拝啓。
 地獄のお父さんお母さん。
 ――俺は今、大豪邸でメイドをやっています。


貧家外伝・メイド戦記

大根メロン


 ……何故こんな事に。
 いやもう月見匠哉の人生においては日常茶飯事だが、それでも言わせてもらおう。何故こんな事に。
 つーか、ここはどこだ。
「あーあ……」
 いつもの帰り道――それだけで、トラブルへのフラグが色々と隠れている訳だが――俺は、怪しい集団に捕まってしまった。
 まぁ、その方々の正体は見当が付く。
 だから訊くな。俺の借金はそりゃもう凄いのだ。
 しかし、大人しく捕まっている俺ではない。隙を見て逃げ出すなんて事にチャレンジし、見事に成功させた。伊達に毎回死線を越えてる訳ではないのだよ。
 だが……逃げ出してみると、そこは見知らぬ場所だったのである。
「知り合いとかと、バッタリ会わないかなー……」
 いや、それは危険だ。こういう謎の地で知り合いに会うと、大体その後はロクでもない怪事に巻き込まれる。詳しくは貧家本編第11話参照。
「……なら、これからどうする?」
 とりあえず、ここがどこかくらいは調べれば分かるだろう。
 ……問題は、どうやって帰るか。
 交通機関の使用は不可能。財布持ってないから。
 あー、徒歩で帰れるような場所ならいいんだが……。
「…………」
 俺の視線の先には、大きな洋館がある。いわゆる豪邸か。
 いいなぁ。お金って、ある所にはあるんだよなぁ。
 と、その時。
「――なッ!!?」
 向こうから、俺をさらったお兄さん達の姿が見えた。
「ヤバい……!!」
 隠れないと、隠れないと!
 俺は思わず、大豪邸の刑務所みたいな塀を、火事場の何とかで跳び越える。
「…………」
 塀の向こう側なのでよく分からないが……どうやらお兄さん達は、俺の存在に気付かぬまま行ってくれたようだ。
 ふぅ、助か――

 ジリリリリリリリリリリリッッ!!!!

 ……はい?
 響き渡る、サイレンの音。

『館内に侵入者、館内に侵入者! 総員、発見次第射殺せよ!』

「……侵入者って、俺?」
 だろうなぁ。
 改めて、塀の高さを見てみる。俺の身長の何倍あるんだろうか。
 こんなのを跳び越えるのは、そりゃあ侵入者だろう。
「わわわわわわ……!?」
 と言うか、射殺って。拘束とか、そういう段階がすっ飛ばされてると思うのは俺だけだろうか。
 俺は近くにあった木を登り、茂る枝葉の中に隠れる。
 一瞬の後に、火器で武装したメイドがゾロゾロと現れた。
 ……何て非現実的な光景。どうやら、本当に射殺するつもりらしい。
 樹上の俺には気付かず、メイド達は木を通り過ぎて行った。
 今、動いたら殺される。しばらくは、ここに隠れて様子を――
「……見付けたぞ、狼藉者」
 木に、衝撃。
 ズガン! というとんでもない音を鳴らしながら、木が叩き折られた。
「のわぁぁぁぁ!?」
 俺は、倒れようとする木から飛び降りる。
 そこには――得物を持った、執事っぽい人。
 年齢は、40前半くらいか。物腰が上品で、いかにも執事な感じだ。
 ……得物を握っていなければ、もっと好感を持てると思うのだが。
 得物とは、巨大な大砲の如き筒。長さは楽に2m以上あり、執事さんはそれを肩に担いでいる。
 ……その大砲から、ぶっとい鉄杭が発射されたのだ。木が砕け散ったのも納得だろう。
 ガシャン、という駆動音。どうやら、自動オートマティックで次弾と発射用の火薬が装填されるらしい。カートリッジが、1つ地面に落ちる。
「次は逃さん」
 執事さんは親切に、事実のみを俺に伝えてくれた。
 ……やべえ、話し合える雰囲気じゃねえ。
(落ち着け、何とかなる……!)
 自分でも楽観的だとは思うのだが、こんな訳の分からん事態で殺されたくはない。
「咆えろ、『アンダーテイカー』。敵を粉砕せよ」
 発射された鉄杭を、俺はブリッジして避ける。我ながら神業だ。
 そのまま、屋敷の壁に向かって走る。3発目の鉄杭が俺を襲うが、何とか躱す。
 ……にしても、葬儀屋アンダーテイカーとは。嫌な名前だ。
「チィ……!?」
 執事さんは、そこで俺の狙いに気付いたらしい。
 屋敷に向かって放たれた鉄杭が、窓ガラスを破る。
 これだけ警備が厳しい家なら、当然強化ガラスだろう。だが、さすがに鉄杭が撃ち込まれたら、耐えられはしない。
 俺は、そこから屋敷の中に入った。目的は、執事さんの無力化。
 狭い室内では、あの大砲を取り回す事は困難だ。そもそも、屋敷の中であんなモンを使う訳にもいかないだろうし。
 ――だが。
「なぁ……!?」
 執事さんは迷わず大砲を手放し、徒手空拳で追って来た。
 まずい、これじゃあ俺の方が不利だ。俺は、この洋館の構造がまったく分からないのだから。
 とりあえず、廊下を全力で逃げる。館内にも武装メイドがいっぱいいるが、俺のスピードに反応出来ていない。
 そうなると、やはり問題は執事さんだ。あの男、さっきからまったく距離が離れない。
「――茨木いばらぎさん、仕留めなさい!」
 その執事さんが、鋭い声で言った。
 俺の前方には、10歳くらいにしか見えない女の子がいた。メイド服エプロンドレスも、他のメイドとは違ってゴスロリ風だ。
「……はい!」
 茨木というらしいロリメイドは、拳を構える。
 そして、鋭い視線を俺に向け――
「――砕けちゃってください!」
 普通の、正拳突き。
 なのに。
「おわぁぁぁぁッ!!?」
 空気が震え、衝撃が廊下の床を真っ直ぐに抉る。
「な、何だそりゃッ!!?」
 ただの拳でこのパワー。鬼みたいな怪力だ。
 前はロリメイド、後ろは執事さん。
 ……くっ、これはピンチだな……!
「逃がさん!」
「――覚悟ぉッ!!」
 迫るふたり。
 俺は、その場でジャンプ。
「……は?」
 ふたりは、アホみたいな声を出した。
 何だその顔は。俺が天井に張り付いてカサカサ進んで行くのは、そんなに衝撃映像なのか。
 驚かなくてもいいと思う。虫の類は、普通に天井に張り付いたりするじゃないか。ちなみに俺は虫の類ではないが。
「うぅっ、この害虫めぇ……!」
 おいそこのロリメイド。たった今、虫の類ではないとモノローグを入れた所なんだぞ。
 俺は天井から離れ、廊下に着地。逃走を再開する。
「……茨木さん。殺すつもりでやりましょう」
 ……待ってください、執事さん。さっきまでは殺すつもりじゃなかったんですか? 射殺とか言ってましたけど。
「そうですねぇ。お馬鹿な虫に、霊長の凶暴性を教育しちゃいましょう」
 黙れロリメイド。虫ネタから離れろ。
 俺はふたりの姿が見えなくなると、無人の部屋に逃げ込む。とりあえず、隠れよう。
 ――しかし。
「さて、ここが臭いですな」
「虫は、狭い所が好きですからぁ」
 部屋の中に、ふたりが入って来た。
 ……バレてるよ。
「しかし、そんなに隠れたいのなら――」
「私達の手で、隠して差し上げますよぉ」
 ちなみに、『隠す』というのは『殺す』という事である。
 執事さんが、思い切りクローゼットを開く。そこには、ガクガクブルブルと震えている俺の姿。
 ……死んだ……。
「何か、言い残す事はあるか?」
 俺に問いかけてくる、執事さん。
 ……なら、ずっと疑問だった事を訊こう。
「え〜っと……ここは、一体どこなんでしょうか?」



「……は?」
 ふたりが、何言ってんだこいつ、という眼で俺を見る。
「……渡辺家の屋敷だが」
 馬鹿正直に答えてくれる、執事さん。
 ロリメイドは俺の瞳を覗き込むと、
「……誤魔化そうとしている訳では、なさそうですねぇ」
 ひとりで、勝手に納得した。
「しかしここが渡辺家と知らなかったのなら、貴方は何のために侵入したのです?」
 執事さんの口調が、丁寧になる。敵じゃないと分かってもらえたんだろうか。
 せっかくなので、俺はここに入る事になった経緯を説明する。
 ――かくかくしかじか。
「…………」
 ふたりは、呆然と俺を見る。
「あの塀を跳び越えた……人間に、可能な事だとは思えませんが……」
 執事さんは困惑顔。まぁ無理もない。跳び越えた本人が1番信じられないんだから。
「あの連中に捕まったら、俺はバラされていろんな所に売り払われるんです。それを考えれば、奇跡の1つや2つくらいは起こせますよ」
 随分と安い奇跡ではあるが。
「……やはり、嘘を言っている様子はありませんよぉ」
 と、ロリメイド。
 さっきから思っているのだが、こいつは読心術でも持ってるんだろうか。
「なので、こっそりと逃がしてくれたりすると助かります」
「それは……難しいんです」
 執事さんは、困った表情。
「この家の出入りは、人はもちろん砂粒1つまで御嬢様の許可なしでは行えないんですぅ。電話機すら、御嬢様の部屋にしかないんですよぉ」
 ロリメイドが、坦々と説明。
 ……御嬢様。やっぱりそんなのがいるのか、この豪邸。
「なら、その御嬢様に事情を話して――」
「御嬢様は、大の男性嫌いなんですぅ。貴方のような人が屋敷に入ったと知れば、それこそ虫のように踏み殺しちゃうでしょうねぇ」
 ……つまり、脱出は不可能という事なのか。
「……あれ? なら執事さんは?」
「ああ、私は特別です。御嬢様が幼かった頃から、お世話を任されてきた者なので」
 彼は、苦笑しながらそう答えた。
 ううむ、そうか。
「……で、どうしましょう?」
 執事さんに尋ねる。もはや、頼れるのはこの人しかいない。
「とりあえず、一時を凌ぎましょうか」
 溜息をつきながら、執事さんは呟いた。
「あの、何かロクでもない事考えてませんか……?」
「貴方のためですから。――失礼」
「……フフ、楽しい事になりそうですぅ」
「ちょ、ちょっと、待て、ぎゃーーーーッッ!!!?」



 数分後。
「――誰?」
 鏡の向こうには、見知らぬメイドがいた。
 ……いや、分かってる。コレは俺だ。現実を見ろ、敗けるな俺。
「…………」
 無理矢理メイド服に着替えさせられ、胸に詰め物を入れられ、化粧をされ、長い黒髪のカツラを被らされ、メガネをかけさせられた結果。
 どこに出しても恥ずかしくないような、完璧なメイドさんが爆誕したのである。
 声も大丈夫だ。変なガスを吸わされたせいで、俺の声は女性的なものになっている。……一応、元に戻すガスもあるらしいのが唯一の救いだ。
「これで、しばらくは誤魔化せますな」
 執事さんが、額の汗を拭いながら言う。そんな、いい仕事したみたいな顔をしないでください。
「……それで。俺はしばらく、ここでメイドとして働くんですか?」
「はい。そして、屋敷を出るための機会を探しましょう」
「……でも、俺は火器なんか使えませんが」
「全てのメイドが、武装して警護に当たっている訳ではないんですよ。貴方には、普通のメイドとしてやってもらいます」
「……はぁ」
 俺の言葉には力がない。当然だが。
「辛いのは分かりますが、気を取り直してください」
「そうですね……」
 俺は何とか復活しようと、気合いを入れた。
「では改めまして。私、このお屋敷にて執事を任されている清水政彦しみずまさひこといいます。よろしく」
「私は茨木といいますぅ。よろしくですぅ」
 ふたりは、名を名乗る。
「あ、俺は――」
 自分の名前を言ってなかった事に気付いた俺は、ふたりに続いて名乗ろうとしたが――
「――清水、ここにいますの?」
 ノックと共に聞こえて来た声によって、中断する事になった。
 キィ、とドアが開く。
 入って来たのは、俺と同年齢ほどの少女。だが、明らかにメイドではない。
 メイド達とは違う、高そうな服。その物腰。この少女は、上に立っている人間だ。
 漆黒の長髪と漆黒の服に包まれた、夜闇のような人間。
 ――こいつが、御嬢様。
「あら、茨木も一緒でしたか。それで、侵入者はどうなったのです?」
「申し訳ありません、御嬢様。取り逃がしてしまいました」
「まったく……手際が悪いですわね。ところで、そちらのメイドは? 見ない方ですけど」
 御嬢様が、俺を見た。
「今日より、勤める事となった者です。名は――」
 執事さんの声が、そこで止まる。
 ……さて、どうしよう。月見匠哉、と名乗る訳にもいくまい。
 考えろ、女性の名前、女性の名前、女性の名前。
「初めまして。今日よりこちらで働かせて頂く――」
 俺は、思わず。
「――月見マナです。よろしくお願いします」
 恐ろしい名を、口走ってしまった。
「まぁ、そうですか。私は渡辺麗衣わたなべれい。この、渡辺家の当主ですわ」
 ……当主? こんなに若いのにか?
「可愛らしい方ね。――精々、ブタのように働きなさい」
 御嬢様は素敵な言葉を残し、部屋から去って行った。
「……気を悪くしないでください、月見さん。あれは御嬢様流のジョークです」
 執事さん――清水さんが、汗を流しながらフォロー。
「……はぁ。しかし、労働力の例えとして『ブタ』というのはどうかと思いますが」
 ブタって労働的な生き物だっけか?
「労働力としては期待していない、と御嬢様は暗に言っているんですよぉ」
 茨木が、嫌な答えを教えてくれた。
「……不安だ」
 それは、俺の偽りなき本心。



 俺はメイドらしく、庭を箒で掃いていた。
 いや、俺じゃなくて俺と茨木なのだが。こいつはほとんど仕事が出来ていないので、あえて俺1人という事にする。
「月見さん、ちょっと休みましょうよぉー」
 そんな中、茨木の声。
 基本的に、俺は名字で呼んでもらう事にしていた。『マナさん』だなんて呼ばれたら、その場で気絶してしまいそうだ。
「ああ、そうだな……」
 俺は眼前の、葉っぱの山を見る。よく1人でここまで集めたものだ。
 ……それに比べて、茨木が集めた分の少ない事少ない事。
「ところで月見さん、何で男口調なんですかぁ?」
「……あのなぁ。たまには男口調で喋らせろ。ずっとメイド口調を続けてたら、自分を見失いそうだ」
 ここには俺と茨木しかいないし、大丈夫だろう。
「ところで茨木。労働力として期待出来ないのは、俺よりもお前の方じゃないか?」
 他のメイドから聞いた話だが、こいつに食器洗いをさせると皿が全滅するらしい。
「うっ……わ、私は元から戦闘専門だからいいんですよぉ」
「……戦闘専門、か」
 つまり。
「戦闘専門のメイドが必要なくらい特別なんだな、この家は」
 まぁ、最初からおかしいとは思っていたが。屋敷の警備の厳しさは、どう考えても尋常じゃない。
 つーかそれより、俺の周囲には戦闘専門のメイドが多過ぎると思うのだがどうか。
「……あ!」
 茨木は、しまった、ってな感じで口を塞ぐ。もう遅い。
「清水さんが言ってたよな。渡辺家の屋敷、って」
「…………」
「だとすると、お前は――」
「それ以上踏み込むと後悔しますよぉ、月見さん」
 茨木は俺の台詞を、無理矢理遮る。
 ……眼がマジだ。恐っ。
「……そうだな。どうせ、俺には関係ないし」
「賢明ですぅ。あ、何か飲み物持って来ますねぇ」
 茨木は、パタパタと走って行く。何度か転ぶお約束も忘れない。
「……それ以上踏み込むと後悔する、ねえ……」
 俺は茨木の言葉に笑う。
 何て優しい言葉だろうか。その優しさの1/10でも、あの貧乏神に備わっていれば。
「あー、皆心配してるかなぁ……?」
 外部に連絡すら出来ない、というのはキツい。いろんな意味で。
「あら、月見さん」
 そこで、困った声が聞こえた。
 ……うわ。
「御嬢様……」
 眼を向けると、笑顔の御嬢様が立っていた。恐い。その笑顔が恐い。
「な、何か御用でしょうか」
「いえ。庭の散策をしていただけですわ」
 なら、その手に持った細長い袋は何だ。
 ……俺の経験では、大抵そういうモノの中には刀剣の類が入っているのだが。
「ですが、こうして会ったのも何かの運命かも知れませんわね」
 嫌な運命だ。そんな運命、底なし沼にでも沈めてしまえ。
「しばらく、私の稽古に付き合ってくださる?」
 袋の中からは、やはり刀。いや……あの反りから考えると、太刀だろうか?
 そして、迷いなく抜く。様になってますよ、御嬢様。
「……あの。稽古って、真剣でするものなのでしょうか?」
「ええ、我が渡辺家の伝統では」
 嘘だ。純度100%で嘘だ。
「……私、ここでも斬撃から逃げなければならないのでしょうか?」
「何の事だかは分かりませんけれど……参りますわよ」
 どういう事だろう。どいつもこいつも、何で俺を斬殺しようとするんだろう?
 首を落とそうとしてるとしか思えない御嬢様の斬撃を躱しながら、俺はそんな事を考えていた。






 ――数日後。
 屋敷の中を全力疾走する、メイドの姿があった。俺だけど。
「これならどうです!?」
 俺は近くにあった壷を、御嬢様に向けて放り投げた。割りと本気で。
 いつも通り俺を斬り殺そうとしている御嬢様は、一瞬だけ眼を丸くする。
 フッ、この壷は200万円はするというとんでもない代物。キャッチするには、その手に握った太刀を手放さなければならない――!
 だが。
「浅はかですわね――」
 御嬢様は迷わず、飛んで来た壷を太刀で斬り払った。
「ひぃ……ッ!!?」
 200万円が真っ二つとなり、床に落ちて砕け散る。
 くっ、俺には予測も出来ない行動。200万円くらい、痛くも痒くもないという事なのか!?
「――チェック」
 呆けた俺の顔に、御嬢様は剣先を突き付ける。
「私の勝ちですわ、月見さん」
「……と言うか。何故勝負しているのですか、私達は?」
「貴方、面白いように逃げるのだもの。追い駆けたくなるのも、当然の事ですわよ」
 そうなのか。だから俺、毎度追い駆けられるのか。
「清水、始末しておいて」
「はい、御嬢様」
 御嬢様が太刀を鞘に収める。清水さんがどこからか現れ、壷の破片を掃除し始めた。阿吽の呼吸である。
「ああ、その壷の弁償代は、月見さんの御給料から引いておきますわ」
「なぁ……ッ!?」
 ま、また借金が増えた!?
「ひゅるるるぅ〜……」
「月見さん、気を確かに」
 アッチの世界に逝きかけた俺を、清水さんの声が引っ張り戻す。
「はい……あ、片付け手伝います……」
 壷の破片を、拾い集める俺達。
「しかし……あんなに楽しそうな御嬢様の姿を見るのは、久し振りの事でございますな」
「……太刀振り回してる姿を『楽しそう』と表現しないでください。一体どこの殺人鬼ですか」
「はっはっはっ……」
 こら、笑って誤魔化すな。
「それに、わざわざ伝家の宝剣を持ち出さなくてもいいでしょう?」
 俺の問いに、清水さんの動きが止まる。
「……何故、あの太刀がそうだと?」
 時々思うんだが、この人は正直過ぎるよなぁ。
「ああ、やっぱりそうだったんですか。まさかとは思いつつも、言ってみたんですが」
 俺は壷の破片の切断面を、指でなぞる。
 ……俺の笑みに、清水さんは溜息。
「現存してたんですね、アレ」
 まぁ、天羽々斬が現存してる事に比べれば、大した事ではないのだろうが。
「……まったく。敵いませんな」
「となるとやっぱり、この家はあの渡辺家なんですか」
「…………」
 清水さんは、周囲にメイドがいない事を確認する。
「はい。御嬢様は、源頼光みなもとのよりみつに仕えた四天王の1人、羅生門の鬼の腕を斬り落とした事で有名な――渡辺綱わたなべのつなの末裔でございます」
「この家の警備が、異常なまでに厳重なのは――」
「そういう歴史を持つ家ですから、よからぬ輩に狙われる事も多々あるのですよ」
 だから、御嬢様はあの若さで当主なんだろうな。彼女の両親は、そのよからぬ輩に狙われていたのだろう。
「なるほど。そりゃあ、護法童子だって必要になりますよね」
 分からんのは、何でよりにもよって例の羅生門の鬼なのか、という事だが。
「…………」
 清水さんが、疑う視線で俺を見る。
 俺の口から、護法童子なんていうオカルト用語が出たからだろう。
「……月見さん、貴方は」
「茨木の奴は、踏み込むと後悔するとか言ってましたけど」
 でもまぁ、あえて訊こう。気になって眠れないし。
「あの太刀には、毀れた刃を何度も研ぎ直した後がありました。御嬢様は一体、何を斬っているんです?」
 と、分かり切った質問をしてみた。
「……決まっているでしょう。綱の末裔なのですから、斬るモノは鬼です」
 ま、つまりは瀬利花の同業か。
「……どうして俺は、毎回そういう所と関わっちゃうのかなぁ」
 俺は、頭をかく。
「月見さん、どういう意味ですか?」
「いや、何故か俺の知り合いにはオカルト関係者が多いんです。護法童子とかを知ってるのも、つまりはそいつ等との交流の結果ですね」
「ああ……」
 清水さんは、納得したような声。
「あ、もちろん俺自身は凡人ですが」
「ええ、分かっていますよ」
 清水さんは、ニッコリと一言。
 それは……どういう評価ですか?
「さ、早く片付けてしまいましょう」
「そうですね……」
 俺は平和が長く続かない空気を感じながら、黙々と仕事をする。何しろ業界では、『月見匠哉ある所に怪事あり』とまで言われてるほどだ。
 ……ちなみに、その素晴らしい言葉の出所はIEO。あの僵尸キョンシィ、今度会ったらボコる。






 ――ある日の事。
「御嬢様、紅茶をお持ちしました」
「御苦労様。入りなさい」
 俺が御嬢様の部屋に入ると、御嬢様と茨木が何やら難しい顔で話し合っていた。傍には、例の太刀が飾ってある。
 ふたりは俺の存在を気にせず、話を続ける。
「やっぱり、『サンフォール』の活動が活発化しているようですぅ」
 机に紅茶を置いた時、茨木の声が耳に入った。
「……サンフォール?」
 俺は、思わず反応してしまう。
「あら、気になるのかしら、月見さん?」
 御嬢様は俺を見て、微笑む。
「い、いえ、別にそういう訳では――」
「清水から聞きましたわ。貴方、こちら側にも少しは入っているのでしょう? もしもの時のために、聞いていきなさい」
「はぁ……」
 そういう事なら。とりあえず、この場に留まる事にする。
 茨木は面白くなさそうだ。まぁ、踏み込むなと言ってすぐにこれだからなぁ。
「サンフォールは、ハイチを中心として活動している国際カルト教団ですわ。IEOやハイチの祭司達からも、危険視されている組織ですわよ」
「この家は、そのサンフォールと対立しているんですぅ」
「それは……何故です?」
「以前、サンフォールの日本での活動を、渡辺家が潰した事がありますの。その報復で、御父様と御母様は――」
「…………」
「……話が逸れましたわね。とにかくそのサンフォールが、また渡辺家を狙っているのですわ」
「となると、この家が攻められるかも知れない訳ですね……」
 ああ、やっぱり平和じゃなくなって来た。
「でも、尻尾は掴んでますぅ。こいつが、最近日本に密入国してるようなんですよぉ」
 茨木が差し出した紙の束を受け取り、眼を通す。
「……ソフィア・ヴィアーリ。元異端審問官。2年前、安息日に労働を行った罪で破門され、後にサンフォールへと入信……」
 写真を見る。10歳後半くらいの、シスター。
「それで、この人の入国後の動きは?」
「……分かってないですぅ」
「尻尾は掴んでいても、巣穴から引き摺り出せてはいないのですか……」
 面倒だ。
「そう。今この瞬間に、襲撃が始まってもおかしくはありませんわ」



 ――残念ながら。
 御嬢様のその言葉は、予言となる。



 爆音と衝撃が、屋敷を襲った。
「な……っ!!?」
 部屋の外からは、メイド達の悲鳴。
「――御嬢様!」
 清水さんが、部屋に跳び込んで来る。
「清水、何事ですの!?」
「正門が爆破されました。敵です」
「……!」
 危惧していた事が、現実となってしまった訳だ。
「――月見さん」
 御嬢様は、太刀を手に取る。
「貴方には、まだ教えていませんでしたわね。地下室に、避難用の秘密通路がありますわ。そこから、外にお逃げなさい」
「……御嬢様達、は?」
「私達は、闘いますわ。清水、茨木――行きますわよ」
 御嬢様に、清水さんと茨木が付き従う。
「たった、3人で?」
「相手は1人ですわ。大した事ありませんわよ」
「しかし……」
 俺の言葉に、御嬢様は微笑する。
「心配してくださるのね。でも、貴方は逃げて。家人を死なせてしまっては、渡辺の名折れですもの」
「…………」
「さようなら。貴方との追いかけっこ、なかなか楽しかったですわ」
 それは、まるで別れの挨拶だった。
 俺が外に出たら、帰って来ない事を分かっているのか。それとも――。
「……失礼します」
 俺は部屋を出る。そして、走り出した。








「まったく。相手は1人とは、よく言ったものですな」
 清水は、苦笑。
「あら、嘘は言ってませんわよ?」
「……サンフォールの黒魔術師ボコールは、『個人』でありながら『大軍』ですよぉ」
 茨木は、溜息。
「茨木、『腕』の調子はどうなの?」
「相変わらず完璧にくっ付いてる訳ではないですけど、とりあえず問題はないですぅ」
「そう。なら大丈夫ですわね」
 麗衣は、部屋の扉を開いた。
 メイドの声は聞こえない。皆、避難出来たのだろうか。
「狭い室内ですから、3人で行動しても仕方ありません。分散し、それぞれ敵を撃破。いいですわね?」
「――はい」
「了解ですぅ」
 3人は、下の階へと向かって行く。



 ふたりと別れた渡辺麗衣が始めに感じたモノは、耐え難い死臭。
 そして、地獄の底から聞こえて来るような呻き声。
「……ッ」
 下の階は、死体で埋め尽くされていた。生ける死体リヴィング・デッドに。
 彼等は術者によって統率され、命令に従うのみのゾンビである。
「また、沢山連れて来ましたわね……骨が折れそうですわ」
 出来れば、体力の温存のためには無駄な闘いは控えたい。術者を斃せば、彼等はただの死体へと戻るのだ。
 ――だが術者を見付けるには、彼等を斃さねばならないだろう。
 麗衣は、太刀を一振り。それだけで、ゾンビ達が怯む。
「――感謝しなさい。私がこの手で、殺し直して差し上げますわ」
 太刀の剣先が、銀の弧を描く。
「作は文寿。源氏伝来の宝剣にして、我が一族の祖、渡辺綱が愛刀――『髭切ひげきり』。その露と散れる事、光栄に思いなさい」
 弧は、まるで三日月の如し。
 それに触れたモノを、容赦なく斬り滅ぼしてゆく。
「…………」
 ゾンビ達の中には、エプロンドレスを来た女性の姿もあった。
 かける言葉はなく、その資格もない。
 麗衣は、無言でメイドだった者を斬り伏せる。
 大波のように、押し寄せるゾンビ達。
 だが、廊下の広さには限界があるのだ。どれだけ多勢いようと、1度に動ける数は知れている。
 麗衣は限定された数のみと戦い、数の不利を消し去っていた。
「――へぇ。この大軍を相手に3人とは何事かと思ったけど、ちゃんと戦えるんだ」
 突然、何の気配もなく。
 修道服の少女が、麗衣の前に現れた。
 シスターはニコニコ笑いながら、手に持った杖のような黄金の十字架を、クルクルと回した。
「貴方は――」
「初めまして、だね。ボクはソフィア・ヴィアーリ。ちょっとお邪魔するよ。アポは取ってないけど」
「お断りしますわ。お帰りくださいませ」
「そんな、固い事を言わずに……ね!」
 タッと床を蹴り、ソフィアは麗衣に近付く。重量を感じさせない、羽のような跳躍だった。
 ――しかし。
「潰れちゃえ♪」
 振り下ろされた十字架は、まさに鉄槌。
 跳び退く、麗衣。
 麗衣が立っていた床を、十字架は粉々に打ち砕いた。
「……その十字架……」
「うん、純金製。勿論とんでもない重量があって、人間を打てば骨まで砕けるよ」
 その純金製十字架を、ソフィアは棒芸のように軽々と扱っている。
「あ、そーれそれ♪」
 打撃が続く。
 暴風に乗った岩のような、恐るべき威力の打撃。
 それをマシンガンのように、ソフィアは麗衣へと叩き付ける。
 ガン、ガン、ガン!
 麗衣は髭切で受けるが、そう長くは耐えられそうにない。
「きゃはは、たーのーしーいーねー!」
 さらには同時に、ゾンビ達が麗衣に襲いかかった。
「く……ッ!」
 麗衣が、ゾンビを斬り払った時。
「殺ったー♪」
 黄金の十字架が、麗衣の頭に振り下ろされる。








 あー、どうしよう。
 御嬢様の言い付け通り、地下の通路から逃げようと思ったんだが……ゾンビがいっぱいいて、とても地下まで辿り着けるような状態じゃなかった。
「うおおおおおおおッ!!!?」
 俺はゾンビだらけの屋敷内を、必死で逃げ回る。
 ああ、スカート走り難い!
「くそっ、ゾンビの使役……ヴードゥーの術か。確か、サンフォールはハイチを中心として活動してる、って話だったしな……」
 ――と。
 廊下を曲がった時、御嬢様の姿が見えた。
 そして――その頭を狙う、十字架も。
「……ッ!」
 足が壊れるかと思うほど力を込め、跳ぶ。
 何体かのゾンビが邪魔だが、まぁ無視しよう。
 ゾンビを弾きながら、御嬢様とシスター姿の間に入る。
 僅かな、時間差。
「御嬢様、失礼します――!」
「……え?」
 黄金の十字架が、御嬢様の頭を潰すよりも――俺が御嬢様を抱き上げて逃げる方が、早い。
「御無事ですか?」
「あ、貴方……どうして!?」
「ゾンビが多過ぎて、地下まで行く事が出来なかったのです」
 眼前には、シスター。こいつが、例のソフィア・ヴィアーリか。
「……んー、貴方は?」
 ソフィアが俺に問う。
「月見マナと申します。以後、お見知りおきを」
 メイドっぽく一礼。
「ふーん、この家のメイドかぁ。しかし、速かったね。噂に聞く韋駄天脚ゴッド・スピードみたいだったよ」
 ……本人だよ。
 と言うか、噂になってるのか俺のスピード。勘弁してくれ。
「お言葉ですが御嬢様、ここでは不利です。場所を変えましょう」
 狭い場所なら相手の数の有利を消せるかも知れないが、その分ソフィアの十字架を躱すのは難しくなる。ゾンビも邪魔だし。
 御嬢様も、それは分かっているのだろう。反論は出て来なかった。
「で、ですけど……どこに行きますの?」
「――庭に下ります」
 俺は、御嬢様を抱えたまま走る。何か、前にもこんな事があったよな。
 そして、適当な窓から下に飛び降りた。
 きゃっ、という小さな悲鳴を上げて、御嬢様が俺にしがみ付く。
 まぁ、それなりに高さはあるが……俺は学校で、毎回もっと高い場所から落とされてる。これくらいの高さなら着地出来る。
「オン・マユラ・キランデイ・ソワカ――!」
 ――と。
 着地前に、御嬢様は何か真言を唱えた。
 フワリと身体が軽くなり、着地の衝撃が軽減される。
 これは……孔雀明王の飛行術か。役行者が、空を飛ぶのに使ってた術だったっけな。
 孔雀明王とは、その名の通り孔雀を神格化した仏サマ。孔雀というのは恐ろしい蛇を退治してくれる生き物だったので、昔は重宝されたのだろう。
 ……ああ、確かに蛇は嫌だ。特にどっかの貧乏神。
「まったく……あまり無茶をなさらないで」
「あ、はい。申し訳ございません」
 余所に行きかけた思考を、御嬢様の声が引っ張り戻した。
 俺は御嬢様を、地へと下ろす。
 戦場は、『狭』から『広』へとチェンジ。
 当然、ゾンビには四方八方から襲われる事になるが、あの純金っぽいソフィアの十字架は、避け易くなるだろう。
 ――しかし。
「え……?」
 庭のゾンビは、ほとんどが粉砕されていた。
「これは――」
 俺は、庭の先に眼を向ける。
 ――そこには、エプロンドレスの鬼神。
「御嬢様に……月見さん?」
 渡辺家、護法――茨木童子。
「茨木、これは全て貴方が?」
 御嬢様は、庭を見回す。砕かれた腐肉の山が、庭中に積まれている。
 一体、どれだけの数を斃したのか――推測も出来ない。
「はい、そうですよぉ」
「……さすがですわね、茨木」
 御嬢様が笑う。
 茨木は俺の方を近寄り、小さな声で話しかけてきた。
(な、何でまだ屋敷にいるんですかぁ!?)
(ゾンビだらけで逃げられなかったんだよ。御嬢様を助ける事が出来たんだから文句言うな)
「……ふたりとも、何をコソコソ話していますの?」
 御嬢様が、疑う眼で俺達を見る。
「いえ、何でも――」
 ――と、その時。
「きゃっはー♪」
 飛び降りてきたソフィアが、落下しながら茨木の頭に一撃。
「あ……っ!!?」
 茨木の小さな身体が衝撃に耐え切れず、倒れそうになる。
「――茨木!?」
 倒れる前に、抱き止めた。茨木の頭からは、血が流れ続けている。
「だ、大丈夫、ですよぉ……」
 ……確かに、致命傷ではなさそうだ。だが、言葉通り大丈夫だとも思えない。
「ははっ。さすがの羅生門の鬼も、童子形じゃその程度かぁ。それとも、渡辺綱に斬り落とされた片腕の傷がまだ癒えてないって話――ホントなのかな?」
「……月見さん、茨木を頼みますわ」
 御嬢様が、ソフィアと向かい合う。
「でも、まさか庭のゾンビが全滅してるとは思わなかったよ。これじゃあ地の利が生かせない。屋敷のゾンビを庭に下ろすのも、時間がかかりそうだし」
 あいつ等のろいからね、とソフィアが笑った。
「なら、ここで決闘といきましょう。覚悟なさい。貴方は私の家人を殺し、傷つけた。生かしては帰しませんわよ」
「決闘……か。いいね。好きだよ、そういうの」
 両者が、それぞれの得物を構える。
 跳んだのは同時。ぶつかり合うまでは刹那。
 金属同士が激突し、鼓膜を貫くように鋭利な音が、庭に響く。
「――ねえ、いい事教えてあげようか?」
 一撃必殺の武器で攻防を繰り返しながらも、ソフィアからは余裕が消えない。
「貴方のお父さんとお母さん、サンフォールに殺されたでしょ?」
「…………」
「死体、見付からなかったんだよね?」
「……何が、言いたいんですの?」
「うん、実は――」
 ニィ……と、ソフィアは悪魔のように笑った。
「今日連れて来たゾンビの中に、貴方のお父さんとお母さんがいるんだよ」
「――……」
 御嬢様の動きが、止まった。
「もらったぁ――♪」
 トドメを刺さんと、ソフィアが十字架を大きく振り被る。
「――御嬢様!!?」
 俺と茨木が、悲鳴のように叫ぶ。
 御嬢様は――
「――そう。でも、それが何だというの?」
 大振りの隙を衝き、髭切を奔らせる。
「あ、あれぇ……!?」
 ソフィアの首が、身体の上を滑るように動き――地面に落ちた。
「肉体がどうなってどこにあろうと、関係はないのですわ。――2人は死んだ。事実は、それだけなのですから」
 身体は噴水のように血を噴いた後、ばたりと倒れる。
「……茨木、怪我は?」
 御嬢様は、俺に抱き抱えられている茨木に歩み寄る。
「これくらいなら、しばらくすれば治りますぅ」
 茨木は笑いながら、答えた。
 事実、茨木の傷は眼に見えて塞がってきている。
「……そう、よかったわ」
 と、皆が安心しかけた時――
「分っかんないなぁ。その子、羅生門の鬼でしょ? それを斬った渡辺綱の末裔が、どうしてその鬼と仲良くしているの?」
「――ッ!!?」
 変わらぬ、ソフィアの声が聞こえた。
 身体が起き上がり、フラフラと歩く。そして首を拾い、ソレを元の位置に乗せた。
 切れ目が塞がり――ソフィア・ヴィアーリは、簡単に元の姿へと戻ってしまった。
 ……言葉が、出ない。
「んー。さすがに、首を落とされると辛いなぁ」
 ソフィアは調子を確かめるように、十字架をブンブン振る。
「……呆れた。貴方、死体を遣うだけではなく、自らも死体でしたの」
「ふふ、まぁね。私達――サンフォールの黒魔術師ボコールは、戦闘用の生ける死体リヴィング・デッドなの。勿論、奴隷として使役されるゾンビとは格が違うよ」
 お喋りをする子供のように、ソフィアは言う。
「サンフォールの研究施設で、私は1度殺された。その死体に、ミスカトニック大学で開発された死体蘇生薬を注射し、さらにヴードゥーの秘術を施す。そうして甦った、新しいソフィア・ヴィアーリ――それが、『私』なんだよ」
 信じられないような悍ましい話を、ソフィアは無邪気な顔で語った。
「……そうやってヴードゥーの技を悪用するから、貴方達サンフォールは世界中から狙われるのですわよ」
「知った事じゃないよ。さぁ、第二ラウンドといこうか!」
 ソフィアが、御嬢様に向かって突っ込んで来る。
 御嬢様はその突撃から、変な足捌きで逃げてゆく。
 ああ、そうか――あの足の動きは、反閇へんばいを踏んでるんだ。
「……おや?」
 御嬢様の反閇によって創り出された結界が、ソフィアを拘束する。
 そして――
「清水、やりなさい!」
 ――飛来した鉄杭が、ソフィアの頭を粉々にした。
 さらにもう1発放たれ、埋葬の杭がソフィアの上半身を、半分吹き飛ばす。
 眼を、向けると。
 いつの間にか、例の大砲を構えた清水さんが、屋敷の屋根の上に陣取っていた。
 状況を判断し、最善の準備で構えておく。さすがは執事。
「これで、元には戻れないでしょう……!」
 御嬢様は、ソフィアを見ながら言う。
 確かに、これならさっきのように繋ぎ合わせる事は出来ないだろう。
 だが。
「……ッ!?」
 ソフィアの身体の――吹き飛ばされた傷口から、蠢く何かが溢れ出す。
 それは、無数の蛇。
 蛇はうねりながら、身体の欠けた部分を埋めてゆき――
「うーん。これくらいじゃ、まだまだボクは死ねないよ」
 肉そのものとなり、ソフィアを蘇生させた。
「くっ、本当に不死身だとでも言うんですの……!?」
 御嬢様は、忌々しげにソフィアを睨む。
 ……そう言えば、ゾンビという名前はヴードゥー教の蛇の精霊ロア――ズンビーから来てるんだっけ。
「…………」
 ここでも蛇だの不死だの出て来てさすがに嫌になってくるが、まぁ文句を言っても仕方ない。
 天羽々斬があれば、楽なんだけどなぁ。
「――えい♪」
 ソフィアは十字架で地面を叩き、張られた結界を解く。
「……御嬢様、いかがいたしましょう?」
 清水さんは御嬢様の隣に立ち、伺う。って、いつの間に庭に下りて来たんだ?
「肉片1つ残さず消し去れば、多分殺せると思うのですけれど」
 でも、今の戦力でそれは難しいよな。第一、そうやっても斃せる保障はない。
 こういう生ける死体リヴィング・デッドの弱点は、心臓だと相場が決まっている。
 ……だが、さっき清水さんはソフィアの上半身を砕いた。それでも、彼女は止まらないのだ。
「清水、やりますわよ」
「――はい」
 大砲を手放した清水さんと御嬢様が、ソフィアに向かってゆく。
「ふふーんふん♪」
 ソフィアは鼻歌を歌いながら、2人の攻撃を十字架で捌く。まだまだ余裕がありそうだ。
「……茨木、調子はどうだ?」
「回復してますぅ。後は、タイミングですねぇ……」
 ソフィアは今、茨木を戦力外として見ている。だから茨木が奇襲を行えば、それなりに効果はあるはずだ。
「茨木、1つ考えがあるんだが」
「……はい?」
 俺が耳打ちすると、茨木はあっと驚いた様子で、
「なるほど、可能だと思いますぅ。少なくとも、試す価値はありますねぇ」
 と、答えた。
「問題は、それをどうやって御嬢様に伝えるかだな……」
 ソフィアには、絶対に気付かれないようにしなければならない。さて、どうするか。
「……とりあえず、次に御嬢様が叩き飛ばされた時だ。その瞬間にお前がソフィアに突っ込み気を逸らさせ、俺はいかにもメイドっぽく御嬢様に駆け寄る。これでどうだ?」
「そうですね、それが1番いいと思いますぅ」
 よし、決まった。
 ――と、その時。
「く……っ!?」
 十字架の打撃を髭切で受け切れず、御嬢様が弾き飛ばされた。
 今だ――!
「――行きますよぉ!!」
 茨木が、ソフィアへと駆ける。
 俺は、
「――御嬢様ッ!!」
 御嬢様の元に走り、その身体を抱き起こした。
「くっ……月見さん、ここは危険――」
 言い終わる前に、俺は御嬢様の耳元で呟く。
「――ですわ、離れていなさい!」
 御嬢様は何も聞こえなかったかのように、言葉を続けた。
「はい……」
 俺は御嬢様の指示に従い、戦いの場から少し距離を取る。
 ――俺の役目は終わった。後は、見守るだけだ。








「ん〜、分っかんないなぁ」
 茨木の拳を十字架で防ぎ、ソフィアは言う。
「さっきも言ったけど、この渡辺家は貴方の仇でしょ? どうして、そこまで必死で闘うの?」
「……ッ!!」
 茨木の腕の付け根が、痛む。麗衣の先祖――渡辺綱から受けた傷は、まだ完治していない。
 それでも、茨木は腕を振るう。
「……この場所が、気に入ったからですぅ」
 理由は、そんな簡単なものでしかなかった。麗衣を殺そうとしてこの家に入り、居憑いてしまった。ただ、それだけ。
「……つまんない理由。死んじゃえ」
 茨木の頭部を狙い、十字架が振り下ろされた。
 ――それを、清水が己の腕で受け止める。
「……ッ!」
 腕の骨が、折れる音がした。それでも、清水は苦悶の表情すら見せない。
「清水さん……!?」
「何、心配はいりません。これしき、御嬢様の命で熊を獲りに行った時と比べれば……大した怪我ではありませぬ」
 ふたりは、ソフィアから間合いを取る。
「……熊。そう言えば、そんな事もありましたわね」
 麗衣は、ソフィアに近付いて行く。
「また貴方か。分かってると思うけど、貴方の剣じゃ私は殺せな――」
「……オン・マユラ・キランデイ・ソワカ」
 孔雀明王の真言を唱え、麗衣は一斬。
「え……?」
 袈裟斬りにされる、ソフィア。
 この程度、大した事ではないはず。なのに、彼女の身体を悪寒が走る。
「孔雀明王は、孔雀を神格化した仏ですわ」
「……ッ!!?」
「孔雀は毒蛇を喰らう。ここまで言えば、貴方にも分かるでしょう?」
 その真言の力を込めた業物は――天羽々斬ほどではなくとも、蛇斬りには十分。
 あの時、月見マナが麗衣に伝えたのはそれだった。何故自分で気付けなかったのかと、麗衣は思う。
「あ、そ、そんな……!?」
 蛇霊ズンビーとの繋がりを断たれたソフィアの身体は、ただの死体へと戻ってゆく。
 そのままでも、ソフィアは滅びるだろうが――それを許す、麗衣ではない。
「我が家への狼藉、この場で全て返して差し上げますわ」
 髭切を、振るう。
 次々と描かれる銀の三日月が、ソフィアの身体を通ってゆく。
 一体、何太刀打ち込んだのか。清水にも茨木にも、見切れぬほどのスピードだった。
「――さようなら。己の煩悩でも数えながら、滅び逝きなさい」
 断末魔を上げる時すら、与えられぬまま――ソフィアは、108つの肉片へと分断された。
 散らばった肉片は、瞬きの間に風化する。
 残されたのは、黄金の十字架と――『SunFall No.03』と刻まれた、金属片だけ。
「勝ちました、わね……」
 屋敷から感じていた、ゾンビ達の気配も消えた。
「――御嬢様!」
 清水と茨木が、笑顔で走り寄る。
「……ありがとう。勝てたのは、貴方達のおかげですわ」
 清水は微笑みながら謙遜し、茨木は嬉しそうに笑う。
 しかし――
「……月見さんは?」
 麗衣は、1人足りない事に気付いた。
 3人は、周囲を見回す。
 ――だが。どこにも、月見マナの姿はなかった。






 戦いから数日後の、午後。
 麗衣は、星丘市を歩いていた。
 この街は本来、渡辺家の――麗衣のテリトリィではない。だが、星丘市の怪異はアーカムと並ぶほど。ならば麗衣も、それを斬り伏せない訳にはいかない。
「少し、到着が早過ぎましたわ……」
 夜になるまでどうやって時間を潰そうか、と考えていると。
「……え?」
 どこからか――マナ、と呼びかける声が聞こえた。
 麗衣はすぐ、声の方を見る。それは、道路を挟んだ歩道の反対側。
 そこには学生らしい、ふたりの少年少女が歩いている。
 だが――
「……まぁ、そんな都合のいい事、ありませんわよね」
 マナと呼ばれた少女は、麗衣の知る月見マナとは違った。
「……?」
 しかし、少し気になる事もあった。
 少女ではなく、呼びかけた少年の方。
 麗衣は彼を、どこかで見た事がある気がして――
「……あ」
 そこで、眼前を通ったバスに視界を塞がれた。
 バスが通り過ぎると――ふたりの姿は、もうない。
「…………」
 距離は、彼岸と此岸の如く。手を伸ばしても、余りにも遠過ぎる。
 麗衣は溜息をつくと、前に向かって歩き出した。





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