これは、数年前。
 蕩けるような暑さの夏に月見匠哉が経験した、とある怪事の記録である。


ビンボール・ハウス11
〜ザ・サマー・オヴ・マッドネス〜

大根メロン


 ――死んだ。
 今回ばかりはもうダメだ。身体からはどんどん熱が奪われていってるし、腹の中には何もない。
 中学校からの帰り道。借金取りから追われていた俺は、停まっていたトラックの荷台に逃げ込み、隠れていた。
 荷台の上にはタイヤがたくさん積まれており、ちょうどベッドのようになっていた。つい眠くなったとしても、不思議ではあるまい。
 ……そして。気付いた時には、どことも知れぬ山中にタイヤごと不法投棄されていた。
「……死ぬぅぅ……」
 さっきから俺は、豪雨と言ってよい雨に打たれ続けている。
 道路に沿って歩いてはいるが、車も人も通る気配はない。家の類が見えてくる様子もない。
 俺はとうとう、バタンと倒れる。もう限界のようだ。
「ああ、ゴメンよ緋姫ちゃん……この前借りた2000円、返せそうにない……」
 真からは50000円くらい借りているが、まぁ奴の事などどうでもいい。
 だんだんと意識が薄れてきた――その時。
「……匠哉君!?」
 何故か、よく知るクラスメイトの声が聞こえた気がした。



「う……ん?」
 俺が眼を醒ますと、何故か布団の上に寝かされていた。
 ……と言うか俺、まだ生きてる?
 俺は上半身を起こし、キョロキョロの周りを見てみる。どうやら、和室のようだ。
「……あの世ではなさそうだな」
 すると。
「あ、眼が醒めたんだ」
 襖が開き、女の子が顔を覗かせた。
「……麻弥あさみ!?」
 それは、俺もよく知る人物。
 クラスメイトの、犬塚麻弥いぬづかあさみである。
「な、何でお前がここにッ!?」
「え〜っと……それはこっちの台詞なんだけどなぁ」
 ははは、と麻弥は苦笑い。
 ……待て。とりあえず落ち着け、俺。
「まず、ここはどこなんだ?」
「青森県杉澤村に位置する、犬塚家の屋敷だよ」
 犬塚家……そう言えばこいつ、結構いい家の出身なんだっけ。
 確か、何か用事があるとか言って里帰りをしていたはずなのだが……そうかそうか、俺は青森県まで運ばれていたのか。
「それで、匠哉君はどうしてこんな所に?」
「う……」
 さて、どうしよう? 正直に答えるか、否か。
「じ、実はだな、この場では語り尽くせぬほど深い事情があって……」
「また、不幸な目にでも遭ったの?」
「――ぐふァ!?」
 麻弥の言葉が、俺の痛い所にクリーンヒット。
「と、とにかくだ。俺はどうにかして、星丘まで帰りたいんだが」
「う〜ん、それは難しいと思う」
「何で?」
 麻弥はリモコンを手に取り、テレヴィをつけた。映し出されたのは、ローカルなニュース番組。
「大雨のせいで土砂崩れが起きて、道路が寸断されてるの。今この村は、陸の孤島状態なんだよ」
「…………」
 ――絶句。
「はは、そんなに心配しなくても大丈夫だよ。道が開くまで、この家に置いてあげるから」
「……この家に?」
「うん」
「……ちなみに、お前以外には誰がいる?」
「私だけだけど?」
「…………」
 まずい。それはまずい。
 何故なら――犬塚麻弥は、月見匠哉の2度目の恋の相手なのだから。



 ――夜。
 屋敷から出ると、雨は止んでいた。
 しかし暑さは留まる所を知らず、ジトジトとした湿気が不快だ。
「……星子ほしご様の、お祭り?」
「うん」
 俺と麻弥は、村の中を歩く。
 村のあちこちに、出店が並んでいたり、飾り付けがされていた。
「星子様っていうのは、この村の神様の事なんだけど」
「……つまり、地元の神様のお祭りな訳か」
 麻弥が村に戻ったのは、この祭りが理由なんだな。
「星子様はね、空から来た神様なんだよ」
「空から?」
「そう。ある日の夜、ドッカーンと空から落ちて来たんだって。当時の人々は、こりゃ大変だと思って、星子様を祀る事にしたの」
「なるほどね。夜空から来たから、星子様って事か」
 しかし……空から来た、か。
 俺は、思わず夜空を見上げてみる。
「何と言うか、地球外生命体?」
「……ははは、ロマンがないなぁ」
 麻弥は楽しそうに、出店を覗き込む。
「ねぇ匠哉君、何か食べたいものとかある?」
「は? 何で急にそんな事を?」
「匠哉君どうせお金ないだろうから、私が奢ってあげるよ」
「……!」
 くっ、何という魅力的な提案。
 いやしかし……ここで奢られるのは、男としてどうなのか。
 よし、頑張れ俺!
「……じゃあ、そこのカキ氷をお願いします」
「うんうん、素直なのはいい事だね」
 いや、俺は麻弥の好意を無駄にしたくなかった訳で……ごにょごにょ。



 俺と麻弥は2人並んで、祭りを眺める。
 ここは、星子様とやらの神社。その境内に腰を下ろし、それぞれのカキ氷をシャリシャリと食べていた。
「うむ、やはりシロップはメロンが1番だ」
「えー、イチゴの方がいいよ。メロンって、何だか味が薄い感じがするし」
「やれやれ、メロンの魅力が分からないとは」
「メロンなんてダメダメだよ。何しろ、どこぞの駄文書き――」
「それ以上は言うな」
 むぅと唸りながら、麻弥はカキ氷を突く。
「……それにしても。まさか、匠哉君とこんな所で会うとは思わなかったよ」
「うん、俺も思わなかった」
 そんな取り留めのない話を続けながら、俺達は遠くから聞こえてくる祭囃子に耳を傾ける。
 すると、麻弥は突然。
「ねぇ、匠哉君。こうしてると……私達って、恋人同士みたいだよね」
「――ッ!!?」
 などと、とんでもない事を言い放った。
「こ、こここ、恋人!?」
 やばい。冗談だとしても、今のは効いたぞ。
 麻弥は俯いて、俺に顔を見せようとしない。でも、口元は微笑んでいるようだった。
「……もう遅いし、そろそろ帰ろっか」
 麻弥は俺の手を握ると、立ち上がって歩き出す。
 ……今度こそ、心臓が破裂するかと思った。
「お、おい……!?」
「あはは、匠哉君ったら照れてる」
「なっ!? そ、そんな訳ないだろッ!」
 俺達は、神社から去ってゆく。



 犬塚家――俺の寝床として使わせてもらう事になった部屋。
(う、うう……)
 俺は布団の中で、1人悶えていた。
 原因は、もちろん麻弥の恋人発言である。
 しかも、この屋敷にはその麻弥がいるのだ。何と言うか、眠れるはずがない。
「……はぁ」
 俺は1度起きると、外に出てみる事にした。こういう時は散歩に限る。
 村では、相変わらず祭りが続いていた。そりゃ勿論、さっきと比べると人は少ないが。
「…………」
 俺は歩きながら、恋人発言とは別の、もう1つの事について考える。
 ――どう言えばいいのか分からないが、何かがおかしい。
 気のせいだと言われればそれまでだ。でも何故か、言葉に出来ない不快感が付き纏っている。
 例えるならば……以前対峙した、天堂台限という男が放っていた狂気。アレに似ているかも知れない。
 狂気……狂気だ。そうとしか表現出来ないモノが、この村を跋扈している気がするのだ。
「……まぁ、深く考え過ぎてるだけかも知れないけどな」
 俺は踵を返し、屋敷に戻る。いくら考えてもどうしようもない。
 部屋に戻り、布団に潜る。少し動いたおかげもあって、睡魔はすぐに俺を呑み込んだ。



 ふと、夜中に眼が醒めた。
「……ッッ!!!?」
 だが、目の前の光景を見た途端、俺の眠気は一気に吹き飛ぶ。
 部屋の中には――俺以外の人影。
「こんばんは、匠哉君」
 パジャマ姿の麻弥が、ニコリと笑う。
 ……待て、待て待て待て。とにかく落ち着くんだ、月見匠哉。
「え、え〜と、麻弥、さん? どうして、この部屋に?」
 彼女は、寝ている俺に覆い被さるような姿勢だ。
 一体、何ガドウナッテルンデショウカ?
「――私、匠哉君を食べにきちゃった」
「…………」
 こんどこそ、思考が死んだ。
 この場合の食べるというのは……えっと?
 麻弥はそれ以上何も言わず、俺の顔に自分の顔を近付けてゆく。
 そして、2人の唇が重なりそうになった――その時。
『また、また死人が出たぞぉ!』
 穏やかじゃない声が、外から聞こえた。



 ……無惨、としか言葉に出来ない。
 数時間前まで俺達がいた神社。そこが今は、血の海となっている。
 横たわっているのは……1つの死体。
 腰から上が、巨大な獣に喰い千切られたかのようになくなっていた。少し離れた所に、腕が片方だけ落ちている。
「……ッ」
 イースト・エリアで生活していた頃、死体を見る事は少なくなかった。だが……ここまで派手なのは、さすがに初めてだ。
 胃の中身が上って来るのを、どうにか堪える。
「時々、こういう事があるの」
 背後から、麻弥の静かな声。
「年に数回……この村では、こうやって人が死ぬんだよ」
「…………」
 くそっ、やっぱり俺の直感は外れてなかった。この村は、何か狂ってる。
 俺は集まった野次馬から離れ、屋敷に向かう。
 ……とはいえ、今夜は眠れそうにない。






 ――翌日。
 俺は村の東にある山に、1人で向かっていた。聞いた話によると、そこが星子様が落ちて来た場所らしい。
 昨晩の――死体。アレは、地球上の生物に出来る殺し方ではない。人間の身体を半分も持っていくなんて、どんな猛獣にも不可能だからだ。
 ……そう、不可能なのだ。『地球上の生物』には。
 俺は山を登り、汗を拭いながら道なき道を進んで行く。
 ……しばらく進むと、大きな洞窟が見えた。
「…………」
 その洞窟は入口に注連縄しめなわが張られており――いかにも何かありそうな雰囲気だ。
 こんな事もあろうかと用意しておいた、懐中電灯を取り出す。
 帰りの道標は……持って来たロープを使おう。崖を下ったりする時のために、用意しておいた物だ。
 俺は懐中電灯の小さな灯りを頼りに、洞窟に入ってゆく。
 洞窟内は外とは打って変わって、ひんやりとした空気が漂っていた。なのに、何故か外以上の苦しさを感じる。
 奥からは腐臭を孕む風が、びゅうびゅうと吹いて来ていた。
 ……1歩1歩、足元に気を付けながら進む。
 聞こえるのは、ぴしゃんぴしゃんという音。水滴が、天井から地面へと落ちる音だ。
「…………」
 俺は息を殺しながら、洞窟のあちこちを見る。
 壁の染みは不気味な笑みを形作り、残らず俺を嘲笑していた。
 ――ぴしゃん、ぴしゃん。
「…………」
 数十メートルくらい、進んだだろうか。
 外界の光はもう届かない。消化器官めいたこの洞窟に対して、懐中電灯の細々とした微光はあまりにも心細かった。
 ――ぴしゃん、ぴしゃん。
「…………」
 前方では、道が二手に分かれている。とりあえず、右の方を選ぶ。
 左の道を進んだ方がいいぞぉ、という謎めいた声が、耳元で聞こえた気がした。
 ――ぴしゃん、ぴしゃん、ぴしゃん、ぴしゃん。
「…………」
 さっきから聞こえる水音が、大きくなってる……いや、気にするな。きっと、俺の恐怖心が生み出した幻想だ。
 ――ぴしゃん、ぴしゃん、ぴしゃん、ぴしゃん。
「…………」
 あぁくそ、水音がうるさい。まるで、何か得体の知れない生き物が濡れた地面の上を移動しているような……そんな音にすら聞こえてくる。
 ――ぴしゃん、ぴしゃん、ぴしゃん、ぴしゃん!
「もしかして……やばい、のか?」
 闇の中で蠢く霧のような亡霊どもが、俺を見てケラケラと笑う――そんな、錯覚。
 ――ぴしゃんぴしゃんぴしゃんぴしゃんぴしゃんぴしゃんぴしゃんぴしゃんぴしゃんぴしゃんぴしゃんぴしゃんぴしゃんぴしゃんぴしゃんぴしゃん!
 ダメだ……これ以上は進むな。
 認めたくないが、凄く近くに『何か』がいる。
『――にぅ、にぅぅ』
 鳴き声。あるいは、泣き声。
 懐中電灯の光を当てるな……ソレを直視したら、絶対に取り返しのつかない事になる。
 ――瞬間。
 俺の足に、『何か』の一部が触れた。どろどろとした粘液を滴らせた、動物の内臓のような感触。
 その触手のようなモノは、探るように俺の足を撫でた。
 ……悲鳴を上げるヒマさえ、惜しい。
 俺はロープを辿り、脱兎の如く逃げ出した。



「はぁ……はぁ……!」
 俺は洞窟の外で、息を整える。
 ……間違いない。アレが、星子様だ。
「でも、そうだとすると……」
 どうして星子様は、洞窟から出てこないんだ? 俺を追って来てもいいはずなのに。
 ……ああ、あの注連縄か。注連縄とは、本来は聖域と普通の場所を分ける境界だ。聖域などと言えば聞こえはいいが、要は星子様を閉じ込めるための結界なのだろう。
「神様なのに、随分と扱いが悪いんだな」
 まぁ、神様なんて結局はそんなモノなのかも知れないが。
「…………」
 しかし――そうなると、少し困ったな。



「匠哉君! どこに行ってたの!?」
 屋敷に戻ると、待っていたのは麻弥の不機嫌顔だった。
「あ、ああ……ちょっと散歩に」
 本当の事は、さすがに言えない。
「もう、危ないよ! この村には、昨日の殺人犯がまだ潜んでるかも知れないのに!」
 その時、気付いた。
 麻弥の瞳には、僅かに涙が浮かんでいる。
「心配、したんだよ?」
「……ごめん」
 彼女は、俺の手を握った。
 麻弥の手は、温かくて優しい。
「お願い……もうどこにも行かないで。ずっと、一緒にいて」
 彼女は手を放すと、俺を抱き締める。
 麻弥の鼓動が、伝わって来た。
「好きだから。私、匠哉君の事が――大好きだから」
「――――」
 そっか……俺、片想いじゃなかったのか。
 俺も、麻弥をぎゅっと抱き締めた。
「俺もだ。俺もお前の事が好きだから、一緒にいたい」
「……っ、匠哉君……」



 それは、俺の今までの人生で最も幸せな時間だった。
 だが――運命とやらは、それが続く事を許さない。
 その夜。全ての幸福が薄氷のように砕け散る事を、俺はまだ知らなかった。



 また、夜中に眼が醒めた。
「…………」
 身体を起こす。今夜は、麻弥が襲来したのではないようだ。
 ……いや、別に残念だとか思ってる訳じゃないぞ。本当。
「にしても、やけに静かだな……?」
 別に昨夜はうるさかったとか、そういう事ではないのだが……外では祭りが続いているはずなのに、この静けさは何なんだ?
 ……待て。どこか違う。この静けさは、夜の眠りの静けさじゃない。
「まさか……」
 俺は立ち上がり、玄関に向かって行く。
 この静寂は、無の静寂。あらゆるモノが停止した後に残る――ただの空白だ。



 外は、赤い地獄だった。
「うぇ……ッ!!?」
 俺は腹の中にあった物を、全てぶちまける。
 吐いて、吐いて吐いて吐いて。
「はぁ……ぐ……っ」
 最初の1歩で折れそうになった心を、どうにか立て直す。
 吐き気は止まらない。だが、もう吐く物がないのだ。
「……マジ、かよ……はは、冗談だろ」
 広がっているのは、血と肉と油と骨のカーペット。
 ……村人達の、変わり果てた姿だ。
 昨夜、神社に転がっていた死体。人々は皆、アレと同じように殺されていた。
 いや、人間だけじゃない。もうこの村からは、まったく生の気配がしないのだ。おそらくは、蟲1匹とて見逃されてはいないのだろう。
「麻弥……麻弥ッ!」
 俺は全速力で、屋敷へと走る。



「くそ、どこにいる! 麻弥ぃぃぃッ!!!」
 ダメだ、屋敷の中にはいない!
 だとしたら、まさか外に出たのか!?
「ふっ……ざけんな!!! 死なせて、死なせてたまるかッ!!!!」
 麻弥は生きてる、絶対に生きてる!
 俺がこんなに信じてるんだから、死んだりするはずがないッ!



 俺は村の中を、右に左に走り回る。
 地面を踏むたびに、びちゃびちゃと不快な音。蒸し暑さと死体から出る熱のせいで、汗が止め処なく流れる。
 どっちを向いても、死体だらけ。今、この村は――死者の村だ。
 こんな所にいたら、あっという間に気が狂ってしまうだろう。
「麻弥! 麻弥ぃぃ!」
 俺は、彼女の名を叫ぶ。答えは……ない。
 ――しかし。
「ぁ……ぁっ……っ」
 そんな、か細い声が聞こえた。
「――! 誰かいるのか!?」
 声の方に向かってみると、そこには女性が1人。
「……生き残ってる人が、いたのか……」
 よかった……よかった。俺1人じゃなくて。
 だがその女性は俺の姿を見ると、
「あ……いやぁぁああああっ!!!!」
 天を裂くような叫び声を上げ、突然走り出した。
「な……おい!?」
 くっ、パニックに陥ってる。この状況では無理もないが。
 俺は、急いでその人を追い駆ける。生きているなら、ここから逃げなければならないし……何より、俺はこんな場所に1人でいたくない。
「待ってくれ、待てっての!」
 彼女は民家の陰に入り、俺の視界から消える。
 ――その時、それは起こった。
「は……?」
 ガリ、という音がした。骨付き肉を、骨ごと噛み砕いたかのような音。
 家の陰――俺からは見えない所で、何かが起こった。
 ……いや、本当は何が起こったかなんて分かってるんだ。地面が、一瞬で赤く染まったんだから。
 陰から、人が放り出された。きっと、さっきの女性なのだろう。
 なのだろう、という曖昧な言い方しか出来ないのは……その人の身体が、半分しかないからだ。
 そして――もうひとり、家の陰から現れる。
「…………」
 何だよ、コレ。何なんだ。誰か教えてくれよ。
「匠哉君……あは、みっともない所を見られちゃったね」
 俺の目の前に、麻弥がいる。ずっと捜していた、麻弥が。
 でも、素直に喜べない。彼女を力一杯、抱き締める事が出来ない。
 ――麻弥のパジャマは、血で真っ赤に染まっている。
「畜生、おかしいと思ったんだ……」
 麻弥は掌の上で、人間の目玉をコロコロと転がす。
 そして……それを、口の中に放り込んだ。
「俺はこの事件の犯人を、星子様だと思ってた。だが星子様は、洞窟から出る事は出来ない」
「……あの洞窟に、行ったの?」
 俺はその問いに答えず、喋り続ける。
「ならば、星子様が村に下りて人を喰うのは不可能だ。でも、だからって、だからって……」
 拳を握り締める。爪が喰い込んで血が流れ出すが、気にする余裕はない。
 何で、何で――
「――何でお前なんだ、麻弥」
「…………」
 麻弥は指に付いた血を、ペロペロと舐める。
「……洞窟に張られた、星子様の封印――アレを施したのはね、犬塚家なんだよ」
「…………」
「犬塚家は、星子様の監視と言うか管理と言うか……とにかく、そういう役目を負った一族なの」
「……だから、何だ?」
 そんなに、驚くような事じゃない。この村で唯一、あんな屋敷を持ってる犬塚家だ。特別な役職に就いていても、全然不思議じゃない。
 麻弥は、ふふふとワラう。
「でも、犬塚家はそれだけじゃ満足出来なかった。一族は、神様の……星子様の力を欲して、とんでもない事を始めちゃったんだよね」
「……とんでもない、事?」
 それが――麻弥がこうなった、原因だとでも言うのか?
 ……ああ、自分が憎い。何となく、この先に語られる事が分かってしまっている自分が。
「交配、したの」
「……ッ」
 分かっていても……忘れていた吐き気に、再び襲われてしまう。
「一族の中から最も霊的な力が強い人を選んで、その人と星子様の間に子供を産ませたんだよ」
「……あの化物との、子供……」
 洞窟での1件を思い出す。……アレと人間の、混血。
「でも、それだけじゃ終わらなかった」
「……何?」
「産まれた、混ざり者の子。その子が一定の年齢に達した時……一族はまた、星子様と交配させたの。そうやって産まれた子も、後に星子様と交わる事になった」
「…………」
 ……もう、言葉も出ない。
「そういう風に何代も何代も交配を重ねて、血の純度を高めていったんだよ。星子様は雌雄同体だから、子供の性別を気にする必要はなかったしね」
「狂ってる……狂ってる」
「はは、そうだね。そして、その狂気の所業の末に誕生した、人型の異形。それが――この、犬塚麻弥なの」
 月明かりで生まれた麻弥の影が、不自然に大きくなり、地面に広がってゆく。
「でも……でも、何でかなぁ。昔は年に何度かの里帰りの時に、村の人を1人2人喰べるだけで我慢出来たのに。何で、今夜はこんなに喰べちゃったんだろう……?」
 影の表面が、まるで池のように揺らいだ。
「匠哉君が、好きって言ってくれたから……私、壊れちゃったのかなぁ」
 その影の池から、何かが飛び出す。
「……ッ!!?」
 一言で言えば、巨大な闇色の芋蟲。それも子供の粘土細工のような、酷く不格好の。
 唐突に、俺は理解してしまった。今まで見ていた『犬塚麻弥』という少女は、彼女の本体ではない。鮟鱇あんこうの疑似餌みたいなモノだ。
 ……今、この影から現れた怪物こそが――彼女の本体。彼女の、本当の姿。
「ねぇ、匠哉君。私、匠哉君を喰べたい」
 怪物の身体が、裂けた。
 いや、裂けたんじゃない。口を開いたんだ。
 びっしりと、牙が生え揃った口。その口の中に、また口があった。その口の中にも、口。
 合わせ鏡を覗き込んだような……無限の口。これが、村人達を喰い千切ったのか。
「――いただきます」
 怪物が、起き上がった。
 俺に覆い被さるようにして、無限の口が迫る。
「く……ッ!」
 俺はそれをギリギリまで引き付け……一気に、躱した。
 怪物は地面を抉り、呑み込む。1歩タイミングを間違えば、村に溢れる死体の仲間入りをしていただろう。
「……? 匠哉君、何で避けるの?」
「何でって、お前……誰だって、生きたまま喰われたいはずないだろ」
「だって、私に喰べられれば私の血肉になれるよ。そうすれば、ずっと一緒にいられる――」
「…………」
 ……ダメだ。価値観が、致命的に違ってしまっている。
「くそっ……俺はな、お前と一緒に生きていきたかったんだ。だが……お前はそれを否定したな」
「……!?」
 麻弥が、唖然とする。
「ひ、否定なんてしてないよ! どうしてそんな事を言うの!?」
「捕喰という形とはいえ、俺が死ぬ事に変わりはない。お前が俺を殺す事に変わりはない。お前は俺の夢を踏み躙った。もう、絶対に許さん」
「そんな……私と一体になれば、永遠に一緒にいられるのにっ!!」
「別々の存在だからこそ、愛し合う事に意味があるんだ。自分自身を愛すだなんて、そんなナルキッソスみたいな真似は御免だ」
「…………」
 彼女はいつかのように、涙が溢れそうな眼で俺を見た。
 何て、愛おしい。
 だが――それ以上に許せない。
「……分からないよ、匠哉君」
「仕方ないさ。お前はバケモノ、俺はニンゲン。分かり合えるはずがない」
「――……ッ!」
 麻弥の眼から、遂に涙が零れた。
 怪物が、再び俺に襲いかかる。
「…………」
 俺はさっきと同じく、それを躱す。
 そして、その場から逃げ出した。
「%≧$,〆→♀〒――#℃――SYAAaaaa!! SYAAAaaaHHHHH!!!!」
 背後から、この世のモノとは思えぬほどの絶叫。
 まったく……何で、こんな事になったんだ。



「……匠哉君、見ぃ付けた」
 背後から、麻弥の声がした。
「ああ、追い着かれたか」
 俺が立っているのは、例の洞窟を少し入った所。
 入口の外には、月光に照らされた麻弥が立っている。
「1つ訊くけど……匠哉君は、私を嫌いになっちゃったの?」
「まさか。好きだからこそ、認められない事もあるんだよ」
「そう、よかった。匠哉君に嫌われてなくて」
 麻弥が、洞窟に入って来た。注連縄は既に外してある。
 ……少しずつ、俺達の距離は縮まってゆく。
 チャンスは、おそらく1度きり。もし失敗したら、怪物あいつの腹の中だ。
「私、匠哉君と一緒になりたいよ」
「俺もさ。でも――無理だ」
「無理……無理なんかじゃ、ないっっ!!!」
 洞窟内の、闇が震える。この闇の中では、麻弥の影がどこまで広がっているのかは分からない。
 ――まぁ、そんな事は関係ないのだが。
 俺は隠してた懐中電灯を取り出す。そして、スイッチを入れた。
「え……?」
 麻弥が、呆ける。
 懐中電灯から放たれた一筋の光が、闇を――麻弥の影を、真っ二つにした。
 これなら、影に潜む本体は動けない。分断された影の面積では、あの馬鹿でかい怪物が出て来るのは不可能だろう。
 影をさらに広げようにも、ここは狭い洞窟の中。限界がある。
 俺はその一瞬の隙に麻弥の横を抜け、外へと跳び出した。
「……っ!」
 麻弥が、俺の動きに反応する。
 だが俺は彼女が何かするより早く、懐中電灯の光を麻弥へと向けた。
 これは勿論影を消すためであるし、単純に目眩ましでもある。
「うぁ……!?」
 再び、麻弥が怯んだ。
「さようなら、麻弥」
 俺は彼女が怯んでいる間に、洞窟を封じる注連縄を張り直す。
 これで――終わりだ。
「あ……?」
「星子様を閉じ込める結界。その血を色濃く受け継ぐお前も、例外ではないだろうな」
「……っっ!!!」
 洞窟の中に、麻弥の本体が現れる。
 だが……怪物がいくら体当たりしても、洞窟の入口に生まれた不可視の障壁は破れない。
「どう、して? どうして、こんな酷い事をするの?」
 麻弥は、地面に膝を付く。
「匠哉君と離れ離れになったら、私はどうやって生きていけばいいの?」
「……知った事か。その闇の中で、永遠に悩んでいればいい」
 俺は洞窟に背を向け、歩き出す。
 後ろから麻弥の声が聞こえてきたが、決して振り返らない。
 振り返ってしまえば――多分、進めなくなるだろうから。
「はぁ……疲れた」
 しかし俺って、恋をするとロクな事がないな。行方不明のキィホルダーを捜さなきゃいけなくなったりとか。
「あーぁ。もう、恋なんて止めようかなぁ」
 さて、どうやって星丘まで帰ろうか。
 俺は1人、月下の道を進んでゆく。






 ――後日、早朝。
 結局、杉澤村全滅はニュースとして報道される事すらなかった。
 まぁ、アレは犬塚麻弥という非日常が起こした事件だ。日常の世界の人々が、知る必要はないのだろう。
 しかし、天堂台限に犬塚麻弥。何で俺は、毎度毎度そんなのを相手にしなきゃいけないんだ。
 ……もしかして、今後もそういう事が続くのだろうか。『2度ある事は3度ある』、と言うし。
 いや、まさかな。俺は偶然、外れた世界に少し足を突っ込んでしまっただけだ。偶然は何度も続かない。
「よし、学校に行くか」
 さっき、押し入れから何か物音がしたような気がするが……多分、気のせいだろう。





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