「ニーベルングの指環、か……」 ――深夜。 星丘公園を見下ろす、1つの影があった。月の光は雲に遮られており、影の正体は見えない。 影は上空にいるにも関わらず、まるで足場があるかのように立っていた。 「まさか本当に、そんなモノがこの地に現れるとはね……」 視線の先は、星丘公園の中央。そこには、大きな石が地に打ち込まれていた。 ――それは、要石。 茨城県鹿島神宮の境内にある要石は、地底に棲む大鯰を押さえ付けており――故に、その辺りでは地震が起きないのだという。 だが江戸時代以前は、大鯰ではなく龍だと伝えられていた。そして、日本ではよく龍と蛇が混同される。 公園の要石も、それと同じ。 要石によって、この地に封じられているモノは――禍々しき蛇身である。 「九頭龍が鎮座しているだけでも、蛇神の封印にはかなりの影響が出ている。その上、あの災禍の指環まで現れたとなると――」 雲の割れ目から、月光が降った。影が照らされ、その正体が明らかになる。 それは……マナ。 「ま、考えても仕方ない。とりあえずアレを用意しておこうかな。後は――級長達はどうするのかを、観察するしかないね」 唐突に。マナの姿は、夜空から消える。
――某月某日。 「いや〜、助かった助かった」 俺は大手ファーストフード店――『幕怒鳴怒』で、バーガーをムシャムシャと食べていた。 もちろん、俺の金ではない。 「…………」 向かいに座っている迅徒は、呆れた眼で俺を見ている。だが気にしない。 「……匠哉さん。よく食べますね」 「ああ。バイト先の店長がバイト代をケチったせいで、最近ロクに食べてなかったからな。食費を削ろうにも、そんな事したら神どもに殺されるし。俺だけが食えなくなる始末だ」 「道に貴方が倒れていた時は、何事かと思いましたよ……」 迅徒は、はぁと息をつく。 こいつ、溜息が似合うなぁ。俺と同じくらいに。 「じゃ、また注文して来るか」 「――まだ食べるんですかッ!!?」 「食える機会に食っておかないとな〜」 「…………」 迅徒が自分の財布を見詰めているが……そんな事で、俺は食を止めたりはしない。餓える者を救うのも聖職者の仕事だろう、ははは。 新たな食物を持って席に戻ると、 「そう言えば、匠哉さん。皇居陰陽寮の神器保管施設から、神剣が盗まれたと聞きましたが……知ってます?」 「いや。と言うか、何で俺がそんな事を知ってると思うんだよ? 俺はただの一般人だぞ」 「匠哉さんですから。また、首を突っ込んでいてもおかしくはないと思ったんですが」 「……うぉい」 こいつは俺を何だと思っているんだ。 「ちなみに、盗まれた神剣ってのは何なんだ?」 「さぁ? 異教の事になど興味はないので、分かりません」 ……そこまで話しておいて、知らんのかい。 「それと、貴方の家の呪徒。そろそろ引き渡してくださいよ」 「あのなぁ、連れて行きたきゃ勝手に連れて行けよ。命が惜しいから俺には無理だ。しかも、今は家にいないし。……って、さり気なくポテトを摘むんじゃねえ」 「私のお金で買ったものでしょう」 「な……ッ!?」 俺はあまりの悲しみに、思わず頭を振る。 「『あなた方は、神と富とに仕える事はできない』――キリストの言葉を忘れたか、迅徒! 神父のくせに、富に執着するとはッ!!」 「そういう事は、カトリックに改宗してから言いましょうね」 ……クールに返された。 結局、迅徒は追加分の2/3を食い尽くす。 「ああ、暴食の罪だ……」 「聞く耳は持ちませんよ」 く……っ! 「……まぁ、とにかく助かったよ。ありがとな」 「いえいえ」 あっと言う間に平らげた俺達は、店から外に出る。 別れる前に、迅徒は―― 「『この巨大な竜、年を経た蛇、悪魔とかサタンとか呼ばれるもの、全人類を惑わす者は、投げ落とされた。地上に投げ落とされたのである。その使いたちも、もろともに投げ落とされた』――」 聖書の1節を暗唱し、 「――匠哉さん。竜や蛇の類には、御注意を」 そう言い残して、去って行った。 「……言われなくても、分かってるよ」 俺は、家に向かって歩き出す。 ひゅるるるるるる…… 「……ん?」 俺がまったり歩いていると、妙な音が聞こえてきた。 まるで、何かが飛んで来るような―― ――ズドンッ!! 「うぉぉおおおおッ!!!?」 飛んで来たのは――ゴグマゴク。 ギリギリで躱した俺を掠めて、巨人は地面に激突した。 危ねえ……! 俺じゃなかったら避けられなかったぞ! (……こんな風にゴクマゴグが吹っ飛ばされてる、という事は……) 恐る恐る、先に進んでみると。 「迷いの森の夏至前夜、妖精達は舞い騒ぐ!」 ゴグマゴグを蹴散らす、級長の姿があった。 「スペシャル御奉仕! 『メイド・ハンマー』ッ!!」 ハンマーに打たれたゴグマゴグが粉砕され、その余波で他のゴグマゴグまでもが消滅する。 おおぅ、何かどんどん強くなってるよなぁ。 ――しかし…… (巨人の王を斃したのに、ゴグマゴグの出現はちっとも変わってないよな) ここ最近、それが気になってたりする。王を失ったはずなのに、ゴグマゴグの統率には乱れが一切ない。 ……アルビオン以外にも、指導者がいるとか? はは、いくらなんでもそれはないか。 「カナメ、指環の気配を見付けたのさ!」 級長と一緒にいたパックが、突如声を張り上げる。 「よし、追うわよッ!」 ゴグマゴグを全滅させた級長は、パックに続いて飛び去って行った。 「……指環……?」 俺は、ふたりの後を追う。 「指環って、まさか……!?」 しばらく走ると―― 「ぁ――ッ!!?」 空から、人が降って来る。 ボロボロになった級長が、猛スピードで地面に叩き付けられた。 ――な、何だ……っ!? 「くっ……カナメ、一旦退くのさ!」 「……仕方、ないわね……」 ふたりはいつかのように俺の存在に気付かないまま、その場から消えた。 何が何だか分からない俺は、級長が落ちて来た空を見上げる。 「……なッ!!?」 おいおい、何だありゃ……? 俺の眼に映ったのは――我が物顔で空を飛ぶ、真紅の巨竜だった。 「おかえりなのだ〜」 家の扉を開けると、しぃの声が聞こえて来た。 マナはいない。数日前、『ちょっと出かけて来る。しばらくは帰らないと思うから』と言って、どっかに行った。 あいつがいなくなるのは大歓迎なのだが……どこで何をしでかしてるのか考えると、色々と恐かったりする。 「ああ、ただいま……」 「……? 匠哉、どうかしたのだ?」 「いや、いつも以上にファンタジィな体験をしたもんでな……」 ドラゴンと戦うのは、メイドじゃなくて勇者の仕事だろ――って、何を混乱してるんだ俺は。 落ち着け。ふたりはあの時、指環がどうとか言っていた。すると、あのドラゴンは―― 「ただいま〜。ふぅ、疲れた疲れた」 思考の海に沈んでいると、そんな声が聞こえた。どうやらマナが帰って来たらしい。 「おかえり――って、それは何だ?」 貧乏神は、細長い布包みを持っていた。何となく、剣とかが入っていそうな感じの。 「あ、コレ? 私は、コレを手に入れるために遠出したんだけど――」 マナが包みを解く。中から現れたのは、やはり剣だった。 マナは、鞘から剣を抜く。 「…………」 厳かな雰囲気を纏った――剣。 長さは、握り拳を十個並べたくらいか。そして、少しだけ刃が欠けていた。 「……オイ。コレって――」 「お察しの通りだよ」 「…………」 俺は頭を抱える。 しぃは、よく分かってなさそうな顔をしているが。 「こんな剣が現存――いや、実在していたのか……!」 ……ん? ちょっと待て。 確か、迅徒が言ってたよな。 「……なぁ。皇居陰陽寮の神器保管施設から、神剣が盗まれたって聞いたんだが――」 「うん、コレだね」 ――あっさりと認めたッ!!? 「何か、必要になりそうな展開だったから。あの連中が持っていても、宝の持ち腐れだし」 貧乏神は剣を鞘に収め、再び布で包む。 ……そんな剣が必要になる展開って、何だ? 「そう言えば、マナ。さっき、級長達が闘ってたんだが――」 「指環を追い駆けてた?」 「……ああ、そうだよ。御名答だ」 この状況は予測してたって事か。面白くない。 「その指環ってのは――」 「級長達が追ってるなら、それはニーベルングの指環だろうねぇ」 やっぱりそうか。雲行きが怪しくなってきたな。 「ニーベルングの指環って、何なのだ?」 しぃが、俺達に尋ねた。 「……リヒャルト・ヴァーグナーの歌劇で、有名になったモノでね」 マナは剣を放り落とすと、しぃと向き合う。 「大昔、ニーベルング族の王――アルベリッヒが、『ラインの黄金』から作り出した指環だよ」 「その指環を持った者は世界を手にする事が出来るという、とんでもない代物だ」 マナの説明に、俺が続ける。 「だがヴァルハラの神々が、アルベリッヒから指環を奪い取ってしまう。怒り狂ったアルベリッヒは、指環に呪いをかけたんだ。指環の持ち主を次々と死なせ……最後には、世界すら滅ぼすような呪いを」 ――翌日。 「やあ級長。昨日は大変だったなぁ」 俺は学校の教室で、級長に声をかけた。 「え……な、何が?」 「ほら、放課後。ゴグマゴグと戦ってただろ?」 「あ、ああ……アレね。大変だけど、いつもの事だし」 級長の顔に、隠し切れない焦りが浮かぶ。 「そう言えば、級長。昨日、変なモノを見なかったか?」 「……変なモノ、って?」 「いや、俺の見間違いだと思うんだけどな。何か、ドラゴンみたいなのが飛んでた気がするんだよ」 「…………」 級長はぎょっとした後、 「……それは、見間違いでしょう。まぁ、巨人や神がいるような街なんだから、ドラゴンがいてもおかしくはないけど」 と、眼を逸らしながら言った。 「そっか、やっぱり見間違いだよなぁ」 「そうね。飛行機か何かよ、きっと」 ちょっと水を飲んで来るわ、と言って級長が席を立つ。 ……何故か、キィホルダーのぶら下がった鞄を持って。 「分かり易いね」 「ああ、分かり易いな」 級長が去った後、マナが近付いて来る。 「……アルベリッヒは、英国ではオベロンと呼ばれる」 「妖精王オベロン――パックの父親だな」 「そう。そして今、アルベリッヒの息子のパックと、その使徒である級長が指環を求めている。これは怪しいね」 「だな。普通に考えれば、本来の持ち主である父親のために、パックが指環を取り返そうとしている――ってな感じだと思うが」 「だとすると、匠哉が見たドラゴンっていうのは――」 「十中八九、ファフナーだろうな」 ファフナーとはドイツでの呼び方であり、ファヴニールともいう。 指環を巡る物語に登場する巨人で、神々の居城ヴァルハラを建設した巨人兄弟の弟だ。 兄弟は、ヴァルハラ建設の報酬としてニーベルングの指環を神々から受け取ったが――これも呪いのせいなのか、ファフナーは兄のファゾルトを殺し、指環を自分だけのモノにしてしまう。 そしてファフナーは、指環を誰にも奪われないように、指環を護る竜となるのだ。大蛇だという話もあるが。 「まぁ本物な訳はないから、指環がファフナーの情報を再現して創り出した、模造品って所だろうけどね」 「……この街にゴグマゴグが現れたのも、指環――と言うより、あのファフナーのせいか」 「だろうねぇ。ドラゴンは、『ヨハネの黙示録』ではサタンの姿として書かれている」 前に迅徒が暗唱していた、聖書の1節。アレだ。 「そして、黙示録における竜は――」 「……『この千年が終わると、サタンはその牢から解放され、地上の四方にいる諸国の民、ゴグとマゴグを惑わそうとして出て行き、彼らを集めて戦わせようとする。その数は海の砂のように多い』」 俺が呟くと、マナが頷く。 ――ファフナーは、ゴグ・マゴグを率いる者。竜にして、巨人の王。 「くそっ、嫌な流れだな……」 何をしようとしているのかは知らないが……大丈夫なのか、級長? ――屋上。 「どうする? 匠哉、気付いてるわよ」 要芽は、パックに言う。 「……匠哉が知ってるという事は、多分マナも知ってるのさ」 「あのふたりに知られたなら、指環の事とかも全部バレてると思った方がいいわね……」 はぁ……と、要芽は溜息。 「あんたの異母兄弟――ハーゲンも、指環を狙ってるって話だけど」 「あいつの事は、今は気にしなくてもいいのさ。それに……匠哉達に気付かれたのは、逆にチャンスなのさ」 「……チャンス?」 「指環が、この街に現れた理由。それが分かるかも知れないのさ」 「…………」 下を眺めながら、要芽はパックの話を聞く。 「この街は、怪事を――禍を引き寄せているのさ」 「そうでしょうね。IEOのサイトに、這い寄る混沌が現れたとまで書いてあったし。もう尋常じゃないわ。指環も、それに引き寄せられたのね」 「問題は、その引き寄せる力は一体何なのかという事なのさ。……きっと、マナはその答えを知っているのさ」 要芽は、小さく微笑む。 「……なるほど。この事件に対して、マナはどう動くか。それを見れば、もしかしたら……って訳ね」 「とは言え、それはそんなに重要じゃないのさ。その答えが分かった所で、オイラ達が得する事はないと思うのさ」 「それでも、分からないよりは分かった方がいいわ。マナの動向、気を付けるべきね」 バックと要芽は、同時に頷く。 「まぁ、やる事は変わらないのさ。あの竜王をなるべく早く斃して、指環を手に入れるのさ」 放課後。要芽とパックが、星丘公園を駆ける。 そして、相手を見付け出した。 「ほう、昨日のニーベルング族とその使いか」 何人かのゴグマゴグを従えた、巨人の王――ファフナー。 「昨日は世話になったわね。借りを返しに来たわ」 要芽は、カチューシャを嵌め――魔法冥土カナメへと変身する。 「……カナメ、気を付けるのさ」 「分かってるわよ」 カナメが、1歩前に出る。 「迷いの森の夏至前夜、妖精達は舞い騒ぐ――」 迎え撃つように、跳び出して来るゴグマゴグ達。 それを―― 「スペシャル御奉仕!! 『メイド・ハンマー』ッ!!!」 一片の容赦なく、打ち砕いた。 「……ふむ。そこまでこの指環が――世界が欲しいか」 ファフナーは、己の指に嵌まっているニーベルングの指環を見せる。 「分かっていると思うが、この我はファフナーであってファフナーではない。指環が自身を護るために創り出した、護衛のための存在だ」 「…………」 「故に――指環を狙う者は、何人たりとも生かしておく事は出来ん」 「御託はいいわ。さっさと来なさい」 「……ならば参ろう」 メキメキ――と、軋むような音を立てながら、ファフナーの身体が膨張してゆく。 体表が鱗で覆われ、爪や牙が凶器となった。 その姿はまさしく――黙示録のサタンの如き、赤い巨竜。 「……財宝を手に入れたいのなら、やっぱりドラゴンと闘わなきゃね」 カナメは、竜に向かって行く。 「……どうやら、始まったみたいだね」 窓の外を見ながら、マナは呟く。 「何がだ?」 「ファフナーと級長の闘いが、始まったんだよ」 「…………」 マナは俺の方に振り返ると、 「どうする? 級長の力じゃ、ファフナーには勝てないよ」 「どうする、って訊かれてもな。どうしろって言うんだ?」 「――コレ」 布に包まれた神剣を、マナは俺に差し出した。 「まさか、こんなに早く使う事になるとは思わなかったけどねぇ」 「……俺に、この剣でファフナーを斬れと?」 ジークフリートの如く。あるいは、須佐之男の如く。 この神剣で、勇者のように竜と闘えと――こいつは、そう言ってるらしい。 「でも、本当に助けるべきなのかは疑問だけどね。級長達を助ければ、邪悪なアルベリッヒの手に指環が戻る事になるかも知れない」 「…………」 俺は一呼吸の後に、 「……ま、考えるまでもないか」 神剣を、手に取った。 「アルビオンと戦った時、俺は級長に助けられた。その借りを返上しないとな」 「…………」 ――マナが、笑う。 「や――ッ!!」 カナメのハンマーが、ファフナーを打つ。 だが――金属同士がぶつかったような甲高い音が響くだけで、竜の鱗は傷付かない。 「く……ッ!?」 「無駄だ、少女。汝の技では、我が鱗を砕く事など出来ん」 ファフナーが爪を振る。 それを受け止めたカナメのハンマーから、火花が散った。 「この鱗を貫ける武器は、かの魔剣――『ノートゥング』のみだ」 ファフナーの尾が、踊る。 「……ぁッ!!?」 尾を打ち込まれたカナメの身体は、まるでボールのように弾き飛ばされ――地面を抉った。 さらに、爪による斬撃。 ハンマーで防御しようとするものの、止め切れなかった爪が、カナメの身体を傷付ける。 「迷いの森の夏至前夜、妖精達は舞い騒ぐ――」 カナメが、呪文を唱え始めた。 同時に、ファフナーの口が開かれる。 「地下の支配者たる妖精王よ。大地の女神たる妖精女王よ。ダーナ神族の末裔たる全ての妖精よ……!」 恐ろしげな牙が並ぶ、その向こうに――カナメは、轟々と燃える炎を見た。 「燃え尽きろ……!」 ファフナーが、炎を吹く。 だが―― 「――甘いのさッ!」 あらかじめ術を組んでおいたパックが、カナメを転移させた。 炎は、地面のみを焼く。 「我は汝等の力を借り、諸国の民を滅ぼさんッ!!」 ファフナーの背後へと瞬間移動したカナメは、その背中を狙い―― 「スペシャル御奉仕!! 『メイド・ビッグバン』ッ!!!」 凄まじい爆熱を、叩き込んだ。 視界が、光で真っ白に塗り潰される。 「やったのさ!?」 「いえ……」 立ち込めた水蒸気が、消えてゆくと―― 「――凄まじい。これほどの力、もはや人の器を越えている」 そこには、変わらぬ竜の姿。 「だが、神話の英雄には及ばぬ。竜を討つのは、いつだって英雄であろう」 ファフナーは、再び炎を吐いた。 しかし、今のカナメにそれを躱す術はない。身を焼かれながら、爆風に吹き飛ばされる。 「く……ぁッッ!!!?」 「残念だ。汝は、我と出遭うのが早過ぎた。あと少しでも時があれば――我などとは比べ物にならない力を得、汝は神々と並ぶような存在になっていたかも知れぬ」 「……ッ……!」 カナメは倒れそうな身体に渾身の力を込め、立ち上がる。 「……神々と並ぶような存在、か。それじゃダメなのよ」 「何……?」 「月見家の神々は別格。並ぶだけじゃあ、勝てない」 ハンマーを構え、ファフナーを睨む。 「……なるほど、さらに上か。その意志があればこそ、汝は海の巨人を討てたのだな」 「さぁ? それはどうかしら」 「…………」 ファフナーが、口を開く。迸る、強烈な魔力。 次の炎は、今までに放った2度の炎とはまったく違う。全てを焼き滅ぼすローゲの如き炎が、竜の腹の中で渦巻く。 「討つのは惜しいが……これで滅えてもらおう。恨むのなら、汝の不運を編んだ運命の三女神を恨むがいい」 しかし―― 「――ッッ!!!?」 ファフナーは、攻撃を止めた。 だが、ファフナーだけではない。パックとカナメも、天を見上げている。 「……何か、来る?」 カナメは呟く。 ……闘いを見下ろすように、星丘公園の上空をヘリが飛んでいた。 そのヘリは真っ白に塗装されており、十字架と天使のイラストが描かれている。 そして、『Amen, Hallelujah!』の文字。 ――異端審問部がこの国に配備した、ヘリの1機である。 「悪いな、迅徒。いきなり無茶を頼んで」 「いえ、竜は我々にとっても敵ですから。利害が一致しているなら協力しますよ」 俺の言葉に、操縦席の迅徒は穏やかな返事を返してくる。 「……じゃ、そろそろやるか」 ヘリの扉を開く。 眼下には、巨大な竜と闘う級長。どうやら劣勢のようだ。 俺の手には、刃の欠けた神剣――『天羽々斬』がある。 名にある『ハハ』とは、『蛇』を表す古語の1つ。つまり天羽々斬とは、蛇を斬る神剣なのである。 マナの話によると、この剣は如意宝珠と違って俺でも使えるらしい。『蛇を斬る』という、単純な『機能』しかないからだそうだ。 まぁ、ファフナーは蛇ではなく竜だが……別に問題はないだろう。前にも言った通り大蛇とする話もあるし、何より『ドラゴン』の語源は、『蛇』を意味するギリシア語の『ドラコーン』やサンスクリット語の『ドリグヴェーシャ』。なら竜も蛇も大して変わらない。 「…………」 神剣は、ずっしりと重い。 俺はその重みに敗けないように、剣を振り被り―― 「――喰らえッ!!」 思い切り、振った。 斬撃は光のラインとなり、公園の中を奔る。 その光は、公園にいたどんな生き物も傷付ける事はなかっただろう。 だが、ライン上にいたファフナーだけは――その体躯を、真っ直ぐに斬り裂かれた。 ――ドガァンッッッ!!!! 鼓膜が破れるかと思うほどの、斬音。 斬られた衝撃で、竜の巨体が地面に沈み込みながら横滑りする。 「ガァァァァアアアアアアアッッ!!!?」 ヘリを揺らすほど、ファフナーが絶叫した。 だが俺はそれを上回るような大声で、叫ぶ。 「級長、やれ――ッ!!!!」 ――その声は、確かにカナメへと届いた。 「なぁ、な、がッ……この剣撃、ノートゥングか……!!? いや、それ以上の……ッ!!!?」 ファフナーは大量の血を流しながら、苦悶の声を上げる。 「……カナメ」 「ええ」 パックの言葉に答えると同時に、カナメはファフナーへと突貫した。 「まったく……余計な事をしてくれるわね」 満身創痍でありながら、カナメは笑う。 「迷いの森の夏至前夜、妖精達は舞い騒ぐ!」 金剛の如き鱗は剥げ落ち、もはや竜の身体を護るモノは何もない。 カナメは、必殺の術を組み上げる。 「我が名はカナメ、恋する乙女! 我が心で燃える炎は、神々さえも魅了するッ!!」 ハンマーが、雷を纏った。 カナメは地を蹴る。そして、鳥のように舞い上がった。 「偉大なる雷神よ! その力の一端を、我に貸し与えたまえッ!!」 ハンマーが振り下ろされる。 ――それはまさしく、天より降る雷の如し。 「雷神の……巨人殺しの鉄槌、だと――ッ!!!?」 「スペシャル御奉仕!!! 『メイド・ミョルニル』ッッ!!!!」 雷が、ファフナーを貫いた。 周囲にある一切が蒸発し、ファフナーの肉が燃やし尽くされる。 竜の巨躯が――内側から、滅ぼされていった。 「……見、事……」 ファフナーが、塵となって消滅する。 「これが……ニーベルングの指環ね」 そして、ファフナーがいた場所に――1つの指環があった。 ラインの黄金より作られし、呪われた指環。 「…………」 指環の魔力が、カナメとパックを誘惑する。 指環の支配者となれば、世界が手に入る――と。 「パック、本当にいいのね?」 「いいのさ。ガツンとやっちゃうのさ」 「そう。なら遠慮はしないわ」 カナメはハンマーを――指環に、振り下ろした。 カン、という金属質の音と共に、指環が砕け散る。 破片は光の粒子となり、風の中に消えていった。 ――災禍の指環が迎えた、呆気ない最後である。 「これで、指環の持ち主が死ぬ事も、世界の滅亡――『神々の黄昏』が訪れる事もないのさ。全ての禍の原因は絶たれたのさ」 「でも、どうするの? あんた、父親に何ていい訳するつもり?」 「フフフ、それもバッチリ考えてあるのさ。この地にいた土着の神が、指環の禍を恐れて壊した事にするのさ!」 「……つまり、マナに責任を押し付ける訳ね?」 カナメは呆れたが、しかし反対はしなかった。 「そもそもオイラは、現存する唯一の妖精族禁断魔法の使い手――シェイクスピアの契約を受け継いだ、『銀の鍵』を握る者なのさ。多少のミスは権力で揉み消せるのさ」 「…………」 カチューシャを外し、カナメは要芽へと戻る。 「でも、あの剣撃。匠哉が放ったみたいだけど……何だったのさ?」 「さぁ? 多分、マナが何か助力したんでしょう。問い詰めても、惚けるだろうけど」 「……やっぱり、手を出してきたのさ」 「とは言え、匠哉を代わりに使って自分自身は出て来なかった。こちらの探りに対する、ささやかなガードね」 「…………」 「……でも――」 要芽は微笑む。 「どんな形であれ、匠哉は助けてくれた。私達は何も話さなかったのに、私達が戦う理由を信じてくれたのね」 大きなお世話だけど、と言って要芽は空を見上げた。 ヘリは、すでに見えない。 「ま〜た、要芽のノロケが出たのさ」 「……何がノロケよ」 要芽は、スタスタと歩き出す。 「あっ、待つのさ」 パックも、後を追う。 「それにしても、さっきの匠哉の一撃。まるで、ジークフリートみたいだったのさ」 「なら、匠哉に変な薬を使って色恋沙汰を弄るのは止めた方がいいわね。女の恨みで背中を刺されるなんて、冗談でも笑えないわよ」 「う……まだ根に持ってるのさ? 大丈夫なのさ、オイラはハーゲンのような極悪非道じゃないのさ」 ふたりは、公園から去って行く。 「ほら。試し斬り、済ませて来てやったぞ」 俺は家に帰ると、マナに天羽々斬を放り投げる。 しぃの姿はなかった。散歩にでも行ったのだろう。 「うん、ありがとー」 ……こいつ、言い訳すらしねえ。完全に開き直ってやがる。 「神代の武具だなんて言っても、所詮は中古品。ちゃんと動くかどうか、正直な所不安だったんだよね」 「その不安を俺を使って解消すんな」 「だって、級長達が私の事を探ってるんだもん。私自ら出て行ったら、バカみたいでしょ?」 「探られて困るような、やましい事があるのか?」 「いや、別にないけど。かと言って、素直に探らせてやるのも何か嫌だし」 ……個人的な感情の問題かい。 「まぁ、お前がその剣で何を斬ろうとしているのかは知らないが――」 「またまたぁ、ホントは知ってるんでしょ?」 「知・ら・な・い・が! とにかく、俺に迷惑かけんなよ」 「了解ー」 マナは、思い出したように窓の外を見る。 「……ああ、そう言えば。さっき、指環の気配が消えてなくなったよ」 「級長達が壊したのか」 「多分ね」 「ま、そんな事だろうとは思ってたけどな……」 やはり、あのふたりが指環を求めていた目的は、指環の力などではなく――指環の破壊だった訳だ。 「あの指環はね、第二次世界大戦中にドイツから日本に送られたモノなんだよ」 「大戦中……か」 「うん。ヒトラーやその幹部達はオカルトに興味を持っていたらしいし、事実ナチスの母体にトゥーレ協会という秘密結社があったりする。それに、ヒトラーはヴァーグナーの音楽に熱狂していた。ならば、指環を見付けようとしてもおかしくはないよね。バカな話だけど」 「でも、見付けてしまったんだな。しかし、どうして日本に送ったんだ? 指環の力があれば――」 「その前にドイツが降伏しちゃったんじゃない? ヒトラーが自殺――あるいは逃亡し、指環を持つべき者がいなくなった。だから、枢軸国の中でもまだ戦い続けていた日本に送ったんだと思う」 「…………」 「さて、ここで問題です。指環が日本に送られた場合、それを持つのは誰でしょう?」 「……昭和天皇だろうな」 「正解。まぁ軍部とかが持ってもよかったんだろうけど、やはりここは天照大御神の子孫である天子が持つべきだったんだろうね」 「だが何かの事故で、天皇家の手に渡る事はなかった」 「そう。輸送中に行方不明になった指環は、その後ずっとこの国を彷徨い続けていたんだよ」 「妖精族はそれに気付き、ゴグマゴグ退治を隠れ蓑に指環を回収するよう、パックに命じた。パックと級長はそれを逆に利用し、指環を葬った」 コクコクと、マナが頷く。 「元々は天皇家に贈られたモノだから、指環が現存するだなんて知られれば、宮内庁や皇居陰陽寮が黙っていない。それでなくとも、世界を手に出来る指環があるだなんて話が広まれば、指環の争奪戦が起こる」 「だから級長達は何も話さず、自分達だけで内密に始末しようとしたんだな」 「不器用だねぇ」 「不器用だなぁ」 俺は苦笑する。 「でも、その級長達を無条件に信用した匠哉は、相当のアホだよね」 「……テメェは不器用な級長達とアホな俺を利用して、神剣の試し斬りをした。いい御身分だよなぁ、オイ」 「それくらいの得はあってもいいでしょ。どうせ、パックは私に指環が消滅した責任を押し付けるつもりだろうし。人間より神のせいにした方が、説得力があるからね」 「……ま、そうだな。人間の場合、指環を壊すより使うよな」 級長は、完璧にその例外だった訳だが。 「とりあえず、これで一件落着か」 「そうだね。私には、まだやる事があるけど」 マナが、神剣を見る。 「…………」 俺は神剣を手に取り、試しにマナを軽く叩いてみた。 「痛ーッ!!?」 おお、効いた! 結界を無効化したぞ! 「と、突然何するの!?」 「ふふふ、こいつがあれば……」 「……ちょっと? 匠哉、何企んでるの?」 「いや、大した事じゃない。ただこの神剣を使えば、貧乏の原因をバッサリと断てるんだ」 「……神剣、隠しておこっと」 「あッ!!? コラ待て、テメェ!!!」 マナが、天羽々斬を持って外に出て行った。今から追い駆けても無駄だろう。 「ったく、貧乏神め……」 ……まぁ、別にいいけどな。 さて。マナとしぃが帰って来る前に、夕食を作っておこう。
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