■■は、16ヶ月の難産の末にこの世に生まれ落ちた。 彼女は生まれた時にはすでに歯が生え揃っており、出生の直後でありながら2本の足で歩いた。 そして――母親の顔を見て笑った。母は驚きのあまり、そのまま死んでしまったという。 ■■は髪結床屋の前に捨てられ、そこの子供として働く事になった。 ……異変の始まりは、些細な事。 ある日、■■は剃刀で客の顔を傷付けてしまった。 彼女は慌てて、その血を指で拭う。指に付いた血を取ろうして、■■はその血を舐めた。 ……その、以後。 彼女はわざと客の顔を傷付け、血を啜る事となる。 床屋は悪評が立ち、客が訪れなくなった。 叱られた■■は床屋から飛び出し、ひとり彷徨う。 小川の橋を渡ろうとした時、■■がふと小川を覗き込んでみると。 「……ああ……違う、違う……!」 頭を振って、現実を拒否する。 「これは、私じゃない……私の貌じゃない……っ!!」 ――だが。両の手で触れた己の貌は、少女のモノではなかった。 水面に映った、■■の貌。 それは紛れもなく、醜い鬼の貌だった。 「嫌あああああああああああああああああああっっ!!!?」
「――閃いたんだが」 とある日の星丘高校。 俺は、パックを屋上に呼び出した。 「…………」 パックは『匠哉、また何か変な事でも思い付いたのさ?』とでも言いたげな眼で、俺を見ている。 「匠哉、また何か変な事でも思い付いたのさ?」 言いやがった。 「……ああ、思い付いたんだ。お前の転移魔法……地球上なら、どこにでも転移出来るのか? 地球一巡りがたった40分、ってヤツ」 「そうだけど……それが何なのさ?」 俺は、その言葉に眼を光らせる。 「――ならば! お前の力を借りれば、俺は好きな場所に旅行出来るのではあるまいかッ!」 「…………」 あ、呆れてる。 「……この前、ルーマニアに飛ばしてやったのさ」 「アレは断じて旅行などではない!」 伯爵と闘いに行っただけだ。 「大体、『力を借りれば』って……借りるなら返してくれるのさ?」 「ハッハッハッ、当然じゃないか。俺は、借りたモノは必ず返す男だぞ」 「……へー」 こいつ、心底信じてねえな。 ……借金は、返さないのではなく返せないのだよ、パック君。 「まぁとにかく、俺に力を貸すか貸さないか決めてもらおうデッド・オア・アライヴ」 「――何なのさその語尾ッ!? 力を貸さないなら殺す、という意思表示なのさ!?」 「好きに解釈しろ」 パックは頭を掻いた後、 「……分かったのさ。匠哉の見苦しいほどの情熱に免じて、協力してあげるのさ」 溜息をつきながら、言った。 ……何かもの凄く哀れまれてるな、俺。 ――次の休日。 「そうだ、京都に行こう!」 「もう来てるのさ」 無粋なツッコミをするパック。まったく、物事のワビサビが分かってないな。 「じゃ、オイラはオイラで観光するのさ。念話を繋げておくから、何かあったら呼ぶのさ」 パックはそう言うと、パタパタとどっか行った。 きっと、俺以外には姿が見えないようにしているのだろう。そりゃまぁ、古都に妖精だなんてミスマッチにも程がある。 「さて……と。交通については調べてあるし」 まずは清水寺だ。 有名な『清水の舞台から飛び降りる』という言葉は、忠明という検非違使が多勢に襲われた時、清水の舞台より飛び降りて見事逃げ切った話に由来するらしい。 「フフフ……」 逃げると聞いちゃ、黙っていられないぜ……! で、清水寺に到着。 ――北法相宗本山、音羽山清水寺。798年頃に、延鎮上人と坂上田村麻呂によって建立された寺院だ。 その宗旨は、『万法唯識』。あらゆる現象は唯人間の心のはたらきの反映である――という、『シュレディンガーの猫』みたいな教義である。 「うーむ、さすがは観光名所。人がたくさんいるなぁ」 ブラブラし、問題の清水の舞台。 「おー……」 高い、高い。絶景哉、絶景哉。 勿論、飛び降りる気になどなれんが。 ――と、その時。 「おや……? 月見さんではありませんか?」 覚えのある、声がした。 「あれ、清水さん?」 「お久し振りですな」 背後には、渡辺家の執事――清水さん。 ……清水寺に、清水さん。別にいいけど。 「月見さん、どうしてここへ?」 「俺はただの観光です。清水さんは?」 「御嬢様と、待ち合わせをしているのですよ。京都で行われる宗家と四家の会議に、御嬢様も出席なさっているので」 「宗家、ってのは……もしかして源家ですか?」 「ええ、そうです」 おおぅ。 じゃあ四家というのは、渡辺家、坂田家、卜部家、碓井家かぁ。 「――って、もうすぐ御嬢様がここに来る……?」 「はい。そろそろですね」 ……う。 じゃ、じゃあ、さっさと去った方がよいかも知れぬ。 「茨木の奴は、御嬢様に付いてるんですか?」 「あ、いえ……」 清水さんは言い辛そうにした後、 「京都に来てからは、ほとんどひとりでいます。ここは……茨木さんにとっては、あまりよい思い出がない場所でしょうし」 眼を伏せて、そう言った。 む……そうか。 「……あ、清水さん。前から思ってたんですけれど」 「はい?」 「あいつは、『イバラギ』じゃなくて『イバラキ』ですよ?」 「……う。いや、分かってはいるのですが……こう、クセになってしまって」 「まぁ、気持ちは理解出来ますけどね……」 ちなみに、これは『茨城』でも同じ事が言える。注意すべし。 すると―― 「清水、待たせましたわ」 ――御嬢様が、現れた。 俺は迷わず飛び降りて逃げようとしたが、清水さんに止められる。 「お待ちしておりました」 「……清水、そちらの方は?」 見付かった……! 俺は恐る恐る、後ろに振り返る。 「おや、貴方は……」 な、何だそのリアクション!? バレてるのかッ!? 「以前、星丘市で見かけた事がありますわね……」 「……え?」 バレては、いないのか。 「この方は私の知り合いで、月見さん……という、方なのですが……」 「……『月見』?」 おお、怪しんでる怪しんでる! 「えー、は、初めまして。月見匠哉と申……す者だ。よろしく、麗衣」 ……危うく、『月見匠哉と申します』とメイド口調になりそうになる。 「ふふ。初対面の相手を名前で呼ぶとは、少々無礼ですわね。畜生道でブタからやり直す事をオススメしますわ、匠哉さん」 久し振りのブタ呼ばわり……! ……懐かしいなぁ。ははははは……。 「って、そっちも『匠哉さん』って呼んでるじゃないか」 「そ、それは……色々と事情があるんですの!」 どうやら御嬢様にとって、『月見さん』という呼び方は月見マナだけのものらしい。 「しかし……匠哉さん? どうして私の名前を知っているのか、教えてもらってもよろしいかしら?」 「……ッ!!?」 まずい! パニクって、信じられないミスを犯した俺……! 「そ、それは、私がお教えしたのです。私は、渡辺麗衣様に仕えている――と」 そこで、清水さんがフォロー。 「……そうですか」 とりあえず、納得してくれた模様。ナイス清水さん。 「それと、もしかして……韋駄天脚の月見匠哉さんですの?」 「あ、ああ。そんな風に呼ばれる事もあるな」 俺が、そう答えると。 「え……っ!?」 清水さんが、声を漏らした。 って、そこで清水さんが驚いちゃダメだろう……! 「……清水? 知らなかったんですの? お知り合いですのに?」 「いや、それは、その……」 ああもう、グダグダだぁー! 「そ、それはだな。恥ずかしいから黙ってたんだよ、れ……じゃなくて」 「麗衣、と呼んでもらって結構ですわ。しかし、清水。匠哉さんが黙っていたとはいえ、月見匠哉という名を聞いても分からなかったとは……些か、不注意ですわね」 「……も、申し訳ございません」 清水さんが、御嬢さ……麗衣に頭を下げる。 でも、仕方ないよなぁ。屋敷ではずっと月見マナを名乗ってたから、清水さんは俺の本名を今知ったんだし。 とにかく、これ以上会話を続けると致命的なボロが出る気がする。早く撤退すべきだ。 「……匠哉さん、1つお尋ねしたい事があるのですけれど」 しかし、麗衣は会話を続ける気らしい。 「な、何だ?」 「御親族に、月見マナさんという方はいませんか? 貴方と同じように、とても足の速い人なのですけど」 来た……! 「さ、さぁ……知らないな。マナなんて名前、聞いた事もない」 ……自分でも、今のは失敗したと分かった。 「『マナなんて名前、聞いた事もない』、ですか。確か星丘で見かけた時、同名の女性と会話をしていましたが」 「あ、あいつの名前は確かにマナだが、麗衣が言ってるのは月見マナだろ? そいつは聞いた事がない、って訳だ」 「…………」 あー、そろそろ限界かなぁ。 どうやってこの場を乗り切ろうかと、必死で考える。 だが―― 「……そうですか。心当たりはないのですね」 麗衣は少し悲しそうに、そう答えた。 ……どうやら、今の話を信じたらしい。 「では、私はそろそろ行きますわ。御機嫌よう、匠哉さん」 俺に背を向け、麗衣は歩き出す。清水さんは一礼した後、彼女に続いた。 「……ふぅ」 何とか、なったか。 「しかしあいつ、月見マナの事気にしてるんだな……」 かと言って、自分から探しに行く事は出来ないのだろう。麗衣は裏の住人。必要以上に他人と関われば、巻き込む事になってしまう。 事実、前回だってそんな感じだったしな。別に気にしちゃいないけど。 「…………」 俺は、清水の舞台から歩き去って行く。 急遽予定を変更し、俺はある場所に向かっていた。 そこは、公園。何の変哲もない、小さな公園である。 しかしこの公園は、かつては京の都城の正門だったのだ。 北の朱雀門と相対する、南の門――羅生門。 今では、羅生門の跡地である事を示す石碑が残ってるだけの場所。 ――そこに。エプロンドレスを纏った鬼が、佇んでいた。 まるで伝説の再現のようだ。門はすでになく、彼女も以前のような力はないのだろう。 だが、それでも……この光景には、完成された一体感がある。 「……月見、さん?」 どうやら、俺の事に気付いたらしい。 片手を上げ、よっ、と挨拶をする。 「観光に来たら、清水さんや麗衣に会ったもんでな。お前はここだろうと思って来たら、見事にビンゴって訳だ」 「観光、ですかぁ……」 「すぐに立ち去るつもりだったが……ま、見付かったら仕方ないな」 俺は、頭をかく。 「やっぱり、ここは思い出深い場所なのか?」 「ええ、悪い思い出ですけどねぇ」 茨木童子は、ここで麗衣の先祖――渡辺綱と闘い、髭切で腕を斬り落とされた。 その後に腕は取り返したが、話によるとその傷はまだ癒えていないらしい。 ……そう言えば、茨木はあの大江山でも綱と闘ってるんだっけ。まったく、つくづく縁があるようだ。 「御嬢様と会ったそうですけど、もう会議は終わったんですかぁ?」 「ああ、そうみたいだな。清水寺で清水さんと合流してたぞ」 「そうですかぁ……」 茨木は1度顔を下げた後、よし、と気合いを入れて、 「じゃあ、私も行かないと。いつまでも、黄昏てはいられないですぅ」 公園から出るために、石碑に背を向けて歩き出す。 そして―― 「――悪いが、行かせる訳にはゆかぬな」 その声によって、すぐに足を止める事になった。 「……ッ!?」 身体が凍るような、凄まじい威圧感。 ……この声は。 振り返ると、そこには――巫女装束を纏った、黄泉の軍兵が存在した。 「……花音」 恐れと共に、その名を呟く。 「ん? 其方、初見のはずだが、何故某の名を知っている?」 「……どうでもいいだろ、そんな事は」 「そうだな……どうでもよい。其方の存在など、某にとってはどうでもよい瑣末事だ」 花音は、ギリリと弓を引き絞る。 「迂闊であったな、茨木童子。単独行動など、襲ってくれと言っているようなものだぞ?」 矢が、放たれた。 跳び退いた俺達が立っていた地面を、矢はふざけた破壊力で貫く。 「月見さん、あの人が……!」 「ああ、例の谷川花音だ!」 俺と茨木は公園から逃げ出そうと、一直線に走り出す。 何の武器もない俺は勿論、接近戦が主体の茨木も、生弓矢を操る花音に勝つ術はない。 公園から、跳び出した時。 「……え?」 俺達は、何故かまだ公園の中にいた。 飛来する矢を躱し、再び公園から出る。 ――それでも。俺達の身体は、また公園の中に戻されていた。 「ど、どういう事ですぅ!?」 「…………」 何か、前にもこんな事があったな。 ボラクラの活動で、イスラエル大使館に行った時。俺とマナは、同じ廊下をグルグルと何度も通る事になった。 アレは迅徒の折り紙によるフェイクだったが……マナが何か、言ってた気がする。 ウロボロスの結界。確か、そんな事を。 「……輪廻の蛇、か。なるほど、いくら出ようとしても、同じ所に廻されるんだな」 しかしそうなると、俺の売りである逃走が出来ない。はっきり言って絶望的だ。 「ふふ、見事な回廊であろう? ……まぁ、奴の狙撃がこの場に届かなくなるのは難点だが」 落ち着け……まだ2対1だ。全力で頭を回せば何とかなる。 ――なのに。 俺の考えを嘲笑うかの如く、もう1つの気配が顕現した。 「……え?」 茨木はその者を見て、完全に凍りついた。 現れたのは、茨木と同じくらいの童子。首には頭と身体を繋ぎ合わせたような、不自然な縫い跡がある。 ……人間離れした、美しさだった。美少年――そんなつまらない言葉では言い表せない、天上の神童。 だがその瞳には、何の光も宿していない。 「そんな……酒呑……!!?」 茨木は信じられないモノを見たような顔で、悲鳴を上げるように呟いた。 「酒呑だと……!?」 ……まさか、あの酒呑童子だと言うのか。 大江山にて、神仏の加護を得た源頼光と渡辺綱を始めとする四天王、そして頼光の甥である平井保昌の6人によって退治された、鬼の王。 八岐大蛇の子ともされる、恐るべき大妖。 「バカな! 死者を甦らすのはお前達の得意技だろうが、死体が現存しないモノまで生き返らせる事は不可能だろう……!」 「死体が現存しない、とは早計だな」 花音が笑う。 「源頼光が斬り落とした酒呑童子の首は、どうなった?」 「……宇治の宝蔵に納められた、という話は聞いた事があるが」 宇治の宝蔵――藤原氏の財宝が収納された、平等院の宝蔵である。 酒呑童子の首も、ここに納められたという。 「だが……平等院宝蔵は、戦火によって焼失したはずだぞ」 「だからこそだ。戦乱の中で、首は平等院より持ち出された。そして現代になって、サンフォールがそれを手に入れたという訳だ」 「……身体は、どうした?」 「詳しくは知らぬが、想像は出来る。酒呑童子に相応しい身体を選び、ソレに首を繋ぎ、蘇生させたのであろうな」 「……っ」 だから、首に縫い跡があるのか。 「酒呑、酒呑! 私の事が分からないんですかぁっ!!?」 茨木が叫ぶが、酒呑童子にその声が届く様子はない。 「無駄だ、茨木童子。やはり、首だけの蘇生では無理があったのだろう。酒呑童子の意思までは、黄泉還らせる事が出来なかったようだ。今のこの者は、使役されるゾンビどもと変わらんよ」 「……ッ!!」 茨木は、憎悪を込めた眼で花音を睨む。 ……思わず息を止めてしまうほどの、殺意。 「殺す――殺してやる……っ!」 「――だが」 花音はその殺意を真正面から受けながらも、涼しげに笑う。 「今の某等ではこれが限界だが……研究を進め技術を高めれば、いずれは完全に酒呑童子を黄泉還らす事も出来るはずだ」 「……ッ!!!?」 茨木は、今度こそ完璧に止まった。 ……クソ、花音の目的が見えてきた。いつでも殺せたはずなのに、俺達を生かしたのはコレを言うためか。 「つまりアレか。酒呑童子の蘇生と引き換えに、茨木を懐柔したいんだな」 「懐柔、とは人聞きが悪いな」 「……ふん。結界のせいで、聞いてる人間なんて俺達以外いねえよ」 「ふむ、それもそうか。なら、其方はここで始末しなければな。『死人に口なし』――だ」 げっ、墓穴った!? 何が『死人に口なし』だ! お前、死人のクセにベラベラ喋ってるだろうが……! 「――殺るぞ、酒呑童子」 酒呑童子が、俺の後ろに回る。これで、俺は花音と酒呑童子に挟まれた訳だ。 ……絶体絶命、だな。茨木も、今の状態じゃまともに闘えないだろうし。 ここで俺が生き残るには、偶然に賭けるしかない。 ――例えば、会議を終えた麗衣が茨木を探しに出て。 「覚悟はいいな?」 そしてここに辿り着いて、張られている結界に気付いて。 髭切で結界を斬り裂いて、中に入ってくれば。 「いや、覚悟は必要ない。どうやら、まだ運は向いてるみたいだ」 世界に、亀裂が奔った。 「何……ッ!!?」 「――茨木!」 その亀裂から、清水さんを連れた麗衣が跳び込んで来る。 「……って、匠哉さん? 何故貴方まで――」 「詳しい説明は後だ。まずはこいつ等を何とかしてくれ」 「……!!」 麗衣は花音と酒呑童子を視認し、花音の方と対峙する。 「谷川……花音……ッ!!」 「……チッ、邪魔が入ったか」 花音の目配せで、酒呑童子が動こうとするが―― 「――御嬢様には、近付かせませんよ」 清水さんが、それを防ぐ。 「……まぁいい、目的は果たした」 花音と酒呑童子の姿が、薄くなり始める。 「――!!? 逃げるつもりですの!?」 「『逃げる』? 笑わせるな、渡辺の娘。見逃してやるのだ」 「……ッ!」 花音は麗衣を嘲笑うと、酒呑童子と共に消え去った。 「…………」 結界が消えると、麗衣は太刀を鞘に戻した。 「……とりあえず、私達が宿泊しているホテルに行きましょう。匠哉さん――そこで、何があったか話してもらいますわよ」 「ああ、構わない」 俺は茨木に眼を向ける。 ……彼女は力のない瞳で、呆然としているだけ。 とあるホテルの一室。そこに、麗衣と清水さん、そして俺が集まっていた。 ……金持ちはいい所に泊まりやがるなぁ。けっ。 「酒呑童子の完全蘇生、ですか」 「ああ。連中はそれをエサに、茨木を味方に引き込むつもりみたいだ。茨木の力が欲しいというより、渡辺家の戦力を削りたいんだろうけど」 「…………」 麗衣は表情を歪めて、 「……ふざけた連中ですわね」 と、呟いた。 「それで、肝心の茨木は?」 「……茨木さんは、さっきから自分の部屋に閉じ篭っています」 俺の問いに、清水さんが辛そうに答える。 「……よし。なら、ちょっと様子を見に行ってくるか」 余計なお世話だろうが、どうしても気になるのだ。文句あるか。 「なら、私も――」 「いや、麗衣はここにいろ」 「……え?」 麗衣は一瞬だけ呆けて、 「分かんないか? お前は、酒呑童子を討った一派の末裔なんだぞ」 次のその言葉で、ビクリと震えた。 「血を引いているだけならともかく、お前はそれを誇りとしている人間だ。なら――この件に関して、お前が茨木にしてやれる事は何もない」 「…………」 麗衣が、俯く。 「でも……でも、私は」 ……今にも、泣き出しそうな声。 あー、俺って最低だなぁ。 「ま、そう悪い事にはならんだろ」 俺は気休めの言葉を口にして、部屋から出て行った。 ……茨木の部屋。 何と言うか、部屋の雰囲気が恐ろしく沈んでる。 「……何の用ですぅ?」 部屋の隅に蹲っている茨木が、俺を見ないまま言う。 「様子を見に来ただけだ。喋れるんなら、まだ大丈夫だな」 「……私を、止めに来たんですかぁ? サンフォールに行くな、って」 「いや、そんな事は言わんよ」 「…………」 俺が、そこまで渡辺家に肩入れしなきゃならない理由はない。もう、メイドではない訳だし。 「お前と酒呑童子の事を知ってれば、そんな言葉は言えんさ」 茨木童子は、酒呑童子の副将だったらしい。妻だったという話もあるくらいである。 「……私が、醜い鬼に成り果てた時。酒呑と出会いました」 「…………」 「それはきっと、奇跡だったと思いますぅ」 ……だろうな。鬼が鬼として生きてゆくには、鬼の社会に入るしかないだろう。 その点、茨木がすぐに酒呑童子の仲間になれたのは、幸いだったに違いない。 「私達はあの大江山で、歌ったり踊ったりして、笑いながら生きていました。……楽しかった。鬼に成った苦しみなんて、なくなってしまうほど楽しかったですぅ」 「…………」 「酒呑は圧倒的な力を持ち、我等の王に相応しかった。人間を根絶やしにして、この葦原千五百秋瑞穂国を鬼の世界に出来ると、誰もが信じていました」 「夢破れる……訳か」 「……はい。頼光達の騙し討ちによって、酒呑を始めとする大江山の鬼達はほとんどが滅ぼされ。生き残った私も、羅生門を根城にしていたら――」 「綱に腕をバッサリ、だな」 「…………」 茨木は頭を抱える。 「……どうして、私は鬼として生まれたんでしょう? 人の父と、人の母から生まれて来たのに」 「さあねぇ……国津神の血でも引いていたんじゃないか?」 「真っ当な人間として生まれて来れば、こんなに苦しまずに済んだのに……!」 ……むぅ。 「残念だが。人間として生まれても、苦しいのは同じだと思うぞ」 「え……?」 茨木が、顔を上げる。 「よし、愚か者の話をしよう。そいつは生まれてすぐに、親から捨てられた」 「……すぐって。どれくらいすぐなんですかぁ?」 「そりゃもう、生まれた直後だよ。へその緒も取れてないような赤ん坊を家に残して、両親は消え去ったんだ」 「…………」 「さて、ここで問題です。その後、その赤ん坊はどうやって生き延びたでしょう?」 茨木は少し考えて、 「……やっぱり、誰かに拾われたんじゃないですかぁ?」 と、真っ当な答えを口にした。 「外れだ。家の中に放置された赤ん坊に気付く事なんて、普通ないだろ」 「……でも、知り合いが家の様子を怪しんで、上がって来たりとか」 「知り合いならなおさらだ。両親は借金まみれで、そのツケが全てそいつに回って来る。まともな人間なら、引き取ろうだなんて考えるはずがない」 「なら、どうやって」 「簡単だ。1人で生き延びたんだよ」 まぁ、ただそれだけの事なのだが。 「赤ん坊のそいつは、泣くのを止めた。水分の無駄だからな。そして、歯も生えてない口で蟲や鼠を喰い千切り、泥水を啜る。四足歩行は効率が悪かったから、身体の構造に逆らって、無理矢理立ち上がった」 「……そんな」 「誰にも頼らず。たった1人で、生き抜いたんだ」 助けてくれる者は、誰もいなかった。両親も親戚も近所の人も、家に潜んでいた貧乏神も。 「で、ここからが面白いんだが。苦労した甲斐あって、そいつはそれなりに成長する事が出来た。だが、そこで1つの疑問にブチ当たる」 茨木は呼吸を忘れたような様子で、俺を見ている。 「どうして、そこまでして生き延びなければならなかったのか――ってね」 「……っ」 「この世界で生き延びたって、いい事なんてほとんどないのに」 まさしく道化である。 「かと言って、せっかく生き延びたのに、自殺するのは惜しい。あとは誰かに殺されるしかない訳だが、困った事に痛いとか苦しいとか無駄死にとかは嫌だから、なかなか死ねない」 「…………」 「滑稽だろう? 生き延びる必要はなかったのに、苦痛を受けてまで生き延びた」 「……止めてください」 「そいつは、人助けをする事が多くてね。どうやら――自分が助けてもらえなかったから、誰かを助けたいらしい。まったく、愚かにもほどがある」 「――止めてくださいッッ!!!!」 茨木の絶叫で、部屋が静かになる。 「……えっと、茨木?」 「…………」 「……ま、結局何が言いたいのかというとだな。人として生まれようが鬼として生まれようが、この世が苦海である事に変わりはないって話だ」 茨木は、再び俯く。 「それと。お前が鬼として生まれて来なければ、酒呑童子や麗衣達と出会う事もなかったんだぞ。何と言うか、それじゃ面白くないだろ」 俺は好き勝手言うと、茨木を見る。 ……反応は、ない。 「どうするにしても、なるべく早く決めた方がいいだろうな。連中、気が短そうだし」 最後にそう言い残し、俺はその部屋から出て行った。 「――重症」 茨木の様子を尋ねる麗衣に、俺は簡潔に答える。 「そうですか……まぁ、仕方ありませんわね」 普段からは考えられないほど、凹んでいる麗衣。 「……茨木さんは、どうするのでしょうね」 清水さんが、独り言のように呟く。 「さぁ……何とも言えません」 俺は言うと、ソファーに座る。 ……どうやら、ただの京都観光では終わりそうにない。 「……お?」 ふと気付いたら、窓の外が暗くなっていた。 ……どうやら、ソファーで眠ってしまったらしい。 「夜、か……」 部屋には、麗衣も清水さんもいない。 ……何か、あったのか? 俺は部屋から出ると、茨木の部屋へと向かう。 そして、ドアを開けると。 「くそっ……俺の馬鹿」 麗衣や清水さんは勿論、茨木の姿までもがなかった。 机には、紙が1枚あり――『今夜、答えを聞かせに来い』と書かれていた。 ……茨木は、届けられたコレを見て部屋から出た。茨木が消えた事に気付いた麗衣と清水さんも、慌てて捜しに行った――ってな感じか。 「さて。問題は、茨木がどこに行ったか……」 手紙では、場所が指定されていない。だとすれば―― 「考えるまでもないか。大江山だろうな」 酒呑童子や茨木が棲んでいた山。茨木が向かったのはそこだ。 ――恐らく。山では、花音と酒呑童子が待っているのだろう。 「…………」 ……俺が追っかけなければならない理由は、何もないのだが。 「おい、パック。聞こえるか?」 俺は、頭の中でパックに呼びかける。 『匠哉? どうしたのさ?』 「今、どこにいる?」 『五条大橋なのさー』 「……お前、こんな時間になっても観光してたんかい」 『う……って、そういう匠哉はどうしてるのさ?』 「こっちは非常事態だ。大至急大江山まで飛びたいから、頼む」 パックが、溜息をつく。 『やっぱり予想通りなのさ。匠哉がこんな曰く付きの都市に来るなんて、飛んで火に入る何とやらだと思ってたのさ』 「…………」 反論出来ねえ。 「……とにかく、すぐにこっちに来てくれるか? 俺の場所は――」 『念話が繋がってるから、匠哉の場所は聞かなくても分かるのさ』 「そりゃ話が早くていい。あ、こっちに来る前に1度俺の家に飛んで、天羽々斬を持って来て欲しいんだ」 『天羽々斬……分かったのさ』 「それともう1つ。お前、級長と契約してるよな?」 『……何を今更、当たり前の事を言ってるのさ?』 「それって、誰とでも出来るものなのか?」 『出来る事には出来るのさ。でも、魔法冥土としての適性が高い要芽とは違って、変身に時間制限が付くと思うのさ』 時間制限……か。ま、無理じゃないのならそれでいい。 「よし、分かった。急いでくれよ」 京都府福知山市大江町――大江山。 「…………」 茨木は山の八合目に佇む、鬼嶽稲荷神社に辿り着いていた。 境内にある鳥居を抜け、駆ける。 数百メートル進んだ先に――その洞窟はあった。 かつて酒呑童子一派が根城としていた、鬼の洞窟である。 小さな祠があるだけの狭い洞窟は、今は空間が捻じ曲がったように、奥に続いていた。 洞窟の中は――金銀によって飾り付けられた、竜宮の如き宮殿。 茨木は、中に踏み込む。 懐かしい廊下を走り抜け、辿り着いた広間には。 「――来たな、茨木童子」 鬼の王と、黄泉の軍兵が待ち構えていた。 「早速だが、答えを聞かせてもらおうか」 「……その前に、聞きたい事があるですぅ。本当に、酒呑を完全に黄泉還らせる事が出来るんですか?」 茨木は花音を真っ直ぐ見ながら、問う。 「…………」 「さっきの貴方の言葉は、余りにも不確定。そう簡単には、信じられないですぅ」 「……確かに、其方の言う事は正しい。今のサンフォールの技で無理なのだから、未来のサンフォールの技でも無理なのではないか、と考えるのは当然だ」 花音は、茨木を見詰める。 「だが、必ず蘇生させる。もし、それが果たされなかったら……この首をくれてやろう」 嘘はない。花音の瞳は、死人とは思えぬほど澄んでいる。 「…………」 茨木は、周りを見る。 煌びやかな宮殿。かつてはここで、酒呑童子や茨木、そして鬼の皆が踊り歌い、楽しく生きていた。 「あの頃の生活が戻って来るなら、どれほどいいでしょう。私が、それを夢見なかった日はないですぅ」 でも―― 「サンフォールが、酒呑を蘇生させるというのなら。私は、貴方達を倒さなきゃならないですぅ」 この宮殿で行われた、あらゆる享楽。それは結局、生きる苦しみを誤魔化すためのモノだった。 鬼として生まれ、鬼として生きる。それを受け入れるには、この世のあらゆる享楽で痛みを忘れるしかなかった。 「……あの頃の生活が戻って来るなら、どれほどいいでしょう」 茨木は、同じ言葉を口にする。 「でも、戻っては来ないんですぅ。酒呑が生き返っても、時の針が戻る訳ではないんですから。それに――酒呑は最も力があるが故に、最も世を憎んでいました」 茨木はふたりを見据えて、 「彼は『死』という安息を得て、ようやく眠りに就いた。それを乱し、酒呑をこの苦海に呼び戻すだなんて事は……絶対に、認められません」 と、血を吐くように、言った。 「……それは、其方の本心ではないな」 静かな、花音の言葉。 「……当たり前ですぅ」 酒呑童子が生き返れば、どれほど茨木は救われるだろう。 「でも、私の言葉に嘘はありません」 茨木が救われる代わりに、酒呑童子は『死』という救いを失う。それは、あまりにも無意味。 「だから私は、その身体を壊しに来ました。ソレに酒呑の魂が宿り、黄泉還るなんて事がないように……!」 茨木は、酒呑童子の『器』と向かい合う。 「ならば、闘いでしか決着はない」 花音が呟いたのと同時に、酒呑童子も茨木を迎え撃つように前に出る。 ――かつて京の都を脅かした、二柱の鬼神。それが今宵、相対した。 「はぁ……!」 茨木と酒呑童子の拳が衝突し、大地を震わす。 ふたりは広間を駆け巡り、互いの力を競う。 「…………」 花音は、茨木に向かって弓を引く。 この一戦に重い意味がある事は、花音も分かっている。だが、それでも彼女は確実な勝利を優先する。 「く……っ!」 それに気付かぬ茨木ではないが、酒呑童子の相手をしながら、花音の矢を回避するのは不可能。 「――済まぬな、茨木童子」 矢が、花音の手から放れる。 その矢は、稲妻のように茨木へと襲いかかり―― 「――はっ!!」 割り込んだメイドの剣によって、弾き飛ばされた。 「失礼ですが、花音様。かつて盟友であったふたりの闘いに手を出すのは、さすがに無粋が過ぎるかと」 「月見……!?」 「――月見さんッ!!?」 よし、どうにか間に合った。 しかし、毎度毎度ギリギリのタイミングだよなぁ。心臓に悪い。 「月見さん、どうして……!?」 「話は後にしましょう。貴方は、貴方の決着を」 俺は茨木を見て、 「――花音様のお相手は、僭越ながらこの私が。彼女の攻撃は、一粒であろうとそちらには行かせません」 と、我ながら無茶な事を口にした。 「……分かりました」 茨木は頷き、酒呑童子との闘いに集中する。 ……さて、と。 「某の相手とは大きく出たな、月見」 花音が笑う。何つーか、『お前殺す』って感じの笑い方だ。本気で恐い。 「しかし、この京都に入った渡辺の関係者は、渡辺麗衣と清水政彦、そして茨木童子だけだったはずだが」 「……申し訳ありませんが、それは企業秘密という事で」 真実は、花音の予想を大きく上回るだろうなぁ。 「こちらもお尋ねしたいのですが。洞窟の、この有様は……?」 洞窟が広く豪華になってるのに気付いた時は、かなりヒビった。まさしく、『鬼が出るか蛇が出るか』。 「いや、某もよく分からんのだが。恐らく、酒呑童子の帰還によって異界と化したのであろう」 「…………」 ……分からんって、アンタ。 「そうですか。電化製品の使い方以外にも、分からない事はあると」 「ああ、そうだ――……待て」 あ、何か殺気が増した。 「……何故、そんな事を知っている」 「前回の戦いの後、清水さんや茨木さんからお聞きしたのです。どうやら、ハロルド様が口にしてしまったようですね」 「――……ふふ。そうか、奴か」 うおぉう、修羅の笑み。こりゃ死んだな、ハロルド・カーライル。 「……まぁ、それより」 花音は、俺の手元を見る。 「その剣は……」 「――天羽々斬、でございます」 「…………」 相当嫌そうだ。ま、当然だが。 「蛇しか斬れぬナマクラですが……貴方様を斬るには、十分でしょう」 「……草薙剣に次いで天羽々斬か。其方、一体いくつの神器を持っている?」 「私の物ではありませんよ。草薙もこの剣も、借り物ですから」 「だとしても同じ事だ。神剣を何本も持っているなど……何者なのだ?」 「それは……聞かない方がよろしいかと」 大霊神社の祭神の一柱が貧乏神に成ってて、毎日食っちゃ寝してると知ったら、花音はこの場でショック死するかも知れない。いや、もう死んでるけどさ。 「……まぁよい。その忌まわしき剣、この場で叩き折って鉄屑にしてくれよう」 花音は、須佐之男の弓矢を俺に向ける。 「黄泉から這い出した雑兵に過ぎぬ貴方様に、それが出来ますか?」 俺は、須佐之男の神剣を花音に向ける。 気合いを入れろ。ここからの正念場、一手でも間違えれば塵のように死ぬぞ。 ……よし。 「魔法冥土ツキミ――いざ、参ります」 「――っ!」 酒呑童子の拳を、茨木は腕で受ける。 カウンターで1発、酒呑童子に打ち込むが――手応えは弱い。酒呑童子は後方に跳び、闘いは振り出しに戻る。 「…………」 腕の傷が癒えていない故に、童子形での闘いを強いられる茨木。 だがそれは、酒呑童子も同じだった。不完全な蘇生では、力を取り戻す事など出来るはずもない。 条件は互角。よって、純粋に能力が勝敗を決める。 (……なら、私に勝ち目なんてないですよねぇ) 玉藻前や崇徳上皇と共に、日本三大悪妖怪と呼ばれる酒呑童子。そのような鬼王を相手に、多少力があるとはいえ、一介の鬼に過ぎない茨木が勝てる道理はない。 事実、酒呑童子の拳を受けた腕は――動かせないほど、痛む。 茨木はほとんどまともに攻撃出来ていないのに、向こうは一撃だけでもこの威力。 「……っ」 だが、どんな手を使ってでも、茨木は勝たなければならない。 酒呑童子の眠りを、護るために。 それに――月見マナは茨木の願いに付き合って、あの花音と闘っている。 「…………」 自分が助けてもらえなかったから、誰かを助けたいと彼は言った。それを、愚かな事だとも。 茨木もそう思う。結局、それは自分を慰めているだけなのだから。 しかし、彼は自分の行動を愚かだと言いながらも、迷わずそれをやっている。 どれだけ愚かでも――その先に何かあるのではないかと、必死でもがいているのだ。 だから、茨木は敗けられない。敗ければ彼の行為は無駄となり、本当に愚かなだけのモノになってしまう。 それではあまりにも――彼が救われないと、茨木は思うのだ。 「りゃ……ッ!!」 絶え間なく飛来する矢を、天羽々斬で斬り払う。 パックと契約しといて正解だった。魔法冥土の力がなかったら、最初の一矢で死んでいただろう。 しかしそうなると、生身でコレを防いでいた麗衣はとんでもないよなぁ。 「今日の其方、前回とは見違えるほどの理力を感じるが。一体何事だ?」 「それも……企業秘密です!」 言いながら、剣で矢を弾く。 「……秘密の多い事だ。其方の名、偽名であろう?」 「な……ッ!!?」 「そんなに驚くな。月見マナという名からは、ほとんど言霊が感じられん。渡辺の娘は欺けても、某を欺く事など出来んぞ」 言霊が感じられないって……一応、神の名前なんだが。 ……あー。でも、あいつにとってもこの名は偽名だしな。 「そう言えば、さっき茨木童子と一緒にいた男。随分と其方に色が似ていたな」 げ……ッ!!? 「いやはや、世の中には奇妙な事もあるものだ」 「…………」 ……どうやら、さすがに同一人物だとは気付かないようだ。 詰めが甘いよなぁ。麗衣と同じく。 「で、いつまで頑張るつもりだ? まぁ、某とて鬼畜ではない。その剣を置いて逃げるなら、見逃してやるが?」 「……そのお気持ちだけ、受け取っておきましょう」 さて、そろそろ攻め込むか。 「行きます――……!」 俺は今までの防戦を止め、矢を弾きながらも少しずつ花音との間合いを詰めて行く。 麗衣に出来なかった事を俺に出来るか激しく不安だが、魔法冥土の力で何とか押し切ってみせる。 「ふふ――そうだ、そうでなくては興が乗らん……!」 苛烈さを増す、矢の連射。 俺はそれをギリギリで防ぎながら、1歩ずつ距離を縮めて行く。 ――その時。 「あ……っ!?」 甲高い音と共に、俺の手から天羽々斬が弾かれた。 「ふん、終わりか」 花音は詰まらなそうに呟くと、弓を構え直す。 今までのような速射ではなく、確実に射殺すための八節。 ――しかし。 「……莫迦が」 俺はそう呟き、地を蹴る。 「迷いの森の夏至前夜、妖精達は舞い騒ぐ――」 麗衣とまったく同じミスを侵すほど、俺も学習能力がない訳ではない。 そして――速射でないのなら、間合いを詰める事など容易いのだ。 「何……っ!!?」 ギアを一気に上げ、花音に接近する。 「スペシャル御奉仕! 『メイド・ソード』ッ!!」 魔法冥土としての魔装を、具現化させる。 その剣で―― 「ぐ……っ!?」 俺は花音に、一太刀浴びせた。 「迷いの森の夏至前夜、妖精達は舞い騒ぐ――」 無論、それだけでは不死の黒魔術師を斃す事など出来ない。 「我が敵は、かのウルク王より不老不死を奪いし蛇の眷属!」 ……以前、級長は己のハンマーで、北欧の雷神の鉄槌を再現した。 勿論、そんな事は付け焼刃の俺には無理だ。 「故に我が呼び求めるは、恐れを知らぬ者の魔剣なり!」 だが、天羽々斬のイメージがこの手に残っている今なら。 北欧に伝わる竜殺しの剣を、再現出来る……! 「チィ……!」 距離を離そうと、後ろに跳ぶ花音。俺はそれを追う。 人間の身体は、前に進むように出来ている。後ろに跳ぶ花音と、前に跳ぶ俺。 ならば、どちらが速いかは明白――! 「スペシャル御奉仕!! 『メイド・グラム』ッ!!」 今度こそ。 俺の斬撃は、花音を捉えた。 「がぁぁぁぁ……っっ!!!?」 花音は、苦悶の声を上げる。 「きゃ――ッ!?」 殴り飛ばされた茨木は、壁に叩き付けられた。 戦闘開始から、数十分。茨木は少しずつ追い詰められてゆく。 「くぅ……!」 茨木はボロボロの身体をどうにか動かし、立ち上がる。 もう、理解していた。何があっても、自分の力では酒呑童子には勝てないと。 パーでどれだけ頑張っても、チョキに勝てないのと同じ事。 だが、それでも茨木は闘いを止めない。渡辺家の護法が鬼を相手に退くなど、あってはならないのだ。 風のように間合いを詰めた酒呑童子の、拳が炸裂する。 茨木は、再度壁に叩き付けられた。 「はぁ……!!」 酒呑童子に、蹴りを打ち込む茨木。 当然、そんな攻撃は通じない。茨木は、逆に蹴り飛ばされてしまう。 「っ、は……」 血を吐く。 闘い続ければ、死ぬ。茨木は、それをはっきりと感じた。 ついに、その場に倒れる。 「月見、さん……」 向こうからは、剣と矢がぶつかり合う音が聞こえて来る。 「…………」 敗けられない、と思う。 しかしいくら強く思っても、身体はもう動いてくれない。 情けなかった。 渡辺麗衣なら、どれだけ傷付いても倒れたりはしないだろう。 清水政彦なら、どれだけ傷付いても諦めたりはしないだろう。 月見マナなら、どれだけ傷付いても敗けたりはしないだろう。 「……私は、こんなにも弱い――……」 酒呑童子はトドメを刺そうと、茨木に歩み寄る。 ――だが、その時。 「え……!?」 向こうから、一振りの剣が飛んで来た。 月見マナが持っていた神剣――天羽々斬である。 「……っ」 茨木は、涙が出そうになる。 こんな状況でも、運命は茨木を見捨ててはいない。 いや、あるいは――月見マナは、わざとこの剣をこちらに飛ばしたのかも知れなかった。 身体は、相変わらず動かない。 だが、知った事ではなかった。骨が折れようと肉が裂けようと呼吸が止まろうと、心は決して冷めないのだ。 「酒呑……!」 茨木は動かないはずの身体を起こし、たった1つの勝機を掴み取る。 酒呑童子の父を討った、伝説の神剣を。 「――貴方の安息は、誰にも邪魔させないですぅ……!!」 茨木は剣を振る。 刃は――まるでかつてのように、酒呑童子の首を断ち切った。 茨木の目の前で、酒呑童子の身体が消滅する。 そして――頭も。 残ったのは、『SunFall No.08』と刻まれた金属プレート。 「…………」 茨木は何も言わず、それを踏み潰した。 「クッ……! 奥津鏡、辺津鏡、八握剣、生玉、足玉、死反玉、道反玉、蛇比礼、蜂比礼、品物比礼、布瑠部由良由良、布瑠部由良由良止布瑠部……ッ!!」 花音は傷口に手を当て、神咒を唱える。 クソ、浅かったか!? 俺はもう1度花音を斬ろうとするが、 「天切る、地切る、八方切る、天に八違い、地に十の文字、一も十々、二も十々、三も十々、四も十々、五も十々、六も十々、ふっ切って放つ、さんびらり……!」 「く――!?」 放たれた矢によって、防がれた。 花音は走り出し、洞窟の出入口に向かう。 あんにゃろ……逃がすか! 「月見さん!」 声に眼を向けると、天羽々斬を持った茨木が走り寄って来る。 どうやら、あっちも決着が付いたらしい。 「花音が逃げた。追っ駆けるから、お前は待ってろ」 「いえ、私も行きますぅ」 「……身体、大丈夫なのか? 見るからにボロボロだが」 「大丈夫ではないですけど……月見さん1人じゃ、いざという時に大変ですから」 「……なるほど、それもそうだな」 俺は茨木から天羽々斬を受け取ると、一緒に花音を追う。 洞窟から出、夜の登山道を駆け登る花音。俺達も続く。 「あいつ、逃げるなら何で上に向かうんだ?」 それじゃあ、いずれ追い詰められるだろうに。 「実は逃げてるんじゃなくて、私達を誘い込んでいるとか……」 「……あるいはその両方、だな」 罠の可能性があるなら、深追いは危険だ。 しかし、今は花音を斃す絶好のチャンスでもある。これを逃す訳にもいかないだろう。 しばらく走った後、俺達は山頂まで辿り着く。 ここまで来れば、もはや逃げられない。 見晴らしのよい山頂で、花音は立ち止まり―― 「…………」 ……見晴らしの、よい? 「まさか……!!?」 俺は周囲を見回し――ソレに気付いた。 「――危ない!」 俺は茨木を抱き抱え、全力で跳ぶ。 次の瞬間。爆音みたいな銃声と共に、地面が抉り飛ばされた。 土が舞い、砂煙が立つ。 「――な、何ですかぁ!!?」 「狙撃だッ!」 俺は1番近くの木陰に身を隠した後、草むらの中に潜り込む。 「茨木、絶対に動くな……」 「は、はい……」 俺達は草の隙間から、花音の方に眼を向ける。 「でも、狙撃はどこから……?」 「ヘリコプターだよ。夜の闇に紛れて、1機のヘリが飛んでる」 「え……?」 茨木の困惑も当然か。 何故なら――ヘリのローター音が、まったく聞こえないのだ。 「そんな……MD600Nだって、ここまで静かじゃありませんよぉ!?」 黒いヘリは山頂上空でホヴァリングをし、花音に向かって縄梯子を下ろした。 巻き起こされる風が、草や葉を揺らす。それでも、ヘリは相変わらずの無音。 「……そう言えば、たまに聞くよな。アメリカ軍が、音のしないヘリコプターを運用してるって話」 ただの眉唾話だと思っていたが。 「アメリカ軍、って……」 「……軍の上層部に、サンフォールの信徒でもいるのかね」 花音が縄梯子を掴むと、ヘリは上昇。 そして――彼方へと、飛び去って行った。 「――助かった。礼を言うぞ」 ヘリの中で、花音は少女を見る。 「…………」 それに対して、相手は無言。 だが、それは仕方がない。何故なら、彼女の口には舌がないのだ。幼い頃、敵に捕まった時に余計な事を喋らないようにと、自分で切り落としたらしい。 少女の手には、1挺のライフル。バレットM82A1に、手を加えた一品である。 狙撃システムを抱え、ヘリの隅に座っている少女。 孤児だった少女に、名は存在しない。生前は『レイン』と呼ばれていたため、サンフォールでもそう呼ばれている。 かつてはクラウンというグループにおいて、プリンセスに次ぐ実力者だった戦士。 悪魔の如きと称えられた、恐るべき狙撃手である。 「し、死ぬかと思ったですぅ……」 「……まったくだ」 俺と茨木は、草むらの中から立ち上がる。 「それにしても、あの狙撃手……」 「ああ。俺達を見逃しやがったな」 殺る気がなかったのか花音の逃走を優先したのか、何なのか知らないが。 「初撃、あいつは走ってる茨木を撃ってきた」 静止標的ではなく、動いている人間を。 動体の方が狙撃の難易度が高いのは、言うまでもない。 「……月見さんが助けてくれなかったら、私は撃たれていたと思いますぅ」 「そう。なのに、逃げる俺達には1発も撃たなかった」 「私達が身を隠すまで、7秒くらいかかってました。ボルトアクションのライフルでも、次弾を発射する事は可能ですよねぇ」 「身を隠した後でも、サーマルヴィジョンとかなら見えただろうしな」 そんなもん、装備してなかったのかも知れないけど。 「……まぁ、いいか。とにかく助かったんだし、山を下りよう」 「はい」 「茨木、大丈夫ですの――って月見さん!?」 俺と茨木が鬼嶽稲荷神社まで戻って来ると、ちょうど麗衣と清水さんが登って来た。 「お久し振りでございます、御嬢様」 メイドモードにチェンジする俺。 「御嬢様、こっちは全部終わりましたよぉ」 茨木は、笑顔で麗衣に言う。 「……そうですか」 麗衣はそれで、全て察したらしい。 「では。名残惜しいですが、私は御暇しましょう」 いい加減、変身が解けかかっているのだ。早くバックれないと。 「え? ちょ、ちょっと月見さん――」 俺は麗衣にニコリと微笑み、走り出す。 「月見さん、待って!」 麗衣の声を聞こえないフリして、進む。 ……何か、シンデレラになった気分だ。ドレスはドレスでもエプロンドレスだから、小間使いのままなのだが。 ――数日後、渡辺家。 「IEOによると、アメリカ軍に在籍しているサンフォール信徒は12人。でも、怪しい点はないみたいですわ。きっと、サンフォールの真の姿を知らない、普通の信徒なんでしょう」 麗衣は送られて来た調査結果を、茨木に教える。 「……つまり、アメリカ軍に怪しい者はいないという訳ですねぇ」 例のヘリに関して、渡辺家はIEOに調査を依頼していた。 しかしこれでは、成果はないに等しい。 「あるいは、IEOの手が届かないほどの深部に、何かあるのかも知れませんわね」 「御嬢様、エリア51ですか?」 「……そこまで飛躍しませんわよ」 「でも、あのヘリは絶対にオーヴァー・テクノロジィですよぉ? きっと、宇宙人の技術提供があるんですぅ……!」 「な、何だってー」 とりあえず、お約束な答えを返す麗衣。だが麗衣も、少しだけその可能性を考えていたりするのであった。 「まぁ、私はヘリをこの眼で見ていないので、何とも言えませんわね……」 付近での目撃情報はない。よってヘリを見たのは、茨木と月見マナだけである。 「……月見さん、どうしてるでしょう」 ポツリと、茨木は漏らす。 まるで鬼のように、生きる事そのものに苦しみを感じる少年。 酒呑童子がその苦しみから開放されるには、『死』しかなかった。 ――ならば彼も、『死』でしか救われないのだろうか。 「……違う」 決意を込め、茨木は言葉にする。 茨木は、酒呑童子をこの世で救えなかった。その間違いを、彼で繰り返してはいけない。 ……とは言っても茨木には、もう彼との接点はないのだが。 「京都の神社仏閣を巡ったとは言え、さすがに仏の顔も四度目はないですよねぇ」 今まで三度も彼が渡辺家に関わった事が、すでに奇跡だったのだ。四度目は期待出来ない。 「……茨木。さっきから、何をひとりでブツブツ呟いてますの?」 「あ、な、何でもないですぅ」 「怪しいですわね……」 と、その時。 机の上の、電話機が鳴った。どうやら内線らしい。 「はい?」 『御嬢様、御客様がお見えになっていますが』 受話器の向こうは、清水。 「……そんな予定はありませんわよ?」 『ええ。ですが、会われた方がよろしいと思いますよ』 そう言い、清水は小さく笑う。 「分かりましたわ。お通ししなさい」 『畏まりました』 麗衣は電話を切る。 そして、しばらくすると。 「御嬢様、御客様をお連れしました」 ノックの後に、清水の声。 ドアが開き、清水に連れられて入って来たのは。 「――つ、月見さん!?」 「またお会い出来て光栄です、御嬢様」 月見マナは、一礼する。 「今日は御嬢様に、お頼みしたい事があって参りました」 「頼みたい事……ですの?」 「ええ」 月見マナの真剣な表情に、ゴクリと息を呑む麗衣と茨木。 「私を……ここでバイトとして雇ってもらえないでしょうか!?」 「……は?」 「バイト先の店長が、『私は広い世界を見るのよ……!』と言い残して蒸発してしまったのです! よって、現在の私は無収入。このままでは、このままでは生きてゆけません……!」 半分泣きそうな顔で、必死に訴える月見マナ。 「しかし私は同居人のために家事をしなければならないので、この屋敷に住み込む事が出来ないのです。無理は承知ですが、屋敷に出入りしながら働く事は出来ないでしょうか……?」 「つ、月見さん……」 「もう、御嬢様しか頼れる方がいないのです!」 「…………」 麗衣は、はぁと息をつき、 「……分かりましたわ。本来なら住み込み以外は認められませんが、他ならぬ月見さんの頼みですもの。特別に許可しますわ」 月見マナは、ぱぁっと笑顔になる。 「あ、ありがとうございます、御嬢様!」 「何をするかは、分かっていますわね?」 「……勿論、メイドですよね」 「ええ」 ガックリとする、月見マナ。 それを見て笑う麗衣に、 「嬉しそうですねぇ、御嬢様」 茨木から、声が届いた。 「……あら、それは貴方も同じではないかしら? 顔が綻んでますわよ」 「え? そ、そうですかぁ?」 茨木は、窓に自分の顔を映してみる。 そこには――確かに、女の子の笑顔があった。
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