僕と彼女と探偵と
〜逃亡者の挑戦状〜
後編

civil



早朝六時過ぎ。駿兄の運転する車は、首都高速を走っていた。
 車には、駿兄の他に、助手席に僕、そして後部座席に飛月と来宮さんが乗っている。
 朝も早いということもあり、駿兄以外は少し眠そうに、ぼーっと景色を見ていた。
 そして、そんな時に駿兄は元気そうに僕たちに声を掛けてきた。
「そういえばどうだ? 昨日の宿題は解けたか?」
 昨日の宿題――つまり、未来歳記が何処に逃亡したのかを当てるという駿兄から昨晩出された問題だ。
 その答えこそが、今向かおうとしている場所なのだ。
 しかし……
「…………」
「う、うっさいわね〜、しょうがないでしょ! 突然の宿題だったんだから!」
 結局、色々考えたものの僕には、一晩の間に思いつくことは出来なかった。
 今の返答から察するに、飛月も同様のようだ。
 飛月の目の下にはうっすらとクマが出来ているが、どうやら徹夜して考えていたのかもしれない。
 飛月の悔しそうな声を聞いた駿兄は、嬉しそうに笑った。
「わはは! やっぱり無理だったか、予想通りだ」
「な、何ですってぇ〜!」
「ば、馬鹿! 首はやめろ! ぶ、ぶつかる!!」
 後ろから、駿兄の首を絞める飛月。
 当然、駿兄のハンドルさばきもおかしくなり出す。
 そして、緩やかに蛇行を始める車。
 早朝ながら、土曜日なので首都高の交通量はそこそこある。
 このままだと……死ぬ!?
「ちょ、ちょっとストップストップ! このままだと目的地じゃなくて、三途の川に行っちゃうって!」
 僕は血の気が引き、慌てて飛月の手を首から離そうとする。同様に危険を悟ったのであろう、来宮さんも飛月を引き離そうとしていた。
 そんな必死の努力により、少しして、飛月はようやく落ち着き、死の危機は免れた。
 落ち着いたのは駿兄も同様で、車の動きも元に戻った。
「……ふぅっ! 分かった分かった、それじゃあ正解の発表でもしますか! 耳かっぽじって聞けよ」
 どうやら、ついに行き先を明かすようだ。
 天才推理作家の挑戦状の答えとは一体……。



 現在、僕達は首都高を北上中。その先には川口ジャンクション、そして東北自動車道。
「まぁ、今回一番キーになっているアイテムってのは、あの一万円札の煎餅だ。あれがあるからこそ、俺は答えに近づけた」
 開口一番、駿兄は意外すぎる事を口にした。
 よりにもよって、あのネタともいえるような代物がキーとは……。
「な、何言ってるのよ、何であんなものが――」
「旅先で何で一万円を模したお土産を売っていたのか? それを考えればおのずと分かってくるはずだ」
「売っていた理由?」
「そうだ。例えば、早稲田饅頭は大学名を焼印にすることで、大学のお土産であることをアピールしている。南部鉄器も、もともとあの地域で盛んだった鋳物産業を生かして作られているだろ」
「しかし先生が持ってきたのは一万円札の煎餅ですよ。地域名はどこにもないし、煎餅を作るのがさかんな地域だって、沢山あるでしょう?」
 来宮さんが、嫌味混じりに反論した。
 しかし、駿兄の顔には、余裕の笑みが浮かんでいる。
「ま、確かに煎餅や一万円札そのものに目が行ってたんじゃ分かるわけないですよ。では質問ですが、一万円札を見て、まず目に入るものってなんです?」
「え? そんな唐突に言われましても……」
 質問に戸惑う来宮さん。
 しかし、一万円札といえば、僕が思い浮かべるのは……。
「福沢諭吉、とか?」
 まぁ、これに尽きる。万札の別称が“諭吉さん”であるくらいだから。
 これは、冗談交じりの答えのつもりだったが、駿兄は大きく頷いていた。
「そう、福沢諭吉。ズバリその通り! つまり、あれが表現したい主体は福沢諭吉で、一万円札の形や煎餅はそれを実際に表現するときの媒体だったらどうだ? これを売ってる地域は諭吉と繋がりの強い場所になりそうだろ?」
 おいおい、本当に諭吉だったのかよ……。
 しかし、それだと一万円札を模した理由も納得できた。福沢諭吉を表現するのにお札は格好の媒体だし。
 で、諭吉と繋がりの深い場所というと……慶應? 
「福沢諭吉は、豊前ぶぜん中津なかつ、今で言う大分県中津市の藩士の子でな、大阪で生まれてすぐに中津に戻り、長きに渡りこの地で育った。だから、中津市は諭吉の故郷を自負している。それで実際に、一万円せんべいなんていうユニークなお土産も売っていたりするんだ」
 諭吉の故郷――確かに煎餅を売るには十分すぎる条件だ。
「てな訳で、二回目の逃亡先は中津だとほぼ確定したわけだ」
「な、なるほど……」
「でも、それが分かったところで、それは昔の話でしょ。今回の逃亡先は分からないままじゃない!」
 確かにそうだ。
 ――しかし、今の話を聞いていて何かが、引っかかったような気がした。
 たしか、一万円せんべいの時の手がかりは……
「夏目坂――って知ってるか?」
 考えていると、駿兄が新たに話題を持ちかけてきた。しかもいきなり。
「な、何よそれ? いきなりどうしたの?」
「夏目坂ってのはな――」
「文豪夏目漱石の生家跡のそばにある坂です。当時名主だった漱石の父が名付けたそうです」
 すらすらと喋る来宮さんに、僕だけでなく飛月や駿兄までもが驚いていた。
「く、詳しいっすね……」
「一応、文芸雑誌に携わるものとして、文学者に関するこれくらいの知識は持っていて当然です」
 後ろを振り向くと、来宮さんがインテリっぽく眼鏡の位置を直している姿が見えた。
「来宮さん、それじゃあ夏目坂がある場所って地名でいうと何処でしたっけ?」
「そんなの簡単です。新宿区の喜久井きくい町です。まぁ早稲田の近くといったほうが有名かも知れま……せん……が……」
 来宮さんが急に言葉を詰まらせた。
 早稲田――そのフレーズに聞き覚えが無い訳がない。
 そう、一回目の逃亡の際のお土産が“早稲田”饅頭だったのだ。
 そして、その時残されていた手がかりは……。
「前の千円札……。夏目……漱石……」
 ぽつりと思わずつぶやいてしまった。
 そう、夏目漱石のお札が残された時に、漱石になじみのある場所に近い場所からのお土産。
 これは偶然か?
 しかし、諭吉の故郷、中津の名物の一万円せんべいがお土産の時は、確か残されていたのは福沢諭吉のお札。
 これも偶然か?
 そう考えると、三回目の逃亡の際に残されていたのは新渡戸稲造のお札。そしてお土産は岩手名産の南部鉄器。ということは――。



「もしかして、やっぱり盛岡だったんですか? あの南部鉄器がお土産のときは!?」
 僕より先に来宮さんが、駿兄に尋ねた。
「んま、そういうこったな。あれは結構あっさりし過ぎていた気がするがな」
「すると、今回は……」
 今までの法則からするに……、と考えていたその時、思わぬ横槍が入った。
「って、ちょっと待ったー!! あんた達、何納得してんのよ! あたしにはさっぱりだよ、誰か教えろー!!」
 飛月が、珍しくツッコミを入れたのだ。
 まぁ、これがツッコミかどうかは厳密には分からないが。
「おいおい、今更分からないっていうのか? 昨日は威勢が良かったくせによぉ」
「うっさいわねー! いいわよ、あんたには聞かないわよ! ねー、莞人?」
「え、えぇっ!? 僕?」
「そ。もう分かってるんでしょ?」
 結局、こういった役回りがやってくる運命にあるのか……。これは非常任理事国の辛さといったことなのだろう。
 どうせ拒否しようのないことだったので僕は腹をくくって、自分なりの解答を説明した。
「……まず、ヒントはお札だったってのは分かるよね? でも、あのヒントの本当の意味はお札自体じゃなくて、その肖像にあったんだと思う」
「肖像って、さっき言ってた福沢諭吉とか?」
「うん。ほら、一万円札十枚の時は、福沢諭吉の故郷の中津市の一万円せんべいがお土産みたいだし、前の千円札百枚のときは、夏目漱石の生家の近くにある大学のお土産……ほら夏目坂の話で来宮さんが言ってたでしょ」
「そういえば、そうだったような……」
「ここまで考えるとさ、未来歳記先生はさ、残しておいたお札の肖像になった人の故郷を旅していたんじゃないかな、って思えない?」
「じゃ、じゃあさ、五千円札は新渡戸稲造だけど……あの人の故郷って……」
「盛岡よ。彼は盛岡の貧しい家の出身で、長いことあそこで育ったのよ」
 来宮さんが、突然入ってきた。
 昨夜、自分が主張していた盛岡説が当たっていたので、それをアピールしようとしているのかもしれない。
「つ、つまりそういうことなんだよ。未来先生のヒントでも手がかりは今までの逃亡した記録の中にあるって言っていたし、この線が強いと思うんだ」
「でもさ、確か夏目漱石ってさ、生まれてすぐに養子に出されたんじゃなかったっけ? そうすると、夏目坂はそこまで縁がある場所でもないんじゃない?」
「そ、それは……」
 そういえば、中学か高校の国語の授業でそんなことを言っていた記憶がある。
 だとすると、僕の仮説はやっぱり違うのか?
「いや、漱石は養子に出されていたけど、小学生の頃また夏目家に戻って、何年も過ごしたはずだ。だから、あのあたりを故郷じゃないとはいえなくもないはずだ」
 運転しながら、駿兄が援護射撃をしてくれる。
「加えて言うなら、金額をそろえたのは、紙幣という存在を手がかりとして際立てるのと同時に、その十万という金額自体を注目させるミスリード的効果を狙ってたんだと思う」
 追加の援護射撃。
 しかし、ここまで考えていたとは……。
「ふーん。てことは、今回もお札の肖像の人の故郷にいるってことなんだ。つまりそれって……」
「新千円札の肖像は細菌学者の野口英世だよね。野口英世の故郷といえば……」
 野口英世の故郷、それは福島県の内陸部、いわゆる会津地方だ――。
 車はその走る道を、首都高から東北道へと変え、ひたすら北上していた。



 福島県耶麻やま翁島おきなしま村(現猪苗代いなわしろ町)。
 野口英世(幼名、清作)は、明治九年にこの地で百姓の家の長男として生を受け、青春時代をこの地ですごした。
 そして今、僕達はそんな野口英世の故郷に来ていた。
 目の前には、国内第四位の面積を誇る猪苗代湖。駿兄によると、この湖畔にある観光ホテルに未来歳記はいるらしい。 
 車に揺られること三時間強。長い旅だった……。
「ここに、先生が……」
 来宮さんは、感慨極まっているようだった。まるで生き別れた兄弟を見つけたような感じというべきだろうか。
 しかし、僕はここに未来歳記がいるということよりも、気になることがあった。
「でもさ駿兄、どうやって未来先生がいること突き止めたの? いくら電話したからって、そう易々と答えてくれないでしょう?」
「そういえば、そうね。今そんな簡単に宿泊客リストを教えられるほど、個人情報が安い時代でもないし」
 その問いに対し、駿兄はさわやかに答えた。
「ん? あぁ、それは企業秘密だ。わかるだろ、莞人?」
 笑顔の裏にある“何か”。
 僕はそれをなんとなく悟り、それ以上、聞かないこととした。飛月は納得行っていないようだったが。
 まぁ何はともあれ、未来歳記を見つけるべく、僕達はとりあえずホテルへ向かい、中に入ると彼が宿泊しているという三〇〇八号室の前まで来た。しかし……
「留守じゃない?」
「いなさそうだよ?」
「先生、出掛けてるんでしょうか?」
「う〜ん。やっぱ昼も近いし、どっかに行ってるんだろうな……」
 ノックをしても返事はなかった。
「どうするの、駿兄? このままここで待つ?」
 そう言って、駿兄の方を振り返ると、そこに駿兄の姿は無かった。
 って、昨日見た光景と似てるなぁ、おい。
「なんか、急に走っていったけど……」
 と、エレベーターホールの方を飛月は指差した。
 今度は一体何をしでかすつもりだよ……。
 と、不安な気持ちで待つこと五分ほど、駿兄は何食わぬ顔で戻ってきた、ホテルの従業員を連れて……。
 駿兄が部屋の前で止まると、従業員の男性もドアの前で立ち止まり、鍵穴に鍵を差込むと、それを開けた。
「では、以後、部屋の外へ出る際は必ずキーを一緒に持っていくようにくれぐれも注意してください」
 男性は丁寧な口調でそう言うと、僕達を少し訝しげに見ながら、その場を去った。
 ……今の一言で、駿兄が何をしたか、おおよその見当がついた。
 さすがサービス業、客をあまり疑うことはしたくないようだ……。
「さぁて、では中で待つとしますか! 大先生が帰ってくるまで!」
 そして、従業員を騙しておいて、全く罪悪感の無さ気な駿兄。
 さすが探偵、口先を商売道具にするだけのことはある……のか?



 未来歳記の泊まっているという部屋は観光ホテルということもあってか、シングルながら、中々広々としていた。
 そこに泊まっているはずの人間はいないものの、トランクやハンガーに掛かっているシャツがそこに人がいたことを如実に表している。
「いつになったら、帰ってくるんだろうね〜」
 飛月が、ベッドメークされたベッドの上に無遠慮に倒れこんだ。
「ま、気長に待とうや。お、いいもん入ってんじゃんか」
 駿兄は駿兄で、備え付けの冷蔵庫を勝手に開けて、缶ビールを取り出していた。
 ……少しは遠慮してください、と切実に感じるのはおかしいだろうか?
 と、そんな身内を尻目に来宮さんは、テーブルの上に置かれたノートパソコンに注目していた。
「どうしました?」
 ベッドに寝転んだり、勝手に人の飲み物を飲む度胸が無かった僕が、来宮さんに声を掛けようと思ったのは自然な流れだったのだろう。
 来宮さんも話す相手が欲しかったのであろう、笑顔で答えた。
「え? あぁ、少しこのパソコンが気になっていまして」
「パソコンって、これですよね。 ん、このファンの音……」
「えぇ、電源が入ったままになっているのですが、閉じた状態になっているので気になってしまって……」
 確かに気になる。
 電源を消し忘れたのなら消すのが親切かもしれないし、もし何か事情があって消さないままなのなら、何でそうしてるのかに興味が沸く。
 しかし、何にしても閉じたノートパソコンを開けるのは気まずい、という気持ちもあった。
 と、そこへビール缶片手に駿兄が近づいてきた。
「何でぇ、気になるなら開けてみりゃいいだろ、そりゃ!」
 既に少し酔っているのであろう駿兄は、唐突にディスプレイ部を持ち上げた。
 それに僕と来宮さんは驚くが、更に驚いたのはディスプレイに映るものを見てからだった!!
「こ、これって、まさか……」
「えぇ、間違いありません。これは先生の……」
 文書ファイルにぎっしりの文章――原稿だった。
 未来歳記の作品を全て読んだことのある僕が、読んだことの無いと感じた文章が並んでいることから察するにきっと……
「恐らく、次回掲載予定の原稿です……」
 つまり彼は、旅先でも執筆は忘れずにこなしていたのだ。
「ってことは、もしかしてカンヅメってやつ?」
 いつの間にか、ベッドから起き上がった飛月がディスプレイをのぞきこんでいた。
「あいつは決して、締め切りから逃れようと、単純に現実逃避していたわけじゃなかったってことだな」
 駿兄もさっきまでのほろ酔い加減はどこへやら、少し格好良く喋っていた。
 そう、そんな風に少しいい話っぽい空気が流れていたその時だった、四人の内の誰のものでもない声がしたのは。
「そうそう! 俺はいつだって原稿第一に考えてる、まさに作家の鏡ってやつなんだよね〜」
 駿兄のものとも違う、ノリの良さそうな男性の声。
 驚いて振り返ると、全く見知らぬ男が立っていた。
 駿兄と同年代くらいに見えるその男は、横長の眼鏡を掛けているため知的に見えたが、それ以外は良くも悪くも普通な見た目だった。
「せ、先生!!」
 来宮さんから飛び出た言葉に、僕と飛月はハモって驚く。
「「先生ぃ〜〜!?」」
 まさか、あれだけの技量を持つ天才ミステリ作家の正体が、意外なほどに若く、どこにでもいそうな人だったとは……。
「来宮さん、お久し! 昼飯から戻ってきたら、まさかあなたがいるなんてなぁ。いやぁ、こんな早くに見つかるなんて夢にも思ってもいなかったよ。これってやっぱり――」
「よぉ。久しぶりだなぁ、利毅としきぃ……。もう何年ぶりだぁ?」
 なぜか、おどろおどろしい口調で声を掛ける駿兄。
 それにしても「久しぶり」って……。
「あ、あぁ。駿太郎、久しぶりだな、本当に。いや、やっぱりすごいな、お前ってば。俺のゲームを見事解いちゃうんだから」
「言いたいことはソレダケカ?」
「え? あ、あはは! やだなぁ、ちゃんと依頼料は払うからよぉ……」
「あははじゃねぇ!! よくも俺をこんなかくれんぼもどきに巻き込んでくれたな、このボケナスがぁ!!」
 無茶苦茶にキレる駿兄と、それに対して笑って謝る未来歳記を見て、僕達はただ呆然とするしかなかった……。



 駿兄がキレ疲れたところで、未来歳記は未だに状況を把握できていない僕たちに対して、事情を説明してくれた。
「何を隠そう、実は俺とこいつ、谷風駿太郎は高校時代からの親友だったってことなんだよ。ドゥーユーアンダスタン?」
「何が“親友”だよ。どっちかと言うと悪友だろうが……。親友が、挑発的な手紙で人をゲームに参加させようとするか?」
「挑発的とは失礼な! あれは親友であるお前と久々に会って遊びたいな〜っていう、いわばラブ・レターだったんだぞ。それをお前はなんて奴だ……」
「あー、はいはい。お前の妄言は聞きなれてるから、その辺にしといていいぞ〜」
 未来歳記が、ハイテンションに説明するが、駿兄はそれに対して、力なくツッコミを入れていた。
 しかし、ここで僕の中に疑問が一つ浮かんだ。
「でも、そうだんたんなら、何で駿兄は昨日、最初に未来先生の名前が出てきたときに知らない素振りを見せてたの?」
 確か、はじめ駿兄は来宮さんの問いに対して、聞いたこと無いと答えていたはずだ。
「いや、こいつがそんなペンネームだったなんて知らなかったんだよ。俺、小説とかって大して読まないし。あの手紙に本名が書いてあって、それでようやく知ったって訳だ」
 それまで素っ気無かったのに、あの手紙を見ると、態度が急変したのはそのせいだったのか……。
「あ、そういえば、未来先生の本名って何なんですか?」
 今度は飛月が質問する。
 すると未来先生は、待ってましたと言わんばかりの笑顔で答え始めた。
「よくぞ聞いてくれた! 俺の本名はなぁ、かがみ利毅としきってんだ! 鏡だから“ミラー”、ミラーから“みらい”、んで名前の“としき”の字を変えて“未来歳記”ってわけよ! どうよ、このセンス!!」
 ミラーだから“みらい”……。
 笑う未来先生を尻目に、僕達は呆気に取られてしまう。
 ……そういえば、未来先生の作品の登場人物の名前って一風変わっているのが多かったのは、そういう理由だったのか、あははははは……。
 別に、ネーミングセンスが良かろうが悪かろうが、内容が面白ければ作品ってのは良くなる、と僕は思ってしまった。
「お前って本当に大した奴だよ……」、
 流石の駿兄も、溜息混じりに苦笑していた。
「ん? それは褒め言葉としてとらえておくぞ?」
「勝手にしてくれ。でないとこっちの頭が痛くなる……」
 そんな二人の掛け合いを見ていて、本当に親友同士なのだな、と思えてきた。
「ま、それにしてもだ。探偵やってるとは聞いていたが、まさかここまで早く俺の居場所を当てるとはな……。ホント、昔から変なところで頭の回りが速いよな」
「お前こそ、昔からミステリーは好きだって言ってたけど、ここまでのミステリ作家になってるとはなぁ」
「こんなはやく解かれたんじゃ、今までの準備してきた努力も空しく思えるよ……」
「今までの準備?」
「あぁ。ほら、以前俺が消えたときの話も来宮さんから聞いたんだろ? あれも全部今回のための準備だったわけだ」
 以前消えたとき、というのは恐らくお札を残してからの三回の失踪のことだろう。
 駿兄とゲームをする為に、連載を止めてまで失踪するとは……、やはり未来歳記の底恐ろしさを実感せざるをえない。
 それとも、これだけの奇抜さが無いと、彼のような天才作家にはなれないのだろうか……。
 しかし、駿兄はそんな未来先生――親友の鏡利毅の行動に驚かず、むしろ笑っていた。
「お土産が露骨過ぎるから、そんなことだろうとは思ってたが、お前らしいや! 昔から変わっちゃいない!」
「おう、俺は昔っから俺のままだぞ!」
 互いに笑いあう二人。
 僕と飛月もそんな二人を見て、自然と笑みがこぼれてくる。……が、そうでない人もここにはいた。
 担当編集者の来宮さんだ。
 彼女は、笑う未来先生の背後に、音を立てずに歩み寄った。
「先生? 今の話は事実として捉えてよいのですね?」
「あはは……あ、はは……。ま、まぁそうなんですがね、他にもやむに止まれぬ事情が……」
「ところで先生、今回の原稿の進捗状況は?」
「よ、予想よりも君達が早く来たから、まだ八割……」
「……先生、分かっていますよね?」
 来宮さんが笑った。
 その笑顔を直接見ることの出来ない未来先生は何かを感じ取ったらしく、硬直した。
 一方、未来先生と向かい合っていた駿兄もその笑顔を見て、震えていた。
 当然僕と飛月もその笑顔を見ている訳だったが……それはあまりに表現しずらい訳で……。
「さぁ、続きをお願いしますね、ふふふ……」



 ところ変わって、ホテルの駐車場。
 未来先生に今日以降の宿泊をキャンセルをさせ、強制的に東京に帰すことを目論んでいた来宮さんは、未来先生が乗ってきた車の運転席にいた。
 車の持ち主の未来先生はというと、後部座席でノートパソコンを膝に置き、ひたすら原稿を打っていた。
 窓を開け、まだこちらに残るつもりの僕たちに別れの挨拶をしようとする来宮さん。その顔は、先程とはまた違う、さわやかな笑顔を浮かべていた。
「谷風探偵、この度は本当にありがとうございました。これで、先生に思う存分原稿を書いてもらえます」
「あ、あははは、そうですか。それはよかった……。お〜い大丈夫かぁ、利毅〜?」
 駿兄は、運転席の窓から後部座席の未来先生に声を掛けた。
 しかし返事は……
「あ〜大丈夫だ〜。これしきのことでへばってちゃ、作家は務まらないってばよ……」
 元気が無かった。
 先程の来宮さんの微笑みには何が隠されていたのだろうか……。
「謝礼は後ほどきちんと振り込んでおきますので、それでは!」
 来宮さんは車を発進させると、駐車場から出てゆき、すぐにその姿は見えなくなってしまった。
 そして、立ち尽くす僕たち三人。
 はじめに口を開いたのは僕だった。
「んで、これからどうするの?」
 そんな素朴な疑問に対する二人の答えは似ていた。
「どうする、って決まってるだろ?」
「そうそう、当たり前じゃない!」
 この後、何を言い出すか? まぁ、それの予想はつく訳であり……。
「観光だろうが!」「観光でしょ!」
 結局、予想が当たったりするわけである。



 こうして僕達は、この猪苗代エリアをなぜか用意されていたガイドマップを片手に巡り、締めに温泉に入った上で、帰路につくこととなったのだった。
 そして、その時のお土産に選んだ品が、三人揃って赤べこグッズだったのは、また別の話……。
 そして、未来先生からサインを貰うのを忘れていたのを思い出して、飛月が車内で暴れだしたのもまた別の話……。




 <逃亡者の挑戦状 完>

 

 この話はフィクションです。
 実在する人物、団体等とは一切関係ありませんのでご了承下さい。
 なお、作中で登場した各地のお土産は実在するのであしからず。
 



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