真相が見えた。 駿兄のそんな発言に僕や飛月は勿論、奈都子さんや警部さんまでもが驚いた。 「どういうことか、説明してもらえるかな?」 「人が一人死んでるからな。今回ばかりは、じらすわけにもいかねぇか」 手を頭において、駿兄は苦笑する。 「それじゃ、私は事実確認のために関係者の二人を呼んで――」 「いや、その必要はねぇ」 「え? で、でも……」 「いいんだよ。むしろ、俺が今からする話の為には他に誰かを呼ぶと色々とマズい」 色々とマズい……というのは、どういうことなのだろう。 そりゃ、推理小説よろしく関係者各位を呼んで推理を披露なんて事が効率がいいなんて、僕も考えてはいない。 ただ、奈都子さんの言うとおり、推理の過程で事実確認のために証言者である二人を呼ぶのはいいと思うんだけど……。 「まずは話を聞いてみろ、と。そういうことかね」 「さすが警部殿は話が早い」 警部の言うとおりだ。 とにかく、今は駿兄の話を聞くのが先決だろう。 今、全てを知りうるのは、犯人を除けば駿兄なのだから。
「まずはっきりさせておくべきは、高橋さんの死が、手首を切ってる状況や遺書の通りに単純な自殺なのかどうか、だ」 「それなら、答えは簡単よ。自殺なんてありえないわよ!」 「僕もそう思う。さっきも、指紋の件からそんな答えが出たしね」 前崎さんと上野さん。 今日の高橋さんの動向についてを知る二人の人物の証言の双方が真であるならば、来訪者があったのは事実だ。 それなのに、部屋から高橋さん以外の指紋が見つからないのは不自然だ。 もし、どちらかの証言に嘘があるなら、それこそ怪しい。 つまり、証言の真偽に関わらず、死亡前後の高橋さんの死に誰かが関わったということになる。 そこまでは、さっき僕が証明したはずだ。 「そう、これは単純な自殺じゃあない。となると、人の死として考えられるのは病死、事故死、そして他殺だが」 「遺書めいたものを残して、しかも手首を切るような病死、事故なんてありえないわ」 「そうなると、残った可能性は他殺。それも自殺に偽装までする手の込みよう……そういうことかね?」 奈都子さんや警部さんが言うように、状況が状況なだけに、自殺でない以上、他殺は確定事項だろう。 本題はここからだ。 「だから、犯人は前崎さんだって! 最初からそう言ってるじゃん!」 「まぁ、待てって。犯人候補は、他にもいるだろ?」 焦る飛月を抑えて、駿兄は奈都子さんの方を見る。 すると、奈都子さんも理解したように頷いて答えた。 「隣人にして重要な証言者、上野さんも犯人候補ってことね」 「前崎さんと上野さんの両方の証言が真なら、二人とも違う第三者が犯人ということもありえるな」 今回の事件は、ミステリ用語でいう所のクローズドサークルで起きたわけではない。 よって、高橋さんの部屋に入ることのできた人間なら、誰もが犯人候補になりうるということだ。 「だが、ここでまず最後の可能性は除外できる」 「最後っていうと、犯人が第三者っていう可能性のこと? でも、どうして?」 「時間だよ」 奈都子さんの問いに、駿兄が答える。 「第三者が犯人だってんなら、上野さんの証言は正しくなる。つまり、部屋に来た時刻は十時半過ぎ。……人ん家にアポなしに来るには少し早いと思わないか?」 「それは……。でも、上野さんだって朝八時過ぎには起きてるの見てたわけだし」 「だけど、その事実を他の連中は知らない。土日ってこともあって、まだ寝てるかもしれないだろ。そんな部屋に入れるかどうかもわからない時間に、わざわざ行こうと思うか?」 朝よりも、ほぼ確実に起きているだろう昼以降に行ったほうが、部屋の中に入るには確実だ。 もし、犯人が高橋さんを本気で殺す気でいたなら、それこそ確実にいる時間を狙うはず。 そういうことなのだろう。 「それに、行ってみたはいいが、留守だったり先客がいました〜なんて可能性もある。事実、今日も午前に前崎さんと会う約束だったみたいだしな」 留守は勿論、先客がいたのでは、部屋には入れないし、犯行を行う事も出来ないだろう。 「……で、でも、それならその日は諦めて、別の日にまた来ればいいだけの話で……」 「阿呆。そんな何度もこの家に来てるのを誰かに見られたら、それこそ怪しまれるだろ。こういうのは目撃者や証言者を出来るだけ減らす為に一発勝負でやるもんなんだ」 「ハハハ、まるで経験者のような言いぶりだ」 からかう様に、源警部は笑う。 「ということは、だ。逆に言えば犯人は、高橋さんが今日の午前、起床及び在宅、更には他の客と会っていない状態であることを知っていたというわけか」 「あぁ。その通りだ。んで、それに相当する人物っていえば、結局のところ二人しかいない」 「それが、前崎さんと上野さんってわけだね」 僕の問いに駿兄は頷く。 前崎さんは今日、もともと会う約束をしていたから、その時刻に行けば部屋に入れることを知っていた。 そして、上野さんも部屋が隣ということで、壁越しに高橋さんの動向をうかがう事が可能だ。 すなわち、今日の午前、高橋さんの部屋に入れることを確信出来たのは二人だけということ。 「そうなると、ここでポイントになるのは最初に自殺だと思うに至った状況だ」 「状況って言っても、手首を切って死ぬなんて普通は自殺だと思うんじゃない? だからこそ犯人だって、そういう風に偽装したんだし」 「問題はその先だ。死に方と合わせて、自殺を裏付ける――いや、自殺だと思わせる為の状況ってやつだよ」 確かに、自殺を匂わせる証拠なら、いくつか見つかっている。 例えば―― 「それって、あのパソコンに残っていた遺書ってこと? 駿兄」 「だな。それも自殺を匂わせる状況の一つだ」 普通、自殺というと自殺の経緯等を記した遺書が出てくることが多い。 つまり逆に言えば、自殺に偽装する場合でも、遺書を用意することが多いということだ。 「でも、これって直筆じゃないし、パソコンでなら誰でも作れるような……」 「確かに文字を打つ事は誰でも出来る。だがな、その内容までは誰でも書けるもんじゃない」 「内容……そうか。自殺の理由が確か研究関連だったな」 「つまり、遺書を偽装できたのは、研究の事で悩んでいたのを知っていた人物。そういうことね」 僕も奈都子さんと同意見だ。 そうなると、容疑者としてに凝った二人のうち遺書が偽装できたのは―― 「やっぱり、前崎さんだよ! 実際、研究に行き詰ってたとか言ってたし!」 「ふむ……。となると、例の剃刀の件も納得がいくな」 「警部。剃刀の件とは、何のことですか?」 そういえば、駿兄が剃刀の話をしたのは奈都子さんがいなくなった後だったっけ。 警部が簡単に駿兄が話した内容を説明すると、奈都子さんは納得したように頷く。 「なるほど。被害者と親交があり、寝泊まりもしたことがある彼ならば、剃刀の事も知りえたってことね……」 「死者の事を悪くは言いたくないが、高橋さんは誇示欲の強いタイプだったそうじゃないか。剃刀が高価なものなら、友人に見せびらかしている可能性は大いにある」 「そして、剃刀の話を知っていたからこそ、自殺っぽく見せようとあえてその剃刀を選んだ……そういうことね!」 飛月はそう息巻くが、何故か駿兄は表情を硬くしたままだ。 これって…… 「駿兄……もしかして、犯人って前崎さんじゃないの?」 「何言ってるのよ、莞人〜。今のこいつの話じゃ、犯人に相当するのはどう考えても……」 「ああ。犯人の条件をそろえてるのは事実だよ。……たがな、今回の犯人と考えるとおかしい事がある。分かるか?」 条件を満たしているのに、犯人だとおかしい。 駿兄の問いに、僕達は誰も答えられなかった。 「……おかしいのは、指紋だ。調査結果を見たが、前崎さんの指紋がめぼしいところから全く見つからなかった」 「え? そ、それのどこがおかしいの?」 「そうよ。犯人が自分の指紋をふき取るのは普通でしょ? 指紋が無くて当然じゃない」 「そりゃ、凶器とかの指紋を消すのは普通だろうよ。だが、前崎さんが部屋中の指紋を消すのはかえって不自然なんだ」 犯人の心理として、自分が現場にいた痕跡を消したいのは当然のことのはずだ。 それなのに、駿兄は前崎さんが指紋を消したという仮定に疑問をぶつける。 現場に指紋を残した方が、犯人にとって利益があったというのだろうか。 「いいか? 前崎さんの言ってた事を思い出してみろ。前崎さんがこの部屋に指紋を残すチャンスがあったのは、今日だけか?」 「いや、それは……。……!! そうか、なるほど。そういうことか」 「私としたことが、こんな事に気づかないなんて……」 源警部と奈都子さんがそろって納得したように頷いた。 かく言う僕も、駿兄の言いたいことは分かった気がする。 だが、一人。飛月だけはきょとんとした表情のままだった。 「ね、ねぇ、莞人。どういうことなの? 何でなっちゃん達まで納得しちゃってるの?」 「いい、飛月? 前崎さんが犯行目的以外でこの部屋に来たことってあったんだっけ?」 「う、うん。確か何度もあるって言ってたよね。寝泊まりもしてるって言ってたし」 「……だったらさ、前崎さんの指紋はどこかしらに残っていても自然じゃない? 逆に言うと、指紋がない方が不自然というか……」 そこまで説明したところで、ようやく飛月も気付いたようだ。 “指紋がない”ことの不自然さに。 「前崎さんが犯人だと仮定した場合、自分がここに来た事がある事実を自ら抹消したことになる。……しかし、にも拘らず彼は先ほど、寝泊まりするほどここに来た事がある、と証言している」 「そんな証言を自らするなら、指紋は残しておいた方が有利ね。もし、指紋が見つかったとしても、今日より前に部屋に入った時のものだって主張すれば、犯行の証拠としては決定打に欠けるものになるし」 「指紋を消した以上、自分から指紋が残っている可能性を示唆するのは流石に自殺行為……そういうことだよね、駿兄」 「ま、ドジって自爆したって可能性も捨てきれないが、偽装自殺なんて企てる奴が、そんなヘマするってのは考えにくいと思うな」 僕もそう思う。 衝動的な殺人なら、まだしも、今回の殺人は明らかに計画的だ。 そんな冷酷な殺人計画を立てる人間が、追い詰められてもいないのに行動や証言を誤るとも考えにくい。 「で、でも、それなら犯人はもしかして……」 前崎さんの犯行の可能性が薄くなった以上、二人の容疑者のうちの残りの一人が犯人である可能性が必然的に高くなる。 そして、そのもう一人とは―― 「となると、犯人は上野さん。そういうことかな?」 警部さんが真剣な面持ちで駿兄に尋ねる。 消去法でいく以上、犯人はもう上野さんしかいない。 表向きはマンションの隣人同士というだけの関係のようだが、奈都子さんの報告により実際は他にも接点があることが分かっている。 もしかしたら、そこらへんで僕達の知らない何かがあるのかもしれない。 ――そう考えていたにも関わらず、駿兄が次に発した言葉は意外で、 「いや。それもおかしい話だな」 「え? でも、前崎さんが犯人じゃない以上……」 「そこで消去法に囚われたら、肝心な真実が見えなくなるってもんだ」 真実は、ありえない可能性を削っていった結果として出てくるものだ。 今回の場合だと、それは犯人候補から犯人たりえない人物を除いた結果として導かれるはず。 それなのに駿兄は、それをあっさり全否定してしまった。 「もし上野さんが犯人なら、確かに指紋を隠滅しようとした理由は分かる。元々隣人以上の関係じゃないって言ってたくらいだから、前崎さんと違って部屋に入った経験もないだろうし」 「そ、そうでしょ? だったら、やっぱり犯人は……」 「だがな、だったら完璧に指紋をふき取ったってのに、何で俺達と一緒に部屋に入った? あんな事したら、余計な指紋が付くに決まってるだろ」 「余計な指紋……玄関や風呂場から僅かに見つかったやつかね」 上野さんは僕達と一緒に部屋に入り、高橋さんの遺体を見つけた。 だから、それらで見つかった指紋もその時に付着したものだろうという結論に至ったはずだ。 「そりゃ何も触らないように意識することはできるが、そんなことしたら挙動が不自然になるし、俺達に怪しまれるかもしれない。わざわざ危険な事をする必要もないのさ」 確かに、指紋を付けないように意識するとなると、手の動きがどうしても不自然になるだろう。 そんなところに目をつけられたら、たまったものではない。 「……ってことは、上野さんが犯人なら、部屋に入らない方がベターってこと?」 「そもそも俺達の前に顔を出す必要がなかったんだ。音楽聴いてたとか言い訳すれば、俺達が外にいたことに気付かなかったことになるしな」 言われてみれば、ごもっともなことで。 遺体の第一発見者ともなれば、たとえ警察がそれを自殺と考えていても、状況説明などの聴取は受けることになる。 その聴取で、何かボロを出してしまったらたまったものじゃない。 それに、もし警察が自殺に違和感を感じれば、第一発見者で隣人だった自分を容疑者として疑い出すかもしれない。 事件の第一発見者を疑うという事は、小説の中だけで行われていることじゃないみたいだし。 「……ってことはさ、あの時にあたし達の前に出る理由があれば、話は変わるんだよね?」 「まぁ、それはそうだけど……って、ひ、飛月? どうしたの?」 「ふふふ……あははははは! あたし、全部分かっちゃった! この事件の真相が!!」 唐突に飛月が高笑いをしだした。 その光景に、僕だけでなく奈都子さん達も呆然とする。 「つまり犯人……この場合、上野さんね。上野さんは、あの時間に高橋さんの死体を見つけてほしかったのよ。あたし達に」 「ど、どういうこと? 何で時間指定なんてするのかしら」 「上野さんは、高橋さんが今日の朝から昼にかけて死亡したって事実が欲しかったんだと思う」 「ふむ、興味深そうな話だ。何故、そのような事実が欲しかったのかね?」 皆の注目を浴びてか、飛月の顔が更に得意気になる。 「それは勿論、そうすれば朝から昼にかけて元々ここに来る予定だった人を容疑者に仕立てられるからよ!」 「容疑者って……これは偽装自殺なんでしょ? 自殺に見せかけて殺しておいて、更に偽の犯人を用意するってどういうこと?」 「上野さんは、今回の事件がただの自殺として処理されるだなんて端から考えてなかった。……うぅん、むしろ自殺偽装だって気付かれるように色々小細工してたんだと思う」 即ち、自殺にしては不自然な状況というのは、全て偶然ではなく必然的に残されたものだということだ。 この場を調査する警察の人達に、これが自殺に偽装した殺人であると気付かせるために。 「でも、元々来る予定のあった人ってことはさ、つまり上野さんが罪をなすりつけようとしたのって……」 「うん。――要するに、上野さんは前崎さんに罪を被せるように犯行を行ったってわけ!」 つまり、飛月はこう言いたいのだ。 上野さんは高橋さんを自殺偽装で殺害、更にその罪を前崎さんに着せるために工作を行ったのだ、と。 でも、それは少しおかしいような……。 「でも、どうして自殺に偽装するだけじゃ飽き足らず、そんなことまで……」 「それに、前崎さんが今日ここに来る予定だったなんて、上野さんがどうして知ってたのよ」 犯行の理由もなければ、犯行を行うきっかけもない。 そんな二重の疑問がぶつけられて、なお飛月は余裕の笑みを浮かべている。 「動機は確かに分からないけど、それは後で本人に聞けばいい話でしょ? 大方、あの治験の一件で何かあったんだと思うけど」 「そ、それはそうだけど……それでも予定の件は――」 「そっちはすぐに説明がつくわ。この事件に至るまでの背景と照らし合わせてね」 飛月は、テーブルのそばまで歩いていくと、その上に置いてあった例の高橋さんの手帳を手に取った。 「きっと、上野さんはこの手帳を盗み見て、その予定を知っていたのよ。私の予想だと、手帳を盗み見てスケジュールを把握するために高橋さんが不在の時に忍び込んだんだと思う」 「それじゃ、高橋さんが誰かが部屋に勝手に入ってる気がするっていうのは、妄想じゃなくて――」 現実だった――そういうことになるのだろう。 しかし、そこで奈都子さんが反論する。 「でも、死亡時刻は検死をすれば、すぐに分かるわ。別にすぐに発見しようとしなくても……」 「忘れちゃったの、なっちゃん。死体はお湯のシャワーを被ってたんだよ。時間がたてばたつほど、死亡時刻の推定が難しくなると思わない?」 「だ、だったら、そもそもシャワーをどうして遺体に浴びせたの!? そんなことしなければ、死亡推定時刻に困ることもなかったじゃない」 奈都子さんの反論に、意外にもそれらしい回答で応酬する飛月。 次なる奈都子さんの反論にも、“待ってました”と言わんばかりの表情だ。 「もし、隣でシャワーが出続けてたら、なっちゃんなら隣は留守だと思う?」 「それは勿論、在宅してると思うわ。っていうか、そのなっちゃんっていうのいい加減――」 「それなのに、隣の玄関の前で留守だ留守だとあたし達が騒いでたとしたら。何事かと外に出て、高橋さんが在宅しているように話をする口実になると思わない?」 「そして、そんな話をすることで、中の様子を気に掛けさせ、ドアを開けるように仕向ける。更には部屋にあがりこませ、遺体の第一発見者とする。そういうことかね」 警部の言葉に、飛月も満足の様子だ。 「しかも、シャワーを流しておく事で、現場である風呂場にすぐに駆けつけられるようになっている……。シャワーにはそんな意味があったのよ」 駿兄が言っていた気がかりな事のうち、シャワーの件はこれで確かに片づけられる。 しかも、同時に鍵が開いていた理由も、僕達を簡単に中に入れるようにするため、と説明できる。 「ちなみに、あたし達がここに来る事も、事前に手帳を盗み見た時に知ったんだと思う。前崎さんの来訪後ということで、利用するしかないと思うに至ったと」 もし、上野さんが犯人で、前崎さんを犯人に仕立てようとしていたなら、あの十時半の来訪者という証言も納得がいく。 この飛月の推理、かなりいい線を行っている気がする。 「どう? あんたの言いたいことって、つまりこういう――」 「八十二点」 「へ? は、はちじゅう……」 「お前にしちゃなかなかの推理だがな。惜しいところいってるのに、肝心の結論が見当はずれだ」 今まで黙っていた駿兄が、ついに口を開いた。 「結論……って、どういうこと? 上野さんが犯人じゃないの!?」 「ああそうだ。その結論はちょっといただけない」 駿兄は、そう言って肩をすくめた。 「まず最初の疑問は部屋に侵入したって話だ。まず、そこから無理ある話だろ」 「ど、どうしてよ。ほら、今はやりのピッキングとかそういうのを使えば……」 「ここの鍵は複製の難しい防犯対策の施されたタイプの鍵だ。ピッキングも困難だろうな」 「そういえば、そのような報告を受けていたな……。サムターン回しやカム送りの対策も施されているタイプだから、合鍵以外でも解錠は困難だという話だ」 警部さんが思い出したかのように呟く。 サムターン回しやカム送りといえば、ピッキングと並ぶ窃盗犯の代表的な解錠手口だ。 それが困難という事は、イレギュラーな方法で鍵は開けられないということだ。 「で、でも上野さんは同じマンションに住んでるわけだし、大家さんや鍵のメーカーを上手いこと唆して、複製を手に入れたのかもしれないし……」 「じゃあ、とりあえずそういうことにしようか。だがな、そうだとしても、その留守中の部屋で手帳を盗み見るっていうのが、これまた大きな矛盾なんだ」 「ど、どうして? 留守中なら、探す時間もあるし、見つけるのは簡単なような……」 「考えてみろ。留守中ってことは、高橋さんは外に出かけてるってことだ。几帳面にスケジュールを管理するような人間が、予定を記すための手帳を出先に持っていかないと思うか?」 飛月は、「あっ」と小さい声をあげて、言葉を失った。 そうだ。高橋さんが手帳を持って出かけている可能性が大きい以上、留守中の部屋でそれを盗み見ることは不可能に近いということだ。 それでは予定を知る事も出来ない。 「予定が分からなければ、前崎さんに罪を着せる事も出来ない。……お前の推理の前提が成り立たないんだよ」 「そ、それも、もしかしたら偶然、手帳を持たないで出掛けた時に盗み見たかもしれないじゃない!」 「いいだろう。そういうことにしておこうか。だったら、犯行当日の矛盾を指してやるよ」 まだまだ駿兄には、飛月に指摘するべき点が残っているらしい。 「この部屋からは、高橋さん以外の指紋が見つかってない――ということは、それ以外の指紋は拭き取られたってわけだ」 「そりゃそうでしょ! 自分のいた形跡を消すのは当たり前じゃない」 「問題は本人の指紋じゃない。……部屋に残っているはずのもう一人の指紋。つまり、前崎さんの指紋だ」 指紋が拭き取られていなかったとしたら、あの部屋に残っている指紋は三種類。 ひとつは住人の高橋さんの指紋。 もう一つは、犯人と仮定された上野さんの指紋。 そして最後に、何度も来訪経験のある前崎さんの指紋。 しかし、実際は指紋は拭き取られていたわけで、高橋さんの指紋のみが残ることとなった。 そういうことになるはずだ。 「そ、それがどうしたの? 犯人が前崎さんに罪を着せる気なら、前崎さんが証拠隠滅を図ったという設定でついでに指紋を拭き取ったとしてもおかしくないでしょ。それが、前崎さんの犯行を否認するような結果になったのは皮肉だけど……」 「問題はそこじゃねぇ。前崎さんの指紋がさっぱり消えてたってことは、犯人は、どこに前崎さんの指紋が残っているのか知ってたって訳だ」 それを聞いて、奈都子さんが顔をハッとさせる。 「た、確かに不思議ね。前崎さんは寝泊まりもしてたわけだし、色んなところに指紋が残っているはずだし、それを細かく知っていたなんて……」 「それなら、部屋中掃除する勢いで拭き取ればいいじゃない! それなら、どこに指紋があったかなんて、考えなくても……」 「だったら、部屋中から一切の指紋が見つからないだろ。高橋さんの指紋も含めてな」 現実には、高橋さんの指紋も随所で見つかっている。 すなわち、拭き取るべき場所と拭き取らなくていい場所を取捨選択したということだ。 「赤の他人がどこに指紋をつけたか、なんて普通分かるもんじゃないだろ」 「そ、それは…………そう! きっと上野さんは前崎さんや高橋さんと実は仲が良かったのよ。それで一緒に高橋さんの部屋で寝泊まりしたことがあって、それで前崎さんがどこに手を触れたかも知っていた! そうよ、それなら高橋さんを殺して、その罪を前崎さんに着せてしまうような動機も産まれるかも――」 「おいおい。もし、そうなら前崎さんが上野さんとの関係を話しかねないだろ。大した付き合いはないっていう本人の証言と矛盾してるって分かったら、それこそ疑われちまうよ」 「そ、それは……う、うぅ…………」 相次ぐ駿兄の反論に、飛月はついに黙ってしまう。 いや、正確にはひたすら言葉にならない声をうめき続けている。 「うぅぅ……うがああああああ!!!!」 「ちょ、ちょっと飛月!」 「お、おい、ちょっと待て。何をするだ――うぼぁ!!」 雄たけびとともに腕を振るった飛月は、次の瞬間には、その拳を迷いなく駿兄にクリーンヒットさせていた。 すると、駿兄は思い切り壁に向かって吹き飛んでいった。 「それじゃあ、結局どういうことなのよ! あーでもない、こーでもない、そーでもない……結局、全部否定するんじゃない!」 「だ、だから落ちつけっての……。最初に言っただろ、八十二点だって……」 「だ〜か〜ら〜! あれだけ人の推理メタクソにしておいて、どこらへんが惜しいっての!?」 「一番最初の前提だよ……。お前最初に言ってただろ。“前崎さんに罪を着せるため”って」 顔を押えながら、駿兄は立ち上がる。 「そ、そりゃ言ったけど……」 「前崎さんに罪を着せる為なら、今日の午前を狙って高橋さんを殺害したのも、発見を早めるために鍵を開けておいたり、事件現場でシャワーを出し続けていたのも納得がいく」 「で、でも、それじゃ前崎さんは犯人じゃなくなるし、上野さん犯人説はあんたが全否定したし……」 「ってことは、やっぱり第三者の――あいた!」 犯行、と言いかけたところで、僕は駿兄に後頭部をぴしゃりと叩かれた。 「お前、さっきの話聞いてなかったのか? 上野さんもそうだが第三者が前崎さんの指紋を選んで全部消すなんて不可能なんだよ」 「あ、あのねぇ、それじゃ犯人は前崎さんの指紋の所在を知っていた人物……つまり前崎さん本人ってことになって、本末転倒じゃない! 馬鹿!?」 「いや、あと一人いるだろ。前崎さんがいる間、同時にその場にいてもおかしくない人物が一人」 「その場にいてもおかしくない人物って…………あ、アンタ、それって……」 確かに、一人だけそれに該当する人物はいる。 しかし、それってつまりは…………。 僕だけでなく飛月も、それに警部さんや奈都子さんもその答えに気づいたのだろう。 呆然とした面持ちで駿兄を見ていた。 「その通り。犯人は……高橋さん自身だよ」 高橋さん殺しを実行可能なのは、高橋さん自身のみ。 駿兄はそう言うけれど、それはつまり―― 「じ、自殺って言いたいの? そうなの、駿太郎!?」 「だけど駿兄、一番最初に自殺を否定したよね?」 「この世を儚んでの単純な自殺なら、な。だが、特殊な事情のある自殺までは否定してないはずだが」 確かに、駿兄は何度も言っていた。 ――これは“単純な”自殺じゃあない、と。 複雑な……つまり、誰かに罪を着せる等の通常ではありえないような事情を背景にしている自殺ならば、普通の自殺と状況が違ってもおかしくない。 そういうことなのだろうか。 「とりあえずは、動機云々は後回しにして話を進めるぞ」 「後回しって……もしかして駿兄、動機の事まで?」 まぁな、と小さく言うと、駿兄は言葉を続けた。 「今回の事件をかき乱した一連の不可解な状況、それはさっきも言ってたように、前崎さんの容疑を濃厚にするための工作だった」 「不可解な状況……君が言っていた鍵と剃刀、それにシャワーの件だね」 「あぁ。その点だけ挙げれば、さっきの推理はほぼ百点満点だった」 「え? ……えぇ!?」 飛月に顔を向ける駿兄。 急に自分の話を掘り返され、飛月はきょとんとする。 「鍵を開けとけば、午後に来るはずの俺達が不審がって、ドアを開けてくれるだろうしな」 「そうなると、シャワーはやっぱり、現場を特定しやすくする為の細工ってことかしら?」 「シャワーは保険も兼ねてるだろうな。もし、俺らがドアを開けずに去ったとしても、シャワーを出しっぱなしにしていれば、その音に上野さんが不審がって、今日中にでも注意しにここに来る……そう踏んだんだろう」 注意しに来た時に鍵が開いてれば、やはり不審がってドアを開けるだろう。 つまり、施錠とシャワーもよって、自身の死体を早く見つけてもらいたかったということだ。 そう考えると、そこらへんは確かに飛月の推理と殆ど変らない。 駿兄が百点満点と称しただけはある。 ただ、犯人の正体については余りに意外すぎて、そこで総合点が減点されたみたいだけど。 「剃刀も演出の一つさ。親しい人間じゃないと所在を知らないだろう凶器を使う事で、自身と親しい前崎さんに嫌疑を向けようとしたんだ」 「なるほど……。確かにこれで、不可解な状況にも帳尻が合うようにあったわけだ」 警部さんの言うとおり、これで現場に残った謎は解消された。 「それだけじゃない。前崎さんとの約束、睡眠薬の調達、指紋の拭き取りに、俺達への依頼……他にも高橋さんが今回の為に用意した演出は山のようにある」 「演出……これが自殺ではなく偽装自殺であると錯覚させるための演出ってことね」 「そうなると、十時半過ぎに上野さんが聞いたっていうインターホンとドアの音も、前崎さんが来たように思わせる演出だったってことになるんだね……」 「下手したら、上野さんに朝会ったのも、朝の段階での生存を確認させる為の意図的な遭遇だったのかもしれんな」 死に至るまでの様々な行動が高橋さんの演出だったということだ。 そう考えると、恐ろしいまでの執念を感じる。 前崎さんを何としても犯人に仕立てたいという執念を。 でも、なぜそこまでして、高橋さんは自殺なんかしたのだろうか。 「ただ、前崎さんの指紋を根こそぎ拭き取ったのは演出過剰――間違いだったな。犯人が証拠隠滅を図った様に見せたかったんだろうが、そればかりに気を取られすぎて、消さない方が自然だったことを忘れてたんだろうよ」 「だが、動機は何なんだい? そこまでして前崎さんに罪を着せようとする動機は」 源警部が、僕らの声を代弁するように駿兄に尋ねた。 高橋さんに罪を着せる為の自殺説は確かに、全ての状況を納得させる力がある。 ただし、そこには動機がない。 しかも、駿兄が指摘する犯人(?)が他界してしまってる以上、本人からそれを聞くことはできない。 知っているとすれば、謎が解けたという駿兄くらいだろう。 「……まぁ、あくまでこれは俺の推測だがな――動機はそこの遺書にある通りだと思うぜ」 「遺書って……。それじゃ、単純に研究に悩んで死んだだけになるじゃない。前崎さんに罪を着せる必要は――」 「あったんだよ。……高橋さんの性格なら、な」 自分の研究に行き詰まりに悩んだ挙句、どうして友人を陥れなくてはならないのか。 駿兄は高橋さんの性格ならありえるみたいに言ってるけど、どう考えてもそんなのおかしい。 「死んだ人間を悪くは言いたかねぇが、奈都子の報告とかから察するに高橋さんは、好かれるような性格じゃないみたいだな」 「プライド高く、人を見下すような性格。そして重箱の隅をつつくかのような神経質……確かそんな感じだったね」 「一方で前崎さんの評価は対照的に“人当たりのいい気さくなキャラ”。……どうして、高橋さんはそんな奴と仲良くしてたんだと思う?」 言われてみればそうだ。 いくら性格が正反対な方が仲がいい事も多いと言っても、もともと人を拒むような性格の場合、親交を深めるなんて無理って話だ。 「そ、そりゃ、きっと前崎さんがよっぽどお人よしで流石の高橋さんも心を開かざるを――」 「俺はそうじゃないと思ってる。……あれは仲良くしてたんじゃない。高橋さんが自分より格下の人間を常に傍に置いときたかっただけさ」 「ど、どういうこと駿兄……?」 格下の人間。 そんな友人関係からは全く出てこないはずのフレーズに、僕の背筋が凍った。 「高橋さんは言うなれば自分が一番じゃないと気がすまない人間だ。そして幸いにも、育った家はそこそこの金持ちだったみたいだし、成績も努力の甲斐あってトップ、そして研究も治験段階まで進むくらい順調――自分が人生の頂点にいると思うに十分だったと思う」 「頂点か。随分と視野狭窄な世界の頂点だな」 警部さんが苦笑する。 しかし、高橋さんにとってはそんな狭い世界での頂点でも十分だったのかもしれない。 「そして一方の前崎さんといえば、苦学生で成績も高橋さんに及ばず、しかも研究も進んでるとはいえ、高橋さんに比べれば地味なもの。……全てにおいて自分より劣っていると感じてたんだろう」 「でも、成績が下って言っても、それは高橋さんと比べたからであって、全体での成績はあくまで上位――」 「大事なのは自分よりも下っていう事実だけだ。そう、自分より格下である存在を常に傍に置くことで、自分の優位性に愉悦を感じていたってわけだ」 「もし本当にそうなら、マジで胸糞悪い話ね……」 駿兄の話に、飛月ですら不快そうな表情を浮かべていた。 だけど、聞けば聞くほど不快になる話には違いない。 「金を貸してたのも、自分が相手の生活を左右できるという優越感が心地よかったから。……そう考えると、金銭面では交友関係よりまだ人と繋がりがあった事にも納得がいく」 「全ては無意味な満足感を満たすため、ってわけね」 「だが、その優越感もとある出来事のせいでぶち壊れちまった」 「とある出来事……例の治験事故のことか」 新薬研究の一環で行った治験の最中に起きた死亡事故。 それ自体には高橋さんの非は全くなかったが、結果として今までの研究は全て見直される事となってしまった。 つまり、それまでの研究の積み重ねが全否定されてしまったということだ。 「プライドの高かった高橋さんにとって、研究は自分の誇りそのものだったはずだ。……それが見直されるってことは、自分自身を否定されたようなもんだ」 「それが、彼を今まで居座っていた頂点の座から引きずり降ろそうとしたわけね」 「あぁ。今まで一度も挫折を経験したことのなかったんだとしたら、それこそ、その出来事は高橋さんにひどいショック、絶望を与えたはずだ。……自殺を考えるほどのな」 研究の見直しは、僕達が考えている以上に、高橋さんにとって大きな挫折だったということだ。 それは、研究に力を入れていたからという理由だけでない。 本人のプライド、存在意義にすら関わる問題だったのかもしれない。 しかし、それでもまだ分からないことがある。 「でも、それが前崎さんを巻き込むこととどういう関係が……」 自殺した経緯は分かった。 というか、遺書を読んだり、前崎さんから話を聞いた段階で、それはなんとなく分かっていたことだ。 問題は、その先。 どうして、今回の件がこんなにややこしい話になってしまったのか、という点なわけで。 「辛抱ならなかったんだろうよ。……自分だけが転落していく中、相談に乗ろうとする余裕さえ見せる前崎さんが」 「で、でも、それは前崎さんの善意だったんでしょ?」 「向こうが善意のつもりでも、受け取る人間によっては悪意に感じるかもしれない、ということだろう。恐らく」 様々な人間模様を見てきただろう源警部が、感慨深そうな面持ちで、飛月の問いに答える。 「つまり、高橋さんは格下だと思っていた前崎さんが自分の上に立つ事を恐れて、罪を着せようとしたということか」 「まさに死なばもろとも。自分の命を代償にして、前崎さんもついでに奈落へと道連れにしようという考えに至ったってところだな」 「ついでって……。そんな理由で、あれだけ大掛かりな準備までしたっての? そんな馬鹿な事が……」 「私達にとって馬鹿な事でも、本人にとっては命を賭すに値する事だったのよ、きっと。……そんな気持ち、分かりたくもないけど」 奈都子さんは飛月の肩に手を置くと、忌々しげな顔でそう答える。 誰かに無実の罪を着せるための努力か……。 そんなの僕だって考えたくもないし、したくもない。 だけど現場の状況や証言が、それが実際に行われたということを如実に語っている。 動機はどうであれ、その事実は揺るがないだろう。 駿兄が推理を話してから間もなく、僕達は解放された。 あの推理を聞いた警部さんが、自殺ならば僕達のこれ以上の証言は必要ないだろうと判断したためらしい。 今は、事務所に戻って一息ついているところだ。 「はぁ……。何だか嫌な感じの事件だったね」 淹れたコーヒーを僕や駿兄の前に出しながら、飛月がため息をついた。 「自殺してなお友達を陥れようとするなんて……普通ありえないよ」 「でも、実際に事件は起こった……。つまり、高橋さんは普通じゃなかったってことじゃないかな」 駿兄が話してくれた動機を聞いても、彼が人並みの人付き合いをしていたようには思えなかった。 彼にとっての友達とは、陥れても心の痛まない存在だったのかもしれない。 「見下す為に友達作るなんてねー……そりゃ、普通じゃないかも」 「駿兄も、あんな歪んだ考え方がよく分かるなぁ、って思うよ。僕じゃ絶対に考えられないと思う」 「……ま、あれはあくまで俺の考えであって、真実かどうかは別の話だがな」 コーヒーを一口飲むと、苦笑気味に駿兄は答えた。 「確かに俺は残された情報から動機を考えたが、あれは可能性の域を超えないモンだ」 「な、何よ〜。そんな適当でいいの?」 「仕方ねぇだろ。動機なんてのは、それを持つ張本人にしか分からねぇんだから」 もしこれが、普通の殺人なら犯人を問い詰めて動機を問いただすことも出来ただろう。 しかし、今回は自殺であり、動機を持つ張本人が既に他界してしまっている。 すなわち、本当の意味での真相は闇の中ということだ。 「俺達に出来るのは、状況の説明と動機の可能性の提示までだ。その可能性を、本人が認めたり、周囲が納得してくれればそれで話はおしまいってわけだ」 「そんなものなのかなぁ……」 「そんなもんだ。……人ってのは、腹の内では何考えてるか分からねぇ生き物だ。だから動機までピタリと一寸の狂いもなく言い当てるなんて、それこそサトリの化け物じゃないと無理だろうよ」 そう言いながら、駿兄は僕と飛月を見やる。 そして、なぜかにやりと笑う。 「ま、お前らくらいなら、俺でもピタリと当てられそうだがな」 「ちょ、ちょっと! それどういう意味!?」 「そのまんまだっての。考え方が単じゅ……と、誰だこんな時に……」 駿兄は、ひどく失礼そうな事を言いかけると、着信音の鳴る携帯をポケットから取り出した。 そして、駿兄は携帯に出ていた発信元を確認すると、目を見開いた。 「俺だ! で、どうだった……。……あぁ……うん…………何!? でかした!! あぁ、勿論俺も行く! んじゃ、電気街口の改札前で!」 電話を切ると、駿兄はそそくさと事務所の入口へと歩いていく。 「……って、ちょっとアンタ! まだ事務所開いてる時間よ!」 「あー、だから、その……仕事だよ、仕事! ちょっと急な依頼が入ってな」 「あのさ、駿兄。さっき、電気街口って……」 「こまけぇこたぁいいんだよ! 事務所の方は任せた! アバヨ!」 駿兄はまさに脱兎のごとくの勢いで、事務所を飛び出していってしまった。 この突然の逃亡には、流石の飛月も追いかけようがなかったらしく呆然としている。 人は腹の内で何を考えてるか分からない――か。 僕は、今回の事件の状況が玉虫色だと考えていたけど、死んだ高橋さんの腹の内こそ玉虫色だったのかもしれない。 人によって、その人の思ってることが何色なのかという解釈はまちまちだ。 その色が本当は何色かなんて、本人にしか分からない。 ……そのはずなんだけど。 「あのさ、莞人。あのバカ探偵が出てった理由って――」 「うん、僕もなんとなく分かるよ……」 僕は思わずため息をついてしまう。 僕達の考えていることは単純明快と言いつつ、そう言ってる張本人が一番単純明快じゃないか……。 「ま、あのアホは放っておいて、あたしはちゃっちゃと夕飯の準備でもしよっか」 「え? じ、事務所はどうするの?」 「任せた! 大丈夫、どうせ誰も来ないし、仕事なんてないって」 さらっと酷い事を言ってのけた飛月は、そのまま事務所から住居スペースに通じるドアを開けて、その中に入っていってしまった。 残るのは僕だけ。 「結局こうなるのね……」 僕は、改めてため息をつく。 結局、その日は営業時間終了までお客さんが来る事はなかった。 そして、駿兄が返ってくることも。 深夜遅くに返ってきた駿兄と飛月が、毎度の如く小競り合いを繰り広げたのは言うまでもない。 <玉虫の死 完> 【解答&あとがき】 A: 高橋絹一郎の死は自殺。 ただし、偽装自殺と思わせるような要素を残し、なおかつ前崎達馬にその罪を着せようとしていた。 というわけで、今回も無事に完結しました。 ここまで読んでいただき、ありがとうございました! 今回は、自殺に見せかけた他殺に見せかけた自殺というたまーに扱われるネタを取り上げてみました。 一応、個人的にはだいぶ前から温めていたネタだったり。 たまには「こいつが犯人でトリックは云々だ!」という王道から外れてみたいと思った結果がこれだよ!!! 動機についても、「人間何を考えてるか分かったもんじゃない」という感じを出してみたくて、こんな感じになりました。 でも、高橋のように友人を見ている人間も、少なくないと思うんですよ。 所詮、人間自分が一番可愛いなんていいますしね。 まぁ、そういう良くない感情をうまく隠すことで人間関係は円滑に進むんですが、それが今度は「人の心が腹の内では読めない」ことの原因になってるわけで。 良くも悪くも人間の腹の内は玉虫色になってるのだなぁ、と書きながら考えていたり。 と、そんな徒然と書き続けても長ったらしくなる気がするので、今回はこんなところで。 それでは、また次回! この物語はフィクションです。 実在する人物、団体、事件とは一切関係ありません。
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