「匠哉、何事にもチャレンジ精神が大切なんだよ」
「…………」
「だから、これもその一環。どれだけ短い時間で、登校する事が出来るか――そのチャレンジ」
「……言いたい事はそれだけか? お前の寝坊で遅刻寸前全力疾走であるこの状況に対する言い訳は、それだけか?」
 俺とマナは、学校に向けて爆走する。
 おそらくこの星丘市の中で、今1番高速で移動しているのは俺達だろう。
「とはいえ……ダメだ、今回はさすがに間に合わねぇ!」
 く……っ! これは遅刻決定か!?
「まぁまぁ、匠哉。長い人生、そういう事だってあるよ」
「黙れ貧乏神ッ!!」
 ――その時。
「きゃああっ!」
「うわ、逃げろ!!」
 人々の悲鳴が、街に響いた。


ビンボール・ハウス3
〜魔法冥土奮闘記〜

大根メロン


「え、何? 何が起こったの?」
 逃げ惑う人々を見、マナが呆然とする。
「……多分、また『ゴグマゴグ』が出たんだろうな」
大地の敵ゴグマゴグ?」
 マナが首を傾げる。こいつがそんな事をやっても、可愛くも何ともない。
「何だ、知らないのか? ずっとこの街に住んでたんだろ?」
「住んでたって言っても……家に引き篭もってただけから、外の事はあまり知らないんだよ」
「ふーん……」
 人々の向こうに、3人分の人影が見えた。
 だが、人と言うには大きすぎる。普通の人間の、2倍以上のサイズがあるのだ。
 ――何故なら、ソレは人間ではない。
「あれがゴグマゴグ。数ヶ月前からこの街に現れるようになった、巨人族だ」
「……匠哉。冷静に解説してるけど、逃げなくていいの?」
 3人のゴグマゴグは進路にある物を破壊しながら、俺達に近付いて来る。
「うん、逃げた方がいいな」
「やっぱり」
 俺とマナは、ダッシュで来た道を逆走する。
 ……ま、これで遅刻の言い訳は出来るだろう。
「で、どーするの? あのまま暴れさせておく訳にはいかないんじゃない? ああいう魔物ジャックを狩るのは、退魔師である瀬利花とかの仕事だけど……」
「ああ、その点に関しては心配いらない。この街には、ゴグマゴグと戦うヒーローがいるんだ。……ヒーローと言うよりはヒロインか」
 俺にまだまだ余裕があるのも、そのおかげである。
 ――そして。
「そこまでよ、ゴグマゴグッ!」
 その力強い声が、巨人達の動きを止めた。
 天から舞い降りる天使のように、1人のメイドがゴグマゴグの前に立つ。
「――ってメイド!!?」
 マナが叫ぶ。まぁ、無理もないが。
「何あれ!? ツッコミ待ちか何かなのッ!?」
「安心しろ。誰もお前にツッコミなど期待しとらん」
「じゃあ匠哉がツッコんでよ! 星丘高校ツッコミストランキング第四位の匠哉がさあッ!!」
「今までに何度もやった。もう疲れたよ」
 俺達がそんな事をしている間に、
魔法冥土マジカル・メイドカナメ――見参。覚悟しなさい、ゴグマゴグッ!」
 メイドと巨人の戦闘が、始まった。



「オオオオオッ!」
 がむしゃらに、ゴグマゴグ達が拳を振るう。
 だが、そんな乱雑な攻撃はカナメにはヒットしない。
「はぁっ!」
 炸裂する、カナメの蹴り。
 ゴグマゴグのひとりが、ボールのように蹴っ飛ばされる。
 他のふたりも、それに一瞬だけ気を取られた。
 ――だが、その一瞬が命取り。
深き森の真夏の夜、妖精達は踊り歌う!Fairies dance and sing in a deep forest on the midsummer night!
 カナメの手に、巨大な長柄のハンマーが現れる。
スペシャル御奉仕!Special service! 『メイド・ハンマー』ッ!!!"MAID HAMMER"!!!
 そして、そのハンマーでゴグマゴグ達を殴りつけた。
「オオォォオオ……!?」
 巨人達が、チリとなって崩れ落ちる。
「……強っ」
 マナが、ボソリと呟く。俺も、初めて見た時はそう思った。
 カナメはハンマーを消すと、空を飛んで去って行く。
 街の人々が彼女に、次々と感謝や賛辞の言葉を捧げた。
「……何が何だか分からないよ」
 そのマナの言葉は、人々の声によって掻き消された。








「何度やっても、いろんな意味で疲れるわね……」
 カナメは人目に付かない所まで来ると、頭の変身カチューシャを外した。
 光に包まれ、メイド服が星丘高校の制服に変わる。
 魔法冥土マジカル・メイドカナメから、星丘高校2年生――古宮要芽ふるみやかなめへと戻ったのだ。
「お疲れ様なのさー」
 注意しなければ、聞き逃しそうな声。
 小さな妖精がパタパタとはねを動かし、飛んで来ていた。
 要芽に魔法冥土マジカル・メイドの力を与えた、英国ブリテンの妖精――パック=ロビングッドフェロウである。
「……ねぇ、パック。私はいつまでこんな事をしなきゃならないの?」
「そりゃ勿論、ゴグマゴグが絶滅するまでなのさ」
「…………」
 要芽が、はぁと溜息をつく。
「……仕方ないわね。ほら、早く学校行くわよ」
「了解なのさ」
 パックは鞄にくっ付き、キィホルダーに擬態する。
 要芽はその鞄を肩にかけると、星丘高校に向けて歩き出した。








 ――教室。
「珍しいな、級長が遅刻するなんて」
「……そう?」
 俺の言葉に、級長は曖昧な顔で答える。
 朝の騒動により、俺と貧乏神は見事遅刻した訳なのだが……遅刻したのは、俺達だけではなかった。
 このクラスの級長――優等生の要芽も、遅刻していたのである。
「遅刻の原因はあれか? 朝のゴグマゴグ事件のせいで遅れたとか」
「ええ、そうね。まったくその通り」
 やっぱり、俺達と同じ理由だったようだ。
 ……まぁ、俺とマナは騒動に巻き込まれなくても遅刻しただろうが。
「ゴグマゴグ、かぁ」
 マナが自分の席で、ひとり呟く。
「厄介な話だね」
「本当よ。早く解決してほしいわ」
 級長が、それに同意した。
「しかし、ゴグマゴグと同じくらいあのメイドも気になるよな」
「そうだねぇ。あの時使ってた魔法は、妖精の系統っぽかったけど」
 俺の言葉に、貧乏神がうんうんと頷く。
「そう言えば、級長と同じ名前だよね」
 ビクリと、級長が震えた。
「メ、メイドの事はどうでもいいじゃない。ねえ?」
「……?」
 どうでもいい訳ないと思うが。彼女がいなければ、この星丘市はゴグマゴグに征服されていただろうし。
 ……いや、瀬利花あたりが掃討したかも知れないが。
「ほら、授業が始まるわよ。席に戻りなさい」
 級長は不自然なほどに突然話を終わらせると、俺を自分の席の方に押し出す。
「……級長の様子がおかしい気がするんだが。何だと思う?」
 俺は席に座ると、後ろの席に向かって言った。
 ――返って来た言葉は、たった1つだけ。
「ぐー……」



 ――放課後、下校時。
「この話、授業の描写が一切ないよなぁ」
「別に、面白い事もないからいいじゃん」
 俺とマナは異次元の会話をしながら、家に向かって歩き続ける。
 ――すると。
「匠哉……」
「ああ、また出たみたいだな」
 前方に、暴れ回る巨人達の姿が見えた。
「どうする? さっさと、私が殲滅するって方法もあるけど」
「いや、その必要はないみたいだ。我等が魔法冥土マジカル・メイドの登場だよ」
 流星のように天を駆け、カナメが現れる。
深き森の真夏の夜、妖精達は踊り歌う!Fairies dance and sing in a deep forest on the midsummer night!
 そして、着地と同時に、
スペシャル御奉仕!Special service! 『メイド・ハンマー』!"MAID HAMMER"!
 ハンマーの一撃で、数体のゴグマゴグを消滅させた。
「まったく、次から次へと……! こっちはいい迷惑よッ!!」
 カナメはハンマーを振り回し、残ったゴグマゴグを斃してゆく。
「相変わらず強いなぁ。これなら、すぐに片付くだろ」
 瀬利花と闘ったら、どっちが勝つだろうか? 怖いので想像はしないが。
「……ん? どうした、お前?」
「…………」
 マナが、普段の様子からは考えられないような真剣な表情で、闘いを見ていた。
「……匠哉」
「な、何だ?」
 その表情に、少しだけ気圧される。
「まずいかも。強い奴が来るよ」








「これで……終わりよッ!」
 カナメのハンマーが最後の1体を打ち、チリに変える。
「……ふぅ」
 カナメは気を抜き、武装を解除しようとしたが、
『終わってないのさ! まだいるのさッ!』
「――!?」
 パックからの念話が、それを止めた。
「嘘、だってもう全員――」
 その時、カナメは気付いた。
 ある程度の距離を取り、カナメを観察するひとりのゴグマゴグに。
「……何で? こんなに近くにいるのに、まったく気配を感じなかった……」
 そのゴグマゴグが、ゆっくりと歩み始めた。
 ……右手に水が集まり、一振りの水剣が作り出される。
『あいつは……アルビオン!? そんな、信じられないのさ……っ!!』
「ちょっと、どういう事よ? ちゃんと説明しなさい!」
『カナメ、逃げるのさ! そいつは、かつてブリテン島を支配していたゴグマゴグの始祖――アルビオンなのさっ!!』
「ゴグマゴグの始祖、アルビオン……!?」
 ――その瞬間。
「    。  、     」
 アルビオンは、人間の脳では理解出来ない言葉で、何かを語った。
 そして、水剣が一閃。
「え……?」
 カナメのメイド服が、赤く染まる。
 ……水剣が、水圧カッターのように彼女の身体を斬り裂いていた。
「そん、な……」
 精神を蝕む死の感触と共に、カナメの意識が失われる。
「くっ……まずいのさ……!」
 パックは戦場に空間転移し、カナメを護るようにアルビオンの前に立ち塞がった。
 だが、それが無意味だという事はパック自身が1番良く分かっている。非力な妖精など、水剣の一撃で背後のカナメごと真っ二つにされるだろう。
「せめて、もう少し時間があれば……転移して逃げる事も出来るのにさ……」
 アルビオンが、水剣を振ろうとする。
 パックは全てを覚悟し、ぎゅっと眼を瞑った。
 ――だが。
「『貧乏サンダー』ッ!」
「――!?」
 1発の雷撃がアルビオンに命中し、怯ませる。
「今の内に、早く!!」
「わ、分かったのさ!」
 バックは救い主が誰かを見る事すらしないまま、カナメと共に戦場から転移して行った。



「これは酷いのさ……」
 パックは血を流し続けるカナメの傷に、回復魔法ヒーリングを施す。
 それでも、カナメの顔色は悪くなっていくばかり。
「うぅ……助けるのさ、絶対に助けるのさ……」
 パックはポロポロと涙を落としながら、術をかけ続ける。








「――『貧乏パンチ』!!」
 マナの拳撃が軽々と、アルビオンとかいうゴグマゴグの身体を弾き飛ばす。
「  、   !?」
 アルビオンは水剣で反撃するが、マナのバリアーにはまったく通じない。
「こいつで……トドメ! 『貧乏キック』ッッ!!!」
 マナの足が、アルビオンの身体を貫いた。
 ――だが。
「な……っ!?」
 アルビオンが形を失い、水と化す。
 何だ? 何が起こった!?
「――水で作った変わり身!? しまった、逃げられたッ!!」
 マナは唇を噛み締めながら、悔しそうに言った。
「マナッ!」
「ごめん、匠哉。しくじっちゃった」
「いや、それはいいんだが……」
「……問題は、あのメイドだよね」
 そう、カナメだ。さっき、アルビオンの斬撃で負った傷……かなり深かったように見えた。
「はっきり言って、生きてるかどうかも微妙だと思う。それに……命を取りとめ、回復したとしても、もう今までみたいには闘えないだろうね」
「……どうして? 後遺症とかが残るって事か?」
「後遺症――ま、ある意味そうだけど」
 マナが、ふぅと息をつく。
「彼女は、もう2度と闘えない。さっきの戦闘で刻まれた恐怖が、彼女をゴグマゴグとの戦いから遠ざけるはずだよ」






 ――数日後、星丘高校。
 あの日から、カナメは現れなくなった。
 ゴグマゴグの方は霧神家に退治依頼が来たらしく、瀬利花が斃し続けている。
 おかげで、被害のレヴェルは以前と変わっていないのだが――
「……やっぱり、しっくり来ないんだよなぁ」
 彼女はどうなったのだろう?
 死んでしまったのか。それとも、マナが言っていたように戦えなくなってしまったのか。
「それに、『かなめ』と言えば……」
 最近、級長が学校に来ていない。皆勤賞の代名詞みたいな存在だった、あの級長が。
「やれやれ、どうしたものかね」
 ……まぁ、俺に出来る事など何もないのだが。








 ――古宮家。
「……要芽」
 パックは、ベッドの中に潜り込んでいる要芽に、静かな声で語りかける。
「また、ゴグマゴグが出たのさ」
「……だから、何?」
 要芽は顔すら見せずに、冷たく答えた。
「別に、私が戦う必要なんてないでしょう? 現に、被害は増えてないんだから」
「……でも」
「嫌なの」
 彼女の口から出てくるのは、拒絶と否定の言葉ばかり。
化生バケモノ妖魔バケモノ異神バケモノ幻想種バケモノ魔化魍バケモノ……そんなのと戦うのは、もう嫌なのよ! 最初の頃は私も弱くて、戦う度にボロボロになった。だけど、最近はようやくまともに戦えるようになった……なったと思ってた!」
「…………」
「でも、それは夢幻に過ぎなかった。私は、何も変わってなかったのよ! アルビオンに斬られた瞬間――あの恐怖は、どんな言葉を使っても説明出来ないわ」
「……要芽」
「とにかく嫌。戦うのも、辛いのも、苦しいのも、怖いのも、死にかけるのも……全てが嫌。私がこうしていても問題ないのに、どうしてわざわざ自分からそんな目に遭いに行かなきゃならないのよ?」
「…………」
 バックは、何を言えばいいのか分からない。
 しばらくすると、諦めたかのように要芽の部屋から出て行った。
 ……要芽が、ベッドの中で震えている事にも気付かずに。








 ――放課後。
 俺はバイトを終え、夕飯の材料などを買いにスーパーへと向かっていた。きっと、家では貧乏神が腹をすかせて待っているだろう。
 ……だが、思わず足を止めてしまった。
 何故なら――前方に、妖精がいたからだ。
(……この前、カナメと一緒にいた妖精だよな)
 その妖精はまだ俺に気付いていないらしく、元気なさそうにフラフラと飛んでいる。
 ……どうしよう?
(とりあえず、話しかけるか? カナメがどうなったのか気になるし)
 俺は妖精に近付き、声をかけた。
「もしもし、そこの妖精さん?」
 妖精が、こちらを見る。
「……何なのさ?」
 その妖精は、泣いていた。



「じゃあ、やっぱりカナメは戦えなくなったのか」
「……そうなのさ」
 俺達はバス停のベンチに腰を下ろし、話を続ける。
 パックと名乗ったこの妖精によると、カナメは一命は取り留めたのだが、戦う事に対して怯えるようになってしまったらしい。
 ……貧乏神の、予想通りという事だ。
「それにしても、あの時の事を見ていた人がいたなんて知らなかったのさ。もしかして、助けてくれたのもキミなのさ?」
「いや、それは俺じゃないんだ」
「……ふーん。まぁ、いいのさ」
 パックが、翅をパタパタと動かす。人間が、足をブラブラさせるのと同じような事なのだろうか。
 俺は以前から思っていた疑問を、訊いてみる事にする。
「なぁ、パック。何で、メイドに変身する必要があるんだ? 普通に、魔女っ子とかでもいいんじゃないのか?」
「……匠哉。オイラ達――夜の住人は、魔女なんて言葉を使っちゃいけないのさ」
「どうして?」
教皇庁ヴァチカンに弾圧されるのさ。ローマには、『魔女の鉄槌マレウス・マレフィカルム』を聖書に次ぐ書だと思っているバカが、今でも山ほどいるのさ」
「……ああ、そう」
 眩暈がするような話だ。
「んで、どうしてメイド?」
「そんなの、決まってるのさ。メイドは英国ブリテンの誇りだからなのさ」
「…………」
 ……まぁ、そういう事にしておこう。
「じゃあ、ゴグマゴグは一体何なんだ? 確か、大昔にブリテン島に棲んでいた巨人の名前だったと思うんだが」
「その通りなのさ。ただ知っての通り、今では黙示録の記述のように、巨人の民の総称として使われているのさ」
「…………」
「ある日突然、ゴグマゴグはブリテン島に現れたのさ。でも、ブリテン島はオイラ達の先祖が見つけ出した常若の国ティル・ナ・ノグ巨人族ジャイアンツなんかに渡す訳にはいかなかったのさ」
「ゴグマゴグと、戦ったのか?」
 バックは、首を振る。
「神格を失い妖精となったオイラ達に、ゴグマゴグと戦う力なんてなかったのさ。でも……そんな時、救世主が現れたのさ」
「……救世主?」
「イタリアから追放されて来た、英雄アイネイアスの曾孫である少女――ブルータスなのさ。彼女は妖精から、今のカナメのように魔法冥土マジカル・メイドの力を授けられ、ゴグマゴグと戦ったのさ。ブルータスは鬼神の如き強さで巨人達を斃してゆき、連中をブリテン島から追い払ったのさ」
 ああ、そして新しいトロイアトロイア・ノヴァ――今で言うロンドン――を建国したんだよな。
 ……って、ちょっと待て。
「――『少女』!?」
「……? 当たり前なのさ。男をメイドにしてどうするのさ」
「そ、それはそうなんだが……」
 どうやら、俺は知られざる歴史の1ページを覗いてしまったらしい。
「ところで、匠哉。当時、ブリテン島はまだブリテンという名ではなかったのさ。……何という名だったか、知っているのさ?」
「……ああ、知ってるよ」
 俺は一呼吸置くと、その名を口にした。
「『白い国アルビオン』――だろう?」
「……そうなのさ」
 パックの表情が、暗くなる。
「島の南部海岸にある、白亜アルバの絶壁からそう呼ばれるようになったのさ。そしてそれは、巨人の王の名でもあったのさ」
「…………」
「海神ポセイドンとアンフィトリテの間に生まれた、海の巨人――アルビオン。奴の力は絶大で、ブルータスも結局トドメを刺す事は出来なかったのさ」
 なるほど。道理で強かった訳だ。
 ……貧乏神は、それよりもさらに強かったが。
「……でも、どうしてゴグマゴグは今になって星丘市に現れたんだ? ブリテン島と同じ、島国だからか?」
 でも、それだと星丘市だけに出て来る理由が説明出来ないよなぁ。
「分からないのさ。でも……あの禍津神が、この街に留まり続けている事と関係があるのかも知れないのさ」
 禍津神――災いの神、って事か。
 って、そんなヤバそうなのがこの街にいるのか? 俺の知る限り、この街にいる神なんてあの貧乏神しか――

『禍――それも大禍を司る神だったこの私が、小童の睨みに敗けて頭を下げるなんて』

『勝手に私の忌み名を口にしないでよ。それに、今は禍津神じゃなくて貧乏神だし』

 ……あ。
「匠哉? どうしたのさ?」
「い、いや……何でもない」
 俺流処世三原則を発動させ、気付いた事を無視する。
「それで、カナメはどうなんだ? 立ち直れそうか?」
「分からないのさ」
「……そうか。困った事だな」
「でも、カナメは何も悪くないのさ。悪いのは、戦いを背負わせたオイラ達なのさ」
 パックは飛び上がり、ベンチから離れた。
「そろそろ、オイラは行くのさ」
「ん、ああ……悪かったな、引き止めて」
「気にしなくてていいのさ。それじゃ、さよならなのさ」
 パックが、飛び去って行く。
 俺はそれを見送ると、
「……さて、と。買い物に行かないとな」
 スーパーへと、歩き出した。



「……今日は、色んな奴に会うなぁ」
 スーパーまでの道にある公園――星丘公園。
 俺はそこで、級長の姿を見つけた。
 彼女は暗い顔でブランコに座り、それを僅かに揺らしている。
 ……もの凄く、話しかけ辛い雰囲気だ。
(さて、どうする? スルーするか? でも、さすがにそれはなぁ……)
 よし、行くぞ。当たって砕けろ――それが俺の生き方だ。
「級長、こんな所で何してるんだ?」
「……!?」
 級長が、顔を上げる。
「……匠哉。貴方こそ、何してるの?」
「俺はバイト帰り。そしたら、級長の姿が見えたもんで」
「そう。私は見ての通り、黄昏てるだけよ」
「へ、へぇ……」
 ……話し辛い。もの凄く話し辛い。
「さ、最近どうしたんだ? 学校に来てないが」
「ちょっと色々あってね。現在進行形で絶望中よ」
「…………」
 ……これは、かなり重症のようだ。
 はて、困った。
「……そうだ、級長。今、ヒマなんだよな?」
「――? ええ、まぁ」
「なら、買い物に付き合ってくれ」
「……は?」
 級長の眼が点になる。
「いやー、助かった助かった。これで少しは楽が出来る」
「って、女の子に荷物持ちをさせる気!?」
「……級長。俺にとって『女の子』って言葉は、不死身の怪物を意味するんだよ」
 マナとか緋姫ちゃんとか瀬利花とか。
「私をあの連中と一緒にしないでよ!」
「聞く耳は持たない。さぁ、れっつごー」
「ちょ、ちょっとっ!?」
 俺は級長の手を掴み、歩き出した。



「今日の夕食はカレーとサラダ。でも、買うのは新鮮な野菜だけだ」
 俺と級長は、スーパーで品物を物色する。
「どうして?」
「米はあるし、カレーも1晩寝かせたヤツがある。福神漬けも、俺が愛情を込めて漬けた自家製があるんだ」
「……何で、そんなに福神漬けにこだわってるの?」
「…………」
 俺はフッと笑い、
「その理由を問うのか? このド貧乏人に?」
「ごめんなさい。私が浅はかだったわ」
「いや、謝る必要はないさ」
 ちなみに、貧乏神には不評。まぁ、当然だが。
「という訳で、なるべく新鮮な野菜を捜索。あ、でも安ければちょっとくらい悪くてもいいや。どうせ、食うのは俺とマナだけだし」
 ……その辺が、貧乏人の悲しい性である。



「荷物運びが楽だ……」
「そう、それは良かったわね」
 俺と級長は両手にビニール袋を持ちながら、横断歩道で信号が青になるのを待つ。
「悪かったな。キャベツが特売してたから、つい買い込んでしまった」
「……それで? どうして、その大量のキャベツが私の両手にぶら下がっているの? おかげで、凄く手が痛いんだけど」
「運命だな」
「死になさい」
 信号が青になると同時に、キャベツ入りの袋が俺の顔面にクリーンヒット。
「……分かった。俺が持とう。いや持ちます。だから、第二撃は勘弁してください」
「最初からそうすればいいのよ」
 キャベツの移民達が、級長国から俺国へ。
 当然、俺政府は大変。ってか、重い。
「ところで、匠哉」
「ん? どうした? またキャベツが持ちたくなったか?」
「そうじゃないわ」
 級長が、小さな声で言う。
「さっきから、変な人達につけられてる気がするんだけど」
「うむ。きっと、この街で闇金融やってる『大根組』の皆さんだろう」
「……893?」
「その通り。俺からカネを巻き上げようとする、怖いお兄さん達」
「借りたものくらい、ちゃんと返しなさいよ」
「借りたのは俺の両親なんだが」
 青信号が、点滅し始める。
 そして、赤に変わった瞬間に。
「行くぞ、級長!」
「貴方、毎日こんな事してるのっ!?」
「凄いだろう!」
「色んな意味でね!!」
 ――疾走。
 俺達は、一気に横断歩道を渡った。
 お兄さん達が追おうとしているが、走り始めた車に阻まれて動けない。
 しかし俺達は気を抜かず、しばらくの間走り続けた。



「よし、ここら辺まで来れば大丈夫だろ」
「……酷い目に遭ったわ……」
 俺達は疾走の果てに、星丘公園まで戻って来ていた。
「にしても級長、よく奴等の尾行に気づいたな。大根組の借金徴収班は、あのマンモンから対俺用の戦術を学んだプロ集団。一般人に尾行を悟られるほど、甘くはないはずだが」
「私も、ハードな生活してるから」
「……ふぅん」
 俺は、ビニール袋を持ち直す。
「じゃ、俺は帰るわ。級長も、少しは元気マシになったみたいだし」
「……!?」
 級長が、驚いたように俺を見る。
「匠哉、貴方――」
 彼女は心底不思議そうな眼で、
「……何があったのか、訊かないの?」
「訊いて欲しいのなら訊くが……そうじゃないなら、別に。俺が知ったって、得する訳じゃなさそうだし」
「…………」
「じゃあな。なるべく早く復活してくれよ。級長は、あの学校の最後の良心なんだからな」
 そう言って、俺は公園の出入口に向かう。
 ……だが。
「マジかよ……」
 すぐに、足を止める事になった。
 俺と、その存在に気付いた級長が、同時に言う。
「……ゴグマゴグ!」



 公園の出入口を塞ぐようにして立つ、数体のゴグマゴグ。
 そいつ等が、ゆっくりとこちらへ歩き始めた。
「匠哉……!」
「大丈夫だ、ゴグマゴグは動きがのろい。落ち着いて逃げれば――」
 しかし、次の瞬間。
 周囲の空間が歪み……俺達の退路と希望を断つかのように、続々とゴグマゴグが現れる。
 ……完全に、包囲されていた。
「おいおい、笑えない事になって来たな……」
「…………」
「……級長? 大丈夫か?」
「嫌――嫌ぁ! もう嫌よぉっ!!」
「お、おいッ!!?」
 級長が、尋常じゃない様子で震え出す。
 何だか分からんが……とにかく、この状況をどうにかしなければ。
 と、その時。
「匠哉……それに要芽!?」
 ひとりの妖精が、俺達の元に飛んで来た。
「――パック!? どうしてここに!?」
「ゴグマゴグの気配がしたからに決まってるのさ!」
 ああ、そりゃそうか。
 でも、こいつ……級長と知り合いなのか?
「要芽……」
 パックが一瞬だけ、悲しそうな眼で級長を見た。
「……ッ」
 級長は、それから眼を逸らす。
「で、パック。俺達は、どうやったら生き延びる事が出来る?」
「……分からないのさ」
「うぉい」
 ……役に立たない妖精だな。
「ったく、仕方ない。俺が何とかするよ」
 転がっていた、1mほどの鉄の棒を手に取る。遊具の資材か何かだろう。
「む、無茶なのさ! そんな棒じゃ、ゴグマゴグの鋼鉄みたいな皮膚には傷1つ――」
「ま、見てろ」
 俺は、ゴグマゴグの1体に向けて跳び出す。
 ――そして。
「うおりゃ!」
 ゴグマゴグの眼に、渾身の力を込めて鉄棒を突き刺した。
「ウォォァァッ!?」
 眼球を貫いた鉄棒の切っ先は、そのまま脳に達する。
 いくら巨人族といえども、耐えられるはずはない。
 ――ゴグマゴグが、チリと化す。
「やっぱりね。鋼鉄みたいな皮膚って言っても、眼ばかりはそうはいかないみたいだな」
 俺は、ニヤリと笑う。
「…………」
 級長とパックは、完全に言葉を失っていた。
「さっさと帰らないと、貧乏神がうるさいんだ。悪いけど消えてもらうぞ」



「おらぁ!」
 最後の1体の頭を、鉄棒が貫く。
「ふぃ〜……やっと終わったか」
 ゴグマゴグを全て斃した俺は、思わず倒れそうになる。
「匠哉!」
 そんな俺を、級長が抱き留めた。
「ちょっと、大丈夫なのっ!?」
「……大丈夫じゃない。どう考えても」
 実は俺、ボロボロである。
 ゴグマゴグの拳撃は、傍を通っただけでも気絶しそうな代物だ。それを、何発か受けたのである。
 ……さすがに、無傷で勝つのは無理だったようだ。
「す、すぐに治すのさ!」
 パックが俺に近付き、何事か唱え始める。
 ……少しずつ、痛みが消えてゆく。
「匠哉……」
 俺の頭に、水滴が落ちた。
「貴方は凄いわね。本当に凄い」
「級長? 泣いてんの?」
「……泣いてなんかいないわ。雨が降って来ただけよ」
「あ、そう」
 本当に雨が降っているのか確かめるため、俺は公園を見回す。
 ――そして、それに気づいた。
「匠哉……?」
「…………」
 級長の声も、まともに聞こえない。
 俺の背筋に、冷たいモノが走る。
「あ……ッ!!?」
 級長とパックも、俺と同じ光景を見た。
 そこに佇んでいるのは、白亜の巨人。
「    。     」
 諸国の民ゴグ・マゴグの王――アルビオン。
「……今日は厄日だな」
 俺は棒を杖代わりにして、何とか立ち上がる。
「級長、パック。俺があいつに特攻するから、その隙に逃げろ」
 アルビオンがふたりを見逃してくれるかどうかは分からないが、そこまでは責任持てない。
「ちょ、ちょっと待つのさ」
 パックは信じられないものでも見たかのように、
「特攻って、死ぬつもりなのさっ!?」
「出来れば死にたくないが、多分死ぬだろうな」
 貧乏神がいれば、全部あいつに任せて終わりなのだが。まったく、肝心な時に役に立たない。
「死ぬって……そんなのダメよ!」
 級長が、俺に言う。
「何で? 長生きしたって、いい事ばかりがある訳じゃないだろ。だったら、死ぬべき時に死んだ方がいい」
「でも、でも……! ほら、マナは家で貴方の帰りを待ってるんでしょうっ!!?」
「あんな奴の事なんか、心底どうでもいいんだが」
 俺はアルビオンに向け、1歩を踏み出す。
「あ……」
 級長はまだ何か言いたそうだったが、続く言葉はなかった。
 ……しかし。
「1人でカッコつけてるんじゃないのさ」
 パックが、俺の隣に並んだ。
「お前……?」
「ゴグマゴグは、オイラ達――英国妖精の敵なのさ。その役目、本来はオイラが担うべきなのさ」
「……そうかい。なら、ふたり仲良く死のうか」
 俺とパックは、アルビオンの元へと進んで行く。
 白亜の巨人は、待ち構えているかのように動かない。
「匠哉。キミには、アルビオンに突っ込んで行って、見事に玉砕してほしいのさ」
「お前、それは俺に無駄死にしろと言ってるのか?」
「違うのさ。匠哉がそれによって稼いだ僅かな時間で、オイラは妖精族フェアリィズに伝わる禁忌の魔法を発動させるのさ。ソレを使ったらオイラは死ぬけど、アルビオンを道連れに出来るはずなのさ」
「……なるほど」
 この状況で出来る戦法の中では、おそらく最善だろう。
 俺は後ろを見、級長に言う。
「じゃ、そういう事だから。上手く逃げてくれ」



 要芽はアルビオンと戦おうとするふたりを、ただ見るしか出来なかった。
 匠哉が、駆ける。
深き森の真夏の夜、妖精達は踊り歌う――Fairies dance and sing in a deep forest on the midsummer night――
 それと同時に、パックが呪文を唱え始めた。
 このままでは、取り返しのつかない事になる――それが分かっていても、要芽は動けない。
シェイクスピアと契約せし外なる神よOuter god who contracts to Shakespeare
 パックの呪文が、続く。
 アルビオンが水剣を生み出し、構えた。
 ……それは勿論、向かって来る匠哉を斬り捨てるため。
(だ、め……!)
 それが絶望的な結末を呼ぶと理解出来ていても、要芽は動けない。
我は汝の子等と同じ混血の者I am a person of the mixed blood as well as your children
 パックの声に応えるかのように、辺りに名状しがたい空気が漂い始める。
(どうして、よ……っ!!)
 動こうとしない自分自身に、要芽は激しい怒りを覚えた。
 しかし……それも、アルビオンへの恐怖を上回りはしない。
 不甲斐なくて、情けなくて、要芽は涙を落とす。
 それでも最後の意地で、彼女は戦場を睨んだ。
 ……今まさに、水剣が匠哉に振り下ろされようとしていた。
我は、我を汝への贄とせん!I make me the offering to you!
 一際大きな声で、パックが言う。
『       』よ、その門を開き給え――!Please open the gate "Yog-Sothoth"――!
 ――その時、要芽は気づいた。
(……え?)
 匠哉は、要芽を見ていた。
 自分が殺される寸前の、その瞬間でも。
 要芽が無事に逃げる事が出来るかどうかを、確認するために。
(あ、なたは……っ!!!)
 要芽の頭が、カッと熱くなる。
 さっきの自分に対する怒りなどとは比べ物にならない、激しい怒り。
(――私の心配なんて、してる場合じゃないでしょうッ!!)
 要芽は自分が他人を想ってここまで怒れる事に不思議さを感じながらも、その激怒を込めて戦場を見る。
(貴方が死んだら、私は困るのよ……!)
 要芽の足が、前に出た。
 アルビオンへの恐れは、変わっていない。要芽の強さも、変わっていない。
 そして……彼女の心も、何も変わってはいない。ただ、要芽は重要な事に気づいただけだ。
 匠哉がいなくなるかも知れないと思うだけで、要芽は大声で泣き叫びたい衝動がこみ上げて来る。その痛みに比べれば、感じていた恐怖など塵芥に等しい。
 どうして、そんなに匠哉を護りたいのか――考えてみたが、何となく気に入らない答えしか出なかったので、それは無視する事にした。
 要芽はポケットを探る。
 それはいつもと同じく、そこにあった。








 空気が裂ける、音がした。
「――!?」
 それと共に、俺に振り下ろされようとしていた水剣が砕け散った。
 水剣を砕いたそれが、地面に突き立つ。
「ハンマー……?」
 それは、巨大なハンマーだった。
 ――カナメが使っていた、あのハンマーである。
「え……!?」
 それを見たパックが、魔法の発動を止めた。
 俺達は、同時にハンマーが飛んで来た方向を見る。
「――そこまでよ、ゴグマゴグ」
 覚えのある台詞。カナメが、いつも言っていた台詞だ。
 だが、その言葉を発したのは――級長。
 彼女はさっきまでとは別人のような、気迫に満ち溢れた様子でアルビオンを睨む。
「級、長……?」
「下がりなさい、匠哉。ここは、貴方が死ぬべき場面じゃないわ」
 級長が、俺の前に出る。
 その背中には、恐れも何もない。
「変身もしないで魔装ハンマーを顕現させたのさ……!? 要芽に、それほどの力が――!?」
 パックが、半分放心したような状態で言う。
 級長はパックを見ると、
「パック、面倒をかけたわね。でも、もう大丈夫だから」
「……要芽!」
 パックの顔に、輝くような笑顔が浮かぶ。
 ――そして。
「覚悟しなさい、アルビオン――」
 彼女は、ポケットから白いカチューシャを取り出した。
「この前の借り、全部まとめて返してあげるわ」
 そのカチューシャを頭に付けると同時に、級長の姿が光に包まれる。
「な……っ!!?」
 ……嘘、だろ?
 光が消えた時、そこには信じられない光景があった。
魔法冥土マジカル・メイドカナメ――」
 そんな、級長が……!!!?
「――見参」



「はぁぁぁぁぁッ!」
「   、     !!」
 ハンマーと水剣が、激しくぶつかり合う。
 水剣による十の斬撃をハンマーによる十の防御で止め、ハンマーによる百の打撃を水剣による百の防御で止める。
 互いに1歩たりとも退かず、凄まじい技の応酬が続く。
「……パック」
「何なのさ?」
「級長が……メイドの正体だったのか?」
 パックが頷く。
「ずっと、ああやって戦っていたのさ」
 アルビオンの水剣が、級長のハンマーを弾き飛ばす。
「戦ったって、得する事なんて何もないのさ。辛いだけ、苦しいだけ、怖いだけ、死にかけるだけなのさ。別に要芽がやらなくても、他の誰かがやってくれる事なのさ。それでも……要芽は、自分でやる事が大切なんだと知ってたのさ」
「……そっか」
 なら、俺のするべき事は1つだ。
「行け、級長! そいつをブッ飛ばせッ!!」
 俺の応援に応えるように、級長の口元に笑みが浮かぶ。
 次の瞬間、彼女の拳がアルビオンの顔面に突き刺さった。
 アルビオンの巨体が、音速じみたスピードでジャングルジムに突っ込む。
「  、   !」
 放たれる、水剣の斬撃。
 だが級長の手には、既にハンマーが戻って来ている。防御など容易い。
「……凄ぇ。この前は全然歯が立たなかったのに、今は互角に闘ってる」
「カナメの能力スペックは、以前とまったく変わっていないのさ。もちろん、精神の面でも」
「じゃあ、何が変わったんだ?」
「魂なのさ。今のカナメは、身体でも心でもなく――魂で闘ってるのさ」
 ハンマーの打撃が、アルビオンにヒットする。だがさすがに、1発で斃せる相手ではない。
 カウンターで放たれた水剣の斬撃が、級長の身体を掠めた。真っ赤な血が噴き出す。
 しかし級長は、そんな事は意に介さない。痛みなど何でもないと叫ぶように、更なる打撃をアルビオンに叩き込む。
 アルビオンの顔に、初めて苦悶の様子が浮かんだ。
 皆が級長の勝利を確信した――その時。
「   。 、  !」
 ――ソレは、起こった。
「な……っ!?」
 アルビオンの水剣が急激に水量を増し、まるで洪水のように変化する。
 その水が――級長を、呑み込んだ。
 ただの洪水なら、魔法冥土マジカル・メイドにとっては何でもないだろう。
 だが、それは剣なのだ。敵を斬り裂くための、水の刃。
「――級長ッ!!?」
 想像してみて欲しい。大量の包丁が流れる川の中で泳いだら、どうなるか。
 勿論、ズタズタにされる。
 しかも、級長が受けたのは洪水の如き激流。さらには、その水自体が凶器なのだ。
 ……耐えられるはずなど、ない。
「カナメッ!!!?」
 パックが、悲鳴のような声で叫ぶ。
 そう、耐えられるはずはないのだ。彼女が魔法冥土マジカル・メイドでも、限界というものがある。
 限界が、あるのだ。
……深き森の真夏の夜、妖精達は踊り歌う......Fairies dance and sing in a deep forest on the midsummer night
 ――しかし。
 ヒーローとは、限界を迎えても、限界を超えて立ち上がるものだから。
地下の支配者たる妖精王よ。Fairy king who is ruler in underground.大地の女神たる妖精女王よ。Fairy queen who is goddess of the earth.ダーナ神族の末裔たる全ての妖精よ……All fairies who are descendants of Tuatha De Danann......
 級長は、斃れない。
 彼女は血塗れだ。前にアルビオンに負わされた傷より、どう見ても深い。
 それでも、級長は斃れない。
我は汝等の力を借り、諸国の民を滅ぼさん……!I destroy the people in nations by borrowing your power......!
 アルビオンが、退いた。
 巨人の王が、太古の神が――ただの人間の、それも傷だらけの少女を怖れて。
 級長が、駆ける。
スペシャル御奉仕!Special service! 『メイド・ビッグバン』ッ!!!"MAID BIG BANG"!!!
 光が爆発する。
 それは欠片を残すことすら許さぬように、アルビオンの身体を焼き尽くした。



「級長ッ!」
「カナメ――!!」
 俺達が走り寄るよりも早く、級長はその場に倒れた。
 血で真っ赤に染まっている彼女は、仰向きで空を見上げている。
「カナメ、カナメ! しっかりするのさっ!!」
 パックが、彼女に魔法を施す。さっき俺に使ったのと同じ、回復魔法ヒーリングだろう。
 ……しかし、級長の様子は変わらない。誰が見ても危険だと分かる量の血が、地面に広がってゆく。
「おい、級長! しっかりしろ!!」
「……匠、哉」
 彼女の口から、僅かに声が漏れる。
「見てて、くれた?」
「……ああ、見た。かっこよかった。凄くかっこよかったぞ」
「…………」
 級長が笑う。
 ……それと同時に、口から血が溢れ出す。
「匠哉……私が死んだら、悲しい?」
「……当たり前、だろ」
「私も、匠哉が死のうとした時……とても悲しかったわ。だから、もう2度とあんな事をしないで欲しいの」
「ああ、分かったよ、級長。約束する。絶対にしない。しない、から――」
 ……そこから先の言葉が、出て来なくなる。
「まったく……こんな時くらい、名前で呼んでくれてもいいじゃない……」
 級長は場違いなほど晴れた顔で、
「言いたい事や伝えたい事が、まだたくさんあるんだけど……もう、時間がないみたいね」
「……はは、斬新なジョークだな」
 俺は、乾いた笑い声を出す事しか出来ない。
 ……そうだ、これは何かの冗談だ。
「匠哉……」
 級長は笑顔で、最後にこう言った。
「……さよなら」



 静かな公園に、パックのすすり泣く声だけが響く。
 俺はただ呆然と、その場に立っていた。
 ……級長は、もう動かない。
「こんなの、酷すぎる」
 俺は誰にでもなく、呟く。
 どうして、級長が死ななきゃいけないんだ。どうして、別の誰かじゃないんだ。
 ――これが、自分で戦う事を選択した結果だというのか。
「こんなの、酷すぎる」
 もう1度、繰り返す。
 この世には神も仏もいないのかと、呪いながら――
「あーあ、大変な事になってるね」
 突然、聞き覚えのある神の声がした。



「……マ、ナ?」
「匠哉の帰りが遅かったから、気になって探しに来たんだよ」
 マナが、級長に近づいていく。
「キミは……この国の禍津神ッ!」
 パックが、マナに向かって叫ぶ。その眼には、警戒の色が強く出ていた。
「……どいつもこいつも、同じ事を何度も言わせないで。今は禍津神じゃなくて、貧乏神なの」
 倒れている級長の隣に、マナがしゃがみ込む。
「それはともかく……やっぱり、メイドの正体は級長だったんだね。何となく、そんな気がしてたよ」
 マナが、血の気のない級長の頬に触れる。
 そして――笑った。
「うん、まだ黄泉比良坂を下り切った訳じゃない。今なら、現世こっちに引っ張り戻せる」
「……え?」
 一瞬、何を言ったのか理解出来なかった。
「それって、まさか――」
「本当は神宝かんだからが全部揃ってないといけないんだけど……ま、下り切ってないから大丈夫かな」
 再び、マナは笑う。
「災いの神っていうのは、災いを起こすだけじゃなくて、災いから人を護る事も出来るの。死の国の穢れより生まれた禍津神には、死を遠ざける力があるんだよ」
 マナが、歌うようにそれを唱える。
「奥津鏡、辺津鏡、八握剣、生玉、足玉、死反玉、道反玉、蛇比礼、蜂比礼、品物比礼……布瑠部由良由良、布瑠部由良由良止布瑠部」






「おはよう、匠哉。ぐー……」
「ああ、おはよう」
 俺は睡眠男に適当な返事を返すと、自分の席に座る。
 教室はいつもの朝の風景と同じく、クラスメイト達がガヤガヤと騒いでいた。
 ――だが。
 その喧騒の中で、まるで穴が開いているかのように、誰も座っていない席があった。
 ……古宮要芽の、席である。
「やっぱり、級長はいないんだよな……」
 俺は誰にも聞こえないくらいの大きさで、言う。
 パックの話では、アルビオンを失ったゴグマゴグなど烏合の衆同然らしい。
 しかしそれでも、脅威ではあるのだ。
 ……そして今朝も現れ、暴れ回ったのである。
「朝から御苦労な事だよなぁ、まったく」
 今回は、俺と貧乏神は巻き込まれなかったのだが……魔法冥土マジカル・メイドである級長は、そうはいかないのだ。
 俺は何気なく、窓から外を眺めてみる。
 1人の女子生徒が、もの凄いスピードで駆け込んで来ていた。鞄に付いているキィホルダーが、可哀想なほど振り回されている。
 だが、さすがにもう遅いだろう。今、この教室に担任が入って来たし。
「……級長は、今日も遅刻か」





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