僕と彼女と探偵と


 【莞人のあらすじコーナー】
 本当に些細なことから、僕達三人は九月の海に海水浴に行くことになった。
 すると、そこで僕達は駿兄の知り合いで警視庁の刑事の苑部奈都子刑事と、その友人達のグループと遭遇することになる。
 そして、出会った縁から、僕達はともに昼食を取ることになったのだけど、何とその最中、奈都子さんの友達の一人、佐東尚美さんが突然苦しみ倒れてしまったのだ!
 原因は何とパラチオンという猛毒。
 毒は、尚美さんが口にした物のどれかに含まれているという事で、尚美さんの友達の三人が最有力な容疑者になることに。
 ……だけども、毒を確実に尚美さんに盛る方法は三人共に一向に見当たらずじまい。

 ――すると、そんな中、駿兄と奈都子さんの二人がその方法に気付いてしまった!

 果たして、毒を盛った犯人は一体………………。


僕と彼女と探偵と
〜last summer〜 後編

civil


「……悪かったわね。こんなところに呼び出しちゃって」
 奈都子さんが目の前で立っている人に向かって声を掛ける。
 ……ここは、海水浴場から少し離れた場所にある砂浜。
 そこに、奈都子さんは一人の人物を呼び出していた。
 ――ちなみに僕と飛月も奈都子さんに同行していたりする。
「でも、どうしてもあなたに話しておきたいことがあったから」
 目の前にいる人。
 それこそが、奈都子さんが呼び出した人物だ。
 その人は、奈都子さんの言葉を聞いて首をかしげる。
「ほら、あなたも知りたいでしょ? どうやって尚美に毒を盛ったのか」
「……!」
「私、見つけちゃったのよ。あの状況の中で尚美に毒を飲ませる方法が。そして、その方法で毒を盛ることが出来た人物の正体もね」
 そう言うと奈都子さんは、目の前にいる人物の顔を凛とした表情で見据える。
 ……そう、ここに呼び出した“彼女”こそが――――
「そう、それが出来たのはあなたしかいないはずなのよ。……そうでしょ、麻希?」
 目の前の女性――忍尾麻希さんこそが、尚美さんに毒を持った犯人……。
 奈都子さんはそう推理していたようだった。



「ちょ、ちょっと待ってよなっち! な、何がどうしたっていうの? あたしが犯人!? 何かの冗談なの!?」
 いきなりの話に、麻希さんは驚いた表情を見せる。
 そりゃ、自分が犯人だと指摘されたのだ。
 驚かないほうがおかしいってものだ。
 だが、これは冗談で言っているわけではない。
 奈都子さんだって、こんなこと冗談で言う人じゃない。
「……だから言ったでしょ。私、見つけたのよ。あなたが尚美に毒を飲ませた方法を」
「よりにもよってナオに毒を盛るなんてそんな……。それに、なっちも知ってるでしょ。あたしは確かにナオの分の焼きそばも買ったけど、自分の皿を選んだのはナオ本人だしさ……」
「だから、その複数個あった皿の中から毒入りの皿を取らせる方法を私は見つけたって言ってるの」
 その言葉に、麻希さんはさらに驚いていた。
 ……勿論、その方法がまだ分かっていない僕も内心では驚きまくっている。
 隣であっけにとられている飛月もきっと僕と同じだろう……。
「……で、それってどんな方法なの? あたしには皆目見当がつかないんだけど……」
 ――って、普通に質問してるし。
 すると、奈都子さんはそんな飛月の問いに頷き、答え始める。
「勿論説明はするわ。あなた達、それに麻希本人からも意見を聞きたいしね。……それでいいのよね、麻希?」
「………………」
 今まで顔を赤くして反論を続けていた麻希さんだったが、この段階になるとやや冷静さを取り戻したようで、黙って奈都子さんの話を聞く態勢に入っていた。
「それじゃ説明を始めるけど、まず一つ確認しておきたいのは、これが誰に毒が当たってもいい無差別な犯行ではなく、特定の人物……尚美さんをピンポイントで狙った犯行であるという事」
 無差別殺人と考えるには、このような場所で逃走もせずに行うのは浅慮過ぎる。
 それは既に確認済みだ。
「そして、これを被害者視点で考えるならば、被害者が選べるのは最初からその毒入りの皿しか無かったという事。……今回はまさにそこに注目すればよかったの」
「あ、あれ? 選択の余地が無いって言っても尚美さんが持ってたトレーの上には最初四つの焼きそばが……」
「そうね。確かにぱっと見た感じでは何の違いもない四つの焼きそばの皿が並んでいたのかもしれない。……でも、尚美がトレーを持った時点で既にその四つのうちの一つを確実に選ばせるように加工がしてあったのよ」
「か、加工って、有栖さんの大盛焼きそば以外は皿の柄も盛り付けも殆ど一緒だったし……」
 僕も思わず反論してしまう。
 ……確かに仮に有栖さんに毒を飲ませる予定ならば、唯一大盛になっている焼きそばに毒を盛ればいいだけの話だ。
 だが、尚美さんが頼んだのは紛れもなく普通盛りで、しかも有栖さんの大盛は尚美さんではなく麻希さんのトレーに乗っていたはず。
 そんな殆ど違いの無いように見えるそれに一体どんな加工をしたって言うんだろうか……。
「確かに莞人君の言う通りね。……あの時の私にも違いなんて分からなかったもの。無理はないわ。……でもね、そんな普通なら今一見分けのつかないような加工でも、尚美の目には大きな違いに映って見えたのよ、きっと」
「あたし達が気付かないけど、尚美さんに確実に気付かれる違いって一体何なのよ……」
「それじゃ、一つ試してみようかしら。……飛月、ちょっと目を瞑って、二つの殆ど変化の無い海水浴場を想像してもらえる?」
「か、海水浴場って……。ま、別にいいけど…………で、どーするの?」
 素直に指示に従い目を瞑ったまま、飛月は奈都子さんに尋ねる。
「二つの浜辺を想像できたら、次は片方に打ち上げられたくらげがいるのを想像して」
「ク、クラゲ…………………………そ、想像したわよ?」
「このくらげの有無しか相違点がない海水浴場のうち、飛月が行きたいと思うのはどっちかしら?」
 ……って、そんなの決まってるじゃないか。
 クラゲはあの飛月が恐れる数少ない生物なんだから――――
「あ、あのねぇ……そんなのクラゲがいないほうに決まってるでしょ」
 ……まぁ、そうだろうね。
 でも、この質問の意味って一体…………。
「そう、そうよね。……くらげが苦手だっていうあなたなら、絶対にどちらかを選ぶでしょうね。それじゃ、同じ質問を莞人君にしてみようかしら?」
「……って、ぼ、僕ですか!?」
「そうよ。答えてもらえる?」
「そ、そうですね……。僕はクラゲがいても構わないクチだから、別にどっちでもいいと思うんですけど…………」
 僕がそう答えると、奈都子さんは大きく頷いた。
「つまりはそういうこと。人の好き嫌いっていうのは何かを選ぶ時の目安になりやすいの。そして、その選ぶ基準になる点は、選んだ本人以外がぱっと見ただけじゃ分からないような些細な事も多々ある……」
 選ぶ基準……今の海水浴場の話で言うなら、それは『くらげの有無』。
 確かに、僕だったらそんな有無は気にも留めないだろうけど、それを苦手にする飛月なら迷わず目が行きそうだ。
 ――そして、それがもし今回の事件に結びつくのだとしたら…………
「それが……僕達は気付かないけど、尚美さんには確実に気付かれる違いってわけですか」
「そう。そして、好き嫌いを利用すれば一見同じに見える焼きそばの中から、尚美に毒入り焼きそばを選ばせるのも可能になるってわけ。そして、それに利用されたものが…………これよ」
 腰のポシェットから奈都子さんが取り出したもの。
 それは――――――



 それは、袋に入った赤い物体。
 正確に言えば、赤い液体の中に赤い千切り状の漬物が入ったもの。
「――べ、紅生姜!?」 
 そう、それは飛月の言う通り、紛う事なき紅生姜のパックだった。
 確かに紅生姜っていえば、焼きそばの添え物に使う定番だし、あの焼きそばにも入ったけど、こんなものが使われたなんて………………
 ………………ん? 添え物…………そうか!
「もしかして、尚美さんは紅生姜が苦手……とか?」
 奈都子さんは頷く。
「尚美が焼きそばの前に出てきたお好み焼きを食べなかったのを思い出してね。……お好み焼きと焼きそばの両方には入っていて、人によって好き嫌いが出てくるような食材っていったら紅生姜かなって思ったわけ。……さっき尚美の実家に確認したけど、まさにその通りだったわ。しかも、筋金入りの紅生姜嫌いとか」
 ……なるほど。
 何となくだけど、選ばせた方法が分かってきた。
 つまりは、尚美さんの分の焼きそばだけ紅生姜が無い、もしくは極端に減らされていたのだ。
 いや、元々は皆均等に紅生姜が添えられていたのだろうけど、トレイで皿を運ぶ際に麻希さんはそれの量を意図的に調整したのだ。
 麻希さんが選びやすいように。
 そして、その上で毒を盛ったのだろう。
 確かに、他の具だと麺に絡まっていて、それだけを除去する作業は大変で目立つだろうが、添え物の紅生姜ならその作業も容易に行えるはずだ。
 更に言うならば、お好み焼きの場合は生地に混入されてて容易に除去できないから、食べること自体を拒否していたんだろう。
「あの尚美の負けず嫌いな性格からして、こういう子供っぽい好き嫌いはなるべく私や有栖達には隠しておきたかったんでしょうね。……昔からの親友っていう麻希になら別かもしれないけど」
「………………」
「それに、もしあなたが紅生姜の量を減らしたのに尚美が気付いたとしても、それを自分の好き嫌いを知った上での善意と捉えてくれるでしょうしね」
「………………」
 麻希さんは俯いたまま、口ごもる。
 ……下を向いている彼女の表情を伺うことは出来ないけど、一体どんな思いでいるのだろうか。
 焦り? 怒り? 悲しみ? それとも――――
「…………確かに私はナオの紅生姜嫌いは知ってたわよ。そりゃ長い付き合いだもん」
 そこに浮かんでいたのは、若干の動揺。そして……余裕。
「うんうん、確かになっちの言う方法だと面白いくらいにナオも引っかかってくれるだろうね。……でもさ、それを私がやったっていう証拠はあるわけ?」
「しょ、証拠?」
「そう、証拠よ証拠! なっちの推理はあくまで推理でしょ?」
 言われてみれば、確かに今までの話は全て推測に基づく話。
 事実に限りなく近いとしても、それを完全に事実だと証明する手立てはまだ何も出ていない。
「だけど、あの状況下で犯行を行えるのはあなたしか……」
「でも、私が毒を入れた場面を見たわけじゃないんでしょ? それなのに友達を名指しで犯人って……それが警察のやること?」
 その顔に薄ら笑みすら浮かべる麻希さんに、僕は少し戦慄を覚えてしまう。
 だけど、確たる証拠が無い今、状況証拠のみでは犯行を認めることは出来ない。
 すると奈都子さんの顔が、少しづつ青ざめてゆく。
「ま、麻希……あなた…………」
「ちゃんとした証拠もなしに、私が親友を殺したと思っていたなんてね…………変わったんだ、なっちも」
「ち、違う! 私はあなたのことを思って……」
「何が『あなたのことを思って』よ。結局は逮捕して実績挙げたいだけなんでしょ? 警察って結構儲かるみたいだし」
 今までの麻希さんからは想像できないような冷たい言葉に、奈都子さんも硬直してしまっている。
「警察って昔っから証拠もなしに人を捕まえては自白とかさせてるよね。そーいうのさ、古いと思うだよね〜私」
「……………………!!」
「……ま、どうしても私を犯人に仕立て上げたいならさ、とっとと証拠持ってきてよ。そうしたら自白しちゃうからさ」
「ほー、証拠があったらゲロするってか。そりゃ、今時珍しい潔いヤツだこって」
 ……あれ?
 今の声って…………。
 僕がその声のする背後を振り返ってみると、そこにはやっぱりあの人が立っていた。
「な、中濃刑事……」
「どうも姿を見ないと思ったら、こんなところで秘密の打ち合わせですかい? 相変わらずいいご身分ですねぇ、東京の刑事さんってのは」
 相も変わらずの嫌みったらしい口調で、中濃刑事は奈都子さん達の元に歩み寄る。
「そうやって地方の警察を舐めてると、今後の貴方の為にもならないと思うんですがねぇ」
「こ、これはその……」
「まぁ、いいですよ。こっちはこっちでアンタが掴んでないだろう決定的証拠を見つけたんだからねぇ」
「決定的証拠……ですか?」 
 中濃刑事は頷いて、答える。
「忍尾麻希さんの指紋と微量のパラチオンが同時に検出された容器が見つかった、と言ったら、それは決定的証拠になると思いませんかねぇ?」
「み、見つけたんですか!?」
「地方の警察だからって舐めんで下さい。この程度の証拠探しはね、年がら年中やってるんですから」
 呆れたような口調でそう言うと、刑事は麻希さんの顔を見る。
 麻希さんの顔には、先ほどのような余裕な面影はどこにもない。
 見えるのは焦りばかり。
「さぁて、ちゃ〜んと証拠も出ましたが、どうなんです? 覚悟を決めてくれませんかねぇ、忍尾さぁん」
「…………」
 中濃刑事の粘着質な問いの前に、麻希さんは黙ったまま。
 すると、そんな時唐突に聞いたことのある声がしていた。
「――ねぇ、なっちゃんに麻希……今の話って……本当なの?」
 ……声のする方を振り返ると、そこには案の定声の主である有栖さんと雪絵さんの姿が……。
 奈都子さんは、それを見て驚く。
「有栖! それに雪絵まで……。あそこで待っててって言ったのに……」
「だって、マキを連れてった時のなっちゃんの顔、いつになく真剣だったんだよ!? この状況であんな顔されたら、誰だって気になるよ!」
「それに、奈都子ちゃん達が向かった方に刑事さん達も向かっていったのを見たら、何か嫌な予感がして……。そうしたら、麻希ちゃんが犯人でどうしたっていう話が聞こえてきて……」
 確かに、麻希さんを呼び出す時の奈都子さんは何か決意染みたものを汲み取れるような表情をしていた。
 きっと高校三年の付き合いがある彼女たちには、その顔が示すものの意味を薄々感じ取っていたのだろう。
「そ、それで結局のところ、どうなの!? ま、マキがそんな犯人だなんて……う、嘘だよね?」
「それに麻希ちゃんが犯人だというなら、どうやって尚美ちゃんに毒を……」
「その方法なら、既に奈都子が見つけてる。……んで、それを実現した証拠も茨城県警がしっかりと見つけてくれた。……そうだよな、お二方?」
「――って、その声は駿兄!!?」
 気付けば駿兄が僕の横に立っていた。
 皆、次から次へとどうしてこうもいきなり現れるんだ……。
「あ、あんたいつの間にそんなところに……」
「まー、今はそんなことどうでもいいだろ? ……んで、どうなんだ? 奈都子、それに茨城県警さんよぉ? あんたらは見つけたんだよな、方法と証拠を」
 奈都子さんと中濃刑事は駿兄の問いに同時に頷く。
「あぁ。しっかりと見つけたよ。我々の力だけで、な」
「そして尚美に毒を選ばせた方法も分かってる。……もう、言い逃れは出来ないわ。お願い、正直に言って!! もうこれ以上、話をはぐらかすのは……やめて……」
 奈都子さんがその瞬間、麻希さんの両肩を掴み、懇願するような口調で叫んだ。
 しかし、当の麻希さんは黙ったまま、無反応のまま。
 そんな彼女の態度に、僕達まで黙ってしまい、周囲の時間は止まったような錯覚を覚えてしまう。
 聞こえるのは、波がざわめく音だけ。
 ……そうやって、どれくらい時間が経ったのだろうか。
 ようやく、麻希さんはその口を開き、世界は再び動き出した。
「はぁ………………。結局、ダメだったかぁ……」
 世界が動き出して最初に麻希さんが口にしたのは、そんあ溜息交じりの言葉。
 そこからは、先ほどまでのような刺々しさは抜けており、出会った当初のようなさっぱりとしたイメージさえ汲み取れた。
「――ま、なっちの目は誤魔化せなかったってことかなぁ。流石、正義感の塊だけあるわ」
「麻……希…………?」
「そうだよ。全部、なっちの言う通りだよ。私が佐東尚美……ナオに毒を飲ませたんだよ」
 顔を俯かせたまま、淡々と麻希さんは答えた。
 その信じがたいけれど逃れようのない事実を認めるように。
 すると、奈都子さんは彼女の肩に置いた手を離し、一歩下がると改めて静かに尋ねる。
「理由、聞かせてもらえる?」
 理由。
 それは言うまでもなく、麻希さんが何故尚美さんを毒殺しようとしたのかという理由のこと。
 麻希さんと尚美さんは、聞けば長い付き合いだというし、一番仲のいいコンビのはず。
 事実、今日も物凄く仲が良く見えたし。
 それが、毒を盛られ飲まされの関係になってしまったのだから、誰だってそこの理由は知りたいだろう。
 奈都子さん達は勿論、今日の麻希さん達の様子を見た僕や飛月もその気持ちは一緒のはずだ。
「……そうだね。なっち達には言っておくべきかな。こんなことに巻き込んじゃったわけだし」
 そう言って、麻希さんは俯いていた顔を上げる。
 そこには、悲壮とも憎悪とも取れる表情が浮かんでいて……。
「私さ…………叶えたい夢があったんだ」



 ――夢。
 それは、誰もが一度は抱くもの。
 現実離れしすぎた夢、突拍子もない夢、すぐにでも手が届きそうな夢、自分だけの為の夢、皆で描く夢……。
 夢の種類は多種多様だ。
 そして、そんな中で麻希さんが抱いていた夢とは――
「三人とも、イベントの企画とかの仕事をするのが私の将来の夢だったって事は知ってるよね?」
 麻希さんの問いに、奈都子さんと有栖さん、雪絵さんは頷く。
「その話なら高校時代、何度も聞かされたわね……」
「確か、将来は日本中の人が楽しめるようなイベントを企画したり運営したいとか言ってたっけ」
「あの頃からマキちゃん、体育祭や文化祭を率先して仕切っていたわねぇ」
 その答えに、今度は麻希さんがうんうんと頷く。
「うん。……でね、先々月に遂に私はその夢を叶えるチャンスを手に入れたの」
「チャンス……?」
「そうチャンスよ。自分の手で新しくイベント企画運営の会社を立ち上げるんだから、これ以上にないビッグチャンスでしょ?」
 麻希さん曰く、これは千載一遇のチャンスとのことらしい。
 何でも、麻希さんが今いる会社は、確かにイベント企画や運営を主体としているけれども所詮は中小企業、小規模なイベントしか仕事として回ってこないそうだ。
 更にその企業体質の古さから、麻希さんのようなヒラでしかも女性の社員には雑務のような仕事しか与えられないらしい。
 その為に麻希さんは、自分の夢を実現させたと実感できるような仕事がいつまで経っても出来ずにいた。
 ……そして、そんな時に彼女は仕事先で、偶然出会ったのだ。
 自分の夢を実現させる為の手段としての独立を支援してくれるスポンサーに。
「確かに自分で事業をはじめるのはとても大変だと思う。……だけど、今まで通りずっと上から言われるままに雑用ばかりするのも嫌だった。だから私は決めた。自分の夢は自分で切り拓いていこう、って」
 そう夢について語る麻希さんの声はどこか楽しげになっていた。
「創業時の事務所や社員の手配は向こうはしてくれるって約束してくれた。でも、その為には私からもある程度のお金を出す必要があったの」
「ま、事務所開こうってんなら、金がかかるのは当然だわな。その金をあんたが負担しなきゃいけないのも当たり前だ」
 そこまで聞いて、駿兄は口を開く。
 確かに駿兄が事務所を開く時は、色々とお金が懸かったとか言ってた気がする。
 事務所のテナント料、事務用品の調達、宣伝の為の広告印刷、探偵業の届出等等――――。
 あの時、駿兄は父さん達からいくらか援助もしてもらってたけど、大体は自費で負担してた。
 そのせいか、事務所を開いて間もなく駿兄を訪れたら、妙にやつれてたんだよなぁ……。
 しかも、麻希さんの場合は会社を起業するんだ。
 駿兄の事務所開業よりももっと大きな額の資本金が必要になってくるだろう。
「夢を叶える為だしね、貯金だって借金だって使う覚悟はあった。勿論、銀行に融資を頼む覚悟だって……」
「銀行……って、ことはもしかして尚美の?」
 有栖さんに尋ねられ、麻希さんは首を縦に振る。
「真っ先に思いついたのが、ナオのいる銀行だった。……で、実際に私はナオに話した。自分の夢が叶うチャンスだから何としても融資が必要なんだ、って。そうしたら、少し時間がほしいって言われた。そこそこの額が動く融資だから、考えるのも当然よね。でも、最終的にはナオなら快諾してくれると思ってた。そう、あの時までは……」
 と、ここで急に声のトーンがダウンした。
 俯きだした顔と連動するように。
「ナオから返答があったのは、それから一週間後だった。……ナオ、何て言ったと思う?」
「その言い方だと……ダメだったのね?」
「“時期尚早、焦りすぎ”だってさ」
 それから、何度説得しても結果は同じ。
 尚美さんはかたくなに融資を拒否、更には独立を諦めさせるように説得してきたようだ。
「私の夢が叶う千載一遇のチャンスなのに……ナオは夢を諦めさせようと躍起だった。しかも、それだけじゃない。ナオは……あろう事か起業する契約を代理人とか言って勝手に……!」
 気付けば、麻希さんとスポンサーの間で交わされた起業の契約は破棄されていた。
 いや「気付けば」ではないだろう。
 何せ、契約を破棄したのは尚美さんであり、それを彼女は麻希さんに素直に告白したらしいのだから。
「……あの時、私の夢は終った! 全部ナオのせい! ナオが……過剰に私に干渉してきたから……私の進もうとする未来への道を邪魔したから!」
「で、でも尚美がそんなことするなんて、あたしには想像出来ないよ」
「それは私だって同じだよ有栖。でもね、ナオは――あの女はやったのよ! 親友だった私の心を裏切って!」
 激昂する麻希さんは、怒りに任せて足元の砂を蹴る。
 ……その怒りは僕の方にまで伝わってきた気がした。
 隣を見てみると、あの飛月ですら、息を呑んで麻希さんの方を見ているばかりだった。
「だから私は決意した……。いたずらに私の夢を奪ったあの女に、あの時の私くらいの苦しみを味わってもらおうって」
「それで尚美に毒を入れたの? 致死性があると知っていながら!?」
「そうよ。あの時の私は本気で死のうかと思ったくらいなんだから、あれくらいして当ぜ――――」
「ち、違う、違うの! 尚美ちゃんはそんな……麻希ちゃんを陥れようといたわけじゃないのよ!!」
 憎悪に顔を歪める麻希さんの激情が止まらなくなってゆく中、そんな彼女の言葉を遮ったのは意外な人物だった。
「……ユキ、何が違うっての? まさかユキは、ナオがあそこまでしておきながら、私の夢を潰す気なんて無かったなんていうの!?」
「結果的にはチャンスはふいになってしまったわ。でもね、それは……麻希ちゃんのためだったのよ!」
「……は? な、何言ってるの? 何でチャンスを破棄することが私の為になるわけ? 夢を捨てるのが人のためになるなんて理屈おかしいじゃない!」
「いいから話は最後まで聞いてちょうだい!」
 麻希さんの怒号を押し返さんとする勢いで発せられた雪絵さんの声に僕達は思わず唖然とする。
 いかにも温室育ちのお嬢様然とした人が突然大声を上げたのだから、驚かないほうが無理がある……と思う。
 雪絵さんは、そうやって麻希さんを一度黙らせると、改めて説明を続けた。
「あの時、私は尚美ちゃんに呼び出されてたの。相談してほしいことがある、って」



 雪絵さんが呼び出された日、それは尚美さんが麻希さんの契約を破棄する前日だったそうだ。
 そんな日に相談を受けたのだとすれば、その内容がどんなものだったかは明白だろう。
「相談ってどういうこと? まさか、契約を破棄する相談を受けてたっていうんじゃ……」
「そのまさかよ」
 ……やっぱりだ。
「会って早々に尚美ちゃんは事情を話してくれた。麻希ちゃんが夢をかなえようとしているって」
「そうよ。ナオはそれを分かっていながら――」
「でも、それから続けて尚美ちゃんは言ったわ。今のままじゃ、麻希ちゃんは不幸になってしまうって」
「……は? どうして? 夢をかなえることがどうして不幸を呼ぶの? そりゃ苦労はすると思うけど、それだって夢を叶える為なら――」
「その夢をかなえる手伝いをしてくれるっていうスポンサーが、麻希ちゃんを騙そうとしているとしたら?」
 その言葉に、麻希さんは「え」と短く呟くと言葉を詰まらせる。
 一方で、奈都子さんや駿兄はどこか納得したような表情を浮かべていた。
「雪絵……それって、もしかして起業詐欺?」
「そう。麻希ちゃんからスポンサーの会社の名前を聞いた尚美ちゃん、すぐに調べたらしいわ。まだまだ新米の社員にいきなり起業をもちかける業者なんて本当に信用できるのか、って思ったらしくて。そうしたら……」
「見事ビンゴってわけか。さすが銀行で働いてるだけあるな。企業がクリーンかどうかもすぐ分かるってか」
「尚美ちゃんはそれを知って悩んだのよ。ここで契約を破棄しないと麻希ちゃんはお金を騙し取られちゃう、だけど破棄することは夢を壊すことになるって。だから私に相談したんだと思う」
 そして、そこで雪絵さんは、尚美さんの決断を後押しするようにアドバイスしたのだという。

 友人の財産を守る為に、夢の実現を遠ざける……か。
 例えば飛月が麻希さんのような状況になってたら、僕は……………………。
 あのしっかりしてそうな尚美さんですら、大いに悩んだんだ。
 僕一人で決断できそうに無い。

 すると、麻希さんがそんな雪絵さんに反論をしだす。
「う、嘘よ! だ、だってその会社、ちゃんと事務所もあったし、借りる予定になってたテナント物件も実在してたし……」
「詐欺ってのはそういうもんだ。嘘八百を僅かな事実で包み隠して信じさせ、カモを釣る。オブラードだってあんなに薄いのに苦い薬を飲みやすくするだろ? あれと同じだ」
「嘘よ……嘘よ嘘よ嘘よ!! それじゃ、どうしてその事をナオやユキは話してくれなかったのよ!」
「それじゃあ、逆に聞くけどあの時の麻希ちゃんに尚美ちゃんがそう忠告したとして、麻希ちゃんはそれを信じて契約を破棄した?」
「そ、それは…………」
「そういうこと。あの時の麻希ちゃんは自分の夢に手が届こうとしていて人の忠告をまともに聞ける状況じゃなかった。……だから、私も尚美ちゃんもあなたに黙って契約を破棄することを選んだ。酷だとは思ったけどね」
 雪絵さんの言う事にも一理あると思う。
 “何か”に執着する人に、その“何か”が自分にも害をなすものだから手放せと言っても、きっとたいていの場合は聞く耳を持ってくれない。
 例えば、ヘビースモーカーに煙草の危険性を伝えて禁煙を促すことが、相当困難なことであるように。
「でも、そ、それでも、それだったら、どうして契約を破棄した後にナオは何も言ってこなかったのよ! 全てが無に還った後なんだし、言ってくれても……」
「夢の実現を手助けしようとしていた業者が詐欺の常習犯だってことを、麻希ちゃんにはまだ伝えたくなかったんだって。それを知ったら、きっとあなたは深く傷つくから」
「…………!」
「それじゃ、つまり尚ちゃんのしたことは、全部マキのことを考えての――」
 有栖さんの問いに、雪絵さんが頷く。
「結果的にそれがこんな事態を招いたんだけどね。……もしかしたら、麻希ちゃんの恨みは私に向かうべきだったのかもしれない。尚美ちゃんの決断を後押しした私に、ね」
「そ、それは違うよ、雪ちゃん! 雪ちゃんも尚ちゃんも、マキの為にって思ったんだから、二人が悪いなんて事は――――」
「あ、あぁぁぁぁぁあああああああああ………………」
 すると、突然麻希さんが頭を抱えて、呻き声をあげる。
 その顔に、先ほどまでの焦りの表情とは違う、呆然とした表情が張り付いていて……。
「そ、それじゃ何? 私は……私は……どうしてナオに毒を飲ませたの? ね、ねぇ、どうして!? ねぇ!」
 麻希さんが奈都子さんに駆け寄り、肩を揺さぶる。
「ねぇ! ナオは悪くないんだよね? それじゃ、私はどうしてナオに毒を飲ませたの? ねぇ、答えてよ! ねぇ!」
「ま、麻希……」
「おかしいじゃない。これじゃ、まるで私が勘違いで何も悪くないナオを……ナオに毒を……こ、ここここ殺し……て…………」
「落ち着いて、麻希! 自分を見失っちゃ駄――――」
「い、いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーー!!!!!!!」
 その刹那。
 麻希さんは奈都子さんを突き飛ばして駆け出した。
 砂浜を、夕陽が沈みゆくその海へと向かって。




「麻希!!」「マキ!!」「麻希ちゃん!!」
 そんな麻希さんの姿に驚き、真っ先に追いかけたのは奈都子さん達。
 それから僅かに遅れて、中濃刑事が我に返ったように怒鳴る。
「お、おい! 何やってる! 犯人に逃げられるぞ! とっとと追いかけ――――って、電話ぁ? 誰だ、こんな時に……ったく。はい、もしもし?」
 電話に気を取られ完全に中濃刑事は出遅れる。
 そして、それを呆然と見ていた僕は、その脇腹を飛月に小突かれた。
「何ボサっとしてんの? 追いかけるわよ!」
「お、追いかけるって、何で……」
「麻希さんをあのまま走らせるわけにはいかないでしょ! あの状況で海に向かったら何をするか……分からないの!?」
 いや、そりゃなんとなく思いつくけどさ。
 でも、僕達が出る幕じゃないし、第一僕達より先に奈都子さん達が……。
「グダグダ言ってないで、走る! ゴー! ゴー!」
 って、心を読まれた!?
 僕は飛月に腕を引っ張られながら、強制的に麻希さんを追いかけることに。
 だけど、さっきも行った様に既に奈都子さん達が先に麻希さんを追いかけてる。
 そして、その中にはスポーツが得意だという有栖さん、そして警察官として訓練を受けた奈都子さんがいる。
 だから、目の前であっという間に麻希さんが取り押さえられたのも予想の範疇にある事態だった。
「……って、あ、あれ? 私の出番は!?」
「だから、言ったでしょ。奈都子さん達が向かったから僕達が追ってもあまり意味はない、って」
 まぁ、そんなわけで僕達もすぐに奈都子さん達の元に辿りついたわけだ。
 すると、そこでは取り押さえられた麻希さんが何やら喚きながら暴れていた。
「いやぁぁぁぁ!! 離して、離してよぉ!!」
「離すわけないでしょ! ひとまず落ち着きなさい、麻希!」
「そうだよ、こんなことしたって何の得にもならないんだよ?」
「死なせて! 私を死なせてよぉぉぉ!! お願いだから…………」
 その顔を涙と砂で大いに濡らしながら、麻希さんは弱弱しく呟く。
 先ほどまでの暴れていた体も今は嗚咽とともに動くだけになり、そんな彼女を抑える奈都子さんと有栖さんも手の力を弱める。
「私はナオを殺したのよ? 私の為に頑張ってくれたナオを、この手で。そんな私がおめおめと生きてるなんて……」
「マキ……」
「そうよ。こんな私に生きてる価値なんてあるわけがな――――」

 ――ぱちん

 麻希さんの言葉を遮るように、彼女の頬から小気味いい音が鳴った。
 音を鳴らしたのは奈都子さんの掌。
 まぁ、所謂一つの平手打ちというやつだ。
「あ、あはは……。そうだよね。なっちも私がこんなんで失望したよね。そりゃ、叩きたくも――」
「そうね。尚美や雪絵の気持ちも知らないであんな凶行に至った麻希には、正直がっかりしたかもしれない。でもね……それ以上に許せないことがあるのよ」
「それ……以上に?」
「そう。それは、あなたが死なんていう安易な方向に逃げようとしたこと!」
 その言葉に麻希さんは思わず「え?」と呆気に取られた表情で声を漏らした。
 すると、奈都子さんは言葉を続ける。
「だってそうでしょ? 死ってのは一瞬で終っちゃうんだから。命が断たれちゃったら、贖罪もはいそこまで。尚美や尚美の家族、それに私達がそれで納得すると思う?」
「………………」
「後悔してるんでしょ? だったら、自殺なんか考える前に罪を償うの! 世の中には罪の意識もへったくれもないどうしようもない奴らも沢山いるけど、あなたは違う! そうでしょ、忍尾麻希!」
「こ、後悔してないわけ……ないでしょ……」
 奈都子さんは麻希さんを抱き寄せ頭を撫でる。
「そう、それでいいの。……その気持ちがあるなら大丈夫。だから死ぬなんてもう言わないで」
「うん……ごめんね、なっち。それに、ユキにアリス。皆皆、本当にごめんなさいごめんなさいごめんなさい………………」
 麻希さんは嗚咽を漏らしながら、ひたすら謝っていた。
 その声は僕達の耳にも聞こえてきて……。

 願わくば、この声が空の向こうの尚美さんにも聞こえていますように。

 つい、そんなことを祈ってしまったその時だった。
「ふーむ。ま、何はともあれ、これでほぼ一件落着かね」
「って、駿兄。また唐突に背後に回らないでよ、びっくりするじゃないか!」
「これくらいのことで驚いてどうするんだ? 谷風家の人間だろうが」
 意味不明だよ。
 それとも谷風家ってのは、そんなに心臓が強い家系なのか?
「ていうか、あんたも相変わらず空気を読まないで割って入ってくるのね」
「まぁ、そう褒めなさんな」
「褒めてない!」
「まぁまぁ、落ち着け少女よ。俺だって別に無意味に割り込んだりしないさ。ただ、伝えたいことがあってよ」
 だったら先に言ってよ。
 今、この状況下で喧嘩されたら、こっちもたまったものじゃないんだしさ……。
 と、思ったけれど、例の如くそれは口にはしない。
「伝えたいこと?」
「あぁ、そうだ。さっき、あの中濃っつー刑事の電話を盗み聞いてたんだがよ――――――」


 それから少しして。
 麻希さんは茨城県警に正式に逮捕され、署に連行されていった。
 色々とやりきれない思いは残ったけれど、これも仕方がないことなのだろう。
 何せ、麻希さんがしたことは例え勘違いだったとしても、人としてしてはいけないことだったのだから……。
 ――でも、そんな後味の悪い今回の事件でも、救いはあった。
「本当に良かったよね。……尚美さんが無事で」
 海の向こうに沈む太陽を見ながら飛月がそう呟いた。
 そう、唯一救いがあるとすれば、尚美さんの手術が無事に終了したという事だ。
 どうやら、倒れた直後の奈都子さんの処置が功を奏した様だ。
 その事実を駿兄から聞いた時、奈都子さん達は勿論、僕や飛月、それに何より麻希さんも安堵した表情を浮かべた。
「奈都子さん、様様だね。……後遺症も何も残らないみたいだし、それは何よりだよ」
「でも……本当に私の処置のおかげなのかしら」
「え? なっちゃん、それってどういう――」
「パラチオン毒は早期の措置さえあれば致死率は低いのは事実だけど、それでも脳の麻痺みたいな後遺症が残りやすいの。それなのに、今回それすらもなく無事に済んだってことはもしかしたら……」
 そこまで聞いて、僕は奈都子さんの言いたい事がわかった気がする。
 つまり、もしかしたら麻希さんは、自分でも気づかない内に毒の量を……。
「……ま、被害者が無事だったとはいえ、殺人未遂は殺人未遂だ。彼女にはそれ相応の贖罪をしてもらわないとねぇ」
「中濃刑事……」
「事情がどうあろうと、人を殺そうとした事には変わりない。なら、私ら警察はそれを取り締まらないといかんのです。悪く思わんでくださいよ」
 中濃刑事はそう言いながら、ぼーっと海を眺めていた僕達に近づいてきた。
「……何か御用ですか、中濃刑事」
「まぁまぁ、そうピリピリしなさいでくださいな、苑部巡査部長。私はただあなた方に伝える事があってここに来たのですから。……ところで、ほかの御友人はどこに?」
「有栖と行きえは先に宿に戻っています。で、伝える事というのは?」
「なぁに、大したことじゃないんですがね、今後調書を作るのにこちらからあなた方に連絡することがあるかもしれないということを言っておきたかったわけですよ、はい」
 相変わらずの嫌味っぽい薄ら笑みを浮かべながら、中濃刑事は淡々と言葉を発する。
 奈都子さんの事情などまるで知ったこっちゃないといった雰囲気だ。
「ま、そういうわけでですね、今日はお暇しますが、また連絡する時はよろしくおねg――――と、失礼」
 中濃刑事はふと着信音に気付くと、こちらに背を向けて、携帯を取り出した。
 どうやら、相手は部下の刑事さんのようだ。
 そして、それから数分経ち、中濃刑事が通話を終えると今度は駿兄が声を掛けた。
「今さきの口振りから察するに……見つかったってとこか?」
 そんな駿兄の問いに、中濃刑事は苦々しく一瞬顔をしかめたかと思うと、観念したように頷いた。
「……隠しててもどうにもらない、か。まぁ、そういうところですわ」
「そうかい。そりゃ、おめでとさん」
「ま、こっちもそれなりに……いや、何でもない。それじゃ、そういうわけでまた連絡するかもしれませんが、その時はよろしくお願いしますわ。てわけで、私はこれで失礼させてもらいますよ、では」
 そう言って背を向けると、中濃刑事はその先に停めてあったパトカーへと向かう。
 そして、刑事を載せるとパトカーはすぐに発進してしまった。
 すると、飛月はそんなパトカーを見ながら、不機嫌そうな声を漏らした。
「何なのあの刑事さん。結局、なっちゃんがトリックを暴いたことについては礼の一つも言わないわけ?」
「別にいいのよ。……というより、中濃警部補達、茨城県警の管轄で出しゃばっておいて礼を貰えるなんて最初から思って無かったし」
「でも……でもさ、それでも礼くらいしてもいいのに。刑事としてってより、人として」
 奈都子さん直々に言われても、納得がいかないように飛月はむすっとする。
 まぁ、飛月の気持ちも分かる。
 確かに毒を保管したっていう容器を見つけたのは向こうだけど、その毒を飲ませた方法を見つけ出したのは奈都子さんなんだし。
 すると、駿兄はそんな憮然としたままの飛月の肩に手を置く。
「ちょ、あんたどこ触って……」
「ま、お前さんもそこまでカリカリしなさんな。あの刑事はあの刑事で、それなりに配慮してくれたと思うぜ?」
「配慮って、それどういう……」
「例えば、まだ見つかってもない証拠をさもあるかのようにハッタリかまして、証拠の無かった誰かさんの推理を裏付けてやったり、とか」
「……は、ハッタリって…………あ、じゃあ、もしかしてさっきの電話は……!」
「更にぶっちゃけてみると、どっかの頭脳派イケメンが、先に大体の犯人の目星を入れ知恵する代わりに、さっきみたいなハッタリで誰かさんの推理を手助けしてほしいって頼んだとして、あの刑事がそれを承諾したんだとしたら、中々に配慮してると思わね?」
 途中、逝け面とかなんとかいうノイズが聞こえた気がするけれど、どうやら裏ではそんなことが行われていたようだ。
 駿兄、途中で姿見せなくなったと思ったら、そういうわけだったのね……。
 それなら、あの時遅れてあの場に現れたのも何となく納得いく。
 ついでに言うなら、恐らくさっきの電話は、証拠になる容器から毒と指紋が今になって検出されたとかそういう話だったのだろう。
「やろうと思えば、そのイケメンを脅して無理矢理犯人の正体を聞くことも出来たんだ。それをしないとすれば……まぁ、そこまで向こうもワルじゃないってことだろ」
「んー、そういうもんなのかなぁ」
「そういうもんだ。……しかし、これって良く考えると素直に礼を言えない属性だよな……。……そう考えると充分萌えられ――」
「駿兄……こんな時に何言ってるんだよ……」
「じょ、冗談に決まってるだろ! ――と、ま、まぁ、それよりもだ! おい、奈都子」
 駿兄ははぐらかすように僕と飛月から顔を背けると、奈都子さんの方を向く。
「……どうしたの、駿太郎」
「お前……大丈夫か?」
「大丈夫、ってどういうことよ。私は至って普つ――」
「あのな。目に涙浮かべてる奴のどこが大丈夫なんだよ」
「え? あ、あれ……?」
 駿兄に言われてはじめて気付いたのか、奈都子さんは手で目を拭う。
 すると、それを皮切りに溢れるように目からは水があふれ出てきた。
「ま、自分で親友の罪を暴いたんだ。そりゃ、心も不安定になるだろうよ」
「私が麻希の罪を暴いた……。尚美を殺そうとした罪を……」
「お前はこの事件を自分で解決すると言い切った。そしてその宣言は達成された。酷だとは思うけどな……あの無粋な刑事らに全部任せるくらいよりも、これでよかったんじゃないかと思うよ」
「………………」
「よく頑張ったな。……もう、楽になっていいんだぞ?」
 優しい口調でそう言うと、駿兄は奈都子さんの両肩に手を置く。
 ……さて、そういうことならそろそろ僕達も――
「飛月、ちょっと海岸に沿って歩こうか」
「へ? 一体全体どうし――――あ、そっか」
 飛月も気付いたようだ。
 そして、僕と飛月は目配せして、その場を離れる。

 ――背後の方からすすり泣く声が聞こえてきたのは、それから間もなくだった。



「何でこんなことになっちゃったんだろうね」
 沿岸道路に沿って、海岸を歩いてゆく中、飛月はふと僕に呟いた。
「なっちゃん達、あんなに仲が良かったのに……」
「どんなに仲が良くても……いや、仲が良かったからこそ、麻希さんは恨んだんじゃないかな。友達に裏切られることほど悔しいことはないしさ」
「その裏切りが誤解だったからこそ、本当にやるせなくなるんだよね」
 そこで飛月は立ち止まった。
 そして、僕の方を見ると――
「ねぇ、莞人はあたしを何か誤解とかして恨んでたりしないよね?」
「な、何を突然……」
「ごめんごめん。何か今話してたら、少し不安になっちゃってさ。もしかしたら私も知らないうちに莞人を傷つけるようなことしちゃってないかなって思っちゃった」
 飛月は、恥ずかしそうに笑みを浮かべた。
 う〜ん、飛月でも、そういうの気にするんだなぁ。
 ――というのは勿論、口にはしない。
「気にしなくても大丈夫だって。僕が飛月を恨むわけないだろう」
「だ、だよね。うん、ありがと」
「いや、物理的なダメージでなら何度も傷ついてるんだけど――」
「え? 何か言った?」
「な、何でもないよ! うん!」
 おっと、口が滑ってしまったようだ。危ない危ない。
「でもさ……本当にどうなっちゃうんだろ。なっちゃん達……」
 唐突に飛月は、再びトーンを落として、僕に尋ねてきた。
「友達の間であんなことになっちゃったんだよ? やっぱり、気まずくなっちゃうのかなぁ……」
 仲のいいはずだった友人がこのような事になってしまえば、確かに飛月の言う通り、今後は顔を合わせるだけでも気まずくなってしまうかもしれない。
 そうなれば、奈都子さん達の関係は疎遠になってしまうし、いつしかその友情も霧散してしまうだろう。
 だけど――――
「大丈夫だよ、奈都子さん達なら」
「そう……かな?」
「そうだよ。だって、あの時――――」
 あの時……麻希さんを乗せたパトカーが出発しようとした際。
 奈都子さん達は、麻希さんにこう言っていた。

 ――また、いつか。いつか必ず皆で集まって、どこかに出かけよう。

 またいつか……というのは、きっと尚美さんが元気になり、そして麻希さんが再び外の世界に戻ってきた時。
 その時になったら、また今のような関係に戻ろうと言っているのだ。
「奈都子さん達がああ言ってたんだし、きっとなんとかなるはずだよ」
 ……と言ったものの、実際はそう簡単には事は進まないだろう。
 尚美さんが生死を彷徨うような被害を被ったのは事実だし、それを行った張本人の麻希さんだって、以前のように皆と接せれるかどうか……。
 あとは、まさに彼女達次第としか言いようが無い。
 僕達がどうこうできる問題ではないのだから。
「本当に……元通りになるといいね」
「あとは信じるしかないよ。奈都子さん達をさ」
 僕は信じたい。
 奈都子さん達ならば、きっと今までどおりの関係に戻ってくれるという事を。


 夏が終ろうとしている中、彼女達の平穏だった関係の一つの終焉を迎えた。
 ……だけど、これは終わりじゃない。
 季節が一巡して、再び夏がやってくるように、きっと彼女たちも元通りになる日が来るはず。


 ……そう僕は信じてる。




 
【解答&あとがき】

 ではまず解答から!

 A:
 ・毒殺方法は、尚美の偏食を利用して、毒を盛った焼きそばを彼女自らに選ばせるというもの。
 ・毒を盛れたのは、尚美と一緒に焼きそばを運んで人物。
 ・故に犯人は、忍尾麻希。

 詳細は本編参照ということで。
 ――うぅ、改めて考えるといろいろと自分を叱りたいトリックですね。
 でも、何とか書きあがったのでよしとします。

 ……というわけで、半年振りくらいにお久しぶりです。
 某企画に関わったりなんだりで、こんなにも遅れてしまったことをここにお詫びします。
 これまた、次回も更新が遅れるかもしれませんが、ご了承下さい。マジでorz
 今回はかつて-keighさんの描いてくださった飛月水着絵から思いつき、これまた-keighさんお気に入りの奈都子刑事をメインにして書いてみようという事で誕生した一作です。
 いかがでしたでしょうか、-keighさん?

 というわけで、今回はこの辺で。
 また次回、会いましょう。では〜。


この物語はフィクションです。
実在する人物、団体、事件とは一切関係ありません。 




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