――少女は問う。
「貴方の願いは?」
 ――人々は、答える。
 長生きがしたい、権力が欲しい、あいつを殺したい。
 ――少女は言う。
「その願い、叶えましょう。零時の鐘は鳴らないわ。心ゆくまで――踊りなさい」


ビンボール・ハウス8
〜灰とドレス〜

大根メロン


「それでだな、またしても匠哉の阿呆が私と緋姫の仲を引き裂こうと――」
『ハッハッハッ、相変わらずだなぁ』
 瀬利花は電話の向こうから聞こえる父親のうるさい笑い声に押され、受話器から耳を離した。
『お前は電話する度に、その2人の話ばかりする』
「……悪いか?」
『いやいや、まったく構わん。それはそうと……今日のお前は例の貧乏少年の話をする時、前と比べて随分と楽しそうだな。ははぁ……これは何かあったな? そうなんだろ? んん?』
「な、何を言っているんだ!? ボケるにはいささか早いぞッ!」
『ふっふっふっ。そう言えば、母さんがその少年を我が家の養子として迎えるのはどうでしょう、なんて笑いながら言ってたよな。そうだな、そうすれば彼もまともな生活が出来るし……いずれは婿となる男だ。あらかじめ養子縁組みというのも――』
「勝手に話を進めるな! そんな事になったら、私はあいつを殺すッ! 殺して自由を勝ち取るッ!!」
 その大声に、丸まっていた猫がビクリとした。
 この猫の名は、みぃ・桜吹雪・デストロイヤー。ファースト・ネームは瀬利花、ミドル・ネームは瀬利花の母、ラスト・ネームはたった今電話越しに吼えている、瀬利花の父が考えたものである。
 瀬利花は、ただ『みぃちゃん』と呼んでいた。何が桜吹雪だ。何がデストロイヤーだ。
「まったく、いちいちくだらない事で電話をかけてくるな。こっちは忙しいんだ」
『……ああ、例の化生か』
 父の声から、ふざけた調子が消えた。
 IEOからもたらされた、1つの情報。それは、十三呪徒のひとりが星丘市に現れた……というものだった。
 ――名は、マノン・ディアブル。通称、『葉限の魚骨』。
「まぁ、手早く終わらせる。マノンがどれほど強力なのかは計り切れていないが……六道より外れた外道の者を、この世に跋扈させる訳にはいかない」
『……そうだな。それが、我等が一門の使命だ。ま、無理はするなよ』
「ああ、分かってる」
 電話を切る。
 瀬利花は木刀を収めた竹刀袋を手に取り、陽の沈み始めた街へと出て行った。



「とは言ったものの、どうするかな」
 瀬利花は歩きながら、困ったように呟いた。
 こうやって学校にも行かず、街を探ってはいるが……相手はなかなかのやり手らしく、手がかりは何もない。
 学校に行かなければ緋姫分が補給出来ん、などと危ない事を考えながら、瀬利花は頭の中でマノンのデータを確認する。
 マノンは、人間に危害を加える事はない。彼女がする事はただ1つ。
 ――人間の願いを、叶える。
 彼女は数百年前に、フランスの片田舎で生まれ育った少女である。
 幼い頃から、マノンは両親によって虐待を受けていたらしい。
 そんな中で、彼女は祈り続けた。自分自身の幸福ではなく、他者の幸福を。こんな苦しい思いをするのは自分だけであるように、と。
 彼女は、1人でも多くの人間を幸福にしたかった。そのために東へ西へ走り回り、人々の願いを出来る限り叶え続けた。
 血が枯れ、肉が腐り、骨が朽ちても、マノンは人々の願い事を聞き、それを現実のものとし続けたのである。
 気付いた時には――誰かの願いを叶えるという『機能』以外の全てを、彼女は失っていた。食べる事も眠る事も、生きる事も死ぬ事も。
「莫大なカネを手にしたのが4人、突然出世したのが6人、恨んでいた者が死んだのが3人、か……」
 明らかに異常だった。間違いなく、マノン・ディアブルはこの街で人々の願いを叶え続けている。
 願いを叶えるという事自体は、さほど問題ではない。問題は、危険な願いを持った者がマノンと出会った場合だ。
 実際、既に3人の死者が出ている。だが彼等の場合は自業自得に近かった。何しろ、3人ともかなり恨みをかっている。1人は大根組の組員で、借金の取立てなどをやっていた。
「…………」
 一瞬どこぞの貧乏人の事が頭に浮かんだが、それはないだろうと瀬利花は頭を振る。
 別に、彼が借金取りを殺す事は不思議でも何でもない。一般的な道徳からすると問題があるだろうが、月見匠哉はそんなものを気にするような人間ではない。
 だが、それは在り得ないのだ。何故なら、彼は借金取りを殺す前に、自分をカネ持ちにするだろう。大金を得た4人の中に、月見匠哉の名はなかった。
「……匠哉、か」
 先程の父との会話を思い出し、瀬利花は顔を赤くする。
(あいつを私の婿にだと……!? じょ、冗談じゃないっ)
 瀬利花の父は婿にすると言っただけで、瀬利花の婿にするとは一言も言っていないのだが、暴走気味の瀬利花ブレインはそこまで考えられない。
 ――と、その時。
 瀬利花は前方に、匠哉の後ろ姿を見た。
 バイト帰りらしく、疲れを感じさせる様子で、トボトボと歩いている。
(う……)
 瀬利花は困惑した。何ともタイミングが悪い。
 頭の中でグルグル廻る『婿』という言葉に圧倒されながらも、
(ま、まぁ、ちょっと話しかけてみるか。緋姫の様子も気になるし……うん)
 瀬利花は、1歩を踏み出した。
 ――しかし。
 ぞわり……と、背中を撫でられるような悪寒を感じ、瀬利花は足を止めた。
「――ッ!?」
 瀬利花は反射的に、後ろを振り返る。そしてすぐに、その行動を後悔した。
 そこにいたのは、ひとりの少女。
 行き交う人々は、何も気付いていない。だが、退魔師である瀬利花には分かる。
 ――その少女は、ヒトではない。
「う……ぁ……っ!!?」
 瀬利花の全身から、汗が噴き出す。恐怖で身体が震える。
 気を緩めたら即座に発狂するかと思うほどの、邪気。いや、もはやそんな言葉で表現できるモノではない。
 おそらく、眼を合わせただけで瀬利花の魂は粉砕されるだろう。だが……瀬利花など、最初から少女の眼中にはなかった。
 瀬利花の横を、少女が通り過ぎる。気にしてさえいないようだった。まるで、道端の小石のように。
 辛うじて、瀬利花はソレを視線で追う。
 少女が向かう先には――
「……っ!?」
 月見匠哉が、いた。
 匠哉は、少女の存在に気付いていない。気付いた所で、何が出来る訳でもないが。
「た、くや……」
 瀬利花は叫ぼうとするが、声が出なかった。全身の細胞が恐怖に悲鳴を上げ、言う事を聞かない。
 ダメだ、と瀬利花の心が絶叫する。あんな化物を、匠哉に近付かせてはいけない。彼など、触れられただけでバラバラになってしまうだろう。
 瀬利花は力を掻き集め、どうにか闘志を奮い立たせた。だが、能力に差があり過ぎる。
 例え『宝刀』を抜いても、例えこの場に自分が1億人いても、あの少女には勝てない――瀬利花は、本能でそれを理解していた。
 少女は既に、匠哉の真後ろを歩いている。そして……ニヤリ、と笑った。
 ――次の瞬間。
「匠哉〜!」
 少女はそんな可愛らしい声を出しながら、ぴょんと匠哉の背中に跳び付いた。
「……は?」
 瀬利花の思考が、停止する。
「のわ……って、しぃ? お前、こんな所で何やってるんだよ?」
「散歩の最中なのだ」
 匠哉はその化物――しぃと、普通に喋っていた。瀬利花には理解出来ない。
「じゃあ、どうして俺の背中に跳びかかってきたんだ? 新手の健康法か?」
「匠哉だからなのだ」
 しぃはエヘヘと無邪気に笑いながら、匠哉の背中に頬擦りする。
 匠哉は1つ、溜息をついた。だが、振り払う様子はない。
「…………」
 瀬利花はそれを見ていると、何故か腹が立ってきた。
 気に入らない事が多すぎて、何が1番気に入らないのかも分からない。
 瀬利花は眼を背けると、逃げるように走り出す。
 今日の探索は中止だった。一門の使命は大切だが……泣き顔のまま街中を歩けるほど、瀬利花は強くなかった。








「ん……?」
 俺は何かの気配を感じ、後ろを振り返る。
「匠哉、どうしたのだ?」
「いや、誰かいたような気がしたんだが、気のせいみたいだ。……って言うか、そろそろ離れろ。周囲の視線が痛い」
「のだ〜……」
 しぃは残念そうに、俺の背中から離れた。何がそんなに名残惜しいんだ、お前。
「じゃ、俺は買い物したら帰るから。先に行って貧乏神と一緒に待っててくれ」
「分かったのだ〜」
 しぃはタカタカと小走りで、家の方向へと向かって行った。
「……うぅむ。とても、アレが人類を脅かす邪神だとは思えん」
 どうなってんだラヴクラフト、と俺が心の中で巨匠に語りかけていると、
「そこの貴方、少しいい?」
 後ろから、女性の声が聞こえた。
 不思議だった。この喧騒の中でもハッキリと聞こえたし、何故か俺に対しての言葉だと分かる。
「……何だ?」
 俺は振り返って、答える。
 そこにいたのは、外人の女性だった。年齢は……見た目から判断すると、俺より少し上くらい。まぁ、外人は年上に見えるものなのかも知れないが。
 服装はドレスというほどではないが、安物でもなさそうな格好。お嬢様ちっく、とでも言おうか。
「聞きたい事があるのだけど……星丘公園に行くには、どうすれば良いのかしら?」
「ん、ああ、そこを左に曲がった後、真っ直ぐ進んでくれ。そうすれば見えてくる」
「そう、ありがとう」
 女性はクスリと笑うと、
「道を教えてくれたお礼に、願い事を1つ叶えてあげるわ」
「――は?」
「と私が言ったら、貴方は何を願う?」
 ……何か、変わった人だなぁ。
 とは言え、何となく面白そうだったので、考えてみる。
 そして、出た結論は。
「多分、何も願わない」
「……え?」
「望むものは山ほどあるんだけど、そういうのは自分の手で掴み取ったり奪い取ったりしてこそだと思うし」
「…………」
 女性はしばらく、珍しいものでも見たかのように俺を観察していた。
 ……ケッ、俺はそういう古いタイプの人間ですよ。
 だが女性に引いた様子はなく、逆に面白そうに、
「フフ……そうね、それも悪くない。貴方はそうやって、人生という名の晴れ舞台を踊るのでしょうね」
「……何か、話が大袈裟だぞ」
「そうかしら? まぁ、久々に楽しませてもらったわ。貴方――名前は?」
 どんどん自分のペースで進める人だなぁ。でも何故か、悪い気はしないのだが。
「月見匠哉だ」
「……月見匠哉、ね。覚えておきましょう」
 女性が歩き出す。
 背中を向けたまま、彼女は言った。
「――私はマノン・ディアブル。どうしても叶えたい願いが出来た時は、この名を思い出しなさい」



「ただいまー」
 家に帰ると、テレヴィの音が聞こえた。
 どうやら、アニメの次回予告らしい。
『甦ったウィルバー・ウェイトリイを斃し、イレク=ヴァドへと辿り着いたタイタス・クロウ。
 そこで待ち構えていたのは、因縁の宿敵ランドルフ・カーターだった。
 両者は掛け時計と己の信念を賭け、遂に激突する。
 勝利はどちらの手に? そして、それを観察するナイ神父の目的とは――……!?
 次回、「掛け時計の扉を越えて」! イア! シュブ=ニグラス!』
 ……どんなアニメだ。
「あ、お帰りなのだ〜」
 しぃはテレヴィを消すと、にぱっと笑う。って、さっきのアニメ見てたのお前かよ。
「おかえりー」
 こっちを見る事すらせずに、マナが一言。こいつ、だんだん態度がデカくなっていくな。
 ……って。
「お前、それどうしたんだよ?」
 貧乏神はノートパソコンと向かい合って、何かやってる。そんな高級品が何故うちに――?
「これはボラクラの備品。学校から持って来たの」
 ボラクラ? ……まさか、ボランティア・クラブの略か? 随分とカッコ悪い略称だな、オイ。
「ほら最近、瀬利花が部活に出てない……と言うか、学校に来てないでしょ?」
「ああ、何か家業が忙しいって話だが」
「うん。だからそれについて、IEOのサイトにアクセスして調べてるんだけど」
 サイトがあるのか、IEO。さすがは国際組織。って事は、マンモンにもあるのか?
 ……いやそれより、インターネットやってる神ってどうなんだ。
 俺は画面を覗き込む。ページは日本語だった。やけに親切だ。
「多分これだね。十三呪徒のひとりが、星丘市に現れてる。瀬利花はこいつを斃すために大忙しなんだよ」
「十三呪徒……」
 確か、教皇庁ヴァチカンが危険視する13匹の悪魔、だったか。
 PCの画面に表示されているのは、ひとりの少女。他者の願いを叶えるために、それ以外の全てを捨てた外れ者。
葉限の魚骨マノン・ディアブル。あの願望を叶えるだけの単一機能か。最後に顔を見たのは……200年くらい前かな」
 ……待て。マノン・ディアブル、だと?
「まさか……」
「匠哉? どうしたの?」
「マナ。俺、そいつに会った。願い事がどうとか言ってたし、間違いない」
「……ふぅん」
 マナは、さほど気にした様子もない。
 俺はさらに、思った事を口にする。
「と言うか、悪魔ディアブルって。考えてみると凄い家名だな」
「ま、元々まともな血筋じゃなかったんだろうね。マノンが今の境遇に堕ちたのは、必然の要素もあるって事」
 マナは、PCを片付け始める。
「しかし、そうなると瀬利花は危ないかも知れないね」
「何だと?」
「マノンは、願い事を叶えるだけの存在。……いや、存在なんて言えるほど大したモノじゃないけど。まぁとにかく、アレはただそれだけの単一機能」
 ……まてよ? 単一機能、って事は。
「ふふ、気付いた顔したね。そう、なのに彼女は何度も異端審問官と闘い、それを撃破し、呪徒と呼ばれるようになった。その戦闘能力は、一体どこから来てるんだろうね?」
「…………」
「しかも、彼女は他人と話したりする事も出来る。心なんて、とっくの昔になくなってるはずなのに」
 そうだ、矛盾してる。さっきの彼女は、ほとんど人間と変わらなかった。
「答えは簡単。マノンを必要とするものが、彼女の欠けた部分を補ってるんだよ」
「……『マノンを必要とするもの』?」
「『人類』だよ。より正確には――己の願望を現実のものにしたいという、人類全てに共通する普遍的思考。マノンと闘うという事は、人類全てと闘うという事。ほら、瀬利花に勝ち目なんてない」
「…………」
 なるほど、とても気に入らない。何より気に入らないのは、そう断言するこの貧乏神だが。
 まぁそういう事なら、こっちにも考えがある。
「――しぃ、ちょっと来てくれ。話がある」






 そして、次の日。
 今日は、珍しく瀬利花が登校していた。
 ――それはつまり。
「待てこのド貧乏ぉぉぉぉぉ!」
「誰が待つかァァァッ!!」
 いつも通り、楽しい鬼ごっこをするハメになる訳である。
 こら、そこの連中! 笑って見てんな! どっちが勝つかとか賭けてんじゃねぇよッ!!
「信濃霧神流秘伝、第二十八番――」
 って何ィ!? いつの間にこんなに間合いを詰められたんだッ!?
 そんな、神速と謳われたこの俺が――!?
「――『修羅掌撃』ッ!」
「ほぎゃあああああああああっっ!!!?」
 瞬間的に、数え切れないほどの斬撃が叩き込まれる。
 吹っ飛ばされ、床に倒れる俺。
「信濃霧神流秘伝、第十四番――」
 さらに。
「――『閻魔鳥葬』!!」
 上から、トドメの一撃が打ち下ろされた。



「フン。まあいい、少しは気が晴れた。今日はこれくらいにしておいてやる」
 気が晴れたって……俺、お前に何かしたか? って言うか、もう死にそうなんですけど。
 見ろ。このクレーターの真ん中に、ボロ雑巾のように転がってる俺を。可哀想だとか思わないのか、この悪魔め。
 去っていく瀬利花と入れ違うように、マナがやって来る。
「うわぁ、今日は随分と派手にやられたね」
「……まぁな」
「とは言っても、やっぱり手加減はしてるみたいだけど」
 ……何だと? これで手加減?
 まぁ、俺が死んでないって事は、本気ではないんだろうが……それでも、手加減という言葉は違う気がするぞ。
「瀬利花がホントのホントに本気出したら、匠哉なんて宝刀の一斬で真っ二つにされてるだろうし」
「宝刀……?」
「うん。信濃霧神流免許皆伝者の内、上位6人にのみ与えられる6本の宝刀――『信濃霧神六宝刀』。ま、1本は行方不明だから、実際には5本しかないんだけどね」
「瀬利花も、それを持ってるっていうのか?」
「多分。彼女の戦闘能力は、5本の指に入ると思うよ」
「…………」
 ……強い強いとは思っていたが、信濃霧神流の中でもトップレヴェルなのかよ。
「ところで匠哉。こうやって、気晴らしをしたって事は――」
「ああ。瀬利花の奴、今夜あたりに動くつもりかも知れないな」
 なら、こっちも準備をしなければ。いや別に、俺が何かをする訳ではないが。
「どうでもいいけど、そんなボロボロの状態で言っても締まらないね」
「……ぐっ」








 ――深夜、星丘海岸。
 瀬利花はそこで、海を眺めていた。
 夜の闇の中では、空と海を分ける水平線は見えない。
 彼女は、そのはっきりとしない世界が気に入らなかった。まるで、自分の心のようで。
 ……その時、砂を踏む音が聞こえた。
「初めまして、マドモアゼル・キリガミ。招待状を送ってくれたのは貴方ね?」
「……招待状というより、果たし状だがな」
 瀬利花は昼の内に、前鬼と後鬼を遣い、街中に招待状をばら撒いていた。夜族にしか感知できない、テレパシィの類で。
 相手は勿論、マノンである。
「そんな事はないわ。夜月の下、海岸での舞踏会。とても綺麗よ。ただ残念なのは、私の本分はシンデレラではない事ね」
「そうだな。お前は願いを叶える魔法使いだ。まぁ、それより……本当に来るとは。正直、半信半疑だったんだが」
「この街にいれば、いずれ会う事になるわ。なら、お互い早く片付けた方がいいでしょう?」
「違いない」
 瀬利花は、木刀を構える。
「……無駄よ。私は何者にも滅ぼせないわ。あの大禍の神なら可能かも知れないけれど、彼女は半神を封じられたせいで己も力を失っている。この世に私を消せる者がいるとすれば、それはかの至高の呪徒――『血色の満月』くらいでしょうね」
「言いたい事はそれだけか? なら、始めるぞ」
「せっかちな人。いいわ、踊りましょう。ドレスや馬車の前に、ダンスのレッスンをしてあげる」
「――参る」
 瀬利花は3メートル近くあった間合いを、たった1歩で詰める。
 一斬、二斬、三斬。瞬く間に放たれる、木刀の斬撃。
 しかしマノンは、踊るようにそれを躱してゆく。
「下手なステップ。それじゃ、王子様の眼中にも入らないわよ?」
 マノンの爪が、光った。
 ――それは、鋭利な硝子ガラスの爪。
「ジグ、ジグ、ジグ、墓石の上――」
 空間に光の軌跡を残しながら、マノンの爪が舞う。
「かかとでリズムを刻みながら、死神は踊る、真夜中にヴァイオリンに乗せて――」
 切り結ぶ、木刀と爪。
 瀬利花は隙のない細かな斬撃を打ち込み続けるが、マノンはそれを左の爪で防ぎ、さらに右の爪で反撃する。
 マノンが、つまらなそうに首を振った。
「退屈ね。それでは不合格――」
 だが彼女の言葉は、そこで切られる事になった。
 瀬利花は大きく刀を振り、一撃でマノンを両足を斬り飛ばす。
 先程までとはあまりにも違う、荒々しい剣。
「――ならば見るがいい、我が剣舞を」
 マノンは、その変化に対応出来ない。無論、瀬利花は対応などさせない。
 支えを失い、浮き上がるマノン。瀬利花はそこに、木刀の突きを叩き込む。
 足拍子は1つ。見えた突きも1つ。
 しかし、マノンが受けた衝撃は3つ。
 マノンは勢いよく打ち飛ばされ、砂煙の中に消えた。
 ――必殺。いかな人外といえども、助かる術などない。
「南無地蔵菩薩……流転に還れ。今一度、迷いの世界を巡るがいい」
 瀬利花は、戦闘態勢を解こうとする。
 ――だが。
「それは無理ね。私の魂は、もう私から放れてしまっているのだから」
 マノンは何事もなかったかのように、砂煙の中に立っていた。
 しかも……斬られた両足も突きの傷も、全てが修復され、元通りとなっている。
「何……!?」
「この身は、単一機能にして人類総意。でも逆に言えば、それだけのモノなの。魂も生死の理も、とっくの昔に失ってしまったわ」
 生も死も、もはやマノン・ディアブルには存在しない。故に、いかなる致命傷も意味をなさない――彼女は、そう言っていた。
「それはともかく……あれが噂に聞く『輪廻之太刀』ね。6種の攻撃パターンを変則的に切り替える事によって、相手の意表を突く不可避の剣。その美しき剣舞、喝采に値するわ」
 マノンが、笑う。
「……何がおかしい?」
 瀬利花は焦りを隠しながらも、問い返す。
 マノンは聖母のような優しさを込め、言った。
「合格よ。貴方の願い――叶えてあげる」






 瀬利花の耳に、どこからか聞き慣れた声が届いた。
「……利……、瀬……花!」
 彼女はぼーっとする頭を無理矢理動かし、眼を開く。
 そこには、匠哉の顔があった。
「さっさと起きろ、この小動物フェチ!」
 瀬利花は一切の手加減なく、その顔面に拳を叩き込む。
 匠哉は数学の教科書に出てくるような放物線を描きながら、畳に沈んだ。
(……って、畳?)
 瀬利花は身体は起こす。
 ――そこは、広い和室だった。
 彼女は何故か、ここで眠っていたらしい。
「いっつぅ……おい、いきなりパンチとはなかなか独創的な挨拶だな!」
「五月蝿い、誰が小動物フェチだ! ……じゃない、おい匠哉! ここは何処だ? マノンの奴はどうした!?」
「は……?」
 匠哉はきょとんとした顔で、
「……マノン? 栗の事か?」
「それはマロンだ!」
「じゃあ……ああ、どこぞの駄文書きの事だな?」
「それはメロンだッ! お前、わざと言ってるのかッ!?」
「いや、さっきから何が何だかサッパリ分からん」
 匠哉は、困ったように頭をかく。
「お前、寝惚けてるのか? 『ここは何処だ?』って……信濃の屋敷に決まってるだろ」
「……信濃の屋敷、だと?」
 瀬利花は改めて、部屋を観察する。
 ……間違いなかった。瀬利花の記憶にある信濃霧神家の一室と、完全に一致する。
「ったく、羽鏡うきょうの奴がお前を呼んでるから捜しに来てみれば、こんな所で寝てるし。起こしたらパンチだし。俺、この家に来ても不幸だけは変わらんな」
「……いや、待て。何故私はここにいる? それに、本当に信濃家だとしたら……どうしてお前が当然のようにいるんだ、月見匠哉」
「…………」
 匠哉、はぁと溜息をつく。完全に呆れ切った表情だった。
「本っ当にボケてるな。まず言うが、俺は月見匠哉じゃなくて霧神匠哉だろうが」
「……え?」



 ――――。



「あ、ああ……そうだったな。もうお前は月見じゃないんだった」
 瀬利花は『思い出す』。
 母の一言が原因となって、匠哉が信濃霧神家の養子となった事を。
 両親は婿養子にしたかったようだったが、それは必死で瀬利花が阻止した。まぁそもそも、匠哉は結婚出来る年齢に達していないが。
「それで、師が私を?」
「ああ、呼んでる。早く言った方がいいと思うぞ。俺があいつの茶菓子を食べたせいで、今日の羽鏡はとてつもなく不機嫌だからな」
「……お前は」
 瀬利花は、呆れて何も言えない。これが、未来の霧神一族を背負う人間なのか。
 匠哉は養子となった後、霧神の者として信濃霧神流を学ぶ事となったのだが……信じられないほどに、上達が早かった。
 今では、瀬利花に勝るとも劣らない実力者。史上類を見ない天才だと称えられ、いずれは信濃家の当主、そして三家の長になるだろうといわれている。
「……まぁいい。とにかく行って来る」
「おう、殺されるなよ」
「誰のせいだと思ってるんだッ!? 棚の裏に隠してある羊羹は食うなと、あれほど言っただろうがッ!!!」
「……皆知ってるんだから、隠してあるとは言わないだろ」
 ギャーギャーと、騒ぎ声が屋敷に響く。
 ……それは確かに、1つの幸福だった。






 瀬利花が消えた海岸で、マノンは1人佇んでいた。
「霧神匠哉……へぇ、オリジナルは月見匠哉あの人なのね。不思議な縁もあるものだわ」
 彼女は口元だけに、笑みを作る。
「王子様に出逢えてよかったわね、霧神瀬利花。その陀汗セカイの中で、永遠の幸福に沈みなさい」
 マノンは踵を返し、歩みを進めた。
 ――だが。
 彼女は、足を止める。
「……?」
 マノンの前に、少女がいた。
 ついさっきまで、そこには誰もいなかった。しかし気付いた時には、まるで初めから存在していたかのように立っていたのである。
「貴方――何?」
 問いは『何者』ではなく、『何』。
 ソレは、根本的な所から人間とは違う。
「しぃの名前は、しぃ。かつてこの地球ほしに、宇宙の向こうからやって来た一族の長」
 旧き支配者が、語る。
「――匠哉に頼まれて、君を消しに来たのだ」



「……冗談、でしょう?」
 マノンの頬に一筋の汗が流れた。
「ルルイエの王……一体どんな気紛れで、人のカタチなんかに収まっているの?」
「ただのお遊びなのだ。意味なんてないのだ――少なくとも、君が理解出来るような意味は」
「…………」
 マノンは、歯を食い縛る。
 失ったはずの様々な感覚が、襲ってくるような気がした。
「……私を消しに来た、と言ったわね。いいわ、闘いましょう。人に成り下がろうとする貴方と、人を踏み外した私。どちらがより狂っているか、見極めてあげるわ」
 海が、引いてゆく。
 月の引力を無視し、しぃの立つ大地から逃げるように。
 ――硝子の爪が、きらめく。
「貴方を、死者の踊り手に加えてあげる――」
 マノンは、人類の加護を最大限に引き出す。
 今の人類が持つ暴力は、人類そのものを滅ぼす事すら出来る。それをこの場に全て集め、己の爪に乗せる。
 マノンは、大地も大気も世界も傷付ける事なく。
「――『死神の鎌フォシィユ・マカブル』!」
 ただ、しぃのみを斬り刻んだ。






「それで、どうしてお前まで付いて来る?」
 屋敷の廊下を歩く瀬利花は、背後の匠哉に問う。
「いや、お前が羽鏡にボコられないか心配で」
「だから、誰のせいだと思っているんだ!」
 匠哉は瀬利花の怒り顏を見て、笑った。
「……な、何がおかしい!?」
「お前って、いっつも怒ってるよなぁ」
「それもお前のせいだろうッ! 誰の前でも怒ってる訳ではないッ!!」
 匠哉はとても楽しそうに、
「なら、お前の怒り顏を見れるのは俺だけという事だな。うむ、役得役得」
「――なっ!?」
 すだだーっと走り、瀬利花は匠哉との距離を取る。
「お前、正気かッ!!?」
「ばっちり正気だ。こうやって、お前とくだらない事で喧嘩する――それも、俺の幸福の形なんだろうな」
「…………」
「どうだ、瀬利花。お前は幸福か?」
「……ああ、そうだな。きっと、私は幸福なんだろう」
 瀬利花の、本心からの答え。
 匠哉はそれを聞いて、満足そうな笑みを浮かべた。
 その顔を横目に、瀬利花は壁に掛けてあった木刀を手に取る。
 そして――
「だが退屈だ。つまらない事この上ない」
 ――匠哉の身体に、斬撃を走らせた。



「何の……つもりだ?」
「ほう、紙一重で避けたか。幻とはいえ、その実力は本物らしい」
 瀬利花は木刀を、肩に乗せる。
「まったく、まるで屑だ。緋姫のいない世界など、存在するに値しない。それに……『匠哉』も、霧神匠哉おまえではダメだ」
「…………」
 スイッチが切り替わったように、霧神匠哉の顔から表情が消える。
 場を支配する、シンとした緊張感。
 だが瀬利花は、無造作に彼に背中を向けた。
「私は元の場所に戻らせてもらう。まだ、仕事が残っているのでな」
 だが、それを許す霧神匠哉ではない。
「……やれやれ、困った奴だ。主役シンデレラがお城を去るには、まだ少し早いんじゃないか?」
 彼の手も、瀬利花と同じように木刀を取る。
「……月見匠哉オリジナルも目障りな奴だが、お前はそれ以上だな。よかろう……この不出来な世界ごと、粉々にしてやる」
 振り返った瀬利花の瞳には、燃えるような殺気。
 だが、それでも。
「ま、お前が相手じゃ稽古にもならんだろうけどな」
 霧神匠哉に、乱れは一切ない。
 ――2人は、互いの間合いへと向かって行く。
「さぁ、始めよう――殺しの舞踏会を」






「……ッ!!?」
 マノンは胸を押さえ、地に膝を付く。
「そんな……あの娘、自らの願いを拒絶したの……?」
 願いを叶えるだけの者である彼女にとっては、存在を全否定された事に等しい。
 それは、マノンに身を砕かれたような衝撃を与える。
 そして――瀬利花が、己の幸福を否定した理由は。
「……なるほど。霧神匠哉は、瀬利花の願望が生み出した者。でも本物の『匠哉』は、彼女の願望など軽く超えてしまう存在なのね」
 瀬利花の願望という小さな形に収まってしまった霧神匠哉は、もはや『匠哉』とはいえない。
 彼の存在は月見匠哉に対する侮辱に等しく、瀬利花はそれが許せない。例え、自分が創り出した者であっても。
「確かにあれは失敗作ね。戦闘能力は十分過ぎるけど……隙のない人間は、愛嬌もない。可愛くないわ」
 だが今のマノンにとって、そんな事はどうでもよかった。
「……さて、と。意外と呆気なかったわね、ルルイエの王」
 さっきまでしぃが立っていた場所には、もう何もない。しぃはマノンの一撃により星雲状に分解され、消え去った。
 あの攻撃は、人類を滅ぼし、地上を焦土に変えるほどの殲滅である。異界の神とはいえ、耐えられるはずがない……のだが。
「もう、芸は尽きたのだ?」
「――ッ!!?」
 しぃは、そこに在った。
 確実に、死んだはず。それでも、なお。
「……嘘……」
 マノンを、凄まじい恐怖が襲う。
 彼女は、これほどの恐れを感じた事はなかった。あの虐待の日々でさえ、今と比べれば可愛いものである。
「……あれを受けても、生きていられるの……?」
「それは違うのだ。いくらしぃでも、あんな攻撃を受けたら死んでしまうのだ」
 言っている事が矛盾している――マノンはそう思う。
「でも、死んだらまた生まれてくればいいだけの事なのだ」
 だが目の前の怪物は、そんな常識が通用するようなモノではない。
「あの大いなる<第二の月>より降り注ぐ狂気に――終わりはないのだ」
 あまりの馬鹿馬鹿しさに、マノンは思わず笑ってしまう。
「……はは、あはは! これが、私の末路……はははッ!!」
 マノンは気付く。自分にとって、最大の敵は誰だったのかを。
 もちろん瀬利花などではなく、しぃですらない。
 真なる敵は……瀬利花が幻を打ち破った原因であり、しぃにマノンを消すよう命じた者。
 ――月見、匠哉。
「ああ……」
 彼女の背筋に、震えが走る。
 マノンが『機能』になってから、幾年。どんな退魔師や異端審問官でも、彼女を滅ぼす事など出来なかった。
 その、十三呪徒の中でも5本の指に入ると怖れられたマノン・ディアブルが――たった1人の少年によって、消されようとしている。
「何て――素敵な、人」
 それは、初めての恋。
 マノンは再び人類の加護を引き出し、しぃに『死神の鎌フォシィユ・マカブル』を打ち込む。
 だが、1発ではない。
「ははは……あははははははははッ!!!」
 狂ったように、次々と爪の斬撃を浴びせてゆく。
「踊れ――『魂を刈る死神の逆刃鎌フォシィユ・ド・アンクウ』ッ!!!!」






 ――屋敷の壁が、砕け散る。
 庭へと跳び出した2人は、池を挟むようにして対峙した。
「どうした? まだ十合くらいしか打ち合ってないぞ。もう終わりか?」
「……笑わせるな」
 瀬利花は腕の痺れを堪えながら、霧神匠哉を睨む。
「そうか。なら、行くぞ」
 タン――と。
 まるで当然のように、霧神匠哉は池の上を走り抜き、瀬利花との距離を詰める。
「な……ッ!!?」
「眼前に気を付けろ――もう遅いがな」
 放たれる、輪廻之太刀。
 瀬利花はギリギリのタイミングで、それを受け止める。
 だが彼の斬撃は、強く重い。受け止めてもなお、ある程度のダメージは避けられない。
「チィ……!」
「さて、いつまで耐えられる?」
「調子に……乗るな、この不良品が!!」
 瀬利花の足払いが、霧神匠哉の足を打つ。
「うおっ?」
「――沈めッ!!!」
 体勢を崩した彼に瀬利花は体当たりし、池に叩き落した。
「信濃霧神流秘伝、第五十一番――『地獄巡礼』ッ!!」
 八大地獄の表現たる8つの斬撃が、池の中に吸い込まれる。
 刹那の後、吹き上がる水柱。
 ――だが、その時。
「……!?」
 瀬利花の脳は、スローモーションのようにそれを捉えた。
 舞う、水滴の一粒一粒。それが、1つ残らず一斉に両断される。
「信濃霧神流秘伝、第二十八番――」
 迫る、斬雨。
 瀬利花は理解するより先に、反射的に跳んだ。
「――『修羅掌撃』」
 土煙が、上がる。
 数多の斬撃は池の水を吹き飛ばし、庭の土を削り取り、立っていた岩を抉る。
 ……1歩逃れるのが遅れれば、瀬利花は細切れとなっていただろう。
「水の中に放り込んで、俺の動きを封じたつもりだったんだろうが……お前の攻撃だって、池に打ち込めば水圧で威力が殺がれるんだぞ。それを考えてなかったろ?」
 池としての形を破壊され、水の消えた池の底で――霧神匠哉は笑う。
「……化物め」
「失礼だな。俺はしっかりと人道を歩いてるぞ。修練の末に、人のまま化物を超える――それが、霧神の理念だろ?」
 霧神匠哉は軽く跳び、池の中から脱出する。
「その点、マノン・ディアブルは最悪だな。あいつは自分を支えるものがない。だから、簡単に人道から外れてしまったんだ。弱い人間の証だよ」
「……創造者に対する言葉としては、少しずれているな」
「被造物だからって、いつも創造者に忠実とはいかないだろ? 人と神がそうであるようにな」
「…………」
「そして、俺達は御仏に仕える霧神だ。例え、創造者だろうが神だろうが、滅ぼすべき者は滅ぼす――だろ?」
「……ああ。それだけは――同感だ」
 瀬利花は、錫杖を手に取る。
「當願衆生、十方一切、邪魔外道、魍魎鬼神、毒獣毒龍、毒蟲之類、聞錫杖聲、催伏毒害、発菩提心、具修万行、速證菩提! 護法――前鬼、後鬼!」
 召喚される、二鬼。
 しかし今の彼等は、童子形ではなく鬼形。
「オォォオオオオオ――!!!」
 IEOが最上A級と認定する2体の鬼が、霧神匠哉に突貫する。
「臨・兵・闘・者・皆・陣・裂・在・前・天――」
 だが彼も、瀬利花と同じように咒を紡ぐ。
「護法――金鬼きんき風鬼ふうき水鬼すいき隠形鬼おんぎょうき
 その瞬間、瀬利花の額が血を噴いた。
「……ッ!?」
 それは、己の護法童子を破られた事による咒詛返し。
 霧神匠哉がび出した鬼達。彼等が一瞬にして、前鬼と後鬼を引き裂いたのである。
 肉眼で見えるのは、三鬼。残りの一鬼は――不可視。
「……千方ちかたの四鬼、だと……!?」
「ああ、俺の自慢の従者達さ。なかなか強いだろ?」
 強い、などいう次元ではない。藤原千方ふじわらのちかたはこの四鬼の力により伊賀と伊勢を支配し、朝廷と争ったのである。
「――やれ」
 短い、それでいて全てを示す命令。
 風鬼の暴風と水鬼の大水が、瀬利花を呑み込む。
「が……ッ!?」
 内臓を吐き出すかと思うほどの衝撃を、瀬利花はまともに受けてしまう。
 だがそれでも倒れず、彼女は霧神匠哉に向かって行く。
 ――2人の間に、金鬼が立ち塞がる。
「退けぇぇぇぇッ!!!!」
 全体重を乗せて放たれる、瀬利花の三段突き。
 だが、砕けたのは――金鬼の身体ではなく、瀬利花の木刀。
「な……!?」
「カカカカカカッ!」
 金鬼が、笑う。
 鋼鉄の腕が、瀬利花を殴り飛ばす。
 ――そして。
「其ノ御命、貰イ候……!」
 何の気配もなく、飛来する数本の苦無くない
 不可視の隠形鬼から放たれたそれが、瀬利花の身体に突き刺さった。
 ……瀬利花が、倒れる。
「もう、いいだろう?」
 血を流し地に伏せる瀬利花に、霧神匠哉は語りかける。
「お前は己の幸せを否定し、無駄を積み重ねているだけだ。それで何が生み出せる?」
「…………」
「くだらない意地を張るのは止めろ。『灰被り娘』のままでいても、いい事なんて何もないぞ。お前はこの陀汗セカイで、穏やかに生きてゆけばいい」
 だが瀬利花は、侮蔑の笑いを霧神匠哉に向けた。
「……ハッ。寝言は寝てから言え。お望みなら、今すぐ永眠ねむらせてやるぞ」
 苦無が刺さったままの身体でありながら、彼女は立ち上がる。
 その闘志には、少しの揺るぎもない。
「……それが、答えか」
 霧神匠哉は諦めたような溜息をつき、
「なら、仕方ない。お前は殺そう。その後、お前が俺を生み出したように、俺もお前を生み出すしかないな」
 彼は握り拳を、目線の高さへと持ってゆく。
「せめてもの手向けだ……我が宝刀で、苦しみなく終わらせてやる」
 まるで眼に見えない鞘があるかのように、霧神匠哉は空間から一振りの刀を引き出した。
 ――深紅の刀身が、禍々しく輝く。
「……『飛炎ひえん』」
 それは、行方不明になっているはずの宝刀。
「霧神家に存在しない者である俺が使う刀は、同じく霧神家に存在しない刀って訳だ。なかなか笑わせるだろう?」
 霧神匠哉は、それを軽く振る。
 ……大鬼が金棒を振り回したかのような、凄まじい衝撃が走った。
 大地が裂け、屋敷の一部が瓦礫と化す。
「飛炎は圧倒的な質量と硬度で、金剛石すら一斬で粉砕する。人間など、喰らったら跡形も残らんぞ」
 対する、瀬利花は――
「……よかろう。お前如きには勿体ないが、私の宝刀も見せてやる。感謝しろ――死ぬまでの短い時間でな」
 霧神匠哉と同じく、宝刀を抜いた。






「そろそろ、茶番は終わりにするのだ」
 マノンに、しぃは言う。
 しぃの長髪が腕に巻き付き、巨大な鉤爪を形作る。
「……地球を打ち砕くほどの威力を持つ攻撃でさえ、貴方には通じないのね」
 マノンは、ふぅと息をついた。
 規格外S級である自分の力がまったく通じない事に、新鮮味さえ覚えながら。
「なら、お別れの記念に1ついい事を教えてあげましょう」
 彼女は流し目をしぃに向け、語る。
「今回の事で分かったわ。あの少年、月見匠哉は……必要とあらば、貴方さえも滅ぼすわよ。精々、気を付けなさい」
 鉤爪が、振るわれた。
 生死がないとか、そんな理屈は全て飛び越え、しぃの一撃はマノンを切り裂く。
「だが、そら! ふいに彼らは踊りをやめる、押しあいへしあい逃げていく、雄鶏が鳴いたのだ――」
 まるで、繊細な硝子細工のように。
「ああ、この哀れな世にしてなんというすばらしき夜、死と平等に祝福あれ!」
 マノン・ディアブルという存在は、呆気なく砕け散った。






「――『破月はづき』」
 瀬利花の手には、一振りの日本刀。
「六道銭は持ったか? お前は貧乏ではないから、それくらい用意出来るだろうしな」
「…………」
 2人は互いの間合いから離れた位置で、睨み合いを続ける。
 四鬼が、駆けた。
 瀬利花は1歩だけ進む。その1歩で、彼女は四鬼と交差した。
 ――血飛沫が、舞う。
 刹那の斬殺。斬り刻まれた四鬼の肉片が、四方八方に散る。
 風鬼、水鬼のみならず、鋼の肉体を持つ金鬼、視えずの隠形鬼ですら、その圧倒的な殺害からは逃れられなかった。
 霧神匠哉の額から、血が溢れる。それは眼に入り、血涙のように頬を伝う。
「……お前、何をした?」
「くだらない事を訊くな」
 2人の間には、10m近い距離。彼女はそれを、一瞬にして摺り足で詰める。
 東洋武術に、攻撃前の予備動作はない。霧神匠哉は咄嗟に逃れようと後ろに跳んだが、それではあまりにも遅過ぎた。
 ……斬り離された彼の左腕が、ぼとりと落ちる。
 だが、敵もさるもの。痛覚を遮断し、右腕に握った飛炎で斬撃を放つ。
 襲い掛かる、超重量の刃。500kgを超える質量が生み出す非常識な衝撃が、瀬利花に迫る。
「――ぬるい」
 しかし瀬利花は、その刃を破月で受け止め、
「我が師は、お前などより遥かに強いぞ」
 流水を捌くかのように、受け流した。
 瀬利花は受け流した力の反動を利用し、斬る。
「な……っ!?」
 金剛石以上の硬度を持つはずの飛炎が、冗談のように――折れた。
「……何故、だ?」
 霧神匠哉は問う。
「人は眼を2つ持つ。それによって、物体の位置を正確に把握する事が出来る」
 霧神瀬利花は、答える。
「それと同じ事。この破月は、意思を持つ宝刀。私の意思と、破月の意思――2つを重ねる事により、理想的な戦闘が可能となるのだ」
 最初は意見が合わず色々と苦労したがな、と瀬利花は付け加え、
「何より、お前が気に入らなかった。私の堪忍袋にも、限界があるのでな」
「…………」
「何が史上類を見ない天才だ。『匠哉』は凡人だからこそ、『匠哉』なのだ。それでも、輝くものがあるから……緋姫は奴に惚れたんだ」
 瀬利花は哀しみの色をした、それでいて誇るような瞳で、霧神匠哉を見る。
「……月見匠哉と同じ顔の俺を、殺せるのか?」
「当たり前だろう。この世で、最も嫌いな顔だからな」
「はは、そりゃそうか……南無三」
 彼はそう言い残し、眼を閉じた。
「御首級――」
 破月の刃が、霧神匠哉の首を通る。
「――頂戴仕る」








「……さて、困ったな」
 俺は星丘海岸の真ん中で、頭を悩ませる。
 理由は、瀬利花を捜すため。家に帰って来たしぃの話によると、瀬利花の姿がどこにもなかったらしいのだ。
 それで、まぁ何と言うか……心配になって、捜しに来てみた訳なのだが。
「本当に、どこにもいないし」
 ……まさか、マノンに敗けて海の藻屑になったとか?
 だが、その時。
「……ッ!!?」
 ――ぐしゃり。
 俺は上から落下してきた『何か』に、思い切り潰された。
「な、何だ……って、瀬利花ぁ!!? お前、いつから落下ヒロインになったんだよッ!!」
 俺はどうにか、瀬利花の下から這い出す。
 ……そして、気付く。
「血……!?」
 俺の服に、べっとりと血が付いていた。
 見れば、瀬利花の身体には、いくつも刃物が刺さっている。
「おい、瀬利花!」
「う……」
 ゆっくりと、彼女は瞳を開く。
「お前は……月見匠哉、か?」
「当たり前だ。それ以外の誰に見えるんだよ?」
「……そうか」
 一瞬だけ、瀬利花が安心したように微笑んだ気がした。
 だが、すぐにいつもの仏頂面に戻り、
「邪魔だ、退け。私はまだ、やる事がある」
 そう言い、立ち上がろうとした。
 だがすぐに、ふらついて倒れそうになる。
「お、おいっ! 無理するな、身体に苦無みたいなのがドカドカ刺さってるんだぞ!」
 俺は肩を貸し、瀬利花を支える。
「……間違っても抜くなよ。その途端、私は大量出血して死ぬぞ」
「分かってるよ。ほら、とりあえず俺の家に行くぞ。回復要員がいる」
「だから、私にはまだやる事が――」
「マノン・ディアブルなら、もう消えた」
 瀬利花が、眼を見開く。
「今、月見家うちにしぃって奴がいてな。そいつが倒した」
「しぃ……あの女か」
「――? 知ってるのか?」
「ああ。昨日、街で見かけた。それにしても……余計な事をしてくれたな。獲物の横取りは、私への――いや、霧神家への侮辱だぞ」
 殺気立った眼を、俺に向ける瀬利花。
 だがここは、俺も退けない。
「聞く耳は持たんぞ。プライドが傷付いたとかそういう話なんだろうが、俺はお前のブライドより、お前の命の方が大事なんだよ。死ぬと分かってる闘いに、挑ませる訳にはいかない」
「……!」
 瀬利花はしばらくむぅむぅ唸りながら俺を睨んでいたが、最後には拗ねたようにそっぽを向いた。
 ……子供か、お前は。
「このお節介焼きめ」
「悪かったな。昔からそうなんだよ」
 瀬利花は再びこっちを見ると、
「……知ってる」
 と、一言。
 ……『知ってる』? 俺と瀬利花は、高校で知り合ったはずだが。
「それ、どういう意味だ――って、あれ?」
 隣から、スースーと寝息が聞こえて来た。
 ……はぁ。俺より背が高いこいつをこのまま連れて行くのは、なかなか骨が折れそうだな。
「ま、仕方ないか。今はぐっすりと眠れ」
 俺は少しずつ、歩みを進めていった。






 ――翌日。
 俺は買い物をしながら、街の中を歩く。
 本当なら、学校に行かなければならないのだろうが……瀬利花の奴が、まだ家で眠ったままなのだ。
 マナの術は身体の傷を全て癒したのだが、溜まった疲労はどうにもならないらしい。
 しぃに瀬利花を任せるのは色々と不安だったので、俺とマナは学校をサボタージュしたのである。
「えっと、次は……」
 そうやって、買い物プランをチェックしていた時。
「そこの貴方、少しいい?」
 後ろから、聞き覚えのある女性の声が聞こえた。



「どうした? 恨み言でも言いに化けて出たか?」
 俺達――2人しかいない路地裏。
 そこで、マノン・ディアブルは可笑しそうに笑う。
「フフ……さすがの私も、それほどつまらない人間ではないわ」
「と言うか、お前――」
 こいつは、しぃによって滅ぼされたはずだ。
「貴方が見ているマノン・ディアブルは、バラバラになった『私』を掻き集めて組み上げた……幻のようなモノよ」
 ……なるほど。風前の灯火って訳か。
「んで、何の用だ?」
「まずは、一曲くらい付き合って貰えると嬉しいのだけれど」
「悪いが、ダンスの相手は出来ん。そんな技術が必要になる場面は、俺の今までの人生には1度もなかったからな」
「……そう。残念だわ。結局、私は最後まで主役シンデレラにはなれないのね」
 一瞬だけ、悲しそうな表情が見えたのは……眼の錯覚だろうか?
「まぁ、いいわ。1つ、聞きたい事があるの」
「…………」
「私は――マノン・ディアブルは、一体どこで間違ったんだと思う?」
 ああ、そんな事か。それだったら即答出来る。
「自分自身の幸福を初めに望むべきだったんだよ。幸福を知らないくせに、他人を幸福にしようだなんて……酷い思い上がりだ」
 俺からすれば、当たり前の事。
「……そうか。それもそうね。そんな簡単な事すら分からなくなるほど、私は壊れてしまっていたのね」
 だがマノンは、その当たり前の答えを聞いて、納得したように笑った。
「……救いがないなぁ、お前」
「まったくだわ。でも私、そんな自分が好きよ」
 その言葉とほぼ同時に、彼女の姿が薄くなり始める。
 時間切れ、という事だろう。
「では、御機嫌よう――韋駄天脚ゴッド・スピード。先に虚無へと逝かせてもらうわ。硝子の靴は残せないけど、気が向いたら捜しに来て」
 それを辞世とし、葉限の魚骨と呼ばれた呪徒は……消えてなくなった。








 瀬利花が眼を醒ますと、うるさい声が耳に飛び込んで来た。
「あー……呪徒を倒したって事は、IEOに報告しないといけないんだよね。面倒くさいなぁ」
「報告なら、直接ヴァチカンに行ってやればいいのだ。そうすれば、多額の賞金が貰えるはずなのだ」
「……あのねぇ。そんな事したら、『それは御苦労様です。それでは、貴方も後を追ってください』とか言われて、手裏剣がびゅんびゅん飛んで来るに決まってるでしょ。まぁ、敗ける気はしないけど」
 瀬利花は、上体を起こす。
 それで、ようやくマナは瀬利花が眼を醒ました事に気付いた。
「あ、起きたね」
「ここは? ……いや、答えなくていい。訊いた私が馬鹿だった」
 これほどボロい家は、星丘市に2つとない。
「ま、とにかく寝てなよ。どうせ、今日はもうお互い学校には行かないんだし」
 その言葉に甘えた訳ではないが、瀬利花は再び布団に倒れる。
 マナが、布団の隣に寄って来た。
「まったく、一体誰と闘ったんだか。あれ、隠形鬼の苦無だよね? 四鬼を使役出来る咒者なんて、現代にはいないはずだけど」
「…………」
 瀬利花は答えない。答える必要もない。
 まぁいいけどね、とマナは続け、
「じゃあ、別の話でもしようか。ヒマだし」
「……好きにしろ」
 瀬利花は拒否の言葉を発しなかった。結局の所、彼女も寝たままでは退屈なのである。
「瀬利花ってさ、どうして匠哉をあんなに眼の敵にするの?」
「それは――」
「恋敵だから、じゃないよね。匠哉が緋姫を好きにならない以上、それは恋敵とはいわない」
「…………」
 瀬利花は顔をマナから背け、
「私は、緋姫に幸せになってほしいだけだ」
 ポツリと、零すように呟く。
「……ああ、なるほど。瀬利花は、緋姫と匠哉がくっ付く事を望んでるんだね? それが、緋姫の1番の幸福だから」
「そうだ。たが、匠哉は……」
「緋姫と釣り合うような人間には見えない。それが、瀬利花を苛立たせる――って感じかな?」
 マナはうーんと唸ると、
「でも私は、なかなかいいカップルになると思うけど。何しろあの2人が組めば、難攻不落の動く城すら落とせるんだし」
「…………」
「……匠哉みたいな殺視線で睨まないでよ」
 1つ、マナは溜息をつく。
 そして、まるで保護者のように言った。
「緋姫の幸福を望むのは結構だけど、自分の幸福もちゃんと望まないとダメだよ? 他人の幸福ばかり求めていると、いずれは道を踏み外してマノンのようになってしまう。私はそれも悪くないと思うんだけど、瀬利花はそれじゃいけないんでしょ?」
「……それは、そうだが」
 瀬利花はまた、布団から上半身を起こした。
 マナは玄関の方を見て、
「もうすぐ、匠哉が帰って来るね。弱った女の子らしく、少し甘えてみれば?」
「――ッ!!!? じょ、冗談じゃない! どうして私があんな奴にッ!!!」
 瀬利花は顔を真っ赤にしながら、舌打ちをした。
「……1つ、言っておいてやる」
「ん? 何?」
 見返す、マナ。
「そこの化物、お前も聞け」
「……のだ?」
 しかしマナだけではなく、瀬利花はしぃにも向かって言う。
 そこに、初めて会った時のような恐れはない。
「私は、誰にも敗けない。最後に笑うのは緋姫と私だ。それだけは、覚えておけ」
 緋姫は言った。恋する乙女は世界最強の存在だと。
 瀬利花は、その言葉を信じている。だから――例え相手が旧き邪神であろうと、自分の敵ではない。
「…………」
 まるで隠れるように、瀬利花は布団の中に潜り込む。
 ――その時。玄関の扉が開く音が、聞こえた。






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