「少し、よろしいでしょうか?」 ある日のバイト帰り。 俺はフラフラと家に向かって歩いていると、そんな声が聞こえて来たのであった。
……!? しまった、油断していた……! 今更説明するまでもないが、家に帰るまでの間は月見匠哉にとって最も危険な時間帯。 まぁぶっちゃけて言うと、作者が1番使い易い時間、という事である。 「……どうかしましたか?」 そんな中、俺に話しかけてきたこの少女。くぅ、トラブルの臭いがプンプンするぜ……! 「いやまて、疑心暗鬼はよくない……」 俺は呼吸を整える。 ……相手が俺を不審に思い始めている気がするが、気にしない。 改めて、少女を観察してみる。 特徴的なのは、右眼を隠している眼帯。スカートからは2本の足が伸びているが、左足にはグルグルと包帯が巻かれていて、完全に肌を隠している。何か、重傷みたい。 そして、その手には謎の長い布包み。 「…………」 ダメだ、嫌な予感しかしねえ。 「……あの?」 少女が問いかけて来る。その視線が、不審者を見るモノに変わりつつあった。 ええい、ままよッ! 「ああ、悪い。ちょっと考え事をしてたんだ。んで、何だ?」 「……私、人を探しているのですが」 人探し、か。 「マナ、という名前の女性です。御存知ありませんか?」 …………。 「……御存知も何も、うちに住んでる」 奴の知り合い……嫌な予感ゲージ上昇中。 少女は、少し驚いたように眼を動かして、 「そうですか。では、貴方があの月見匠哉さんなのですね」 と、言った。 「あいつに用があるのなら、家まで案内するけど」 「助かります。彼女に、届けたい物があるので」 届けたい物……その包みの事だろうか? 「私の名はカナ。よろしくお願いします、月見さん」 「ただいまー。マナー、お前に客だぞー!」 俺は玄関の扉を開くと、中に呼びかける。 「ま、とりあえず上がってくれ。ボロい家だけど」 「お邪魔します」 俺とカナが、靴を脱ぐと。 「お、カナ。早かったねぇ」 パタパタと、貧乏神がやって来た。 「さ、上がってよ。ボロい家だけど」 ……どうしてだろう。ついさっき自分でも言った台詞なのに、何でこいつが言うとこんなにムカつくのだろう? 居間に入り、皆でちゃぶ台を囲む。 「のだ〜……」 しぃは部屋の隅っこで、この前ローマから送られて来た『黄衣の王』を読んでいた。 傍から見ると、童女が絵本を読んでいるかのようだが……実際には、邪神が忌まわしい戯曲を読んでいる、という恐ろしい光景である。 ……『黄衣の王』の第二部は読むと死ぬらしいが、まぁしぃなら大丈夫だろう。放置する事にする。 「面白い方が、住んでいるのですね……」 カナが、しぃを見て一言。さっきから思っているのだが、こいつは無表情のせいで感情が読み辛い。 「で、例のモノが出来たの?」 「はい。苦労しましたよ」 カナが、マナに包みを差し出す。やっぱりそれなのか。 マナは受け取ると、包みを解いた。 ――中から、現れたのは。 「草薙剣……」 あの夜。八十禍津日が使っていた、かの神剣だった。 マナが、剣を抜く。 「おお、完璧だよ。相変わらず、いい仕事だねカナ」 草薙はマナの一撃で折られたはずだが、眼前のそれは見事に修復されていた。 ……そう言えば、マスケラが言ってたな。マナは、金屋子神に草薙を直させようとしている――と。 「って、マナ。じゃあこいつが……」 「うん。金屋子神――鍛冶の女神だよ」 カナは、こちらを見て一礼。 ……何と言うか、普通だ。今までに見て来た、とんでもない神々とは違いそうだぞ。 「大禍津日神のマナに、金屋子神のカナ」 マナは、フフンと笑う。 「二柱合わせてマナカナ! 日本神話界のアイドルコンビだよッ!!」 「…………」 こいつ、凄まじいバカだ。 「……御迷惑をおかけしています」 カナが、再び俺に頭を下げる。嗚呼、その心がマナにもあれば。 「……お前達って、どういう関係なんだ?」 「どういう関係、って……叔母と姪だよ?」 「いや、そういう家系図的な事ではなく。元禍津神と鍛冶の女神って、どういう繋がりだよ?」 俺が問うと。 「月見さんは、八岐大蛇の神話を知っていますよね?」 カナが、口を開いた。 「ああ、知っているが……」 「八岐大蛇は、日本古来の製鉄法――タタラと関連があるとされています。八岐大蛇の身体は血で爛れていたといいますが、それは砂鉄を取る際に赤く濁った川を表しているとも聞きます」 「他にも、炉から流れ出した熔鉄が八岐に分かれた様子を例えたモノだともいうね。まぁ、何にしても八岐大蛇はタタラと関係がある」 カナの言葉を、マナが続ける。 「つまり、古からの縁って事だよ。蛇神と製鉄神はね」 ……ふぅん、なるほど。 だとすれば、八岐大蛇の尻尾から草薙剣が出て来たっていうのも、製鉄を表しているんだろうか。 「ところで、マナ。1つ頼みたいのですが」 「ん? 何?」 カナは無表情のまま、 「せっかく直したのですから、なるべくたくさんの人をその剣で殺してくださいね」 と、凄い事を言い放った。 「……努力するよ」 マナは、微妙に眼を逸らしながら答える。 「……あのー、カナさん?」 「何ですか、月見さん?」 「何故、突然そのような事を?」 「そう問われましても……武器とは殺すためのモノなのですから、当然でしょう?」 「…………」 ヤバイ。こいつもヤバイ。やはり、神にまともな奴などいないのか。 しかし、カナの言葉にも一理ある。結局、武器は殺しの道具でしかない。それこそ神話の時代から、人々は製鉄を行い、武器を造って来たのだ。誰かを殺すために。 カナの言葉は、俺達人類の醜さを―― 「……それに私、死体が好きですから」 うわぁ、完全にこいつの趣味だぁー。 ……そう言えば金屋子神って、死体に関するエピソードがたくさんある神サマだっけ。 そうか、金屋子神は死の穢れを嫌わない。死の穢れより生まれたマナと仲がいいのは、その事もあるのか。 「知っていますか、月見さん? 人間の死体には燐やカルシウムといった、製鉄に便利な物質が多々含まれているのですよ」 「そんな嫌な豆知識はどうでもよろし! ってか、そういう事を語ってる時だけ笑うなッ!」 「……どうでもよい、とは心外ですね。あまり調子に乗ってると生きたまま炉に放り込んで、武器に変えてしまいますよ?」 恐い。この神恐い。 「ああ――私の潰れた眼にも、ハッキリと見えます。月見さんが親指を立てながら炉に沈んでゆくという、素晴らしい未来図が」 「ターミネーターか俺はッ! あ、いや、ごめんなさい! もうふざけた事言わないからホント許してッ!!」 俺は素早く逃げようとしたが、カナは包帯を巻いてない方の足でピョンピョン跳ねながら追って来た。 「逃がしませんよ……」 迫り来る一本ダタラ。あっと言う間に、部屋の隅に追い詰められる俺。 「し、しぃ! 助けて!」 「のだのだー……」 聞いちゃいねえ。 「さて、久し振りに人間を材料に武器を鍛えてみますか。そうですね……たまには刀剣ではなく、鉄砲でも造りましょう」 あわわわわわ……! 「カナ、そこまで。ソレを殺すとしぃが怒る。貴方も、この国を――と言うかこの天地を滅ぼされるのは困るでしょ?」 「…………」 カナは渋々といった様子で、ちゃぶ台に戻って行く。 ……た、助かった。 「ふぅ……」 こうしていても仕方ないので、俺も戻る。 「……それにしても、草薙剣か。どんどん、我が家に不思議アイテムが増えていくなぁ」 俺が、何気なく草薙に手を伸ばすと、 「――ダメ、匠哉」 マナが俺の腕を掴んで、それを止めた。 「……何で?」 「草薙は、女性にしか触れる事が許されない神剣なのです」 カナが、説明する。 「壇ノ浦で草薙と共に沈んだ二位尼は、女性でしょう?」 「……でも、八岐大蛇を斃して草薙を得た須佐之男命は、男だと思うが?」 「すぐに、姉である天照大御神に草薙を献上しているではありませんか」 ……む。 「いや、それじゃあ草薙の使い手として最も有名な日本武尊はどうなる? 彼も男だぞ?」 「日本武尊は熊襲を討った時、敵を油断させるために女装しています。さらには、楊貴妃は彼の生まれ変わりだとも言いますね」 ……日本武尊には、女性的な面があったという事か。 「八岐大蛇の尾から出て来た剣だからね。女好きなのは当然だよ」 もっともらしい事を言うマナ。 「分かった、とりあえず納得してやる。じゃあ、俺がこの剣に触れたらどうなるんだ?」 カナはフフフと、極々僅かに笑う。 「……天武天皇は、草薙の祟りで病死しています。他にも、発狂した陽成天皇が草薙を抜くと、途端に雷の如き光が辺りを包んだとか。草薙は光に驚いた陽成天皇に投げ捨てられ、独りでに鞘へと収まったそうですよ」 「…………」 俺はススッと、さり気なく草薙との距離を取る。 「チキンだねぇ、匠哉」 「黙れ貧乏神。好き勝手ほざくと黄泉に送り返すぞ」 「……まぁ、そんなに触れたければ、日本武尊のように女装でもすればいいのではないでしょうか」 しません。俺の人生において、女装する事など在り得ません。 「さて、マナ。こうして草薙を直したのですから、相応の代価を頂きたいのですが」 代価……等価交換か。ギヴ・アンド・テイクか。 「……んー。そう言えば、前にも仕事の代価として何か渡したよね。確か、大陸の神珍鉄だったか。アレはどうしたの?」 神珍鉄と言うと、如意棒の材質である鉄の事だな。 「アレは刀に鍛え上げましたよ。なかなかよい品を造る事が出来ました。もっとも、今は手元にはありませんが」 「そっか。で、今回は何が欲しいの? やっぱり鉄?」 「はい。以前から、噂に聞く『緋々色金』で刀を造ってみたいと思っているのですが」 「…………」 マナが黙る。 なるほど……そう来たか。 緋々色金とは、『竹内文書』に登場する謎の金属である。そのままなら柔らかく手が加え易いが、合金にすると類稀なる強度が生まれ、決して錆びる事はないという。 「緋々色金、って……貴方、『将門の刀』でも鍛えるつもり?」 またマニアックなネタを。 しかしカナは、 「将門の刀、ですか。しかし私なら――月齢が十周するよりも早く、鍛え上げて見せましょう」 同じく、マニアックなネタで答えたのであった。 「……冗談はともかく。どうですか、マナ?」 「うーん、神珍鉄の時も苦労したからなぁ……と言うか緋々色金なんて、どうやったら手に入るか見当も付かないよ」 「緋々色金が無理なら、月見さんが莫耶のように私の炉に飛び込んでくれれば――」 ……マテ。 「だからそれはダメだって。他に何かない?」 「そうですね……では、天香具山の鉄はどうでしょう?」 「……まぁ、それくらいなら。知り合いに頼めば手に入ると思う」 どうやら、取引が成立したらしい。 「……それでは、私はそろそろ御暇します」 カナが、立ち上がる。 「あ、うん。ありがとね」 俺達は見送りのために、玄関まで行く。 「……また、何かあったら寄ってくれ」 「じゃあね、カナ」 「はい――では、いずれまた御会いしましょう」 カナは扉を開き、去って行った。 「はぁ――……」 ……何と言うか、疲れたな。 居間に戻って行くマナ。俺もそれに続いた。 「……それにしても」 マナは、草薙を手に取る。 「まさか、ここまで元通りにするなんて。……いや、元以上かも知れない」 「俺にはよく分からんのだが、そんなに凄いのか?」 「うん。これほどの鍛冶の凄腕は、草薙を鍛え上げた神、天目一箇か――」 マナはそこで間を置いて、 「あのまつろわぬ蛇神――荒吐くらいだと思ってた」 と、続けた。 マナは剣を鞘に戻して布に包むと、部屋の端――如意宝珠や天羽々斬が放置されているエリアに、放り投げた。 ……何でもいいが、神剣の扱いとしてそれはどうなのか。俺としては、マナが草薙に祟られる事を祈る。 「ふぅ、別に大した事なかったのだ〜」 しぃが読み終わった『黄衣の王』を、同じくそこに置いた。 ゴゴゴゴゴゴ……! ……素人の俺にも、変な力がその場で渦巻いているのが分かる。 4つの不思議アイテムにより、月見家の一角は恐るべきエネルギィ・スポットに変貌したのであった……! いや、笑い事じゃないから。マジで。 「うぅむ……」 ……このままにしておくと、絶対にまずいよなぁ。 「でも……ま、いいや」 こうして俺は。 今日も、先延ばしという名の現実逃避を行うのでした――。
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