谷風家の日曜は騒がしい。 「ほらっ! もう終わったでしょ、とっとと仕度しなさいって!」 「いいや、まだ次回予告が終わってないね!!」 扉を隔てて一枚向こうのリビングで繰り広げられるいつもの騒ぎ。 事務所サイドで、お茶に使う湯を沸かしながら、僕はため息をついた。 ふと時計を見てみれば、時間はもうすぐ十時になろうとしている。 十時――昨日、暁月さんが来ると言っていた時間だ。 「はいはい、次回予告が終わったから、今度こそ事務所に――」 「まぁ、落ち着け。劇場版の告知をしてるだろ? これを見逃すわけには――」 「いい加減にしろぉー!!」 「うわらばっ!!!」 激しい轟音とともに、駿兄が事務所の床に転がってきた。 そして、それに続くように飛月がやってくる。 「い、いくらなんでもあそこでグーパンチはねぇだろ!」 「黙らっしゃい! もうすぐ十時だってのに、いつまでもアニメ見てるあんたが悪い!」 ぎゃあぎゃあと騒ぎ立てる二人。 僕もそんな光景には慣れてるはずだったのだが、どうしてもうんざりしてしまうわけで。 そして、そんな騒ぎの真っ最中。 ――ピンポーン!! 午前十時ジャストに、チャイムは鳴らされた。
「……で、仕事場で何か問題が起こったとのことですが」 来客を応接スペースに招いた後。 駿兄は、早速本題に切りかかった。 そして、今駿兄と向かい合い座る依頼人は――暁月さんは、そんな問いに小さく頷く。 「えぇ。厳密に言えば、私の同僚の作業所での問題です」 「作業……所?」 聞き慣れない言葉なのだろうか。 駿兄は、暁月さんの言った作業所という言葉を繰り返した。 ……かく言う僕も、その作業所というものについては、よく分からない。 「え、えっと、ちなみにその作業所っていうのは……、というよりあなたの仕事ってのは一体……」 「え? あ、あらあら? ……って、も、申し訳ありません! 私としたことが、名刺を渡し忘れていました!!」 暁月さんは、慌てたように胸元から名刺ケースを取り出して、名刺を駿兄に渡した。 「あ、莞人君もどうぞ」 気遣ってくれたのか、名刺は僕の手にも渡った。 そして、そこに書かれていたのは…… 株式会社九十九組 東京支店 総合設計部 主任補佐 という肩書き。 九十九組といえば、確かそれなりに名前の知れている準大手ゼネコンのことだ。 あんな姿で、ゼネコン勤め……なんか想像できないな。 ……って、あれ? ま、まさか、九十九組って……。 「あの〜、も、もしかしてこの九十九組って、暁月さんの苗字と何か関係が?」 「……飛月ちゃんから聞いてなかったのですか? その通りです。この九十九組は明治に私たち九十九家が創業した建設会社。今は祖父が九十九組を含むグループの会長を勤めていますわ」 ははぁ。やっぱり、そうか。 九十九なんて珍しい名前だし、関係してると思ったら見事に的中したよ。 …………。 ……って。 「え、ええええええええ!!?? そ、それじゃあ、飛月っても、もしかして……」 「隠れお嬢設定ってか!? あ、ありえん! こんなバイオレンスなお嬢様がいてたま――がぼらっ!」 飛月が自慢の拳を突き出し、駿兄がいつもの如く宙を舞う。 ……でも、飛月には悪いけど僕も駿兄に同感だった。 まさか、飛月がいいとこの出身だったなんて……ねぇ。 家のことについて家族構成以外は殆ど話してくれなかったし、そんな素振りも何も見せないから全然知らなかった。 「何? もしかして、あんたや莞人は、人を身分や生まれで判断するクチだったりしたわけ?」 「い、いや、そんなことはないって! うん!」 今の飛月は、どこか真剣だった。 「別に隠してたわけじゃないけどさ、特別扱いは嫌なの、あたし」 「と、特別扱いって……今更そんなのするわけないじゃないか。飛月は飛月なんだし……」 「………………そう? なら、よかった!」 飛月はぐっと握っていた拳を緩め、笑顔を見せる。 それを見て、僕はただただ安堵する。 「いつつ…………んで、その九十九組がどうしたんです?」 気づけば、駿兄が顔をさすりながら起き上がり、暁月さんの前に戻ってきていた。 そして、この事務所にとってはよくある――しかし、端から見たら奇怪な光景を、ただにこやかに眺めていた暁月さんも、そんな駿兄の問いに、すぐに返事をした。 「えぇ。先ほども申したとおり、我が社の作業所――つまり建設現場に、脅迫状が届くようになったのです」 「脅迫状……ねぇ。これまた物騒な」 「こちらが、送られてきた脅迫状の一部のコピーとなっています」 暁月さんは、上品そうな鞄の中から一枚の紙を取り出し、それをテーブルの上に置く。 そして、僕と飛月は駿兄と一緒に、それを覗き込んだ。 ――ビル建設を直ちに中止せよ! 東京の自然を守れ! 日照権を無視するな! 公園をつぶして何が再開発だ! 傲慢な都と区、ゼネコン各社に正義の裁きを! これ以上、工事を続けるのならば、我々は血が流れることも厭わない。 悪を滅ぼすために、いかなる手段を使っても、貴様らを排除しようぞ。 自然を滅ぼす悪魔に死の鉄槌を! 「これは……」 「自然を守れとか言ってるくせに、随分と物騒なこと言ってるね〜、こりゃ」 「だからこそ困ってるのよ、飛月ちゃん。それに、彼ら口だけじゃないみたいで……」 顔を暗くして、暁月さんは続ける。 「件の作業所に、このような類の脅迫じみた怪文書が届くようになって以来。作業所の職員が帰り際に通り魔に遭ったり、資材を積んだトラックが停車中にタイヤを引き裂かれたり……何かと物騒な事件が起きてるんです」 「そりゃあ確かに物騒だが……そんな実害があるんだったら、警察に相談した方がいいような気も……」 駿兄のもっともな問いに、暁月さんは困ったような表情になった。 「えぇ。私も作業所に勤める友人から相談を受けた後、向こうの所長に提案したのですが、向こうはあくまでこの事実を伏せたいようです」 「……なるほど。確かにこんな話がマスコミに知られたら格好のネタになるだろうな。特に最近はセンセーショナルな事件が少ないし」 ……確かに、脅迫主が自然保護を主張している以上、被害を受けているとはいえ、世間的には自然を壊す側、即ち暁月さん達ゼネコン側も批判される対象になるかもしれない。 だからこそ、その所長さんとやらは事実を伏せたいのだろう。 「しかし、問題をこのまま放置するわけにも行きません。そこで、私は二つ目の提案をしたのです。ならば探偵に非公式に調査を行ってもらい、脅迫主を早急に探し出してもらってはどうか、と」 「脅迫主を探し出す……?」 「そうです。警察よりも先に犯人を見つけることが出来れば、こちらから話し合いを持ちかけるなど、内密に事を処理できますから」 暁月さんは、そう言って、やや顔を暗くする。 「正直なところ、このような裏でこそこそするような手段、私も出来れば取りたくはありません。しかし、状況は一刻を争います。このまま放置しておけば、また何時、新たな被害が発生するかわかりません。警察に頼れない今、あなたのような優秀な方に調査してもらう他ないんです。どうか……お願いできませんか?」 頭を下げて、暁月さんは駿兄に懇願する。 その口ぶりからは、この件を一刻も早く解決したいという気持ちが伝わってきた。 そして、駿兄は腕を組んで一考する。そして―― 「まぁ、そっちの事情はよく分かった。……いいでしょう、調査してみましょうか、その脅迫とやらを、ね」 「あ、ありがとうございます!!」 「んまぁ、あれだ。優秀なんて言われた以上、なんとしても探し出して見せますよ。なはは!」 ……どうやら、“優秀な方”というフレーズが効果的だったようだ。 どこかニヤけた顔で、駿兄は暁月さんに手を握られていた。 「では、早速作業所のほうで詳しい話をしたいのですが……よろしいですか?」 「あぁ。俺は一向にかまわないが……その建設現場とやらはどこにあるんだ?」 「あ、申し訳ありません。まだ言ってませんでしたね。件の建設現場というのは――」 淀橋ガーデンタワーズ。通称YGT。 新宿駅西口に建設される予定の総合商業施設……と、確かニュースで言っていた気がする。 そして、今回問題になっている現場というのは、まさにそのYGTの建設現場だそうだ。 「我が社は、YGTの中の施設の一つである淀橋ウェストガーデンと呼ばれるビルの建設を 「じぇーぶい……って、何なの、お姉ちゃん」 そして今、僕達は暁月さんの乗ってきたという会社のバンに乗り、その現場へと向かっていた。 駿兄は僕達を置いていくつもりだったらしいが、飛月が暁月さんの仕事を見てみたいということで、無理矢理ついてきた。 何故か僕も一緒に。 「JV……ジョイント・ベンチャー。日本語で言えば共同企業体。要するに、複数のゼネコンで一つの工事を請け負うこと……ってところかしら」 「ふ〜ん、そんなことするんだぁ」 JVのことなら、僕も大学の講義あたりで聞いたことがある気がする。 それにしても、JVの相手が葉島建設かぁ。 確か葉島といえば、日本最大のゼネコンだったような。 「……そういえば、あんたがたの担当はウェストなんとかって言ってましたが、そのJVとやらはガーデンタワーズにいくつかあるってことですかい?」 「えぇ。主体となる葉島建設が、異なる企業とJVを組んで、建設する施設ごとに作業所を設けています」 「それじゃ、例の脅迫状は、それぞれの作業所に送られてきたと?」 「それが……不思議なことに、脅迫状が送られてきたのはウェストガーデンの作業所のみなようで……」 ん、どういうことだろう? ビル建設の中止を求めるなら、それこそそれぞれのビルの建設現場に脅迫状を送りそうなものだけど……。 「あ、もう現場のゲートに入ります。話は事務所についてからということで」 暁月さんの言葉に前を振り向くと、そこには確かに警備員の立つゲートが。 そして、その奥にはむき出しの土や鉄骨、それに重機が立ち並ぶ物々しい光景が広がっていた……。 警備員による検問を受け、ゲートを越えた車は、少し走った後、プレハブで作られた建物の脇に停まった。 「こちらが、例のYGTウェストガーデン作業所の事務所です。ささ、どうぞどうぞ」 暁月さんに言われるまま、プレハブの建物の中へ入っていく僕達。 すると、中はかなり閑散としていた。 ――というか、見る限り人の姿は見えない。 「今日は日曜ですから、皆さんお休みなんですよ」 なるほど。 そういえば、今日は休みの日だ。 「でも、今日は私が支店のほうから新しい図面を届ける予定だったので、所長さん達は来ているはずで……て、あら」 「おっと、失れ……って、なんだ九十九さんかぁ」 二階に上ろうと階段に向かった矢先。 一人の作業着を着た若い男の人が階段を下り、暁月さんとぶつかりそうになった。 どうやら、向こうは暁月さんのことを知っているようだ。 「掘削計画の修正図面を持ってきたんだよね。さ、所長も待って――ん? そういえば、後ろの人達は……?」 「あぁ。彼らが例の探偵さん達よ」 「え、こ、この人達が例の……!?」 「皆さん、こちらの彼がこの現場に勤務している私の同期の友人、 男の人――春日さんは、そう紹介されると頭を下げる。 「どうもウェストガーデン作業所の施工副主任、春日です。九十九さんとは同期入社して以来の仲でして」 「あぁ、どうも。俺は、私立探偵の谷風です。で、こっちが弟の莞人。それとこっちが――」 「私の妹の飛月です。莞人君と飛月は、探偵さんの付き添いということで」 暁月さんの言葉に、「はぁ」と返事をすると、春日さんは下りてきた階段を再び上り始めた。 「なら、図面の受け渡しも早々に、そっちの話をしてもらいましょう。所長も今日は来ている事ですしね。さ、上にどうぞ」 階段を上るように促された僕達は、言われるまま階段を上る。 春日さんに案内されながら二階の一室に入ると、そこはデスクが並び、会社のオフィスのようになっていた。 そして、そのオフィスの奥には一人の恰幅のいい中年の男の人が座っていた。 「所長! 「おぉ、そうか。いやいや、九十九さん自ら来てくれるとは。こりゃ、どうも済みませんねぇ」 「いえ。私からも二、三口頭で伝えたい事項がありましたから。それに……」 と、所長と呼ばれたその男の人と握手をしながら、暁月さんは僕らのほうをちらりと見た。 すると、男の人もその視線に気づいたようで。 「あなた方が、例の件を調査してくれるという探偵ですかな?」 「えぇ。谷風駿太郎と言います。よろしくお願いします」 「あぁ、私はこの作業所の所長でね、 石清水所長から差し出された手を、駿兄は握り返す。 僕は、そんな光景を見ながら一つのことに気づいた。 所長さんは、春日さん同様に作業着を着ていたのだが、そのデザインが微妙に違い、しかもその胸元にはその差を歴然とさせるロゴが入っていたのだ。 (HAJIMA……葉島建設か) やはりこのビル群全体の工事を請け負っているだけあって、各現場の責任者には、葉島建設から人員が派遣されているのだろうか。 「脅迫状の件の詳細をそこの谷風探偵にお話した後に、図面の修正点についての話をしたいのですが……よろしいですか?」 「え、えぇ、構いませんよ。それじゃあ……春日君。例の脅迫状や写真のファイルをこっちに持ってきてくれ」 春日君は頷くと、部屋の隅の本棚へと向かった。 そして、一方の僕達は所長さんに連れられて部屋を移動することとなろうとしたのだが。 「お前らはここに残ってろ」 駿兄に制止されてしまった。 そこで飛月はすかさず反論する。 「な、何で!」 「お前らが来ると話がこじれかねん。……というか、本来は俺だけが来る予定だったんだぞ?」 「そ、そうだけどさ……で、でも!」 「ま、そういうことだから、話が終わるまで待ってろ」 「あ、ちょ、ちょっと待ちなさい!! まだ話は終わっ――ふぇ?」 背を向けて部屋を出ようとする駿兄を、飛月は追いかけようとするとが、それは暁月さんによって止められた。 「彼の言う通りに待ってあげなさい」 「で、でもさ……」 「飛月ちゃん、これは仕事なの。遊びじゃない。分かるでしょ、それくらいは」 「そ、そりゃあ、分かるけど……」 まだ何か言いたげな飛月に、暁月さんは今度は笑いかける。 「私も残ってあげるから。これくらい我慢しなさい、ね。さもないと……」 「は、はひ! 分かりまひた!!」 飛月は、急に肩を震わせて敬礼のポーズをとった。 あの暁月さんの笑顔の裏……よほどの恐怖があるらしい。 駿兄が石清水所長や春日さんと話を聞きに別の部屋に移動してから幾許か。 僕達はというと。 「へ〜、随分大きいビル作るんだね〜」 ヘルメットを被せられ、事務所の外、ビルの建設現場間際に出ていた。 暁月さんが、待ち時間に暇をもてあますのも勿体無いということで、この現場を案内してくれることになったのだ。 「もう仕上げの段階ってところね。あとは最上部で鉄骨を組み上げて、コンクリートを打設するだけ」 案内してくれる暁月さんは、いつもの着物姿からうってかわり、春日さんが着ていたような作業着に着替えており、僕達同様にヘルメットも被っていた。 なんだか、不思議な光景だ。 「それじゃ、それが終わったら、ここの作業所も仕事おしまいなの?」 「まさか。ビル内部の内装や電気周りの工事もあるし、ガス水道なんかのライフライン整備のこともあるから、まだまだ仕事はあるわ」 言われてみれば、まだ歩いてるこの地表は舗装もされてないし、建設されているビルとビルの間も閑散としている。 「えっと、それじゃあここが……というよりこの淀橋ガーデンタワーズが開業するのは何時になるんですか?」 「来年の三月末。つまりあと半年後ね」 半年後……その頃には、今歩いているこの場所も、綺麗に整備されているのか。 「話によるとこのウェストガーデン、完成したらホテルやレストランが入るらしいわ」 「へ〜。ホテルかぁ」 「レストラン……完成したら、来てみていね、莞人」 「そ、そうだね」 飛月と一緒にホテルのレストランで食事……。 夜。夜景を見下ろしながら、クラシックの生演奏を聞きながら飛月とワイングラスを傾けて……。 ――って、何を想像してるんだ僕は。 そもそも僕達まだ未成年だし、ワインなんて飲めないし。 というか、こんなバカ高そうな場所で食事なんて、誰かの助けがないと……。 「どうしたの、莞人? ぼーっとしちゃって」 「い、いや、何でもないよ、うん!」 「ふ〜ん。ならいいけど、具合が悪いっていうなら、別に無理しないで――あっ!!」 言葉を言い切る前に、飛月は小さく叫ぶと、前によろめいた。 僕はすかさず、飛月の肩をつかみ、転倒するのを防いでやる。 「だ、大丈夫? 急に躓いたりして……」 「うん、ありがと。でも、おかしいなぁ。今、石に躓いたというより、何か糸みたいなものが足に――」 「おい、何やってんだ!! とっとと逃げろ!!!」 僕の耳に突然、男の叫び声が聞こえてきた。 でも、どうして、逃げなくちゃいけないんだ? そう思い、声の主を探そうと顔をふと横に向けた瞬間だった。 ……あれ? 何か鉄骨のようなものが一斉にこちらに迫ってきてるような気がするのは僕だけでしょうか? 「……う、うわぁぁぁぁああ!!!」 人間、本当に危険が迫ると本当にとるべき行動をとれないというのは本当らしい。 僕はこんな危機的状況だというのに逃げるわけでもなくただ叫んでいた。 飛月も目の前の光景に体を硬直させたままだ。 嗚呼、僕らの人生、こんなところで終わってしまうのか。 ……こんなことなら、せめて―――― ……ガラガラガラ!!! ズズズズゥゥゥーーーン!!! ――って、あれ? 鉄骨の倒れる激しい音はすれでも、何も体にのしかかる感覚はなく。 おそるおそる目を開くと、確かに僕達は生きていた。 何故か立ち位置を、さきほどまでいた鉄骨の真下ではなく、その少し先に変えて。 「二人とも大丈夫!?」 暁月さんが息を切らせて、僕達に声をかけてきた。 「え、あ、はい。別に何も怪我は……」 「あ、あたしも何もないよ」 「そう……なら、よかった」 暁月さんは顔をほころばせ、安堵の表情を見せた。 ……ここである仮定を思いついた。 あの状況下で、僕と飛月は動けずにいた。 ならば、僕たちが鉄骨の倒れた場所ではない場所に移動するには、誰かの力が必要になる。 しかも、その誰かは鉄骨が倒れこむまでの僅かな間にそれを成し遂げたことになる。 そして、それが出来えたのは僕でも飛月でもない、あの場にいた人間。 つまり―――― 「おい、あんたら無事か!?」 と、そこで何やら汚れた作業服にヘルメット、腰には工具一式といういかにも作業員という出で立ちの男が現れた。 「――ったく! どこのどいつか知らんが、これだから現場をぶらぶら歩かれちゃ困るんだ……って、あんたは確か九十九組さんとこの」 「申し訳ありません、 どうやら、この人を暁月さんは知っているらしい。 平野と呼ばれた男の人は、ややトーンダウンする。 「まぁ、あんたがついてるなら、部外者が勝手に……ってわけじゃないんだろうけどよ。でも、注意してくれよ? ここは現場、素人にゃ危険すぎる場所なんだからよ。それに最近は――」 「おーーい!! 一体何があったんだ!! ――って、うおっ! こ、これは……」 音を聞きつけてきたのであろう。 石清水所長や春日さん、それに駿兄が走りながらこちらに近づき、そしてその光景に驚いた。 「そこに置いてあった資材が倒れたみたいだ。間一髪で逃げたから良かったもの、下手したらそこにいる小僧達がペシャンコだっただろうよ」 「だ、だがね、平野社長。ここの資材はちゃんと固定してたはずでは?」 「あぁ、きちんとウチのもんが固定してたよ。転倒を防ぐようにな」 石清水所長の問いに、平野さんはあっさり答えた。 すると、春日さんの顔が青ざめる。 「それなのに倒れた……って、それじゃ、まるで……」 「誰かが資材を倒そうと、意図的に固定してた装置をはずした……とも考えられるな」 この場にいる誰もが、今の駿兄と同じ事を考えていただろう。 きちんと処置してあるはずなのに、こんな事故が起きたのだ。 今の結論に帰着するのは自明の理だ。 「んで、平野さんって言ったかな。あんたは確かにここを固定したんだな?」 「な、何だよあんた。何で見ず知らずの男にそんなこと答えなきゃいけないんだよ」 「ひ、平野さん、あのね、この人は探偵さんなんだ。ほら、例の事件あっただろ?」 石清水所長の言葉に平野さんは、駿兄を上から下まで舐めるように見てから、頷く。 「ほ〜、アンタがねぇ。……ま、少々不安だが、ちっとは期待するとしようかね」 「谷風さん。こちら、平野興業の社長で 「ほ〜、社長なのに現場作業ですか」 「こちとら小さい会社なんでね。社員全員で、現場に出なきゃいけないのさ」 「なるほど。……で、先ほどの質問の答えをまだ聞いてませんが?」 なんだか、少し険悪なムードになっているような……。 「ん、あぁ、さっきの質問ね。あれの答えはイエスだ。うちのモンが固定した後、俺も手で触って確認したんだ。間違いなく固定されてた」 「……となると、やっぱりこれは――っと。さっそく見つけたぜ」 突然しゃがみこんだかと思うと、駿兄は何かをつまんでみせた。 「何それ? 釣り糸?」 「まぁ、そんなところだろうな。多分、こいつがさっきの事故の原因のはずだ」 そう言いながら、糸を手繰り寄せると資材がガタガタと音を立てた。 それを見て、春日さんがはっと何かに気づく。 「も、もしかして、釣り糸をそこの資材に結んでおいて……」 「まぁ、そうでしょうね。おい、莞人。こいつのもう一方の端がどこにあるのか辿ってみてくれ」 「う、うん」 駿兄のつまむ釣り糸を、倒れた資材とは正反対の方向の方向に追っていく。 すると、たどり着いたのは……。 「あ、あったよ端っこ! ここの柵の根元に糸が結んである!」 僕たちのいる作業用の通路を挟んで、倒れた資材のあった場所の対岸。 そこに突き刺さっていた柵代わりなのだろう鉄の棒の根元。 そこに釣り糸は固結びで固定されていた。 つまり、この釣り糸は一端をこの柵に、もう一端をその向こう岸の資材に結ばれていたわけだ。 「もしも、この固定されていない資材に結ばれた釣り糸が、目立たないようにこの地面すれすれにぴんと張られていたらどうなるだろうな?」 「どうなるって、そりゃあ、いつかはここを通る誰かがその糸に足引っ掛けちゃったりして、その衝撃で資材が引っ張られて倒れてきて……って、あ!!!」 飛月が驚いたように、口をあんぐりを開ける。 「そっか……それじゃ、あの時あたしが躓いたのって……」 「資材を倒す仕掛けに足を引っ掛けたから……だったんだ」 考えてみれば、資材が倒れてきたのは飛月が転びかけてからすぐだった。 でも、もしあの時、飛月が盛大に転んでたら、起き上がる前に資材がのしかかってきていたら……。 考えただけで背筋が凍る。 「しかし、さすがですね、谷風探偵。飛月ちゃんが転んだ話はしていないはずなのに、いとも容易く仕掛けに気づいてしまうとは」 「た、確かに……。でも、これなら今回の件も安心して任せられますよ。ね、石清水さん」 「あ、あぁ。そうだな……」 目を輝かせる春日さんに対して、石清水所長はどこか落ち着きがないような素振りを見せている。 どうしたんだろうか。 と、僕が視線を二人に向けていると、飛月の傍に平野さんが近づいてきていた。 「しっかし、運が良かったな、嬢ちゃん。この仕掛け、下手したら転んでそのまま資材の下敷きになってたってことだろ?」 「う、うん。……あ、でも転ばずに済んだのは莞人のおかげだし、なんかお姉ちゃんが助けて――」 「しかし、そうなると、向こう側も相当やる気ってことになりますよ、こりゃ」 改めて倒れた資材を一瞥して駿兄が石清水所長さん達に声をかける。 「この仕掛け、時期を考えると、例の脅迫してきた奴の犯行と見て間違いないでしょう。そして、平野さんの言う通り、この仕掛けは洒落にならない可能性が十分あった。となると、脅迫主は、ここの作業所を脅す為なら、手段を選ばなくなってきた……そういうことになりませんかね?」 「なんてこった……。何でウチの作業所がこんなことに……」 石清水所長が頭を抱えてうずくまる。 春日さんや平野さん、それに暁月さんも表情を固くしている。 「……こりゃ、とっとと調べないと大変なことになるかもな」 そして、僕の傍でそんなことを駿兄は呟いた。 ……どうやら、この依頼。 想像以上に、重いものだったのかもしれない。 <調査編に続く!> この物語はフィクションです。
実在する人物、団体、事件とは一切関係ありません。
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