の娘。見逃してやるのだ」
「……ッ!」
 花音は麗衣を嘲笑うと、酒呑童子と共に消え去った。



「…………」
 結界が消えると、麗衣は太刀を鞘に戻した。
「……とりあえず、私達が宿泊しているホテルに行きましょう。匠哉さん――そこで、何があったか話してもらいますわよ」
「ああ、構わない」
 俺は茨木に眼を向ける。
 ……彼女は力のない瞳で、呆然としているだけ。



 とあるホテルの一室。そこに、麗衣と清水さん、そして俺が集まっていた。
 ……金持ちはいい所に泊まりやがるなぁ。けっ。
「酒呑童子の完全蘇生、ですか」
「ああ。連中はそれをエサに、茨木を味方に引き込むつもりみたいだ。茨木の力が欲しいというより、渡辺家お前達の戦力を削りたいんだろうけど」
「…………」
 麗衣は表情を歪めて、
「……ふざけた連中ですわね」
 と、呟いた。
「それで、肝心の茨木は?」
「……茨木さんは、さっきから自分の部屋に閉じ篭っています」
 俺の問いに、清水さんが辛そうに答える。
「……よし。なら、ちょっと様子を見に行ってくるか」
 余計なお世話だろうが、どうしても気になるのだ。文句あるか。
「なら、私も――」
「いや、麗衣はここにいろ」
「……え?」
 麗衣は一瞬だけ呆けて、
「分かんないか? お前は、酒呑童子を討った一派の末裔なんだぞ」
 次のその言葉で、ビクリと震えた。
「血を引いているだけならともかく、お前はそれを誇りとしている人間だ。なら――この件に関して、お前が茨木にしてやれる事は何もない」
「…………」
 麗衣が、俯く。
「でも……でも、私は」
 ……今にも、泣き出しそうな声。
 あー、俺って最低だなぁ。
「ま、そう悪い事にはならんだろ」
 俺は気休めの言葉を口にして、部屋から出て行った。



 ……茨木の部屋。
 何と言うか、部屋の雰囲気が恐ろしく沈んでる。
「……何の用ですぅ?」
 部屋の隅に蹲っている茨木が、俺を見ないまま言う。
「様子を見に来ただけだ。喋れるんなら、まだ大丈夫だな」
「……私を、止めに来たんですかぁ? サンフォールに行くな、って」
「いや、そんな事は言わんよ」
「…………」
 俺が、そこまで渡辺家に肩入れしなきゃならない理由はない。もう、メイドではない訳だし。
「お前と酒呑童子の事を知ってれば、そんな言葉は言えんさ」
 茨木童子は、酒呑童子の副将だったらしい。妻だったという話もあるくらいである。
「……私が、醜い鬼に成り果てた時。酒呑と出会いました」
「…………」
「それはきっと、奇跡だったと思いますぅ」
 ……だろうな。鬼が鬼として生きてゆくには、鬼の社会に入るしかないだろう。
 その点、茨木がすぐに酒呑童子の仲間になれたのは、幸いだったに違いない。
「私達はあの大江山で、歌ったり踊ったりして、笑いながら生きていました。……楽しかった。鬼に成った苦しみなんて、なくなってしまうほど楽しかったですぅ」
「…………」
「酒呑は圧倒的な力を持ち、我等の王に相応しかった。人間を根絶やしにして、この葦原千五百秋瑞穂国を鬼の世界に出来ると、誰もが信じていました」
「夢破れる……訳か」
「……はい。頼光達の騙し討ちによって、酒呑を始めとする大江山の鬼達はほとんどが滅ぼされ。生き残った私も、羅生門を根城にしていたら――」
「綱に腕をバッサリ、だな」
「…………」
 茨木は頭を抱える。
「……どうして、私は鬼として生まれたんでしょう? 人の父と、人の母から生まれて来たのに」
「さあねぇ……国津神の血でも引いていたんじゃないか?」
「真っ当な人間として生まれて来れば、こんなに苦しまずに済んだのに……!」
 ……むぅ。
「残念だが。人間として生まれても、苦しいのは同じだと思うぞ」
「え……?」
 茨木が、顔を上げる。
「よし、愚か者の話をしよう。そいつは生まれてすぐに、親から捨てられた」
「……すぐって。どれくらいすぐなんですかぁ?」
「そりゃもう、生まれた直後だよ。へその緒も取れてないような赤ん坊を家に残して、両親は消え去ったんだ」
「…………」
「さて、ここで問題です。その後、その赤ん坊はどうやって生き延びたでしょう?」
 茨木は少し考えて、
「……やっぱり、誰かに拾われたんじゃないですかぁ?」
 と、真っ当な答えを口にした。
「外れだ。家の中に放置された赤ん坊に気付く事なんて、普通ないだろ」
「……でも、知り合いが家の様子を怪しんで、上がって来たりとか」
「知り合いならなおさらだ。両親は借金まみれで、そのツケが全てそいつに回って来る。まともな人間なら、引き取ろうだなんて考えるはずがない」
「なら、どうやって」
「簡単だ。1人で生き延びたんだよ」
 まぁ、ただそれだけの事なのだが。
「赤ん坊のそいつは、泣くのを止めた。水分の無駄だからな。そして、歯も生えてない口で蟲や鼠を喰い千切り、泥水を啜る。四足歩行は効率が悪かったから、身体の構造に逆らって、無理矢理立ち上がった」
「……そんな」
「誰にも頼らず。たった1人で、生き抜いたんだ」
 助けてくれる者は、誰もいなかった。両親も親戚も近所の人も、家に潜んでいた貧乏神も。
「で、ここからが面白いんだが。苦労した甲斐あって、そいつはそれなりに成長する事が出来た。だが、そこで1つの疑問にブチ当たる」
 茨木は呼吸を忘れたような様子で、俺を見ている。
「どうして、そこまでして生き延びなければならなかったのか――ってね」
「……っ」
「この世界で生き延びたって、いい事なんてほとんどないのに」
 まさしく道化である。
「かと言って、せっかく生き延びたのに、自殺するのは惜しい。あとは誰かに殺されるしかない訳だが、困った事に痛いとか苦しいとか無駄死にとかは嫌だから、なかなか死ねない」
「…………」
「滑稽だろう? 生き延びる必要はなかったのに、苦痛を受けてまで生き延びた」
「……止めてください」
「そいつは、人助けをする事が多くてね。どうやら――自分が助けてもらえなかったから、誰かを助けたいらしい。まったく、愚かにもほどがある」
「――止めてくださいッッ!!!!」
 茨木の絶叫で、部屋が静かになる。
「……えっと、茨木?」
「…………」
「……ま、結局何が言いたいのかというとだな。人として生まれようが鬼として生まれようが、この世が苦海である事に変わりはないって話だ」
 茨木は、再び俯く。
「それと。お前が鬼として生まれて来なければ、酒呑童子や麗衣達と出会う事もなかったんだぞ。何と言うか、それじゃ面白くないだろ」
 俺は好き勝手言うと、茨木を見る。
 ……反応は、ない。
「どうするにしても、なるべく早く決めた方がいいだろうな。連中、気が短そうだし」
 最後にそう言い残し、俺はその部屋から出て行った。



「――重症」
 茨木の様子を尋ねる麗衣に、俺は簡潔に答える。
「そうですか……まぁ、仕方ありませんわね」
 普段からは考えられないほど、凹んでいる麗衣。
「……茨木さんは、どうするのでしょうね」
 清水さんが、独り言のように呟く。
「さぁ……何とも言えません」
 俺は言うと、ソファーに座る。
 ……どうやら、ただの京都観光では終わりそうにない。



「……お?」
 ふと気付いたら、窓の外が暗くなっていた。
 ……どうやら、ソファーで眠ってしまったらしい。
「夜、か……」
 部屋には、麗衣も清水さんもいない。
 ……何か、あったのか?
 俺は部屋から出ると、茨木の部屋へと向かう。
 そして、ドアを開けると。
「くそっ……俺の馬鹿」
 麗衣や清水さんは勿論、茨木の姿までもがなかった。
 机には、紙が1枚あり――『今夜、答えを聞かせに来い』と書かれていた。
 ……茨木は、届けられたコレを見て部屋から出た。茨木が消えた事に気付いた麗衣と清水さんも、慌てて捜しに行った――ってな感じか。
「さて。問題は、茨木がどこに行ったか……」
 手紙では、場所が指定されていない。だとすれば――
「考えるまでもないか。大江山だろうな」
 酒呑童子や茨木が棲んでいた山。茨木が向かったのはそこだ。
 ――恐らく。山では、花音と酒呑童子が待っているのだろう。
「…………」
 ……俺が追っかけなければならない理由は、何もないのだが。
「おい、パック。聞こえるか?」
 俺は、頭の中でパックに呼びかける。
『匠哉? どうしたのさ?』
「今、どこにいる?」
『五条大橋なのさー』
「……お前、こんな時間になっても観光してたんかい」
『う……って、そういう匠哉はどうしてるのさ?』
「こっちは非常事態だ。大至急大江山まで飛びたいから、頼む」
 パックが、溜息をつく。
『やっぱり予想通りなのさ。匠哉がこんな曰く付きの都市に来るなんて、飛んで火に入る何とやらだと思ってたのさ』
「…………」
 反論出来ねえ。
「……とにかく、すぐにこっちに来てくれるか? 俺の場所は――」
『念話が繋がってるから、匠哉の場所は聞かなくても分かるのさ』
「そりゃ話が早くていい。あ、こっちに来る前に1度俺の家に飛んで、天羽々斬を持って来て欲しいんだ」
『天羽々斬……分かったのさ』
「それともう1つ。お前、級長と契約してるよな?」
『……何を今更、当たり前の事を言ってるのさ?』
「それって、誰とでも出来るものなのか?」
『出来る事には出来るのさ。でも、魔法冥土マジカル・メイドとしての適性が高い要芽とは違って、変身に時間制限が付くと思うのさ』
 時間制限……か。ま、無理じゃないのならそれでいい。
「よし、分かった。急いでくれよ」








 京都府福知山市大江町――大江山。
「…………」
 茨木は山の八合目に佇む、鬼嶽稲荷神社に辿り着いていた。
 境内にある鳥居を抜け、駆ける。
 数百メートル進んだ先に――その洞窟はあった。
 かつて酒呑童子一派が根城としていた、鬼の洞窟である。
 小さな祠があるだけの狭い洞窟は、今は空間が捻じ曲がったように、奥に続いていた。
 洞窟の中は――金銀によって飾り付けられた、竜宮の如き宮殿。
 茨木は、中に踏み込む。
 懐かしい廊下を走り抜け、辿り着いた広間には。
「――来たな、茨木童子」
 鬼の王と、黄泉の軍兵が待ち構えていた。
「早速だが、答えを聞かせてもらおうか」
「……その前に、聞きたい事があるですぅ。本当に、酒呑を完全に黄泉還らせる事が出来るんですか?」
 茨木は花音を真っ直ぐ見ながら、問う。
「…………」
「さっきの貴方の言葉は、余りにも不確定。そう簡単には、信じられないですぅ」
「……確かに、其方の言う事は正しい。今のサンフォールの技で無理なのだから、未来のサンフォールの技でも無理なのではないか、と考えるのは当然だ」
 花音は、茨木を見詰める。
「だが、必ず蘇生させる。もし、それが果たされなかったら……この首をくれてやろう」
 嘘はない。花音の瞳は、死人とは思えぬほど澄んでいる。
「…………」
 茨木は、周りを見る。
 煌びやかな宮殿。かつてはここで、酒呑童子や茨木、そして鬼の皆が踊り歌い、楽しく生きていた。
「あの頃の生活が戻って来るなら、どれほどいいでしょう。私が、それを夢見なかった日はないですぅ」
 でも――
「サンフォールが、酒呑を蘇生させるというのなら。私は、貴方達を倒さなきゃならないですぅ」
 この宮殿で行われた、あらゆる享楽。それは結局、生きる苦しみを誤魔化すためのモノだった。
 鬼として生まれ、鬼として生きる。それを受け入れるには、この世のあらゆる享楽で痛みを忘れるしかなかった。
「……あの頃の生活が戻って来るなら、どれほどいいでしょう」
 茨木は、同じ言葉を口にする。
「でも、戻っては来ないんですぅ。酒呑が生き返っても、時の針が戻る訳ではないんですから。それに――酒呑は最も力があるが故に、最も世を憎んでいました」
 茨木はふたりを見据えて、
「彼は『死』という安息を得て、ようやく眠りに就いた。それを乱し、酒呑をこの苦海に呼び戻すだなんて事は……絶対に、認められません」
 と、血を吐くように、言った。
「……それは、其方の本心ではないな」
 静かな、花音の言葉。
「……当たり前ですぅ」
 酒呑童子が生き返れば、どれほど茨木は救われるだろう。
「でも、私の言葉に嘘はありません」
 茨木が救われる代わりに、酒呑童子は『死』という救いを失う。それは、あまりにも無意味。
「だから私は、その身体を壊しに来ました。ソレに酒呑の魂が宿り、黄泉還るなんて事がないように……!」
 茨木は、酒呑童子の『器』と向かい合う。
「ならば、闘いでしか決着はない」
 花音が呟いたのと同時に、酒呑童子も茨木を迎え撃つように前に出る。
 ――かつて京の都を脅かした、二柱の鬼神。それが今宵、相対した。



「はぁ……!」
 茨木と酒呑童子の拳が衝突し、大地を震わす。
 ふたりは広間を駆け巡り、互いの力を競う。
「…………」
 花音は、茨木に向かって弓を引く。
 この一戦に重い意味がある事は、花音も分かっている。だが、それでも彼女は確実な勝利を優先する。
「く……っ!」
 それに気付かぬ茨木ではないが、酒呑童子の相手をしながら、花音の矢を回避するのは不可能。
「――済まぬな、茨木童子」
 矢が、花音の手から放れる。
 その矢は、稲妻のように茨木へと襲いかかり――
「――はっ!!」
 割り込んだメイドの剣によって、弾き飛ばされた。
「失礼ですが、花音様。かつて盟友であったふたりの闘いに手を出すのは、さすがに無粋が過ぎるかと」
「月見……!?」
「――月見さんッ!!?」








 よし、どうにか間に合った。
 しかし、毎度毎度ギリギリのタイミングだよなぁ。心臓に悪い。
「月見さん、どうして……!?」
「話は後にしましょう。貴方は、貴方の決着を」
 俺は茨木を見て、
「――花音様のお相手は、僭越ながらこの私が。彼女の攻撃は、一粒であろうとそちらには行かせません」
 と、我ながら無茶な事を口にした。
「……分かりました」
 茨木は頷き、酒呑童子との闘いに集中する。
 ……さて、と。
「某の相手とは大きく出たな、月見」
 花音が笑う。何つーか、『お前殺す』って感じの笑い方だ。本気で恐い。
「しかし、この京都に入った渡辺の関係者は、渡辺麗衣と清水政彦、そして茨木童子だけだったはずだが」
「……申し訳ありませんが、それは企業秘密という事で」
 真実は、花音の予想を大きく上回るだろうなぁ。
「こちらもお尋ねしたいのですが。洞窟の、この有様は……?」
 洞窟が広く豪華になってるのに気付いた時は、かなりヒビった。まさしく、『鬼が出るか蛇が出るか』。
「いや、某もよく分からんのだが。恐らく、酒呑童子の帰還によって異界と化したのであろう」
「…………」
 ……分からんって、アンタ。
「そうですか。電化製品の使い方以外にも、分からない事はあると」
「ああ、そうだ――……待て」
 あ、何か殺気が増した。
「……何故、そんな事を知っている」
「前回の戦いの後、清水さんや茨木さんからお聞きしたのです。どうやら、ハロルド様が口にしてしまったようですね」
「――……ふふ。そうか、奴か」
 うおぉう、修羅の笑み。こりゃ死んだな、ハロルド・カーライル。
「……まぁ、それより」
 花音は、俺の手元を見る。
「その剣は……」
「――天羽々斬、でございます」
「…………」
 相当嫌そうだ。ま、当然だが。
「蛇しか斬れぬナマクラですが……貴方様を斬るには、十分でしょう」
「……草薙剣に次いで天羽々斬か。其方、一体いくつの神器を持っている?」
「私の物ではありませんよ。草薙もこの剣も、借り物ですから」
「だとしても同じ事だ。神剣を何本も持っているなど……何者なのだ?」
「それは……聞かない方がよろしいかと」
 大霊神社の祭神の一柱が貧乏神に成ってて、毎日食っちゃ寝してると知ったら、花音はこの場でショック死するかも知れない。いや、もう死んでるけどさ。
「……まぁよい。その忌まわしき剣、この場で叩き折って鉄屑にしてくれよう」
 花音は、須佐之男の弓矢を俺に向ける。
「黄泉から這い出した雑兵に過ぎぬ貴方様に、それが出来ますか?」
 俺は、須佐之男の神剣を花音に向ける。
 気合いを入れろ。ここからの正念場、一手でも間違えれば塵のように死ぬぞ。
 ……よし。
魔法冥土マジカル・メイドツキミ――いざ、参ります」








「――っ!」
 酒呑童子の拳を、茨木は腕で受ける。
 カウンターで1発、酒呑童子に打ち込むが――手応えは弱い。酒呑童子は後方に跳び、闘いは振り出しに戻る。
「…………」
 腕の傷が癒えていない故に、童子形での闘いを強いられる茨木。
 だがそれは、酒呑童子も同じだった。不完全な蘇生では、力を取り戻す事など出来るはずもない。
 条件は互角。よって、純粋に能力が勝敗を決める。
(……なら、私に勝ち目なんてないですよねぇ)
 玉藻前や崇徳上皇と共に、日本三大悪妖怪と呼ばれる酒呑童子。そのような鬼王を相手に、多少力があるとはいえ、一介の鬼に過ぎない茨木が勝てる道理はない。
 事実、酒呑童子の拳を受けた腕は――動かせないほど、痛む。
 茨木はほとんどまともに攻撃出来ていないのに、向こうは一撃だけでもこの威力。
「……っ」
 だが、どんな手を使ってでも、茨木は勝たなければならない。
 酒呑童子の眠りを、護るために。
 それに――月見マナは茨木の願いに付き合って、あの花音と闘っている。
「…………」
 自分が助けてもらえなかったから、誰かを助けたいと彼は言った。それを、愚かな事だとも。
 茨木もそう思う。結局、それは自分を慰めているだけなのだから。
 しかし、彼は自分の行動を愚かだと言いながらも、迷わずそれをやっている。
 どれだけ愚かでも――その先に何かあるのではないかと、必死でもがいているのだ。
 だから、茨木は敗けられない。敗ければ彼の行為は無駄となり、本当に愚かなだけのモノになってしまう。
 それではあまりにも――彼が救われないと、茨木は思うのだ。








「りゃ……ッ!!」
 絶え間なく飛来する矢を、天羽々斬で斬り払う。
 パックと契約しといて正解だった。魔法冥土マジカル・メイドの力がなかったら、最初の一矢で死んでいただろう。
 しかしそうなると、生身でコレを防いでいた麗衣はとんでもないよなぁ。
「今日の其方、前回とは見違えるほどの理力を感じるが。一体何事だ?」
「それも……企業秘密です!」
 言いながら、剣で矢を弾く。
「……秘密の多い事だ。其方の名、偽名であろう?」
「な……ッ!!?」
「そんなに驚くな。月見マナという名からは、ほとんど言霊が感じられん。渡辺の娘は欺けても、某を欺く事など出来んぞ」
 言霊が感じられないって……一応、あいつの名前なんだが。
 ……あー。でも、あいつにとってもこの名は偽名だしな。
「そう言えば、さっき茨木童子と一緒にいた男。随分と其方に色が似ていたな」
 げ……ッ!!?
「いやはや、世の中には奇妙な事もあるものだ」
「…………」
 ……どうやら、さすがに同一人物だとは気付かないようだ。
 詰めが甘いよなぁ。麗衣と同じく。
「で、いつまで頑張るつもりだ? まぁ、某とて鬼畜ではない。その剣を置いて逃げるなら、見逃してやるが?」
「……そのお気持ちだけ、受け取っておきましょう」
 さて、そろそろ攻め込むか。
「行きます――……!」
 俺は今までの防戦を止め、矢を弾きながらも少しずつ花音との間合いを詰めて行く。
 麗衣に出来なかった事を俺に出来るか激しく不安だが、魔法冥土マジカル・メイドの力で何とか押し切ってみせる。
「ふふ――そうだ、そうでなくては興が乗らん……!」
 苛烈さを増す、矢の連射。
 俺はそれをギリギリで防ぎながら、1歩ずつ距離を縮めて行く。
 ――その時。
「あ……っ!?」
 甲高い音と共に、俺の手から天羽々斬が弾かれた。
「ふん、終わりか」
 花音は詰まらなそうに呟くと、弓を構え直す。
 今までのような速射ではなく、確実に射殺すための八節。
 ――しかし。
「……莫迦が」
 俺はそう呟き、地を蹴る。
迷いの森の夏至前夜、妖精達は舞い騒ぐ――Fairies dance and sing in a deep forest on the midsummer night――
 麗衣とまったく同じミスを侵すほど、俺も学習能力がない訳ではない。
 そして――速射でないのなら、間合いを詰める事など容易いのだ。
「何……っ!!?」
 ギアを一気に上げ、花音に接近する。
スペシャル御奉仕!Special service! 『メイド・ソード』ッ!!"MAID SWORD"!!
 魔法冥土マジカル・メイドとしての魔装を、具現化させる。
 その剣で――
「ぐ……っ!?」
 俺は花音に、一太刀浴びせた。
迷いの森の夏至前夜、妖精達は舞い騒ぐ――Fairies dance and sing in a deep forest on the midsummer night――
 無論、それだけでは不死の黒魔術師ボコールを斃す事など出来ない。
我が敵は、かのウルク王より不老不死を奪いし蛇の眷属!My enemy is family of the snake that deprived that Gilgamesh of no perennial youth death!
 ……以前、級長は己のハンマーで、北欧の雷神の鉄槌を再現した。
 勿論、そんな事は付け焼刃の俺には無理だ。
故に我が呼び求めるは、恐れを知らぬ者の魔剣なり!Therefore, it is a sword of a dauntless person that I calls and requests!
 だが、天羽々斬のイメージがこの手に残っている今なら。
 北欧に伝わる殺しの剣を、再現出来る……!
「チィ……!」
 距離を離そうと、後ろに跳ぶ花音。俺はそれを追う。
 人間の身体は、前に進むように出来ている。後ろに跳ぶ花音と、前に跳ぶ俺。
 ならば、どちらが速いかは明白――!
スペシャル御奉仕!!Special service!! 『メイド・グラム』ッ!!"MAID GRAM"!!
 今度こそ。
 俺の斬撃は、花音を捉えた。
「がぁぁぁぁ……っっ!!!?」
 花音は、苦悶の声を上げる。








「きゃ――ッ!?」
 殴り飛ばされた茨木は、壁に叩き付けられた。
 戦闘開始から、数十分。茨木は少しずつ追い詰められてゆく。
「くぅ……!」
 茨木はボロボロの身体をどうにか動かし、立ち上がる。
 もう、理解していた。何があっても、自分の力では酒呑童子には勝てないと。
 パーでどれだけ頑張っても、チョキに勝てないのと同じ事。
 だが、それでも茨木は闘いを止めない。渡辺家の護法が鬼を相手に退くなど、あってはならないのだ。
 風のように間合いを詰めた酒呑童子の、拳が炸裂する。
 茨木は、再度壁に叩き付けられた。
「はぁ……!!」
 酒呑童子に、蹴りを打ち込む茨木。
 当然、そんな攻撃は通じない。茨木は、逆に蹴り飛ばされてしまう。
「っ、は……」
 血を吐く。
 闘い続ければ、死ぬ。茨木は、それをはっきりと感じた。
 ついに、その場に倒れる。
「月見、さん……」
 向こうからは、剣と矢がぶつかり合う音が聞こえて来る。
「…………」
 敗けられない、と思う。
 しかしいくら強く思っても、身体はもう動いてくれない。
 情けなかった。
 渡辺麗衣なら、どれだけ傷付いても倒れたりはしないだろう。
 清水政彦なら、どれだけ傷付いても諦めたりはしないだろう。
 月見マナなら、どれだけ傷付いても敗けたりはしないだろう。
「……私は、こんなにも弱い――……」
 酒呑童子はトドメを刺そうと、茨木に歩み寄る。
 ――だが、その時。
「え……!?」
 向こうから、一振りの剣が飛んで来た。
 月見マナが持っていた神剣――天羽々斬である。
「……っ」
 茨木は、涙が出そうになる。
 こんな状況でも、運命は茨木を見捨ててはいない。
 いや、あるいは――月見マナは、わざとこの剣をこちらに飛ばしたのかも知れなかった。
 身体は、相変わらず動かない。
 だが、知った事ではなかった。骨が折れようと肉が裂けようと呼吸が止まろうと、心は決して冷めないのだ。
「酒呑……!」
 茨木は動かないはずの身体を起こし、たった1つの勝機を掴み取る。
 酒呑童子の父を討った、伝説の神剣を。
「――貴方の安息は、誰にも邪魔させないですぅ……!!」
 茨木は剣を振る。
 刃は――まるでかつてのように、酒呑童子の首を断ち切った。



 茨木の目の前で、酒呑童子の身体が消滅する。
 そして――頭も。
 残ったのは、『SunFall No.08』と刻まれた金属プレート。
「…………」
 茨木は何も言わず、それを踏み潰した。








「クッ……! 奥津鏡、辺津鏡、八握剣、生玉、足玉、死反玉、道反玉、蛇比礼、蜂比礼、品物比礼、布瑠部由良由良、布瑠部由良由良止布瑠部……ッ!!」
 花音は傷口に手を当て、神咒かじりを唱える。
 クソ、浅かったか!?
 俺はもう1度花音を斬ろうとするが、
「天切る、地切る、八方切る、天に八違い、地に十の文字、一も十々、二も十々、三も十々、四も十々、五も十々、六も十々、ふっ切って放つ、さんびらり……!」
「く――!?」
 放たれた矢によって、防がれた。
 花音は走り出し、洞窟の出入口に向かう。
 あんにゃろ……逃がすか!
「月見さん!」
 声に眼を向けると、天羽々斬を持った茨木が走り寄って来る。
 どうやら、あっちも決着が付いたらしい。
「花音が逃げた。追っ駆けるから、お前は待ってろ」
「いえ、私も行きますぅ」
「……身体、大丈夫なのか? 見るからにボロボロだが」
「大丈夫ではないですけど……月見さん1人じゃ、いざという時に大変ですから」
「……なるほど、それもそうだな」
 俺は茨木から天羽々斬を受け取ると、一緒に花音を追う。
 洞窟から出、夜の登山道を駆け登る花音。俺達も続く。
「あいつ、逃げるなら何で上に向かうんだ?」
 それじゃあ、いずれ追い詰められるだろうに。
「実は逃げてるんじゃなくて、私達を誘い込んでいるとか……」
「……あるいはその両方、だな」
 罠の可能性があるなら、深追いは危険だ。
 しかし、今は花音を斃す絶好のチャンスでもある。これを逃す訳にもいかないだろう。
 しばらく走った後、俺達は山頂まで辿り着く。
 ここまで来れば、もはや逃げられない。
 見晴らしのよい山頂で、花音は立ち止まり――
「…………」
 ……見晴らしの、よい?
「まさか……!!?」
 俺は周囲を見回し――ソレに気付いた。
「――危ない!」
 俺は茨木を抱き抱え、全力で跳ぶ。
 次の瞬間。爆音みたいな銃声と共に、地面が抉り飛ばされた。
 土が舞い、砂煙が立つ。
「――な、何ですかぁ!!?」
「狙撃だッ!」
 俺は1番近くの木陰に身を隠した後、草むらの中に潜り込む。
「茨木、絶対に動くな……」
「は、はい……」
 俺達は草の隙間から、花音の方に眼を向ける。
「でも、狙撃はどこから……?」
「ヘリコプターだよ。夜の闇に紛れて、1機のヘリが飛んでる」
「え……?」
 茨木の困惑も当然か。
 何故なら――ヘリのローター音が、まったく聞こえないのだ。
「そんな……MD600Nだって、ここまで静かじゃありませんよぉ!?」
 黒いヘリは山頂上空でホヴァリングをし、花音に向かって縄梯子を下ろした。
 巻き起こされる風が、草や葉を揺らす。それでも、ヘリは相変わらずの無音。
「……そう言えば、たまに聞くよな。アメリカ軍が、音のしないヘリコプターを運用してるって話」
 ただの眉唾話だと思っていたが。
「アメリカ軍、って……」
「……軍の上層部に、サンフォールの信徒でもいるのかね」
 花音が縄梯子を掴むと、ヘリは上昇。
 そして――彼方へと、飛び去って行った。








「――助かった。礼を言うぞ」
 ヘリの中で、花音は少女を見る。
「…………」
 それに対して、相手は無言。
 だが、それは仕方がない。何故なら、彼女の口には舌がないのだ。幼い頃、敵に捕まった時に余計な事を喋らないようにと、自分で切り落としたらしい。
 少女の手には、1挺のライフル。バレットM82A1に、手を加えた一品である。
 狙撃システムを抱え、ヘリの隅に座っている少女。
 孤児だった少女に、名は存在しない。生前は『レイン』と呼ばれていたため、サンフォールでもそう呼ばれている。
 かつてはクラウンというグループにおいて、プリンセスに次ぐ実力者だった戦士。
 悪魔の如きと称えられた、恐るべき狙撃手である。








「し、死ぬかと思ったですぅ……」
「……まったくだ」
 俺と茨木は、草むらの中から立ち上がる。
「それにしても、あの狙撃手……」
「ああ。俺達を見逃しやがったな」
 殺る気がなかったのか花音の逃走を優先したのか、何なのか知らないが。
「初撃、あいつは走ってる茨木を撃ってきた」
 静止標的ではなく、動いている人間を。
 動体の方が狙撃の難易度が高いのは、言うまでもない。
「……月見さんが助けてくれなかったら、私は撃たれていたと思いますぅ」
「そう。なのに、逃げる俺達には1発も撃たなかった」
「私達が身を隠すまで、7秒くらいかかってました。ボルトアクションのライフルでも、次弾を発射する事は可能ですよねぇ」
「身を隠した後でも、サーマルヴィジョンとかなら見えただろうしな」
 そんなもん、装備してなかったのかも知れないけど。
「……まぁ、いいか。とにかく助かったんだし、山を下りよう」
「はい」



「茨木、大丈夫ですの――って月見さん!?」
 俺と茨木が鬼嶽稲荷神社まで戻って来ると、ちょうど麗衣と清水さんが登って来た。
「お久し振りでございます、御嬢様」
 メイドモードにチェンジする俺。
「御嬢様、こっちは全部終わりましたよぉ」
 茨木は、笑顔で麗衣に言う。
「……そうですか」
 麗衣はそれで、全て察したらしい。
「では。名残惜しいですが、私は御暇しましょう」
 いい加減、変身が解けかかっているのだ。早くバックれないと。
「え? ちょ、ちょっと月見さん――」
 俺は麗衣にニコリと微笑み、走り出す。
「月見さん、待って!」
 麗衣の声を聞こえないフリして、進む。
 ……何か、シンデレラになった気分だ。ドレスはドレスでもエプロンドレスだから、小間使いメイドのままなのだが。








 ――数日後、渡辺家。
「IEOによると、アメリカ軍に在籍しているサンフォール信徒は12人。でも、怪しい点はないみたいですわ。きっと、サンフォールの真の姿を知らない、普通の信徒なんでしょう」
 麗衣は送られて来た調査結果を、茨木に教える。
「……つまり、アメリカ軍に怪しい者はいないという訳ですねぇ」
 例のヘリに関して、渡辺家はIEOに調査を依頼していた。
 しかしこれでは、成果はないに等しい。
「あるいは、IEOの手が届かないほどの深部に、何かあるのかも知れませんわね」
「御嬢様、エリア51ですか?」
「……そこまで飛躍しませんわよ」
「でも、あのヘリは絶対にオーヴァー・テクノロジィですよぉ? きっと、宇宙人の技術提供があるんですぅ……!」
「な、何だってー」
 とりあえず、お約束な答えを返す麗衣。だが麗衣も、少しだけその可能性を考えていたりするのであった。
「まぁ、私はヘリをこの眼で見ていないので、何とも言えませんわね……」
 付近での目撃情報はない。よってヘリを見たのは、茨木と月見マナだけである。
「……月見さん、どうしてるでしょう」
 ポツリと、茨木は漏らす。
 まるで鬼のように、生きる事そのものに苦しみを感じる少年。
 酒呑童子がその苦しみから開放されるには、『死』しかなかった。
 ――ならば彼も、『死』でしか救われないのだろうか。
「……違う」
 決意を込め、茨木は言葉にする。
 茨木は、酒呑童子をこの世で救えなかった。その間違いを、彼で繰り返してはいけない。
 ……とは言っても茨木には、もう彼との接点はないのだが。
「京都の神社仏閣を巡ったとは言え、さすがに仏の顔も四度目はないですよねぇ」
 今まで三度も彼が渡辺家に関わった事が、すでに奇跡だったのだ。四度目は期待出来ない。
「……茨木。さっきから、何をひとりでブツブツ呟いてますの?」
「あ、な、何でもないですぅ」
「怪しいですわね……」
 と、その時。
 机の上の、電話機が鳴った。どうやら内線らしい。
「はい?」
『御嬢様、御客様がお見えになっていますが』
 受話器の向こうは、清水。
「……そんな予定はありませんわよ?」
『ええ。ですが、会われた方がよろしいと思いますよ』
 そう言い、清水は小さく笑う。
「分かりましたわ。お通ししなさい」
『畏まりました』
 麗衣は電話を切る。
 そして、しばらくすると。
「御嬢様、御客様をお連れしました」
 ノックの後に、清水の声。
 ドアが開き、清水に連れられて入って来たのは。
「――つ、月見さん!?」
「またお会い出来て光栄です、御嬢様」
 月見マナは、一礼する。
「今日は御嬢様に、お頼みしたい事があって参りました」
「頼みたい事……ですの?」
「ええ」
 月見マナの真剣な表情に、ゴクリと息を呑む麗衣と茨木。
「私を……ここでバイトとして雇ってもらえないでしょうか!?」
「……は?」
「バイト先の店長が、『私は広い世界を見るのよ……!』と言い残して蒸発してしまったのです! よって、現在の私は無収入。このままでは、このままでは生きてゆけません……!」
 半分泣きそうな顔で、必死に訴える月見マナ。
「しかし私は同居人のために家事をしなければならないので、この屋敷に住み込む事が出来ないのです。無理は承知ですが、屋敷に出入りしながら働く事は出来ないでしょうか……?」
「つ、月見さん……」
「もう、御嬢様しか頼れる方がいないのです!」
「…………」
 麗衣は、はぁと息をつき、
「……分かりましたわ。本来なら住み込み以外は認められませんが、他ならぬ月見さんの頼みですもの。特別に許可しますわ」
 月見マナは、ぱぁっと笑顔になる。
「あ、ありがとうございます、御嬢様!」
「何をするかは、分かっていますわね?」
「……勿論、メイドですよね」
「ええ」
 ガックリとする、月見マナ。
 それを見て笑う麗衣に、
「嬉しそうですねぇ、御嬢様」
 茨木から、声が届いた。
「……あら、それは貴方も同じではないかしら? 顔が綻んでますわよ」
「え? そ、そうですかぁ?」
 茨木は、窓に自分の顔を映してみる。
 そこには――確かに、女の子の笑顔があった。






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