――星丘高校、放課後。 「あれ……?」 古宮要芽は、鞄にキィホルダー……に化けた妖精が、くっ付いていない事に気付いた。 「…………」 嫌な予感が、彼女を襲う。 こういう場合、それは100%当たる。
――校門前。 「あ、先輩! 一緒に帰りませんか?」 「悪い、緋姫ちゃん。今日はすぐにバイトなんだ」 「え……そうですか。なら、仕方ありませんね」 校門から走り去って行く匠哉。 彼を見送った後、トボトボと歩き出す緋姫。 それを……離れた場所から、電柱の陰に隠れて観察する1つの影があった。 (月見……匠哉ぁぁぁぁぁぁッッ!!!) 凄まじい怒りが迸るが、それでも緋姫に気配を感付かせない辺りはさすがと言った所か。 影――瀬利花は、思い切り電柱を殴り付ける。バキ、という壮絶な音と共に、電柱にヒビが入った。 器物損壊。閑話休題。 (お前は緋姫とバイト、どっちが大切なんだぁぁぁぁ!!?) そういう問題ではないのだが、ヒートしたこの女に論理は通じない。 「くっ……何たる無力。落ち込む緋姫を前に、何も出来ないなんて……!」 瀬利花としては慰めるように抱き締めてやりたいのだが、そんな事をすれば間違いなく殺される。それくらいは瀬利花も分かっている。 と、その時。 「そこのお嬢さん、お困りなのさッ!!?」 瀬利花に、声がかけられた。 「…………」 心底振り向きたくない瀬利花。 「そこのお嬢さん、お困りなのさッ!!?」 どうやら、応えるまで続くらしい。 「そこのお嬢さん――」 「あああッ! 何なんだ、一体!!?」 瀬利花は勢いよく後ろを見る。 ……そこには、黒スーツにサングラスの、怪しい妖精がいた。 「お、お前……何だ?」 「名乗るほどの名じゃないのさ。ま、ミスターPとでも呼んでくれればいいのさ」 「……誰も名前など尋ねていない。その奇行について尋ねているんだ」 「見た所、何やらお困りのご様子。このミスターPが助力するのさッ!」 「人の話を聞け!」 パッ……ではなく、ミスターPはフフフと笑う。 「で、何を困っているのさ?」 「……お前には関係ない」 「いやいや、言わなくても分かっているのさ」 「なら訊くなぁぁぁぁッ!!」 瀬利花は木刀を取り出し、その切っ先でミスターPを地面に叩き付ける。 「――うぎゃあ!?」 「さぁ――咒怨桜! こいつの血を一呑みにしてやれ!」 「ちょ、待つのさッ! 待つのさぁぁぁぁぁ!!」 木刀と地面に挟まれた状態で、バタバタともがくミスターP。 「何度も言うけど、オイラはキミを助けに来たのさ! そのために、海を渡って英国からやって来たのさッ!!」 後者は明らかに嘘である。 「助けるとは、具体的にどうするつもりだ?」 「それを説明するから、まずは自由にしてほしいのさッ!!」 「…………」 瀬利花は渋々、ミスターPを開放する。 彼は小さな声で『まったく、クレイジィな女なのさ』とか呟いていたが、瀬利花は聞かなかった事にしてやった。 「……それで?」 「瀬利花の願いとしては、匠哉と緋姫をくっ付ければいいのさ?」 「……まぁ……」 ミスターPはフフンと笑い、 「では、今回紹介するのはコレなのさ」 小さな瓶を、空中に出現させた。彼はそれを、抱き抱えるように持つ。 小瓶の中には、透明な液体が入っていた。 「コレは、『浮気草の汁』といって――」 「ああもう分かったオチが読めた。さよならだ、お前とは2度と遭いたくない」 「――何故なのさ!? 待つのさ、1人で納得してんじゃないのさッ!!!」 「黙れ黙れ! 今回のサブタイトルは『A Midsummer Night's Dream』だし、ロクな事にならないのは明白だッ!」 「そんなミもフタもない事言うんじゃないのさ! せめて、せめて読者への説明くらいはするのさ!!」 「『A Midsummer Night's Dream』――シェイクスピアの『夏の世の夢』において、妖精パックは浮気草の汁を使って大失敗をやらかし、登場人物達に多大な迷惑をかける。私はその轍を踏むつもりはない。よって浮気草の汁は使わない。以上、説明終了だ」 「あ、あれはオイラが悪い訳じゃ……って違うのさ! オイラはパックじゃなくてミスターPなのさぁぁッ!!」 早足で逃げる瀬利花を、必死で追うミスターP。 しかし十数メートル進んだ所で、ミスターPは追跡を止めた。 諦めたか、と瀬利花は思ったのだが―― 「……はん。まったく、キミがそんな臆病者だとは思わなかったのさ」 「……何?」 思わず、瀬利花は足を止める。 「ま、そういう事ならいいのさ。コレは要芽に渡すのさ」 「――!? な、待て、それは止めろッ!」 「明日にはもう、要芽と匠哉はアベックなのさー」 「いつの時代の言葉だ! いやそれより、そんな事はこの霧神瀬利花が許さん!」 「じゃあ瀬利花が受け取るのさ」 「ぐ……ッ!?」 ミスターPは怪しい微笑みを浮かべ、 「瀬利花が使うなら、オイラみたいな失敗をする事もないのさ」 「し、しかし……魔法で人の心を操るというのは……」 「操るだなんて、そんな大した事ではないのさ。ただちょっと、匠哉に緋姫の魅力を気付かせるだけなのさ」 「…………」 「――瀬利花。緋姫のためなのさ」 その一言は、トドメだった。 「……分かった」 瀬利花は引ったくるように、小瓶を取る。 「眠っている人間の瞼にコレを塗れば、目覚めた時、1番初めに見た相手を好きになる……だったな?」 「その通りなのさ」 「なら明日だ。匠哉に、緋姫の愛らしさを教えてやる」 そう言い残し、歩き出す瀬利花。ケケケと笑いながら、それを見送るミスターP。 その後ろで……ヒビの入っていた電柱が、ついに自重に敗けて折れ曲がった。 ――翌日。星丘高校、穏やかな放課後。 「斬り殺してやる、このクズ人間がぁぁぁッッ!」 「お前、だんだん言葉が暴力的になってきてるぞッ!!!」 その中を、穏やかじゃない少年少女が駆け抜ける。 「毎日毎日、緋姫の心を弄んで……許さんぞぉ……ッ!」 「校内でとんでもないビックリ発言をするな! お前がそういう事を言うから、俺は皆から誤解されるんだよッ!!」 「何が誤解だ! バイト先の『ノルン』とかいう喫茶店でも、女を引っかけていると聞いたぞ!!」 「引っかけてねえッ!! 在り得ねえ、完全にデマだそれはッ!!」 瀬利花は背後に廻り、後ろから匠哉を斬り付けた。 しかし匠哉は、振り向く事すらせずにそれを避ける。この2人、お互いの技と動きを完璧に知り尽くしているのであった。 「私の恋愛成就は、どれほど愛染明王に祈願しても叶わないのに……!!」 「お前は神仏に祈る前に、その煩悩をどうにかしろ!」 「五月蝿い――ッ!」 瀬利花が振った神速の斬撃が、いいカンジに匠哉の頭にヒット。 「――へぐぁ!?」 匠哉はいつも通り空中で踊った後、床に落ちて気を失った。 「……噂通りの、壮絶さなのさ」 ひょっこりと、物陰からミスターPが現れる。 「黙れ。手早く終わらせるぞ」 瀬利花は、倒れている匠哉に近付く。 そして小瓶を取り出し、その中身――浮気草の汁を、匠哉の瞼に塗った。 「OKなのさ。これで、恋の女神キューピッドの魔力が匠哉と緋姫を結び付けるのさ」 「後は、この騒ぎに気付いて緋姫がここに来れば――」 ……すると。 「キ・リ・ガ・ミ・サ・ン」 信じられないほど平坦な、機械じみた声が聞こえた。 瀬利花は思う。処刑道具に口があったら、こんな声を出すのだろうな――と。 「――死にやがりなさい」 倉元緋姫は優しげな、恐ろしいほどに優しげな笑顔で、言った。 瀬利花の後頭部に、稲妻のような跳び蹴りが突き刺さる。 少し前の匠哉のように空中を駆け、彼女は壁に激突した。そのままボトリと床に落ち、苦痛の呻きを上げる。 「先輩! 大丈夫ですか!?」 そんな瀬利花を一瞥すらせず、緋姫は匠哉に駆け寄り、声をかけ始めた。 瀬利花は失いかけている意識で、それを眺める。 常人が受けたならば頭蓋骨を砕かれるような蹴りを、まともに喰らったのだ。さすがに退魔の業を修めた瀬利花といえども、無事では済まない。 「う……ん……?」 緋姫の呼びかけに匠哉が反応した。瞳を開けば、匠哉は眼前の緋姫を好きになる。 それは、瀬利花の作戦が完遂する事を意味していた。 (う……) ――しかし。 「やっぱり、ダメだッ!」 瀬利花が駆ける。 「……え?」 緋姫は不意を突かれ、簡単に瀬利花に突き飛ばされた。 それと同時に、匠哉が眼を醒ます。 「……あ」 瀬利花とミスターPは、マヌケな声を漏らした。 たった今、匠哉の目の前にいるのは――緋姫を突き飛ばした瀬利花である。 「…………」 だーだーと汗を流しながら、陸に上がった魚のように口をパクパクさせる瀬利花。 匠哉は立ち上がると、一言。 「瀬利花、結婚しよう」 ずっがーん! と、場に衝撃が走る。野次馬達が、何事かと囁き合った。 「あ、いや、待て……」 瀬利花は恐ろしい。緋姫の存在が恐ろしい。彼女を見る事が出来ない。 「……ほら。お前は結婚出来る歳じゃないだろ? な?」 色んな意味で追い詰められている瀬利花は、どうにかこの場を丸く治めようと努力する。 「なら婚約だ」 しかしその努力は、一撃で粉砕された。 スッと、瀬利花の手を握る匠哉。『ひゃうっ!?』と妙な声を出す瀬利花。 瀬利花はとにかく恐ろしい。この光景を見ている緋姫の心中にどんなドス黒いモノが渦巻いているかを考えると、気絶しそうになる。 しかし、瀬利花が何よりも恐ろしいのは――匠哉の手を振り払う事すらせず、じっと匠哉を見詰めている自分自身なのだが。 「た、匠哉……」 ――だが。 「う……ッ!!?」 獲物を狙う猛獣のような気配を感じ、瀬利花は正気に戻った。その気配の主については、もはや語るまでもないだろう。 「は、放せ!!」 瀬利花は、匠哉の手を振り解く。 「あ……」 悲しそうな匠哉。 「……ッ!!」 それを直視した瀬利花は、精神に凄まじいダメージを負った。 「も、もう嫌だぁぁぁぁぁッ!!!!」 逃げ出す瀬利花。 「あ! ま、待ってくれ!」 匠哉は、彼女を追う。 ――いつもとは立場が逆転した、鬼ゴッコが始まる。 「ど、どうするのさ!?」 瀬利花と並んで飛びながら、ミスターPは尋ねる。 「今考えている!」 後方からは、猛スピードで匠哉が追って来ていた。余裕はない。 「とりあえず、このまま逃げ続けるぞ! いくら匠哉でも、私に追い付くのは無理――」 しかし―― 「――二速!」 匠哉が、スピードを上げた。 一瞬にして、瀬利花に肉薄する。 「――なッ!!?」 「俺の電光石火から、逃げられると思うな!」 「チィ……!」 瀬利花はある程度の力で、匠哉の身体に斬撃を叩き込む。 いつもなら、それはヒットするのだが…… 「――何!?」 木刀は、宙を斬った。 「50点だな」 斬撃を躱した匠哉は、得意気に微笑む。 「二速……という事は、今までは低速だったのさ!?」 「クッ、普段は本気で走っていなかったのかッ!?」 「……手の内は見せない。匠哉らしいのさ」 とはいえ、こんな事で見せてしまうのはどうかと思うミスターP。 「――三速」 匠哉は、さらにギアシフト。 「俺がマンモンの特殊部隊から逃げるために作り出した歩法は、人間の瞬発力と持久力を最大限まで引き出す。いくらお前でも、目視する事すら困難だぞ」 「どんな生活をしてるんだ、お前はッ!?」 月見匠哉の借金生活は、聞いている話以上に凄まじいモノらしい。 「ところで瀬利花。分かってると思うが、俺に捕まったら婚約してもらうからな」 「分かってない! 聞いてないぞ、そんな話はッ!!」 「当然だ。言ってないし」 匠哉が、床を蹴る。 「――ッ!?」 紙一重で、自分を捕まえようとする匠哉から逃れる瀬利花。 だが、それは運よく避けられただけ。次も避けられるという保証はない。 「……仕方ない。こういうやり方は、好かないのだが」 木刀――咒怨桜を両手で逆手持ちし、その切っ先を床に叩き付ける。 「ナウマク・サマンダ・ボダナン・キリカ・ソワカ――」 「……何をしようとしてるのかは知らないが」 匠哉が、瀬利花に向かい走った。 「――これで終いだッ!」 「…………」 瀬利花はタイミングを計る。 咒怨桜を中心として創り上げた結界の内側に、匠哉が入った瞬間に―― 「――『吸血法陣』!」 術を、動かした。 「――ッ!? ああぁぁああああ!!?」 結界の中にいた者達――具体的には、匠哉とミスターP――の身体から、強制的に血液が奪われていく。 一呼吸の後に、瀬利花は木刀を床から上げた。術が解除され、匠哉が床に倒れる。 「安心しろ、死ぬほど獲ってはいない」 聞こえてないだろうと思いながらも、瀬利花は匠哉に言う。 真っ青になって床でピクピクしているミスターPの事は、当然の如く無視した。 「せ、せりか……」 「……まだ生きていたか。さすがに、魑魅魍魎はしぶといな」 「って、わざとやったのさ!?」 ミスターPの抗議を歯牙にもかけず、気を緩める瀬利花。 ――その油断は、大きな間違いだった。 「隙あり――!」 匠哉が起き上がる。彼は、魑魅魍魎と同じくらいしぶといのだった。 「――何ッ!?」 完全に虚を衝かれた瀬利花は、それに対処する術がない。 匠哉は、瀬利花に近付き―― 「ようやく、捕まえたぞ」 彼女を、抱き締めた。 「え……?」 瀬利花の身体から、力が抜ける。 「――……」 なのに心臓だけは、激しく動いているのが不思議だった。 「ったく、世話のやける奴だ。ま、これで婚約決定だな」 匠哉と結婚というと、色々面白くない事を思い出す瀬利花なのだが……今は、どうでもよくなってきている。 この心地よい世界に、身を委ねようとした時―― 「――ッッ!!!?」 鬼神の如き、殺気を感じた。 「う……おおおおおおッ!!」 瀬利花は匠哉から無理矢理離れると、彼の身体を放り投げる。 ……匠哉は窓を破って、下に落ちていった。 「う、うわぁぁ!? 瀬利花、ここは3階なのさ!? 殺人事件なのさぁぁぁぁッ!!」 しかし瀬利花はそれに答えず、 「――来るぞ!」 と、鋭い一言を放った。 「く、来る……?」 ミスターPは、廊下の向こうに眼を向ける。 「霧神さん、選んでください」 そこには――こちらに向かって歩いて来る、少女の姿が在った。 「自害するか、私に殺されるか」 何気なく歩いているように見えるが、彼女が1歩を踏む毎に床にヒビが入る。一体どれほどの力を込めて歩いているのか。 「……ああ、安心してください。私と先輩も、すぐに後を追いますから」 倉元緋姫は地獄的な笑顔を張り付かせ、刃のような声で言った。 クスリ――と、緋姫が嗤う。 その悍ましいヴィジョンに耐え切れず、彼女の顔を映していた窓ガラスが残らず砕け散る。 「あ、あわわわわ……」 ミスターPは瀬利花にしがみ付いて、ガタガタ震えていた。命乞いをする心の準備もOKであろう。 「――ッ!!」 瀬利花はその殺気を受けて、反射的に木刀を構えてしまった。 武人の性なのだが……この状況では最悪である。 「そうですか。あくまでも抵抗するんですね」 「え……? あ、ちょ、ちょっと待て緋姫! 話を聞いてくれッ!」 「そんなにお話がしたければ、あの世で先輩としてください」 緋姫の手に、ナイフが現れた。 瞬間移動じみたスピードで、緋姫が瀬利花に迫る。 「く――ッ!?」 瀬利花は薪割り斧の如きナイフの一撃を木刀で受け止め、すぐさま距離を取った。緋姫を相手に接近戦は危険過ぎる。 しかし、緋姫の対応は早い。即座にサブマシンガン――イスラエル大使館でパクったUZI――を抜き、弾丸を自動連射で瀬利花の胴に叩き込む。 「……がッ……ぁッ!!!?」 「せ、瀬利花ッ!!?」 「ぐっ……!」 瀬利花は傍のシャッターを下ろし、即席の壁にした。 元々、対テロクラ用として造られた扉である。かなりの強度があり、ライフル弾でもビクともしない。 「だ、大丈夫なのさ!?」 ミスターPは小声で、瀬利花に言う。 「ああ、この制服の裏地には摩利支天の咒がびっしりと刺繍されている。おかげで、致命傷にはならなかったが……肋骨にヒビくらいは入ったかも知れん」 「う……」 ミスターPは青褪める。たった1度の攻防で、この様なのだ。勝算は限りなく低い。 ふたりが、早くも絶望的な気分に浸っていると。 「――ッ!!!?」 轟音と共に、シャッターに穴が穿たれた。 「うわぁぁ、な、何なのさ!!?」 「――ッ!? クッ、対物ライフルかッ!?」 思わずふたりは大声を出し――それを、すぐに後悔した。 その『声』を狙い、第二射が放たれる。 必殺の威力を持つ銃弾を、瀬利花はギリギリで躱す。 そして、すぐにそこから逃げ出した。留まっていたら、撃ち殺されるだけである。 「ど、どうするのさ!?」 「今考えている!」 数分前と、同じ会話。ただ同じなのは表面だけで、中身はまったく別物なのだが。 「とりあえず匠哉を元に戻して、緋姫の怒りを解くしかない……ッ!」 「なるほど、それはいいのさ――って、その匠哉は」 「……あ」 先ほど外に投げ捨てた。この状況では、回収は不可能だろう。 「くそっ……どう逃げればいい!?」 元々、屋内での戦闘は緋姫に一日の長がある。彼女はこの校内で、何度もテロクラの実戦部隊を滅ぼしてきたのだ。 そもそも瀬利花は、屋内での闘いにおける動き方など学んではいない。死角や遮蔽物だらけの場所で、相手の思考を読み最適な行動を選択するのは――逃げる匠哉を追い駆けるのとは訳が違う。 ……『下手の考え休むに似たり』。瀬利花の『休み』は、大きな隙となる。 「――ッ!?」 一瞬の、殺気。 瀬利花が跳び退くと同時に、天井を貫いた弾丸が床に突き刺さった。 「――上の階から!?」 ふたりが、天井に注意を向ける。 ――しかし。 ガシャン、という音と共に窓ガラスが砕け――緋姫が、廊下に飛び込んで来た。 4階の窓から飛び降り、そのまま3階に突入したのである。 「な……ッ!?」 天井に気を取られていた瀬利花は、舞うガラスの破片の向こうに佇む緋姫の姿を、捉えるのが遅れた。 緋姫はその手に握った拳銃――Five-seveNの引き金を引く。 「ぐ――は、ぁッ!!?」 弾そのものは制服により止められるが、衝撃まで殺がれる訳ではない。笑えない痛みが、瀬利花を襲う。 だが――瀬利花は立ち止まらない。立ち止まれば、緋姫の思う壷。的として大きく、狙い易い胴体を撃ち、相手の動きを封じた後にトドメを刺すのが銃での闘い方。 瀬利花はすぐさま廊下の角を曲がり、死角に入る。 「ふむ、SS190が通りませんか」 角の向こうから、緋姫の声。 瀬利花とミスターPは、美術準備室に逃げ込む。ここには何やら怪しげな像がたくさん並んでおり、それが邪魔になって銃撃は通らない。 無論、対物ライフルなどで撃たれれば像など跡形もないだろうが……そうドカドカ撃てる代物ではないだろうから、その間に対応出来る。瀬利花はそう考えたのだった。 「しかし……どうする。破月を抜くか?」 瀬利花が、独り言を呟く。 「破月って……ほ、宝刀を使うのさ!?」 すると、ミスターPがその独り言に反応した。 「…………」 瀬利花はそれには答えず、息を殺して緋姫の気配を探る。 ――その時。 「……は?」 美術準備室に、『リンゴ』が投げ込まれた。 ――即ち、手榴弾である。まさしく禁断の果実。 「ぎゃああああああああッッ!!!?」 瀬利花とミスターPは悲鳴を上げると、窓から外に飛び出した。 さっき緋姫がやったように、下の階に飛び移る。そのまま地面に下りるのは、緋姫に読まれている気がしたのだ。 直後、頭上で爆音。同時に校舎が揺れた。 そして―― 「――チェック」 瀬利花の後頭部に、銃口が押し当てられた。 「……緋姫」 頭に突き付けられたFive-seveNの感触に冷たい汗を流しながらも、瀬利花は声を出す。 「戦闘とは理責めなんですよ、霧神さん」 緋姫は、不気味な笑みを浮かべる。 「相手の弱点は何か。どうやって弱点を突くか。弱点がなければ、どうやって弱点を作るか。その理を逸早く組み上げた者が勝者となるんです。私は台限との闘いで、それを学びました」 瀬利花は動けない。下手に動けば、その瞬間に頭を吹き飛ばされる。 「――貴方はそこが弱い。おかげで、こうやって簡単に王手をかける事が出来ました」 無理矢理、瀬利花は笑顔を作る。 「……なら、この余分なお喋りもその理から導き出された行為なのか?」 「いえ。冥土の土産に、教えておいてあげようと思いまして」 「冥土の土産……か」 瀬利花が、クククと笑った。 「……何が可笑しいんです?」 「いや、ピッタリの表現だと思ってな」 「――……?」 誰かが近付いてくる気配を、緋姫は感じる。 「これは――」 「ほら、冥土が土産を持って来たぞ」 廊下の曲がり角から、現れたのは―― 「パック! 匠哉、連れて来たわよ!」 気絶した匠哉を抱えた――要芽。 「――な!?」 突然の乱入に、緋姫は僅かに動揺する。 しかし、瀬利花にとってはその『僅か』で十分。緋姫の意識の隙間を突き、瀬利花は銃口から放れた。 「要芽、コレを匠哉の瞼に塗るのさ!」 ミスターPは浮気草の汁とは別の小瓶を、要芽に向かって投げる。 「それを使えば、貞潔な月の女神ダイアナの力で、キューピッドの呪いが解けるのさッ!!」 要芽は小瓶をキャッチし、中身を匠哉の瞼に塗った。 「ほら、早く眼を醒ましなさい!」 「――ぐふッ!?」 そして、文字通り叩き起こす。 「く……!」 緋姫は得物を、拳銃からナイフへと替える。 「――『怛刹那・断末魔』ッ!!」 末魔を断ち、確実に命を絶つ斬撃が、瀬利花を襲う。 瀬利花は、それを―― 「――破月ッ!」 一瞬だけ宝刀を具現化させ、受け止めた。 「う〜ん……? ん? ってオイ!? どういう状況だッ!!?」 「あ、先輩。心配しなくても、愛しの霧神さんと一緒にあの世に送ってあげますよ。勿論、私も」 「あの世……!? ってか、『愛しの霧神さん』ってどういう事ッ!!?」 「もう、先輩ったら照れ屋さんなんですから。さっき、霧神さんにプロポーズしたじゃないですか。でも、式はあの世で挙げてくださいね」 「――プロポーズッ!? 俺が瀬利花に!!? いや待て、天地がひっくり返ってもソレはないぞッ!!!」 匠哉は、そう断言する。 「…………」 何故か、その言葉にちょっぴり傷付く瀬利花。 「……えっと、先輩」 ようやく、緋姫もおかしいと思い始めたらしい。 「さっきまでの事、覚えてます?」 「……『さっきまでの事』って、俺が瀬利花にブン殴られて気絶するまでの事か?」 「…………」 緋姫はポカーンと、匠哉を見詰める。匠哉は、何が何だか分からないといった表情。 「そういう事だ、緋姫」 瀬利花は、緋姫に言う。 「大方、私に殴られたせいで頭がおかしくなっていたのだろう。先ほどの匠哉の言動、お前が気にする必要はない」 「……なぁ。俺、寝てる間に何かしたのか? 話を聞く限り、そんな感じがするんだが」 そんな真みたいな事は心底嫌だぞ、と付け加える。 「き、気にしないでください、先輩。大した事ではありませんから」 「でも、この惨状は一体――」 「そ、それは……く、熊です! 熊が暴れたんです! そうですよね、霧神さんッ!!」 「……ああ、そうだ。熊が暴れたんだ」 瀬利花は緋姫を想い、訳の分からないウソに同意する。 「熊……ま、まぁいいけど。――それより緋姫ちゃん」 「……はい?」 匠哉は恥ずかしそうに笑いながら、 「今日、一緒に帰らないか?」 と、言った。 「……ッ!」 要芽はもの凄い殺気を放ちそうになったが、どうにか押し留める。 「……え? えぇぇええッ!? ど、ど、どどどどどどうして……!!!?」 「昨日、誘ってくれたのに断っちゃっただろ? 今日はバイトもないからさ。……勿論、緋姫ちゃんがいいなら、だが」 「い、いいです! いいに決まってますよ先輩! 先輩と一緒に帰るためなら、たとえ火の中水の中ですッ!!」 「……そ、そうか。別に、そんなに気合い入れなくてもいいと思うけどな」 匠哉と緋姫が、その場から去って行った。 その際の幸せそうな緋姫の表情を、瀬利花はしっかりと心のアルバムに保存する。 「……しかし、あいつは3階から落ちたはずだが……?」 日々怪物どもから受けている虐待によって、月見匠哉は足だけでなく身体も強靭になっているようだ。 「ところで瀬利花。オイラが念話で要芽を呼ぶ事、予想していたのさ?」 「……ああ。何となく、お前ならそうするだろうと思っていたよ」 瀬利花はミスターPを、鋭い視線で貫く。 「パック、1つ尋ねたい事がある」 「だから、オイラはパックじゃなくてミスターP――」 「――聞け」 瀬利花からは、有無を言わせぬ圧力。 「……何なのさ?」 パックは遊ぶのを止め、瀬利花と向かい合う。 「お前、美術準備室に逃げ込んだ時にこう言ったな?」 『破月って……ほ、宝刀を使うのさ!?』 「……それが、どうかしたのさ?」 瀬利花は、背後から要芽の気配を感じた。どうやら、いつの間にか背中を取られていたらしい。 「ならば訊こう。何故、破月が宝刀だと知っている?」 「…………」 「信濃霧神六宝刀は――宝刀を授けられた使い手と、授けた信濃家の当主以外は、名も能力も知るはずのない秘剣だ。それを、何故お前のような妖精が知っている?」 パックはしばらく黙った後、 「ゴグマゴグを討つためとはいえ、オイラが日本に来るという事は英国妖精族が他者のテリトリィに入るという事なのさ。ならば、その土地にいる退魔の者を調べるのは当然なのさ」 「……ハッ、笑わせる。知れるはずのない宝刀の事まで調べるのが、『当然』な訳があるまい。ゴグマゴグの掃討などより、そちらの方がよほど危険だろう」 瀬利花は、莫迦にするような眼でパックを見る。 「そこまでやっているなら、お前にはもっと大きな目的があるはずだな。ゴグマゴグ退治とは比べ物にもならないような、大きな目的が」 パックは何も答えない。 「そうだな。例えば、かの有名な『ニーベルングの指環』とか――」 ――その瞬間。 「そこまでです、瀬利花さん」 要芽が手刀を、瀬利花の首に当てた。 「……要芽。その行動は、私の言葉を肯定しているのと同じだ」 「かも知れませんね。ですが、貴方がここで死ねば関係ありません」 「…………」 ハッタリではなかった。要芽の手には魔力が込められており、瀬利花の首を切り裂くに足る。 「……分かった、私の敗けだ」 そもそも、背中を取られた時点で勝ち目などなかったのだが。 ……要芽の手刀が、瀬利花の首から離れる。 「なるほどな。指環が日本にあるとなれば、この国は大混乱だ。私を殺してでもそれを隠し通そうとする姿勢は、極めて正しい」 「お褒めに与り光栄なのさ。それで、その事を知った瀬利花はどうするのさ?」 「どうもしない――まだ死にたくはないからな。お前達で、勝手に解決すればいい」 瀬利花は、パック達に背中を向ける。 「感謝するのさ。――ところで、瀬利花」 パックの声色が、変わった。瀬利花は嫌なモノを感じる。 瀬利花の正面へと廻り、ニヤニヤしながらパックは言う。 「結局、どうして匠哉と緋姫が相思相愛になるのを邪魔したのさ〜?」 「ぐ……ッ!!?」 「自分から言い出した事なのに、何で自分自身の手でダメにしてしまったのさ〜?」 「ぐぐ……ッッ!!!」 「やっぱり、緋姫を匠哉に取られたくなかったのさ? それとも――」 「そ、それ以上喋るなぁぁぁぁッ!!!!」 その瀬利花の叫びは、意外な形で実現する。 「――ぐふぉッ!!!?」 要芽の華麗なハイキックが、空中のパックを蹴り飛ばした。 パックは壁に激突し、ずりずりと床まで落ちる。 「か、要芽……いきなり何するのさ?」 「……あんたまさか、これだけの事件を起こしておいて、タダで済むとは思ってないわよね?」 「なっ……ひ、人の色恋沙汰に首を突っ込むのは英国妖精族の性なのさッ!!」 「そう。貴方達は、シェイクスピアの時代からまったく進歩していないのね」 「進歩してないんじゃなくて、伝統は不変であるだけなのさ!」 「ま、どうでもいいわ。死になさい」 瀬利花は、その場から逃げるように歩き出す。 「ちょ、要芽!? そのハンマーで殴られたら、オイラなんて跡形もなくなるのさッ!!」 「…………」 「む、無言ッ!? もはや問答無用なのさ!!? そ、そんなに匠哉を緋姫に惚れさせたのは気に入らなかったのさ――って待、ぎゃああああああッッ!!!?」 瀬利花は前進する。 ……背後で起こっている惨劇は、徹底的に無視する事にした。
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