「ヘイ、アア=シャンタ、ナイグ。旅だつがよい。地球の神々を未知なるカダスの住処すみかにおくりかえし、二度とふたたび千なる異形のわれに出会わぬことを宇宙に祈るがよい。さらばだ、ランドルフ・カーター。このことは忘れるでないぞ。われこそは這い寄る混沌、ナイアルラトホテップなれば」


 ――ハワード・フィリップス・ラヴクラフト『未知なるカダスを夢に求めて』


ビンボール・ハウス17
〜数多の影、そして数多の貌〜

大根メロン


「ここが、星丘市アルか〜」
 星丘市の街中を、もの凄く目立つ少女が闊歩する。
 周囲の人々は、彼女を避けるように歩いていく。街中に僵尸の格好をした変人が歩いていれば、誰だってそうするだろう。
「七曜町では大失敗だったアルが……この任務は、バッチリこなすアルよ!」
 IEOのスペシャル・エージェント――王飛娘は気合いを入れ直し、ノシノシと歩いて行った。








 やあ、皆こんにちは。月見匠哉だ。
 俺は今、極めて困難なミッションにチャレンジしている。気分はスパイ映画の主人公だ。
 任務の内容は――バイト先の喫茶ノルンから、我が家に無事帰還する事。
 いつも通りだろう、などと思ってはいけない。いや、確かにいつも通りなのだが、それが問題なのだ。
 思い返して欲しい。俺が変な奴に会ったり、変な事件に巻き込まれたりするのは、ほとんどがこの時間帯だ。例を挙げると、パックとの出会い。しぃとの出会い。マノンとの出会い。
 そりゃ誰かと出会うのは悪い事じゃないが、そのせいで怪事件に足を突っ込むハメになるのは、もうホント勘弁してほしいのである。バイト先でも色々あって、疲れてるのに。
 ……ああ、温泉旅行を福引で当てたのも、バイトが終わった後だったっけな。
「左右確認――異常なし」
 俺は細心の注意を払いつつ、道を進んで行く。っと、あいつは鈴木さんとこの猛犬、ガウガウだ。またひとりで散歩してんのか。気を付けろ、俺。
 しかし――
「――な!!?」
「――アルッ!?」
 ガウガウに気を取られていたせいで、角から出て来た人にぶつかってしまった。俺の努力が水の泡である。
(……うぅ。こういうイヴェントは、下校じゃなくて登校の時に起こるモノだろ……!)
 俺はバカな思考をしつつ、謝ろうとしてぶつかった相手を見る。
 そこには、僵尸がいた。
 …………。
「変な奴キタ――!!!?」
「うぉ!? と、突然何アルかッ!!?」
 まずい、まずいぞ! 最悪の展開だ。しかも、こいつは――!
「……あ! 君はこの前、あの貧乏神と一緒いた変な少年ッ!!」
「変な少年って言うな! 変なお前に言われると本気で腹が立つ!!」
 チャイナはしばらく俺を見た後、
「ちょっと来るアル!」
 そう言って、俺を引っ張って行った。
 ……うぅうう、トラブルの予感……!



「じゃ、ゆっくりしていってね〜」
 ……何故、数十分前に出たバイト先に戻って来なければならないのか。
 店長の美香みかさんは、久し振りの客に嬉しそうな顔をしている。
 しかし、チャイナ――王飛娘というらしい――が、この店を選んだ理由は、『客がいないおかげで、何を話しても聞かれないアルから』だそうだ。店長が聞いたら泣くぞ。
 俺と飛娘は、それぞれ注文した飲み物を飲む。どうでもいいが、日々酷使しているんだから割引とかしてくれ。
「普通アルね」
「ああ、普通だな」
 まずくはないが、特別美味しい訳でもなく。
 たった一言で終わる、味の感想。
「で、まず聞きたいアルが――」
 ようやく、本題に入るらしい。
「あの貧乏神と知り合いという事は、私の仕事についても知ってるアルね?」
「……IEOのメンバー、とは聞いているが」
「それだけ分かっていれば十分アル」
 飛娘は、窓から外を見る。
「今、この街ではとある怪事が起こってるアルよ。私の任務は、その調査――及び、原因の排除アル」
「…………」
「で、匠哉に頼みたい事があるアル。私がこの街に来ている事を、誰にも話さないでほしいアルよ」
「……そうだな。その怪事とやらが個人や組織によって引き起こされている場合、IEOのメンバーが来てるなんて話が広まれば、どう考えても警戒される。それは旨くないな」
「話の理解が早くて助かるアル。……それに僵尸の私は、下手したら霧神家に狙われるアルし」
 うわぁ、そうか。あのバカに気付かれないようにしないといけないのか。それは大変だ。
 ……ん? 霧神家?
「なぁ飛娘、知ってるか? この街には今、異端審問官も来てるんだぞ」
「――い、異端審問官!? だ、だだ、誰アルかッ!!?」
「カミオリの美榊迅徒、って奴」
「迅徒……あの嘘吐き異端審問官アルか。くぅっ、ますます動き辛くなったアルね……」
 どうやら知り合いのようだ。けど、『嘘吐き』って何?
「しかし、そんな格好で出歩いていれば、いつかは気付かれると思うぞ?」
「う……そ、それはどうしようもないアル。バレる前に解決するアルよ」
 一応、目立っている自覚はあるらしい。
「ところで、この街で起こってる怪事ってのは何なんだ? 一市民としては、それなりに気になったりするんだが」
「それは話せないアル。守秘義務、というやつアルよ」
「……お前。それを貧乏神に主張して、酷い目に遭わされたんじゃなかったっけ?」
「う……ッ!!!」
 頭を抱えて、ガタガタ震え出す飛娘。
 ……何やら、触れてはいけない部分に触れてしまったらしい。
「ま、まぁ、口止め料だと思って話してくれればいい」
「口止め料……そ、そうアルね」
 過去の悲劇から戻って来た飛娘は、コホンと咳払い。
「この街で起こってる怪事というのは、いわゆるドッペルゲンガー現象アルよ」
「ドッペルゲンガー……自己像幻視オートスコピィか?」
「そういう精神医学的な事ではなく、隠秘学的な意味でのドッペルゲンガーアル。説明がいるアルか?」
「いや、不要だ」
 ドッペルゲンガーとは、ドイツ語で『二重に出歩く者』の意。簡単に言えば、自分自身とまったく同じ姿をした何者かの事だ。
 自分のドッペルゲンガーを見た者は、近い内に悪い事が起こるとされている。悪い事――色々あるだろうが、1番ポピュラーなのは『死』だ。
 結構、世界中でこの現象は起こっているらしい。芥川龍之介はドッペルゲンガーと出遭ってしまったために、自殺したなんて話も聞く。
 何故、ドッペルゲンガーを見た者は死ぬのか――これについては謎だ。ドッペルゲンガーは自身の魂であり、故に魂の抜け出ている肉体は死んでしまう、という説もあったりするが。  ……まぁ単純に、『自分が2人いる』という矛盾を消滅させるためかも知れない。
「すでに何人か死者が出てるアル。この街は今、かなり危険な状態アルよ」
「死者だと? そんな話は聞かないが……」
「それは報道管制というやつアルね。私達IEOを含む夜界の組織っていうのは、政治家と違ってヤバい情報は一切漏らさないアル」
「…………」
 ま、そうだろうな。
 あの時だって――1つの村の村民が全滅したっていうのに、何も報道されなかった。
「しかし、お前はこうやって俺に情報を漏らしている訳だがな」
「――ア、アル!!? は、謀ったアルかッ!!?」
「いや、謀ってない。安心しろ、誰にも言わないから。言ったらされそうだし」
「…………」
 飛娘は、じとーっとした視線で俺を見る。
「よく分かってるアルね」
「17年も生きていれば、それなりに学ぶ事もあるのさ」
「……まぁ、いいアルよ」
 俺を見ながら、溜息をつく飛娘。どういう意味だ?
「ドッペルゲンガーに会いたくなければ、夜には外に出ない事アル」
「日中は大丈夫なのか? ドッペルゲンガー現象ってのは、昼夜を問わず発生するモノだったと思うんだが」
「この街で起こってるのは、夜限定アルよ。家というのは一種の結界アルから、引き篭もっていれば大丈夫アル。分かったアルね?」
「うい、了解した」
 気を付けるとしよう。とは言え、夜中に街に出るような用事などないだろうが。
「それにしても……嫌な人間と出会ってしまったアル」
「待て。いきなり不愉快な発言をするな」
「だって、匠哉と会った直後アルよ? 鈴蘭が斃されて、七曜町での私の仕事が大失敗となったのは。獲物が横取りされるなんて、全然予想してなかったアルよ」
 ……う。
 いや、あれは仕事をせずにメシを食いまくってたこいつが悪いんだ。うん。
「まったく、誰アルか! 鈴蘭を斃したのはッ!」
「……さぁ、誰だろうな?」
 俺ではない。直接的には。
「ただでさえ、今は困った状況なのに……」
「『困った状況』?」
「マノン・ディアブルって呪徒を知ってるアルか? そのマノンが、この街で滅ぼされた事も」
「ああ、知ってるよ」
 一応、当事者だし。
「滅ぼされた彼女の替わりに、何と私が呪徒に認定されてしまったアルよ。異端審問部の攻撃が、段違いに厳しくなったアル」
 …………。
「まったく、誰アルか! マノンを斃したのはッ!」
「……さぁ、誰だろうな?」
 俺ではない。直接的には。
 だが――
(……ゴメンナサイ)
 心の中では、丁寧に謝っておく。



 飛娘と別れ、ようやく俺は帰路についた。
「さて、夕飯の材料を買っていかないとな……」
 それにしても、今度はドッペルゲンガー現象か。まったく、色々と起こるよなぁ。
 この街には、怪事を引き寄せる磁力みたいなモノがあるのかも知れない。
(原因は――鈴蘭が言っていた、例の半神だろうな)
 そう仮定すれば、納得出来る事も多いし。
 そして。あいつの半神と言うからには、それは恐らく――
「……ん?」
 そこで、俺は思わず思考を止めた。
 歩道の端に置かれたベンチ。そこで、シスターが本を読んでいた。
 人々が慌しく通るその場において、修道服の少女の存在はかなり浮いている。
 俺は、その前を通り過ぎようとしたが――
「ある時、北勇治という男が家に帰ると、自室の机に何者かが向かっていた」
「…………」
 ……何故か。
「後姿は勇治にそっくりだったので、彼は相手の顔を見ようとした。だがそいつは細く開いていた障子からするりと逃げ、消えてしまったそうだよ」
 何故か気になったので、立ち止まり耳を傾ける。
「その年の内に、勇治は病で死んでしまう。実は――北家では三代続いて、主人が己の姿を見て死んでいたらしい。呪われた家系、というモノなのかな」
 これは確か、『奥州波奈志』の――
「……『影の病』」
 呟きに応えるように、シスターは俺を見る。
 彼女のカオにあるモノは、微笑。
「その通り。初めまして、月見匠哉。いや……久し振り、かな?」
「お前は――」
「私の名は、マスケラ・ニィアーラ。教皇庁ヴァチカンで、修道女の真似事をしている者だ」
 ……何だろう。こいつ、とてつもなく――ヤバい。
 俺が今まで対峙してきた、魔人や異神。その中のどいつと比べても、この女は別格のような気がする。
「私の知り合いが、君の家でお世話になってるようなのでね。挨拶くらいはした方がよいかと思って、ここで待っていたんだよ」
「お世話……しぃの事か。あいつを、迎えに来たのか?」
「いや、違うよ。まだその時じゃない。星は未だ、元の位置に収まってはいないからね」
「……ッ」
「今回は別件だ。それで、ついでに君を見に来たんだよ」
 ……何なんだ、このマスケラとかいう女は。
「じゃあ用も済ませた事だし、私は去るとしよう」
 こいつは絶対に、ここにいちゃいけない存在だ。
「では、御機嫌よう」
 ……ふと、気付けば。
 ベンチに在るモノは、一冊の本だけだった。



 ――その夜。
「しまった……」
 俺は冷蔵庫の前で、ガックリと肩を落としていた。
 俺とした事が……買い物の時、明日の朝食の材料を買うのを忘れてしまったのである。
 神など信じていないが――いや、存在そのものは信じているが――言わせてもらおう。Oh My God!!
 さて、どうする? コンビニにでも買いに行くか?
 しかし、そうするとドッペルゲンガーに出くわすかも知れない。それはまずいだろう。
 だが、明日の朝食を抜くという訳にもいくまい。そんな事になったら、我が家の悪神どもがキレる。特にタコの方。
 その窮地を脱するには、ランドルフ・カーターの如き頭脳と運が必要だろうが……俺には無理だ。
「……仕方ないな」
 俺は、身支度をする。
 素早く行って、素早く帰って来よう。



 俺は夜闇の中、早足でコンビニへと向かう。
 ……なるほど。確かに妙な感じだ。杉澤村の洞窟や天狗山に似た、不穏な気配を感じる。
 こりゃ、ホントにヤバいな。さっさと用事を済ませよう。
 と、その時。
「……っ!?」
 カツンカツン、と……背後から、足音が聞こえた。
 その足音は、すぐに俺との距離を縮め――
「匠哉〜! 何やってるアル〜ッ!!?」
 俺を一発、ぶん殴った。



「つまり、明日の朝食を買いに出てるアルか?」
「うむ」
 俺と飛娘は、並んで夜道を歩く。
「……アホアルね」
「いやいや、我が家の食卓は色々あって凄いんだ。一食たりとも油断ならない」
「…………」
 飛娘は呆れた――と言うか、バカにした眼で俺を見る。
「……ふぅ、仕方ないアル。家に帰るまで、私が護衛するアルよ」
「え? いいのか? そりゃ、俺としては凄く助かるが」
「ま、ドッペルゲンガーが出たとしても、所詮は匠哉の影アル。私の敵ではないアルよ」
「……その言葉は、喜んでいいのか?」
 俺達は雑談を交わしながら、コンビニへと向かう。
「そういや、お前のドッペルゲンガーが現れたらどうするんだ? かなり不都合があると思うが」
「心配無用アル。匠哉、吸血鬼ヴァンパイアは鏡に映らないという話、知ってるアルか?」
「それくらいは知ってるが……あ、そういう事か」
 飛娘は、フフフと笑った。
「僵尸は吸血鬼ヴァンパイアの一種アルから、私の鏡像ドッペルゲンガーは存在しないアルよ」
「にゃるほどなぁ〜」
 その事も、飛娘がこの仕事を任された理由なのかも知れない。
 そんな風に、歩いていると。
「……おや?」
 少し先に、見慣れた後姿を見付けた。
「――真?」
 俺は、真に駆け寄る。
「……匠哉。ぐー……」
「お前、こんな時間に何やってるんだ?」
「…………」
 真は黙った後に、
「……少し、困った事になった。ぐー……」
 と、言った。
「こ、この人……寝てるアルか?」
 追い付いて来た飛娘が、真を見て唖然。まぁ、普通はそういうリアクションだよな。
「ああ、寝てるんだ。こいつの名前は田村真。俺のクラスメイトだよ」
「……田村、真……?」
 飛娘は、訝しげな眼で真を見る。
 確かにこいつはおかしいが……そんなに怪しまなくてもいいと思うんだが。
「……王飛娘アル。よろしくアルよ」
「よろしく。ぐー……」
 ……何か、微妙に緊張感が漂っているのはどうしてだろう。
「んで、『困った事』ってのは何だ?」
「それは――」
 突然、真は言葉を切った。
 真は道の向こうの一点を、ただ見詰めている。
「…………」
 俺と飛娘も、つられたようにそちらを見た。
「……マコトの本質であるシンが、こんな風に出歩かれるのはとても困る。ぐー……」
 夜闇の中から現れたのは、真と同じ姿をした者――ドッペルゲンガー。
「ハッ、笑わせんなネボスケがァ。影とはいえ、ようやく自由に動かせる身が手に入ったんだ……徹底的に、暴れてやらァァァッッ!!!」
 もう1人の真は『3つの瞳』を輝かせながら、禍々しいほどに笑った。
「初めましてだなァ、俺の名前は田村シン。記憶しろ、その腐った脳ミソに俺の名を刻み付けろッッ!!」



「……田村シン。やっぱりそういう事アルか、田村家の鬼子」
「その呼び名、今は僕よりあっちに使うべき。ぐー……」
「ま、そうアルね」
 何だかふたりは納得してるが、俺はさっぱりだ。
「おい真、結局どういう事だ? あのドッペルゲンガー、起きてるみたいだが」
「起きている時の僕が影として具現化し、僕から放れてしまった。ソレを取り戻すために、僕は奴を捜してた。ぐー……」
「……どうやったら、取り戻せるんだよ?」
「斃すのが手っ取り早い。でも、凄く強い。ぐー……」
「…………」
 凄く強い、か。
 そうだろうな。あいつの左眼、瞳が2つあるし。
「お話は終わったかァ? どうだったよ、人生最後のトークはァァ!!?」
「2人とも、下がってるアル」
 飛娘が、前に出る。
「……おい、飛娘」
「分かってるアルよ。力の差が、絶望的だって事くらいは」
 そうか。俺に分かるくらいだ。本人はもっとよく分かっているか。
「でもこの状況では、私が闘るしかないアル」
「オイオイ、待てよ待てよ勝手に決めんなよ。俺のドッペルゲンガーとしての『機能』は、そこの田村真オリジナルを殺す事だぜェ? 失せろ死体、テメェに用はねェよ」
「そっちにはなくとも、こっちにはあるアルよ」
「……あっそう。なら、テメェから捻り殺してやらァァァァァァッッ!!!!」
 俺と真はその場から逃げず、闘いを見守る。ここで下手に逃げ出して、俺のドッペルゲンガーに襲われたら今度こそチェック・メイトだ。飛娘から離れない方がいい。
 彼女もそれは分かっているらしく、俺達には何も言わない。
「――吹っ飛ぶアル」
 飛娘の服の袖や裾から、小型のガトリング・ガンが6挺も飛び出す。
「――って、ガトリング・ガン!!?」
 確かに飛娘の着てる服はゆったりした感じで、武器を隠す余地はありそうだが……あんなモノが6挺も入るのか!?
 ……いや、飛娘は不死者だ。内臓や筋肉を全て取り払って、その代わりに武器を詰め込んでいるのかも知れない。
 束ねられた銃身が回転し、一斉に弾を吐き出す。秒間に何発放たれているのか――想像も出来ない。
 耳がおかしくなるんじゃないか、と思うほどの爆音。地面を叩く、大量の薬莢。
 これだけ弾丸を撃ち込んだなら、シンは粉々になっているだろう――と、俺は楽観していたのだが。
「……化物め」
 飛娘が呟く。その言葉には、恐れが感じられた。
 真は、何も言わない。
「オイオイ、何だその豆鉄砲はァ? あの女の手裏剣の方が、まだ威力があったぜェェ?」
 ……マジかよ。
 シンは粉々どころか、傷1つない。弾丸を受け止めたのであろう腕の袖が、千切れているだけだ。
「さぁ――ズタズタとバラバラ、どっちがいい? ヒィヤハハハハハハァァッッ!!!!」
「……ッ」
 飛娘は銃を仕舞うと、両手をそれぞれ反対側の袖に突っ込む。
 そして、二振りの青龍刀を引き抜いた。
「――破ッ!」
 瞬く間の、斬撃。
 まずは、頭から真下に一斬。次いで、もう一方の刀で胴体を横に一斬。
 ……普通ならば、相手は綺麗に四分割されるのだろう。
「バカか、テメェはァ?」
 だが、相手は普通ではないのだ。
 飛娘の斬撃はシンの身体の表面を通っただけで、傷を付けるには至らない。
「ウゼェから、さっさと砕け散れ」
 シンの掌打が、飛娘を襲う。
「――『密迹みっしゃく』ッッ!!!」
 ズドン、という重い音と共に、飛娘が弾き飛ばされた。
 彼女は傍の自販機に衝突し、それの形を歪ませる。
「……ぐッ……ッ!!?」
 さらに、
「――『那羅延ならえん』ッッ!!!」
 シンは逆の掌で、もう一撃。
 再び、自販機に叩き付けられる飛娘。今度はその衝撃に耐え切れず、固定されているはずの自販機が飛娘ごと吹き飛ぶ。
 ……言葉に詰まるほどの、出鱈目な強さだ。
「っと、ヒャハハッ! 終わったかァ?」
 いや、まだ終わっていない。
 地面に転がされた飛娘は、くるりと廻って起き上がる。
 しかし……起き上がったとは言え、苦しそうな様子だ。
「へェ――ちったあ出来るみてェだなァ」
「……これでも不死者アル。この程度のダメージ、すぐに再生するアルよ」
「ハッ、騙るな。さっきの連掌、しっかりと心臓に打ち込んでやったんだ。そう簡単に治る訳ねェだろ、ヒャッハァァッッ!!!」
「なら、これでどうアルか?」
 飛娘は、二刀を地面に突き立てた。
 ……今にも倒れそうな状態だった飛娘が、眼に見えて回復してゆく。
「大地の気脈より気を吸い上げ、身体を修復する。私を斃したいのなら、一撃必殺を心がける事アルね」
「……面白ェ」
 二刀を地面から抜き、構える飛娘。
 だが、どうするんだ? お前の攻撃は、一切そいつには通用しないんだぞ?
「――シャッ!!」
 再度、飛娘はシンを斬り付けた。無論――シンは平然としている。
「ヒャ――ハッハハァァァッッ!!!!」
 シンの蹴りが、飛娘の脇腹を狙う。
 飛娘は青龍刀で防御しようとするが……そのハンマーの如き蹴りは、刀ごと飛娘を打つ。
「……ッッ!!!」
「ならばお言葉通り、一撃必殺してやるッッ!!!!」
 シンは、掌を飛娘に向け――
「――『密迹』ッ! 『那羅延』ッ!」
「が……ッ!!?」
 連掌を、打ち込む。
 ――そして。
「粉微塵になれェェェッッ!! 『仁王におう』ッッ!!!!」
 最後のトドメに、両の掌を同時に突き出した。
「く……ッ!」
 俺はほとんど何も考えず、ふたりの間に跳び込もうとする。
 しかし――
「……え?」
 シンの攻撃は、飛娘には届かなかった。
 何故なら――その瞬間、シンの両腕が斬り落とされたからだ。
「な、にィ……ッ!!?」
 シンは、何が起こったのか理解出来ていない。いや、理解出来ていないのはこの場の全員だ。あの身体が、こうも簡単に斬断されるなんて。
 ――シンを、赤い閃光が斬り刻む。
「あ、なッ……ッ!!!?」
 いくつかの肉片に分かれ、崩れ落ちるシン。その背後には、シンを斬った者が立っていた。
 ……それは。
「その肉を六つに分断し、六道それぞれに埋葬す――」
 それは、赤く輝く日本刀を持った――俺。
「いくらお前の身体が金剛に匹敵しようと、我が宝刀にかかれば紙同然。さよならだ、我が友。眠りの底へと還れ」
「テ、メェ……匠哉ァァァァッッ!!!!」
 シンの肉片が、幻だったかのように消えた。
「さて、と。次の仕事に取りかかるか」
 俺のドッペルゲンガーが、俺達を見る。
「殺すべき月見匠哉オリジナルに、輪廻の理より外れた死者――か。いいだろう。この霧神匠哉が、残らず刈り取ってやる」



「……今度は匠哉アルか」
「よかったな。俺のおかげで、1人片付いたぞ」
「…………」
 場を和ませようとした俺のジョークに、飛娘は無反応。
 ……せ、せめて何らかのリアクションは返してくれ。
「しかし、何で匠哉のドッペルゲンガーが霧神アル?」
「さぁ……?」
 霧神家に知り合いはいるが、そんなの関係ないよな。
「どうでもいいだろう。お前達は皆、ここでその生を終えるんだからな」
「だってさ。どうする、真――っていねえしッ!!!?」
 うわぁ、自分の目的を果たしたらさっさと消えやがった。
「匠哉も逃げた方がいいアルよ。自分と同じ姿の人間が斬り刻まれるのは、あまり見てて気持ちのいいモノじゃないと思うアル」
「……う。そ、そうだな」
 確かに、それは嫌だ。
 俺のドッペルゲンガーはこうして飛娘が引き受けてくれているし、これ以上俺が襲われる事はありえないだろう。
 なら、邪魔にならないように消えるに限る。
 ……でも。
「大丈夫なのか、お前?」
「何を心配してるアルか。この私が、匠哉如きに遅れを取るはずないアル」
 飛娘は俺に背中を向けたまま、言った。
「そっか。それもそうだな」
 俺は少し笑うと、走り出す。
「――逃がすと思うか?」
 霧神匠哉は、瞬時に俺の退路に立ち塞がるが――
「――アルッ!」
 そこに飛娘が突っ込んできて、強引に奴を押し退ける。
 俺はその隙に、その場から逃げ出した。



 ――だが、真っ直ぐ帰るつもりはない。
 しばらく走った後。視界に、1つのベンチが現れた。
 ……その、ベンチでは。
 あの時と同じく、黒いシスターが本を読んでいた。








 ――昔々。
 中国に、とても強力な僵尸がいた。
 彼女は悪行の限りを尽くし、国中で暴れ回ったのである。
 しかし、数百年前。
 彼女はとある地を荒らした時、その地で祀られていた神の怒りに触れてしまった。
 祀られていた神とは、関聖帝君。
 蜀の猛将――関羽が民衆に信仰され、神格化した存在。いくら彼女が強くても、勝てる相手ではない。
 青龍偃月刀を自在に操り闘う、関聖帝君。その圧倒的な力に、彼女は敗れ去った。そして、二降りの愛刀――双龍剣と共に、棺に封印されたのである。
 ……それから、幾年。
 中国の奥地を調査していたIEOが偶然その棺を発見し、封印を解いた。封印によって力を殺がれていた彼女は、以後IEOのメンバーとして活動する事となる。






「……まあいい。まずは、目の前の外道を排除しよう」
 霧神匠哉はその矛先を、匠哉から飛娘に変える。
「…………」
 飛娘は、何も言葉にしない。
 匠哉にはああ言ったが、実際には手も足も出ないような状況だった。
 信濃霧神流の最大の特徴は、その不可避性。
 どんな闘い方にも、必ずリズムというものがある。一呼吸で何度攻めるか、どのタイミングで間合いを取るか。
 相手のそれが見えれば、当然闘いは有利になる。相手の攻撃が読めれば、回避すら容易。
(けれど――……)
 信濃霧神流は、そこに落とし穴を作る。
 見えたと思ったリズムが突如変われば、その一瞬は対応出来なくなってしまう。
 攻防一体というものは存在するが、避防一体は存在しない。右から来ると読んで躱した時に、左から来れば――斬られるしかない。
 信濃霧神流の剣士は、6つのリズムを持つ。それを操る様子は、さながら六道輪廻。
(6つ全てを読み切るのは不可能アルから、回避より防御を重視すべきアル)
 避ける事が出来ないのならば、一撃一撃をしっかりと受け止める。回避を捨て防御に集中すれば、防げぬ剣ではない。
(……とは言え)
 それも、不可能。
 霧神匠哉が持つ刀は、あのシンをバラバラにした業物。防御しても、その防御ごと飛娘を真っ二つにするだろう。
 龍の牙より鍛え上げられたとされる双龍剣といえども、あの必殺の斬撃を受け止める事など出来はしない。
(こりゃ、詰まったアルね……)
 だからと言ってこのまますんなり敗れるほど、飛娘は諦めがよい訳ではなかった。
「まったく。どうして匠哉のドッペルゲンガーが、あんたみたいな奴になるアル?」
「何を言うかと思えば。そんなのは当然だろう」
「……当然?」
「今度、奴の瞳を覗き込んでみろ。深い深い闇が見えるぞ」
 霧神匠哉は、小さく笑う。
「数多の悲劇が奴の心を傷付け、その傷口から闇が湧く。そうすれば、俺のような平行存在も生まれてくる訳だ」
「…………」
「……ああ、ダメか。『今度』はないな。お前はこの場で、俺が徹底的に壊すんだから」
 地を蹴る、霧神匠哉。
「――やるぞ、飛炎」
 彼は瞬間的に、飛娘との間合いを詰める。
 振り下ろされた刀を、飛娘は横に跳び躱そうとするが――
「くぅ――ッ!!?」
 太刀筋が予期せぬ位置で曲がり、飛娘の脇腹を斬り付けた。
 ……不死者の再生能力は、すぐにその傷を塞ぐ。
「無駄だと知ってるだろう。信濃霧神流の剣を、避ける事など出来ない」
「……ッ」
 飛娘は実感する。この相手は、自分よりも強い――と。
「――手早く終わらせる。閻魔が、お前を待っているからな」








「やぁ、匠哉。御機嫌いかがかな?」
「……よくはないな」
 マスケラは本を閉じ、俺と向かい合う。
「こんな夜中に女の子がひとりってのは、少し無用心じゃないか?」
「何、心配いらないよ」
「……そうだな。この街、さっきから人がいないし。あれだけ派手な戦闘をしたのに、誰も現れない」
 マスケラの手から、本が忽然と消える。
「君達が闘い易いように、この街を異界に変えた。……ああ、朝になれば元に戻るから、安心していい」
「……ドッペルゲンガー現象を引き起こしているのは、お前だな?」
 証拠はない。あるのは確信だけだ。
 答えは、すんなりと帰って来た。
「そうだよ。輝くトラペゾヘドロンを使って彼等を喚び出し、具現化させた」
「……何のために?」
「ははっ、『何のために』と来たか。行動を起こす時に動機や目的が必要となるのは、人間の属性だ。私に、それは当て嵌まらないよ」
 マスケラは、歪な笑顔を浮かべる。
「あえて言うなら……そうだな、『暇潰し』という言葉が1番適当だね」
「…………」
「ふふ、いい眼だ、匠哉。その月天使の如き睨み――蛇の如きと言い換えてもいいが――なかなか心躍る」
 くそっ、どこまでも不愉快な奴だ。
「今夜現れた、田村シンと霧神匠哉。彼等はね、君達の別の貌なんだよ」
「……?」
「田村シンは、田村真の実相。霧神匠哉は、月見匠哉とは異なる可能性。ほら、彼等は君達が隠し持っている貌――千なる異形の1つだ」
「何が言いたい?」
「本当は、分かっているんだろう?」
 ……認めたくないが、こいつは、やはり――
「まぁ、影が出歩く奇夜は今夜で終わりだよ。そろそろ、愛しい本達が待つローマに帰りたい」
 マスケラが、ベンチから立つ。
「何にしろ、意味など無いのだがね。この身も、所詮はその名の通り仮面マスケラに過ぎない」
「なら、その仮面の下にはどんな貌があるんだ?」
「また分かり切っている事を訊くね。知っての通り、貌など無いさ。私は千なる異形を持つ、無貌の神――這い寄る混沌なのだから」
 最上級の嘲りを込めて、マスケラは笑う。
「じゃあ、ルルイエの王に伝えておいておくれ。君の悪夢が醒める時、星辰の夜にて御逢いしよう――と」
 マスケラの姿が、霧のように消えてゆく。
 消える、瞬間。その姿は女でも男でも、それ以前に人でもなかった。
 ――貌の無い化物が、声を出す。
「ああ、最後に。王飛娘はかなり苦戦しているようだ。助けるつもりがあるのなら、急いだ方がいい」
 化物はそう言い残し、完全に消失した。
「……苦戦している、だと?」
 飛娘の余裕は――演技だった、のか?
 俺は来た道を、全速力で逆走する。
「あの……バカッ!!!」








「ぐ……ッ!!?」
 赤の宝刀――飛炎が倒れた飛娘の胸を貫き、地面に磔にする。
 だがそれでも、飛娘は僅かな動きで、その一撃を心臓から逸らしていた。
「……しぶといな。死者のくせに、土に還るのが嫌なのか?」
 霧神匠哉は、溜息をつく。
「だがな、お前の闘いはまったく無意味だ。お前がこんな目に遭っているのは、月見匠哉を護ろうとしたからだろう? しかし――マノンを斃したのも鈴蘭を斃したのも、奴だぞ」
「――……」
「直接手を下した訳ではないが、奴が存在したからこそあのふたりは滅ぼされた。お前の不幸は、全て月見匠哉が原因だ」
 それに、対して。
 飛娘は、たった一言だけ。
「ああ……やっぱり、そうアルか」
「……何?」
「そんな事だろうと思ってたアルよ。私と話している時、少しだけ申し訳なさそうにしてたアルから」
 飛娘は、微笑む。
「まぁ、誰かを護って消えるなら悪くないアルよ。それは、意味のある消え方だと思うアル」
「そうか。なら滅びろ」
 霧神匠哉は飛炎を飛娘の身体から引き抜き、振り上げた。
 そして、そのまま振り下ろそうとした時――
「必殺絶技ッ!! ジェノサイド・キィィ――ッック!!!!」
 突如現れた何者かが、霧神匠哉に跳び蹴りをかました。



 在り得ない、と飛娘は思う。
 何しろ、彼がここに戻って来る理由など1つもない。霧神匠哉は闇がどうとか言っていたが、飛娘にはただの少年にしか見えなかったのだ。
 こんな――死者と影が滅ぼし合うような、異常なる夜にいるはずのない人間。もっと、明るい場所で生きる権利のある人間。
 ――なのに。
「た……匠哉?」
「おう、飛娘。まだ生きてるな」
 月見匠哉は、飛娘の隣に立っている。
「……殺されに来たか」
 邪魔をされた霧神匠哉は不快そうに、殺気立った声で匠哉に言う。
「いや、お前の事なんてどうでもいいんだ。俺はただ、飛娘を助けに来ただけ」
「……ッ」
 飛娘はその言葉で、匠哉が戻って来た訳を理解した。
 だが、納得は出来ない。出会って数時間しか経っていない者を助けに、死地に現れるなんて馬鹿げている。
 何より――生者が死者のために命を懸けるなど、信じる事は出来ない。
「阿呆か、お前は。そいつに助けられた命を、自分から捨てに来たのか」
「誰かの犠牲の上で生きるのはストレスになるんでね。そんなんだったら、死んだ方がマシだ」
「……なるほど。ならお望み通り、死なせてやろう」
「言っただろ、飛娘を助けに来ただけって。だから、死にに来た訳ではないんだよ」
 霧神匠哉は、憎悪を込めた瞳で匠哉を見据え――
「……ふざけるな。ニンゲンとバケモノは分かり合えない。それは、お前だって知っているはずだ。麻弥をあの洞窟に閉じ込めた、お前が1番よく知っている」
「――……」
「そいつも、所詮はバケモノ。助けるなど、お前の自己満足に過ぎん」
 匠哉は、表情を変えない。
「……正論だが、陳腐だな。そんな気の利かない理屈で、俺を論破するなんて無理だぞ」
「…………」
「いい事を教えてやろう。美香さんの話では、男の子は女の子を見捨てちゃいけないそうだ。逆もまたしかり、らしいがな。それだけの事だよ。分かり合えないだとか自己満足だとか、そんなのは関係ない」
 1つ、匠哉は大きな溜息。
「ああ、それと――お前は、俺に向かってあいつの名前を吐いた。……生きて、この夜を越せると思うなよ」
 ――その時。
 飛娘はようやく、匠哉の闇とやらが見えた気がした。
「……ッ」
 飛娘は身体を刀で支えながら、何とか立ち上がる。
「ちょ……っと。待つアル、匠哉」
「お前は下がってろ。俺の相手は俺がするのが道理だろうしな」
「無理アル、匠哉じゃそいつには――!」
 必死で訴えかける飛娘。
 しかし、匠哉は聞かない。
「いいから、まずはその身体を治せ。大丈夫だ、まともに闘うつもりはないから」
「――……」
 飛娘は、その言葉の意味を全て汲み取って――
「……分かったアル」
 闘いの場から、下がった。
「じゃあ始めるぞ、ドッペルゲンガー。どちらが『匠哉』として優れているか、見極めようじゃないか」








「……愚者が」
 霧神匠哉は身も凍るような鬼気を放ちながら、俺を威嚇する。
「お前などより俺の方が、『匠哉』に相応しいに決まっている」
「まぁ、全ての点において俺よりお前が優れているなら、大人しく『匠哉』という存在を譲ってやってもいいんだが……」
「……俺がお前より劣っている点が、あると?」
「ないと思うか? 俺とお前が何処で分岐したのかは知らないが、歩んだ道が違えばそれぞれ優劣があるのは当然だ」
「戯言を――ッ!」
 奴は俺との間合いを詰め――
「――死ね!」
 刀を、振るう。
 隙のない連撃。しかも一発一発のリズムが違う、殺人剣だ。
 普通に考えれば、避ける事など無理なのだが。
「……何?」
 俺は、その全てを避けてみせた。
「どういう、事だ?」
「分かんないのか? お前は俺なのに?」
「ク――ッ!!」
 再び、斬撃が俺を襲う。
 だが、何度繰り返しても同じだ。俺はひょいひょいと、刀を躱す。
「チッ……認めるか……!」
 霧神匠哉は左手で刀印を結ぶと、それで刀に触れる。
 おそらくは、咒力か何かを刀に込めたのだろう。
「お前には、阿弥陀の救いも閻魔の裁きも必要ない――!」
 そして、一閃。
「信濃霧神流禁法、第一番――『輪廻断絶』ッ!!」
 喰らえばその名の通り、俺の魂は生まれ変わる事すら出来なくなるのだろう。
 ――だが勿論、喰らったりはしない。
「な……っ!!?」
「ああ、やっぱりダメだな――」
 霧神匠哉こいつでは、月見匠哉おれには勝てない。
「不合格だ、影。お前はいらない」
「……ッ!!!?」
 霧神匠哉は、信じられないといった表情。
 ……どうでもいいが、恐れ戦く自分の貌を見るのって何か微妙だな。
「何故、何故だ!? どうして、俺の技が通用しないッ!!?」
「……あのな。俺が毎日、誰と追いかけっこしてると思うんだ?」
 この言葉で、ようやく気付いたらしい。
「まさ、か……ッ!!?」
「そう。俺は誰かさんのおかげで、信濃霧神流の躱し方を身体で覚えている。いくら変則的だろうと、所詮は6パターンだ。毎日毎日叩き込まれていれば、嫌でも覚えるさ」
 まぁ今だけは、それに感謝しよう。
「だから――ギアを上げれば、躱すのは容易い」
「……またか。またお前か、瀬利花……!」
 それと――
「もう1つ、言っておく事がある」
 何と言うか、こいつは武芸者だから、1対1に慣れ過ぎているんだろうな。
「お前の敵は、俺だけじゃないぞ」
「――ッ!!?」
 今頃気付いても、遅いが。
「双龍剣――」
 飛娘はすでに、霧神匠哉の背後を取っている。
「――『飛龍天舞』ッ!!」
 平行線を描くように振り下ろされる、二刀。
「がぁぁああ――ッッ!!!?」
 それは霧神匠哉の身体を、3つに分断した。



「派手に殺したなぁ……俺を」
「だから、気持ちのいいモノじゃないと言ったアル」
 飛娘は青龍刀を、袖の中に戻す。
「それにしても……助けに来たとか言いつつ、トドメを刺すのは私アルか」
「それくらいはいいだろ。元々は、お前の仕事なんだし」
「…………」
「……あの。飛娘、さん? さっきから、何となく不機嫌ではありませんか?」
 飛娘はツカツカと俺に歩み寄り、ぐっと顔を近付ける。そして、俺の瞳を覗き込んだ。
「さっき言ってた、あいつっていうのは誰アル?」
「……は?」
「話を聞いた限りでは、その人は匠哉にとって――」
 飛娘は、じーっと俺を見詰め続け、
「――って、何で私がそんな事を気にしなきゃならないアルかッ!!!?」
 突然、キレた。
「な、何だいきなり!!? 新手の反日運動かッ!!!?」
「違うアルよッ!!!!」
「何でもいいが、とにかく離れろ!! この距離は危険だッ!!!!」
 顔面と顔面の距離が数センチというのは、色々とヤバい。
「――ッ!!!?」
 電光石火で、俺から離れる飛娘。
「……ふぅ。んで、あいつの事がどうかしたか?」
「何でもないアル……」
 ……? おかしな奴。
 てっきり、飛娘は麻弥について何か俺に訊きたいのかと思ったのだが。IEOのメンバーなら、犬塚家を知っていてもおかしくはないだろうし。
「と、とにかく、私は調査を続けるアルよ。匠哉の影を斃しても、ドッペルゲンガー現象が止まる訳ではないアルし」
 飛娘は、何か赤い顔で俺に言う。器用だな、心臓動いてないはずなのに。
「ああ、調査の必要はないと思うぞ。今夜で終わりって言ってたし」
「ほほう、そうアルか……って、誰が言ったアル?」
「ドッペルゲンガー現象を起こしていた、犯人に決まってるだろ。ここに来る前に会ったんだよ」
 眼が点になる飛娘。
「はぁぁああああっっ!!!?」
「胡散臭い奴だが、まぁ嘘は言わないだろうな。あいつが終わりだと言ったからには、本当に終わりなんだろう」
「ちょ、ちょっと待つアルよ! その犯人って、一体誰アルかッ!?」
「…………」
 さて、どうしよう。言うべきか、言わざるべきか。
 ……ま、隠しても仕方ない。伝えておくか。
「マスケラ・ニィアーラって女だ。教皇庁ヴァチカンで修道女の真似事をやってる、とか言ってたな」
 飛娘は腕を組んで、考え込み始める。
「……マスケラ・ニィアーラ。確か、汚濁図書室の室長アルね。何でそんな奴が……?」
 じゃあここで、1番重要な事を言おう。
「マスケラは最後に、這い寄る混沌と名乗ったぞ」
 這い寄る混沌――Cしぃと同じく、地球の外からやって来た神々の一柱。人類を破滅へと誘う、無にして千のトリックスター。
「……は?」
 飛娘は、俺が何を言ったか分かっていないようだった。ま、いきなりそんな事を言われればそうなるだろう。
 しかし、しばらくすると、
「……本物、アルか?」
「名前を騙ってる可能性がないとは言わない。でも、ドッペルゲンガーの召喚に、この街の異界化。これだけやれるなら、本物だと思った方がいいんじゃないか?」
 何より、俺には分かる。Cしぃという神を、知っている俺には。
「……ッ!!」
 飛娘は言葉を詰まらせ、身を震わせた。
「とんでもない話アルね……IEOがこの街を『第二のアーカム』と呼ぶのも、納得出来るアルよ」
「……そんな呼び方されてんの?」
 うわぁ、かなり嫌。
 ……まぁ、うちの居候神の事を考えれば、その呼び方はなかなか合っているのだが。でも嫌だ。
「で、これからお前はどうするんだよ?」
「とりあえず、今の話を本部に報告するアル」
 飛娘は、袖に手を入れる。
 そして、俺達が持っているような無線機を取り出した。



「どうだった?」
「とりあえず本部に戻って来い、との事アル」
 ま、そうだろうが――
「でも、いいのか? もし仮にマスケラの話が嘘で、ドッペルゲンガー現象が続いていたらどうするんだ?」
 その場合、飛娘がこの街から離れるのは問題だろう。
「大丈夫アルよ。今、本部の異能者が人工衛星を通して宇宙からこの街を霊視したアル。異常は、完全に消えていたみたいアルよ」
「……おぉ、凄えテクノロジィ……」
 人工衛星って。世界規模で動く組織は違うなぁ。
「……これでお別れアルね、匠哉」
 飛娘は、にっこりと微笑む。
「もう、こんな事には巻き込まれないように気を付けるアルよ?」
「ああ……」
 常日頃から、気を付けてはいるのだが。
「ま、そんな事を言っても無駄アルね」
「……へ?」
 飛娘は、悪戯っぽく笑う。
「助けてくれたお礼に、マノンと鈴蘭の事は水に流してあげるアルよ」
「…………」
 バレてたか。多分、あの霧神匠哉キリタクが教えたんだろうな。
「ああ。じゃ、ひとまずはさよなら。またいつか会おうな」
「――……!」
 俺の言葉に、眼を見開く飛娘。
「……そうアルね。またいつか、会えるかも知れないアル」
 飛娘は、最後に。
「――匠哉。今夜は、ありがとうアルよ」
 彼女は、俺に背を向ける。
 そして――夜闇の中に、消えていった。



 家に、帰って。
 それなりに疲れていた俺は、すぐに布団に潜り込んだ。
 ……またいつか会おう、か。
 俺と飛娘は、どう言えばいいのか……棲む世界が違う。普通に考えれば、もう会う事などないだろう。
 だが――会えると信じるのは、悪い事ではないはずだ。
 俺は、瞼を下ろす。
(そういえば、俺って何をしに外に出たんだっけ……?)
 はてさて、どうだったか。
 それを思い出す前に、俺は眠りの世界へと入って行った。






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