邂逅輪廻



「人は人として生まれるわけじゃない。獣として生まれ人として成長するんだ」
 本日の名言:補習講師の台詞。


 季節は夏。午後五時を回っても外は明るく、日差しは熱気を帯びている。そんな外界とは無関係に涼しい場所があった。
 それはゲームセンターの一階。冷房が程よく効いた室内にはゲーム中の若者たちがいた。
 室内は筐体に入れられた基盤の種類ごとに区画分けされており、主に人気のある2D格闘ゲームの筐体には人が集まり、人気が無い筐体には人があまり居ない。
 そして今、人気の有る2D対戦格闘ゲーム区画に若者が集中しており、その中心には一つの筐体と肩口で切り揃えた黒髪を揺らす少女が居る。
「スゲェ、……支持率を一気に五パーセントも上げやがった!!!」
 若者の一人が驚愕して彼女のプレイに魅入る。
 その筐体のゲームは「各党王」だった。
 各党王とは政界に乗り込んだ新人議員が豪腕を武器に党首の座を奪い合う対戦格闘ゲーム。
 その最大の特徴は支持率である。戦闘中に出るコマンドを正確に打ち込むと使用キャラクターの支持率が上がり各個人に設定された超必殺技の使用が出来るようになる。また相手の情報をリークして支持率を下げるコマンドも存在している。
「おお! 見ろよMr.Lionだぜ!!!」
 Mr.Lionとは各党王の最終ステージに出てくる最後の敵。彼を倒せば晴れて天下統一を果たすが、未だかつて誰一人と倒した者がいない文字通り最強の敵。
 その理由は貫通攻撃である。通常キャラクターの必殺技以外の通常攻撃は防御すればノーダメージで防げるが、Mr.Lionの通常攻撃は明らかにライフポイントを削ることが出来る。そのため最終ステージまでと同じ感覚で戦い続けると確実に敗北する。
 まさに無敵、それこそMr.Lionが党首だという証だった。
 しかし、少女は果たした。
「なッ!? Mr.Lionを倒しやがった!!!」
 ギャラリーがざわめきあって少女の快挙を称える。
「お、おい、あんた名前は!?」
 若者の一人が勇んで少女の肩を掴んで名を聞いた。
「俺か? はッ、知りたきゃ倒してみな!」
 少女は指で正面の台を指し示し、挑んでこいと挑発する。挑発させられた若者は、しかし二の足を踏んだ。勝てる気がしないのだろう。
「おい東雲。いつまで遊んでる? そろそろ時間だ」
 少女を東雲と呼んだのは薄い眼鏡を掛けた男子生徒だ。
「なんだよ麻生。まだいいだろ?」
 東雲と呼ばれた少女は駄々をこねる。しかし、麻生と呼ばれた男子はその駄々を拒否。
「いつまでも遊ぶな。そろそろ空港に向かわないと間に合わない」
「ちぇ」
 東雲は筐体の座席から立ち上がり、手荷物であるカバンを提げて麻生の隣に立つ。
「しゃーない、沖縄に行くか」
 そう言って東雲と麻生はゲームセンターから出て行った。残された若者たちも各々、興味がある区画や筐体の前へと散っていく。ただ一人、東雲に名を聞いた若者だけが東雲たちが出た方向を見ながらに。
「沖縄って今、台風直撃していたはずじゃ……?」
 その独り言を聞くものは誰も居ない。


第五話 「嵐の中で戦って」


 時刻がすっかり夜となってから沖縄に到着し、空港のロータリーからバスを走らせること三時間、目的地である海岸沿いにたどり着いた。
 長距離バスは停車すると同時に多くの若者たちを吐き出す。
「スゲー風と雨、てか台風だろコレ?」
 バスから降りると吹き飛びそうな強風とずぶ濡れになる大雨が迎えてくれた。しかも雨風は止まることを知らず、どんどんと破壊力を増している。だが、関係ないというように一人の生徒が前方に出てきた。彼は引率用の拡声器にて声を大きくし生徒たちに整列を促す。
『えー、代表の風紀委員長……、はいないので代わりに我が風紀委員会の紅一点。副委員長から一言お願いします』
 その言葉に他の女子風紀委員が指を切ってブーイングするが、それも副委員長が出てきた事で治まる。彼女は男子から拡声器を受け取り、
『今日は日も良く……、え? 挨拶はいい? そうですか。では皆さん、三日間を存分に楽しんでください。以上、解散!』
 それだけで終わった。
「なぁ麻生……っていねぇ?!」
 気付けば麻生がいない。
「東雲先輩」
 代わりに声を掛けてきたのは一年の男子生徒の鉄野佐助だ。鉄野は短い金髪で緑を基調とした服を身に着けており、背には自分の身長と同じくらいの棒状の布袋を背負っている。
 彼は東雲の傍によるなり両手を強く握って眼力を籠める。
「デートしてください!」
「やだよ馬鹿」
 一蹴してから何処に行こうか考える。近場に娯楽施設の類が無い以上、砂浜で遊ぶのが定石だ。しかし、その砂浜では現在、
『諸君! 今より風紀委員会伝統の強化プログラムを始める。心配は要らん! どれだけ軟弱なモヤシも三日後には一流のソルジャーだ!』
『ハイ!!』
『返事はサーを最初と最後に付けろ!!!』
『サー、イエッサー!!!』
 集団が台風押し迫る砂浜で筋力トレーニングを始めた。
「かと言って海で泳ぐにはなあ……」
 海は台風で荒れており高波が押し寄せている。そして、そこにも集団はおり、
『いいか?! 荒れた海でこそ精神力が試されるのだ! 我々が行うのは水泳という名の訓練ではない! 水泳という名の実戦だ! さあアンカーをつけて泳ぎ続けろ!!』
『ハイ!!』
『返事はサーを最初と最後に付けろ!!!』
『サー、ハイサー』
 その集団は十キロの鉛を身に着け、水中トレーニングを実行している。見た限りでは数名が溺れているように見えるが、きっと気のせいではないだろう。
 現在、風紀委員会は夏の強化合宿の真っ最中だった。特にまだ中学生気分が残る一年生は此処で一から鍛えなおされる。
「東雲さん!」
 今度は一年女子生徒の犬飼明菜が喋りかけてきた。犬飼は薄い赤の長髪であり赤を基調としたワンピース姿だ。
 彼女も近くによると両手を強く握って。
「結婚してください!」
「黙れ馬鹿」
 こちらも一蹴してその場を後にする。此処に何時までもいるわけにもいかない。雨脚が強くなる中、何処に向かうかを考える。いい加減此処から離れたい。
「咲哉ちゃん」
 先ほど代表として喋った女性、三年生の福島が話しかけてきた。
 福島は女性としてのレベルが高い。そのために多くの若者の道を踏み外させる。校内魔性ランキングで堂々の三年連続一位を記録している女性だ。
「お願いがあるんだけど……、いいかな?」
「駄目です!」
 速攻で拒否する。
 福島は風紀委員会一のトラブルメイカーだった。彼女が持ちかける仕事はどれもこれも難易度がずば抜けて高く、中には教頭との一騎打ちなどという前代未聞なものまであった。
「そんなこと言わずに……ね?」
「嫌なものは嫌です!」
 どぎまぎしながらそっぽを向いて歩き出す。
 彼女の色香に騙されるのは男子だけではない。モデル並みのプロポーションは女子にも有効なのである。
 巻き込まれないようにするには拒否するしかない。だが福島も慣れたもの、承諾も得ぬまま仕事の内容を告げてくる。
「いい? 此処のどこかにある竜宮城を探し出して欲しいの……」
「ってえええぇぇぇ!?」
 思わず振り返ったときには福島は、任せたよー。と言って遠くに去っていた。結局、仕事を引き受ける事になった。


 後日、台風が一過した快晴の下で三人の少年少女は旅に出ていた。
「ノーヒントはやっぱ無理……」
 そしていきなり挫折していた。昨今のガイドRPGになれた東雲にFC時代のクエストはきついものがあった。
「大丈夫です先輩! 僕が付いています!」
 笑顔なのは鉄野だ。
「そうです! 鉄野はともかく、私が付いていますから安心ですよ!」
 犬飼も微笑んで告げる。
 この二人は福島の話を聞いた直後に自分たちも手伝うと言ってきた物好きだ。いや、福島の恐ろしさを理解していないだけか。
「とにかく大体の情報は集まったんですから」
 それぞれが手分けして情報収集に当たり半日掛けて地元住民から集めた情報では、

・竜宮城などあるわけ無い(大多数)
・竜宮城に言った事が有る(嘘と判明)
・海流調査の際に妙な孤島を見た事がある(調査チーム)
・そんなことより、海の向こうで釣りしない?(生徒会長→十六連コンボ炸裂)
・溺れた時に龍神様が助けてくれた(飴玉で釣れた子供)
・見るがいい! 我が必殺の……(四十八の殺人技でKO)
・そうだ。僕が神だ(もしもし警察ですか?)
・竜巻が過ぎると地図には無い孤島が浮かぶらしい(とりあえずの目的地に決定)

「冗談のつもりだったのになぁ……」
 出航してもらった船は目的地にたどり着いてしまった。其処は離島、地図を確認してもこの海域に島らしきものは見当たらない。
 上陸をすれば広がるのは密林。人の手が入った様子の無いジャングルが続いている。
「とりあえず行きましょう」
 促すのは鉄野だ。彼は流石に男の子らしく冒険物が好きらしい。
 船頭に待機をお願いして密林に踏み込む。密林内部は高温多湿であり、歩いているだけで汗が噴き出してくる。それを拭って前に進めば動物と鉢合わせした。が、
「野生動物ではないですね」
 その形状は猫に似ているようで猫ではない。言うならば人並みの大きさを持つ大猫だ。
 形状から犬飼が判断を下す。おそらく、と前置きし、
「魔物です」
 へぇそうかと呆れ顔で東雲は相打ちをうってから攻撃を回避する。
 大猫が爪の一閃を放っていたからだ。だが東雲は横にずれて回避し、鉄野が背にある棒状の物で爪を止める。
 鋭い爪によって布袋が破けた。その中から出てきたのは、
「まあ威力はないです」
 長さ一メートル以上の鉄槍だ。
 鉄野は大猫の爪を上にはじき、その反動で槍をしならせて大猫の胸元に穂先の一撃を叩き込む。
「!」
 大猫が僅かに息を詰まらせる。それを逃さずに犬飼は登山用の杖を平行に構えて呪文を詠唱。
「心の底まで燃えなさい!」
 僅かに数文字。それだけで大猫の体が発火した。
「!」
 燃え盛る火炎に呑まれて大猫が悲鳴の叫びを上げ続ける。だが、
「終わりです」
 悲鳴空しく鉄野が止めを刺すために鉄槍の刃先で大猫の胴体を正確に貫いた。大猫はその場に倒れ伏して動かなくなる。
「手加減なしかお前ら」
「それを東雲さんが言うんですか……」
 犬飼が苦笑する。
「それより何でこんな偏狭なところに魔物がいるんです?」
 鉄野が鉄槍を振って血を落としながら質問した。
「知るか」
 先に進む事を提案した東雲は二人の答えを聞かず、急ぐように密林の雑草や枝を掻き分けて前に前に、と半ば走るように歩く。
 鉄野と犬飼はそれを疑問に思うも、リーダーについていく為に追いかけるように歩く。
 しばらく歩けば鉄野たちも急ぐ理由に気付いた。
「あの先輩……」
「無駄に喋るな。隙を見せるな。喰われるぞ」
 三人はつけられている。先ほどの大猫とは別種の生き物に、だ。
「あの大猫が餌になったようだな? まだまだ集まってくるぞ」
 気配が後ろから迫ってくる。それを振り切ろうと東雲が走り出した。雑草を掻き分ける手間を惜しんで踏み潰しながら走り、後に続くように鉄野と犬飼も障害となる木々の隙間を駆け抜ける。
「回り込まれましたね」
 けれどまくことは出来なかった。
 前方に五メートル級の赤い体毛をした熊が三匹いる。三匹のどれもが鼻息荒くじりじりと間合いを詰めてくる。
「後方に注意しながら戦うぞ!」
『サー、イエッサー!』
 東雲の警告に二人が叫んで応じ、鉄野が鉄槍を振り回すように前へと出た。
 彼我を詰めて鉄野を迎撃するは赤熊Aだ。残りの二匹は姿勢低く後方に散開、円を描くようにこちらへと攻め寄ってくる。
 鉄野が右足を踏み込み、鉄槍を振りぬいて赤熊Aの喉下を突撃。しかし、
「ッ?!」
 赤熊Aは体勢を引き上げて対応。鉄槍の穂先は直立姿勢となった赤熊Aの胴体を一撃するも、鋼の肉体を貫くには威力が足りず穂先が中途半端に食い込む。
「ッッッ!!!」
 赤熊Aが咆哮して鉄野を押し潰そうと全体重を押し出す。いきなりの事態に鉄野は反応しきれない。
東雲が叫んで走る。
「棄てろ馬鹿!」
「!」
 鉄野は東雲の指示に同意、鉄槍を離して身体をバックステップ。押し潰しの回避に成功した矢先、東雲が鉄野の背中を掴んで引き倒す。
 鉄野が傾いた直後。
 先ほどまで鉄野の頭部があった空間を赤熊Bの爪が薙いだ。東雲が引き倒さなければ鉄野は即死していただろう。
「左に避けろ犬飼!」
 後方を見ずに犬飼へと指示を飛ばす。
 東雲の言葉を聞いた犬飼は右の死角に赤熊Cが跳躍を構えている事に気付いた。だからこそ東雲の指示に従って犬飼は左に反復跳躍。一時すら掛けずに赤熊Cの突進が周囲の木々をなぎ倒した。
(やはり一年は甘すぎる……!)
 連れてきた事を後悔しながら東雲は鉄野の身体を引ききって地面に倒す。そして反動を利用して赤熊Bを無視して前へと進む。
 赤熊Aがバランスを崩していたからだ。
「この熊が!」
 サッカーのシュートを決めるように蹴りを放つ。だが狙うのは赤熊Aでは無く、その胴体に突き刺さった鉄槍の柄尻だ。
 的確に柄尻にヒットした蹴りが鉄槍に衝撃を与えて、浅く食い込んでいた鉄槍を胴体内部に進ませた。
「ッッッ!?」
 苦悶の啼き声を上げて赤熊Aが仰向けに倒れていく。
「ボサっとすんな一年!」
 倒れた鉄野と避けた犬飼を叱咤し、赤熊への対応を促せる。
 鉄野は食い殺そうとする赤熊Bの攻撃を避けるために後ろに後転し、犬飼はステップを踏んで赤熊Cとの距離を保つ。そして東雲は赤熊Aから鉄槍を引き抜いて鉄野に向けてパス、鉄野は投げられた鉄槍を片手でキャッチして構えを取る。
「ッッッ!!!」
 赤熊Bが獲物を取り戻した鉄野から離れるように彼我を離す。
「逃がさない!」
 鉄野は逃がさない、ここで逃せば好機が無くなるからだ。一撃必中の名の下に鉄野が赤熊Bの懐に入り込む。
「心の底まで燃えなさい!」
 後方で犬飼が呪文を紡いだ。瞬く間に赤熊Cの体毛が炎に包まれて燃える。しかし、
「ッッッ!!!」
 赤熊Cが炎に退かず犬飼へと押し切った。
「耐性……!」
 事実に気付いた犬飼が舌打ち、構えた杖で赤熊Cの重量攻撃を後ろに受け流す。
 犬飼は素早く反転して赤熊Cの背後を取り、杖を平行に構えた。
「行ける!!」
 赤熊Bの懐に潜り込んだ鉄野は鉄槍の先端を持ち、短く構えて喉下を穿ち貫く。
 すぐにバックステップしながら鉄槍の先端から柄尻へと持ち替えて、反復の要領で再度前に跳躍。
「ッッッ!?」
 鉄槍の刺さった箇所がさらに鋭く食い込んだ。
「体の隅まで裂きなさい!」
 犬飼が杖を構えて呪文を詠唱。犬飼が望んだのは風の力だ。赤熊Cの周囲を空気が疾風となり、その身を切り刻んでいく。
「ッッッ!?」
 数百という風のカマイタチに耐え切れずに赤熊Cが密林の大地に倒れ、その後を追うように鉄槍が突き刺さった赤熊Bも倒れた。
 鉄野と犬飼は同時に息を吐き、
「とっとと走れ!」
 東雲が走っている事に気付き慌てて駆け出した。


 密林の大木が織り成した木陰に東雲はいた。
「どうやら撒いたな」
 東雲は両隣にいる二人の一年生を見た。
「……情けねぇ」
 鉄野と犬飼は息が荒く、今も呼吸を整えようと頑張っている。
 数キロを走り回った程度で息切れを起こした二人を呆れ気味に見下し、これでは風紀委員会の人材育成カリキュラムを見直す必要があるかもしれないと考える。
「先輩、……もう少しだけ」
 ふざけた事を述べる鉄野の頭頂部を拳骨で殴る。
 少しだけ涙ぐんだ鉄野を無理やり起こし、犬飼にも起きろと催促する。
「いいか? 状況は限りなく不利だ。何しろ俺たちは此処の地形が全く分からない。下手をすれば脱出も困難、というより脱出無理」
 既に東雲たちは迷っていた。がむしゃらに走った事も影響しているが、途中で魔物の襲撃に遭っていることがなによりも大きい。
「こうなった以上は直進する」
 東雲が人差し指で密林の奥を指し示す。その方向を見た二人の一年生は、
「待機するんじゃないんですか?」
「此処で待っていたほうが良くありません?」
 と異口同音に意見する。しかし、東雲は首を横に振り、
「お前ら他の奴らが迎えに来るとでも? はっきり言っておくが、あいつらは一人や二人欠けようが無視して帰るぞ。そんな奴らは鍛えても無駄だという事でな」
 実際に去年も二人ほど置いていかれた。そして置いていかれた二名は今やA級にも引けをとらない程に成長した。
(……あれ? 置いていかれたほうが正解か?)
 むしろ風紀委員会の人を見る目が無さ過ぎるのか。
「とにかく! とっとと此処から脱出する為にも前に進むぞ! 幸いにもここは絶海の孤島、適当にいきゃ砂浜に出る。そしたら砂浜を辿っていけば最初の船場にたどり着くはずだ!」
 状況が読めない以上、止まっている暇は無い。
 おそらくは北の方向に向かって歩き始める。今度は迷わない為に木々に記しとして、鉄槍の傷を付けながら前進。五メートル間隔で直進すれば方向を間違える事も無い。
 そして、大体二キロぐらい進んだ頃だろう。
 東雲たちは人と出遭った。


 黒い青年だ。
 ツーピースのダークスーツを着込み、首に白いチョーカーを巻いた青年が居る。彼は東雲たちに気付くと僅かに眉を詰め、
「誰だ?」
 質問してきた。その表情は警戒と疑惑で彩られている。
「迷子だ」
 そして東雲が馬鹿正直に答えた。
「先輩?!」
「東雲さん?!」
 またも鉄野と犬飼が異口同音に言葉を発する。彼らは黒い青年を警戒しながら東雲に対し小声で耳打ちしてくる。
「なに考えてるんですか!」
「そうです! 危ない人ですよ絶対!!」
「馬鹿かお前ら、大切なのは此処を出る事だろうが?」
 そう言って東雲は前に、黒い青年の隣に立ち事情を説明する。
「……というわけで此処から脱出したい」
「……」
 黒い青年は視線を落として考え込み、やがて決断したように面を上げて歩きだす。
「付いて来い」
 黒い青年は前進しだした。
 確かに只者ではない、黒い青年は途中で出遭った魔物の大半を触れずして撃破していた。犬飼の説明では魔道具を使用した感じはしないとの事。そしてあの独特な衣装。
(件の黒鳥で間違いないな)
 どうしてこんなところにと半ば呆れながら黒鳥の後ろを着いて行く。
 黒鳥については川相の持ち帰った情報から異世界出身の可能性が示唆され、最大特徴として魔道具を利用しない魔術を行使できる。そしてA級状態の川相が倒しきれない事から最低でもA級、戦っても勝利の可能性はゼロだ。
 しかし、別にこちらの正体がばれたわけではないし、そもそも黒鳥が出遭った二人の仲間とも思うまい。
「あの人信じていいんですか?」
 鉄野が横槍を入れる。そういえば鉄野と犬飼は黒鳥の事を知らない。
(まあ伝える理由も無いか)
 どうせ戦力外だ。わざわざ危険度を増す必要は無いだろう。
「此処だ」
 黒鳥は目的地に着いたと行動を停止、着いた場所は密林の不思議とそこだけは円形になっており草木が生えずに黄土色の地面が露出した場所だ。
「ここは?」
 東雲が尋ねる。
「ああ、お前らの墓場だよ」
 黒鳥は事も何気にそう言った。


 そして世界が黒色を纏う。


「は……?」
 東雲は呆気に取られた生返事をした。
 そして気付いたときには世界が黒く染まっていた。否、これは、
「何も見えない?!」
「黒色の世界にようこそ。歓迎するぞ」
 黒鳥の声が響き渡る。
(どうなってやがる?!)
 思考する。
 景色が黒色なのは視力がなくなったのか夜になったのかどっちかだ。前者なら非常に危険だ。そして後者でも非常に危険だ。つまり状況は限りなく不利、戦う前から勝負は決まっていたが、これでは抵抗すら出来ない。ならば、いますべき事はたった一つ。
「……どうしてこんなことをしやがる!?」
 見えない視線の先にいるのであろう黒鳥に東雲は質問する
 情報を得るには質問が一番だ。相手が答えればいくつかの情報を得て時間稼ぎにもなる。
「どうしてだと? それはこっちの台詞だろ? お前ら此処をどうやって嗅ぎつけた?」
「……此処?」
「とぼけるな。偶然のはずが無いだろう? 此処はこの世界に存在しない孤島だ。俺たちが狼男の養育施設として擬似的に作ったんだからな」
 何のことを言っている?
「とっとと答えろ。どうやって此処を知った。どうして俺たちの邪魔をする? やはりお前も蓮井健一郎の仲間か?」
「スゲー意味わからんが勘違いすんな! 此処に来たのは偶然だっつってんだろ!」
 とりあえずわざと怒気を滲ませて喋る。効果があるかどうかは不明だが、何もしないよりかはマシだろう。
「……」
 だが、相手は黙った。それは悩んでいる証拠だ。
 いけるかもしれない。
「いいか! 俺たちが此処に来たのは偶然だ! ちょっと遊覧してたら迷っちまったんだよ!! それをなんだ?! 意味もわからず捕らえやがって!!」
 呼吸を荒げて叫んだ。少し演技過剰な気もしたが、コレくらいは当然だろうと考え直し、
 そして気付く。
「……おい、犬飼! 鉄野!?」
 さっきから喋っているのは自分だけだ。
「……おい!」
「ん? あの二人なら、……別に一人いれば十分だからな。今頃は黒色すら届かない夕闇の底だ」
 黒鳥は本当に、本当に事も何気に言った。
「は……? なにをいって……」
 理由は知らない、だが吐き気がする。どうしてかも知らない、だが気持ち悪い。
 何かが嫌だ。
「安心しろよ、お前もすぐに夕闇の底だ」
「だから……」
 意味がわかんねえよ。という台詞は口から出なかった。
 代わりに頭の中で何かが途切れた。
 それが何かを考える気にはならない。


「殺して差し上げますわ」


 聞こえた言葉には未知の殺気が滲んでいた。
「!?」
 殺気だ。異常に膨れ上がった殺意を感じる。その発生源は前方、視線を閉じた筈の少女だ。
 それに恐怖を感じ取った黒鳥は一歩を退き、その怯えの対価に腕を失った。
「ッ?!」
 左腕の付け根より先が消失した。そして残った部分から盛大に出血。血飛沫はまるで噴水のように派手に鮮血を散らしていく。
「くす、半身を引きちぎるつもりでしたのに……」
 聞こえた声音は婦女のそれだ。
 僅かに五メートル、その先に少女がいる。
「脆いものですわね? 私が殺して差し上げるというのに……」
 女子は千切れた左腕の付け根から先を持っていた。まるで握手でもしているように左手の五指でぶら下げている。
 少女は嗤い。
「次は右手で握手しましょう」
 千切った左腕を投げて棄てる。
(なんだこいつ?!)
 左腕の出血を止めることが出来ずに大量の血液が失われていく。だが、そんな事はどうでもいい。今は現状への理解が優先される。
「どうして俺の位置がわかる?!」
 少女の視線は奪ったままだ。目など見えるはずは無く、事実、少女の瞳の焦点は定まっていない。だが、少女は確かに黒鳥に向かっていく。
(こいつもあの餓鬼と同じ……、いや、だとしてもコレは異常だろ!?)
 数日前の剣巫女とは違う。
 彼女はアレでも衣装を着替えることにより精神を変心させて武器の能力を引き出す魔術師だ。
 では目の前の女はなんだ。
 少女はこちらの思惑を気にせず歩いてくる。
 一見優雅にも見えるその歩みはまるで、まるで、
「殺意そのもの……?」


 心地よい。
 まるでぐっすりと眠って夢遊しているように心地よい。
「殺して差し上げますわ」
 誰かの声が聞こえた。それが誰の声かは忘れてしまった。だが、心が少し動いた気がした。
「くす、半身を引きちぎるつもりでしたのに……」
 本当に誰の声だろうか、とても懐かしい人の声だと思うのだけれど。
「脆いものですわね? 私が殺して差し上げるというのに……」
 懐かしい声の人は物騒な事を言いながら何かを笑っている。
「次は右手で握手しましょう」
 それを聞いて安心した。きっと懐かしい声の人は何かを楽しんでいるのだ。その人が楽しいなら自分は嬉しさを感じてくる。
「どうして俺の位置がわかる?!」
 知らない声だ。嫌な声だ。聞きたくない声だ。どうしてかは知らないが不快がこみ上げてくる。この声は嫌いだ。
「殺意そのもの……?」
 そして嫌いな声は途切れた。そうしたら嬉しさをいっぱいに感じた。きっと嬉しい事が起きたのだろう。
『……貴女はいつまで私を必要としますの……?』
 それだけが聞こえて世界が変質し始めた。
 心地よい夢が覚めていく。
 夢が覚めることを覚醒という。
 東雲咲哉は覚醒した。


「!」
 汗だ。
 ねっとりとした嫌な汗が体中の汗腺から噴き出している。
起き上がり四方を見渡せば密林の中、唯一円形に開いた空き地の中央に自分はいた。
「東雲! 東雲書記官!!」
 誰かが自分の事を呼んでいる。
 遠くを見つめれば三人の風紀委員がこちらへと走ってきた。
「これは……」
 たどり着いた三名は東雲の周囲を確認、まるで大惨事でも起こった時のような顔つきで東雲を見る。
「東雲! いったい、いったいなにがあった?!」
 男子が東雲を問い詰める。
「……! こっちです! 犬飼と鉄野がいました!」
 女子が叫んだ。その方向に視線を澄ませば二人の男女が倒れている。
「犬飼! 鉄野! どうしたの!!」
 女子が二人の肩を揺すり話しかける。が、反応しない。それどころか二人の男女は瞳の焦点を定めていない。その瞳は光を映さないガラス球の様にも見えた。
 それはまるで本物の人形の様な光景だった。
 そう思った時、縦から横へと景色が揺らいだ。
「! 東雲!!」
 否、景色が揺らいだのではない。東雲が倒れたのだ。


 風紀委員会特別会議室、全ての窓と戸を閉め切った室内には二人の学生がいる。
 一人は小柄でセミロングの黒髪を束ねた男性。もう一人は長躯の身で椅子に腰掛ける男性。そのうち髪を束ねた男性が口を開き、
「一年生二名が重傷、東雲咲哉は気絶。……これでよかったんですか?」
「そのおかげで見知らぬ離島が狼男の養育施設という事が判明したよ? ……姫様の本質が聴けるというオマケ付きで」
「……はぁ」
「ため息は幸運が逃げるよ?」
 苦笑して長躯の男が会話を切り上げる。
「さて仕事だ。まずは二人に仕込んだ盗聴器から回収しようか」


≪桜咲き誇る真夏の夜まで残り十五日≫




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