【前回までのおさらい】 (問題3) 五の刻印を背負う少年のために鐘は鳴る 以上!
「せ、背番号……ですか?」 暁月さんが、問題文を見て思いついたというのは、“背番号”のことのようだった。 うなずくと、暁月さんは言葉を続ける。 「えぇ。この“五の刻印を背負う”という部分を、“五の数字を背中につけている”と解釈するなら、背番号が一番適しているかと思いませんか?」 「言われてみれば、意味をストレートに訳すと、そうなりますけど……その後の“鐘が鳴る”というのは?」 「背番号と言うと何かしらのスポーツですよね? つまり、そのスポーツに関する応援歌か何かのことでしょうか」 応援歌……かぁ。 ということは、こういうことだろうか。 ――背番号五の少年のために応援歌が鳴る 「とにかく、何かのスポーツが関連しているということは、競技場や野球場の最寄り駅ということでしょうか?」 「でも、競技場なんて、それこそ山ほどありません?」 国立競技場に神宮球場、東京ドームに有明コロシアムに秩父宮……かつての五輪開催地ということも手伝って、この東京にはスポーツ関連の施設は多数存在する。 そこに、学校等の民間団体が所有する競技場や施設も含めるとなると、どれほどの数になるだろう。 「となると、鍵はやっぱり五っていう背番号と……」 「応援歌、ですね」 背番号五と応援歌。 この二つのフレーズこそ、今回の問題を解く鍵に違いない。 ……いや、まだこの二つのフレーズも決定項なわけじゃないんだけどね。 「とりあえず背番号五で思い浮かぶメジャーな選手といえば…………………………………………」 と、思慮するものの、そこで気づいた。 僕がプロスポーツとかそこまで詳しくないという事実を。 いや、確かにサッカーのワールドカップや日本シリーズは見たりするよ? でも、どの選手の背番号がどうこうというところまでは熟知していない。 「そういえば、飛月って、どこか贔屓にしてるチームとかあるんですか?」 「え? う〜ん、特にそういうのはないと思うけれど……。あ、でも、甲子園や冬の高校サッカーなんかだと、地元の県の高校を応援はしてたわ」 飛月に、どこか特別に思い入れのあるチームがあるとすれば。 そのチームの中から背番号が五の選手を探すとか、的を絞ることが出来たのだけど、どうやら、それは叶わなかったみたいだった。 「まさか、毎年選手が入れ替わる高校野球や高校サッカーで背番号で選手が如何こうって、指定するわけもないしなぁ……」 「むしろ、高校野球やサッカーでは、背番号は選手が誰かというよりその番号をつけた人のポジションがどこかを意味していますしね」 「……え? そうなんですか?」 「えぇ。サッカーは概ね、守備の最後尾……つまりキーパーに一を与え、そこから前に行くにしたがって数字が大きくしています」 ……あぁ、だからサッカーで背番号十番の選手は話題に上がりやすいんだ。 十一人中の十番目……すなわち、最前線で戦っているから。 逆に言えば、サッカーにおいて背番号五の選手はディフェンダーかミッドフィルダーの位置にいる可能性が高いということだ。 「同様に、高校野球では完全にポジション別に背番号を指定しています。一番がピッチャー、二番がキャッチャー、三番がファースト、四番がセカンド、五番が――」 「サード……ですか」 高校サッカーでは中盤。 高校野球では どちらも、決して花形……とはいえない位置というわけか。 「でも、この高校サッカーや高校野球の背番号という案、あながち間違っていないのかも」 「……え?」 「ほら、ここにある“少年”という文字。この問題がプロの選手のことを指しているのなら、子供っぽい“少年”なんて表現使わずに“男”をするはずでしょう?」 確かに、暁月さんの言うとおりだ。 今まで、ずっと僕は背番号といわれ、プロの選手のことばかり頭に思い浮かべていた。 しかし、少年と言われてる以上、この考え自体が間違っていたのかもしれない。 ……が、そうなると“応援歌”とは何のことだろう? 確かに甲子園や国立でも参加高校の吹奏楽部とかが応援曲を演奏してるけど、そんなの無数にあるし……。 選手毎に、曲や掛け声を変えてるところも多いけれど、そんなの調べられるはずもない。 ……と、ここまで考えたところで僕は一つの考えに行き着いた。 ――もしかして、“鐘”を“応援歌”と解釈するのも間違えてる? “鐘”が“応援歌”でないとするなら、一体何なんだろう? 駿兄いわく、単純な言葉に置き換えろってことだけど……。 鐘……金属製の楽器の一種……英語にするとベル……。 「……ん? ベル?」 そういえば、この問題もどこかの駅を意味してるんだっけ。 てことは、もしかして鐘って…………。 「発車ベル……だったりして」 「え? 発車ベル? 発車ベル……ベル…………あぁ! なるほど!」 暁月さんも僕が言わんとしてることが分かったようだ。 僕が言わんとしている事。 それはつまり、この“鐘”を駅の発車ベルと仮定した時。 この問題はつまり、 背番号五の少年のために発車ベルは鳴る となり、この“背番号五の少年のための発車ベル”が鳴る駅こそが今回探すべき駅となる、ということだった。 「そうなると、やっぱりこの発車ベルというのは何かの応援歌ということになるのでしょうか? となると、確かあのチームの応援歌が発車メロディに使われてる駅があったような……」 応援歌……。 この東京界隈だと東京ドームと神宮球場にそれぞれ本拠地を置く球団があったっけ。 だけど―― 「そうするとさっきの“少年”の部分と矛盾しませんか?」 「うぅ〜ん、やっぱり、そこが問題になるのかしら……」 暁月さんが頬を手において、困ったように唸る。 駅を当てる問題ということもあって、“鐘”の解釈は発車ベルでほぼ正解だと思う。 となると、問題はその前の文章になるわけで。 「そもそも背番号五の少年という言い方が漠然としすぎてますねぇ。せめて前半部分をもっと違う言い方で何か言い換えられるといいのですが」 もっと違う言い方……か。 さっき出たのだと、確か高校野球とかだと五番は三塁手(サード)。 同じく高校サッカーだと、中盤以降の守備。 絞り込めてるとすれば、野球の三塁手のほうか。 「てことは、サードの少年のための発車ベル……かぁ」 「何だかそういわれると、サードの意味を間違えてしまいそうですね」 「え? 間違えるって、どういうことです?」 「ほら、サードには三番目とか第三のとか、そういう意味もあるじゃないですか。だから、三番目の少年とかそういう風に勘違いしてしまいそうということです」 「あぁ、なるほ……ど…………!?」 その瞬間だった。 僕の中で、パズルのピースがかみ合ったような音がした。 “背番号五の少年”を、“サードの少年”と訳した後。 さらに“サード”の部分を英語本来の“第三の”という意味に置き換えるならば。 すなわち、“第三の少年”。 “少年”の部分がサードと言う言葉を導くためのものであれば、その役目は果たしたといえる。 ということで、少年を広義的な、性別的な意味で捉えて置き換えると“男”。 つなげて読むと―― 「第三の男……!」 「え? 確かそれって映画のタイトルじゃ……」 「その映画で使ってる曲のタイトルでもあるじゃないですか。そして、その曲は使われてたはずです。駅の発車メロディに!」 『第三の男(原題:The Third Man)』は、イギリスで作られた往年の名作映画だ。 ――とまぁ、説明してみるものの、僕もきちんと見たことがないので後はよくは知らない。 僕は……いや、僕を含めた日本人の半数以上は、このタイトルを別の場面で知ったはずだ。 某ビールのCMソングのタイトルとして。 そして、そのCMソングにもなったことをきっかけに、この曲は駅の発車メロディにも使われるようになった。 宣伝されたビールの製造元にゆかりのあるあの駅で。 「五の刻印を背番号五に訳し、さらにそれを三塁手――つまりサードと訳し、さらにそれを“第三の”と和訳する。……単純な暗号なのに、随分とこってりとしてるのねぇ」 「まぁ、問題文自体があっさりしていたので、その反動といったところじゃないですか?」 僕達は、早速問題文が示すその駅へと向かっていた。 今は、芝公園から日比谷を経由して乗り換えた地下鉄日比谷線の車内だ。 「それに、こう解釈するなら、五の刻印も少年も鐘も全ての意味が通じます。……恐らく正解かと」 「そうねぇ……。私もそう願いたいところですね」 そして、そんな会話を交わしていると。 『次は恵比寿、恵比寿です。JR線はお乗り換えで――――』 どうやら、目的地に着いたようだった。 第三の男のために鐘を鳴らし続ける恵比寿駅に。 目的のロッカーを見つけるのは、湯島や芝公園の時ほど簡単ではなかった。 手始めに、地下鉄改札近くのロッカーを当たってみるも不発、仕方ないので構内を歩き二箇所ほどロッカーエリアを見つけるも、これも不発だった。 そして、次に僕達はJR線のほうのロッカーを確認することにした。 何せ、問題にも出ていた発車メロディはJR線で流れている曲なわけだったしね。 というわけで、探して見つけたJR線駅構内二つ目のロッカー。 そこで遂に―― 「あ、開いた……!」 キーは見事に鍵穴に嵌り、それを横にひねるとカチャリという音とともにロッカーの扉は開いた。 ――ということはつまり、僕の推理は当たっていたということだ! 「今度は一体、何が入ってるんだろ……」 「とにかく、今は中身を確認したほうがいいのでは?」 「そ、そうですね!」 暁月さんに促され、中に入っていたものを取り出した。 これは……茶封筒だ。 しかも、その中には今までのように鍵のような異物が入っているわけではない。 純粋に紙だけが中にしまわれているようだった。 「鍵もなくて、紙だけって……もしかして!」 中に入っていた紙。 そこには、ワープロソフトで打ったであろう文面が記されていた。 その内容は―――― (残念! 無念! ご苦労様!) ゆっくり最初から考え直していってね!↓! 「え、えーっと……」 「飛月ちゃん……」 それを見た瞬間、僕だけでなく暁月さんまでもが頭を抱えた。 「なんじゃこりゃ……」 ロッカーの開錠から十数分余り。 渋滞に巻き込まれていた駿兄がようやく僕達に追いついた。 そして、そんな駿兄に例の文面を見せた感想が、今の言葉だった。 「最初から考え直せって……舐めてるのかおい」 「ま、まぁ、こんなゲーム考えてる時点で、飛月は僕達で遊んでるんだろうけどね」 「……んで、本当にこれの他にロッカーの中には何もなかったんだな?」 「えぇ。ロッカーの内部をくまなく探しましたが、何も見つかりませんでした」 僕も確認したから間違いない。 確かに、ロッカーの中身は茶封筒、そしてその中身であるこのメモだけだった。 「となると、やっぱ、まだここはゴールじゃないってことだろうな」 ゴールならば、メモにはそういう旨が書いてある筈だ。 それなのに、そうじゃないってことは……そういうことだ。 「でも、ゴールじゃないなら、鍵が入ってないのはおかしくない? 最初のルールだと暗号は駅のロッカーに入ってるって……」 「んー、まぁ、普通ならな」 「普通なら……って、つまり、今回は普通じゃないってこと? 鍵もかけずにロッカーの中に封筒を隠したとでも?」 だとしたら、あまりにも無用心すぎる。 下手したら、駅員さんに回収されてしまうかもしれないというのに。 ――しかし、駿兄の答えは意外なものだった。 「そもそも、次に俺たちが見つけるべきなのはロッカーじゃないのかもしれない」 「は、はぁ? それまたどうして……」 「まぁ、とにかく落ち着いて、こいつを見てみろ」 駿兄は、改めて今回見つけたメモを僕達に見せる。 「一見ふざけてるとしか思えないけどよ、一つ妙な点がある。……分かるか?」 「妙な点って言われても……」 「……もしかして…………この下向きの矢印ですか?」 ゆっくり最初から考え直していってね!「↓」! 暁月さんがその部分を指差した瞬間、駿兄は親指をぐっと立てた。 「Good!! Exactly(その通りでございます)!!」 「いや、矢印一つでそんなに妙だ何だって言っても……」 「いえ。手書きならともかく、ワープロソフトで打ち込んだ文章ならば、矢印が紛れ込むことなどないはずです。となると――」 「恣意的に矢印は組み込まれた……そういうこった。ちったぁ、頭使え頭を」 ……無性に腹が立つのは、相手が駿兄だからだろうか。 「んで、だ。この矢印が何を意味してるのかを考えるために、もう一度文章を読み直してみる」 「最初から考え直せって部分? こんな文に何の意味が……」 「最初から考え直す――すごろく風に言い換えてみると?」 「そ、そりゃあ、最初からだから、飛月が最初の書置きを残した七福の事務所…………って、あああ!!!」 ここまで言って、ようやく気づいた。 つまり、この文章が指し示している場所はつまり…… 「谷風探偵事務所……ですか」 「そういうこった。んで、ここでさっき見つけた下矢印の意味を考えると、だ」 「まさか、事務所の下の階……?」 駿兄は頷く。 「多分な。……ほら、あのビルの一階に、ちょうど今回の問題にぴったりの場所があるだろ?」 今回の場所にぴったり? 何のことだろうか。 確か、あの雑居ビルの一階にあるのって確か……。 …………あ。 まさか、駿兄の言いたいことってつまり…………そういうこと? 谷風探偵事務所が入っている雑居ビルの一階。 そこには、昔ながらの大衆食堂があった。 そこは、安価ながらボリュームのある定食を出してくれる良心的な店だったので、僕や駿兄も何度かお世話になっていた。 そして、その食堂の名前は―― 「“停車場”……なるほど。確かに今回の問題にうってつけってわけですね」 店の看板を見ながら、暁月さんは納得したように頷いていた。 停車場――つまり駅。 今回、暗号によって捜し求めたロッカーの所在地もまた駅。 だから、うってつけというわけなんだろう。 「俺の予想だと、この中には――」 「……え? 今何か言った?」 「ま、とにかく入るのが先だ、先! 行くぞ」 駿兄が店の扉に手をかけ、一気に開く。 すると、中はちょうど夕方過ぎで、帰宅してきたサラリーマン達で込みあっていた。 それと同時に、焼き魚やら揚げ物やら味噌汁やらのいいにおいも漂ってくる。 そして、そんな薫りと同時に店員さんによる威勢のいい声も聞こえてきたわけで…… 「いらっしゃーい! 四名さ……ま…………」 その威勢のいい声の主が、姿をくらませたはずの女の子の声だった時、僕はどう反応すればいいんだろう。 「まさか本当に探し当てられちゃうとはね〜。流石のあたしも予想外だったよ。あ、あはは……」 飛月を回収した後。 僕たちは事務所に戻っていた。 窓の方を見ると、外はすっかり暗くなっている。 ……結局、お昼一杯ずっと、飛月に振り回されていた、というわけだ。 「予想外って……それは僕たちの台詞だよ。何で堂々と料理作ってたのさ」 「いやぁ、あたしも最初はお店の奥にかくまってもらってただけだったんだけどね。まかないでちょこちょこっとお昼作ってたら、店長に厨房に出て料理作ってみないか〜って誘われちゃって……あはは」 飛月は、照れるように頭の後ろに手を回して笑う。 それにしても、見つけたときのあの割烹着姿の飛月……似合いすぎだったような……。 「……んで? あの暗号は誰に作ってもらったんだ?」 「あ、あれ? もしかして……バレてる? あれ、私が作ったんじゃないって」 「俺が何回、あんな感じの回りくどい暗号解いてると思ってんだ? 問題やルールにあいつの特徴が丸出しだ」 呆れたように駿兄が言う。 ここで言う“あいつ”とは、間違いなくあの何度も失踪して編集者を困らせている作家大先生だろう。 「ありゃりゃ……。そこまで見抜かれてるとはね……。普段グータラしてても、やっぱ現職は違うねぇ」 「褒めても何も出ないぞ」 「こっちこそ、何か出してもらうつもりもないって」 と、笑顔で答える飛月。 しかし、その笑顔はどこかぎこちない。 そして、僕がそのことについて飛月に聞こうとした、その直後。 「……お話は済んだかしら、飛月ちゃん?」 今まで黙ったまま、僕達の一歩後ろで控えていた暁月さんが、口を開いた。 その声は、喜怒哀楽を含まない静かなもの。 そして、そんな声に飛月は肩をビクリと震わせた。 「え、えっと……その……」 「直接顔を合わせるのは久しぶりね、飛月ちゃん。元気そうで何より」 「お、お姉ちゃんこそ、元気そうで……」 飛月は何故か引きつった笑みを浮かべている。 実の姉と顔を合わせたというのに、どうしてこんな表情を……? 「でも今日は飛月ちゃんと話がしたかったのに、こんなことになっちゃって……本当に驚いたわ」 「あ、あたしもだよ。まさか、お姉ちゃんが、よりにもよって今日来るなんて予想外すぎたよ、うん」 「え? でも確かに僕飛月にお姉さんからの手が――ぐふぉっ!!」 手紙のことを言おうとした瞬間。 僕の顔に目にも止まらぬ速さの何かが直撃し、体は後ろに大きく仰け反った。 い、今のは一体……。 「も、もしかして今日こっちに来る事、お姉ちゃんはあたしに伝えてたのかな? ご、ごめんね、あたし全然気づいてなくてさ――」 「――嘘つきは泥棒の始まり……私はそう言ってきたつもりだったけど?」 「ふ、ふぇ?」 「聞こえなかった? ならもう一度言うからね。……嘘を言うのはおよしなさいな」 暁月さんはなおも薄っすらと笑みを浮かべたまま。 しかしその声には一切の感情を感じさせなかった。 「私、朝聞いたの。莞人君が、私の送った手紙をあなたに渡した、と。なら気づかないはずがないでしょうに」 「え、そ、そうだったの!? いやぁ、私、あの時忙しくて、差出人の名前も見ないまま机の上に出しっぱなしにしてたんだと思うよ。だから手紙を貰ったかもしれないけど読んでは――」 「なら、飛月ちゃんの部屋には、いまだ未開封の私の手紙が残ってるのね?」 「そ、それはどうかなぁ……? この前の燃えるごみの日に机の上においてあった紙類を纏めて捨てちゃったから、もしかしたらそれに紛れてるかも」 飛月は、暁月さんの問いに対し、それなりに筋の通った説明をする。 たとえ、その視線がどこか上の空に向いていたとしても、筋だけは一応通っている。一応。 ゆえに、この点にしがみついて、飛月を論破するのは難しいだろう。 だが、暁月さんはそれでも薄ら笑いの表情を崩さない。 「ふぅん。……つまり、飛月ちゃんはあくまで、今日私が来る事を知らなかったと主張するんだ?」 「だ、だって本当のことだから……」 「でもね、それだとやっぱりおかしいのよ」 「……え?」 「だってそうでしょう? さっきから飛月ちゃん、私がここにいることに全然驚かないんだもの」 暁月さんのその言葉に、飛月は口をぽかんと開ける。 「え? え、そ、それってどういう……」 「なぁるほどな。……お姉さん、あんたもなかなか鋭いねぇ」 「いえいえ。この程度、社会に出ている身として当然のこと」 あっけに取られたままの飛月を置き去りにして、駿兄と暁月さんは不適に笑い合った。 ……正直、僕にも何のことだかよく分からない。 「駿兄? 結局、これってどういうこと?」 「んぁ? 何だ、お前も分からないのか……兄として情けないぜ」 そんな天を仰ぐようなしぐさを取るほどのことなの!? 「いいか? もし仮にこいつがお姉ちゃんが来ることを知らなかったら、だ。普通は俺達がその姉貴と一緒に食堂に来た時点で驚くだろ? どうしているのか真っ先に俺がお前に、もしくは姉貴に直接質問するだろ?」 「た、確かに…………って、そうか!」 つまり、そこで質問が無かったということは、考えられる可能性は一つ。 すなわち、既に飛月は暁月さんの来訪、そしてその目的を認知していたということだ。 だからこそ、僕達が暁月さんを引き連れていても、そこに驚きは無かった。 「冷静を装いすぎた故の失敗、ってとこだな」 「う、うぅ…………」 駿兄にずばり言われ、飛月はかくんと頭を垂れる。 しかし、暁月さんはそんな飛月に落ち込む暇すら与えない。 「……それで、どうしてこんなことをしたの? わざわざ私から逃げるようなことを」 暁月さんの言葉の後、静寂が流れる。 答えるべき張本人が、答えに迷っているのか声に詰まっているのか、静寂は続く。 そして、その静寂を破った答えは―― 「あたし……ここにいたかったから……」 という、僕には良く分からない、しかし確かに切実に聞こえる理由だった。 ――ここにいたかったから。 確かに飛月はそう言った。 しかし、それはどういう意味なのだろう。 「あたし、知ってた。お母さんやお父さんがいつまでもここに居候してることを快く思ってないことを」 「……そうね。いつまでも人様のお世話になるなんて、普通は快くは思わないわ」 「だからお姉ちゃんは来たんでしょ? 私をここから引き剥がすために。手紙にも『住む場所について相談したい』って書いてあったし」 「…………」 「でも、私はここが好きなの! 一人で住んでた時にはない賑やかさが好きなの!」 「…………」 飛月の言葉に暁月さんは答えず、沈黙を保つ。 暁月さんが今日ここに来た理由というのも、なんとなく分かってきた。 おそらく、彼女は飛月を別の場所に引っ越させるための調整役を買って出た……そういうところだろう。 「手紙には最近は休みもあまり無いし、明日も日曜だけど仕事があるから、相談できるのは今日くらいしかないって書いてあったし――」 「だから、今日さえやりすごせば、なんとかなる――そう考えたんだ」 「う、うん……」 僕が続けると、飛月はばつが悪そうにうつむいた。 「なるほど、そういうことだったの」 「だ、だからお願い! 逃げたのは本当に謝るから、もう少しここにいてもいいでしょ!?」 「……あのねぇ、飛月ちゃん。それを言うなら、相手が違うでしょ?」 暁月さんの手が飛月の頭を鷲掴みにし、つかんだまま首を僕たちの方へと向けた。 「……と、飛月ちゃ……ウチの飛月は申していますが、正直なところどうでしょう。家主の谷風さん」 「……ん? 家主――ってのは俺のことか?」 他に誰がいるんだよ……。 「先ほどから申している通り、本来ここはあなた方兄弟二人で住んでいた場所。そこに血の繋がりのない他人を……しかもこれといった特殊な事情も無く居候させる。そのことについて意見を伺いたいのですが」 「んな難しく言われてもなぁ……。ようは居候だろ? まぁ、こいつが来てからってものの、やたらに騒がしくはなったな。あと手とか足とか出されるようになったし」 「うぅ……」 駿兄の言葉に、飛月は更に沈む。 「……ま、だけど、飯は美味いし、掃除や洗濯とかも手伝ってくれて、それなりに役に立ってるし、いなくなるってのも惜しいかもな」 「ほう。ならば、あなたは彼女が居候を続けていても問題はない、と?」 「まぁな。俺は元からそういう細かい事は気にしない主義だったんでね。そこにいる神経質な愚弟と違って」 誰が神経質だ、誰が。 しかも愚弟って……愚兄に言われたくはない。 それに僕だって、別に飛月を迷惑がってなんかないし……。 「……さすが兄弟。意見も一致するのですね」 「お、お姉ちゃん?」 気づけば、暁月さんの顔には先ほどまでとは違う、本当の笑みがこぼれていた。 「あなた方お二人の気持ちはよく分かりました。……あなた達になら飛月ちゃんを任せることも出来そうです」 「そ、その言い方ってまさか……!?」 「妹を……飛月ちゃんをこれからもよろしくお願いします」 腰を深々と折って、暁月さんは大きくお辞儀をした。 その姿からは、本当に「よろしくお願いします」という気持ちが伝わってくる。 「お、お姉ちゃん……ありがとう!!!」 「はいはい、私にお礼するのもいいけど、それより先に頭を下げる相手がいるでしょ?」 「あ、そ、そうだね!」 さっきまでと打って変わって。 飛月はいつもように太陽みたいな笑顔を浮かべると、元気良く腰を折った。 「これからもよろしくね、二人とも!!」 そして、顔を上げると僕に向かって、ニカっと笑ったりなどしてきやがった。 ……不意打ちだった。 それから。 僕達は飛月提案の元、暁月さんの歓迎会と銘打って、少し遅めの夕食をとった。 歓迎会ということもあって、メニューはちょっと豪華だった。 で、今はその食後というわけで――。 「そういえばさ、お姉ちゃん。もし、ここで居候がダメってことになったら、私どうなってたの?」 食器を洗い終えて、ダイニングに戻ってきた飛月が、食後のお茶を飲んでいた暁月さんにそんなことを尋ねてきた。 「やっぱり、どこかに送られてたの? 別の一人暮らしできるようなアパートに」 「そうねぇ。とりあえず、ウチが確保してるマンションに移す予定ではあったわね」 「で、そのマンションっていうのは、どこらへんの――」 「文京区の閑静な住宅街のど真ん中。オートロック完備で、民間警備も登録済な築二年くらいの高級マンs――」 「って、ちょちょ、ちょっと待って! な、何でそんな無駄に豪華なの!?」 「だって……ほら、前に住んでた部屋を出た理由があんなのだったから、父さんも母さんも心配しちゃって……。あ、勿論家賃は本家持ちにする予定だったみたい」 そんな好条件な話に、飛月だけでなく僕も唖然とした。 そして、その耳元でぼそっと ――だったら、そっちにすればよかったかなぁ…… などと聞こえたのは、きっと幻聴なのだろう。 「あ、勿論、そちらに回すはずだった家賃は、この事務所に毎月生活費として送りますから。ご安心ください」 いつか、駿兄の収入<九十九家から送られる生活費になってしまう日が来るのではと思ったりしたら負けだろうか。 「……後は父さん達を説得してしまえば、こちらの件はカタが付きそうねぇ。となると、残る問題は……」 「残る……問題?」 「えぇ。飛月ちゃんの件とは別にもう一つ、同期の友人の仕事場で問題が起こってまして……」 そういえば、ふと疑問に思ったのだけれど、暁月さんの仕事って何なんだろう。 着物着ている以上、それ系の仕事な気もするけど……。 「で、谷風探偵には、そちらの問題について調査してもらおうと思ったんです」 「ふむふむなるほど……って、え!?」 「あぁ、勿論今日依頼するわけじゃないですよ? 明日、朝方改めてこちらを訪れようかと思っています」 「え? でもお姉ちゃん、手紙じゃ明日も仕事って……」 「だから、調査の依頼をすることが仕事なの。……手紙ちゃんと読んだ?」 呆然としている表情を見るに、おそらくきちんとは読んでないのだろう。 きっと、土曜日にやってくる――という文面にのみ目が行って、他の情報をシャットダウンしてしまったのだ。 「あ、あたしが今日一日やりすごしたとしても、お姉ちゃんが明日ここに来たんじゃ意味なかったんじゃん……」 それこそガックシと効果音が出るかと思うくらい首を垂らし、飛月は沈んだ。 「……あぁ、そういえば」 暁月さんは、ふと何かを思いついたかのように立ち上がると、落ち込む飛月の元へ近づいた。 「色々あって今の今まで忘れていたわ」 「え、何をですか?」 「それはこの子が一番知ってるはず。……ねぇ、飛月ちゃん」 飛月は暁月さんに肩を叩かれると、びくりと肩を震わせる。 「お、お姉ちゃん。もしかして……」 「難題に真っ向から立ち向かおうとせずに、姑息な手を使って逃げる……それが、私が一番嫌いなやり方だっていうのを分かってての事なのよね? 今回のこれは」 「そ、それはその……なんていうか……」 「なら、私は姉として、そんな手を使った妹を再教育しなくちゃいけないと思うの」 さ、再教育……? というか、なんだかさっきから暁月さんの目が怖い……。 口だけ笑っているのが更に恐怖を引き立てている。 「ご、ごめんなさい!! それだけはどうか許し――ひぃ!」 暁月さんは、まるで子猫のように飛月を片手でつまんで肩に担ぐ。 あ、あれ? でも、平均女性くらいの体重はあったよね、飛月も……。 「莞人君、確か飛月ちゃんの部屋はどこになるんでしょう?」 「ろ、廊下の途中の左のドアの向こうです……」 「ありがとうございます」 飛月を担いだまま、暁月さんは頭を下げると、廊下の方へと歩みを進めた。 「莞人ぉ……」 担がれたままの飛月が僕に助けを乞う様な視線を向けてくる。 ……けれども僕には分かっていた。 いまさら僕がどうこうしたところで、もうどうにもならない。 事態はそこまで深刻だったんだ。 だから僕は遠ざかる暁月さんを見送り、心の中で飛月に詫び続ける事しか出来なかった。 ……ごめん、飛月。 飛月の部屋に二人が入ってから。 廊下の向こうから苦痛とも嬌声とも取れる声が聞こえてきたのは間もなくだった。 「ふふふ……相変わらずかわいい声で鳴いてくれて、お姉ちゃん嬉しかったわぁ」 「うぅ…………やっぱり、こうなるわけね……」 謎の声が止んだ後。 暁月さんは満足げな笑みを浮かべて、飛月はぐったりとした表情を浮かべて、リビングに戻ってきた。 二人とも微妙に着衣が乱れているのは気のせいだろうか。 ……気のせいだよね? 「って、あらあら。気がつけばもうこんな時間。そろそろ帰らないと」 時計を見れば、既に針は夜の九時を回ったところだった。 「それじゃあ、今日はこれくらいにして、また明日来るからね。明日は逃げないようにね」 「い、イエッサー! 最高級茶を用意して待っております!」 飛月が顔を強張らせて敬礼をしていた。 「というわけですので、明日の朝十時頃。別の件について相談に来ますのでよろしくお願いしますね、谷風探偵」 「んぁー? あぁ、分かりました。十時っすね」 駿兄……仮にも相手はお客さんなんだから、せめて話をする時だけはゲーム画面から目を離して……。 「それでは失礼します」 「あ、う、うん! それじゃまた明日……」 「お気をつけて」 暁月さんはもう一度僕達に笑みを浮かべお辞儀をすると、玄関へと向かい、そのまま去っていった。 そして、ドアが完全に閉まる音を聞くや否や、飛月はその場に膝をついて崩れた。 「あ、明日も来るなんて聞いてないよぉ」 「いや、何もそこまで毛嫌いしなくても……」 「毛嫌いなんかしてないよ。私、お姉ちゃん好きだし。だけど……」 だけど? 僕はその先を聞こうとしたが、それよりも先に飛月が口を開いた。 「怖いのよ、お姉ちゃんって」 「怖い……? そ、それじゃ、やっぱり、さっきの飛月の部屋から聞こえたのは――」 「ガクガクブルブル」 あの破天荒な飛月をここまで縮ませる暁月さんという存在。 上には上がいるのだ、と僕はつくづく痛感したわけで。 <踊る大東京捜査網 完> 【解答&あとがき】 では、早速恒例の解答コーナーから! A: ・目的地は恵比寿駅。 ・五の刻印を背負う=背番号五=高校野球での ・五の刻印を背負う少年=三番目の少年=第三の少年= ・鐘は鳴る=発車ベルが鳴る=『第三の男』が流れるのはJR恵比寿駅。 そこ、苦しいとか言わない! 常に苦しい? なおさら言うな!orz というわけで、ようやく終わりました、半年振りの新作ストーリー。 殺人どころか刑事事件でもない軽い事件でしたが、楽しんでいただけたでしょうか? 少しでも楽しんでいただけたなら幸いです。 そして、今回の目玉といえば何といっても新キャラの暁月さんでしょう。 えぇ、着物で黒髪ロングなお姉さんは至高です。ジャスティスです。 次回も登場しますので、私とジャスティスを共にする同士は大いに喜びましょう。 わーいわーい。 ……と、アホになるのはさておき。 長いこと作品を投稿できていませんでしたが、今後は大体こんなペースで投稿していこうかと思います。 今後ともよろしくお願いします。 ではでは。 この物語はフィクションです。
実在する人物、団体、事件とは一切関係ありません。
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