皆は、『一寸先は闇』という言葉を知ってるか? 人生とは、暗闇と同じ。先に何があるかは見えない。 故に備えを怠ってはならない、という意味だ。 ……とは言え。 「今日から皆さんと一緒に学校生活をエンジョイするマナです。世露死苦ー」 こんな事態に対して、備えられる事など何もないと思う。
「……色々言いたい事はあるが」 「どーしたの、そんなに恐い顔して?」 「何故お前がここにいる?」 俺は怒りをギリギリのラインで封じながら、マナに問う。 ここは、星丘高校の一室。分かりやすく言えば、俺達の教室だ。 しかし、この教室は先日爆弾で吹っ飛ばされたはずなのだが……まぁ、そんな事はどうでもいい。 問題は、さも当然のようにここにいる貧乏神だ。 ……奴が身に纏っているのは、この学校の制服である。 「匠哉、ボケたの? さっき先生から説明があったでしょ」 「……武装風紀委員撃破の功績により、お前はこの学校に特待生として入学した」 「そう」 「……特待生だから、学費は完全免除」 「月見家の家計に負担をかけない、ナイスな話だよね」 分かってる……分かってるんだが。 「納得出来ねぇ! 何だ、『武装風紀委員撃破の功績』って!!? 一体何が功績なんだッ!!?」 「現実を直視しようよ」 「何度も同じネタを使うなッ! くそぅ、この世界には直視出来ないほどの現実が多すぎるわッ!!」 俺は頭を抱えて絶叫する。 そんな俺の姿を、マナはケラケラと笑いながら見ていた。 ……貧乏神って、殺しても法律上は問題ないよな? 「ま、とにかく今日から私もここの生徒だから。一緒に青春を満喫しようよ」 「…………」 終わった……俺の青春。 俺は絶望オーラを放出しながら、廊下を歩く。 他の生徒がオーラに押され、モーセの奇跡のように道を開けた。 その中を、トボトボと進んで行く。 「匠哉、テンション低いよ? ほら、アップアップ」 俺にくっ付いている貧乏神が何か言ってるが、完全無視。 ……『俺にくっ憑いている貧乏神』、か。まったくその通りだ。はははは。 「たーくーやー!」 「ああ、うるせぇ! お前がいるのにテンションなんぞ上がるか!!」 「な、何その言い方!? まるで私が悪いみたいじゃないッ!!」 ――逆ギレ!? 「むーっ、せっかく匠哉の地味な学校生活に華を添えてあげようとしてるのに!」 「巨大なお世話だッ!」 俺は1度深呼吸し、自分を落ち着かせる。 「……いいか、よく聞けマナ。お前は、この学校には来ない方がいい。ここには、とんでもない生徒がたくさんいるからな。例えば……火器を撃ちまくる風紀委員とか」 「知ってるよ」 「寝たまま動くビックリ人間とか」 「知ってるよ」 「それだけじゃない。他にも――」 ――その時。 「見つけたぞ、月見匠哉!」 背後から、敵意に満ちた声が聞こえた。 振り返ると、そこには―― 「そう、木刀を振り回して俺を殺そうとする、『女子剣術クラブ』の部長とか――って何ィ!? しまった、見つかった!!」 そこには、背の高い……一般的には美人と評されるような、女子生徒。いわゆる大和撫子タイプだろうか。 ……まぁ、真の大和撫子は木刀を人に向けたりはしないだろうが。 「覚悟はいいか!? 今日こそ、その首を貰うッ!!」 「今までに何度も言ったが、そう簡単に首はやらん!」 俺はその殺人宣言を聞くと、一目散に逃げ出す。 「逃がすかぁ!」 追って来る、木刀女。 「……ねぇ、あのお約束っぽい人は何?」 「お約束とか言うな」 並走する貧乏神の問いに、とりあえず答えてやる。 「あいつは霧神瀬利花。とある理由で俺の命を狙う、3年生だ」 「……霧神?」 マナが、呟くと同時に。 「死ねぇぇぇぇ!」 瀬利花が、木刀を振り下ろす。 その衝撃で窓ガラスが残らず吹き飛び、床に亀裂が走った。 「――っと、危ねぇ!!」 俺はその亀裂に落ちそうになりながらも、スピードを緩めず走り続ける。 「随分と豪快な斬撃だねぇ。匠哉、あの子の流派とか家とか知ってる? さっき霧神って言ってたけど、まさか――」 「そのまさかだ。『霧神御三家』の1つ、信濃家の出身だと本人は言っている」 「……さようなら、匠哉。来世で会える事を願ってるよ」 「勝手に死ぬと決めつけるなッ!」 「だって、信濃霧神家は退魔系古流剣術の名門だし。殺しのプロだよ、あの瀬利花って子は」 ……それは俺も知っている。 霧神家は、元々は仏教の家だ。ただ少々特殊で、仏教思想の中でも輪廻を重視していた。六道輪廻――魂は生前の行いによって、様々な世界に転生するというアレだ。 だが世の中には、不死性を持ち、その輪廻の環から外れた化生の類――例えばこの貧乏神――も存在する。 そういった霧神の教義に反するバケモノを根絶やしにするために、信濃家は退魔の剣である信濃霧神流を生み出した。そして、ローマ教皇庁『異端審問部』と並ぶ退魔組織へと成長した……らしい。 「でも基本的には仏教徒なんだから、殺生はどうかと思うぞ瀬利花ッ!!」 「お前とバケモノは別だ!」 「――何故にッ!!?」 瀬利花が、地を蹴る。 彼女は軽々と俺達の頭上を飛び越え、進路を塞いだ。 「ふん、さすがは国際借金取りネットワーク『マンモン』が最も危険視する男。逃げ足の速さだけは賞賛に値する」 「……それはどーも」 瀬利花はマナに視線を移すと、 「ところで、その女は何だ? 人外の気配がするが……夜族の類か?」 「む。確かに陰陽では陰に属する者だけど、夜族呼ばわりされる筋合いはないよ」 「こいつは貧乏神のマナ。思う存分殺してもらって構わない」 「……匠哉。もしかして、私の事嫌い?」 何を今更。 「要は、ふたりまとめて殺せばいいというだけの話だな」 瀬利花は、木刀の切っ先を俺達に向ける。 「何をカッコつけてるんだか。実は泣き虫のくせに」 「……ッ!」 俺の言葉に、瀬利花がビクリと震えた。 「しかも可愛いもの好きで、たくさん猫とかウサギとか飼ってるくせに。部屋の中は、ぬいぐるみでいっぱいのくせに」 「…………」 瀬利花の瞳が、早速涙で潤む。 「……何故、知っている?」 「真が教えてくれた。どうしてあいつがそんな事を知っていたのかは、分からん」 まぁ、真だし。 「…………」 黙り込む瀬利花。 「……おい、瀬利花?」 少しずつ、俺の心臓が嫌なリズムを刻み始める。 ……まずい。からかい過ぎた。 「……地獄道に送ってやる」 生きとし生ける者全てに等しく恐怖を与える、瀬利花の声。 ――やばい、殺される! 「信濃霧神流秘伝第五十一番――」 「ちょ、待っ!」 「――『地獄巡礼』ッ!!」 木刀の一振りで8つの斬撃が生み出され、俺達に迫る。 くそ、こうなったら――! 「『貧乏神シールド』ッ!!」 「――へ?」 ……俺は、マナを盾にした。 「えっ、な――び、『貧乏バリアー』!」 斬撃が、マナのバリアーによって弾かれる。 その隙に、俺はさっさと逃げ出した。 「ひ、酷いよ匠哉! この人でなし!」 すぐに追いついて来た貧乏神が何か言ったが、気にしない事にする。 「チィッ、小癪なマネを!」 瀬利花も、すぐに追跡を再開。 ……しかし。 「そこまでだ、霧神瀬利花ッ!」 廊下にゾロゾロと銃を構えた人々が現れ、その銃口を瀬利花へと向けた。 ……包囲された瀬利花は舌打ちすると、足を止める。 「武装風紀委員!」 「と、学校の警備員だな」 「……警備員? 警備員って、学校に入ろうとする不審者を退治する人じゃないの?」 マナの言ってる事は正しいが、この学校では必ずしもそうではない。 「星丘高校警備員は、武装風紀委員と協力して暴徒鎮圧なんかもするんだ」 「……どんな人達なの?」 「元軍人の傭兵団。数多の戦場を渡り歩いた、戦争の犬達」 「…………」 マナが絶句した。 こいつにこんなリアクションをさせるとは……凄いぞ、星丘高校警備員。 「ほら。彼等が瀬利花を足止めしてる間に、さっさと逃げるぞ」 「え? あ、うん」 俺達は、廊下を走り出す。 「ねぇ、匠哉。今、足止めって言ったよね? その表現、ちょっと気になるんだけど」 「ん? だって、彼等じゃ足止めくらいしか出来ないだろうし」 「…………」 マナが、後ろを振り返る。 「殺ァァァァァァ!!」 背後から聞こえて来る、瀬利花の声。 ……マナの眼には、木刀で風紀委員や警備員を薙ぎ倒す瀬利花の姿が映っているに違いない。 「匠哉……もう全滅しちゃったよ」 「下っ端の武装風紀委員と警備員じゃ当然だ。しかし……思ったより時間がかかったな。あいつ、鈍ってるんじゃないか?」 「……何で、そんなに余裕があるの?」 いつもの事だから。 「さっさと殺されろ……っ!」 包囲を破った瀬利花が、弾かれたように俺達との距離を縮める。 「當願衆生、十方一切、邪魔外道、魍魎鬼神、毒獣毒龍、毒蟲之類、聞錫杖聲、催伏毒害、発菩提心、具修万行、速證菩提――」 瀬利花は、柄の短い携帯サイズの錫杖を取り出す。 そしてそれを、シャランと鳴らした。 「護法――前鬼、後鬼ッ!」 顕現する、2体の鬼。 そいつ等は空間を震わせるような咆哮を上げると、俺達に襲いかかった。 「護法童子を喚んだっ!? しかも、前鬼と後鬼って……役小角が従えた夫婦鬼だ! うわ凄い、1300年振りに見たよっ!!」 マナが、眼を輝かせながら言う。 「感心してる場合かぁぁ!! それと、瀬利花! 仏法の守護者である護法童子に人殺しをやらせんなっ!!」 「言ったろう、お前とバケモノは別だと!」 ……酷ぇ。 「く……っ! マナ、鬼の相手はお前に任せる!!」 「え!? 何で私ッ!?」 「俺じゃどうしようもないだろうが! 早く行けッ!」 「……まったく、仕方ないなぁ」 マナが、夫婦鬼の前に立ち塞がる。 「久し振りだね、手力雄の末裔。元気してた?」 「……御主ハ、大禍――」 「おっと、ストップ。勝手に私の忌み名を口にしないでよ。それに、今は禍津神じゃなくて貧乏神だし」 ふふん――と、マナは笑う。 「ま、それでも貴方達を滅ぼすくらいは出来るけどね。さっ、早く来なよ」 「妄言ヲッ!」 「母親ノ元ニ、送ッテヤル……!」 夫婦鬼が、その岩石のような拳をマナに振り下ろす。 だがマナはそれをヒラリと躱し、 「開け黄泉比良坂、来たれ八雷神! 『貧乏サンダー』ッ!!!」 前鬼と後鬼に、必殺の雷撃を撃ち込んだ。 「御首級――頂戴ッ!」 俺の首を狙った斬撃を、頭を下げてなんとか躱す。 「チィ、往生際の悪い……!」 「そんなに怒るなよ。飼い猫のみぃちゃんが怖がるぞ」 「ああぁぁああああああッッ!!!!」 顔を真っ赤にしながら、木刀をブンブンと振る瀬利花。 だが、怒りで我を忘れた攻撃など、俺には通じない。借金の取り立てに来る怖いお兄さん達との戦いで、日本刀を避けるのには慣れているのだ。 「死ね、この小童がッ!」 「前々から思っているが、何で俺が死ななければならないんだよ!!」 「御仏の意志だと思え!!」 「ふざけんな、お前の私怨だろッ!」 「それと、私は上級生だぞ! 敬語を使え敬語をッ!!」 「自分を殺そうとしてる人間を敬えるかッ!!!」 「黙れ! さぁ――カネは用意したか!? 『地獄の沙汰も金次第』というからなッ!!」 「閻魔大王への賄賂どころか、三途の川の渡し賃すら持ってねぇよッ!!」 そんな会話をしつつ、俺達は攻撃と回避を繰り返す。 「大体、お前のヌルい剣じゃ俺は殺せん! 何度、『借金返せねェなら、死んで保険金で払えやゴルァ!』とか『内臓売って払えやゴルァ!』とか言われて殺されかけたと思ってる! 越えた死線は、俺の方が圧倒的に多いんだよッ!!」 「その経験は何かの礎になるのか!?」 「……ならないだろうな」 ま、それはともかく……いい加減、この状況を何とかしよう。 仕方ない、最後の手段だ。出来れば使いたくはなかったのだが。 俺は肺一杯に空気を吸い込むと、思い切り叫んだ。 「助けてくれ、緋姫ちゃ――ん! 瀬利花に殺されるぅぅぅぅッッ!!」 ――すると。 「大丈夫ですか、先輩!!?」 俺と瀬利花の間に、緋姫ちゃんが割って入った。 今、物理的な壁とか物理法則的な壁とかを越えて現れたような気がするが……まぁ、ツッコむのは止めよう。 「……あ」 瀬利花の顔に、戸惑いの表情が浮かぶ。 「――はッ!」 緋姫ちゃんは両手に持っている拳銃で、マナと戦っている夫婦鬼に弾丸をそれぞれ1発ずつ撃ち込んだ。 ――前鬼と後鬼が、まるで霧のように消える。 「なっ!? 私の護法が……!?」 「武装風紀委員の対オカルト装備を甘く見ないでください。これはシルヴァー・ジャケット弾です。鬼族など、ひとたまりもありません」 緋姫ちゃんは、その銃を瀬利花に向けた。 「それにしても……また貴方ですか、霧神さん! 校内で暴れ回っただけではなく、国際法で規制されているA級使い魔の召喚まで行うとは……何を考えているんですッ!?」 「う、あ……これは、その……」 瀬利花からは、しどろもどろな声が出るばかり。 「とにかく、これ以上先輩を傷つける事は許しません!! 早急に退いてくださいッ!!」 「……ッ!」 瀬利花が、俯く。 ……しばらくすると、床にぽたぽたと涙が落ちた。 「えぐ、うぅ……くそ、月見匠哉め! 覚えてろぉぉぉッ!!」 瀬利花はわんわん泣きながら、ダダダ――っと走り去って行った。 ……何か、凄く悪い事をした気分。 「匠哉、匠哉」 「……ん?」 いつの間にか、マナが近付いて来ていた。 貧乏神は、コソコソ声で俺に話し掛けて来る。 「ねぇ、何で瀬利花は退いたの? あれだけの戦闘能力があるのに、緋姫1人を相手に退くのはおかしいと思うんだけど」 「ああ、それはな……」 一瞬、言うべきか言わざるべきか悩んだが、結局言う事にした。別に俺が困る訳ではないし。 「瀬利花は、決して緋姫ちゃんに危害を加える事は出来ないんだ」 「……どうして?」 「ああ……何て言えばいいのかな。単刀直入に言うと、瀬利花は緋姫ちゃんに対して恋愛感情を抱いているんだ」 「…………」 マナの表情が、固まった。 「つっても、緋姫ちゃんはその事を知らないんだけどな。瀬利花には、想いを伝える勇気なんてないし」 「……つまり、瀬利花の片想い?」 「そういう事だな。かなり特殊ではあるが」 「じゃあ、匠哉を殺そうとするのは……」 「瀬利花曰く、俺は緋姫ちゃんに近付く悪い虫らしい」 「…………」 まぁ、恋の形は人それぞれ。納得しよう。 「でも、だったらさっさと緋姫を呼んで瀬利花を追い払えばよかったじゃん。何でそうしなかったの?」 「だって、そんな事したら――」 ――BANG。 銃声と共に、銃弾が俺とマナの間を通り過ぎた。 ……マナが、緋姫ちゃんを睨む。 「いきなり何するの、緋姫」 「先輩から離れなさい、貧乏神」 ふたりの間に、火花が散る。 「……どうやら、1度やられただけじゃ学習出来ないみたいだね。いいよ、何度でも教育してあげる」 「それが遺言ですか? なら、もう死んでください」 戦闘を開始する、貧乏神と武装風紀委員。 「……こうなるだろうと思ったから、緋姫ちゃんを呼ぶのは嫌だったんだよ」 俺のその言葉は、誰にも聞かれず消えていった。 開戦した第二次マナ緋姫大戦を放置し、俺は教室に戻る事にした。 「あ、匠哉。先生が職員室に来いだって」 ……教室に入った途端、クラスの級長から言われた事がコレである。 「またか……」 瀬利花と追いかけっこをすると、いつも呼び出されるのだ。俺が悪い訳ではないのに。 しかも、説教されるのは俺だけ。瀬利花は無罪放免なのである。 何故なら、奴は女子剣術クラブ部長。説教なんてしたら、その先生は部員に闇討ちされるだろう。 女子剣術クラブ部員は瀬利花の教えを受けているだけあって、全員が信濃霧神流もどきを使う。狙われたら確実に命はない。 故に、瀬利花は説教なしなのだ。大人って汚い。 「……仕方ないか」 俺は八つ当たりで真の頭を1発殴り、廊下に出る。 そして、職員室に向かった――が。 「――『貧乏キック』ッ!!」 「消し炭になりなさい!」 ……第二次マナ緋姫大戦により、職員室が消滅していた。 互いの滅技を尽くし、闘うマナと緋姫ちゃん。今の緋姫ちゃんを見たら、瀬利花の恋も冷めるかも知れない。 俺は回れ右をし、教室に帰る。見なかった事にする、言わなかった事にする、聞かなかった事にする――それが、俺流処世三原則。 ……今日は、全授業自習だな。
|