「ぶっちゃけさ、皆は匠哉のどこがいいの?」
 マナのその言葉に、花も恥じらう乙女達は一斉に食べていたものを吹き出した。


ビンボール・ハウス7
〜東方冒険譚〜

大根メロン


 ここは、星丘高校屋上。
 昼食を取る場所として比較的ポピュラーなここの一角を、ボランティア・クラブの女性陣が占拠していた。
 男どもは、1週間に1度――つまり今日――に校内の屋台で販売される、激安ラーメンを食べに行っている。
 このラーメンは限定50食の上に、屋台は校内の何処かにランダムで現れるのだ。つまり、なるべく早く屋台を発見した者だけが食す事が出来るという、謎のシステムである。
 ちなみに、匠哉は常連。もはや超越的としか言いようのない予測力で屋台の位置を探し出し、マンモンから『韋駄天脚ゴッド・スピード』と怖れられたその速さで辿り着く。今まで、1回たりとも食い逃した事はないらしい。
 真もまた、常連の1人である。いつの間にか居て、いつの間にか食っている。
 そしておそらく、パックは今回も食い逃すのだろう。そもそも、あれは学校の生徒ではないが。
 そんな事になどまったく興味のない女性陣は、こうして屋上で各自の弁当を食べていた……のだが。
「と、突然何を言い出すんですかっ!?」
 緋姫が、マナに大声で問い返す。手が背中のリュックに伸びているのは御愛嬌だろう。
「いやぁ、あのダメ人間の一体どこを好きになったのか気になったから。ここにいる皆って、匠哉ラヴでしょ?」
 ――空気が、重量を増した。
 緋姫は修羅の形相で、要芽と瀬利花を見る。スカウターが砕け散るほどのプレッシャーが、ビシビシと伝わってきた。
「マ、マナ! 前にも言ったけど、誤解を招くような事を言わないで!!」
「そ……そうだ! どうして私があんな男をッ!!」
 己の生存を賭け、必死で抗議する要芽と瀬利花。
「ふ〜ん……じゃあ、緋姫。どうして匠哉を? 匠哉って、どこかいい所がある?」
 経済力は問題外だよね、と付け加え、マナは弁当を口に運ぶ。
「一緒に暮らしているのにそんな事も分からないんですか、貴方は」
 殺気を収めた緋姫は、それに答えようとするが、
「匠哉のいい所……やっぱり、真っ直ぐに生きてる所かしら」
「……まぁ、信用出来る人間だという事は確かだな」
 要芽と瀬利花が、先に答えた。
「あ……貴方達はぁぁぁぁぁ! 私の恋路を邪魔する気なら、私に殺られて地獄に堕ちてもらいますよッ!!?」
「なっ、ち、違うんだ緋姫! 私はむしろ、お前と一緒にその恋路を――!」
「何を訳の分からない事を言ってるんですか!?」
 緋姫は瀬利花の妙な言動を放置し、自分を落ち着かせると、
「ふぅ……まぁ、いい機会です。貴方達に聞かせてあげましょう。私と先輩の、出逢いと冒険譚を!」
 別にいいよ、とマナは思ったが、言葉にはしなかった。労力の無駄だからだ。
「あれは、私がまだイースト・エリアでクラウンのリーダーをやっていた頃の話です――」






(……さて、困りましたね)
 イースト・エリアの路地裏で、倉元緋姫は思案する。
 原因は、足元で這いつくばっている蟲螻ムシケラだった。
「……何か、食わせて、くれ……」
 こういう者は、イースト・エリアでは珍しくない。
 何しろ、日本最大のスラム街なのだ。喰えず餓える者も、喰えず死ぬ者も、掃いて捨てるほどいる。
 故に、緋姫は無視して進もうとするのだが。
「……何か、食わせて、くれ……」
「…………」
 進んでも進んでも、その少年は付いて来ていた。
 一時は全力で走って逃げようとしたが、それでも少年はゴキブリのような速さで離れない。
 本当に餓えているのかと緋姫は怪しんだが、少年の瞳には生気がなかった。むしろ、ほとんど死んでいた。
(……どうしますか)
 銃を抜いて撃ち殺そうかと思ったが、弾が勿体なかった。
 頭を踏み砕いてやろうかとも思ったが、靴が汚れるのが嫌だった。
「はぁ……」
 溜息が出た。
 緋姫はスラムを統治しているグループ、クラウンのリーダーである。
 イースト・エリアのプリンセス――倉元緋姫の名を知らない者は、この街にはいない。だが、顔を知らない者なら多勢いる。
 この少年も、そんな人間の1人に違いなかった。緋姫の事を知っていたのなら、こんなに気安く話しかけられるはずがない。
「貴方、名は?」
 反クラウン勢力が山ほどあるとはいえ、緋姫はスラムの統治者マスター
 ――ならば、餓えた住人を助けるのも悪くはないだろう。
「月見……匠哉……」
「月見さん、ですか。来てください。身の安全は保障出来ませんが、とりあえず餓えを凌ぐ事は出来るでしょう」
「……!」
 月見匠哉が、顔を上げる。
 まず現れた表情は、驚愕。そして間もなく、歓喜へと変化した。
(……まったく。そんなに簡単に他人を信用しては、ここでは生きてゆけませんよ)
 緋姫は、その様子に呆れ果てる。
 だが……無垢の信頼は、心地の悪いものではなかった。



 スラムの一角にある、古い小屋。
「いやー、助かった助かった」
 そこで匠哉は、何の遠慮もなく出された食料をガツガツと食べていた。
「……見ていて腹が立つような食べっぷりですね。そんなに餓えていたんですか?」
「前半部分は褒め言葉として受け取っておこう。後半部分に関しては……ここ数日、水しか飲んでない」
 肉食動物さながらの獰猛さで、匠哉は肉の塊を食い千切る。
「しかし、どうして貴方のような人がイースト・エリアへ? 生まれた時からここに住んでいた訳ではないんでしょう?」
「……分かるのか?」
「ええ。ここで生まれ育った人間とは、匂いが違い過ぎます」
「…………」
 匠哉は食事の手を止めないまま、
「俺は貧乏でね。外では暮らせなくなったんだ。この歳じゃ、アルバイトも出来ないしな。だから仕方なく、ここでストリート・チルドレンさ」
「……成程」
 珍しくもない話だと思いつつ、緋姫も食料を摘む。匠哉を見ていたら空腹が移ったのである。
「でもここって、思ってたほど危険でもないんだな。そりゃ危ない事に変わりはないが……弱者が奪われるだけの場所、って訳でもなさそうだ」
「そうですね。昔と比べると、少しはよくなりました」
「やっぱり、例のクラウンって連中が仕切ってるおかげかな。俺も強盗に襲われた時、メンバーに助けてもらったし」
「…………」
 緋姫は何も答えず、ムシャムシャと食べ続ける。
 匠哉は少し不審に思ったが、特には気にせず、
「そう言えば、まだお前の名前聞いてなかったよな。何ていうんだ?」
「……聞いてどうするんです? この時が過ぎたら、もう2度と会う事もないと思いますが」
「だからこそだよ。今聞かなきゃ、もう2度と聞けないだろ」
「……後悔しても知りませんよ」
 緋姫は一息置くと、
「倉元緋姫、といいます」
 静かに、そう答えた。
「へぇ、緋姫かぁ……なら、愛称は『緋姫ちゃん』だな」
「――『ちゃん』!!?」
「だって、見た感じでは俺より年下みたいだし。そう呼んでも問題は……って、ちょっと待て。倉元緋姫、だと?」
「ええ。本名よりも、プリンセスなどと呼ばれる事の方が多いですが」
「…………」
 匠哉が、凍りついた。
 完全凍結。まるで、釘を打てるバナナのようだった。
「……マジで?」
「こんな嘘を言って私に何のメリットがあるんですか」
 匠哉はどうにか硬直から脱出すると、
「おいおい、ならどうしてこんな小屋に住んでるんだ? クラウンのボスが、1人の護衛ガードも付けずに……それでいいのか?」
「よくありませんよ。ですが、今は仕方ないんです。身を隠しているのですから」
「隠れている……? 何から?」
「それは――」
 突然、緋姫は会話を止めた。
 そのまま鋭い目付きで置いてあったリュックを背負い、ハンドガンを抜く。
「ど、どうした!?」
「……もう、見つかってしまいましたか」
 その時、異変が起きた。
 鉄で出来ているはずの小屋の壁が、明らかに自然の法則に反した速度で腐蝕してゆく。
「な、んだ……?」
 錆び付いた壁が、ボロボロと崩れ落ちる。
 入り込む、外の光。
「……ようやく会えたな、プリンセス」
 壁に開いた穴の向こうには、見上げるほどの大男が立っていた。
 年齢は、いわゆる中年と呼ばれる辺りか。
 だがその筋骨隆々とした身体は、中年の衰えとは無縁のように思えた。
 感情の色がない、死魚のような瞳が……匠哉と緋姫を見下ろす。
天堂てんどう……台限だいげん……!」
「鬼遊びはしまいだ。貴様の命、ここで断ち切る」
 緋姫はバックステップで、台限との間合いを取る。
「そう簡単に、殺られはしません……!」
 そして、銃の引き金を引いた。
 だが台限は、頭を狙ったそれを、僅かに首を傾げただけで回避する。
「愚蒙なり。滅ぼし合いは構わぬが……より無残な破滅を迎えるだけだと、何故気付かん」
 ――瞬間、それは匠哉にすら感じる事が出来た。
 台限の身体を何かが包み込む。酷く気分の悪くなる、何か。
 その妖気を纏った掌底が、緋姫に向かって放たれる。
「チィ……ッ!!」
 緋姫は横に跳び、それを躱す。
 外れた掌底は、壁に打ち込まれた。
 ……先程と同じように、壁が腐蝕し朽ち果てる。
 緋姫は狭い小屋の中から脱出しようとするが、台限は透かさず道を塞ぐ。
「く……っ!」
「逃げ場はない。あるとすればそれは冥府のみ。望むなら、自害する時間をやろう」
「戯言をッ!」
 緋姫の銃撃。
 しかし弾道の読めた攻撃など、台限はいとも容易く避ける事が出来る。
「……ならば。魂魄の欠片すら残さず、朽ちて終わるがいい」
 迫る、掌底。
 緋姫は悪あがきのように攻撃から逃れ、台限の視界から放れた。
 台限は、すぐにそれを追ったが――
「……!?」
 緋姫が、いない。
 視界から放れた僅かな時間の内に、緋姫は魔法のようにこの小屋から消え去っていた。
 そして、匠哉も。
「……読み違えたか。あのわっぱ、先に滅ぼすべきだったようだ」
 台限は、歩き出す。
 ――2人とも、まだ遠くへは行っていないはずだった。



「へっ、韋駄天脚ゴッド・スピードの名は伊達じゃないんだよ……」
 逃げ込んだ路地で、匠哉は笑う。
 そして、抱き抱えていた緋姫をゆっくりと下ろした。
 ようやく状況が呑み込めた緋姫は唖然としながら、
「……逃げ足、速いんですね」
「そうだな。あまり自慢にはならないが」
 匠哉は、ふぅと息をつく。
「んで、あのオッサンは何なんだ? お前は、あいつから隠れてたのか?」
「何故、そんな事を話さなければならないんです?」
「助けた礼として」
「…………」
 緋姫は頭痛を堪えるかのように、頭に手を当てた。
「……分かりました。話してあげましょう。あの男の名は、天堂台限。イースト・エリアの反クラウン勢力の1つ――『オベリスク』が、私を殺すために放った雇われ者です」
「……なるほどね。じゃあ、アレは何だったんだよ? あいつが触れた途端、鉄の壁がボロボロになったろ?」
 匠哉はその光景を思い出す。とても、尋常とはいえない現象だった。
「彼は、触れた物を自在に酸化させる事が出来るそうですよ。皇居陰陽寮が、『創物冒涜』と呼んでいる能力です。信じ難い話ですが……この眼で見た以上、信じるしかありません」
「酸化させる、だと?」
 しかし、と匠哉は思った。そんな事が人間に可能なのか、と。
 だが結局は緋姫の言う通り、見たものを信じるしかない。
「彼の母は日本のとある山村に住んでいた方で、15歳の時に処女懐胎し、僅か数日後に台限を産みました」
「…………」
「彼は酷い奇形児で、とても人間とは思えないような姿をしていたらしいですよ。蟲のような声でキィキィと鳴きながら、自分を産んだ母親を頭から喰べたそうです」
「……吐き気がするようなエピソードだな」
 緋姫は、無言で頷く。
「成長するにつれ、彼は人間らしい姿を取り戻していったようですが……やはり、村では悪魔の子として忌み嫌われていました。そして15歳になった時、台限は生まれ育った村を地図から消し、裏社会ダーク・サイドの一員となったんです」
「うぅむ……」
 匠哉は納得いかなそうな顔をしながら、頭をかいた。
「あいつがとんでもない奴だって事は分かったけどさ。でもだからって、逃げ隠れはよくないんじゃないか? クラウンの戦力を注ぎ込んで台限を斃した方が、手っ取り早いんじゃ……」
 緋姫は呆れた眼で匠哉を見ると、
「それが出来るならとっくにやってます。貴方も見たと思いますが、彼は銃弾すら躱せるんですよ? 彼の六感・動体視力・反射神経・反応速度は、人間のレヴェルを遥かに超えてるんです。遠距離狙撃すら、台限には通じませんでした」
 彼女の顔に、苦虫を噛み潰したような表情が現れる。
「そして、触れただけで人を殺せるほどの酸化能力。あの必殺の異能がある限り、天堂台限は無敵なんですよ」
 言葉にするのも忌々しいといった様子で、言う。
「故に、その異名は『動く城』。あの男との戦闘は、強固な城壁と数多の兵を相手にするのと同じ事です。クラウンのメンバーは何度も彼を殺そうとしましたが、その度に1人残らず命を落としました」
 緋姫はリュックから、サブマシンガンを取り出す。
 ファブリック・ナショナル社のPROJECT-90。1997年のペルー日本大使館占拠事件において、突入した特殊部隊が使用していた事により一躍注目を浴びた奇形のSMGである。
「さて。もうすぐ、騒ぎに気付いたクラウンのメンバーが集まってくるでしょう。そうなれば、ここは私達と台限の戦場になります。月見さん、命が惜しければ逃げてください」
「……いや、それはまずい気がする。台限は俺の事を、緋姫ちゃんの仲間だと思ってる可能性が高い。ここで緋姫ちゃんと別れて、1人になった所を奴に襲われでもしたら……正直、生き延びる自信はない」
「そんな事、私の知った事ではありませんよ」
「うわ、酷っ」
 緋姫は蔑むような眼で見る。
 足手まといはさっさと消えてください、という声が匠哉には聞こえた気がした。
「……はぁ。仕方ないか」
 匠哉は観念して、その場から走り去ってゆく。
 そして、残るは緋姫の気配のみ。
 だが――
「――選択せよ」
 突然、別の気配が緋姫の気配を塗り潰した。
「苦痛なく黄泉へと下るか、否か」
「……悪いですが、これでも組織を背負っている人間なので」
 月見さんは大丈夫そうですね、と緋姫は思いながら、現れた巨大な気配にP-90の銃口を向ける。
「そう簡単には死ねません。……天堂、台限」
「……そうか。ならば、我を殺してみせよ」
「言われずとも」
 その言葉が、戦いの号砲となった。
 緋姫は、後方へ跳ぶ。
 同時に、建築物の屋上や物陰から、銃を構えたクラウンのメンバー達が現れる。
 だが台限はまったく臆する事なく、緋姫との距離を詰めた。
 理由は2つ。1つは単純に緋姫を殺すため。
 そしてもう1つは、自分を銃火から守るためである。緋姫の近くにいれば、メンバー達は緋姫への誤射を怖れ、引き金を引けない。
 押し寄せる台限。しかし勿論、緋姫もただやられはしない。
 P-90から撃ち出される、数多の5.7×28mm弾。
 正確な射撃。だがそれ故に狙いが読み易く、躱すのも容易。
 台限は攻撃を回避しつつも、緋姫が後退する方向と速度を考え、先回りするように動く。
 ――しかし。
「何……!?」
 緋姫は突如、壁に当たったスーパーボールのような勢いで、後退から前進へとチェンジした。
 読みを裏切る動きに、台限の反応は遅れる。その遅れの間に、緋姫は台限のすぐ脇を抜けた。
 そして、緋姫と擦れ違い、台限へと襲い掛かる2人のメンバー。
 それぞれがその手に握ったナイフで、台限の急所を斬り裂く……と、思われたが。
「――戯けが。死して悔いろ」
 台限の腕は、2人のナイフよりも速い。
「コォォォォォォ……!」
 低い、呼吸音。
 気付いた時には既に遅く、台限の両手は2人の頭を鷲掴みにしていた。
 活性化した酸素が、2人の肉体を細胞レヴェルで侵略し、破壊する。
 ……台限の手に残るのは、乾燥した泥人形のようにバラバラになってゆく、2人の哀れな死者。
 そのまま、彼は自らクラウンのメンバー達の元に向かって行った。
 台限にとって、敵が多い事は何の問題にもならない。何故なら、それだけ盾に出来る人間ものも多いという事なのだから。
 ――狩る、狩る、狩る。
 軽く撫でられた程度の接触でも、まるで巨大な爪に薙がれたかのように、身体を抉られてしまう。
 ほんの、数十秒。だったそれだけで、戦場に立つ者は緋姫と台限しか残っていなかった。
 周囲には、人間の残骸が転がっている。勿論、人間と呼べるほど綺麗なものではないが。
「プリン、セス……逃げ……」
 最後の1人も、それを最後に呼吸を止めた。
 緋姫は思う。逃がしてくれるような相手ならとっくに逃げてますよ、と。
「……脆い。強度が低いな」
「皆、カルシウムが足りてないんでしょうね。何しろ、こんな街ですから」
 緋姫はP-90を構える。それに、意味がないと知りながらも。
「じゃ、そろそろ終わりにしましょうか」
「……勝算がないと知りつつも闘うか。その心だけは、称賛しよう」
 P-90が、火を吹く。
 台限は当たり前のようにそれを躱し、緋姫にを伸ばした。
 死が、近づいてくる。
 だが緋姫は、不思議と何の恐怖も感じなかった。彼女はすぐに、その訳を理解する。
 結局の所、緋姫はこの世界に何の未練もない。
 イースト・エリアには、彼女を必要としている人がたくさんいる。しかし……緋姫が必要とするものは世界中を探しても、どこにもないのだから。
(……もう、頑張らなくていいですよね)
 運命は、緋姫に慈悲深い終焉を与えようとしていた。



「……またお前か、童」
 台限の眼に、鋭利なものが宿る。
 ただ1人、緋姫だけが状況を理解出来ない。
(……何故、ですか?)
 台限に殺されかけた、その瞬間。
 緋姫の身体は、風にさらわれたかのように台限から離れていた。
 ――そして今、月見匠哉の腕の中にある。
「ふぃ〜、危なかった。あと少しでも遅かったら、俺も一緒に死んでたな」
 匠哉が笑う。戦場には、あまりにもそぐわない笑顔だった。
「……月見、さん?」
「おう」
 匠哉が、緋姫をさらった風の正体。
「……見事、と言っておこう」
「今の俺は満腹だからな。足の速さだけなら、堀部安兵衛ほりべやすべえにだって敗ける気はせん」
 匠哉は台限の威圧を真正面から受けつつも、怯む様子はまったくない。
 緋姫が、大地に下りる。
「……どうして、戻って来たんです?」
「やっぱり、気になったから」
「……どうして、私を助けたんです?」
「一食一飯の恩義があるから」
「……余計な事を」
 緋姫は俯く。
 そして、ポツリと呟いた。
「私は、あそこで終わってもよかった」
「…………」
 匠哉は少しの間、緋姫を見詰める。
 ――その後。
「でも、緋姫ちゃんが死ぬとメシをたかれる相手がいなくなるんだが――」
「もしかして、ふざけてますかっ!?」
「いや、結構マジ」
 緋姫は全身をプルプル震わせながら、匠哉の額に銃を突き付けた。
「いい度胸です……消えてなくなりなさい」
「よし、それだけ元気があれば大丈夫だな」
「……え?」
 匠哉が、台限を指差す。
「その殺意、俺じゃなくてあの宮崎アニメにぶつけてくれ」
「私、は……」
「難しい事は後で考えればいいさ。あいつを屠殺した後、まだ死にたかったら……その時は、俺が緋姫ちゃんを殺してやる」
「…………」
 緋姫が、匠哉から銃口を離す。
 そして――台限へと、向けた。
「面倒は後回し。そういう事ですか」
「それが1番楽だ。後で色々と後悔するけどな」
 匠哉は台限に眼をやると、
「待たせたな、天堂台限。これからが本番だから、お前も本気を出せ」
「何を……」
「いいか、ここに在るのはお前の獲物じゃない。純然たるお前の敵だ。手を抜けば、あっという間にやられるぞ」
「…………」
 台限が、両の拳を合わせた。
「……よかろう。その言葉、覚悟なき者には吐けぬ言霊と見た」
 その身体から立ち上る、妖気。
 それが世界を変質させてゆくのを、匠哉と緋姫は肌で感じた。
「『創物冒涜』、焼界の式――」
 台限には、殺気も殺意もない。
 死ぬと決定している相手に、そんなモノを向けても意味がない故に。
「――『火神出生』」
 台限は離した両の拳を、地面に叩き付ける。
 一瞬の、閃光。
 台限を中心とした周囲が、突如激しい炎に包まれた。
 その炎は焦らす様に、だがそれでいて確実に、燃え広がって行く。
「なっ!? これは……!?」
「……まぁ、燃焼も酸化現象の一種だからな。火くらい出せても不思議ではないだろ」
 台限が、炎の中から近づいて来る。
「何を悠長な。この炎は、我が異能によって支配された狂える烈火。いかな手段を用いても、消す事は出来ん。早く我を斃さねば、この街が……いや、この世界が燃え尽きるぞ」
「……ッ!」
 緋姫が、息を呑む。
「つ、月見さん……あんな啖呵を切ったんですから、何か手は考えてあるんですよね?」
「そうだなぁ……」
 匠哉が、緋姫を抱き抱えた。いわゆるお姫様だっこである。
 こうして抱き抱えられるのは初めてではないのだが……何故か、緋姫は自分の顔が赤くなるのを感じた。
 ……きっと炎の熱のせいですよ、と緋姫は結論付ける。
「ま、とりあえずは全速力で逃げよう」
 匠哉が、地を蹴った。
 静止状態から瞬時にトップ・スピードまで加速し、炎の間を縫うようにしてイースト・エリアを駆け抜ける。
 ――しかし。
「さすがの韋駄天走りも、これでは最善を出せまい」
 台限は、離れず付いて来ていた。
 火を避けなければならない匠哉と、関係なく一直線に進める台限。その差が、両者の距離を縮めてゆく。
 ……だがその間に、突如として数人の人間が跳び込んだ。
「プリンセスから離れろ、天堂台限!」
 クラウンのメンバー達が、それぞれの武器を台限に向ける。
「……あの、バカども……!」
 匠哉は苦々しげに呟くが、もう遅い。
「邪魔だ……ね」
 台限の手は、いとも簡単に彼等を捕らえる。
 ――瞬間。その身体が光と熱に包まれ、悲鳴すらなく焼き尽くされた。
 残るのは、真っ白な遺灰のみ。その灰は風に呑まれ、呆気なく消える。
「人間を一瞬で灰に……!? くそっ、人体ってのは70%が水分で出来てるんだぞ!? そんな熱を使ったら、自分もやられるんじゃないのかっ!!?」
「……おそらく、耐熱能力アンチ・ヒーティングでもあるんじゃないでしょうか」
 台限はさらに、追う速度を速めた。
 ――城が、迫る。
「祈れ……!」
「――月見さんっ!!」
 台限の死刑宣告と緋姫と叫びが、重なった。
 だが匠哉は動じず、
「ほいっと」
 緋姫を、前に放り投げた。
「……!?」
 ターゲットである緋姫が離れてしまい、台限の間合いが乱される。
 その隙に、匠哉はポケットに手を入れた。
「必殺! 対借金取り秘密兵器!」
 そして、ニヤリと笑う。
「田村真特製――『超強力催涙スプレー』!」
 ポケットから取り出された、スプレー缶。
 匠哉はそれを、台限の顔に向けて噴射した。
「おぉぉぉ……ッ!?」
 台限が、顔を押さえて怯む。
「どうだ、俺と真の友情の一撃は! こいつ喰らって平気な化物フリークスなんかいないよ!」
「……この状況で、よくそういう冗談が言えますね」
 匠哉は緋姫を見ると、
「……よし。緋姫ちゃん、二手に分かれるぞ」
「な……っ!?」
 緋姫は、匠哉の提案の意味が理解出来なかった。そんな事をしたら、どう転んでも不利になるとしか思えない。
 ――しかし。
「俺を信じてくれ。その代わり、俺も緋姫ちゃんの事を信じてるからな」
「……!」
 その一言で、緋姫は心を決めた。
「分かりました!」
 緋姫は迷いなく、匠哉とは別の方向へ駆け出した。



「ぐ……」
 台限は、顔を上げる。
 眼の痛みに加え、どうやら気管にもダメージを受けたらしい。
 乾いた咳が、台限の口から漏れた。
 台限は考える。これで2度目だと。
 ――あの童を先に殺しておくべきだった、と思うのは。
「……だが、逃れる術などない」
 台限が、1歩を踏み出す。
 向かうは、匠哉が逃げた方向である。



「よぉ、遅かったな」
 最初の小屋で、匠哉は堂々と待ち構えていた。
「…………」
 台限は何も答えず、彼と対峙する。
「いいのか? 狙いの緋姫ちゃんより、俺を優先しても?」
「……プリンセスはいつでも殺せる。だが貴様は、どんな害を我にもたらすか分からん」
「ははっ、随分と過大評価されたもんだ。それよりも――」
 台限が、激しい咳をする。
 匠哉はそれを見て、笑みを浮かべた。
「やっぱり、お前の身体はもうダメみたいだな」
「何……?」
 匠哉は生徒に教える教師のように、
「お前は触れたものを酸化させる。ならば、常に触れている空気はどうなる? 当然、酸化しているはずだ」
「…………」
「空気中で最も多いものは窒素。それが酸化すると、二酸化窒素になる。こいつは実に有害でね、吸い込めば肺や気管がやられるし、血中ではヘモグロビンの邪魔をして酸素の巡りを悪くする。たたでさえ酸化能力によって空気中の酸素が減ってるのに、だ」
 台限は、微動だにしない。
「さらに、光化学スモッグが発生する原因になったりもする。ほら、眼に痛みはなかったか?」
「……そういう事か」
「お前はそれを俺のスプレーのせいだと判断して、重要視しなかったんだろ? だが、お前の身体は着実に蝕まれていた訳だ。普段はそうならないように、無意識の内に能力を制御してたんだろうが……不用意に出した本気が、諸刃の剣になったんだよ」
「少しは考えたな。及第点はやろう」
「それはどうも。ついでに、あれだけ急激に酸素を使えば当然周囲の酸素が減り、気圧が下がる。その気圧変化も、お前の身体を軋ませていたはずだぞ」
 匠哉は語る。まるで、終わりを告げるように。
 ――しかし。
「笑止。その程度で我が暴力ちからが殺がれるなど、あろうはずがない」
 台限が腕を振るう。
 変わらぬ速さ、変わらぬ力、変わらぬ異能で、鉄壁が打ち砕かれる。
「…………」
 匠哉の指摘は、全て的外れ。
 ――だが、彼に動じる様子はない。
「分かってるさ。所詮、このお喋りも俺に注意を向けさせるためのものだしな」
 その言葉と、同時に。
「終わりです、天堂台限!」
「――!?」
 逆手にナイフを持った緋姫が、小屋の中に跳び込む。
 匠哉が、言う。
「――落城だ、動く城」
 台限は理解した。
 あの無駄話は、緋姫がこの小屋に近づくのを感づかれないためだと。
 緋姫と台限が、交差する。
「――『刹那・断末魔』ッ!!!」
「朽ちろ――『創物冒涜』……!」



「う……っ!」
 緋姫が膝を折り、その場に崩れる。
 彼女のナイフの刀身が、腐蝕し圧し折れた。
 台限は緋姫に背を向けたまま、ゆっくりと口を開く。
「……なるほどな。刹那の間に、ただ一撃にて末魔を断つ。いかな我とて、それを躱す事など出来ん」
「私の必殺技ですから。精神集中に時間がかかる事と、無茶な動きの反動で動けなくなってしまう事が難点ですが」
「……フッ」
 台限は僅かに首を動かし、匠哉を見る。
「……童、名を何という?」
「姓は月見、名は匠哉。って言うか、そういう事は最初に訊け」
「月見匠哉……か」
 再び、台限は匠哉から眼を離した。
「月見匠哉、倉元緋姫。最後に見る夢としては、なかなか悪くなかった」
 その言葉を最後に、台限の動きが止まる。
 末魔マルマンとは、人体に存在する死穴を指す。そこを断たれれば、人は逃れようなく死を迎える。
 台限はその苦痛を表に出す事もなく、また倒れる事もなく……静かに、眼を閉じた。
「……終わった、か」
「ええ、そうですね」
 緋姫の口から、安堵の溜息が出る。
「まったく。よくもまぁ、ここまで上手くいきましたよね」
「そうだな。俺が台限を引き付けておいて、緋姫ちゃんが決める。アドリブとしては最高だった」
 2人は1度だけ台限を見ると、一緒に歩き出す。
 そして、小屋から去って行った。



 外に出ると、炎が消え始めていた。
「本格的に燃え広がらなくて良かったよなぁ……下手したら、大火災の再来になってたぞ」
 匠哉はそう言うと、緋姫を見る。
「んで、どうする?」
「……え? な、何がですか?」
「ほら、さっき言ったろ。『俺が殺してやる』――って。必要か?」
「…………」
 緋姫は思う。
 死を受け入れようとしたのは、この世に大切なものがなかったから。
 でも、今は違った。
 ――それは、ここに在る。
「いえ、必要ありません」
「……そっか」
 匠哉が微笑む。
 そして、歩き出した。
「月見さん……?」
「俺、やっぱり外に帰るわ」
「……え?」
「ここは俺の住む所じゃないって感じだな。屈辱的だが、真とかを頼れば外でも生きていけない訳じゃないし」
 匠哉の背中が、遠ざかって行く。
「じゃあな、緋姫ちゃん」
 緋姫は何も言えない。
 『ここは俺の住む所じゃない』――それは、緋姫も分かっている。
 でも、引き止めたかった。つまらない理屈なんて捨てて、一緒にこの街で生きて行きたかった。
 しかし、緋姫には出来ない。それは、絶対に間違っているのだから。



 イースト・エリア――深夜。
 クラウンのメンバー達が、慌しくスラムを駆け巡る。
 それを、見下ろすように。
 1人の少女が屋根から屋根へと跳び、夜空と月の下を駆ける。
「プリンセス! 止まってください!」
 数人のメンバーが、少女の前に立ち塞がった。
「何をお考えなのです!? スラムを捨て、外に住むなどと……貴方はイースト・エリアの統治者マスターなのですよ!?」
「貴方がいなくなったら、この街はかつての地獄に逆戻りしてしまいます! あの、血で血を洗う世界に!!」
 少女はその言葉に、迷いなく答える。
「この街がどうなろうが、私の知った事じゃありません」
「な……!? あ、貴方は自分が何を言っているか分かっているのですかっ!!?」
「幸福を望むなら、自分の手で掴み取りなさい。私から与えられるだけの幸福なんて、所詮は紛い物ですよ」
「……っ」
 メンバー達は難しい顔をした後、
「……仕方ないですね。申し訳ありませんが、少々手荒な方法をとらせていただきます」
 それぞれの、武具を取り出した。
 少女も、P-90の銃口を彼等に向ける。
「なら、私も教えてあげましょう――」
 メンバー達が、少女に襲いかかった。
 しかし……遅い。
 少女は引き金を引き、メンバー達を薙ぎ倒す。
「――恋する乙女は、世界最強の存在だという事を」






「――その後に私は裏ルートで星丘中学校に入学し、先輩の後輩になった訳です」
「ふーん」
「……くっ。真面目に聞く事は出来ないんですか、貴方は」
 マナは気にせず、匠哉製の弁当をムシャムシャと食べ続ける。
 緋姫はその弁当を、とても羨ましそうに見ていた。
 ちなみに、他の2人は特に思う事はないようだった。少なくとも表面上は。
「……匠哉が変な事件に巻き込まれるのは、今に始まった訳じゃないのね」
「もっと平穏に生きる事は出来んのか……あの男は」
 要芽と瀬利花が、呆れた表情で言う。
「あ、一応言っておくけど」
 マナは弁当から顔を上げ、
「匠哉が毎度毎度大変な目に遭うのは、私のせいじゃないから」
「……どの口でそんな事言ってるんですか?」
 緋姫のツッコミを、マナは普通に無視スルー
「それは間違いなく、匠哉自身の属性としての不幸。貧乏わたしは、不幸の一要素に過ぎないんだよ」
「…………」
 絶望的なほど可哀想な話に、一同は言葉を失う。
 ――すると。
「いやー、弁当一食の値段より安いラーメンなんて、奇跡の産物だよなぁ」
「ぐー……」
「……うぅ、所詮オイラは負け組なのさ……」
 男性陣が、屋上に現れた。
 マナは匠哉を見ると、
「あ、ギャルゲーの主人公が来た」
「待て。何の話だいきなり」
「ラヴコメの主人公でも可。むしろ、そっちの方が適切かも」
「…………」
 匠哉は、少し間を置く。
「よく分からんが……とりあえず反論はしておこう。マナ、俺にはラヴコメの主人公として致命的に欠けているものがある」
「……何?」
 フッと、匠哉は笑い、
「俺に想いを寄せてくれるヒロインがいない。それじゃあラヴコメもクソもないだろ」
「…………」
 マナはしばらく眼をパチクリさせた後、不自然なほど晴れやかな笑顔に変わり、
「匠哉。黄泉あっちに逝ったら、私のお母さんによろしく言っておいてね」
 そう言い残し、逃げるように屋上から去って行った。
「……何なんだ? 意味が分からん……」
 と、その時。
「先輩……」
 凍えるような緋姫の声が、背後からした。
 振り返ってはいけない。匠哉の生存本能がそう叫ぶ。
 しかし身体に刷り込まれた条件反射により、匠哉は後ろを見てしまった。
 ――予想に反して、緋姫だけではなかった。
「『怛刹那・断末魔』――連斬ッ!」
「――『地獄巡礼』!」
「――『メイド・ハンマー』ッ!!"MAID HAMMER"!!
 屋上の半分が、吹き飛ぶ。
 とばっちりを食った真とパック、さらには昼食を楽しんでいた無関係の生徒達までもが巻き込まれ、仲良く空を舞った。
 これ殺人事件だよなぁ、などと思いながら、匠哉は迫ってくる地面を見る。
 だが同時に、こうも思っていた。
(……死んで楽にしてくれるほど、この世界は俺に優しくないよな)
 それは数時間後、病院で目覚めた時に証明される事となる。





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