僕と彼女と探偵と


 ――えぇ、はい。……心配いらないですよ。
 ――あなたが焦る心配はないんです。
 ――えぇ、そうです。大丈夫。

 ――この話が、外に漏れ出す可能性なんて、万が一にもありません。……絶対にね。



僕と彼女と探偵と
〜摩天楼ダークサイド〜 調査編

civil


 あの後、資材転倒事故は、作業員の不注意で起きた些細な事故――そう処理された。
 人為的に起こされたものであることを隠したいという石清水所長の意向だった。

『下手に騒がれて、脅迫状の話がマスコミとかに漏れると困るしね。それに、人命に関わる事故が起きたとなると、我が社、それに九十九組さんの業界での評価も下がってしまう。……だから、悪いけどこの件は軽微な事故として処理する。それでいいね?』

 そこから伝わったのは、石清水所長という人の事なかれ主義。
 確かに、駿兄の今後の調査のためにも、会社の為にも、この事実はなるべく隠すようにしたほうがいいだろう。
 だけど、僕はそんな対応に、釈然としない思いを抱いたりもしていた。
 ……こんなこと考えているようじゃ、まだ甘いんだろうけど。
「んで? 結局、所長さんとの話はどうだったの?」
 飛月が駿兄に白米を盛った茶碗を渡しながら、尋ねた。
 ちなみに、今僕たちは事務所に戻り、夕食を食べようとしているところだったりする。
「どうだっての……って、何が」
「詳細よ、詳細! あの脅迫文がいつ送られてきたかとか、どんな被害があったのかとか、犯人の目星とか!」
「何で飯時にそんな面倒な事話さなくちゃいけないんだよ……。というか、今更すぎるが探偵の依頼内容って、普通は部外者が知っていい事じゃないだろ、常識的に考えて……」
 面倒くさげにそう言いながら、皿の上のコロッケに箸をつけようとする駿兄。
 だがしかし、その瞬間、テーブルの上からはコロッケの皿が消えていた。
「あ、おま! 人が食おうとしてたものを!」
「事務所の雑務やここの家事をあんたに成り代わってやってる莞人やあたしが部外者だって言うのなら、あんたに食わせるコロッケはありません」
「く……! 貴様、人質を取るなんて卑怯だとは思わんのか……!」
 コロッケの乗った皿を器用に指の上でくるくると回して、得意げに笑みを浮かべる飛月。
 そして、それを悔しげに、恨めしげに睨む駿兄。
 端から見ると、その光景はとても滑稽な訳で。
 ……でも、そのコロッケ、僕も食べたいんだよね。
「あのさ、駿兄。飛月だって聞いた話をペラペラ不用意に誰かに言いふらすような性格じゃないし、話するだけならいいんじゃない?」
「いいぞいいぞ、莞人! もっと言ってやって!」
「……それに、このままじゃ、コロッケが何時までも食べれないし」
「うぎぎ……それは、確かに困る」
 コロッケの力強し。



 とまぁ、そんなわけで。
 ねんがんのコロッケをてにいれた駿兄は、僕達と別れた後に石清水所長らから聞かされた事を話してくれた。
「とりあえずだな。例の脅迫状は一ヶ月くらい前から、定期的に届くようになったらしい」
「一ヶ月前ねぇ……。意外と最近なんだ」
 大体九月の頭くらいから……ってことか。
 ……うん、今日はカニクリームコロッケかぁ。
 美味美味。
「んでだな。最初の脅迫状が届いてから五日後。作業所の壁にスプレーで落書きがされたらしい」
「どんな落書きだったの?」
「写真で見る限りじゃ、文字にも絵にもならない、ミミズが這ったみたいな落書きだったな。……ただ、今までこういう事は一度も無かったらしいから――」
「脅迫状を送ってきた誰かのイタズラ――そう判断したわけだね」
 駿兄は味噌汁をすすりながら頷いた。
「ま、落書きされた当初は、そこまで気にしてなかったらしく、ただのイタズラってことで片付けちまったみたいだけどな。……脅迫状のことを気にしだしたのはその後、今から二週間前のことだ」
 二週間前……大学が始まる少し前か。
 ……うん、たまには赤だしの味噌汁もいいね。
「何でも、同じ日の同じ時間帯にな、現場の廃材積んで処分場に向かってたトラックと、現場にコンクリ運んでたミキサー車の二台がタイヤを引き裂かれたらしい」
「そういえば、お姉ちゃんもそんなこと言ってたような……」
「幸い、双方とも車両を動かす前に異常に気づいたから大事には至らなかったようだが、同じ現場を出入りする車両が同時に二台も被害にあったってことから、所長らも単純なイタズラ目的ではないんじゃないか、って疑い始めたみたいだ」
 確かに、偶然にしては出来すぎた話だ。
 それゆえに偶然でない、何か目的を伴った犯行だと考えるなら、疑わしきはやっぱり、あの脅迫文の送り主――そういう結論に至ったのだろうか。
「んで、この後に、脅迫文の送り主が実際に行動を起こしてるって疑惑を、確信にする事件が起きたわけだ」
「そ、それって?」
「……通り魔だよ。あの作業所に勤めてた男が一人、帰宅途中に襲われて重傷を負った」
 ……ついに、人にも被害が出たのか……。
「襲われたのは、九十九組の社員で、あの作業所の土木施工主任、大神おおがみ船貴ふなたか。あの春日って奴の先輩に当たる人間だったみたいだ」
「てことは、お姉ちゃんにとっても先輩かぁ……。……で、その人無事なんだよね?」
「一応無事といえば無事だが、全治一ヶ月の重傷だったからな。今も入院してるらしい」
 全治一ヶ月とは、相当ひどい目にあったみたいだ。
 これは確かに穏やかじゃない。
 ……って、あれ?
「ねぇ、駿兄。どうして、それが脅迫文の送り主の犯行って分かったわけ?」
「……事件の発生直後、作業所宛てに例の脅迫文がファックスで届いたんだよ。ご丁寧に“我々は血が流れることも厭わない”って文を追加してな」
「つまり、それって……犯行声明文ってやつ?」
「少なくとも、作業所の人間はそう判断したわけだ。……その事実は、警察には話してないみたいだがな」
 そこまでお膳立てされたら、僕でも犯行が誰の手によって行われたのか分かる気がする。
「ま、何にせよ、この一件で作業所の連中は脅迫文の送り主の危険性を認知したが、これは外部に大っぴらにはしたくない。――というわけで俺にお鉢が回ってきたわけだな」
 どうやら、今までの経緯はそんな感じのようだ。
 そして、それに加えて今日の一件。
 あの作業所で、今後も何かよからぬことが起こる可能性は非常に高いといえるだろう。



「それで〜? 今んとこ、誰か疑わしい人とかいたりするの?」
「ん〜……向こうから何人かは候補を挙げられたんだがなぁ……」
 白米をかきこみながらも、駿兄はどこか複雑な表情を浮かべる。
「まず言われたのは、龍田たつた和大かずまさっていう工学館大学の建築科の教授だ」
「工学館……確か、あの現場の近くにキャンパスがあったね」
「こいつはな、どうやらあのビル群の建設に最後まで反対していた一人だったみたいだ。デザインがよくないとか、景観を損なうとかいうのが理由らしい」
 デザインがよくないから反対……まさに建築学科の教授って感じだ。
「――まぁ、表向きはそんなそれっぽい理由で反対してるが、実際は自分が提案したデザインが、ビル設計の最終段階で却下されたことの逆恨みらしいがな」
「うわぁ……それじゃ、そんな理由で、あそこの人達に迷惑かけてるかもしれないってこと?」
「聞くところによると、かなり粘着質な性格らしいし、今も根に持っててもおかしくはなさそうだ……ってことなんだが、やっぱ動機としちゃ薄いよなぁ、こいつは」
 駿兄は、苦笑いを顔に浮かべた。
 まぁ、確かにこれだけの理由じゃ、ここまでのことをする可能性は低いだろう。
「んで、あともう一つ挙げられたのが、“太陽と緑の守護者”って団体だな。お前らは、これの名前聞いたことないか?」
「太陽と緑の守護者……? そういえば、どこかで……」
「それって、もしかして、環境テロとかでニュースにたまに出てくる名前じゃない?」
 環境テロといえば、環境保護を大義名分に、糾弾する対象に対して色んな妨害を行ったり、関係者に暴行を加えたりする犯罪行為のことだ。
 日本では、調査捕鯨を直接的に妨害したりする捕鯨反対運動が有名だろう。
 そして、この“太陽と緑の守護者”というのも、そんなニュースの中で、何度か目にした名前だったと思う。
 駿兄は頷きながら、話を続ける。
「“太陽と緑の守護者”ってのは、莞人の言うとおりの過激派の環境保護団体でな、建設事業を主なターゲットにしてるらしい」
「言われてみれば、ニュースで見たのもダムの工事現場で暴れてるシーンだったような……」
「でな、こいつらもまた、あのビルの工事には反対の意思を表明してたんだと。建設予定地の中に雑木林や公園が含まれてたのが理由らしい」
「で、そいつらは今までに何か行動を起こしたりしたの? テロ行為みたいなのとか」
「いんや。どうやら、この件に関しては、ただ建設事業に対しての非難声明文を発表しただけらしい。暴れまわるには理由が薄いと感じたんじゃないかね。
 今回のビル建設は、世間の大半が好意的に見てる事業だし、下手に暴れても、共感を得られないと思ったんだろ」
 ……どっちにしても、テロ行為なんかじゃ、共感なんて得られるわけなさそうだけど。
 悪を以って悪を征するなんて方法は、やっぱり間違ってるよ。
 ――って、あれ?
「でも、それじゃ、その団体には脅迫したりする理由が無いんじゃないの? 下手に暴れられないんじゃ」
「だよなぁ……。向こうは、犯行声明出さない犯行ならやりかねないとか言ってたけど、これもちょっとなぁ」
「それじゃ、あんたはどう考えてるのさ。今回の脅迫の犯人」
「んー、俺もまだ何も調べてないから、はっきりとは言えんが、もしかしたら犯人の目的は工事の中止じゃないもかもなぁ」
 どういうことだろう。
 確かに脅迫文では、建設工事の中止を訴えていた。
 しかも、色々な事件を繰り返しつつ。
 それなのに、工事の中止が目的じゃないって……。
「よく考えてみろ。もし、本気で工事の中止するよう脅したいんだったら、あの作業所以外の作業所にもメッセージを送るだろうし、それこそ建設主体の葉島建設の本社に直接投書しそうなもんだろ? それなのに今回は……」
「そういえば、暁月さんも言ってたっけ。不思議なことに、あの作業所にしか届かないって」
「……でも、もし目的はそうじゃないんだったら、本当は何が目的なわけ?」
「知らん! というか、それは調べてからのお楽しみだ」
 そう断言して、駿兄は茶碗に残る白米をかきこんだ。
「まぁ、脅迫文を送って、しかも行動を起こしたからには理由があるんだろうよ。あの作業所をピンポイントで狙う理由が」
「理由……かぁ」
 僕はすっかり、脅迫文の文面通りに目的を受け取っていたけど、そこから疑うべきだったようだ。
 あれだけ広い現場の中の一角だけが脅迫の対象になった理由……。
 それは一体――――



 翌日。
 講義が終わり、飛月と合流した後。
 帰路につきながら、僕らは例の事件について話をしていた。
「莞人は何か思いついた? 理由ってやつ」
「その口ぶりだと、もしかして今日ずっとそのことを……?」
 飛月は首を縦に振った。
「まーねぇ。あの探偵に言われてから、ずっと気になっちゃってさ。莞人は?」
「う〜ん、僕も思いついたことがあるにはあるけど……」
「何何!? 教えて教えて!」
 途端に好奇の目で僕を見つめてくる飛月。
 うぅ……そんな目で見られると、答えざるを得ないじゃないか。
「単なる思い付きなんだけどさ、気分を悪くしないでね。……もしかして狙われてるのは九十九組なんじゃないかなぁって考えたんだ」
「九十九組……って、それどういうこと?」
 流石に自分に深い関わりのあるものが狙われてると言っただけのことはある。
 ものすごい食い付きだ。
 ――とは言うけど、別に飛月を驚かせるために適当なことを言ったわけじゃない。

 もし、あの脅迫がYGT全体の建設工事ではなく、ウェストガーデンの作業所をピンポイントで狙ってるのだとしたら、あの作業所にある特別な何かが狙われたと考えられる。
 他所の現場に無くて、ウェストガーデンにのみあるもの。
 そう考えると、真っ先に思い浮かぶのが、やっぱり個々の作業所で仕事をする人達、そして彼らの属する企業のことだった。
 あの作業所で仕事をする人達のうち、他の作業所にいない企業というと、春日さんのような九十九組や、平野さん達のような作業所別に下請けとなっている企業。
 つまり、あの脅迫はそれらのうちのどれかを狙ってるんじゃないかと僕は考えた。

「う〜ん、でも、それなら九十九以外にも候補はあるんじゃない?」
「忘れたの飛月? ほら、一連の事件の中で直接的に被害に遭った人が一人いるでしょ? その人はどこの社員だった?」
「……そりゃ、確か九十九……って、そうか! あれは、作業所の所員だからじゃなくて九十九の社員だから狙われたってことなんだ!」
 人的被害が出ているのは今のところ九十九組の社員だけだ。
 そして、もしこれが脅迫に見せかけた九十九組への何らかの攻撃だとしたら。
「で、でも、そうだとしたら、春日さんも危ないんじゃ……!?」
「そうかもしれないね。……それに、あの作業所に何度も出入りしてるっていう暁月さんももしかしたら……」
「う〜ん、お姉ちゃんは大丈夫だと思うけど……とにかく春日さんが危ないかもってことね!」
「い、いや、暁月さんなら大丈夫って、どういう理論なんだ……」
 それじゃ、まるで暁月さんが暴漢に襲われても返り討ちにしてしまう腕前みたいじゃ…………いや、飛月のお姉さんだし、あながち冗談ってわけでも――
「ほらほら、何ぼーっとしてるの! そうと分かったら、とっととのあの探偵にこの事言ってやらないと! 何か起きてからじゃ遅いし」
「いや、だからこれは僕のただの想像であって……って、うわっ! ちょっと変なとこ掴まないで〜〜」



 事務所に戻ると、飛月はさっそく駿兄に、さっきの僕の話をした。
 このままだと、春日さん達が危ない、と。
 すると、駿兄はあきれたように溜息をついて口を開いた。
「あのなぁ……、お前らが気づくようなことに、俺が気づいてないとでも思ったのか?」
「な、何よその言い方。それじゃ、まるであんたがあたしたちよりも先に思いついてたみたいじゃない!」
「いや、だから思いついてたんだっつの」
 そう言って、駿兄はデスクの引き出しからいくつかの書類を取り出した。
「この馬鹿げた一連の騒動の原因が工事じゃない場所にあるとすれば、原因は恐らくそこに所属する個人や団体に対する何らかの感情だろうな。ま、何らかの感情なんてのは往々にして怨恨だろうがな」
「……で? それで、どうだったの? そこまで言うなら、何か調べがついたりしてるんでしょ?」
「ま、いくつかはな……」
「それじゃ、さっさと教えてなさい!」
「だから何で俺が、お前らにそんなことを――」
「今日の晩御飯抜きにしようかな〜」
「ま、少しくらいなら話しても問題ないよな、うん」
 切り替え早っ!!

 駿兄は、手にした書類に視線を落としながら、今日の調査結果について話し始めた。
「はじめに言っておくと、俺は、犯人は葉島や九十九に恨みを持ってる奴じゃない、って前提で調査してる」
「……へ? なんで?」
「確かに、あのビルの工事を一連の騒動でお釈迦にしたら、それなりに損害も出るだろうけど、葉島も九十九もデカい会社だ。損害もそこまで致命的ではないはずだ。……本当に恨み持ってる奴なら、こんなビル工事一つの妨害に固執しないって」
「言われてみればそうだけど……でも駿兄、飛月が春日さん達が危ないかもって言った時、それくらい思いついてるって……」
「ああ、危険な可能性はあるさ。何せ、あの人達はまだ、ピンポイントで狙われてるかもしれないんだからな」
 ピンポイントで……?
 どういうことだろう。
 僕はそれを尋ねようとしたが、どうやら飛月のほうが一足早かったようだ。
「ど、どういうことよ、それって……」
「言った通りさ。犯行の理由が、工事への怨恨でも、葉島や九十九への怨恨でもないとするなら、残るのは……あそこで働く誰かに対するピンポイントな怨恨だろうってこった」
「だけど、もう実際に九十九の社員が一人襲われたんでしょ? 怨恨の対象がその人なら、まだ事件が続くなんてことは……」
「本当の標的に恐怖心を植え付ける為……だとしたらどうだ?」
 だとしたら、犯人の性根は相当ゆがんでる。
 無関係の人間に重傷を負わせてまで、そんなことをするなんて。
 無関係の人にすらそんなことをする人間が犯人なら、本当の標的はどれほど酷い目に遭わされるんだろうか……。
「そんな奴の思惑なんぞ考えたくも無いが、これも仕事だからなぁ。ま、そんなわけで、俺はあそこの作業員の周辺を調査することにしたのさ。怨恨関係を洗うためにな」
 駿兄は一枚の書類をデスクに置いた。
 それは、何やら名簿のようで、春日さんの名前や石清水所長の名前が、役職や所属企業とともに記されていた。
「そいつは、昨日所長さんから貰ったあそこの今の作業員名簿だ。ま、そいつを元に色々調べてみたわけだが――まずは石清水所長だ」
 ――石清水所長。
 あのよく言えば穏健な、悪く言えば事なかれ主義な性格だと、恨みなんて買いそうに無いけど。
「本人は何も言ってなかったけどな、あの人と龍田教授は大学時代の同期、しかも親友同士だったそうだ」
「龍田教授……って?」
「ほら、あのビルの建設に反対してたっていう建築の教授だよ」
 いきなり意外すぎる接点だった。
「まぁ、この繋がりが何を意味するかは分からんが、とりあえずあの人が龍田の話をした時に、その事を言わなかったのは事実だ」
「意図的に隠してたかもしれないってこと?」
「さぁなぁ。そこまで言う必要は無いと思ったのかもしれんし、詳しくは分からんよ。……とりあえず、所長のことで分かったのはそれくらいだ」
「役に立つんだかよく分からない情報ねぇ」
「いやいや、ここは一日目でいきなりこんな情報にぶち当たった俺を褒める場所だろ!」
 絶妙なタイミングで駿兄が突っ込みを入れる。
 僕から言わせたら、駿兄の自信過剰さも突っ込みどころなんだけど。
「しかもこれだけじゃないぞ。あの平野ってオヤジについても中々面白い情報掴んだんだ」
「面白い……情報?」
「まぁ、俺くらいの天才が調べりゃすぐに分かることなんだがな」
「で? 能書きはいいからとっとと教えてよ」
 呆れたように飛月が先を急かす。
 すると、駿兄は顔をにやけさせながらも、その情報とやらを口にしだした。
「何でも、あの平野ってオッサン、悪そうな見た目まんまに、某指定暴力団の幹部らしい」
「ふ〜ん、そーなのかー…………って、うぇぇ!? あ、あのオジサンが!?」
「ぼ、ぼぼ暴力団のかかか幹部!?」
 なんとなく聞き流そうとしていた飛月、そして僕もその事実には驚いてしまった。
 駿兄は、そんな僕らの反応を楽しむかのようにニヤニヤすると、話を続けた。

 駿兄曰く。
 平野さんの所属するという某暴力団は、東京ではそれなりに大きな組織らしく、平野興業という会社も、幹部である平野さんが設立したもので、組織の資金源および労働提供の場の一つとして機能しているらしい。
 そして、そんな平野興業は葉島建設の、特に東京の現場では影響力が強く、しばしば工事に下請けとして参加しているとのことだ。
 何故葉島は、暴力団がバックにいる所にそんなに下請けを頼むのか――僕はそんな疑問を駿兄にぶつけた。
 すると、やはりというか何というか、葉島の何か“弱み”とやらを、平野さんらは掴んでいるのだという。
 つまり、切りたくても切れない――道連れはゴメンだから、ずるずると今の関係を続けているということらしいなのだ。
「ま、そんな黒い組織だからな、他に裏で何をしてるかわかったものじゃないだろ? だから、あのオッサンや従業員にも怨恨関係の何かが出てきてもおかしくないと俺は思ったわけだ」
「確かに、そういうことなら、その可能性は十分にあるかも……」
「ふっふっふ……俺の情報収集力ってばさいきょーね!」
「調子に乗らないの!」
 飛月は、机の上にあったファイルで駿兄の脳天を叩く。
「いくらあんたが情報集めたところで、真相が分からないとどうにもならないんだからね。じゃないと、本当に春日さん達が危ないことに……」
「ああ、わーってる。分かってるさ。……今日はほんの序の口だ。問題はこの先、犯人候補の絞込みと動機の確定だよ」



 更にその翌日。
 僕は飛月とともに、例の現場――YGTの工事現場に来ていた。
 何故か?
 それは、今から三十分前にさかのぼるわけで――。

 ――あの探偵に手柄全部持ってかれるのって、なんだか癪じゃない?
 ――いや、癪って……。あれが駿兄の仕事だしさ。
 ――何言ってるの! これはお姉ちゃんの依頼でもあるんだから、あたし達も無関係じゃないんだよ?
 ――た、達って、僕は実際のところ無関け――
 ――というわけで! 今日はあの探偵に黙って、あの現場に戻ってレッツ情報収集! 現場百遍は探偵の基本!
 ――いや、ちょ、か、勝手に……って、行っちゃったよ……。

 とまぁ、そんな事情があったわけだ。
 そして今はというと。
「も〜、何あの警備員。何で入れてくれないのよ〜」
「いや、僕たち思いっきり部外者だし、仕方ないって……」
 現場の前まで来たものの、正面ゲートの警備員に止められ、中に入れない状態にあった。
 これだけ大きな工事現場なんだ。
 そりゃ、人の出入りも細かく制限するだろう。
「こうなったら、どこかの壁からよじ登るしか……」
「無理だよ。ほら、あそこ。監視カメラがついてる」
「で、でも、カメラの死角をつけば……」
「それに、あそこの壁見てよ。警備会社のシール貼ってあるでしょ? あれ、きっと不正に侵入しようとすると警報とか鳴る装置つけてるってことじゃない?」
「あぅ……」
 飛月が僕の言葉を聞いて、力なく項垂れた。
 ……なんか、僕が悪いことしてるみたいで、いい気がしないが、変なことして捕まるよりはマシだ。
 よし、このまま飛月が諦めてくれれば、何の問題も無く――
「あれ? 探偵さんの弟さんに、九十九さんの妹さんじゃないか。どうしたんだい、こんなところで」
 何の問題も無く帰れるはずだったのに。
 そんな時に、路肩に車を止めて、窓を開けて僕たちの名前を呼ぶ春日さんが現れた。



「いや〜、助かりました〜。警備の人、全然融通が利かなくて困ってたんです」
「はは、別に構わないよ。例の件の調査で来たんだろう? むしろ助かるよ」
 僕と飛月は、春日さんの運転する業務用のバンに乗って、問題のゲートを通過、現場を移動していた。
 春日さんに会った際、飛月は「探偵の代理で簡単な調査に来た」などと適当な嘘をついて車に乗り込んだ。
 あまりのスムーズさに、僕が突っ込みを忘れるほどの嘘であった。
「それにしても、ここって、警備が厳重ですね〜。驚いちゃいました」
「まぁね。そこらじゅうで重機が動き回ってて危ないから、一般の人の立ち入りを完全にシャットダウンしたいわけだ。何か事故なんか起こったら、それこそ我々にとっても大きな損失なわけだし。警備にお金をかけることは決して無駄じゃないんだ」
 用心するに越したことはない――そういうことなのだろう。
「それじゃ、やっぱりあの壁を伝って、中に入り込むことも?」
「警報装置があるから無理だねぇ。それこそ、現場の上空からパラシュート降下でもしない限り、入るのは無理だと思うよ。……ま、入ったところで、今度は出るのに困るだろうけど」
 春日さんの言い分を聞いてると、まるでここが密室であるかのように思えてしまう。
 確かに入る際は、屋根がない密室といった感じかもしれないが、出る時は完全に密室だ。
「いや〜、それにしても、仕事が増えたって時に、それに合わせる様にこんなことが起こるなんて、本当に災難だよ……」
「仕事が増えた……というのは?」
「ああ、先月に、追加の掘削工事をすることが決定してね。ほら、君のお姉さんが図面を持ってきてくれたあれだよ」
「そういえば、お姉ちゃん、あの時何か持ってきてたような……」
 言われてみれば、図面だの修正だのそんな言葉が飛び交っていた気がする。
 あれは、追加の工事のためのものだったんだ。
「おかげで、現場は資材や作業員の確保に大忙しでね。そこに加えて、この騒動だろう? 大神主任も入院しちゃって……本当に最近は休みなしって感じだよ」
 そう言う春日さんの口調からは、確かに疲れが見え隠れするように思える。
「……と。はい、到着したよ。このまま石清水所長に会うのかい?」
「はい! お願いします!」
 嗚呼、本当にするのね、情報収集……。

 春日さんに先導され、この前も来た事務所に入ると、二階の応接間に案内された。
 ここは、あの時駿兄が、話を聞かされた場所だ。
 そして、僕達が待っているとすぐに、石清水所長が入ってきた。
「お待たせしました。……で、探偵さんの代理で来たということですが、一体何を聞きたいのですかな?」
「あー、えっと、それは………………莞人、パス」
「って、僕!? 飛月、何か考えてきてないの!?」
「し、仕方ないでしょ。勢いで飛び出してきたんだし、そんなの考えてる暇なんて……」
 やっぱり勢いだったんだ……。
 でも、どうしよう。聞くことが何も無いんじゃ、ここに来た意味ないし……というか、駿兄の代理っていう嘘があからさまにバレてしまう。
「ごほん。……えぇっと、それで御用件は?」
 うわぁ、石清水所長の目が疑いのまなざしに……。
 こ、こうなったら当たって砕けろか!
「え、えっと、その……所長さんはここで働く人達の事、知ってるんですよね?」
「む? ま、まぁ、確かに責任者としては、誰がどんな分野で働いているかは把握する義務があるからね」
「えっと、それなら、もしかして誰かが恨まれているとかそういう話は聞いていたりは……しませんか?」
 そう尋ねた瞬間、所長さんの目が点になった。
 ――何をいきなり聞いてるんだ、この小僧は。
 そして、すぐに、そうとでも言いたげな視線を僕に向けてきた。
 なので、僕は慌てて、そんなことを聞くことになった理由を説明した。
 あの、昨日駿兄が言っていた話を大まかにまとめて。
「なるほど、そういうことだったのか。いやはや、いきなり尋ねられたものだから、何事かと思ってしまったよ」
「す、すみません……。そ、それで、何か心当たりとは……?」
「ふぅむ……。一応、ここの仕事関係でのトラブルは無かったと思うが……。もし作業員各人のプライベートな面に理由があるとしたら私にはお手上げだよ。私生活まで監視しているわけではないしね」
 まぁ、そうだよなぁ。
「こういう仕事柄、少々荒っぽい人もそれなりにいるがね、話をしてみれば気のいい連中ばかりだ。何か問題を起こしているとは思いたくないが……」
「そう、ですか」
「すまないね、何も力になれなくて」
 僕は「いえいえ」と、質問に答えてくれたことに礼を言って、立ち上がろうとした。
 これ以上、ここにいても質問できることは殆ど無いはずだし、早々に立ち去ろうと思ったのだ。
 しかし。
「でも、平野興業の人達って……えっと……あっち系の人なんですよね? 何か恨みを買ってるとか思わないんですか?」
 飛月のそんな質問により、石清水所長の穏やかな表情が凍りついた。
「……どこでその話を?」
「探偵が昨日のうちに調べておいたって言ってました」
「なるほど。……確かに調べればすぐに分かることだが、まさかいきなりそっちを調べるとはね……」
 所長さんは椅子に深く腰掛け、大きく深呼吸をすると口を開く。
「確かに、彼らは、いわゆる反社会的な組織の傘下にいる。私もそれは承知の上だ」
「それなら、何か恨みを買っててもおかしくないと思ったりは……」
「しかし、彼らは実際のところは、そんな背景を感じさせないほどの腕を持ってる。現場で重宝される熟練工を何人も抱えてるくらいにね」
 僕たちに諭すように所長さんは続ける。
「現場ではね、熟練工ってのは喉から手が出るほど欲しい人材なんだ。特に、団塊世代がリタイアしだしてるここ最近では。そんな人材を多く抱えている平野さんところには、私らもしょっちゅう世話になっている」
「で、でも、そのことと実際にあの人たちが暴りょ――」
「だからこそ、さ。普段から彼らとはいい関係を築いているおかげで、彼らが誰かから恨みを買ってるだなんて、あまり考えたこともないんだ」
 しみじみと話す所長さんに僕たちは戸惑ってしまう。
 どうやら、所長さんは平野さん達を異常なまでに信頼してるみたいだ。
「……と、話が長引いてしまったが、聞くのはこれくらいでいいのk――」
「あ、それともう一つ」
 飛月は更に質問を続けた。
 ……そんなに質問することが思いつくなら、最初から言ってよ――と思ってしまったのは内緒だ。
「これも探偵が昨日調べたことなんですが、所長さんが怪しいとピックアップした一人の龍田っていう大学教授。あの人、石清水さんと同期の友人らしいですね。……なんで、そのことを最初に探偵に言わなかったんですか?」
 龍田という名前に、所長さんの眉がぴくりと動いた。
「もしかして、わざと隠していたんじゃ――」
「もちろん、そんな事はない。話す必要も無い情報かと思って切り捨てただけだよ。説明不足だと感じたのなら謝るよ」
「それならいいんですけど……もしかして、まだ何か隠してたりとかは……」
「そ、そんなわけないだろう!! 私は何も隠したりなどしていない!!」
 突如、語尾が荒げて、所長さんは立ち上がった。
 そして、僕と飛月が、そんないきなりの豹変に驚いていると、所長さんはふと我に返った。
「……も、申し訳ない。最近忙しすぎたせいか、少し気が立っているようだ……」
「忙しいというのは、やっぱり追加ですることになった工事のせいですか?」
「……うむ。ただでさえ忙しいというのに、追加施工の発表と同時期に一連の騒動が起こってしまったからね……。心労も溜まる一方さ」
 春日さんと殆ど同じことをボヤく所長さんの顔には、確かに春日さん以上に疲れが浮かんで見える。
 やっぱり、現場の責任者というのは大変なんだろう。
「えぇっと、それで他に聞きたいことは何かあるのかな?」
「あ、えっと、それじゃ……もごっ!!」
「い、いえ、もうこれくらいで十分です。ありがとうございました!」
 まだまだ話を続けようとする飛月の口を手で塞ぐと、僕は無理やり話を終わらせた。
「もがっ! ふにっ!!」
「……? 本当にいいのかね?」
「え、ええ! これ以上いても邪魔になるでしょうし! えぇ、もう」
 所長さんは訝しげに僕らを見るが、すぐに納得したようで、廊下へ通じるドアを開けてくれた。
「ふがっ!!」
「あだだだ!!」
 口を塞いでいた手を、飛月にかまれた。
 いてえ。

「……すみません、忙しいのに」
「いやいや。送るくらい、たいしたことじゃないよ」
 作業事務所を出た後。
 僕たちは、ここに来たときと同様に春日さんにバンで送ってもらうことになった。
 飛月は相変わらずむくれたままだ。
「……飛月、そろそろ機嫌直してよ」
「何で、あの時質問止めたの?」
「いや、だって、石清水さん達も忙しいみたいだしさ、それに……」
 僕は、飛月の耳元に口を近づけ、囁いた。
 もちろん、性的な意味ではなく。
「時間も時間だし、これ以上長居すると、駿兄に勘付かれちゃうかもしれないでしょ」
「う……そ、それは確かに一理あるかも」
 これはあくまで非公式な訪問だ。
 このことが、駿兄にバレたとなると、何を言われることか。
 そんな理由があったので、本当は春日さんに送ってもらうという提案も本当は断りたかったのだけれど、向こうがどうしてもと強く押すので、断りきれなかったのだ。
「まぁ、あいつに五月蝿く小言言われるのも癪だし、今回は許しても――」
「ん〜? お前ら、あの時の小僧どもじゃねぇか」
 駐車スペースにたどり着こうとした間際。
 そんな中年男性の声に、僕らは呼び止められた。
 声の主の方を見ると、そこには、あの噂の渦中の平野さんが。
「何だお前ら。またこんなところ来て。よっぽど鉄骨の下敷きになりたいみたいだなぁ、おい」
「平野さん! 彼らはその事件についての聞きたいことがあるって探偵の代理で来たんです。そんな酷いこと言わなくても……」
「いや、冗談だよ冗談! 悪かったな、変なこと言っちまって」
 平野さんは口ではそういいながらも、悪びれる様子も無く笑う。
「それにしても、あんな面倒なこと調べるなんて、あんたらも大変だねぇ」
「いやぁ、まぁ……」
「ま、下請けの俺らには関係ないことだがね」
 実際のところ、どうなんだろう。
 怨恨が動機だとしたら、一番関係がありそうなのは、やっぱり……。
 でも、そんなこと正面だって聞けるはずもないし――。
「あ、あの! 平野さん……ですよね? ちょっと聞きたいことがあるんですけど……」
 って、飛月がまた何か言い出した!?
 これはまさか……。
「んぁ? 何だい、嬢ちゃん」
「あ、あの、その……平野さん、何か人に恨まれてることとかって……その……ないですか?」
 僕が口を塞ぐよりも前に、飛月はその聞くに聞けない質問をぶつけてしまった。
 ……って、やばいくない、これ?
「俺が誰かに恨まれてるかって? ……なんで、んなことを藪から棒に」
「だ、大事な質問なんです! その……探偵が聞いて来いって。あたしも何でそんなこと聞くのかはよく分からないっていうか……」
「探偵が……ねぇ」
 流石の飛月も、面と向かって、相手の素性のことを言うことは無かった。
 しかも、質問の理由もうまくはぐらかしている。
 そのためか平野さんは、少し考えるような仕草をとると、すぐに答えた。
「いんや。特に何も人様に恨まれるようなことはしてないはずだけどな。少なくとも仕事してる上では」
「そ、そうですか……」
 飛月はため息を一つついて、ほっと胸をなでおろした。
 ……でも、きっとこの答え自体も、飛月の質問同様に上手くはぐらかしてるんだろうなぁ。
「と、そうだそうだ、春日副主任さんや」
「え? あ、は、はい、何でしょう?」
「例の新工事で使うユンボな、あれ掘削現地にもう動かしてもいいんかい?」
「あぁ、えぇっと…………大丈夫です。まだ工事開始までには数日ありますが、ユンボ使う工事も他に無いですし」
「了解。んじゃ、今日はそいつ動かして、ウチは解散すっから」
「はい、お疲れ様です」
 平野さんは僕らに背を向けると、右手を挙げて春日さんの言葉に答えた。
 そして、そんな姿を見て、飛月は大きく息を吐いた。
「は、はぁ〜〜〜〜。……ど、どきどきしたぁ……」
「いや、それはこっちの台詞だって。というか、何であんな質問したのさ。平野さんが素直に答えられるはずも無いのに」
「い、いや、口が勝手に動いてたっていうか、その…………まぁ、ノリで!」
 漫画やアニメよろしく、ズルッとずっこけたくなったが、そこは我慢。
 僕は呆れの感情を込めたため息を一つ吐く。
「……今後はあまりノリだけで動かないでね、(主に僕が)疲れるから」
「りょーかい、りょーかい♪」
 この人、絶対分かってない!!
 そして、そんな僕らの横で呆然としていた春日さんは、ふと我に返ったように僕らに尋ねた。
「えっと…………もう、車出していいかな?」



 そんなわけで、僕らは無事に帰宅した。
 季節は秋に近づいているため、もう空はだいぶ暗くなっていた。
 だけど、まだそんなに極端に遅い帰宅ではない。
 きっと、駿兄に勘繰られることもないだろう――――。

 そう考えていた時期が僕にもありました。

「……おかえり。調査のほうはどうだったかな、我が愚鈍なる助手達よ」
 事務所のドアを開けるなり、開口一番に駿兄はそう言ってくた。
 ……どうやら、完全にバレてるようで。
「さっき、石清水さんから連絡があったよ。今後、何か聞きたいことがあるときは、春日さんに連絡入れてくれるとうれしい、ってな」
 ああ、石清水所長がチク……もとい、連絡したのね。
 まぁ、所長さんは何も知らなかったんだし、仕方ないか。
「あ、えっと、その……」
「もういいさ。何も言うな、我が弟よ」
 僕の肩に優しく手を置く駿兄。
 その目もとても優しく……。
「聞いた情報洗いざらい吐いて、夕飯にステーキ出してくれたら、俺はもう何も言わない。あ、さっきのは最低条件であって、別にもっとサービスしてくれても――」
「調子乗るな!」
「あぷとっ!!」
 久々に飛月の拳が唸りをあげて、駿兄を吹き飛ばした。
 ……ま、分かってたよ。駿兄がこういう人だってことくらいは。
 弟だもの。



 その日の夕食は、駿兄の要望どおりステーキになった。
 ただし、鶏肉のだけど。
「……何故、牛肉じゃない!」
「全部食べておいて、文句言わない! 要望どおりのメニューが出てきただけありがたく思いなさい!」
 とは言ってるものの、飛月も嘘をついたことがバレたこともあってか、そこまで強くは出なかった。
 実際、今晩の夕飯のメニューを鶏肉とはいえ、駿兄のリクエスト通りステーキにすることを決めたのは飛月だったし。
 そして、そのステーキを食べる中で、この依頼の早期解決のためにも、僕らは駿兄に今日あの現場で聞いた全てを話した。
 ――とは言っても、殆ど情報と呼べるような情報は手に入らなかったわけだけど。
「……はぁ。お前ら、だらしねぇな。二人がかりのくせして、まともに聞き込みも出来んとは」
「し、仕方ないでしょう! あたし達は、あんたと違って、そういうのを本職にしてるわけじゃないんだから。あなたとは違うんです!」
 呆れたような物言いの駿兄に、飛月は噛み付く。
「ま、現場に行って直接聞き込みするって時点で、情報収集なんて不可能なのは明白なんだがな」
「な、何でよ〜。現場百遍は基本じゃないの?」
「あのな、今回調べてるのは怨恨なんだぞ? それを直接聞いて、これこれこういう理由で他人から恨まれてるかも〜なんて、自ら進んで言う人間なんて殆どいないだろ。恨まれるようなことしてるなんて相手に思われたくないし」
「そ、そうか! 言われてみれば――って、違う違う! そ、それくらいあたしにだって、わ、分かってたよ! うん!」
 あからさまに取り繕っているように見えることについては、僕も駿兄も何も言わなかった。
 ――決して、あたふたしてる飛月の姿を見て楽しんでいたわけではない。
「……いや、まぁ、今回はそっちについてはどうでもいいから、いいんだけどよ」
「ど、どうでもいいって、どういう――」
「それよりも、今回の話を聞いてて気になったのは、現場の警備のことだ」
「……あ、駿兄もやっぱり気になった?」
 僕としても、今回向こうで聞いた話のうち、一番気になったのがその点だったりする。
 あくまで憶測だから、今までずっと黙っていたけど、駿兄も同じ事について何か気づいたのなら、一度話しておくべきかもしれない。
「やっぱり、厳重すぎるよね」
「ゲートには警備員、現場を囲う壁には複数の監視カメラと警備会社直結のセンサー式警報装置。……まさに重警戒地区って感じだな」
「ん? でも、春日さん言ってたじゃん。関係者以外の人間を入れないように措置を徹底した、って。それって、ああいう工事現場だったら、別におかしくは……」
「いや、警備体制がおかしいって言ってるんじゃない。警備が厳重なのに内部で犯行があったことがおかしいって言ってるんだ。……だよな、莞人?」
 駿兄の問いに、僕は頷く。
 外部で行われたトラックのパンクや作業員の襲撃はともかく、事務所への落書きや、一昨日の資材への仕掛けは、現場に入り込まないと出来ない犯行だ。
 ということは、犯人は厳重に警備されてる現場の中に少なくとも二度は侵入し、凶行に至った訳である。
 確かに、何かしらの特別な手段を使えば、内部に侵入は可能だろう。
 だけど、問題は「何故、そこまでして犯人は現場で犯行を行ったのか」という点だ。
 別に誰かを狙ってるだけなら、警戒が手薄な外部でのみ犯行に至ったほうが犯人にとっては安全のはずなのに、手間や見つかるリスクを背負ってまで何故現場の中に……。
 ――と、このような僕の考えとほぼ同じことを駿兄は、飛月に説明した。
「……言われてみれば、確かにそれ、おかしいかも」
「だろ? だけど、実際にあの警備の中で犯人は確実に現場の中に入ってる。……そこには何か理由があるはずだ」
 理由、か。
 確かに、無意識のうちにやったなんてことが無い限り、物事が起こるには何か理由があるはずだけど……。
「なんだか、まるで現場に入ることに目的があるみたいだね」
「入ることが目的……?」
「ほら、例えば、あの作業所の建物の金庫を盗むために、犯人は予行練習もかねて何度も侵入してるとか」
「う〜ん……でも、もしそうなら、わざわざ鉄材が倒れる仕掛けを作らないんじゃない? それに、現場の外でトラックや作業員に危害を加える必要もないし」
「まぁ、そうだよねぇ。……あたしも思いつきで言ったはいいけど、そこがやっぱり問題かな」
「それに、盗難っていったって、ああいう現場って宿直の人が作業所に留まったりするんでしょ? だったら、それこそ本当に脅迫通りに工事を一時中断させて作業員の人たちに出て行って貰わないと盗みなんて出来ないんじゃ……」
「だ〜か〜ら〜! あくまで例えばの話で、別にこの路線に固めようとしてるわけじゃないって! しつこいなぁ〜、もう」
 そう言いながら、アームロックをかけてくるのはよしてください。
 地味に痛いです、はい。
「……で、駿兄はどう? 何か思いつくこととかある?」
 尋ねても、返事は無い。
 なにやら、手を顎に運び、考え事をしているようだ。
「あの〜、駿兄?」
「入るのが目的…………ん〜………………まさかとは思うが……」
「もしも〜し。聞いてま――」
「ま、確かめてみるしかないな、うん」
 僕の言葉など聞こえていないかのように、駿兄は立ちあがり、そのままダイニングを出て行ってしまった。
「……どうしたんだろ、あいつ」
「さぁ……。でも、何か思いついたみたいだね、あれだと……」
 どうやら、駿兄は飛月の言った『現場に入ることが目的』という下りが気になっているようだ。
 僕には、駿兄がそこから何を考えたのかは分からない。
 だけど、あの駿兄の顔からすると、もしかしたら、もしかするかもしれない…………。



 その日を境に、駿兄はいつもの姿からは想像もつかないほど忙しく動きはじめた。
 調査してくると言ったまま、帰ってこないこともしばしばで、たまに帰ってきたとしても、荷物を整理してすぐに出かけてしまう。
 進展具合を聞いても、全く取り合ってくれない。
 それは、端から見ると、まるで何かに取り憑かれているかのようにも見えた。
「はぁ〜、今日も帰らないのかしらねぇ、あの探偵」
 そして、そんな日が続く中のある日の大学からの帰り道。
 飛月は、そんなことをぼやいた。
「帰るなら帰る、帰らないから帰らないってちゃんと教えてくれないと、夕飯が余ったり足りなくなったりするから困るっていうのに……」
「はは、それは確かに。一昨日なんかアジの開き一つ多く焼いちゃって困ったし」
 あの時は、冷めて時間がたつと不味くなるとかいうことで、僕と飛月で半分ずつ食べたんだっけ。
 いや、半分というか、七割くらいは飛月が食べてた気もするけど。
「あれだけ駿兄が熱心に仕事してるっていうのも珍しいよ。今まであんな姿見たことないや」
「ふ〜ん、そうなんだ。……でも、あいつ本当に仕事してるのかなぁ?」
「そ、そんな、不安になるようなこと言わないでよ。本当にそうでもおかしくない気がしてきたじゃないか」
「だってねぇ、この前も『お姉ちゃんの携帯の番号とアドレス教えてくれ〜』なんてメールが来たし……」
 暁月さんの携帯の番号とアドレスを?
「まさかとは思うけど、あいつ、仕事をほっぽり出してお姉ちゃんにちょっかい出そうなんて思ってたりしてたら……」
「い、いやいや。きっと現場のことで何か聞きたいことがあったんだよ、うん」
「そうだといいんだけど。あのぐうたら人間がいきなりやる気見せるから不安になっちゃって」
 そう言われると、僕まで不安になってくるじゃないか。
 え? 肉親なんだから、信じろ?
 ……いや、肉親だからこそ、色々駿兄のことも知ってるわけで……だからこそ、一度疑ってしまうと……ねぇ。
「ま、そこらへんは後でお姉ちゃんに直接聞いてみようかな」
「駿兄、まさか……ねぇ」
 飛月の言葉を聞いて、一抹の不安を隠せなくなりながら、僕達は事務所のビルに入り、そのドアを開けた。
 すると。
「――あら、おかえりなさい」
「お、お姉ちゃん!?」
 そこにはいつも通りに和服に身を包んだ暁月さんの姿が。
「どうしてお姉ちゃんがここに……?」
「探偵さんに呼ばれたの。事件の真相が分かったかもしれない、って」
「えぇっ!?」
「それで、今からYGTの作業所に向かうところだったんだけど……」
 そう説明する暁月さんの横で、駿兄は面倒くさそうに頭を掻いた。
「チッ、もう少し遅く帰ってきてくれればよかったものを……」
「な、何よ〜! その言い方? まるであたしたちがいたんじゃ邪魔みたいな……」
「その通りなんだから仕方ないだろ。……とにかく、俺らは出かけるからお前らは――」
「あたし達もついていくからね!」
 駿兄が言うよりも先に、飛月が先手を打った。
「あたしも莞人も、あの現場で死に掛けたんだよ? てことで、今回の件には無関係じゃないんだし、あたし達にも真相を知る権利はあるはずだよ」
「何を無茶苦茶な………………ん、待てよ?」
 問答無用で拒否するかと思ったら、駿兄はなにやら考え込み始めた。
「……確かに少し人手がいるしな……別に来たいってんなら連れて行っても罰は当たらんか、うん……」
「人手が……いる?」
 何か向こうで作業でもする気なのだろうか。
 ……というか、作業するのなら、こんな作業が終わる夕方じゃなくて、昼間に行くべきなんじゃ……。
「ま、いいか。今回は特別だからな! くれぐれも俺の邪魔だけはしないように!」
「やった!! さすが名探偵、話が分かるぅ!」
「いいぞもっと言ってくれ!」
 おだてる飛月、図に乗る駿兄。
 そして、それを見て穏やかに笑う暁月さんと、苦笑する僕。
 ……この四人で、一路、例の作業現場に向かうこととなった。

 時刻は午後六時過ぎ。
 初秋に入り、この時間で既に暗くなった空の下、駿兄は何をしようというのだろうか。
 そして、駿兄が分かったという真相は――?

 <解決編へ続く!>





【第三回出題ミニコント】
 飛:飛月 暁:暁月

飛:はいっ! そんなわけで出題の時間だよ!
  今回は、ゲストとしてお姉ちゃんを呼んでみました!
暁:九十九暁月でございます。皆さん、よろしくお願いしますね。
飛:前回は、私の述懐って形で出題したから、コント形式で出題するのは本当に久しぶりだね。
暁:――と言っても、このコントを期待している人がいるのかどうか……
飛:ちょ、ちょっとお姉ちゃん! こんなところで毒吐かないで! カメラ回ってるから!
暁:あらあらあら……ごめんなさい、それじゃ、ここはカットということで――。
飛:いや、そういうわけにもいかないんだよ……。
暁:融通が利かないのねぇ。
飛:……と、とにかく、それじゃ、今回の出題から!!

Q:
脅迫文を送りつけた犯人は?
そして、その目的は?

飛:えーっと、作者曰く、
 「前者は提示された情報のみでは断定不能なので、主に後者を推理してくれると幸いです」
  ――だって。
暁:いわゆるフーダニット(Who does it)ではなくて、ホワイダニット(Why does it)ということね。
飛:ふ、ふーだに?
暁:つまり、犯人当てよりも、動機当てを重きに置いてるってこと。
飛:なるほど……それなら、そういうことだね、うん。
暁:でも、それにしても、動機を決定付ける証拠なんて、何か提示されてたかしら……。
飛:えぇっと、出題者曰く、
  「いつも通り、決定的な証拠を出せた自信はないので、
   なんとなくこれが動機かなぁ〜くらいに推理してもらってかまわないです」
  ――だってさ。
暁:なんとなく……ねぇ。仮にも本格を名乗ってるのに、なんというか情けな――
飛:あー、わー、わー!! と、とにかく! 肩肘張らないで、気軽に推理してみて下さい!
  そして、推理した内容を、是非BBSかメールで送ってください。作者が泣いて喜ぶみたいだから。
暁:あ、でも、BBSでの推理書き込みは、その箇所を白文字にタグ指定して下さいね。
飛:――っと、そろそろ出題の時間も終了みたい。
暁:それでは短い時間でしたが、また解決編でお会いしましょう。
飛:しーゆーあげいん!! またね!


この物語はフィクションです。
実在する人物、団体、事件とは一切関係ありません。 




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