「突然だが、温泉旅行に行こうと思う」 俺は家に帰ると、間髪入れずにそう告げた。 我が家を占拠している神々が、眼を丸くする。 「えっと……匠哉? しぃの邪気にやられて、ついに狂っちゃった?」 「イントロで主人公を狂人扱いするな! この話から読む人がいたら変に思われるだろうがッ!」 「……第14話から読む人なんて、いる訳ないのだ」
「じゃあ基本的な点から訊くけど、旅行の資金はどうするの?」 マナは不審な視線で俺を見る。何かムカツクなぁ。 「商店街の福引きで、『温泉旅館2泊3日の旅・3名様分』が当たったんだよ」 「えぇー!?」 「どうしてそんなに驚く!?」 「だって、年中不幸の匠哉が福引きで旅行を当てるなんて! 『福』って言葉に最も縁がない人間だと思ってたのに!!」 「……ああ、それに関しては俺も同意するよ」 原因は主にお前だがな。 「商店街に騙されてるんじゃないのだ?」 「いやそれより、単純に匠哉がウソをついてるだけという可能性も……!」 ……こいつ等、まったく信じてねぇ。 「そんなに信じられないんなら、俺1人で行くぞ」 「――勿論行くよ」 「――行くのだ」 変わり身早えなぁ……。 「それにしても、匠哉が旅行を当てるとはねぇ……明日辺りに世界は滅ぶのかも。まぁ、匠哉の名前は『ツキ』なんだから、本来ならそれくらいの運があってもおかしくはないんだけど……」 「世界が滅ぶ……おお、なら明日はさっと、しぃが完全復活するのだ〜!」 「少し黙れ、アホ神々。好き勝手言うな」 「それで、いつ出発するの?」 「ん……そうだな、早い方がいい。明日にしよう」 「……学校は? バイトは?」 はん。何を言っているんだ、この貧乏神は。 「行ってる場合か。これは、おそらくは最初で最後の旅行になるんだぞ」 ――翌日。 電車に揺られて数時間。さらに、バスに揺られて数十分。 昼過ぎに、目的地――七曜町に到着した。 「やって来たぜ、温泉地……!」 まさか、俺の人生においてこんな場所に来る機会があるとは。ちょっと感動。 「で、宿はどこなのだ?」 「確か……バス停から徒歩5分だったかな。よし、行くぞ」 しばらく歩き、約5分後。 俺達は、今回の旅行の宿――ユズリハ旅館に辿り着いた。 「それでは、ごゆっくりしていってくださいな」 俺達は宿帳に名前を書いた後、女将さんの案内でそれぞれの部屋へと向かう。 部屋は、ひとり1部屋。贅沢な話である。 「匠哉、夕食までは自由行動なんだよね?」 「ああ。温泉に入るもよし、街に出るもよし。好きにしてくれ」 「了解なのだ〜」 俺は二柱と別れ、自分の部屋に。 「ふいー」 とりあえず荷物を放り出し、畳の上でゴロゴロ転がってみる。 ……すぐに飽きた。 「さて、どうしようか……」 温泉に直行してもいいが、楽しみは後に取っておくのも1つの手だ。 ――決めた。街に出てみよう。 俺は特に目的もなく、ブラブラと街を歩く。 しかし、さすがは温泉地。土産物を売ってる店が多いなぁ。とは言っても、骨身に染み付いた貧乏人の性は、土産物ですら買う事を許さないのだが。 ……いいさ。お土産は、思い出だけで十分さ。ははは。 「いや、さすがにそれはなぁ」 やっぱ、何か買って行こう。100円ちょっとくらいの、安いヤツ。 俺は適当に入った店で、狐の飾りが付いたキィホルダーを買った。この辺りの店は、狐に関する土産物が多い。 何でも、この土地には昔、鈴蘭という名の狐が棲んでいたらしい。 この鈴蘭はかなりの悪狐で、度々人を襲い、その肉を喰らっていた。腕に覚えのある武士は鈴蘭を狩ろうとしたが、残らず返り討ちにされてしまう。 見兼ねた天神様は、雷で鈴蘭を打ち殺したのだが……死した後に今度はその霊が祟り、数多の災害が襲った。 祟り神となった鈴蘭を鎮めるために、人々は神社を建てて鈴蘭を祀ったのである。社名は、鈴蘭稲荷神社。 ――と、こんな昔話があるのだ。狐絡みの土産物が多いのは、そのせいなのだろう。 ちなみに。この話の天神様というのは菅原道真ではなく、日本神話の天の神――天津神の事である。 「あれ、匠哉?」 ぼーっとそんな事を思っていると、突然声が届いた。 「……マナ?」 「温泉、入らないの?」 「後回しにしたんだよ。お前も同じだろうが」 貧乏神が、てくてくと歩み寄って来る。 奴はどこで買ったのか、稲荷鮨をムシャムシャと食べていた。 ……別にいいけどさ。 「美味しいよ、これ」 「ほう」 「やっぱり、こういう場所では名物を買わないとねぇ」 「…………」 俺は無言で、残っていた2つの稲荷鮨を強奪する。 そして、まとめて口の中に放り込んだ。 「あああーっ!!? 何するの!!!!」 「うむ、確かに美味いな」 「うんうん、そうでしょ――じゃなくて!」 「お前の『美味しい』という感想には、お前の主観が入る。だがそこに俺の『美味い』という感想が加わる事によって、『この稲荷鮨は美味しい』という評価は、より客観的なものになるのだ」 「あ、なるほど」 「よかったな。お前はいい買い物をしたぞ」 そう言い残し、俺はそこから歩き去ってゆく。さり気なく、逃げるように。 俺とマナの距離が、十数メートルほど離れた時。 「――って、匠哉ぁぁぁぁぁッッ!!!!」 貧乏神の拳が、俺の頭に打ち込まれた。 「他人の食べ物を奪うのは、イースト・エリアに住んでた頃の習慣でな。まだ俺にはそれが残っていたらしい。許せ」 「……それっぽい事言って、誤魔化そうとしてない?」 「ははは、まさか」 俺達はふたり並んで、温泉街を進む。 すると。 「まったく、人使いが荒いアルよー!」 ……中華料理店から、あまりにも個性的な大声が聞こえてきた。 気になって、店内を覗いてみる。 「いくら不死者でも、疲れるものは疲れるアル! 南アメリカに行ったばかりなのに、帰るなり日本行きとはどういう事アルかー!!!」 そこでは、中国人らしき女の子がもの凄い勢いで料理を食べまくっていた。 どうして中国人だと分かったのかというと、まず喋り方。実在したのか、アル口調。 あとは、彼女の服装だ。えっと……その、アレだ。中国の、満州族の官衣なのである。 「――死に装束。僵尸の格好だね」 「テメェ、俺が必死に眼を背けていた現実を何の迷いもなく突き付けるな!」 手足を伸ばしてぴょんぴょん跳ねれば、まさにそのものだ。まぁ、普通の人間と同じように動く奴もいるらしいが。 「……ん?」 そのチャイナ娘が、こっちを見る。 ……バッチリ、眼が合ってしまった。 「何見てるアルか〜……?」 こ、怖ぇぇ! 「いえ、な、何でもございません!」 俺はその眼力に敗け、猛スピードで逃げ出した。 「何なんだ、あのチャイナ娘は……」 俺は足を止め、息を整える。 あの蛇みたいな睨み、もの凄い殺気が篭っていた。ありゃ絶対にカタギじゃねえ。 ……チャイニーズ・マフィアか。マフィア少女なのか。 「こんな町にマフィア……世の中、物騒だなぁ」 とは言え、俺の人生が物騒なのは今に始まった事ではないが。 「んで、ここはどこだ?」 適当に走ったせいで、現在地がサッパリ分からない。マナも置いて来たし。 はて、困ったな。 「えっと、向こうに天狗山があるから……」 天狗山とは、この町の真北に位置する山の事だ。夜に町の中心から見ると、北極星や北斗七星とピッタリ重なるらしい。 ……北斗七星と言えば、この町の名前も七曜だっけ。関係あるんだろうか。 「ま、星の事なんてどうでもいいか」 「よくないのだ。星は重要なのだ」 「――のわぁッ!!?」 突如、横から声。俺は思わず跳び退く。 立っていたのは、月見家神のナンバー2である。 「しぃ、驚かすな!」 隣に旧支配者。小説だったら、間違いなくクライマックスだ。勿論、その後はバットエンドだが。 「星の動きだけで、大陸が沈んだり浮いたりする事もあるのだ」 「……いや、それはお前が寝てた所だけだと思うぞ」 「とにかく、星を軽視してはいけないのだ。いあ! る・りえー!」 「はいはい。それで、お前はこんな所で何してるんだ?」 「温泉に入って、ヒマになったから街に出てきたのだ」 げっ。こいつ、もう温泉入ったのか。そりゃ入らない事を選択したのは俺自身だが、やっぱり少し羨ましいな。 「それにしても、ここはなかなかいい土地なのだ。しぃが完全復活したら、星丘の次にここを征服してやるのだ〜!」 「しなくていい、しなくていい!」 「……? 何でなのだ? ああ、心配しなくても、匠哉はしぃに仕える不死の神官として生かしておいてあげるのだ〜」 「…………」 ……怪しげな神殿で呪文を唱えたりするんだろうか、俺。 謹んで遠慮したい。 「そうだ、しぃ。お前、道分かるか?」 「匠哉、迷子になってるのだ?」 「迷子になっているのではない。道に迷っているだけだ」 「……一寸の狂いもなく同じ事なのだ」 「違うね。迷子とは、被保護者が迷った時に使われる言葉だ。俺は被保護者じゃない」 「何を言っているのだ。匠哉は被保護者なのだ」 「……ほう? どういう根拠でそんな事を言う?」 「しぃの方が匠哉よりも年上なのだ。だから、しぃが保護者なのだ。つまり匠哉は被保護者なのだ」 「ハッ、何を言い出すかと思えば。保護者・被保護者は年齢によって決まるのではない。俺は月見家の家主だから、1番偉い。よって俺は保護者。至極当然だ」 「1番偉いのは神であるしぃなのだ」 「神格があれば偉い、というのは人間に対しては通用せんぞ。特に日本ではな。そもそも――」 しばらくの後。 「んで、どうして俺達は保護者・被保護者の定義について熱く議論しているんだ?」 「……分からないのだ」 「…………」 確か、俺は道に迷ってたんだよなぁ……。 「よし、話を元に戻そう。しぃ、旅館まで案内して欲しいんだが」 「残念ながら、それは無理なのだ」 「……何で?」 「しぃも、道に迷っているからなのだ」 ……マジですか。 俺としぃが旅館に戻った時には、もう夕食時になっていた。 広間に入ると、そこには他の宿泊客の姿がある。その中には、マナも。 「あれ? 遅かったね、匠哉にしぃ」 「……色々と事情があってな」 「……あるのだ」 こいつに『道に迷ってました』なんて言ったら、一生笑い者にされる。 俺は適当な席に就くと、掌を合わせた。 「いただきます」 箸を手に取り、料理を口に運ぶ。 む……これはなかなか。 俺が日々食べているようなものとは、レヴェルが違う。……まぁ、当然だが。 と、俺が職人の味を満喫していた時。 「お酒持って来て、お酒。一升瓶で」 「持って来るのだー」 そんな、バカ神どもの声が聞こえた。 女将さんが、俺に視線で尋ねる。こいつ等は酒を飲んでいい歳なのか――と。 俺は無言で頷いた。どう考えても、20歳未満という事はないだろう。 「お、来た来た」 マナとしぃの元に、酒が運ばれて来る。要望通り、一升瓶で。 「飲むのだー!」 「今日の私は酒豪だよッ!!」 マナとしぃは、一升瓶をラッパ飲みし始めた。 ……皆の視線が、ふたりに集まる。 「飲ま飲まイェイ! 飲ま飲まイェイ! 飲ま飲ま飲まイェイ!」 他人のフリ、他人のフリ。 「あの……あんなに飲んで大丈夫なのでしょうか?」 女将さんが、心配そうに俺に尋ねる。 「そうですね。酔い潰れたら、その隙に首を刎ねてやってください」 酒に酔った大蛇は、そうなるのが運命だろうし。 俺は手を合わせ、食材と料理人に感謝の念を捧げる。 「ごちそうさまでした」 そして、逃げるように広間から出て行った。 ――さぁ、温泉に行こう。 「ひゃい〜……」 俺は露天温泉に入り、極楽気分に浸る。 ああ、溜まりに溜まった疲れやストレスが溶け出していくようだ……。 「至福……」 生き返る、とはまさにこの事だろう。 マフィアに出遭ったりとか色々あって疲れたが、それもこれで一気に吹き飛ぶ。 温かい湯と涼しい風。絶妙なコラボレーションだ。 おそらく、俺の人生においてこんな機会は2度とあるまい。今の内に、一生分入っておかなくては。 俺は夜空を見上げる。 流星が1つ、北に向かって流れて行った。 はっ! 願い事を3回言わねば! 「大金持ち大金持ち大金持ち――!」 ……まぁ、どう考えても遅いのたが。 「ぷはぁ〜」 温泉から上がって浴衣に着替えた俺は、手を腰に当ててビン牛乳を一気飲み。 ――温泉イヴェント、1つクリアー。 よし、次だ次。 ルンルンと歩き、旅館の遊戯室へと向かう。 そこで、2つ目の温泉イヴェント――卓球をクリアーするのだッ! 俺は逸る心を抑えつつ、遊戯室の扉を開く。 ――そこには。 「しぃ! 今日こそ、どちらが月見家の主神として相応しいか……決着を付けるよ!!」 「望む所なのだッ!」 卓球台を挟んで対峙する、浴衣姿の元禍津神と旧支配者の姿があった。 ……上がったテンションが、この一撃で底までダウンする。 「はぁぁぁぁぁ!」 「とりゃぁぁぁ!」 二柱は目視出来ぬほどのスピードで、ピンポン球を打ち合う。 ギャラリィから、感嘆の声が上がった。 「…………」 俺は何も言わず、遊戯室から去る事にした。勝負の結果とか興味ないし。 しかし、あいつ等……月見家の主神になって嬉しいのか? 部屋に戻ると、敷かれていた布団に倒れ込んだ。 ……俺、旅行に来てすら苦労してるような気がする。 やはり、あのふたりを連れて来たのは失敗だったか? でも星丘に残しておいたら、何をしでかすか分かったもんじゃないし。 まあいい。温泉にも入った事だし、今日はよしとしよう。 明日こそは――と誓いながら、俺はその眼を閉じた。
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