「……ふぅ」
 美榊迅徒は瘴気が満ちる古城の中で、息をついた。
 この底なしの闇においてなお、彼の心に狂いはない。それは、純然たる信仰の力である。
「逝くべき場所に逝きなさい――Amen
 迅徒の折形術によって斬り刻まれた屍鬼達が、ただの死体に戻り、正しき眠りに落ちた。
「…………」
 彼は歩みを止めず、城の奥へと向かって行く。


ビンボール・ハウス10
〜エピローグ〜

大根メロン


 全ての始まりは、数週間前。
 英国――大英博物館で起きた、とある事件が発端である。
 この世のあらゆる至宝を蒐集する、大英博物館。だがその物品の中には、当然『よくないモノ』も存在する。
 その1つが、博物館の地下に封じられていた銀の棺桶。
 棺桶には、英語でこう書かれていた。『Vlad Tepes Dracula』――と。
 ある夜。そのパンドラの箱にも匹敵する禁忌を、あろう事か館員が手違いで開いてしまったのである。
 途端、彼は――その棺に封じられていた吸血鬼ヴァンパイアは――眼を醒ました。そして、館内にいた全ての人間の血を呑み尽くし、夜空へと消えたのだ。
 彼が向かった先は、己の故郷。現代では、ルーマニアと呼ばれる土地。
 トランシルヴァニア地方――カルパティア山脈にそびえる古城に、吸血鬼は舞い降りた。
 荒れ果てていた城は主の再来によって異界となり、入り込む者を喰らう魔境と化したのである。
 ……そして。
 悪化の一途を辿る事態を収拾するために、異端審問部は1人の異端審問官を送り出した。






 迅徒は再び、襲いかかってきた屍鬼達を塵に還す。
 英国国教会アングリカン・チャーチは大英博物館の依頼を受け、対反キリスト部隊『円卓騎士団』をこの城に派遣したのだが……1人たりとも、生きて帰った者はいなかった。
 彼等は死を受け入れる事を許されず、屍鬼となって城を彷徨い続けている。
「斃しても斃しても、キリがありませんね……」
 さすがの彼も、積もった疲労を隠せない。
 ――だがそれは、迅徒だけではなかった。
「つ、疲れたアルよ〜……」
 彼の背後から、奇怪な口調の声。
 そこには、ひとりの少女が床に倒れていた。
 格好は、玉のついたお椀のような帽子に、幅広の袖口を持つ長衣。中国における満州族の官衣、あるいは人々の死に装束として使われていた衣装だ。この城の雰囲気には、絶望的なまでに合っていない。
 少女の名は、王飛娘ワン・フェイニャン。International Exorcism Organization――国際祓魔機構の一員であり、十三呪徒に名を列ねる僵尸キョンシィである。
「私はもうダメアル……迅徒、貴方だけでも先に進むアルよ」
「…………」
 言われるまでもなく、迅徒は歩みを進める。
「あぁッ!? つ、冷たいアル、ここまで一緒に来たのに置いて行くアルか!?」
「……望んで一緒に来た訳ではないでしょう」
 当然だが、異端審問官である迅徒が好き好んで呪徒と行動を共にするはずがない。
 ……しかし飛娘との2人がかりでなければ、この地獄のような古城を進む事は出来なかったのだ。
「それと、そのアル口調。どうにかならないのですか」
「そう言われても、教えたのは迅徒アルよ?」
「……うっ」
 迅徒の記憶が甦る。彼は初めて飛娘と対峙したとき、冗談で『中国人は日本語を喋る時、語尾にアルを付けなくてはならないのですよ』と言った。
 ……まさか、それを本気にするとは思わなかったのだが。
「まぁとりあえず、エネルギィを補給するアル」
 飛娘は袖の中から輸血パックを取り出すと、ストローを刺してちゅーちゅー飲む。
「まったく、大英博物館は弛んでるアルよ。寄りにも寄って、あの伯爵を逃がすだなんて……信じられないアル」
「それに関しては同感です。とは言え、英国人プロテスタントなど所詮はその程度でしょう」
 闇の向こうから、再び屍鬼達が押し寄せる。
 飛娘は輸血パックを袖の中に戻し、換わりに青龍刀を取り出した。
「――はっ!」
 そして、彼女はクルクルと廻りながら、両手にそれぞれ握った刀で屍鬼を斬り捨ててゆく。
 遠心力の加わった斬撃は、人間の肉体であっても軽々と両断する。
 不意討ちのように天井から無数の吸血蝙蝠ヴァンパイア・バットが降下して来るが、迅徒の手裏剣が迎撃。残さず撃ち落とされた。
 ……さらに。
「こいつで終わりアルよ!」
 飛娘の服の中から、鋼鉄のアームが飛び出す。アームの先端には、小型のガトリング砲。
 両腕の袖から、2挺ずつ。翻った装束の裾からも、2挺。合計――6挺。
 ……爆音と共に、無数の屍鬼が薙ぎ払われた。
「ふぅ、やっぱりコレは手っ取り早くて便利アル」
 ガトリング砲が、飛娘の服の中に戻り――体内に収納される。
「……いいですね、生ける死体リヴィング・デッドは何でもありで」
「いやぁ、そんなに褒められると照れるアルね」
「…………」
 迅徒は何も言わず、ただ前進。
 ……が、飛娘は歩みを止めた。
「迅徒、この城に誰か入って来たアル」
「……ほう?」
 彼女は意識を集中し、気配を探る。
「人数は、2人アルね。えっと……」
 そこで、飛娘の表情が変わった。
 かぁ――と顔が赤くなり、何故かアタフタし始める。
「こ、この気配は、た、たた、た、た、たた――」
 心臓が止まっているのにどうして顔が赤くなるんですか、と迅徒は思ったが、
「――匠哉アルッ!!?」
 すぐに、納得した。
 恋する乙女とは、不可能を可能にする生き物だ。ボランティア・クラブとの戦いで、迅徒は嫌と言うほどそれを学んでいる。
「あわわわ、どうしてこんな所に――」
「落ち着いてください。2人、と言いましたね。もう1人は誰です?」
「も、もう1人……」
 また、飛娘の表情が変化。
 死人に相応しい不気味な顔色となり、鬼のような形相が張り付く。
「……女アル」
 迅徒は、そうですかと一言。今更、驚くような事ではない。
「それで、結局誰なんですか?」
「……気断が上手くてよく分からないアルよ。でも――」
 ククク、と飛娘が笑う。
「私の相方は異端審問官なのに、この女は匠哉と一緒。ふふふ、許せないアルね……」
 キュピーンと彼女は眼を光らせ、
「いい度胸アルッッ!」
 そう言って、もの凄い勢いで走り出す。
「ちょ、飛娘さん!?」
 迅徒はすぐに、その後を追った。
「待ってるアルよ、すぐに我が双龍剣の錆にしてやるアルッッ!!」
「貴方、もはや伯爵の事はどうでもよいのですか!?」



 しばらくすると、迅徒と飛娘の前に大きな扉が現れた。
 扉は、すでに開いている。ふたりはそのまま跳び込んだ。
 そこは、大広間。奥には王座があった。
「騒がしい……品がないにも程がある」
 王座に座するは、伯爵。『悪魔の子』を意味する名を持つ、呪われたヴァラキア王。
 だが、部屋の中に存在するのは彼だけではない。
 それは――
「よう、遅かったな。迅徒に飛娘」
「――――」
 月見匠哉と、彼の隣に立つ少女。
「匠哉〜、久し振りアル〜!」
「――うぉッ!?」
 飛娘が、匠哉に向かってジャンプ。彼女としては抱き付くつもりだったのだろうが、その突進は攻撃としか思えなかった。
 故に、匠哉はそれを回避する。結果、飛娘は床にヘッド・スライディング。
「…………」
 飛娘は無言で、匠哉に涙目を向ける。眼を逸らす匠哉。
 迅徒はそんな茶番劇を無視し、匠哉に話しかけた。
「私達より遅く城に入った貴方達が、どうして先にここへ?」
「ん? ああ……壁や天井をぶち抜いて、一直線に進んで来た」
「……そうですか」
 迅徒はその答えに、頭を痛くする。
「ふむ。客人と言うには少々無礼が過ぎるが、こちらも退屈していた所だ」
 伯爵は王座から下り、マントを翻す。
 ……空気が、キリキリと緊張する。
「これでもかつては一国の王であり、英国では貴族だった身。ルスヴンの真似事は性に合わぬが、礼は尽くそう。ようこそ、我が城へ――歓迎する」
 伯爵が、ぞっとするような笑みを浮かべた。
「……ッ」
 彼より遥かに長く生きている飛娘でさえ、その狂笑には気圧されてしまう。
 伯爵は、この世界で最も有名な化物の一柱。故に、マノン程ではないにしても……人類の助力を得ているのだ。
「さぁ、茶会でも始めようではないか。諸君の鮮血が滴る杯は、何にも勝る美味となろうぞ」
 伯爵の犬歯が、禍々しく輝く。
 ――闘いが、始まる。
「――――」
 少女は匠哉に一言言い残し、伯爵へと向かって跳んだ。
「あッ!? ぬ、抜け駆けは許さないアルよッ!!」
 それに、飛娘が続く。
「匠哉さん、貴方はどうするんです?」
「後ろで応援でもしてるよ」
「……状況が、まずくなったら?」
「勿論逃げる。ま、このメンバーなら大丈夫だろうけどな」
「…………」
 迅徒は1つ溜息をつくと、折り紙を取り出す。
 そして、少女と飛娘を見た。
「異端に、出し抜かれる訳にはいきませんね」
 迅徒が駆ける。
 展開された大量の折り紙が、伯爵に襲いかかった。






 こうして、1つの事件が終わる。
「まったく。どいつもこいつも、逃げ足だけは速い」
 迅徒は1人、古城の中で呟く。
「まぁ、いいでしょう。機会はいくらでもあります」
 迅徒は出口に向け、歩き出す。
 また、どこかで怪事が起これば――彼等と会う事もあるだろう。





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