日本の空に浮かぶ月、 白い蝶のごとき月。 重たげに瞼をたれる仏陀が、 郭公のさえずりを聞きながら夢を見る…… 月の蝶の白い羽が、 街の通りをゆらゆら舞って、 少女たちの手にした提灯の無駄な灯心を、 恥じ入らせて沈黙させる。 熱帯の空に浮かぶ月、 白い湾曲した蕾が、 空の温もりのなかで ゆっくりと花弁を開いてゆく…… 大気はさまざまな香と けだるい暖かな音に満ちる…… 天の湾曲した月の花弁の下で、 横笛が夜に昆虫の音楽をものうげに奏でる。 中国の空に浮かぶ月、 空の河にかかる疲れた月、 暗い浅瀬を介し、 柳の中でちらつく光は、 千もの銀色の小魚がきらめくに似て、 墓所や朽ちゆく寺院の瓦は小波を打つように輝き、 空に点在する雲は龍の鱗のごとし。 ――ハワード・フィリップス・ラヴクラフト『詩の神々』
昔々、月に1つの王国がありました。 王国は繁栄を極め、その民の笑顔は絶える事がありません。 この世の幸福を全て集めたかのような――永遠の、国。 しかしある時、どこからか王国に魔王が現れました。 魔王は王国の人々を無差別に殺し、王国の一角を焼け野原へと変えてしまいました。 そして、そこに自らの城を築いたのです。 毎日毎日。魔王は人々の命を奪い、その血を浴びるように呑みました。 王国の軍隊は魔王を倒そうとしましたが、無駄でした。月光の鎌と、月光の盾――無敵の武器を持つ魔王を、人の手で討つ方法などなかったのです。 月が、血の海になりました。 地球に生きる生き物達は、夜になるとソレを見ました。血色の――満月を。 ――ある日。 1人の勇者が、魔王を倒すために立ち上がりました。 王国の中でも1番の剣士である、勇者。 彼には、5人の心強い仲間がいました。 彼等は王国の王様から、月に伝わる宝剣を授けられました。これでもう、怖いものなど何もありません。 勇者達は世界を護るため、旅立ちました。 彼等は勇気を胸に、魔王の城へと乗り込みます。 城内のモンスターを次々と倒してゆき、魔王の玉座へと辿り着きました。 6本の宝剣が勇者達の勇気に応え、力強く輝きます。 ――決戦が、始まりました。 それでも――魔王は、あまりにも強くて。 立っているのは、勇者だけ。仲間は床に倒れ……動きません。 魔王は、月光の鎌を一振り。 それだけで、勇者も自らの命を手放してしまいました。 魔王は6本の宝剣を、地球に向かって投げ捨てました。 地球に落ちた宝剣は、後に『しなのきりがみろくほうとう』の原型になったといわれています。 ――ある日。 1人の少年が、魔王を倒すために立ち上がりました。 王国の中でも1番の貧乏人である、少年。 彼は大切な人を殺されたくなくて、ボロボロの剣を手に魔王の城へ乗り込みました。 ……勿論、勝てるはずなどありません。 少年は城内のモンスターすら倒せず、魔王の城から逃げ出します。 魔王は、彼を見逃しました。蟲螻の1匹くらい、どうでもいいのです。 しかし、少年は諦めませんでした。 次の日も、ボロボロの剣を持って城へとやって来ます。 そしてまた、すぐに逃げる事になりました。 その次の日も。そのまた次の日も。 次の日も次の日も次の日も次の日も次の日も。 少年は、魔王の城に挑み続けたのです。 魔王が気付いた時、城のモンスター達はほとんどが倒されていました。 あの勇者達すら闘う事を避けた、最強のモンスター――エリンすらも。 少年と魔王は、遂に対峙しました。 彼はもう、初めて城にやって来た時とは違います。 数多の闘いを越え、少年は強くなっていました。 どれだけ涙を流しても。どれだけ傷付いても。 少年には、何を引き替えにしてでも護りたいものがあったのです。辛いだとか痛いだとか、そんなつまらない理由で諦める訳にはいかなかったのです。 だから、少年は強くなったのです。 彼の振るボロボロの剣が、月光の鎌を折り、月光の盾を砕きました。 そして、その剣は魔王の胸を貫きます。 どうして敗れたのかが分からず、魔王は月が震えるほどの声で叫びました。 少年は、最後の一撃を放ちます。 魔王は血を流しながら……地球へと、落ちて行きました。 少年は、王国へと帰ります。 しかし、彼を讃える者は誰もいません。何故なら、少年は勇者ではないのですから。 ふと、誰かが少年に言いました。 「おかえりなさい」 少年はニッコリ笑って、答えます。 「ただいま」 少年は、その場に倒れました。ずっと戦い続けてきた彼の身体は、もう限界だったのです。 静かに、少年は息を引き取りました。自身の手で護り切った、大切な人に見守られながら。 2人は信じていました。生まれ変わったら、また一緒になれる――と。 ――その後。 地上の生物は月の人々をモデルにし、人間へと進化しました。 ――その、少し後。 月の王国を、天災が襲います。 人々は、1人残らず死に絶えてしまいました。 ――その、さらに後。 1人の子供が、月の綺麗な夜に地球で生まれました。 ……姓は月見、名は匠哉。 彼は、何も覚えていません。転生とはそういうものです。 さて。生まれ変わった少年は、大切な人と一緒になれるでしょうか? ――新しい神話の、始まり始まりです。
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