邂逅輪廻



「我らの意義は敵を倒す事! 我らの意地は敵を生かす事!」
 本日の名言:神風小委員会部隊長の台詞。


 空は暗く、朝は遠く、月は雲隠れしている。
 そして景観は過ぎ行く時間に相応しい登場人物を選定した。
 巨大な鉄骨にぶら下がる箱の上、一つの影がある。
 それは三メートルの巨体を縮めるように丸め、遠く離れた月に顔を向ける。
「――」
 空しき咆哮。
 人間と呼ぶにはあまりに獣過ぎる声。人外と呼ぶにはあまりに人過ぎる声。
 そんな獣と人の入り混じった啼き声が観覧車から地上に木霊していく。
「はッ! キマイラ風情が、なに不細工な顔して泣いてやがる!!」
 その啼き声に叫び返したものが居る。
 音階はソプラノ、声音は憤怒、ならば声の主は観覧車のゴンドラ乗り場に立っていた。
「うぜぇんだよ!! そんなところで啼きやがって、テメェは告ってフラれた思春期の餓鬼か! ああ!?」
 ソプラノトーンが激怒する中、月に掛かる雲が晴れていく。
 そして程なく、観覧車が月明かりに照らされ、叫ぶ両者の陰影が明白へと晒された。
 それは獅子の頭だった。それは大鷲の翼だった。それは毒蛇の尾だった。
 それはまさに、この世ならざる存在キマイラだ。
 対するもう片方はゴスファッションの衣を纏った一人の少女だった。
 少女は明確にキマイラを視認する。しかしそれでも少女は躊躇わない。否、躊躇う理由がなかったのだ。
「ああくそ。説得なんぞ面倒だ!! どうせ弱けりゃ意味ねぇんだ。テメェも俺も!!」
 少女が鉄骨のフレームを跳躍移動、数分と掛からずキマイラの居る観覧車のゴンドラの二つ下へと飛び乗る。そして、一匹の化け物と一人の人間が向き合った。
「――!」
 憤怒の咆哮。
 縄張りを侵された獣の本能が叫び、それを抑え込もうと人の理性が叫ぶ。
「おい。なに勘違いしてやがる? 狩るのはテメェじゃねぇ、この俺だ」
 その台詞、邪心に塗れた少女の意思が気高き獣王の意思を解き放った。
 キマイラが宙を滑空する。
 狩猟本能に身を任せてキマイラが少女に跳びかかる。標的は首筋、その爪で一筋を薙げば少女の命は儚く終わりを迎える。
「言ってんだろ! 狩るのは俺だ!!」
「――!」
 少女とキマイラが同時に咆哮をあげた。もはやどちらが獣かは判らなかった。


第四話 「戦闘妖精マガ」


 肩口までのセミショートの女子、東雲咲哉は補習をサボることに専念していた。毎日のように補習を抜け出しては追いかけられて、追いかけられては囚われて、囚われては抜け出す事を繰り返している。
 そして今日は学生食堂に逃げ延びていた。此処は校内三大危険スポットの一つ、そのために誰も寄り付かない。はずなのだが、
「ちょっと良いかな東雲君?」
「まったく良くない」
 何かを言われる前に拒否又は殴打、それが風紀委員長に対する暗黙のルール。
「うんうん。そういうと思ったよ。だからさっき柊先生と掛け合ってね?」
『ピンポンパンポーン』
 風紀委員長の言葉をさえぎり校内放送が流れ出す。
『さきほど風紀委員長より東雲咲哉に特務が下りました。これにより東雲咲哉に懸けられた懸賞金百万は取り下げられます。参加者の皆様お疲れ様でした』
「良かったね? これで君は今日一日特務な時間で過ごす事になる」
 嫌な顔をするこちらに対して笑顔の青年が告げてくる。
「さて頼み事というのはある人を捕まえて欲しいんだ」
「誰を?」
「とりあえずコレ」
 風紀委員長が一枚の写真を手渡してくる。そこには満面の笑顔でゴシック衣装の少女が写っていた。
「……なんすかコレ。コスプレ?」
「調査対象。可愛いでしょ?」
「血のりの付いたバトルアックスを持った奴はちょっと……」
 写真の少女は鋼作りの斧を持っており、斧の表面には血のりが付いていた。それを掲げて嬉々とする少女を可愛いと思えるほど心は広くない。
「それ血のりじゃなくて本物だよ。写真部に鑑定してもらったから間違いない」
「え、こいつ猟奇殺人鬼?」
「いいや、魔法少女」
 時代は変わった。いつの間にか夢と希望を与えた魔法少女は不良も裸足で逃げ出すような存在に成り代わった。これが歴史の流れか。
「いやな時代だ」
「話を進めるけど、今朝のニュースは見たかい?」
「いえ。テレビはゲームのモニタ以外で使ったことがありません」
 だが最近は近場のゲームセンターから旧型の筐体と基盤を譲って貰ったため、まったく使用していない。
「だろうね。――最初から話すけど昨日テーマパークでキマイラが現れた」
「カオスか此処は。いや、カオスだ此処は」
「だとしたら僕たちもカオスだよ? ――そのキマイラをばっさりと倒したのが写真の女の子、魔術師組合がA級首として懸賞金を懸けている神代の変身魔術を扱う魔術師だ」
「変身魔術?」
 それはあれか、アニメの魔法少女みたいに姿を変えることだろうか?
「単純に言うならアニメの魔法少女みたいに自分の姿を書き換える事の出来る魔術の事だよ。イメージ湧かないだろうけど変身魔術というのは封印指定されるほどの大魔術でね」
 それで魔術師組合が懸賞金を懸けていると。あの組織は何でも欲しがるな。
「それで僕たちはこれから魔術師組合潰しに行くから、君が写真の子を捕まえてきてよ」
 東雲は笑って流す。何故なら今、非常にありえない言葉が聞こえたからだ。
「嘘じゃないよ。各委員会から実力者を募って神風小委員会を結成、今日中に潰す。なにしろ最近の魔術師組合は協定を無視して蓮井に干渉しだして来たからね。これを理由に完膚なきまでに叩き潰す。元々好かない組織だからね」
 魔術師組合を叩き潰す事はどうでもいい。それよりも気になったのは。
「……各委員会から実力者を募って、だと?! どうしてそんなことが出来る!?」
「ああ、それは霊歌様だよ。昨日『アンタらが協力しないなら私が直に潰す』って勅命を出した」
 つまり霊歌を出陣させるよりも各委員会と協同した方が組合側の被害が少なくて済む、と各委員長が判断したのだろう。真っ当な判断だ、あの女では死人が続出する。
「そういうわけだから神風小委員会結成で実力者のほとんどが出払う」
 人材不足が過ぎる。図書委員会に借りろ。
「そういうことでしたら私が手伝って差し上げますわ」
 いきなり声を掛けてきたのはパンプスで手摺りの上に立つ黒服の女である。
「出てくんな馬鹿。話しがややこしくなる」
「ふふ、久方ぶりでも相変わらずでのね? でも、そんなツンとした態度も堪りませんわ」
 桜丘真紀。校内でもA級に属する実力者であり男嫌いで有名な危険人物だ。
「桜丘どうやって嗅ぎ付けた?」
「今朝、そちらの能無し委員長から電話が掛かって『東雲君とデートさせてあげるよ』と」
 件の元凶を睨みつければアハハ、と笑いながら。
「落ち着きなよ。彼女なら悪魔殺しの魔女や竜殺しの英雄とも互角に戦えるだろ? 今回は君が直に戦っても勝ち目ゼロだからね」
 だからといって、こんな危険人物と二人きりにしなくても。
「いいじゃないか東雲君、風紀特務ということで補習も解除するんだし、これ以上の待遇はないよ?」
「だったら警察にでも行け」
 こういうときこそ国家権力がどうにかしろ。
 それに対して風紀委員長は茶を濁すようにその問いに答える。
「それは無理かな? 双子の事件以降警察は非協力的だからね。……まあ、一日で商店街と広場が消え去るような戦闘があったんじゃ仕方ないけど」
 ちぃ、軟弱な。
「そういうわけで任せるよ東雲書記。僕は皆と一緒に楽しく戦ってくるから」
 やけに嬉しそうに青年がその場を離れる。
「決まりですわ。早速衣服を調達しましょう」
「まて」
「そんなダサい制服ではデートになりませんわ」
 残念な事に桜丘がこちらの言う事を聞く事はなかった。


 二人が学生食堂を出払った後、一人残った風紀委員長はその場で苦笑いして東雲が問うた事に独り言で答える。
「本当のことを言えば掛け合うだけ無駄なんだよ。……動機は知らないけど双子の事件以降、秋村君が県警に圧力を掛けていてね。秋村君がなにを企むかは知らないけど霊歌様の予言とも無関係じゃないだろう。だから……東雲君はとっとと姫様を服従してね」
 そして風紀委員長はその場を後にする。


 蓮井屈指のテーマパーク、その形は上空から見れば八角形をしており内部は五つのエリアと十三のブロックに分かれている。そのうち喫茶店やファミリーレストランなどの屋内型休憩施設は外回り沿いに十二箇所あり蓮井市民たちから親しまれている。またテーマパークの移動手段は同一または隣接エリアにおいて徒歩、別エリアには地下を通るモノレールに乗るしかない。
 昼前の十一時頃、東エリア第三ブロックにある喫茶店には時間的にも多くの入場客が入り浸っていた。その多人数の中に東雲と桜丘は居た。
「まったく仕方のない子ですわ」
「それはお前だろ桜丘」
 結局、東雲は妥協して衣服を着替えた。
 東雲のファッションは日差し避けの帽子に明るい色のシャツとハーフパンツ、素足に黄色いサンダルを履いている。彼女なりの妥協の結果だった。
「もう少し華の有る服にすれば良かったのに」
「俺にとってはどれも鼻につく服だ」
 ちなみに衣装の費用は全て桜丘持ちだ。というのも、ラハウンの件で取れたデータを実戦投入データとして売り出したら作った科学部にかなりの額で売れたらしい。
 実は科学部としても作ったはいいが、性能が強すぎるために兵器テスターが居らず実験が滞っていたとの事。要するにどちらにとっても良い方向に転がったのだ。
「ところで次は何処に行きます?」
「任せる」
「ではホテルに……」
「やっぱジェットコースターだろ? どこだって絶叫系が売りだからな」
 桜丘が渋々と承諾。二人は現在地から北、東部第一ブロックに配置されているジェットコースターに移動する。途中、
「ねぇ、俺と一緒に青空を遊覧飛行しない?」
 といったナンパの類が現れたので軽くボコったりもした。しかし、後でそのナンパは生徒会長に似ているということに気付いて生徒会に苦情のメールを送った。
「此処ですわね」
 東部第一ブロックに到着した東雲が見たのは、今にも壊れそうなマシンが三人の客を乗せて搭乗口を出立する光景だった。そして、マシンは出発するや否やマシンの前方車輪が壊れて落ちた。
「……本当に此処か?」
「ええちゃんと『進化する絶叫マシン! 君は恐怖を乗り越えるか?!』って看板に書いてありますわ」
 だが、走るマシンはとてもじゃないが演出には見えない。
「パンフレットによると最後に点検したのは十年前ですわね」
「そのままじゃねぇか! 動かすなそんなもの! むしろ訴えろ!!」
「でもせっかく来たのですから」
「せっかくの為に命はれるか!」
 全力で拒否、そんな危険なマシンに乗るなどありえない。
「ならお化け屋敷にでも行きます?」
「幽霊は怖いから却下だ」
 我が侭ですわ、と桜丘がそっぽを向く。しかし、桜丘は視線の先にあったものに興味を引かれて提案する。
「観覧車はどうです?」
「観覧車?」
 桜丘の視線の先、見えるのは中央ブロックにある最も巨大な人工物「向日葵一号」だ。
 向日葵一号はその名称が示すとおり巨大な向日葵の外観をした観覧車であり、その全長を一五〇メートル、取り付けられたゴンドラ数三〇個である。
 また子供が乗りたがらない名所でもある。というのも通常のゴンドラとは違い、三〇個全てのゴンドラに窓が無いのである。このためにゴンドラの搭乗員は常に風に晒され 天辺付近では強風と呼ぶに相応しい状態となっている。そのため向日葵一号に乗った子供は高確率で高所恐怖症になるという。
「そういえばキマイラの死骸が見つかったのは観覧車だったな」
 遊んでいて忘れていたが今回の目的は魔法少女の捕獲だ。
「キマイラ発見でアトラクションが停止されてないのか?」
「キマイラ如きで此処が影響を受けると?」
 言われてみればその通りだ。
 地下のモノレールにて中央エリアに向かい、目的地の向日葵一号にたどり着く。
 桜丘の予想通り、向日葵一号は運転していた。
「しかし、近くで見るとスゲーでかいな……」
 上を眺めれば、一五〇メートルの鋼の向日葵が太陽に向かって咲いていた。
 その光景はまさに大輪。
 感動に浸りつつ、チケット売り場で大人二人分のチケットを購入して向日葵一号のゴンドラ乗り場に行く。人は混雑していない。時間的に昼食を取っている為だろう。
「この観覧車。下りるまで三十分以上掛かるな」
「ええ、でもその方が楽しめますわ……」
 桜丘がクスリ、と笑った気がした。
(そんなに観覧車がすきなのか?)
 その判断が間違いだと気付くのはゴンドラが頂上に到着してからだった。


 東雲たちが乗らなかったマシンは発進してから一分で搭乗口に戻ってきていた。
 ジェットコースターのマシンには三人の乗客がいる。
(スリルが足りないかな……)
 車輪の外れたマシンの席から降りるのは青いワンピースの女の子だ。彼女はつまらなそうにステップを下る。
「次はあそこ!」
 元気に喋っているのは隣席でキャーキャー楽しんでいた赤い衣服の男の子。その顔は自分とソックリだ。そして最後にマシンから下りてきたのは蓮井高校指定の黒い制服を着込んだ男。
「その前に昼飯だ。いい加減疲れんだよ」
 秋村修治だ。
 彼の言いたい事はもっともだ。このままではこの巨大なテーマパークを一日中歩き回ることになる。
「ぶー」
 翔が頬を膨らませて拗ねる。
「なら、あそこ行こっ、あのデッケー観覧車!」
 翔が人差し指を差して示したのはテーマパークの売りの一つの向日葵一号だ。昨日、キマイラが死骸で発見された伝えられた場所でもある。
「翔君!」
 このまま秋村を引きずっていくわけにも行かない。助けてもらった上に迷惑まで掛けたのでは嫌われてしまう。しかし、当の秋村は仕方ない、といった表情で渋々承諾する。
「……アレ乗ったら昼食だからな」
「りょーかい!」
 翔が海兵隊のような敬礼をして満面の笑みで快諾する。
「……すみません」
 翔に代わり秋村に謝っておく。
「気にするな、どうせ言ってもきかん」
 その通りだ。


 テーマパーク一の建造物向日葵一号、一五〇メートル級の天辺は空気を薄く感じるほどであり東雲たちが乗ったゴンドラはその天辺にいた。また強風が吹きつけてゴンドラが程よく揺れている。
「高いとは思っていたがここまでとは……、落ちたら助からねぇぞ」
「そうですかしら、姿勢制御して受身を取って運が良ければ命ぐらいは助かりますわよ? その後の人生で指一本動かなくなるかもしれませんが」
 隣席で桜丘が語る。彼女は先ほどから嬉々として喋りかけており、特に頂上についてからはテンションがハイだ。
「……どうしたんだ桜丘? マジでテンション高いんだが?」
「何故だと思います?」
「……高いところが大好きだから」
「ハズレですわ」
「……暑さに脳がやられたから」
「それはどこぞのバンドマンだけですわ」
「……わからんな、どうしてだよ?」
 ふぅ、と桜丘はため息を吐く。
 簡単な事ですわ、と告げてから桜丘は東雲の頬に触れ、
「此処なら邪魔が入りませんし貴女の逃げ道もありませんわ」
 そのまま座席へと押し倒された。桜丘は体重を押し付けて東雲の身体を固定し、指を絡めてくる。
「おい桜丘、邪魔だ退け」
「……意外と冷静ですわね? でも……、ん」
 迷いなく東雲の唇に桜丘のそれが重なる。
 それから十秒ほどを費やして桜丘の方が先に唇を離した。彼女は僅かに不思議な顔をして問う。
「どうして抵抗なさらないの?」
 つまらない問いだと思いつつも答えるならば。
「お前が喜ぶからに決まってんだろ? わざわざ相手喜ばしてどうする?」
 抵抗したところで桜丘が喜ぶだけだ。ならば抵抗する事に意味は無い。むしろ抵抗せず覚悟を決めた方がマシというもの。
 理由を告げれば桜丘は呆れ顔でありえませんわ、と愚痴を零す。そして興ざめしたのかあるいは油断させる気か、東雲の束縛を解いて自ら正面の席へと座りなおす。
「全く、どうして貴女はそう無防備でいられますの? 普通は恐れたり慄いたりするでしょうに」
「その台詞そっくり返してやるよ貴族の女」
 彼女も無防備だ。自分が信頼する人の前では警戒を抱かない。
「もういいですわ。――邪魔も入りましたし」
 なに、と東雲が言い切る前に天頂のゴンドラが縦に切断された。


 そよ風だ。
 桜丘が最初に感じたのは外に出た時に感じる風の流れだった。
 二つに分かれていくゴンドラはまるで東雲との距離が離れていくようにも感じる。しかし、今見るべきなのは東雲ではない。
「さて貴女が件の魔法少女ですか」
 目の前にバトルアックスを振り切ったゴスファッションの少女がいる。私的にはアリかなと考えながら五十センチのトンファーを取り出して両手に構えた。そしてゴンドラを支えていた接続部が異常事態に耐え切れずに分解する。
「まったく無粋ですわ。貴女には相応の仕打ちをしてあげましょう」
 鉄の座席が地上に向かって落ちていく。このままでは数秒とたたずに地上に激突するだろう。だから落ちきる前に桜丘は観覧車を支える鉄骨のフレームへと飛び移り、ゴスファッションの少女もまた近くの鉄骨に飛び移った。
 東雲は戦いに巻き込まれるのを警戒して、もう少し下の方で飛び降りた。
「テメェ、強いだろ?」
 少女が口を開いて問いを放つ。その言葉を聴いてさらに不快を深めた。
「私が強いですって? 貴女、余所者ですわね」
 自分の強さなど知っている。だからわかる。
「教えて差し上げますわ。私、強いですわよ」
 告げたと同時に別れた鉄のゴンドラが地面にと衝突、その姿を残骸へと変えて崩壊の悲鳴をあげた。
 それが戦闘の合図となる。
「砕いて差し上げますわ。貴女の武器もプライドも」
 鉄の悲鳴が鳴り止む前に鉄骨の足場を駆け抜ける。
 攻撃は素早く且つ確実に。その言葉を体現するよう右手のトンファーを敵の頭蓋に振りぬいての攻撃、避けるか受けるかしなければ一撃で頭骨を砕くだろう。
 だが少女は斧を掲げてトンファーを防ぐ。
「二撃をどう防ぎます?」
 緩やかな問いとは裏腹に左手のトンファーを高速で打ち出し握りを返す。トンファーは勢いよく回転して相手のわき腹に直撃、肋骨が折れる音と感触が左手を伝わる。
「ッ!?」
 気付けば相手の左脚が蹴りを放っていた。トンファーと同じ速度で放たれた蹴りはこちらのわき腹を捉える、無防備な肌を通して肋骨が軋んだ。
 受けた衝撃で足場の鉄骨から足が滑る。
 空中へと投げ出された身は容易く落下する。
 桜丘はすぐに手ごろな鉄骨へとトンファーを打ちいれて速度を殺して落下を止め、身体を回転させれば鉄骨へと着地。
 足場を取り戻した桜丘は頭上、少女の方にトンファーを構えて。
 其処に少女が居ない事に気付いた。
(何処に?)
 答えは下。
 桜丘が落ちたと同様に少女も落下していたのだ。
 少女もまた別の鉄骨に斧の柄尻を叩き入れて落下を止める。それを好機と感じて桜丘は空へと身を躍らせた。
 眼下、少女の首を落とすために姿勢を崩してでも両手のトンファーを回転させる。
「喰らいなさい!!」
 上空で少女の首目掛けてトンファーを繰り出した。
「ほざくなッ!!」
 少女は斧の下に身体をずらし対応、双のトンファーを斧の柄で止める。桜丘は止められたトンファーを支点に左蹴りを放ち、
「ぐッ?!」
 着弾した左足で斧の穂先を蹴り飛ばし、その反動で鉄骨に着地する。
「くッ!」
 少女は蹴り飛ばされた穂先に引きずられ落下。空中で姿勢を正して一つ下の鉄骨に着地する。
「意外にやりますわね?」
「テメェ……!」
 微笑する桜丘に歯軋りする少女、優劣こそ付いてないが精神的な差が現れ始めた。


 観覧車の中間地点に位置する場所に三人の乗客を乗せたゴンドラがある。
 三人のうち蓮井高校が指定する黒衣の学生服に身を包んだ者が一人。
「あいつらなにしてんだ?」
 秋村はゴンドラの席で呟いた。その理由は外で二人の女が曲芸を披露しているからだ。しかも見る限りでは片方はクラスメイトの様な気がする。
「わー、やるー!」
 隣で目を輝かせて騒ぐのは小学生ぐらいの少年、翔だ。
 翔もその気になればあれぐらいの事は出来るだろう。だから、外に飛び出そうとしていた。
「止めて翔君。今目立つと色々まずいから」
 それを宥めるのは翔の双子の妹の翼。
「それにしてもすごいな。桜丘の馬鹿みたいな攻撃を防いでやがる」
 ゴスファッションの少女は体格こそ劣るものの不安定な足場で互角に戦っていた。
「あれ、マガです」
 少女を差して正面の翼が一言告げてきた。
「マガ? あいつが?」
「はい。手配書で見た事がある、魔術師組合がA級首として懸賞金を懸けている魔法少女マガ……。たぶん実力は私たちよりも上かな」
 そうか、と秋村が呟き、
「で? あのマガも網羅の一員なのか?」
「違うかな。……たぶんマガは妖精だと思う」
 妖精とは世界各地の文献において子供を攫うとされる空想上の生物だ。
 だが翼が示した妖精は少し意味が違う。
 すなわち妖精とは魔術師組合が犯罪を起こす時に派遣される組員を指した隠語だ。そしてその犯罪とは魔術の才ある子供の誘拐であり、攫われた子供たちは魔術師組合によって洗脳教育を受けて育っていく。
「妖精ってことはマガも狙いは子供か。まあ、蓮井の子供は戦時中の超悪魔召喚の所為で才能に溢れている奴が多いからな」
 その最たるものは三強だろう。
「……あの」
 ほんの少しだけ頬を赤らめた翼が聞いてくる。
「今更ですけど、なんで私を助けてくれたんですか?」
 翼は意図して翔を省いていた。
「本当に今更だな。第一助けを求めたのはそっちだろ?」
 半年前の早朝、自宅の前で死に掛けていた双子の翼と翔を発見したのは秋村だった。だが、彼はその状態の双子を放置、夕方に帰ってきたとき翼が彼に救助を求めた為に今に到る。
「あれだ。運が良かったんじゃないか?」
「運……ですか」
 翼は意気消沈して残念そうにため息を漏らす。それを眺めて秋村は苦笑。
「むしろ運が良かったのは俺のほうかもしれんな……。言い方は悪いが便利な手駒が二人も手に入ったわけだし」
 嘘ではない。
 翼と翔は戦略の幅を広げてくれる。
 翼は情報集積とその取捨選択が上手く、翔は相手の全力を引き出す事が出来た。そして双子には再生能力が備わっている。これにより双子と戦った相手は二度目の戦いで必ず敗北する。中には短期間で成長するタイプも居るが、それすらも翼にとっては予測できる範囲だった。
 そんな双子の助力の甲斐もあり、この半年で蓮井高校生徒の戦闘能力情報は順調に収集できている。そして残っているのはA級のみ。
「翼、この戦いも記憶してるな?」
「え……? あ、はい、マガもあの女性もしっかりと」
「なら桜丘を良く見ていろ。……これはお前にしか出来ない、お前だけの仕事だ」
「……! ハイ!!」
 翼が嬉しそうに答える。


 吹き抜ける鉄骨が足場の戦場は集結へと向かっている。
 マガは負けていた。
「くそッ!」
 どうしても勝てない。
「くそッ!!」
 どうして敗北するのかがわからない。
「ちくっしょッ!!!」
 実力は同程度、ならば差は何処にある?
「意地の差ですわ」
 追撃の手を止めぬ女が答えた。
「実力が同じならば戦いの決着はそれ以外の要素で決まりますわ」
 また一撃、防げるはずの攻撃を腹部と脚部に叩き込まれる。
 マガの身体は既にズタボロ、骨肉は砕かれ削げ落ちている。だがそれでも女は攻撃を止めはしない。そんな事に意味が無いからだ。
 女は殺す気などという半端な攻撃を仕掛けてはいない。女はただひたすら、マガを破壊する為だけの攻撃しかしていない。
「だったらなにか!? 俺は意気地なしって言いたいのか!? ふざけんな!!」
 弧を描くように首狩り斧を振り回す。だが攻めと責めの一撃は、もはや女に掠りもしない。
「ええ、意気地なしですわ。そんなつまらない攻撃しか出来ない方は意気地なしで十分」
 回避した動きを途切らせる事無く反撃してくる。トンファーの先端が胸部を穿ち、文字通り胸が潰れた。
「もはや貴女はつまらないですわ。これだけの実力がありながらこの程度では……」
 胸部から真っ赤な鮮血が流れる。
「終わりにしましょうか」
 身を屈めて女が突進、こちらを押し切って空へと舞う。

 地上高100メートルからの落下が始まった。

 風が髪を逆立てて、景色が高速で流れ始めて止まらない。
 落ちる。それだけは確かだ。
「なッ!?」
 だが落ちるのはマガだけではない。突き飛ばした女も一緒に落ちていく。
「正気かテメェ!?」
 地上高90メートル。激しい風切り音が耳をつんざくように響いていく。
 冷たい風の中、女はマガの身体を捉えてマウント状態に抑え込む。
「このままだとテメェも死ぬんだぞ!!」
 地上高80メートル。凄まじい風圧の中でマガが叫んだ。しかし、女は無視、それどころか今の状況ですら温いというように両手のトンファーで殴りかかってくる。
 咄嗟に斧で防ぐものの一撃の重さと風圧の激しさに押し負け斧を落としてしまう。
「!!」
 地上高70メートル。恐怖が募る空間で女が笑った。
 女はトンファーで打撃を加えてくる。両腕で防ぐも痛みが走り、腕が折れた。それでも防ごうと腕を前に差し出す。
「なにを怯えているんです。勝負はまだ決まっていないでしょう?」
 地上高60メートル。躊躇う事無く、恐れる事無く、女が涼しい顔で告げてくる。
「ふざけんな!! テメェも死ぬんだぞ!?」
 地上高50メートル。激怒と混乱と必死な形相でマガが叫ぶ。
 だからこそ、トンファーを折れた腕と手で受け止めて女を引き剥がそうと力を籠めることが出来た。だが、そこまでしても女を引き剥がせない。
「死ぬ? それは考えていませんでしたわ」
 地上高40メートル。フフフ、と女が微笑してトンファーの柄尻でこちらの手の甲を砕く。
「私が考えているのは貴女を壊す事だけですわ」
 地上高30メートル。地上に近づくたびに心拍が唸る。
 死なない為には翼が欲しかった。
「俺が死ぬかよ!!」
 地上高20メートル。
 跳ねる心臓を押さえつけるようにイメージする。一対の翼、飛翔ではなく安全に地面にたどり着く滑空の翼をイメージする。さすれば背部がむず痒く振動し、漆黒の背翼が生まれた。
 風の負担が翼を軋ませる。だが、落下速度は急激に無くなった。
「やはりそうでしたか、貴女の変身魔術ならばこの窮地を脱する事が出来る」
 嬉しそうに女は笑ってトンファーを頭上に掲げていく。
「でも残念。やはり貴女は恐怖に屈して安全に溺れたチキンですわ」
 そして女はトンファーを回転させて振り落とし、背翼の基部を正確に砕いた。激しい痛みが体中を駆け抜けていき、基部を破壊された翼は羽ばたくという役目を果たせなくなる。
「おい!?」
 マガは怒気を滲ませた表情を浮かばせる。そして落下が再開した。
「テメェはどこまで!!」
 地上高10メートル。地面が迫るなか、もはや回避など出来ようもない。
 恐怖とは何か、
 九メートル。
 不安とは何か、
 八メートル。
 苦痛とは何か、
 七メートル。
 それは今の状況だ。
(いやだ! 俺は、俺は死にたくない!!!)
 六メートル。
 つかまる場所など無いのに必死でもがく。
 五メートル。
 恐怖で目が血走って頭の中には走馬灯が描かれていく。
 四メートル。
 それを振り払うようにさらにもがく。
 三メートル。
 気付けば涙が頬を伝っていた。
 二メートル。
「フフフ」
 一メートル。
 最後まで女は笑い続けた。
 ゼロメートル。
 そして無常にも最後の一時が訪れた。


 向日葵一号は運転を停止していた。それは二人の乗客がゴンドラから落下した為である。落ちた乗客の一人は瀕死の重体、もう一人は、
「どうして無事なんだ?」
 東雲は地上に到着してから桜丘を見つけた。だが、桜丘はほとんど無傷に近い状態で戦闘での傷以外はない。東雲とて遠目から見ていただけだが、桜丘は間違いなく魔法少女を巻き込んで地上に激突したはずだ。
「簡単ですわ。あの子をクッションにして着地しただけですわ」
 恐ろしい事を口にする。
「それにしても彼女も中々、……激突の間際に翼を倍の大きさに広げて衝撃を和らげてダメージを最小限に抑えましたわ。まあ背骨は砕けましたけど」
 桜丘はまるで無関係の人間のように喋っている。
「さてと、次は何処に行きましょうか? 今回は私が全て終わらせましたから今日一日付き合ってもらいますわよ?」
 しかも、桜丘はまだ遊ぶつもり満々だった。どうやら先ほどの下落したテンションが魔法少女との戦闘で復帰したようだ。
「……まあ仕事が終わったのは事実だから別にいいか」
 魔法少女は蓮井病院の集中治療室に送られる。事情聴取などはずっと先になるだろうが、そんな事は知らない。何故なら頼まれたのは捕獲するだけだから。
 そして桜丘に何処に行くのかと問いかけてみれば、彼女は笑って答える。
「早速ホテルに……!」
「くどい!!」
 東雲咲哉の受難はまだ終わらない。


≪桜咲き誇る真夏の夜まで残り二十二日≫




 ネット小説ランキングさん(現代ファンタジーコミカル部門)にて「桜の姫君」を登録しています。御投票頂けると、やる気が出ます(※一作品につき月一回有効。複数作品投票可能)。

ネット小説ランキング:「桜の姫君」に投票


サイトトップ  小説置場  絵画置場  雑記帳  掲示板  伝言板  落書広場  リンク